コンピュータで探る奇妙な星間分子の生成機構
著者 高橋 順子
雑誌名 明治学院大学法学研究 = Meiji Gakuin law journal
巻 102
ページ 19‑32
発行年 2017‑03‑07
その他のタイトル Computer Study of Formation Mechanisms of Curious Interstellar Molecules
URL http://hdl.handle.net/10723/2986
コンピュータで探る奇妙な星間分子の生成機構
高 橋 順 子
1.はじめに
宇宙空間中には,星や銀河以外に,星間雲と呼ばれる領域があります。星間 分子(interstellar molecule)とは,星間雲の内部に存在する分子です。星間分子 には,地上で知られているさまざまな分子の他,地上では知られていなかった
「奇妙」な分子も存在します。本稿では,「奇妙」な星間分子を天文学と地上 での分光実験とコンピュータを使った量子化学計算という3つの研究分野によ る学際的研究によって発見した歴史について解説すると共に,「奇妙」な星間 分子に関する筆者の研究成果(1)を紹介していきます。
2.星間分子の発見
星々は永久不滅のものではなく,生物と同様,誕生から死までのサイクルを 持ちます。星々の誕生の場となるのが星間雲です。星間雲は,大量のガス(気 体状の原子と分子)と少量の塵(小さい固体状の物質)でできており,その中心部 の密度の高い領域で,ガスと塵の塊は自らの重力でどんどん収縮していき,新 しい星々が生まれます。星々は,若く不安定な時期を過ぎると,安定した核融 合反応(4個の水素原子から1個のヘリウム原子が生成される反応)によって光る時 期が続きます。しかし,やがて核融合反応の燃料(水素)が尽きてくると,老 化が始まり,不安定化し,大量のガスと塵を宇宙空間中へ放出して終焉を迎え
20
ます。それらのガスと塵は次第に集まり,星間雲を形成し,次の世代の星々を 生み出します。このようにして,宇宙では物質が輪廻します。
星間雲にあるガスは,主成分が水素とヘリウムです。現在の宇宙全体の元素 組成は,原子数にして,水素が約 93%,ヘリウムが約6%,その他の元素は 全部合わせて1%未満に過ぎません。ヘリウムは化学結合を作らないので,宇 宙に存在する分子の 99%以上は,水素原子(H)が2個結合してできた水素分 子(H2)です。しかし,星間雲の内部には,水素分子よりはるかに少量ながら,
水素分子が炭素原子,窒素原子,酸素原子などと化学反応して生成したさまざ まな星間分子も存在します。
星間分子として最初に発見されたのは,CH(メチリジンラジカル)と
CN
(シ アンラジカル)です。1930~1940 年代に,密度の低い星間雲から出る紫外線の 吸収スペクトルを光学望遠鏡で観測することにより,それらの星間分子が同定 されました(2)。星間分子の圧倒的多数を占める水素分子が宇宙空間中で直接観 測されたのは,意外にもそれより後の 1970 年代になってからです(3)。それは,水素分子が存在する密度の高い星間雲では紫外線が透過しにくく,吸収スペク トルの観測が困難なためです。
1960 年代以降は,電波望遠鏡によって密度の高い星間雲から出る電波の輝線 スペクトルを観測できるようになり,さらに多くの星間分子が発見されました。
電波望遠鏡を使って最初に発見された星間分子は
OH
(ヒドロキシルラジカル)です(4)。その他初期に発見された星間分子は,水,一酸化炭素,アンモニア,
ホルムアルデヒド,アルコール類など,地上でもよく知られている分子です。
ここで,スペクトルというのは,電磁波(5)の波長ごとの強度の分布のことで,
分子ごとに異なるスペクトルパターンを持っており,いわば,分子の指紋のよ うなものです。星から出た紫外線や可視光が星間雲を通過すると,星間雲の中 に存在する分子の電子状態が変化するときに吸収または放射されるスペクトル パターンが乗ったものになり,それを光学望遠鏡で観測することができます。
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電波望遠鏡では,星間雲自体から放射される電波を観測して,分子の回転状態 が変化するときに現れる精密なスペクトルパターンを見ることができます。ス ペクトルパターンがわかっている既存の分子であれば,それを見ることで種類 を同定することができます。
ところが,電波望遠鏡の発達に伴い,密度の高い星間雲で観測される輝線ス ペクトルに,既存の分子では説明できないスペクトルパターンが多数見つかる ようになりました。そのことは,地上でこれまでに発見されていない未知の分 子が星間雲に存在することを示唆します。
3.奇妙な星間分子
日本で一番大きな電波望遠鏡があるのは野辺山(所在地は長野県南牧村)です。
電波望遠鏡は,パラボラアンテナで宇宙から来た電波を受信しますが,そのサイ ズが大きければ大きいほど微弱な電波も捉えることができ,星間雲に存在するさ まざまな星間分子を観測できます。野辺山にある電波望遠鏡のパラボラアンテナ の直径は 45 mで,それが建設された 1980 年代当時は世界最大級の電波望遠鏡 でした。現在では外国に 500 m規模の電波望遠鏡も存在しますが,ミリ波と呼ば れる電波領域を観測するための電波望遠鏡としては今でも世界最大です(6)。 現在までに発見された星間分子は 180 種類以上ありますが(7),そのうち野辺 山の電波望遠鏡およびその前身である三鷹の電波望遠鏡を使って日本の国立天 文台のグループが発見した星間分子は約 20 種類です(8)。その中でも特筆すべ きは,
l-C
6H
(ヘキサトリニル)やc-C
3H
(シクロプロピニリジン)のような「奇妙」な星間分子の発見です。何が「奇妙」なのかと言いますと,地上で知られてい る分子にはない幾何学的構造をしていることや,地上では短寿命でしかない分 子が安定に存在している点です。
l-C6
H
という星間分子は,6個の炭素原子が直線的に繋がっていて,片端に22
1個の水素原子が付いた構造をしています(9)。ここで,接頭語の
l
はlinear
の 略で,直線炭素鎖状の分子を意味する記号です。このような直線炭素鎖状の分 子は,炭素の化学結合の「手」がたくさん余っている状態なので,地上だとす ぐに他の原子や分子と化学結合して別の分子に変化してしまうため,存在が知 られていませんでした。しかし,星間雲では,地上と違って非常に低密度(地 球大気の千兆分の1の密度)かつ低温(摂氏 -263 度)であるため,他の原子や分 子と出会える確率が低く,化学反応も起こりにくいので,化学結合の「手」が たくさん余っている状態のまま長く存在し続けることができるのです。c-C3
H
という星間分子は,3個の炭素原子が三角形に繋がっていて,1個の 炭素原子にだけ水素原子が付いた環状構造をしています(10)。ここで,接頭語のc
はcyclic
の略で,環状の分子を意味する記号です。それまで地上で知られて いた環状構造の分子としては,ベンゼン環のような正六角形のもので,六角形 だと化学結合的に安定な角度ですが,三角形だと化学結合の歪が大きく不安定 だと考えられてきました。ところが,c-C3H
のような分子が星間分子として発 見されることにより,この常識が覆され,研究され直した結果,3個の炭素原 子が三角形に繋がった構造が意外に安定であることがわかったのです。H3+(プロトン化水素分子)という星間分子も,日本人研究者がその発見に大 きく関わった星間分子です(11)。この分子は,3個の水素原子核と2個の電子か らできているので,正電荷を帯びており,3個の水素原子が正三角形構造をし ています。H3+は,大量の水素ガスがある星間雲中に豊富に存在しており,他 のさまざまな星間分子を生成するイオン-分子反応(12)と呼ばれるタイプの化 学反応の出発点となる重要な分子であると考えられています。
これまでに国内外で発見された「奇妙」な星間分子の代表的なものを図1に まとめました。直線炭素鎖状の星間分子としては,Cn
H
シリーズ(n = 3~8),HC
nN
シリーズ(n = 3~11)を図示しました。環状の星間分子としては,c-C
3H,
c-C
3H
2,C2Si,H
3+を図示しました。図 1 奇妙な星間分子の例
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「奇妙」な星間分子の発見は,地上における伝統的な化学の知識の境界を広 げるという,大きな意義を持つものですが,さらにもう1つ大きな意義があり ます。それは,学際的(interdisciplinary)な研究が成功した例であるというこ とです。一般に,研究分野は細分化され,それぞれの研究分野内で特化した知 識や技術に基づいて研究を深めていくやり方がされています。しかし,「奇妙」
な星間分子の発見は,天文学だけでなく,地上での分光実験,コンピュータを 使った量子化学計算,という3つの異なる研究分野の協力によって成し遂げら れたものでした。具体的には,まず,量子化学計算によって安定な星間分子の 構造と分光定数の理論的予測を行い,次に,マイクロ波分光実験を行って予測 された星間分子のスペクトルパターンを測定し,最後に,電波望遠鏡で観測さ れたスペクトルの中からそのスペクトルパターンを探し出すことにより,その 星間分子が星雲中に実在することが証明できます。
筆者が行った研究は,発見された「奇妙」な星間分子がなぜ星雲中に存在す 1個の水素原子が付いた構造をしています(9)。ここで,接頭語の
l
はlinear
の略で,直線炭素鎖状の分子を意味する記号です。このような直線炭素鎖状の分 子は,炭素の化学結合の「手」がたくさん余っている状態なので,地上だとす ぐに他の原子や分子と化学結合して別の分子に変化してしまうため,存在が知 られていませんでした。しかし,星間雲では,地上と違って非常に低密度(地 球大気の千兆分の1の密度)かつ低温(摂氏 -263 度)であるため,他の原子や分 子と出会える確率が低く,化学反応も起こりにくいので,化学結合の「手」が たくさん余っている状態のまま長く存在し続けることができるのです。
c-C3
H
という星間分子は,3個の炭素原子が三角形に繋がっていて,1個の 炭素原子にだけ水素原子が付いた環状構造をしています(10)。ここで,接頭語のc
はcyclic
の略で,環状の分子を意味する記号です。それまで地上で知られて いた環状構造の分子としては,ベンゼン環のような正六角形のもので,六角形 だと化学結合的に安定な角度ですが,三角形だと化学結合の歪が大きく不安定 だと考えられてきました。ところが,c-C3H
のような分子が星間分子として発 見されることにより,この常識が覆され,研究され直した結果,3個の炭素原 子が三角形に繋がった構造が意外に安定であることがわかったのです。H3+(プロトン化水素分子)という星間分子も,日本人研究者がその発見に大 きく関わった星間分子です(11)。この分子は,3個の水素原子核と2個の電子か らできているので,正電荷を帯びており,3個の水素原子が正三角形構造をし ています。H3+は,大量の水素ガスがある星間雲中に豊富に存在しており,他 のさまざまな星間分子を生成するイオン-分子反応(12)と呼ばれるタイプの化 学反応の出発点となる重要な分子であると考えられています。
これまでに国内外で発見された「奇妙」な星間分子の代表的なものを図1に まとめました。直線炭素鎖状の星間分子としては,Cn
H
シリーズ(n = 3~8),HC
nN
シリーズ(n = 3~11)を図示しました。環状の星間分子としては,c-C
3H,
c-C
3H
2,C2Si,H
3+を図示しました。図 1 奇妙な星間分子の例
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るのかという理由を解明するために,「奇妙」な星間分子の生成機構を量子化 学計算によって解析することと,存在し得る別の新たな星間分子を理論的に予 測することです。次章で,その量子化学計算の手法を説明します。
4.量子化学計算
量子力学(quantum mechanics)とは,原子や電子のようなミクロな世界を説 明するための現代物理学の根幹を成す理論体系です。原子は正電荷を持つ原子 核と負電荷を持つ電子でできていますが,量子力学ができる以前は,電子は粒 子であり,原子の構造は原子核の周りを電子が回っている太陽系のようなイ メージとしてとらえられてきました(13)。しかし,電子が粒子であると考えると 説明できないさまざまな現象(14)が発見されてきました。その矛盾を解決したの が量子力学です。量子力学では,電子は粒子性と波動性の両方の性質を併せ持っ たものであると考えます。電子は,質量と電荷を持ち,その運動状態はシュレ ディンガー(Schrödinger)方程式の解である波動関数によって表され,原子核 の周囲の特定の位置での電子の存在確率は波動関数の2乗に比例すると解釈さ れます。
「量子」という言葉は,物理量の最小単位を意味します。例えば,電荷などは,
連続的な数値を取り得ず,必ず電荷の最小単位の整数倍になっています。古典 力学のニュートン(Newton)方程式によって表されるマクロな世界での物質の 運動状態は,連続的な数値を取り得ますが,量子力学のシュレディンガー方程 式によって表されるミクロな世界での運動状態は,波動に関連する物理量の整 数倍に起因した飛び飛びの状態のみ取り得ます。
量子化学(quantum chemistry)とは,量子力学の原理を化学に応用すること により,分子や結晶などの幾何学的構造・性質・化学反応性などを説明するた めの理論体系です。分子は複数の原子からできていますが,それらの原子を結
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びつけている力が化学結合です。化学結合は,電子と電子,および,電子と原 子核のさまざまな相互作用によって生じます。分子の幾何学的構造は,引力と して働く原子間の化学結合の力と斥力として働く原子内部の力のバランスに よって決まります。分子に含まれている電子の1つ1つは,原子に局在してい るのではなく,分子全体に広がって分布しています。その1電子ごとの状態を 表す波動関数を分子軌道(molecular orbital)と呼んでいます。
分子や結晶などの幾何学的構造・性質・化学反応性などを知るためには,相 互作用し合っているそこに含まれる全ての電子と原子核に関するシュレディン ガー方程式を解く必要がありますが,そのようなことは複雑すぎて,事実上不 可能です。そこで,さまざまな近似的解法が考え出されました。まず,電子の 波動関数と原子核の波動関数が分離できると考えます(Born-Oppenheimer近似)。 次に,特定の原子核配置における電子の波動関数を求めます。電子の波動関数 を近似的に計算する代表的な手法としては,分子軌道法と密度汎関数法があり ます。分子軌道法では,相互作用をうまく分割して1電子ごとに独立した分子 軌道の波動関数を作り,それらを掛け合わせたものが電子全体の波動関数にな ると考えて,電子の波動関数とエネルギー状態などの物理量を求めます。一方,
密度汎関数法では,電子の密度関数から出発して,電子の波動関数と物理量を 求めます。
コンピュータの発達に伴い,電子の波動関数と物理量を数値的に高精度に計 算する量子化学計算と呼ばれる研究分野が発展してきました。量子化学計算に 用いられる大規模なプログラムとして,Gaussian,MOLPRO,GAMESなどが あります。これらのプログラムは,分子軌道法や密度汎関数法に基づいた計算 をさまざまなオプションで実行できるようになっています。国内には,大規模 な量子化学計算に使用できる共同利用の大型計算機(15)もあります。計算の精度 は,電子の波動関数を表現するための基底関数(16)の形や,考慮する電子相関(17)
が複雑であればあるほど高くなりますが,計算コストが膨大になるため,精度
26
とコストの兼ね合いを考える必要があります。筆者は,「奇妙」な星間分子の代表的な例である
C
3H
分子の生成機構を解明 し,そこから導かれる別の新たな星間分子の理論的予測を行うために,量子化 学計算を行いました。その計算を行った当時のコンピュータの性能・計算時間・得られる精度の兼ね合いから,電子相関をどこまで取り込むかを決め,分子軌 道法と密度汎関数法を併用しました。次章で,それらの計算によって得られた 研究成果を述べます。
5.星間分子の生成機構
まず,C3
H
分子の安定な幾何学的構造を探しました。量子化学計算におけ る構造最適化と呼ばれる手法では,入力した構造を出発点として,少しずつ分 子の形を変化させていって,安定な構造を探すことができます。含まれる原子 の種類と数が同じでありながら,異なる幾何学的構造を持ち,物理的・化学的 にも異なる性質を持つ安定な分子のことを異性体と呼びます。C3H
分子には,3種類の異性体が見つかりました。それまでは3個の炭素原子が直線的に繋 がっている直線炭素鎖状の異性体(l-C3
H)
が最もエネルギー的に低いものだ と考えられてきましたが,3個の炭素原子が三角形構造をしている環状の異性 体(c-C3H)
の方がわずかに低いことがわかりました。C3
H
分子と同種の星間分子のシリーズとして,C4H,C
5H,C
6H,C
7H,C
8H
があります。これらはいずれも,炭素が繋がった骨格の端に水素原子が1個だ け付いているものです。C3H,C
4H,C
5H,C
6H,C
7H,C
8H
を系統的に調べて みると,いずれも直線炭素鎖状の異性体がエネルギー的に非常に安定ですが,炭素数が奇数の
C
3H,C
5H,C
7H
だけ三角形構造を含む環状の異性体がそれに 近い安定性を持っていました。これらの異性体の幾何学的構造と,直線炭素鎖 状の異性体との相対的エネルギー差を図2にまとめました。図 2 星間分子 CnH シリーズ(n = 3~8)の異性体
※実線の角丸四角形で囲んだ異性体は星間分子として既に観測されているもの。点線 の角丸四角形で囲んだ異性体は星間分子として観測可能性のあるもの。
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とコストの兼ね合いを考える必要があります。筆者は,「奇妙」な星間分子の代表的な例である
C
3H
分子の生成機構を解明 し,そこから導かれる別の新たな星間分子の理論的予測を行うために,量子化 学計算を行いました。その計算を行った当時のコンピュータの性能・計算時間・得られる精度の兼ね合いから,電子相関をどこまで取り込むかを決め,分子軌 道法と密度汎関数法を併用しました。次章で,それらの計算によって得られた 研究成果を述べます。
5.星間分子の生成機構
まず,C3
H
分子の安定な幾何学的構造を探しました。量子化学計算におけ る構造最適化と呼ばれる手法では,入力した構造を出発点として,少しずつ分 子の形を変化させていって,安定な構造を探すことができます。含まれる原子 の種類と数が同じでありながら,異なる幾何学的構造を持ち,物理的・化学的 にも異なる性質を持つ安定な分子のことを異性体と呼びます。C3H
分子には,3種類の異性体が見つかりました。それまでは3個の炭素原子が直線的に繋 がっている直線炭素鎖状の異性体(l-C3
H)
が最もエネルギー的に低いものだ と考えられてきましたが,3個の炭素原子が三角形構造をしている環状の異性 体(c-C3H)
の方がわずかに低いことがわかりました。C3
H
分子と同種の星間分子のシリーズとして,C4H,C
5H,C
6H,C
7H,C
8H
があります。これらはいずれも,炭素が繋がった骨格の端に水素原子が1個だ け付いているものです。C3H,C
4H,C
5H,C
6H,C
7H,C
8H
を系統的に調べて みると,いずれも直線炭素鎖状の異性体がエネルギー的に非常に安定ですが,炭素数が奇数の
C
3H,C
5H,C
7H
だけ三角形構造を含む環状の異性体がそれに 近い安定性を持っていました。これらの異性体の幾何学的構造と,直線炭素鎖 状の異性体との相対的エネルギー差を図2にまとめました。図 2 星間分子 CnH シリーズ(n = 3~8)の異性体
※実線の角丸四角形で囲んだ異性体は星間分子として既に観測されているもの。点線 の角丸四角形で囲んだ異性体は星間分子として観測可能性のあるもの。
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次に,
C
3H
分子の生成機構を調べました。星間雲中では,イオン-分子反応(12)が最も容易に起こりますが,C3
H
はその生成機構では説明できていませんでし た。そこで,中性-中性反応(18)と呼ばれるタイプのC + C
2H
2→ C3H + H とい
う化学反応を考え,それによってC
3H
分子が生成し得るかどうかを調べてみま した。化学反応の出発点は,1個の炭素原子(C)とアセチレン(C2
H
2)です。アセ チレンは,2個の炭素原子が三重結合している分子で,他の炭素原子が近づい てきたら,容易に結合し得る性質を持っているため,C3H
2分子ができます。しかし,C3
H
2分子の安定構造は,出発点であるC + C
2H
2よりもエネルギー的 に低い状態にあるので,C3H
2分子に落ち着くためには,その差に相当するエ ネルギーを捨てる必要がありますが,密度が非常に低い星間雲では周囲にエネ ルギーの捨て場がないため(19),C3H
2を通過して,化学反応の出口であるC
3H + H
へ進むはずです。もし,C3H
2から出口へ行く途中に,化学反応の出発点の エネルギーレベルよりも高いエネルギー障壁がある場合は,温度が非常に低い 星間雲ではエネルギー障壁を越えるためのエネルギーを周囲から得られないた め(20),出口へ進めず出発点へ逆戻りしてしまいますが,C3H
2から出口へ行く 経路上のエネルギーを計算して,そのようなエネルギー障壁がないことを確認 しました。出口は2つあり,l-C3H
が生成する反応とc-C
3H
が生成する反応は 両方起こり得ることがわかりました。これらの反応経路をまとめると,図3の ようになります。さらに,C3
H
分子と同様にして,C5H
分子が中性-中性反応C + C
4H
2→ C
5H + H
によって生成し得るかどうかを調べてみたところ,出口へ行く経路上にエネル ギー障壁がなく,C5H
の直線炭素鎖状の異性体が生成する反応と環状の異性体が 生成する反応は両方起こり得ることがわかりました。C7H
については,計算コス トの都合上,調べることができなかったものの,C3H
とC
5H
についての結果から,同様な生成機構が類推できます。
図 3 中性-中性反応 C + C2H2 → C3H + H の反応経路
29
星間雲の環境を模して非常に低密度かつ低温の条件下で炭素原子とアセチレ ンを反応させた地上での分光実験によれば,l-C3
H
とc-C
3H
の両方が生成し たとのことです(21)。そのことは,私の計算結果と整合性のある実験結果であり,C
3H,C
5H,C
7H
はいずれも中性-中性反応によって直線炭素鎖状の異性体と 環状の異性体が両方生成し得ることを示唆します。この研究を行った当時,C3
H
についてはl-C
3H
とc-C
3H
の両方が星間分子 として既に観測されていましたが,C4H,C
5H,C
6H,C
7H,C
8H
については 直線炭素鎖状の星間分子しか発見されていませんでした。しかし,その後,地 上での分光実験により,C5H
の環状の異性体の存在が証明されました(22)。そ れが新たな星間分子として観測されるのも時間の問題でしょう。6.終わりに
筆者の元々の専門分野は伝統的な量子化学計算分野ですが,筆者の現在の研 究テーマである天文化学(Astrochemistry)へ参入するきっかけとなったのが,野 次に,
C
3H
分子の生成機構を調べました。星間雲中では,イオン-分子反応(12)が最も容易に起こりますが,C3
H
はその生成機構では説明できていませんでし た。そこで,中性-中性反応(18)と呼ばれるタイプのC + C
2H
2→ C3H + H とい
う化学反応を考え,それによってC
3H
分子が生成し得るかどうかを調べてみま した。化学反応の出発点は,1個の炭素原子(C)とアセチレン(C2
H
2)です。アセ チレンは,2個の炭素原子が三重結合している分子で,他の炭素原子が近づい てきたら,容易に結合し得る性質を持っているため,C3H
2分子ができます。しかし,C3
H
2分子の安定構造は,出発点であるC + C
2H
2よりもエネルギー的 に低い状態にあるので,C3H
2分子に落ち着くためには,その差に相当するエ ネルギーを捨てる必要がありますが,密度が非常に低い星間雲では周囲にエネ ルギーの捨て場がないため(19),C3H
2を通過して,化学反応の出口であるC
3H + H
へ進むはずです。もし,C3H
2から出口へ行く途中に,化学反応の出発点の エネルギーレベルよりも高いエネルギー障壁がある場合は,温度が非常に低い 星間雲ではエネルギー障壁を越えるためのエネルギーを周囲から得られないた め(20),出口へ進めず出発点へ逆戻りしてしまいますが,C3H
2から出口へ行く 経路上のエネルギーを計算して,そのようなエネルギー障壁がないことを確認 しました。出口は2つあり,l-C3H
が生成する反応とc-C
3H
が生成する反応は 両方起こり得ることがわかりました。これらの反応経路をまとめると,図3の ようになります。さらに,
C
3H
分子と同様にして,C5H
分子が中性-中性反応C + C
4H
2→ C
5H + H
によって生成し得るかどうかを調べてみたところ,出口へ行く経路上にエネル ギー障壁がなく,C5H
の直線炭素鎖状の異性体が生成する反応と環状の異性体が 生成する反応は両方起こり得ることがわかりました。C7H
については,計算コス トの都合上,調べることができなかったものの,C3H
とC
5H
についての結果から,同様な生成機構が類推できます。
図 3 中性-中性反応 C + C2H2 → C3H + H の反応経路
30
辺山の電波望遠鏡を使って日本人研究者達によって成し遂げられた「奇妙」な星 間分子の発見でした。筆者は,その日本人研究者達と交流しながら,自身の特技 である量子化学計算を行うことにより,「奇妙」な星間分子の代表的な例である
C
3H
分子に関する研究に取り組み,その直線炭素鎖状の異性体(l-C3H)
と環状 の異性体(c-C3H)
の両方が星間雲中の中性-中性反応C + C
2H
2→ C
3H + H
によっ て生成し得ることを示しました。さらに,未だ直線炭素鎖状の異性体しか見つかっ ていないC
5H
分子についても,C3H
分子と同様の中性-中性反応によって二種 の異性体が生成し得ることを示し,C5H
の環状の異性体を新たな星間分子として 発見できる可能性を理論的に予測しました。「奇妙」な星間分子は,地上だけで 研究されてきたそれまでの化学の境界を広げ,学際的な研究協力によって発見し ていく楽しみを与えてくれる,ロマンあふれる研究対象だといえます。注
(1) 本稿の原著論文:(a)
Junko Takahashi and Koichi Yamashita, “Ab Initio Studies on the Interstellar Molecules C
3H
2and C
3H and the Mechanism for the Neutral- Neutral Reaction C
(3P) + C
2H
2,” The Journal of Chemical Physics, 104 巻 , 17 号 ,
6613−6627 頁(1996 年5月);
(b)Junko Takahashi, “Ab Initio Calculations for Detect- able New Isomers of Interstellar Carbon-Chain Radicals C
nH
(n = 2-8),” Publica- tions of the Astronomical Society of Japan, 52 巻 , 401−407 頁
(2000 年6月).
(2) 参考文献:
A. E. Douglas and G. Herzberg, The Astrophysical Journal, 94 巻 , 381
頁(1941 年).
(3) 参考文献:
R. H. Gammon, R. L. Brown, and M. A. Gordon, Bulletin of the Ameri- can Astronomical Society, 5巻 , 23 頁
(1973 年).
(4) 参考文献:
S. Weinreb, A. H. Barrett, M. L. Meeks, and J. C. Henry, Nature, 200
巻, 829−831 頁
(1963 年).
(5) 電波,赤外線,可視光,紫外線,X線,ガンマ線は,波長が異なるだけで,全 て電磁波です。
(6) 参考文献:「電波望遠鏡一覧」
,
ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E
9%
9B%BB%E6 %B
3%A
2%E
6%
9C%
9B%E
9%81%A
0%E
9%
8F%A1 %E
4%B
8%80%E
31
8
%A
6%A
7&oldid=58378626) , 2016 年 12 月 21 日閲覧.
(7) 参考文献:「星間分子の一覧」
, ウィキペディア日本語版
(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6 %98%
9F%E9 %96%93%E
5%88%86%E
5%AD%90%E
3%81%AE%E
4%B8 %80%E
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7&oldid=61973345) , 2016 年 12 月 21 日閲覧.
(8) 参考文献:「国立天文台野辺山のあゆみ」
, 国立天文台野辺山宇宙電波観測所
(http://www.nro.nao.ac.jp/public/ayumi.html)
, 2016 年 12 月 21 日閲覧 .
(9) 参考文献:
H. Suzuki, M. Ohishi, N. Kaifu, S. Ishikawa, and T. Kasuga, Publica- tions of the Astronomical Society of Japan, 38 巻 , 911−917 頁
(1986 年).
(10) 参 考 文 献:
S. Yamamoto, S. Saito, M. Ohishi, H. Suzuki, S. Ishikawa, N. Kaifu, and A. Murakami, The Astrophysical Journal, 322 巻 , L55−L58 頁
(1987 年).
(11) 参考文献:
T. Oka, Physical Review Letters, 45 巻 , 531−534 頁
(1980 年); T. R. Ge- balle and T. Oka, Nature, 384 巻 , 334−335 頁
(1996 年).
(12) イオン−分子反応とは,正電荷を帯びた分子と電気的に中性の分子が衝突する ことにより,原子の組み換えが起こって別の分子が生成する化学反応のこと。イ オン−分子反応にはエネルギー障壁がないため,星間雲のように非常に低密度か つ低温の条件下でも反応が進行しやすい。
(13) 代表的なものは,ラザフォード(Rutherford)の原子模型。
(14) 例えば,電子銃から電子を照射したとき,壁に開いた2つの小さい穴を通過し た電子は,前方のスクリーン上で干渉縞を描く。このような現象は,電子が波動 性を持つことを示している。
(15) 例えば,大学共同利用機関として,自然科学研究機構の計算科学研究センター などがある。
(16) 分子軌道の波動関数の基底関数として,原子軌道(原子に局在化した波動関数)を 組合せたものを用いる。原子軌道にはさまざまな形のものがある。
(17) 分子軌道の波動関数の最も単純な近似的解法では,電子間相互作用を平均場と して取り扱う。この平均場と厳密な電子間相互作用とのずれを電子相関と呼ぶ。
(18) 中性−中性反応とは,電気的に中性の分子同士が衝突することにより,原子の 組み換えが起こって別の分子が生成する化学反応のこと。一般に,中性−中性反 応にはエネルギー障壁があるため,反応が進行しにくいとされているが,例外も ある。
(19) 周囲にいる他の原子や分子と衝突することにより,過剰エネルギーを捨てるこ とができるが,星間雲のような低密度だと,衝突が起こらないため,エネルギー を捨てることができない。
(20) 密度と温度が充分高ければ,周囲にいる他の原子や分子との衝突によって反応 障壁を越えるための熱的エネルギーを受け取ることができるが,星間雲のような
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低密度かつ低温だと,それができない。(21) 参考文献:
R. I. Kaiser, D. Stranges, Y. T. Lee, and A. G. Suits, The Astrophysical Journal, 477 巻 , 982−989 頁
(1997 年).
(22) 参考文献:
A. J. Apponi, M. E. Sanz, C. A. Gottlieb, M. C. McCarthy, and P. Thad- deus, The Astrophysical Journal, 547 巻 , L65−L68 頁
(2001 年).
以 上