毘
沙
門
堂
流
の
義
科
抄
類
の
成
立
と
傳
承
尾
上
寛
仲
一 毘 沙 門 堂 流 の 學 者 と し て 知 ら れ て い る 経 海 ( 三 三〇 八 ノ ハ 生、 没 年 不 詳) に 就 き ﹁ 二 帖 御 抄 見 聞 ﹂ に ﹁ 妙 観 院 経 海 僧 正 林 ノ 泉 坊 流 明 匠 ﹂ と 云 つ て 居 る が、 二 帖 御 抄 見 聞 は 定 珍 の 先 徳 明 匠 記 よ り 成 立 が 古 い の で、 経 海 を 林 泉 坊 流 の 學 者 に 列 し て い る こ と は 注 目 す べ き で あ る。 経 海 は 毘 沙 門 堂 に 佳 し た の で あ る か ら 明 匠 記 に 云 う ﹁ 砒 沙 門 流 経 海 僧 正 ﹂ の 表 現 は 信 用 し て 良 い が、 経 海 の 在 世 時 代 は む し ろ 林 泉 坊 流 と 言 う べ き で あ ろ う。 定 珍 の 傳 え る ﹁ 砒 沙 門 堂 流 相 承 ﹂ の 次 第 中、 智 海 は 林 泉 房 に 居 り、 明 繹 は 毘 沙 門 堂 を 董 し た も の ﹄ 西 谷 に 居 り 矢 張 り 林 泉 房 に 佳 し、 其 の 弟 子 顯 喩 も 亦 林 泉 房 に 居 り、 名 實 共 に 毘 沙 門 堂 門 跡 と な る の は 公 豪、 経 海、 公 海 の 三 人 で あ る。 公 豪 は 毘 沙 門 堂 よ り 出 た 最 初 の 天 台 座 圭 で あ る が、 毘 沙 門 堂 敏 學 の 基 礎 を 置 い た の は 経 海 で あ る。 而 も 経 海 は 勅 命 に よ り 俊 範 ( 慧 心 流) の 弟 子 に な つ て 居 る 鮎 か ら、 毘 沙 門 堂 流 の 敏 義 は、 元 來 は 檀 那 流 で あ り 乍 ら、 慧 心 流 の 影 響 を 受 け て 居 る こ と が 豫 想 さ れ る。 ﹁ 異 義 抄 ﹂ に ﹁ 自 受 用 相 好 之 事 ﹂ に 就 き ﹁ 具 那 流 は 相 好 を 具 ぜ ず ﹂ と し ﹁ 恵 心 は 具 す ﹂ と 恵 檀 の 異 義 を 學 げ、 ﹁ 毘 沙 門 堂、 往 古 は 不 具 と 云 へ り、 然 れ ど も 中 古 よ り 具 す と の 義 を 被 成 也 ﹂ と 毘 沙 門 堂 流 の 教 義 が 攣 化 し て 居 る こ と を 述 べ て 居 る。 或 は ﹁ 爾 前 一 心 三 観 事 ﹂ に 於 て も ﹁ 恵 心 は 不 レ 明、 具 那 は 明 す ﹂ と し ﹁ 毘 沙 門 堂 は 不 レ 明 ど 云 へ り、 笠 し る し の 法 門 と せ り ﹂ と 毘 沙 門 堂 の 敏 義 が 恵 心 流 に 近 い 教 義 を 立 て ﹂ 居 る 事 を 指 摘 し て い る。 二 経 海 の 學 間 上 の 地 位 は、 良 助 親 王 ( 三 一 六 八-三 二 一 八) が 學 義 輝 門 に リ ノ ニ シ テ ノ ノ ノ 先 年 依 三 主 上 勅 召 二毘 沙 門 堂 経 海 僧 正、 粟 田 口 静 明 法 印、 安 居 院 ヲ テ ニ ゼ シ ム ノ ヲ ノ 憲 實 法 印一、 侍 二於 御 前一、 談 二義 學 輝 門 天 台 宗 秘 々 中 深 秘一〇 三 人 龍 象 ト シ テ タ リ ス ニ ノ ヲ ノ フ ノ ニ チ ネ テ シ テ ス 煙 葉 朦 朧、 似 レ侵 二夜 色一、 後 代 學 士 彌 迷 二疑 暗一、 伍 予 重 召 決 二開 依 ノ ヲ 文 血 脈 密 記 條 々一〇 と 序 し て 居 る の を 見 れ ば 自 ら 明 白 で あ る。 こ に 毘 沙 門 堂 経 海 と 言 い、 先 に 妙 観 院 経 海 と 云 う の は、 妙 観 院 ( 西 塔 東 谷) は 毘 沙 門 堂 の 山 上 の 本 坊 で あ る こ と に 基 く。 ﹁ 西 塔 堂 舎 各 坊 毘 沙 門 堂 流 の 義 科 抄 類 の 成 立 と 傳 承 ( 尾 上)-257-毘 沙 門 堂 流 の 義 科 抄 類 の 成 立 と 傳 承 ( 尾 上) 世 譜 ﹂ に よ れ ば、 妙 観 院 と は ノ テ ス ル シ テ の ノ テ リ 毘 沙 門 堂 僧 正 経 海 和 禽 曾 所 レ 佳、 而 毘 沙 門 堂 門 室 本 坊 也。 僧 正 曾 居 ニ ノ ニ テ シ テ ノ ヲ ニ ク ト ノ ク ト 洛 北 毘 沙 門 堂一、 因 稔 二 其 法 一遂 名 二 毘 沙 門 堂 流一〇 其 書 復 名 二 毘 沙 門 堂一〇 ノ シ テ テ ニ ス ル 其 徒 義 憲 ・ 俊 憲 等 相 承、 於 二本 坊 一所 二著 述 一也。 と あ る 如 く 西 塔 の 學 室 で 齢 る。 こ に 後 世 経 海 の 系 統 を 毘 沙 門 堂 流 と 名 け る こ と を 認 め て い る。 若 し 補 足 を 許 さ る な ら ば、 智 海 よ り 公 豪 ま で が 林 泉 房 流 と 云 う べ く、 具 つ こ れ は 純 粋 の 檀 那 流 で あ り、 経 海 の 前 牛 は 林 泉 房 流 で、 慧 心 流 の 學 問 を 受 け た 以 後 が 毘 沙 門 堂 流 と な る の で あ る。 世 に 恵 光 院 流 を 以 て 檀 那 流 の 嫡 流 と な し、 毘 沙 門 堂 流 を 以 て 檀 那 流 の 庶 流 と な す 所 以 は こ 卸 に あ る と 思 わ れ 惹。 金 澤 文 庫 本 の ﹁ 止 観 心 要 聞 書 ﹂ は 文 永 二 年 ( 三 一 六 三) 九 月 廿 四 日 よ り 五 日 間、 西 塔 の 妙 観 院 に 於 い て 行 つ た 談 義 の 聞 書 で あ る が、 こ れ よ り 先 文 永 二 年 八 月 十 三 日 に 院 宣 ( 後 嵯 峨 院) が 下 り、 其 の 中 に ﹁ 可 レ 被 レ 賞 二 修 學 蒼事 ﹂ の 條 項 が あ る。 恐 く 妙 観 院 の 止 観 談 義 は 此 の 院 宣 の 圭 旨 を 忠 實 に 行 つ た も の で あ ら う が、 経 海 は 此 の 談 義 の 謹 誠 と し て 出 座 し て い た と 解 さ れ る。 止 観 心 要 聞 書 に は 四 口 の 講 師 と 五 口 の 間 者 の 交 名 は あ る が、 讃 義 者 名 は 見 當 ら な い。 然 し 文 永 二 年 は 経 海 は 五 十 八 歳 で あ り、 其 の 翌 年 三 月 六 日 権 僧 正 に 任 ぜ ら れ て 居 る。 從 つ て 止 観 心 要 聞 書 に 其 の 名 は 見 ら れ ず と も、 妙 観 院 に 於 い て 行 わ れ た 談 義 に 経 海 が 讃 誠 す る の は 當 然 考 え ら れ る こ と で あ る。 因 に 西 塔 に 於 け る 止 観 談 義 は 鎌 倉 時 代 と し て は、 弘 長 二 年 ( 三 一六 二) 十 二 月 六 日 北 谷 に て 開 い た の が 始 め で あ る。 故 に 妙 観 院 の 談 義 も 此 の 一 環 の も の と 言 え る の で あ る。 三 毘 沙 門 堂 流 の 書 と し て 確 實 性 の あ る も の に、 公 海 談 の ﹁ 檀 決 ﹂ が あ る。 檀 決 は 正 し く は ﹁ 宗 要 集 ﹂ で あ り、 そ れ は ﹁ 第 一 聞 書 ﹂ よ り 始 り ﹁ 第 七 聞 書 ﹂ の 七 巻 に 分 け ら れ る。 此 の う ち 第 五 及 び 第 七 聞 書 に ﹁ 此 抄 者 先 師 己 講 公 海 口 傳 也 ﹂ の 識 語 が あ り、 具 つ 弘 安 年 中 田 舎 下 向 の 時、 不 慮 の 火 難 に あ つ た 旨 が 誌 さ れ、 現 存 す る も の は 別 本 の 書 爲 で あ る と し て い る。 公 海 は 弘 安 五 年 ( 三 一八 二) に は 關 東 に 來 て い る の で、 檀 決 の 成 立 は 弘 安 初 と 見 ら れ る。 檀 決 の 形 式 上 の 特 色 は ﹁ 四 敏 四 門 ﹂ の 算 を 最 初 に 立 て い る 事 と 九 十 二 算 を 以 て 終 る 事 で あ る。 宗 要 と し て ﹁ 四 教 四 門 ﹂ ( 詳 く は 四 教 四 門 説 與 實 理 一相 鷹 耶) を 最 初 に 立 て る の は 輝 門 供 奉 の 取 つ た 次 第 で、 横 川 第 次 と も 構 し 恵 心 流 の 特 色 と さ れ て い る。 部 ち 檀 那 流 は ﹁ 二 佛 並 出 ﹂ を 最 初 に 置 き、 恵 心 流 は ﹁ 四 教 四 門 ﹂ を 最 初 に 置 く と い う の が 中 古 天 台 の 口 傳 で あ る。 然 し 恵 光 房 の 澄 豪 の ﹁ 小 双 紙 ﹂ も 四 教 四 門 を 最 初 の 算 と す る 故、 こ れ の み を 以 て 恵 檀 の 匿 別 は 定 め 兼 ね る が、 九 十 二 算 の 数 は 明 か に 恵 心 流 の 影 響 と 見 な け れ ば な ら ぬ。 檀 決 の 諸 虞 に ﹁ 大 律 師 小 双 紙 云 々 ﹂ の 語 を 見 る の で、 檀 決 は 依 然 と し て 檀 那 流 の 敏 義 に 重 匙 を 置 い て い る こ と が わ か る。
-258-此 の 檀 決 は 義 憲 に 傳 え ら れ、 其 の 後 桓 賀、 重 俊、 昭 運、 超 運 と 傳 爲 さ れ、 又 一 方 で は 黒 谷 に 傳 わ り、 更 に 西 塔 の 北 谷 に 傳 わ り 超 蓮 に 及 ぶ の で あ る。 其 の 年 代 を 示 す と (1) 元 鷹 二 年 ( 一 三 二 〇) 六 月 日 灌 少 僧 都 義 憲 (2) 永 徳 二 年 ( 一 三 八 二) 二 月 日 樺 少 僧 都 桓 賀 (3) 鷹 永 六 年 ( ( 二 九 九) 七 月 廿 日 阿 闇 梨 重 俊 (4) 永 享 六 年 ( 一 四 三 四) 正 月 廿 八 日 阿 闇 梨 昭 運 (5) 鷹 仁 二 年 ( 一 四 六 八) 潤 十 月 十 九 日 超 運 と な る。 第 一 聞 書 の 識 語 に は 永 享 五 年 ( 一 四 三 二) 八 月 廿 二 日、 以 二 大 定 坊 重 俊 法 印 御 本 一書 二 爲 之 一畢。 可 レ秘 々 々 穴 賢 々 々 昭 運 鷹 仁 武 年 ( 一 四 六 八) 戊 子 十 月 廿 三 日、 賜 三 右 御 本 一摸 本 爲 了。 超 蓮 花 押 と あ つ て、 照 運 は 少 く と も 永 享 五 年 及 び 六 年 の 二 ケ 年 大 定 坊 重 俊 よ り 此 の 書 を 借 り 爲 し て 居 る。 超 運 は 第 六 聞 書 を 黒 谷 系 の 爲 本 を 爲 し、 そ れ が 寛 正 四 年 ( 一 四 六 三) の こ と で あ る か ら、 彼 は 少 く と も 寛 正 四 年 か ら 鷹 仁 二 年 ま で 八 ケ 年 を か け て 檀 決 を 爲 し て 居 る。 黒 谷 系 の 傳 領 次 第 は (1) 文 保 三 年 ( 一 三 一 九) 巳 未 二 月 十 八 日、 於 二 黒 谷 一以 二 師 御 本 一傳 書 畢。 朱 葉 奥 源 也。 不 レ 可 二 口 外 ↓ 何 況 外 見 哉 而 巳。 籠 山 沙 門 天 台 光-我 (2) 延 文 三 年 ( 三 二 五 八) 二 月 十 二 日、 於 二 寳 瞳 院 北 谷 行 泉 房 一 令 二 書 爲 一了。 敢 以 不 レ 可 レ 虞 二 柳 示 一〇 穴 賢 々 台 嶺 沙 門 融 運 在 判 (3) 寛 正 四 年 ( 一 四 六 三) 癸 未 五 月 十 七 日、 於 二 同 谷 乗 實 房 一 途 三 爲 功 一了。 超 運 廿 七 十 五 と な つ て い る。 こ ﹂ に あ る 籠 山 沙 門 光 -と は 黒 谷 の 光 宗 で あ る。 恵 鎭 の 同 朋 に し て 弟 子、 白 河 の 元 慮 寺 の 戒 和 上 と な つ た 人 で あ る。 元 來 黒 谷 は 檀 那 流 を 修 め た 谷 な る 故、 毘 沙 門 堂 流 の 敏 學 が 黒 谷 に 傳 わ る こ と は 當 然 で あ る。 光 宗 の 識 語 中 に ﹁ 朱 葉 奥 源 ﹂ の 語 を 用 い て い る が、 此 の 語 こ そ、 宗 要 を 宗 葉 に あ て、 宗 要 至 極 は 木 の 葉 で 言 え ば 紅 葉 を 以 て 最 極 と す る と し、 其 の 口 傳 の 法 門 を 紅 葉 の 箱 に 牧 め た と い う 檀 那 流 の 傳 承 に 基 く も の で あ る。 毘 沙 門 堂 流 の 相 承 次 第 が、 経 海 -公 海-義 憲 -俊 憲 -重 俊 -仙 承 と さ れ る の は、 定 珍 の 系 統 で あ る。 檀 決 の 傳 領 次 第 か ら 言 え ば、 公 海-義 憲-桓 賀-重 俊 -昭 運 -超 運 の 相 承 次 第 が 當 然 認 め ら れ な け れ ば な ら ず、 更 に 黒 谷 か ら 北 谷 に 移 る た め に は、 公 海-光 宗 -融 運 -超 運 の 系 譜 も 考 え ら れ る。 更 に 融 運 と 超 運 の 間 に 昭 運 が 入 り、 光 宗 -融 運 -照 運-超 運 の 次 第 も 考 え ら れ て よ い の で あ る。 四 ﹁ 雑 々 口 決 抄 ﹂ は 義 憲 が 俊 憲 に 授 け た 毘 沙 門 堂 流 の 口 決 で あ る。 西 塔 東 谷 の 大 定 坊 に 於 い て 前 後 八 ヶ 年 を 要 し た 連 績 講 義 の 結 果 が ま と め ら れ て い る。 雑 々 口 決 抄 は 其 の 講 述 開 始 の 日、 若 し く は 終 講 の 日 と 解 さ れ る 月 日 を 記 入 し、 具 つ 講 毘 沙 門 堂 流 の 義 科 抄 類 の 成 立 と 傳 承 ( 尾 上)
-259-毘 沙 門 堂 流 の 義 科 抄 類 の 成 立 と 傳 承 ( 尾 上) 義 の 分 量、 及 び 之 に 要 し た 日 数 が 略 長 推 定 出 來 る が 煩 雑 を 避 け て 第 一 巻 の 六 十 一 ケ 條 が 建 武 元 年 ( 三 三 二 四) 三 月 十 八 日 よ り 始 め、 翌 二 年 三 月 十 八 日 に 終 り、 第 七 巻 の 百 一 ケ 條 ( 但 し 現 存 の 算 は 九 十 八 ケ 條) が 暦 鷹 四 年 ( 三 二 四 一) 四 月 五 日 開 講 に な つ て い る (終 講 の 日 は 本 文 鉄 損 の た め 不 詳) こ と を 掲 げ る に と ゴ め る。 今 建 武 元 年 の 口 決 授 與 を 見 る に 己 上 自 二建 武 元 年 甲 戌 三 月 十 八 日一、 随 三 稟 承 一 漸 々 記 レ 之。 但 所 レ 注 者 纏 題 目 計 也。 於 二 義 味 一者、 納 三 心 符 個了。 建 武 二 年 乙 亥 三 月 十 八 日、 於 三 西 塔 東 谷 大 定 坊 學 窓 一記 レ 之。 是 則 面 三封 奪 師一、 懇 致 二相 承一〇 錐 二 嚴 訓 至 而 甚 深一、 恨 二 所 レ 聞 極 而 短 淺 諭 錐 レ 然、 依 下 錐 二黙 止 一楡 中 注 師 言 上 唯 恐 二僻 聴 異 聞 幾 許一〇 具 慮 レ揮 レ 之、 具 可 レ 秘 レ 之。 室 賢 俊 憲 在 釧 廿 七 歳 十 三 薦 と あ つ て、 俊 憲 が 師 の 義 憲 か ら 親 し く 随 聞 し た こ と が わ か る。 こ れ は 勿 論 中 古 天 台 に 見 ら れ る 口 傳 法 門 授 受 の 形 式 を 踏 ん で い る も の で、 師 の 義 憲 は 建 武 四 年 ( ( 二 三 七) 七 月 十 四 日、 此 の 相 承 を 正 式 に 承 認 し て 居 る。 印 ち 俊 憲 冥 加 二添 創 幻 相 三績 佛 種 一而 今 所 レ 記 令 二 一 見 二了 虞、 曾 不 レ 違 二 愚 意一〇 敢 莫 レ 漏 二 他 見一、 室 賢 く 建 武 四 年 七 月 十 四 日 法 印 樺 大 僧 都 義 憲 め 識 語 が こ れ を 謹 す る に 足 る。 俊 憲 は 彼 の 晩 年 に 至 り 雑 々 口 決 抄 を 重 俊 に 授 與 し て い る。 俊 憲 の 俗 壽 七 十 四 歳 か ら 七 十 五 歳 の 時 で あ る。 弟 子 の 重 俊 は 三 十 六 歳 で あ る。 永 徳 二 年 ( 三 二 八 二) 正 月 十 一 日、 於 二 西 峯 東 谷 喜 見 房一、 賜 二 師 御 自 筆 本一、 所 レ 令 二 書 爲 一也。 當 流 秘 曲 更 不 レ 可 レ 過 レ 之。 唯 援 一 人 秘 書 也。 守 二器 量 一可 レ 授 レ 之。 不 レ可 レ爲 二柳 示一〇 穴 賢 々 々 重 俊 在 釧 計 六 廿 二 臨 の 識 語 は 既 に 雑 々 口 決 抄 が 唯 授 一 人 の 秘 書 と さ れ る に 至 つ た 事 を 知 り 得 る。 然 し 乍 ら 重 俊 は 此 の 書 を 誰 に 授 與 し た か を 徴 す る 資 料 が な い。 然 る に 文 明 十 七 年 ( 一 四 八 五) 亮 俊 が、 こ れ を 俊 鎭 に 授 け て 居 り、 長 享 二 年 ( 一 四 八 八 ( 俊 鎭 も 亦 亮 俊 よ り 相 傳 し て い る こ と を 記 し て い る か ら、 重 俊 は 亮 俊 に 授 與 し た も の と 解 さ れ る。 迹即 ち 此 抄 者、 爲 二毘 沙 門 堂 一 流 之 秘 曲 一間、 奉 レ 授 レ 之 虞 也。 殊 今 般 恭 二 題 者 一昇 二宿 習 一甚 厚 代 仁 然 間 不 レ 令 レ 悟 三 惜 之一、 奉 レ 投 虞 也。 穴 賢 々 々 可 レ被 レ秘 レ之 者 也。 文 明 十 七 年 閏 三 月 六 日 法 印 亮 俊 示 畢 と あ り、 俊 鎭 は 長 享 二 年 戊 申 八 月 三 日、 於 二東 塔 西 谷 佛 乗 坊一、 以 二右 御 本 噛 爲 二法 流 相 績一、 途 二 爲 功 一詑。 此 抄 自 二 西 塔 東 谷 大 定 坊 亮 俊 法 印一、 奉 レ 相 二傳 之一〇 宿 習 之 至、 可 レ 喜 レ 之。 非 二 ( 脱 力) 附 法 弟 子 一者、 不 レ 可 レ 許 三 他 見 一者 也。 穴 賢 々 々 法 印 俊 鎭 五 十 二 歳 四 十 一 膓 冬 と 誌 し て 居 る。 而 し て 亮 俊 が 俊 鎭 に 雑 々 口 決 抄 を 相 傳 し た 形 式 は 義 憲 が 俊 憲 に 法 門 を 口 授 し た の と 全 く 同 じ 形 式 を 踏 ん で い る 事 に 注 目 す べ き で あ る。 ( 註 省 略)