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監査における総合意見に関する一考察

その他のタイトル On an Opinion taken as a Whole

著者 高柳 龍芳

雑誌名 關西大學商學論集

巻 13

号 2

ページ 161‑177

発行年 1968‑06‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021260

(2)

(161) 77 

監査における総合意見に関する一考察

高 柳 龍 芳

目 次 1.

2.総合意見についての諸見解

_3.意見区分の構成について 4.西独における意見区分 5.総合意見と個別意見との関係 6.監査意見の性格について 7.結 論

1 序

西独においても,決算監査の最終段階として決算監査士(Abschlusspriifer) が監査報告書を作成せねばならないことは,株式法の定めるところである。

この監査報告書はわが国のそれと異なって極めて特長があり,法の定めると ころでは,公示監査報告書 (Bestatigungsvermerk)と機密監査報告書 {Priif ungsbericht)の二種類を提出する必要がある。

前者の公示監査報告書は,監査士による監査の結果,記帳処理・年度決算 書および営業報告書の合法性および原則準拠性の遵守の程度に関し,監査士 が公共にむかって簡明に意見表明を行なう手段であって,公開する年度決算 書には必ずその末尾に付記されねばならないところから,これを公示監査報 告書と意訳した。後者の機密監査報告書は,監査士による監査の結果,いか なる事実を発見したか,会計処理について合法性と原則準拠性がどの程度遵 守されていたか,およびそのような判定はいかなる事実と,いかなる彼の判 断に基づいて行なわれたか,などの事情を綿密に記載した監査報告書であっ て,取締役および監査役に提出されるものである。したがって,これは形態

(3)

78 (162)  監査における総合意見に関する一考察(高柳)

上,長文式監査報告書に属するものであり,経営者にとって管理手段の役割 を果すものといわれている。

ところで,わが国における「監査意見」という問題をとりあげて,これを 西独のそれと比較するに当っては,当然,前述の2種の監査報告書のうち,

公示監査報告書の中で表明されている「監査意見」について論ぜられねばな らないであろう。したがって,ここでとりあげられる西独の「監査意見」と は,公示監査報告書の中で表明されているそれであることを最初におことわ りしておく。

さて,わが国の証取監査においては,被監査企業の監査報告書は財務諸表 にそえて監督官庁に提出されれば足り,その公表は証券取引所を通じて行な われているにすぎない。ところが,西独においては,株式法により規定され る関係上,登記の必要が生じて来るとともに,監査報告書を付記した決算書 が官報または商業紙を通じて公表されることになる。したがって,外部の利 害関係者はすべて,簡単に監査報告書を読むことができるので,公共への影 響力は極めて大きいといわざるをえないが,その目的や内容からみて,わが 国の監査報告書と比較する場合のそれは,西独においては,この公示監査報 告書の方を指すのである。

2 総 合 意 見 に つ い て の 諸 見 解

わが国の「監査報告準則」によれば,監査報告には「監査の概要」と「財 務諸表に対する意見」,すなわち,監査実施の概要区分 (Scopesection)と意 見区分(opinionsection)と呼ばれる2つの部分が存在している。ところで,

監査報告書とは,監査の結果,「財務諸表に対する監査人の意見を表明する手 段であるとともに,監査人が自己の意見に関する責任を正式に認める手段で ある」といわれるが,「監査意見」と呼ばれるものは,この監査報告書の中で は,どの部分を指していうのであろうか。

1に考えられるのは,監査人が責任を負わねばならないところの監査意 見とは,範囲区分と意見区分(中間区分やその他説明部分がある場合はこれ をも含めて)の両分節を指す,との考え方である。しかし,一般に監査意見

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監査における総合意見に関する一考察(高柳) (163) 79  という場合には,意見区分の部分が問題とされるであろう。そこで,意見区 分の内容をみると,「監査報告準則」ではつぎのように指示している。

財務諸表に対する意見

(1)  財務諸表に対する意見については,次に掲げる事項を示して財務諸表 が会社の財政状態及び経営成績を適正に表示しているかどうかを記載し なければならない。

会社が採用する会計処理の原則及び手続が,「企業会計原則」に準拠 しているかどうか。

会社が前年度と同一の会計処理の原則及び手続を適用しているかど うか。

財務諸表の表示方法が,一般に公正妥当と認められる財務諸表の表 示方法に関する基準又は法令に準拠しているかどうか。

そこで,問題となるのは,監査人の監査意見というのは,この意見区分に おいて表明されるとした場合,どの部分を指すのであろうか。とくに,監査 人が専門家の立場から意見を表明し,その自己の意見に対して責任を負わね ばならない,とされる監査理論にあって問題とされる意見とはどの部分を指 すのであろうか。

わが国の「監査報告準則」 3(1)の意見区分は,通常の見解では,総合意 見と個別意見からなるものと考えられている。すなわち, 3(1)の中の,

2および3の文節はそれぞれ個別意見または個別記載事項などと呼ばれて おり,ここには,監査の過程において発見され認識された事項について記載 される。その結果,監査人の最終的な見解を述べる必要から財務諸表の適正 性について,全般的観点において (takenas  a whole, overall)総合意見を 表明することになる。この個別意見と総合意見との関係については種々の見 解がある。

まず,飯野教授によれば,意見区分には「質もしくは内容の軽重を全く異 にする二つの事項が記載されることになる。すなわち,一つは監査実施の過 程において発見もしくは個別的に判定を下した事項であり,いま一つは,財 務諸表全般についての意見,換言すれば,監査に関する最終的意見が表示さ

(5)

80 (164)  監査における総合意見に関する一考察(高柳)

れることになる」(飯野利夫「監査報告準則解説」昭和32年中央経済社71頁)。 すなわち,飯野教授によれば,個別意見の部分は,監査実施過程における個 別的部分的判定としての基礎なのであって,財務諸表全般についてその適否 に関する意見表明のための過程を示すものと理解できる。したがって,表明 される監査意見はこの場合,明らかに総合意見のことであり,その意見形成

. . . .  

の過程についてほ,個別意見という言葉も使用されてほいない。したがって,

総合意見と個別意見との関係という形では,意見の問題はとりあげられてな く,最終的もしくは総合的な結論としての総合意見のみを監査意見と理解さ れているようにみえる。

また,黒沢教授ほ「範囲区分の所見も,意見区分の所見しいずれも広義 においては,『監査人の意見』であり,両者は不可分に結びついているのであ るが,監査人の意見の最も主要な要素は,財務諸表の適正性に関する所見で ある。これを狭義において『意見』と名づける」(黒沢清「監査基準解説」昭 和36年森山書店55 56頁)として,やはり最終的な総合意見を監査人の意見 と考えてをられる。もちろん,ここにおいても,総合意見と個別意見とほ対 立関係をもつものであるとか,内包関係をもつものであるとかの論義はない けれど,「意見区分に記載される監査人の意見とは,財務諸表の適正性に関す る証明」(同上)であって,その「監査人の意見表明に関する原則」(同上)

は,「監査人の意見表明は,財務諸表が企業の財政状態及び経営成績を適正に 表示しているか否かについてなされるものとする」という旧報告基準の第2

の示す通りである,と考えておられる。このことは明らかに,監査人の意見 が総合意見を最終的に指していることを意味する。

さらに,久保田教授の見解によれば,「監査報告書ほ,ただ一つの総合意見 を表明するために,意見表明の『環境づくり』と『その総合意見の形成要 因』とを含めたところのオビニオン・レボートである」(久保田音二郎「監査 報告書の情報提供の機能」産業経理第266号)と述べられ,範囲区分は総 合意見の表明のための「環境づくり」として意味をもち,個別意見は総合意 見の形成要因としてとらえられている。

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監査における総合意見に関する一考察(高柳) 165)  81 

3 意 見 区 分 の 構 成 に つ い て

前述のような各論者の見解や監査基準の指示するところにしたがうと,監 査人がそれに対して責任を負わねばならないところの監査意見とは,財務諸 表が全体として企業の財政状態及び経営成績を適正に表示しているか否かに ついて表明されるべき意見,すなわち,総合意見を指すのが,一般的のよう に思われる。

ここでは,まず,監査報告書に記載される必要性があるものとして総合意 見が指摘されたからには,個別意見をもなぜ必要とするのであるかが問わわ れねばならぬ。しかし,この問題はあとにまわして,監査報告書には,どの

ような形式で総合意見と個別意見が記載されているかを検討してみたい。

まず,個別意見が監査報告書に記載される場合には,「監査報告準則」が指 示する3つの個別記載事項は,必ずしも箇条書にする必要はないのであって,

財務諸表が企業の財政状態及び経営成績を適正に表示しているかどうかとい う総合意見に到達することができるような要件として記載されていれば足り るのである。したがって,意見区分は通常,

「監査の結果, X株式会社の採用する会計処理の原則及び手続は,一般に 公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠し,かつ,前年と同一の基準 に従って継続して適用されており,また,財務諸表の表示方法は財務諸表 の規則の定めるところに準拠しているものと認められる。

よって,私は,上記の財務諸表がX株式会社の昭和XxX日現在の 財政状態及び同日をもって終了する事業年度の経営成績を適正に表示して いるものと認める。」

と記載されるであろう。この記載の仕方はたしかに総合意見形成 の過程と して個別意見が記載されている事を示している。すなわち,前文は,

会計原則遵守の要件

会計原則適用における継続性の遵守の要件 し

) 財務諸表明瞭性の原則の遵守の要件

という 3つの原則準拠性の遵守の程度を記載しているものであり,その結果

(7)

82 (166)  監査における総合意見に関する一考察(高柳)

として,後文ほ,

財務状態及び経営成績の適正表示に関する意見 を記載していることから明らかであろう。

このように意見区分を分析してみると,一般に,アメリカにおける意見区 分においては,意見形成の過程としての個別意見ほ記載されないと考えられ ているが,果してそうであろうか,アメリカにおける意見区分は,通常,

「我々の意見によれば,ここに添付してある貸借対照表,損益計算書及び 剰余金計算書ほ,前年度と同一の基準に基づき一般に公正妥当と認められ た会計原則に準拠してX会社のX年 x月X日現在の財政状態及び同日をも

って終了する年度の経営成績を適正に表示している。」

と記載される。ここではたしかに個別意見と総合意見という関係についての 論義はなされていない。しかしながら,わが国におけるような明確な区分わ けをしてはいないけれど,この意見区分の内容も,実質的にほ

財務諸表の原則準拠性の遵守の程度

財政状態及び経営成績の適正表示に関する意見

2つに区分できるのである。すなわち,ここにおいても, 1のところで企 業会計原則の違反,または継続性原則の違反が生じている場合には,その結 果として,その原則準拠性の程度いかんによっては,次の2の財務諸表適正 表示に関する意見に影響を与えるものであり,実質的には,わが国における 個別意見と総合意見の関係と同じ形態を示しているのである。

西 独 に お け る 意 見 区 分

つぎに,西独において使用されている監査報告書の文言ほどのようであろ うか。これは1933年に会計監査人協会 (lnstitutder Wirtschaftspriifer)が発 表して以来最近まで慣習的に使用された文言である。すなわち,

「会社の帳簿と書類および取締役より与えられた情報を基にして,私(我 々)が義務にしたがって監査した終局的結果,記帳処理・年度決算書およ ぴ営業報告書中年度決算書を説明している部分は法律規定に適合してい る。」

(8)

監査における総合意見に関する一考察(高柳) (167) 83  しかし,その後1965年の株式法改正によって,監査報告書の文言は,次のよ うに記載するよう改められた。それによると,

「記帳処理・年度決算書および営業報告書は,私(我々)の義務にしたが った監査によれば法律および定款に適合している。」

この監査報告書の内容はつぎの 2つの分節に分けることができよう。

範囲区分—私(我々)の義務にしたがった監査によれば,

意見区分一ー記帳処理・年度決算書および営業報告書は,法律および定款 に適合している。

いづれにしろ,西独監査報告書の形成は株式法の改正によりやや変更を受け たけれど,その内容とするところは本質的に変わってはいない。ここで取り 上げたいのほ,この2分節のうち,意見区分に関する箇所である。

ところで,西独には,わが国の「企業会計原則」に比すべきものがない。

しかし,これに代るものとして株式法は計算規定を特に詳細に規定しており,

今般の改正において,評価原則などの厳格な規制を行なったことはすでに知 られている。また,貸借対照表や損益計算書の項目分類や年度決算書雛型に 関する表示原則も極めて厳格に規定されており,これら評価原則や表示原則 に違反した年度決算書には監査意見の限定が附せられたり,あるいは意見の 拒絶をうけたりして,時に年度決算書の無効をひきおこすことさえある。さ らに,年度決算書の作成や記帳処理に関しての実践的かつ詳細な手続につい てほ,慣行的に「正規の簿記の原則」が支配していることはすでに知られて いよう。

したがって,西独における監査報告書の意見区分は極めて簡単明瞭な表現 ではあるが,「法律および定款に適合している」という文言は,わが国におけ る監査報告書の意見区分の内容,すなわち,(イ)会計原則遵守の要件,(口)会計 原則適用における継続性の遵守の要件,およびy、)財務諸表明瞭性の原則の遵 守の要件,という 3つの原則準拠性の遵守の程度を記載している部分をすべ て表現していると考えることができる。

さて,わが国の意見区分は,次の2つの分節からなっていた。すなわち,

財務諸表の原則準拠性の遵守の程度

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84 (168)  監査における総合意見に関する一考察(高柳)

財政状態及び経営成績の適正表示に関する意見

である。 1の部分が個別意見であり, 2の部分が総合意見である。ところで,

西独の意見区分の文節は「記帳処理・年度決算書および営業報告書は,法律 および定款に適合している」であった。すなわち,この部分は,監査の対象 である財務諸表が原則に準拠して作成されているかどうかを記載するところ である。いわば,意見区分のうちの個別的記載事項一個別意見に所属する箇 所である。すなわち,わが国の意見区分と比較するならば,それは, 1の財 務諸表の原則準拠性の遵守の程度を記載する箇所に対応する。

ここで,我々は,最も重要な疑問に遭遇することになる。すなわち,監査 人にとって,監査の最終的な結論として最も重要だといわれ,それ故にまた,

それに対してこそ責任が問われねばならないところの総合意見の部分はどの ように表現されているのであろうか。という点である。個別的記載事項のあ とをうけて,「よって,私は,上記の財務諸表がX株式会社の昭和Xxx 日現在の財政状態及び同日をもって終了する事業年度の経営成績を適正に表 示しているものと認める」と記載すべき総合意見の部分はどうなつているの であろうか。

このことは,すでに紹介した西独の監査報告書をみれば解る通り,総合意 見に当る文節は見当らないのである。すなわち,西独監査報告書においては,

財務諸表が財政状態及び経営成績を適正に表示しているかどうかについての,

監査人の最終的な意見は全く省略されてしまつているのである。意見区分の 中にほ,わが国でいうところの個別意見に対応する文節しか見当らないとい えるであろう。

一般に,監査報告書は,監査の結果,監査人が意見を表明する手段である とともに,監査人が自己の意見に関する責任を正式に認める手段である,と いわれる場合わが国においては,監査人の意見とは,総合意見をさしている と考えられたことはすでに述べた通りである。しかしながら,西独において 監査人の意見という場合には,わが国でいう個別意見を指しているという結 論以外には考えることができない。しかし,総合意見に対して監査人の責任 が問われるとした場合,総合意見のない監査報告書が存在するのでは責任不

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監査における総合意見に関する一考察(高柳)

在の監査となつてしまうのではないか。

5 総 合 意 見 と 個 別 意 見 と の 関 係

(168) 85 

ここで,再び,「監査意見」とは何であるかについて論を戻したい。そこで,

個別意見とは,総合意見に到るための,意見形成の過程であるとする見解,

総合意見の表明のための形成要因であるとする見解,あるいは又,総合意見 と個別記載事項とは質も内容も全く異なつたものとする見解など,すでに述 べた通り種々の見解の存するところであるが,いづれにしろ,各論者のいう

ところを要約すれば,個別意見とは総合意見の形成のための足がかり,いわ ば,手段と目的との関係として両者をとらえているように思える。

ところが,個別意見と総合意見との両者を上記のように理解する場合,こ の見解は西独の監査意見に関してはあてほまらなくなる。なぜなら,手段だ けがあつて目的がないかのようにみえるからである。ここで,前述の論者と は意見を異にする中瀕・村山両氏の見解を引用してみよう。すなわち,この 個別意見と総合意見は「果して, 2つの異なった意見であろうか。個別意見 を述べる場合と総合意見を述べる場合と,全く異質の,あるいは内容の軽重 の異なつた意見を述べていると監査人は考えているであろうか。

むしろ,この2つの意見は同じことを異なつた面から表現しているものと 理理解したい。

3つの事項(筆者注一個別的記載事項または個別意見)が妥当であると認 めることは,財務諸表が適正に作成されていることを認めることに外ならな いのであり,総合意見の側から見れば,個別的記載事項は財務諸表の適正概 念を明確にするための記載ということができょう」(中瀬・村山「証取監査要 説」昭和42年中央経済社117頁)と。

このように,中瀬・村山氏は,総合意見と個別意見をば,一つの事柄,す なわちこの場合は「監査人の意見」という事柄を表と裏からみて区別してい るのにすぎないのである。総合意見が監査人の意見の抽象的発想であるとす るならば,個別意見とは,監査人の意見の具体的表現ということができよう。

いいかえるなら,監査人が個別意見を記載しようとする場合には,すでに

(11)

86 (170)  監査における総合意見に関する一考察(高柳)

監査人の頭脳の中には,総合意見を表明すべく予定した立場にたつて判断を 下しているということに外ならない。このことは,限定意見報告書の作成の 場合を考えてみるなら,一層明らかになるであろう。すなわち,個別記載事 項において除外事項を記載する場合,この除外事項は限定意見に導く程に重 要なのであるかどうか,したがつてまた,それは不適正意見に導く程には重 要でないかどうかの判断が行なわれており,その結果,総合意見において限 定を附するであろうという予定のもとに決定がなされているのである。この ことは,除外事項が記載される場合には,常に総合意見に直接影響を与える ものとして捉えられた上で記載されていることを示しているのである。

この点について,西独の場合にあてはめてみると,会計報告が「法律およ び定款に適合している」かどうかの判定は,常に,会計処理や年度決算書が 全体としての立場から判断されていることはいうまでもない。

したがつて,除外事項が存在する場合には,それが年度決算書を全体とし ての秩序性において乱していないと判定できる程度であれば,「…•••記帳処理 年度決算書および営業報告書は……を除いて,法律および定款に適合してい る」という文言をもつて,限定意見は監査報告書が作成されることになり,

また,全体としての秩序性において年度決算書を乱していると考えられる程 に,その除外事項が重大である場合には,「私は19X年営業年度におけるX株 式会社の記帳処理・年度決算書および営業報告書を監査した。その結果,私 が示した除外事項を理由として監査の確認を拒絶する」という書面形式の証 明書が提出される。すなわち意見の拒絶である。すなわち,西独においては,

除外事項が記載されるときには,決算書の全体としての秩序性を前提としな がら,限定意見へと導ぴかれるのであるが,その除外事項の記載される場所 は,わが国でいう個別意見の部に属すると考えられるであろう。

したがつて,意見区分を形式的に,総合意見と個別意見との2つにわけた 場合,西独においては,総合意見が存在しないようにみうけられる。しかし

•ながら,実質的に考えてみれば,個別意見を述べる場合には,すでに年度決 算書を全体として判断した上での意見の表明なのであるから,わが国でいう ところの総合意見なる概念は観念的には存在していると考えてよいであろう。

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監査に活ける総合意見に関する一考察(高柳) (171) 87  したがつて,ここでは,総合と個別との分別がなされないままに,両者を全 く同じ一つのものとしてとらえ表現されていると考えられるのである。

6 監 査 意 見 の 性 格 に つ い て

このように,形式的面からみると,わが国の監査報告書における意見区分 と,西独のそれとでは重大な差異があること上述の通りであった。しかし,

わが国の意見区分における総合意見と個別意見は,「監査人の意見」という一 つの事柄を2つの異なつた面からみているにすぎず,他方,西独の場合は,

「監査人の意見」という一つの事柄を二つに分別しない状態においてみてい るのであつて,実質的には,この2種の意見区分には差異がないと解釈する ことができた。

しかし,このような解釈がなりたつとしても,さらに重要な問題が生じて くる。たとえば,わが国の監査意見ほ,

「財務諸表が財政状態及び経営成績を適正に表示しているかどうか」

について表明されるのに対し,西独における監査意見は,

「年度決算書が法律に適合しているかどうか」

について表明されることになる。

実は,ここには大きなニュアンスの違いがあるのである。財務諸表に対す る意見に関し,西独の場合にほ,総合意見に類するものがないために,「法律 に適合しているかどうか」についてのみ判定を下しておけばよいのであるが,

わが国の場合にほ,まず「法律に適合しているかどうか(会計原則に準拠し ているかどうか)」 について判定した上で,さらに「財務諸表の適正性」に ついての意見を表明せねばならない。

. . . . .  

すなわち,西独の監査報告書には,一見,事実の問題をとりあげているか

. . . . .  

のようであり,わが国の監査報告書には,意見の問題をとりあげているかの ようにみえる。そこで,ここでは,さらに「意見」という問題について考え てみたい。

さて,西独の監査報告書のも一つの特長は,「私の意見によれば」という前 置が使用されていない点である。これに対する支配的見解ほ次のようである。

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88 (172)  監査における総合意見に関する一考察(高柳)

すなわち,この言葉を使用しても,あるいは使用しなくても,監査報告書が 意見の問題をとりあつかつていることは自明なのであるから,敢えて「私の 意見によれば」という言葉を入れる必要はない,このような言葉を挿入する と,読者は却つて監査人が何らかのいいわけや責任のがれのために使用して いるのではーないか,との誤解をまねくという理由から,この言葉は使用され なかつた。

このように,西独においても監査報告書は事実の問題を取扱かつているの だとの見解はみられず,上のような理由からも,意見の問題であるとの考え 方の方が支配的である。

そこで,つぎに「意見」という言葉がなぜ監査において強調されねばなら なかつたかについて問われる必要がある。かつては,監査意見ではなく,監 査証明という言葉が使用されていたことについては多くの文献の示すところ であるし,また,わが国においても,証券取引法監査においてはこの言葉が 使用されている。しかし,理論的には,証明なのではないから意見という言 葉を使用すべきだ,との風潮の方が強いようである。

財務諸表監査の最終目標とされる財務諸表の適正性に対する監査人の専門 的結論を,証明といわずに,意見と呼ぶ理由について,森教授は4つを取上 げている。すなわち,

第一に,財務諸表は,客観的事実の表示ではなく,事実と慣習と判断の総 合的産物であるので,判断を含むものに対しては証明を行なうことはでき ないということである。

2の理由としてあげられるのは,財務諸表の適正性の判定には,監査人 自身の判断を要求される部分が非常に大きいということである。

3に,財務諸表監査の実施のために,必要な監査範囲,監査方法の選択 および適用などの決定に,監査人の判断を要することがあげられる。

4の理由としては,財務諸表監査において会計士に職業専門家として要 求される能力には,その他の面(筆者注一鑑定人・評価人または材料の専 門家としての面)において限界があるということがあげられる。 (森実

「監査報告書の性質について」香川大学経済学部研究年報7 (1967)

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監査における総合意見に関する一考察(高柳) (173)  89  さて,監査人の結論を証明と呼ばずになぜ意見と呼ぶのかについての理由 は森教授の分析によって明らかである。しかし.自然科学におけるような証 明を,社会科学の分野が要求していないことは誰しも認めているところであ るし,また,証明なる言葉は避けるとしても,なぜ意見という言葉でなけれ ばこれに代えることができないのか,という疑問については解答されていな o

ここで,監査人の結論が意見であると呼ばれることを強調しなければなら なくなつた理由について考えねばならない。

さて,西独の監査報告書には,「私の意見によれば」という文言がない。ま た,監査報告書は意見を表明するところである,との強調的な主張もない。

さらに,そこでは,財務諸表の適正性についての意見をも述べていない。す なわち,ここには,わが国でいう,総合意見の概念がないのである。ここで,

一つの推定がえられる。すなわち,監査人の結論が,敢えて意見と呼ばれね ばならなくなったのは,総合意見ー財務諸表の適正性に対する結論ーを表明 せねばならなくなったからなのではないか? もし,個別意見だけを記載し て済むのであれば,敢えて意見であることを強調しなくてもよかつたのでは ないか?

会計原則の遵守,継続性の遵守および財務諸表明瞭性の遵守という 3つの 個別的記載事項に関する判定は,いうまでもなく意見の問題であり,そのた めに個別意見とも呼ばれている。それと同様に,西独においても,「法律に適 合しているかどうか」という記載事項は,当然に意見の問題としてとり扱わ れる。そして,監査人の結論の問題が,西独における場合のように,個別意 見だけをのべれば足りる,すなわち,総合意見のでて来ない(すなわち,適 正であるかどうかをいう必要のない)段階においてとらえられていたのなら,

監査人の最終的結論が意見であるかどうかという問題は敢えて強調されなか ったにちがいない。

森教授が証明と呼ばず意見と呼ばれた理由を,財務諸表そのものが意見の 所産であること,財務諸表の適否への判断もまた監査人の意見であること,

監査実施における範囲・方法の撰択に判断が伴なうこと,および専門家とし

(15)

90 (174)  監査における総合意見に関する一考察(高柳)

ての能力に限界があることの四つを挙げられたことは上述したが,これらの 四つの理由は,監査人が個別意見を記載する段階についてもあてはまるので あって,あえて総合意見にとらわれた理由とは考えられない。いいかえるな ら,これら4つの理由から,監査人の最終的結論を意見と呼ばねばならぬ必 要性があるのだろうか,という点である。

森教授は意見と呼ばれる理由の第一番に,「財務諸表は,事実と慣習と判断 の総合的産物である」ことをあげられた。このことは,財務諸表が事実と慣 習と判断の総合的産物であるから,いかなる人によっても正当な評価を与え ることがだきない,ということを意味しているのではなく,事実と慣習と判 断の総合的産物であるからこそ,専門家の判定にすべてをゆだねたのである。

その慣習は社会的慣行として認められたものであり,その判断は会計原則 に照して正当なものである,との判定を専門家の名において下したのが監査 意見なのである。この場合,素人が行なった判定であるなら,これはあえて 意見として強調してもよいが,専門家の行なった判定である以上,敢えて意 見たることを強調する必要がないかに思える。

裁判において判決が下される場合,裁判官は提出された証拠に基いてこれ を決定する。その場合,提出された証拠が果してどの程度立証力を持つもの であるか,どの程度真実を示しているものであるかを裁判官は判断せねばな らない。提出された物件を証拠として認めるか否かは意見の問題であり.そ の証拠力を根拠にして判決を下し,どの程度の罰則を適用すべきかは.これ また,裁判官の意見の問題である。しかし,裁判における判決について,こ れが意見の問題であることを強調する必要はない。そのことは当然なのであ り,専門家としての裁判官が自らの良心に従い,ルールを守って決定を下し たことを世間一般が認めているからに外ならない。

このことは,森教授があげた第2,3および第4の理由もすべて同じ結 論に導かれる。すなわち,財務諸表の適正性の判定,監査手続の選定,専門 家として要求される能力もすべて素人を問題にしているのではない。企業会 計原則や監査基準という世間一般が認めた社会的Jレールに従った会計専門家 の判断の問題として取り扱われているのである。

(16)

監査における総合意見に関する一考察(高柳) 175) 91  自然科学であるならば,絶対的な真実性を立証せねばならないであろう。

しかし,社会科学においては,このような真実性が追求されているのでない ことは当然である。社会科学において立証されねばならぬ真実性とは,あく までも相対的概念としてである。相対的真実を問題にするからこれを意見と して強調するのだとの論理は不必要であろう。

7 結 論

それにも拘らず,この意見が証明と呼ばれることを拒否する理由としてあ げられるのは,つぎの2つのうち,いづれかの理由によるもの考えられるか らであろう。すなわち,

財務諸表の読者に対する啓蒙的・教育的意義

総合意見は個別意見とほ質の全く異なる性格をもつもの である。

もしも,総合意見と個別意見というものが,同じ監査意見をちがった面か らみているものであって, 2つの意見がのべられるのは,読者に対するサー ビスであり,啓蒙的鍛点からするものである,との理由であれば,いつかは,

どちらか一方の意見さえ記載すればよいことになるであろう。この場合,私 見によれば個別意見の方が生き残り,総合意見の方が消滅する運命にあると 考える。読者が啓蒙され教育されることによって監査報告書を読む能力を増 大させれば,個別意見の箇所(特に除外事項などのある場合)を読むことに よって,除外事項の存否,その収益力ヘの影響等を知ることができ,財務諸 表の適正性の程度を十分に判定することができるのであって,監査人の総合 意見としての判定を必要とほしないであろう。財務諸表の適正性を判定すべ き要件ほ,すべて個別意見のところで表現されており,財務諸表へ与える影 響に関しても記載されるのであるから,読者はそれ以上には監査人の意見を 求める必要もなくなるであろう。

そして,財務諸表が適正であるかどうかは読者自身において判定を下すで あろうし,それによって,企業の業績評価も自ら行なうことであろう。継続 性違反の結果,壱千万円の利益が去年に比し減少して表示されている旨記載

(17)

92 (176)  監査における総合意見に関する一考察(高柳)

されるのは個別意見の箇所においてである。そして,これが財務諸表の適正 性に対し限定となるのか,あるいは不適正となるのかは読者にとってほ,実 はどうでもよいことであって,壱千万円の利益表示が減少されて示されてい ることを知りさえすればよいのである。

監査人は自らの意見に対して責任をとらねばならぬ,という絶対要件にと らわれすぎて,監査人は自らの意見を限定とすべきか不適正とすべきかに精 力を尽くさねばならぬ。このような判断こそ,教育され啓蒙された後の読者 こそが自ら行なうべきものであろう。しかし,不明な読者のために現在では なお監査人の総合意見を必要とする,との反論が生ずるであろう。しかし,

この考え方はむしろ危険だといえる。不明な読者は限定がつき,不適正とな った財務諸表に対しては,企業の業績をも悪いものと断定するかもしれない。

逆粉飾が話題にとり上げられている現在,この危険は特に存する。

したがって,私見によれば,総合意見が教育的立場で表明されているので あれば,いつかは,個別意見のみが監査報告書に残るようになるだろうと思 える。

つぎに,第2の理由,すなわち,総合意見と個別意見は全く異質のものか,

について考えてみたい。

個別意見だけを監査人が表明すればよいとの立場にたてば,監査人の結論 をば,やれ「意見」だ,やれ「証明」だと問題にする必要がなかったろう,

と述ぺた。

監査報告書が監査人の意見を表明するところであり,監査人はその自己の 意見に対して責任を負う,といわれるが,この場合の意見とほ,「財務諸表が 適正であるかどうか」について表明される意見であった。

この総合意見なるものは,果して個別意見とは違う性質のものなのか,と いう課題を,最後に再びもちだした理由は,第1の理由,教育的,啓蒙的見 地からの論義,すなわち,読者が不明さを沸拭した後においても,なお総合 意見は残るであろう,とのも一つの結論もまた考えておかねばならないから に外ならぬ。この場合は,総合意見と個別意見とは異質のものであるために,

どの一方をも除くことができない,とする結論。お互いに異質のものではな

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監査における総合意見に関する一考察(高柳) (177) 93  いが,社会的慣行として両方とも残る,とする結論。また,いづれか一方が 消えてゆくであろう,との結論,等があるであろう。

この小論においては,監査人の結論が証明でなく,意見と呼ばれる点につ いての疑問を,西独とわが国の監査意見の相違,すなわち,総合意見と個別 意見との関係から提示したものであって,何らかの結論をこの場において求 めたのではなく,むしろ,この問題の解決について,諸賢よりの御指導を仰 ぎたいとの一念から草したものである。

(終)

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