『野ざらし紀行』伊勢参宮記の料紙の切り接ぎ(上
) : 参宮記事の焦点の移動について
著者 濱 森太郎
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 16
ページ 67‑75
発行年 2005‑06‑26
URL http://hdl.handle.net/10076/6628
『野ざらし紀行』伊勢参宮記の料紙の切㌢接ぎ(上)
‑参宮記事の焦点の移動についてー
濱 森
一、はじめに
伊勢山田の御師、松葉屋風湊宅を出た『野ざらし紀行』の主
人公には、どこやら軽躁の気配があった。彼はまず伊勢の「内
宮」で衛士に禁足され、「外宮」まで引き返して来た。貞享元年
(一六八四)九月一日の夕方のことである。その外宮境内の人
波が途絶える日没には、神の寄り代たる「あや杉」の並木がうっそうと空を寧フ。かつて西行法師はこの神域を照らし出す「
月明り」に神の垂迩を見、「松風」に神の声を聞いた。その西行
法師を追慕する主人公「予」は、神域の闇と木と風とに助けら
れて参拝禁止の「嘆き」を解き放とうとしている。
どこやら騒擾の気味があるこの主人公は、このとき何を感知
し、いかに捉えたのか。松尾芭蕉自筆画巻の料紙の切り接ぎを
手掛かりにして、主人公の「一念一動」(濁子清書画巻、松尾芭
蕉蚊文)をさらに精細に吟味してみたい。そうすれば、「予」の
感受性の働きと仕組みとを解き明かして、この紀行文の方法を
開示する辛が出来るからである。 二、「芋洗う女」の張り足し
松尾芭蕉作『野ざらし紀行画巻』「伊勢神宮」の一節では、絵
の右端に紙幅約5・8鞭ンの紙が貼り足されて、その上に「芋洗う女」
が描かれている(次貫写真参照)。そこで、張り足された「芋洗
ぅ女」を削除して『画巻』の絵を原型に戻すと、「伊勢参宮」の
焦点が内宮における参拝禁止事件であったことが明らかになる。
伊勢参宮を志した主人公は、まず「内宮」で禁足され、憤藩や
る方ない気分で「外宮の一の鳥居」付近まで引き返して来たの
である(注l)。
主人公の憂憤のきっかけとなった参拝禁止を避けるには、誰
もが承知する簡単な回避策が一つあった。衛士が歩哨に立つ一
の鳥居付近からは、脇道に進むかたちで内外両宮ともに僧尼用
の参宮道が用意されていた。この参詣道さえ進めば、容易に「
僧尼礼拝所」に辿り着くことが出来る。その「僧尼礼拝所」は
五十鈴川の対岸、川向こうの正面に神宮正殿が見渡せる位置に
(∋ A
②
③
D 内実をさらに精細に吟味しようとする時、 Cとは、この参拝禁止の画面に「芋洗う女」
味である。 設置されていた。
不当な禁足に抗
議して時を費やし
たお陰で、夜間の
到来と共に外宮に
辿り着いた主人公
は、折から神宮の
森を吹き抜ける神
風と、神の寄り代
たる杉木立に向か
って傷心の一句を
詠唱する。その時
の予の傷心が多少
大仰な軌跡を描く
ところには、この
主人公が抱え持つ
騒擾が示唆されて
いる。
しかし、主人公
の
「l念一動」
の
それ以上に重要なこ
を張り足すことの意 言うまでもなく画巻というメディアは、常に右手で送り出し、
左手で巻き取りながら読み取られていく。画面は右から左に向
かって動き、物語は右から左に向かって進行する。目の前に見
えるのは一画面で、その前後は巻き取られている。画面の意味
を問い直すためには画巻を巻き戻さなければならず、巻き戻し
は、物語の逆転を意味する。
さて単純なことから言えば、画面の右端に「芋洗う女」の絵
を張り足すことで、「伊勢参宮」の条の焦点は、その翌日(推定)
に行われた「西行谷探訪」の場面に移動する。しかも昨夜は悲
憤憤慨したはずの予が、翌日には「芋洗う女‑⊥と脳天気な一
句を詠唱する運びとなる。この主人公の「脳天気」な挙動が伊
勢参宮の粂の焦点に浮上するのには相応の理由がある。
この伊勢参宮の叙述で下敷きに使われた説話集『西行物語』
(『西行物語』上、続群書書類従三二上、濁点筆者)によると、西行法師も
また伊勢の内宮で参拝禁止に出会っている。(ゴチックは要点とな
る語句)
伊勢大神宮にまいりつゐて、みもすそ川のほとり、杉のむら
だち中にぞ、一の鳥井を見つけまいらせて(中略)、ひそか
におもふ様、(中略)ぶつきやう、法師、あま、ずず、けさ、
などをとゞむれども、妙法般若しん言秘密の法施をたてまつ
れば、しん実には、神通のさをしかの御み〜をふりあけて、
きこしめして、随喜なうしやうのゑみをふくみましまして、
今世後世ののぞみをかなへ給ふ物なりと、かたじけなく心の
うちにねんじて、
(
富
枝
)
(下)(馨頓
)
みやばしらしたついはねにしきたてゝ
露もくもらぬ日の御かげかな
さて神地山の嵐おろせば、みもすそ川の浪、みぎはをあらへ
ば、月のひかりをうつして、いがきの松の本にたちよれば、
ちとせのみどり身にしみて、ねぶりをさまして、おなじ空行
(く)月ぞかし。(中略)
神ぢやま月さやかなるちかひありて
雨のしたをばてらすなりけり
(『西行物語』上、続群書書類従三二上、濁点筆者)
伊勢の大神宮に巡礼すべく西行法師が五十鈴川の河畔を遡上
すると、参道にそびえ立つ杉木立に埋まるように「一の鳥居」
が立っている。内宮を参拝する僧尼たちは、この「一の鳥居」
の手前で衛士の検問を受ける。「すす(数珠)、けさ(袈裟)」を
身に付ける僧尼は、一の鳥居の左手に架けられた小橋を渡って
五十鈴川の対岸を遡上し、内宮正殿の対岸に設置された僧尼礼
拝所から川を隔てて神殿を造拝する(注2)。
川を隔てた神殿遥拝は不本意かと推測されるが、『西行物語』
の西行法師に参拝禁止を嘆く気持ちは重篤ではない。西行法師
は参拝禁止の憤藩を押さえて、「般若しん言」の法理を根拠に、
「神通のさをしかの御み〜をふりあけて、(中略)今世後世のの そみをかなへ給ふ物なり」と道理を説くからである。「みやばしらしたついはねにしきたて〜露もくもらぬ日の御かげかな」。堅牢な宮柱が並び立つ幾多の神殿社屋の上に曇り無き日輪が降り注ぐ厳かな神域の光景が賞賛の言葉をもって綴られている。
さらに西行法師が内宮背後の神路山に登ると、神域を吹き抜
ける青嵐にあおられて、五十鈴川の川渡に乱反射する月光が揺
れる。その神域を見下ろしつつ井垣の松に寄ると、登り始めた
月の光が今一度、顧みられる。この地上に安穏を約束する天照
大神の誓いの光は、今、月光となって地上の万物を照らしてい
る。
もとよりここには、『野ざらし紀行』のような支離滅裂な語り
口や神域を守衛する衛士との険悪な応酬は見当たらない。さら
にその語り口には、気取りの混じった自己抑制や相手を気にし
た言い繕いも見当たらない。つまりは、「腰間に寸鉄をおびず」
以下、参拝禁止に直面した予の「一念一動」
らし紀行』に欠かせない特色なのである。
また、その西行法師の『山家集』には、西行と「江口の遊女」
との和歌の贈答という珍しいエピソードが語られている。大阪
の天王寺に行く途中、「江口の里」で雨に降られた西行法師は、
止むを得ず雨宿りを乞うたが果たさず、仕方なく江口の遊女に
次の一句を言い送った。
752世の中をいとふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君
かな
返し
753家を出づる人とし聞けば借りの宿心とむなと思ふばかり
ぞ
(西行『山家集』)
西行法師の和歌は「世間を厭って出家なされたとはよくよく のこと。その御方が旅行く僧の雨宿りを厭うとは!」と訴える
ものだが、遊女からは冷静な口調で次の返歌が届いた。「出家し
た御坊にとつてこの世は仮象。私などに世迷い言を書き送ると
は未練なこと!」。
先に『野ざらし紀行画巻』伊勢参宮の一節で追加された「芋
洗う女」は、この西行法師と江口の遊女との和歌の贈答を踏ま
えて書かれている。
(伊勢参拝)
暮て外宮に詣侍りけるに、一の華表の陰ほのぐ
らく、御燈処々に見えて、また上もなき峯の松
風、身にしむ計ふかき心を起して
みそか月なし千とせの杉を抱あらし
(西行谷訪問)西行谷の麓に流あり。をんなどもの芋あらふを
見るに
芋洗ふ女西行ならば育よまむ
(蝶女の茶店).其日のかへさ、ある茶店に立寄けるに、
てふと云けるをんな「あが名に発句せよ」
と云
て、白ききぬ出しけるに書付侍る。
蘭の香や蝶の実にたき物す (『野ざらし紀行画巻』)
一読して分かるとおり、「芋洗う女」は、伊勢参宮、西行谷訪
問、蝶女の茶店と続く文脈の中間にあり、伊勢参宮と蝶女の茶
店とをつなぐ役割を担っている。しかもこの三者は共に西行法
師の説話を踏まえて書かれている。
まず伊勢参宮の場面では、参拝禁止にも関わらず天照大神の
威徳を称えて「神ぢやま月さやかなるちかひありて」(西行物語、
注3)と神宮を賞賛する西行法師と、参拝禁止に抗弁した挙げ
句に放逐され、外宮の一の鳥居付近で神の恩寵である月明かり
が隠れたさまを愁嘆する予とが対比されている。
また「西行谷」では、巡礼の途中で遊女に「こと寄せ」した
西行と、「西行ならば寄よまむ」と農婦に一句を読みかける予と
が対比されている。「みそか月なし!」と悲憤憤慨したはずの予
が、今日はさっそく、遊女ならぬ農婦に向かつて一句を読み掛
けるところが軽操の詩人たる予の持ち味である。
そしてついには、西行谷からの帰途、招きに応じて立ち寄っ
た「蝶女の茶店」で「蘭の香や蝶の翼にたき物す」と蝶女(も
と遊女)を賞賛する一句を献呈する好機を得る。嬉しさの余り
に年増の女性を可憐な「蝶」に喩え、その衣装を「蝶の翼」、白
粉の匂いを「蘭の香」と言い出す様は「オメデタイ」と言うべ
きだろう。
「芋洗う女」の一句を、伊勢参宮、蝶女の茶店の中間に配置
して、伊勢参宮と蝶女の茶店とを一続きの文脈でつなぐ意図は
ここにある。すなわち松尾芭蕉は伊勢参宮、西行谷訪問と続け
様に失望した予が、降って湧いた幸運につい年甲斐もなく欣喜
躍雀する文脈を目に見える形で出現させるために、「伊勢参宮」
の絵の右端に「芋洗う女」の絵を貼り足すのである。
三、もう一つの切り
接ぎ
A30飛ン伊勢参宮の詞書
② (D
一 ●
一号
西行谷訪問‥
Ⅳ23誓蝶女の茶店
閑人の茅舎▲….≡き盲」
D撃芋洗う女
い
ところで、この『
野ざらし紀行画巻』
伊勢参宮の記事には、
実は
「芋洗う女」
の
絵の追加と連動して、
もう一カ所切り接ぎ
された痕跡がある。
切り接ぎの場所は、
伊勢参宮の発句の終
わり、上図の①の位
置である。
岩波書店刊『芭蕉
全図譜』所収『野ざ
らし紀行画巻』に照
らすと、この画巻は縦23誓横警ンの料 紙の上に、詞書・絵を一セットとして逐次書き継いだものである(注4)。所々で、料紙の継ぎ目を跨いだ筆跡が観察されるのは、松尾芭蕉がまず料紙二枚を貼り合わせて、その上に詞書と絵とを書き継いだせいである。このため、この伊勢参宮のような例外を除けば、詞書の末尾の場面が画巻の絵に措かれるかたちで両者は接続している。
そしてその目で見れば、問題の伊勢参宮の詞書部(A)
幅は、本来なら約4・5飛ン左に延伸していたことになる。その余白4・5珊ンが①の位置で切断されているのである。また写真(竺の
西行谷訪問、蝶女の茶店、閑人の茅舎の紙幅は23代ンで、約115誓
の余白料紙が②の位置で切除されている。加えて料紙
芋洗う女の絵は、紙幅5・8飛ンに切断され、②③の位置に挿入され
た後に絵が描かれている。そしてその(D)料紙(C)の紙幅は、図1のように縦23代ン横警ンで、通常の料
紙の幅に戻っている。
この切り接ぎの事実は、料紙(A)の余白部4・5雪が切除された後に、新しい料紙(Ⅳ233と(D5・8鞭ン)とが挿入された
事を示唆している。しかも料紙(Ⅳ)の左辺の余白が芭蕉にも
気がかりだったらしく、(Ⅳ)末尾に書かれた
訪問の叙述は、行間を広げてわざと余白を使うように書かれて
いる。この余白処理の痕跡もまた、(Ⅳ)(D)が最初から一枚
の料紙に書かれていなかった痕跡である。
では、この時、
この張り合わせ作
業中に何が進行し
ていたのか。『野
ざらし紀行』の成
立過程から言えば、
「画巻本」の詞書
は
「天理本」
を踏
襲して書かれてい
る。そしてその
「
天理本」には、す
でに伊勢参宮(A)
に続いて西行谷訪
間の詞書(Ⅳ)が書かれている。その文面を書写して「画巻本」
の詞書を作成する立場に立つと、大方の読者は詞書の分量を考
慮して料紙(A)、料紙(首)を貼り足した後に、その詞書を
書き始めるだろう。余白の4・5飛ンは貼り合わせの手加減で調整で
きる紙幅であるため、他に役立つ当てのない紙片を強いて切除
する必要はない。そのまま料紙(A)に料紙(首)を貼り付け、
その上から詞書を書き継げば済むのである。
だが実際の松尾芭蕉はそうはせずに、料紙(A)に伊勢参宮
の詞書を書き終えると、その次には別の料紙を貼り付けたので
ある。ではそれは前図①②③④の内のどの切片か。その目でこ れらの各料紙の継ぎ目を観察すると、実はもう一箇所、奇妙に寸詰まりの切片がある。それは前図2の②の切片で、五十鈴川を描いた描線が切片を越えてその右の料紙に延伸した形跡がある。ここから推測されることは、上図2の②の位置で料紙(A)と料紙(C)とが接続されていたことである。
先にも触れたように、画巻は、常に右手で送り出し、左手で
巻き取られていくメディアである。目の前に見えるのは一場面
で、その前後は巻き取られている。もし詞書が長すぎれば、詞
書と絵とを見開きで見る事が出来なくなる。参拝禁止事件を焦
点にし、見開きの形で詞書と画面とを対照することが欠かせな
いなら、爽雑物は省かなければならない。料紙Aの余白4・5鞭ンは
その爽雑物に近いため、余白処理の意味でも、料紙(C)
端に描かれた五十鈴川の川筋を延長して画面の一体化を図る必
要がある。その上、好都合なことに料紙Aと料紙C
の絵)とを直結すると、画巻は丁度見頃のスペースで伊勢参宮
の一場を表示する。
この切り剥ぎの重要さは、松尾芭蕉が少なくとも一度は、料
紙(A)と料紙(C)とが連続するかたちの本文を出現させた
ことにある。その時、伊勢参宮の本文は、参拝禁止の詞書と参
拝禁止の絵とを通じて深刻に伊勢神宮の衛士の独断や偏見に抗
議する形で出現したことになる。当然、松尾芭蕉はこのラディ
カルな本文を注意深く吟味したに相違ない。なるほど、見開き
の形で詞書と画面とを対照するためには爽雑物は省かなければ
ニ
3
‑
図
●
E34・5舛ン伊賀上野の詞書
一
■■■■
‑
■ l l
ll
l l 一 l
+ + +
ならない。料紙(
Ⅳ23稚ン)はその爽
雑物に当たるが、
その結果として、
伊勢神宮の衛士の
独断や偏見に深刻
に抗議する形のテ
クストが出現する
のはいかがなもの
か。そもそも聖地
で起きた参拝禁止
事件をこのような
かたちで焦点化す
ることには軽率の
そしりもある。そこに彼の思案が集中したのである。
改めて言えば、参拝禁止事件が僧尼礼拝道さえ知らない予の
無知による「どたばた喜劇」なら、その喜劇の脈絡は、西行谷、
蝶女の茶店で頂点を迎える。しかしその喜劇の道筋を読者に強
く印象付けるためには、「内言叙述」や「内言叙述」によって達
成された予の「一念一動」が持つダイナミックな魅力に読者の
目を釘付けにするという『画巻』当初の思惑は見送らなければ
ならない。
その思案を経た後に、松尾芭蕉は図3の①の位置で料紙(A)
C C
B'
A
② ①
■
D30
34.5 34.5 チち
誓 誓 5.8 23
伊
萱賢
望チセ
ン 誓
」1一
干
洗
貿警芳
勢 参 宮 う
女
蓋蓋嘉
詞書の…E撃伊賀上野の詞書…
「l‑●■‑一‑■‑■一‑ と料紙(C)度切り離し、五十鈴川の描線が残る(A)の左辺4・5誓を切除した。そしてその料紙(A)の切片には、西行谷探訪を綴る詞書(Ⅳ)を図2の③④の位置で切り離して、図3の①②の位置に移動したのである。えば、予め貼り合わされた四枚の料紙(
A30稚ン・C①警ン・C②禦ン・Ⅳ讐ン)があり、その四枚の料紙の貼り合わせ箇所を①③④の接点で切断し、詞書(芝と伊勢参宮の絵(C①②)
とを入れ替えたのである。そしてその段階では、料紙(E)は
未だ書かれていなかった。このため松尾芭蕉には、④の位置で
実際に料紙を切断する必要はなかった。貼り合わされて二枚続
きになった料紙(C①②)と料紙(E)との接点④には、被さ
るように「故郷」の条の詞書が書き継がれている。この「故郷」
の条の詞書が書かれたのは、図4のような切り接ぎ作業が一段
落した後、料紙(C①②)に料紙(E)が貼り足された後だっ
た事が分かる。
そしてその料紙(A)と料紙(Ⅳ)との貼り付け時には、松
尾芭蕉にはまだ、料紙(C)の前に料紙(D)を貼り足す心積
もりはなかった。もし有ったとするなら、松尾芭蕉の目の前に
は料紙(D)を貼り足すまでもなく、料紙(F)の余白部分(約十一3が有ったからである。まず料紙(Ⅳこと料紙(C)
とを張り合わせるべく料紙(Ⅳ)末尾の余白部十一難ンを切除し、
次に料紙(Ⅳ)と料紙Cとを張り合わせた後に、松尾芭蕉は恐
らく物語の流れを今一度、確認したのである。そして次にもう
一度、芋洗う女を書き足すために料紙(Ⅳ)と料紙(C)とを
②の位置で切り離し、②③の位置に紙幅5・8の紙片を差し込んだ
のである。差し込まれた小幅の紙片は、先に切断された料紙(
B,)の余白の紙片だっただろう。そうすることでこの「芋洗う
女」の物語上の比重を高め、この叙述に読者の注目を誘うため
である。
もし松尾芭蕉が伊勢参宮、西行谷訪問、蝶女の茶店と続くコ
ミカルな文脈を浮き立たせようとするなら、彼は同じく『野ざ
らし紀行画巻』を描いた与謝野蕪村のように「蝶女の茶店」で
妙齢の婦人から茶の接待を受ける場面を描いて、その場の浮き
立つような華やかさを演出することも出来なくはない。だがそ
こまで進むと、内宮の絵を欠く『画巻』が出現してしまう。そ れでは参拝禁止事件の一切は伊勢の外宮で起きたことになり、そこでの予の「一念一動」は伊勢神宮の霊験に対する深い賛嘆の感情に読み替えられる。さらに内宮で生じた悲憤憤慨を引きずってやってきた予が外宮の一の鳥居付近で青嵐に触発されて能楽の物狂よろしく「騒擾」を噴出させるという、この作品第一の見せ場の理解が覚束ない。加えてそういう「騒擾」の持ち主が翌日にはさっさと「芋洗う女」に言寄せすることで一気に盛り上がる喜劇の文脈は看過され、その後に待ち受ける浮き立つような蝶女との幸運な出会いも等閑視される。つまり二念l動」の記録たる『野ざらし紀行』の本領が霧散するのである。
その誤解を避けようとするなら、多少無理をしても料紙(C)
の位置に内宮参拝の絵を挿入することは避けられなかった。ま
たそのために、この芋洗う女の絵を文字通り不格好なまま現在
の位置に貼り付けることも避けられなかったのである。
注l主人公の造型(「『野ざらし紀行』その方法のディレンマ(上)‑伊勢
参宮の条を中心にー」(『日本文学』昭和課年‑○月号))
注2『伊勢参宮名所図会』(寛政9年5月、京都書林菱屋孫兵衛他刊、‑→¢さ
によると、内宮・外宮共に川を隔てて、神殿と向かい合う位置に僧尼
のための礼拝所が設置されている。同書内宮「僧尼拝所」参照。
注3この場面の出典は、『西行物語』だけでない。「ふかく入りて神ぢのおくを
たづぬれば又うへもなきみねの松かぜ」手載集一二七八)などにも
同じ和歌が収録されている。
注4『芭蕉全図譜』「伊勢参宮」の箇所では、芋洗う女と蝶女の茶店との
境目にも切り接ぎの後が見えるが、これは写真撮影者が図書に割り付
ける際に怜例な刃物で裁断した痕跡で、芭蕉の切り接ぎとは別種のも
のである。
【はま■もりたろう本学教員】