ソシオサイエンス 恥1.142008年3月 要 旨 233
地球社会論専攻3月修了
近代的自由を巡る一考察
−スミス,デュルケム,ルソーの思想を中心に−
米倉 達也 指導教員 田村 正勝 教授
要 旨
98年以降,日本では自死が激増し,年間の自死者数が三万人を超え続けている。これは,市場原理至上主義的な 経済政策,経営理念の進展に深く影響されていることが本論文で明らかとなるだろう。では,なぜこのような悲惨 な結果をもたらすにもかかわらず,市場原理至上主義が社会に受け入れられているのだろうか?
それは,各人の利己心追求が市場原理を介して,国富を最も効率的に増大させ,そのことが社会秩序の安定に最 も重要な役割を果たすからである。この時,自由競争を通して, 各人に彼のものを という正義もまた実現する。
しかし,それには条件が二つある。一つは,国富が十分に大きいこと。二つ目は国富が増大し続けることである。
現在の日本は,一つ目は十分にクリアしているが,二つ目はクリアしていない。日本は70年代後半に消費飽和社会 となったことで,構造的にそれほど成長できなくなっているのだ。自死激増の根本理由は,この条件を満たせない 状況下で自由競争を進展させたことにある。
そもそもデュルケムによれば,利己的自由による物的豊かさの追求自体が,一方で自死圧力を強めるという。そ れは,我々が慣習や共同体から切り離されることが原因であるとされる。そして,この時,我々は他者との親密な 関係からも切り離されているのだ。
近代以降,自由と言えば専ら欲望追及の自由とみなされたが,我々近代人は道徳的な自由も有している。そし て,道徳的な自由は市民社会の存立に必要不可欠であることが,ルソーの社会契約思想を通して明らかとなるであ ろう。社会契約を結ぶということは,社会において無限に拡大する自己愛を自分のた捌このみ費やすのではなく,
他者へも向けることを意味する。我々は,社会契約を通して,相互にそうすることを約束しあうのである。これが,
我々の親密な関係を作るものであろう。
戦争プロパガンダに関する一考察
一新たな管理社会を見据えて一
渡遽 雅信
指導教貞 田村 正勝 教授 要 旨戦争プロパガンダとは「戦争の遂行を念頭におい.たプロパガンダの総称」である。このように把担することで,
戦争プロパガンダの動機と機能,またプロパガンダの受用者がなぜ騙されてしまうのかが,明確になる。
1章は「政府によるメディアの操作」をテーマにしている。戦争プロパガンダにおけるシンボルの利用を見た後,
「デイーバ・システム」によるメディア操作を明らかにする。メディアの体質を,チョムスキーの「プロパガンダ・
モデル」に依拠しながら分析する。
2 ̄章は丁プロパガフグの構造的理功と手段の解明丁てこ酎かれてVi右 ̄戦争プ甘パガフグの動機を1− ̄公共投資が兵 ̄
器の製造・使用に成り変わった,宿病としての「軍事ケインズ主義」に求めている。「統合のプロパガンダ」で用 いられる手法は,敵の脅威を喧伝する「恐怖の喚起」である。「承認のプロパガンダ」と「排除のプロパガンダ」
はそれぞれ「報酬」と「処罰」を狙っている。
3章はプロパガンダ対策のための議論である。ハイデガーに依拠し,「不安の可視化」を確認する。ベトナム戦 争における特派月は,「生の現実」に触れ,態度変容を起こした。彼らによる戦争報道は,国内の反戦意識を呼び,
軍の撤退が引き出された。さらに,ベトナム型の深い共感の回路として,インターネットに着目する。カメラ付き 携帯電話やプログの使用が個人による「生の現実」の発信を可能にするのだ。インターネットの性質から,「3つ
の管理」が引き起こされ「管理を望む個」を招く危険性についても語る。
最後に,グーグルによる情報管理を見ている。個人の「内面の管理」が深刻になれば,判断力すら取り去られて しまうかもしれない。グーグルは中国向けのサービスでは,検索結果の操作を行っている。悲劇的な結末として は,管理に気づくことすらできない管理社会の.到来が危供される。完全なる管理社会が実現する前に,戦争プロパ ガンダに関する議論に真撃に耳を傾けるべきである。
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E・フロム研究
−フロイトからフロムへ一
池田 知栄子
指導教員 古賀 勝次郎 教授 要 旨本研究は,今や忘れ去られた一人の思想家,E・フロムについて論じるものである。E・フロムは今まで,その 一般性の強さや,整合性の欠如といった面が強調されがちで,社会科学的研究対象となることは少なかった。しか し,フロム没後30年が近づいた今,そうした単色的な認識にも少しづつ変化が見え始めている。本研究では,そう した動きを意識し,フロムの史実的整理・思想形成の過程再考を通じて,その思想背景の意外さと複雑さについて 論じる。特に,フロムの思想形成の過程の説明における重要な事項である,強いユダヤ性については頁を割いて検 討していく。また,フロムは,20世紀思想の縮図的構造を持っていると言っても過言ではなく,それゆえ,その思 想の全般的な解明には多くの労力と困難を伴う。本研究は,そうした作業への準備段階となる事を意識している。
フロムは,精神分析家としてのスタンスがあった。フロイトから始まった精神分析は,思想史上の大きなターニ ングポイントであったにも関わらず,その臨床的なインパクトの強さから,主に医療的観点から論じられがちであ る。フロイト生誕150年迎え,フロイト機運も再び高まる中,一臨床理論としてではなく,思想的な観点から捉え なおす試みとして,精神分析の発生についても史実的に再考していく。その中で,「無意識の発見」が事件発生的 にではなく,段階的に生まれた事を論じ,また,「人物フロイト」にも触れていく。彼の,近代的なるものと前近 代的なるものの間における揺らぎと葛藤について考察し,最後に,二人のユダヤ人,フロムとフロイトを対略させ,
それぞれの時代的・文化的構造を比較する。フロイトと同じユダヤ人であったフロムにとっても,精神分析は大き な意味を持っていた。二人の,精神分析という装置を必要とした危機や葛藤一近代と前近代,ユダヤ性と非ユダ ヤ性とのはざま−を論じ,精神分析の思想的な意義を提起し結語としたい。
ハンナ・アレント研究
上原 大
指導教員 古賀 勝次郎 教授要 旨
本論文は,ユダヤ系ドイツ人の思想家ハンナ・アレント(HanmihArendt,1906−1975)の政治理論を,近年のア レント研究を踏まえながら,「ギリシア・ローマ思想的側面」という視角から再検討するものである。
これまでのアレント研究は,「卓越主義」,「共和主義」,「規範志向」という三つの傾向に大別でき,斯かる解釈 の相違は,アレント思想のどの部分を強調するかの相違によるものである。ところで,アレントが,ギリシア・
 ̄こマ思想か ̄ら多大を影響 ̄を受けてV、首のは周知の事実であ初号, ̄畢寛するに, ̄上記の ̄よケな多様な解釈が生じて しまうのは,アレント思想のうちでギリシア思想的側面とローマ思想的側面の折り合いがついていないためである と思われる。本論文では,この点に着目しながらアレントの政治理論を検討する。
第1章では,アレントの思想遍歴の「はじまり」である『アウグステイヌスの愛の概念』について考察し,ギリ シア思想とローマ・キリスト教思想とを比較検討するというアレント独自の視座を明らかにする。第2章において は,アレント政治理論のギリシア的モメントを探求すべく,「活動」概念の「闘技」という性格について論じ,続 く第3章においては,アレントの革命論を取り上げ,そのローマ的モメントについて確認することになる。最後の 第4章においては,ギリシア思想の影響を受けつつも「規範志向」的な概念である「判断力」について検討する。
もとより,以上の考察において問われるのは,アレントにとってより根源的なのはギリシア思想とローマ思想の どちらか,という問題ではない。そうではなく,アレントの根源的関心は何処に向けられているのかということが 重要なのであり,したがって,本論文の結論では,アレント政治理論の根底に存しているものに関して言及される。
要 旨 235
和辻哲郎研究
山田 信一 指導教員 古賀 勝次郎 教授
要 旨
本論文は,日本文化研究家であり,近代日本を代表する哲学者であり,包括的な倫理学体系を構築した思想家で ある和辻哲郎の思想形成とその展開について,その発想の根底にあるものを探り思想の転換の契機を究明すること で,思想の一貫性を兄いだすことを目的とする。
近年和辻の思想に対する新たな評価の動きが見られる。それは浩翰な和辻の主著である『倫理学』が岩波文庫版 としての刊行されたことに象徴的に表れている。和辻の著作は戦前戦後を通じて読み継がれてきたが,それは和辻 の「イデエを見る限」に裏打ちされた『古寺巡礼』や『風土』といった,ある種の美的な著作のみであった。そし てそれらは思想家和辻と切り離すことで著作それ自身の価値から為されていたのである。それに対し『倫理学』は 思想家和辻自身の自己表現であり,また明治から昭和にかけての日本社会の自己表現でもある。
そうした和辻の思想自身に対しても眼が向けられるようになる中で,その思想形成・展開を追い,従来ある断絶 として捉えられてきた思想の転換点において,和辻の思想の一貫性を確認することは一定の意義を有す畠ことであ ると思われる。
第一章では和辻の「劣等感の複雑な現れ」としての放情時代と,外部にある価値への希求によってそこからの転 換をはかろうとした和辻の態度について論じた。第二章においては『ニイチェ研究』に表れた和辻の思想に,前期
から後期に至るまでの和辻の思想原理を探った。第三章では和辻の日本回帰ということに開し,それが単純な回帰 ではなく,和辻の意識的選択が働いていく点を論じた。第四章では和辻の摂取したニーチェ思想が仏教思想へと接 続されることを論じた。第五章では和辻体系にとっての敗戦の衝撃にもかかわらず,一貫した思想を展開しえたこ との根底にある和辻の思想原理について論じた。
アイザイア・バーリンの自由主義研究
一思想史的観点から−
上森 亮
指導教員 古賀 勝次郎 教授要 旨
本稿は,20世紀を代表する政治思想史家アイザイア・バーリンの自由主義について,バーリン自身の思想史方法 論を用いて考察することを目的としている。
第1章第1節では,バーリンが哲学的諸問題について論じた諸エッセーを検討し,これまであまり注目されな かった哲学者としてのバーリンの業績に光を当てる。続く第2節では,歴史学や歴史哲学についての諸エッセーを 検討する。そして,第3節では,政治理論の目的や存在理由について論じた後に,それまで別々に論じてきた哲学,
歴史学,政治理論に関する見解を統合してバーリンの思想史の特徴を明らかにする。
第2章は,断片的なバーリンの思想から自由主義の特徴を再構成することを目的としている。具体的に言えば,
第1節では,まず「平等」概念を分析する。続く第2節では,論争を巻き起こした「2つの自由概念」を中心に して「自由」概念の検討を行う。そして第3節では,現在もっとも重要視されている価値多元主義を「理想の追求」
というエッセーを中心に考察し,第4節では価値多元主義,自由主義,寛容という3つの視点を組み合わせて整合 的に解釈する可能性を示唆する。
最後の第3章は,バーリンに数多く寄せられた批判の中からレオ・シュトラウス,チャールズ・テイラー,フィ リップ・ペティツト,ロナルド・ドウオーキンによる批判を取り上げて,その批判の是非を検討する。とりわけ,
テイラーとペティツトの批判を検討する中で争点としたいのは,バーリンが「2つの自由概念」で提起した消極 的自由の有効性であり,シュトラウスとドウオーキンの批判の検討で中心を占めるのが価値多元主義の是非であ る。
『社会契約論』の「死の教義」読解
ルソーの緑の政治思想序説
櫻井 悠大
指導教貞 古賀 勝次郎 教授 要 旨ルソーの政治学には,専制や革命煽動の意図を窺わせる格率が含まれ,それが後世にもたらした影響作用と相 償って,ルソーの全体主義的解釈の成立に根拠を与えている。いやしくもルソーを政治的に再評価する上で,この 解釈は最大の障碍であり,その解消ないし媛和は避けて通れない課題である。
では具体的にはどのような命題がその根拠となるのか。ルソーの全体主義的解釈においては「一般意志」への危 険視が先行している。しかし『社会契約論』第二篇第五章「生と死の権利」で,ルソーが国家のための自己犠牲を 強制する時,当然ながらそれは「意志」(1avolonte志願)に基づくのではない
こうした原理の中には,おそらくこれからも克服できないものがあろう。だが,ルソー研究史は,全く乗り越え がたく思われた断裂が実際に乗り越えられてきた歴史である。この「死の教義」も一見すれば克服Lがたく見える が,私はそれがもたらした結果に反する真の意図を示すことで,その専制的性格を克服し,少なくともそれに基づ
く限りでの全体主義的解釈を解消するつもりである。
この「死の教義」は専ら『学問芸術論』にまで根源を遡れる政治学上の問題の解決策の発展として捉え,政治学 の体系的解釈を通して初めてその意図を解明することができる。つまりその解明自体一つの体系性を要する。
したがって,私がこの論文において試みるのは,それ自体政治学の一つの体系的解釈であるような,全体主義的 解釈という障碑の部分的な解除であり,更にそのことによってルソーの再評価の道を拓くことである。
ところで,私が具体的に念頭に置いてるのは,緑の政治思想としての再評価である。この観点から最も重要な著 作は『ェミール』であるが,いづれにしても,ルソーの再評価は人類に課せられた急務であると言える。
清水幾太郎研究
庄司 武史
指導教員 古賀 勝次郎 教授 要 旨本研究は・,日本の戦前・戦後の論壇・思想界において,多岐にわたる発言と業績を残した社会学者,思想家であ る清水幾太郎(1907−88)の思想に関するものである。清水の思想が,アメリカの思想家ジョン・デューイ 00hn Dewey,1859−1952)のプラグマティズムに即したものであることは,しばしば指摘されてきたことであるが,清水
におけるプラグマティズムの受容過程については,ほとんど検討されてこなかった。
本研究姓こう__した臭晴を跨ま_え」こ往部分広焦点を当てた放究lこ取』組んだ。_概究の内容_は,_大きく_(1)」鼻水 がプラグマティズムの思想に出会い,受容していく背景の検討,(2)清水がプラグマテイストとして覚醒していく 過程の検討,(3)プラグマティズムを受容した戦前・戦中における清水の思想および言論の検討,(4)同じく戦後
における清水の思想の検討,という構成を採っている。
検討の過程では,従来の研究があまり注目してこなかった,プラグマティズムに出会う以前の清水の思想が,社 会学とマルクス主義の深刻な相剋状態にあったこと,この相剋状態がプラグマティズムを受容することで解消され たこと,さらに受容後の清水が好んで用いた「クレアタ・エト・クレアンス」という言葉に込められた清水の考え などを詳しく論じている。さらに太平洋戦争中および前後の時期における清水の言論活動を分析し,「クレアタ・
エト・クレアンス」に示される清水の考え乃至態度が,清水の言論活動全体を通底するものであったことを示した。
とくに戦争中の言論分析にあたっては,清水が執筆した新聞社説全ての内容を点検して論じている。戦後は,とく に三大思潮といわれたマルクス主義,実存主義,プラグマティズムの関係に焦点を当て,その関係のなかで清水の プラグマティズムが説いたもの,その限界等を示した。
要 旨 237
自己と他者
一倫理と存在論のあいだで−
近野 寛介
指導教員 那須 政玄 教授 要 旨表題のテーマを研究するにあたり,三人の哲学者の思想が用いられる。マルテイン・ハイデガー,エマニュエ ル・レヴイナス,ポール・リクールの三人である。ハイデガーの思想は世界=内=存在という,自己も他者も同じ 現存在という形で表現され,自己ありきの存在論であったといえる。そのようなハイデガーの思想を『存在と時間』
における良心論の箇所において見てとる。そのことによって,次にとりあげるレヴイナスの顔と対比させることを 試みる。それに対しレヴイナスの思想は,他者とは自己によって一切包括されることなく,顔という顕現でもって
自己に対しその関係と責任を迫るものであるとする,他者ありきの倫理学であった。そのような彼の思想を,『全 体性と無限』における顔の論理の箇所を詳細に分析していく。そして,リクールは『他者のような自己自身』とい
う後期の主著における第七研究から第九研究において自らの倫理思想を展開する。そこでは,「善く生きること」,
「他者とともに」,「正義」などのことばが取り上げられる。第一章から第三章までは,そのような三者の思想をそ れぞれ表題のテーマに沿ってみていくことにする。そして第四章においては,リクールが展開するレヴイナスとハ イデガーをともに批判する思想に触れる。そして終章において,リクールがそれでもなお命令の源泉である<他>
については語ることができないとした結論を超える形で,伝統的な同と他の弁証法に回収されないようなあらたな 倫理の可能性へ向けての試論の構築を試みる。それは,ハイデガーの良心とレヴイナスの顔との統合を図ることで
ある。
地方自治体の安全保障
一神戸市・高知県における港湾の非核化を巡って−
川口 徹
指導教員 多賀 秀敏 教授要 旨
本稿の目的は,日本の安全保障について国家(中央政府)に働きかける意志を有した地方自治体と国家との関係 についての考察である。仮説的に住民の意識を設定し分析を加え,住民の意識の差が,事例で取り上げた二つの地 方自治体による非核対応の結果につながっている事実を検討することを試みた。
事例分析では,神戸市と高知県の,港湾の非核化を目指す過程を取り上げる。神戸市では1975年に港湾の非核化 したL_高知県笠昧廼劉生に条例化させる時点で頓挫した。_地方自_治藤が外国艦船に対して非核証明書 の提出を義務付ける措置の成立と不成立の原因について比較考察するため,以上の事例を設定した。
本稿の構成は次のとおりである。第1章では,近年の国際構造における安全保障の定義の拡張,法律に閑し,先 行研究を整理する。第2章・第3章では,それぞれ神戸市と高知県の事例分析を通し,非核化の成否に関係したア クターを明らかにする。第4章では,第2章・第3章で扱った各地方自治体の住民の意識に焦点を当て,地方自治 体の行動と結果の差異には,住民の意識が反映している実態を分析する。その上で,中央政府と地方自治体の関係
について考察する。これにより,中央政府との関係において安全保障に関する地方自治体の行動と結果には,住民 の意識が反映していることを明らかにしようとした。
結論としては,一連の事例分析・考察を通じ,二点についていえる。一点目に,地方自治体の意志・市民の意識 の循環に対する包括的な評価が,地方自治体の港湾の非核化の結果と相関関係にあることが確認できる。二点目 に,本稿の事例では,地方自治体の実態は依然,公共性を理由に,住民の権利を制限する権力複合体としての傾向 がある。
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熱帯農産物輸出国の経済発展の可能性
中山 泰弘
指導教員 トラン・ヴァン・トウ 教授 要 旨本論文では熱帯農産物を生産・輸出する後発途上国が,グローバル化が進展する中において初期段階の経済発展 を遂げ,本格的工業化に参入するための政策について考察を行う。
世界的な自由貿易の推進により,途上国は先進国の市場にアクセスし,先進国への輸出による外貨の獲得,先進 国からの直接投資受け入れによる先進国の技術導入,国内産業育成の機会が得られるようになっている。これらを 原動力として途上国は経済発展と貧困削減を遂げることが可能であると考えられている。
しかしプラスの効果が謳われる一方,不均等なグローバル化の悪影響や,熱帯農産物自体が抱える需要の所得弾 力性の低さなどの経済的特性により経済発展メカニズムを起動することができない途上国が存在する。とりわけサ ハラ以南のアフリカ諸国では農産物の輸出が経済発展に結びつかず,経済の停滞が続き,むしろ事態が悪化してい
ると指摘されている。
分析枠組みにNAIC型工業化理論(NAlC=NewlyAgro−IndustrializingCountry)を用い,グローバ)t/化が進展す る中で分析対象国が経済発展への手がかりを得るにあたり,東アジア諸国が遂げてきたような初期段階から繊維,
機械等の一般的な製造業に参入する工業化政策ではなく,当該国で生産を行っている農産物の加工業へ参入し生産 品の付加価値を高める戦略が,既存資本の活用,社会的変動の影響などの観点から有効であることを論じる。
NAIC型工業化理論に沿った開発政策を進めるにあたり,先進国側が設けている生産補助金,Tki鐙.Escalation(傾 斜関税)等の制度が大きな障害となり,途上国側がグローバル化の恩恵を享受できないことを明らかにすると共に,
制度改善のためのアプローチについて提言を行う。また,多国籍企業の参入が途上国の経済発展に与える影響につ いて分析を行い,当該国は賦存要素の活用を政策的に行うこと,そのために政府が主体となり取り組むことが必要
となることを論じる。
途上国における「新貧困層」と所得再分配
宮本 泰輔
指導教員 トラン・ヴァン・トウ 教授 要 旨貧困層の概念は時代とともに多様化している。近年,農村に滞留する余剰人口や,都市部インフォーマルセク ターだけでなく,グローバル化に起因する失業者の増加などが新しい貧困問題として登場してきた。そこで,現在 の所得水準を問題として考えるこれまでの貧困層の概念に対して,さらに貧困の概念を拡大し,たとえ現在一定の 所得があっても,いつでも失業状態になりうるフォーマルセクターの労働者を「新貧困層」と定義した。
本研究では,新貧困層が発生する原因を,アマルティア・センのエンタイトルメントアプローチを用いて分析し た。 のエニタイトILメントが悪化する要関として,グロー′〈ル化から来る不安定さとそれに対する脆弱性 があることを明らかにした。
グローバル化の中で急速に発展した国では,平均所得の上昇と引き換えに,産業構造の急速な変化が伴った場合 に雇用が不安定になる。また,国際価格変動の影響を直接被ることにもなり,さらに資本市場の自由化による資 金の急流入・流出などが起きることになる。すなわち,これまでは政府によって遮断されていた外的な不安定に,
個々人が直接対面することになる。一方で,急速な近代化は,従来の社会規範を支えていた「大家族」「地縁社会」
を大きく変容させ,インフォーマルなセーフティネットを弱体化させている。
事例としてアジア経済危機時のインドネシア製造業を取り上げたが,外的ショックによって労働者のエンタイ トルメントが奪われる経路が,産業ごとに異なることが明らかになった。また,同時期のインドネシアでのイン フォーマルなセーフティネットが人々に十分にエンタイトルメントを付与できなかった可能性があることも分かっ た。
こうした分析から,グローバル化によって経済発展を遂げていく際には,フォーマルな社会保障を同時に整備し ていく必要があるという政策的含意が得られる。
要 旨 239
アジアの都市化と住宅政策
安臥 碧
指導教員 トラン・ヴァン・トゥ 教授要 旨
本稿は,過剰都市化の進むアジアの都市を対象とし,急増する都市住宅需要に対する政策事例を比較,検討し,
分析するものである。経済発展と産業構造の変化に伴う都市の人口増加は避けられないとした上で,現代の過剰都 市化が今後の経済発展にとって本当に有益かという問題意識に端を発し,豊かな生活居住の実現に向けた住宅政策 論を展開する。また,欧米での住宅需給理論を発展させることで,人口の高密化と生活の多様化に直面するアジア
の都市住宅政策への提言を目的とした。
序論での問題意識を受け,第2章では都市住宅問題の発生要因である都市化の実態を把握する。現代アジア過剰 都市化の特徴を明らかにした上で,都市化を都市住宅問題の根本要因であるとして,ルイスとハリス=トダロによ
る理論を整理し,都市住宅問題を考察する布石とした。
第3章では,過剰都市化における住宅問題を考察する分析枠組みを示す。都市先進国での住宅政策の歴史的展開 を追い,本稿の理論的枠組みとなる需要供給理論と住宅政策理論の一般的な議論について整理する。また,アジア の2都市を挙げて政策比較分析と考察を行い,経済の発展段階に伴った適正な住宅政策のための要件を明確にし た。これらの分析から,公共住宅の供給による市場調整への効果と,住宅問題解決に対する公共の役割の重要性を 指摘し,事例研究でより詳細な政策検証をするための仮説を提示した。
第4章では,事例研究として韓国・ソウル市の政策を複合的に考察するとともに,第3章で得られた分析枠組み と仮説から,住宅政策の効果と政策提言の有効性を検証した。
本稿では,特に経済発展の初期段階において公共住宅供給を中心とした住宅政策の効果は高いと主張する。また 公的関与は生活保障の実現と,経済状況に適した市場の構築を可能にする等,今後アジアの都市にとって必要不可 欠であるとした。
東アジアの経済開発と企業発展
木村 陽子
指導教員 トラン・ヴァン・トウ 教授要 旨
本研究は東アジアを対象にして,地場企業が経営資源の制約を克服する過程を開発経済学の枠組みを用いて考察 し,発展途上国の地場企業が経営資源を獲得するためには多国籍企業とのリンケージが効果的であることを明らか にすることを目的とした。
東アジアの雁行型発展からは,東アジアの地場企業は直接投資を媒体に多国籍企業が持つ資本と技術を活用でき る_後発利益を享受で_きる立場_にあっ_た主_とカモ牡かる。東ア_芝ア_の工業化の主要な担王1手は姓間であるが,_家族経営 体の持つ優位性に加え,政策の支援と多国籍企業とのリンケージによって経営資源を蓄積し事業を巨大化・多角化 させた。特に,投入財を多国籍企業に供給するバックワード・リンケージは,地場企業に様々な経営資源の獲得を 可能にした。生産コストを節約し競争力強化を図りたい多国籍企業にとり,投入財の現地調達は不可欠であるた め,自社のサプライヤーである地場企業に対し積極的に経営資源を移転する。このため,サプライヤーである地場 企業には実質,多国籍企業の内部市場に取り込まれたと同様の経営資源が移転されるのである。しかし,多国籍企 業,地場企業の双方に競争的な環境がなければ,投資インセンティブは働かずリンケージの効果は限定的に留まる。
実証研究として,タイ資本の自動車部品企業が日系企業とのリンケージによって経営資源を蓄積し,結果,部品 産業が厚く集積されたことをマレーシアの自動車産業で形成されたリンケージと比較することによって示した。ま た,最後に政策的含意として,リンケージの形成を促進するため,多国籍企業の生産活動を補完できる中小企業の 育成と企業ガバナンスの重要性を論じた。
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経済成長と金融システム
瀬藤 芳哉
指導教員 トラン・ヴァン・トゥ 教授 要 旨経済成長には資金調達と配分が重要で,このために国民の貯蓄を有効に活用し,長期資金も含む国内資金需要に 充当できる金融システムの整備が必要である。この関連で,金融システムの発展の尺度として金融深化が重視さ れ,M2/GDP等の向上が論じられてきた。また,資金供給の観点から,銀行を通じた間接金融と資本市場による 直接金融のどちらが適切かが議論されてきた。
近年はグローバリゼーションが進む中で金融システムの整備を進める必要がある。即ち,先進国の民間資金が大 量に途上国に流入する一方で,この資金はアジア危機のように国際市場の情勢次第で急激な流出を起こすリスクを 持つことも明らかになった。従い政府関係者等の間で,外国資金に過度に依存せず,国内での資金調達効率の向上,
具体的には金融探化および現地通貨建て長期資金の調達可能性を向上させることの重要性が再認識されている。ま た,アジア危機で銀行に依存しすぎるリスクも明らかになり,債券市場等の直接金融の育成も政策課題となってい る。
この点で中南米とアジアを比べると,中南米の金融市場は遅れ気味で,金融深化の進展は媛慢である。債券市場 もアジアが中南米を上回るペースで拡大している。この背景には,中南米では長年経済が不安定でインフレに見舞 われたこと,銀行,裁判等も含めた経済制度全般への信任の低いことがあると推測される。本稿では,途上国の金 融深化に制度への信任度合いが影響しているとの仮説を検証した。その結果,M2/GDPと債権法制,投資家保護 および債権回収との強い相関関係が確認された。また,先行研究により,過去のインフレが長期の自国通貨建て長 期債券の発行に影響する点を確認した。
以上から,金融深化には経済の安定,特にインフレへの対応が重要で,また制度への信任の向上が重要であるこ とが示された。
アジア途上国の教育拡大と高学歴失業問題
眞谷 国光
指導教員 トラン・ヴァン・トゥ 教授 要 旨現在,アジア途上国では急激に高等教育就学率が上昇しているが,そのような国々では共通して高学歴失業問題 が引き起こされている。教育は,経済発展の基礎といわれ,それはこれまでの実証的・理論的研究においても示さ れている。人的資本理論によれば,教育は人々の技能を高め,経済発展に寄与するはずである。しかし,現代のア ジア途上国に見られる高等教育拡大は,経済発展に寄与するどころか,失業問題に直結してしまっているケースが
く__なって斗1る_。__本論文の且粗は_,_この間題が発生上た」京鳳にこ拉てこト_教書市場ト労働満場の両側面か_ら明ち_かに することである。
まず,本論文の分析対象である韓国とタイについて,1970年代頃から現在に至るまでの両国の高学歴失業の現状 を明らかにした。次に,この間題を検証するための分析枠組みを設定した。すなわち,教育市場と労働市場に関わ る経済学的分析枠組みを提示した。さらに,産業型社会から知識集約型社会への移行,基礎教育の充実等,アジア 途上国の高等教育を取り巻く環境の変化を論じた。
分析の結果,高学歴失業は主として次のような要因で発生したことが分かった。すなわち,後発国の特徴として の経済発展に対する教育市場の拡大の速さ,経済発展に伴う産業構造の変化やアジア金融危機による労働市場の逼 迫,労働市場で必要とされる技能と高等教育における専攻分野とのミスマッチ,である。
貴後に,政策インプリケーションとして,教育市場と労働市場の「市場の失敗」への政府の介入の重要性,およ び,教育機関と企業との連携を強調した。すなわち,政府は失業者の職業訓練,社会保障制度の充実等を行うこと が有効であると論じた。また,教育機関と企業との産学連携が高学歴失業者問題の対応策になることも論じた。
要 旨 241
フィンランド福祉国家建設に関する一考察
−ペッカ・クーシ『60年代の社会政策(60−luvunSOSiaalipolitiikka)』のメッセージと効果−
柴山 由理子
指導教員 久壌 純一 教授 要 旨フィンランドは,北欧型福祉国家として広く認識されているが,その建設のための条件は純粋な「北欧モデル」
とは言えない。対ソ戦争を経験し,冷戦下,国内政治は振乱し頻繁に政権が交代していた。産業化は戦後になって 急速に進行し,都市化と産業化の波が,失業問題や農村社会の貧困問題を深刻化させた。社会政策の改革は遅れて 始まり,60年代に福祉国家建設が一気に加速する。
本論文は,大きな変化の時代である60年代初めに出版されたペッカ・クーシの『60年代の社会政策』がフィンラ ンドの福祉国家建設にどのような影響を与えたのかを検証するものである。クーシは,「市民」のための社会政策 を理念に掲げ,経済成長と社会政策の調和を試み,包括的なプログラムを捷言した。労働者階級を対象とした伝統 的な社会政策から脱却を図ったのである。クーシの理念の背景には,ミュルダールやベヴァリッジ,ケインズの影 響や,国内の社会政策学者や政治家との交流があったことが指摘できる。
『60年代の社会政策』は,出版後さまざまな新聞や学会誌に取り上げられ大きな反響を呼んだ。そして,政党の 垣根を越えて幅広く受け入れられ,社会政策は選挙の争点として,活発に議論されるようになる。60年代初頭の政 党プログラムや政権プログラムにもその影響が見られる。
また,60年代の社会政策の重要な改革への効果も認められる。具体的には,被雇用者年金(1962年),疾病保険 制度(1964年),子ども手当の拡充(1964年)である。この重要な制度改革に共通するのは,「すべての人」を対象 にした北欧福祉国家の基本原則,ユニバーサリズムの考え方である。クーシ以降,社会政策の領域は広がり,「福 祉国家」のための社会政策がフィンランドに定着する。クーシの功績は,時代の要請に応え,社会政策の改革に大
きな影響をもたらし,結果として,フィンランドの福祉国家建設を加速したことにあると考えられる。
デンマークにおける「フレクシキュリティ」の機能と構造 一労働市場に関する制度・政策を中心に−
針月 有佳
指導教員 久壕 純一 教授要 旨
21世紀初頭の先進工業国家では,グローバル化IT化 人びとの欲求水準の高まりなどによって,経営者が柔 軟に企業経営を行うことができる環境の整備と,人びとが自らのライフスタイルに合った働き方ができる環境の整 備が求められている。そこで,本研究は,「経営者にとっても有益で,人びとにとっても働きやすい環境を整備す るには,どのような政策対応が可能か。」という問いを立てた。そして,この問いに対する1つの解答を,デンマー をの皐例かち導_き_出土こ_とを試みた。_なおト_デ_ンヱ二クを裏側にした理由_は,_労働市場に適切な柔軟性と安全性を 兼ね備えた「フレクシキュリティ(フレクシビリティ+セキュリティ)」を実現している国の1つとして,デンマー
クがとくに2000年代の国際的な議論で頻繁に取り上げられているからである。
1章では,デンマーク労働市場が,人びとが労働市場をダイナミックに移動する,失業者が復帰しやすい,被雇 用者が働きやすい,という3つの特徴をもっていることを明らかにした。そして,それが経営者にとっても被雇用 者にとっても満足度の高い労働市場であることを指摘した。そのうえで,2章では,デンマークでこのような労働 市場が形成された歴史的背景を記述し,3章では,3つの特徴を支えている具体的な制度・政策を2000年代初期に 焦点を合わせて記述した。そして,終章では,1〜3章で明らかにされた事実から,本研究の問いに対する1つの 解答を導き出した。
242
日本の対ブラジル移民政策
−1920年代の 移植民保護奨励 政策を中心に−
新屋 志穂
指導教員 久壕 純一 教授 要 旨日本からブラジルへの移民は1908年から始まり1990年代に至るまで続いた。その歴史の中で,特に1920年代後半 から1930年代前半に移民が集中しているが,背景には日本の移民政策の転換がある。
本論文は,1920年代の移民政策転換の契機となった 移植民保護奨励 政策を中心に,対ブラジル移民史の初期 における日本の移民政策の背景と特徴を明らかにすることを目的とする。
移植民保護奨励 政策は,1922年に内務省社会局が提唱したもので,社会政策の一環として位置付けられた。
国内の人口や失業の増加を解決することを目的に,政府の援助による国内外の大量移民が企図された。
日本で移民の国策化が議論されていた1920年代,ブラジルでは排日の議論が活発になっていた。もともと日本移 民は欧州移民の補助的安貞として導入されたため,ブラジルの対日移民政策は欧州移民数の増減や排日論に左右さ れる不安定なものであった。
一方,この時代,移民は独自の移住プロセスを構築しつつあった。それは,契約移民として農場主のもとで一定 期間働いた後,土地を購入,独立して農業を営むというプロセスであった。その過程で,日本人は集住するように なり,コミュニティを形成していった。
1924年には「帝国経済会議」が開かれ,移民問題の根本政策樹立が初めて国家レベルで議題となった。その中で 審議された 移植民保護奨励 政策は,社会政策を出発点としたため,国内問題に議論が集中し,ブラジル国内の 排日の動向や移民の発展過程への注視を欠いていた。「帝国経済会議」の答申では,出稼ぎ移民(契約移民)から 定住移民(企業移民)への質的転換が唱えられた。その後,1924年の渡航費補助実施,1927年の海外移住組合法制 定により質的転換を実現化するための制度が段階的に整えられる。しかし,渡航費補助により激増した契約移民に 比べると,企業移民の数は伸び悩んだ。その原因の一つとして,移民開始からすでに20年近くが経ち,移民が独自 の移住プロセスを構築していたことが指摘できる。
日本思想における記紀神話
澤 智恵
指導教員池田 雅之 教授要 旨
「記紀神話とは何か」,この問いが本論文の出発点である。その答えを探るアプローチとして,文学・民俗学・考 古学・歴史学・神話学等々,さまざまの学問領域が存在するが,本論文では,思想史というやや変った視点から記 紀神話について考察する。なぜならば,日本の歴史において,重大な転換期が訪れるたびに,記紀神話が思想的に 大きな役割を果たしてきたと考えられるからである。
世界の淵源を語る神話をどう受け止め,解釈するかによって,解釈する側の世界観・生命観もまた明らかにされ 右手聾者敢 ̄ ̄寵砲神話わ文献顧密而妄 ̄く「顧釈青函で古書鑑を初尭す高さ ̄と1三戊ゐは∴「それ扉客観由正せう いうものであったか」を探ることよりも,「それがその人にどう受けとめられたのか」を知ることのほうが有意義 なこともあるのではないかと考えるからである。
このような問題意識に基づいて,本論文では,日本の思想界に大きな影響を及ぼした知識人の記紀神話解釈を一 つの系譜として辿ることによって,日本思想において記紀神話の果たしてきた役割を明らかにし,記紀神話とは 我々にとって何であるかを考察することを目的とする。
本論文では,近世から現代まで,日本の思想界に大きな影響を与えた知識人五人の記紀神話論を取り上げる。こ こに,いわゆ去神話学の専門家は含めない。
研究対象者の選択にあたっては,①日本の思想界において,大きな影響を及ぼしていること,②記紀神話,とく に神代について研究していること,③その記紀神話研究が,その人の研究全体において重要な位置を占めているこ と,などを条件として,近世から現代をカバーできる顔ぶれとして,本居宣長,津田左右吉,和辻哲郎,丸山真男,
河合隼雄の五人を選んだ。「なぜ記紀神話研究にいたったのか」「記紀神話をどう読み,そこに何をみたのか」,と いう二点を議論の主軸とする。
要 旨 243
日系ブラジル移民研究
一共生社会の在り方についての模索一
諏訪 三男
指導教員 池田 雅之 教授 要 旨本論稿の目的は2006年末現在,約30万人を超えると言われる日本に滞在している日系ブラジル人を中心とした定 住外国人が,日々直面している諸問題の解決と,受け入れ国たる日本国,日本人との 共生が如何にすれば可能と
なりうるのが その今日的問題につき何らかの解決の指針を考察する事にある。
その為には今から約100年前に日本からブラジルに移住した人々=H系ブラジル人の足跡を追い,移住国での順 応,適応ないしは不適応,同化への葛藤,同化への決意等を歴史的に調べ,日系ブラジル人が被った文化変容の影 響,心性の変化を辿る事が必要と考えた。
論文の前半では 移民の動機付け というタイトルにて日本からブラジル移民が何故創出されたのかを,主とし て日露戦争後の日本の状況と世界情勢を背景に論述する。その背景を受けた形で日系ブラジル移民がどのようにし て,かの地にて同化していったのか,その葛藤を通じどのようにして永住の決意,覚悟を固めていったのかを,ブ ラジルの当時の政情,経済情勢を踏まえながら日系人の心性の変化にどのような影響を与えたのかを主眼として論 述を試みる。この部分が後半に論述する 現在に生きる日系ブラジル人の今日的問題 を扱う点に関連している点
は否めないからである。
論文の後半は前半部分での論述を受けた形で,1980年代以降ブラジルを襲ったハイパーインフレに伴う日系ブラ ジル人による日本へのデカセギ問題を取り扱う。勿論受け入れ国たる日本国側の問題もさることながらこの国に暮 らす(暮らさざるを得ない)日系ブラジル人の困惑,当惑点についても触れ,本来的な意味で共生理念に欠落して いるものは何か,行政面で抜本的に行わねばならない事は何か,という問いかけ,模索にまで言及して行きたいと 思う。
ルース・ベネディクト研究
高倉 美幸
指導教員 池田 雅之 教授 要 旨本研究の目的は,1944年から1945年の間にアメリカの人類学者,ルース・ベネディクトによっておこなわれた日 本研究の意義を明らかにすることである。論文ではベネディクトの日本研究をその背景・方法・資料・内容に分け
て考察し,研究全体の意義を総括的に論じる。
論文は四つの章から構成される。
第1章では,ベネディクトの日本研究の背景を,ベネディクトの個人史とベネディクトの日本研究を委嘱した戦 時情報局γ ̄海外戦意分析課成立の背景といす観点から説明する√ ̄さち ̄に「当時のアメサカ ̄の一般的 ̄な日本理解の水 準を把握するために,特に新開や雑誌などのメディアを通じて流布していた日本人イメージを説明する。
第2章ではベネディクトの学問的背景を,特に人類学者としてベネディクトが「文化」をどのように考えていた のかという観点から述べる。ベネディクトによれば文化は「統一的全体」として見るべきものである。ある文化に おける制度や行動は,その文化の全体によって意味づけられているとベネディクトは考える。
第3章では,ベネディクトが日本研究において用いた方法・資料を五つに分けて説明し,それらのもつ問題点と ともに積極的な意味を考察する。日米が交戦中であったため,ベネディクトは現地調査をせずに日本研究をおこ なった。このような方法上の問題点を確認した上で,ベネディクトがそれをどのようにして補っていたのかを述べ る。
第4章では,ベネディクトの日本研究の内容,すなわち,ベネディクトが戦争中の研究において日本について理 解し,それをもとに説明したことをいくつか具体的に見ていく。特に日本人の責務体系と,日本の天皇制について のベネディクトの説明を検討する。そしてベネディクトが,その当時の他の研究者たちと比べて,日本人の行動が
もつ意味や日本の制度の意味を深く追求し,それらを巧みに説明していたことを示す。
244
新自由主義の変容と文化の消失
−T・S・エリオットとF・A・ハイエクを中心に−
竹之下 夏彦
指導教貞 池田 雅之 教授 要 旨本論文の目的は,T・S・エリオットとF・A・ハイエク両者の思想を比較検討してその共通性を見出し,それを 元に現代の新自由主義およびグローバリゼーションの批判的分析を行うことにある。
第1章では,エリオットの思想を概観する。彼が文化の構造についていかなる認識を抱いていたか,「伝統」「階 級」「キリスト教」などのキーワードに沿って解明してゆくことになろう。
第2章では,ハイエクの社会理論を概観する。まず彼が批判対象とした構成主義的な思考様式の内実を吟味す る。次いでハイエクの提唱した自生的秩序の概念につき論じることになる。ハイエク社会理論の知識論的基礎をな す,M・ボランニーの「暗黙知」の概念にも触れることになろう。
第3章では,両世界大戦間という時代背景に注目しつつ,両者の思想の近接性について論じる。著しく専門領域 の異なる両者の思考が,いかなる共通性を持っているのか,またその理由はどこにあるのかを明らかにしたい。
第4章では,現代に視点を移し,現代の新自由主義およびグローバリゼーション,さらにはそのもとで発生して いる様々な現象について,両者の思想に立脚しつつ論じることになる。
両者の知的営為の根底には「人間とは,人間社会とはいかなるものか」という共通の問いが横たわっている。そ して彼らは,この問いに極めて近似した解答を用意した。不世出の詩人と社会科学者,問題の論じ方は確かに異な る。しかし彼らの仕事から読み取れるメッセージはともに,誤れる社会観・人間観への警鐘なのである。
エリック・ホッファーと二〇世紀大衆社会
一斗トゥルー・ビリーヴァー〝が果たす役割−
山田 宏哉
指導教貞 池田 雅之 教授 要 旨本論文は, 波止場の哲人 エリック・ホッファーEricHo鋲rのテキスト(特に主著である1heTheBeliever
(1951))をもとに,トゥルー・ビリーヴァーulleBelievcr(自らの信仰のためなら生命を捧げる覚悟を持った信者)
が果たす社会的な役割の考察したものである。
二一世紀を迎えた今軋 フアナテイクス(狂信)が巻き起こす災禍に我々が処していく上で,トゥルー・ビリー ヴァーの起源と 往塾極寒を理解することが不可欠であ多。というのは,ホッファーによ担ぎ_「弱者昼固有の_自己嫌 悪は,通常の生存競争よりもはるかに強いエネルギーを放出する」からであり,「弱者が演じる特異な役割こそが,
人類に独自性を与えている」からである。
トゥルー・ビリーヴァーが生まれる要因として,ホッファーの思想を分析すると,「ミク由的(個人的)な要因」
と「マクロ的(社会的)な要因」がある。
ミクロ的要因の主たるものは,「自尊心の危機」である。自己の存在価値を自力で証明できない潜在的な回心者 たちは,外部環境を敵視し,集合的全体に自らのアイデンティティを重ね合わせるようになる。そうすることセ初 めて,個人の独自性・自律性から逃避することができる。
マクロ的要因としては,「大規模な社会変化」がある。ホッファーのいう「変化という試練」が人々に降りかか るとき,伝統的な社会秩序が破壊され,必然的に不適応者が生まれ,「自由」が蔓延することになる。このとき,
大衆運動は「自我に代わる身代わり」を提供し,追随者側の欲求不満を取りこむことになる。
そして,個人として,社会として,フアナティクスをリスク・マネジメントしていく上で,「技術習得による個 人の自尊心の回復」こそ求められているということが暫定的な結論として導き出される。
要 旨 245
北海道開拓と島義勇
四方 崇弘
指導教員 島 善高 教授要 旨
本稿の目的は,島義勇と北海道開拓との関連性を深く掘り下げることである。島義勇は明治2年(1869)5月22 日,開拓御用掛に任命され,明治2年10月には石狩に赴任して札幌本府建設に尽力した。島義勇が北海道に入った のはこの時が初めてではない。安政4年(1857)に既に北海道から樺太にかけて探検を行なっている。したがって,
島義勇の北海道開拓を研究する際,幕末から明治に到るまでを一貫して研究しなければならない。こうした研究は 杉谷昭氏の「島義勇」をはじめ数点しか確認できない。以上のような問題意識から,本稿では島義勇の一生を,北
海道開拓という視点に重点を置きつつ書き記した。
本稿の前半部は島義勇の「行動」について,北海道開拓という視点に重点を置きつつ検証している。1章では幕 末期における島義勇と北海道の関連について記述した。2章では札幌本府建設に関連した島義勇の行動を詳細に検 証した。3章では,開拓判官という北海道開拓に携わる職務を免ぜられた後から,佐賀の乱で島が死すまでの行動 について記述した。前半部は先行研究や関係資料を踏まえ,島の行動を時系列に記述した。本稿前半部において函 泊事件に関する島義勇の意見や開拓判官解任の原因,そして島の開拓使内における人事面での活躍といった点が新 たに明らかとなった。
本稿の後半部は島義勇の「思想」の一端について,北海道開拓という視点に重点を置きつつ検証している。4章 では島義勇のロシア観について考察し,5章では島義勇のアイヌ観について考察した。島が幕末期の蝦夷探検時に 記した『入北記』や島と緑のある人物の回顧談などから,島義勇の「思想」について考察した。はじめてロシア観
やアイヌ観といった島の思想の一端が明らかとなった。
島義勇の行動や思想を幕末から明治まで一貫して論考しているという点に本稿の特徴がある。
鶴見俊輔のプラグマティズム
『思想の科学』における「大衆」をめぐって−
横尾 夏織
指導教員 内藤 明 教授要 旨
戦後間もない1946年,鶴見俊櫛を中心とした「知識人」の集まりは雑誌『思想の科学』を創刊し,編集・研究母 体として「思想の科学研究会」を設立した。彼らは,その後半世紀にわたって「大衆」と呼ばれる普通の人びと一 人ひとりの,生活に根ざす思想に視線を注ぎ続ける。同時に,安保闘争,ベトナム反戦運動といった社会運動にも 携わった。
本稿の前半では,鶴見の研究および連帯の方法の実験場であった「思想の科学」の半世紀の歩みを,「大衆」へ のアプローチと 醜雇主主義] ̄面画画王窟寅盲高々て ̄通観する。本稿後半では,鶴見ならびに丸山美男,竹内好,
吉本隆明といった,「思想の科学」およびその周辺の「大衆」像の位相を通して,彼らが「大衆」に託したものと,
その基底となったところの戦争体験,および戦後半世紀間に起こった社会の変容の一側面を明らかにする。さら に,鶴見の学問のルーツであるところのアメリカのプラグマティズムとの比較と,「大衆」への眼差しの注ぎ方を 組み合わせることにより,∴鶴見のプラグマティズムの独自性を考察した。
戦争は鶴見に,反戦の意思をどう行動に接続するかという実践的な課題を残した。その手がかりを,鶴見は「一 人ひとりの大衆」の,体系化されない曖味なものに潜む抵抗の芽に求めた。丸山が普遍から特殊にアプローチする のに対し,鶴見は特殊の中に普遍を見る。思想と運動の方法における多元主義・折衷主義は,時に研究会の存続を 危うくしたが,鶴見は間違いをあえて避けない。鶴見のプラグマティズムは,行為による認識の真理化には向けら れない。それは,間違う可能性を踏まえた上で賭けに出る,信念と行動の循環を支える原理である。鶴見は戦争体 験からこの循環過程の動力を汲む。戦争体験から信念,価値への連続性が,「思想の科学」における「戦後民主主義」
の共通項であった。
246
政策科学論専攻3月修了
放送規制研究
−マスメディア集中排除の原則の歴史と現在−
福田 直記
指導教員 有馬 哲夫 教授 要 旨本論はマスメディア集中排除原則の淵源から現在までを通観し,旧郵政省の実施してきた放送政策,特に置局政 策の意義を確認するものである。
マスメディア集中排除原則とは,マスメディアが少数の経営者に集中することを排し,放送の多元性・多様性・
地域性を確保し,自由な言論を育成し,それにより視聴者の「表現の自由」を確保しようという考え方である。放 送局の所有と集中を考える上で憲法のように考えられているものである。
1957年に田中角発郵政大臣のもとVHF大量予備免許が下付された際,各局に対して求めた条件がマスメディア 集中排除原則の基となっている。その後1959年に電波監理局長の通達という形でこれらは成文化され,1988年に省 令という形で法律として明記された。
放送局を経営することが時代の流れと共に,金脈を掘り当てられることに例えられるようになり,放送政策の意 義もその公共的役割から経営的役割に主軸が置かれるようになってきた。2007年に国会を通過した改正放送法には,
認定放送持株会社制度の導入が明記された。これにより,今まで禁止されていた複数局の所有が認められことにな る。
第1章では問題の所在として,2004年に読売新聞グループによって問題となった不当な株式所有によるマスメ ディア集中排除原則違反について説明する。第2章では先行研究を概説する。第3章では近年の総務省が行った放 送政策の研究会と放送法の改正を通じて,マスメディア集中排除の原則がどのように検討されているかを述べる。
法改正により導入される認定放送持株会社制度についての間題点も指摘する。第4章では,放送史の中で放送局の 置局政策と所有問題がどのような観点から検討されていたかを示す。特に政界と新聞界との関係に注目する。第5 章では,まとめとしてマスメディア集中排除原則の今後とその問題点を指摘する。
公立学校教員における基本権保障の可能性とその限界
一政治的意見表明の自由を中心として−
安原 陽平
指導教員 西原 博史 教授 要 旨本論文は,公立学校教員の基本権がどの程度まで保障されどこに限界を持つのかを考察する論文であり,とりわ け政治的意見表明の自由の保障範囲と限界を,ドイツにおける議論を参考にしながら,検討するものである。
本論文の構成としては,まず公立学校教員の法的地位について検討する。公立学校教員の公務員としての性格,
そして権力主体であることを確認し,その一方で特別権力関係理論が妥当し得なくなった今日の状況において公立 学校教員が基本権の享有主体であることも同時に確認していく。そしてそれらを踏まえた上で,公立学校教員が負 う儲義務や国家との関係を考察七「公立学校教具が∴国家に対 ̄して権利を主張できる側面と国家に対して市民とは 異なる特別な義務を負う側面を有していることを見る。
公立学校教員の法的地位を考察した後,公立学校教員の基本権保障について考える上で前提となる,勤務時間の 内外という考え方と職務上の行為と私的行為の区別という考え方を検討していく。勤務時間の内外の区別という考 え方は,とりわけ猿払事件最高裁判決で勤務時間の内外が捨象されたことを反省し,そのことから公立学校教員の 基本権保障を考える上では勤務時間の内外の区別が必要であることを見る。さらに,勤務時間の内外だけではな く,職務上の行為と私的行為という行為の内容に着目した区別も行い,職務上の行為と勤務時間内における私的行 為を区別し,両者においては基本権の保障の程度が異なることを確認していく。
以上公立学校教員の法的地位を考察し,勤務時間の内外の区別と,職務上の行為と私的行為の区別の必要性を確 認した後,公立学校教員の基本権がどの程度保障されるのかを見る。具体的には,①勤務時間外の私的行為,②勤 務時間外の職務に関連する行為,③勤務時間内の職務上の行為,④勤務時間内の私的行為といった4つの領域を析 出し,その領域ごとに基本権の保障の程度が異なることを検討していき,場面ごとにどの程度公立学校教員の政治 的意見表明の自由が保障されるのかを確認する。
要 旨 247
子どもの権利保障についての一考察 一成績評価を中心として−
川辺 啓
指導教員 後藤 光男 教授要 旨
子どもと呼ばれる人間の規定として大人ではないことが人間として不完全であると考えるのではなく子どもと言 うものが人間の一形態とする。成長する権利と,保護される権利を享受する代わりに,おとなに服従する義務,な どを法律的にではなく社会通念で求められた。 日本国憲法において国民の権利から子どもの権利を導き出すこと は可能である。だが「子どもの権利条約」を生かした教育施策,立法が不十分である。子どもを保護するためには 権利を制限すべきであるとされてきた。自由や権利より先に義務と責任,これは子どもの権利を制限した上で子ど
もを制御するやり方といえる。学校社会が生徒を支配するために権利を制限していると考えることができる。正し い評価を下すことは難しい。むしろ「評価」というものに正確さや絶対性を求めることは危険である。「評価」よっ て人間の可能性や権利について制約を及ぼすような結果があってはならない。子どもの学習権の侵害を未然に防ぐ 方法として自らの情報に対する権利を使うことができる。日本の教育制度は個人情報を収集することについては非 常に優秀である。だが日本人は自分の個人情報を管理する能力あるいは意識に欠ける。以上の事項の打開策とし て「子ども権利条約」に記された事項を有用に活用していくことによって子どもの権利意識を高めていく。そのこ とが我々大人の権利意識の改革につながり学校制度の中の問題点ばかりではなく社会全体の権利に係わる問題に対 する意識改革につながっていくのではないかと私は考える。条約の存在や内容についてよく知っている人間は少な
い。また子どもに権利を与えることが「子どもの無制限な勝手を許す」ことと誤解されていることもある。権利は 義務と責任を伴っておりそれを「子どもの利益」を鑑みて適宜与えていくべきである。
定住外国人の地方参政権
一市区町村レヴェルの選挙権を中心に−
戸部 陽介
指導教員 後藤 光男 教授要 旨
日本で生活する外国人が急増している。現在,おおむね200人のうち3人が外国人という割合となり,外国人を 無視できない状況にある。もはや,日本人のことのみを考えて生活をする環境ではない。外国人と共に生きるため
に,「違いを認め合い,お互いに尊重しあうこと」ができる共生社会の構築が必要なのである。外国人との共生社 会の実現のための一つの手段として,外国人に地方レヴェルの選挙権が保障されなければならない。特に,日々の 住民の生法に密度_した市区町杜_レヴ墓蛇はその要請の度合いが強いのであ_る。_________ ___ _ ____
定住外国人の地方レヴェルの選挙権保障にあたって,日本人と外国人との人口割合等の統計的データや,在日朝 鮮人・在日中国人・在日ブラジル人の来歴など,日本における外国人の現状の把握を行った。続いて,地方レヴェ ルの選挙権に関する諸規定や,「権利の性質説」を中心とした「外国人の人権享有主体性」,「選挙権の権利の性格」
に関する重要な学説・判例等の理論の整理を行った。また事例研究において,外国における事例では,外国におけ る外国人の地方参政権の保障状況やその考え方及び保障に至った経緯を把握し,日本における事例においては,自 治体の理念を定めた自治基本条令を含め,住民投票条例の投票資格を切り口に各市区町村の外国人に対する姿勢に ついて研究し,各市区町村が外国人を「住民」として認めつつあるという潮流及びその理由を把握した。また,選 挙権のみならず,被選挙権についても地方分権一括法施行による機関委任事務の廃止の趣旨等を中心に据え,検討 を行った。
そして,これらを稔合的,且つ未来発展的に考慮した結果,地方レヴェル,特に市区町村レヴェルの選挙権・被 選挙権はやはり保障されるべきであるとの結論に達した。