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報告1 モンゴルへの思い(和光大学モンゴル学術調 査団報告)

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報告1 モンゴルへの思い(和光大学モンゴル学術調 査団報告)

著者 針生 一郎

雑誌名 東西南北

巻 1998

ページ 146‑147

発行年 1998‑03‑20

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003692/

(2)

私はウランバートルの歴史資料研究所長に

会ったとき︑モンゴル族はもともとノマド︑

つまり遊牧民族だから︑国家という形になじ

まない︑いま共和国のほかロシア︑中国に散

在しているモンゴル族の統一もすぐには困難

で︑まず文化的統一を強めていくべきではな

いかといったら︑それでも我々は自立国家を

求めた以上︑国家体制を整備する必要がある

という答えでした︒たしかに︑モンゴル族は 報告1 国境の内部ではマジョリティとなりますが︑別のところではマイノリティになってしまいます︒モンゴル国は前者の例ですし︑後者の典型的な例は︑中華人民共和国の場合です︒国家という形で一度分断されますと︑その国家の政治体制とその政策によって︑彼らは別々の生活のあり方を求めざるを得ません︒その中で︑伝統的な生活のあり方l例えば宗教生活は︑禁止の対象となったりして大きく変容をせまられます︒

私たちはこうして︑政治体制とその変化に

モンゴルへの思い

西方遠征でほとんどユーラシア大陸を支配す

る巨大帝国を築いた︒﹁世界史﹂という思想

はあの時期に形成されたという説もあるほど

で︑単純に国家に不向きともいえません︒

モンゴル族の源流は明確ではありませんが︑

中国では古く旬奴︑月氏︑突厭︑女真︑契丹︑

などとよばれたアルタイ系北方遊牧民族の一

つで︑イラン系︑トルコ系諸民族とも隣りあ

い︑まじりあっていたようです︒一三世紀初 大きく関わりながら︑どのように伝統的な生活を保持し︑あるいは放棄しつつ︑その地域の特性の中で生活を営んでいるのかを︑幾層にもわたる視点をもってみてみたい︑そして分散しつつなお共通性をもっているなら︑そうしたものを生みだす彼らの知恵も学びたいという思いで共同研究を開始しました︒

ところで︑これまで﹁モンゴル人﹂という

いい方をして来ましたが︑そもそも﹁モンゴ

ル人﹂と一言でいえるほど︑彼らは〃わかり

やすい″人びとであるのでしょうか︒これも

針生一如即名誉教授

頭にテムジンがモンゴル族を統一してチンギ

ス・ハーンと名のると︑牧民を九五個の千戸

群に再編して右翼を息子たち︑左翼を弟たち

に統括させる﹁ウルス﹂という国家体制をつ

くったが︑宮廷の﹁ネケル﹂とよばれる幕僚

にはそれらの近親のほかに︑女真人︑契丹人

も加わっていたことが注目されます︒金王朝

に対する情報と戦略をもつ契丹人の耶律阿海

と禿花の兄弟が手引きして︑内蒙草原の契丹 問題です︒当然のことながら︑一言でモンゴル族といわれる人びとの中にも︑支族が存在します︒となると︑どこまでの範囲の人びとをモンゴル族といい得るのか︑ということすら問題となって来ます︒この辺りのことは︑今日の報告でも触れられるはずです︒恐らくみなさんのイメージの中にある﹁モンゴル﹂とは︑大分かけ離れた生活をしているモンゴル人も存在していることを︑今日の報告から是非知っていただきたいと思います︒

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(3)

系騎馬軍団をそっくり吸収したことが︑対金

戦略の勝利の一因で︑契丹軍団はそのままモ

ンゴル軍に組み込まれます︒だからモンゴル

とは最初から︑ハイブリッドな多民族集団だ

ったのです︒

もともと遊牧は馬だけでは成り立たず︑馬︑

牛︑羊︑山羊︑ラクダの五畜で成立する︒し

かも︑遊牧生活に必要な人間の食糧︑道具な

どは自給自足できず︑周辺に定住農耕集落や

オアシス都市が必然的に要求されます︒だか

らモンゴル族も遊牧騎馬軍団だけではなく︑

集落︑都市の支配経略を早くからもっていた

と思われます︒じじつ彼らの遠征は︑まず偵

察と諜報を兼ねた通商使節団を送り︑相手が

通商をことわると集めた情報と下工作の結果

をクリルタイという作戦会議で検討し︑寝返

る可能性のある者を工作して投降させた上︑

一点に兵力を集中して一挙に攻撃するのです︒

しかも占領地では︑既成の宗教は一切自由︑

フビライになると各宗教に本山のほか︑モン

ゴルの首都カラコルムにもう一つ本部を置か

せて管理する以外自由とする︒さらに中国の

三大発明といわれる火薬︑羅針盤︑印刷術︑

またのちに景徳鎮などで生産される青い釉薬 を塗った青花白磁を西洋に伝えたのは︑モンゴル人のネット・ワークだといわれます︒つまりモンゴル帝国全体が各パートの自主性を尊重したゆるやかな諸民族連合で︑武力支配だけでなく情報︑文化支配だったといえます︒

宗教といえば︑モンゴル族の原始宗教はシ

ャーマニズムで︑のちに定蒲したラマ教の仏

画をみても︑シャーマニズムに近づけて受容

されていると思われます︒いまソ連型社会主

義から離脱したモンゴル共和国では︑ラマ教

の勢力が復興されつつありますが︑やがても

っとさかのぼって詩や踊り︑文学や美術にも

シャーマン的呪力が復興される日も来るでし

ょう︒私は福岡市美術館の第四回アジア美術

展で︑モンゴルの女性画家の描いた荒野のか

なたに崖がみえ︑その崖の中央に巨大な女神

の上半身がうかび︑その肩から胸に瀧が流れ

おちる幻想的な風景画をみて︑そんなことを

考えました︒やはり社会主義からの離脱後︑

共和国では幼時経験した遊牧生活に戻る人が

ふえたそうですが︑聞いてみるともと官僚︑

医者などかなり経済的余裕のある階層の一家

しか遊牧に入れない.しかも︑いまのところ

土地は国有だから︑季傘聖﹂とに別の草原に移 る遊牧が可能ですが︑土地私有となると自由に移動できない︒多くのゲルにテレビはあるが︑自家発電だから年に一︑二度祭りのときだけつけてみるという︒資本主義と工業化社会にむかうには︑さまざまの未解決の問題があります︒

ただ私の友人でもあったフランスの精神分

析学者あがりのフェリックス・ガタリと︑二

年ほど前自殺した哲学者ジルⅡドゥルーズが︑

共同で書いた多くの本のうち最後の本﹃千の

プラトー﹄で︑さまざまの時代︑さまざまの

問題をプラトー︵高原︶として焦点にしなが

ら︑人類史を遊牧Ⅱ逸脱Ⅱ変革派と農耕I定

住Ⅱ秩序派の相克としてとらえ︑マルクス主

義と異なる変革の展望を描いたことに︑私が

十分理解できたか︑説得力が十分かどうかは

ともかく共感します︒いま冷戦の崩壊ととも

に︑フランス革命のかかげた﹁民族自決﹂の

理念も再検討を迫られているとき︑モンゴル

族の政治的統一は早急には困難としても︑そ

の文化的統一の強化を通して︑国家をこえた

諸民族連合のさきがけとなりうるはずで︑私

はそれに大いに期待しています︒

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