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くぐひ 1 平成 28 年 7 月 1 日くげぬま探求クラブ 第 86 号 ( 夏号 ) くげぬま探求クラブは現在 57 名の会員が 地域貢献 と 親睦 研鑽 を主眼に活動している 今回は 地域貢献 について述べたいと思う それらは概ね 3 つの柱によって構成されている 毎月の部会活動が中心の 地域

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くぐひ・・・1 平成 28 年 7 月 1 日 くげぬま探求クラブ 第 86 号(夏号)

くげぬま探求クラブは現在 57 名の会員が

「地

域貢献」と「親睦・研鑽」を主眼に活動してい

る。今回は「地域貢献」について述べたいと思

う。それらは概ね 3 つの柱によって構成されて

いる。毎月の部会活動が中心の「地域活動」、

凧あげやサンタの出前などの「季節ごとのイベ

ント」、そして秋の「鵠沼地区公民館まつり」

の 3 つである。個々の行事やイベントについて

はその都度当クラブのホームページや月例会

などに参加人数などの詳細が紹介されている

が、年間全体を集計してみたことがなかった。

そこで今回は昨年度一年間(27/3~28/2)をま

とめて、我々の活動状況がどのようなものかを

俯瞰してみた。(詳細データはクラブホームペ

ージに掲載してあります)

[地域活動]

現在 8 つの部会があり毎月活動している。年

間の活動参加は会員が 1,415 人、子ども、保護

者など会員以外が 2,420 人であった。この中で

ヤングハーツ、おもちゃの病院、子どもと遊ぶ

会、鵠っ子囲碁・将棋ルームにおける会員以外

の参加者が目立った。

ただし、鵠沼松が岡公園愛護会などのような

公園清掃などが主な活動の場合、外部の参加者

が少なく地道な活動であるが、鵠沼の原風景で

ある松林を保全するという地域への貢献を行

っている。また、災害研究部会、極楽部会のよ

うに発足間もないが、今後活動成果が他のクラ

ブ員や、いざという時の近隣住民、町内会等へ

重要な情報発信をすることで、貢献することが

期待される部会活動もある。地域活動以外の部

会でも、農園部会のようにひまわりを育てて種

を収穫し、東北の地震災害支援に協力している

部会がある。

[季節ごとのイベント]

もちつき、凧あげ、片瀬小学校の竹笛作り、

藤が谷公園の園児と春・秋の花植え、流しそう

めん、鵠洋児童館の焼きいも、手作りおもちゃ、

サンタの出前、豆まきなどの行事が行われ、参

加人員は会員 151 人、その他 1,447 人であった。

特にサンタの出前は幼稚園児と保護者などの

参加人員が 555 人と多かった。

[公民館まつり]

古本の受付、焼きいもの材料購入、おもちゃ

の材料準備など、公民館まつりの準備には多く

の段取りがあり、当日の仕事を含め会員は延べ

255 人が参加してまつりを支えた。集めた古本

は 12,600 冊、売り上げた古本 6,300 冊、焼き

いも売り上げ 800 本、囲碁・将棋来訪者 70 人、

手作りおもちゃ売り上げ総数 526 個と大盛況で

あった。

以上の 3 本柱の会員の参加合計人数は 1,821

人である。健康上の事情や、現在も仕事をして

いる人がいる状況を考えると、会員の一人平均

年間参加回数が 32 回というのは非常に大きな

数字である。すなわち会員のほぼ全員が 10 日

に 1 回の割合で地域貢献活動に参加しているこ

とになり、当クラブとして誇れるものであると

おもう。

また、会員以外の参加者の状況も、地域活動

と季節ごとのイベントの合計で 3,867 人となり、

公民館まつりの参加人数もかなりの数に達し、

当クラブの地域貢献度を如実にあらわしてい

る。

親睦研鑽部会およびお花見などの親睦活動

は次号に掲載します。

(2)

くぐひ・・・2 ヤングハーツは平成 12 年 2 月に発足、今年で 16 年になります。「歳はとっても心はいつまでも若い」 ということから命名されました。 楽器とボーカルで施設を毎月定期的に訪問し、懐 かしい歌や流行り歌を皆さんに歌ってもらってい ます。 楽器部はハーモニカ数本からスタートし、今は、 ウクレレ、マンドリン、フルート、エレキベースな どが加わっています。楽器構成からすると、およそ バンドとしては妙な組み合わせですが、それもその はず、メンバーは手持ちの得意な楽器で参加してい るということなのです。 ボーカル部は、会場の皆さんの歌唱のリード役が メインですがさらに歌詞カードを配り、歌が進むに つれてカードめくりを手伝い、カスタネットで拍子 を取るなど、会場を大いに盛り上げる大切な部分を 担当しています。 活動は月に1回の練習と鵠生園、清心会藤沢病院 への定期訪問を行っていますが、他に鵠洋児童館の クリスマス会、ボランティアセンター「ささえ」、 鵠沼地区敬老会、鵠沼公民館の「春のコンサート」 などへ出演しています。 音楽に関するいくつかの研究から、声を出して歌 えば脳を刺激することが解明されつつあります。知 っている歌を歌ったり聴いたりする時に、それに連 なる想い出や出来事からさらに記憶をたどってい こうとすることが、脳の活性化につながるのでしょ う。 「ありがとう!また来てね」、「懐かしい歌を聴い て胸がいっぱいになった」などの声を頂き、喜ばれ ている様子が伝わってきます。普段はほとんど反応 を示せない方でも歌を聴いて涙を流されているの を見ることもあり、間違いなく歌が心に届いていて、 色々な想い出とつながっているだろうと確信する 瞬 間 で す 。 誕 生 日 の 歌 も 始 め ま し た 。“ Happy Birthday! Dear ○○さん”と歌いかけると素晴ら しい笑顔が返ってきます。そんな笑顔に私たちも癒 され、感動をいただくひと時です。 ヤングハーツの活動は歌や演奏を聴いてもらう のではなく、みなさんの歌のお手伝いということに 徹しています。 あ なたも この素晴 らしい 活動に 参加しま せん か? お待ちしています。 当部会は現存している名所・街道・旧跡(石仏、 道標、記念碑等)、神社・仏閣、地域行事などを通 して、そこで先人たちがどんなことを願い・祈り、 活動・生活して来たのかを知るため地域散策をして います。 今までに行事として「藤沢市文化財ハイキング」 の市内 20 コース、古道を歩くシリーズ(田村通り 大山道、江の島道、矢倉沢往還)、神奈川県名所史 跡 45 選、相模国府 6 社めぐり、相模 13 延喜式内社 めぐり、近隣の街めぐり(皇居、浜離宮、八王子、 町田、横須賀、久里浜、茅ケ崎、座間、綾瀬、小田 原、大和、開成など)、相模新西国 33 観音札所めぐ り、坂東 33 観音霊場めぐり(うち、県内 9 札所)、 東海道・神奈川の宿場めぐり(川崎宿、神奈川宿、 保土ヶ谷宿、戸塚宿、藤沢宿、平塚宿、大磯宿、小 田原宿、箱根宿)、そして毎年、新年に健康部会と 合同で「七福神めぐり(藤沢、鎌倉、平塚、東京・ 深川、東京・谷中、川崎大師)」等を行って来まし た。 探訪する中で地元の人や参加メンバーからの昔 話・四方山話を聞いたり、立ち寄り先でのお茶や漬 物のふるまいを受けるなどのハプニング、また、各 地の名物(地酒、地ビール、和菓子、パン、そば、 丼ぶりもの等)に舌鼓を打つなどの楽しさも味わっ て来ました。 探訪は人間のいとなみ・文化活動を訪ね歩くこと により、日常生活の量的な変化でなく、質的な変化 を味わえるもので、その題材はどこにでもあるもの です。そして見聞する人によってその受け止め方も さまざま、知識や関心度の違いによって探訪の理解 の深さが大きく変わるものと感じています。それだ けに、これからも参加者がより一層、理解を深め楽 し さ を 味 わ え るよう、鳥居・ 狛犬・石仏・古 文 書 な ど 色 々 な 知 識 を さ ら に 取 り 入 れ な がら、探訪活動 を 続 け て い き た い と 思 っ て います。

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くぐひ・・・3 77 号(2014 年春号)で<復活した『談話室』> として投稿させて頂いた様に平成 8 年に産声を上げ 「くげぬま探求クラブ」の歴史と共に歩み続けてき ました。一時中断する危機をも乗り越え平成 24 年 8 月に小山前部長のもと再開され更に平成 27 年 4 月 から私(田中力)が部会長を“拝命”し今に至って います。 この一年を振り返ると数名の世話人+長老+中 堅とほぼ固定された 10 人前後のメンバーで ①休会 制度の是非 ②長期欠席者の扱い ③例会資料、くぐ ひ、HP の見直し ④公民館まつりの反省点等々世話 人マターの話題やまた ①ボランティア活動 ②サ ンタの出前などに対する取り組み姿勢 ③クラブ入 会時の趣旨説明の再徹底など問題提起して種々当 クラブの日頃の活動に即したテーマが話題となっ ています。日頃の活動そのものが話題となりややも すると世話人会の二次的要素もあるというご批判 も受けるがそれはそれとして各部会活動を横断的 に見渡せる唯一の部会として大いに評価できると 思います。是非新規入会者には積極的な参加を望み たいものです。 また当部会の特徴である新規部会の掘り起しも 大きな役割です。直近ではシニア問題研究の必要性 から昨年 9 月に正式に「極楽部会」が発足しました。 この背景にはクラブ員の高齢化が進み終活が他 人事ではなくなり、やはり当部会から誕生した「災 害研究部会」のソフト版という事で呼称も含めて昨 年 5 月頃から準備が進められクラブ員その他に貢献 できるものと敢えて地域活動部門に組み入れられ ました。今後ともその時々の話題を大した準備もな くそれぞれ勝手に言いたい事を言い、時には大いに 議論しまたジックリ相手の言う事を傾聴します。 (これが重要かつ必要な事) 私は談話室そのものが傾聴するボランティア部 門だと自負しています。雑談する事が当クラブの活 性化に繋がり更に皆さんの健康寿命の引き延ばし に役立てたらこんなに良いことはないと思ってい ます。 私の好きな歌手、中島みゆきの“糸“の歌詞をこ こに引用します。

♪♪なぜ巡り逢うのかを 私たちは何も知らない♪遠い空の下 ふたつの物語♪

縦の糸は貴方♪ 横の糸は私♪ 織りなす布は いつか誰かを暖めうるかもしれない♪

逢うべき糸に出逢えることを♪人は仕合せと呼びます♪♪

この談話室で仕合せ(幸せ)を掴むことを願っています。

クラブ短信

1 黒川さん追悼 “五月雨るる 今亡き人の 部屋の窓” サロン会定例日の 5 月 21 日、29 名の参加のもと鵠南市民の家で、急逝された黒川サロン会部会長の 遺影を囲み偲ぶ会を開催。献杯のあと、全員が想い出やエピソードを語り、高橋似歌会部会長の即興 の追悼句(冒頭の句)の披露、池田(雅)さんのフルート、ヤングハーツの演奏により全員が合唱し 黒川さんの在りし日を偲びながらご冥福を祈った。 (サロン会) 2 子どもの多さに青息吐息も楽しさいっぱい! 5 月 14 日、鵠南子どもの家・ひょっこり鵠南島は、開設 25 周年記念のひょっこりまつりに 8 名の仲 間が輪ゴム鉄砲を持って参加した。開場前の子どもの列にびっくり、122 名の子どもが集まりその準 備と対応にメンバーは大わらわ。的場では子どもたちが真剣な表情で的を狙い、命中した時の嬉々と した瞳にメンバーも思わずニコリ。 同 22 日には鵠洋児童館の手作り凧あげ会。参加した 29 名の子どもたちを 6 班に分けグニャ凧の製作 指導をした。全作品の展示発表会のあと持参のお弁当とお母さん方が作った豚汁に舌つづみを打ち、 その勢いでサーフビレッジへ凧揚げに向かう。 凧揚げ日和の湘南の空に凧が舞いあちこちに歓声が上がった。 (子どもと遊ぶ会) 「くげぬま探求クラブ」はあなたの入会をお待ちしています。 「会社人間から社会人間へ」を目指す方々は「発行人の池田」までご連絡下さい。 ホームページアドレス http://kugenumatankyuclub.web.fc2.com/ 「くげぬま探求」または「鵠沼探求」で検索してください

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くぐひ・・・4 インターネットの SNS(ミクシィ)で高校同期の 仲間と情報交換をしている。少し前になるが、高校 2 年の時の修学旅行を思い出してみようとテーマに 上げてみた。50 年ほども前のことをどれくらい覚え ているのか確かめたかったからだ。30 人を超える同 期のミクシィメンバーから 50 件近い書き込みがあ り全容が解明されたのだが、私の記憶がかなり正し かったことがわかった。最終的には当時の行程表を 大事に保管してくれていた城崎に住む女性から正 解を教えてもらったりもした。 正解は、11 泊 12 日。豪勢な旅と思われるだろう が実はとんでもない強行苦行の旅だったのだ。 9月末、旭川駅を貸し切り臨時列車で夕方に出発、 函館に着くまでに早くも 1 回の車中泊となる。今は 特急で 5 時間半ほどの行程だが、臨時ダイヤで走っ ているため通常ダイヤの間を縫うことになる。駅舎 の他は何もないというような駅で退避のため 2 時間 ほども停車していることがあって道内だけで 12 時 間ほど掛かって 2 日目早朝に函館着。 午後一番の青函連絡船で青森へ。青森までは 4 時 間半ほどの船旅、生まれてから数回目という大海原 を心地よい潮風に吹かれながら津軽海峡を渡る。夕 刻青森に着いて再び列車の旅となる。車窓から見え た庭先の黄色いものが柿だと知って驚いた。北海道 では柿の木はなくてすべて箱に入って売られてい たので、果樹園で栽培されて出荷されるものと思っ ていたからだ。 青森を夕方出るということは再び車中泊という ことだ。2 等車の車中泊がどのようなことになるか というと 4 人掛けボックス席でそのままでは横にな ることができない。そこで二人は座席、二人は床に 新聞紙を敷いて交代しながらということになる。今 考えたら埃っぽい床に学生服の恰好で寝るわけだ からおよそ汚れきっての旅だったろうと思う。当然 女子も同じだ(着替えはあったかもしれない)。 3 日目早朝、宇都宮着。ここからはバスで日光を 見学して東京へ。高速道路などない時代だから午後 早めに日光を出て夜、東京本郷の宿に到着。ようや く柔らかい布団に寝ることができた。皇居、国会議 事堂、羽田空港を見ただろうか。午後は横浜、鎌倉、 江の島までやってきた。昼は江の島入り口の旅館で ライスカレーを食べた記憶が残っている。まさかそ の近くで将来生活することになるなどとは知る由 もない。東京へ戻り、再び夜行列車で京都へ向かう。 3 度目の車中泊ともなると慣れたものでどこからと もなく新聞紙を大量に仕入れてくる者もいて床に 寝る番の人は 1 枚の新聞紙から 5 枚ほどになって少 しは暖かく寝られたようだ。 京都では 3 泊して京都、大阪、奈良市内に比叡山 も回るという盛りだくさんの行程であった。 さて、ここまで何泊したかというと、車中泊が 3 泊、宿が 4 泊。 さらに旅は続く。8 日目に京都を後に再び東京へ 戻り、東京では2泊。最後の一日は終日自由行動の 日。親友と銀ブラをした後東京タワーへ行こうとい うことにした。日比谷まで行くと東京タワーが見え た。見えるということは意外に近いのだから歩こう ということになった。それまでに見た最も高い建造 物は札幌テレビ塔(147m)だったがそれと同じく らいに見えた気がしたのでそう思い込んでしまっ たのだ。歩き始めたのはいいが行けども行けども辿 り着かない。あちこち見ながらのウォーキングだか ら 2~3 時間も歩いただろうか。午後の行程はもう 東京タワー1か所で終わってしまい、「何だかなぁ」 ということで東京は終わり。この後またまた2泊の 車中泊をして旭川へ戻った。 全行程、11 泊 12 日のうち恐怖の車中泊 5 泊とい う凄まじい修学旅行だったのだが、それをきっかけ に同期全クラス 450 人ほどが何だか妙に親しくなり、 いまだにクラスを越えて付き合うきっかけになっ たと信じている。 体力も気力も全盛のころの楽しい想い出である。 同期の長谷川君提供

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くぐひ・・・5

あ の 元 気 い っ ぱ い だ っ た 黒 川 さ ん は 今 は 亡 い 。 突 然 冥 界 へ 行 っ て し ま っ た 。 い ろ い ろ な 思 い 出 が 尽 き な い 。 初 め て の 出 会 い は 日 大 藤 沢 の 満 開 の 桜 の 下 で あ っ た 。 ヤ ン グ ハ ー ツ の ハ ー モ ニ カ で 初 め て 吹 い た 曲 は 「 影 を 慕 い て 」 だ っ た か な 。 会 報 「 く ぐ ひ 」 に 初 め て 書 い て も ら っ た 原 稿 は 餅 つ き ボ ラ ン テ ィ ア の 体 験 談 だ っ た 。 「 く ぐ ひ 」 1 6 号 に 以 下 の よ う に 書 い て い る 。 「 心 地 良 い 疲 れ の あ と で 餅 を 食 べ な が ら 感 じ た の は 、 今 日 は 来 て 良 か っ た と い う こ と 。 ボ ラ ン テ ィ ア が 出 来 た こ と に 自 信 が 持 て ま し た 。 ボ ラ ン テ ィ ア は 自 分 か ら 進 ん で 思 い 切 っ て や る こ と で す 。 今 私 は 上 手 に 老 い た い と 考 え て い ま す 。 」 長 い お 付 き 合 い の 中 で 感 じ て い た の は 人 柄 の 良 さ と 誠 実 さ で あ っ た 。 自 ら 実 践 す る 人 だ っ た 。 酒 は 焼 酎 が 好 き だ っ た 。 酔 う と 陽 気 に な り 口 数 が 多 く な っ た 。 な ん だ か 「 剛 毅 木 訥 」 と い う 言 葉 が 思 い 浮 か ぶ 。 「 仁 に 近 し 」 だ 。 今 年 三 月 中 旬 、 「 バ レ ン の 会 木 版 画 展 」 が 開 か れ た 。 黒 川 さ ん の 作 品 は 「 晩 秋 」 と 「 あ じ さ い 」 で あ っ た 。 「 晩 秋 」 は 熟 柿 の よ う な 真 っ 赤 な 地 面 に ま っ 黒 な 朽 ち 木 が 立 ち 並 ぶ 林 を 描 い て い る 。 幹 も 枝 も 備 長 炭 の 切 れ 端 を 組 み 立 て た よ う で 不 思 議 な 雰 囲 気 を 醸 し て い る 。 幻 想 的 な 光 景 だ 。 幻 覚 を さ え 感 じ さ せ る 。 ク ロ ち ゃ ん は こ の 幻 想 の 林 の 奥 へ 足 取 り 早 く 消 え て 行 っ て し ま っ た よ う な 気 が す る 。 合 掌

ち や う ど 1 5 年 前 の 1 0 月 、 例 会 に 初 参 加 し た ん で す が 、 当 然 反 省 会 に も 参 加 し ま し た 。 鵠 沼 海 岸 駅 か ら 商 店 街 を 左 折 し て す ぐ 右 に ウ ッ デ ィ ー な ラ ー メ ン 屋 が あ る が 、 そ こ は 以 前 ジ ャ ッ キ ー と い ふ ト ン カ ツ 食 堂 で あ っ た 。 こ こ で 1 0 人 ほ ど の 先 輩 に ま じ り も ぢ も ぢ し て ゐ た ら 、 黒 ち ゃ ん を ク ラ ブ に 招 き 入 れ た 方 で 今 は O B の 鈴 木 幸 四 郎 さ ん 、 「 お 酒 ! 常 温 ! 」 、 続 い て 新 入 り も 「 常 温 ! 」 。 で 、 煮 大 根 を つ ま み に コ ッ プ 酒 を チ ビ チ ビ や っ て た ら 、 少 し 向 か ふ か ら 、 や に 目 つ き の 鋭 い 男 が 近 づ い て く る 。 や べ ー と お も っ て コ ッ プ 酒 を 握 り し め 一 瞬 身 構 へ た ら 、 鋭 い 目 が に た に こ っ と し て オ レ を 見 て く れ た 。 力 が ほ っ と 抜 け て 、 正 一 合 を 三 杯 い た だ い た 。 こ れ が 黒 ち ゃ ん と の 最 初 の 出 会 ひ な の で し た 。 じ ら い 色 ん な こ と で 行 動 を と も に し ま し た が 、 と く に 多 か っ た の は 健 康 部 会 、 そ れ と 料 理 関 係 だ っ た か な 。 健 康 部 会 に は 数 へ き れ な い 程 参 加 し た が 、 昼 時 に な る と い つ も 適 当 な 野 っ 原 で 弁 当 だ 。 す る と ど ち ら か ら と も つ か ず 、 お 互 ひ 隣 に し ゃ が み 込 む 。 彼 は 必 ず タ ッ パ ー に 自 作 の オ カ ズ を 詰 め て く る の だ が 、 そ こ に は か な ら ず 卵 焼 き が 鎮 座 し て ゐ る 。 こ れ で 一 杯 や る の が オ レ の 狙 ひ で あ っ た 。 彼 の リ ュ ッ ク に は ビ ニ ー ル シ ー ト 、 コ ッ プ 、 バ ン ド エ イ ト 等 便 利 な も の が 揃 っ て ゐ て ず い ぶ ん と 助 か っ た も の だ 。 「 さ ざ え の 会 」 と い ふ 男 の 料 理 会 で は 、 ア ジ の 捌 き 方 と か 古 参 コ ー チ さ な が ら ビ シ バ シ と 指 導 し て く れ た 。 男 や も め の 「 や も を 会 」 と い ふ の に も 、 買 い 出 し か ら 料 理 ま で や っ て く れ 、 わ れ わ れ 「 や も を 」 は 大 い に 堪 能 し た し 、 口 う る さ い だ け に 料 理 の 勉 強 に も な っ た 。 ど う も 食 べ 物 系 ば か り の 思 ひ 出 話 に な り ま し た 。 合 掌

「晩 秋」

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くぐひ・・・6

湘南かわら版

私がこのクラブに入会したのが 14 年前、以来 「おもちゃの病院」、「鵠沼松が岡公園愛護会」ほ かいろいろな部会に参加してきたが、その活動に 最も親しみ、そして苦労もしたのは「くぐひ」編 集部である。当初は鈴木編集人、版下作成の磯川 さんのもとで厳しい会議の時期を過ごした。その ころは大手のマスコミ、図書館、地元のミニコミ 誌、「じゃおクラブ」などにも配布していたため、 250 部発行の「くぐひ」は外部の人も読むことを 前提に、正確にそして判りやすい文章作成を目指 していた。いい加減な文章しか書けなかった私は、 両氏のお蔭で人名、地名も含めて表現の大切さや 厳密さを学んだ。今でも覚えているが、「江の島」、 「江ノ島」の使用場所の違いは考えもしなかった 例である。また、当用・常用・人名漢字や送り仮 名などの統一した使い方なども随分と厳しい議 論したのを覚えている。個性豊かな当クラブメン バーの書く原稿であるから、当時編集会議を取り 仕切っていたお二人は随分と苦労をされたこと と思う。 編集人を鈴木さんから引継いだ最初の編集会 議は 2005 年 7 月 21 日。当日の日記に「今日から 編集人として会議の取りまとめを始める。新米で あるため皆も気を遣ってくれたのか、問題絡みの 発言も無くスムースに進んだが、実際の原稿チェ ックの段階になるとどうなるか?やぶ茂で反省 会。前編集人の鈴木氏の慰労会」と書いてある。 不安を抱えながらの新米編集人のスタートであ った。 昨年、佐々木さんに編集人を替わってもらった が、この間約 10 年間は私にとって心地よい緊張 と新しい試みを楽しむ部会活動だった。この試み のほとんどは編集会議の中で委員の人たちの提 案から実現している。 最も苦労したのは編集方針についての議論の まとめだった。外部読者の目を意識した編集か、 クラブ員のプライベートな会報誌を目指す編集 か。前者であれば文章表現は自由奔放という訳に はいかない。内容は勿論のこと表現方法や使用す る文字も差別や偏見を連想するようなものはバ ツである。そのかわり誰に読んでもらっても恥ず かしくない、胸を張れるようものが出来上がる。 後者であれば多少間違った原稿でも仲間内の情 報と言うことで大目に見てもらえ、書き手の個性 も十分保たれる。表現の細かい点は議論しないの で会議の時間がかからないのも利点。方針に関す る検討には随分議論と日時がかかった。結果はご 存じのとおりである。しかしこれからもこのまま 続くとは限らないだろう。 もう一つの悩みは私自身のマンネリ化だっ た。長い間、同じことを続ければこうなること は判っていたが、池田前代表のもとでメディア 委員会というしっかりとした組織が昨年でき、 安定的に「くぐひ」発行が期待されるようにな り、私の取り越し苦労も解消した。 そして投稿者の確保。投稿依頼に対しすんな りと受けてもらえないときや、書くことを失念 されてしまった時など、突然編集委員を煩わせ て原稿を書いてもらったことがしばしばあっ た。しかし今までのところ恙無く発行出来てい るので、苦労を重ねたとは言えない。 編集人を務めた間、版下作り(定められた頁 数の中に編集会議で検討された原稿をバラン スよくはめ込み、文字や写真の大きさを調整し て印刷に回す原版を作る作業)をお願いしたの はお三方である。編集作業の先生でもあった磯 川さんには短い間ではあったが新米の編集人 は随分助けてもらった。一番長くお付き合いし たのは西村さんである。版下作成はもちろんの こと、会議資料作成、カラー印刷の採用、印刷 用紙の選定、創刊号から最新号まで入ったCD の作成と配布などを一緒に行った。その後は長 谷川さん。アイディアマンであり、またPCを 利用した画期的な方法により全員参加型の版 下作成を実現して効率化を進めた。ページの入 れ替えや写真の大小の調整などで紙面作りが 便利になった一方、文章全体をじっくり読み込 むことをしなくてもスペース問題は片がつい てしまい、文章内容の可否や加除・訂正の検討 が脇にのけられるようなことにならなければ いいがなと思う。 この 10 年間には「くぐひ」のペーパーレス 化、発行間隔の変更などが検討されたが実現し なかった。また、クラブの 20 周年時に特別号 を発行できなかったのは心残りである。 今後、メディア委員会、HP制作部とも相談 しながら、見やすい紙面を提供できるよう編集 方針や発行体制が検討される結果、進化した 「くぐひ」が実現してゆくことと思う。

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くぐひ・・・7

~例会・各部会活動報告~

3月 March ○行事①鵠っ子囲碁・将棋ルーム「春のトーナメント大 会」20 日、探求 10 名、子ども 30 名、保護者 20 名、 ゲスト 1 名、囲碁同好会 1 名、公民館 3 名 ○世話人・委員会 ① サークル交歓会役員会(池田代表) 24 日②メディア委員会 休会 ③ くぐひ制作部(佐々 木)9 日 12 名 ③HP 制作部(柳田)14 日 5 名 ○例会 5 日(土) 48 名 ○世話人会 19 日 6 名、28 日 6 名 ○鵠沼松が岡公園愛護会 6 日 11 名、27 日 9 名 ○藤が谷公園愛護会 13 日 11∔1 名 ○ヤングハーツ ①2 日 19 名 定例練習 ②6 日春のコン サート 27 名 ③9 日新曲練習 14 名④18 日藤沢病院(さ くら棟)⑤22 日 鵠生園(ホーム)12 名 ○おもちゃの病院 ①13 日 9 名 来院 20 名 新患 7 件 退 院引き取り 20 件 当日完治 4 件 ②27 日 9 名 来院 7 名 新患 8 件 退院引き取り 4 件当日完治 2 件 ○子どもと遊ぶ会 12 日 8 名 子ども 8 名 紙の吹き矢作 り ○鵠っ子囲碁・将棋ルーム 上述のトーナメント大会実施 ○災害研究部会 4 日 12 名 地盤カルテ比較検討等 ○極楽部会 16 日 14 名終活記事関連論議 ○サロン会 19 日(土) 9 名持ち寄り料理と酒で談論風発 ○健康部会 25 日 12∔7 名 藤沢の桜巡り ○探訪部会 雪で中止 ○娯楽部会 休会 ○農園部会 13 日 4 名 ジャガイモ種の植付け ○談話室 16 日 10 名 閉鎖するアコレードでの最後の開 催 ○スケッチ部会 17 日 5 名 大船フラワーセンターで開催 ○デジタル情報部会 27 日 17∔2 名 4 月より公民館で開催 ○ヤングブラザーズ ①11 日 12+13 名 定例練習 ②26 日 14+13 名 定例練習 ○近代史を語る会 10 日 15+6 名 大正から昭和への 11 回 ○企業研究部会 23 日 9 名 川崎のクノール食品見学 ○なつかしの名盤愛好会 21 日 7 名 Bose スピーカー好評 ○俳句の部会「似歌会」8 日 11 名 投句 2 名で合計 39 句 ○お菓子の会 3 日 6 名 お菓子は「桜餅」昼食は「押し 寿司と讃岐うどん」 4月 April ○行事 3 日花見会 雨天の為原町内会会館にて開催 34 名(内ゲスト 6 名)11 時~14 時、その後有志は 16 時 迄。18 日第 38 回ゴルフコンペ、湘南CC13 名(内ゲ スト 4 名)終了後高松で反省会 ○委員会 ①13 日くぐひ制作部 11 名 86 号編集会議 公民 館 ②14 日 HP制作部 5 名、問い合わせ窓口、クラウ ドによる部会参加表、掲示板などの検討。 ○例会 2 日(土) 出席 47 名 ○世話人会 ①16 日 6 名 ②5/2 日 6 名 ○鵠沼松が岡公園愛護会 3 月 27 日に繰り上げ実施 ○藤が谷公園愛護会 10 日 10 名、花壇の雑草取り、園内 清掃、植木剪定。その後藤が谷市民の家で総会、懇談 会。 ○ヤングハーツ ①6 日 6 名 幹事会、練習 19 名 ②14 日 練習 11 名 15 日 藤沢病院(かえで棟)③26 日 16 名鵠 生園(ホーム) ○おもちゃの病院 ①10 日 10 名 来院 22 名 新患 11 件退 院引き取り 7 件当日完治 8 件 ②24 日(日)11 名 来院 15 名 新患 11 件 退院引き取り 9 件 当日完治 7 件 ○子どもと遊ぶ会 9 日 4 名、子ども 13 名、保護者 1 名、 牛乳パックで作る変わり絵サイコロに挑戦 ○鵠っ子囲碁・将棋ルーム 17 日 9 名、子供/親 14∔3 名 ○災害研究部会 1 日 10 名、ゲスト 1 名そなエリア訪問 ○極楽部会 20 日 12 名 講師 2 名、高齢者の介護施設の 実情、入所の資格、金額、施設選択のポイントなどの 説明 ○サロン会 16 日 15 名 部会長は欠席 ○健康部会 22 日 9∔2 名、都築の緑道を歩く(その 1) ○探訪部会 合同行事 19 日 8+1 名、宿場巡り(箱根宿) ○娯楽部会 休会○農園部会 3 日 中止 ○談話室 20 日 8 名、アコレードから公民館に変えて開 催 ○スケッチ部会 21 日天候不良により中止 ○デジタル情報部会 25 日 14∔2 名公民館の Wifi 接続な ど ○ヤングブラザーズ 8 日 13∔13 名 23 日 13∔13 名で練習 ○近代史を語る会 14 日 15+7 名 「大正から昭和へ」の 第 12 回、第一次世界大戦、日本の参戦など ○企業研究部会 1 日災害研究部会と合同、帰途皇居で花 見 ○なつかしの名盤愛好会 25 日 8+1 名、賑やかに音楽談 義 ○俳句の部会「似歌会」12 日 7 名 投句 5 名 計 36 句 ○お菓子の会 7 日 4+2 名 「ういろう」と鮭の混ぜ寿司 5月 May ○行事 ①藤が谷公園 園児との花植え 12 日 8 名、園児 90 名、先生・保護者 19 名②鵠洋児童館 手作り凧揚 げ 22 日 14 名子ども 29 名、保護者 15 名③ひょっこり 鵠南島輪ゴム鉄砲で遊ぶ 14 日 8 名、児童 122 名、父母・ 幼児 36 名 ○世話人・委員会 ①サークル交歓会(全体会)10 日、 出席池田代表、②第 40 回公民館まつり第 1 回実行委員 会 25 日出席池田代表、田中章副委員長に選出③くぐひ 制作部(佐々木)11 日 11 名第 86 号>第 2 回>編集会議、 黒川氏追悼文掲載の検討など④HP制作部(柳田)21 日 5 名 ○例会 7 日(土) 43 名 ○世話人会 ①21 日 ②30 日 ○鵠沼松が岡公園愛護 8 日⒓名 ○藤が谷公園愛護会 8 日 7 名 ○ヤングハーツ①4 日 6 名幹事会、13∔11 名練習 ②20 日 5∔8 名 藤沢病院さくら棟③24 日 13∔5 名 鵠生園 ○おもちゃの病院 ①8 日 12 名 来院 12 名 新患 4 件退院 引き取り 5 件当日完治 2 件 ②22 日 11 名 来院 27 名 新 患 27 件退院引き取り 3 件当日完治 17 件 ○子どもと遊ぶ会 14 日 6 名 子供 13 名 輪ゴム鉄砲 ○鵠っ子囲碁・将棋ルーム 15 日 10 名 囲碁 2 名 将棋 16 名 父兄 6 名 ゲスト 2 名 ○災害研究部会 6 日 部会長黒川氏の葬儀のため休止 ○極楽部会 18 日 11 名 今回よりサロン「高松」で実施 ○サロン会 21 日 26 名他ゲスト 3 名 今回は「黒川氏を 偲ぶ会」とし遺作を展示し、全員が思い出を語った ○探訪部会 17 日悪天候、中止 ○娯楽部会 15 日休会 ○健康部会 27 日雨天中止 ○農園部会 3 日 中止 ○談話室 18 日 10 名 「高 松」にて開催 ○スケッチ部会 19 日 5 名 長久保公園にて開催 ○デジタル情報部会 23 日 18+2 名 ブログの検討等 ○ヤングブラザーズ ①13 日 13+14 名 ②14 日スプリング コンサート 14+14 名 ③28 日 13∔11 名 ○近代史を語る会 12 日企業研究部会との合同活動 ○企業研究部会 12 日 12∔5 名 憲政記念館、国会見学 ○なつかしの名盤愛好会 16 日 7∔1 名 ○俳句の部会「似歌会 10 日 9∔1 名+欠席投句 2 名 35 句 ○お菓子の会 中止

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くぐひ・・・8 会報 くぐひ 第 86 号 2016 年 7 月 1 日 発行 くげぬま探求クラブ 発行人 池田 雅一 藤沢市遠藤 868-1 滝ノ沢 2-7-202 0466-87-5153 編集人 佐々木 黎治

「雨にも負けず・・」

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サ ニモマケヌ・・・ これは私の郷土の詩人、ご存じ宮沢賢治の詩の 冒頭の一部です。 ところで私が世話人に選ばれたのは入会 3 年目 78 歳の時でした。世の常ならばこちらが世話を受 けてもどこからも文句の出ない年頃でしょう。下 手の横好きで似歌会をはじめ 3 つの句会に参加、 各々の会報を作成していて余裕もなく辞退したか ったのですが、しかしクラブの諸先輩のボランテ ィア活動・部会活動への熱心な取り組みを見て、 甘えは許されぬとお引き受けしました。 現在私の部会活動は松が岡公園愛護会、災害研 究部会、近代史を語る会、似歌会と、くぐひ制作 部に席を置いています。特に「くぐひ」について は創刊号からのバックナンバーを繙いてみると、 創刊初期は「わが会報」に対する愛着からでしょ う、実に多岐多彩にわたる記事とほとんど全会員 による執筆者としての瑞々しい熱意が伝わってき て感動を覚えます。 またいつの時代も同じ問題を抱えているんだな ーと感じたのは「シニア会員制」つまり会員の年 齢制限について、クラブ員のアンケートを特集し ていることでした。この問題については「意見が 広範囲で焦点を絞り込むまではいたらず、今後の 検討課題」としてクラブの公式見解は掲載されて いません。あるいは単に私が見落としたのかも…。 また館林市の嶋田正文氏をはじめ外部の読者から たくさんの読後感が寄せられ編集委員会を励まし ていただき嬉しい限りです。これからもより良い 「くぐひ」制作のため皆様に投稿・寄稿をお願い します。よろしくご協力ください。 例会の進行役では大声だけが取柄で、失言をし たり皆さんから失笑をかったりしていますが、本 人は至って真面目に議事進行に努め、皆さんの帰 宅時間を早めようと心を砕いているつもりです。 そこで冒頭の詩の締めくくりと私の世話人として の心境です。(井上陽水も歌っています「君の言葉 は誰にもわかんない・・・」と) ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ 「くぐひ 85 号」を拝受。ありがとうございます。 読後の第一印象は「ボリューム有り、中身が濃 く、寄稿している方々の年輪に、魅力」を感じた というのが、正直なところです。それぞれの方の 持つ、個性の競演というべきか。 さて我が先輩の黒川氏。虎山氏に郵送を頼んだ ようですが、その理由『中学校の修学旅行』を拝 読し、納得。黒川先輩は、大手を振って誇っても よい、文章を下さいました。確か「くぐひ」誌上 で先輩の書いたものでは、過去、最長にして単に 長いだけではなく、昔の思い出が随所に、ちりば められており、単なる報告でないのが、とても良 い感じに仕上げられていると思いました。挿画と 写真もバランスの良い配置で魅力的です。それに してもすごく鮮明な記憶力の持ち主だなと言いた い思いです。以前同じ会社の同じ課にいて、先輩 の職人技に、ずい分色々助けられたことを、思い 出しました。あの頃まさか先輩が、くげぬま探求 クラブに入るとは?入ってよかった。なぜならこ んなことが書けますから。 (編集部で一部抜粋して掲載) 編集後記 86 号をお届けします。今号の編集作業中に、クラブの様々な部 会で活躍され愛された黒川節さんが、クラブ員全員に惜しまれつつ長い旅 路に就かれました。5 面に日ごろ付き合いの深かった磯川・野口お二人の 黒川さんの在りし日を偲ぶ追悼の言葉を掲載しました◆1 面はクラブのこ の 1 年間の活動への貢献度を 3 つの柱(地域活動・季節ごとのイベント・ 公民館まつり)の参加人員の面から見た新しい試み。2,3 面はヤングハー ツ・探訪部会・談話室の 3 部会の紹介◆4 面は修学旅行シリーズ第 2 弾。 北海道から京都・大阪 11 泊 12 日間の豪勢な旅行、と思いきや 11 泊の内 5 泊が新聞紙を床に敷いた車中泊という恐怖の旅行記◆6 面は 10 年間にわた る「くぐひ」の編集に携わった嶋村さんの苦闘・奮闘記で、後輩として身 のしまる思いとどこまで継承できるか考えさせられました◆8 面はデクノ ボーと呼ばれても苦にしない気概の「世話人便り」と館林市在住の嶋田正 文氏の「読者のたより」(1 部抜粋)を掲載しました。 (虎山)

参照

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