「長期調査」に関する若干の問題
著者 石川 淳志
出版者 法政大学社会学部学会
雑誌名 社会労働研究
巻 16
号 2
ページ 67‑83
発行年 1970‑01‑15
URL http://doi.org/10.15002/00006295
いま私の手許には大へん興味深い論文四滴がある。いずれも、促期側にわたってある特定の地域社会を調査する過
殿でえられた体験・感想などを識き綴った論文である。だが、あるいは論文などというと当の執舗者たちから逆に文
句をいわれるかもしれない。なぜならそれらは、みな右斐川発行のPR誌「諜斉の窓」に述救されたもので、科披山1-i
な調査報雌、ではなく、また自己の調査の体験的一般化を意図した洲森方法論でもなく、時には一部にそうした内容と
スタイルも含みながら、全体としては調査中に経験した出来事や、調在背自身の気持などを随筆風に書き綴った、いわゆる「調査にまつわる話し」であるからである。おそらくこれらの「話し」は、最終的にまとめられる調査報告書には採録されない調査の副産物であろう。またこうした調査者の喜びと悲しみといった類の話しは、単なる研究者の自己満足を示すだけのものであり、本来報告書にはもちろん、とくに他人に面白おかしぐ語る筋合いのものではない
かもしれない。 《研究ノート》
しかし私は、これらの「話し」をたとえ自己の内部だけであろうと、少しずつ集積していくその過程自体に尽きな
「長期調査」に関する若干の問題六七
「長期調査」に関する若干の問題
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「災期調査」に関する若干の問題六八
い興味と共感を覚える。そして本来社会科学の「手段」であるべき社会調査が、あたかもそれ自体一個の特殊科学として自己、的的に対象化しうるような気持にさえ時には陥入るのである。だがこんな私の気持はともかくとして、こ
れら長期調査の過秘でえられた調査報告懇には書かないはずの調査の話し、些細な調査中の川来事、あるいは調査Ⅱ的とは直接一関係のない調査中のエピソードなどがなぜ面白いのかを、「長期調査」という調査力法の問題と関連させて
考えてみることは必要であろう。もちろん研究過程自体において研究者を魅了するいわゆる研究の醍醐味などをいま
さら説くつもりはないし、またその資絡さえ私にはない。だがこのことによって逆に、形式的粘絨化の途を進んで内
海的に空洞化しつつある昨今の社会調査そのものを、力法的にとらえ戒ず緒が兇川されるかもしれないと思うからで
ある。その意味でこのノートは、通術の調査報告書においては行間に瀞んで直接表面には現われない調査者の貌をはからずも顕現してくれた資料をもとに、調査自体ないし調査方法を裏側からもう一度兄血そうと意図するものである。なおここで扱う論文四篇は、中野卓「長期調査」(A)、柿崎京一「参与的観察調森」(B)、米地災「長期綜合洲衡」
11 野
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まずわれわれは、行論の順序として「艮期調在」の意味について衿えることからはじめよう。小野は、このシリー
ズの冒頭で「長期調査」の定義をつぎのように述べている。
長期調査とは現地調査継続期間の長期にわたるものを指すのであるが、長期といっても全調査期間中ずっと現地に滞在し続けて調査を継続することはまれで、「普通はむしろその期間内で般少限前後一一回、たいていは数回、またそれ以上の時点(あるい
も、口▽、、、、、は小期間)に、時Ⅱを、または年几を隔てて、それぞれの現在時点におけるM一綱従対象(地域社会でも階瞬構造でも、人々の意識や行動の仕力等々何にもせよ、それ)が、いかなる推移を示すか、その座化なり持続なりにおける識婆川、諾条件の規則的な連関を明らかにするため、計両的に反復される一迦の塊地調査を長期調査と呼ぶのである」(A1)。ここで長期調査の「長期」とは現地調査継続期間の長さを意味するとされているが、しかしその基準は不明確であ
「長期調査」に関する蒋干の問題六九 (C)、黒崎八州次艮「僻地長期調森」(D)である。掲栽誌の発行年月と引川の際の略記勝をはじめに表示しておく。
米 地
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「長期調査」に関する若干の問題七○
るし、さらにもっと雑本的な問題として、単なる調査期間の長短は調査の本質的机遮をあらわすものではないことと
考えるならば、むしろこの定義で示される「長期調査」の特徴は、岐少一眼二Ⅱ以上数回にわたって同一対象に対して
計画的に反復される一連の現地調査、というところにあると思われる。事実中野によれば、二回以上数回にわたり、
大なり小なりの間隔をおいて調査を実施するということは、巾に時間や澱川などの点からの制約によるものではなく、
つぎのような理由からむしろ積極的な意味で採用されるべき調査手続きであるという。すなわち第一に、時をおいて
あらためて調査をおこなう方が、そのたびに新鮮な眼で対象の変化(あるいは不変化)に驚くことができ、そのため一燭脱ぐ事態の推移とその意味を見てとることができるからであり、また第二に、現地を離れ、錐収してきた盗料の整理・分析をおこないながら考えを練り、その回の現地調査にそれなりのまとめをつけてみると、多少とも当初と比べて理論的な発展もえられ、ただ調査洩れの発見という以上に、それにもとづき補足調査を要する点、将来に予測さ
れる変化を次回に追跡すべき点、また過去へ向っても文献や聡取りにより測及を要する点などがはっきりとし、これによって当初からの長期調査計画を修正したり、次回の調査計画を一層整備し具体化することができるからである、
と(A1)。
しかしこの点に関しては、後にCを執兼した米地のつぎのような批判的兄解がある。
「調識期剛は長短いずれであれ、当初立案した計両遡りに絲染11当初の仮説を背雄するか否雄するかではなくlが川る迄調査は継続すべきであることは勿論であり、当初計画を達成することが閲査にとっては最も必要である〃長期調査”は当初の計画において決定することであり、途中、新たな問題の発兇腱附による刈恋の災川化は結果として災期調術に砿化したものであり、当初”長期調査”として計両したものとはおのずから意味が異なる」(Cl)。だがリンドの「ミドルタウン」なども典型的な長期調査であると考えられるが、前後二回の調査においてはそれぞ
れ現地居住による連続的長期洲査がおこなわれながら、しかも両打を併せたミドルタワン研究全体もまた、十年の間
隔をへだてた「長期調査」の結果もたらされたすぐれに成采であることを思えば、新たな問題の発見展開による「結
果としての長期化調査」も、ここでいう長期調査のなかに当然包含されてよいであろう。そしてさらに中野I指摘す
るごとく、長期調査における「間隔」の積極的意義も、その意味であらためて首肯することができよう。
なお中野は、結果として長期化された「やむをえない長期調査」の具体例として、自分の「商家同族団の研究」を
あげている。
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なおこのようにやむをえず中断したにもかかわらず、その中断期間中に生じた大きな歴史的変化によって、はから
ずも比較対照する時点を内部に包含するにいたった長期調査の例はかなり特殊であろうが、その他にも、あらかじめ
先に机対的な完納性をもつ訓在がおこなわれていて、後にそれを追跡しようとして新たに研究が企てられるぱあい、
先行調査自体を第一段階としてあらためて長期調査のなかに包摂するケースも、先の米地のような批判はあるが、や
はり「長期調査」としてよいであろう。たとえばリンドのミドルタウンがそれであるし、わが国では有賀喜左衛門が戦前の布神村調査(「南部二戸郡石神村における大家族制度と小作制度」昭和十川および「n本家族制度と小作制度」昭和十八年)以後十数年を経た農地改革後、Wび同村を洲在してその変化を追求した例「大家族制崩壊以後」昭和三十三)もある(A6)。中野はさらに、異なった研究者による問題追求をも継続性という視点から長期調査の中に加え、その例としてギャルピンからコルブに受け継がれたワルワース郡のルーラル,コミュニティ研究や、あるいは戦前における戸川貞三の家族研究を継承して戦後さらに家族構成の変化を跡づけた小川隆などをあげている(A6)。
しかしここでは一応、同一研究満による同一対象の反復的洲在だけを災期洲益として考えることにする。その意味で
は、「長期調査は研究者の研究主題が変らない限り、研究者自身の研究史そのものである」(C1)といういい方もまた可能であろう。だがいずれにしても、長期調査はいうまでもなく調査一般に対しても、「調査が一応完結したあとでも、また、ときをおいて再調査したくなるような調査を、いつでもどこでもやっておきたいものである」(A6) 「長期調査」に関する若干の問題七一一
にした四つの主要な時期は、私の暖簾内と商人社会の研究にとって前の二つの時期には実地に立会うことができなかったにせよ、あとの二つの時点はそれを調査時点として雌史の大きな巡行のなかで机逃した微条件のもとに、暖旅内の変貌と崩壊を兄とどけさせてくれたのである。」(A2)
なお先の中野の瞳期調査の定義からすれば、統計的方法によるパネル調森なども当然長期調査の範囲に含まれるこ
とになる。その点については中野もとくに触れてはおらず、単に「めまぐるしく何でも動くこの現代日本であるだけ
に、この長期調査法は一隅有益であるように思われてならない。なにも全てについて長期調在法でなくてはならない
などと言うつもりはないが、横断的調査法の鵬んなわりに縦断的調査法の少ないのは片手落ちという以上に、物の処方を広めるに偏して深めるのに欠けはしまいかと心にかかる」(A1)として、横断的方法に対する縦断的方法の有効
性から、そのなかの健期訓奔の必要性について説いているだけである。しかしAをはじめB・C.Dの各論欄とも、
いずれも具体的な調査例としてあげている長期調査の手続きは「事例的方法」によるものである。長期調査は先の定
義からしても必ずしも珈例的方法によるものだけとはかぎらないが、小例的力法は災期訓在によってこそ真にその効
果をあげうることもまた事実である。このノートで以上「長期調査」というばあいには、一応事例的方法にる長期調
査を意味することに限定しておこう。
ところで、「間隔」をむしろ獄極的な必要条件とした災期調査にとっては、「時をおいて改めて調査を行なう力が、
そのたびに新鮮な眼でその変化(或は不変化)に驚くことができ、そのため一層鋭く事態の推移とその意味を見てと
「災期調査」に関する耕干の問題七三 れぱならないであろう。 という感想には私自身大いに反省させられるところがあり、またその意味で、現地に.週間乃至十日間滞在し、それで調査地を二度とおとずれることがない調査法に対して」の「腿期調在」(C1)の意義もあらためて認識されなけ
二
「長期調査」に関する若干の問題七四
ることがⅢ来る」(A1)という指摘をまつまでもなく、洲査対象の「変化」を追求するところにこそ真而川があらわ
れるのは当然である。この点に関連して中野はさらに、「変化」を追求する長期調査が、その過程で三つの方向に拡
大する要求をもつにいたることを述ぺてつぎのようにいう。
①拠地調森の行なわれる一一時点、あるいは数凹、数十Mに及ぶ各時点の川に兄川される変化が、「尖験室」のなかではなく、「現地」で見川されるものである限り、その地域社会なり、その特定棚題なりの示す変化は、大なり小なり歴史的な変化のなかに位置づけられる性質の変化であるから、研究者としては、しぜん、それぞれの調査時「現在」における「現地」の状況をとらえるだけではなく、たいていは、その「現地」の、より古い過去へも洲及して、過去を足場に現在が生れ川るそのなりたちによって呪在のしくみを一胴深くつかみたいという気になる。②その調査時塊在から見て、将来へ向っても、テーマとしている問題点の解川に必要なかぎりは、調査計画を延長してでもそれをとらえなければならなくなりうる。当初の計画から充分それを見込んで立てられなければならないことは言うまでもないが、当初予測しえなかったⅢ題点の発几、それ以上に、発生が、当初よりのテーマの鱒を川十ためにも、さらに追求調査の反復実施
すでに「孤立した小地域社会」というものを、方法的にでも予定して研究にかかるというようなことはむつかしくなってきた今では、「現地」の範囲自体はそれ自体すでにあらかじめ拡大していお。それを過去へ洲及的に立入ってゆくと次第に、それぞれの小地域社会の孤立性は強くなる。たしかに、拡大し外へ大きく附かれている現代の「現地」社会にしても、なかば開かれたものとなりつつなお併立した小地域社会の数多くを、災はその巾に内包しつづけている。「現地」の社会は長期11それこそ調査開始をはるかに洲為優期にわたって拡大しつつ、時にはその各時期に、地点から他地点へ、一つの問題点から他の問題点へ、焦点となる問題の所在を移して来ている。もしこれらの推移についての問題をとこうとする場合には、「長期調査」は、それが対象とする期間の各時点に関して、対象における焦点、対象地における中心地点を移す必要に迫られよう。これらすべての理由 ③それは計両の時間的延優だけでなく、社会の拡大という一般的な変化の傾向のために、地域社会の調査では「現地」のもつ空間的なひろがりに従って比職的に言えば同心円的に調汽対象地を拡大し、或は重点をおく調査地点を川辺へ移動する要求とも
hなりうる’ をしばしば要求する。
たしかに社会学が脈史学とは異なる一特殊科学であるかぎり、過去の時点へ洲(て対象の解川をおこなうぱあいに
も、現在時点の訓森研究とは側述のない、それ、体光結したものとして扱われおことはない。ただ対象が、特定の歴
史的過程を経た結果として現在時点における構造・機能を示すにいたったがゆえに、過去への測及をおこない、その
理解を深めるのである。リンドがミドルタウン訓査において一八九○年という対比年次を設定したのも、一九二五年
現在の行動・思考様式を理解するためであった。中野が能登灘浦調査において飾台網創始の記録を発掘したのも、現
在の地域社会構造とその鍵となる漁業権の構造を解明する目的からであったし(A4)、米地が長野県南真志野区にお
いて氏神信仰の歴史的変遷を辿ったのも、祭礼組織と地域社会の政治・絲済構造の側述を究明し、村落生斫の綜合的
「長期調査」に関する若干の問題七五 皿解できるであろう。
ここで中野は、「渦 は、いよいよ艮期の綱森什川を要諦してくるのである。(Al)引川が若干長くなったが、調査対象の変化を解明するため、調査の範囲を過去へ向って糊及させ、同時に将来においても反復的に追求調査をおこない、さらに調査地点を移動させてより一肘深い究明をおこなうことの必要性はよく せて会分を;こ
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「長期調森」に側する耕干の問題七六
解明を目指しながら日本人の梢神史に側する新しい角度からの盗料を促供しようとしたからであった(Cl)。いま私
はこれらの調査内容やその成果を論評するつもりはないし、また解明すべき問題の選択それ自体があらわしている調
査者の問題意識を云々するつもりもない。ここではただ調査手続きとしての「過去への湖及」が意味するところを理
解し、「人側が歴史的な現実としてしかありえない社会をつくるものであり、そういう社会において社会的人Ⅲとし
てつくられるものでもある」(A7)かぎり、現代の社会を雁史的にとらえようとする一つの力法として長期洲在のも
つ癒雑はきわめて火であろうと考え、また「社会変助を典休的にとらえて歴史の淑味を社会学的に梱むのには蚊も有
効な方法」(A4)という主眼もある腿度理解できるように思う次第なのであ為。
また長期調査における「将来への反復的追求」という問題についても、対象の「変化」を究明しようとするかぎり、
その必要性はいうまでもないところであり、さらに特定の調査が一応の完結をみた後でも、時に応じて対象の変化を
辿ってみることは、研究者として当然もつべき要諦であろう。
この点に側して中野は、対脇漁村調森の話の中で.Ⅲ点における榊造のなかには変化がはらんでいるのが当然で、
変化をはらんでいない現実はないのだから、もしそれを脚己元結的であるかの如くとらえる力法をとる人、そのよう
にとらえるのが構造的な把握なのだと考える人だったとしても、次の時点に現われる”構造”を知りたいと思うのが
あたりまえなのではないか。こうして全てのまともな社会調査は、長期調査になる可能性をもっているのではあるまいか」(A3)と述べ、遠隔地のため漁業改革前後の村落構造を比較してその変化を跡づけることのできなかった対馬訓森のぱあいを、心残りをもってふりかえっている。「全てのまともな社会調査は長期調査になる可能性をも2という際の「まともな」ということがいかなる内存を意味するのかはっきりしないが、しかしここでは「榊造」自体が
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変化をはらむものであること、その意味で変動過程における構造の分析とその把握こそがもっとも取要な課題である
こと、したがって構造を問題にする調査はある意味で長期調査となる必然性をもつものであること、などは認められ
てよいであろう。(ここでも「榊造」の理解の仕力を云々するつもりはない。この点については、とくに村落榊造な
どを念頭においたぱあい、千葉正士「構造の概念と構造論の方法」都立大学「人文学報」第一八号一九五八年が参考
にな為。)
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⑪
「災期訓在」に川する浩干のⅢ題
◆●● 七八
ク集収そのものに多大の影響を与えずにはおかない。|々例をあげるときりがないが、ここで扱った四篇の論文の随所に、そうした其体的事実が興味深いエピソードとともに述べられている。だがいわゆるラポールの形成は、データ
、、の集収に影響を与えるだけなのであろうか。普通の「よそ者」では決して手に入れる一」とのできない鞭尖や資料を集
収したり、あるいは観察を成功させたりするためにだけラポールが必要なのであろうか。もちろんそれも敢要であろ
う。たとえば》仙胴が部落の寄合に川席させてもらい、議事内容の進展につれて席順の変化してゆく状態を克明に観察
し図示した事例などは、興味深い雰囲気拙写とともに、実に見事な長期調査の成果であると思う(B3.4)。また黒
崎が僻地調査にとりかかってから五年日に貴重な資料を見る機会に恵まれ、「宝の山」にやっとたどりついた喜びを
語っているのも奨期調査ならではえられぬ収幽とその感激であろう(D6)。
だが問題は、恥にデータ集収の可否にあるだけではないように思う。この点に関して米地は、「調査では何よりも
具体的な事実の蒐集が必要であるが、具体的事実がそのまま科学的資料となるわけではない。各特殊科学の立場によ
り選択され、鵬肌され、組織されたものが資料となるのである」(C1)と述べ、さらに打倒のつぎのような記述を紹
介している。
「特殊科学の立場に於ては、その立場を無悦して、肢初から総括的、綜合的な立場は在り得ない。これを無視する場合にその研究資料の把搬が緋祷さを失うに至るのである。何となれば研究資料は包拓的なる生活小象の内から逃択され、粧珈され、組織されたものが其の意味の研究資料となるのであるから、資料は単に散漫な生活事象ではない。若しそれが粗雑であるとすれば、それは研究者自身の科学的意図が対象に向かって確実に惨透しないからである。他の言葉を以てすれば、資料は単に客体的な存在ではなく、主体的・客体的であると言い得る。主体と客体との緊密な結合なしに優れた研究は在り得ない。研究満の錆織なる科学打的立場に依り組織ざれ僻る場合に、脈確なる研究資料の蒐災がⅢ来るので、その研究は初めて糀細となり、真に具体的、
「長期調査」に関する若干の問題七九
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「艮期調査」に関する若干の問題
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あると思われる。 「災期調査」に関する特干の附題八一一く、それ脚体が対象理解の深化の過程に位憧づけられ、われわれをして筆者とともにその過程を追体験させるからで
然含まれている。事例的方法による長期調査の狙いは、むしろこの総合的過程たる「上向」を妓初から瞼く意識しな
がら、しかもなお分析的過程たる「下向」の途を摸索するところにあるといえるのではあるまいか。あらかじめ操作
主雑的に対象を識要素に分析しても、鵬菟その「妥当性」を究極的に保証することはできない。とすれば、はじめから対象の全体の構成を意識的に考慮し、それとの関連で、いかなる要素を要素として設定すべきかをむしろ調査過程
で徐々に兄究めながら洲森を進める方法は、その手探りの泥臭ささのために一兄「科学性」において劣るようにみえ
ながら、なお秋極的な対象認搬の一つの方法というべきであろう。(未完)
「腱期調在」に関する若干の問題
八三