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「我慢する」及びそのアスペクト形式の意味

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(1)

「我慢する」及びそのアスペクト形式の意味

The Meaning of. Garnansurut'restrain' and Its Aspectual Form

久 島    茂 Shigeru KusHIMA

(平

成 9年

10月

6日 受理

)

Abstract

Gし

2zα

π筋% means to restrain one's  discomfort or dissatisfaction with the present condition.The problern we are facing is that̀̀the present condition"has two opposite meanings:(1)SOmething like pain or maliciousness the presence of which causes discom…

fort or dissatisfaction。 (2)something like a1lowance the absence of which causes discom‐

fort or dissatisfaction. It is curious that such a meaning as  absence" occurs. In my understanding,the meaning̀̀discomfort or dissatisfaction" of gα παπ

η  have changed

presence"intò̀absence,"because a1lowance is of no relevance to discomfort or dissatis‐

faction. This type of semantic change also occurs in  力θ % % ̀be trOubled' and %月 初ι

%

̀complain/appeal.'

Then l analyzed its aspectual form.(物 滋 察協η has a negat市 e mOaning,that is, restraining one's emotion,so gz

%′%sグ

ルグ %̀be restraining'is close to sttα グ グι グ 7.̀be nOt‐

doing=keep from doing。 'On the other hand,多

鶴 ι滋 総aグ

̀be nOt restrainl昭 'iS CloSe nOt

to sグJン

グ ̀be not doing'but to sι

う αι

(物

り ι リグ

グ ̀be not nOt‐ doing=take aCtiOn.'

Thus, 0%%協 協 and its aspectual forrn have characteristic features of meaning。

1.初 め に

ガマ ンスルは、く現状 に対す る不快・不満 な気持 ちを抑 え付 ける〉とい う意味 を持 っているが、

この く現状〉の意味 は多様である。先ず、 この点 を検討する。次 に、ガマンスルは 〈気持ちの 抑圧〉 という意味要素 を含み、 これは否定の意味 とつなが る。そこで、ガマンシテイルは一般 の動詞のシナイデイル形式 と、ガマ ンシテイナイは一般の動詞のシナイデ (ハ )イ ナイ形式 と 意味が類似するとい うことが起 こる。 このようなアスペ ク ト形式の意味の問題 も論ずる。

2.ガ マンスルの統合型

ガマ ンスルの統合型 には、次の 2種 類がある。

「〜 をガマンスル」 「 (〜 を )〜 でガマ ンスル」

ただ し、「〜 をガマ ンスル」の意味 は、 目的語 となる語 (節 )の 影響で多様 に変化するので、

目的語 となる語 (節 )の 意味 を abcdに 分 けて取 り上 げる。 (注 1)

(2)

2.1。 「[a・ b]を ガマンスル」の意味分析 石山伸朗 [1987]は 、ガマンスルの意味 について、

く 文体 :日 常語〉〈 人間が〉く自己の内部 に発す る力や 自己をとりま く状況か ら来 る不快 さ を〉〈 仕方のない もの として〉〈 外 に表すのを〉〈 抑 える〉

の ように分析 している。例文 を見 よう。

「苦痛 をガマンスル」

「部下の失敗 をガマンスル」

石山によれば、概略、前者 は 〈自己の内部 に発す る力 を抑 える〉、後者 は 〈自己をとりま く状 況か ら来 る不快 さを抑 える〉の意味 となろう。 このように意味が異なっているので、石山は〈自 己の内部 に発する力〉 と く自己をとりまく状況か ら来 る不快 さ〉の 2つ の意味要素 を立てたわ

けである。

この「〜 をガマ ンスル」の統合型 に入 る名詞 (後 述するように、名詞節 もこの位置 に立ち得 る。 )の 意味の種類 として、本稿では、先ず、 a〈 不快・不満〉その もの と b〈 不快・不満 を生 じさせ る刺激〉の 2種 を立てたい。主体 と直接的な関わ りがある「苦痛」や「空腹」 は前者で あ り、直接的な関わ りがない「部下の失敗」や「意地悪」や「注射」は後者である。前者 を く自 己の内部 に発する力〉 とす ると、意味が広が りす ぎるので、本稿では 〈不快 0不 満〉 と限定 し たわけである。 また、後者の意味の語 として、 「 とげ」「瘤」等 は不十分であって、主体 の身 に 及んでいるとい う意味要素が必要である。そこで、「 とげが刺 さっている」「瘤ができている」

等の適切 な文脈があれば、「 とげ (瘤 )を ガマ ンスル」 と言 えるようになる。「部下の失敗」 も く 部下の〉とい う意味が加わっているので、 (上 司である )主 体の身 に及んでいるとい う意味が 生 じているわけである。

「〜 を」の位置 に節が来 る場合 にも、「部下の失敗で腹立た しいのをガマ ンスル」のようにa

〈 不快・不満〉その ものの意味、「部下が失敗 したのをガマンスル」のように b〈 不快・不満 を

生 じさせ る刺激〉の意味の両方がある。

ここで、 a〈 不快・ 不満〉 とい う意味の特徴 を更 に明確 にす るために、石山の意味要素 く自 己の内部 に発する力〉について検討 を加 えたい。石山はこの意味要素 を、次のように、「 こらえ

る」の中にも認 めている。

〈 文体 :や や文章語〉く 人間が〉〈 短い時間〉〈自己の内部 に発す る力 を〉〈強 く〉〈抑 える〉

確かに、「苦痛」については、ガマ ンスル とも「 こらえ る」とも言 うことが出来、従 って、石 山の分析では、 「く自己の内部 に発する力 を〉く 抑 える〉」点が両語 に共通 しているのであろう。

しか し、

「怒 り・ 悲 しみ・ 吐 き気 0衝 動」等

については「 こらえる」 とは言 えて も、ガマンスル とは言 えない ということがある。

これ らも 〈不快・不満〉の意味 に近いので、「苦痛・頭痛・空腹・ 眠気」等 との違いを明確 に してお く必要がある。共 に自己の内部 に生 じるものではあるが、「苦痛」類 は体の外へ出るもの ではない。 ところが、「怒 り」類 は「 こみ上 げる」と言えるので、それ自身の力によって体の内 部か ら外へ出て来 るもの と捉 えられている。 このような くこみ上 げて来 るもの〉 についてはガ マンスル とは言えないのだ と考 えられる。一方、「 こらえる」は「苦痛」類 にも「怒 り」類 にも 言 うことがで きる。

ところで、「苦痛」類 も「怒 り」類 も く実現〉に関 して、 (ガ マ ンスル・「 こらえる」行為の時

(3)

点で )体 の内部で く実現 している〉 ものであるが、 これらと別に、体か ら外部へ出ないと く実 現 した〉 とは言えない動作的な「涙・笑い 。鳴咽」等がある。 この「涙」類 も、やはり、「こみ 上げる」と言えるものであるためにガマンスル とは言えない

(「

こらえる」とは言 える )わ けで ある。 これに対 して、く 実現〉に関して「涙」類 と同性質の「咳・あくび」は一― ここでは、他 人の「咳・あ くび」でな く主体 自身が出す ものを問題 としている一―ガマンスル と言える

(「

らえる」とも言える

)。

これはなぜか というと、「咳」類 はそれ自身が体の内部から外へ「出る」

が、「こみ上げる」わけではな く、それ自身の力によって出るものとは (言 語的に )捉 えられて いないためであろう。このように、それ自体が外部に出るかどうかよりも、それ自身の力によっ て出るか どうかの方が重要である。 (注 2)(な お、 この「咳」類は く実現〉に関して「苦痛」

類 と異なっているので、後の「旅行」類 と同じく dの 意味 として扱 う。

)

以上のように、ガマンスル と「 こらえる」の (石 山による )意 味要素 く自己の内部に発する 力〉を表 している語 (節 )を 、

И

 

「怒 り J類

)「

苦痛」類 (本 稿の aく 不快・不満〉

).

171「 涙」類

l■l「

咳」類 (後 述の dく 快感・ 満足を生 じさせる刺激〉

)

に分けた時、 0と 171が 〈自己の内部にあって、それ自身の力によって体の外へ出て来るもの〉

であり、

1/f)と

lllが く自己の内部にあって、それ自身の力によっては体の外へ出て来ないもの〉

である。ガマンスルは後者のみ対象 とすることが出来、「こらえる」は両者 を対象 と出来るわけ である。

なお、ガマンスル も「こらえる」 も く 抑 える〉 ことによって心理的な負担が生じるが、ガマ ンスルには く 不快・不満な気持ち〉があるのに対 して、 「こらえる」にはこの意味要素が関与 し ない (例 えば、「笑いをこらえる」には 〈 不快・不満な気持ち〉がないであろう。 )点 が異なっ ていると考 えられる。ガマンスノ ンの く 不快・不満な気持ち〉は、具体的には、 「苦痛」の場合は

〈 泣 く、治療を受ける〉等、「部下の失敗」の場合は 〈 叱る、左遷する、首にする〉等の行動に つなが りうるものである。

まとめると、「 [a・ b]を ガマンスル」の意味は、く 現状 に対する不快・不満な気持ちを抑え 付 ける〉 となろうど この く 現状〉は、前述の く 主体の身に及んでいる〉 という意味要素を含ん だものである。「〜を」の位置に入る aは 不快・不満〉そのもの、 bは く 不快・不満を生 じさ せる刺激〉である。「〜を」の位置に、「苦痛」でな く「泣 きたいの」、 「部下の失敗」でな く「叱 りたいの」のように、く 欲求〉そのものを表す節 (語 )が 来 ることもできるが、 これは次の Cの 意味 と考 える。

2.2.「

EC・ d]を ガマンスル」の意味分析

「〜を」の位置に入る節 (語 )と して、

「小遣いを貰いたいのをガマンスル」

のような、 Cく 欲求〉そのものを表す ものを取 り上げよう。

Cく 欲求〉 と aく 不快・不満〉 とは意味が異なるが、実はかなり類似 した ものと考 えられる。

というのは、く 不快・不満〉が (ガ マンスル行為の時点で )現 実に起 こっている事に対する感覚・

思いであるのに対 して、く 欲求〉は現実 となっていない事に対する実現の思いである。それでは、

く 欲求〉の意味の現実的な側面は何か というと、 まだ手に入れていない、不満な状態にあると

(4)

いうことである。 このように、〈欲求〉の意味の中には、〈不満〉の意味が潜在 していると考え られ るわけである。

「 [C]を ガマ ンスル」の意味 は、ガマンスルの く現状 に対する不快・不満な気持ち〉 という 意味要素が く 欲求〉の意味の影響で 〈したい気持ち〉 とな り、全体 としては 〈したい気持ちを 抑 え付 ける〉 となるわけである。

「〜 をガマ ンスル」の統合型 に入 る語 (節 )に は、更 に、

「小遣い 。お年玉・ ボーナス」等

がある。 これ らは「小遣い (お 年玉 0ボ ーナス )を 貰いたいの」 と似ているが、「貰いたい」が 無いので、く 欲求〉の意味 とす ることが出来ない。

(「

貰いたい」があるの と無いの とでは、意味 の解釈が非常 に異なって来 ることに注意 されたい。

)

これ らは、石山の言 う、「苦痛」等の く自己の内部 に発する力〉で もな く、 また、「部下の失 敗」等の く自己 をとりまく状況か ら来 る不快 さ〉 とも簡単 には言いに くい ものである。 (注 3) 本稿では、 これ らの意味 を、 b〈 不快・ 不満 を生 じさせ る刺激〉 と対立 させて、 d〈 快感・ 満

足 を生 じさせ る刺激〉 と考 えたい。

この「 [d]を ガマンスル」の意味 はどのように考えるべ きだろうか。「 [b]を ガマンスル」

の意味 は 〈現状 に対する不快・ 不満な気持ちを抑 え付 ける〉であったが、 これ と関連 させ るこ とが出来 るだろうか。 b〈 不快・不満 を生 じさせ る刺激〉 と d〈 快感・満足 を生 じさせ る刺激〉

とは反対の関係 にあるので、難 しさがあるわけである。

この、反対関係 にある意味の問題 は、次のように考 えることによって、統一的な理解が可能 となるので はないだろうか。

ガマンスル行為の時点で考 えて、「意地悪」のような 〈不快・不満 を生 じさせる刺激〉 は現実 に存在 してお り、従 って、く現状 に対する不快・不満な気持ち〉となっているわけであるが、く快 感・ 満足 を生 じさせ る刺激〉 も、 まだ存在 していない ということであれば、その時点では不満 な状態 にあることになる。つまり、く快感 。 満足 を生 じさせ る刺激〉である「小遣い」 も、未だ ない (欠 如 )と い う条件が加われば、〈不快・不満 を生 じさせ る刺激〉 と極 めて近い意味 となる わけである。

では、「小遣いをガマンスル」の場合 に く快感・満足 を生 じさせ る刺激の欠如〉 という意味 は どのようにして生 じうるのだろうか。実 は、 この 〈欠如〉の意味が文脈の影響で加わる例 は、

外 にも認 め られ る。

「困 る」は「長雨で困る」 とも「金で困る」 とも言えるが、前者 は 〈長雨 となっていること〉

が「困 る」原因であるのに対 して、後者 は 〈金が無い こと〉が原因である (後 者 は 〈 金銭の ト ラブル〉とも解釈で きるが、く金が無いこと〉の方が よリー般的な解釈であろう

)。

「金」につい ては 〈あること〉でな く く無い こと〉と解釈 されるのは、「困る」が持 っている 〈不都合なこと に対 して〉 という意味要素の影響であると考 えられる。「金」を く不都合なこと〉と捉 えるため には、〈存在〉でな く く欠如〉 と解釈する必要がある。

「訴 える」 について も、「苦痛 を訴 える」 と「平和 を訴 える」 を比べると、く苦痛があること を相手 に理解 させ ようとする〉 とい う前者の意味 に対 して、後者 は 〈平和の必要性 を相手 に理 解 させ ようとする〉となる。 ここには、「訴 える」の く不都合なこと、解決すべきこと〉という 意味要素が関わっているであろう。「苦痛」の場合 には現実 に存在することが く不都合〉であ り、

「平和」の場合 には存在 していない ことが く不都合〉ということになる。そこで、「平和」につ

(5)

いては く無い〉

(こ

こか ら更 に く必要性〉 )と い う意味が生 じるのだ と考 えられ る。

このように、〈存在〉と 〈欠如〉とは意味が反対であるが、文脈の影響で変わ りうるものであ る。「小遣 い」 について も、ガマンスルの 〈 不快・ 不満〉 とい う意味要素の影響で、く 快感・ 満 足 を生 じさせ る刺激の欠如〉の意味が生 じる一―「小遣い」を く 不満の対象〉と解釈するために

は、く 存在〉でな く く 欠如〉 とす る必要がある―― と考 えられ るわけである。

「小遣 いをガマンスル」の意味 は、く 小遣いを貰 うことがで きる立場 にあ りなが ら、それが実 現 しない とい う現状 に対す る不満な気持 ちを抑 え付 ける〉となろう。く 実現可能 な立場 にあ りな が ら〉とい う前提的な意味が加わっているのは、く実現 しない現状〉が確かに く現状〉として意 識 されて、く 不満な気持 ち〉が生 じるためには、単 に くまだ実現 しない〉とい うだけでな く、そ の可能性が十分 ある、つ まり主体がその実現 と深 く関わつているという現実感が必要 となるの だ と考 えられ る。なお、「小遣いを貰いたいの (を ガマンスル

)」

のように Cく 欲求〉が言語化

されている場合 には、〈 小遣いを貰 うことがで きる立場 にある〉とい う前提 は不要 となるであろ う。 これは、く 欲求〉の意味が強 く現れ ると、〈どのような立場 にあるか〉 とい うことは関与 し な くなるのだ と考 えられ る。

ここで、「〜 をガマンスル」 と言 う時の 〈快感・ 満足 を生 じさせ る刺激〉 (例 えば「小遣い」

)

に対す る 〈不満〉の内容 と、「〜が欲 しい」 と言 う時 に見 られる、対象への く 欲求〉の内容が、

意味的につなが ることを指摘 してお きたい。例 えば、

「小遣いをガマ ンスル」

の場合、 その く不満〉は 〈小遣いを貰わない〉 ということであるが、「小遣いが欲 しい」と言 う 時の く 欲求〉の内容 も、く 小遣いを貰いたい〉の意味 に限定 されている。「小遣 い」については、

く 使 いたい〉くためたい〉くや りたい〉等様々の欲求があ り得 る中で、く 貰いたい〉に限定 される のである。

「家 をガマ ンスル」

について も、その く不満〉は く家 を持たない〉ことであるが、「家が欲 しい」と言 う時の く 欲求〉

の内容 も、〈持 ちたい〉〈買いたい〉〈売 りたい〉く借 りたい〉く 建てたい〉〈 直 したい〉等の様々 の欲求があ り得 る中で、〈持 ちたい〉

(く

買いたい〉〈 建 てたい〉の意味 も付随的に含 まれ る )に

意味が限定 され る。

「子供 をガマ ンスル」

について も、その く不満〉は 〈子供 を持たない〉ことであるが、「子供が欲 しい」と言 う時の く欲 求〉の内容 も、く 持 ちたい〉〈 生みたい〉く 育てたい〉くほめたい〉等の様々の欲求があ り得 る中 で、く持ちたい〉

(〈

生みたい〉の意味 も付随的に含 まれる )の 意味 に限定 され る。

「酒 をガマンスル」

について も、その く不満〉は く酒 を飲 まない〉ことであるが、「酒が欲 しい」と言 う時の く 欲求〉

の内容 も、く 飲 みたい〉く 買いたい〉〈 作 りたい〉くプレゼン トしたい〉く断ちたい〉 等の様々の欲 求があ り得 る申で、く 飲 みたい〉

(く

買いたい〉の意味 も付随的に含 まれる )に 意味が限定 されて いる。

このようにガマ ンスルの く不満〉の内容 と「欲 しい」の く欲求〉の内容 は、く貰わない一二貰

いたい〉〈 持たない一一持 ちたい〉〈 飲 まない一一飲 みたい〉 とい う対応関係 にある。 このよう

な ことが起 こるのは、〈 不満〉や く 欲求〉の種類 には典型性があって、く 存在〉 に関係 した内容

が最 も典型的 とい うことであろう。〈存在〉は

(「

小遣 い」「家」「子供」の場合の)〈所有〉や

(「

酒」

(6)

の場合の)〈摂取〉 と密接 につなが るわけである。 (注 4) 更 に、

「旅行 (進 学 )を ガマンスル」

の「旅行・進学」 も、く快感・満足 を生 じさせ る刺激〉 と考 えられる。 この場合の く不満〉の内 容 は、く 〜 しない (旅 行 しない、進学 しない

)〉

ことである。「 ゴルフ・パチンコ」や「咳 。あ く び」等 もこれに準ず るであろう。 「 咳 0あ くび」 は く 快感・満足 を生 じさせ る刺激〉 と言いに く い感 じがす るが、それをしないことによって く不快〉が生 じる点で、「旅行」等 と共通 している であろう。ただ、「結婚・就職 Jと いうことになると、必ず しも出来 るとは限 らない

(と

考 えら れる )の で、適当な文脈 を与 えない と「〜 をガマ ンスル」 とは言いに くい。

この時の意味 は、く旅行や進学す ることがで きる立場 にある〉 という前提で、くそれが実現 し ない とい う現状 に対する不満 な気持ちを抑 え付 ける〉 となる。

「小遣いを貰 うのをガマンスル」

も同類であって、く 小遣いを貰わない〉 ことが く 不満〉の内容である。

以上か ら、「 [C]を ガマンスル」の意味 は、くしたい気持 ちを抑 え付 ける〉となる。 Cは 求〉その ものである。

「 [d]を ガマ ンスル Jの 意味 は、く 対象が存在 しうる、あるいは、行為 を行い うる立場 にあ りなが ら、それが実現 しない現状 に対する不快・不満な気持ちを抑 え付 ける〉 となろう。 dは

く 快感・ 満足 を生 じさせ る刺激〉である。

2.3.「 (〜 を )〜 でガマンスル」の意味分析

次 に、「〜 をガマ ンスル」 とは別 の「 (〜 を )〜 でガマンスル」の統合型 を取 り上 げる。例示 しよう。

「車 を中古でガマ ンスル」「大学 を地元でガマ ンスル」「アパー トを 6畳 1間 でガマンスル」

「大学 を地元でガマ ンスル」の場合、「大学 を〜」 よりも「大学 は〜」の方が自然であるが、

「大学 を地元でガマンスルのは当然だ」のように名詞節 にする と「を」がでるので「 (〜 を )〜 で ガマンスル」の統合型 とする。「 Aを Bで 」の「 A」 と「 B」 の意味関係 は、「中古の車」「地元 の大学」「 6畳 1間 のアパー ト Jの ように「 Bの A」 と置 き換 えられ るものであ り、「 A」 の性 質 を「 B」 が規定するとい う関係である。「〜 を」の位置 に来 る事柄 についての (不 満な )条 件 を「〜で」で示す ものである。 そ こで、第 1例 の意味 は、く車 についての中古 とい う条件 に対 し て、不満な気持 ちを抑 え付 ける〉 となる。

「 Aを Bで 」の「 A」 と「 B」 の意味関係 は、「 Bの AJと なる と述べた ように、「 Bの Aで 」 や「

B(修

飾語 )Aで 」 とい う統合型 も可能であ り、 「 B(拘 束形態素 )Aで 」 ともなる。

「中古の車で (古 い車で )ガ マ ンスル」「地元の大学で (地 方大学で )ガ ヤシスル」「 6畳 1

間のアパー トで (狭 いアパ ,卜 で )ガ マンスル」

これ は、「 B」 とい う条件の中に「 A」 を取 り込 んだ ものであって、意味の重点 は「 B」 の方 にある。 この統合型 は、「 (食 べ る物がないので )水 を飲 んでガンマンスル」 と意味的につなが るものである。   │

なお、       )

「10万 円の給料 をガマンスル」

の場合 には、前節の「 [d]を ガマ ンスル」の意味、く10万 円の給料 を貰 える立場 にあ りなが ら、

それが実現 しない現状 に対する不満 な気持 ちを抑 え付 ける〉の外 に、 ここの「10万 円の給料で

(7)

ガマ ンスル」 と近い意味がある。 この後者の意味の「10万 円の給料 をガマンスル」は「 [b]を

ガマ ンスル」 に当たると考 えて、く10万 円の給料 という現状 に対する不快・不満 な気持 ちを抑 え 付 ける〉 と解釈する。

「中古車 をガマンスル」

の場合 も、前節の「 [d]を ガマ ンスル」の意味、く中古車 を手 に入れ られ る立場 にあ りなが ら、

それが実現 しない現状 に対す る不満な気持 ちを抑 え付 ける〉の外 に、 ここの「中古車でガマン スル」に近い意味がある。 この後者の「中古車 をガマンスル」の意味 は、「 [b]を ガマ ンスル」

として、く中古車 という現状 に対する不快・ 不満 な気持ちを抑 え付 ける〉 と解釈する。

「 [b]を ガマンスル」 と「 (〜 を )〜 でガマンスル」 との違いは、「10万 円の給料」 を く (薄 給 とい う )不 快・不満 を生 じさせ る刺激〉 と捉 える (前 者 )か 、く (不 満な )条 件〉 と捉 える (後 者 )か とい う点 にある。ただ し、「部下の失敗 をガマンスル」の場合 には「〜でガマンスル」と

は言 えないように、く不快・ 不満 を生 じさせ る刺激〉が常 に 〈 (不 満な )条 件〉 と捉 えられると は限 らない。 (注 5)

2.4。 ま と め

ガマンスルの意味 を統合型 に基づいてまとめてお く。

I「 〜 を。 ・

0」

〈 現状 に対す る不快・ 不満な気持 ちを抑 え付 ける〉

「〜 を」の位置 に入 り得 る語 (節 )の 意味 は、次のようになる。

(「

苦痛」のような く自己の内部 に生 じるもの〉 については、くそれ自身の力 によって は体 の外へ出て来ない もの〉 という制限がある。

)

a.不 快・ 不満。例、 「苦痛」

b.不 快・ 不満 を生 じさせ る刺激。例、 「部下の失敗」「注射」。

C.欲 求。例、 「小遣いを貰いたいの (を

)」

この場合の意味 は、文脈 の影響で、くしたい気持ちを抑 え付 ける〉 となる。

d.快 感・ 満足 を生 じさせ る刺激。例、「小遣い」「旅行」。

この場合の意味 は、文脈の影響 で、く対象が存在 しうる、あるいは、行為 を行いうる 立場 にあ りなが ら、それが実現 しない現状 に対する不快・ 不満な気持 ちを抑 え付 け

る〉 となる。

Ⅱ「 Aを Bで (Bの Aで …、 B(修 飾語 )Aで …、 B(拘 束形態素 )Aで

)」

「 〈 A」 についての「 B」 とい う条件 に対 して、不満 な気持 ちを抑 え付 ける〉

3.〈 抑圧〉の否定的意味 とアスペク ト形式

ここで は、ガマ ンスルが く気持ちを抑 え付 ける〉 とい う否定的意味 を持つ ことか ら生 じる、

アスペ ク ト形式の意味の特性 を考察す る。

初 めに、問題点 を挙 げてお こう。 (① と② は関連 させて論ずる。

)

①ガマ ンスルの否定関連形式 にはどんな ものがあ り、それ らの意味 は何か。

②ガマ ンスルの否定形ガマンシナイは、行為 を行わない という単純 な否定の意味 にとどまら

ず、く 気持 ちを抑 え付 けないで行動 に移す〉とい う肯定的意味 を持つ。 また、ガマンシテイルの

否定形ガマ ンシテイナイは、行為の継続中でない という意味 とな らず、く 気持 ちを抑 え付 けてい

ないで行動 に移す〉 とい う肯定的、かつ (シ テイルでな く )ス ルに近い意味 となる。 その理由

(8)

f丁

か。

③ガマンシテイル と一般のシナイデイル形式、ガマ ンシテイナイ と一般 のシナイデ (ハ )イ

ナイ形式 との意味の類似性 はなぜ生 じるか。

3.1.ガ マンスルの否定形 とその意味

ガマ ンスルの否定形の意味 は、く現状 に対する不快・不満な気持ちを抑 え付 けない〉となるが、

この時、気持 ちの内部 に閉 じ込められていた行動が外部 に表れ出ることになる。

ガマ ンスル とは、具体的に言えば、 目的語が Ibの 「家賃の滞納」「断水が続 くの」「騒が し いの」の場合、く責めない〉く抗議 しない〉く怒鳴 りつけない〉等の意味であり、否定形ガマンシ ナイにす ることによって く 責 める〉く 抗議す る〉〈 怒鳴 りつける〉 という肯定的な意味が露 にな るわけである。 目的語が Iaの 「空腹」の場合、ガマンシナイは 〈 食べ る〉 、 また、 Hの 「車 を 中古でガマ ンシナイ」の場合 は 〈 新車 を欲 しが る〉 となろう。

このように、単 にガマンスル という行為 を行わない とい うだけの意味でな く、〈気持ちを抑 え 付 けないで行動 に表す〉の意味 を持つ。

(「

今度や った らガマ ンシナイぞ」のようにシナカ ッタ 形でな くシナイ形 にす ると、行為 の積極性 の意味が一層強 く出る。 )こ の意味 は、「泳 ぐ」「食べ る」等の否定形「泳がない」「食べない」の意味が単 にその行為 を行わない ということであって、

く 歩 く〉 とか 〈 捨てる〉等の肯定的意味 とな らないの と大 き く異なっている。

ガマンシナイが このように特別 な意味 を持つのは、く抑 え付 ける〉という否定的性質のためだ と考 えられ る。「ためらう」「怠ける」 もこれ と似ていて、く迷 ってす ぐ行動 しない〉〈すべ き事 をしない〉とい う否定的意味 を持 っている。そ こで、否定形「ためらわない」「怠けない」になっ た時、くす ぐ行動す る〉〈ずべ き事 をする〉のような肯定的意味が露 になるわけである。

ところで、ガマンスルがすべての場合にガマンシナイ とな りうるわけではない。ガマンデキ ナイ となることもあ り、 また、 どち らの形 も許 されない場合 もある。

目的語 の位置 に来 る語 (節 )の 意味の違いに基づいて見 ると、 Iこ く 快感・ 満足 を生 じさせ る刺激〉については、特異な点があ り、「小遣い」等についてガマンスル とは言えるがガマンシ ナイ とは言いに くく、ガマンデキナイ とも言いに くいであろう。つまり肯定形のみが使われる のである。ただ し、

 Idで

あって も、「御馳走」「酒」のように く 飲食〉 に関わる場合 はガマン シナイ・ ガマ ンデキナイ と言えるであろう。

ガマ ンシナイ・ ガマンデキナイ と言いに くい理 由 として、 Idの 「ガヽ 遣いを〜」等の意味が

Ia等 の意味 と比べて複雑であることが考 えられ る。  Idの 意味 は、く 対象が存在 しうる、あ るいは、行為 を行 い うる立場 にあ りなが ら、それが実現 しない現状 に対する不満な気持ちを抑 え付 ける〉であ り、 この中には 〈実現 しない〉〈抑 え付 ける〉という否定的な意味が既 に 2つ まれている。 これに更 に く (抑 え付 け )な い〉と否定 を加 えると、二重 になるわけである。そこ で、ガマ ンスル を直接否定 しないで、「小遣いをガマンスル ことをしない (〜 ことがで きない

)」

とすると、複雑 さが解消 して言いやす くなる。

一方、「御馳走 (酒 )を ガマ ンシナイ」「γが

(「

を」 も可能。以下同様。 )ガ マンデキナイ」

と言いやすいのは、ガマ ンシナイ・ガマンデキナイ全体で く食べる〉く飲 む〉 という肯定的な意 味 として固定的に解釈 され、 これによって意味の複雑 さが解消するのだ と考 えられ る。

Id以 外の場合 はすべてガマンデキナイ と言えると思われるが、ガマ ンシナイの方 には制限 がある。

ガマンシナイの使用が可能なのは、否定の意味内容が積極的 (進 んでする )行 為の場合であ

(9)

る。 Iaの 「苦痛」に対す る行為が、く 泣 き出す〉等非積極的行為であれば「苦痛 をガマ ンシナ イ」よりも「〜がガマ ンデキナイ」の方が普通であるが、く 治療 を受 ける〉等の積極的行為であ れば「苦痛 をガマ ンシナイ」 とな りうる。「空腹」 に対 しては、く 食べ る〉等の積極的行為 とな りうるので、「空腹 をガマ ンシナイ」と言 えるであろう。 Ibの 「部下の失敗」もガマンシナイ と言いやすい。ただ し「注射」に対する行為 は、く泣 き出す〉等であるか ら、ガマ ンデキナイ と なろう。

 ICの

「小遣いを貰いたいの」に対 しては くねだる〉等の積極的行為 とな りうるので、

ガマ ンシナイ と言い うるであろう。 Ⅱの例、「車 を中古で〜」 もガマンシナイ と言いやすい。

ガマ ンシナイ とガマンデキナイ との違いは、例 えば、「部下の失敗 をガマンシナイ」 「〜がガ マンデキナイ」では、く気持ちを抑 え付 けずに、首 にする等の行動 を進んで とる〉〈気持ちを抑 え付 けられず に、首 にする等の行動 をとる〉となる。また、 「糖尿病だが酒 をガマンシナイ」 「〜酒 がガマ ンデキナイ」では、く気持ちを抑 え付 けずに進んで酒 を飲 む〉く気持 ちを抑 え付 けられず に、酒 を飲 む〉 となる。

以上のように、ガマンスルの否定の意味内容が積極的 (進 んでする )行 為である時 はガマン シナイ も使われ、そうでない時 はガマ ンデキナイのみが使われることになると考 えられ る。

3.2.ガ マンシテイナイの意味

ガマ ンシテイナイの意味 を検討する前 に、肯定形ガマ ンシテイルの意味 を考 えてみると、ガ マ ンスル と違 って、話 し手 自身 を表す語以外で も主語の位置 に立ちやす くなることが注意 され る。例 えば、「 その子 は転 んだがガマ ンシタ」 とは言い に くいが、「〜ガマ ンシテイタ」な らば 言いやすい。前者が言いに くいのは、心理的な行為 は、その本人 しか確認で きないか らである が、後者が言いやすいのは、 シテイル形が態度等 を外部か ら観察 して述べ るとい う意味 を持ち やすいか らで、例 えば、 「その人 はこう思 う」 とは言いに くいが、 「 その人 はこう思っている」

となると言いやすいの と同 じである。 (注 6)

ガマ ンシテイルは「食べている」 「泳いでいる」等 と同様 (注 7)、 行為の継続中の意味である が、ガマ ンシテイナイの意味 は「食べていない」「泳 いでいない」等 と同一ではない。「食べて いない」等 は行為の継続が認められない ことを普通意味する (注 8)が 、ガマ ンシテイナイは それ とは異なって、ガマンスル行為 を く打ち切 る〉とい う意味である。具体的に言 えば、く気持 ちを抑 え付 けていないで行動 に表す〉意味である。 このような意味が生 じるのは、ガマ ンシテ イルの 〈 行為 の継続中〉の意味が、単 に、一旦始 まった ことを持続 しているだけではな く、 し そうになる (例 えば、怒鳴 りそうになる )気 持 ちを一瞬一瞬抑 え付 けているとい う極 めて意識 的な行為だか らであろう。否定形 になった時 も、 この意識性が働 いて、

(〈

行為の継続が認 めら れない〉 とは異なる )く 打 ち切 る〉 、つまり、 (怒 鳴 る等の)行為 を行 う意味 となるわけである

c

継続行為 を意識的に否定す る時、く 打ち切 る〉とい う意味が生 じるのだ と考 えられ る。 「ためらっ

ていない」の場合 も、「ためらう」行為 を く打ち切 る〉、具体的には、決行する意味 となるが、

これ も、「ためらっている」が く決心がつかず、行動 をとらずにいる〉の意味であつて、踏み切 れないでいる行動 を強 く意識 しているか らだ と考 えられ る。 これ らと違 って「怠けていない」

は、「怠 ける」行為 を く 打ち切 る〉意味 とは普通な らず、単純 な く 怠 けているとい う行為が認 め られない、すべ き事 をしている〉という意味である。 このような差異が生 じるのは、「怠 けてい る」の場合、 しないでいる行為 を (主 体が )十 分意識 している (常 に く 敢 えて怠 け続 ける〉の 意味 となる )と は限 らないか らであろう。 このように、く打ち切 る〉の意味が生 じるためには、

意識的な行為 とい う条件が必要 となる。

(10)

ガマ ンシテイナイが、 シテイル よりもスルに近い (つ まり、「食べ る」「泳 ぐ」等の く 行為 を する〉の意味 に近い )と い う性質 は、次の点 にも表れている。

「先生 に叱 られた時、その生徒 はいたず らをしていなかった」

「先生 に叱 られた時、その生徒 は怠 けていなかった」

「先生 に叱 られた時、その生徒 は黙 っていなかった」

「先生 に叱 られた時、その生徒 はガマンシテイナカッタ」

の 4文 を比べ ると、前二者の意味 は 2つ の事態が同時であるが、後二者の意味 は継起的である。

「怠 けていない」が単純な く怠 けているとい う行為が認 め られない、すべ き事 をしている〉意 味であるのに対 して、ガマ ンシテイナイは 〈ガマ ンスル行為 を打ち切 る、抗議す る〉 とい うス ルに近い意味 となる。 (例 示 しないが、「ためらっていない」 もスルに近 い意味 となる。)「黙 っ ていない」も、 この例文の場合 には、く黙っているとい う行為が認 められない、喋っている〉と はな りに くく、く黙 る行為 を打ち切 る、反論す る〉の意味 となろう。 また、「怠 ける」 とガマン スル をLLべ ると、

「部下 は今怠 けていない」

と言えるが、

「部下 は今ガマ ンシテイナイ」

とは言 えない。つ まり、前者 は 〈現在〉の意味が可能であるが、後者 は 〈現在〉の意味 は不可 能なのである。 (注 9)「 ためらっていない」も後者 と同 じである。なお、「生徒たちは今黙 って いない」 は 〈黙っているという行為が認め られない、喋っている〉 とい う 〈現在〉の意味が可 能であると思われ るので、「黙っていない」 は、結局、両者の中間に位置す ることになろう。

3.3.ガ マンシテイル と一般のシナイデイル形式、ガマ ンシテイナイ と一般のシナイデ (ハ )イ ナイ形式 との意味の類似性

ガマンシテイル と似た意味 を持つ形式 としてシナイデイルがある。両者の意味の近 さは、例 えば、ガマンシテイル は「 まだ〜」とは言 えるが、「 もう〜」とは言 えない。「食べないでいる」

「言わないでいる」も「 まだ〜」と言 えるが、「 もう〜」と言 えない、 とい うところに現れてい る。 これは、否定的意味がガマンシ (テ イル )や 「食べない (で いる

)」

の部分 に含 まれている か らであって、「待 っている」「起 きている」等 も、「帰 らないで待 っている」「寝 ないで起 きて いる」のように否定の意味を含んでいる時には、「 もう (帰 らないで )待 っている」等 とは言 え ない ことになる。

シナイデイル形式の意味 は、「食べないでいる」 を例 に とると、く普通な らする食べ る行為 を 敢 えてしない ままでいる〉 と く 普通 な らする食べ る行為 をうっか りして しないままでいる〉の 2つ がある (注

10)。

この内、前者の意味 は意識 して行為せずにとどまっているものであって、

ガマンシテイル と共通 した ところがある。ただ、「卒業 しないでいる」のように、意識 して とど まってはいて も、「呑気 に〜」と言 える

(「

卒業する」ことの方が努力 を必要 とし、 「卒業 しない」

のは怠 けていることになる。「卒業 しない」 は 〈遊ぶ〉 に近い意味である。 )場 合 もあって、 こ の時にはガマ ンシテイルの 〈 気持 ちの抑圧〉の意味 と隔た りがある。

また、可能形 シナイデイランル (例 えば「食べないでい られる」 )は 、無意識的な くうっか り して〉とい う意味が排除 されるので、ガマンシテイランルの意味 に一層近づ くが、 しか し、「卒 業 しないでい られ る」の場合 には「呑気 に〜」と言 えるので、やは り意味の隔た りがあ りうる。

次に、ガマ ンシテイナイ とシナイデ (ハ )イ ナイ形式の意味 について考 えてみよう。

(11)

シナイデイル形式 は意味の一部がガマンシテイル と重なるだ けであるが、 シナイデ (ハ )イ

ナイ形式 はガマ ンシテイナイの意味 とよ く重なる。つまり、 シナイデイルか らくうっか りして〉

や く 呑気 に〉 とい う意味要素 を除いて、残 った意味下一極 めて意識的な抑圧的 (気 持 ちを抑圧 した )継 続 の意味 T― を否定 した ものが、 この形式の意味なのである。 このように意味が制限 され るのは、二重否定 とい う強調形式が関与 しているであろう。例 えば、「言わないで (は )い ない」は、く言わずにとどまっていることをしないで、敢 えて遂行す る〉意味であ り、ガマ ンシ テイナイのく 気持 ちを抑 え付 けていないで行動 に表す〉と近い ものである。ただ、 シナイデ (ハ

)

イナイは可能 の意味の加わったシナイデ (ハ )イ ランナイほど一般的な形式で はな く、「卒業 し ないで (は )い なかった」等 とは言いに くいであろう。

シナイデ (ハ )イ ランナイ形式 (例 えば「言わないで (は )い られない」 )は 、ガマ ンシテイ ランナイ と意味が よ く共通 してお り、更 に、「卒業 しないで (は )い られない」と言 うこともで きる。その意味 は 〈 卒業 しないで とどまっていることが出来ず、卒業する〉であって、 この形 式で は、「卒業 しない」ことは

(〈

呑気な〉ことでな く )意 味的にガマンスル

(〈

気持ちを抑 え付

ける〉 )こ とに当たるわけである。

他の形式 にも言及 してお くと、 「言 えないでいる」のようなデキナイデイル形式 は、くうっか りして〉や く 呑気 に〉という意味がな く、く 言おうとしている〉とい う意味が含 まれている点で、

ガマ ンシテイル と似ている (例 えば、 「言 うのをガマ ンシテイル」には 〈言いたい〉とい う類似 した意味が含 まれている )が 、 しか し、「言 う」ことが く 不可能〉であるとい うことは、言おう とす る気持 ちを抑制する必要がない とい うことであつて、 この点でガマンシテイル と意味が大 き く異なっている。 これ は、「言 えないでいる」の「言えない」がガマンスル と対応 しない こと が原因であろう。「言わない」がガマンスル と対応す るか らである。「言 えない」 は、 また、ガ マンデキル とも対応 しない。 このように、「言えないでいる」と対応するガマン〜 という形式は 存在 しないのである。

3.4。 ま と め

ガマンスルが、文脈の影響で、く 対象が存在 しない、あるいは、行為が実現 しない現状〉とい う否定的意味 を含む時 (Id)、 否定形 (例 、 「小遣いをガマンシナイ」 )に す ると意味が複雑 に な りす ぎるため、成立 しに くくなる。ただ し、く不満〉が く 飲食〉に関係 している場合 (例 、 「酒 をガマ ンシナイ」 )に は、固定的な解釈が行われ るために否定形が成立 しうる。

ガマ ンスルの否定形ガマンシナイが成立す るためには、否定の意味内容が積極的 (進 んです る )行 為 に結び付 くとい う条件が必要である。否定形ガマンデキナイにはこのような制限がな い。

ガマンスルの否定形ガマンシナイ (及 び、ガマ ンデキナイ )が 、く 気持 ちを抑 え付 けない (抑 え付 けられない )で 行動 に移す〉 とい う肯定的意味 となるのは、ガマ ンスルが 〈 抑圧〉 という 否定的意味 を持 ち、 その意味が否定 されて肯定的になるか らである。

ガマ ンシテイナイ (ガ マ ンシテイラレナイ )の 意味が 〈 行為の継続が認 め られない (不 可能 だ

)〉

とな らず、く気持ちを抑 え付 けていない (抑 え付 けてい られない )で 行動 に移す〉のよう にスルに近い意味 となるのは、ガマ ンシテイル (ガ マンシテイラレル )が 単純 な く 継続〉以上 の意味、 しそうになる (例 えば、怒鳴 りそうになる )気 持 ちを一瞬一瞬抑 え付 けているという、

極 めて意識的な継続の意味 を持つか らである。杏定形 になった時 も、この意識性が働 いて、く 打

ち切 る〉 とい う行為的な意味 となるもの と思われ る。抑圧的 (気 持 ちを抑圧 した )継 続行為 を

(12)

意識的に否定する時、く 打ち切 る〉 とい う意味が生 じるとい うわけである。

ガマンシテイル はシナイデイル形式 と部分的に意味が重なるが、 これは、ガマンスルがシナ イの意味 を含むためである。 また、ガマンシテイナイ (ガ マンシテイランナイ )は 、 シナイデ

(ハ )イ ナイ (シ ナイデ (ハ )イ ナイランナイ )と 一層 よ く意味が重 なる。後者 にスル と近い く 遂行す る〉の意味が認 められ るのは、二重否定 とい う強調形式が作用 して、シナイデイルの 意味か ら くうっか りして〉や 〈 呑気 に〉 とい う意味要素 を除いた意味 (極 めて意識的な抑圧的 継続の意味 )の 否定 となっているか らである。

(注 1)  『日本語基本動詞用法辞典』 [1989]は 、 「我慢する」の「意味・ 文型」 について、

「 (1)自 分の感情や欲望 を抑 える。《文型 a》 [人 ]{が/は }[感 情・ 物・ 活動・ 状態 ]を

我慢す る 《 文型 b》 [人 ]{が /は }[文 ]の を我慢する。

(2)完 全 には満足で きないが、それに近 い ものを受 け入れる。《文型 a》 [人 ]{が /は

}

([物 ]を )[物 ]で 我慢す る 《文型 b》 [人 ]{が /は }([文 ]の )[物 ]で 我慢す る」

とまとめている (用 例 は省略 した

)。

(注 2)篠 崎晃一 [1986]は ガマンスルの意味 を く状況 を不本意なが ら受 け入れて、その状 況 を維持す ること〉 と分析 し、「『不本意 な状況 をそのままにしてお く』ためには、何 らか の自己抑制が要求 され ることが多い。」 と述べ、「涙」 を「 こらえる」 と言えるがガマンス ル と言えない ことについて、「考 えてみれば、『涙が出る』 というのは抑制するのがかな り 困難 な動作である。 より厳密 に言 えば、『涙が出そうな』状況 とい うのは極限状況 に近い、

つ まり、 (悲 しみ、スモ ッグな どの主体の意志 とは関係ない )『 涙 を流す』要因を抑制でき ないような段階 にある、 と考 えられる。それゆえ、『が まんする』はふさわ しくないのだ と 思われる。」 と説明 している。

(注 3)  石山は「飲 みたい酒 (を ガマンスル

)」

については、〈自己の内部 に発する力〉 と解 釈 しているようである。 また、篠崎 は、「酒 をが まんす る」「煙草 をが まんする」について、

「 これ らの文 は、『酒、煙草 を忍耐の対象 にす る』とい う抽象的な意味が根底 にあって、何 らかのプロセスを経て、 F酒 が飲 みたい (煙 草が吸いたい )と いう欲求 をコン トロールする』

とい う意味 に解釈 されるのであろう。」 と述べている。

(注 4)  「〜が欲 しい」 (例 、 「小遣いが欲 しい」 )の く 欲求〉の内容 は、「〜 を (動 詞 )た い」

の統合型 (例 、 「小遣いを貰いたい (使 いたい 。ためたい

)」

)で な く「〜が (動 詞 )た い」

の統合型 (例 、 「小遣いが貰いたい」 )と 多 く共通 している。つまり、統合型「〜が (動 詞

)

たい」の意味 と「〜が欲 しい」の意味 とが近いのである。「小遣いを使いたい (た めたい

)」

「酒 を作 りたい (断 ちたい

)」

「家 を売 りたい (建 てたい、直 したい

)」

等 は「〜が (動 詞

)

たい」の統合型 を取 ることは無理であって、「〜が欲 しい」の意味 とも繋が らない。従 って、

「〜 をガマ ンスル」の意味 とも関連性 を持たない ことになる。 (た だ し、「家が借 りたい」

とい う表現 は可能か もしれない。その場合 には、「家が欲 しい」の く欲求〉内容が く借 りた い〉とはな らないにもかかわ らず、「家が借 りたい」と言えることになって、不一致が生 じ ることになる。 これを認 めるとす るな ら、「〜が欲 しい」の方が「〜が (動 詞 )た い」より も意味的な制限がやや厳 しい ことになる。

)

大江二郎 [1973]は 、「〜たい」構文で「が」 を取 りやすい動詞 は、「なん らかの意味で

『私』の方向への吸収、吸引を表」 し、逆 に「『私』か ら外 に向かっての放出、離脱 を表」

(13)

す ものは「が」を取 りに くい ことを指摘 し、「ガを好む (略 )文 は、あるものの所有 または 享受が願望 されていることを示す」 と述べている。

ここで、ガマンスル と意味の近い「 あきらめる」を取 り上 げてみると、「家 (車 )を あき らめる」の意味が、く 家 (車 )を一一売 る、直す等でな く――持 つ ことをあきらめる〉となっ て、「家 (車 )が 欲 しい」の く 欲求〉内容 く 家 (車 )が 持 ちたい〉 とや はりつながることが 注意 される。

(注 5)  村木新次郎 [1982]は 、動詞 と結び付 く格形式の問題 を論 じているが、その中で、

「強い格形式が空であるために弱い格形式か ら強い格形式 に移行する例」として、「友人 に ごちそうす る」 に対する「友人 を〜」、「猟師が しかを鉄砲 で うった」 に対す る「猟師が鉄

・砲 を〜」等を挙げている。「10万 円の給料でガマンスル」に近い意味の「10万 円の給料 を〜」

も、「で」 という「弱い格形式」か ら「 を」 とい う「強い格形式」へ「移行」した例 とでき るか もしれない。

このように考 えると、「車 を中古でガマンスル」と「車 をガマ ンスル」も、意味が離れて いるものの、後者 については条件が最低 となった く車無 し〉の状態であ り、それが言語化

しなかった と解釈 して、意味が繋が る可能

4性

がある。

このような、異なった文型間の意味の対応・ずれ

(「

意地悪 をガマンスル」と言 えるが「意 地悪で〜」 とは言 えない等の問題 )は 、多数の事例で検討すべ きであるが、ガマンスルに ついて、基本的意味構造 を く対象に対 して、不満な条件 を受 け入れて、対処する〉 とする ならば、

「アパー トを 6畳 1間 でガマンスル」

"。

対象 も条件 も形式化 された文型

「アパー トをガマ ンスル」¨ ・条件が最低 (無 い状態 )と な り形式化 されなかった文型

「 6畳 1間 をガマ ンスル」

"・

条件 を対象化 した文型 のようになるであろう。

(注 6)  このような意味 は古典で も認 め られる。「思っている」に当たる古典の「思へ り」の 用法 を見 ると、『万葉集』

(『

日本古典文学全集』 による。 )に 、

「イヽ 金門にもの悲 しらに思へ りしわが子の刀 自を」 (Fl口 で もの悲 しそうに憂い顔 をして いた我が娘を )〔 723番 〕

とあり、また、『源氏物語』

(『

新潮 日本古典集成』による。 )に 、

「『雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠のうちに籠めた りつるものを』とて、いとくちをし と思へ り。」 (〜 と言って、 とても残念 という顔 をしている

〔 若紫〕

「女は、か く求めむとも思ひたまへ らぬをぞ、げに懸想なき御文な りけりと、心にも入 れねば」 (雲 居の雁 は、夕霧が こんなふうに探そうとも思っていらっしゃらない様子なので

〔 夕霧〕

等がある。「思へ り」は、その人の心の中身が外部に様子 として現れている、く 〜の表情を している〉く んの態度を取っている〉の意味である。この動詞が名詞 となった「思へ り」と いう語が『続 日本紀宣命』 (北 り │1和 秀編『続 日本紀宣命校本・総索引』による。 )に 、

「無礼岐

 

面制無久」〔

44〕

「面

ull毛 

無礼み」〔 第

44〕

とあるが、意味は 〈 表情、態度〉である。『岩波古語辞典補訂版』 (1990)│ま 、動詞「おも

ひ (思 ひ

)」

の項で「③ (胸 の中の感情があらわれて )¨ ・の顔つきをする。」 と述べている

(14)

が、 この意味 は「思ふ」単独の例 にはな く、「 り」「た り」等が付いているので、「 り」「た り」等が齋 した意味 と考 えられる。        

外部か ら観察 して述べ るというシテイルの意味 は、出来事の経過が発話時以外の時点 と 参照 しつつ捉 えられるということか ら生 じるものであろう。 例 えば、 「子供 は公園で遊 んだ」

は、その出来事 を発話の時点か ら捉 えた ものであるが、「〜遊んでいた」となると、発話時 とは別 の、例 えば、「地震が起 こった時 (子 供 は公園で遊 んでいた

)」

とい うような出来事 の時点 と参照 させて捉 えているのである。 (以 上の内容 は、「『観察者』のいる文」

(『

母 と生 活』静岡教育出版社、平成 2年 4月 号 )で 述べた ことがある。

)

これ と関連 した、スル とシテイルの違い として、スルが事態その ものに情報の重点があ るのに対 して、 シテイル は事態 よりも経過時間 に重点がある、 とい うことを指摘 してお ・

き たい。

「 どの くらい食べたの」 と「 どの くらい食べていたの」 を比較すると、例 えば、前者の 答 えは「 3杯 だ」、後者の答 えは「30分 だ」のようになろう。前者の「食べた」は行為の終 了の意味 を含むので、食べた結果である量 を問題 にし得 るわけである。 ところが、後者で は結果量の意味 は不可能で、経過時間が問題 となる。 (後 者 も、 「 その時 までにどの くらい 食べていたの」 とす ると、その時点 までの行為の量 を問題 にす ることが出来 る。

)

「 もう少 し食べ よう」 と「 もう少 し食べていよう」 を比較 して も、前者 は くあと 1杯 〉 のような行為の量、後者 は 〈あ と10分〉のような経過時間の意味 となろう。

「食べた量」 「食べていた時間」とは言えるが、 「食べた時間」「食べていた量」とは言 え ないの も、 この ことと関係 している。

このような差異 は、スルが出来事の開始 と終了の意味 を含んでいる (つ まり、出来事が 一塊 になっている )の で、経過 を特 に問題 にすることがないのに対 して、 シテイルは開始 と終了の意味 を含 まず、 しか も、他の出来事の時点 と参照 しつつ捉 えられるとい うことの ために、経過時間 を問題 としやすい、と説明で きよう。 (こ の点 について、鈴木重幸 [1979:

47]は 、 「 この山小屋 はいたんだね」と「 この山小屋 はいたんでいるね」の 2文 を比較 して、

前者 は「以前のいたんでいない状態か らの変化 をふ くんでいる」が、後者 は必ず しもそう ではな く、 「 はじめてみた山小屋 について も」言 えると述べている。つ まり、スル は 「開始・

終了」の意味 を含むが、 シテイル はその意味 を含 まない と考 えられる。

)

「 3時 に食べた。 4時 にも食べた。」

では 2つ の「食べ る」行為 は一連の ものでな く、別々の ものである。スルが開始 と終了の 意味 を含んでいるためである。 このようにスル形 は時間の経過 を問題 としえない。 これに 対 して、

「 3時 に食べていた。 4時 にも食べていた。」

では、 1回 の連続 した行為の経過が取 り上 げられていると解釈 しうる。

ただ し、 この意味の対立が弱 まることがある。「待つ」「生 きる」等 は、 そもそ も語彙的 な意味の中に時間の経過 とい う要素 を含むために、「その人 はどの くらい待 った (生 きた

)

の」 も「〜待 って (生 きて )い たの」 も答 えは「 2時 間 (8年 )だ 」のようにな り得 る。

「待 った時間」「生 きた年数」 も言 えるであろう。

しか しなが ら、 これ らの語 も語彙的な意味 を排除すれば、「食べ る」と同 じ様 に考 えるこ

とがで きよう。 とい うのは、次のように「食べた」「食べていた」と意味が平行的だか らで

(15)

ある。

「 3時 に待 つた。 4時 にも待 つた。」 は、「待つ」行為 は一連 の ものでない と解釈 される のに対 して、「 3時 に待 っていた。 4時 にも待 つていた。」の方 は一連の行為 と解釈 され う る。 また、「江戸時代 に生 きた。明治時代 にも生 きた」は、 1回 の「生 きる」行為 と解釈 し に くいであろう (従 って、 この文 は主体が同一 とす ると不 自然な内容 となろう。ただ し、

「江戸時代 を生 きた。明治時代 も生 きた」 とす ると 1回 の行為 として十分解釈で きる。そ れは、附計刊 が対象 として捉 えられているか らである

)。

一方、「江戸時代 に生 きていた。

明治時代 にも生 きていた」な らば、一連の行為 として解釈可能である。

以上、 シテイル形式 に、外部か ら観察 して捉 えられるとい う意味、出来事の経過が発話 時以外の時点 と参照 しつつ捉 えられるという意味、事態 よりも経過時間に重点があるとい

う意味が認 められ ることを述べた。

(注 7)後 で述べ るように、ガマンシテイルは「食べている」等 よりも「食べないでいる」

等の方 に良 く対応する。

(注 8)  「食べていない」にも 〈 食べているとい う行為が認 められない〉 とい う (普 通の

)

継続 の否定 の意味の外 に、く 食べる行為 を自ら打 ち切 る〉の意味がある (例 えば、「そうい う時 には、僕 な ら呑気 に食べていないよ」

)。

これ は、「食べている」が単純 な継続の意味で な く、く 食べ るべ きでない等の状況で敢 えて食べ続 ける〉とい うガマンシテイル と類似 した 意味の時 に、その否定形 として生 じるものである。 この時、主体 の意識が深 く関与 してい ることが重要で、 「食べていなかった」のように過去形 にす ると主体 の意識が認 めに くくな るために、く打ち切 り〉の意味が生 じに くくなる。す ぐ後で述べ るように、ガマ ンシテイナ イは常 に主体 の意識が関与 しているので、く 行為 の打 ち切 り〉の意味が生 じるわけである。

(注 9)寒 そうなのを第二者が見て「ガマ ンシテイルの」と聞いたのに対 して、「いえ、ガマ ンシテイマセ ン」 と答 える時、ガマ ンシテイナイは く現在〉の意味 を持つが、 これは 〈寒 さを感 じていない〉 とい う感覚の意味のせいであつて、特殊 な ものである。

(注 10)寺 村秀夫 [197)63]は 、 「γ シナイデイル とい うのは、主格語の表す人が (あ るいは 動物が

)『

当然何々 して もよい と思 える状況 なのに何かの理 由でそれをしない状態 におかれ ている、 あるいはわざととどまっている』 とい うような特別の場合 に使われ るといってよ いだろう。」 と述べている。

参照文献

石山伸朗  [1987]  「ガマ ンスル・ コラエル・ タエル」   国広哲弥編『意味分析

2』

21‑23。

東京大学文学部言語学研究室

大江二郎  [1973]  「願望のタイの前でのヲとガの交替」   『文学研究』第70輯 、 1‑11。 九 州大学文学部

小泉保

̲・

船城道雄・ 本 田畠治・ 仁田義雄・ 塚本秀樹 大修館書店

[1989]  『日本語基本動詞用法辞典』

篠崎晃一  [1986]  「たえる 。こらえる・が まんす る」   『日本語研究』第 8号 、

10二15。

東 京都立大学国語学研究室

鈴木重幸  [1979]  「現代日本語の動詞のテンスーー終止的な述語につかわれた完成相の叙

述法断定のばあい―一」

 

言語学研究会編『言語の研究』 5‑59。 むぎ書房

(16)

寺村秀夫  [1979]

t夕

昆』  191‑222。

村木新次郎  [1982]

「ムー ドの形式 と否定」

 

『英語 と日本語 と一 =林 栄一教授還暦記念論 くろしお出版

「動詞の結合能力をめぐって」

 

『日本語教育』第 47号13‑32。

参照

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