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不作為犯と作為犯の共犯関係

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(1)

不作為犯と作為犯の共犯関係

その他のタイトル Beteiligungsformen der Teilnahme am Begehungsdelik durch das Unterlassen

著者 山中 敬一

雑誌名 關西大學法學論集

58

4

ページ 457‑478

発行年 2008‑11‑15

URL http://hdl.handle.net/10112/12243

(2)

不作為犯と作為犯の共犯関係

保障人的地位に立つ二人の者が︑

三.不作為と共犯に関する学説

一方が作為によって︑もう一方が不作為によって︑被保護者の法益侵害の惹起に 関与した場合︑作為者が正犯であることは疑いがないとしても︑不作為者は︑単独正犯であろうか︑または共同正犯 であろうか︑それとも桐助にすぎないのであろうか︒もちろん︑共同正犯か単独正犯かは︑意思の連絡の有無によっ て異なるが︑不作為による正犯と共犯とはどのように区別されるのであろうか︒ここでは︑このような不作為犯と作

不作為犯と作為犯の共犯関係

山中

(3)

このうち﹁不作為による射助﹂

の問題については︑とくにアルミン・カウフマンの

(2 ) 

ドイツの学説における議論に刺激される形で︑戦後のわが国の刑法学においても︑すでに一九七

0

年代から本格的な

研究が始まっている︒ドイツの理論の検討を基礎とずる研究に加えて︑日本の判例についても詳細な先駆的研究があ

(6 ) 

る︒最近になってこれに関する判例が注目を浴び︑判例研究をも加えて新たな研究も加わっている︒そこで︑まず︑

(8 ) 

最近の判例のうち重要な論点を含むものにつき検討しておこう︒

( 1

)  

Ar mi n 

Kafmnn•

D i e   D og ma ti k  d e r   U n t e r l a s s u n g s d e l i k t e ,  

19 59 , 

S .  

291 

f f .   (2)アルミン・カウフマンの見解に即してこの問題に考察を加えた先駆的業績として︑植田重正﹁不作為と狭義の共犯﹂関大

法学論集ニニ巻

1 1

I I六合併号(‑九六四年︶二六九頁以下︑とくに二七九頁以下︵植田﹃共犯論上の諸問題﹄所収︶があ る ︒ (3)主なものとして︑とくに︑阿部純二﹁不作為による従犯﹂︵上・中︶刑法雑誌一七巻一︱

1 1四号一頁以下︑一八巻一

1 1 ︱ 一 号 七一頁以下︑中義勝﹁不作為による共犯﹂刑法雑誌二七巻四号七三九頁以下︵﹃刑法上の諸問題﹄二九九一年︶所収︶︑神 山敏雄﹃不作為をめぐる共犯論﹄(‑九九四年︶とくに九頁以下︑四二四頁以下︒

(4)齋藤誠二﹁不作為犯と共犯﹂

La w S c h o o l

︱四号(‑九七九年︶一三頁以下︑同﹁特別講義刑法﹄(‑九九一年︶ニ︱七

頁以

下︒

(5)神山•前掲書四六五頁以下参照。

(6)大阪高判昭和六二年一

0月二日判夕六七五号二四六頁

I I刑法判例百選︵第四版︶一六八頁以下︑大阪高判平成︱一年一月二 三日高刑集四三巻一号一頁︑東京高判平成︱一年一月二九日判時一六八三号一五三頁︑釧路地判平成︱一年二月︱二日判時 一六七五号一四八頁︑札幌高判平成︱︱一年三月一六日判時一七︱一号一七

0

I I

タ一

0四四号二六三頁︵刑法判例百選U

[第

六版

・︱

01

0

年]

︱七

︱一

頁以

下︶

︒ (7)松生光正﹁不作為による関与と犯罪阻止義務﹂刑法雑誌一二六巻一号一四二頁︑

為犯の共犯関係について考察するのが目的である︒

関法

第五八巻四号

(1 ) 

︵四

五八

から始まる

(4)

不作為犯と作為犯の共犯関係

被告人

X

は ︑

もちゃを散らしたのかと

B

うになり︑

法学三三号三一頁、三四•三五号一六九頁、三九•四

0号六五頁林幹人「不作為による共犯」齊藤誠二先生古稀記念『刑事

0 刑法の争点(二00八年)―二0 0三年︶三一七頁以下︑山中敬一﹁不作為による芸巾助﹂同書三ニ︱頁以下︑同﹁不作為犯と共犯﹂

頁以下、同「不作為犯と共犯•再論」林山田先生追悼論文集(二

00八年―一月・台北に

て発行︶所収予定︒さらに︑松尾誠紀﹁作為犯に対して介在する不作為犯﹂︵①i⑥完︶北大法学論集五六巻五号︑六号︑

五七巻一号︑二号︑四号︑五八巻四号︒

( 8

) 以下︑釧路地判平︱一年二月︱二日判時一六七五号一頁︑札幌高判平成︱二年三月一六日判時一七︱一号一七

0

0四四号二六三頁、東京高判平成―一年一月二九日判時一六八三号一五三頁については、山中•前掲斎藤古稀―四頁以下で

検討したものと重複する︒

被告人

X

は ︑

B .

C

という子供二人を連れ︑

マンションに引っ越してからも激しくせっかんした︒事件当日︑

A

は ︑

ー.釧路地判平成

C

と答えたので︑

A

B

のやりとりを聞ぎ

一年判決•札幌高判平成―二年判決

A

と同棲していたが︑

A

は ︑

B

C

にせっかんを加えるよ

A

が帰宅したとき︑誰が子供部屋のお

C

が言いつけを守らなかったと思って立腹し︑

B

の方に向

A

がいつものようなせっかんを加えるかもしれないと思ったが︑これに

対しては何もせず︑数メートル離れた台所の流し台で夕食用の米をとぎはじめ︑

A

の行動に対しては無関心を装っ

C

に﹁おもちゃを散らかしたのはお前か﹂などと強い口調で尋ねたが︑

C

が答えず︑脱み付けたり

(5)

③  ②  る ︒

引き起し︑また左頬を平手で一回殴打した上︑さらに︑﹁お前がやったのか﹂などと怒鳴りながら︑

をおいて

C

の頭部右側を手拳あるいは裏拳で五回にわたって殴打した︒すると

C

は︑突然短い悲嗚を上げ︑身体の

左から倒れて仰向けになり︑意識を失った︒被告人は︑これまでにない

C

の悲鳴を聞き︑あわてて寝室に行ったと

ころ︑すでに

C

A

に抱えられ︑身動きしない状態になり︑死亡していた︒

不作為による胴助犯が成立するためには︑他人による犯罪の実行を阻止すべき作為義務を有する者が︑犯罪

の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらず︑これを放置しており︑要求される作為義務の程度及び要求さ

れる行為を行うことの容易性等の観点からみて︑その不作為を作為による捐助と同視し得ることが必要であ

対して暴行に及ぶことを阻止すべき作為義務があった︒ ① 

被告人の作為義務については︑

具体的に要求される作為の内容については︑まず︑被告人が︑

ように監視する行為︑あるいは︑

告人が身を挺して制止したならば︑阻止しえたのではないかという点については︑不可能ではなかったが︑

路地 裁判 旨︶

したので︑平手で頬を一回殴打し︑さらに︑ 関法

第 五 八 巻 四 号

Cがよろけて右手を床についたので︑腕をつかんで

釧路地裁は︑不作為による傷害致死罪摺助を否定した︒次のようにいう︒

Cの生命の安全の確保は︑被告人のみに依存していた状態にあり︑

C

の生命の安全が害される危険な状況を認識していたというべきであるから︑被告人には︑

A

とCの側に寄って

A

がCに暴行を加えない

Cの暴行を言葉で制止する行為を想定することは相当でないとした上で︑被

0 )

一発づつ間隔

かつ︑被

AがC

(6)

不作為犯と作為犯の共犯関係

していた状態にあったこと

︵両

判旨 のま とめ

釧路地裁判決によれば︑①他人による犯罪の実行を阻止すぺき作為義務の存在︑②犯罪の 実行をほぼ確実に阻止し得たこと︑③要求される行為を行うことの容易性︑④その不作為を作為による桐助と同 視し得ることが不作為犯成立の要件である︒ここで︑釧路地裁は︑子供の生命の安全の確保は︑被告人のみに依存

︵排他的依存性︶︑および︑子供の生命の安全が害される危険な状況の認識があったこ

︵危険性の認識︶により︑直接行為者の犯罪を阻止すべき作為義務の存在を認められたのに対し︑﹁暴行を加え く困難な状況にあったとはいえない︒

③  程度可能であった︒ ② 

① 

A

の暴行を実力により阻止することは著しく困難な状況にあった﹂とし︑被告人の不作為を作為に

これに対して︑札幌吉回裁は︑不作為による傷害致死罪の捐助を肯定した︒

被告人が

A

の側に寄って監視するだけでも︑

えられるから︑右作為によって

A

の暴行を阻止することは可能であった︒

︵四

六一

A

にとっては

C

への暴行に対する心理的抑制になったものと考

A

の暴行を言葉で制止する行為は︑藍視行為よりも容易になしうる面もある︒言葉による制止行為をすれば︑

A

にとっては右暴行をやめる契機になったと考えられるから︑右作為によって

A

の暴行を阻止することも相当

A

の暴行を実力をもって阻止する行為については︑その場合︑自らが暴行を受けて負傷していた可能性は否 定し難いが︑胎児の健康まで影響の及んだ可能性は低く︑被告人が

A

の暴行を実力により阻止することが著し

︵札幌高判平成︱二年判旨︶

よる傷害致死捐助罪と同視することはできないとする︒

(7)

不作為による傷害致死罪の野巾助で有罪とした︒ 益保護義務から犯罪阻止義務が派生するのであれば︑被告人の不作為は︑なぜ胴助犯なのであろうか︒これに類似す うかが疑問であるとすれば︑母親の子供の生命・身体に対する保護義務から派生するというべきであろう︒しかし法 義務を負うという点については︑従来から肯定されている︒もし妻に夫の犯罪行為を阻止する義務が認められるかど

( 9   )

る事案は︑そのほかにもある︒

肘をつかんで制止はしたものの︑振り払われた後は何もしなかったため︑

A が死亡したという事案につき︑原審は︑

︵ 事

実 ︶

①名古屋高判平成一七年︱一月七日

LE

DB X¥ 

.その他の判例

2

論 点

ないように監視する行為﹂︑あるいは︑﹁暴行を言葉で制止する行為﹂は︑作為義務の内容としては認められなかっ た︒﹁身を挺して制止するという作為﹂による阻止の可能性については︑﹁暴行を実力により阻止することは著しく 困難な状況にあった﹂とされ︑作為との同価値性を否定された︒

他方︑札幌高裁判決によれば︑﹁暴行を加えないように監視する行為﹂および﹁暴行を言葉で制止する行為﹂が 要求される作為の内容であり︑それらによる暴行の阻止の可能性が肯定され︑さらに︑暴行の実力による阻止も

﹁著しく困難な状況にあったとはいえない﹂とされ︑不作為による傷害致死帯助罪を肯定された︒

被告人の犯罪阻止義務はどこから導かれたのであろうか︒親が自己の子供の生命・身体の安全を確保する

関法

第 五 八 巻 四 号

被告人 X

の実子

A

が被告人の交際相手の男性︵高校生

A)

からの懸行を受けた際︑被告人

X は ︑

A

の 左

' '

 

︵四

六二

(8)

︵論

点︶

阻止できたのに放置した﹂との要件を必要とするものでない︒ 達していたとみるのが相当である︒

︵判

旨︶

B

の親権者として同児を保護ずべき立場にありながら︑自らの意思で同児の生活圏内に

A

存在という危険な因子を持ち込んだものであり︑自らの責めにより同児を危険に陥れた以上︑

A

との関係において はその危険を自らの責任で排除すべき義務をも負担するに至ったと解される︒仮に︑同児に暴行を加えようとする 人物が被告人の意思に基づかずに接近してきたとすれば︑いかに被告人に親として幼児に対する保護義務があると はいえ︑他人の暴行を阻止する行為をすべき義務まで負わせることはで苔ないと考えられようが︑本件の場合︑こ

れとは異なり︑

A

B

を危険にさらす状況を生じさせたのは被告人本人であるから⁝⁝︑社会通念上︑被告人に

A

B

に対する暴行を阻止ずべき義務が課せられていたと解するのが相当である︒

被告人の

A

の暴行を阻止ずべき義務は︑自らが

A

からの暴行を引受け︑

︵ 四

六三

いわば体を張ってでも果たすべき程度に 桐助行為は︑正犯の行為を容易にする行為をすべて包含するものであり︑正犯者の行為を通じて結果に寄与する

ものであれば足りるのであって︑不作為による料助を認める場合にのみ︑所論のように﹁犯罪の実行をほぼ確実に

本判決では︑第一に︑﹁他人の暴行を阻止する義務﹂は︑実子に対する﹁保護義務﹂からのみ根拠づけら れるのではなく︑実子を﹁危険にさらす状況を生じさせた﹂という先行行為に根拠を見出している点︑第二に︑柑助 にあっては︑正犯の行為を容易にする行為があればよいという原則は︑不作為による財助にも妥当し︑﹁犯罪の実行 をほぼ確実に阻止できた﹂という正犯に要求される程度を必要としないとした点が重要である︒

(9)

︵事

実︶

3

.東京高判平成︳一年判決

論点

(2) 

実︶

第 五 八 巻 四 号 大阪高判平――二•六・―――判タ一

0八五・ニ九二

︵判

旨︶

と父親

B

とが︑同一の居室にいて︑

B

がこれを制止しなかったため︑

近まで持ち上げたまま

B

の様子を伺ったが︑

るのを知って︑賠黙の共謀が成立し︑

A

が子供

X

の顔面を殴打し︑敷布団の上に数回叩

X

をコタツの天板に叩きつけるため

X

を抱きかかえて自分の右肩付

B

が黙ったまま顔を背けたことから︑

B

X

を殺害させようとしてい

A

X

をコタツの天板に思い切り叩きつけ死亡させた︒

被告人である母親に確定的殺意を認め︑父親との暗黙の共謀を認め︑被告人に殺人罪の共同正犯を肯定 この公刊された判決は︑作為によって殺害した月親を被告人とする事案に関するものであり︑ここて重要

な不作為による殺人の共同正犯とされた父親に関する事案についての判決ではない︒

しかし︑この判例で︑作為と不作為の共同正犯が肯定されたことによって︑

いかなる場合に﹁国巾助﹂にとどまるかの区別基準の問題が提起された︒

N

の売上金等の集金人から売上金を強取しようと企て︑同人に暴行を加えて反抗を抑圧し︑約二

0 0

0

万円の

在中するジュラルミンケースを強取し︑傷害を負わせた︒原審は︑

関法

A

らが︑共謀の上︑被告人

X

が店長として務めるゲームセンタ

I

Mを経営する会社の経営するパチンコ

母親

A

いかなる場合に﹁共同正犯﹂が成立し︑

X

が︑同じゲームセンターに務める

Y

︵四

四 六

(10)

不作為犯と作為犯の共犯関係

︵結

論︶

︵四

六五

A

らの強盗の計画を知らされながら︑警察等へ通報しなかった点について︑強盗傷害の不作為による虹巾助犯を認

︵ 判

旨 ︶

﹁正犯者が一定の犯罪を行おうとしているのを知りながら︑それを阻止しなかったという不作為が︑鉗巾 助行為に当たり摺助犯を構成するというためには︑正犯者の犯罪を防止すべき義務が存在することが必要である

⁝⁝︒そしてこうした犯罪を防止すべき義務は︑正犯者の犯罪による被害法益を保護すべき義務︵以下︑﹁保護義 務﹂という︒︶に基づく場合と︑正犯者の犯罪実行行為を直接阻止ずべき義務︵以下︑﹁阻止義務﹂という︒︶に基 づく場合とが考えられるが︑この保護義務ないし阻止義務は︑

行為にその根拠を求めるべきものと考えられるところ︑本件に徴してみると︑被告人

X

が各種遊戯店を経営する株

式会社

M

に雇用された従業員であることから︑その雇用契約に基づく義務として右の保護義務ないし阻止義務があ

2

.職務内容からみて︑﹁被告人

X

に職務上被告人

y

の本件のごとき犯行を阻止すべき義務があったということ

3

.従業員としての地位一般から︑保護義務あるいは阻止義務を認めることはできない︒﹁もしそうした義務か 是認されることがあるとすれば︑犯罪が行われようとしていることが確実で明白な場合に限られる﹂︒

X

るかが検討されるべきである︒﹂

いずれにしても不作為による野巾助犯の成立を認める前提となる犯罪を防止すべき 義務を認めることができないので︑原判決の認定した被告人

Y

らの犯行を阻止しなかった不作為による捐助犯の成

1

.被告人に︑保護義務を認めることはでぎない︒

一般的には法令︑契約あるいは当人のいわゆる先行

(11)

をも否定する︒ 約に基づく義務﹂に求められている︒その際︑①その職務内容から集金された金銭に対して②店長としての地位から﹁管理・監督するような人事管理上の職務﹂られるか︑③従業員としての一般的地位から保護義務及び阻止義務が認められるか︑を検討した後︑

本判決は保護義務と阻止義務に分類し︑それぞれの義務の根拠について問おうとしているが︑この区別は後の考察

の出発点である︒本判決では犯罪実行者との関係における阻止義務は検討されていない︒犯人らと被告人とに作為義

務を発生させるべき関係がないからである︒本件では︑むしろパチンコ店

N

に対する保護義務にもとづく阻止義務の

有無が問われた︒また︑本判決は︑従業員としての地位一般から︑保護義務あるいは阻止義務を認められるかを問い︑

( 1 0 )  

「犯罪が行われようとしていることの確実性•明白性」があった場合にはこれが認められるとしている。

( 9

)

仙台高裁の事案は︑夫A

と同居していた︑一歳三ヶ月の

B

Aが被告人方居宅において︑殺意を

B

Bを頭蓋内損傷又は頚髄損傷により死亡させて殺害した際︑同居

Aの殺害行為の開始を認識していたというものであり︑これに対して︑被告人は︑

Bの親権者として︑上記

殺害行為を直ちに制止すべき義務があり︑かつそれが容易であったのに︑

AB

を殺害するかもしれないことを認識しつつ これを認容して︑あえて傍観放置し︑もって︑

A

の上記殺害行為の実行を容易にしてこれを柑助したものとした︵仙台高判

平一七•九•六LEX¥ 

DB ) 

本判決では︑共同正犯の可能性については言及はない︒しかし︑被告人は︑﹁

Bを保護すべき唯一の立場﹂にあり︑作為

︵論

点︶

第 五 八 巻 四 号

本判決では︑被告人の保護義務ないし阻止義務は︑否定された︒その保護義務ないし阻止義務は﹁雇用契 立を認めることができ﹂ない︒ 関法

の存在が根拠づけられ︑犯罪阻止義務が認め

10

 

いずれの義務

﹁保護義務﹂を負うか︑

六六

(12)

不作為犯と作為犯の共犯関係

不作為による摺助か正犯かについては︑その考え方は︑四つに分類できる︒

第一説︵柑助説︶

うのである︒

︵四

六七

義務を有する︒本件においては︑被告人は︑Aに来るように言われて寝室でAの様子をみており︑目前でBを殴打している

のを制止しなかった︒黙示の共謀が成立したと認定できる場合である︒本判決では意思の連絡について認定がない︒むしろ︑

Aの本件殺害行為を制止してB

を保護すべき作為義務﹂として両義務を認めているにもかかわらず︑﹁意思の連絡﹂をも 明確に認定せず︑附助としているのは︑判例の﹁自己の犯罪﹂﹁他人の犯罪﹂という主観説によるものであろう︒

( 1 0 )

これは︑いわば﹁明白な犯行に至る流れ﹂の促進があった場合に︑故意行為が介入しても︑過失行為者に︑結果を帰属す るというロクシン説を想起させるが︑ここでは︑料助者は故意で行為しているので︑この事例とは構造が異なる︵この概念 については︑山中敬一﹃刑法における客観的帰属の理論﹄(‑九九七年︶四四一頁以下参照︶︒むしろ︑これは︑不作為犯の 成立には﹁具体的危険状態﹂の発生が必要であり︑これがなければ︑不作為犯は成立しないとしているものと解される︒

一般的に︑割助とする見解が唱えられている︒その考え方の背後に は︑次のような考え方があると思われる︒すなわち︑そもそも不作為の存在論的特徴は︑討助的特性をもつのであっ て︑例えば︑幼児を溺れさせた自然的条件が正犯的存在であって︑救助に出ない親の不作為は︑これを支援する捐助 的存在である︒したがって︑作為者が結呆発生に積極的に原因を与えたとき︑不作為者は︑幣助にしかならないとい

しかし︑自然的原因により法益侵害が惹起された場合にも︑不作為者に捐助を認めるならともかく︑自然の経過の 作為者と不作為者の関与する形態においては︑

(1) 

(13)

③第三説︵構成要件による区別説︶

第五八巻四号 アナロギーを用いつつ︑その場合のとは結論を異にするというのは︑論理性のない恣意的な連想にすぎない︒

ある法益侵害において保障人のみが登場する場合と︑作為者と保障人の両者が登場する場合とに分け︑それぞれに より規範命令が発せられる順序が異なるとする︒そのほかに︑保障人の不作為と作為者の作為の価値論的比較衡量に よって主たる役割と従たる役割を区別するというのである︒規範的に︑まず︑作為者に具体的に規範命令が発せられ る︒その作為いかんによって法益が真偽されるかどうかが決定されるので︑規範的にも事実的にも作為者に主たる役 割が与えられるのである︒これに対して︑保障人に対しては︑この規範命令に対する違反を前提として︑第二次的に 法益侵害を防止せよという規範命令が発せられるというのである︒作為者の作為の前後等は︑なんらの役割を果たさ

( 1 2 )  

ず︑つねに不作為による国巾助となる︒

本説も︑なぜ作為者に対して第一次的規範命令が発せられ︑不作為者に対しては︑第二次的にしか発せられないの かにつき全く論証を欠くと批判しうる︒この論証は︑むしろ︑主たる役割を果たすべき者が︑第一次的規範命令の名 宛人︑従たる役割を与えられた者が︑最二次的規範命令の名宛人というように︑論証が逆転していると考える方が︑

むしろ分かりやすいように思われる︒同じく︑法益保護を目的とする規範であれば︑なぜ︑作為者に対する規範が︑

不作為者に対するものより優先するのかは論証されていないのである︒

不作為によって犯しうる構成要件と、不作為によって犯しえない構成要件(自手犯・義務犯•領得犯)

(2) 

関法

︵四

六八

に分け︑前

(14)

この見解は︑機能的二分説を出発点とする限りで︑正当である︒しかし︑法益保護義務違反の場合に︑原則として 正犯になるのではなく︑むしろ︑犯罪阻止義務違反の場合には胴助にとどまるのが原則であり︑法益保護義務の類型 においては︑場合によっては正犯になりうるという方が正確であろう︒

一般的に不作為犯と作為犯の共犯関係において︑結果の発生に対して最終的決定権限をもっているのは︑作為犯で

ある︒もし︑作為犯が作為にでなければ不作為のみでは︑結果が発生しないからである︒その意味で︑この種の事案 る ︒

( 1 4 )  

機能説に従って︑法益保護義務と犯罪阻止義務に分け︑前者では原則として正犯︑後者では虹巾助とする見解であ

(4) 

不作為犯と作為犯の共犯関係

者において︑第三者が結果の発生を防止しない場合には︑正犯であるが︑従犯にくらべて当罰性は重くないので︑従 犯の刑の枠内で処罰される︒後者においては︑不作為による桐助が成立する︒さらに︑犯罪の封巾助行為が行われるの

( 1 3 )  

を防止すぺき者が︑その判助行為を防止しない場合には︑虹巾助であるとする︒

本説は︑不作為犯が成立する場合につき︑結果犯のほかにも︑自手犯︑領得犯︑義務犯︵単純行為犯︶

作為によらなければ実現できず︑または︑不作為者が正犯であると予定されている犯罪などについては︑特別の考慮 が必要なことを明らかにした点で︑注目すべきである︒しかし︑正犯には正犯の刑を科ずべきであって︑本来︑従犯 になるべきだが︑理論的に正犯となるため射助の刑の枠内で処断すべきであるというのは︑依拠する理論が間違って

(15)

第五八巻四号 とができる︒したがって︑原則的には︑保護義務の類型においても︑正犯とはならない︒

のかについては︑事例を類型化してそれぞれにつき考察しなければならない︒

︵ 四

0 )

は︑保護義務の類型にあっても︑不作為者にとっては︑規範的障害のある第三者が介在している事例であるというこ

( 1 1 )

内田文昭﹃刑法l

﹄︵一九九七年︶二九六頁以下︒

( 1 2 )

神山敏雄﹃不作為をめぐる共犯﹄一八二頁以下︒

︵認

︶齋 藤誠 一一 不﹁ 作為 犯と 共犯

La w Sc ho ol

︱四号二九七九年︶ニニ頁︒

( 1 4 )

阿部純ニ・刑法雑誌一七巻三

I I 四号一頁以下︑一八巻一

1 1 二号七一頁以下︑中義勝﹃刑法上の諸問題﹄三三二頁以下︑野

村﹃ 刑法 総論

﹄四 一︱

︱一 頁︑ 山中

﹃刑 法総 論I l

﹄︵一九九九年︶八四八頁以下︵この見解については︑後に訂正した︶︒山中・

前掲齊藤古稀︑山中﹃刑法総論﹄︵第二版・ニ

0

0八年︶九〇七頁以下参照︒

不作為と作為の共犯関係における不作為者の罪責につ含︑正犯なのか︑共同正犯なのか︑それとも料助にとどまる 機能的一︱分説によれば︑不作為犯は︑法益保護義務の類型と危険源管理義務の類型に分類される︒法益保護義務の

類型においても︑結果の発生への因果経過において︑規範的障害となりうる他人が介在する場合には︑原則的には正 犯とはならない︒また︑危険源管理義務の類型においても︑危険源が﹁人の行為﹂である場合には︑監督義務が問題 となるが︑この場合には︑不作為者は正犯ではなく︑捐助である︒先の判例において︑犯罪阻止義務というのは︑危

険源としての人の行為に対する監督義務を意味する︒危険源が物・動物・施設・設備である場合には︑不作為者は正 ー.不作為による関与の諸形態と罪責 関法

︱ 四

(16)

る場合と虹巾助にとどまる場合がありうる︒

い不作為犯と作為犯の共同正犯か紺巾助か

犯でありうる︒以上の基本的観点から次の関与形態について︑不作為犯の形態を考察する︒

作為者と不作為者の関与類型

一 五

作為者と不作為者とが関与して︑結果の発生に至る事例の類型には︑①不作為者と作為者が予め意思の連絡をし ている場合︑②作為者が︑不作為者の知らない間に犯罪行為に着手したが︑不作為者が︑その実行中に︑その現場 に居てそれを片面的に知りつつ放置した場合︑この場合には︑ぃ不作為者が︑作為者の行為に干渉して結果発生を防

止しうる場合と︑国不作為者が︑行為者の行為に働きかけるのではなく︑直接︑結果の発生を防止すぺき場合があり︑

さらに︑③作為者の実行行為が終了した後︑直接︑結果の発生を防止すべき場合がある︒

父親と母親が共謀し︑意思を連絡して︑母親が作為で子供を殺害しようとするのを︑父親が側にいて容易に防止し えたにもかかわらず︑これを止めないという形で子供に対する殺人罪が共同実行された場合には︑共同正犯の成立す 父親との共謀がある場合︑父親は共謀によって︑母親の作為による殺害行為に対しても︵心理的︶因果力を与え︑

犯罪の実行の当初から共同決定しているのみならず︑この犯罪の遂行のための犯罪行為共同体は︑父親の不作為に よって機能的に支えられており︑父親の犯罪の防止行為があれば︑この犯罪行為共同体は崩壊し︑容易に防止可能で ある︒このようにして︑共同正犯の成立に必要な﹁共同行為支配﹂が存在する場合には共同正犯である︒したがって︑

(1) 

︵四

七一

(17)

第 五 八 巻 四 号

作為の実行についての現場での意思の相互連絡が認められる場合であっても︑不作為者に事前の共謀や先行行為がな く︑作為者の作為への決意に対する積極的な因果的影響がない場合には︑共同正犯とはならない︒名古屋高裁の事案

では︑被告人は︑高校生

A

が実子

B

を蹴っている最中に﹁左肘をつかんで止めに入った﹂ことは認められており︑身

体的制止行動はとっていないとされているが︑大阪高裁事案のように︑もともと被告人と夫とで被害者である子供に このように︑不作為による桐助か共同正犯かの区別は︑行為事象と結果発生に対する﹁共同行為支配﹂があるか否

かによって行われるべきである︒その有無は︑作為者の作為の実行に及ぶ因果過程を不作為者も共同支配したかによ る︒大阪高裁の事案では︑母親の作為の実行に対し︑父親もそれに至るまでの因果経過を共に形成しており︑たんに 子供に危険を及ぼす行為に対してそれを阻止する義務があるだけではなく︑子供に対する自らの保護義務に不作為に よって違反しているのである︒この基準は︑正犯か共犯かの区別を判例のいう﹁自己の犯罪﹂として行われたか︑

﹁他人の犯罪﹂として行われたかという主観説とは異なることはいうまでもない︒主観説にあってはあくまで﹁利害 関心﹂ないし﹁利益﹂が区別基準であるが︑本説では︑作為者の実行の以前から︑実行に至るまでの因果経過を経て 結果発生に至るまでの行為事象の客観的な﹁共同支配﹂の有無が基準なのである︒

これに反して︑名古屋高裁の事案のように︑母親が︑以前から高校生

A

と一緒になって

B

に対して暴行を加えてい

たわけではない場合には︑たとえ判例がいうように︑危険源である作為行為者を生活圏内に招き入れたとしても︑そ れだけで後の事象展開を共同支配したわけではない︒母親自身は︑それを止めたいとは思っていたが︑積極的な防止

行為をしていなかったのである︒しかも︑作為者の実行中に﹁蹴り﹂を止めに入っているのである︒危険源である高 対して虐待を繰り返していた事案とは異なる︒ 関法

一 六

(18)

不 作

為 犯

と 作

為 犯

の 共

犯 関

一 七

校生を家庭内に引き入れ︑子供を安全を脅かす原因を作ったのは︑不作為者である母親であるが︑それは︑共同正犯 母親が︑子供を殺害しようとするのに気づいた父親が︑容易に阻止しうるにもかかわらず︑妻は全くそのことを知

らなかったが物陰で妻の行為をながめながら︑その行為を放置した場合には︑父親の不作為は︑正犯ではなく片面的 摺助である︒ここで︑片面的共同正犯は成立しえない理由は︑不作為者は︑通常の作為による片面的共同正犯の場合 のように︑因果的に結果を共同惹起していない点に求められる︒ここでは︑父栽の不作為は︑単独正犯か

︵ 片

面 的

︶ 父親には︑子供の命を助けるという法益保護義務があり︑その義務に反した不作為は︑直接︑正犯を根拠づけ︑し

たがって︑単独正犯が成立するかにも思われる︒しかし︑不作為犯における﹁実行行為﹂とは︑法益保護義務違反と いう不作為に尽きるものかどうかが問題である︒この事例では︑母親が︑正犯として積極的に﹁行為支配﹂を有し︑

犯罪の実行の決意と実行形態とを決定している︒この行為支配に対して不作為者は︑﹁消極的関与﹂という形で関与

( 1 5 )  

し︑積極的に﹁関与する義務と可能性﹂をもっているというにすぎない︒他人が行為支配を有する事象につき︑たん に消極的に他人の行為支配に関与しないで︑成り行ぎに任せている不作為は︑結果に対して行為支配をもつとはいえ ない︒正犯となるに必要な行為支配とは︑規範的障害となる他人の行為を介在させることのない因果経過の支配を意

味する︒作為に出るかでないかの決断が︑他人に委ねられているとき︑その他人は︑結果の実現に対して自然の因果 胴助かである︒

③不作為による片面的柑助

を根拠づける﹁共同実行﹂ではない︒

︵四

七三

(19)

不作為犯における作為義務が尽くされていたならば︑﹁一

0

中八︑九﹂︵八

0%i

0

%

︶助かっていたであろうと

( 1 6 )  

き︑不作為の正犯が肯定されるというのが︑判例である︒しかし︑射助の因果関係については︑正犯結果の発生を

( 1 7 )  

﹁容易にするという因果関係﹂があれば足りるというのが︑判例である︒そうだとすると︑不作為による帯助につい

0

の救助の蓋然性ではなく︑作為に出ていれば︑助かる可能性が増大していたという程度でよ

( 1 8 )  

いのであろうか︒先の判例は︑﹁正犯者の行為を通じて結果に寄与するものであれば足りる﹂というのであるが︑そ

(1) 

2.作為義務の内容と不作為による料助の因果関係 の成立はないというべきである︒ て︑その背後者たる不作為者は︑正犯ではなく︑声巾助であるにすぎない︒

一般的に言って財助

︵四

七四

の流れのように進行せず︑規範的に行為に出るか出ないかの判断をなしうるものであり︑行為支配をもつ︒したがっ このような作為者の実行行為に関与する可能性がない場合︑あるいは︑実行行為が終了し︑関与の可能性がなく

なった場合には︑その不作為は︑正犯となる︒したがって︑例えば︑遠距離から赤外線銃でねらわれている部屋の中 のわが子を︑行為者の行為に関与することはできないが︑

しないで︑わか子を殺害させた父親は︑不作為の殺人罪の正犯である︒実行行為の終了後には︑

問題の所在

第 五 八 巻 四 号

ブラインドを降ろすことによって救える場合には︑それを

一 八

(20)

不作為犯と作為犯の共犯関係

一 九

れは︑﹁犯罪の実行をほぼ確実に阻止できた﹂ことを要しないという文脈で用いられているので︑作為に出ていれば︑

何らかの形で結果の発生に変化が生じていたであろう程度でもよいと解することもできる︒

桐助においては︑料助の因果関係の有無は︑正犯の実行行為に働きかけて正犯結果を惹起したかどうかが判断され るのであるが︑そうであるため︑因果関係の有無は︑詞巾助がなかったときの因果経過と比較して︑具体的な結果の発 生の態様や時期にどの程度の変化をもたらしたかによって判断せざるをえない︒このことは︑不作為による料助でも 同じである︒作為義務が果たされていたなら︑どの程度︑結果の発生が阻止できていたか︑

は小さくて済んだのか︑時期は遅れたのかが判断されなければならない︒不作為正犯の場合には︑直接の自然的因果 関係を介在させるので︑病院に運び込んでおれば︑どの程度の確率で死亡は防げたかというある意味で一義的な判断 が要求される︒これに対して︑不作為による虹巾助の場合︑正犯の作為に働きかけるので︑不作為者の阻止行動があっ たと仮定したなら︑どの程度︑完全な結果発生の阻止が可能であったかというだけではなく︑具体的結果の態様がど のように修正され︑発生時期がどの程度遅れされていたかも判断されなければならない︒

つまり︑その発生の規模 しかし︑このことは︑不作為による鉗巾助の場合︑﹁確実に﹂ないし﹁一

0

中八︑九﹂結果を回避しえたことを要せ ず︑結果発生を﹁困難にした可能性﹂があればよいというわけではない︒不作為正犯においては︑﹁一

0

の確率が必要であるが︑不作為による財助の場合には︑困難にした可能性の程度で足りるとして︑結果発生防止の確 率の高低によって正犯と共犯を分けるのは不合理である︒作為に出ていれば一

0

0

パーセント救助されたという場合

②不作為による捐助の因果関係の意義

(21)

り︑作為による捐助の場合と異なることはない︒

したがって︑傷害罪については傷の程度や発生時期も考慮に入れて︑その具体的な傷害との因果関係の有無が問わ れるぺきであり︑﹁死亡﹂結果についても︑また︑その発生時期をどの程度修正したのかが考慮されなければならな

( 2 0 )

い︒作為義務を果たしておれば︑ほぼ確実に  

( 1

中八︑九︶救助されていたであろうという確率は︑正犯の場合と

0

異なることはないというべきであるが︑ここで﹁救助﹂とは︑﹁傷害﹂ないし﹁死﹂

ただろうということを意味するのではなく︑その具体的な﹁傷害﹂ないし﹁死﹂

不作為による翡助の因果関係の有無の判断は︑ここでも﹁法的に重要な結果の変更﹂があったかどうかによるのであ

( 1 5 )

池で溺れかけているわが子を容易に救助しうるにもかかわらず︑救助しなかった父親は︑不作為の殺人罪の単独正犯であ る︒それは︑この子供の生命については︑積極的行為支配を有する者がいないという点で︑先の事例とは構造が異なるから である︒この場合には︑自然事象による因果の流れに委ねられている子供の命を助けないという事例と同じく︑たとえ当初

第 五 八 巻 四 号 でも︑規範的障害となりうる他人を介在させている場合には︑正犯とはならないからである︒正犯と桐助の相違は︑

救助の確率の高低にあるのではなく︑射助においては︑具体的な正犯結果の修正の程度が問われるがゆえに︑因果関 係の有無の判断が実際上困難であるというにすぎない︒その結果の具体的修正が︑結果の﹁惹起﹂と判断できるなら︑

完全な因果関係があるのであって︑因果共犯論に立つ限り︑正犯の因果関係と財助の因果関係に程度の差があるわけ

の結果の発生がまったくなかっ

の危険は︑作為があれば減少してい

つまり︑発生の程度が緩和され︑発生時期が遅れさせられていたであろうということで十分なのである︒

O

(22)

* 

不作為犯と作為犯の共犯関係

不作為による消極的関与が︑正犯となるか共犯︵野巾助︶

作為義務が︑第一次的に法益保護に向けられるか︑犯罪行為阻止に向けられるかによって︑前者の場合︑不作為者に 正犯の成立の可能性があり︑後者の場合︑原則として捐助が成立するという原則によって分類される︒第二に︑前者 の場合については︑なお︑不作為者の関与の形態によって︑不作為犯と作為犯との共同正犯の成立する場合︑

的︶鉗巾助が成立する場合︑不作為の正犯が成立する場合がある︒第三に︑共同正犯と料助の区別基準は︑共同行為支 配の有無である︒また︑正犯の実行行為の終了の後は︑単独正犯が成立する︒

本稿は︑二

0

0八年六月六日に台中の東海大学法律系︵法学部︶で行った学生対象の講演の原稿に若干の加筆訂正を加えた

五.ま

何者かが子供を池に投げ入れたとしても︑他人が支配する行為事象はすでに現在しないのである︒

(16)

最決平元・―ニ・一五刑集四三•一三•八七九°

( 1 7 )

強盗殺人罪の捐助が認められるかどうかにつき︑この問題を論じた判例において︑犯罪の意図を﹁維持ないし強化する﹂

ことに役立てば桐助の因呆関係は肯定されるとする(東京高判平ニ・ニ・ニ―東高刑時報四一

•-11

四•七)。原審は、「被 害者等の生命の侵害を現実化する危険性を高めたもの﹂であることを要するとした︵東京地判平元・三・ニ七判夕七

0八 ・

0 )

( 1 8 )

前掲名古屋高判平成一七年︱一月七日︒

( 1 9 )

西

(

10

六年︶三四00

( 2 0 )

桐助の因呆関係の問題については︑山中﹃刑法総論﹄

九 ︱

1 0

︵ 片

になるかは︑他人の作為が関与する事案につき︑第一に︑

(23)

関法

第 五 八 巻 四 号

︵四

七八

︶ ものである︒内容的には︑拙稿﹁不作為による捐助﹂前掲齊藤古稀所収に負うところが大であり︑それに若干の判例と考察を 加えたものにすぎない︒

参照

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