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乳幼児の発達と交流

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(1)

49

乳幼児の発達と交流

一エム・イ・リシナの理論を中心に一

荒 木 美知子

は じめに

 人間は社会的存在であるところに他の動物とは本質的に異なる特徴がある。

人間は他の人々との多様な関係を抜いては人間として存在しえない。他の人々 とのさまざまな諸関係を通じてこそその個性をもより豊かにしうるのである。

 このような人間どうしの関係の問題を,ソビエトでは「交流(06meHHe)」(1)

として研究が進められている。「交流」研究はソビエトの学問の諸分野で大き なテーマの1つとなっている。その中には哲学,心理学(とりわけ,社会心理 学,児童心理学,言語心理学など),教育学その他がある(2)。いずれも,この 問題の重要性を指摘しつつも,その本格的な研究は今後に待たれている。

 ソビエトの交流研究に注目して,我が国にそれを紹介している矢川徳光は,

ア・エヌ・レオソチェフ,エヌ・カ・クルプスカヤ,ア・エス・マカレソコの 交流についての考えを検討している。そこで彼は,「子どもは客観的な先行諸 条件の制約(被決定性)のなかへはいりこみながら,主体的に発達していく」

      

と書いた後で,人間が主体的に発達していくためには,活動の最も基本様式で ある遊び,学習,労働において交通(接触=共同活動)がみとめられなければ ならない(3),と述べている。

 ところで,ソビエト心理学において,交流の研究は早くからエリ・エス・ヴ ィゴッキー,ア・エヌ・レオソチェフなどによって提起されてきた。しかし,

「人間的意識の発生論におけるこの活動(交流一引用者注)とその役割はまだ 研究の特別な対象にはならなかった。」(4)

 系統的・集団的に研究が開始されたのは,1960年,ソ連邦教育科学アカデミ

・一

、究所でア・べ・ザポロージェツによってこの問題が新しく提起されてから

(2)

である。そこで設定された課題は,1)交流の心理学的本質,2)個体発生におけ るその発生と形成段階,3)子どもの心理発達への交流の影響5)である。

 交流の発生史について一貫して研究し,その研究集団の主導的役割を果たし てきたエム・イ・リシナは最近,1960年から今日に至るまでの研究をいくつか 時期区分している。それによると,1960年から1963年までは生後1才までの子

どもだけを対象とし,1964年から1966年までは就学前前期年齢の子どもを含め,

1967年以降就学前のあらゆる年齢グループの子どもを対象として研究が進めら れるに至った。また,1960年から1975年までは,子どもと大人の交流だけが研 究されていたが,それ以後には子どもどうしの交流の研究も始められた(6)。

 これらの研究成果のうち,子どもと大人の交流については1974年にある程度 まとめられており,その後のリシナの諸論文においてさらに整理・理論的考察 が加えられている。それに対して,子どもどうしの交流についてはその成果の 一端が著わされているだけで,全体的・体系的な研究は今後に待たれている(7)。

 本稿では,ザポロージェツの指導の下で,集団的に研究をすすめてきたグル ープの中心的な役割を担ってきたと思われるエム・イ・リシナの最近の諸論稿 における知見に依拠しつつ,個体発生の交流の発生過程と乳幼児の発達におけ る交流の意義について検討することを課題としたい。

一、リシナの交流研究の概要

 エム・イ・リシナは,筆者のみるところ,一貫して乳幼児の交流について研 究している中心的な一人である。すなわち,リシナは1961年に論文「親しい大 人との関係の幼児の発達への影響」(8)を書いて以来,主に乳児期を中心に研究 を進め,1974年には自らの研究および集団研究の成果をまとめたr就学前児に おける交流の発達』(9)の編著者となっている。そしてその後の諸論文で交流の 発生史についての理論的考察を重ね,また最近のものでは子どもどうしの交流

の問題についても紹介しはじめている。

 1974年以降のリシナの主な文献には以下のものがある(このうち,2)は未見

である)。

(3)

51

1)  Pa3BHTHe o6HエeHHH y J[olllKonbHHKoB・ 1974 a

 (『就学前児における交流の発達』)

2)  06uUeHHe va ero BJIHHHKe Ha pa3BHTvae ncHxHKa Ao田KonbHHKa 19746・

 (「交流と就学前児の心理発達への影響」)

3) KaK H noqeMy ManeHbKHe J eTva o6田aK)Tcfi co B3pocnbMva 1977

 (「いかにどうして乳児は大人と交流するのか」」

4) reHe3HcΦopM o6皿【eHHH y双eTeH・ 1978a  (「子どもにおける交流形態の発生史」)

5) 06皿ueHHe co B3pocnblMH yムeTeH nepBblx 7 JleT》Ke3Hn・ 19786・

 (「生後7才までの子どもにおける大人との交流」)

       り      り

6) OMexaHH3Max cMeHbI BeAyUeH八eHTeJII・HocTH y双eTeH B nepBble ceMb・πeT   )KU3HH 1978B.

 (「生後七才までの子どもにおける主導的活動の交替の諸メカニズムにっ

  いて」)

7) nyTH BJIHfiHHH ceM5H x!leTcKo「o yqPe>K八eHH Ha cTaHoBJIeHPIe」IHqHocTH   Aollll〈om)HHKa. 1979a

 (「就学前児の人格形成への家庭および児童施設の影響のしかた」)

8) 】A3yqeHHfi cTaHoBJIeHHfl HoTpe6HocTva B o6111eHnH co B3pocπblMH H   cBepcTHHKaMH y!leTeth paHHero Bo3pacTa・ 19796

 (「幼児における大人や同年齢の者との交流の要求の形成の研究」)

9) レ13y・{eHHe o6illeHnfi c oKpy>KaH)IIIvaMva nK)八blMva y AeTeH paHHe「o H   双0111KoJlb}{oro Bo3pacTa・ 1980・

 (「幼児および就学前児における周囲の人々との交流の研究」)

 これらの諸論稿のうち,1)はそれまでの研究を集大成したものであり,4)は その理論的再構成を試みたものという意味で重要な位置を占めている。すなわ ち,後者では交流の個体発生の研究を,交流の発達,交流と発達の観点から整 理し,後にみるように交流の概念を提起し,交流の発生形態の一貫性について 試論がおこなわれている。

 ア・ア・ボダリョフは1)についての書評でリシナらの研究が子どもの大人と

の交流にたいする要求と動機に注目していること,交流とその要求に関する能

力形成の諸水準を決定するための定式化を試みていることなどを重要な点とし

(4)

て挙げている。そして「年齢的アスペクトにおける交流問題の構築に,新しい かつ重要な一歩が踏み出された」「生後七年間の交流活動の発達の基礎的な諸 段階の量的一質的特徴づけを発見する可能性を与えた」(1°)と評価している。そ の上で,ボダリョフは個体発生における交流の諸段階を 交流形態 と表現す ることについて不適切だと反対し,またリシナの定義づけている交流概念が厳 密でないと批判している(11)。

 そこで,以下においてボダリョフが指摘したこの2点に関する見解を中心に,

リシナの研究の概要をみてみよう。

 まず,交流の概念についてであるが,リシナは「交流とは,活動の1つの,

しかも固有な種類である(12)」と述べている。 固有な とは「交流はあらゆる

(他の)活動と同様,対象的であq2)」り,その対象が交流の場合 他の人間 であることである。この点が他の活動と本質的に異なるところである。「我々 にとって最も重要な特徴だとわかったのは主体としての,個人としての各々が 参加している活動の二人あるいはそれ以上の参加者達の相互志向的な能動性で ある」「交流活動の具体的な対象は,相互作用にあらわれる各々のパートナーt の質や諸特性である(14)」。このように,リシナの意味する交流は,交流の対象 が主体としての,人格としての人間であることである。主体であるとは,相手 の働きかけを意識的に受けとめ,すなわち,それによって何らかの心理的作用 を受け,さらに働きかけた相手に働きかえすことである。この時,働きかけた 側がこんどは交流の対象になるのである。このような主体どうしの相互関係を 確立・展開していく力動性をもっているもの,それを交流といい,対象のこの 特殊性ゆえに活動の固有の種類であるというのである。

 リシナがこのように交流の概念を規定した背景の1つには,人間と機械の相 互関係に交流の意味をもたせたり,眠っている人間などについてこのことばを 使用しているなど無限定に交流をあてはめている例があるためである。

 ところで,リシナの以上のような規定のしかたは,筆者のみるところ,大枠 としてはソビエト心理学においてほぼ一致しているように思われる。しかし,

さらに詳細にみていくなら,論者によってくい違いがみられる。例えば,交流

と対象的活動をはっきり区別しているべ・エフ・Pモフの見解がその1つであ

(5)

       53

       

る。ロモフは相互交流という一まとまりとして,すなわち《主体一主体》の関 係として交流を把握すべきであるとして働きかけを一方の側からだけ分析する

ことに強く反対している㈹。これは,リシナが個人の発達における交流とそれ 以外の対象的活動との関係,そこでの交流の特性を明らかにすることに重点を 置いているのに対して,ロモフが交流と活動を人間の生活様式の二側面とした 上で,活動の研究とは異なる交流研究の方法論を構築することを課題としてい

るという違いにもよる(16)。

 リシナが交流を活動の特別な種類だとしていることには,次のような研究方 法上の問題もある。リシナによると,ア・エヌ・レオンチェフらによって抽出 された活動(AeHTenbHOCTb)の一般心理学的概念を,活動の固有な種類として の交流に応用したという。すなわち,「生後七歳までの子どもにおいて,周囲 の人々との最初の交流的結びつきは,どの段階でどのようにしてあらわれるの か」という研究課題を解明するには,交流の要求,動機,課題,交流の手段など の諸概念の導入によって可能となる。つまり,交流の要求とその対象化された 動機は活動の発達水準の主な特徴をあらわすものであり,それらが発生してい るかどうかが当該の活動が組織されているかどうかを判断する目安になる(1°),

というのである。これは次にみるいくつかの 交流形態 を抽出し,その発生 過程を明らかにすることを可能にしたといえる。

 ボダリョフの指摘した他方の, 交流形態 についてだが,リシナはその指 摘を受けとめつつも長年使用してきたこの言い方を当分変更することはできな

いとまず断っている(18)。

 リシナによると,交流の形態とは,交流の要求の固有な内容,交流の最も主導 的な動機および基本的な手段に特徴づけられた最も全一的な形成物である(19)。

それを特徴づけるものとしては,1)個体発生における交流形態の発生時期,2)

      イメロジ 交流の動機,3)交流の内容の諸特性,4)交流の結果としてのパートナーの像の 諸特性,5)交流の手段(2°)等が挙げられている。これらのそれぞれに独自の内容 をもっているものの総体が他の形態とは区別されて,ある年齢時期にあらわれ るというのである。すなわち,論文「子どもにおける交流の諸形態の発生史」

では,生後七歳までの子どもの,大人との交流の発生形態を

(6)

1冒皿而皿

としている。表1からもわかるように,

させている。

場面的一人格的交流(乳児期)

場面的一実際的交流(幼児期)

場面外一認識的交流(幼児および就学前中期)

場面外一人格的交流(就学前中期および後期)(21)

       リシナはこの時以降, この表現を定着

表1. 1974年から1980年までの交流形態の名称と時期区分の変化

1形副 交流形態の名称 交流形態の出現時期

1974

1977

1978

a

一一=二四 第第第第

一二三四 第第第第

一二三四 第第第第

一一=二四 第第第第

97 8 U

1

1979

1980

一二三四 第第第第

一二三四 第第第第

直接的一情動的交流

大人との実践的共同における交流 認識的テーマに関する交流 人格的テーマ

情動的交流 実際的交流 認識的交流 人格的交流

場面的一人格的交流 場面的一実際的交流 場面外一認識的交流 場面外一人格的交流 場面的一人格的交流 場面的一実際的交流 場面外一認識的交流 場面外一人格的交流 場面的一人格的交流 場面的一実際的交流 場面外一認識的交流 場面外一人格的交流 場面的一人格的交流 場面的一実際的交流 場面外一認識的交流 場面外一人格的交流

生後一年目の前後半の間 個人差    〉同時期

個人差

乳児期 幼児期

幼児および就学前中期 就学前中期および後期 生後半年

6ケ月〜2才 3才〜5才 6才〜7才

乳児期

幼児期

就学前期

就学前期

(7)

55

ここで名称表現に場面性の有無と交流の動機(人格的,実際的,認識的)を採 用していることがわかる。リシナはそれぞれについて次のように説明している。

 まず場面性についてであるが,これは大人と子どもの間にできあがる相互作 用と依存関係を表わすものである。最初の交流の発生形態は場面的であり,

「交流の参加者達が行なっている諸行為や当該の位置にあらわれる諸特性(自 分および他の人間の)だけを反映する(22)」。それに対して場面外では,人々の 道徳的・知的およびその他の質が知覚されるのであり,交流の結果形成される       イメ−ジ 自分自身とパートナーの像を構築する成分も場面の外にある㈱)。

 交流の動機とは,交流のパートナー(主にここでは大人)のさまざまな質や 特性を知ることであるとされている。すなわち,子どもが大人と交流する際に,

子どもが求める大人はいつも同じ存在として対象とされるわけではなく,その 意味では,大人の役割は交流の形態によって替わっていくのである。つまりそ れぞれの動機において大人は,知識の源泉として,子どもの新しい印象の組織 者として,共同の実践活動のパートナー,子どもの行為の見本,社会の成員゜

社会的諸要求や理想の表現(者)としてあらわれる(24)。このように,交流の発生 形態を表わす名称は,交流の対象である大人の役割ないし関係のしかたと場面

の優位性の変化過程によってあらわされている。

 この4つの発生形態についてリシナの説明を要約すると次のようになる。交 流の最初の発生形態は,複合的活発化(KOMm3Kc o}KMBneHUH)の構成要素であ

るほほえみ,運動的活発化(ABHraTeJlbHoe o》KHBneHHe),発声(BoKaAva3aUilfi)

がはっきり現われる生後ニケ月前後に始まる。交流の動機は人格的なものであ り場面的である。交流の内容は子どもの不快な状態満足を大人に知らせること であり,大人の区別はなく,大人の像もぼんやりしている。交流の手段は表現 的・表情的動作だけである。これに対して,第二の場面的一実際的交流は生後 半年から一歳前後に出現する。子どもは大人を識別しはじめ,その態度も大人 によって変わる。交流の手段には身体移動行為や対象的行為が加わる。さらに 就学前期に出現する場面外一認識的交流では子どもは言語を獲i得しはじめ,交 流の手段とするようになり,知識の源泉としての大人に対する態度や大人をそ

のように評価する能力を形成する。そして大人の像は場面性を失う。第四の場

(8)

面外一人格的交流の内容は子どもと大人によるお互いの長所や行ないの検討,

社会的規範からの評価である。他の人間の像は完全で明確iになり,一定してお り客観化された性格をもつ。そして言語を交流の手段とするが,表情や表現動 作も重要である(26)。これらの諸特質が交流の発生形態を特徴づけているもので

ある。

 最後に交流の発生形態の子どもの発達における時期区分についてだが,前 記の表からわかるように,時期区分についてのリシナの見解は論文ごとに変 化して一定していない。しかもそれに関してのコメントはほとんどなされて いない。時期区分を確定するためにはその基準をも明らかにする必要があろ

う。

二,交流の要求の発達論的意義

 リシナの交流研究の概要をみてきたわけだが,その中で中心的な問題は何か。

筆者はそれを,彼女が「交流の要求(floTpe6HcTrb B o6111eHvafi)」1,こ与えている 意味にあると考える。リシナは自らの交流研究に「活動」概念を積極的に活用        シエ マ しているが,その際,単に活動の動機一目的という図式を交流の要求一課題に

置きかえているのではない。リシナは1974年の著書でも,またその後の論文に おいても,「交流の要求」について特別に言及している。

 「交流の要求」が子どもの発達過程にいかなる意義をもつのか,リシナの記 述に即して以下で検討を加えてみよう。

 (一)交流の要求の発生

 リシナは,1974年のr就学前児における交流の発達』において自らのデータ を紹介しながら,場面的一人格的交流の発生過程について詳細に論じている(27)。

このtg−一の交流の発生形態は,当時,「直接的一情動的交流」と呼ぼれていた

ものである。そしてそのi著書によると,交流の能力は子どもに生得的にそなわ

っているのか,それとも獲得的なものか,また獲得的なものだとしたら,その

プロセスはどのようなものか,またいかなる条件の下で獲得されるかを解明す

ることなどを課題としていたQ

(9)

57

 結論的にいうなら,「我々は,生後の最初の時には,乳児にあっては周囲の 人々との交流の要求がない……と思う」。交流の要求は「自然に発生するのでは

なく,後に一定の条件の働きかけの下でのみ発生するのである(28)」。そしてこ のことを実験的に確かめようとしているのである。すなわち,交流のあらわれ の最初のものである「複合的活発化1はすでにエヌ・エリ・フィグリソとエム

・ぺ・デニソワ等によって生後2ケ月の子どもにみられることが明らかにされ ている(29)。しかし,それがどのようにして子どもに形成されるかについてはほ とんど未解明のままである(3°)。そこでリシナはその発生の構造を明らかにする ために,実験の対象に生後数日の子どもからはじめて,なでること,ほほえみ,話

しかけ,注視などの大人の働きかけに対して「複合的活発化」の構成要素である 集中,ほほえみ,発声,全身運動を分析し,その相関関係を明らかにする試み をしている(表2)。それによると,まず集中と,視覚的探索の発生によって「複 合的活発化」の形成が始まるが,これは大人の働きかけに強く依存している。

表2第一実験グループの子どもの合成的働きかけに対する   複合的活発化の年令的力動性

年令(月:日)

2:01〜2:07 2:08〜2:15 2:16〜2:22 2:23〜3: 0 3:01〜3:07 3:08〜3:15 3:16〜3:22 3:23〜4: 0 4:01〜4:07 4:08〜4:15 4:16〜4:22

年令段階

被 験 者 の 反 応

瞭をと瞬司発司活発化

1.0 6.0 7.7 10.3

7. 9

5,6 6.4 6.9 10.4 8.4 16.3

1.0 11.0 23,8 36.3 48.4 42.9 64.6 74.3 73.4 62.1 54.5

0.0 4,7 55.8 45.9 48,9 71.4 68.8 80.4 61.5 46.3 45.0

2.6 17.2 19.9 30.4 35.2 40.8 58.0 60.5 52,5 58.1 41.8

複合的活発化

 4.0 39.5 107,1 122.9 137.9 160.7 197.8 222.1 197.8 174.9 157.6

      

すなわち,反応的性格が強い。1ヶ月末から2ケ月になると乳児は大人にほほ

       えみはじめる。このほほえみが最初の能動的な行為である。そして最後に運動

的活発化と発声が形成される。これら一連の構成要素が整った時点で,交流が

(10)

始まったとリシナはみなす。すなわち,生後1ケ月半から2ケ月に「複合的活 発化」が形成されはじめ,それは2ケ月から4ケ月半までかかって形成され完 成する。その後は6ケ月前後までその形を維持しつつ,次の交流の発生形態を

準備する(図参照)(31)。

      

 こうして「個体発生の初期における交流の発生は,おそらく,まさに反応か

       

ら能動への移行……であろう(32)」という仮説が裏づけられるのであるが,こ の移行に際して重要な役割をはたすのが交流の要求である。乳児の場合,生存 そのものにとって周囲の者の世話や配慮が必要である。そこからやがてその必 要性とは区別された,周囲の者との交流の要求が発生する。例えぽ次のようで ある。大人は何もわからぬ乳児に対して,あたかも大人ないしその話しかけが 理解できる者のごとく話しかけたり,働きかけたりする。最初,それは子ども の何らの応答をもひきおこさないが,やがて子どもはその働きかけに答えるよ うになる。「大人は子どもにとって必要であり,そのために乳児の注意の範囲 で固有の客体として区別され,また大人は子どもにとって主体となり,子ども たちとのコンタクトからまったく固有な種類の無類の喜びをもたらすとき,新

しい相互関係の範囲で彼らをだんだんにひき入れる(33)」。乳児はまだ自らの力 では食事,移動など生存に必要な諸々のことができない。それは周囲の者の介 助によってはじめて可能となる。だが,大人の存在の意味するところはそれに 尽きるものではなく,交流の要求という人間にとって独自の要求を生来するこ        の    

                      の とを可能にすることにもある。この時,乳児にとって大人は生存の手段から要

       

求の対象に変わるのである。「他の人間との交流は,乳児にとって鼓舞的な力と なり,そして複合的活発化を構成する表現的成分は,次第に受動的反応からコミ ュニケーション的行為へ,周囲の人々との情動的交流の手段へと変化する(34)」。

この世に誕生した新生児は,大人の援助や世話を極端に必要とするけれども,

誕生の瞬間から交流の要求をあらわすのではない(3のことが明らかとなる。

 ここで問題を整理してみよう。子どもは生後,大人との一定の関係の下で集

中,ほほえみ,発声などの「複合的活発化」によって相互作用すなわち交流を

始める。そしてそれらは形成されると,交流の要求を表現する交流の手段に変

わる。そこでは先にみたようにほほえみが極めて重要な位置にある。子どもが

(11)

59

自ら大人にほほえむことは交流の反応的性格から能動的なものへの移行を意味 するだけでなく,ここに至って,交流の要求があらわれたことをも意味するか

らである。「乳児におけるほほえみの現われは,大人との最初の社会的接触の 開始を意味しており,乳児の運動性興奮と発声を含む複合的活発化の形が整う ことは,彼らが周囲の人びととの交流の始まりを示すものである(36)」。こうし て,交流の要求もまた,「複合的活発化」のうちの能動的な性格をもつほほえ み,そして運動的活発化および発声が出現することによって形成されたといえ る。これらは「子どものイニシアティヴによって大人との接触をつけること,

子どもの願望による相互作用の保持および強化をめざすものである(37)」。

 交流は個体発生の最初において以上述べてきた過程で発生するのであるが,

第一の交流の発生形態はかつて直接的一情動的交流と呼ばれていた。すなわち・

「直接的なものとは,交流がそこでは大人と子どものいかなる一般的な活動を も媒介としないからであり,情動的とは,それが大人と子どもがお互いに交際 する情動の相互的な反映になるから(38)」である。この形態の発達論的意義につ

いて更に検討してみたい。というのは,この形態が個体発生の最初にあらわれ るだけでなく,その他の形態の発生後にも独自の役割をもつとされている㈱)

からである。ここでは,リシナらの研究にワロン学派の個体発生の発達研究と の共通点をみいだしているエリ・イ・アンツィフェロワの叙述に注目したい。

 アンツィフェロワによると,従来の心理学者は,人類によってつくられた諸 対象に含まれている諸行為の手段が子どもに獲得されることの重要さを指摘し・

人類の本質的諸力がそこで開花することを述べている(4°)。そこでは大人は対

        象に向けられる子どもの活動の組織者としてあらわれる。そのために子どもは 彼の本性に適した大人に働きかける特殊な諸手段を獲得しなければならない。

つまり,子どもは彼の周囲の人々の特質を明らかにしながら,世界に対する人 間的な態度を獲得しはじめるのである。このように子どもには対象的世界へ働 きかける能力はまだないが,彼はすでに人間に働きかけることを学んでいるの

である。

 この問題におけるワロソの功績は,子どもが社会的本質として彼の特性を開

花し,その結果自分が属する時代,民族,階級,社会的グルー・一・・プの人間の外貌を

(12)

受けとめつつ,大人に働きかけることができる唯一一の特殊な手段を明らかにし たことである。その手段とは,「はじめ子どもの身体的な安らかさの程度を表わ すものとしてあらわれ,それが急速に他人の助けで他人への働きかけの手段に

       

       変化する情動的反応である(41)。」(傍点引用者)そして,「子どもと大人との交

流の情動的形態が驚ろくほど容易に確立することは,交流することの要求が子 どもの基本的な要求の1つであることを物語っている(42)」。このように,ワロ ン学派の代表者達には,子どもの情動的反応が大人との交流の手段に,社会的環 境への彼の働きかけの手段に変更することは,初期的なものだが,感情的で知 的な諸現象における子どもの心理の社会的被制約性の重要な形態や水準として 理解されていた,とアンツィフェロワは述べている。そして,子どもが社会的 働きかけを習得するという,主にこの情動的メカニズムは大人と子どものより 分化した,複雑な社会的諸関係一交流の知的モメントが優勢になる,実践的,

対象的および言語的一の発生を準備する㈱),としている。

 ところで,アンツィフェロワによると,マリリューはワロソの研究から,

「子どもと大人の最も緊密な関係の影響下で,子どもの表情を形成する最初の 交流の情動的手段が,諸個人間の感情的な諸関係の要求に適したこの機能によ

って分化し豊かになる(44)」と,表情の交流手段としての役割に特別な注意を はらっている。アンツィフェロワは,この表情(MHMHK)を,交流の人間的,

情動的形態の符号であるとしてワロンの次のことばを引用している。「情動に よって可能となる諸関係は,〔表情を〕情動の最も専門化した道具にしながら,

それらの表現手段を改良する。表情だけが他の人々へ働きかけることぽとも手 段ともなり,その中で一般的な感情とは異なって最も洗練されたものとなり,

純粋な情動であるニュアソス,沈黙の協力,ヒソトの量が増す(45)。」

 子どもと大人との交流の情動的形態は子どもと対象的世界の結びつきを決定 し,子どもが対象との交渉の人間的諸手段を獲i得し,それらの社会的意味を明 らかにする条件である。このことをワロンおよびその学派が明らかにしつつあ るとアソツィフェロワは述べているのである(46)。

 (二)交流の発展過程

 リシナが生後七歳までにおいて4つの交流の発生形態が一定の年齢段階で現

(13)

61

われるとしていることについてはみてきた通りである。それでは,1つの交流 の発生形態から他の形態への移行はどのようにして行なわれるのであろうか。

 すでにみたように,リシナは交流を活動の固有な種類としていることからも わかるように,活動の範塒に入れつつも,その中で特殊なものだという特徴づ けをしている。そして,交流と他の活動との関係や,相互の影響のしかたを 問題にしている。「我々は,交流とそれ以外の個人の心理的能動性の種類との 密接な結びつきを強調し,それと同時に交流の特性に注意することが重要であ ると考える(47)」。リシナはこの交流とそれ以外の活動との関係に注目すること によって交流の発生形態の交替のメカニズムを解明しようとしている。「生後 七歳までにおいて,〔生後〕2ケ月で構造的に形成されるこの活動(=交流一 引用者注)の発生と,質的に固有な段階をふむその後の発達を観察することが できる。各々の段階で交流は,相当する年齢の子どもが解決する極めて広い生 活諸課題に規定される。それと同時に,それは全般的な生活活動への強い影響 を示し,全体としてその心理発達を可能にする」。すなわち,低い交流形態か ら高いものへの移行は形態と内容の間の相互作用の原理によって実現するとい うのである。例えぽ,第一の交流形態から第二形態への移行については次のよ うに説明されている。交流形態の移行に際して,生後4ケ月前後に完成され,

大人と交流することを可能にした「複合的活発化」が分化しはじめ,そこから 把握行為が形成されはじめる。最初は手が偶然に事物にあたって,それを把ん でいたのが,それが徐々に目的志向的な把握行為になる(48)。それとともに大人 との関係も事物を媒介したものに替わっていく。これは子どもの可能性の増大 が新しい交流形態の形成を可能にしたことを意味する。それまで情動的なもの を媒介としてしか大人と交流できなかった子どもが,把握行為を獲得すること によって,外界物を介したより一層多様な交流をすることができるようになる。

このように交流の発達が対象的活動を発達させ,それが交流の新しい形態の発 生を可能にするというように,交流と活動は相互に関係しあって発展していく

としている。これは別の意味では,他の人間との関係のしかたの変化・発展は

それを可能にする交流の手段の獲得と結びついているということである。つま

り,活動はここでは交流の手段として交流の新しい形態の獲得をもたらす役割

(14)

を果たしているのである。

 交流と活動の関係はまた,子どもの能動性の獲i得の過程であるともいいうる。

大人との交流によって外界に対する能動性を獲得し,そのことがさらに子ども を対象的世界に向かわせることになる。子どもは交流の過程で外界に対して能 動的になることによってのみ,対象的世界に対して生きいきと働きかける力を 培うのである。

 この能動性の問題についてリシナらはすでに乳児の段階で次のような実験結 果を得ている。乳児は生後数週間もすると,大人と身体的接触を保っている状 態だけの時よりも,子どもと身体的に少し間隔をおいている時の方がより能動 的に大人との交流の要求をあらわす(図参照)。つまり,前者の場合はその状 態に安心しきっている子どもが「大人から持ちだされた交流を保持することに 満足している(49)」からである。複雑な人間的接触一視線,身振り,発声によ

る交流一は子どもの能動性を一層うながすのである。なぜなら,子どもの方で 積極的に交流を求めていかなけれぽ,簡単にそれは中断されうるからである。

 このような能動性は,交流の過程で獲得されるのであり,その際,生後まも ない乳児にとって大人からの働きかけこそが極めて重要な位置を占めることは いうまでもない。もちろん,大人の働きかけの重要性は乳児期においてのみな らず,その後においても変わることはない。「交流の発生と発達において最も 重要な意義をもっているのは,大人の働きかけである(5°)。」

 このように,子どもの交流の発生・発達をうながすものは大人の働きかけで あり,とりわけ,最初の交流の発生過程においては特別の意味をもつ。という のは,この働きかけによって,子どもは能動性を獲得し,他の人々と交流し,

外界に自ら働きかける要求を形成するからである。そして,対象的世界に働き かける(=活動)能力を形成することによって,交流の新しい手段を獲得し,

交流の次の形態への発展を可能にするのである。

 以上みてきたように,リシナは交流の発展過程を,交流と他の活動との関係 および大人の働きかけの役割などによって説明している。早くから子どもの交 流について注目しているデ・べ・エリコニソがそれを子ども自身の内的矛盾,

リシナの理論との関係でいえば,能動性の発展過程によって説明しているのと

(15)

63

は異なった視点であるといえよう(51)。

 リシナが大人の働きかけの重要性を重視していることは,子どもの発達にお ける教育の重要性に注意を向けていることを意味する。これは,(一)でもみて

きたように,子どもの生後まもなくから交流の発生,交流の要求の発生におい てそれが自然発生的なものではないことは実験的な確i証を伴なった一貫した主 張である。このように,子ども自身の問題を教育との関係でとらえようとして いる点が特徴であり,子どもの発達における交流の意義ないし発達と教育の問 題を考える上での重要な視点を提示しているといえる。その際,交流の発展過 程における大人の役割についてのさらに厳密な検討が求められるだろう。

 (三)交流の要求の発達

 リシナは交流の要求を次のように規定している。少し長いが引用してみる。

  主体の,他の人間との交流の要求は,他の人から主体が受けとり,自ら  が彼に与える評価の要求である。このような相互評価は人間による自己の  可能性や他の人々の可能性を認識することへ導き,そしてまさにそれによ   って個人の最も効果的な自己調整や他の人々との協力において自己の生活   的に重要な目的を達成することを保障するものである。……交流活動は,

  普通,人々のより複雑な相互作用の内部で経過し,その過程で子どもの交   流への傾向が彼の他の要求(例えば新たな印象への,能動性への)ととも   に充足される。この際,相互作用の一般的性格は多くの点で交流の要求の   充足の可能性と程度を決定する(52)。

 リシナは別のところでも,次のように述べている。交流の要求とは自分自身 と他の人々の認識への志向である。そしてこのような認識は他の人々への態度 と密接な関係があり,交流の要求は評価と自己評価への志向,すなわち,他の 人間の評価への,この他の人間が所与の人格を評価するような解明への,そし

て自己評価への志向である。こう述べた後で子どもにおける周囲の者との交流 の要求の発達を研究する上で必要な標準として次のものを抜き出している。(a),

大人に対する子どもの謡と鄭(b),大人に対する態度における子ども嬬

動南あらお乳 (c),自分をあらわし,大人に自分の技能や諸能力を示そうとす

(16)

      

       る子どもの率先的な諸行為,(d),子どもの自己評価や彼による大人の評価の知 覚があらわれる,大人の彼に対する愈度への子どもの皮応(53)(ないし感受幽(54)。

 このように規定された交流の要求の子どもの発達における意義を検討する前 に,なぜ交流の要求という問題を取りあげるのか,簡単にみていこう。リシナ によると,なぜ交流の結果,活動の参加者達の各々に自分自身と他の人間あ蔭ジ が形成されるのかを問題にしなけれぽいけないという。そこでいぢ姦をは,相 互作用,すなわち交流の過程で明らかになる自分とパートナーの諸特性の反映 および反映された諸特性の評価あるいはそれへの態度のことである(55)。もちろ ん,交流以外の場面での自分や他の人々の観念を得ることは可能である。しか

し,交流こそが周囲の人々の自己認識や認識にとって,自分や他人の評価にと って固有な意味をもっているのである。そして他の人々の認識や評価が交流の 結果および産物だとするなら,それらはその活動を鼓舞し,交流の要求の重要 な一部をなすと考えられる(56)。そうであるならば,「誕生から七歳までの子ど も達において,周囲の人々との交流の発生と発達の実験研究を組織するための 基礎として,交流の要求とその諸動機についての仮説㈹」を立てることがで

きるとリシナは考えたのである。こうしてリシナは交流の要求をこの研究の重 要な柱として据えたのである。

 それでは,「自己の可能性や他の人々の可能性を認識」し,またそれによっ て「自己調整」したり,「他の人々との協力」を可能にする交流の発達論的意 義はどこにあるのだろうか。リシナは一定の年齢段階,すなわち交流の発生的 諸形態の各々における交流の要求のあらわれ方の変化を示しているが,筆者は それはこのことの中にあるのではないかと考える。乳児期の交流の要求は,大 人の注目や愛撫の要求(58)であり,第二形態になると一緒に活動するための年 上のパ・一トナーとしての大人との交流の要求に替わる。この段階で,子どもの 大人に対する選択的な態度があらわれ,また共同活動における結果を通して子

どもへの評価を求め,自らも大人を評価するようになる(59)。就学前期になる と,諸現象や諸事物についての知識を求めるという認識的な交流の要求や人な らびに人の世界に関する人格的な交流の要求があらわれる。そして,それらが

一・

w複雑になることによって,評価と自己評価は相互理解の要求,意見統一の

(17)

65

要求,考え方の連帯の要求,情動的共体験の要求としてあらわれるようにな る(6°)。このように交流の要求はその発生的形態とともに姿を変えてあらわれる。

それらは最初一方的ともみえるものであるが,徐々に,まさに相互的で,質的 にも内容的にも高いものになっていく。それは直接的な有用性を離れて相手と の関係を間接的なものに,より複雑に,そして人格的なものにしていく。

 ところで,べ・ヴェ・オルシャンスキーはリシナの研究を紹介しながら,交 流の要求について次のように述べている。オルシャソスキーは交流の要求の発 達を自己意識の形成過程とみなしている。この点が交流の問題を考える際,極 めて重要だと筆者は考える。

   交流の要求は児童期の早くから発生する。すでに生後半年目において,

  大人の注意や好意の要求があらわれる。その後で大人との共同の要求一彼   の賛成を得ようとする志向一が出てくるのであり,教育的働きかけの効果   を保障する。尊敬の要求は就学前年令においてすでに発生し,子どもの自   分自身についての観念を豊かにすることと結びついている。周囲の者との   相互理解における,彼らの相互体験における要求一それは就学前年令にお   いて発生する子どもの交流の要求の最高水準である(61)。

 そして,精神病理学研究などから,情動的コソタクトの重要さを指摘してい る(62)。この情動的コソタクトによって固有の価値感がつくられるというので ある。すなわち,それは自己意識や自己コソトロー・ルが発達し,自己認識(自 己分析,自己批判),自己主張,自己実現の傾向が生まれる(63)ということであ

る。そしてオルシャソスキーは,「これら自分の総体や相互連関における自己 意識のあらわれのあらゆる諸形態は,普通それを自我(幻とみなしている人 格の中心的な核である(64)」というぺ・アール・チャマタの言葉を引いている。

 リシナの論文では今のところ特にそのような指摘はされていないが,交流の 要求の本質的意義は,私見によれぽ,自己意識の形成がそれをとおしておこな われるということにある。

 これに関しては,リシナの共同研究者の中に,彼女の研究を先行研究として 自己意識の研究へと引き継いでいる研究者もあることに注目する必要があろう。

例えば,ア・イ・シリベスツールは就学前期では,人格発達にとって最も重要

(18)

なものが自己意識の発生であると述べた後,「人格研究は人間の活動の研究と 不可分であるがゆえに,我々はア・べ・ザポロ ・一ジェツとエム・イ・リシナ

(1974)によって発展させられた交流の発生史の観点から就学前児における自 己意識の発達の研究に着手した㈹」としている。また,エヌ・エヌ・アドレー ワも「幼児段階における自己意識の研究方法(66)」という論文で,リシナの研究 を引用している。これら一連の研究者達の論文をみる限りでは,乳児期から就 学前期までの自己意識の研究はまだ方法論も確立していないようにみうけられ る。それでも,リシナおよびその共同研究者の就学前期までの交流研究を1つ の手がかりにしようとしている様子が伺われる。

 いずれにせよ,自己意識の発生・発達にとって,他の人間との交流は決定的 に重要である。つまり,交流とは,人格と人格の緊張したぶつかりあいであ

り,それを通して自分というものを知るのである。そしてまた,それを通じて 自己を,自己の未来像を形成していくのである。

 同時に,交流の要求は相互理解の要求でもある。これは自分と相手の可能性 ないし価値をひらき,自分の可能性ないし価値を相手との関係によって認識し,

評価するものである。そして自分の役割・位置,総じて自己のあり方を他者と の関係で認識することが可能となる。こうして自己意識の内容は一層深いもの

となっていくのである。

 交流および交流の要求を乳児の早い時期から形成することは,その人格形成

において極めて重要である。

(19)

67

図 子どもの反応の年令的力動性(第1実験)

年令(月;日) 年令段階

反三

応っの  出

と塗

 応けの

ぎ〉 か

動の

ー体

撒 娠 姪

      1      かろうじて 0;16

〜0;22      あらわれる

      2 0;23

〜0;30       3 1;01

〜1;07

      4     1増 1;08

〜1;15

      5     1大 1;16

〜1;22

      6     1傾 1;23

〜2;0

      7      向 2;01

〜2;07       8 2;08

〜2;15       9 2;16

〜2;22       v

2rl、。1・ 燦の 3魂、。711 i

3碧1、1512 i維 3二11、2213 i慧

3弱、。14 i℃

4碧1、。715 i婆

4空1、1516 i

       i        Ψ   注リシナの実験結果より作製

うごきを  とめる

集中

ほほえみ ほほえみ

(大人dy…簸煉み)

運動活発化

哺語的発声 複合的反応 形成

漸 増

 場面 の 影響

  うごきを

全体  とめるほtErkみ

「胸の下」

不安定期

「胸の下」

「胸の下」

「胸の下」

(20)

(1) 「交流」はロシア語㊧06田e朋eの訳であるが,教育学,心理学の諸文献の翻訳  においては訳者によってさまざまな訳語が使われている。例えば,コミaニケPtショ   ン,交通,交流,交わり,接触などである。この訳語については今後の検討課題とし  ,本稿では仮訳として,「交流」をあてる。なお,本稿で中心的に扱うエム・イ・リ   シナは最近の論文で06meHHeをKOMMYHval〈aUHflとほぼ同義語として使用している。

  この点も今後の検討課題とする。

(2) しかし,各分野において研究はそれぞれ独立的に進められているように思われる。

 そして,筆者のみたところ,交流の概念さえ一定の定式化はされていない。

(3) 矢川徳光rマルクス主義教育学試論』1971明治図書,P.80.矢川は06uleHlle  を交通(ないしは接触一共同活動)と訳している。

(4) A.B.3anono}Keq ll, b.3)amKoHvaH Bi〈naA paHHblX licneAoBaHHil A.H.JIeoHTb・

 eBa B pa3BHTvae TeopHH双eHTe」1HocTH《BecTH. Moci〈. yH・Ta. ncHx.》1974. Ho.4  CTP.17

 (5) 1>1・M・JIHcvaHa・ 06皿(eHHe co B3pocJlblMH y双eTeH nepBblx 7 neT>Kva3HH.

 BKH・npo6neMH o61Ue藪Bo3pacTHo疏Hne双arorHqeKHH ncHxoJlorHK. M.

 《neftarorHKa》 19786. cTp.235

(6) 1>!・レ1・nHcHHa・ レ13yqeHHe o6皿工eHHH c oKpy)KaK)MMMH・πK)AるMH y,aeTe鹸  paHHero H 双01HKoJIT)Horo Bo3pacTa. 《CoB. ne双.》 1980.1 cTp.63

(7) リシナからの最近の手紙によると,1985年に,子どもどうしの交流についてのこ  れまでの研究成果を1つにまとめることが計画されている(1980.7.筆者の受けとっ

 た私信)。

(8) 1>t・レ1・nHcHHa・BnHfiHHe oTHollleHPIti c 6JIH3KHMH B3pocnHMH Ha pa3BvaTHe  pe6eHKa paHHero Bo3pacTa. 《Bor買. ncHx.》1961. Ho.3

(9・) Pa3BliTHe o6田LeHHfi y AolllKonbHHKoB. non peA. A. B.3anopo}KeUa H  M.H. JIHcvaHoil M.,《flen.》1974(青木冴子他訳r乳幼児のコミュニケーション活動  の研究』新読書社.1979.)

(10) A.A. BoAaneB O pa3pa60TKe HeKoTopHx npo6五eM o6田leHufl《Bon. ncHx,》.

 1974.6. cTp.137.

(11) TaM. 》Ke. cTp. 137

(12) M.H. nHcHHa・reHe3HcΦopM o6iiceHvafi y lzeTeti B KH・, flpHHIJIvar【pa3BMTMA  BncMxoJlorHH. peA. JI.レ1. AHuHΦepoBa.《HayKa》1978a. cTp.270

(13) TaM. 》Ke. cTp.269.

(14) TaM. 》Ke. cTp. 269。

(15) B. ¢.X【oMoB.06皿eHHe IくaK npo6aeMa o6皿reth ncvaxonomH. B KH.,

 MeToAonorvagecKKe npo6πeMbi co耶aπbKo負ncHxo刀orHH.《HayKa》M.1975.

 CTP.127

(21)

69

(16) リシナは,ロモフと立場が違うと述べている。特に,異なる点を指摘しているわ  けではないが,具体的研究がなされていないなどの指摘がある(前掲論文(6)CTP.65  および1979.10の私信など)。

  このような論争となるべき諸点については,別の機会にさらに検討したい。

(17)前掲論文.(12).CTP.271

(18) TaM.  >Ke. cTp. 279.

(19) TaM. >Ke. cTp. 279.

(20)前掲書(9).CTP.277。

(21)前掲論文(12).CTP.281.

(22) TaM. 》Ke. cTp.279.

(23) TaM. )Ke. cTp. 279.

(24) TaM. 》Kc. cTp.269.

  リシナは認識的,実際的,人格的動機という3つの標準を抽出している。認識的動   機は子どもの新しい感動の要求の充足過程で発生し,実際的動機は大人の援助の必   要の結果としての能動的活動における要求の充足過程で生まれる。それに対して,

  人格的動機は交流そのもpを構成している子どもと大人の相互作用の範囲において   特殊なものである(前掲論文(5)CTP.239)

(25)KoMnneKc o》KHB」leHuflはおはしゃぎ反応・賦活反応・活動感情の複合体などと  訳されている。デニソワ等によると「生きいきとした顔面表情があらわれてくる。喉  から声を出し,深い息をし,手をあげたり足をばたつかせたりしている典型図であ  る。このような図は,最初のうちは,子どもに話しかけることによって,すぐに見る  ことができるのであるが,子どもが誰かの姿を見ただけでも,そうなることもある。」

 (キスチャコフスカヤrO才児の運動の発達』坂本市郎訳.1978新読書社P.24)

  キスチャコフスカヤが引用している文献は,H. JLΦnryPliH H M. H. AeHvaCOBa  ∂Tanbl pa3BHTHH noBeAeHxH lleTeti oT po>KJ[eHHfl ao oAHoro roAa M.−JI.,1>leATH3

 1929

(26)前掲書(9)cTp.278〜281

(27)本書の中でこの問題を扱っているのはBo3HHI〈HoBeHHe H pa3BHTHe HenocpelkcT.

 BeHHo−9MoUHoHaJlbHoro o6皿eHvaH co B3pocnblM y双eTe藍nepBoro no・πyro双H∬

 >Kva3HH.およびBnHflHHe o6皿eHHH co B3pocJlblM Ha pa3BvaTHe pe6eHKa nepBoro  nonyronnz》KH3Hvaの二論文である。

(28>前掲論文(12)CTP.274

(29) H.JI. tPHrypvaH,,1>L几πeHHcoBa∂Tanbl pa3BvaTHfi no・BeAeHHfl双eTe負oT  po》K双eHva51 Ao o双HHoro roAa. M.−JIり MeAPva3, 1929

(30)前掲書(9)CTP.20・y21

(31)同上書 r刀aB乱LBo3HvaKHoBeHvae va pa3BHTHe HenocpezlcTBeHHo_gMouMoHa.

 nbHoro o6皿eH朋co B3pocnblM y AeT曲nepBoro nonyVo,alnz>KH3Hva.の第一実

(22)

験の結果をもとに筆者が作製したもの。

(32)

(33)

(34)

(35)

(36)

(37)

(38)

(39)

(40)

TaM.>Ke. CTP.12.

前掲論文(12)CTP.276.

前掲書(9)CTP.269.

前掲論文(12)CTP.274.

前掲書(9)CTP.258.

TaM.)Ke. CTP.270.

前掲論文(12)CTP.284.

ぺ・エフ・ロモフ,エリ・イ・アンツィフェロワなどが指摘している。

JI. H. AHubゆepoBa. TeopHH oHToreHeTnqecKoro pa3BvaTHfi ncHxHKa. B KH.,

MaTeplianHcTHgecKHe HAeH B 3ap6e}KHoti ncHxoJlorHH《HayKa》M.1974. cTp.312

(41)

(42)

(43)

(44)

(45)

(46)

(47)

(48)

(49)

(50)

(51)

TaM.》Ke.

TaM.}Ke.

TaM.》Ke.

TaM.》Ke.

TaM.》Ke.

TaM.>Ke.

CTP.312.

CTP.312.

CTP.312.

CTP.313.

CTP.313.

CTP.314.

  AeTcKoM Bo3pacTe 《Bon.

  人」の系と「子ども一社会的対象」の系の前者とし,

  を説明している。

  ない。

(52)前掲書(9)cTp.270〜271.

(53)前掲論文(5)CTP.238

(54)1978年の論文では,4つの標準のうちこの第四番目だけが異なっている(前掲論

  文(12)CTP.272.).

   エリ・エヌ。ガリグゾーワは要求(nOTpe6HOCTb)研究のアブP一チを5つ提起し   ているが,この4つの標準の抽出を第一の構造的・分析的方法の中に入れている。そ   してこの方法では「要求の形式的な構造は明らかにされるが,内容は明らかにならな   い」と指i摘している(JI. H. raJlllry30Ba. HeKoTopble MeToAH H3YqeHHfi couHanb.

  HHx noTpe6HocTe員. B c6・, ncvaxonorvaqecKvae ocHoBNΦopMHpoBaHH且   nvagHo(ITH B yc,πoBH∬x o6n工ecTBeHHoroβocnHTaHHH. 1979. cTp.222.

(55)前掲論文(12)CTP.272.

前掲論文(12)CTP.269.

前掲論文(5)CTP.243

前掲書(9)CTP.267.

前掲論文(5)CTP.251.

エリコニンは,Knpo6neMe fiepHoAH3aUHva ncHxHqecKoro pa3BHTHfl B

      HCK.》71. vao.4において,交流を「子ども一社会的大

       その交替によって子どもの発達

         しかし,ここではこの二つの系の相互関係については論じられてい

(23)

71

(56)

(57)

(58)

(59)

(60)

(61)

 CoUHaJlbHa51 ncHxoJlorH51.

(62)

(63)

(64)

 caMOCO3HaH}IH  HayKa B cccp,

(65)

  OT yc刀OBHH   ΦOPMHPOBaHH∬

  CTP.201.

(66) H.H. AB双eeBa 1>leTo双HKa H3yqeH朋paHHHx 3TanH pa3BHTH∬caMoco3HaH朋   Bc6., ncHxo.norHqecKvae ocHoBblΦopMKpoBaHH∬nHgHocTva B ycJloBHHx

  BocnHTaHHH. 1979.

TaM.>Ke. CTP.272.

TaM.)Ke. CTP。272。

前掲書(9)CTP.271.

TaM.》Ke. CTP.273.

TaM.}Ke. cTp.274−275.

B.B. OJIb田aHcK曲. ilpxBJIeKaTeJlbHocTb qenoBeKa A朋qeJloBeKa B KH.,

       CTP.209.

TaM.}Ke. CTP.209・

TaM.}Ke. cTp.209・

オルシャソスキーが引用しているチャマタの論文は,n. P. qaMaTa. BonpocH          丑四HocTH B coBeTcKo茸 ncxxo oPHH, B KH・, ncvaxonorHqecKaH

       T.ll.1>1.,1960, cTp.93.(TaM xくe・cTp・210)

A.H. CHnbBecTpy.3aBMcvaMocT b npeacTaBneHva疲pe6eHKa o caMooM ce6e

     uero ceMeHHoro BocnHTaHHH. B o6・, rIcHxoπorHqecKHe ocHoBbl

      rmqHocTH B ycnoBvafix o6皿lecTBeHHoro BocnHTaHvafi 1979・

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