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研究ノート>
音楽ライブのリスクマネジメント研究
韓国ポップ・アーティストの事例分析
フランス・ライブ劇場テロ被害補償制度の事例分析
亀 井 克 之 八 木 良 太 大 塚 寛 樹
●アブストラクト
リスク多発の現代においては,リスクマネジメント・危機管理がます ます社会的に要請されるに至っている。これは,1916年に発表されたフ ァヨールの論考から100年を経て,練り上げられてきたリスクマネジメ ントの考え方(フレームワーク)をさまざまな経済主体や事象にあては めて,リスク・コントロールとリスク・ファイナンスを展開することを 意味する。近年,筆者らは日本で急成長している音楽ライブ市場にリス クマネジメントのフレームワークをあてはめて研究を展開している。こ れは,①2020年の東京五輪開催を見据えたイベントのリスクマネジメン トや②さまざまなエンタテインメント・ビジネスのリスクマネジメント を考える上で示唆を与えるものと考える。こうした研究の一環として,
本稿では,まず,既存研究で試みてきたように,リスクマネジメントの フレームワークを音楽ライブ・ビジネスに適用して提示することを試み る。次に事例によって⽛音楽ライブ・ビジネスのリスクマネジメント⽜
を考察する,具体的には,⒜日本の音楽ライブ市場で依然として大きな 存在感を示す韓国ポップ(K-Pop)アーティストの事例分析と⒝2015年 11月13日にフランス・パリの音楽ライブ劇場バタクランで発生した銃の
乱射テロに関連してフランステロ犯罪被害者補償制度の事例分析を行な う。
●キーワード
音楽ライブのリスクマネジメント,韓国ポップ(K-Pop),
フランス・パリ音楽ライブ・テロ
はじめに 研究の背景と目的
リスク多発の現代においては,リスクマネジメントと危機管理の考え方 が益々社会的に要請されている。これは,ファヨールの論考から100周年 を迎え,練り上げられたリスクマネジメントの考え方(フレームワーク)
をさまざまな経済主体や事象にあてはめて,リスク・コントロールとリス ク・ファイナンスを展開することを意味する。
本稿は,近年,筆者らが研究を展開している音楽ライブ・ビジネスのリ スクマネジメントについて,新たな事例をあてはめて分析することを目的 とする。
事例として取り上げるのは第一に日本の音楽ライブ市場でなお大きな存 在感を示す韓国ポップ(K-Pop)アーティストの動向である。第二に2015 年11月13日にフランス・パリの音楽ライブ劇場バタクランで発生した銃の 乱射テロに関連してフランスの犯罪被害補償委員会(civi)と犯罪被害補 償基金(FGTI)によるテロ犯罪被害者補償制度である。
二つの分野の事例を選択した理由を記す。まず,日本の音楽ライブ市場 における韓国アーティストにとっての日韓関係悪化ほど大きなハザード
(リスクに影響を与える事情)は類例がない。一方,2015年11月13日に発 生したフランス・パリの音楽ライブ劇場・バタクランで発生した銃の乱射 テロは音楽ライブ史上最悪の事故事例である。
本稿は,日本で急成長している音楽ライブ市場のリスクマネジメントの 分析を通して,①2020年の東京五輪開催を見据えたイベントのリスクマネ
ジメントや②エンタテインメント・ビジネスのリスクマネジメントに示唆 を与えるものと考える。
⚑.リスクマネジメントのフレームワークで捉えた音楽ライブ・ビ ジネス
⑴ リスクマネジメントのフレームワーク
ちょうど100年前の1916年にフランスのアンリ・ファヨールが⽝産業な らびに一般の管理⽞(Administration Générale et Industrielle)を発表した。
ファヨールは企業経営における管理の重要性に注目した。彼が示した管理 過程(マネジメントサイクル)論は,現代における PDCA サイクルの起 源である。一方,ファヨールは企業の⚖職能の一つとして,生産,営業,
財務,会計,管理と並んで⽛保全的職能⽜(fonction de sécurité)を提示 した。ファヨールは保全的職能を⽛人と資産の保護⽜とした。これが経営 理論におけるリスクマネジメントの起源である。以来,リスクマネジメン トは,1920年代ドイツにおけるリジコポリティク(危険政策),1930年代 以降にアメリカで保険管理型リスクマネジメントとして確立された。1960 年代より米国で本格的に保険とリスクマネジメントの書籍が刊行され,や がて1970年代に日本にリスクマネジメントの理論と実務が導入された。
ファヨールの研究から100年を経て,リスクマネジメントは,2009年に ISO が発表したリスクマネジメントの国際規格 ISO 31000と,2004年にア メリカの COSO が発表した ERM(Enterprise Risk Management)の⚒つ の代表的なフレームワークに結実されるに至った。
こうして以下に示すようなリスクマネジメントのフレームワークが確立 されたと言える。
① リスクの要素(ハザード⇒リスク⇒ペリル⇒ロス)
② 純粋リスク(事故・災害)と投機的リスク(ビジネス・リスク)
③ リスクマネジメント・プロセス(リスクの特定⇒リスクの分析・評 価⇒リスク対応)
④ リスク対応の⚒本柱:リスク・コントロールとリスク・ファイナン ス
⑤ リスク対応の⚔手段:回避,軽減,移転・共有,受容
⑥ ハード・コントロール(物理的対策)とソフト・コントロール(教 育・訓練・コミュニケーション)
⑦ 見えざる資産(ブランド・評判)のリスクマネジメント
⑵ リスクの要素
保険管理や安全管理を中心とする伝統的リスクマネジメント論では,リ スクは⽛事故発生の可能性⽜と理解することができる。これは①~⑥の概 念を包含する。①ハザード(hazard):事故発生に影響を及ぼす環境・事 情・状況,②エクスポージャー(exposure):リスクに晒される人・物,
③リスク(risk):事故発生の可能性,④ペリル(peril):事故,⑤クライシ ス(危機):事故の可能性の接近・事故の結果の持続,⑥ロス(loss):損失。
④の⽛ペリル(peril):事故⽜について,⽛イベント(event):事象⽜という 用語と代替可能である。
ハザードという用語は,安全に関わる規格 ISO/IEC Guide 51:1999な どに見るように,⽛危害の潜在的な源(発生源や性質)⽜という意味合いで 用いられることが一般化している。本稿では,ハザードを⽛事故発生に影 響を及ぼす環境・事情・状況⽜とする1)。
純粋リスク(事故・災害)をめぐる要素は図表⚑のようになる。
1) リスクやハザードという用語は分野によって異なるニュアンスで用いられ る場合があるので,本稿では前者を⽛事故発生の可能性⽜とし,後者をそれ に影響を及ぼす⽛環境・事情・状況⽜とする。
【図表⚑】 リスクの環境的源泉とリスクの諸要素
(出所)Young and Tippens, Managing Business Risk, 2001,p. 79(ヤングとティ ピンズ⽝MBA のリスクマネジメント⽞宮川・高橋・坂本訳,2002年,
p. 62)に基づいて作成。
⑶ 純粋リスクと投機的リスク
伝統的なリスクマネジメント理論では,純粋リスク(pure risk)と投機的 リスク(speculative risk)による二分法が最も基本的な分類となってきた。
リスクマネジメント用語の国際規格 ISO/IEC Guide 73:2002(TR Q 0008:2003)は,⽛リスク⽜を⽛事象の発生確率と事象の結果の組合せ⽜と 定義した。これに関連して同規格は⽛結果⽜を⽛事象から生じること⽜と 定義した。一方,安全に関する国際規格 ISO/IEC Guide 51:1999による
⽛リスク⽜の定義は,⽛危害の発生確率及びその危害の重大さの組合せ⽜で あった。2009年に発表された ISO 31000:2009と ISO 73:2009では,⽛目的 に対する不確かさの影響⽜と定義された2)。
こうした変化は,事故・災害など,マイナスの結果のみを生じる純粋リ 2) JIS Q 31000:2010⽝リスクマネジメント 原則及び指針⽞日本規格協会,
2010年,p. 4.
スクのみではなく,ビジネス展開や経営戦略上の意思決定に伴ってリスク を負担した結果,プラスの側面につながるような場合の投機的リスク(ビ ジネス・リスク)をも対象とする ERM のような現代のリスクマネジメン トに対応している。それはリスク最適化(ロスの最小化とチャンスの最大 化)の概念を示す定義である。
⑷ リスクマネジメントのプロセス
リスクマネジメントのプロセスは,⽛リスクの特定⽜⇒⽛リスクの分 析・評価⽜⇒⽛リスク対応⽜という形にまとめられる。
伝統的な理論的枠組みとしては,アメリカのウィリアムズとハインズが,
⽛リスクマネジメントの意思決定の⚔つのステップ⽜(Four steps in risk management decision making)として,①リスクの認識(risk recognition)⽜,
②リスクの測定(risk measurement),③リスク制御のための適切なツー ルの選択(selection of the proper tools for handling the risks),④ツールに 関する意思決定に基づく実行 (implementation of the decisions made about the tools)を提示した。
ISO 31000は,⽛リスクマネジメントのプロセス⽜について,①⽛組織の 状況の確定⽜②⽛リスクアセスメント⽜③⽛リスク対応⽜としてい る。さらに,プロセスの各段階に⒜⽛コミュニケーションと協議⽜と⒝
⽛モニタリングとレビュー⽜が関連するという形を提示している。
⑸ リスク対応
リスク対応はリスク・コントロールとリスク・ファイナンスの⚒本柱と,
回避,除去・軽減,転嫁・移転・共有,受容の⚔手段とにまとめられる。
(図表⚒参照)リスクマネジメントを展開する組織は,リスクを⽛発見⽜
し(リスクの特定),リスクについて⽛想定⽜し(リスクの分析・評価),
最後にリスク処理手段の選択と組み合わせについて⽛決断⽜(リスク対応)
するのが通常である3)。
【図表⚒】 リスク・コントロールとリスク・ファイナンス リスク・コントロール
(事故の防止,物理的な災害対策) リスク・ファイナンス
(保険の活用,資金準備)
回避(避ける)
除去
軽減(減らす)
リスクを伴う行動の中 止
リスクの防止(予防・
軽減),リスクの分散・
結合
転嫁
移転(他に移す) 共有(分担する) 保有
受容(受け入れる)
保険・共済・基金の利 用,代替的リスク移転
リスク負担,自家保険,
キャプティブ
⚒.音楽ライブ・ビジネスへのリスクマネジメントのフレームワー クの適用
⑴ 日本の音楽市場の動向 CD 販売の低下とライブ市場の成長
日本の音楽市場では,1998年に音楽ソフト(CD 等の販売)の売上が 6,075億円となり史上最高額を記録した。同年におけるライブ公演数は 9,500本,入場者数は1,430万人,年間売上額が710億円であり,音楽ソフ ト販売の10分の⚑規模であった。10年後の2008年には音楽ソフトの売上げ が3,618億円にまで低下し,2014年には1990年以降過去最低の2,542億円と なった。これと反比例するかのように,音楽ライブ市場は急成長を遂げ,
2014年のライブ公演数は27,581本,入場者数4,261万人,年間売上額2,749 億円となった。日本における音楽ソフトと音楽ライブの市場規模は既に逆 転しており,音楽ビジネスの中心は音楽ライブ・ビジネスに移行しつつあ る。
3) 日本リスクマネジメント学会編⽝リスクマネジメント事典⽞日本リスクマ ネジメント学会,1988年;羽原敬二⽛リスクマネジメントシステムの概念と 構築⽜羽原敬二・亀井克之⽝日本的リスクマネジメント理論の現代的意義 亀井利明最終講演の記録 ⽞第⚓部(日本的リスクマネジメント理論の概 要),第⚕章,関西大学出版部,2016年,pp. 99-139
これは,iTunes による楽曲のダウンロードや YouTube など動画配信サ イトでの視聴の増加や i-Pod やスマートフォンなど携帯端末の普及など,
音楽を取り巻く技術的な環境変化によるものである。インターネットを通 じて手軽に楽曲が入手でき,ライブ映像に触れることができる時代になっ たからこそ,臨場感のある生のライブで音楽パフォーマンスを体験したい,
会場での一体感を味わいたいという需要が増えたことも要因となっている。
⑵ 音楽ライブ・ビジネスにおけるリスク
日本において市場規模が急拡大している音楽ライブ・ビジネスにおける 純粋リスクと投機的リスクは図表⚓のようにまとめられる。
【図表⚓】 音楽ライブ・ビジネスにおける純粋リスクと投機的リスク 純粋リスク(事故・災害)
Loss Only Risk 投機的リスク(ビジネス・リスク) Loss or Gain Risk
① 悪天候や自然災害による興業の中 止・中断による損失の可能性
② 出演アーティストおよびスタッフの 怪我・急病による損失の可能性
③ 観客の怪我・急病による損失の可能
④ 楽器・機材,会場の設備・備品のト性 ラブル(破損・紛失等)による損失 の可能性
⑤ ①~④による債権回収不能,利益喪 失,損害賠償責任・補償責任,費用 負担の可能性
① アーティストの選定に関わる不確実性
② 会場の選定に関わる不確実性
③ 日程の選定に関わる不確実性
④ チケットの価格設定に関わる不確実性
⑤ マーケティングに関わる不確実性
⑥ セットリスト(演奏曲目)の選定に関 わる不確実性
⑦ ①~⑥の選択が失敗に終わり売り上げ が想定を下回ることによる債権回収不 能,利益喪失,損害賠償責任・補償責 任,費用負担の可能性
⑶ 音楽ライブ・ビジネスにおけるリスク・トリートメント
リスクマネジメントのフレームワークにおけるリスク・トリートメント
(リスク対応)の考え方に基づいて,音楽ライブ・ビジネスが選択しうる リスク対応手段を図表⚔に表示する。
【図表⚔】 音楽ライブ・ビジネスにおけるリスク・トリートメント
⚒本柱
リスク・コントロール(事故の防止,物理的な災害対策)
① 火災や地震など一般的な事故・災害対策の適用
② 出演アーティストやスタッフの健康管理
③ 入退場時の来場者の整列,警備セキュリティの強化,ライブ会場における危 険行為禁止の徹底,違反行為による怪我等に責任を負わないという責任範囲 の明確化,急病者への対応準備
④ 楽器・器具の点検,取り扱い説明・配慮・注意 リスク・ファイナンス(保険の活用,資金準備)
① イベント保険(興業中止保険)
② イベント保険(賠償責任保険)=施設所有管理者賠償責任保険
③ イベント保険(動産保険)
④ イベント保険(傷害保険)
⑤ 一般社団法人コンサートプロモート協会による保険
⚔手段
回避(避ける)
① 不企画・不開催・中止の決断 除去・軽減(減らす)
② 一般的な事故・災害対策の適用 出演アーティストやスタッフの健康管理 入退場時の整列促進
警備セキュリティ強化 会場での危険行為禁止の徹底 転嫁・移転(他に移す)・共有
③ 保険加入(リスクの転嫁・移転)
アーティスト所属事務所と出演契約を交わし責任範囲の明確化(アーティス ト側へのリスクの移転,あるいはリスクの共有)
パートナーシップ協定(企業間でのリスクの共有)
保有(受け入れる)
④ 企画・開催・結構の決断
保険契約における免責事項(保険金を支払わない場合)を意識すること
(出所)亀井克之⽛音楽ライブ・エンタテインメント・ビジネスにおけるリス ク・トリートメント⽜⽝現代リスクマネジメントの基礎理論と事例⽞法 律文化社,2014年,コラム⚗,p. 64)
⑷ 音楽ライブのリスク・ファイナンス
音楽ライブのリスク・ファイナンスの中核を成す保険について,日本の 商品からその概略を示す。
【図表⚕】 音楽ライブ・ビジネスの保険
① 興行中止保険(費用・利益保険における⽛興行中止保険特約条項⽜):
興行が偶発的な事由により中止・延期されたことによる影響(費用負担・収 益喪失)について補償
② 賠償責任保険(施設所有管理者賠償責任保険):
施設の欠陥や管理不備,または利用に伴う業務遂行による被保険者の損害賠 償リスク(観客の人身・物損事故による賠償金の支払いや費用の負担の賠償責 任)を補償
③ 動産保険:
出演者やスタッフが使用する楽器や機材,衣装,制作道具,舞台装置(音響,
照明,美術品等)の故障や破損を補償
④ 傷害保険:
出演者やスタッフ,観客の公演期間中の偶発的事故による怪我やそれに起因 する死亡あるいは後遺症を補償
(出所)東京海上日動火災 イベント保険 商品パンフレットより (2015年⚗月 確認)
【図表⚖】 施設所有管理者賠償責任保険における免責事由
•契約者または被保険者が故意に起こした事故
•航空機,昇降機,自動車もしくは原動機付自転車または施設外の船・車両もしく は動物の所有・使用または管理ミスによる事故
•被保険者の使用人が従事中に被った身体障害
•排水または排気による事故
•他人から貸借したり預かったりしている財物の損壊
•施設の設営,修理,改造または取壊し等の工事による事故
•石綿(アスベスト),石綿を含む製品,石綿の代替物質,石綿の代替物質を含む 製品の発ガン性その他の有害な特性に起因する賠償責任
•戦争・暴動,騒じょうまたは労働争議や,地震・噴火・津波または高潮等の天災 による事故
•他人との特別の約定によって加重された賠償責任
•被保険者の占有を離れた商品・飲食物に起因する賠償責任
*示談交渉サービスは行わない。
(出所)東京海上日動 イベント保険 商品パンフレットより(2015年⚗月確認)
⑸ 音楽ライブ・ビジネス特有のリスクについての考察
以上,リスクマネジメントのフレームワークを概観し,それを音楽ライ ブ・ビジネスに適用したが,音楽ライブ・ビジネス特有のリスク状況につ いて分析してみよう。
音楽ライブでは,ハザード(事故発生に影響を与える事情)の①不確実 性,②巨大性,③変動性に特徴がある。ハザードのこれら⚓つの特徴は,
音楽ライブにおける投機的リスクの大きさ(利得と損失のぶれの大きさ)
につながる。投機的なリスクは,経営者がビジネス上の意思決定の際に自 ら⽛とるリスク⽜である。それゆえ,これは保険の対象とはならない。
一方,保険可能な純粋リスクについては,大手ライブ運営企業は興行中 止保険(イベント保険)を中心とする保険を何らかの形で付保している。
しかし,音楽ライブ産業の多数を占める中小規模のライブ運営企業の場合,
保険を活用する資金力がないことも想定される。損害規模が小さいリスク であれば,自家保険の方が合理的であるとの判断もできよう。では損害規 模が大きいと評価されるリスクについて,どのように保険を選択すればよ いのか,こうした保険選択をめぐる意思決定にも,音楽ライブ・ビジネス 特有のハザード事情が影響を及ぼす。
投機的リスクについては保険の対象とならないこと,純粋リスクについ ては保険選択をめぐる複雑性によって,音楽ライブ・ビジネスでは,リス ク・ファイナンスによるリスクの移転が必ずしも容易ではない。それゆえ,
リスク・コントロールが重要となるが,物理的な事故・災害対策に加えて,
契約による責任範囲の明確化が有効なリスク対応手段となっている。(契 約に関する考察は別稿に委ねる。)
① ハザードの不確実性
音楽ライブ・ビジネスほど,外的なハザード(社会環境・経済環境・経 営環境)の不確実性が高いビジネスはない。これは,音楽マーケットにお ける流行やアーティストの人気の移り変わりが激しいことや,音楽愛好者 の嗜好という非合理的・感性的な要素に左右されるからである。
内的な静態的ハザードについても,人的ハザードの不確実性が高い。ア ーティストの健康状態の影響を受けるほか,芸術従事者に見られる感性・
気分・やる気・気まぐれなどの精神状態にライブの成否が直結する。
② ハザードの巨大性
音楽ライブ・ビジネスでは,⚒つのレベルでハザードの巨大性を指摘で きる。まず第一に約20年間で日本では市場規模がおよそ⚓倍に膨れ上がっ た。市場環境の増大に伴って,潜在的なリスクも大きくなっている。第二 に市場規模拡大に貢献しているのが野外音楽フェスティバルの増加である。
毎年夏に千葉と大阪でそれぞれ⚒日間にわたって開催されるサマー・ソニ ック(2016年の来場者数19万人)のような野外フェスティバルでは,非常 に多くの来場者が訪れる。音楽ライブ市場の増大,一つ一つのイベントへ の来場者の増大は,潜在的なリスクの増大につながる。自然災害大国の日 本では,野外音楽フェスティバル開催時に南海トラフ巨大地震や首都直下 地震などが発生することが懸念される。
③ ハザードの変動性・二律背反性
音楽ライブに特有な観客の⽛盛り上がり⽜,つまり⽛興奮状態⽜がハザ ードとなる。⽛盛り上がり⽜度の高いライブは顧客満足度,興行的にも成 功につながる。⽛盛り上がり⽜度の低いライブは低収益となる可能性が高 い。一方で,ライブ中の⽛盛り上がり⽜は,観客の安全という観点からは,
興奮した観客が圧迫や将棋倒しなどによって負傷するリスクを増大させる。
⽛盛り上がり⽜⽛興奮状態⽜時に事故や災害に遭うと,パニックが惹起され る。
2016年10月に関西大学総合情報学部⽛リスクマネジメント論⽜受講者に 対して,⽛音楽ライブに参加した時に事故に遭遇したことがありますか⽜
という質問で,自由記述式の調査を実施した。次のような意見が寄せられ た。⽛盛り上がっている時に,椅子に置いてあった荷物を盗まれそうにな った⽜⽛アンコールが終わって盛り上がった状態で,皆が出口に殺到する ので危険⽜⽛クライマックスで盛り上がってくると,紙テープや風船など が発射されるが,それを欲しがるファンが殺到してもみ合いになりとても 危険⽜⽛スタンディングの会場では,盛り上がってくると,圧死とまでは いかないが,どうしても前へ後ろへとジャンプしながら白熱してしまうた
め,押しつぶされて胸に跡がついたりした経験が何度もある⽜⽛興奮して 暴れ出す人がいて危ない⽜⽛人の手が目に当たったことがある⽜⽛テンショ ンが上がってペットボトルを投げる人がいる⽜⽛盛り上がる曲で殴られた ことがある⽜⽛ダイブ(飛び込み)は禁止されているにもかかわらず,前 列はみんながテンションを上げすぎて乗る人が多くて,つぶされたことが あります⽜⽛ダイブした人を受けとめる人がいなくて,落下しているのを 見たことがある⽜
以上のことから,音楽ライブ・ビジネスのリスクは,⽛目的に不確実性 が及ぼす影響⽜という ISO 31000の定義を体現していると言えよう。リス クマネジメントのプロセスで考えれば,音楽ライブ・ビジネスでは,ハザ ードの不確実性・巨大性・変動性によりリスクの特定が困難で,何が流行 しヒットするか予想しにくく,投機的リスクの高さゆえに,リスク対応の 決断も容易ではない。それゆえ高度なリスク感性が必要となる市場と言え よう。
⚓.事例Ⅰ 韓国ポップ・アーティストの事例で見る音楽ライブ・
リスクマネジメント
本章では,前章で概観した音楽ライブ・リスクマネジメントのフレーム ワークについて,韓国アーティストに関連する事例を使った分析を試みる。
⑴ 音楽ライブ市場における韓国アーティストの位置づけ
日経エンタテインメントが実施した2015年の日本におけるコンサート動 員力ランキング TOP50によれば,韓国ポップ(K-Pop)アーティスト⚖
組がランクインした。⚖位の⽛東方神起⽜,⚘位⽛BIGMANG⽜,11位
⽛2 PM⽜,12位⽛EXO⽜,26位⽛SUPER JUNIOR⽜,47位の⽛CNBLUE⽜で ある。2014年の同調査では11組ランクインしていたが人気は陰っていない。
韓国アーティストは毎年日本でコンサートを開催し,また日本のロックフ ェスティバルなどにも参加している。
K-Pop ブームは,2003年のドラマ⽝冬のソナタ⽞による韓流ブームを 源流とし,BoA,東方神起,少女時代等が牽引してきた。2011年以降の竹 島問題と従軍慰安婦問題による日韓関係の悪化というハザードにより,下 火になったと一般的には受けとめられているが,韓国アーティストによる ライブは依然として人気を集めていることがわかる4)。
⑵ ハザードの変化への対応:プロモーション戦略転換の事例
リスクマネジメントを展開する際は,事故や損失の発生可能性であるリ スクに影響を及ぼす事情や状況,すなわちハザードに的確に対応する必要 がある。ハザードの例として,2011年以降の竹島問題と従軍慰安婦問題に 端を発する日韓関係の悪化は,下記のとおり日本の音楽ライブ市場におけ る K-Pop のステークホルダーにとって大きな逆風となった。
•ハザード(hazard):事故発生に影響を及ぼす環境・事情・状況=日本と韓 国の政治関係悪化。
•エクスポージャー(exposure):リスクにさらされる人・物= K-Pop ライブ のステークホルダー
•リスク(risk):事故や損失発生の可能性= K-Pop ライブ退潮の可能性
•ペリル(peril):偶発的な事故= K-Pop ライブの退潮
•クライシス(危機):事故の可能性の接近・事故の結果の持続= K-Pop ライ ブ退潮の顕著化
•ロス(loss):損失= K-Pop 関連企業の収益減少・損失発生
日本と韓国の政府関係の悪化というハザードの下であるが,動員数 TOP50について言及したように,現在も K-Pop のライブは盛況である。
例えば2015年10月にさいたま市のさいたまスーパーアリーナで開催された 4) ⽛冬ソナから K-POP へ 日本の韓流ブーム10年⽜YONHAP NEWS AGEN- CY, 2013 年 ⚒ 月 11 日 ttp: //japanese. yonhapnews. co. kr/headline/2013/02/11/
0200000000AJP20130211001000882.HTML
K-Pop アーティストが出演する SUPER CONCERT “The Show” の昼夜
⚒公演には,若い女性ファン層を中心に25,000人が来場した。
日韓関係の悪化というハザードにより,確かに NHK など地上波での露 出や大手メディアでの取り扱いは大幅に減少したものの,韓国の音楽事務 所は,プロモーション戦略を転換し,動画投稿サイト YouTube などを使 ってネット配信することに注力するようになった。K-Popアーティストは,
語学(日本語・英語),ダンス,歌唱の特訓を数年間受けてからデビュー しており,従来からパフォーマンスの高さが日本で評価されていた。イン ターネットに慣れ親しんだ若年層は,K-Pop のミュージックビデオに触 れ,情報を入手し,ライブに足を運ぶようになっている5)。
⑶ 純粋リスク:アーティスト急病による損失の可能性の事例
体調に関わる純粋リスク(損失発生の可能性)への対応は,予防による 軽減が中心となる。韓国のアイドルグループ⽛防弾少年団⽜(ボウダンシ ョウネンダン)の場合,メンバー⚒名が体調不良を訴え,2015年12月27日 と28日に神戸ワールド記念ホールにて開催する予定だったコンサートをキ ャンセルした。事務所側は公式サイトを通して⽛公演前,眩暈を訴え,リ ハーサルを中断し,現地の病院に移動して専門の医師の診察を受けた。
CT 撮影の結果では大きな異常は発見されなかったが,公演中,激しい動 作が原因で眩暈が起こる可能性があり,今後の体の状態を見なければなら ないという診断を受けた⽜と伝えた。韓国アーティストは,新作アルバム をリリースすると約⚑ヶ月間音楽番組に出演し,寝る間も惜しんで広報活 動に専念するために過密なスケジュールが組まれる。国内での販売促進期 間が終わると,休みなく海外公演を行うことも多いため,体調を崩す者も いる。知名度を上げ,利益を得るためには多少の無理は必要であるが,寝 る間もなくステージに出続けるためメンバーの中には体調を崩すものも出 5) ⽛はじめての K-Pop 衰えぬ人気 情報はネット配信⽜⽝朝日新聞⽞東京本
社版,2015年11月22日朝刊参照。
⽛
る。この事例もそのような状況ではないかと推測される。日本で活躍する 韓国アーティストの魅力は,デビューまでの数年間に徹底的に訓練を受け たダンスなどの卓越したパフォーマンスにある。日本の聴衆が魅力を感じ る日本語能力・ダンスなどを支える日常的な鍛錬がチャンスにも,体調不 良を招いてリスクにもなりえるわけである6)。
⑷ 投機的リスク:チケットの価格設定に関わる不確実性の事例
人気韓国人アーティストのライブチケットの標準的な価格は¥9,800 である。東方神起(トウホウシンキ)が,2015年⽛LIVE TOUR 2015
~WITH~⽜を開催した際,相場より高い価格設定とした。プレミアムシ ート ¥23,800,S席一般指定(スペシャルグッズ付/ペンライト付)
¥11,000,S席着席指定(スペシャルグッズ付/ペンライト付)¥11,000,
S席着席指定(スペシャルグッズ付)¥10,000,S席一般指定(スペシャ ルグッズ付)¥10,000(すべて税込)である。高価格設定にもかかわらず,
売れ行きが順調であったため,⚔公演を追加したが,すべて完売した。一 方で,チケットの売り上げが不振で中止に追い込まれた韓国アーティスト のコンサートもある7)。
6) ⽛防弾少年団⽜SUGA&V,眩暈(めまい)訴え神戸公演中止に…きょう帰 国し精密検査へ⽜,http://www.wowkorea.jp/news/enter/2015/1228/10158008.
html 2016年12月25日確認。
7) ⽛チケットが売れなくて?⽛K-POP 超人気プロデューサー⽜の大阪公演が 急遽中止⽜ROCKET NEWS 24,2011年12月29日付 http://rocketnews24.com/
2011/12/29/168478/;⽛チケット売れず韓流ライブ中止,主催会社破産で購入 者へ返金なし⽜ナリナリドットコム,2012年⚖月22日付 http://www.narinari.
com/Nd/20120618274.html;⽛⽛UV⽜のコンサート,チケット販売不振で無料 に ⽜韓 国 芸 能,2012 年 10 月 ⚓ 日 付 http: //www. wowkorea. jp/news/enter/
2012/1003/10103539.html ⽛コンサートは無料が当たり前⽜,livedoor News, 2013年⚑月31日付 http://news.livedoor.com/article/detail/7366958/
⑸ 投機的リスク:マーケティングに関わる不確実性の事例
韓国の音楽事務所 SM エンターテインメントが少女時代を2010年⚙月⚘
日に日本デビューさせる際に,過去の失敗事例に学んで戦略の修正を行っ た。具体的には,選曲からデビューイベントの内容,時期まで慎重に吟味 し,プロモーションビデオを動画サイト YouTube から全世界に配信する などインターネットを通じた情報提供に全力を尽くした。こうした戦略は 奏功し,少女時代の情報は口コミや SNS を通じて広がりを見せ,メジャ ーデビューに先駆けて行われたお披露目ライブでは,DVD 購入者限定で あったにもかかわらず,予約時点で完売し,発売日に店頭に並ばないとい う異常事態となった8)。
⑹ 投機的リスク:セットリストの選定に関わる不確実性の事例
音楽ライブにおけるセットリスト(演奏曲目)の選択は,来場者の満足 感に直結する。特にツアー中,複数回のライブに来場するリピーターを満 足させるためには,入念にセットリストを設定する必要がある。
2015年11月⚓日から⽛CNBLUE⽜(シーエヌブルー)の日本でのライブ
⽛CNBLUE 2015 ARENA TOUR ~Be a Supernova~⽜が開催された。セ ットリストは新作アルバムから選ばれ,すべての日程で同じであった。し かし,アドリブで過去のアルバムに収録された曲を披露する際は,一公演 ずつ異なったことと,メンバー全員による日本語でのトークを披露するこ とによってセットリストに関わる不満リスクに対応した9)。
8) ⽛少女時代が日本の音楽業界に与えた影響とは⽜ORICON STYLE,2014 年⚗月26日付 http://www.oricon.co.jp/news/2040204/full/;小野田衛(2011)
⽝韓流エンタメ日本侵攻戦略⽞扶桑社;朴チョン玄(2011)⽝KARA,少女 時代に見る⽛韓国の強さ⽜⽞講談社;三浦文夫(2012)⽝少女時代と日本の音 楽生態系⽞日本経済新聞出版社。
9) ⽛ʠ入場無料ʡ少女時代,CNBLUE ら出演の大規模 K-POP コンサートが⚔
日に開催⽜K Style 2015年⚙月⚑日付 http://news.kstyle.com/article.ksn?
articleNo =2027967;荒川貴之⽛ライブによる地方活性化の可能性⽜株式会社
以上の⑷⑸⑹の投機的リスクに関わる事例は,音楽ライブ・エンタテ インメントビジネスに固有の投機的リスク(ビジネス・リスク)をめぐる 意思決定の困難性を示している。こうした業界においては,鋭敏なリスク 感性(リスクを伴う案件での決断力)が要求される。
⑺ リスク対応:リスク・コントロールの失敗事例
これは韓国で発生した事故に伴う事例である。2014年10月17日に城南
(ソンナム)市で午後⚕時から開催された第⚑回板橋(パンギョ)テクノ バレー祝祭で,市民700人余が公演を観覧していたところ,午後⚕時50分 頃,人気女性グループʞ4Minute(フォーミニッツ)ʟのメンバーが舞台に 上がると,観客が公演会場付近の高さ1.5メートル上に突き出している地 下駐車場換気口の覆いに上った。この横⚓メートル,縦⚕メートル大の換 気口の鉄製覆いは重量に耐えられず,約10メートル下へ崩落した。27人が 落下して16人が死亡し11人が重傷を負った。イベントの計画書を作成した 振興院職員は翌日自殺した。
この事件に見るリスク・コントロールの不備は次の諸点にある。①警備 要員は10人で,野外公演会場であるため,群衆を整理するのが困難であっ た。②金属製のふたを設置した際,手抜き工事が行われていた可能性があ る。具体的には,金属のふたに溶接不良の箇所があり,覆いが周辺の枠に ボトルで固定されていなかった。③イベント主催者が会場に安全管理のた めの要員を配置していなかった。具体的には,地元消防の担当者は,現場 がイベント開催時に申請や許可が不要な広場だとして安全管理業務に関与 していなかった。数千人の人出が予想されるイベントに見合うだけの安全 対策がなされていなかった。イベント計画書に振興院の職員⚔人が⽛安全 要員⽜と記されていたが,⚔人はそのことを知らず,関係者は誰も安全教 育を受けていなかった。司会者が,換気口の上に乗っている人に注意をし 日本経済研究所,2015年⚓月付 https://www.jeri.co.jp/about/columns_201503.
html
たが,喚起口の周辺に安全要員はいなかった。④屋外イベントに関する安 全マニュアルが存在していなかった10)。
この事例は,事故・災害発生を防止するリスク・コントロールの不備を 示す典型例である。
⑻ リスク対応:イベント保険未加入によるリスク・ファイナンスの失敗 事例
2014年⚔月24日,韓国の男性⚖人組⽛超新星⽜らが出演を予定していた ライブイベント⽛ASIAN STARS SUPER LIVE⽜(⚔月26~27日,大阪城 西の丸庭園)が,韓国の南西部沖で⚔月16日に発生した旅客船⽛セウォル 号⽜沈没事故を受けて,中止された。
これは初開催される⽛大阪国際音楽フェスティバル⽜(26~29日)の中 のイベントで,同フェス実行委員会や大阪観光局の主催であった。実行委 員会は,アーティスト側からの申し出ではなく,韓国で多くの若者が犠牲 になった事故の遺族の心情や世論などを鑑みて,ぎりぎりまで検討を重ね た上で,自主的に判断したものであると説明した。このライブには日本,
韓国,台湾の歌手⚔組が出演し,⚒日間で約⚒万人の動員を見込んでいた。
振替公演の予定はなく,チケットの払い戻しを開始した。会場費や人件費 など,中止に伴って高額の損失が発生した。
年末になって,ライブ中止による損害が出たとして,企画制作を請け負 った会社が観光局に対し,約5,000万円の支払いを求める調停を東京簡易 裁判所に申し立てた。イベントは約9,400万円の赤字が生じ,このうち 2,700万円を大阪観光局の局長が自腹で補てんした。
本件では,観光局は興業中止保険に加入していなかった。仮に加入して いたとしても,中止は偶発的に発生した事象に基づくものではなく,関係 10) ⽛韓国野外公演会場の事故 狭い換気口の上にいた数十人が一瞬で墜落⽜
the hankyoreh,2014年10月17日付 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18544.
html
者の判断による自粛であるため,免責となった可能性が高い11)。この事例 は,リスクマネジメントにおけるリスクの保有,つまり興行中止保険に加 入せずリスクを保有している状態で,中止という事態が発生し,実際に主 催者が損失を自ら補償する必要に迫られた状況を示している。
⚔.事例Ⅱ フランス・ライブ劇場テロとテロ犯罪被害補償制度の 事例
⑴ 2015年11月13日パリ・バタクラン劇場におけるテロの概要
2015年11月13日金曜日の夜に,フランスの首都パリで,銃撃や爆発など の同時多発テロが発生した。129名が死亡し,300名以上が負傷した。
その夜,パリ中心部にあるライブ劇場⽛バタクラン⽜では,アメリカの ロックバンド⽛イーグルス・オブ・デス・メタル⽜のパリ公演が行われて いた。チケットは完売し,会場は熱狂に包まれていた。バタクランは,日 本の人気女性グループ Perfume(パフューム)や海外ライブに積極的な日 本のロックバンド DIR EN GREY(ディル・アン・グレイ)がライブを行 ったことのある劇場である。午後⚙時40分ごろ,劇場近くに停められた⚑
台の車から,武装した⚓人の男が素顔のまま,正面入口から堂々と劇場に 入っていった。男らは会場内のバーの前に立つと,カラシニコフ自動小銃 を観客に向けて乱射し始めた。週末の夜に,ロック・ライブに熱狂してい た観客は,爆竹が鳴っているのか,ショーの一環かと思い,イスラム過激 派による襲撃だと気づくのには時間がかかった。銃撃は続き,数十人の観 客が次々と崩れ落ちると,劇場内はパニックに陥った。観客らは非常出口 に殺到し,演奏していたバンドのメンバーは脱出に成功した。午後10時ご ろ,男らは脱出し遅れた観客を人質にとり立てこもった。劇場を包囲した 警官隊は,11月14日午前⚐時半ごろに突入し,⚒人が自爆,⚑人が射殺さ 11) ⽛大阪観光局長の赤字⽛自腹補填⽜背後に韓流アイドル出演中止 韓国旅客 船沈没事故まさかの波紋⽜産経 WEST 2014年11月26日付 http://www.
sankei.com/west/news/141126/wst1411260006-n1.html
れた。劇場の床には犠牲者の遺体が横たわり,負傷者は約100人に及んだ。
このテロにより,89人が犠牲となった。
これは,リスクマネジメントの枠組みに当てはめると,IS によるテロ の多発化というハザード(環境)と音楽ライブ会場で人が集まっていると いうハザード(状況)の下,銃の乱射というペリル(事故)が発生し,多 数の犠牲者というロス(損失)が出たという事例である。テロ対策という リスク・コントロールはフランス全土で展開されていたが,事故発生を防 止できなかったということである。
フランスでは,パリで,2015年⚑月⚗日に風刺週刊誌を発行している
⽛シャルリ・エブド⽜本社がイスラム過激派に襲撃され12人が犠牲になる テロが発生し,⚒日後に容疑者らが警官隊に射殺されるまでの一連の事件 が発生した。11月13日に発生したパリのバタクランでのテロは一般市民を 無差別に狙ったものであった。さらに,2016年⚗月14日のフランス革命記 念日の夜には南仏ニースの海岸沿いの遊歩道(プロムナード・デ・ザング レ)で,花火見物に集まった群衆にトラックが突入し,84人が死亡するテ ロが発生した。
⑵ ソーシャル・リスクマネジメントの概念から
近年,世界各地でテロが発生しているように,自然災害や事故に加えて,
現代社会はリスク充満の時代となり,リスクは多様化し,複合化し,巨大 化してきた。現代はリスクが社会全体に及ぶソーシャル・リスクの時代で ある。パリ・バタクラン劇場におけるテロのようなソーシャル・リスクを 克服するためには,政府,行政,警察,企業,地域社会,学校,家庭など の経済主体が連携して,リスク克服に努める必要がある。これを⽛ソーシ ャル・リスクマネジメント⽜と呼ぶことができる。音楽ライブ・ビジネス の当事者が音楽ライブのリスクマネジメントを考える際も,ソーシャル・
リスクマネジメントの一角を担うという意識が必要となる。
この考え方に則り,音楽ライブにおけるリスク対応として,リスク・コ
ントロール(物理的な安全管理)と両輪を成すリスク・ファイナンス(被 害を想定しての財務的手段・保険の準備)について概観する。これは音楽 ライブに集まった群衆が自然大災害に直撃されたり,パリで現実に起こっ たようなテロに見舞われたりした際の,金銭的補償を音楽ライブ・ビジネ スの当事者だけでなく,社会的にどう把握するかということである。
まず,テロは,地震・津波・噴火などの巨大自然災害と同様に,音楽ラ イブの保険では免責である。それゆえ,音楽ライブ・ビジネスの当事者は,
特約での付保を検討するか,可能な限りリスク・コントロール(警備・入 場時の所持物検査・チケットの確認・その他の安全管理)に尽力する必要 がある。
徹底した防止策にもかかわらず,事象が発生して,損失が発生した場合 は,金銭的補償の問題が発生する。テロの場合,音楽ライブ・ビジネスの 当事者が加入する損害保険では免責である。被害者自身が加入していた各 種傷害保険とは別に,ここに社会的なリスクへの社会的連帯・連携による 対応(ソーシャル・リスクマネジメント),社会的なリスク・ファイナン スとしての国家レベルでの諸制度の存在意義がある。それは日本では⽛犯 罪被害給付制度⽜であり,フランスでは,損害保険業界と深く関わりを持 つ⽛テロその他犯罪行為被害者補償基金⽜FGTI を軸とする制度である。
⑶ フランス⽛テロ・その他犯罪行為被害者補償基金⽜FGTI
フランスはテロや犯罪被害者に対する金銭的補償で最も優れた制度を備 えた国と評価される。その中核を成すのが⽛テロその他犯罪行為被害者補 償基金⽜FGTI(Fonds de garantie des victimes des actes de terrorisme et dʼautres infractions)である12)。
12) FGTI については以下参照。山野嘉朗(1996)⽛テロ・犯罪行為,自然災 害被害者の補償制度 フランス法を参考にして⽜⽝損害保険研究⽞58⑶,
pp. 125-141,1996年11月;和歌山弁護士会⽛フランス犯罪被害者支援制度に ついて⽜(和歌山弁護士会⽝会報(第76号)⽞2010年⚕月より転載)
フランスでは1977年に犯罪行為の被害者に対する補償制度ができた。世 論の高まりや⽛SOS テロ⽜SOS Atttentat という団体の要請を受けて,
1986年⚙月⚙日付法によって,テロ行為の被害者にも適用されるようにな り FGTI の前身となる基金が設立された。この制度では,いくつかの適用 条件があり,加害者に資力がないことの証明を被害者が⽛侵害行為被害者 補 償 委 員 会 ⽜CIVI( Commission dʼindemnisation des victimes dʼinfrac- tion)に対して行わなければならないなどの適用条件があった。CIVI は補 償の申請時に係争が生じた際に,補償を行うかどうかの判断を下す民事裁 判機関である。議論を経て,1990年⚗月⚖日付法によって FGTI は現在の 制度になった。
フランスでは,⽛自然災害補償制度⽜Cat. Nat. と同様に⽛国家的連帯⽜
の原則に基づいて,個人の支払う財産保険の保険料から一定額を集めて財 源とするシステムが,この⽛テロその他犯罪行為被害者補償基金⽜FGTI でも採用されている。つまりフランスでは,大規模自然災害の補償も,テ ロ犯罪被害者の補償も⽛強制保険⽜としての色彩を持つ。2015年11月13日 にバタクラン劇場で発生した銃撃テロに見るように,音楽ライブの場合,
http://www.wakaben.or.jp/column/05_yamanishi.html;警察庁⽛犯罪被害者 等に関する経済的支援に関わる制度等の概要 Ⅲフランス⽜⽝諸外国における 犯罪被害者等に対する経済的支援に関わる制度等に関する調査報告書⽞第⚒
章,pp. 43-64. 2011
https: //www. npa. go. jp/hanzaihigai/kohyo/report/h23-3/pdf/2-3. pdf ; Valéry Denoix de Saint Marc et Alexandra Cohen-Jonathan, ≪Lʼindemnisation des victimes dʼun attentat, le cas du DC-10 dʼUta.≫ Risques, N˚ 105, 2016, pp. 115-119 ; ≪Attentats : lʼindemnisation des victimes a commencé≫ Les Echos, 20 novembre 2015 ; ≪Attentats terrorists Lʼéquation sensible de lʼ indemnisation≫, Lʼ Argus de lʼassurance, N˚ 7435, 27 novembre 2015 ;
≪Indemnisation des victimes du terrorisme : la France œuvre à lʼexportation de son modèle≫, Préventique, N˚ 147, Juillet 2016 ; ≪La réforme catʼnatʼrefait surface≫, LʼArgus de lʼassurance, N˚ 7438, 18 décembre 2015 ; ≪Les limites du fonds dʼindemnisation des victimes dʼattentats atteintes ?≫, Ouest France, 20 juillet 2016.
群集が劇場内に密集し盛り上がった状態でテロ行為が発生すると多数の死 傷者が発生する。大規模自然災害発生時と同様に,音楽ライブ会場におけ る事故・災害によって多数の死傷者が出る状況は,通常の保険契約で対応 するのが困難であり,FGTI のような補償制度が有効となりえよう。
FGTI の場合,財物を対象とするあらゆる損害保険の個人契約から3.3 ユーロが回収され,基金を構成する制度であった。2015年⚑月⚗日のパリ で発生した⽛シャルリ・エブド⽜襲撃テロを受けて,2016年⚑月より,個 人の財産保険契約から回収する金額が4.3ユーロに引き上げられた。
【図表⚗】 広範なテロ事例と FGTI の沿革
1974年⚙月15日 パリのサンジェルマン界隈のドラックストアで爆弾テロ(⚒人死 亡・36人負傷)。テロリストのカルロスが犯行声明。
⇒1977年 犯罪被害者補償制度導入(限度額の設定。迅速な補償が困難)
1985年⚗月15日 パリのオルリー空港で爆弾テロ(⚘人死亡56人負傷)。⚙月30日 マルセイユの国際会議場で爆弾テロ(⚑人死亡26人負傷)。12月31日 マルセイユ 駅とパリ行き TGV 内で爆弾テロ(⚕人死亡54人負傷)。
⇒1986年⚙月⚙日 法によって,テロによる人身被害者を救済する特別制度・補償 基金制度構築
1989年⚙月19日 UTA772便が爆発(170人死亡)。後にリビア政府が関与を認め,
リビア政府に対する求償が行われる。
⇒1990年⚗月⚖日 法および1990年12月21日のデクレにより,テロ被害者だけでは なく,テロ以外の犯罪行為の被害者も対象になる。
(FGTI が創設され現在の制度に)
1994年12月24日 マルセイユ空港 アルジェ パリ便ハイジャック(機動隊が突入 し乗客⚓人死亡・犯人⚔人射殺)。1995年⚗月25日 パリ地下鉄・サンミシェル駅 の列車爆破テロ(⚗人死亡,100人負傷)。1995年にテロ続発。⇒ FGTI の存在感。
2015年⚑月⚗日 パリのシャルリ・エブド社襲撃(12人死亡),11月13日 パリ同 時多発テロ(129人死亡352人負傷)
⇒2016年⚑月 FGTI が個人の財産保険契約から回収する金額を4.3ユーロに引き 上げ
2016年⚗月14日 ニースの花火見物客に大型トラックが突入するテロ(84人死亡 202人負傷)
⇒保険契約からの回収金額の再引き上げ含む FGTI の制度見直し検討
(筆者作成)
FGTI の原則は,テロやその他犯罪行為による重大な損害の被害者(ま たは,近親者等その権利者)がその損害に対して全面的な補償を受けるこ とと,そのような損害行為が発生する前の金銭状態に回復させることとさ れている。
FGTI の財源は,外部財源としての個人の損害保険契約からの分担金
(contribution des assurés)が75%を占め,残りの自己財源は加害者に対 する求償(recours contre les auteurs)と資金運用益となっている。
FGTI による支払い対象となるのは次の事案である。
重大な身体的被害:①最低⚑か月間の完全労働不能(Incapacité Totale de Travail:ITT),②生涯身体機能障害者,③被害者が死亡,④強姦また は性的被害あるいは人身売買。軽度の身体的被害および物的被害(財産 犯):①⚑か月未満の完全労働不能,②窃盗,詐欺,背任,強盗・恐喝,
器物毀棄,車両放火。
対象となる者は①フランス国籍を有する者,② EU 加盟国の国籍を有す る者,③正規にフランスに滞在している外国籍者である。国外で発生した 場合は,フランス国籍を有する者のみが対象となる。したがって,正規に フランスに滞在している日本人が,フランスで開催されている音楽ライブ に参加してテロや犯罪の被害に遭遇した場合も,FGTI による補償が得ら れると解釈できる。
2015年⚑月と11月にパリで発生したテロ,2016年⚗月14日にニースで発 生したテロの被害者に対する FGTI への申請・支払いは迅速に実施されて いる。
⑷ FGTI 制度の意義 Cat. Nat. と同様の⽛国民的連帯⽜の精神
フランスにおける FGTI の第一の意義は,自然大災害の被害者と同様に,
生命・健康・経済・心理上に大打撃を被るテロ被害者に,任意のリスク・
ファイナンス手段選択によらずとも,⽛国民的連帯⽜(Solidarité Nationale) の精神に立脚した強制保険の色彩が強い制度により,補償が施される点に
ある。
フランスにおけるテロ・犯罪被害者に対する補償制度(FGTI)は,⽛自 然災害補償制度⽜(Garantie Catastrophe Naturelles,通称 Cat. Nat.)と,
⽛国民的連帯⽜の原則にのっとっている点において理念を共有する。
Cat. Nat. 導入の契機となった自然災害事例は,1981年末に発生したロ ーヌ川,ソーヌ川,ガロンヌ川で発生した大規模な洪水である。フランス では周知のように自然災害として洪水が頻発し,1970年代より自然災害リ スクに対する保険制度の導入が議論されていたが,①保険会社の財政破綻 の可能性や②リスク情報の不確実性などを理由として保険業界が反対して いた。前年の大水害をきっかけとして1982年⚘月14日に自然災害補償制度
(Cat. Nat.)が法制化された。
Cat. Nat. の骨格は,①従前の保険化不可能リスク:洪水・地震・地滑 り・雪崩・高潮を対象とする。②住宅保険や自動車保険などの損害保険に 自動付帯させる形をとり,一律に被保険者は各種損害保険料に一定率を乗 じた上乗せ保険料を支払い,民間保険会社がこの上乗せ保険料を自然災害 補償のために管理・運用する,③中央再保険公社 CCR(Caisse Centrale de Réassurance)が再保険を引き受ける。④ CCR に対して国家が無制限 の保証をする,⑤1982年以前より暴風雨・雹・氷・雪(の重み)によるリ スクは特約で担保されていたが,1990年⚖月25日付法によって⽛暴風雨補 償⽜(Garantie Tempête)が損害保険の標準の担保種目となった。⑥この 結果,被保険者は各損害保険に加入すると,自動的に暴風雨のリスクに対 する保障を得ることとなり,フランスでは自然災害に対する保険は,実質 的に強制保険として機能するようになった。⑦フランスにおける自然災害 リスクに対する強制保険制度はそれゆえ,第一層:損害保険の標準担保種 目としての⽛暴風雨補償⽜(Garantie Tempête)と第二層:強制保険とし ての⽛自然災害補償⽜(Garantie Cat. Nat.)となる。
自然大災害の被害にせよ,テロ・犯罪の被害にせよ,その規模は甚大な ものとなる。テロによる人的被害の補償をリスク・ファナンス手段の任意
選択に任せるのではなく,⽛国民的連帯⽜の原則から強制保険(に類似す る制度)で社会的対応しようとするところに FGTI の意義がある。これは,
自然大災害や大規模群衆へのテロなどの広範囲な社会に影響を及ぼすソー シャル・リスクに対して,社会が連携して対応するソーシャル・リスクマ ネジメントの一つの手段と言えよう。
⑸ FGTI 制度の効用
FGTI を中核とするフランスのテロ・犯罪被害者補償制度の特長は次の 諸点にある。
① 被害者支援:被害者(または,近親者などのその権利者)が被った 損害に対して全面的な補償を実施し,損害行為が発生する以前の金 銭状態に回復させることを旨としている。補償の手続き・執行は迅 速に行われる。
② 独断の排除:CIVI,FGTI の両公的機関を中心とする制度であるが,
民間保険会社も関与しており,官民協働制度であること。
③ 財源の安定性:一般に普及している個人の財産の保険の全契約から 一律に4.3ユーロを徴収して財源とする方式をとっており,財源が安 定している。
④ 徴収費用の一律性:⽛国民的連帯⽜の原則から,どのような状況にあ ろうと,財産保険から徴収される保険料は一律である。
⑤ 制度コストの抑制:民間保険会社が財源徴収に関わる事務手続きを 行うため,制度としてコストが抑制されている。
⑥ 逆選択の不存在:財産の保険は,国民が何らかの形で加入している ことが大多数であることから,テロ・犯罪被害者補償制度は⽛強制 保険⽜の色彩が濃い。テロは一般的に発生時間・発生場所・発生形 態について⽛想定外⽜のリスクであることが多いので,⽛逆選択⽜問 題は考えららない。
⑹ FGTI の限界
一方で,FGTI を軸とするフランスのテロ・犯罪被害者補償制度には限 界も存在する。
その検討に資するための比較対象として,フランスの自然災害補償 Cat.
Nat. の根本的な問題点をまず示してみよう。
① Cat. Nat. は建物・財産に対する損害のみを補償し,身体傷害は補償 しない。
② 上乗せ保険料率は一律であるため結果的に安全地域住民が危険地域 住民を補助している。
③ 政府から民間保険会社に支払われる手数料について,高額であると 指摘されている。(1997年 Bourrelier 報告)
④ 自動付帯・一律上乗せ保険料率・⽛自然災害⽜認定即補償という特徴 ゆえに,Cat. Nat. においては防災活動(リスク・コントロール)へ のインセンティブが欠如している。
Cat. Nat. 制度においては,1999の自然大災害により制度が修整された。
1999年11月に Aude 県で洪水が発生し,12月には⚒度にわたりフランス全 土で歴史的な暴風雨が発生した。⽛世紀の暴風雨⽜と呼ばれた後者では,
フランスの地方自治体の80% が⽛自然災害⽜地域の認定を受け,被害総額 は145億ユーロに達した。支払らわれた保険金は,⽛暴風雨補償⽜によるも のが65億ユーロ,Cat. Nat. によるものが⚓億⚘千万ユーロ,Cat. Nat. に 倣った⽛農業災害補償⽜制度によるものが⚓億ユーロに上った。
このため,Cat. Nat. が人身傷害を対象外としていることや,防災活動
(リスク・コントロール)へのインセンティブ欠如という問題点などが現 在に至るまで継続的に議論されている。1999年の出来事を契機とする具体 的な制度の修整としては,リスクの認識に基づく防災活動へのインセンテ ィブとして,2001年⚑月より免責金額が増額された。また,⽛自然災害防 止計画⽜(PPR:Plan de Prévention des Risques)を作成しない地方自治体 について自然災害適用回数⚓回目以降は免責金額を増額する制度が導入さ
れた。
以上にまとめた Cat. Nat. の限界に照らして,FGTI の限界を見ると以下 のようになる。
① FGTI は身体傷害・死亡の補償であり,建物・財産に対する損害は 補償しない。Cat. Nat. の逆である。例えば,2015年11月13日のテロ の現場となったライブ劇場のバタクランの損壊については FGTI の 対象外である。
② テロの危険性はすべての国民にあるため,⽛安全地域住民が危険地域 住民を補助している⽜という Cat. Nat. の限界は FGTI にはあてはま らない。しかし,FGTI には大きな疑問が呈される。財産保険の加 入と,テロ・犯罪行為の被害者への補償とは関係がないということ である。つまり,財産保険に加入していない者であっても,テロ・
犯罪行為の被害者となれば,FGTI の補償を受ける場合もあり得る。
山野(1996)は,⽛国が一定の手数料を支払って損害保険会社に拠出 金(税金)の取立てを代行させるシステムと解される⽜と評してい る。
③ 保険会社に支払われる手数料については,FGTI についても同様の 評価があり得る。
④ Cat. Nat. に関連して,洪水が起こる可能性のある地域の住民が,場 合によっては,もし被害に遭っても保険で何とかなるだろうと考え る可能性はある。しかし,犯罪やテロについては,苦痛や死亡の可 能性と結びつくため,リスク・コントロールへのインセンティブが 欠如するという事態は考えにくい。むしろ,リスク・ファイナンス の担い手による,テロ・犯罪の被害者に対する補償開発のインセン ティブ欠如に結びつくのではないだろうか。
⑤ FGTI は創設後25年以上が経過し,テロ・犯罪の加害者に対する求 償の困難さに直面している。イスラム国のテロリストに求償するの
は実質不可能である。また,UTA 航空 DC10機爆破テロの加害者で あるリビア政府に対する求償が困難を極めた経験などからも,求償 コストの面からも,⽛基金は加害者を逃さない⽜という設立当初の理 念とは裏腹に,FGTI による求償は円滑ではない状況にある。
⑥ フランスで1990年代よりクレディ・アグリコル銀行の損害保険子会 社パシフィカなどが窓口販売を中心に普及に成功した⽛生活上の事 故補償⽜GAV(Garantie des Accidents de la Vie)商品がある。その 契約との補償の重複がある。
おわりに
本稿では,韓国ポップ・アーティストの事例分析とフランス・パリ音楽 ライブ劇場で発生したテロ事件の被害者補償に関わる制度の事例分析から,
音楽ライブのリスクマネジメントについて,移り変わりの激しい環境下,
①ハザードの変化や投機的なリスクへの対応(韓国事例),②テロのよう な大規模事故とリスク・ファイナンスのあり方ならびにソーシャル・リス クマネジメント(フランス事例)等の諸点を確認しえた。我が国において も,大規模イベントが投機的リスクに関わる意思決定のミスにより大損害 を生じたり,自然大災害やテロの直撃を受けたりする可能性は皆無ではな く,一定の示唆を与えるものと考える。
2014年以降の幅広い事例に基づく音楽ライブのリスクマネジメントの分 析や,音楽ライブのリスク対応手段としての⽛契約⽜についての分析は,
筆者らが準備している別稿に委ねる。
(亀井克之:関西大学教授)
(八木良太:尚美学園大学准教授)
(大塚寛樹:feeli 株式会社代表取締役)
参考文献
飯塚康之(2011)⽛イベント・リスクマネージメント ~関連法規の概説と,リ スク事例研究⽜⽝イベント研究⽞第⚔号,JPEC イベント総合研究所,pp. 20- 38。
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