﹁ ツーリズムの満足度を優先し作品の芸術的価値につい
ての議論ができない芸術祭となってしまう﹂ことへの危
惧から ︑﹁ 芸術祭にキュレーションされた展覧会の要素
がたとえ一部であっても存在すること︑地域の美術機関
や国外のカウンターパートとの連携の重要性を殊更強調
したい ﹂と語る
︵*5︶︒また ︑黒瀬は ︑﹁ 現在の乱立する
芸術祭ではキュレーター
︵キュレーション︶すら不在
︵あるいは著しく低レベル︶
であることが多い﹂ と指摘した上で︑ ﹁芸
術祭は展覧会であり︑そこにはキュレーションが不可欠
である﹂ と強調する
︵*6︶︒芸術祭やアートプロジェクト
において︑作品の芸術的価値についての議論が抜け落ち
てしまっていることへの危惧は︑地域名を冠した美術の
イベントを﹁地域アート﹂と名付ける文芸批評家の藤田
直哉の著書﹃地域アート 美学/制度/日本﹄に詳述さ
れている
︵*7︶︒藤田は︑ 地方創生の一環として︑ 芸術の
中身や ﹁美﹂ についてほとんど問われることのないまま︑
地域活性化や経済効果に寄与するものとしてアートが活
用される現状に対し︑次のような危惧を述べる︒
質の評価が困難であるか
︑基準が存在しない状態
で︑なし崩し的に︑地域アートの中に現代アートが 巻き込まれている状態がある ︒﹁ 芸術性 ﹂を判断す
るのは︑誰なのだろうか︒このままでは﹁地域を活
性化するもの﹂こそが﹁現代アート﹂であるという
ふうに
︑定義の方が変化していくのではないだろ
か
︵*8︶︒
このような危機感はおそらく藤田一人のものではない
ことは︑上記のようなキュレーションの重要性が指摘さ
れることからもうかがえる︒上述したように︑芸術祭へ
の様々な批評的考察がなされると同時に︑実際に芸術祭
のあり方自体も変化を見せ始めている
︵*9︶︒それでは ︑
このような動きの中︑今なお多くの人々が訪れる︑地域
での芸術祭には︑どのような可能性を見出すことができ
るのか︒本稿では︑昨年初めて開催され︑多くの来場者
を集めた北アルプス国際芸術祭を事例に︑作品の芸術的
価値とは何か︑その価値を明らかにしつつ︑地域の魅力
を引き出すキュレーションとはどのようなものなのかに
ついて︑考察してみたい︒そこから︑地域で芸術祭が継
続されることの意義を導き出したいと考える︒ キュレーションのつくるまちの魅力
松田
愛 ︱北アルプス国際芸術祭 2017 を事例に︱
AI MATSUDA
■地域活性化と芸術祭
芸術祭におけるキュレーションの可能性とは何か︒ 2
000 年より
3年に一度開催されている
﹁ 大地の芸術
祭 越後妻有アートトリエンナーレ﹂をはじめ︑いまや
全国各地の自治体で︑芸術祭やアートプロジェクトが数
多く開催されている︒ 2 0 1 5 年に第
6回目を迎えた越
後妻有アートトリエンナーレは︑アートを媒介に︑過疎
高齢化の進む豪雪の中山間地を︑人が自然と関わりなが
ら長い時間を経てつくりあげてきた﹁里山﹂の風景とし
て︑その価値を再発見させることで︑リピーターを含め
国内外から多くの人々が訪れる芸術祭として評価されて
いる
︵*1︶︒芸術祭を契機とする地域再生への期待は︑ 瀬
戸内国際芸術祭への注目や︑ 2 0 1 7 年に始まった北ア
ルプス国際芸術祭︑奥能登国際芸術祭など新たな芸術祭
の動きからもみてとれる︒
他方で︑全国各地で開催される芸術祭の内容の画一化 やマンネリ化が懸念される中︑経済効果への注目のみな らず︑作品の維持管理の問題︑事業の評価方法︑芸術と しての質の担保やキュレーションの重要性など︑様々な 観点から芸術祭と地域の関わりについて︑考察が進めら れている
︵*2︶︒ 芸術祭をどのように評価できるかという
難しさは︑あいちトリエンナーレ 2 0 1 6 の芸術監督を
務めた港千尋の言葉からも読み取れる ︒﹁ 国内外でこれ
だけ多様な芸術祭が開かれている状況では︑評価軸その
ものも多様になるのではないかと思う ︒言い換えれば ︑
﹃軸﹄は自明のものとして与えられているわけではなく︑
むしろそれぞれが軸をつくり出す必要がある﹂と港は語
る
︵*3︶︒
また︑あいちトリエンナーレ 2 0 1 3 や札幌国際芸術
祭 2 0 1 4 などに共同キュレーションで参加した飯田志
保子や︑美術家・美術批評家の黒瀬陽平は︑芸術祭にお
けるキュレーションの重要性を強調する
︵*4︶︒飯田は ︑
写真 2:原倫太郎と原游《はじまりの庭(インフォメーションセンター)》2017 年、市街 地エリア[インフォメーションセンター](北アルプス国際芸術祭 2017)筆者撮影
成会議が発表した消滅可能性都市に上がるほど︑過疎高
齢化も深刻化して﹂いる現実が︑芸術祭開催の背景にあ
る
︵*12︶
︒芸術祭のメインテーマは ︑﹁ 水 ︑木 ︑土 ︑空 ︒﹂
であり ︑北川はテーマに込めた思いを ︑﹁ そして信濃の
人が一生仰ぎみる︑高い︑青い空︒私はそれを水・木・
土・空の世界と言ってみたくなりました︒そこには透明
さと︑重さがある︒これらの風土︑時間の積層を見てい
ただきたい
︵*13︶
﹂と語る︒
実際︑本芸術祭では︑水や土など大町の自然をテーマ
にした作品が多く見られた︒また︑水とも関わる地域の
民話
﹁ 龍の子太郎伝説
﹂に取材した作品も複数見られ
た︒源流エリア︑仁科三湖エリア︑市街地エリア︑東山
エリア︑ダムエリアの
5つの地域に
36 組の作家による作
品が散りばめられ ︑それぞれの場所の特性を生かした ︑
まさにサイト・スペシフィックな作品を見ることができ
た
︵*14︶
︒実際︑ 森林の中や湖の周辺︑ 街を見下ろす鷹狩
山の山頂
︵写真1︶
など自然の中や ︑駅前
︵写真2︶
から出
発して名店街へと続く市街地の空き店舗や空き家を活用
し︑作品が設置されていた︒市街地では︑塩の道﹁千国
街道 ﹂の宿場町として栄えた美しい街並を散策すると ︑
街中を流れる用水など︑ところどころに水の流れる気配 ■北アルプス国際芸術祭 2017
長野県の信濃大町では︑木崎湖畔を舞台に︑地元の作
家たちが中心となり ︑﹁ 原始感覚美術祭 ﹂を数年に渡っ
て開催してきている
︵*10︶
︒ 2 0 1 4 年には大町市全域を
会場に ︑﹁ 信濃大町
食とアートの廻廊
﹂が北川フラムを
ディレクターに迎え︑ 開催された︒北川は︑ ﹁大地の芸術
祭 越後妻有アートトリエンナーレ﹂ ︑﹁瀬戸内国際芸術
祭﹂の総合ディレクターをはじめ︑各地でアートによる
地域づくりの実践に携わってきたアートディレクターで
ある︒ 2 0 1 4 年のイベントの発展型ともいえる国際展
﹁ 北アルプス国際芸術祭 2 0 1 7 〜信濃大町
食とアート
の廻廊〜 ﹂は ︑総合ディレクターに北川を迎え ︑﹁ 土地
固有の生活文化を表現する﹃食﹄と︑地域の魅力を再発
見する﹃アート﹄の力によって︑大町市に内在するさま
ざまな価値を掘り起こし︑北アルプス山麓の地域資源を
世界に発信することで地域再生のきっかけとなることを
目指して ﹂開催された
︵*11︶
︒人口約 2 8 ︐000 人の大
町市は ︑﹁ 北アルプスの山々を映す仁科三湖や ︑豊富な
温泉など自然にも恵まれ﹂ ︑﹁北アルプス登山の拠点とし
て︑また立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関口と
して ︑多くの観光客で賑わって ﹂いる ︒一方 ︑﹁ 日本創
写真 1:鷹狩山山頂から眺めた信濃大町の風景、東山エリア(北アルプス国際芸術祭 2017)筆者撮影
る︒舞台の壁には水槽が埋め込まれ︑舞台上にはグラン
ドピアノが配置され︑その上には水の入った鉢が置かれ
ていた︒壁から噴出する水︑天井から滴り落ちる水など
が ︑たらいやバケツに流れ落ち ︑水音を響かせていた ︒
このように
︑所々にあらゆる形で水の気配が感じられ
る︒さらに︑ステージ中央に設えられた譜面台の前に立
つと ︑霧が発生する仕掛けになっていた
︵写真5︶
︒譜面
台には譜面が置かれているが︑音符の代わりに複数の蝶
が描かれている︒これら音符としての蝶は︑ステージと
観客席を空間的につなぐ役割を担っている
︵*15︶
︒
﹁信濃大町の鍵だと感じたのは︑水の存在でした︒
下見で町を訪れるたびに︑雪解け水が豊富に流れ
ている様を目にし︑活力にあふれていると感じた
のです︒その力は人々に影響し︑環境を一変させ
もする︒私にとって水は︑まさにそのように絶え
ず変化する
︑人生のメタファーなのです
︵*
16︶
﹂ ︒
﹁ 今回の作品のテーマである水は ︑詩的で情緒的
でもありますが︑人類にとって脅威を与える危険
な存在にもなり得るものです︒今回の作品ではそ
うしたことを同時に感じていただきたいと思いま
す
︵*17︶
﹂︒本作を体験した際には ︑実際 ︑森林劇
場という場所につくられた詩的な作品の雰囲気が印象
的であった ︒﹁ ステージの上から大事なものを見てほし
い︒魔法のような森です﹂ と作家が語るように
︵*18︶
︑舞
台中央から客席を眺めると︑森林の緑に包まれた劇場全
体を︑自身の身体的なスケールとして感じることができ
る︒そこでは︑雨音や︑噴出する水の流れ︑たらいを打
ち付ける水音などの物理的な音に加え︑ピアノや蝶が奏
でる想像上の音楽︑水槽を泳ぐ魚の気配︑木々の呼吸な
ど︑様々なものを感じることができる︒
写真 5:マーリア・ヴィルッカラ《ACT》ステージ中央、
筆者撮影
を感じた︒源流エリアへ向かう途上でも︑川や田畑の用
水路を勢いよく流れる水音が常に心地よく響いていた ︒
地域で開催される芸術祭の醍醐味は︑このように︑アー
トや文化を﹁きっかけ﹂として︑その地域独自の魅力に
触れることであるだろう︒その魅力は︑地域の風土をつ
くっている自然の豊かさや︑伝統文化や地域文化ととも
に長年かけて培われてきた街の雰囲気︑語り継がれてき
た民話や伝承︑そして何よりその地の住人の人柄や暖か
さに触れた際に︑実感として感じることのできるもので
ある︒しかし︑ここでのアートは単なる﹁きっかけ﹂に
過ぎないのだろうか︒アートは︑何かのきっかけや媒介
となる以前に︑それ自体で固有の価値を有するものであ
るだろう︒このことを考えるため︑本芸術祭の中でも特
に印象に残ったマーリア・ヴィルッカラの︽A CT ︾を
取り上げたい︒
■人生のメタファーとしての水
︱マーリア・ヴィルッカラ︽ AC T ︾
フィンランド出身の作家マーリア
・ヴィルッカラの
︽A CT ︾
︵写真3・
4︶
は︑ ﹁源流エリア﹂と名付けられた
大町温泉郷の森林劇場の舞台そのものが作品になってい
写真 3・4:マーリア・ヴィルッカラ
《ACT》2017 年、源流エリア[大町 温泉郷、森林劇場](北アルプス国際 芸術祭 2017)© 2017 Japan Alps Art Festival Executive Committee, Photo by Tsuyoshi Hongo.
写真 6:ニキータ・アレクセーエフ《ちかく・とおく・ちかく》2017 年、市街地エリア[商店街の空き店 舗と各所](北アルプス国際芸術祭 2017)筆者撮影
写真 7:平田五郎《水面の風景―水の中の光〜山間のモノリス》2014 − 2017 年、源流エ リア[大出ホタルの里](北アルプス国際芸術祭 2017)筆者撮影
水底の船のように
︑美しく詩的で幻想的な森の舞台
に︑夢と現実のあわいに漂う自身の姿を見出すこともで
きれば ︑生と死のはざまとしての ︑﹁ 人生の舞台 ﹂をそ
こに重ね合わせることもできるだろう ︒﹁ しかし ︑あな
たが本当にその場に立ったとき︑どんな行動をするだろ
う? ﹂
︵*19︶
との作家からの問いかけが
︑心に響いてく
る︒
本作品は
︑舞台に立つという鑑賞者の行為を含め
︑
様々な要素で構成されるサイト・スペシフィックなイン
スタレーション作品である
︵*20︶
︒ 大町の豊かさの象徴で
あり︑時には脅威ともなり得る水の存在︑そして大町温
泉郷の美しい森林という資源の価値に気づかせてくれる
作品であった︒それと同時に︑作品そのものが︑一度き
りの私たちの人生そのもののメタファーとして立ち現れ
るような︑特異な体験を可能とするものであった︒それ
は︑森林劇場という特定の時間・場所を超えて︑私たち
の生と死という普遍的な時空間へと導くものであった︒
■芸術祭におけるキュレーション
ヴィルッカラの︽A CT ︾で感じたような芸術体験の
素晴らしさは︑もちろん︑他の多くの作品からも感じる ことができた︒ 信州の伝承 ﹁帚木﹂ に着想を得た作品とし
て︑商店街の各地に自身の絵を貼り出したニキータ・ア
レクセーエフの ︽ちかく・とおく・ちかく︾
︵写真6︶︒大
出ホタルの里に設置された︑平田五郎の︽水面の風景︱
水の中の光〜山間のモノリス︾
︵写真7︶︒ 龍の子太郎の民
話に着想を得て︑市街地の蔵に鮮やかな色彩で龍や水の
流れを思わせる形象を描いた︑湊茉莉の︽みすずかるし
なの︾
︵写真8︶︒ 空き家から収集された日用品や樹木など
を集積させて構成された︑カラフルなボートを木崎湖に
浮かべたアルフレド & イザベル・アキリザンの︽ウォー
ターフィールド
︵存在と不在︶︾
︵写真9︶は︑ビール瓶のケー
スや雪かき用のシャベルなど︑スキー客向けの民宿の多
いこの地域の特性を映し出していた
︵*21︶
︒ その木崎湖付
近の空き家を白く透き通る︑やわらかい布で包んだケイ
トリン・ RC ・ブラウン & ウェイン・ギャレットの作品
︽ ベールの向こうに ︾
︵写真10︶
は ︑人口減少という現代日
本の社会課題に目を向けさせつつ︑軽やかで美しい風景
をつくりだしていた︒紙幅の関係上︑全てをここに列挙
することはかなわない︒しかし︑地域で芸術祭を開催す
ることの意義として忘れてはならないのは ︑芸術祭が ︑
まずはアートと人々との出会いの場であるということ
である︒したがって︑芸術祭に求められるキュレーショ
ンとは︑第一に︑作品と人々との出会いの機会を創出す
るという基本的な︑しかし最も重要な仕事であるといえ
る︒
ここで︑今一度︑キュレーションという言葉の意味を
確認しておきたい︒この言葉自体は︑現在︑多様な意味
で使われているが︑元々は博物館・美術館などの学芸員
と同義で使われる﹁キュレーター﹂に由来する︒国際的
に活躍するキュレーターの長谷川祐子は︑キュレーター
の仕事を︑ ﹁展覧会やプロジェクト企画の実現を通して︑
鑑賞者と作品を媒介する︒作品と人とを出会わせ︑作品
についての理解をうながすことを︑主たる仕事としてい
る﹂と説明する
︵*22︶
︒
しかし︑近年︑アートとの出会いの機会が︑美術館や
ギャラリーから
︑芸術祭やアートプロジェクトなど多
様な場へと広がっているように ︑﹁ キュレーション ﹂の
定義もまた ︑拡張を見せている ︒成相肇は ︑﹁ キュレー
ションとは︑人が作りだしたものに織り込まれた無数の
情報を読み取り ︑その価値を分かち合おうとすること ︒
あるいはもっと端的に︑文化を介して公共性を考える術
である ﹂とする
︵*23︶
︒また ︑﹁ キュレーターは社会に対
写真 10:ケイトリン・RC・ブラウン&ウェイン・ギャレット《ベールの向こうに》2017 年、仁科三湖エ リア[木崎湖畔の空き家](北アルプス国際芸術祭 2017)筆者撮影
写真 8:湊茉莉《みすずかるしなの》2017年、市街地 エリア[商店街の蔵](北アルプス国際芸術祭2017)
© 2017 Japan Alps Art Festival Executive Committee, Photo by Tsuyoshi Hongo.
写真 9:アルフレド&イザベル・アキリザン《ウォーターフィールド(存在と不在)》2017 年、
仁科三湖エリア[木崎湖畔](北アルプス国際芸術祭 2017)筆者撮影
すること︑多様な価値観︑多様な生き方の可能性を受け
入れられる︑豊かな地域社会を育てることへとつながっ
ていく︒ 市民や来訪者が︑ ある時にはサポーターとして︑
ある時には鑑賞者や批評家として︑またある時には職員
やガイドボランティアとして︑さまざまな立場で芸術祭
に関わることの意義も大きい
︵*26︶
︒そのような複数の
視点︑複数の立場から︑芸術祭の意義やアートの可能性
について問いかけ︑自ら積極的に評価を行っていくこと
で︑芸術祭は自主的な学びの場となりえるのではないだ
ろうか︒竹久の語るように︑ ﹁複数の視点の交錯する場・
ある思考を吟味できる場﹂として
︵*27︶
︒
芸術祭以前から︑自主的な取り組みとして続けられる
原始感覚美術祭や︑大町エネルギー博物館︑塩の道博物
館など特色ある博物館の存在︑また︑街中のギャラリー
の活動なども重要である︒そのような従来からの多様な
活動と芸術祭が︑芸術文化への複数のチャンネルとして
継続され
︑時に連携することによって
︑豊かな自然と
アートのあるまちとして︑地域独自の魅力を育んでいく
ことが可能になるだろう
︵*28︶
︒
謝辞
本研究は
︑平成
28年
−
29年度科学研究費補助金挑戦的萌芽研究
﹁キュレーションの実践による農山村の自然・文化資源享受能力の再
生﹂︵JP16K14997︶の助成を受けたものです︒
本論文を執筆するにあたり︑急な依頼にも関わらず︑作品写真の提
供に快く応じてくださいました大町市役所まちづくり交流課国際芸
術祭推進ご担当の西條哲也氏︑マーリア・ヴィルッカラ氏の作品に関
する質問に︑迅速にご対応いただきました︑アートフロンギャラリー
に︑厚くお礼を申し上げます︒
また︑北アルプス国際芸術祭2017に関する新聞記事及び雑誌記
事等貴重な資料の収集に協力してくれた学生に︑心から感謝の意を表
します︒
︻註釈︼*1
﹃アートプロジェクト
芸術と共創する社会﹄によれば︑﹁大地の芸
術祭﹂がそれ以前のアートプロジェクトと大きく異なる点として︑
﹁地方自治体が主催していること﹂があげられる︒同書によれば︑本
芸術祭は︑﹁作品を200の集落に点在させることで︑鑑賞者の回
遊性を高めると同時に︑越後妻有地域の価値を﹃日本の原風景﹄と
して再発見させることで注目を集めた︒また︑都会の若者や地域住
民が﹃こへび隊﹄と称するボランティアとして︑作品の制作補佐や
監視などを行ったことも特徴である︒アートだけでなく︑古民家を
リフォームし︑地元の女性たちの農家レストランとして活用し︑コ
ミュニティビジネスが立ち上がったことなどからも︑新しい地域づ
くりのあり方としての評価を確立した﹂とされる︒﹁0
アートプロ
ジェクト概説 Lecture1 歴史的位置付けとその変遷︱空間から場︑
し︑芸術の持つさまざまな可能性と普遍性を説明すると 同時に証明していく責務を負っている﹂と考える窪田研 二は︑ ﹁社会を大胆に横断し︑ 文化の可能性を最大限に引
き出すことが重要であり︑そのための実践こそが新たな
キュレーター像として期待される ﹂とし ︑﹁ それは同時
に大衆化された芸術という領域で消費されることなく ︑
芸術の持つ批評性や先見性︑想像力を伝えていくという
キュレーターにとって不可欠な行為でも
﹂あると述べ
る
︵*24︶
︒ さらに︑ 竹久侑は︑ ﹁キュレーターの仕事のかな
めは﹃考える場﹄を開くことであると思います︒何かを
主張する展覧会であれ︑娯楽性の強いものであれ︑キュ
レーションに大切なのは︑複数の視点の交錯する場・あ
る思考を吟味できる場をつくることで︑鑑賞者のひとり
ひとりが自らの視座や考えをいまいちど省察する機会を
設けることと考えます︒これこそがキュレーターが展覧
会を始めとしたさまざまなメディアを通して社会に送り
出す価値ではないでしょうか﹂と提言する
︵*25︶
︒ このように
︑キュレーションという試みは
︑作品と
人々の出会いを創出することで︑新たな価値を創出する
ことを原義として内包しながら︑人々にとって︑開かれ
た思考や対話の場をつくることへとその意味を大きく拡 張してきている︒それでは︑地域再生を目標とする芸術 祭の中で
︑上記のような新たなキュレーションの試み
は︑いかなる可能性を持ちえるのか︒
■芸術祭が地域にもたらすもの
芸術祭では︑友人や家族に誘われて作品を見に行って
みるなど︑それまでアートに興味を持たなかった人々に
も ︑アートと出会う貴重な機会を提供することとなる ︒
したがって︑先程も述べたように︑アートと人々の一期
一会の出会いをつくることが重要となる︒その出会いを
通じて︑ 来訪者は地域の魅力を発見する︒ 他方で住民は︑
外からやってくるアーティストや来訪者という︑他者の
視点を通じて︑自分たちの街の魅力を再発見することと
なる︒あるいは友人や家族︑同じ地域の住人など大切な
人々と時間や体験を共有することになるかもしれない ︒
住民と来訪者のさまざまな交流も生まれるだろう︒そし
て︑出会いや発見の次の段階として大切になってくるの
は︑ ﹁育てる﹂ という意識である︒それは︑芸術や地域文
化への理解を育てることから始まり︑アートとの出会い
を通して︑創造性や想像力︑そして豊かな感受性を育む
とともに︑他者や未知なるものへの関心︑寛容性を涵養
プト文からの引用︒前掲公式ガイドブック︵*
13︶ ︑ 76頁︒
*
20 ﹁ステージと観客の間の見えない境界を扱っている﹂インスタレー
ションとされる本作品は︑﹁ピアノ︑6つの水槽︑
55ℓの水の入った
ガラスボウル︑蝶の本︑霧と雨︑古い木のベンチ︵うち7つは金色
に塗装されたもの︶︑壁や天井からたらいやバケツに飛び散る︑ある
いは滴り落ちる水と︑ピアノから奏でられる音楽が作り出す音﹂と
いった様々な素材から構成されている︒﹁MAARIA WIRKKALA﹂公
式HPより︑http://www.maariawirkkala.com/works/act/︵201
7年
12月 29日閲覧︶︒
*
21 この貴重な指摘については︑地元で民宿を営む方からご教示いただ
いた︒
*
22 長谷川祐子﹃キュレーション知と感性を揺さぶる力﹄集英社︑2
013年︑
12頁︒
*
23 Basic Work1成相肇﹁キュレーションが拡散している﹂︵
変わ
る言
葉︑変わる時代︶フィルムアート社編﹃キュレーションの現在 アー
トが﹁世界﹂を問い直す﹄フィルムアート社︑2015年︑
49頁︒
*
24 Basic Work1 窪田研二﹁キュレーションの定義を拡張する﹂︵変わ
る言葉︑変わる時代︶前掲書︑
66− 67頁︒
*
25 Basic Work2 竹久侑﹁主張・コンセプトを訴える﹂︵どんな価値を
生み出すのか︶前掲書︑
77頁︒
*
26 芸術祭の評価について︑藤田直哉は︑芸術祭がはらむ﹁プロジェク
ト︵投企︶の側面﹂に着目し︑﹁﹃投企﹄とは︑新しい自己の在り方
を生み出すために未知なる領域に踏み出してしまうことである﹂と
し︑その評価の難しさを指摘した上で︑﹁鑑賞者や運営者や住人︑ 作家などが︑この行為にコミットし︑意見を発信することが︑必要
かつ有効な評価の方法ではないか? 芸術祭が特権的な﹃作家﹄で
はなく集合的な創造性に力点をシフトしていることに対応し︑批評
も集団的な方法論を用いるという意味でも﹂と提案する︒藤田直哉
﹁芸術祭を︑意義のあるものにするか︑しないか﹂前掲書︵*2︶︑
88頁︒このことは︑芸術祭のキュレーションを︑個人のディレク
ションやキュレーションを超えた﹁集合的な創造性﹂の場として読
み解く上でも︑興味深い指摘である︒
*
27 竹久︑前掲書︵*
25︶ ︑ 77頁︒
*
28 芸術祭と地域の関わりを考える上で︑名古屋の港町を拠点に活動す
る﹁Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]
﹂の活動は興
味深い︒アートイベントや展覧会などを企画する他に︑地域とアー
トの関わりを考えるトークイベントやワークショップなどを開催
している︒あいちトリエンナーレ2016やアッセンブリッジ・ナ
ゴヤ2016︑2017の共同キュレーターを務めるインディペン
デント・キュレーターの服部浩之は︑MAT︐ Nagoyaについ
て︑﹁あいちトリエンナーレにスタッフやボランティア︑アーティス
トとして関わった人が︑その経験を活かし芸術祭とは異なる現場を
立ち上げて活動を展開し︑その成果は着実に実を結び始めている︒
一過性と思われがちな芸術祭だが︑じつは人材育成や文化の醸成の
場となりつつあり︑次の祭までのあいだの時間の設計が︑足元を固
めるためにはとても重要なのだ﹂と指摘する︒服部浩之﹁一過性を
超え︑拠点となりうるか﹂前掲書︵*2︶︑
86−
87頁︒ そしてシステム﹂熊倉純子監修︑菊地拓児+長津結一郎編﹃アート
プロジェクト 芸術と共創する社会﹄水曜社︑2014年︑
20頁︒
*2
﹁アートフェスティバル︑どう評価する?
︱日本の芸術祭の課題と
未来﹂﹃美術手帖﹄2017年7月号︵vol.69 NO.1055︶
74− 89頁︒
*3 港千尋﹁芸術祭の批評軸とは何か﹂前掲書︑
84頁︒
*4 飯田志保子﹁芸術祭に求めるキュレーション﹂前掲書︑
85頁/黒瀬
陽平﹁﹃芸術祭の時代﹄を終わらせるために﹂前掲書︑
89頁︒
*5 飯田︑前掲書︑
85頁︒
*6 黒瀬︑前掲書︑
89頁︒
*7 藤田直哉﹁前衛のゾンビたち︱地域アートの諸問題﹂藤田直哉編
﹃地域アート 美学/制度/日本﹄堀之内出版︑2016年︑
11− 43頁︒
*8 前掲書︑
23頁︒
*9 新たな動きとして︑大分県別府市の﹁in BEPPU﹂があげられる︒本
プロジェクトは︑2009年から2015年まで行われた別府現代
芸術フェスティバル﹁混浴温泉世界﹂の後継企画として︑2016
年より始動した︒﹁別府市を舞台に開催する個展形式の芸術祭﹂であ
り︑﹁国際的に活躍する1組のアーティストによる︑地域性を活かし
たアートプロジェクトを毎年秋に実現﹂している︒BEPPU PROJECT公式HPより︑http://www.beppuproject.com/work/1738︵201
7年
12月 29日閲覧︶︒
*
10 ﹁信濃の国
原始感覚美術祭
2017﹂は︑2010年に﹁原始感覚
美術展﹂として始まり︑2017年で8回目を迎えた︒ *
11 ﹁
北アルプス国際芸術祭2017﹂公式HP﹁概要﹂より︑http://
shinano-omachi.jp/about-jp/︵2017年
12月 29日閲覧︶︒
*
12 前掲︒
*
13 北川フラム﹁水・木・土・空の大町﹂﹃北アルプス国際芸術祭20
17﹄公式ガイドブック︑現代企画室︑2017年︑
10− 11頁︒
*
14 特定の﹁場所に帰属する作品や置かれる場所の特性を活かした作
品︑あるいはその性質や方法を指す﹂︒そのような﹁﹃場所の特性﹄
にはその土地の環境や生活空間︑歴史的︑政治的︑文化的な場の
成り立ちまで含まれ︑作家はそれらの諸条件に注目し︑作品に組み
込む﹂︒中山亜美﹁サイト・スペシフィック﹂﹁現代美術用語辞典ver.2.0 ‒ Artscape﹂http://artscape.jp/artword/index.php/サイト・
スペシフィック︵2017年1月8日閲覧︶︒
*
15 本作品に託された蝶のモチーフの意味については︑アートフロント
ギャラリーよりご教示いただいた︒蝶は彼女の作品に度々登場する
重要なモチーフであるとのこと︒︵2018年1月5日︑筆者によ
るメールでのインタビュー︶︒
*
16 ﹁作家インタビュー
マーリア・ヴィルッカラ﹂前掲公式ガイドブッ
ク︵*
13︶ ︑ 27頁︒
*
17 前掲書︑
28頁︒
*
18 ﹁水のアートが気持ちいい!﹃北アルプス国際芸術祭﹄スタート
で す
︒ ﹂︵
June 20, 2017 | Art | casabrutus.com | text̲Naoko Aono,
editor̲Keiko Kusano︶https://casabrutus.com/art/48997/3︵20
17年
12月 29日閲覧︶︒
*
19 マーリア・ヴィルッカラの作品紹介に掲載された︑作家のコンセ