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ロールズによるアリストテレス批判の変遷について

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ロールズによるアリストテレス批判の変遷について

―― 差異と共通性についての探求 ―― 1)

福 間   聡

On Transition in Rawls’s Criticism of Aristotle:

An Examination of the Differences and Commonalities

Satoshi FUKUMA

要 旨

 ジョン・ロールズ(1921-2002)はその長期にわたる研究において、アリストテレスに対し て幾つかの批判を提起している。1942年にプリンストン大学に提出した卒業論文(『罪と信仰の 意味についての簡潔な探求』)(2009)では、倫理とは人びとの適切な間柄(community)では なく、各個人が個別に追求する善に関わると解釈しているアリストテレスの立場を「自然主義 naturalism」として批判しており、『正義論』(1971,1999)では目的論に基づくアリストテレス の社会正義の構想を「完成主義perfectionism」と批判している。そして晩年の『公正としての 正義:再説』(2001)や『政治的リベラリズム』(2005)にあっては、人間の自然本性は政治参 加において最も十全に実現されるとみなす「公民的人文主義civic humanism」の立場を、善につ いての包括的な哲学的世界観に基づくアリストテレス主義の一形態であるとして批判している。

 本稿の目的はロールズによるアリストテレスならびにアリストテレス主義への批判の変遷を検 討することを通して、その批判に通底しているロールズの倫理観とは何であるのかを解明し、そ れと共にアリストテレスの『政治学』の現代的意義について考察することにある。

キーワード: ジョン・ロールズ、アリストテレス、完成主義、善に対する正の優先権、中間の国 制、財産所有の民主制

Summary

 John Rawls (1921-2002) has made several criticisms of Aristotle in his long-term research. In

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his senior thesis submitted to Princeton University in 1942 (A Brief Inquiry into the Meaning of Sin and Faith, 2009), Rawls criticized Aristotle’s ethical view as “naturalism,” because he interpreted ethics as concerning the good pursued by each individual separately, not as concerning an appropriate community of people. And in A Theory of Justice (1971, 1999), Rawls criticized Aristotle’s conception of social justice based on teleology as “perfectionism.” In his later works, Justice as Fairness (2001) and Political Liberalism (2005), Rawls criticized “civic humanism” as a form of Aristotelianism founded on comprehensive philosophical doctrine of good; civic humanism assumes that human nature is fully realized in political participation.

 The purpose of this paper is to elucidate Rawls’s views of ethics through examination of changes in his criticism of Aristotle and Aristotelianism, and to consider the contemporary significance of Aristotle’s Politics.

Key words: John Rawls, Aristotle, Perfectionism, the Priority of the Right over the Good,      Middle Constitution, Property-Owning Democracy

 導入

 ジョン・ロールズ(1921-2002)はその長期にわたる研究において、アリストテレスに対し て幾つかの批判を提起している。1942年にプリンストン大学に提出した卒業論文(『罪と信仰の 意味についての簡潔な探求』)(BI,2009)では、倫理とは人々の適切な間柄(community)では なく、各個人が個別に追求する善に関わると解釈しているアリストテレスの立場を「自然主義 naturalism」として批判しており、『正義論』(TJ,1971,1999)では目的論に基づくアリストテレ スの社会正義の構想を「完成主義perfectionism」と批判している。そして晩年の『公正として の正義:再説』(JF,2001)や『政治的リベラリズム』(PL,2005)にあっては、人間の自然本性 は政治参加において最も十全に実現されるとみなす「公民的人文主義civic humanism」の立場を、

包括的な哲学的世界観に基づくアリストテレス主義の一形態であるとして批判している。

 本稿の目的はロールズによるアリストテレスならびにアリストテレス主義への批判の変遷を検 討することを通して、その批判に通底しているロールズの倫理観とは何であるのかを解明し、そ れと共にアリストテレスの『政治学』の現代的意義について考察することにある。

 BI における自然主義批判

 21歳 の ロ ー ル ズ は 太 平 洋 戦 線 へ の 出 征 前 に し た た め た 卒 業 論 文 に お い て「 自 然 主 義

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naturalism」批判を展開している。ロールズが批判の対象とする「自然主義」は、現代哲学にお ける通常の意味での自然主義――自然科学によってこの世界の全ての実在を完全に説明しうると いう立場――とは異なる構想であることに注意しなければならない(BI 8)。ではこの「自然主義」

とはいかなる立場であるのだろうか。ロールズは「自然主義」についての自らの見解を幾つかの 仕方で説明しているが、この「自然主義」を理解するにあたってポイントとなるのが、ロールズ が指摘している三種の異なる関係――(a)人格的かつ間柄的(personal and communal)関係、(b)

自然的関係、(c)因果的関係――である(BI 114)。(a)は人格間の、ひととひととの関係であり、

(b)はある人格と(その人格が欲している)ある対象との関係、(c)は対象間の関係である。そ れゆえBI でのロールズの批判の対象となる自然主義とは、「唯物論のことではなく、宇宙(the cosmos)を自然主義的な用語・関係(terms)において構成する全ての見解」であり(BI 119)、「全 ての関係が自然的であり、かつ、霊的な生が欲求と欲望の地位に還元されている世界像(the universe)」である(BI 107)。また自然主義とは欲する人と欲せられる対象という仕方で、「す べての関係を自然的な用語・関係で語る思考の型」でもある(BI 119)。

 ロールズにあっては、プラトンやアリストテレスの哲学は、アウグスティヌスとアクイナスの 神学とともに、自然主義的であるとされる(BI 119)。「人格と人格」との関係も「人格と対象」

との関係と混同して捉え、人格が目指すべき善も、「最も欲される対象the most desirable object」

(BI 115)――善のイデア、(大文字の)真理、神――として把握している点に、自然主義の問題 点をロールズは見いだしている。こうした自然主義がなぜ批判の対象になるのかというと、ロー ルズによれば、「倫理的な問題とは社会的、あるいは間柄に関する(communal)問題」であり、「倫 理は間柄と人格性の本質についての探求であるべき」だからである(BI 113f)。すなわち、「ひ との主要な道徳的問題は自分自身および他の人々と共にいかに生きていくか」という問題であり、

何が最高の善であり、それをどのように追求すべきかという問題ではない。(また、(私にとって)

善き生とはなにか、という問題でもない)。倫理とは「間柄を確立することを含意する」とロー ルズは論じているが(BI 113f)、アリストテレスの自然倫理学に対置する立場として「「間柄 community」の倫理学」(BI 114)を提示している。ひととひと、人格と人格の結びつきが間柄 であり、完全な意味でのこの間柄(の確立)こそが「目的自体」(BI 220)として私たちが目指 すべきものなのである。この「間柄の倫理学」が21歳当時のロールズの倫理的立場であると規 定しうる。

 このロールズの「間柄の倫理学」の観点からすると、アリストテレスの問題点とは、自然的な 関係と人格的関係を区別できておらず、それゆえ間柄の問題を理解できていないために、倫理と はひとと適切な対象――アリストテレスにあっては「最高善」――とを結びつけることに関わる とみなしている点にある(BI 115)。ロールズによれば、アリストテレスの自然倫理学はひとと ひととの適切な関係とは何かを考察せず、「欲求の適切な対象についての考察、精確な習慣の正 しい発達を経て正しい活動に従事する性格の育成、自然な欲求の適切な目的である「善」を追求

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する手段、これらから構成されている」のである(BI 120)。

 ロールズが理想とする間柄はキリスト教の神において具現されている。なぜなら「三位(three persons)が一体において、各位格が平等な仕方で他の位格と結びついている」(BI 206)、とロー ルズは考えているからである。なぜこのように結びついているかというと、「完全な間柄は、そ の完全な愛と信によって結合しており、愛はその贈与性(givenness)が向けられている位格と の平等性を求めているからである」(BI 206f)。こうした愛と信に基づく平等な関係がひととひ ととの間においても構築されなければならず、そのためこの平等性を毀損する「尊大egotism」

が最も根深い人間の罪とみなされているのである(BI 193f, 203f)。

 TJ における完成主義批判

 ではTJ にあってはロールズはアリストテレスをどのように批判しているのだろうか。TJ にお けるロールズのアリストテレス批判の矛先はその政治哲学、すなわち「完成主義perfectionism」

に向けられている。ロールズにあって「完成主義」とは目的論的理論の一種である。目的論的な 理論の中でも、「善とは多様な文化様式において人間としての卓越性(human excellence)を実 現することだと解釈されるならば、完成主義と呼ばれる立場に立つことになる。この観念は、と りわけアリストテレスとニーチェの思想に見出される。〔完成主義以外の目的論的な学説として は〕善を快楽と定義する快楽主義や、幸福と定義する幸福主義などがある」、という仕方で完成 主義は説明されている(TJ 22/36)2)

 とりわけアリストテレスの完成主義はロールズによって次のように特徴付けられている。

こうした構想がどの程度まで完成主義の性質を有するのかは、卓越や教養・文化の権利要求 に与えられた重みづけによって決定される。たとえばもし、(哲学、科学、芸術におけるギ リシア人の偉業を可能とするために奴隷という慣行は必要であったと仮定して)ギリシア人 の偉業それ自体が古代の奴隷慣行を正当化したのだという主張がなされるならば、 この構想 は間違いなく高度に完成主義的である。説得力のある自由の権利要求が、卓越性の要求事項 によって覆されている(TJ 286/431f)。

 国家(ポリス)が善く治められるためには、自由人(市民)が徳を涵養し、公共活動に参加し、

哲学できる余暇が必要であるが、この余暇を創出するためには奴隷制が存在しなければならない。

このように『政治学』におけるアリストテレスの奴隷制の正当化論は概括しうる。アリストテレ スにあっては徳の涵養や政治参加、観想的活動が人間にとっての卓越であり、この卓越性を社会 において最大限可能にするためには奴隷制が正当化される、というのがロールズが解釈するアリ ストテレス的完成主義であるといえる。

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 ロールズはアリストテレスの完成主義の問題点――自らの公正としての正義の立場と相容れな い点――として次の事柄を指摘している(TJ sec.50)。

 ①複数の制度の中から一つの制度を選ぶための原理として使用しうる合意された卓越性規準

(何が人々の卓越性とみなされるべきか)を原初状態の当事者たちは有していない。

 ②卓越性の最大化のために、個人の自由、とりわけ自らの善の構想を追求する自由を危険にさ らす恐れがある。

 ③完成主義の倫理に到達するためには、たとえば一定のスタイルと審美的な気品を備えた人間 を育成する義務や、知識の追求と芸術の修養を促す義務といった、何らかの自然本性的な義務を あらかじめ受け入れるという属性を、当事者たちに与えなければならない。

 ④加えて、卓越性の規準がたとえ比較的狭い範囲の思想的伝統と共同体において無理なく持ち 出されかつ受け入れられているものだとしても、それらは政治の原理としては不明確であり、 ま たそれらを公共の諸問題に適用したとしても不安定で風変わりなものとならざるをえない。

 ではそもそもアリストテレスを完成主義者とするロールズの解釈は正しいのであろうか。アリ ストテレスの倫理・政治思想はこうした完成主義の特徴を示しているのだろうか。アリストテレ スにあっては、人々が追求すべき最終目的は幸福である。「幸福は、完結した何かであり自足的 なものであって、もろもろの行為の目的であるということは明らかである」とアリストテレスは

『ニコマコス倫理学』において論じている(1097a14-1097b21)。それゆえD. ドンブロウスキー はアリストテレスの完成主義を「幸福主義的完成主義eudaemonistic perfectionism」と規定して いる(Dombrowski 2015,20)。幸福(善く生きる、よい人生(1095a19))とは徳=卓越に基づ く活動であり(1177a10)、「国家(ポリス)は人々が生きるために生じたものであるが、それ が存在するのは人々が善く生きるためのものとしてである」とアリストテレスは『政治学』にお いて解説している(1252b27-30)。国家の役割や存在意義を人々の卓越を促進することにアリ ストテレスは見定めているのである。

 またR.クラウトはロールズの最大化解釈3)には異を唱えるものの、アリストテレスの政治的立 場が完成主義であることは認めている。

〔アリストテレスにあっては〕有徳な行為が究極目的として唯一精確な選択であり、ポリスは、

その法が卓越した諸活動に従事する善い人間を生み出すか、あるいは事情の許す限りこの目 標にできるだけ近づく場合に限り、よく統治されている(Kraut 2015,354)。

 アリストテレス自身や古代哲学研究者による、人々の善き生(卓越)と国家の統治の善さを関 連付けている論述を踏まえると、アリストテレスはロールズが規定する意味での「完成主義」を

(6)

擁護していたと判断を下してもよいのではないかと思われる。

 そしてTJ におけるロールズのアリストテレス批判は、その幸福概念にも向けられている。ア リストテレスにあっては前述したように、幸福(エウダイモニア)が私たちの生の最終目的であ り、卓越性と不可分の概念となっている。しかしながらロールズは、そうした「人々が追求すべ き最終目的としての幸福」という概念を拒絶している(TJ sec.83)。ロールズにあっては幸福とは、

合理的な人生計画(善の構想)を成功裡に遂行することによって得られるもの、と考えられてい る。

それゆえ、合理的な計画を成功裡に遂行しており、自分の努力が実を結ぶはずだと根拠をもっ て確信できる間は、 その人は幸福である。状態がこの上なく良好であり、本人の生活が完璧 である程度に応じて、彼は至福にまで近づくと言ってよかろう。しかしながら、ひとつの合 理的な計画を促進しているとき、当人が幸福を追求しているということにはならない。 少な くとも、幸福の追求ということの通常の意味からするとそうならない。ひとつの理由として、

幸福とは、私たちが熱望する達成目標の飛び切りのひとつではなく、計画全体の達成それ自 体を指すということがある(TJ 482/722)。

 ロールズにあっては、合理的な人生計画は各人において相異なるため(TJ 393f/388f)、最終 目的としての幸福(卓越性に基づく幸福)という善の構想を共有した構想として私たちは有して いると想定することはできないのである(TJ 287f/434f)4)

 JF 、PL における公民的人文主義批判

 JF 、PL においてロールズの批判の対象となるのは、卓越性の中でも政治的活動・政治参加に 特権的な価値を付与するアリストテレス主義、すなわち「公民的人文主義civic humanism」であ る。

 ロールズは自らが構想する「秩序だった社会」が善である理由を二つあげている(JF sec.60, PL 201-204)。ひとつは、市民としての個人にとっての善である。すなわち、市民の二つの道徳 的能力(正義感覚のための能力と善の構想のための能力)の発展・行使をその諸制度は保証する ため、社会の正規で十全な協働的成員としての市民の役割を可能にしている点において善であり、

加えて、正義の善(平等な基本的自由・権利、機会の公正な平等、といった社会的基本財)をそ の諸制度は保証するため、市民相互の自尊の社会的基礎を提供している点において善である。も うひとつは、歴史的な偉業としての善である。市民の協働によって、満足いく程度に正義にかなっ た民主的諸制度を確立し、長期にわたって成功裡に運営し、幾世代にもわたって漸進的に修正し ていくことは、際立った社会的善であり、そのように評価される、と。

(7)

 ロールズはこの公正としての正義に基づく秩序だった社会における善の理解と、二つの政治的 立場、すなわち古典的共和主義(classical republicanism)と公民的人文主義における善の理解 との比較を行っている。この比較にあっては、政治参加をどのような善とみなしているかが、そ のポイントとなっている。

 ロールズはマキャベリ、トクヴィルの著作において体現されている古典的共和主義について、

次のように説明している。

民主的な社会の市民が、私的な生活の諸自由を保証する市民的自由も含んだ、自らの基礎的 な権利と自由を保持すべきであるならば、市民たちもまた十分な程度に(私がそう呼ぶとこ ろの)「政治的諸徳」を有し、かつ公共的な生に進んで参加しなければならない(PL 205)5)

 古典的共和主義は市民に主体的な政治参加を要求するが、政治参加は市民的自由と権利を守り 抜くための手・ ・段とみなされており、政治参加そ・ ・ ・ ・ ・ ・

れ自体を善であるとはみなしてはいない。したがっ て公正としての正義と同様に、包括的な宗教的・哲学的・道徳的な世界観に基づく善の構想を古 典的共和主義は前提していないため、自らの政治的リベラリズムの立場と両立可能であるとロー ルズは考えている。ロールズによるこの古典的共和主義の解釈は、政治参加を道具的に善と捉え ている「公民的共和主義civic republicanism」の立場であるといえる6)

 これに対して、公民的人文主義をロールズは次のように規定している。

アリストテレス主義の一形態として、公民的人文主義は次のような見解としてときに言明さ れる。すなわち、ひとは社会的動物であり、政治的動物ですらあるが、その本質的な性質は、

公共的な生への広範で精力的な参加が存在する民主的な社会において最も十全に実現され る、と。公共的な生への参加は、民主的な市民権を構成する基礎的諸自由の保護に不可欠で あるとして、また多くの人々にとっていかに重要であるとしても、それ自体は多くの善の中 における善の一形態として、推奨されるのではない。むしろ、民主的な政治に参加すること は善き生において特権的な座を占めていると〔公民的人文主義においては〕みなされている

(PL 206)。

公民的人文主義は、唯一でないとしても主たる人間の善を、アテネやフィレンツェを手本に して、しばしば都市国家と歴史的に結びついた形で、私たちが政治生活に携わることだと定 めているのである(JF 143/255)。

〔政治参加を私たちの(完全な)善の格別のありかとすることで〕公民的人文主義は包括的 な哲学的世界観となり、それ故に正義の政治的構想としての公正としての正義とは両立しな

(8)

い(JF 142f/254)

 公民的人文主義は政治参加を人間にとっての特権的な善であるとみなす政治思想であり、包括 的な哲学的世界観を前提にしている。したがって「穏当な多元状態の事実」(PL 24f,et passim)

が存在する現代社会においては、多くの市民に受け入れ可能な思想ではないとロールズはみなし ている7)。もちろん強制的な仕方でないならば、政治参加を重要な善と市民たちがみなすことに 問題はないともロールズは指摘している。しかしながら「近現代の民主的社会において、政治は、

都市国家アテネにおいて生粋の男性市民にとってそうであったほどには、人生の中心ではない」

のである(JF 143/254)。それゆえロールズは公民的人文主義を単に包括的世界観に依拠してい るというだけでなく、理にかなっていない包括的世界観に根差している構想として棄却するので ある8)

 ロールズは自らが主張する善の構想(合理的な人生計画)の多元性を踏まえて、政治参加につ いて次のように述べている。

(ここで定義された意味での)公民的人文主義を拒絶しても、政治生活に携わることを通じ て市民によって達成される善が人間生活の偉大な善の一つだということを否定することには ならない。だが、政治生活への参画を自分の完全な善の一部にするその度合いは、私たちが 個人として決めるべきものであり、また人によって異なるのが道理である(JF 143f/255)。

 公民的共和主義と公民的人文主義との間にある差異は、どちらも共和主義の系譜から派生して いるものの、後者は完成主義の立場、すなわち人間的生の卓越性(human flourishing)を重視 するというアリストテレス主義の立場を善についての包括的世界観として支持していることに由 来している。公民的共和主義は「恣意的な、野放しの権力からの独立」を政治的自由とみなし

(Lovett 2018)、こうした自由を保護するための手段として政治参加を捉えている。他方公民的 人文主義は政治参加を人間的卓越の発露として、それ自体善であるとみなしている。しかしなが らこうした公民的人文主義の見解は「完成主義」(PL 180)という排他的な包括的な世界観に基 づく構想であり、人々の市民的自由・権利を脅かす可能性を秘めている。それゆえ包括的世界観 に依拠しない、善の多元性を擁護する構想である公正としての正義の立場と「根本的に対立」す る(PL 206)、とロールズは論じている。

 善に対する正の優先権

 このようにロールズのアリストテレス批判の変遷を見てくると、ロールズの批判はTJ からJF 、 PL にかけて一貫しているといえる9)。善(合理的な人生計画)についての共有された構想は存在

(9)

せず、それゆえ正義の原理を導くことが可能な卓越性についての共有された規準も存在しない、

というのがTJ におけるロールズのアリストテレスの完成主義批判であった。つづくJF 、PL では、

アリストテレス主義に基づく公民的人文主義を善についての包括的世界観に依拠している構想と して、「穏当な多元状態の事実」を踏まえてロールズは批判している。こうしたアリストテレス(主 義)の善の構想に対する批判は、BI での自然主義批判に遡ることができる。すなわち「善に対 する正の優先権」が最初期から晩期まで至るロールズの一貫した立場であったといえる。

 この「善に対する正の優先権」とは、「正義の諸原理は人々の善の追求を制約・統制する」(TJ sec.6)とロールズが明示的に主張している見解ではなく、アリストテレス(主義)の見解と比 較した上で、倫理学・政治哲学にあっては、「私はどうあるべきか、何を追求・最大化すべきか」

といった善に関わる道徳的考慮よりも、「私たちはどのように他者と協働すべきか」といった正 に関わる道徳的考慮の方が核心をなしている、という見解である10)

 この意味での「善に対する正の優先権」11)、すなわちロールズの自然主義、完成主義12)批判 の基底をなす思想は、『道徳哲学史講義』の「導入」の通奏低音を成している13)

古代人たちは、真の幸福ないし最高善へといたるための最も合理的な方法について問うたの であり、有徳な行いと、性格の諸側面としてのさまざま徳――勇気、節制、知恵、正義といっ た徳であるが、これらはそれ自体が善である――とが、その最高善といかに関係するのかを、

すなわち、手段として関係するのか、それとも構成要素として関係するのか、あるいは双方 として関係するのかを、探求したのである、と。他方、近代人たちは主として、あるいは少 なくとも最初は、正しい理性の下す権威ある指令である、と彼らのみなすものについて、ま た、理性のそういった指令が生み出す権利、義務、責務について、問うた。のちになっては じめて、彼らの注意は、それらの指令が私たちに追求し抱懐することを許す諸善へと移った

(LHMP 2/27)。

古代の道徳哲学と近代の道徳哲学との差異を、重視している道徳概念の違いとしてロールズは捉 えている。すなわち前者にあっては善概念(幸福、最高善)であり、後者にあっては正概念(権 利、義務、責務)である。

 古代の道徳哲学は対他的な諸徳も、結局は最高善に至るための手段、あるいは構成要素に過ぎ ないとみなしている点で、ひととひととの関係(間柄)を倫理の中心問題に据えていない。対し て近代の道徳哲学、そしてとりわけロールズの倫理学は権利・義務・責務といった正に関わる道 徳的概念を中心に考察がなされるが、これらは対他的な概念であり、間柄を前提している14)。ど のようなひととひと、市民と市民の関係が望ましいものであるのかという観点から、権利・義務・

責務の規定とそれらの公正な分配が考察すべき至要な問題として捉えられているのである。

 したがって、ロールズの倫理学上の立場を「間柄主義relationalism」として捉え返すならば、

(10)

規範倫理学にあっては契約主義(contractualism)15)、政治哲学にあっては公正としての正義(お よびその制度的実現である財産所有の民主制)16)、グローバル・ジャスティスにあっては関係主 義(relationism)17)、メタ倫理学にあっては構成主義18)というロールズの道徳・政治哲学上の 立場をシームレスな仕方で関連づけることが可能になる19)。ロールズによる正義構想の正当化や 適用範囲の変遷に関して、多くの批判が提起されてきた。しかしながら彼の根本となる倫理的立 場は一貫しており、全くぶれは見られない。

 すべての人が追求すべき善という呪縛と国家によるその強制からの解放が社会の安定性のため には要求されると考えるロールズであるが20)、それゆえロールズと(ロールズの解釈する)アリ ストテレスは正反対の立場に立つように思われる。しかしながらそれぞれが望ましいと考える政 治体制に関しては、注目すべき共通点を見いだすことができる。それは中間層を政治体制の根幹 と仮設している点である。

 ロールズとアリストテレス『政治学』21)

――「中間の国制」としての財産所有の民主制

 ロールズの道徳・政治哲学との関連においてアリストテレスの『政治学』の現代的意義を一つ あげるとするならば、それは政治体制における「中間層」への注目である(1295a27-1296b12)。

アリストテレスは現実的に最善の国制として、中間の人々が国家統治の権限を握る国制(「中間 の国制」)を論じているが、この「中間」が意味するのは、幸運、美しさ、力強さ、生まれ、富(財 産)、公職への意欲を適度に有している(中庸)ということであり、中間(中庸)の生を送って いるからこそ中間層の人々は――現実的には――最も幸福で有徳であると考えられている。こう した中間層が厚く、富裕層と貧困層のどちらよりも力がある国家は、「(富裕層によって支配され ている)極端な寡頭制と(貧困層によって支配されている)極端な民主制の中間」にあるため

(Miller 2017)、善く治められ安定的であり、軋轢・内乱が起こりにくい最善の国家であるとさ れている(1296a7-9)。

 財産を適度に所有している市民は政治的にも有徳であり22)、それゆえ彼らを中核とする国家に あっては最も善い政治が行われるとアリストテレスは論じているが、ロールズにあっても財産の 所有と市民の政治的徳性との連関性が考察されている。ロールズは「政治的諸徳」として、道理 にかなっていることや公正感覚、妥協の精神や互譲の精神、等を挙げているが、これらの諸徳は、

「すべての人が公共的に受け入れ可能な政治的条項に基づいて他者とともに協働する意欲と結び ついている」(PL 163)。それゆえこうした政治的徳性の土台には「正義感覚のための能力」23)

があることが見て取れるが、この道徳的能力の適切な発展と行使のためには個人的な独立と自尊 の感覚が不可欠であり、この独立と自尊の感覚のためには「個人的な財産を保有し、排他的に使

(11)

用する権利が保障されなければならない」、とロールズは述べている(JF 114f/201f)。

 社会の安定性において各市民が財産を適度に保有し、財産が市民に分散されていること――す なわち、過小な財しか保有していない市民がいる一方で、過度に財を保有している市民が存在し ている状況ではないこと――の重要性をロールズは指摘している。「富と資本の所有を分散させ ることにより、社会の一部が経済をコントロールし、間接的に政治生活そのものを牛耳るという 事態を防ぐように働く」制度として、「財産所有の民主制property-owning democracy」をロール ズは提起している(JF part IV)。財産所有の民主制は各期の終わりに、資産の乏しい人びとに所 得を再分配することによって富の集中を防ぐのではなく、就学前や就職前といった各期のはじめ に、生産的資産や教育、訓練された技能といった人的資本の広く行き渡った所有を、機会の公正 な平等を背景として確保するものである。所得の再分配だけでなく、富や資本的資産、そして人 的資本の「事前の分配pre-distribution」によって、適切な程度の社会的・経済的平等を地歩にし て自分自身のことは自分で何とかできる自律的な立場に全ての市民を就かせることにより、資本 主義的福祉国家における慢性的に福祉に依存する、挫折し意気消沈した下層階級の発生とともに、

資本の力によって富裕層が政治・経済を支配することを可能にする異常な富の集中を、財産所有 の民主制は防止できるとロールズは考えている24)

 厚い中間層からなる政治・経済システムの望ましさは、格差が拡大している現代において様々 に言及されている25)。格差の拡大は冨を富裕層に集中させるが、彼らは支出よりも貯蓄に冨を回 すため26)、需要が増えず経済が停滞に至っている。需要を担ってきた中間層の縮小は経済に影響 を与えるのみならず、政治にあってはリベラルな民主社会の基盤である「対等な市民たち」の存 在が縮減することにより、先進国の諸政府はポピュリズムや富裕層への優遇へとその政策の舵を 切っている。

 財・資産の再分配、そして事前分配による中間層――ロールズのタームでは自由かつ平等で理 性的な協働的市民――の創出、同等で同様な人々の涵養のための政策がロールズの財産所有の民 主制を特徴付けているが、『政治学』においても、現代の分配的正義とは異なるものの27)、財の 分配や中間層の育成に関してアリストテレスは考察している。

 たとえば、第五の種類の民主制にあっては「国家は当初よりもずっと大きくなり、特別な収入 も十分にあるおかげで、大衆が幅を利かせるようになり、それによってあらゆる市民が国家統治 にあずかるのである。ここでは、〔公務に対する〕手当を受け取ることによって、貧困者でさえも、

ゆとりをもつことができるため、あらゆる市民は国家統治に参与し、国家の運営にあずかるよう になっている」とアリストテレスは論じている(1293a1-12)。手当という形ではあるが、貧困 者に対して給付を行うことによって政治参加を可能にするという制度の考察をアリストテレスは 行っている。またこの第五の種類の民主制に関して、「真の意味での民主派がなすべきこととは、

特別な収入から生まれた余剰金を寄せ集めて、貧困者に一括して分配することである。その際、

できることなら、彼らが小さな土地を手に入れるのに足りるだけの金を集めるべきであるが、も

(12)

しそれができなければ、商売や農業の元手となるぐらいの額でもよい」という財の給付に関して もアリストテレスは論及している(1320a30-1320b1)28)

 また岩田靖夫は次のように「中間の国制」を説明している。

「中間の国制」を最善とするアリストテレスの思想は、できるだけ多くの市民を政治的理性 の所有者、中庸の徳を身につけた者、ほどほどの財産の保有者として育成し、哲人王にでは なく、かれらに政治的権力を委ねようとする思想である(岩田 2010,58)。

アリストテレスは、国制が安定的であるためには「国家の一部分だけが繁栄することに対しても

……警戒しなければならない。その予防策は……貧しい大衆と裕福な人々との融和を進めるか、

中間層を増やすように努めるべきである」と述べており(1308b24-31)、岩田が指摘するように、

中間層の「育成」に関わる言及がみられる29)30)

 ロールズの財産所有の民主制とアリストテレスの「中間の国制」との違いは、後者が奴隷制度 と完成主義という包括的な善の構想に依拠した上で、中間層が国家統治の権限を握る政体につい て考察している点にあり、こうした相違点はもちろん――本稿で論じてきたように――等閑視で きるものではない31)。それゆえ奴隷制度や包括的世界観に拠って立たずとも安定的な中間層から なる政体をどのような制度設計に基づいて構想すべきかが現代の私たちの課題となるが、その具 体的な一例として、ロールズの財産所有の民主制を位置づけることができる。

 結論

 本稿において、ロールズによるアリストテレスならびにアリストテレス主義への批判の変遷を 最初期から晩期にわたって検討したが、この考察を踏まえて「善に対する正の優先権」について の基底となる解釈を提示した。すなわち「善に対する正の優先権」とは、倫理学・政治哲学にあっ ては、「私はどうあるべきか、何を追求・最大化すべきか」といった善に関わる道徳的考慮よりも、

「私たちはどのように他者と協働すべきか」といった正に関わる道徳的考慮の方が根幹をなしてい る、という立場をあらわしている。またアリストテレスの「中間の国制」とロールズの財産所有 の民主制との間には理論上の共通性が存在すること、ならびに奴隷制や完成主義という包括的世 界観に依拠せずとも中間層から構成される政体を構想することは可能であることを提起した32) 本稿での考究を通して、ロールズの倫理的立場が間柄主義として特徴付けられうることを確認し たが、この間柄主義についての詳細な検討は稿を改めておこないたい。

(ふくま さとし・高崎経済大学地域政策学部教授)

(13)

1  本稿は2019年5月19日に開催された日本哲学会第78回大会ワークショップ「政治的な事柄を〈いま〉哲学するという こと――アリストテレス『政治学』を再読する意義の検討を手がかりとして」(首都大学東京南大沢キャンパス)におい て発表した原稿(「ロールズはアリストテレスをどう批判しているか?――その変遷と妥当性」)をもとに、大幅に加筆・

修正したものである。本稿を執筆する上で、本ワークショップでの質疑や他の発表者からの質問から大いに示唆を受けた。

本稿において、アリストテレスの著作からの引用に際して各出版社から出版されている様々な邦訳書(岩波文庫、岩波 書店『新版 アリストテレス全集』、光文社古典新訳文庫)を参照した。またジョン・ロールズの文献挙示は略記を用い(文 献表参照)、スラッシュの後の数字は邦訳の頁を示している(ロールズの著作からの引用に際しては邦訳のあるものは邦 訳書を参照したが、一部翻訳を変更している)。

2  T.フルカは完成主義を「知識、達成、芸術的創造といった人間の特定の状態や活動が、それらがもたらす快や幸福とは 無関係に善であり、そして道徳的に正しいこととは、こうした人間的「卓越」や「完成」を最も促進する事柄である」

ことを主張する道徳理論として定義している(Hurka1998)。

3  (Kraut 2015,360)を参照。

4  また完成主義はメタ倫理学的には実在論を支持する立場であり、ロールズの構成主義とは相容れない。ロールズにあっ て卓越とは、「私たちが備えることを欲することが誰にとっても(私たち自身を含めて)合理的であるような、人の特性 や才能」であり(TJ 389/582)、合理的に欲せられる対象である故に卓越は善となる。他方完成主義にあっては実在論 的に、卓越は善であるからすべての人によって欲せられる・目指されるべき対象であると考えられている。

5  「政治的諸徳」についてはVIを参照。

6  ロールズは公民的共和主義にも言及している。基本的な政治的諸価値が論争の対象になる際における、熟議的な政治的 討論を重視する熟議民主主義の立場として公民的共和主義を説明しており、公正としての正義と目的を共有していると ロールズは述べている(JF 146n/382,150/265)。

7  (田中 2017,167)を参照。

8  ロールズは公民的人文主義を「理にかなっていない」包括的世界観と明示的には規定していないが、そのように解釈し るうる根拠として、公民的人文主義に対して手厳しい評価をしている点が挙げられる。たとえば、「政治的なるものへの ハーバーマスの表面上の強調は(もしそれを意図しているとするならば)、公民的人文主義という理念が――すなわち、

人間がその最も十全たる実現、つまり彼らの最高善を成就する活動とは政治的生の諸活動であるという理念が――真で あると想定される場合に限り、とにかくもっともらしいと思われる。……それでもやはり、公正としての正義はそのよ うないかなる声明も拒絶する。すなわち、市民社会の善を公共的生の善の下位に置くことを公正としての正義は誤りで あると見なすのである」とロールズは述べている(PL 420f)。また他の箇所では本文で引用しているように、公正とし ての正義と「両立可能ではない」や、「拒絶する」(JF 143/255)、「根本的に対立する」(CP 409;PL 206)といった表現 を公民的人文主義に対して用いている。「政治的リベラリズムはいかなる理にかなった見解も攻撃したり、あるいは批判 することはない」(PL xix)という言明を鑑みるならば、公民的人文主義は理にかなった見解・世界観ではないゆえに、

こうした評価をロールズは下していると判断しうる。人々の市民的自由や権利への脅威となるものとして、政治的生の 諸活動を最高善とする公民的人文主義をロールズは「明示的に拒絶している」のである(Mulhall and Swift 2003,472f)。

9  ちなみにロールズの博士論文(SG,1950)にもアリストテレスへの言及(『ニコマコス倫理学』と『形而上学』)があり、

アリストテレスをアクイナスと共に、人間の自然本性の際立った特質に訴えることで倫理理論において提示される諸原 理を支持・正当化する「完成理論perfection theories」を例証する哲学者として、ロールズは説明している(SG 326)。

また『論文集』(CP,1999)に収録されている雑誌論文においては、『ニコマコス倫理学』の他に『弁論術』への言及が あり、アリストテレスを合理的直観主義者として――合理的直観主義を目的論的完成主義と形而上学的完成主義を結び つけた見解としてロールズは解釈している(CP 343n)――、あるいは共通善の観念に影響を与えた論者として、ロー ルズは説明している(CP 583n)。『万民の法』(LP,1999)にはCP と同じ論文が収録されているため(“The Idea of Public Reason Revisited”)、共通善についての同じ記述がある。

10 近年ハーバード大学のロールズ・アーカイブに保管されている未公表原稿を基に、ロールズの思想形成史に関する論文 が発表されている(cf. (Mark and Gališanka 2012),(Gališanka 2013;2019))。これらの研究書にあっては、ロールズ は論理実証主義から多大なる影響を受けている実証主義者であり、この実証主義の立場は『正義論』出版後も修正され た形で残存しているという見解が示されている。これらの思想史研究はロールズの方法論上の発展史を理解する上では 極めて有益であるが、ロールズが何を最も根本的な哲学・倫理学上の問題として考察していたのかについては、掘り下 げて検討されていない。

11 ロールズはPL では「善に対する正の優先権」に関して、その一般的意味(general meaning)と特定の意味(particular meaning)を区別している(Ablberg 2015)。一般的意味にあっては「善に対する正の優先権」は、「用いられる善の理 念は政治的な理念でなければならない。したがって私たちは包括的な善の構想に依拠するのではなく、〔正義の〕政治的 構想に収まるよう調整された善の理念にのみ依拠する必要がある」ことを意味し、他方特定の意味にあっては「正義の 諸原理は許容可能な生き方に制約を課している。すなわち、この制約を逸脱する目的を追求するという市民の権利要求 は価値を有さない」ことを意味している(PL 209)。後者の特定の意味はTJ での「善に対する正の優先権」の意味に準 じているが、本稿で提示した「善に対する正の優先権」は、この一般的意味と特定の意味の基底にあるロールズの倫理 観として位置づけることができる。

(14)

12 『政治哲学史講義』においても完成主義への言及はあるが、それはJ.S.ミルの理論における完成主義的な価値の位置づけ に関するものとなっている(LHPP 311ff/559-562)。ちなみにロールズはミルを完成主義者とはみなしていない。

13 『道徳哲学史講義』は1970年代から開講されてきたロールズの道徳哲学に関する講義の最終版ハンドアウト(1991年)

を基に、バーバラ・ハーマンが編纂し、2000年に出版されている。

14 ロールズは完成主義において想定されている「自らに対する義務self-regarding duties, duties to self」を承認していない。

その理由は「原初状態における当事者たちは、社会において自らは合理的でかつ暮らしを取り仕切ることができると想 定している」ため、自らに対する義務は「自分の善を増進するために必要ではない」からである(TJ 218f/334f)。それ ゆえロールズにあって義務は対他的な道徳概念であるといえる。

15 ロールズはBI において、社会契約説を「社会は自己本位の個人の間での交渉に基づいて形成されると主張する立場」と して解釈し、それを批判している(BI 126, 227f)。現代の用語で敷衍するならば、規範理論としての社会契約説は「契 約論contractarianism」と「契約主義contractualism」に区別できるが(Cudd and Eftekhari 2018)、ホッブズ流の、自 己利益の最大化を目指して道徳原理に至るとみる「契約論」から、カント流の、他者に対する尊重を背景にした、各人 に対して正当化可能なものとして道徳原理を捉える「契約主義」へと、ロールズの社会契約説解釈は変化している。

16 財産所有の民主制については次節で論じる。

17 ロールズはグローバル・ジャスティスに関して関係主義者であると自称している訳ではない。「重荷に苦しむ社会」に対 する援助義務を「人道的な義務」としてロールズは捉えており、「正義の義務」として要求されるものとして位置づけて いない点、そして援助には閾値(達成目標)が存在し、諸国家(民衆)間の平等化が目指されるものではない点が、批 判の的になっている(福間 2016,63)。正義の義務は基礎的な諸制度が前提された関係においてのみ要請されると解釈さ れるロールズの立場が、グローバル・ジャスティス論の文脈において「関係主義」と名付けられている。(Sangiovanni 2007,5f)、(瀧川 2014)を参照。

18 とりわけ間柄主義(一階のレベル)と構成主義(二階のレベル)との結び付きについては詳細な説明が必要になる。こ の課題については稿を改めて論じたい。

19 ロールズにおけるメタ倫理学、規範倫理学、政治哲学の連関性に関しては、(福間 2007)を参照。しかしこの著作にお いては「間柄主義」という用語は用いられていない。

20 合理的な人々において共有可能な善としてロールズは「社会的基本財social primary goods」(TJ 54f/86f)を提示してお り(善の希薄理論thin theory of the good)、TJ の第三部においては善の詳細な分析を行い(善の完全理論full theory of the good)、「正と善の一致」について考察している。それゆえ何が善であるのかという問いを――もちろんのことなが ら――ロールズは倫理学において排除している訳ではない(「善と正は相補的である」ともロールズは述べている(JF 140/250))。本稿で提起した「善に対する正の優先権」とはゆえに、善についての考察は倫理学において本質的ではな いという立場ではなく、すべての人が目指すべきであり、追求することが強制可能でもある「大文字の善(最高善)」は 倫理学の第一の考察対象ではない、ということを意味している。それゆえロールズがPL において展開した完成主義的な 包括的な善の構想への批判は、BI での「自然主義」批判からの発展と見なしうる。

21 ロールズの著作において『ニコマコス倫理学』への言及は散見されるが、管見の限り、公刊された著作の中でアリスト テレスの『政治学』に対する言及は一カ所のみである(TJ 214/329)。(BI において文献挙示(BI 253)はある。)

22 中間層の人々は「最も容易に理性に従うこと」ができるのであり(1295b5)、「公職の座を忌避することも、それを熱心 に追い求めることも、どちらも国家にとって有害であるのだが、そのようなことを最もしそうにないのが中間層の人々 なのである」(1295b11-13)。

23 ロールズはPL では正義感覚を次のように説明している。「正義感覚は社会的協働の公正な条項を特徴付けている正義の 公共的構想を理解・適用し、その構想から行動するといった能力である。正当化の公共的な基礎を特定するという〔正 義の〕政治的構想の特質を鑑みるならば、正義感覚はまた、他の人びととの関係においては、〔私たちだけでなく〕彼ら も公共的に是認しうる条項に基づいて行為したいという(欲求とはいわないまでも)意欲を表明している」(PL 19)。

24 (福間 2014,第4章第3節)を参照。

25 『平成24年版 労働経済の分析 -分厚い中間層の復活に向けた課題-』第2章「貧困・格差の現状と分厚い中間層の復 活に向けた課題」(2019年5月1日閲覧)、および(Levin-Waldman 2016)を参照。

26 『週刊東洋経済』(2015年2月28日号)「資源は制約になるか」p.94。

27 アリストテレスの正義論に関しては、(Johnston 2011,ch.3)を参照。

28 この引用内の「特別な手当」に関しては、岩波書店『新版 アリストテレス全集17』341ページ、補注(4)を参照。

29 しかしながらいかなる方策によって中間層を「増やす」べきであるのかは明らかではない。ある国制において中間層が 増加するとしても、国家(ポリス)が積極的に市民を中間層として育成した結果としてではなく、「平和のためか、ある いは何らかの幸運のために繁栄が訪れた」結果である、と論じられている箇所もある(1306b10)。

30 貧困者への手当や給付、中間層の育成についてのアリストテレスの言及に関してどのように評価すべきかについて、ワー クショップの共同発表者であった相澤康隆氏と稲村一隆氏(ともにアリストテレス研究者)から教えを受けた。教えを 受ける以前は、こうしたアリストテレスの言及に関して否定的な評価をわたしは下していたが、現時点では中立的な評 価に変わっている。すなわち以前は、とりわけ手当や給付に関しては、これらは第五の種類の民主制である「究極の民 主制」(1319b2-b33)で行われることであり、僭主制に最も近い国制で施行される政策であるため、望ましいものとア リストテレスは見なしてはいないと判断される、と考えていた。しかし現時点では、各国家(ポリス)の所与の状況に

(15)

応じて(富裕層と大衆の割合、富裕の程度、等)、「現実的」に適切な国制をアリストテレスは考察しているのであって、

貧困者への手当や給付、中間層の育成をすべきであるような状況もあると考えていたのであり、それらの政策はそうし た状況では行政上は適切であるとアリストテレスは見なしていたと判断すべきであって、そうした政策に対する規範的

(道徳的・倫理的)な評価をアリストテレスは下してはいないのではないか、とは考えるに至った。『政治学』の邦訳に おける用語、およびアリストテレスの『政治学』における発想に関して、解説の労をとってくれた相澤氏と稲村氏に感 謝する。

31 しかしながらこうした相違にもかかわらず、中間層から成る政体を両者がともに支持しているのは、意義深い。

32 アリストテレスはいわば「非理想理論」として「中間の国制」を提唱し、ロールズにはあっては「理想理論」として財 産所有の民主制は構想されている。財産所有の民主制を非理想理論として提示する一つの方策として、ロールズの著作 において含意されている、「すべての健常な人々に対する労働への奨励」(Freeman 2007,229)を無くし、ベーシックイ ンカムを導入するという施策を挙げうる。財産所有の民主制を構成する諸制度の一つとしてベーシックインカムを組み 入れるという提案に関しては、(Fukuma 2017)を参照。

文献表

ロールズの著作とその略称

A Brief Inquiry into the Meaning of Sin and Faith, with “My Religion” (BI ). ed. Thomas Nagel. Harvard University Press, 2009.

Collected Papers (CP ). ed. Samuel Freeman. Harvard University Press, 1999.

Justice as Fairness: A Restatement (JF ). ed. Erin Kelly. Harvard University Press, 2001.(邦訳)ジョン・ロールズ『公正として の正義 再説』(田中成明・亀本洋・平井亮輔訳)岩波書店,2004年.

The Law of Peoples, with “The Idea of Public Reason Revisited” (LP ). Harvard University Press, 1999.(邦訳)ジョン・ロールズ『万 民の法』(中山竜一訳)岩波書店,2006年.

Lectures on the History of Moral Philosophy (LHMP ). ed. Barbara Herman. Harvard University Press,2000.(邦訳)ジョン・ロー ルズ『ロールズ 哲学史講義』上・下(坂部恵一ほか訳)みすず書房,2005年.

Lectures on the History of Political Philosophy (LHPP ). ed. Samuel Freeman. Harvard University Press,2007.(邦訳)ジョン・ロー ルズ『ロールズ 政治哲学史講義』Ⅰ・Ⅱ(齋藤純一ほか訳)岩波書店,2011年.

Political Liberalism (PL ), expanded edn. Columbia University Press, 2005.

“A Study in the Grounds of Ethical Knowledge: Considered with Reference to Judgments on the Moral Worth of Character” (SG), Ph.D. Dissertation, Princeton University, 1950.

A Theory of Justice (TJ ), rev. edn. Harvard University Press. 1999 (original ed. 1971).(邦訳)ジョン・ロールズ『正義論 改 訂版』(川本隆史・福間聡・神島祐子訳)紀伊國屋書店,2010年.

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*本研究はJSPS科研費 JP17H02257およびJP19K00034の助成を受けたものです。

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