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関東大震災における建築物被害報告に関する一考察 -周辺史料を通して見る『百号報告』の信憑性- [ PDF

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Academic year: 2021

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27-1 2. 『百号報告』単体での検証 2.1 『百号報告』概要  『百号報告』は濃尾地震を契機に明治25(1892)年 に設立された政府諮問機関「震災予防調査会」により大 正15(1926)年10月に発行された*4。同会は理学・工学 横断を旨とし、報告内容も建築物被害から振動メカニ ズムまで多岐に亘る。建築物の被害報告は、構造別各章 異なる筆者によって執筆されているが、それぞれ警視 庁調査を典拠にしたと表1のように明記されている。 2.2 同報告の建築物被害報告に見る疑問点  『百号報告』に構造・地区・用途・階数別で分散して 記されている建築物の被害報告を便宜上*5集計した(表 2)。以下、同表から看取できる矛盾点を四点挙げる。 Ⅰ:被害等級として、木造では大破損の下に「安全」、石 造・煉瓦造では全壊の上に「焼失」、RC造では大破損の 下に「小破損」と「無被害」が設定されており、構造種別 によって被害項目に相違がある(即ち統一性がない)。 Ⅱ:RC造に「焼失」、木造に「小破損」、石造・煉瓦造に 「小破損」・「無被害」の項目自体が無い。 Ⅲ:焼失区域分の数値が木造は倒壊別、石造・煉瓦造は 一括である。石・煉瓦造とRC造、共に耐火構造で内部造 作は可燃性にも拘らず、RC造には「焼失」の項目が無く 石・煉瓦造の「焼失」の数値は全体の約9割を占める。 Ⅳ:木造焼失区域の記述には「焼失區域内ニ對シテハ 地震直後―中略―焼失前既ニ敏速ニ調査ヲ遂ゲタルモ ノアリ(1)」とあるが、3.1の即時史料の第1報(後述)によ ると既に延焼が進行しており、調査実態に疑いが残る。  以上より、『百号報告』には、石造・煉瓦造の被害を より大きく、RC造の被害をより小さく見せようとする 意図の下に等級に操作が加えられた可能性がある。

関東大震災における建築物被害報告に関する一考察

―周辺史料を通して見る『百号報告』の信憑性― 浦山 侑美子  1. 序 研究の背景と目的  東日本大震災以来、防災への関心の高まりから、関東 大震災(1923.9.1)を中心に過去の震災の実態を振り返 る機会が増えている。関東大震災についての情報は、 『震災豫防調査会報告第百号(1)』(以下百号報告)に尽 きるといってもよい。同報告では煉瓦造被害の大きさ とRC造被害の少なさが対照的に示されており、RC造の 耐震性の高さを公知させた。関東大震災を契機にその 後、RC造を耐震構造と捉える認識が定着し、RC造関連 法制定・RC造普及と大きく時代が変化していったこと もあり、『百号報告』の建築物の被害報告は、この流れ と共に取り上げられることも多い。  本稿では、このような意味を持つ『百号報告』の再 検証を行った。具体的には、東京市内の建築物の被害 報告数に焦点を絞り、周辺史料の内、即時史料(警察記 録)を中心に、編纂史料の内でも年次の古いものを用い 『百号報告』での報告数と比較分析を進めた(図1)。  その結果として、『百号報告』に対する疑問を大き く以下の三点確認した。①同報告の構造別報告には被 害記載の欠落や焼失の扱いの違いが見られ、明らかに 不自然である点。②同報告がその作成の典拠とした即 時史料である警察記録との間に整合性が全く見られな い点。③同じく警視庁調査を典拠に同時期に編纂され た土木学会の報告(2)(以下土木学会報告)では『百号報 告』と反対の結論が提示されている点、である。  以下、2章で『百号報告』の内容をまとめ、3・4章で 各周辺史料との比較・照応を行う事で、上記3点を検証 する。その上で5章では、報道・学術界の反応を4章まで の結果を勘案しつつ見ていく事で、反応の内実を考察 する。6章では全体の総括とあわせて、今後の展望とし て日本社会全体の動向に位置づける。 警視庁調査 内務省調査 『東京震災録』 『東京府大正震災誌』 『百号報告』 『土木学会報告』 『震災調査報告』 『大正震災志』 『大正大震火災誌』 『災害状況』 『保安部災害救護情報』 『状況概括』 『震災彙報』 内務省社会局 世帯数 / 区別・業種別 内務省社会局 世帯数 / 区別 東京府 *2 警視庁 / 統計情報なし 土木学会 軒数 / 構造・用途・階数別 震災予防調査会 軒数 /*1 東京市役所 *3 内務省調査 典拠史料   4.3 警視庁調査 典拠史料   4.1 4.1 3 即時史料   3  表1 『百号報告』各章の典拠記述  木造 煉瓦・石造 煉瓦被害調書 RC造 調査ハ実地調査ト警察署ノ報告トニ依ル各警察署ニ対シテハ豫メ様式ヲ示シテ被 害ノ報告ヲ求メタリ。 東京市役所統計課ニ於テ最近(大正十三年十一月)ノ調査ヲ表示スレバ次の如シ、 但シ該調査派目下進行中ニシテ未完全ノモノナレバ調査完成ノモノトハ多少ノ差 異アルヲ免レサルベシ。 後掲被害調査ハ主トシテ警視廳建築課ニ於テ震災當時組織セラレタル災害調査煉 瓦建築班ニ於テ筆者及班員ガ調査セルモノヲ基礎トシテ作製セラレタルモノ― 大正十二年九月十三日恩師東京帝国大学教授工学博士佐野利器氏ノ命ヲ受ケ警視 庁建築課長竹内委員及ビ課員十数氏ノ熱誠ナル援助ノ下ニ主トシテ東京ニ於ケル 鐵筋混凝土造建物ノ被害ノ状況ヲ調査シタリ、 全潰 半潰 大破損 安全 全潰 半潰 大破損 安全 11,568 11,080 7,746 149,589 1,487 1,487 2,434 140,840 35,802 全壊 半壊 大破 総計 石造 15 16 26 1,308 煉瓦造 58 68 259 5,681 全潰 半潰 大破損 小破損 無被害 総計 RC造 7 11 40 69 462 592 5,296 木造 被害総計 焼失区域 焼失 1,251 非焼失区域  表2 『百号報告』による東京市内の建築物被害報告  単位(軒)  図1 史料相関関係 

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27-2 3.  即時史料との照応を通しての検証  当時の警察記録として、東京都公文書館所蔵の『災 害状況(3)*6』『保安部災害救護情報(4)』『状況概括(5) 『震災彙報(6)』の四報告を確認した*7。これらは震災直 後の各警察署の報告を随時まとめたもので、情報の内 容や量・報告回数等には差がある。また、調査者は建築 関係者ではなく危険な状況下での現場の警察官であ る。しかしこれらは、混乱時としては自然であり、恣意 的操作の少ない情報であると考えられる。四報告のう ち建築物の被害に触れている箇所から、具体的な記述 が多く標準的な例を一部抜粋した(表3)。以下、『百号 報告』の建築物被害との矛盾点を四点挙げる。 Ⅰ:四報告全て構造種別による分類は全くない。 Ⅱ:用途別報告は『震災彙報』のみ有る(しかし他三報 告とは様態が異なるため扱い方には注意を要する*8)。 Ⅲ:基本的に散文的な報告で、表などの形での統計的報 告は少ない。『災害状況』には全くなく、『保安部情 報』には工場被害のみ。『状況概括』には工場、劇場等 の被害、府内焼失戸数のみ。 Ⅳ:最も早い『災害状況』の第1報時、既に火災が発生 しておりさらに延焼にも及んでいることが分かる。  以上より、構造別被害・用途別被害・火災前の震害、こ のいずれも即時史料からは数値として集計処理する事 はできない。また、工場等生産被害の把握に一義的関心 が置かれた様子が窺える。なお、典拠となる即時史料が この他にも存在する可能性を全く否定する事はできな いが、四報告が記す現場の混乱した状況により、仮に存 在しても統一的な報告である可能性は低い。 4 同時代編纂史料との比較を通しての検証  警視庁調査を典拠とする周辺史料として、前述の 『土木学会報告』の他に、これと同時期に編纂された 『大正大震火災誌(7)』がある。しかし、調査者である警 視庁の編纂にも拘らず、被害報告の統計は無い。よって 以降4.1では『土木学会報告』記載の数値を分析する。 4.1 『土木学会報告』との比較を通しての検証  『土木学会報告』では用途別・階数別である建築物 の被害報告を集計した*9(表4)。典拠は「本統計は大正 十二年十月三十日警視庁保安部建築課にて調査せられ たるものにして―(2)」と警視庁による一連の調査の内 震災から約2ヶ月後の分であると明記されている。そ のため、調査時には撤去や整理等で現場の状態が大き く変容している可能性が高く、即時史料とは言い難い。  『百号報告』と比較すると、殆ど数値が一致がしな いため、表2・4を元に各被害程度の項目の相違を考慮 して数を集約した*10(表5)。石造・煉瓦造の非焼失区域 とRC造には被害の数値の後に「全潰」を1とした場合の 比率を括弧内に記入した。以下、構造別に検証を行う。 Ⅰ木造:焼失の項目が無いが*11妥当な見解を示してい る。非焼失区域は『百号報告』と数値が酷似している。 Ⅱ石造・煉瓦造(焼失):『土木学会報告』は被害程度別、 『百号報告』は一括、と扱いが異なる。「計」でみると 『百号報告』が10倍以上であり、軒数の捉え方で多少 の差は生じるとしても、この差はあまりに大きい。 Ⅲ石造・煉瓦造(非焼失):『百号報告』煉瓦造「破損」の 「259」が、数値も比も明らかに突出している。 ⅣRC造:『百号報告』の「無被害」、『土木学会報告』の 「大破損」と「小破損」の数値と比が突出しており、『百 号報告』は「RC造が殆ど被害がない」、『土木学会報 告』は「RC造がかなり被害がある」という様に映る。  ここで、両報告から は 当 時 の 建 築 の 全 棟 数 を 把 握 で き な い た め、『東京府統計書(8)』『東京市統計年表(9)』を用いて 検証を加える(表6)。以下、これより2点を指摘する。 Ⅰ'調査総数:『百号報告』は全数調査とは言えないが、 煉瓦造・石造は統計の約8割弱。『土木学会報告』は調 査数が少なく、RC造の比が高い。これは、他では建築物 でないとした例が含まれる可能性がある。 Ⅱ':『百号報告』RC造「総計」の「592」が、『東京市統計 年表』RC造の「427」や、前年の新築状況等を見ても*13 約9ヶ月で170近くも増加するというのは不自然。 1 小石川 富坂 博文館ヨリ発火延焼シツツアリ 9 京橋 倒壊家屋五十戸位、衛生材料廠一棟焼失 明治學院半焼 16 牛込 早稲田倒壊家屋二百十五戸位、半倒壊三百二十八戸 31 南千住 倒壊家屋ハ全戸数ノ五分ノ一ニ達ス 34 亀戸 焼失戸数二千四百九戸倒壊千百六十六戸 65 下谷 上野 5, 4, 23日午後6時 4, 2, 7 11 17 残存工場調査(続報)【表】 20 1 22 47ー56 57 60 本所深川區ニ於ケル焼失工場數 61 東京市内ニ於ケル被害建物【表】 65 ー67 東京市各區別被害建物【表】 ◯燈用瓦斯供給 ◯家屋倒潰 10月22日午後5時 ー25日 10月13日午後5時 10月8日午後4時 10月3日午後3時22日-10月2日 11日午前6時 2日午後7時 震火災害ニヨリ管下所在工場法適用工場中焼失及残存セル工場数職工数次表ノ如シ 焼失シタル工場數及原動機臺數【表】 震災ニ因ル罹災状況調  大正十二年十月十二日調東京府【表】 震災彙報 警視廳内務省大蔵省帝室林野管理局等皆焼失シタ/堀留附近ノ藥種屋カ倒壊スルト同時ニ 薬品ヨリ火ヲ出シ/本所深川消防署長焼死シ相生署長モ同様 残存工場被害調(第1〜9報)(農商務省工務局發表) 10月26日 各區別焼失家屋戸數及其人口【表】 災害状況 状況概括 保安部情報 東京府内焼失戸数【数値記載】 20日午前10時 21日午前10時 震火災ニ因リ管下所在工場法適用工場焼失数及残存セル工場数并ニ職工数 【数値記載】 二十三日浅草凌雲閣(十二階)京橋郵便局逓信省芝郵便局新宿車庫等各焼残建造物ヲ爆破ス 諸興行物ノ焼失現存並ニ興行開始数【表】 焼失家屋一萬四千二百二十一戸,倒壊家屋五十四戸,残存家屋八百三十一戸 因ニ仝会社ノ災害前ニ於ケル瓦斯供給戸数ハ二十四万戸ニシテ内十四万戸焼失セルヲ以テ 千住・深川両工場ノ製造能力ヲ以テ充分ナル見込ナリ 一、震害ノ為ノ地盤弛ミ居タル麴町区永田町藤田別邸ハ昨夜来ノ強雨ニヨリ俄然倒潰シタ ルモ人畜死傷ナシ  表3 即時史料による建築物被害報告 大破損 小破損 無被害 計 全潰 半潰 大破損 計 木造 1,487 1,488 2,482 5,457 土蔵造 88 233 117 438 石造 64 28 14 106 24 34 23 81 煉瓦造 348 98 82 528 56 94 92 242 鐵骨鐵筋混凝土造 21 6 14 41 - - 2 2 鐵筋混凝土造 129 101 29 259 6 3 6 15 計 650 466 256 1,372 1,573 1,619 2,605 5,797 非焼失 焼失  表4 『土木学会報告』による東京市内の建築物被害報告 単位(軒)  全燒 半燒 無被害 計 全潰 半潰 破損 『百号報告』 1,251 15(1) 16(1.1) 26(1.7) 1,308 『土木学会報告』 64 28 14 106 24(1) 34(1.4) 23(1) 187 『百号報告』 5,296 58(1) 68(1.2) 259(4.5) 5,681 『土木学会報告』 348 98 82 528 56(1) 94(1.7) 92(1.6) 770 総計 非焼失 石造 煉瓦造 5,296 1,251 焼失 全潰 半潰 大破損 小破損 無被害 総計 『百号報告』 7(1) 11(1.6) 40(5.7) 69(9.9) 462(66.0) 592 『土木学会報告』 6(1) 3(0.5) 135(22.5)101(16.8) 29(4.8) 274 RC造  表5 『百号報告』と『土木学会報告』による被害報告数比較  煉瓦造 石造 其他 *12 『東京府統計書』 (1922.12.31)8576 2481 1787 煉瓦造 石造 RC造 『東京市統計年表』(1922.12.31)6857 1639 427 『百号報告』   (1923.9.1〜)5681 1308 592 『土木学会』   (1923.10.30) 770 187 274 表6 統計資料による比較分析(東京市内 単位:軒) 

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27-3 4.2 小結  以上、構造別の検証と統計調査を加えての検証より、 『百号報告』『土木学会報告』共に警視庁調査を典拠 にしたと明記しながら、両者の間に全く整合性がない 事が確認できた。特にRC造の被害では対照的な結果を 示す。この原因が、典拠・警視庁調査の限界(情報が散発 的で無分類等)である可能性は否定しないが、これほど 対極的な違いとなると、両報告の何れか、又は双方に特 にRC造の耐震性をめぐる操作が介在したとみるべき である。踏み込んで言えば、2.2の末尾で指摘した操作 の可能性とも一致する、『百号報告』作成者側の意図 が垣間見えているとも考えられる。  『百号報告』に総括文は無いが、RC造の耐震性が高 いという結果を自明の事として扱っている一方、『土 木学会報告』は「建築物被害考察と耐震構造私見」で RC造に対し懐疑的な見方を示している*14。このような RC造に対する震災予防調査会・土木学会両者の立場が 各報告にも顕著に表れている。つまり、同一の調査が典 拠であるはずにも拘らず、対極的な評価が可能であっ たのは、即時史料で得られる情報がいかようにも操作 し得る程度の内容にすぎず、報告者による操作の余地 を多分に残していたともいえる。 4.3 内務省調査典拠史料との比較検証  同時代編纂史料には、内務省調査を典拠にしたと記 す『震災調査報告(10)』『大正震災志(11)』『東京府大 正震災誌(12)』『東京震災録(13)』もある。文中には、警 視庁調査を用いず、内務省が独自調査を行う理由も記 されている(表7)。ただ、典拠は震災の2ヶ月以上後の調 査とあり、被害現場が大きく変容している可能性が高 く、即時史料とは言い難い。以下、特徴を4点挙げる。 Ⅰ:『東京府大正震災誌』『東京震災録』は警視庁と 内務省両方の調査を典拠に示す。前者は同じ章内に両 方を記載するが、先に内務省調査の分を掲載。後者は当 初内務省調査分のみを掲載したが、約一年後に追発行 した別輯では『百号報告』を転載している。つまり、両 者ともに内務省の情報を優先的に捉えている。 Ⅱ被害統計:典拠を同じくするためか、元本・転載の関 係のためかは不明だが、完全に一致。但し、掲げる数値 は世帯数で、4.1の史料(軒数)との比較はできない*15 Ⅲ:構造種別の報告は全てに無い。 Ⅳ:用途別の報告は『東京震災録』のみである*16  以上より、内務省は独自に調査したものの、構造別用 途別の報告は殆ど無く、即時史料(警察記録)を超える 情報を得るには至らなかったと考えられる。 5. 震災前後の反応 5.1 新聞報道  情報の少ない震災直後の報道の中目立つのが、浅草 凌雲閣に関する記事である*17。具体的被害として先ず 報道され、浅草寺本堂・五重塔との対比や衝撃的な爆破 解体の報道とも相まり、被害の象徴となった*18。しかし その実被害は11・12階の木造部分付近のみで、『土木 学会報告』には「危険区域は第六階より第九階に亘り 下部は割合に安全なるべきは明らか(2)」とある。  一方、竣工間近で全壊、死亡者も多数出した内外ビル ディング(RC造)の報道は殆どない*19。被害原因は『百 号報告』と『土木学会報告』がほぼ同文で「構造の不 備なるとそのプランの形状(2)」と記している。また、 『百号報告』の執筆分担者田中・尾崎は『建築雑誌 (14)』の記事(15)で、RC造非弾性破壊の写真を数例掲載し ているにも拘らず、本文ではそれに触れていない。  このように偏った、矛盾とも思える報道が随所に見 られる理由は幾つか考えられるが*20ここでは課題とし て挙げるに留める。ただ何れにしろ結果的に、煉瓦造被 害の大きさとRC造被害の小ささを記す『百号報告』 を、世論形成という形で後押しした事は間違いない。 5.2 専門家たちの反応  明治期の海外震災調査の内、米国加州震災ではRC造 の震害視察が行われた*21。通説では、RC造の耐震性を 確信したという同調査の報告が、専門家の認識を形成 したとされるが、対象は金門公園内の一例のみであっ た。また、報告記事での佐野(16)と中村(17)の言を比較す ると、佐野がRC造の優位性を明言する一方、中村はそ れを認めながらも、佐野ほど強弁した内容ではない。  その後学術界でのRC造に関する言説を、震災前後の 建築関連雑誌『建築雑誌(14)』『建築世界(18)』『建築 と社会(19)』から確認した。特に発言力が大きいと考え られる人物に注目し*22主張の変化を追った。結果、推進 ・慎重両方の立場が見られるが、立場を大きく変えた 者いない。社会的立場上簡単には前言を覆せない面も 考慮すべきだが、被害が明らかに甚大であれば、慎重派 の者も見解変更を免れないはずである。しかし『土木 学会報告』は、研究の未熟さ・振動実験の必要性*14を、 『百号報告』とほぼ同時に成文の形で主張している。 また、大正期の雑誌には、当時のRC造が依然として研 究途上であった事を窺わせる論述も散見される*23。つ まりRC造の実被害は、耐震性の裏付けとなるようなも のではなく、慎重派にとっては「被害が大きい」とさえ 受け取れるようなものだったのではないだろうか。 典拠:11月15日午前零時の現在 東京府大正震災誌(12) 警察署等に於て調査報告したものあるも何れも混乱の際に於ける 大態の調査であるから被害の正確なる數字は判らない 當時諸種の調査報告があつたが、何れも混乱の際に於ける大體の 調査なので、到底大正震災の真相を後世に傳へ得ない 震災調査報告(10)  表7 内務省調査典拠各史料の典拠記述

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27-4 6. 結  以上、『百号報告』の内容、即時史料や同時代編纂史 料との比較、周辺の反応、等の分析を通し、同報告の信 憑性の低さと恣意的操作の可能性の高さを指摘した。 これに伴い、RC造の耐震性の高さを理由に説明されて きた震災以降のRC造の普及や関連法整備も再検証の 必要が生じる。今後同報告の成立背景の探究が課題で あるが、最後にその予見を展望として示す。  まず、『百号報告』の恣意的操作に係る背景には、作 成者の震災予防調査会と帝都復興を主導した内務省の 二者の事情が考えられる。前者は、創立の契機となった 濃尾地震(1891)で「煉瓦造が大被害を受けた」とされ た事に対し、煉瓦を鉄筋や鉄骨で補強し一体化する構 法を提唱していた。一方、後者で内務大臣・帝都復興院 総裁であった後藤新平は、予てから都市計画分野に関 心を寄せ、調査会や研究会等を組織していた。その中で 度々、東京の不燃化や道路整備等の近代都市化を提唱 するも不調に終わっていた。そのため、後藤派では震災 後のクリアランスを計画遂行の好機と捉えていたと考 えられる。つまり両者ともに、RC造の普及には前向き な立場で、RC造被害の大きさを素直に評価しにくい状 態にあり、またその利害が一致していたと考えられる。  実際、帝都復興院や内務省都市計画局等と震災予防 調査会の、建築分野の主要担当者には重複が見られる *24。特に、両方で主導的立場を担っていた佐野利器の動 向を見てみても、上記の二者と同じような事情が見ら れる。彼は海外での留学や視察から、RC造の耐震性に 対し構造学者として将来性を強く感じ、本格的な研究 を始めた所であった。そのため、時期的にも、RC造被害 の実状は単純に受け止められる物ではないと考えたの ではないだろうか。  このような事情を背景に、『百号報告』は内務省の 政策誘導として成立した、というのが実態ではないか と考えられる。するとこの事象は、一震災復興という視 点のみでは捉えられない。当時、第一次世界大戦であら ゆる技術や諸制度の躍進を遂げた欧米強国に対し「遅 れてはならない」という強い焦りが軍部や政財界の一 角に生まれ、改革の必要性と予算との関係で、改革派・ 慎重派の対立を生じていた。同様に、帝都復興院内部に も佐野らと池田らの対立があり*25帝都改造の実現は結 局、部分的実施に留まった経緯がある。この状況下で推 進派は、このような操作に至ったのではないだろうか。 つまり、『百号報告』をめぐる動向は、第一次世界大戦 後の国家改造という各方面の動きの内の、建築界的一 側面と捉えていく必要があるのではないだろうか。 【註】 *1:構造別報告。木造;区別・階数別、RC造;用途別   *2:内務省調査典拠分;世帯数,区別。   警視庁調査典拠分;戸数、区別・一部用途別(「官公署学校会社被害」「工場被害」) *3:前輯・中輯・後輯・地図及写真帖の建築物被害報告は内務省根拠であり区別・用途別。   別輯のみ一年後の発行で百号報告の表を全て転載。 *4:甲(地震観測,地震一般)乙(地理,地質,陸地海底ノ水準変更,津浪)丙(建築物)丁(建築物 以外の工作物)戌(火災,化学薬品,樹木,旋風,瓦斯,電気,火災ニ因ル死傷)の巻からなる。 建築物の「分擔委員及寄稿者」「佐野、矢橋(官衛ノ分)」と「調査委員分膽」「曾禰・佐野・内 田・竹内・堀越・笠原」の下、構造別に委員・嘱託員が執筆を担当した。各筆者は以下の通 り。木造:嘱託員北澤五郎,煉瓦造:嘱託員佐藤好,煉瓦造(数個被害調査報告):委員内田 祥三・嘱託員伊豫田貢,鉄骨造:委員内藤多仲,鐵筋「コンクリート」造:永田念郎,「コンク リート」:土居松市,建築材料:田中正義・尾崎久助,建築設備:堀越三郎,横濱市:田中大作 *5:構造により分類が異なるため被害種別ごと合計を行った。「総計」は同報告のままで ある。RC造と同様当時新技術であった鐵骨造建築物は、統計的な被害報告は無く、個別 の建築物について被害を述べる形である。 *6:四報告で最も早い『災害状況』は第22報(9月2日午前5時30分)から時刻記載開始、 第39報から個人印、第58報(9月6日午後1時半)から東京府の収受印が見られるなど特 に即時情報として臨場感が漂う。他の史料は第1報時既に同様の収受印が見られる。 *7:『定時報告』(警視庁警戒司令部/1923.9.9~9.11)も確認したが、建築物被害に関す る記述無し。史料の詳細は参考文献(20)に整理されている。 *8:参考文献(21)には、他のあらゆる情報が謄写版刷りである状況において、「『震災彙 報』が立派な活版刷りというのはいささかの驚きを禁じ得ない」 という記述もあり、 その信憑性は定かではなく、後の日付を遡った編纂である可能性も考えられる。 *9:構造種別は、石・木骨石造を石造、木骨煉瓦・煉瓦・鐵骨煉瓦造を煉瓦造とした。 *10:石造・煉瓦造(焼失)に「計」の項目を加え、RC造『土木学会報告』は、焼失区域分と 非焼失区域分を集約している。具体的には、「全潰」「半潰」は非焼失区域から、「大破損」 は焼失区域と非焼失区域の合計、「小破損」「無被害」は非焼失区域からの数値である。 *11:その理由として同書は「大體東京市内建築物の震害を知るを得べきも尚焼失区域 内の建築物にして木造の如き建築物は明瞭ならず」としている。 *12:其他の中にRC造も含まれていると考えられる。 *13:東京市統計年表第20回より、大正11年(10年)の新築戸数は木造:3557(1918)石 造:16(8)鐵造:74(12)である。RC造の項目はないが、新築戸数170棟とは考え難い。 *14:鉄筋とコンクリートの一体性を担うのは付着力に過ぎず、地震で左右前後に振ら れた場合保証はない。未実施である振動実験をまずは行うべきである、と見解を記す。 *15:参考文献(12)に「被害調査に於て、社会局調査の分と警視廳調査の分とに差異が あるが―中略―一方は世帯数で他方は戸数であるが故に、これまた當然差異あるべ き」との記述があり、この点は当時から認識されていた事が分かる。 *16:その用途分類は参考文献(8)と一致している *17:東京で日刊紙を出していた新聞社の内14/17(13/16)は焼失、焼け残った新聞社の 情報も当初は極めて限定的であった(21)(22)。浅草陵雲閣:1~10階は煉瓦造、11・12階と 屋根は木造の八角柱形の浅草公園内展望塔。大阪毎日9/1第五号外で既に『浅草十二 階倒壊』という記述が見られる。参考文献(22)に「浅草の十二階が倒れたこと以外は、 具体的な記述はほとんどなかった」とあるようにその扱いは特筆すべきものである。 *18:各新聞が復旧すると、各々被害の象徴として写真を用い大きく報道した;浅草陵雲 閣の被害に関する報道【大阪毎日(9.1号外,9.2号外,9.7),大阪朝日(9.2,9.10),東京日日 (9.7),都(9.8),夕刊報知(9/12)中央(9/19)読売(9.20)】これらの中には、地震にも耐えた 上奇跡的に延焼も免れた浅草寺や五重塔と、浅草凌雲閣の崩壊を対比して用い報道す る物も散見される。また、9/23に行われた爆破解体の様子の報道【東京日日(9/24),都 (9/25),東京朝日(9/25)】も写真を用い速やかに報道されている。 *19:確認できたのは、【「大破したる内外ビルディング」;都(9.11),「一絛の繩を頼りに 七階から危く逃る 九死に一生を得た内外ビルの職工山下君」;都(9.15)】のみ。 *20:内務省の報道統制があったため/煉瓦造の大被害を伝えるため/帝都崩壊を大きく 伝えるため/偶然情報が手に入ったから等 *21:印度(1898.6.12 地震発生)に中村達太郎(報告:『建築雑誌』Vol.12No.136)、台湾 (1904.11.6 地震発生)に佐野利器(報告:『建築雑誌』Vol.19No.220)が共に震災予防調 査会の命で視察した。しかしいずれにもRC造建築物は見られなかった。サンフランシ スコ(1906.4.18 地震発生)へは、工学会及び建築学会の命で中村達太郎・佐野利器らが 派遣され、5.20到着、1ヶ月滞在した。 *22:東京帝大教授や構造学者・構造設計者、百号報告の筆者等。本論参照。 *23:詳しくは本論に譲るが、コンクリートの水分量や配筋量等についての検討段階。 *24:佐野利器・内田祥三・笠原敏郎・竹内六蔵等。またその他、双方に佐野の教え子や後 藤の研究会メンバー等が関係者が多く含まれている(本論参照)。 *25:参考文献(23)ではこれを後藤が治めきれず政争に負けた原因ともなったとする。 【参考文献】 (1)震災予防調査会[編]:震災豫防調査會報告第百號 甲,乙,丙(上・下),戌/1926.10.13発行 (2)土木学会[編]:大正12年関東大地震震害調査報告書 第三巻第二編 建築物/1926発行 (3)警視庁警戒司令部:災害状況/1923.9.1~9.13 (4)警視庁保安部:保安部災害救護情報/1923.9.8~9.28 (5)警視庁警戒司令部:状況概括/1923.9.10~11.11 (6)臨時震災救護事務局情報部:|公報|震災彙報/1923.9.2~1923.10.25 (7)警視庁[編]:大正大震火災誌/1925    (8)東京府:東京府統計書 大正11年/1925 (9)東京市役所:東京市統計年表 第20回/1924 (10)内務省社会局:震災調査報告/1924.12.10発行 (11)内務省社会局[編]:大正震災志 上・下・附図/1926.2.28発行 (12)東京府:東京府大正震災誌/1924.5.5発行 (13)東京市役所:東京震災録/1926.3.31・1927.3.31発行 (14)日本建築学会[編]:建築雑誌 5.2では特にVol.34(1920)〜Vol.40(1926) (15)建築材料の耐震耐火的考察 『建築雑誌』Vol.38No.457 正員 田中正義・尾崎久助 (16)米國加州震災談(一)~(三) 工学士 佐野利器   『建築雑誌』Vol.20No.238,239,Vol.21No.241(第三章 鉄筋混凝土はNo.241) (17)米國加州の震災談 正員 工学博士 中村達太郎『建築雑誌』Vol.20No.240 (18)建築世界社:建築世界/第14巻(1920)〜第20巻(1926) (19)日本建築協会:建築と社会/第3巻(1920)〜第9巻(1926) (20)東京都:関東大震災と情報 東京都公文書館所蔵関東大震災関係資料目録/1996 (21)北原糸子:大震災の社会史/2011 (22)和田博文[編]:コレクション・モダン都市文化26 関東大震災/2007 (23)駄場裕司[著]:後藤新平をめぐる権力構造の研究/2007 【図版出典】 図1:筆者作成   表1:参考文献(1)より筆者作成   表2:参考文献(1)より筆者修正 表3:参考文献(4)(5)(6)より筆者作成          表4:参考文献(2)より筆者修正 表5:参考文献(1)(2)より筆者作成     表6:参考文献(1)(2)(13)(14)より筆者作成

参照

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