良寛の遺詠とその作曲〔V〕
黒 坂 富 治
Ryokan's Long and Short‑Poems and their Musical Composition〔V〕
by
Tomiji Kurosaka
角田山弥彦につづく国上山 しぐれ晴れ間に見えて親しも 柳門居
良寛ざまの遺詠にこころ惹かれて,その作曲をはじめたのは,メモによると昭和53年8月29日と あるから,既に7年の月日が過ぎてしまった。いまや良寛さまは,私から片時も離れられぬ分身に なってしまった。去る5月12日,新潟市音楽文化会館で,「全国良寛会」年度総会が開催された 折,既作曲の「諺詩歌・月の兎」,「相聞贈答」,「慈父母追懐」,「まりつき(1・ll)」などの演奏 が行われ,挨拶で所感を述べた私の頬のこけた顔や,細身の姿,ちょっぴり鋭くなった眼光が,良 寛さまそっくりとの好評を得て苦笑したことだった。分水町界隈の,良寛さまゆかりの家々を訪ね たり,国上山の草庵へ登ったりした私にとって,弥彦山も国上山の一帯も,限りなく懐しく親し く,曇り空で車窓から見えない時は淋しいが,梅雨や時雨の晴れ間に遠望できた際は,とても嬉し いのである。
資料によると,良寛は父以南が京都桂川で入水死去の後,越後に帰国したとある。それは寛政7 年,時に良寛38才となっている。「北越奇談」などの文献を総合するに,この後良寛は寺泊・郷本 の空庵,国上寺五合庵,寺泊照明寺密蔵院,牧4花観照寺,国上の本覚院,出雲崎西照庵などを,
転々と移住し,五合庵に定住したのは文化元年,時まさに良寛47才であった。ここに在住すること 13年,この五合庵期において,詩,歌,書にわたる良寛調独特の芸風が形成されたと言われる。文 おとこ
化13年,59才にして山麓の乙子祠畔に移った。乙子草庵に住すること約10年,文政9年良寛69才に して,三島郡和島村字島崎の,能登屋木村元衛門邸内に移り,約5年後の天保2年正月6日示寂,
享年74才とある。
私は良寛さま御生涯の一区分となる,五合庵,乙子草庵在住の20年余は,重要な時代であると思 う。遺詠の数も多く,作品が秀麗でダイナミックであると思う。数多いそれら遺詠の中から選ん で・別項のように作曲したのであるが,遺詠胚胎の環境となった弥彦山,国上山の,長歌を主体と して,これに添えるに関連が深いと考えられる,それぞれの短歌2首乃至3首をもってした。長歌 には返歌(かえしうた)が附加された場合もあつたが,その表示に拘わらず,いずれも短歌として 附け加えた。
於ジュネーブ,ペソタホテル しじま
未だ明けぬ静寂にありて良寛さま 「くがみのうた」のわが曲成りぬ 柳門居
良寛の遺詠,多数の長歌短歌から,作曲の対象として別項6篇に整えたのは,昨昭和59年晩秋の 頃合いだった。苦心の一つは,同類の長歌,短歌の中から,いずれを選択するかのことである。例 えば長歌「弥彦山」については類歌が6,長歌「国上山」では類歌が8にも及んでいるなどであ 潟潟青陵女子短期大学研究報告 第16号 (1986)
2
柔らかく 親しんで
黒坂富治
弥彦山(良寛)
里坂嘗治作曲
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黒坂 富治
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6 黒坂富治
國上山(良寛)
幅広く 且つ繊細に 里坂富治作曲
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五合庵〔1〕(良寛)
黒坂富治 作曲 明るく、 生気をもって
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黒 坂 富 治
五合庵〔II〕(良寛)
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黒坂富治作曲
乙子草庵(良寛)
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おとみや 国上の し宮の 庵していほり 岩が根の き つま木こり 水を汲み 日を送り いたつきは うつせみの はてはては いはき
草庵
山の麓の 森の木下に 朝なタなに ゆふ こご 峻しき道に 谷に下りて 送り送れば
身につもれども ひと 人し知らねば く 朽ちやしなまし
良 寛
岩木のもとに おとみや
黒坂富治作曲
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男
山 血目
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思 をこめて 沈痛1
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20 黒坂富治
瀞
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山惜別 良 あしひきの
幾としか 山かげの からころも 夏草の タ星のゆふつつ いほ その庵の その森の たまぼこの
くがみ 国上の山の 森の下屋に たちてしくれば
思ひし萎へて かく
い隠るまで(に)
見えずなるまで 道の隈ごと へ その山の上を
寛
鳴きて越ゆらむ
山ほととぎす ほととぎす わが忘れめや
22 黒 坂 富 治
り,「五合庵」についても同様であるが,出雲崎「良寛記念館」に保存されてある,良寛書の遺墨 を第一に優先して採った。これは五合庵の春,秋が詠み上げられた長篇の遺詠である。ほかに中篇 の長歌で,冬ごもりが詠まれた分は捨て難く,前者を〔1〕後者を〔皿〕として採つた。さすが「国 上の山をいつると」の長歌一篇には,類歌が見られないのは理の当然であろう。
作曲の動機,そのことは創作に対するファイトが必須の条件になる。しかし言うは易く実行は難 ひしい。背水の陣の讐えの通り,退くに退かれぬ立場に,追いこまれることも必要なのである・私は 私自身に宿題を課し,遺詠のグループ6篇を携えて,今夏スイスや東ヨーロッパ視察の旅に旅立っ たのである。席温まらぬ過密なスケジュール,しかも異国の旅宿滞在のひとときを・作曲の労作に 充てた。時差とサマータイムに,体調を順応させるのは難儀だったが,未明の朝まだきを労作に充 て,遂に骨格的原曲を仕上げ得たが,そのことは楽しいことだったし,佳い記念としての憶い出に なったことは嬉しいことであった。
良寛の歌調は流暢で,愛信の情が横温している。良寛は歌作について,「学ぶべきは万葉歌を措 いてほかにない」と喝破されている。その通り万葉歌の韻律に乗托して流れ,素朴で真摯な愛情の 故に無類の美しさに光っている。わが国の文学作品にして,諸外国から注目され讃嘆されているの は,紫式部,井原西鶴,夏目漱石の人と作品であるとされているという。近き将来は良寛の作品と 人間が,世界からの脚光を浴びること必定とのことである。私はそれは当然と思うし,それらの遺 詠の若干に音楽の要素をプラスしつつあるを誇りに思い,深くその責任をも感じている。私は万葉 歌の流暢なリズムを言挙げたが,良寛さまは身を僧籍におかれ,必然的に読経の体験を長年にわた り重ねられている。長歌,短歌の美しさは,勿論その内容でもあるが・ことさらそれに伴なう・
5・7の韻律によるリズムであるとさえ極言されている。良寛さまの遺詠は,経文の諦読と一体的 な声調,そしてリズムに支えられた美しい表現であると思う。私はその本質的な要素に支えられ誘 発されて,数々の遺詠作曲が果されたし,今後も然りと信じられるのである。
このたびの作曲6篇の中,5篇が短音階の旋律を主調としている。しかしそれは純粋に西洋の短 音階によるメロデーではない。わが国伝統音楽に現われ用いられている,律・呂の雅楽風音階,俗 楽の陽・陰の音階旋法が加味されているし,加味せざるを得なかったのである。そのことは良寛さ まの遺詠に綴られた言葉,詩,歌の味わいを損傷破壊することない表現表出とするための,必要的 配慮によるものであった。つまり和洋折衷の旋法旋律に依らざるを得なかったのである。その点,
西洋音階の長調による作曲は難渋を極めたし,大伴家持作万葉長歌の作曲経験に徴して,良寛さま の「五合庵〔1〕二長調」の仕上げまとめに頗る難儀を覚えた。以下各篇のメモを書く。
「弥彦山」イ短調Recitativo(朗読調)とAria(叙情詠嘆調)が,ミックスされた柔か く親しみのある曲調。短歌2首は穏やな曲想の混声合唱。 於東京麹町会館作曲
「国 上 山」 ロ短調 バリトン又はアルトのSoLo(独唱)が適する。短歌2首は男声の Unison(斉唱)で,渋く幽玄な表現が必要。 於スイス ジュネーブ ペソタホテル作曲
「五合庵〔1〕」 二長調長篇の歌詞であるから,明るく生気をもって唱われるべし。
於ス1ス ジュネーブ エプソンホテル,チェコスロバキャ プラハ オリンピックホテル作曲 「五 合 庵〔皿〕」 ハ短調 ゆつくり,しんみりの表情を要する。ピァノ伴奏に類型の三連
音を頻用した。短歌2首,単声斉唱。 於チェコスロバキャ プラハ オリンピックホテル作曲 「乙子草庵」ト短調旋律のきっかけに,Auftakt(弱起拍子)を頻用した。短歌3首
は混声合唱で,素朴な表出。 於チエコスロバキャ プラハ オリンピックホテル作曲
「離 山 借 別」 イ短調 微細な表出が望まれるので,長歌,短歌いずれも独唱・斉唱の表 唱。 於ソ連 モスク・ミインツーリストホテル作曲 (昭和60年10月22・時雨肌寒好日稿)