2013年 度(平 成25年 度) 博 士 論 文
戦 間 期 ポーランドの ユ ダ ヤ 文 学 研 究 一 異 文 化 接 触 と複 数 言 語 使 用 の観 点 か ら一
立命館大学大学院
先端総合学術研究科 先端総合学術専攻
田 中 壮 泰
戦 間期ポー ラン ドのユダヤ文学研究一 異文化接触 と複数言語 使用の観点か ら一
目次 序章 1
先行研究
戦 間 期 の ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド人 レ1
1‑2
戦間期ポー ラン ドの言語状況 ポ ー ラ ン ド出 版 界 と 「ユ ダ ヤ 人 」 2
Z‑1 2‑Z 3
3‑1 3‑2
4論 文 の 章 立 て 第 一 章
は じ め に
同時代の文学史研究 におけるユダヤ系作家の位置づけ カ ジ ミ ェ シ ュ ・チ ャ ホ フ ス キ
44ム57・80り
イ グ ナ ツ ィ ・フ ィ ク
ユ ダ ヤ ・ポ ー ラ ン ド/ポ ー ラ ン ド ・ユ ダ ヤ 文 学 研 究 ア ル ト ゥー ル ・サ ン ダ ウ エ ル
ガリツィアのユダヤ民族運動 と多文化 的背景
ユ リ ア ン ・ ト ゥ ヴ ィ ム と 戦 間 期 一 ポ ー ラ ン ド 、 ユ ダ ヤ 、 ジ プ シ ー 一
1ユ ダ ヤ と ポ ー ラ ン ドの は ざ ま で 1‑1「 同化 」 と 「ユ ダ ヤ 人 」
0乙3
一11
言葉 と肉体
「春 」 の群 衆 2ト ゥ ヴ ィ ム と ジ プ シ ー
2‑1
2‑2「 ジ プ シ ー の 聖 書 」 2‑3
お わ り に
『ポ ー ラ ン ドの 魔 術 と悪 魔 』
「マ ウ ゴ ジ ャ トカ の 歌 よ り」
第二章 二言語詩人フォーゲル
はじめに
12 16 16 21 28 32 32 33 34 36 39 43 44 4"r
52 60 65 65
1先 行 研 究
2イ デ ィ ッ シ ュ 語 の 広 が り 2一 董
2‑2 3
3‑1シ オ ニ ズ ム と の 決 別 3‑2
4『 ア カ シ ア が 花 咲 く 』 論 4‑1
4‑2 お わ り に
イ デ ィ ッ シ ュ の ネ ッ トワ ー ク イ デ ィ ッ シ ュ の モ ダ ニ ズ ム
「自己 周 縁 化Jと して の 言 語 選 択
第三章 は じめに
10ムnくU
イ デ ィ ッ シ ュ 語 世 界 の二 つ の 層
ポ ー ラ ン ド語 版 『ア カ シ ア が 花 咲 く 』 二 言 語 小 説 と して の 『ア カ シ ア が 花 咲 く 』
意 識 の 揺 らぎ 一 ア ドル フ ・ル ドニ ツ キ 論
rね ず み 』 と 性
『ね ず み 』 と 『飢 え 囲
66 68 68 73 75 7s 77 80 81 83 S"r 91 91 92 95 ア ー ロ ン か ら ア ドル フ へ
3。1シ ュ テ ッ トル の 記 憶 3‑2内 な る 声
お わ りに
第 四 章 カ フ カ の 後 継 者 た ち は じ め に
1ポ ー ラ ン ドの カ フ カ 受 容
1‑1仲 介 者 マ ッ ク ス ・ブ ロ ー ト 1‑2
2『 変 身 』 と介 護 の 問 題 系
2。1「 介 護 文 学 」 と して の 『変 身 』 2‑2
2‑3動 物 の ケ ア ー 「鳥 」 論 お わ り に
終 章
カ フ カ 以 後 の ポ ー ラ ン ド語 文 学 一 シ ュル ツ とル ドニ ツ キ
無 職 青 年 の ケ ア ワー ク ー 『ね ず み 』 論
100 100 103 105 110 110 112 112 116 119 120 122 127 131 133
1文 学 と人の移動 2再 発見 された東欧 3
4 文献表
ユダヤを描かないユダヤ文学 ポ ー ラ ン ドか ら世 界 文 学 へ
133 137 141 144 147
序章 先行研究
第 一一次 世 界 大 戦 の 終 息 と と も に 共 和 国 と して の 独 立 を 達 成 し た ポ ー ラ ン ドに お い て 、そ の 独 立 か ら1939年 の ドイ ツ 軍 侵 攻 に よ る 独 立 喪 失 ま で の い わ ゆ る 戦 間 期 は 、ポ ー ラ ン ド語 文 学 の 中 か ら優 れ た ユ ダ ヤ 系 作 家 が 次 々 と 登 場 し、 そ の す ぐ隣 で イ デ ィ ッ シ ュ 語 文 学 が 世 界 的 に見 て も も っ と も勢 い が あ っ た 時 期 で あ る 。 戦 間 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 は 、 ユ ダ ヤ 系 作 家 た ち の 活 躍 に 支 え られ て い た と 言 っ て も過 言 で は な い。
「ポ ー ラ ン ド文 学 」 と い っ た 場 合 、 稀 に ジ ョゼ フ ・コ ン ラ ッ ドや イ ェ ジ ィ ・コ シ ンス キ (ジ ャ ー ジ ー ・コ ジ ンス キ ー)な ど、 ポ ー ラ ン ド生 ま れ の 外 国 語(英 語)作 家 を 含 め る場 合 も あ っ た が 、 基 本 的 に は ポ ー ラ ン ド語 で 書 か れ た 詩 や 小 説 を 指 して き た 。 戦 問 期 に は 、 そ の 中 に 数 多 くの ユ ダ ヤ 系 作 家 が 存 在 して い た わ け だ が 、 厄 介 な の は 、 ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 作 家 の 中 に は ポ ー ラ ン ド語 以 外 で も書 く作 家 も多 く い た こ とで あ る 。 つ ま り、 ポ ー ラ ン ド文 学 とい っ て も、 と りわ け 戦 問 期 の そ れ は 、 言 語 、 民 族 的 な 出 自、 出 身 地 の いず れ に 軸 を 置 く か で 、 そ の 内 容 が か な り異 な っ て く る の で あ る 。
本 論 文 は 、 ユ ダ ヤ と い う民 族 的 な 出 自 を 軸 に 置 き 、 戦 問 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 を 捉 え な お す こ と を試 み た も の で あ る 。 こ こ で 取 り上 げ る 作 家 た ち は ユ ダ ヤ の 出 自 を 持 っ た が 、 戦 問 期 に 独 立 ポ ー ラ ン ドに組 み 込 ま れ る 地 域 に 生 ま れ 、 国 籍 上 は ポ ー ラ ン ド人 で あ り、 ポ ー ラ ン ド語 で 書 い た と い う 点 に お い て 、 ポ ー ラ ン ド文 学 の 作 家 で あ る と言 え た 。 た だ し彼 らは 必 ず し も常 に ポ ー ラ ン ド語 だ け で 書 い て い た わ け で は な く 、母 語 が ポ ー ラ ン ド語 で は な い 者 も 多 く、 ポ ー ラ ン ド語 以 外 の 言 語 を 併 用 した 作 家 も 散見 され た 。
本 論 文 は 、 「一 国 家 、一 言語 」の 枠 組 み を 越 え た 新 た な 文 学 記 述 の試 み と して 、戦 問 期 ポ 一 ラ ン ドの ユ ダ ヤ 系 文 学 を考 察 す る 。 これ まで にもポー ラン ドのユ ダヤ系 文学 を論 じた研 究 は 少 な くな い。 以 下 に 先 行 研 究 を概 観 し、 本 論 文 の 位 置 づ け と意 義 を 明 確 に 示 した い。
1戦 間 期 の ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド人
戦 問 期 は ポ ー ラ ン ドの歴 史 にお い て 様 々 な 意 味 で 特 別 な 位 置 を 占 め て い る 。 ポ ー ラ ン ド 語 で 「戦 間 期 」(okresmi"dzywo¢ ㎜y)と 言 え ば 、18世 紀 以 来 、 周 辺 列 強 諸 国 の 支 配 下 に
あ っ た ポ ー ラ ン ドが 第 一 次 世 界 大 戦 後 に 国 家 と して 独 立 を 果 た して か ら、 第 二 次 世 界 大 戦
期 に ドイ ッ と ソ 連 に 占 領 さ れ る ま で の 約20年 間 を 指 す 。ポ ー ラ ン ド文 学 が よ うや く 「国 民 文 学 」に 昇 格 し た 時 期 で も あ り、と りわ け20世 紀 の 前 衛 的 な ポ ー ラ ン ド語 文 学 を代 表 す る ヴ ィ トカ ー ツ ィ、 シ ュ ル ツ 、 ゴ ン ブ ロー ヴ ィ チ と い っ た 傑 出 した 作 家 が 続 々 と 登 場 した 時 期 で も あ る 。 現 在 で は 、 ポ ー ラ ン ド戦 問 期 は 「バ ロ ッ ク」 や 「ロ マ ン 主 義 」 な ど と並 ぶ 、 ボ ー ラ ン ド文 学 史 上 も っ と も 重 要 な 時 代 区 分 の 一 つ と され て い る 。
国 家 再 生 か らホ ロ コ ー ス トに 至 る激 動 の 時 代 に あ っ た と い う こ と。 国 際 的 に も評 価 の 高 い 作 家 を輩 出 した こ と 。 そ して 、 さ ら に も う ひ と つ 、 戦 間 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 を語 る 上 で 無 視 す る こ と が で き な い重 要 な 側 面 が 、 ユ ダ ヤ 系 作 家 た ち の 活 躍 で あ る 。
多 民 族 ・多 言 語 社 会 で あ っ た 戦 間 期 の ポ ー ラ ン ドに お いて 、 「生 粋 」の ポ ー ラ ン ド人 と並 ん で 、 あ る い は 彼 ら以 上 に 、 ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド人 は ポ ー ラ ン ド語 文 学 の 生 産 、 流 通 、 消 費 に 関 わ っ て いた 。 ユ ダ ヤ 系 人 口の な か で も 中 ・上 流 階 級 は ポ ー ラ ン ドに 同 化 す る 傾 向 が あ っ た 。 彼 ら は 母 語 で あ る ポ ー ラ ン ド語 を 主 要 言 語 と しな が ら、 し ば し ば第 二 言 語 と して ロ シ ア 語 か ドイ ツ 語 、 あ る い は イ デ ィ ッ シ ュ 語 や ヘ ブ ラ イ 語 を 使 い 分 け た が 、 そ の 他 の 下 層 民 の 大 部 分 は イ デ ィ ッ シ ュ 語 を 母 語 と した 。 要 す る に 、 ユ ダ ヤ 系 の ほ とん ど が バ イ リ ン
ガ ル か マ ル チ リ ン ガル で あ っ た 。 彼 ら の活 動 を 介 して ポ ー ラ ン ド語 文 学 は他 の 諸 言 語 と隣 接 ・結 合 す る こ と にな っ た 。
た だ し、 ポ ー ラ ン ドの 地 は 戦 間 期 の 以 前 か ら多 民 族 ・多 言 語 社 会 で あ っ た し、 独 立 後 に ポ ー ラ ン ド社 会 が 抱 え 込 ん だ マ イ ノ リ テ ィ は ユ ダ ヤ 系 だ け で は な か っ た こ と は 注 意 して お く必 要 が あ る 。ひ と ま ず 、戦 間 期 の ポ ー ラ ン ド社 会 の 言 語 状 況 を 以 下 で 確 認 して お き た い 。
1‑1戦 間 期 ポ ー ラ ン ドの 言 語 状 況
ポ ー ラ ン ドに 限 らず 、 多 言 語 ・多 民 族 社 会 は ロ シ ア ・東 欧 全 般 に見 られ る現 象 で あ っ た が 、 と くに 戦 間 期 の ポ ー ラ ン ドは 国 内 に 占 め る マ イ ノ リテ ィ 人 口 の 割 合 の 高 さ で 群 を抜 い て い た 。 第 一 次 世 界 大 戦 直 後 の ポ ー ラ ン ド軍 が 、 現 在 の ウ ク ラ イ ナ 西 部 、 リ トア ニ ア 南 東 部 、 ベ ラル ー シ 西 部 を 含 む 東 部 諸 地 域 を 占領 し た こ とが そ の 要 因 で あ る。 こ の 地 域 の 住 民 の 過 半 数 が ポ ー ラ ン ド語 を 母 語 と しな い マ イ ノ リテ ィ で あ り、 な か で も ウ ク ラ イ ナ 人 や ベ ラル ー シ 人 は す で に 民 族 言 語 に よ る 文 学 活 動 を 開 始 して いた 。
1931年12月 に実 施 され た 国 勢 調 査 に よ れ ば 、 当 時 の ポ ー ラ ン ド国 内 の 総 人 口は お よ そ 3210万 人 で あ り、 そ の 民族 的 な 内 訳 は ポ ー ラ ン ド人68.9%、 ウ ク ライ ナ 人13.9%、 ベ ラル
一 シ 人3 .1%、 ドイ ツ 人2.3%、 ユ ダ ヤ 人8.6%、 そ の 他3.2%と な っ て い る(Brzoza,red.2006:120;
Bronsztejn1963:112)。 つ ま り 、 人 口 の3分 の1が マ イ ノ リ テ ィ で あ っ た 。 た だ し 、 こ れ は あ く ま で 「母 語 」 を 基 準 と す る 統 計 で あ り 、 過 半 数 を 占 め た ポ ー ラ ン ド人(ポ ー ラ ン ド語 使 用 者)の 中 に も 相 当 数 の マ イ ノ リ テ ィ が 含 ま れ て い た と 考 え ら れ る 。歴 史 家 チ ェ ス ワ フ ・ ブ ジ ョ ザ が 言 う よ う に 、 当 時 は 「国 内 の 大 部 分 の 地 域 で 民 族 意 識 が よ う や く 具 体 化 し つ つ あ っ た 」(Brzoza,red.2006:119)時 期 で あ り 、 民 族 意 識 と 母 語 は 必 ず し も 重 な る と は 限 ら な い1。
ユ ダ ヤ に 目 を 向 け る と 、 当 時 の ポ ー ラ ン ド は ア メ リ カ 合 衆 国 に 次 ぐ ユ ダ ヤ 人 口 の 保 有 国 で 、1931年 に は お よ そ310万 人 を 数 え た 。 た だ し 、 こ れ は 宗 教 を 問 わ れ て 「ユ ダ ヤ 教 徒 」 と 答 え た 住 人 の 数 で あ り 、 必 ず し も 「ユ ダ ヤ 民 族 」 と して の 意 識 を 持 っ て い た 人 々 で あ る と い う わ け で は な い 。 言 語 別 の 統 計 を 見 る と 、 そ の80%は 母 語 を イ デ ィ ッ シ ュ 語 と し 、 ポ ー ラ ン ド語 は12% 、 ヘ ブ ラ イ 語 は8%で あ っ た(BronsztejnIgb3:29‑33;Shmeruk1989:
287‑288)。 ユ ダ ヤ 教 徒 の 約 九 割 を 占 め た イ デ ィ ッ シ ュ 語 使 用 者 と ヘ ブ ラ イ 語 使 用 者 に 対 し て はfユ ダ ヤ 人 」と し て 定 義 づ け る こ と が で き た と し て も 、ポ ー ラ ン ド語 を 母 語 と す る12%
の ユ ダ ヤ 教 徒 は ど う 定 義 す れ ば よ い の だ ろ う か 。 し か も 、 「母 語 」(j弓zykojczysty:意 味 的 に は 日 本 語 の 「母 語 」 に 近 い が 、 当 時 の ポ ー ラ ン ドで は 複 数 の 母 語 を 持 つ 者 も 少 な く な か っ た)は 「日 常 語 」(jgzykpotoczny/mowapotoczna:周 囲 の 住 民 と の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に 使 わ れ る 言 語)と 区 別 さ れ て お り 、 調 査 項 目 が 「日 常 語 」 で あ れ ば ポ ー ラ ン ド語 の 選 択 者 数 は さ ら に 増 え た こ と が 予 想 さ れ る 。 要 す る に 、 統 計 で 分 か る こ と は あ く ま で 表 面 的 で 曖 昧 な 数 で し か な く 、 実 際 は も っ と 錯 綜 し て い た と い う こ と で あ る 。
本 論 文 の 議 論 の 中 心 的 な 対 象 と な る の が 、 こ の ポ ー ラ ン ド語 を 母 語 と す る ユ ダ ヤ 人 で あ る 。 以 下 で は 便 宜 上 、 同 化 もAむ ユ ダ ヤ 系 全 体 を 示 す 場 合 は 単 に く ユ ダ ヤ(系)〉 あ る い は 括 弧 つ き の 「ユ ダ ヤ 人 」 と し、 ポ ー ラ ン ドに 同化 して い る こ とが 文 脈 上 重 要 に な る 場 合 に お い て の み 〈 同化 ユ ダ ヤ 人 〉 あ る い は 〈 ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド人 〉 と記 す 。 た だ し繰 り返 す が 、 人 々 の 言 語 状 況 は 個 別 に 異 な っ て お り、 必 ず し もユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド人 の母 語 が ポ ー ラ ン ド語 だ と は 限 らな い。
1例 え ば
、 ポ リ ー シ ャ(現 在 の ベ ラ ル ー シ 南 部 と ウ ク ラ イ ナ 北 部)の 住 人 の60%以 上 が 母 語 を 「地 元 の 言 葉 」(jgzyktutejszy)と 答 え た 。 つ ま り 、 当 時 の 東 欧 社 会 は 、 多 く の 住 民 が 自 分 た ち の 話 す 言 語 が 何 語 で あ る の か を 知 ら な く て も 生 き て い け た 時 代 か ら 、 あ ら ゆ る 言 語 が 統 一 的 な 民 族 語 か 国 語 に 腋 分 け さ れ て い く 境 目 に あ っ た の で あ る(Brzoza,red.
2006:120)0
玉一2ポ ー ラ ン ド出 版 界 と 「ユ ダ ヤ 人 」
当 時 の 言 語 状 況 の 曖 昧 さ を 踏 ま え た 上 で 、以 下 に 戦 間 期 ポ ー ラ ン ドに お け る 「ユ ダ ヤ 人 」 の 文 化 的 な 位 置 づ け に つ い て 、 これ も統 計 資 料 を 利 用 しな が ら概 観 した い 。 こ こで は 当 時 の ポ ー ラ ン ドの 文 化 生 活 に どれ く ら い 「ユ ダ ヤ 人 」 が 進 出 して い た の か 、 そ の 概 要 を 共 有 で き れ ば よ い 。
1931年 の 統 計 で は 、ポ ー ラ ン ド全 体 で 非 識 字 者 の 数 は お よ そ550万 人 と され 、全 人 口 の 23%以 上 を 占め た 。 そ の うち 「ユ ダ ヤ 人 」 だ け を個 別 に見 る と 、 全 体 の 非 識 字 率 は お よ そ
15%で 、他 に比 べ て 高 い識 字 率 を 誇 っ た(Brzoza,red.2006:376)。 これ は ユ ダ ヤ 系 出 版 物 の 多 さ に 顕 著 に 伺 え る。例 え ば1928年 に 刊 行 され た 非 定 期 刊 行 物 は 、ポ ー ラ ン ド全 体 で5580 誌 を数 え 、 そ の うち ポ ー ラ ン ド語 が4370誌 、 ウ ク ライ ナ 語229詩 、 ベ ラ ル ー シ語37誌 、 ロ シ ア 語45誌 、 ドイ ツ 語105誌 、イ デ ィ ッ シ ュ語 な らび に ヘ ブ ライ 語645誌 そ の 他149 誌 で あ る 。 時 代 は 下 が って1935年 に 刊 行 され た 純 文 学 の 言 語 別 書 籍 数 は 、 総 数1490冊 の う ち ポ ー ラ ン ド語1247冊 、 ウ ク ラ イ ナ 語60冊 、ベ ラ ル ー シ語10冊 、 ロ シ ア 語3冊 、 ドイ ツ語8冊 、イ デ ィ ッ シ ュ語 な ら び に ヘ ブ ライ 語151冊 、そ の 他11冊 で あ る(ibid.:401‑402)。
20年 代 か ら30年 代 にか け て ポ ー ラ ン ドで は イ デ ィ ッ シ ュ 語 と ヘ ブ ライ 語 の 出 版 物 が ポ ー ラ ン ド語 に 次 い で 多 か った こ とが 分 か る。 問 題 は ポ ー ラ ン ド語 出 版 界 に お け る ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド人 の 関 わ りで あ る が 、 こ こで もユ ダヤ 系 の活躍 は群 を抜 いて いる。
戦 間 期 に発 行 され て いた ポ ー ラ ン ド語 の 文 芸 誌 の な か で 、 も っ と も高 い プ レス テ ー ジ を 誇 っ た の が 『文 学 時 報 』(〃ηα40〃206C'Literackie)(1924‑1939年)で あ る2。 こ の 雑 誌 が 創 設 した 文 学 賞 は 、 ポ ー ラ ン ド文 学 ア カ デ ミー の 公 式 な 文 学 賞 と比 肩 す る 、 国 内 で も っ と も権 威 的 な 文 学 賞 と され た3。 し か し、編 集 責 任 者 の ミ ェ チ ス ワ フ ・グ リゼ フス キ は 、彼 自 身 ユ 2戦 後 は ロ ン ドン に 拠 点 を 移 し 、『時 報 』(Wiadomosci)の 誌 名 の も と、 亡 命 者 の た め の 機
関 誌 と して 反 共 主 義 を標 榜 す る こ と に な るが 、戦 前 は 基 本 的 に は リベ ラ ル な 立 場 を と り、
特 定 の 政 治 路 線 は 明 確 に 打 ち 出 さな か っ た こ と で 、 国 内 で 広 い 支 持 を得 て い た 。 発 行 部 数 は お よそ1万2〜4千 部 と 多 い 方 で は な か っ た が(戦 間 期 に は 発 行 部 数5万 部 を 超 え る 雑 誌 は 少 な くな か っ た)、 パ チ ュ コ フ ス キ に よれ ば 、 この 雑 誌 の 影 響 力 を考 慮 す れ ば 、潜 在 的 な 読 者 数 は 発 行 部 数 の 数 倍 は 存 在 した と い う(Paczkowskil980:262)。
3そ の 受 賞 作 の な か で も、 ポ ー ラ ン ド国 内 だ け で な く国 際 的 に も高 く評 価 され た の が 、 ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 作 家 ユ ゼ フ ・ヴ ィ ト リ ンの 反 戦 小 説 『地 の 塩 』(SolZie〃の(1935) で あ る(1936年 に受 賞 〉。 ガ リ ツ ィ ア の 農 村 で 鉄 道 員 を務 め る ウ ク ライ ナ 系 フ ツル 人 の
中 年 男 が 、 オ ー ス ト リア 軍 に 徴 兵 さ れ 、 戦 地 に赴 く ま で を 描 い た 長 編 小 説 で あ る。 第 一一
ダ ヤ 系 で も あ り、 か つ て は ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 詩 人 ユ リ ア ン ・ト ゥヴ ィ ム を 中心 と した 文 芸 誌 『ス カ マ ンデ ル 』(Skamander)(1920‑1928年)の 編 集 者 で も あ っ た こ と 、 さ らに 雑 誌 の 主 要 執 筆 陣 に ユ ダ ヤ 系 作 家 を 多 く配 した こ と な ど か ら、P文 学 時 報 』は 「フ リー メ ー ソ ン 、ユ ダ ヤ 人 、似 非 ボ ル シ ェ ヴ ィ キ た ち 」(ibid.:262)の 雑 誌 と して 保 守 派 の 攻 撃 に あ っ た 。 と は い え 、『文 学 時 報 』は 広 い 読 者 層 に 開 か れ た 文 芸 誌 と して 、そ の 主 要 執 筆 陣 に は 、 ト ゥ ヴ ィ ム や ア ン トニ ・ス ウ ォ ニ ム ス キ と い っ た ユ ダ ヤ 系 作 家 以 外 に も 、 カ ジ ミ ェ シ ュ ・ヴ ィ ェ ジ ンス キ や ヤ ロ ス ワ フ ・イ ヴ ァ シ ュ キ ェ ー ヴ ィ チ な ど 、 ユ ダ ヤ 系 で は な い ポ ー ラ ン ド 人 作 家 の 名 も連 ね て い た し、 ユ ダ ヤ 系 作 家 が ポ ー ラ ン ド文 化 に 参 加 す る 権 利 を リベ ラル な 立 場 か ら声 高 に 主 張 す る 一 方 で 、 ユ ダ ヤ に 偏 向 して い る と の 誹 りを 避 け る必 要 か ら、 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 た ち に も誌 面 を 提 供 した4。 この こ と でr文 学 時 報 』は 、 今 度 は シ オ ニ ズ ム を 信 奉 す る ユ ダ ヤ 系 知 識 人 の 側 か ら攻 撃 さ れ る こ と にな る。 要 す る に 、 こ の 新 聞 は ス キ ャ ン ダ ル の 種 に は 事 欠 か な か っ た わ け で あ る 。 そ れ だ け 「ユ ダ ヤ 」 は ポ ー ラ ン ド文 学 界 に お い て 無 視 で き な い 存 在 で あ っ た と い う こ と で も あ る 。 戦 間 期 の ポ ー ラ ン ドに お い て 「ユ ダ ヤ 」
は 政 治 的 ・社 会 的 な 問 題 だ け で は な く 、 き わ め て 文 化 的 な 問 題 で も あ っ た 。
これ ま で に 戦 間 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 を 論 じた 研 究 者 た ち は 少 な くな い 。 彼 ら の 多 くが ま ず 直 面 す る の は 、 ユ ダ ヤ 系 作 家 を ど こ に 位 置 づ け る の か 、 ど う扱 う の か と い う 問 題 で あ っ た 。 戦 問 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 で も 、 と りわ け ユ ダ ヤ 系 作 家 を対 象 に した 時 、 これ ま で の 文 学 史 記 述 にお け る単 一 的 な ナ シ ョ ナ リテ ィや 言 語 の 枠 組 み を改 め て 問 い 直 す 必 要 性 が 生 じ て く る の で あ る 。
以 下 に ユ ダ ヤ 系作 家 の 扱 わ れ 方 に 注 目 しな が ら、 これ ま で の ポ ー ラ ン ド文 学 史 研 究 の 歴 史 を 批 判 的 に検 討 す る 。 そ れ を 踏 ま え て 、 最 終 的 に本 論 文 の研 究 史 上 の 位 置 と意 義 を 明 確
に 示 した い。
2同 時代 の文学史研究 におけるユ ダヤ系作家の位置づ け
次 世 界 大 戦 期 の 東 部 戦 線 を知 る 上 で も、ヨー ゼ フ ・ロ ー トのrラ デ ツ キ ー 行 進 曲 』(1932) と並 ん でr地 の塩 』 は 重 要 な テ ク ス トの 一 つ で あ る 。 こ の 小 説 に言 及 した 唯 一 の 邦 語 文 献 に 、 第 一 次 世 界 大 戦 期 の 東 部 戦 線 に お け る 民 族 状 況 を 考 察 した 野 村(2013)が あ る 。 4『文 学 時 報 』の執 筆 者 の 一 人 で あ っ た ア ドル フ ・ノ ヴ ァチ ンス キ は
、後 にユ ダ ヤ 関 連 の 著 作 の 焚 書 を 訴 え か け る ほ ど の 強 硬 派 の 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 で あ っ た(Opalski1989:436)。
2‑1カ ジ ミ ェ シ ュ ・チ ャ ホ フ ス キ
カ ジ ミ ェ シ ュ ・チ ャ ホ フ ス キ の 三 巻 本 の 大 著 『ポ ー ラ ン ド現 代 文 学 概 論1884‑1933』
(1934‑1936年 刊 行)は 、 戦 問 期 の ポ ー ラ ン ド語 文 学 を 総 合 的 に 論 じた も っ と も初 期 の 文 学 史 研 究 と して 知 られ て い る 。 チ ャホ フ ス キ 著 の 特 徴 と して ま ず 挙 げ られ る の が 、 文 学 作 品 を社 会 学 的 な 観 点 か ら同 時 代 史 と結 び つ け て い る 点 で あ る 。 と りわ けチ ャ ホ フ ス キ は 、 当 時 の ポ ー ラ ン ドにお け る 社 会 的 階 級 構 造 の 変 容 に 注 目 して お り、 そ の た め 戦 間 期 前 後 の ポ ー ラ ン ド史 に お け る 最 大 の 変 革 をポ ー ラ ン ドの 「再 生 」 に で は な く 、1905年 の ロ シ ア 革 命 に 置 い て い た5。 ひ と ま ず 、そ の 内 容 に 立 ち 入 る 前 に 、戦 間 期 ま で の ポ ー ラ ン ドの 歴 史 を 簡 単 に説 明 して お く必 要 が あ るだ ろ う。
か つ て ポ ー ラ ン ドは 、14世 紀 の リ トア ニ ア と の 合 同 以 降 、バ ル ト海 か ら黒 海 北 方 の ス テ ッ プ 地 帯 に か け て の広 大 な 版 図 を 誇 っ た が 、18世 紀 末 、 ロ シ ア 、 プ ロ イ セ ン、 オ ー ス ト リ ア に よ る1772年 、1793年 、1795年 の 三 度 に わ た る 国 土 分 割 で 、 ポ ー ラ ン ド ・リ トア ニ ア 国 は 地 図 上 か ら消 滅 した 。 この 時 点 で ポ ー ラ ン ドは 国 家 と して は な くな っ た が 、 分 割 後 の 半 世 紀 問 は ロ シ ア も プ ロイ セ ン も ポ ー ラ ン ド語 で の 教 育 や 出 版 を 制 限 しな か っ た た め 、 ポ ー ラ ン ド語 文 学 は 衰 退 す る ど こ ろ か 、 シュ ラ フタ(ポ ー ラ ン ド貴 族)の 知識 人 を中心 に、
よ り活 況 を 呈 した 。19世 に 入 る と ア ダ ム ・ミ ッ キ ェ ー ヴ ィ チ 、 ユ リウ シ ュ ・ス ウ ォ ヴ ァ ツ キ 、 ズ ィ グ ム ン ト ・ク ラ シ ン ス キ な ど 、 の ち に 国 民 詩 人 と称 さ れ る 詩 人 た ち に よ っ て 、 ポ ー ラ ン ド語 ロ マ ン主 義 の 「黄 金 時 代 」 が 到 来 す る 。 「リ トアニ アよ 、わが 祖 国」(Litwo!
Ojczyznom(唾a!)と い う呼 び か け で 始 ま る ミ ツ キ ェ ー ヴ ィ チ の 長 詩 『パ ン ・タ デ ウ シ ュ 』 (1832・1834年)は 、 現 代 で は ポ ー ラ ン ド文 学 を 代 表 す る 古 典 と され て い る.
しか し 、 後 に 分 割 領 内 で の ポ ー ラ ン ド語 使 用 に 対 す る 締 め 付 け が 強 化 され る 。1848年2 月 にパ リ で 始 ま っ た 革 命 が 、3月 に ベ ル リ ン 、 ウ ィ ー ン に 飛 び 火 し 、 ヨー ロ ッ パ 各 地 で ナ シ ョ ナ リ ズ ム 運 動 が 高 揚 す る と(通 称 「諸 国 民 の 春 」)、そ れ に 呼 応 して ポ ー ラ ン ド愛 国 者 た ち は1863年 に 反 ツ ァー リ蜂 起 を組 織 した(「 一 月蜂 起 」)。蜂 起 は す ぐ に鎮 圧 さ れ 、 そ れ 以 後 、 ロ シ ア も プ ロイ セ ン も統 治 下 の ポ ー ラ ン ド人 に 対 す る 警 戒 を 強 め る。 ロ シ ア 領 で は 教 育 機 関 で の ロ シ ア 語 の 使 用 が 強 制 され 、1871年 に ドイ ツ 帝 国 に 併 合 され た 旧 プ ロ イ セ ン
5戦 間 期 を 論 じ た 第 三 巻(1936年 〉 は 次 の 言 葉 で 書 き 出 さ れ て い る 。 「現 代 の ポ ー ラ ン ド 文 学 の 歴 史 に お い て 支 配 的 な イ デ オ ロ ギ ー 的 、芸 術 的 潮 流 に と っ て の 転 換 点 は1905年 で
あ っ た 」(Czachowskii936:1)。
領 で は ドイ ツ 語 以 外 の 使 用 が 禁 止 さ れ た 。 と こ ろ が 、 これ と は 逆 に 、 は じ め は ポ ー ラ ン ド 人 に対 して 抑 圧 的 で あ っ た オ ー ス ト リア は 、 フ ラ ンス 、 プ ロイ セ ン と の 相 次 ぐ敗 戦 に よ っ て 弱 体 化 した 結 果 、1867年 に オ ー ス ト リア=ハ ン ガ リー 二 重 帝 国 と して 再 編 さ れ る と 、オ ー ス ト リ ア領 ポ ー ラ ン ド(歴 史 的 に ガ リ ツ ィ ア と呼 ば れ る)全 土 で ポ ー ラ ン ド人 の 自治 を 認 め 、 公 用 語 も ドイ ツ 語 か ら ポ ー ラ ン ド語 に変 わ っ た 。 こ う して ガ リ ツ ィ ア は 、 と りわ け 西 ガ リ ツ ィ ア の 中心 都 市 ク ラ ク フで 比 較 的 自 由 な ポ ー ラ ン ド文 化 が 花 開 い た 。 第 一 次 世 界 大 戦 期 に は ガ リ ツ ィ ア は ポ ー ラ ン ド独 立 運 動 の 中心 と もな っ た 。
こ こか らが チ ャホ フ ス キ の 議 論 の 出 発 点 とな る。 上 記 の 前史 を 踏 ま え た 上 で 、 チ ャ ホ フ ス キ は 、1905年 か ら第 一 次 世 界 大 戦 を 経 て1918年 の ポ ー ラ ン ドの 独 立 に ま で 至 る流 れ を 、 二 つ の 互 い に重 な り合 い な が ら も異 な る 大 き な 集 団 が ポ ー ラ ン ド文 壇 に 進 出 し、 そ の 主 流 を 形 成 して い く過 程 と して 捉 え る 。 ひ と つ は 中産 階 級 以 下 の大 衆 。 も う ひ とつ が ユ ダ ヤ 人 で あ る 。 チ ャ ホ フス キ に よ れ ば 、 そ れ らは 同 時 代 の ロ シ ア 帝 国 に お け る 政 治 的 ・経 済 的 変 化 と 密 接 に 関 わ っ て い た 。
19世 紀 の ロ シ ア は 政 治 的 ・経 済 的 に 激 動 の 時 代 で あ っ た が 、 ロ シ ア の 支 配 下 に あ っ た ポ ー ラ ン ド(ポ ー ラ ン ド王 国)に もそ の 影 響 は 直 接 及 ん だ 。例 えば、1861年 の農 奴解放 は シ ュ ラ フ タ の 没 落 を 招 き 、70年 代 に ロ シ ア 全 土 で 拡 大 した 鉄 道 網 は 、 ワル シ ャ ワ や 新 興 工 業 都 市 ウ ッチ に 労 働 者 や 外 国 資 本 の 流 入 を も た ら した 。 さ らに 、1881年 の ロ シ ア 皇 帝 ア レク サ ン ドル ニ 世 の 暗 殺 事 件 を き っ か け に ポ グ ロ ム(ユ ダ ヤ 人 の 虐 殺)が ロ シ ア ・ウ ク ライ ナ 各 地 で 勃 発 す る と 、 ロ シ ア 系 ユ ダ ヤ 難 民 が ポ ー ラ ン ド各 地 に殺 到 した 。
こ の よ うな ロ シ ア の 経 済 的 ・社 会 的 構 造 の 急 激 な 変 化 は 、 そ の 変 化 に 取 り残 さ れ た 多 く の 貧 困 者(都 市 労 働 者 や 農 民)を 生 み 出 し、そ の 結 果 、1905年 に ロ シ ア で 全 国 的 な 革 命6が 勃 発 す る 。 ポ ー ラ ン ドに も革 命 が 波 及 し 、 ワル シ ャ ワ で は 工 場 労 働 者 が ゼ ネ ス トに 入 り、
ウ ッ チ で は 労 働 者 が 武 装 蜂 起 した 。 この と き 、 民 族 で も宗 教 で もな く、 階 級 が 人 々 の 連 帯 の 旗 印 と な り、 統 治 者 に と っ て は 社 会 的 分 断 の 最 大 の 原 因 に な っ た 。 これ 以 降 、 階 級 意 識 に 目覚 め た 労 働 者 や 農 民 が 、 ポ ー ラ ン ドの 政 治 や 文 化 に 積 極 的 に 参 画 して い き 、 これ ま で の ポ ー ラ ン ド文 化 の 主 流 か らシ ュ ラ フ タ 色 を洗 い落 と して い っ た 。 これ は 後 の 戦 間 期 にお け る 農 民 文 学 や プ ロ レ タ リ ア 文 学 の 流 行 に も結 び つ いて い る 。チ ャ ホ フ ス キ に よ れ ば 、「シ
61905年1月22日
、 首 都 サ ン ク トペ テ ル ブ ル ク の 冬 宮 広 場 で 、 基 本 的 人 権 の 要 求 を掲 げ て 行 進 す る 労 働 者 に 向 け て 軍 隊 が 発 砲 した 。 通 称 「死 の 日曜 日事 件 」 は 、 ロ シ ア 各 地 に 衝 撃 を 与 え た 。10月 に は 全 国 的 な ゼ ネ ス トに拡 大 し、 ロ シ ア 全 土 が 混 乱 を き わ め た 。
ユ ラ フ タ 階 級 出 身 の 才 能 あ る 人 間 に よ っ て 支 え られ て き た 戦 前 ま で の ポ ー ラ ン ド文 学 が 、 い ま や 中 産 階 級 や 、 と りわ け プ ロ レ タ リア ー ト出 身 の 作 家 が 持 ち こん だ 、 ま っ た く異 な る 社 会 的 性 格 を帯 び る よ う に な っ た 」(Czachowski1936:316‑317)の で あ る 。
戦 問 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 の 特 徴 と して チ ャ ホ フ ス キ が 注 目す る も う ひ と つ 変 化 が 、「ユ ダ ヤ 人 」 の 台 頭 で あ る 。 ポ ー ラ ン ド文 学 にお け る 「ユ ダ ヤ 人 」 の 活 動 が 目立 つ よ う に な る の は ポ ー ラ ン ド独 立 後 の こ と で あ る。 独 立 直 後 の ポ ー ラ ン ド文 学 は 「突 発 的 で 豊 饒 な 詩 の 開 花 」(ibid.:4)と と も に ス タ ー トを 切 る が 、そ の 担 い 手 の 多 くが ト ゥヴ ィ ム や ス ウ ォニ ム ス キ を は じめ とす る ユ ダ ヤ 系 詩 人 た ち で あ っ た 。 す で に 見 た よ う に彼 ら を 中心 と す る ユ ダ ヤ 系 知 識 人 が 『文 学 時 報 』誌 に集 ま り、 戦 問 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 を リー ド して い く こ と に な る 。
注 意 す べ き は 、 こ の よ うな ユ ダ ヤ 系 作 家 の 進 出 は 、 ポ ー ラ ン ド文 学 を 盛 り立 て る と と も に 、 同 時 に 「ユ ダ ヤ 問 題 」 を持 ち こむ こ と に もな っ た こ と で あ る 。 チ ャ ホ フ ス キ が 言 う よ う に 、 「ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 作 家 の 問 題 は(第 一 次 世 界 大)戦 前 に は ほ と ん ど存 在 しな か っ た 」(ibid.:316>。 当 時 の 「ユ ダ ヤ 問 題 」 に つ い て 具 体 的 に は 第 一 章 以 降 で 見 て い く こ と に す る が 、 こ こで は ひ と ま す 「ユ ダ ヤ 問 題 」 と は 、 「ユ ダ ヤ ・マ イ ノ リ テ ィ に対 す る ポ ー ラ
ン ド人 を 中心 と した マ ジ ョ リ テ ィ に よ る 差 別 と 迫 害 、 そ して 、 そ れ に 起 因 す るユ ダ ヤ ・マ イ ノ リテ ィ の 側 の 社 会 的 ・心 理 的 諸 問 題 」 の 総 称 と す る 。
と こ ろ が 、チ ャホ フ ス キ の 記 述 は 、片 方 の ユ ダ ヤ 系 作 家 の 内 面 的 問 題(「 ユ ダ ヤ ・コ ン プ レ ッ ク ス 」)だ け を 論 じ立 て 、他 方 の ポ ー ラ ン ドの 反 ユ ダ ヤ 主 義 に つ い て は ほ と ん ど 言 及 し な い 偏 っ た も の で あ っ た 。 こ の こ とは 彼 の ポ ー ラ ン ド文 学 に 対 す る 理 解 の 仕 方 に 関 わ っ て い る 。 そ も そ も彼 に と っ て 「ユ ダ ヤ 問 題 」 と は 、 ポ ー ラ ン ド文 学 を 浸 食 す る外 的 要 素 の 問 題 で しか な か っ た 。 しか も 、 彼 は 「そ れ は 避 け が た い もの だ し、 ポ ー ラ ン ドの 国 民 文 学 の 発 展 を 脅 か す ほ ど の も の で も な い」(ibid.:317)と 述 べ る 。そ れ ど こ ろ か 、 あ る 意 味 で ユ ダ ヤ 系 作 家 の 存 在 は ポ ー ラ ン ド文 学 に と っ て 「有 益 」 だ と 考 え て い た 。 な ぜ な ら 、 チ ャホ フ ス キ に と っ て 真 の 脅 威 は ユ ダ ヤ 問 題 で は な く 階 級 問 題 に あ っ た か らで あ る 。
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proleta百ack4,1udow舞czychlopsk律,wyst壁 両esklomò6dowyEekaniasi⑳adycyl kulturalnychkoszternobnizeniapoziomumyslowego(ibid}.
ユ ダ ヤ 系 作 家 は わ れ わ れ の 文 学 の 知 的 要 素 を 高 め る存 在 な の で 、 プ ロ レ タ リ ア ー トや 人 民 、 農 民 イ デ オ ロ ギ ー を 声 高 に 叫 ぶ 類 の 文 学 集 団 が 知 的 水 準 を 下 げ て ま で ポ ー ラ ン
ドの 伝 統 文 化 と断 絶 しよ う と して い る ま さ に こ の 時 期 に お い て こそ 、有 益 な の で あ る7。
チ ャ ホ フ ス キ は ユ ダ ヤ 系 作 家 の 存 在 を 、国 民 文化 に 貢 献 して い る 点 に お い て の み 評価 した 。 と は い え 、 どれ だ け ユ ダ ヤ 系 作 家 が ポ ー ラ ン ドに貢 献 した と し て も 、 あ く ま で 彼 に と っ て の ポ ー ラ ン ド文 学 とは 「ポ ー ラ ン ドの 伝 統 文 化 」 に 根 づ く 「わ れ わ れ の 文 学 」 で あ り続 け た 。 所 詮 は 外 的 要 素 に過 ぎ な いユ ダ ヤ の 存 在 よ り も 、 真 に憂 慮 す べ き は 内 部 の ポ ー ラ ン ド 人 同 士 の 分 断 だ と い うわ け で あ る 。
要 す る に 、 ポ ー ラ ン ドの 知 識 人 全 体 に 占 め る社 会 階 層 の 変 化 が 戦 問 期 ポ ー ラ ン ド文 学 の 全 般 的 な 特 徴 を 決 定 づ け て い た と い う こ と。 そ して 、 そ の 社 会 変 化 に付 随 す る現 象 の ひ と つ と して ユ ダ ヤ 系 作 家 の ポ ー ラ ン ド文 学 へ の 参 入 が あ った と い う こ と。 そ れ が チ ャ ホ フス キ 著 に お け る 戦 間 期 ポ ー ラ ン ド文 学 全 体 の 見 立 て で あ る8。後 戻 り で き な い社 会 変 化 に柔 軟 に 対 応 す べ く、 ポ ー ラ ン ド文 学 は 、 少 な く と もユ ダ ヤ の 知 的 貢 献 に対 して は 積 極 的 に 取 り 込 ん で い くべ き だ とす る の が 、 チ ャ ホ フ ス キ の 基 本 的 な 姿 勢 で あ っ た 。
2‑2イ グ ナ ツ ィ ・フ ィ ク
ロ シ ア革 命 は 、ポ ー ラ ン ドの 貴 族 階 級 の 急 速 な 没 落 と 市 民 階 級 の 台 頭 を もた ら した 点 で 、 ポ ー ラ ン ドが 近 代 化 す る 上 で は プ ラ ス に 働 いた が 、 階 級 闘 争 に よ る 混 乱 も招 い た 。 市 民 階
7公 平 を 期 す た め につ け 加 え て お く と、 こ こで の チ ャ ホ フ ス キ の 主 眼 は 、当 時 の ポ ー ラ ン ド ・ナ シ ョ ナ リス トに 対 す る 批 判 で あ っ た と 考 え られ る 。 国 民 民 主 党 の党 首 ロマ ン ・ド モ フ ス キ は そ の 著 『新 時 代 の ポ ー ラ ン ド人 の思 想 』(MyslinowoczesnegoPolaka)(1903
年)の 中 で 、 ポ ー ラ ン ド中産 階 級 こそ が 新 生 ポ ー ラ ン ドの主 体 で あ り、 ユ ダ ヤ 人 は シ ュ ラ フ タ と結 託 して ポ ー ラ ン ド市 民 層 の 正 当 な ポ ジ シ ョ ン を 強 奪 して い る と非 難 して いた 。 この 著 は ズ ィ グ ム ン ト ・バ リ ツ キ の 『倫 理 を 前 に した 民 族 的 エ ゴ イ ズ ム 』(Egoizm
narodowywobeceryki)(1902年)と 並 ん で 、ポ ー ラ ン ドの極 右 ナ シ ョナ リ ス トの 問 で 「バ イ ブ ル 」 と して 読 ま れ て い た(Weeks1999:251‑252)。
8チ ャホ フ ス キ は 「現 代 ポ ー ラ ン ド文 学 の か な りの 部 分 に ユ ダ ヤ 系 作 家 が 関 わ っ て い る と い う 事 実 」を 、「倒 別 的 な 現 象 で は な く 、社 会 構 造 全 般 の 根 本 的 な 変 化 と結 び つ い た 現 象 」
(Czachowskil936:316)と して 捉 え る 。 ユ ダ ヤ 系 作 家 が ポ ー ラ ン ド文 学 界 で 台 頭 し始 め た の は 、 彼 らの 個 別 的 な 才 能 や 努 力 の お か げ で は な く、 ポ ー ラ ン ド社 会 の構 造 的 な 変 化 が 原 因 して い る と い うわ け で あ る 。
級 を 中 心 と し た 近 代 的 な ポ ー ラ ン ド国 家 の 統 合 を 目指 した チ ャ ホ フ ス キ に と っ て 、 ポ ー ラ ン ド文 学 は ユ ダ ヤ 系 作 家 の 作 品 を 市 民 階 級 の 文 学 の モ デ ル と して 積 極 的 に 取 り込 む 必 要 が あ っ た 。 そ の た め チ ャ ホ フ ス キ の 文 学 史 は 、 当 時 の ユ ダ ヤ 系 作 家 が 直 面 し て い た 民 族 的 な 問 題 を意 図 的 に 無 視 した も の だ っ た が 、 そ れ に 対 して イ グ ナ ッ ィ ・フ ィ ク は 『ポ ー ラ ン ド 文 学 の 二 十 年 間(1918‑1938)』(1939年)の 中 で 、 民 族 的 な 問 題 と して ユ ダ ヤ 系 文 学 を 議 論 して い る 。そ こ に は 、フ ィ ク 自 身 が ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド人 で あ っ た こ と が 関 係 して お り9、
こ の 点 に お い て 、フ ィ ク の 著 は 、ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド文 学 研 究 史 全 体 に と っ て だ け で な く、
本 論 文 が 主 題 と す る 戦 間 期 の 同 化 ユ ダ ヤ 人 の 問 題 を考 え る 上 で も重 要 で あ る 。
戦 間 期 の ユ ダ ヤ 系 作 家 に 関 す る フ ィ ク の 記 述 は 、 ま ず は チ ャ ホ フ ス キ と 同 様 に 、 ポ ー ラ ン ド文 学 に お い て ユ ダ ヤ が 果 た して き た 役 割 の 評 価 か ら開 始 し て い る。
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talentamizydowskimi(Fik1939:23).
戦 後 に 復 活 す る(ポ ー ラ ン ドの)文 学 活 動 の 強 力 な 契 機 に な りえ た の が ブ ル ジ ョ ワ 階 級 で あ っ た が 、 そ れ は 、 こ の 時 期 に よ う や く 自己 の 存 在 を 明 示 す る 手 段 を 文 学 に 持 つ よ う に な っ た 「ユ ダ ヤ 構 成 員 」 の 文 化 的 な 協 力 に 負 っ て い た 。 確 認 して お くべ き は 、 こ の 初 期 に 、 ポ ー ラ ン ド文 学 を ヨー ロ ッパ 水 準 に 高 め よ う と 、 い ち 早 く努 力 した の が 9フ ィ クが 同 化 ユ ダ ヤ 人 で あ り共 産 党 員 で も あ っ た こ と か ら、ユ ダヤ と階級 問 題 との 関連
づ け に対 して は 、チ ャ ホ フ ス キ よ り も慎 重 な 態 度 を 示 して い る 。 「つ い で に言 う と 、世 間 で 流 布 して い る デ マ ゴー グ と は 反 対 に 、 本 当 の と こ ろ は ポ ー ラ ン ドの 左 翼 文 学 は ユ ダ ヤ 入 が 書 い て い る の で は な い 。 ス トル ク 、 ク ル チ ュ コ フ ス キ 、 プ ロ ニ ェ フ ス キ 、 チ ュ フ ノ フ ス キ と い っ た 社 会 主 義 的 な 作 家 の 代 表 格 や 、 あ き らか に 左 翼 寄 りの 他 の 作 家 も 、 ま さ に ア ー リ ア 人 で あ り、 そ れ は ポ ー ラ ン ドに 同 化 した ユ ダ ヤ 人 の 奉 仕 を 享 受 し て い る ブ ル ジ ョ ア 文 学 と は 反 対 で あ る」(Fik1939:24>。 戦 間 期 に 高 ま りを 見 せ る ポ ー ラ ン ドの 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 が よ く使 っ た 言 葉 に 「ジ ド ・コ ム ナ(ユ ダ ヤ 共 産 主 義)」(zydokomuna)が あ る 。 「ユ ダ ヤ 人 」 は し ば し ば社 会 主 義 の 扇 動 者 と して 攻 撃 さ れ た 。
主 に ユ ダ ヤ 系 作 家 で あ っ た と い う こ と だ 。 彼 ら は ヨー ロ ッパ 東 西 の あ らゆ る潮 流 を 不 思 議 とわ けな く取 り込 む こ と が で き 、 そ れ を 強 く人 に 働 き か け る 形 で 雄 弁 に 煽 動 、 宣 伝 して 回 る こ とが で き た 。 戦 間 期 の 最 初 の 十 年 間 に お け る ポ ー ラ ン ドの 拝 情 詩 は 、 も っ ぱ らユ ダ ヤ 的 才 能 に よ っ て 支 え られ て い る 。
フ ィ ク は 、 〈 ポ ー ラ ン ド語 で 書 か れ た 文 学 作 品 の 束 が ポ ー ラ ン ド文 学 で あ る 〉 と す る チ ャ ホ フス キ の伝 統 を 引 き 継 ぎ 、 そ れ を よ り明 確 に 、 〈 た と え 「非 ポ ー ラ ン ド的 」 に 見 え る作 品 で あ っ て も 、 そ れ が ポ ー ラ ン ド語 で 書 か れ て い る 限 り、 す べ て ポ ー ラ ン ド文 学 で あ る 〉 と主 張 す る。 フ ィ ク は ユ ダ ヤ 系 作 家 の 貢 献 に つ い て 語 りな が ら、 ポ ー ラ ン ド語 文 学 史 を 、 よ り開 か れ た 形 に 書 き 直 そ う と した 。
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作 家 が ど の 民 族 だ ろ うが 、 ポ ー ラ ン ド語 で 書 か れ た 物 は(誰 が 好 も う と好 む ま い と に 関 わ らず)ポ ー ラ ン ド文 学 に 数 え 入 れ る べ き で あ る。 た とえ この 領 域 に含 む こ とが で き そ う な 、 い か な る 尺 度 も作 品 に 見 あ た らな か っ た と して も、 ユ ダ ヤ 系 作 家 の 作 品 を 除 外 し た が る の は 馬 鹿 げ て い る 。 作 品 に 明 確 な 美 を 刻 印 す る と され る 民 族 精 神 な る も の は フ ィ ク シ ョ ンで あ る 。
フ ィ ク が ポ ー ラ ン ド文 学 に ユ ダ ヤ 系 作 家 を 数 え 入 れ る の は 、 チ ャ ホ フス キ が 目指 した よ う に ポ ー ラ ン ド文 学 を よ り知 的 か つ よ り豊 か に す るた め で は な い 。 フ ィ ク に と っ て 、 これ は 単 に 文 学 の 問 題 に と ど ま ら な か っ た 。 彼 の 文 学 史 構 想 は 、 フ ィ ク 自身 が そ うで あ っ た よ う な 同 化 ユ ダ ヤ 人 に と っ て 、 あ る べ き ポ ー ラ ン ド社 会 の 構 想 と も結 び つ い て い た と考 え られ
る 。
彼 の 本 が 出 版 され た の は1939年 で あ る 。これ が 何 月 に 出 版 され た か と い う情 報 は ど こ に
も 記 載 され て お らず 今 の と こ ろ 不 明 で あ る が 、い ず れ に せ よ ドイ ツ の ポ ー ラ ン ド侵 攻(1939 年9月)以 前 で あ っ た こ と は 確 か で あ る。1939年1月30日 の 議 会 演 説 にお け る 「ヨ ー ロ
ッ パ の ユ ダ ヤ 人 種 を根 絶 す る 」 と い う ヒ トラ ー の 発 言 は 、 ユ ダ ヤ 人 フ ィ クの 耳 に 届 い て い た は ず だ し 、 隣 国 ドイ ツ の 動 向 は ユ ダ ヤ 人 で な くて も 多 くの ポ ー ラ ン ド人 が 不 安 を 抱 いて 注 視 して い た 。 だ か ら こそ 彼 は こ の時 期 に 、 文 学 史 の 記 述 を 通 じて 「人 種 」 や 「民 族 」 を 超 え た ポ ー ラ ン ド文 学(=ポ ー ラ ン ド国 家)の 構 想 を 提 示 しよ う と した 。
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klasyspoそeczn句is綾jejodpowiednimwyrazem(ibid.:23‑24).
書 き方 を 見 て 作 者 の 出 自 を ア プ リオ リ に見 抜 く 方 法 な どな い。 官 能 性 、 知 識 偏 重 、 修 辞 過 多 、理 想 主 義 、道 徳 性 の 欠 如 と い っ た ユ ダ ヤ 人 が 背 負 う と さ れ る ど の 特 徴 も、 「人 種 的 に 」 非 ポ ー ラ ン ドの 文 学 を決 定 す る も の に は な らな い 。 同 じ 特 徴 は ど れ も、 疑 う 余 地 な く ポ ー ラ ン ド人 で あ る 作 家 の 作 品 に も は っ き り と見 出 せ る 。 作 品 に 不 快 な 性 質 を 見 つ け た と して 、そ の 場 合 、作 者 が ユ ダ ヤ 人 で あ る か ど う か の 説 明 は 適 切 で は な く、
そ れ よ り も作 者 が あ る 社 会 的 階 級 に 属 し、 そ の 階 級 な らで は の 表 現 が 理 由 にな って い る は ず だ 。
チ ャ ホ フ ス キ も フ ィ ク も戦 間 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 史 を 書 く 上 で 、 と りわ け 階 級 問 題 を 中 心 と した 当 時 の 社 会 的 変 動 を 重 視 した 点 で 共 通 して お り 、 そ の 意 味 で 大 枠 に お い て は 同 じ歴 史 観 に立 っ て 書 い て い る 。 ま た い ず れ も、 戦 間 期 ポ ー ラ ン ド文 学 に お け る ユ ダ ヤ 系 作 家 の 活 躍 に注 目 した 点 に お い て も先 駆 的 な 文 学 史 研 究 で あ っ た と言 え る 。 た だ し 、 チ ャ ホ フ ス キ は ユ ダ ヤ 系 作 家 を ポ ー ラ ン ド 「国 民 文 化 」 へ の 貢 献 者 と して の み と らえ た が 、 フ ィ ク は そ の よ うな 「国 民 文 化 」 な る も の を初 め か ら信 じて は い な か っ た 。 そ もそ も フ ィ ク が 現 代 の ポ ー ラ ン ド文 学 に お け る ユ ダ ヤ 人 の 役 割 を評 価 す る の は 、 「彼 ら の 存 在 が 、(労 働 者 や 農
民 の 文 化 とは 対 置 さ れ る 一 一 引 用 者)芸 術 文 化 の帝 国 主 義 と 、 よ そ 者 に 同 化 を 強 制 す る ポ ー ラ ン ド語 の 帝 国 主 義 を 示 して くれ る 」(ibid.:25)か らで ある。
と は い え 、 フ ィ ク の 文 学 史 は ユ ダ ヤ 系 作 家 の 問 題 につ い て は 数 頁 を割 く だ け で 、 あ くま で 示 唆 的 な も の に 留 ま っ て い た 。文 学 史 全 体 と して チ ャ ホ フ ス キ と の 違 い を 挙 げ る な ら ば 、 マ ル ク ス 主 義 者 フ ィ ク が プ ロ レタ リア ー ト文 学 や 農 民 文 学 を 評 価 して い た 点 で あ ろ う。 そ の 他 の 大 枠 に お い て は 両 者 の 文 学 史 に あ ま り大 差 は な い 。 し か し、 こ こで 重 要 な の は 、 当 時 の フ ィ ク は 同化 ユ ダ ヤ 人 が ポ ー ラ ン ド人 と 同等 で あ り う る 、 そ の よ うな ポ ー ラ ン ド文 学
=ポ ー ラ ン ド国 家 の 可 能 性 を か ろ う じて 信 じ る こ と が で き た と い う こ と で あ る。 そ の 証 と して フ ィ ク の 文 学 史 が あ る 。 と ころ が 、 ホ ロ コ ー ス ト後 に 大 多 数 のユ ダ ヤ 人 口 は ポ ー ラ ン ドの 地 か ら姿 を 消 した 。 フ ィ ク の夢 は 潰 え 、 そ の後 の ポ ー ラ ン ドの 国 民 文 化 に と っ て ユ ダ ヤ の 存 在 は も は や 重 要 で も 脅 威 で もな くな っ た 。
3ユ ダ ヤ ・ポ ー ラ ン ド/ポ ー ラ ン ド ・ユ ダ ヤ 文 学 研 究
3‑1ア ル ト ゥ ー ル ・サ ン ダ ウ エ ル
戦 間 期 の ポ ー ラ ン ド文 学 史 にお け るユ ダ ヤ 系 作 家 の 扱 い に つ い て 見 て き た が 、 こ こま で 重 要 な 問 いが まだ 不 問 に付 さ れ た ま ま で あ る 。 な ぜ ユ ダ ヤ 系 作 家 が ポ ー ラ ン ド語 で 書 こ う と した の か 、 あ る い は 書 か ね ば な らな か っ た の か と い う 問 い で あ る。 チ ャ ホ フ ス キ は も と よ り フ ィ ク の 文 学 史 も、 こ う した 作 家 と執 筆 言 語 と の 間 に 介 在 す る欲 望 や 社 会 的 、 歴 史 的 な 権 力 構 造 に つ い て の 考 察 が 抜 け落 ちて いた 。 も ち ろ ん 、 そ れ は フ ィ ク が 理 解 して な か っ た の で は な く、あ え て 書 か な か っ た と も考 え られ る 。しか し、戦 後 の ポ ー ラ ン ドに お いて 、 そ の よ う な 遠 慮 は も は や 必 要 で は な くな った 。そ こで 、よ うや く80年 代 に な っ て 、 こ の 問 題 に 正 面 か ら取 り組 ん だ 初 の総 合 的 な 文 学 史 研 究 が 刊 行 さ れ る こ と に な る 。
ユ ダ ヤ 系 の 文 学 者 ア ル ト ゥー ル ・サ ンダ ウ エ ル は 、 戦 後 に シ ュ ル ツや ゴ ン ブ ロ ー ヴ ィ チ な ど 戦 間 期 の 優 れ た ポ ー ラ ン ド語 作 家 を 西 欧 諸 国 へ 紹 介 す る こ と に 尽 力 し、 ま た 、 国 内 に お い て は体 制 に迎 合 す る 作 家 に 対 して 批 判 的 な 態 度 を 貫 い た 数 少 な い 知 識 人 の 一 人 と して 知 られ て い る 。 そ の 彼 が 満 を 持 して 刊 行 し た 『二 十 世 紀 に お け る ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド作 家 の 状 況 』(1982年)は 、 ポ ー ラ ン ド文 学 に お け るユ ダ ヤ 問 題 を 主 題 に した 初 の 総 合 的 な 文
学 史 研 究 で あ る 。
Niejesttohistoriawkladu乞yd6wwewsp6曇czesn融kukur弓polsk律;matobye.‐natledziejow
powstalejwXXwie㎞grupyspo計eczn句 之yd6w‑Polak6w‑opiswanlnk6w,wjakichich asymilacjasiサdokonywalaomzreakcyjpsychicznychnatewarun塾d.Nieobowi靭ewi弓c
2adnekompletno≦6,je≦1ichodzionazwiskajednostektw6rczych;jedyne,coobowi興le,to
kompletnoscwopisiesytuacji(Sandauer1985b:445).
本 論 は 現 代 の ポ ー ラ ン ド文 化 に寄 与 して き た ユ ダ ヤ 人 の 歴 史 を 語 る もの で は な い 。 そ うで は な く 、 二 十 世紀 に 生 ま れ た ポ ー ラ ン ド系 ユ ダ ヤ 人 の 社 会 集 団 の 歴 史 を考 察 しな が ら、 ユ ダ ヤ 人 の 同 化 が 行 わ れ た 諸 状 況 と 、 そ れ へ の 心 理 的 反 作 用 を記 述 す る こ と に な る だ ろ う 。 そ の とき 著 者 が 心 掛 け ね ば な らな いの は 作 家 の 個 人 名 を網 羅 す る こ と で は な く 、 状 況 に つ い て 網 羅 的 に 記 述 す る と い う こ と だ 。
こ こで サ ン ダ ウ エ ル が 述 べ る 「同 化 」(asymiiacja)と は 、 一 言 で 言 え ば 、ユ ダ ヤ 人 が ポ ー ラ ン ド語 を話 し(書 き)、 ポ ー ラ ン ド人(国 民)に な る と い う こ とで あ る 。戦 間 期 ポ ー ラ ン
ドの ユ ダ ヤ 文 学 を 論 じ る 上 で 、 と りわ け 「同 化 」 作 家 に 注 目す る 本 論 文 は 、 サ ン ダ ウ エ ル の 研 究 を 発 展 的 に継 承 した も の と して 位 置 づ け る こ とが で き る 。 本 論 文 の研 究 史 上 の意 義 を 明 ら か に す る 上 で も 、 こ こで は サ ン ダ ウ エ ル が 語 っ た こ と と語 らな か っ た こ と 、 残 さ れ た 課 題 を 明 ら か に した い 。
サ ン ダ ウ エ ル 著 は 基 本 的 に 編 年 体 で 書 か れ 、一 章 と二 章 で 前 史 を 論 じ 、三 章 で 戦 間 期 を 、 四 章 以 降 は 占領 期 、 人 民 共 和 国 時 代 初 期 、 雪 解 け 以 降 と続 く。 網 羅 的 で あ ろ う とす る が ゆ え に 単 な る 作 家 の 羅 列 に 陥 っ た チ ャ ホ フス キ らの 文 学 史 記 述 と は 異 な っ て 、「同 化 」と い う 問 題 に 主 眼 を 当 て た 本 書 は 、 章 ご と に時 代 状 況 を 代 表 す る作 家 を 三 名 ほ ど取 り あ げ て 考 察 す る 形 式 を 採 用 し て い る 。 ま ず は 戦 間 期 に 至 る ま で の ユ ダ ヤ 人 の 同化 の 歴 史 を 、 サ ン ダ ウ
エ ル の 理 解 に 沿 う形 で 、 簡 単 に 説 明 して お く必 要 が あ る だ ろ う 。
ユ ダ ヤ 人 の ポ ー ラ ン ドへ の 定 住 化 が 本 格 化 す る の は13世 紀 ごろ に遡 る 。十 字 軍 以 降 に 西 欧 で ユ ダ ヤ 人 に 対 す る 迫 害 が 激 化 し、 西 欧 各 地 か ら追 わ れ た ユ ダ ヤ 人 の 受 け 入 れ 先 に な っ た の が ポ ー ラ ン ドで あ っ た 。 国 内 の 市 民 階 級 の 不 在 を 埋 め 合 わ せ る こ と で 経 済 的 発 展 を 期 した 歴 代 の ポ ー ラ ン ドの 王 は 、 ユ ダ ヤ 人 の 商 人 や 職 人 に 経 済 活 動 上 の 特 権 を与 え て 保 護 し
た 。 これ 以 降 、ポ ー ラ ン ドはユ ダ ヤ 人 か ら 、『旧 約 聖 書 』の 言 葉 を も じ ってPolin(「 ポ 」(こ こ に)「 リ ン」(安 住 す る)国)と し て 語 られ る よ う に な っ た と い う(ibid.:452)。
こ の 時 点 で は ユ ダ ヤ 人 の ポ ー ラ ン ドへ の 同 化 は広 ま って い な い 。 ポ ー ラ ン ドの ユ ダ ヤ 人 の 大 半 は ユ ダ ヤ教 を信 仰 し、 言 語 はi礼 拝 用 の ヘ ブ ラ イ 語 と 日常 語 の イ デ ィ ッ シ ュ語(元 来 は ドイ ツ語 の 方 言 で 、 そ こ に ヘ ブ ラ イ 語 の 語 彙 と 、 さ ら に ユ ダ ヤ 人 の 東 欧 移 住 に伴 っ て ス ラ ヴ 諸 語 が 混 合 した 言 語)を 用 い て 生 活 して い た 。
ユ ダ ヤ 人 の 同 化 の 動 き が 広 ま る の は 分 割 期 以 降 、 と りわ け ドイ ッ か ら ポ ー ラ ン ドの 地 に ハ ス カ ラー10の 運 動 が 波 及 し、 ま た ロ シ ア や オ ー ス ト リア 領 下 で ユ ダ ヤ 人 の た め の 近 代 的 な 教 育 機 関 が 設 立 され 始 め る19世 紀 以 降 の こ と で あ る 。19世 紀 半 ば に ナ シ ョナ リズ ム が ヨ ー ロ ッパ 各 地 で 高 ま り を 見 せ る と 、 分 割 ポ ー ラ ン ドに住 む ユ ダ ヤ 系住 人 の 中 か ら も民 族 的 ・文 化 的 自治 を求 め る 声 が あ が り 始 め る が 、 眠 族 」 と して 認 め られ て こ な か っ た ユ ダ ヤ 人 は 、 他 の マ イ ノ リテ ィ と 同 等 の 権 利 を獲 得 す る こ と は な か っ た 。 分 割 ポ ー ラ ン ドの 諸 地 域 で 多 数 派 を 占 め た ユ ダ ヤ 人 は 、 統 治 国 や ポ ー ラ ン ド ・ナ シ ョナ リ ス トた ち に と っ て 、 自 ら の 民 族 運 動 の 「同盟 者 」 と して 獲 得 す べ き 対 象 で あ っ て 、 独 自 の 民族 と して 認 め る わ け に は い か な か っ た 。 そ の 結 果 、 と りわ け社 会 的 に上 層 部 に い た ユ ダ ヤ 人 の 中 か ら ドイ ツ化 と ロ シ ア 化 が 進 み 、 ポ ー ラ ン ド人 の 地 位 が 高 か った ガ リ ツ ィ ア で は 、 ユ ダ ヤ 人 は ドイ ツ よ り も ポ ー ラ ン ドに 同化 した 。 この よ う な 同化 へ の 動 き は 、19世 紀 末 に ロ シ ア 全 土 で 広 ま る ポ グ ロ ム と 、 そ の 後 の シ オ ニ ズ ム の 高 ま りが 一 時 的 に押 し と どめ る が 、 や が て 第 一 次 世 界 大 戦 が 勃 発 す る と、ユ ダ ヤ 人 は 、ま ず は ドイ ツ か ロ シ ア か どち らか 一 方 へ の 従 属 を 迫 られ 、 戦 争 末 期 に ポ ー ラ ン ド軍 が 結 成 され る と 、 今 度 は ポ ー ラ ン ドへ の従 属 が 要 求 さ れ た 。
20世 紀 初 頭 の ユ ダ ヤ 人 に対 す る ポ ー ラ ン ド社 会 の 大 半 の ム ー ドを 端 的 に 示 す 例 と して 、 サ ン ダ ウ エ ル は 、 第 一 次 世 界 大 戦 の 約10年 前(1903年)にr全 ポ ー ラ ン ド展 望 』 誌 に 掲
載 さ れ た 国 民 民 主 党(戦 間 期 ポ ー ラ ン ドの 反 ユ ダ ヤ 主 義 の 中 心 と な る 極 右 政 党 で 略 称 エ ン デ ー ッ ィ ア)の 声 明 文 を 引用 して い る 。
Jednosdd(..)spo≦r6d之yd6思kt6rep剛 尋wszy㎞1血r穿polsk弓bezzas並e2e蜘cz律si壁z naszymspdecze血stwemwjegod4eniachnarodowychnawettam,gdzieidzieoograniczenie
藍oヘ ブ ライ 語 で 啓 蒙 の 意 味。ハ ス カ ラ ー の 創 始 者 モ ー ゼ ス ・メ ン デ ル ス ゾ ー ン は 、18世 紀 末 に ユ ダ ヤ 人 の ドイ ツ 化 を 推 し進 め た こ とで 知 られ て い る 。 た だ し メ ンデ ル ス ゾ ー ン 自 身 は 敬 慶 な ユ ダ ヤ 教 徒 で あ り、1778年 に 「モ ー ゼ 五 書 」 を ドイ ツ 語 訳 した 際 、 ユ ダ ヤ 教 徒 が ドイ ツ 語 を 学 習 す る 上 で 役 立 て る よ う表 記 は ヘ ブ ラ イ 文 字 に して い る 。
rolispo聖ecznejiywiohizydowskiego,stronnictwouwazawzupefnoscizaPolakow,r6wn勾 律c
jezresz晦rodak6wwewszystkichprawachiobowiqzkach(ibid・:457)・
ポ ー ラ ン ド文 化 を 留 保 な し に 受 け 入 れ 、 ユ ダ ヤ 的 要 素 の社 会 的 役 割 が 制 限 され る よ う な 場 に お いて も、 わ れ わ れ の 社 会 と民 族 的 要 求 に お い て 手 を結 ぶ 、 そ の よ う な 個 々 の ユ ダ ヤ 人 を 、 党 は 完 全 に ポ ー ラ ン ド人 で あ る と認 め 、 す べ て の 権 利 と義 務 に お い て 他 の 同 胞 と等 し い も の とす る 。
要 す る に 、ユ ダ ヤ 人 は 「留 保 な し に」ポ ー ラ ン ド文 化 に 同 化 す る こ とが 求 め られ た の だ が 、 そ の ご褒 美 に ポ ー ラ ン ド人 と 同 等 の権 利 が 与 え られ る と 同 時 に 、 同 じ義 務 の 履 行 が 課 せ ら れ た 。 ポ ー ラ ン ド民 族 運 動 の 「同 盟 者 」 と して 共 に闘 う こ と で あ る 。
第 一 次 世 界 大 戦 で ポ ー ラ ン ド軍 の 側 に 立 っ て 多 く の ユ ダ ヤ 人 が 戦 っ た こ とが 知 られ て い る 。 しか し、 ポ ー ラ ン ドが 独 立 す る と 、 ユ ダ ヤ 人 は 国 内 の 異 質 な 存 在 と して 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 た ち の 攻 撃 対 象 に な っ た 。 そ の 先頭 に 立 っ た の が 他 で もな い 、 上 の 声 明 文 を 出 した 国 民 民 主 党 で あ る 。サ ン ダ ウ エ ル が 述 べ る よ う に 、「す で に ポ ー ラ ン ドが 独 立 して し ま え ば 同 盟 者 は 必 要 で は な く な る し、む しろ ラ イ バル と して 厄 介 な 存 在 と な っ た 」(ibid.:459)の で あ る 。
こ こ に き て サ ン ダ ウ エ ル の 研 究 の 主 題 で あ る 同化 を め ぐ る ユ ダ ヤ 系 作 家 の 「心 理 的 反 作 用 」 が 問 題 に な る 。 先 の 問 い(な ぜ ポ ー ラ ン ド語 で 書 こ う と した の か 、 あ る い は 書 か ね ば な らな か っ た の か)に 戻 る な らば 、 戦 間 期 の ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 作 家 た ち は 、 ま ず は ポ ー ラ ン ド人 の 呼 び か け に応 え て 、 ポー ラン ド人 にな るた め にポ ー ラ ン ド語で 書 こう と した し 、 同 化 ユ ダ ヤ 人 で は な く真 に ポ ー ラ ン ド人 で あ る た め にiポ ー ラ ン ド語 で 書 か ね ば な ら な か っ た の だ と、 ひ と まず は 答 え る こ とが で き る 。
こ の 理 解 に 立 っ た 上 で サ ン ダ ウ エ ル は 戦 間 期 の分 析 に 入 る 。 彼 は 戦 間 期 の ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 文 学 を代 表 す る作 家 と して 、 詩 人 で は ユ リ ア ン ・ト ゥ ヴ ィ ム と ア ン トニ ・ス ウ ォ ニ ム ス キ を 、 小 説 家 で は ブ ル ー ノ ・シ ュ ル ツ の 計 三 名 を ピ ッ ク ア ッ プす る。 こ こで は サ ン ダ ウ エ ル の 議 論 の 概 要 を示 す に と どめ 、個 別 的 な 作 家 論 の検 討 は第 一 章 以 下 の 各 論 に譲 る
こ と に す る 。
ト ゥ ヴ ィ ム は 「異 ユ ダ ヤ 的 ユ ダ ヤ 人 」(之yd‑allosemita)、ス ウ ォ ニ ム ス キ は 「節 度 あ る 進 歩 主 義 者 」、 シ ュ ル ツ は 「旧 約 聖 書 的 無 意 識 を抱 え る ポ ー ラ ン ド人 」 とい っ た よ う に 、作 家
ご と に 副 題 が 付 さ れ て お り、 三 名 の 作 家 は 、 い わ ば 当 時 の ユ ダ ヤ 系 作 家 に特 有 の 傾 向 の体 現 者 と して 登 場 して い る 。これ らの 作 家 を並 置 す る こ とで サ ンダ ウ エ ル が 示 して い る の は 、
同 化 の 病 理 学 的 な 側 面 で あ る 。 例 え ば 、 ト ゥ ヴ ィ ム は ポ ー ラ ン ドへ の 愛 が あ ま り に 強 い だ け に 、 そ れ が 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 の 攻 撃 に 直 面 して 裏 切 られ た と き 、 自己 を 悪 魔 化 す る 「異 ユ ダ ヤ 的 」 パ フ ォ ー マ ン ス に 向 か っ た 。 ス ウ ォニ ム ス キ は 裕 福 な キ リス ト教 徒 の 家 庭 に 生 ま れ 、 ポ ー ラ ン ド的 な 名 前 を 持 ち 、 進 歩 的 な 知 性 を 備 え 、 ほ ぼ完 壁 な 同 化 ユ ダ ヤ 人 で あ っ た が ゆ え に 、 し ば しば ポ ー ラ ン ド人 以 上 に 露 骨 な 反 ユ ダ ヤ 的 態 度 を示 した(同 化 ユ ダ ヤ 人 こ そ が も っ と も熾 烈 な 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 で あ っ た)。 シ ュ ル ツ に つ い て も 同 様 で 、も は や 副 題 が す べ て を 語 っ て い る(シ ュ ル ツ は 自己 の 内 部 の ユ ダ ヤ 性 を 否 定 す る マ ゾ ヒス ト と して 語 ら れ て い る)。
要 す る にサ ン ダ ウ エ ル は 、 同 化 ユ ダ ヤ 人 作 家 を ポ ー ラ ン ドとユ ダ ヤ の ど ち らで もな い存 在 と して 、 も は や 「ユ ダ ヤ 人 ・ポ ー ラ ン ド人 」(之yd‑Polak)と 名 づ け る 以 外 に な い 分 裂 し た 内 面 を 抱 え た 存 在 と して 提 示 し た の で あ る 。
サ ン ダ ウ エ ル の研 究 が 後 続 の ユ ダ ヤ ・ポ ー ラ ン ド文 学 研 究 者 に与 え た イ ンパ ク トは 大 き く、 彼 以 降 、 ポ ー ラ ン ド語 で 書 い た ユ ダ ヤ 系 作 家 に つ い て 「国 民 文 学 」 へ の 貢 献 を 素 朴 に 語 る こ と は 不 可 能 に な っ た 。 サ ン ダ ウ エ ル の 登 場 を 待 っ て 、 よ うや くポ ー ラ ン ド文 学 研 究 者 は ユ ダ ヤ 系作 家 を ポ ー ラ ン ド文 学 史 に お け る 過 剰 な 存 在 と して 考 察 す る よ う に な る 。
と こ ろ で 、こ こで わ れ わ れ が サ ンダ ウ エ ル の研 究 を受 け 止 め る 時 に 注 意 す べ き 点 が あ る。
サ ン ダ ウ エ ル は 誰 が 誰 に 向 け て 書 くの か と い う 、現 在 で 言 う 「立 場 性 」(positionality)の 問 題 に意 識 的 な 研 究 者 で あ っ た(彼 の 著 書 に は 副 題 と して 「私 が 書 くべ き で は な か っ た こ と」
と記 され て い る)。ポ ー ラ ン ド語 で 書 く 同 化 ユ ダ ヤ 人(サ ン ダ ウ エ ル は ポ ー ラ ン ド語 詩 人 で も あ っ た)の 一 人 と して 、 ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド文 学 に つ い て 書 か れ て い な い こ と を 書 い た の が 本 書 で あ る 。 した が っ て 、 本 書 は ポ ー ラ ン ド社 会 に 対 す る 批 判 に と ど ま らず 、 ポ ー ラ ン ド人 に は 真 似 の で き な い 同 業 者 に 対 す る 辛 辣 な 批 判 の 書 で も あ っ た 。 そ して 、 この こ と と も 結 び つ い て 、 よ り重 要 な の は次 の 点 で あ る 。
本 書 は 、 そ の 読 者 と して 、 ま ず は ポ ー ラ ン ド語 使 用 者 を 想 定 して 書 か れ て い る 。 そ の せ い か 、 サ ン ダ ウ エ ル は 戦 間 期 の ユ ダ ヤ 系 作 家 の 考 察 に お い て ポ ー ラ ン ド語 使 用 が ポ ー ラ ン ド人 ア イ デ ン テ ィ テ ィ と結 び つ い て い た 点 を 強 調 す る ば か り、 そ う で は な い側 面 に は 目 を 向 け て い な い 。 同 化 作 家 の 内 面 に お い て 問 題 とな る 「ユ ダ ヤ 性 」 は 常 に ポ ー ラ ン ド社 会 と 対 峙 して い た か の よ う に 書 か れ て い る が 、 実 際 はそ れ だ け で は な か っ た は ず で あ る 。 例 え
ば シ ュ ル ツ は ポ ー ラ ン ド語 作 家 と して デ ビ ュ ー 後 も、 ドイ ッ 語 で 小 説 を 書 き 、そ れ を トマ ス ・マ ン に 送 りつ け る な ど 、ドイ ツ 文 壇 へ の 進 出 を常 に 画 策 して い た こ とが 知 られ て い る 。 サ ン ダ ウ エ ル が シ ュ ル ツ に見 出 す 「1日約 聖 書 的 無 意 識 」 は ポ ー ラ ン ドだ けで な く、 西 欧 と の 対 峙 に お い て も 論 じ る必 要 が あ っ た の で は な いか 。 お そ ら く 、 この こ と は サ ンダ ウ エ ル 自 身 が 一 番 知 っ て い た は ず で あ る11。
し か し、先 行 す る ポ ー ラ ン ド語 文 学 史 研 究 の 内 在 的 批 判 と して 書 か れ た の が 本 書 で あ り、
ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 作 家 と 西 欧 社 会 との 関 わ りが 書 か れ て いな い か ら とサ ン ダ ウ エ ル を 批 判 し て も 「な い も の ね だ り」 に な っ て し ま う だ ろ う。 と も か く、 こ こ で 残 され た 課 題 の ひ と つ が 、 戦 間 期 ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 文 学 に お け る 周 辺 の 諸 文 ヒ ・諸 言 語 間 との 接 触 ・ 結 合 の 考 察 で あ る 。90年 代 以 降 に ポ ー ラ ン ド ・ユ ダ ヤ 研 究 は サ ン ダ ウ エ ル の 仕 事 を 引 き 継
ぐ形 で 、 徐 々 に こ の 方 面 に 目 を 向 け て 行 く こ と に な る 。
3‑2ガ リ ツ ィ ア の ユ ダ ヤ 民 族 運 動 と多 文 化 的 背 景
サ ン ダ ウ エ ル 以 後 の ユ ダ ヤ 系 ポ ー ラ ン ド語 文 学 研 究 に お け る 大 き な 変 化 の 一 つ と して 、 東 部 ガ リ ツ ィ ア 地 域 の ユ ダ ヤ 系 作 家 へ の 急 激 な 注 目 の 高 ま りが あ る 。
東 部 ガ リ ツ ィ ア は 、 リ トア ニ ア 西 部 、 ベ ラル ー シ 東 部 と並 ん で 、 戦 後 ポ ー ラ ン ドが 失 っ た 領 土 の ひ とつ で あ る 。 代 わ り に ポ ー ラ ン ドは ポ ッ ダ ム 協 定 に 基 づ き オ ー デ ル=ナ イ セ 線 以 東 の 旧 ドイ ツ 領 を 獲 得 した 。 こ の 戦 後 に 失 わ れ た 東 の領 土 と(場 合 に よ っ て は)新 た に 獲 得 した 西 の 領 土 の こ と を 、 ポ ー ラ ン ド語 で 「ク レ ス ィ」(Kresy:国 境 地 域)と 呼 ぶn。
ポ ー ラ ン ド民 主 化 後(1989年)に ドイ ッ 「東 方 領 土 」 の ポ ー ラ ン ド帰 属 が 確 定 す る91 年 を 経 て 、 「ク レ ス ィ 」は ます ます 頻 繁 に ポ ー ラ ン ドの 文 学 ・文 化 研 究 の 領 域 内 で 言 説 の 対 象 に な っ て い っ た13。
1且サ ン ダ ウ エ ル は 生 前 の シ ュ ル ツ と 個 人 的 な 面 識 を 持 っ た 数 少 な い シ ュ ル ツ 研 究 者 の 一 人 で あ っ た 。
12基 本 的 に は 「ク レ ス ィ 」 と い っ た 場 合、 東 側 の 国 境 地 帯 を 指 す 。 た だ し 、 現 在 は ポ ー ラ ン ド 領 で は な く 、 ウ ク ラ イ ナ 人 や ベ ラ ル ー シ 人 、 リ トア ニ ア 人 の 住 む こ の 土 地 を 指 す の に 、 頭 文 字 を 大 文 字 で 書 く 固 有 名 詞 の 「ク レ ス ィ 」 と い う 呼 称 を 用 い る の は 民 族 主 義 的 で あ り 、 小 文 字 のpogranicze(ボ ー ダ ー ラ ン ド〉 を 用 い る 方 が 中 立 的 で よ い と す る 意 見
も あ る(Wiegandt2007:4Q‑42)。
13例 え ば
、 民 主 化 以 降 に 発 行 さ れ た 文 芸 誌 と し て 、 東 ガ リ ツ ィ ア を 中 心 に し たKresy,リ ト ア ニ ア を 中 心 に し たKrasrtogruda、 西 部 国 境 地 域 を 中 心 に し たPogranicza.Szczecinski
KwartalnikKulturalnyな ど が 挙 げ ら れ る(ibid.:42>。