Communicative Unitによるテーマ分析 : The Kyoto Grammarの枠組みで
著者 龍城 正明
雑誌名 同志社大学英語英文学研究
号 76
ページ 1‑20
発行年 2004‑03‑01
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004603
Communicative Unit によるテーマ分析
―The Kyoto Grammar の枠組みで
龍 城 正 明
1.はじめに
M.A.K.Halliday によって確立されたSystemic Functional Linguistics(選択体 系機能言語学)=SFLは,現在多くの言語でその理論的枠組みを用いて分析 されている。当然ながら英語に関する研究は最も早くから進められ,SFL理 論の枠組みの中でも,HallidayやMatthiessenを核とするSydney グループ,
Fawcett, Tuckerを中心としたCardiff グループ,またBerryらによるNottingham グループ1など,いくつかの研究グループが存在する。さらには,ドイツ語 やフランス語やスペイン語などもその研究対象となり,それらはSFLという 理論的枠組みを用いながら,独自の分析方法を発展させ現在に至っている。
その分析法は,あたかもSFL理論を標準語とするなら,それぞれの理論が変 種であるごとく考えられ,それぞれの理論的枠組みにもそれぞれの変種に見 合う“grammar”が存在すると考えられている。したがって,それらはその研 究グループが存在する地域名を冠し,the Sydney Grammar, the Cardiff Grammar, the Nottingham Grammar, the Madrid Grammar, the Lueven Grammar などと称され世界的規模で広がっている。本論における日本語分析もこれに ならい,筆者の所属する同志社大学が京都に位置することから,ここで展開 される日本語分析の枠組みをthe Kyoto Grammar と呼ぶものである。
本枠組みの基礎となるは,龍城(2000: 70)に述べられているごとく,言 語分析を次の三点から捉えようとするものである。2
1.言語分析には機能的な観点から発話の意味・内容を捉える必要があり,
これらを基礎とした理論が必要であること(SFLと呼ばれる「理論」)。 2.しかし,その分析法は個別言語によって異なること(個別言語の「記述」)。 3.言語理論は常に発展させていくべきものであり,その結果個別言語に応
じた新しい概念や枠組みの誕生があること(the Kyoto Grammarの提唱)。
以上の点より,日本語においてもまた,その個別性を記述するための新し い枠組みと分析法が必要となるが,その試みのひとつとして,the Kyoto
G r a m m a r という枠組みを提唱し,その枠組みにおいて 「伝達的 単位
(Communicative Unit=CU)」という概念を提案する。次節からはCUを用い たテーマ分析について,新聞の社説を用いて分析を試みることとする。
2.テクスト的機能からの分析――伝達的単位(CU)と 伝達的単位構成素(CUC)
日本語のテクスト分析において問題となる点は,英語のように節境界が明 示されない点であるといわれる。その原因の一つに,日本語における主部と 述部からなる基本単位を明確に確立できない点があげられ,それは日本語に 主語という概念があるや否や,あるいは主語という捉え方が必要か否かなど というドラスティックな問題に発展する。3 この点に関して,先ずは以下の読 売新聞2002年5月6日付けの社説の一部を見てみたい。
(1) テクスト1
沖縄県の北西部,大宜味村の平良マツさんは,94歳の今も一人住まいだ。
午前中は畑仕事。火曜日と木曜日は,公民館まで収穫した野菜を持ってい く。家に帰って一風呂浴びて,昼食。ラジオの民謡や友人とのおしゃべり を楽しんで午後を過ごす。夜はお気に入りのテレビ番組を見る。
読売新聞(平成14年5月6日)
テクスト1に見られるように,主語としての「平良マツさん」は最初の節 にこそ具現するが,以下の節ではことごとく省略されている。これでは日本 語には主語はいらないと言われても仕方あるまいし,さらなる問題として,
このような主語のない単位が,英語のように節としての条件を備えていると は言い難い。したがって,本論ではこのような統語的形態を疑似節(Quasi Clause=QC)と呼ぶことにする。そこで,このような主語省略が頻繁に生じ る場合,日本語話者はどのようにテクストを理解しているのかを考えてみた い。まず,日本語テクストでは主語の省略が一般的なのかどうかを考察する 必要があるが,それに先立ち,日本語の主語の概念について見てみる。日本 語では確かに主語という概念が極めて曖昧で,Hallidayが言う主語の三機能 を明確に区別しているとは言い難い。この三つの機能とは,以下のように規 定される。
(2) 1.オペレータとしての定型(F)に隣接し,S∧F(情報授与) F∧S
(情報探求)の機能をもつ(対人的機能)。4
2.意味的な行為者(actor)としての機能をもつ ( 観念構成的機能)。
3.話し手が聞き手にもっとも伝えたい内容=テーマ(theme)を具現する 機能をもつ (テクスト的機能)。
一般に日本語の主語と解される要素は,格助詞「が」と「は」が付与され た要素とみることができるが,(2)の観点からみると,「が」は行為者を表し,
「は」がテーマを表していることになり,この2つが同じ「主語」という概念 で捉えられるのは適切でないということが分かる。当然ながら,ひとつのま とまった意味内容を伝達する際,主語=行為者が最初から欠如していたので は,何について話しているのか(=命題)を特定することはできない。した がって,単一節には特殊な場合,すなわち,発話者が明確な場合を除き(例
えば,一人称で話し手自身のことを言う場合(「頭が痛い。お腹がすいた。」 など),行為者たる主語を省略することは不可能と言える。言い換えれば,単 一の節しか具現しない場合は,必ずその行為者たる主語は存在することにな り,その場合,無標として「が」を伴って具現される。したがって,これが 統語的な主語としての役割を担うことになる。
では,テクスト1でなぜ,多くの主語の省略が起こっているのであろうか。
これは主語の省略が生じても母語話者には十分理解できるからであろう。と すると,これは行為者としての機能を伴う主語ではなく,今現在話している 内容の主題としての要素であるからこそ,その省略が可能ということになる。
そこで,テクスト的機能における主題という観点からテーマ展開という方法 でテクスト1を分析すると,最初の節は,「平良マツさんは」というテーマか ら始まるが,それ以後は,同じテーマである「平良マツさん」が順次繰り返 されて具現するテーマとして機能しているので,以後のQCには「平良マツ さん」が隠れていると解することができる。このように考えると,テクスト 1がそれ自体でひとつのまとまりのある単位を構成していると見なすことが でき,はじめに具現した「平良マツさん」が,以下のテクストへその射程を 順次伸ばしていくことにより,あたかも統語的な主語の省略が生じているよ うに見えるのである。しかし,実際には最初のテーマ(平良マツさん)が隠 れているだけなので,日本語母語話者にはこのテクストがよく理解できるの である。5 とすれば,日本語のテクスト分析の基本単位は,節という統語的な 単位よりも,もっと大きな単位が関与していることになる。節よりも大きな 単位を設けることで,統語的主語の欠如したQCもこの単位の中に包含する ことが可能となり,これにより単一の節のみを分析の基礎単位とする必要は なくなる。また単一の節における主語の省略という事例のみを捉えて,統語 的主語はいらないなどという議論も避けることができる。単一節の分析には,
統語的であれ,テクスト的であれ,主語に相当する要素が必要で,その要素 がなければ意味内容の完備したコミュニケーションは成立しないと考える。
換言すれば,単一節に見える節内の主語省略とは,まとまりのあるもっと大 きな単位の中で生起したもので,決して単一節内だけで,主語省略は起こら ないのである。そこで,the Kyoto Grammarでは,このような節を超えた単 位を,統語的な視点ではなく,テクスト的機能から捉えることを提案し,こ れを「伝達的単位(Communicative Unit=CU)」と呼ぶことにする。伝達的単 位を用いてテクスト解釈を行うと,最初に「話題」を提示する要素が提示さ れ,このテーマをみると,その意味作用が及ぼす範囲はピリオドを超えて機 能していることがわかる。日本語話者はこのようにピリオドを超えたまとま りのある単位(CU)の中で,それを構成している構成素の前後関係からその 内容をいかに伝達するかを決定しているのである。 この前後関係とは
Hallidayのいう「結束性」6にも通じる概念であり,この結束性によって構成
されたひとつの構成単位が「伝達的単位」と呼ばれる単位である。
統語的観点からは,主語と動詞を含む述部から成る単位を節と呼ぶので,
前述のように,主語という要素が欠落した単位はQCと呼んだが,これはあ くまで統語的レベルの術語である。したがって,テクスト的レベルではこの ようなQCはCUを構成している構成素となるので,本論ではCU構成素(CU Constituent=CUC)と呼ぶことにする。このCUCという術語を提案するのは,
統語的なレベルとテクスト機能的なレベルという2つの異なったレベルを明 確に区別するのがその目的である。
3.日本語のテーマ分析
3.1 スープラテーマと覆面テーマ
テクスト的機能(=伝達的機能)という観点に立ち,CUという概念を用 いると,日本語のテクスト分析は単に節単位で行う必要がなくなり,統語的 要素である主語の省略や,節境界の同定という分析を行う必要もなくなる。
そもそも節とは統語的機能の概念であり,伝達的機能に援用すること自体に 問題がある。その点に鑑みれば,伝達的機能の分析にはその範疇における単
位(CUやCUC)を設ける必要があり,これによって,主語(統語的)とい う観点からの分析ではなく,テーマというテクスト的機能,もしくは伝達的 観点からの分析が可能になる。そこで,先述したように日本語の記述に適合 した分析を行うために,日本語テクストをテーマというテクスト的観点から 分析することにする。
すると,テクスト(1)は以下のような分析が可能となる。
(3) テクスト1のテーマパターン
(3)にみえるSTとは「スープラテーマ(Supra Theme)」と呼ばれるテーマ で,CUの最初に具現するテーマである。これは後続するCUCのすべてに影 響を与えるテーマであるからこのように呼ばれる。STが具現すると,それに 関連するテーマはすべてその影響下におかれるので,後続する「平良マツさ んは」というテーマはSTと同じ意味内容をあらわすので,あたかもヴェー ルを被ったように隠されてしまう。そこで,これらのテーマを「覆面テーマ (Veiled Theme=VT)」と呼ぶことにする。7 もちろん,このような覆面テーマ という概念の提案も,このテーマがスープラテーマに依拠しているという点 が重要で,このように分析すれば,スープラテーマを始発点とした一つのC
ST + Rh VT + Rh
VT + Rh
沖縄県の北西部、大宜味村の平良 マツさんは、94歳の今も一人住 まいだ
(平良マツさんは)午前中は畑仕事
(平良マツさんは)火曜日と木曜日は、公民 館まで収穫した野菜を持っていく
KEY: ST = Supra Theme VT = Veiled Theme RT = Rheme
U内には,その射程内に複数の覆面テーマをもったCUCが生じるというこ とになる。
3.2 帰結テーマ
次に,テーマを具現する「は」が「常に明示されるのか」,という点と「常 に独立して理解されるのか」と言う観点から,同じく読売新聞の社説から 採った以下のテクストを見てみることにする。
(4) テクスト2
親を扶養する義務は,子供たち全員が平等に負担するのが原則で,長男だ け,あるいは親と同居している者だけの義務ではありません。ただ,同じ子 供でも,遠くに住んでいる者,経済的に苦しい者,それぞれ生活状況は異な ります。そこで法律は,誰がどのような形で扶養するかは,まず兄弟間の話 し合いで決めるよう定めています。
読売新聞(平成14年9月24日)
(4)のテクスト2には格助詞「は」を伴ったCUCが3つあることがわかる。
すなわち,「親を扶養する義務は」,「それぞれの生活状況は」,「そこで法律 は」の3つである。これらの「は」はすべて同じ機能をもっているのだろう か。ここでは,「は」には二つの機能があり,それらは(¡)前出のテーマを 繰り返し具現する要素に付加する「は」は省略可能であるが,(™)前出のテー マを基に,さらに拡張された意味内容を担う要素に付加された「は」は省略 不可である,という二つの機能であると分析する。この二つの「は」に関し ても,具現する範囲は必ずスープラテーマを基礎とする。すると,日本語の テーマには2つの異なる「は」を伴ったテーマが具現することがわかる。し たがって,日本語のテーマ分析では,(¡)CU内における基礎となるテーマ=
「スープラテーマ」(™)スープラテーマの射程内に具現し,スープラテーマと
同様のテーマ内容が繰り返されるという現象からテクスト上には具現せず,
あたかも覆面を被ったごときテーマ=「覆面テーマ」,(£)スープラテーマを 基に,拡張された内容を表すテーマ=「帰結テーマ」という3つのテーマが 機能していることになる。そこで,本論ではこの3つのテーマを提案するこ ととするが,この3つのテーマを用いるとテクスト2は以下のように分析で きる。
( 4 ) テクスト2
親を扶養する義務は,子供たち全員が平等に負担するのが原則で,(親を扶養 する義務は)長男だけ,あるいは親と同居している者だけの義務ではありま せん。ただ,同じ子供でも,遠くに住んでいる者,経済的に苦しい者,それ ぞれ生活状況は異なります。そこで法律は,誰がどのような形で扶養するか は,まずきょうだい間の話し合いで決めるよう定めています。
読売新聞(平成14年9月24日)
テクスト2のテーマ分析を試みると,太字で表示されているのが,スープ ラテーマである。これに続くCUCではこの「親を扶養する義務は」という スープラテーマが繰り返し用いられているので,このテーマとなる部分は隠 れている。したがって,この部分は( )で表示され,これが覆面テーマと 解される。これに続く「それぞれの生活状況は」,「そこで法律は」という二 つのCUCには「は」を伴った二重波線のテーマが具現するが,この二つの テーマは「親を扶養する義務」というスープラテーマを拡張した内容になっ ている。すなわちスープラテーマがなければ,「それぞれの生活状況」といっ ても「それぞれ」とはどのような者かは理解できない。しかし,スープラテー マを基にすれば,「親を扶養する義務のあるそれぞれの者」という解釈が成立 する。同様に,「法律は」といっても,相続に関する法律か,扶養義務に関す る法律か,何の法律を指しているのか判断できないが,これもスープラテー
GGGGGGGGG GGGGGGGGG GGGGGGGGGGG
GGGGGGGGGGG
GGGGGGGG
マの「親を扶養する義務」を通して,「親を扶養する義務に関する法律」であ ることが理解できる。そこで,このようなスープラテーマを介して理解でき るテーマを「帰結テーマ(Consequence Theme)」と呼ぶことにする。
以上のような解釈ができるのも,テクスト2をひとつのCUと解釈するか らこそ成立するもので,ここでもCUという概念が重要なことが理解できる。
この解釈にしたがい,(4 )を(3)のようなテーマパターンを用いて分析する と,以下のようになる。
(5) テクスト2のテーマパターン
ST + Rh
VT + Rh CT + Rh
CT + Rh
親を扶養する義務は、子供たち全員が平 等に負担するのが原則で、
(親を扶養する義務 は)長男だけ、あるい は親と同居している 者だけの義務ではあ りません。
ただ、同じ子供でも、遠くに住んでいる 者、経済的に苦しい者、それぞれ生活 状況は異なります。
そこで法律は、誰がどの ような形で扶養するかは、
まずきょうだい間の話し合 いで決めるよう定めてい ます。
KEY: ST = Supra Theme VT = Veiled Theme CT = Consequence Theme Rh = Rheme
4.日本語における三テーマの機能
以上,日本語のテクスト分析にはCU内に三つのテーマが必要なことが分 かったが,これら三つのテーマがもつ機能は以下のように記述することがで きる。
(6) 日本語テクストにおける三テーマの型8
テーマ:型 特性 具現
スープラテーマ (ST) 義務的; 独立; 明示 は 覆面テーマ (VT) 随意的; 復元可; 非明示 φ 帰結テーマ (CT) 随意的; 復元不可; 明示 は
(6)に挙げたごとく,CU内で三つの異なるテーマを設定することにより,
日本語のテクストは,テクスト的機能におけるテーマ展開という観点からほ ぼ問題なく分析することが可能である。さらに無標,有標という観点から テーマパターンを整理すると以下のようなスキームができあがる。無標とは スープラテーマから種々の覆面テーマが具現するパターンを言い,有標とは スープラテーマから「は」を伴った帰結テーマが具現するパターンを言う。
(7a)は,スープラテーマを基に,覆面テーマの連鎖,および,帰結テーマが 具現する例が表示されているのに対し,(7b)では,スープラテーマを基にす るも,それから具現する覆面テーマの連鎖を始めとして,さらにそれぞれの 覆面テーマからも帰結テーマが具現される展開を示している。このような展 開を示した(7b)は,より複雑なテーマパターンの可能性を一般化したものと して捉えた図である。実際の日本語のテクストでは,これらのテーマパター ンがより複雑に展開した形で具現されていくのである。
(7a) STからのVT, CTへのテーマ展開
(7b) STからVT, CTへ,さらにVTからCTへのテーマ展開
いわゆる「主語の省略」とは,(7a)に従って解釈すると,無標テーマパター ンの場合に生起可能となる非明示化されたVTであると分析することができ る。前述のごとく,特殊な場合を除き,日本語のいかなるテクストでも,行 為者たる統語的主語を「省略」できるというわけではない。言い換えれば,
話の命題の行為者たる要素が何の条件もなしに省略できるはずはないのであ る。したがって,主語の省略とは,ある要素が省略される条件が整ったから こそ生起するので,それはCUというまとまりの中で,それを構成するCUC
ST VT VT VT
CT VT VT
CT VT
無標テーマ展開 パターン
有標テーマ展開 パターン
ST VT VT VT
CT VT VT
CT
VT
のひとつとして生じるのである。日本語テクストが複数のCUCからなるひ とつのまとまりのあるCUであると分析すると,統語的な節(あるいは文)
を常に独立したものとして捉えることが問題となる。さらにある単一節内で 省略が見られたからと言って,「主語はいらない」とか「主語という概念では やっていけない」などという無謀な分析は避けるべきであると思われる。テ クスト的観点という異なるメタ機能を設定し,スープラテーマを始発点とし た伝達的単位という新しい概念のもとで,その射程内にある同じCUCに限 り,テーマはヴェールをかぶることができるという解釈をすべきなのである。
さもなければ,節という統語的単位で捉えられた主語を省略するという誤解 から,日本語の主語不要説にまでつながってしまう危険性をはらんでいるの である。
最後に,日本語の一般化されたテーマパターンについてより詳しく見てい こう。テクスト2の分析でも見たように,実際には一度VTが現れた後,新 たにCTが後続する複雑なパターンもある。したがって,STに後続するテー マとしては,どの段階においてもVTとCTのいずれもが具現可能となるよ うなパターンを構築しなければならない。(8)は,その観点から日本語のテー マ展開の潜在的パターンを図示したものである。
(8) 日本語のテーマ展開パターン
ST + Rh
CT + Rh VT + Rh
VT + Rh CT + Rh
KEY: ST = Supra Theme VT = Veiled Theme CT = Consequence Theme Rh = Rheme
5.おわりに
以上,本論では,HallidayのSFLを基礎とするも,単に節という概念を統 一的に用いるのではなく,三つのメタ機能という観点からそれぞれのメタ機 能に個別の単位を設けて分析することを提案した。すなわち,節という単位 は,統語的機能(対人的機能)に限って用いられ,テクスト的機能には「伝 達的単位(CU)」という基本単位を設けたのである。これにより,日本語の テクスト分析には伝達的単位という概念を用い,それを構成する「伝達的単 位構成素(CUC)」のテーマ展開という観点からテクスト分析を行った。the Kyoto Grammarでは,英語のような節という単位を分析の基礎単位とはせず,
CUという新しい単位を提案することで,従来の日本語テクスト分析におけ る節境界の問題を解消することと「主語省略」という問題に新しい分析を試 みた。またテーマに関しては,CU内にはスープラテーマ,覆面テーマ,帰 結テーマという三つの異なったテーマを提唱し,それぞれのテーマの特徴を 明確にすることにより,CUCという単位を用いこれを包括するCUというま とまりのある概念の中で日本語テーマ分析を行うという,テクスト分析に新 しい観点からの分析を提案した。
言語記述には個別言語に適した分析方法があるはずである。その意味で,
本論での試みが,ともすれば英語を基礎として発展してきたSFLという言語 理論をどの個別言語の分析にも単純に適用しようとする従来の方法論に警鐘 をならし,個別言語にはそれに適応した分析法を考察する姿勢が必要なこと を示した。その点に鑑み,本論で展開したthe Kyoto Grammarの枠組みが今 後の選択体系機能言語学の日本語分析の一助になれば,筆者の望外の喜びで ある。
注
01 The Sydney GrammarとしてはHalliday, An Introduction to Functional Grammar 2nd ed., Halliday & Mathiessen, Construing Experience through Meaningが,The Cardiff Grammar としてはFawcett, A Theory of Syntax for Systemic Functional Linguistics を,また Nottingham Grammar としてはBerry, Introduction to Systemic Linguistics Vol.1 Structures and Systems, Vol.2 Levels and Links などを参照のこと。これらはすべて英語をSFLで 分析したものであるが,それぞれに著者の特徴がでており,比較すると興味ある分 析方法が得られる。
02 龍城正明 (2000) 「テーマ・レーマの解釈とスープラテーマ―プラーグ言語学派 から選択体系機能言語学へ」小泉保編『言語研究における機能主義』東京:くろし お出版.pp.49-73.
03 主語否定論としては,三上章の著作が有名であるが,三上の場合は「主語」とい う術語がもつ問題を指摘した上で「は」と「が」の形式の違いを捉えようとした点 で,本論に近いものがある。それに対し,最近の著作では金谷武洋『日本語に主語 はいらない』三省堂p.55〜や,山崎紀美子『日本語基礎講座』ちくま選書p14〜の ように,日本語における主語という概念は必要ない,またそれではやっていけない という論考が多くみられる。ここにあげた2人の論考は,主語という概念を再考す る論を展開しているのは意味があるが,金谷氏の論考には「は」の機能をスーパー 助詞として扱っているにもかかわらず,主語が文法,統語的観点からの扱いである ことは否めない。また山崎氏の論考は三上(章)文法の解説であり,主題という概 念を取り入れてはいるが,本論のように一つの単位をコミュニカティブという伝達 的観点からは考えておらず,要するにテクスト的レベルでのCU的な分析にはなっ ていない。いずれの論考も,結局は従来の統語分析の基本である単一節を出発点と した論考であることに変わりなく,その他の論考も含め,その意味で本論の分析法
であるthe Kyoto Grammarとは根本的に異なっている点に留意すべきである。
04 S(主語)の語順転換により対人的意味が変化する点に関して,英語では極めて重
要な点であるが,日本語は,疑問文も単に疑問助詞「か」を不可するのみであり,
英語のように主語と定型(finite)により対人的意味が変化するということにはならな い。したがって日本語の分析では,この点をもって,主語の特質とは言えない。
05 このテクストに「平良マツさん」をすべて挿入してみると,日本語としてはいか に読みづらい不自然なテクストになるかがよくわかる。日本語は英語のように常に 主語と述部からなる「節」という形態を備えている必要のない言語であり,それ故,
主語の省略が一般的であるような誤解を生じる。しかし,実際のテクストを分析す ると,日本語のテクストは,節よりももっと大きな単位である伝達的単位によって
構成されていることがわかる。
06 結束性については,Halliday & Hasan, Cohesion in English, Longmanを参照のこと。
英語の結束性について詳しい論考が展開されている。
07 覆面テーマという術語は,「覆面パトカー」という語彙から連想して作られたもの
である。覆面パトカーとは赤色ランプを出すまでパトカーとは気づかないが,赤色 ランプがなくてもパトカーとしての機能を持っている車を言う。同様に,覆面テー マもテーマは隠れているだけで,実際にはテーマが存在する,その機能はあると考 えられるものである。
08 スープラテーマ,覆面テーマ,帰結テーマは,英語ではそれぞれ,Supra Theme,
Veiled Theme, Consequence Themeと呼ぶことにする。これらのテーマに関しては,
2001年メルボルン大学で開催された国際機能言語学会(ISFC)で口頭発表された内容 を発展させたものである。本論では「は」がテーマを担い(thematic subject),「が」
が主格を担う主語(nominative subject)であるという分析をしているが,種々の社説 を分析すると,「が」に関してもCU内での特性としてテーマ性があることが分かっ てきた。したがって,現在「が」にもテーマを付与する分析を考察中であるが,こ の分析に関しては別の機会にゆずりたい。
参考文献
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London: Batsford.
Berry, Margaret. (1977) Introduction to Systemic Linguistics, Volume 2: Levels and Links.
London: Batsuford
Fawcett, Robin. (2000) A Theory of Syntax for Systemic Functional Linguistics. Amsterdam:
John Benjamins.
Halliday, M.A.K. (1994) An Introduction to Functional Grammar, 2nd ed. London: Edward Arnold.
Halliday, M.A.K. and Ruqaiya Hasan. (1976) Cohesion in English. London: Longman.
Halliday, M.A.K. and C.M.I.M. Matthiessen. (1999) Construing Experience through Meaning:
A Language-based Approach to Cognition. London: Continuum.
三上章 (1960) 『象は鼻が長い』東京:くろしお出版 三上章 (2002)『構文の研究』東京:くろしお出版
金谷武洋 (2002) 『日本語に主語はいらない−百年の誤謬を正す』東京:講談社 Tatsuki, Masa-aki (1998) ‘An Analysis of the Japanese Clause from the Viewpoint of Systemic
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龍城正明 (2000a) 「テーマ・レーマの解釈とスープラテーマ−プラーグ言語学派から 選択体系機能言語学へ−」小泉保編『言語研究における機能主義―誌上討論会―』
東京:くろしお出版 pp. 49-73.
Tatsuki, Masa-aki. (2000b). ‘Supra Theme and Affected Theme in a Communicative Unit: A New Treatment of Japanese Thematic Structure’. A paper presented at 27th International Systemic Functional Congress, held at University of Melbourne, Melbourne, Australia.
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山崎紀美子 (2003) 『日本語基礎講座―三上文法入門』東京:筑摩書房
Synopsis
“Analyzing the Japanese Thematic Structure in a Communicative Unit” :
the Kyoto Grammar Approach
Masa-aki Tatsuki
The purpose of this paper is to analyze the thematic structure of Japanese by making use of a new concept, Communicative Unit (CU) and Communicative Unit Constituent (CUC), within the framework of the Kyoto Grammar. The Kyoto Grammar is a grammar for analyzing the Japanese language in a Systemic Functional Linguistics (SFL) approach, proposed by Tatsuki (1998) at Doshisha University in Kyoto.
As is well known, the basic unit of SFL is the clause, since its concept is quite powerful when analyzing the English language. The concept of the clause, however, is not always applicable to Japanese because of its tendency of an elliptical subject in a clause. Therefore, the unit lacking a subject can no longer be considered a clause, since a clause is considered to be consisted of a Subject and Finite. The drastic argument is sometimes made that subjects are not necessary in the Japanese language. Is this true? As far as the content of conversation is concerned, the speaker should mention who or which is the actor of the process, otherwise it seems difficult to understand what the speaker is talking about. It is thus necessary to consider the nature of the subject in order to analyze Japanese in detail.
According to Halliday (1994), the subject has three functions:
1.Gramatically, the Subject adjacent to Finte functioning as Operator has the
function of either the information giver or the information seeker (Grammatical Subject=Interpersonal Function). 2. Semantically, the Participant Role has the function of Actor (Logical Subject=Experiential Function). 3. Textually, the first element of a clause has the function of realizing what a speaker is talking about, i.e., Theme (Psychological Subject =Textual Function).
Unfortunately, we normally don’t make a clear distinction among these three functions regarding the Subject, but the subject is usually treated only in a syntactic viewpoint, i.e. Halliday’s first distinction=Grammatical Subject. That is why Japanese can be often regarded as the subjectless language, but this notion is caused by the analysis of the syntactic viewpoint only. As mentioned above, if Japanese is the subjectless language, it is quite difficult to assert the proposition of the clause. Nevertheless the ellipsis of subject is often found in Japanese. This being so, it is quite certain to have a good reason for triggering the ellipsis of the subject in Japanese, and this necessitates a new treatment of Japanese from the textual viewpoint, i.e., the analysis of the thematic structure of Japanese.
This paper proposes a new analysis of Japanese text from a Textual or Communicative level by employing a new unit termed Communicative Unit (CU), which is a more expanded unit than a clause. The CU is a unit which consists of several CU constituents (CUC) and thus the whole unit will be considered from a textual or communicative function, not a syntactic function.
The reason to advocate this new treatment of CU and CUC is to make a clear distinction between the textual or communicative level and the syntactic one. Accordingly, the main element of the CUC is a Theme, not a Subject.
Viewed from this perspective, the ellipsis of themes following the main theme can be easily analyzed regarding the thematic structure. In other words, if following themes are the same theme as the main theme, they tend to become
veiled due to the cohesion of text. In certain CUCs of a Japanese text, the main theme, which can now be termed the Supra Theme attached by wa, semantically controls the whole CU, and thus following themes are understandable even if those themes are disregarded. This ellipsis, in fact, can be considered as temporarily veiled and thus is called a Veiled Theme.
Moreover, within any one CU, other CUCs attached by wa can frequently occur. This sub-themed CUC, however, does not carry the same status as the main theme, i.e., Supra Theme, even if attached by wa. It is necessary to interpret this sub-themed CUC with the aid of the Supra Theme, otherwise it is difficult to interpret the connotative meaning of this sub-themed CUC because of its non-recoverable feature. It is thus termed this sub-themed CUC as the Consequent Theme. These three themes will construe the whole CU in a Japanese text.
The three themes in Japanese are indicated below:
THEME PROPERTY REALIZATION
Supra Theme obligatory; independent; overt wa Veiled Theme optionally; recoverable; covert 0 Consequent Theme optionally; nonrecoverable; overt wa
It is suffice to say that the ellipsis of the CUC occurs only when it functions as one of the constituents of CU, an aggregate of CUCs. That is, any independent clauses are not easily undergone the ellipsis of the subject due to the difficulty of identification of its actor of the clause.
Accordingly, this paper shows a new treatment of a Japanese text by making use of a communicative level and a concept of cohesion. In so doing, the paper proposes a new analysis of the thematic structure of Japanese by
/
implementing above several themes in a Communicative Unit extracted from Japanese newspaper editorials.