Kyushu University Institutional Repository
西ドイツにおける外国人労働者問題と多国籍企業
有賀, 優子
https://doi.org/10.15017/4481540
出版情報:經濟學研究. 51 (6), pp.139-159, 1986-09-10. Society of Political Economy, Kyushu University
バージョン:
権利関係:
有 賀
優 子
目 次 はじめに
1. 外国人雇用政策の変遷
2. 西ドイツ経済と外国人労働者雇用
3 .
外国人労働者雇用と多国籍企業 むすびにかえては じ め に
西ドイツにおいて,外国人労働者に対する募 集が停止されて以来,
1 0
年余の歳月が経過し た。1 9 7 3
年にはじまったこの募集停止は,戦後 西ドイツの外国人労働者問題の歴史上,最大の ターニング・ポイントをなしている。外国人労 働者は,西ドイツ経済の高度成長を労働市場の 側面から支えた,いわば影の功労者だった。だ が,1 9 7 4・ 7 5
年恐慌とその後の長期的経済低迷 状況のもと,失業問題の深刻化によって,彼ら に対する「排斥」要求は高揚の一途を辿ってい る。西ドイツ政府当局の政策路線も,7 3
年 以 降,一転して外国人労働者の排斥を基調とする ものに転化している。だが,そこで看過しえな いのは,こうした外国人労働者に対する追出し 政策と並行した形で,彼らの「統合」が模索さ れているということである。「排斥」と「統合」という,一見,二律背反的に思われるこの二つ の原理が,今日,西ドイツ政府の政策上の二本 の柱をなしているのである。断固たる排斥のみ を強行しえないこの点に,現在の西ドイツが直 面している外国人労働者問題が,象徴的に表さ
れているといえよう。
ところで,こうした外国人労働者問題が尖鋭 化しはじめた
1 9 7 0
年代は,また,西ドイツ多国 籍企業の活動が活発化しはじめた時期でもあった。そこから,国内における外国人労働者雇用 か,それとも,現地労働者雇用に向かっての資 本輸出か,という二者択ー論議が散見されるよ うになった。労働者が動くか,資本が動くか,
といった個別要素的視角からすれば.両者は独 立した二つの選択肢として,各々に命題化しう るかもしれない。だが.佐々木建氏のいわれる ように,前者が資本による労働力の「吸引」で あるのに対し,後者は資本の労働の場への「進 出」であって.両者は.独占企業の支配の国際 化がつくり出す階層編成としては.共通の特徴 をそなえて展開するものなのである%
本稿では.まず.こうした「雇用の国際化」
の一方の途としての西ドイツ本国における外国 人労働者雇用が.政策上.ならびに経済の構造 変化にともなって,いかなる変容を遂げたかを みる。そして.それが.もう一方の資本輸出.
つまり多国籍企業の発展と.はたしてそのよう な二者択ー的な存在なのであるか否かについて 検討し.これらの総括をもって,外国人労働者 問題に対する予見としたい。その際.分析の中 心は.西ドイツ資本主義の蓄積構造の変化にあ
1) 佐々木建『多国籍企業と労働問題』ミネルヴァ 書房, 1982年, 8ページ。
‑139: ―
るが,その背景としての世界経済の構造変化に も言及すべきことはいうまでもない2)。
1 9 7 0
年 代以降,質的変容の著しい世界経済のダイナミ ズムの中で,西ドイツという一国民経済が,い かなる対応をみせているのか,そして,その市 民社会への作用に対し,国家がいかに対処して いるかについて,外国人労働者雇用という視角 からみた一試論である。1 .
外国人雇用政策の変遷戦後,西ドイツの外国人労働者雇用を特徴づ ける最大のメルクマールは, 「国家の介入」で ある。それは,具体的には,外国人労働者の送 出国との間に締結された国家間双務協定,およ び西ドイツ国内法としての外国人法にもとづい た,国家による外国人労働者の管理・統制とい う姿をとってきた。そして, こ の よ う な 政 策 は,
7 0
年代の初めごろまで,景気循環に順応し た外国人労働者の流出入を実現した。こうした ことから, 当時,彼らの屈用は,景気バッファ‑ (Konjunkturpuffer)
であるともいわれた。それは,外国人労働者は,西ドイツ経済の要請 に応じて暫定的に存在する「労働力」にすぎず,
基本的には市民社会に受け入れるべきでないと いう,西ドイツ政府の外国人政策における原則
2) こうした視角は,アメリカにおける外国人労働 者雇用と多国籍企業との関係について研究された
s .
サッセンクープのつぎの論文での基本的認識 によるところが多い。彼は, そこで, 「世界的規 模での生産の再編成と,それに対応した資本一労 働関係の再編成というプロセスとして,労働移動( l a b o r m i g r a t i o n )
と資本移動( c a p i t a l mo‑
b i l i t y )
との連節にかかわる」見地を強調してい るのである。S .S a s s e n ‑ K o o b , C a p i t a l M o b i l i t y and L a b o r M i g r a t i o n , i n : S . E . S a n d e r s o n ( e d . ) , T h e A m e r i c a s i n t h e New I n t e r n a t i o n a l D i v i s i o n o f L a b o r , New Y o r k , London 1 9 8 5 , p . 2 2 7 .
の貫徹にほかならない。そうした西ドイツ社会 にとっての位置付けから,彼らはガストアルバ イターと呼ばれた凡
だが,
1 9 7 3
年1 1
月の募集停止以後,外国人労 働者をめぐる状況は一変した。まず,この募集 停止措置自体,外国人労働者はEC
加盟国人で ない限り,一旦帰国すると,再度西ドイツには 戻れないことを意味するものであり,結果的に は,在独非E C
外国人労働者に対し,むしろ滞 在期間の長期化を余儀なくさせることになった のである4)。 そ し て , さ ら に1 9 7 5
年の児童給付 金 削 減 策(Kindergeldregelung)
によって, ド イツ居住子弟と国外居住子弟の間に給付金の差 額がもうけられ凡また,1 9 7 9
年には,待機政策(Wartezei t r e g e l ung)
によって,7 4
年以降入国 の家族にも就業の可能性が付与されることにな ったため,家族の呼び寄せが助長され,外国人 総体としての定住化傾向が強まった6)。こうし3 )
こうした1 9 7 3
年の募集停止以前の西ドイツ外国 人労働者雇用問題については,拙稿「西ドイツに おける外国人労働者雇用とEC
ー一国際労働力移 動に関する一考察」九州大学『経済論究』 64号,1 9 8 6
年,を参照されたい。4)
H . K o r t e und
A.S c h m i d t , M i g r a t i o n u n d i h r e s o z i a l e F o l g e n : F o " r d e r u n g d e r G a s t a r b e i t e r f o r ‑ s c h u n g d u r c h d i e S t i f t u n g V o l k s w a g e n w e r k 1 9 7 4 ‑ 1 9 8 1 , Hannover 1 9 8 3 , S . 1 9 .
5 )
ドイツ居住子弟の児童手当は,第1
子に月額5 0 DM,
第2
子に70DM,
そして第3
子以上には120DM
なのに対し,母国居住子弟に対する支給 額は,第1
子がlODM
なのをはじめとして,極端 に低額である。1 9 7 8
年末まで,こうした差額によ って, 4人の子弟の場合,月額205DM, 5
人の子 弟の場合,255DM
の格差を生じていた。 この差 額は,1 9 7 9
年1
月以降,たとえばドイツ在住の第2
子にlOODM
が支給されることになり,一層拡 大した。H .K o r t e , L a b o r M i g r a t i o n and t h e Employment o f F o r e i g n e r s i n t h e F e d e r a l R e p u b l i c o f Germany S i n c e 1 9 5 0 , i n : R . R o g e r s ( e d . ) , G u e s t s Come t o S t a y : T h e E f f e c t s o f E u r o p e a n L a b o r M i g r a t i o n o n S e n d i n g a n d R e c e i v i n g C o u n t r i e s , Westview P r e s s 1 9 8 5 , p . 3 7 .
6) たとえば,
1 9 8 3
年9
月末における1 0
年以上の居‑140‑
九大経済学研究 ⑧有賀
表
1
外 国 人 労 働 者 数 と 外 国 人 数 の 推 移1 9 7 4 1 9 7 5 1 9 7 6
外国人労働者数R
f
、 ‑
2 , 3 8 6 . 6 2 , 2 2 6 . 9 2 , 0 2 7 . 1
外 国 人 数 R4 , 1 2 7 . 4 4 , 0 8 9 . 6 3 , 9 4 8 . 3
R!R
(%)5 7 . 8 5 4 . 5 5 1 . 3
出所:SOPEMI, 1 9 8 4 , p p . 8 2 , 8 3
より作成。て,西ドイツの外国人労働者問題は,質的に変 容していった。
表
1
は,そうした事態の変化を明確に示して いる。外国人労働者数は漸減していった。長期 停滞期にある西ドイツでの雇用状況の全般的悪 化が直裁に反映されているところであろうが,それに加えて,募集停止による新規外国人労働 者の入国規制も,ある程度,効を奏したものと 思われる。だが,他方,非労働力人口を含めた 外国人総数は,むしろ膨脹傾向にある。家族の 後続
(Familiennachzug)
と難民(Asylbewer‑
b e r )
を主流とする新規流入, な ら び に 出 生( G e b u r t ) 8 )
によるものである。外国人総数に 占める労働者数の割合は,ほとんど一貫して減 少し続けている。一時的遅入・排出を繰り返す ローテーション政策によって,西ドイツ経済に住者 (
7 3
年の募集停止以後,継続して居住を続け たとみなしうる)数は,非EC
加盟国人総数の51.3%にもおよんでいる。
S t a t i s t i s c h e sB u n d e s a m t , B e v t i l k e r u n g u n d E r w e r b s t a t i g k e i t R e i h e 2 ,
" A u s l a n d e r " 1 9 8 3 , S . 5 7 ,
より算出。7 )
魏民流入は,19 7 6
年には11 , 1 2 3
人だったのが,1 9 8 0
年(1 10
月)には1 0 0 , 1 6 5
人と約10
倍に増 大した。しかも,その中に占めるトルコ人の割合 は,その両年各々について7.3%,5 5 . 0
%であっ た。募集停止の抜け道としての難民形態での流入 である。H . K o r t e und A . S c h m i d t , o p . c i t . ,
s . 2 2 ‑ 3 3 .
8 )
出生総数に占める外国人子弟の割合は, 1960年 には1 . 2
%にすぎなかったのが,7 4
年には17 . 3
% と最高値を記し, 83年においても12.3%と,依 然,高比率を示している。B e a u f t r a g t ed e r B u n ‑ d e s r e g i e r u n g f u r A u s l a n d e r f r a g e n , B e r i c h t z u r A u s l a n d e r P o l i t i k , Bonn 1 9 8 4 , S . 8 0 .
1 9 7 7 1 9 7 8 1 9 7 9 1 9 8 0 1 9 8 1 1 9 8 2 1 9 8 3 1 , 9 7 7 . 7 1 , 9 6 1 . 9 2 , 0 1 4 . 5 2 , 1 6 8 . 8 2 , 0 8 1 . 8 2 , 0 3 7 . 6 1 , 9 9 8 . 0 3 , 9 4 8 . 3
3,981.14 , 1 4 3 . 8 4 , 4 5 3
.3 4 , 6 2 9
.8 4 , 6 6 6 . 9
4,534.95 0 . 1 4 9 . 3 4 8 . 6 4 8 . 7 4 5 . 0 4 3 . 7 4 4 . 1
必要な「労働力」のみの遅入を図った外囚人労 働者政策の当初の意図は,完全に打ち崩されて しまった。西ドイツは,高成長の代償として,
労働力再生産にかかわる不経済を,外国人労働 者に対して,今日の低成長時代になって背負い 込むことになったのである。 ここに, 「遠流的 移民」 システムの行詰りをみることができる。
さて,つぎに,これまで外国人労働者,もし くは外国人として一括していたのを,国籍別に 区分してみよう。図
1
は,西ドイツ居住外国人 数の変動を国籍別に描いたものである。近年,ヨーロッパの新興工業諸国(以下,
NICs
と略 す)として発展の注目されるスペインやギリシ ャ,そしてユーゴスラビアからの出身者でさえ,70
年代後半以降,わずかな減少,もしくはほと んど横ばい状態である。ましてや,政治的・経 済的・社会的に極めて不穏な情勢下にある卜)レ コからの出身者は,70
年代央の減速を例外とし て著しい増大傾向を示し,それは82
年のビーク 時まで続いた。ここに,外国人労働者の母国そ れ自体が各々に抱える送り出しの論理について の検討が要請されてくるであろう。だが,それ は今後の研究テーマとしたい10)09) 「遥流的移民」については, C.メイヤスー, JI
l
田順造・原口武彦訳『家族制共同体の理論』筑岸 書房, 1977年, 187‑213ページ,を参照されたい。1 0 )
送出国サイドからの分析は,わが国では,いま だにほとんど未開拓の分野である。しかしながら,今日,最大の問題となっている卜)レコ人の滞留現 象に対し,木前利秋氏が, トルコにおける「生存
‑141‑
図
1
西ドイツ居住外国人数の変遷賢 i
140 120 100
. ` `
•
ヽ'
•
ヽヽ
'
︑ 人
ァヽヽヽビヽヽラヽヽ 人\コス ヽ
レ
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ぃ
︐
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,
ゴ
‘•ユ/` ‑
‑ ̀
一一
.
.
` ‑
ヽ‑ g
.•
︑
︑ ゜
‑
︑
︒
ヽヽ
.
ヽ一
ヽ ヽ
ヽヽヽヽ
︑ ̲
ヽ
︐
. .
6
80
イタリア人
40│
/ ‑ ‑ ‑ ‑ _ _ _ _ 〜 ̀ 、
ギリシャ人ヽ•-..._-、
‑ ‑ ‑ 會 ‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑
________--•一
201
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ノ
スペイン人‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑
゜
1970 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83(年) 出所:
S t a t i s c h e sBundesamt,
B e v o l k e r u n g und E r w e r b s t a t i g k e i t , R e i h e
2" A u s l a n d e r " , 1 9 8 3 , S . 2 0 ‑ 2 1 ,
より作成。いずれにせよ.このような西ドイツにおける 旭大な外国人の滞留現象は.西ドイツ政府当局 の外国人問題に対する政策理念の再構築を迫る ことになった。
1 9 7 9
年9
月.こうしてキューン・メモランダム
(Kuhn‑Memorandum)
が出さ れた11)。2
批.3
世に対する統合的教育の促進 ゃ.地方自治体選挙権をはじめとする外国人に 対する諸権利の付与など.そこに提唱された様 々な統合政策には.新たな政策路線への指針が 明確に示されていた。外国人労働者のドイツ市 民社会への組み込みが検討され.大幅に容認さ れたかのように推察された局面であった。だが.
1 9 8 1
年における1 6
才以上の子弟の呼び‑
‑ ヽ ● ‑ ・
維持経済のかなりの解体を前提にした労働移民」
とみなされた視角は,極めて興味深い。氏のこの 見解は.東大出版会より近日刊行予定の.森田桐 郎編『国際労働力移動(仮題)」のなかで.「西ド イツにおける外国人労働力導入の構造」というテ ーマで発表される。
11)
B e a u f t r a g t e d e r B u n d e s r e g i e r u n g f u r A u s ‑ l a n d e r f r a g e n , o p . c i t . , S . 1 5 ‑ 1 6 .
寄せ禁止, さらには
8 3
年の「外国人帰国促進法 ) ( Gesetz zur Forderung der R i . i c k k e h r ‑ b e r e i t s c h a f t von A u s l a n d e r n ) 1 2 )
の施行に象 徽的に現わされているように,政府の姿勢は硬 化しつつある。西ドイツ資本主義の厳然たるナ ショナリズムが,景気低迷の今日,国家政策の 上に顕現しているところであろう。「ドイツ連 邦共和国は移民国ではない。」( D i e Bundesre‑
p u b l i k Deutschland i s t k e i n Einwanderungs‑
l a n d . ) 1 3 >
ドイツ経営者団体連盟の外国人問題に 対する答申には,こう確言されている。現在,外国人政策の基本的方針は,流入規制,婦国促 進,ならびに長期滞在外国人の統合である14)0
外国人の可能な限りでの「排斥」前提下におけ る「統合」ということなのである15)0
しかるに,留意すべきは,いかに「排斥」へ の動向が強化されはしても,その一方で,常に それと並行して,「統合」措置への配慮がなさ れているということである。外国人労働者数と 失業者数との近似性を掲げ,彼らに対する排撃 の風潮が昂進する中にありながら,徹底した排 出路線一本槍でなく,常に「統合」という伏線 が敷かれているのは,いかなる理由によるので あろうか。この点こそ,現在の外国人労働者問 題の根幹をなしているように思われる。一つに は,さきに指摘した外国人の滞留に関しての送 出国サイド自体の問題があるだろうが,本稿で
1 2 ) I b i d . , S . 3 3 ‑ 3 4 .
1 3 ) V e r a b s c h i e d e t vom V o r s t a n d d e r B u n d e s v e ‑ r e i n i g u n g d e r D e u t s c h e n A r b e i t g e b e r v e r b a n d e , Das A u s l a n d e r p r o b l e m : D i e G r u n d a u f f a s s u n g d e r A r b e i t g e b e r , 3 / 1 9 8 3 , S . 3 0 .
1 4 ) B e a u f t r a g t e d e r B u n d e s r e g i e r u n g f o r A u s ‑ l a n d e r f r a g e n , o p . c i t . , S . 5 9 .
1 5 )
こうした最近の西ドイツ政府の外国人政策につ いては,森廣正氏の「現代資本主義と外国人労働 者」大月書店,1 9 8 6
年,1 3 4 , . . . . ̲ , 1 4 3
ページ,に詳しぃ
。
は,次節以下,受入れ国,西ドイツの経済実体 の分析をとおし,西ドイツ資本主義と外国人労 働者との関係を検討することによって,一つの アクセスとしたい。
2 .
西ドイツ経済と外国人労働者雇用従来,西ドイツ経済にとって,外国人労働者 雇用の最大の意義は,その景気バッファーとし ての機能にあった。図
2
にも示されているように,
1 9 7 0
年代前半まで,西ドイツ経済の主導的 産業部門である鉱工業において,外国人労働者 数の変動は,労働力需要の動向に対し,高度な 感応性を示していた。それは超完全雁用時代に おける,国外から人為的に獲得された労働市場 の弾力性の表れにほかならなかった。彼らの入 国は,就労許可を付与された就業者としての入 国であり, 失業は, 原則的には, 自発的, あ るいは居住許可取消しによる帰国を意味してい た。その結果, 外国人労働者の失業率は, 常図
2
鉱工業における労働力需要と失業率,および外国人労働者数の変遷(%) 30 25 20
(a)
5 0 5 0 5 1 1 l
失業率R(%)
I
鉱工業生産①(前年比、%)
工業生産性②(前年
‑10
(万人)
50 30 0 0 0 0 1 1 3
︱︱
厚 労 慟 力 需 要 ④ 匿 労 慟 力 需 要
e
1950 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83(年)
外国人労慟者数(前年比増滅、万人)
\
(b)
出所:StatischesJ ahrbuch fur die BRD各年版,およびJahresgutachten 1983/84, S.294,より作成。
(注) ①鉱工業生産は純生産高。
②鉱工業生産性は,従業員1人当りの生産高。
③失業率,及び外国人労働者数は1959年以前については,ザールランド,ベルリンを含まない。
表
2
外国人労働者の失業者数と失業率 だ。この外国人労働者の景気バッファー機能喪•一-
‑
外 国 人 失 業 率 ( % ) 失 業 者 数 外 国 人 ドイツ人
1 9 6 2 1 , 0 1 9 0 . 1 0 . 5 1 9 6 3 1 , 3 5 2 0 . 1 0 . 5 1 9 6 4 1
,2 8 6 0 . 1 0 . 5 1 9 6 5 1 , 2 2 1 0 . 1 0 . 5
1966 1,8320 . 1 0 . 5 1 9 6 7 1 3
,2 3 5 1 . 3 2 . 0 1 9 6 8 3 , 4 3 7 0
.3 1 . 1 1 9 6 9 1 , 8 7 5 0 . 1 0 . 5 1 9 7 0 2 , 9 6 4 0 . 2 0 . 7 1 9 7 1 1 1 , 7 7 7 0 . 6 0 . 8 1 9 7 2 1 7 , 0 2 8 0
.7 1 . 1 1 9 7 3 1 9 , 7 5 0 0 . 8 1 . 2 1 9 7 4 6 9 , 1 2 8 2
.9 2 . 5 1 9 7 5 1 5 1 , 4 9 3 6 . 8 4 . 6 1 9 7 6 1 0 6 , 1 4 5 5 . 2 4 . 7 1 9 7 7 9 1 , 9 2 7 4 . 9 4 . 8 1 9 7 8 1 0 3 , 5 2 4 5 . 5 4 . 5 1 9 7 9 9 3 , 4 9 9 4 . 9 3 . 9 1 9 8 0 1 0 7 , 0 0 0 5 . 2 4 . 2 1 9 8 1 1 4 8 , 0 0 0 7 . 1 5
.3
出所:R.Bech und R. F a u s t , Die Sogena‑
nnten G a s t a r b e i t e r , Frankfurt a
. M.1 9 8 1 , 8 . 1 6 .
時,ドイツ人よりも低く, 67年の恐慌時でさえ,
わずか
1 . 3
% に す ぎ な か っ た の で あ る ( 表2
参 照)。だが,それ以降,事態は一変した。鉱工業部 門にあっては,生産高は生産性比率の低さより
も, さらに転落の度を深めていった。 その結 果,ほとんど一貫して労働力需要が縮小し続け ることになった。もはや,この産業部門におい て,かつてのような労働力悔要拡大への展望は 持てそうにない。こうして,西ドイツ労働市場 は高失業時代を迎えることになった。外国人労 働者数の変動も,マイナス基調に変わったが,
70
年代後半の一時期には,例外的に増大がみら れる。 景気バッファーとしての彼らの機能は,以 前 ほ ど 確 実 な も の で は な く な っ て い る よ う
失傾向については,つぎの二つの視点からとら えることができよう。
まず第一に,旧来のガストアルバイターの本 性からするならば,当然,
J
祉国したであろう失 業外国人が,西ドイツ国内に滞在し続けているということである。景気バッファー機能の奏効 を究極において規定する「失業の輸出」16) に, 支障を来しているのである。外国人労働者の失 業者としての存在は,まさにこの景気バッファ ー機能の喪失そのものを意味している17)。表
2
にもあるように,1974
年を転期として,外国人 労働者の失業率はドイツ人労働者の失業率を上 回るようになった。これは, ドイツ人労働者と の競合の回避と社会的経費の節約という,当初,政府が企図していた外国人労働者雇用の本来あ るべき態様から大きく逸脱した姿にほかならな い。ドイツ人労働者との間の軋礫,および家族 の 後 続 と も あ い ま っ た 非 就 業 人 口 比 率 の 増 大 は,市民社会の統括者としての国家にとって,
避けることのできない難題としてのしかかって いる。
第二に,依然として,多数の外国人労働者が,
今日のような高失業時代に雇用されているとい うことである。たとえば,
1982
年における外国 人就業者数は約180万人で, 西ドイツ就業者総 数の8.7%を占めている。また,鉱工業に限っ1 6 ) OECD, M i g r a t i o n , G r o w t h a n d D e v e l o p m e n t ,
P a r i s 1 9 7 9 , p . 2 1 .
1 7 )
外国人労働者の本国人労働者に対する凶失業率 をもって,外国人労働者雁用の景気バッファー機 能とみなす見解もある。たとえば,松品光男「マ Jレク切上げと西独産業構造の変化ー一円高•安定 成長時代の日本の進路を求めて」『世界経済評論』第2
2
送4
号,19 7 8
年4 ) ] , 6 6
ページ,など。しか し,外国人労働者が, 失業と同時に国外に排出さ れ,国内の失業率上昇を緩和させうるという点に こそ,彼らの景気バッファーとしての基本的機能 があると思われる。ていえば,
1 2 . 1
形にものぽっている18)。だが,こうした高失業と旭大な外国人労働者の雇用と の並存という事態から,短絡的に,本国ドイツ 人労働者への重圧のみを強調することには疑念 が生じる。なぜならば,今日の失業は構造的失 業である19)との観が強く, したがって,また,
ドイツ人労働者の失業と外国人労働者屈用との 関係も,西ドイツ経済それ自体における構造変 化とのかかわりの中で検討すべきものと考えら れるからである。それは,別言すれば,図
2
に 示された,総体としての西ドイツ経済と外国人 労働者雇用との相関関係に内包された構造問題 を見出していくことでもある。1960
年代,西ドイツは,適度の経済成長,物 価安定,完全屈用,そして国際収支の均衡とい ぅ,いわゆる「魔法の四角形」維持に,最も成 功した国であった。だが,1970
年代以降,西ド イツをめぐる内外情勢の変化は,漸次,この「四 角形」を破壊しつつある。今日の西ドイツ経済 の特徴を一言に約すならば,それは,経済成長 の鈍化と高失業ということになる。かつて,固定相場制下の西ドイツにおいては,
マルクの過小評価にもとづく輸出競争上の優位 性という強力なバックアップもあって,交易財
( t r a d a b l e goods)
生産からなる第2
次産業部 門が,他の先進工業諸国に比較して,圧倒的に 高いシェアを占めていた。こうした西ドイツ鉱 工業の持つ国際競争力の優位性は,外国資本と1 8 ) S t a t i s t i s c h e s ] a h r b u c h fur d i e BRD, 1 9 8 3 , S . 1 0 4 ,
より算出。1 9 )
石油危機以後の景気回復にもかかわらず,西ド イツ労働市場には, 常時,1 0 0
万人前後の失業者 が存在したことからも,西ドイツが,景気的失業 から構造的失業の時代に入ったことを察知しう る。この点については,つぎを参照されたい。w .
S e n g e n b e r g e r , D i e g e g e n w a r t i g e
Arbeitslosig—k e i t : a u c h e i n S t r u k t u r p r o b l e m d e s A r b e i t s m a r k t s , Campus 1 9 7 8 , S . 8 .
外国人労働者という生産要素の海外からの流入 を招喚した。
だが,
1970
年代からの世界経済の構造変化は,西ドイツ経済に,極めて重大な作用を及ぼした。
まず,ブレトン・ウッズ体制の崩壊による変動 相場制への移行がマルクのフロート・アップを 惹起したため,西ドイツ企業は,国際貿易の競 争市場において,著しく不利な状況に陥ること になった。なかでも,従来,マルク安によって 相殺されていた労働コストの対外価値
( e x t e r ‑ n a l v a l u e )
の70年代(正確には, 対ドルレート
,
1ドル 4DM
から3.66DM へ 9.29
%引上げ られた1969
年から)における上昇(図3
参照)は,西ドイツ企業にとって,労働コストを,極 めて急迫した問題に転化せしめた。そして,そ れは, さらに同じく
1970
年代に顕現してきたNICs
からの低廉・豊富な労働力を武器にした 迫撃によって,一層助長されることになった。戦後,国際貿易の主流は先進国間貿易であり,
先進工業国と発展途上国との間の貿易は,シェ アとしては低率である。しかし,先進工業諸国 にとっては,製造業品貿易に関し,むしろ後者 の方が脅威的存在となっている。なぜならば,
前者は,製品差別化などにより,相互促進的に 専門化,特殊化された,部門内的
( i n t r a ‑ s e c ‑ t o r a l )
性格が濃厚であるのに対し,後者は,むしろ全面的な競合関係に陥りやすい,部門間的
( i n t e r ‑ s e c t o r a l )性格が強く作用しているから
である20)0また,輸出産業が主軸となって導入してきた 外国人労働者の屈用によるメリットも,次第に
2 0 ) U . Hiemenz and K. W. S c h a t z , T r a d e i n p l a c e of m i g r a t i o n : An e m p l o y m e n t ‑ o r i e n t e d s t u d y w i t h s p e c i a l
筏f e r e n c e t o t h e F e d e r a l R e p u b l i c of G e r m a n y , S p a i n a n d T u r k e y , !LO Geneva 1 9 7 9 , p . 4 5 .
‑145‑
図3 ドイツマルクの実効為替レート(労働コストベース)
1962=100 120
110
100
90
出所:
G .F e l s and F . W e i s s , S t r u c t u r a l Change and Employment: The Lesson o f West Germany, i n : H . G i e r s c h ( e d . ) , C a p i t a l S h o r t a g e and Unemptoyment i n t h e World Economy, Tu.bingen
1977,p .
40.薄らいでいった。それを,
s .
ペインの所見にも とづいて以下,説明しよう。西ドイツ企業にと って,外国人労働者雇用の経済的効果には,①〔実際的効果〕として,外国人労働者の賃金水準
. . .
の絶対的な低さにもとづく絶対的コスト上の優 位性, ならびに②〔潜在的効果〕として,( i) 労働力不足による生産のボトルネックの回避,
(ii)規模の経済の実現,( iii)低廉豊富な労働力 供出能力に裏付けられた投資の増大,(
i v )
賃金 上昇率抑制,あるいは (ii)による輸出競争力の 増大,( V)ディスインフレ的効果,がある。② は,外国人労働者の労働予備軍としての存在が,潜在的に国際競争上の優位性をもたらすという
. . .
ものであって,彼らの賃金水準の絶対的低位性 に,直接的にはかかわりない。そして,その中 でも.(
i
)と (ii)の実現には,現実の外国人労 働者雇用が不可欠であるが.( iii), (iV),(V)
については,労働予備軍としての外国人労働者 へのアクセスにもとづいた,労働市場総体とし
. . .
ての弾力性が,労働力の相対的低廉性を保障す
るのである。しかるに,
1 9 7 0
年代以降,非合法 移民の取締強化,および外国人労働者やその家 族に対するコスト上の企業負担の増大,さらに は彼らの組織化,といったことによって,紐対 的コスト上の優位性は減退傾向にあり,外国人 労働者屈用の利点は,ますます労働市場の弾力. . .
性による相対的低廉性に限定されてきている。
ドイツマルクのフロート・アップや
NICs
によ る追上げといった国際情勢の変動の中で,こう した絶対的コスト上の優位性の喪失は,国際競 争上,極めて深刻な問題であるといえよう21)。 こうした状況を反映して,西ドイツの貿易構 造も,7 0
年代には,衣類,皮革製品や楽器のよ うな典型的労働集約財のみならず,自動車,電 気機器などにおいても,輸入比率の上昇がみと められるようになった(表3
参照)。C .
フェル21)
S . P a i n e , R e p l a c e m e n t o f t h e West E u r o p e a n
M i g r a n t Labour S y s t e m by I n v e s t m e n t i n t h e
E u r o p e a n P e r i p h e r y , i n : D . S e e r s ,
B.S c h a f f e r
and M . ‑ L . K i l j u n e n ( e d s . ) , U n d e r d e v e l o p e d
E u r o p e : S t u d i e s i n C o r e ‑ P e r i p h e r y R e l a t i o n s ,
The H a r v e s t e r P r e s s
1979,p p .
68‑69.表
3
西 ド イ ツ の 主 要 工 業 製 品 の 貿 易 構 造1965 1970 1975 1980 品 目 輸 出 ° 輸 入 R
R / R
輸 出 R輸 入 RR!R
輸 出 R 輸 入 RR/R
輸 出 R 輸 入 RR/R
(100万DM) (%) (100ガDM) (%) (100万DM) (%) (100万DM) (%) 化 巫子 製 品 9,011 4,027 44 7 17,414 8,170 46 9 27,614 13,860 50 2 46,189 26,548 57.5
ゴ ム ・ ア ス ベ ス ト 666 574 86.2 1,219 1,029 84.4 2,494 1,964 78.7 3,350 3,045 90.9 鉄 錆 763 170 22 3 984 352 35.8 2,343 711 30.3 3,758 1,187 31.6 機 械 15,030 4,378 29 1 24,156 6,550 27.l 43,230 8,721 20.2 57,314 16,419 28 6
自 動 車 10,144 1,747 17.2 18,223 4,897 26 9 29,800 8,624 28.9 52,818 15,994 30 3 船 舶 804 194 24 1 1,096 682 62 2 3,850 522 13.6 1,396 415 29.7 屯 気 横 械 6,430 2,257 35.1 12,022 5,761 47 9 21,388 10,410 48.7 34,351 20,779 60.5 光 学 ・ 精 密 機 械 1,748 532 30.4 2,831 1,147 40 5 4,306 2,458 57.1 6,945 4,859 70.0 鉄・プリキ・金属製品 2,917 890 30.5 5,209 1,734 33.3 6,410 2,855 44.5 10,238 5,429 53.0 木 製 品 486 436 89.7 997 644 64.6 1,922 1,554 80.9 3,327 3,578 107 5 楽 器 723 589 81 5 982 943 96 0 1,490 2,758 185.1 4,243 5,867 138.3 皮 革 製 品 195 304 155.9 251 405 161.4 273 631 231 1 450 962 213,8 繊 維 2,681 4,912 183 2 4,344 6,547 150 7 7,805 10,651 136.5 12,115 17,309 142.9 衣 類 644 1,135 176 2 1,081 2,263 209.3 2,326 6,306 271.1 4,650 10,540 226.7 出所:
S t a t i s t i s c h e sJahrbuch fur d i e BRD,
各年版より作成。ズと
F .
バイスは.s .
ヒュルシュの財の三分類(リカード財:原材料,ヘクシャー・オリーン 財:標準化商品,フ゜ロダクト・サイクル財:新 製品)にもとづき,
7 0
年代以降,西ドイツはも はやヘクシャー・オリーン財の輸出に将来的展 望のないこと,そして,さらにプロダクト・サ イクル財についても,その標準化の過程で,最 低コスト立地への志向が強まることを明言して いる22)。世界的生産立地構造の再編成という動 きの中で,伝統的先進工業国である西ドイツが,その経済構造の転換を迫られているのである。
さて,ここで,さきの表
3
に関し,つぎの点 に触れておかねばなるまい。多国籍企業におけ る企業内国際分業にもとづく輸入の増大という 問題である。統計数値上での計測は不可能だが,今日の製造業品輸入比率の上昇に対し,それが 重大に関与しているというのは,否めない事実
2 2 ) G . F e l s and F . W e i s s , S t r u c t u r a l Change and Employment: The l e s s o n o f West Germany,
in: H.G i e r s c h (
ed.),C a p i t a l S h o r t a g e and U n e m p l o y m e n t i n t h e World E c o n o m y , Tubin‑
gen 1 9 7 7 , p p . 3 5 ‑ 4 4 .
である。こうした側面を看過し,たんに輸入比 率の増大のみをもって,西ドイツ資本主義の発 展性をネガティプにとらえるならば,それは,
資本蓄積の今日的態様の重要な部分を見落とす ことになるだろう。
ところで,こうした貿易構造の変化は,西ド イツのような輸出主導型経済においては,必然 的に,国内経済の構造変化をともなう。表
4
は, 売上高ベースでの鉱工業部門における構造変化 と,各業種ごとに,その国外売上高比率を表し たものである。化学,自動車,電機工業といっ た成長産業と,繊維,衣料品工業のような斜陽 産業との対照は,一目瞭然であろう。一方,す べての業種において,国外売上高比率は上昇傾 向にあるが,1 9 7 5
年以降になると,機械,自動 車工業においては低下しており,また,電機工 業などでも微増にとどまっていることにも注視 すべきである。多国籍企業による在外生産の発 展からの作用を看取しうるところなのである。ただ,意外なことに,労働集約財産業として,
今日,
NICs
からの最大の標的業種となってい‑147‑
表
4
鉱 工 業 に お け る 売 上 高 の 構 造 変 化 ①(単位:%)
売 上 高 (内:国外売上高比率)
1 9 6 5 1 9 7 0 1 9 7 5 1 9 8 0 1 9 6 5 1 9 7 0 1 9 7 5 1 9 8 0
鉱 業2
.8 2 . 2 2 . 4 2 . 4 2 0 . 6 2 0 . 5 2 3 . 7 1 7 . 0
·----·雫ー・・・•‑• ‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑・‑‑‑‑‑・・・・・・・・‑・‑・‑. ‑..―・ • ‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑---···-雫·~'~ * • • • ‑‑‑‑‑• ‑‑‑‑ ‑‑呵•デー囀ー・--‑‑‑‑‑• ‑••幽•● ‑尋•-‑. ‑‑.. ‑.. ‑‑‑.. ‑. ." ‑• ‑ ・ • ~ ‑ ‑ ‑• ‑• ‑ ‑‑ ‑ ‑ ... ‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑
製 造 業
9 7
.2 9 7 . 8 9 7 . 6 9 7 . 6 1 5 . 6 1 9 . 3 2 3 . 6 2 4 . 5
(原料•生産財)
2 8 . 9 2 9 . 5 2 9 . 7 3 1 . 9 1 6 . 1 1 9 . 2 2 3 . 8 2 2
.8
土 石3 . 2 2 . 9 2 . 6 2 . 5 0 . 4 3 . 8 6 . 0 8
.3
製 鉄5
.6 5 . 8 5 . 4 4 . 0 2 3 . 0 2 4 . 0 3 4 . 0 3 4
.0
鉄.
金 物4 . 3 4 . 3 3 . 6 3 . 8 1 3 . 2 1 4 . 8 2 0 . 3 2 2
.8
石 油3 . 3 3 . 7 4 . 3 8 . 1 3 . 8 3 . 9 4 . 6 3
.9
化 学9 . 1 9 . 6 1 0 . 8 1 0 . 6 2 4 . 9 3 1 . 0 3 3 . 0 3 7 . 3
ゴム・アスベスト1 . 3 0 . 1 1 . 3 1 . 1 1 1 . 6 1 6 . 3 2 5 . 7 2 2 . 8
(投 資 財)
3 5 . 4 3 8 . 5 3 8 . 9 3 9 . 3 2 4 . 8 2 8 . 7 3 4 . 3 3 4 . 7
機 械1 0 . 3 1 0 . 7 1 0 . 9 1 0 . 3 3 0 . 4 3 5 . 5 4 3 . 7 4 3 . 1
自 動 車7 . 2 7 . 9 8
.1 1 0 . 6 3 4 . 7 3 9
.1 4 1 . 5 4 0
.3
電 機8 . 4 9
.6 9 . 9 9 . 4 1 8 . 8 2 1 . 6 2 7 . 0 2 7 . 9
(消 費 財)
3 2 . 9 2 9 . 8 2 9 . 0 2 6 . 3 5 . 1 7 . 1 8 . 9 1 1 . 2
繊 維5 . 6 4 . 6 3 . 7 2 . 8 8 . 6 1 3 . 6 1 5 . 7 1 9 . 4
衣 料3 . 3 2 . 6 2 . 3 1 . 7 3 . 4 5 . 0 8 . 1 1 2 . 6
食 品1 2
.1 1 0 . 8 1 1
.4 1 1 . 0 2 . 1 3 . 1 5 . 1 7
.5
総 計1 0 0 . 0 1 0 0 . 0 1 0 0
.0 1 0 0 . 0 1 5 . 7 1 9 . 3 2 3 . 6 2 4 . 3
出所:
S t a t i s t i s c h e sJahrbuch fur d i e BRD,
各年版より作成。(注) ①1
9 6 5 , 7 0 , 7 5
年度は従業員10
人以上の企業,1 9 8 0
年度は20
人以上の企業についての調査による。る繊維,衣料品工業は,むしろその貿易依存度 を高めている。いわゆる,西ドイツ製品の,品 質上の非価格競争力によるところであろう。
このような業種間での不均衡構造を内包しな がらも,西ドイツ鉱工業の総体としての縮小傾 向は,もはや不可逆的な趨勢である。民間設備 投資をみても,図
4
に明示されているように,とりわけ,製造業における
72
年以降の停滞は,他方でのサービス業の急増と,著しい対照をな している。西ドイツ製造業における設備の老朽 化は, しばしば指摘される23)ところであるが,
この新規設備投資の停滞は,製造業の今後の成 長ポテンシャルに対し,ペシミスティックな展 望以外,何者をも与えはしない。
表
5
に示されている就業構造の変化は,こうした状況を,労働市場の場において,直裁に反 映している。就業者数の製造業での減退と第
3
次産業における増大である。だが,ここで,そ れをさらに, ドイツ人労働者と外国人労働者と の区分の上に検討すると,つぎのようにいうこ とができる。1974
年から82
年の間, ドイツ人労 働者は,製造業において約57
万人減少している が,第3次産業では,サービス業だけでも,そ れを十分に相殺しうる約71
万人の屈用増となっ ている。一方,外国人労働者は,製造業で約4 4
万人減少したが,第3
次産業の扉用増は,全業 種を合計しても,2
万人増にも満たない。また,2 3 )
上田信行「西ドイツ経済の構造変化と直面する 諸問題」日本長期信用銀行調査部『調査月報」第1 5 9
号,1 9 7 8
年11
月,1 5
ページ。図4 西ドイツ民間設備投資の構造変化①
︑
!,8ー+ %︑ , ' `
冒
+16
+14
+12
+ 1 0
+8
+6
+4
+2
゜
ー2
‑4
r ‑ ‑ ‑. .
1972‑1978
置 j
1962‑1972サービス業
(住宅賃貸業は除く)
商業・交通 建 設業
r ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑. .
'
r ‑ ‑ ‑ ‑. .
~----~ r ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ . . '
: : j
I r ‑ . ,
II I I I I I
』‑ I L
←
I I I I I
I I I I I
I I I I I
I L
→ ←
I L
→ ←
I ,
製 造 業
︑
l8
ー+ % ︐ー︐
+ 1 6 + 1 4
+12
+ 1 0
+8
+6
+4
+2
゜
‑2
‑4 出所:]ahresgutachten1980/81, S.54.
(注) ① 各年価格での新規設備投資。柱の幅は設備投資総額に占める各産業部門の設備投資の平均割合を示し,
柱の高さは, 各期間における年平均変化率を示している。
変化率でみても,製造業での就業者数の減少率 は, ドイツ人労働者の場合,
7 . 4
%減なのに対 し,外国人労働者は3 0 . 2
%減である。第2
次 産 業から第3
次産業へ,より正確には,製造業か らサービス業へ主軸が移行しつつある西ドイツ 経済の構造変化において,外国人労働者の犠牲 の上に, ドイツ人労働者へのインパクトが軽減 され, その雇用が, ある程度維持されることに なったものととらえうるところであろう。人労働者の内部化と外国人労働者の外部化とい ぅ,労働市場に進展している現象の逆投影した 姿でもある。高度成長期に,優れた人材確保を 企図して始まった,大企業を中心とする部分的 労働市場の形成は,労働力の企業間可動性を減 退させ,西ドイツ労働市場を分断化した。
7 4・
7 5
年恐慌以降の構造的失業の背景として, これ は必ず言及される問題である24)。この部分的労それはまた,西ドイツ企業における, ドイツ
24) 西ドイツの構造的失業と.部分的労働市場形成 による労働市場の分断化との関連性については,
‑149‑
表
5
西 ド イ ツ に お け る 就 業 構 造 の 変 化 (単位:1 , 0 0 0
人/()内は%)1974 1978 1982 増1974・8減2<I>
就全業者R 外労働国者人R
呼 ( % R )
就業全者R 外労働国人者R罰 ?
就全業者R 外労働国者人R鬱 亨
労ドイ働ツ人者閥 合
農 ・ 林 ・ 水 産 業 202.5 22 9
(11.3) 210.7 17 4
(8.3) 214.7 16 4
(7 6) +18.7 ‑65 (1.0) (1.0) (1.0) (1.0) (1.1) (1 0) (+10 4) (‑28 4) エネルギー産業・ 448.0 29 5
(6.6) 477.8 35 2
(7.4) 466 2 34.0
(7.3) +13 7 +4.5 鉱 業 (2.2) (1 3) (2 4) (1.9) (2 3) (1.9) (+3.2) (+ 15 3) 製 造 業 9219.4 1456.1
(15 8) 8430 2 1108.9
(13 2) 8208 0 1016.4
(12 4) ‑571.7 ‑439 7 (44.3) (62.5) (42.0) (59 3) (40.3) (57.0) (‑7.4) (‑30 2) 化 学 ・ 石 油 化 学 651.2 73 5
(11.3) 606.8 54 2
(8 9) 607 9 52 2
(8 6) ‑22 0 ‑21.3 (3.1) (3.2) (3 0) (2.9) (3.0) (2.9) (‑3.8) (‑29 0) ゴム・アスベスト 351.5 75 8 (21 6) 330 1 61 1
(18 5) 333.6 60.7 (18 2) ‑2.8 ‑15.1 (1.7) (3 3) (1.6) (3 3) (1.6) (3.4) (‑l. 0) (‑20 0) 鉱 石土・ガラス 440.6 75 1
(17 0) 375 9 50.2
(13 4) 337 5 42 1
(12 5) ‑70 1 ‑33 0 採 掘 加 工 (2.1) (3 2) (1 9) (2 7) (1 7) (2.4) (‑23 4) (‑43.9) 金 属 ・ 非 金 属 830.5 166 0
(20.0) 733.0 126 3
(17.2) 678.5 118 8
(17.5) ‑104.8 ‑47.2 製 造 加 工 (4.0) (7 1) (3 6) (6.8) (3.3) (6 7) (‑15.8) (‑28.4) 鉄 鋼 ・ 機 械 ・ 2553.8 378.9
(14.8) 2416.8 308.3
(12.8) 2463 5 294.8
(12.0) ‑6. 2 ‑84 1 自 動 車° (12.3) (16.3) (12.0) (16.5) (12 1) (16.5) (‑0.3) (‑22 2) 電子工学機械・精密 1877.0 341.3
(18.2) 1669.6 248.8
(14.9) 1616 7 220.8
(13.7) ‑139.8 ‑120 5 機械・光学機器製造R (9.0) (14.6) (8.3) (13.3) (7.9) (12.4) (‑9.1) (‑35.3) 製 材 ・ 製 紙 ・ 867.2 113 0
(13.0) 819.2 84. 4
(10.3) 804.2 75.7
(9.4) ‑25.7 ‑37.3 印 刷 業 (4.2) (4.8) (4 1) (4.5) (3.9) (4 2) (‑3.4) (‑33.0) 皮革 ・ 繊 維 ・ 902.2 152.7
(16 9) 756.8 112.4
(14.9) 654.4 93.1
(14 2) ‑188.2 ‑59 6 衣 料 品 (4.3) (6.6) (3.8) (6 0) (3.2) (5.2) (‑251) (‑39.0) 食 品 ・ 745.4 79.9
(10.7) 721.8 63.3
(8.8) 711 6 58.2
(8.2) ‑12.1 ‑21.7 嗜 好 品 (3.6) (3.4) (3.6) (3 4) (3.5) (3.3) (‑1.8) (‑27.2) 建 設 業 1823 8 278.5 (15.3) 1602 8 187.5
(11. 7) 1512 9 167.6 (11.1) ‑200 0 ‑110.9 (8.8) (11.9) (8.0) (10 0) (7.4) (9.4) (‑12.9) (‑39.8) 商 業 2840.8 121 6
(4.3) 2799.l 1100
(3.9) 2860.3 116 7
(4.1) +24.4 ‑49 (13.6) (5.2) (13.9) (5.9) (14.0) (6 5) (+0.9) (‑4 0) 交 通 ・ 通 信 業 1033. 7 80.5
(7.8) 949 3 69.4
(7.3) 992.0 69.3
(7.0) ‑30 5 ‑112 (5.0) (3.5) (4 7) (3 7) (4.9) (3.9) (‑3 2) (‑13.9) 信 用 ・ 保 険 業 727.8 12.9
(1.8) 721.7 12.3
(1. 7) 778.0 12.7
(1.6) +50 4 ‑02 (3.5) (0 6) (3.6) (0.7) (3.8) (1 0) (+7.0) (‑1 6) サ ー ビ ス 業 2901.5 267.8
(9.2) 3230 9 269.4
(8.3) 3632.7 291.7
(8.0) +707 3 +23 9 (13.9) (11.5) (16.1) (14.4) (17.8) (16.4) (+26.9) (+8 9) 清 掃 ・ 体 育 290.7 31.2
(10.7) 287.2 30.2
(10.5) 311.0 38.4
(12.3) +13 1 +7.2 (1.4) (1.3) (1.4) (1.6) (15) (2 2) (+5.0) (+23 1) そ 他 1617.0 61.5
(3.8) 1666.2 59.1
(3.5) 1723.4 59 0
(3.4) + 108.9 ‑2.5 の (7.8) (2.6) (8.3) (3.2) (8.5) (3.3) (+7 0) (‑4.1)
総
i
f 20814.5 2331.2 (11.2) 20088.4 1869.3(9.3) 20388.1 1783 9
(8.7) +120 9 ‑547 3 (100.1) (100.1) (100.0) (100.1) (100.1) (100 4) (+0.7) (‑23.5) 出所:StatistischesJahrbuch fur die BRD,各年版より作成。
(注)①1974, 78年の各統計数値より算出。上段は増減の絶対数,下段は変化率。
②コンピュータ製造を含む。
②コンビュータ製造を含まない。
働市場においては,基幹労働者として, ドイツ 人労働者の内部化が推進される一方,外国人労 働者は,低熟練な周辺労働力として,外部化を 余儀なくされている25)。かくして,硬直化した 西ドイツ労働市場は,構造的失業の一方で,外 国人労働者外部化による弾力性26)を享受してい るのである。ドラスティックな就業構造の変化 を迫られている現在,ドイツ人労働者の失業は,
外国人労働者のこうした流動的存在がなければ,
はるかに深刻なものとなっているであろう。こ うした見地から,今日,外国人労働者雇用の最 大の機能は,構造変化上のバッファーであると いえよう。
そこで,つぎに,この製造業内部における就 業構造の変化について,さらに検討を進めてみ よう。いずれの業種においても, ドイツ人,外 国人,双方ともに減少しているが,その中に留 意すべき特徴として,つぎの四点を指摘しうる だろう。
①鉱業や清掃業など一部の業種で,外国人労 働者の増加率は, ドイツ人労働者の増加率をは
るかに上回っている。
②ゴム・アスベスト加工業において,減少し たとはいえ,外国人労働者は,依然,
2
割近い 高比率を占めている。③一般的傾向として,外国人労働者比率の低
つぎの著書を参照されたい。
W.S e n g e n b e r g e r , o p . c i t . .
2 5 )
西ドイツ労働市場の内部化問題と外国人労働者 との関係については.つぎを参照されたい。佐藤 忍「西ドイツにおける内部労働市場と外国人労働 者—昇進差別の構図」「経済学(東北大学)」第4 7
巻4
号,1 9 8 6
年1
月。2 6 )
外国人労働者の移動率が. ドイツ人労働者の約2
倍である(ギュンター・トリーシュ「西ドイツ 労働市場の動向」「日本労働協会雑誌」第2 6 0
号.1 9 8 0
年1 1
月.2 2
ページ.参照)という事実からも.こうした見解は.十分首肯しうる。
下が,
1 9 7 8
年以降,減速している。④鉱石土採掘業や金属・非金属工業,および 皮革,繊維,衣料品工業といった斜陽産業にお いては, ドイツ人労働者も外国人労働者も高比 率の減少を示し,両者間の格差が比較的小さい のに対して,化学, 自動車,機械.そして電機 工業のような成長産業においては. ドイツ人労 働者に比較して,外国人労働者の減少率が極端 に高い。
①, ②は, 労働環境の劣悪さにもとづく忌 避職種として,もはやドイツ人労働者では充足 しえない,外国人労働者による,いわゆるアキ
( v a c a n c y )
の補填である27)。それは,外国人労 働者の政策的導入において,当初から一貫した 特徴でもあったが,今日では,それ自体が,西 ドイツ労働市場の一つの属性として定着してし まっているようだ。そして,さらに⑧からは,製造業全般として も,外国人労働者への依存体質が.もはや脱却 しえないものになっていることが察知できる。
外国人労働者は,西ドイツ経済にとって,たん なる暫定的必要労働力ではなく.永続的必要労 働力なのである。したがって.そこから.西ド イツ企業サイドの要請からしても.外国人労働 者を完全に排出してしまうことはありえないと 考えられよう。
ところで.最後の④であるが. ここには.製
27) ドイツ人労働者の忌避という観点からすれば.
さらに.具体的な労働内容について.つぎのよう な状況が存在している。たとえば,自動車工業に おける賃金労働者の
35%
が,また.交替制鍛冶屋 の従業員の2分の1が.そして.シュトゥットガ ルトの墓掘人の多くが,外国人労働者なのであ る。M.L a d e n e r ‑ M a r c h e r , A u s l a n d e r i n d e r A r b e i t s w e l t , i n : H. G e i ( 3 1 e r ( H r s g . ) , A u s ‑ l a n d e r i n D e u t s c h l a n d : Fur e i n e g e m e i n Zu ‑ k u n f t , Munchen 1 9 8 2 , S . 1 1 1 , 1 3 2 .
‑151‑
造業内部での構造変化の基本的問題が,就業構 図
5
西ドイツをめぐる対外直接投資の発展 造の変化という側面において,極めて明確なかたちで表されている。成長産業と斜陽産業との 著しい対照である。斜陽産業は.雇用総体とし て,大幅な縮小をみせている。だが.成長産業 は,その雇用調整を,外部化した外国人労働者 に対し,強力に適用することによって. ドイツ 人労働者へのインパクトを弱化させうる程度の 縮小にとどまっているのである。
しかるに,こうした外国人労働者の外部化を もって構造変化のバッファーとしている成長産 業は.また.一方で.多国籍企業として在外生 産を推進し.現地労働者を盛んに吸収しつつあ る業種でもある。それは.国内での外国人労働 者雇用から,国外での現地労働者雇用への転換 としてもとらえうることから,近来,外国人労 働者雇用か,対外直接投資による在外生産か,
といった二者択ー論議が展開されるようになっ た。そこで,次節では,この問題について検討 を加えたいと思う。
3
.
外国人労働者雇用と多国籍企業一
‑ . ,
西ドイツの対外直接投資1 0
億DM ----—外国の対独直接投資1 0
億DM+9 +9
+8 I +8
( + 7 +7
.
" l+6
+6 .
I I¥ I'
+5 +5
+4 +4
Iヽ
、
、
'
ヽ .
"
+3 I l
/1t ' │ ' ' " │ + 3
I ,
; . . ̀ v ' ,
I II I
I I
̀
+2 u ' +2
.
+1
゜ ゜
‑0. 5 ~ - 0 . 5
1 9 6 0 6 1 6 2 6 3 6 ( 6 5 6 6 6 7 6 8 6 9 7 0
717 2
737 ' 7 5 7
6 777 8 7 9
図6は,対外直接投資をめぐる,西ドイツの
出所:fahresgutachten1 9 8 0 / 8 1 , S.92.
資本輸出入の推移を表したものである。西ドイ ツの対外直接投資が本格化するのは,
1 9 6 0
年 代 末からである。しかも,資本輸出が輸入を超過 し,収支上,対外寵接投資の純輸出国としてそ の趨勢が定着したのは,1 9 7 4
年以降のことであ る(図5
参照)。 28)それ以前の西ドイツは, マ2 8 )
図5では, 1979年までの数値しか表されていな いが,その後,1 9 8 0
年代にもこの傾向は持続して いる。たとえば,1 9 8 5
年における西ドイツの対外 直接投資が10 8
億D M
なのに対し,外国の対独直 接投資は29億D Mにすぎないのである。こうした1 9 8 0
年代の西ドイツをめぐる対外直接投資の具体 的数値については,つぎを参照されたい。Deuts‑
ルクの過小評価と
EEC
共同市場の成立を背景 に,アメリカをはじめとする諸外国からの資本 輸入国だったのである29)。西ドイツの戦後は,敗戦国としての戦後であ
che Bundesbank, R e p o r t of t h e D e u t s c h e Bund‑
e s b a n k for t h e year 1 9 8 5 , p . 2 8 .
29) アメリカ多国籍企業による,ョーロッパ共同市 場への侵攻は,当時,「アメリカの挑戦」として,
EEC
諸国の脅威となった。J .J . Servan‑Schre‑
i b e r , Le D
針f iA m e r i c a i n , P a r i s 1 9 6 7 ,
林信太 郎・吉崎英男「アメリカの挑戦」タイムライフィンターナショナル,
1 9 6 8
年。った。在外資産の没収30)と対外直接投資に対す る諸規制31)により,西ドイツ企業の対外進出活 動は,必然的に,輸出主導型の発展過程を辿る ことになった。そして,それはまた,戦後の国 内経済再建を急務とする西ドイツ経済がとりう べき,唯一の途でもあった。こうして,輸出振 興こそが戦後西ドイツ経済の至上目標となり,
すでに再三指摘してきた,マルク過小評価から の恩典も加わって,極度に輸出志向的な産業構 造が構築されることになった。
だが,事態は,
1 9 6 0
年代後半から変化する。西ドイツ経済にとって,企業の多国籍化の持つ 意味が変わってきたのである。輸出振興至上主 義のもとで,副次的意義しか認められなかった 対外直接投資が,世界市場における,西ドイツ 資本の主要な蓄積方法になってきているのであ る。その要因として,
H.
ショルツは,つぎの三点をあげている32)。①西ドイツ経済の発展によ る国内市場の飽和化。②国内諸コストの国外に 比較しての相対的上昇。③マルクレートの引上 げ。
要するに,前節で指摘した,西ドイツの輸出 競争力低落の諸要因が,逆に,対外直接投資の 促進要因に転化しているのであり,それが,① による,資本輸出の前提としての「資本の過剰」
形成をまって,西ドイツ多国籍企業の発展を必 然化せしめたものととらえられるところであろ
ぅ 。
西ドイツ資本の多国籍企業としての発展は,
その後発性のため,たとえば表
6
に示されてい るように,依然,全世界における対外寵接投資 の,わずか1
割を占めるにすぎない。だが,さ きの図5
でも明らかなように,絶対額としての その進展は,とりわけ6 0
年代以降,著しい成長表
6
直 接 投 資 形 態 で の 年 平 均 資 本 輸 出( 全 世 界 )
1 9 6 0 ‑ 1 9 6 9 ( 1 0 0
万ドル)(%)
ア メ リ カ4 , 2 1 7 6 6
日 本1 1 6 2
西 ヨ ー ロ ッ パ1 , 8 8 5 2 9
西 ド イ ツ
3 3 5 5
フ ラ ン ス2 2 7 4
イ ギ リ ス8 0 2 1 3
出所:I P W ‑ B e r i c h t e ,8 / 1 9 8 2 , S .
1.3 0 )
この点については.つぎを参照されたい。Han‑
delskammer Hamburg, D e u t s c h e D i r e k t i n v e s ‑ t i t i o n e n im A u s l a n d : M o t i v a t i o n , E n t w i c k l u n g , F o r d e r u n g , Hamburg 1 9 6 9 , S . 2 3 .
3 1 )
戦後の軍政府法令第5 3
号による対外直接投資の 禁止は,1 9 5 2
年の外国貿易回状第1 5 / 5 2
号( R u n ‑ derla~ Au~enwirtschaft N r . 1 5 / 5 2 )
を経.1 9 6 1
年の対外経済法 (Au~enwirtschaftsgesetz) 制定
により,申告のみで,国内投資と同じように対外 直接投資を行いうるようになった。 こうした戦 後,西ドイツ多国籍企業に対する法制上の変遷に ついては,つぎを参照されたい。林満男「西独多
1970‑1979 1975‑1979 ( 1 0 0
万ドル) (%)( 1 0 0
万ドル)(%)
1 2 , 2 2 0 5 2 1 5 , 7 6 8 5 0 1 , 6 0 1 6 2 , 1 3 1 7 9 , 2 2 2 3 8 1 2 , 1 3 9 3 9 2 , 2 5 2 , 3 , 0 9 6 1 0 1 , 0 5 5 4 1 , 5 0 2 4 3 , 2 3 6 1 3 3 , 9 8 1 1 3
率を示している。折しも,それは,西ドイツに おいて,旭大な外国人労働者の存在をめぐり,
排外的思潮の兆しが見えはじめた時期でもあっ た。そこから,
70
年代,特に73
年の募集停止以 後,対外直接投資のこのような増勢を背景に,国籍企業」森山書店,