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密教研究 Vol. 1930 No. 39 004神龜 法壽「近世の高野寺領と某の經濟 (一) P83-113」

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沿

高 祀 弘 法 大 師 が 嵯 蛾 天 皇 に 奏 請 し て 高 野 山 を 賜 は れ た の は 去 る 弘 仁 七 年 の 七 月 で あ つ た が 、 其 の 當 時 の 高 野 領 は 勿 論 山 麓 天 野 紳 肚 の 神 領 を 其 の 儘 受 け 縫 い だ も の で あ つ た 。 尤 も 其 の 山 地 四 至 の 堺 界 に 就 い て は 諸 書 其 の 録 す る 所 を 異 に し て 居 り 、 又 事 實 に 於 い て 其 の 封 域 も 奮 紳 領 ご は 多 少 の 相 違 も あ つ た 様 で は あ る が 、 然 し 大 體 に 於 い て は 大 差 な き も の ご 認 め て 然 る 可 き も の で あ ら う ご 考 へ る 。 元 来 、 此 の 天 野 棘 領 な る も の は 、 山 神 丹 生 津 姫 の 命 が 慮 神 天 皇 か ら 寄 進 さ れ た も の で 、 今 當 時 の 棘 領 を ば 丹 生 祝 文 や 丹 生 大 明 紳 の 吉 門 (祝 詞 ) な ご に 依 つ て 勘 へ て 見 る ご 伊 都 郡 の 紳 戸 郷 (伊 都 郡 は 往 古 は 紳 戸 、 加 美 、 村 主 、 揖 理 、 桑 原 の 五 郷 か ら な つ て ゐ た ) と 那 賀 郡 の 棘 戸 郷 (那 賀 郡 は 又 神 芦 、 名 手 、 神 門 、 那 賀 、 荒 川 、 山 崎 、 埴 崎 の 七 郷 か ら な つ て ゐた ) 及 び 有 田 郡 の 英 多 郷 (有 田 郡 は 往 古 は 在 田 或 似 阿 諦 川 と 云 ひ 、 吉 備 、 温 笠 、英 多 、 奈 郷 、 須 佐 の 五 郷 か ら な つ て ゐ た ) か ら な つ て ゐ た 様 で あ る か ら 此 れ を 現 今 の 地 名 に 當 嵌 め る ご 東 は 紀 州 ご 大 和 の 堺 界 線 を 限 り し 、 北 は 伊 都 那 賀 兩 郡 の 内 紀 の 川 以 南 近 世 の 高 野 寺 領 書 其 の 経 濟 八 三

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 八 四 の 地 を 含 み 、 西 は 那 賀 郡 貴 志 川 ご 紀 の 川 と の 合 す る 地 點 を 以 つ て 區 劃 し 、 貴 志 川 を 南 方 に 湖 り 國 主 村 の 南 方 貴 志 川 ご 星 子 川 の 合 流 す る 所 よ り 星 子 川 に 添 ふ て 星 川 橋 に 到 り 、 更 に 星 子 川 に 添 ふ て 東 方 に 向 ぴ 高 壺 山 の 邊 動 か ら 南 方 に あ る 小 徑 を 辿 つ て 七 本 松 、 東 谷 の 地 を 経 て 再 び 貴 志 川 の 上 流 へ 出 で 志 賀 野 村 の 落 合 (神 勾 ) に 到 り 、 此 所 よ り 那 賀 、 有 田 、 海 草 三 郡 の 境 界 を な す 生 石 峯 に 到 る も の ら し く 、 又 南 方 は 此 の 生 石 峯 を 起 點 こ し て 伊 都 、 有 田 兩 郡 の 堺 に あ る 長 峯 山 脈 を 傳 つ て 伊 都 郡 の 花 園 村 と 日 高 郡 と の 限 堺 を な す 横 峯 に 到 る 範 園 の 土 地 で あ つ た こ 思 は れ る 。 さ れ ば 弘 法 大 師 御 在 世 當 時 の 高 野 領 な る も の は 頗 る 廣 大 な 土 地 を 所 有 し て ゐ た の で あ る か ら 其 の 経 濟 的 除 裕 も 頗 る 潤 澤 で あ つ た ら う と は 考 へ ら れ る が 、 然 し 今 日 其 の 當 時 前 後 の 経 濟 的 實 状 を 探 る べ き 参 考 資 料 に つ い て は 未 だ 見 る べ き も の が な い 。 唯 彼 の 延 喜 式 に は ﹃ 金 剛 峯 寺 料 五 千 六 百 十 六 束 、 同 寺 燈 分 並 佛 聖 二 千 入 百 束 ﹄と あ り 、 叉 三 代 實 録 に は ﹃ 貞 觀 十 入 年 入 月 廿 二 日 丁 酉 、 金 剛 峯 寺 水 陸 田 三 十 入 町 、 在 紀 伊 國 伊 都 那 賀 名 草 牟 婁 四 郡 、 勅 免 其 租 永 爲 寺 田 ﹄ と 誌 さ れ 、 又 永 承 四 年 の 官 符 に は ﹃ 後 院 並 大 師 相 傳 施 入 四 箇 郡 荘 田 等 以 去 貞 觀 十 入 年 賜 官 符 ﹄ と し て ﹃ 本 田 四 十 一 町 四 段 百 五 十 歩 、 陸 田 七 町 百 入 十 七 歩 ﹄ と の 記 録 に 接 す る 位 の も の で あ る 。 さ て 其 の 後 、 高 野 寺 領 は 高 野 山 の 興 隆 衰 頽 度 々 の 消 長 に 從 つ て 其 の 都 度 興 磨 し て 今 日 に 綾 い て 來 た 。 柳 ち 彼 の 延 喜 十 七 年 、 東 寺 長 者 觀 賢 僧 正 と 高 野 山 座 主 無 室 律 師 の 澗 に 三 十 帖 策 子 の 事 件 が 勃 登 し

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て 律 師 は 一 山 の 衆 徒 を 峯 ゐ て 敢 然 離 山 流 浪 す る に 到 つ て は 前 後 四 十 年 間 一 山 は 荒 屡 の 極 に 達 し 寺 復 の 大 半 は 他 に 押 領 さ れ たと 云 は れ 、 又 正 暦 の 頃 に は 國 司 景 理 の 暴 墨 に 遇 ひ 奮 領 は 殆 ん ご 没 牧 さ れ て し ま つ た ご 云 は れ て ゐ る 。 然 し 寛 治 年 間 已 後 は 大 體 に 於 い て 高 野 寺 領 十 七 萬 三 千 百 三 十 七 石 、 寺 領 村 数 二 千 六 百 十 三 村 と 云 は れ 、 加 之 に 佛 法 破 却 の 信 長 公 が 天 正 入 年 九 月 二 十 一 日 に 教 書 を 下 し て 大 和 宇 知 郡 の 三 千 石 を 加 増 寄 進 す る (績 寳 簡 集 三 入 五 に 牧 録 す る 正 親 町 天 皇 の 綸 旨 は 天 正 十 三 年 六 月 十 一 日 付 で は あ る が 、 其 の 文 意 よ り 見 れ ば 此 の 時 の 事 が 朝 廷 に 傳 へ ら れ て 登 せ ら れ た 寺 領 寄 附 の 綸 旨 で あ る ご 推 察 さ れ る ) な ご 頗 る 隆 盛 を 極 め 、 一 山 に 於 い て は 大 集 會 に は 百 石 宛 、 小 集 會 衆 中 に は 五 十 石 宛 、 行 入 方 沙 汰 衆 中 に は 廿 五 石 宛 を 給 し 、 山 下 庄 官 、 地 士 、 浪 入 等 其 の 他 一 山 與 力 の も の に は 其 れ く 田 畑 家 地 持 免 除 の 事 を 敢 行 し て 内 外 共 に 充 實 し た 経 濟 状 態 を 把 持 し て ゐ た も の と 考 へ ら れ る 。 さ れ ば 此 の 後 、 信 長 へ の 叛 將 荒 木 攝 津 守 村 重 の 殘 黨 五 人 を 山 内 行 人 方 池 ノ 坊 に 匿 つ て 之 れ を 信 長 に 引 渡 す 事 な く 却 つ て 其 の 召 捕 方 三 十 二 人 (堺 奉 行 松 井 友 閑 の 歩 卒 ) を 虐 殺 せ し 事 よ り 信 長 と の 間 に 隙 を 生 じ 、 天 正 九 年 十 月 二 日 、 信 長 は 其 の 子 三 七 信 孝 を 総 大 將 こ し て 十 三 萬 七 千 二 百 二 十 人 の 総 勢 を 差 し 向 け 登 山 道 七 口 を 塞 い で 高 野 山 破 却 の 縢 を 堅 め し 時 も 、 寺 領 内 諸 庄 の 地 士 、 浪 人 、 山 内 若 大 衆 を 驅 り 集 め 総 勢 三 萬 人 を し て 之 れ を 防 禦 せ し め 、 翌 十 年 六 月 二 目 、 信 長 本 能 寺 に 於 い て 明 智 光 秀 の 爲 め に 殺 せ ら る ゝ の 報 到 る 迄 一 歩 も 敵 軍 を 山 内 へ 踏 み 入 れ し め ざ る の 富 強 を 把 持 し て ゐ た の で あ る 。 近 世 の 高 野 寺 領と 其 の 経 濟 八 五

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 繹 濟 八 六 然 る に 天 正 十 三 年 三 月 、 羽 柴 秀 吉 自 ら 十 萬 徐 騎 を 率 ゐ て 其 の 二 十 一 日 に は 根 来 山 を 一 戦 焦 土 と 化 し 、 績 い て 翌 二 十 二 日 に は 軍 を 雑 賀 に 進 め て 太 田 の 砦 を 園 み 其 の 首 魁 百 五 十 三 人 に 切 腹 せ し め 、 越 え て 四 月 五 日 に は 熊 野 征 伐 を 沙 汰 し て 之 れ を 伏 し 、 次 い で 同 七 旦 高 野 攻 め を 決 し 、 大 軍 を 山 麓 粉 河 に 屯 し 細 井 新 助 を 高 野 山 に 遣 は し て 三 箇 條 の 案 文 を 示 し 蹄 順 を 促 し た 時 に は 流 石 冨 強 な り し 高 野 山 も 前 年 来 数 ヶ 月 に 渉 る 織 田 軍 こ の 戦 闘 に も 疲 れ 果 て ゝ 一 山 の 経 濟 状 態 も 窮 迫 の 極 に 達 し て ゐ た 時 で あ つ た か ら 終 に ﹁ 御 詫 言 之 儀 、 於 御 赦 免 者 、 宇 智 郡 諸 寺 領 等 可 爲 如 先 々 之 事 、 宇 智 郡 相 應 之 御 軍 役 之 事 。 上 様 御 禮 物 金 子 は 百 枚 當 年 内 、 百 枚 来 年 、百 枚 明 後 年 以 上 参 百 枚 を 三 年 に 納 め る 事 ﹂ (又 綾 寳 簡 集 七 三 六 ) を 條 件 こ し て 蹄 順 承 伏 の 事 に 一 決 し 、 當 時 山 内 の 穀 屋 寺 に 籠 居 し て ゐ た 近 江 佐 々 木 氏 の 奮 家 臣 (佐 々 木 氏 没 落 の 後 は 大 和 高 取 城 主 越 智 氏 に 仕 へ し も 其 の 家 又 没 落 せ し を 以 つ て 世 の 無 常 を 威 じ 三 十 七 歳 に し て 髪 を 落 し 入 道 登 山 せ し と 云 ふ ) 木 食 應 其 が 在 俗 の 頃 秀 吉 に ゆ か り あ る こ の 故 を 以 つ て 此 れ を 仲 介 者 こ な し 南 院 の 宥 全 、 遍 照 尊 院 の 快 言 に 御 朱 印 線 起 を 携 へ て 秀 吉 の 陣 屋 へ 赴 か し め 一 切 承 伏 の 由 を 誓 言 し た の で 秀 吉 も 此 れ を 諒 と し て 其 の 四 月 十 日 に は 奮 領 安 堵 の 畳 書 を 下 し 、 高 野 山 で は 同 じ く 四 月 十 六 日 に 釋 迦 文 院 法 眼 空 雅 、 増 福 院 法 印 良 運 の 名 に 於 い て 一 山 を 代 表 し 此 れ が 請 文 を 捧 呈 す る に 至 つ て 事 落 着 に 及 ん だ の で あ る が 此 の 時 高 野 山 が 秀 吉 の 此 の 申 出 に 樹 し て 反 抗 の 意 志 を 表 明 し 、 自 ら 一 時 の 怒り を 怨 ん で 一 山 安 泰 の 擧 に 出 で な か つ た な ら ば 、 恐 ら く 後 世 太 閤 の 蹄 信 もな か る べ く 否 却 つ て 彼 の

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根 来 寺 の 如 く 秀 吉 の 大 軍 を 對 へ て 一 敗 地 に ま み れ 、 千 古 の 難 山 は 徒 ら に 焼 土 と 化 し 、 芒 草 丈 な す 伽 藍 の 礎 趾 に 夕 ひ ば る の あ が る を 見 て も 涙 数 行 下 る 非 蓮 に 遇 つ て ゐ た の か も 知 れ な か つ た の で あ る 。 さ れ ば 此 の 時 の 蹄 順 承 伏 は 秀 吉 の 爲 め に も 一 山 の 爲 め に も 一 基 兩 得 で あ つ たと 云 は ね ば な ら 漁 。 尚 因 み に 彼 の 細 井 新 助 が 上 使 と し て 高 野 山 に 齋 ら し た 三 箇 條 の 案 文 は 今 は 山 内 に 現 存 し て ゐ な い か ら 其 の 内 容 の 詳 細 に 渉 つ て は 不 明 で は あ る が 石 田 玉 山 の 太 閤 記 を 抄 録 す る ご 大 體 次 の 如 き 文 面 で あ る 。 一 、 海 師 手 印 の 載 る 所 寺 領 た る べ し 、 其 外 年 来 横 領 す る 所 の 者 は 速 に 本 に 還 す べ し 、 然 ら す ん ば 一 山 既 に 海 師 の 法 に 背 き 滅 亡 の 基 に あ ら ざ ら ん か 。 一 、 寺 僧 行 人 等 學 問 を 嗜 ま す 、 甲 冑 弓 鐵 砲 を 貯 へ 置 く 、 沙 門 之 事 業 に あ ら す 、 悪 逆 無 道 也 こ い ふ べ し 向 後 學 問 を 勤 め 、 武 具 を 携 ふ べ か ら す 。 一 、 朝 敵 國 怨 讐 の 輩 、 山 中 に 來 り 匿 る 時 、 僧 徒 こ れ を 扶 助 す 、 帥 是 同 罪 也 、 自 今 以 後 之 を 禁 制 す 。 若 親 を 喪 ひ 子 を 失 ひ 或 は 主 人 に 向 背 或 は 恥 を 蒙 り 面 目 を 失 ひ 髪 を 切 り 遁 世 眞 實 登 道 心 の 族 は 在 山 す ご い へ こ も 制 の 限 に は あ ら す 、 比 叡 山 、 根 来 寺 の 滅 亡 を 以 て 眼 前 の 燗 戒 こ な す べ し 。 右 の 條 々 衆 徒 行 人 等 同 心 に お い て は 請 状 を 捧 ぐ べ し 満 山 各 々 心 底 を 殘 さ す ん ば 秀 吉 も 亦 興 隆 す べ き 也 。 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 八 七

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近 世 の 高 野 寺 領 ご 其 の 経 濟 八 八

上 述 の 如 く 、 秀 吉 は 天 正 十 三 年 の 四 月 七 日 に 細 井 新 助 を 上 使 ご し て 高 野 山 へ の 蹄 順 を 促 し た の で あ る が 、 勿 論 秀 吉 の 心 底 に は 最 初 か ら 高 野 山 を 破 却 す る の 意 志 は な か つ た も の こ 思 は れ る 。 此 れ は 其 の 當 時 の 國 状 や 秀 吉 自 身 の 軍 事 多 端 の 實 状 か ら 推 し て も 想 像 の つ く 所 で あ り 、 殊 に 彼 の 平 生 の 策 謀 や 其 の 性 格 か ら 考 へ て も 明 か な 所 で あ る ご 思 ふ 。 さ れ ば 此 の 時 高 野 山 衆 徒 が 秀 吉 の 術 策 に 落 ち て 事 な く 手 輕 に 蹄 順 承 伏 し た 時 に は 彼 自 身 と 錐 も 恐 ら く 心 中 欣 然 た る も の が あ つ た に 相 違 あ る ま い 。 さ れ ば こ そ 彼 は 上 使 細 井 新 助 に 伴 は れ て 、 南 院 の 宥 仙 や 遍 照 曾 院 の 快 言 等 が 應 其 上 人 の 後 ろ に 從 つ て 鞠 躬 如 と し て 秀 吉 の 陣 中 へ 伺 候 し 所 薦 の 巷 数 を 捧 げ た 時 に は 口 に は ﹁ 高 野 山 徒 等 弱 武 士 に は 肱 を 張 り 肩 を 聳 え て 我 意 を 張 れ ぞ 、 秀 吉 に は 蟷 螂 の 斧 を 揮 ひ て 龍 車 に 當 る に 等 し か ら ん 、 無 禮 の 振 舞 あ ら ん に は 唯 一 揉 み に 揉 み 潰 す べ き に 、 赤 誠 見 え た り 、 應 其 の 申 し 條 流 石 に 黙 止 し 難 し 、 こ の 上 は 秀 吉 二 世 祈 濤 の 爲 め に 一 山 を 立 て 置 く べ し ﹂ と 大 言 は し た が 心 内 に は ﹁ 我 策 な れ り ﹂ と 心 窺 か に 喜 び 速 か に 寺 領 安 堵 の 朱 印 を 下 し た も の で あ る 。

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秀 吉 が 此 の 時 (天 正 十 三 年 四 月 十 日 ) に 高 野 山 へ 下 し 淀 寺 領 安 堵 の 朱 印 歌 の 寓 は 高 野 山 文 書 の 績 寳 簡 集 入 二 一 に 其 の 全 文 を 載 せ て ゐ る が 、 今 此 れ を 取 意 す る と 、 一 、 大 師 御 手 印 の 地 は 勿 論 高 野 寺 領 た る べ き 事 。 二 、 但 し 高 野 山 が 後 年 他 か ら 押 領 し た 所 の 土 地 は 大 師 御 手 印 の 御 趣 旨 を も 破 つ て 居 る も の で 、 斯 く の 如 き 他 か ら の 押 領 地 を 所 有 し て ゐ て は 當 山 滅 亡 の 基 こ も な る べ き に つ き 其 の 分 別 あ つ て 早 く 返 上 す べ き か の 事 。 三 、 寺 僧 行 人 其 の 他 の 僧 徒 が 學 問 を 捨 て ゝ 武 其 鐵 砲 を 所 持 す る は 悪 逆 無 道 た る を 以 っ て 早 く 停 止 す べ き こ と 。 四 、 寺 信 行 人 以 下 は 專 ら 浄 屠 の 心 持 を 護 持 し て 專 ら 佛 事 勤 行 に 鯨 念 な か る べ き こ と 。 五 、 天 下 に 敵 封 し 、 謀 叛 を 劃 つ る 悪 逆 人 を 匿 置 く 事 は 不 坪 至 極 で あ る が 、 但 し 親 を 殺し子を殺し、 主 君 の 用 に も 立 た す 、 或 は 武 士 の 面 目 を 失 ふ て 髪 を 切 り 心 か ら の 出 家 入 道 し た 者 な ら ば 例 へ 前 身 は 何 で あ ら う こ も 差 支 な い 。 一 、 以 上 の 條 々 を 相 守 ら な か つ た な ら ば 比 叡 山 根 来 寺 の 様 に 絡 に 破 却 さ れ る 事 は 眼 前 の 誰 擦 こ し て 相 見 え て 居 る か ら 其 の 分 別 可 然 事 。 こ な る の で あ る が 、 要 す る に 秀 吉 は 斯 く し て 高 野 寺 領 を 公 認 し た の で あ る 。 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 八 九

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近 世 の 高 野 寺 領 定 其 の 経 濟 九 〇 さ て 今 依 之 見 之 、 秀 吉 の 此 の 朱 印 の 本 意 は 右 六 ヶ 條 中 、 第 二 、 第 四 の 兩 條 に あ つ た も の と 思 は れ る 。 何 と な れ ば 當 代 に 於 け る 佛 教 各 宗 の 本 山 は 廣 大 な 寺 領 と 強 豪 な 信 兵 を 擁 し て 戦 國 群 雄 に し て も 頓 に 征 伏 し 難 き 状 態 に あ り 彼 の 一 世 の 英 雄 信 長 に し て 尚 且 つ 加 賀 の 一 向 一 揆 、 石 山 、 比 叡 山 信 徒 に 惱 ま さ れ た 事 實 は 秀 吉 の 宜 く 知 る 所 で あ つ た か ら で あ る 。 故 に 彼 は 寺 僧 か ら 武 具 鐵 砲 を 奪 ひ 、 浪 人 を 匿 う 事 を 禁 し て 自 己 の 身 邊 を 安 全 に す る 代 償 と し て 大 師 手 印 の 高 野 寺 領 を 無 條 件 に 與 へ た も の で あ る が 、 此 れ を 一 方 高 野 山 方 か ら 見 れ ば 秀 吉 朱 印 の 第 六 條 に も あ る 如 く 、 比 叡 山 、 根 来 寺 の 破 滅 は 眼 前 の 明 謹 こ し て 實 現 さ れ て ゐ る 今 日 、 例 へ 一 山 押 領 の 地 ( 天 正 入 年 九 月 二 十 一 日 、 信 長 か ら 賜 は つ た 大 和 宇 知 郡 の 三 千 石 の 如 き ) を 返 上 す る こ も 大 師 御 手 印 の 奮 寺 領 さ へ 安 堵 な ら ば 何 も 信 兵 を 置 き 浪 人 を 養 ふ の 必 要 が な い の で あ る か ら 此 所 に 一 山 協 議 の 結 果 其 の 四 月 十 六 日 に 四 ヶ 條 の 御 判 請 状 (綾 寳 簡 集 入 二 二 ) を 捧 呈 し た の で あ る 。 さ れ ば 此 の 時 、 秀 吉 ご 高 野 山 と は お 互 に 双 方 に 便 宜 有 致 な 契 約 を 取 か は し て 奮 高 野 寺 領 も 元 の 如 く 高 野 山 に 附 囑 さ れ た の で あ る か ら 此 の 頃 の 高 野 寺 領 は 勿 論 彼 の 天 正 入 年 に 信 長 か ら 下 賜 さ れ た 大 和 宇 知 郡 の 三 千 石 を 除 い て は 元 の 蓮 り で あ つ た こ 云 は ね ば な ら ぬ 。 斯 く し て 秀 吉 と 高 野 山 と は 第 一 回 の 交 渉 を 満 足 に 果 し 其 の 後 木 食 應 其 上 人 が 俗 縁 に 因 ん で 深 く 秀 吉 の 信 任 を 得 、 其 の 月 の 十 三 日 に は 秀 吉 は 他 領 押 領 の 地 と し て 一 度 召 上 げ た 信 長 寄 進 の 三 千 石 の 代 償 ご

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し て 新 地 三 千 石 を 改 め て 寄 附 し 、 慈 堂 大 政 所 春 巖 貞 松 准 三 后 二 世 の 所 願 と し て 金 堂 再 興 等 の 左 の 如 き 教 書 を 下 し 、 七 月 十 六 日 に 土 木 を 起 さ し め 其 の 雑 用 料 物 と し て 現 米 一 萬 石 、 黄 金 一 千 枚 を 應 其 上 人 に 下 し 、 績 い て 悲 母 、 自 身 、 大 和 大 納 言 夫 妻 の 逆 修 の 爲 め 奥 の 院 に 石 塔 を 建 立 せ し め 、 此 れ よ り 後 應 其 と 秀 士口 と の 親 交 は 盆 々 深 く 、 秀 吉 は 古 今 稀 に 見 る 高 野 山 の 護 持 者 と な る に 到 つ た も の で あ る 。

一 檢 校 和 尚 法 眼 、 並 惣 山 一 統 被 得 心 、 以 一 札 、 叡 慮 江 被 奏 達 之 上 者 、 自 今 以 後 、 當 寺 儀 、 於 秀 吉 不 可 疎 略 事 。 一 、 金 堂 儀 破 滅 之 由 候 之 條 、 悲 母 爲 逆 修 可 建 立 候 然 者 入 木 壹 萬 石 、 秀 吉 可 申 付 候 、 並 和 州 宇 知 郡 一 圓 、 紀 州 伊 都 郡 奮 領 外 在 之 分 、 雨 郡 都 合 三 千 石 事 、 今 度 可 返 進 旨 、 當 山 錐 有 出 状 、 此 方 、 非 可 召 置 儀 之 條 、 金 堂 可 造 畢 間 、 爲 造 用 物 成 事 申 付 候 、 向 後 も 可 爲 金 堂 修 理 料 、 但 金 堂 修 理 不 入 時 者 、 何 之 錐 爲 堂 塔 、 彼 以 物 成 、 修 理 可 被 申 付 、 爲 其 、 爲 新 寄 進 申 付 候 事 。 一 、 右 知 行 物 成 事 、 無 私 曲 、 年 々 通 算 用 、 對 秀 吉 勘 定 可 有 之 旨 、 以 血 判 誓 紙 尤 候 事 。 一 木 食 上 人 金 堂 之 本 願 相 菊 上 者 、 木 食 被 申 次 第 萬 端 可 被 馳 走 旨 、 是 又 誓 紙 肝 要 候 也 仍 如 件 。 天 正 十 三 年 六 月 十 三 日 秀 吉 (花 押 )

近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 經 濟 九 一

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近 世 の 高 野 寺 領 守﹂ 其 の 経 濟 九 二

秀 吉 が 天 下 を 掌 握 し て か ら 成 し 途 げ た 事 業 は 頗 る 多 種 で あ り 、 一 と し て 古 今 稀 に 見 る 大 事 業 で な い も の は な い が 、 其 の 内 で も 彼 が ﹁ 生 中 に 敢 行 し た 事 業 中 最 も 勝 れ て 大 な る も の は 次 の 三 大 事 業 で あ る ご さ れ て ゐ る 。 帥 ち 其 の 第 一 は 信 長 秀 吉 等 に 樹 抗 せ る 明 智 光 秀 以 下 の 反 樹 黨 を 亡 ぼ し て 天 下 を 完 全 に 統 一 し た 事 、 次 は 朝 鮮 征 伐 、 第 三 は 槍 地 で あ る 。 其 の 内 第 三 の 槍 地 は 天 正 十 六 年 か ら 文 緑 四 年 ま で 前 後 入 ヶ 年 に 渉 つ て 行 は れ た も の で あ る が 、 是 れ に 際 し て 秀 吉 は 從 来 田 地 を 呼 ぷ の に 、 或 は 稻 束 の 数 を 以 つ て し (奈 良 卒 安 の 古 代 に は 田 地 を 呼 ぷ に 稻 何 束 ご 云 つ て ゐ た ) 或 は 貫 高 を 以 つ て し て ゐ た (北 條 氏 の 時 代 よ り 田 地 の 稻 呼 を 何 貫 何 十 貫 ご 云 ふ 様 に 貫 高 を 以 っ て し て ゐ た ) も の を 何 石 何 十 石 と 云 ふ 様 に 石 高 を 以 つ て 之 れ を 現 は す 様 に し た が 後 世 之 れ を 所 謂 石 直 し と 呼 ん で ゐ る ゆ 之 れ は 勿 論 秀 吉 が 諸 國 の 大 名 に 知 行 配 分 す る に 際 し て 正 確 を 期 す る 爲 め に 斯 く 石 直 し を 行 つ 淀 の で あ る が 、 秀 吉 は 先 づ 全 國 の 田 畑 を 石 直 し に 改 制 し て 後 槍 地 を 行 つ た も の で あ る 。 此 の 槍 地 に つ い て は 高 野 春 秋 の 如 き は 天 正 十 六 年 の 條 に ﹃ 春 来 、 秀 吉 公 天 下 一 等 命 檢 地 一注 二記 反 畝 地 理 一。 名 永 帳 二 蓮 納 二禁 中 、 一 通 納 二大 阪 、 一 通 賜 肱領 主 。 云 々 ﹄ と 云 つ て ゐ る が 、 其 の 槍 地 の 制 度 は 田 園 紀 原 に 詳 記 さ れ て ゐ る 。 帥 ち 田 園 紀 原 に 引 く 所 の 伊 勢 須 勢 村 渡 邊 文 書 、 或 は 大 和 城 上 郡 三 谷 村 の 奮 文 書 な ど に 依 れ ば ﹁ 古 来 の 槍 地 (大 寳 令 登 布 以 来 ) 六 尺 坪 に て 長 さ 六 十 間 、 横 六 間 、 此 歩 三 百 六

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十 坪 一 反 な り 、 其 の 後 ( 北 條 氏 以 後 天 正 の 槍 地 ま で ) の 槍 地 は 六 尺 五 寸 坪 、 大 閤 様 の 御 槍 地 は 六 尺 三 寸 埣 な り 、 長 さ 六 十 間 、 横 五 問 此 の 歩 三 百 坪 一 反 な り 。 是 れ 六 尺 坪 は 三 百 三 十 歩 七 分 五 厘 に 成 る 。 然 れ ば 元 一 反 に て 二 十 九 歩 五 厘 づ ゝ 出 な り 。 ﹂ (渡 邊 文 書 の 取 意 ) ご 稽 し て 從 來 の 制 度 よ り も 歩 数 尺 藪 を 少 く し た の で 其 の 地 積 は 全 國 に 渉 れ ば 其 の 石 高 は 非 常 な る 増 加 ご な り 、 從 つ て 其 の 課 税 高 も 其 の 牧 入 は 略 二 割 の 増 加 を 来 し た 課 で あ る 。 此 れ は 彼 の 明 良 洪 範 の 中 に ﹁ 往 古 よ り 日 本 田 畠 六 間 六 十 間 を 一 反 ご 定 め 置 か れ し を 、 長 束 大 藏 と 云 ふ 算 勘 人 を 愛 し 、 渠 が 妊 智 を 用 ゐ 、 五 間 六 十 間 の 算 を 縮 め て 日 本 の 槍 地 を 改 め ら る ﹂ 云 々 ご あ る の に 依 る と 、 此 の 制 度 を 登 案 し た も の は 長 束 大 藏 大 輔 で あ る ら し い が 、 さ て 此 の 制 度 の 内 容 に つ い て は 野 山 口 碑 集 叉 次 の 如 く 誌 し て ゐ る か ら 略 其 の 一 端 を 窺 ふ 事 が 出 来 る で あ ら う 。 秀 吉 公 點 検 天 下 之 田 畠 一、 置 工制 度 一、 一 段 (三 百 歩 ) 、 一 畝 (三 十 歩 ) 高 有 二甲 乙 一、 但 古 法 、 一 町 者 六 間 六 十 間 、 六 々 三 百 六 十 坪 、 合 十 段 也 。 然 今 般 改 昌五 間 六 十 間 一、 五 六 三 百 坪 、 通 二利 租 税 一、 且 叉 蒐 二取 天 下 之 武 具 於 百 姓 寺 社 方 一云 々 。 さ て 斯 く し て 天 正 の 槍 地 (又 は 天 正 の 石 直 し 、 文 緑 の 槍 地 、 或 は 太 閤 槍 地 こ も 云 ふ ) は 敢 行 さ れ た の で あ る が 、 然 し 我 が 高 野 山 は 春 秋 の 所 謂 ﹁ 然 一 山 奮 領 者 、 本 自 爲 二守 護 不 入 之 地 一也 ﹂ の 文 に 依 る ご 其 の 最 初 に は 槍 地 が な か つ た も の ご 見 え る 。 さ れ ば 彼 の 槍 校 帳 な ご に は ﹁ 秀 吉 公 御 治 世 時 有 日 本 國 六 十 餘 近 世 の 高 野 寺 頼 定 其 の 経 濟 九 三

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 九 四 州 槍 地 、 作 地 理 、 目 録 名 水 帳 、 禁 裏 被 籠 、 其 時 紀 州 三 郡 之 水 帳 自 録 闘 之 ﹂ 云 々 と 誌 し て ゐ る の で み る 。 然 る に 其 の 頃 高 野 山 は 大 和 大 納 言 秀 長 こ の 間 に 不 和 あ り 、 常 に 領 地 を 孚 ふ て 噺 訴 し 、 秀 長 又 巧 言 を 以 つ て 寺 領 檢 地 の 必 要 を 説 い た の で 、 其 の 年 の 秋 入 月 に 高 野 春 秋 の 所 謂 ﹁ 豊 臣 殿 下 欲 レ檢 二注 我 奮 領 新 附 之 田 一是 依 下大 和 大 納 言 秀 長 構 巧 言 一貧 中地 利 上也 ﹂ の 高 野 寺 領 の 槍 注 が 行 は れ や う こ し た の で あ る 。 然 し て 其 の 秀 長 巧 言 を 構 へ て 地 利 を 貧 ら ん ご し た 事 情 に つ い で ば 山 史 自 ら 註 記 し て 左 の 如 く 誌 し て ゐ る が 其 の 末 尾 の 文 に 依 る ご 此 の 時 、 應 其 上 人 が 自 ら 大 阪 に 出 張 し て 商 野 寺 領 内 の 槍 註 を な す べ か ら ざ る を 秀 吉 に 説 い た の で 此 の 時 の 槍 地 は 黙 許 さ れ 淀 様 で あ る 。 帥 ち (前 略 ) 就 之 、 紀 和 泉 三 州 太 守 大 和 大 納 言 秀 長 、 逆 欲 レ貧 寺 餌 、 不 朝 蜆 一、 殿 下 令 ,二紛議ン之日。三州 太 守 胡 爲 不 來 庭 一乎 。 秀 長 陳 謝 日 。 臣 錐 三添 賜 二三 州 一和 州 良 田 地 爲 二東 大 、 興 輻 之 寺 領 一、 紀 州 亦 爾 、 爲 二高 野 一被 レ領 二良 田 一、 其 籐 石 田 不 毛 地 而 巳 。 故 國 大 租 少 、 所 三以 乏 二参 蜆 之 財 珊 一也 。 粉 恭 報 二告 之 一。 殿 下 怒 召 二山 徒 一應 其 及 學 侶 之 二大 坂 演 説 嵯 峨 天 皇 御 手 印 巳 来 奮 領 新 附 之 由 致 一。 殿 下 黙 許 、 仍 且 止 二紀 川 筋 三 郡 之 檢 地 一。 然 る に 高 野 血 と 秀 長 こ の 間 に 於 け る 領 地 孚 ひ は 其 の 後 ざ 錐 も 一 向 に 絶 ゆ る 事 な く 、 傲 訴 頻 り な を を 以 つ て 秀 吉 は 終 に 之 れ を 怒 り 、 其 の 後 斷 然 こ し て 小 堀 新 介 正 次 な る も の を 疑 り 役 人 こ し て 遣 は し 、 高 野 寺 領 内 の 槍 地 を な さ し め た 。 さ れ ば 此 の 問 の 経 緯 を 物 語 る 資 料 こ し て 其 の 年 の 卯 月 十 日 に は 小 堀 新

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介 か ら 高 野 山 學 侶 年 預 房 へ 充 て た 信 経 院 供 領 一 件 に つ い て の 書 状 (綾 寳 簡 集 四 四 入 ) が あ う 同 年 六 月 廿 五 日 に 大 智 院 の 朝 圓 が 小 堀 新 介 に 不 幸 が あ つ た 時 に 御 弔 の 爲 め に 一 山 か ら 使 循 下 向 す る て ふ 年 預 か ら の 申 入 や 其 の 時 提 出 す べ き 香 銭 (香 典 ) の 事 を 承 知 し た こ 云 ふ 年 預 へ の 返 信 (績 寳 簡 集 四 四 九 ) 及 び 其 の 十 二 月 十 日 に 日 光 院 や 大 智 院 が 槍 地 用 の 印 判 等 の 新 調 を 引 請 け た 其 の 代 債 に 關 す る 左 の 如 き 連 署 状 (績 寳 簡 集 四 五 〇 ) な ご が あ る の で あ る 。 猶 々 随 分 念 入 申 候 て 、 早 々 進 入 候 已 上 。 追 而 升 者 武 百 文 宛 二 而 候 、 先 々 左 様 候 ヘ ハ 料 足 貫 文 二 て 候 、 以 面 可 申 候 以 上 。 御 状 倉 拝 見 候 、 仍 檢 地 判 之 儀 承 候 、 郎 数 廿 調 進 入 候 、 此 代 鳥 目 二 而 ハ 難 成 候 間 、 入 木 二 而 渡 可 申 候 然 者 四 石 仁 四 升 不 足 二 而 候 、 重 而 御 用 之 儀 可 承 候 、 委 細 此 使 可 有 演 説 候 、 何 も 不 計 罷 登 可 得 御 意 候 恐 々 謹 言 ( 日 光 院 長 賢 、 大 智 院 朝 圓 連 署 ) 又 年 次 は 不 詳 で は あ る が 確 か に 此 の 頃 の も の と 見 ら る べ き 九 月 入 日 付 槍 地 の 儀 承 知 の 釋 院 長 簡 の 書 状 (績 寳 簡 集 四 四 七 ) や 十 二 月 十 一 日 付 、 大 藏 法 師 一 嬰 の 左 の 如 き 書 状 な ご を も 見 る 事 が 出 來 る の で あ る 。 即 ち 釋 院 長 簡 年 預 房 宛 の 書 状 は 、 猶 々 只 今 、 法 印 へ 御 見 廻 之 儀 者 、 重 而 可 然 之 由 候 間 、 其 御 心 得 尤 候 以 上 御 状 令 拝 見 候 、 仍 檢 地 之 儀 承 候 、 先 々 相 延 候 由 候 間 一 法 印 ( 一 婁 ) へ も 重 而 被 仰 越 候 而 、 可 然 之 由 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 九 五

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近 世 の 高 野 寺 領 定 其 の 経 濟 九 六 花 院 も 此 蓮 候 、 相 替 儀 者 、 追 々 可 承 候 又 十 二 月 十 一 日 付 一 晏 の 書 状 は 同 じ く 綾 寳 簡 集 四 五 五 に 載 せ て あ る が 其 の 文 面 に は ﹁ 就 寺 領 之 儀 、 様 子 承 候 、 少 々 出 入 之 事 者 、 可 有 御 堪 怨 候 、 於 過 分 之 儀 者 、 承 屈 可 令 馳 走 候 、 柳 不 可 存 疎 意 候 ﹂ 云 々 と あ る の で あ る 。 又 天 正 十 入 年 九 月 十 二 日 に 花 王 院 の 快 翁 が 學 侶 衆 へ 送 つ た 書 状 に は 、 猶 よ 定 可 爲 御 存 候 へ 共 、 爲 御 心 得 申 入 候 以 上 急 度 申 入 候 、 槍 地 之 儀 大 政 所 標 可 有 御 理 分 候 つ れ 共 、 何 ご 哉 覧 致 相 違 、 又 明 日 小 新 (小 堀 新 介 正 次 ) 被 越 候 、 檬 子 者 如 前 廉 候 間 、 定 明 後 日 者 、 天 野 ま て 可 被 越 候 ご あ る が 此 れ が 即 ち 小 堀 新 介 が 槍 地 の 照 り 役 人 こ し て 秀 吉 か ら の 命 令 を 受 け て ゐ た 讃 擦 で は あ る ま い か ご 思 は れ る 。 斯 様 に し て 天 正 十 入 年 に は 高 野 寺 領 内 の 槍 地 が 行 は れ た の で は あ る が 、 翌 十 九 年 の 九 月 に 到 つ て も 尚 事 詳 細 に 渉 つ て は 完 了 し て ゐ な か つ た も の こ 見 え て 當 時 秀 吉 の 信 任 を 得 て 京 都 の 大 佛 建 立 の 奉 行 に な つ て ゐ た 興 山 上 人 慮 其 (此 の 頃 既 に 慮 其 は 大 閤 よ り 上 人 號 を 貰 つ て ゐ た ) か ら は 其 の 十 三 日 に 佛 供 燈 明 領 の 成 物 調 の 報 告 書 や 其 の 他 の 要 件 に 兼 ね て ﹃ 御 槍 地 被 遊 候 時 分 二 候 間 、 自 然 あ し く 取 沙 汰 候 て は い か ゝ 、 か や う の 御 心 得 肝 要 に 候 ﹄ (績 寳 簡 集 四 〇 四 ) な ご 頻 る 心 配 し て 注 意 し て ゐ る の で あ る 。

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さ て 斯 様 に し て 出 来 上 つ た 槍 地 の 結 果 、 當 時 の 高 野 寺 領 は 何 程 あ つ た か に つ い て は 詳 細 な 事 は 解 ら な い が 慶 長 三 年 藏 納 目 録 に よ れ ば 秀 吉 が 紀 伊 國 か ら 牧 納 す る 現 米 の 石 高 は 五 萬 五 千 四 百 十 七 石 九 斗 で あ つ た こ さ れ て 居 り 、 叉 天 正 十 九 年 の 十 月 廿 四 日 に 秀 吉 が 金 剛 峯 寺 惣 中 へ 下 し た 朱 印 の 條 々 (績 寳 簡 集 三 三 入 ) の 第 三 條 に は 高 野 寺 領 三 千 石 の 外 伍 萬 石 に 及 ぷ ご 云 ふ 様 な 文 言 が 見 え て ゐ る か ら 當 時 の 高 野 領 は 恐 ら く 五 萬 石 に 上 つ て ゐ た も の と 見 ら れ る 。 尤 も 此 の 寺 領 在 所 土 地 の 資 料 に つ い て は 綾 寳 簡 集 三 六 二 ﹁ 高 野 山 寺 領 朱 印 状 等 目 録 ﹂ の 中 に ﹃ 寺 領 在 所 之 目 録 ﹄ の 名 が あ り 、 又 同 績 寳 簡 集 二 五 〇 の ﹃ 御 影 堂 諸 道 具 盤 寳 目 録 ﹄ の 中 に は ﹃ 諸 寺 領 槍 地 帖 ﹄ と 誌 さ れ て ゐ る か ら 當 然 其 の 頃 は 詳 し い 記 録 も 作 ら れ た も の で あ ら う が 、 然 し 今 は 其 の 文 書 記 録 を 見 る 事 が 出 来 な い か ら 此 所 に 詳 述 す る 事 は 出 来 ぬ 。 さ て 、 さ も あ ら は あ れ 、 弘 仁 七 年 、 高 租 弘 法 大 師 が 嵯 峨 天 皇 か ら 賜 は り 、 又 其 の 後 各 代 の 天 皇 、 法 皇 を 初 め こ し て 各 時 代 の 武 將 豪 傑 な ご か ら 高 野 山 帰 信 の 籐 り 寄 進 さ れ た 所 の 高 野 寺 領 は 上 述 の 如 く 大 和 守 秀 長 こ の 地 領 箏 論 に 渦 さ れ て 昨 天 正 十 入 年 の 二 月 に 大 閤 秀 吉 に 依 つ て 槍 地 さ れ 其 の 後 十 月 廿 四 日 に は 早 川 主 馬 首 長 政 、 片 桐 東 市 正 且 盛 を は 使 者 ご し て 差 し 遣 は さ れ 、 新 奮 寺 領 の 全 部 は 没 牧 さ れ て し ま つ た も の で あ る 。 尤 も 此 の 没 牧 さ れ た 月 日 に つ い て 高 野 春 秋 其 の 他 二 三 の 書 に は 天 正 十 入 年 二 月 に 新 奮 領 新 附 の 山 地 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 九 七

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 九 入 を 悉 く 没 牧 し た と 誌 し て ゐ る が、 果 し て 然 り こ せ は 或 は 秀 吉 が 寺 領 檢 地 に 際 し て 高 野 山 徒 の 反 封 が 急 で あ つ た の で、 一 時 没 牧 の 形 式 を 取 つ て か ら 其 の 槍 地 の 事 を 敢 行 し た の か も 知 れ な い、 然 し 事 實 此 れ が 文 書 と し て 現 は 、れ た の は 綾 寳 簡 集 三 三 入 の 所 謂 秀 吉 の 條 目 で は あ る ま い か と 思 は れ る。 さ れ は 高 野 山 寺 領 が 秀 吉 に 依 つ て 全 部 没 牧 さ れ た の は 彼 の 十 月 廿 四 日 の 條 目 以 来 の 事 で み る と し か 思 は れ ぬ の で あ る。 帥 ち 今 此 の 發 せ ら れ た 高 野 山 へ の 條 目 を 参 考 の 爲 め 次 に 要 鐸 し て 轄 載 す れ ば 次 の 様 な 文 言 で あ る。 先 づ 此 の 文 書 は 最 初 に ﹃ 條 々 ﹄ こ し て 次 の 五 條 か ら な つ て ゐ る。 一、 高 野 山、 根 来 寺、 粉 河 寺、 雑 賀 等 は 年 來、 兵 具 を 相 用 ゐ、 武 勇 を 專 ら に し 動 も す れ は 蜂 起 し て 武 家 に 封 抗 す る 事 は 曲 事 で あ る。 一、 根 来、 粉 河、 雑 賀 を 先 年 御 追 伐 の 折、 高 野 山 も 破 却 す べ き 處、 早 速 興 山 上 人 が 伺 候 し て 御 佗 言 を

げ、

め、

し、

く、

れ、

る。

一、

す、

地、

め、

て、

虚、

高 野 寺 領 三 千 石 の 外、 伍 萬 石 も 在 る 事 は 驚 き 思 召 し て ゐ ら れ る。 奮 領 の 外 三 千 石 と 云 ふ 御 朱 印 で あ つ た の か。 元 来、 諸 國 の 知 行 方 御 朱 印 を 下 さ れ る 時 は 蕪 領 新 地 を 限 つ て ゐ る の で は な い。 然 る に 高 辻 を 書 き 載 せ 下 さ れ し 處、 奮 領 の 外 ご 申 し 掠 め る 事 は 重 科 に 當 り 曲 事 で あ る ご 思 召 し て ゐ ら れ る。

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一 、 國 々 御 改 替 の 上 は 、 高 野 の 儀 も 立 て 置 く 可 き で は な か つ た が 、 木 食 上 人 が 歎 き 申 し 、 誠 に 捨 身 の 上 、 堂 塔 佛 閣 建 立 す る の は 神 妙 ご 思 召 さ れ 、 興 山 に 封 し て 破 却 の 儀 は 御 用 捨 な さ れ 寺 家 を 立 置 か れ た の で あ る 。 一 、 當 意 、 只 薪 し く 御 建 立 と 存 せ す 。 寺 領 改 め ら る ゝ 事 を 宿 意 に 含 み 、 自 然 の 時 節 、 凶 徒 等 探 山 の 切 所 を 頼 み 、 干 薫 を 起 す 族 も 出 来 べ く か 、 所 詮 彌 側 刀 を 寺 中 に 駈 入 れ る 信 侶 は 、 唯 今 新 儀 一 寺 御 造 管 な る を 思 ひ 、 御 恩 賞 を 忘 る 可 か ら ざ る 旨 、 國 家 に 封 し 懇 誠 を 抽 す る 趣 起 請 文 を 以 つ て 申 上 ぐ れ は 其 の 上 に て 御 分 別 加 へ ら る 可 し 。 此 の 内 の 第 三 條 に 所 謂 ﹁ 高 野 寺 領 三 千 石 之 外 、 及 伍 萬 石 在 之 事 、 被 驚 思 食 候 、 奮 領 外 三 千 石 之 御 朱 印 と 申 候 哉 、諸 國 之 知 行 方 御 朱 印 被 下 候 時 不 限 奮 領 新 知 ﹂ ( 本 文 ) 云 々 の 字 句 や 或 は 第 五 條 の ﹁ 寺 領 被 改 事 、 含 宿 意 。 ﹂ 云 々 の 文 字 の あ る の か ら 推 し て 考 へ る ご 、 高 野 山 は 此 の 時 に 新 奮 寺 領 を 悉 て 没 牧 さ れ た も の こ 考 へ ら れ る の で あ る 。 さ れ は 彼 の 高 野 春 秋 が 天 正 十 入 年 春 二 月 に 没 牧 さ れ た と 誌 し て ゐ る の は 、寧 ろ 此 の 頃 高 野 寺 領 内 の 槍 地 が 實 行 さ れ た 事 を 早 倉 點 し て 斯 く 誌 し た も の こ も 思 は れ る の で あ る 。 さ て 斯 様 に し て 新 奮 の 高 野 寺 領 は 悉 て 官 浸 さ れ た の で あ る が (余 の 考 へ に 從 ひ は ) 高 野 山 こ し て は 彼 の 天 正 十 三 年 四 月 十 日 、 秀 吉 が 高 野 攻 め を 登 起 し て 三 ヶ 條 の 申 條 を 突 き つ け た 時 に 高 野 山 が 木 食 應 其 上 入 外 二 名 を 陣 中 へ 遣 は し て 誓 約 せ し め た 手 前 も あ り 、 叉 目 下 秀 吉 に 依 つ て 金 堂 の 再 建 が 劃 て ら れ て 近 世 の 高 野 寺 領 虐 其 の 經 濟 九 九

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 一 〇 〇 ゐ る の み な ら す 其 の 前 日 即 ち 同 十 月 廿 一 日 に は 既 に 寺 領 こ し て 壹 萬 石 と 應 其 上 人 へ の 千 石 ご 云 ふ 知 行 が 下 賜 さ れ て ゐ る の で 一 山 衆 徒 も 今 更 反 抗 す る の 理 由 も な く 、 秀 吉 の 意 に 從 つ て 途 に 次 の 様 な 衆 徒 講 文 を 奉 り 之 れ に 承 伏 し た も の と 考 へ ら れ る の で あ る 。 謹 御 請 之 事 被 仰 下 條 々 、 畏 頂 戴 仕 候 一 根 来 寺 粉 河 寺 御 追 伐 之 砌 、 當 山 茂 同 時 仁 可 被 仰 付 之 慮 、 興 山 上 人 御 詫 言 依 被 申 上 、 御 宥 免 添 奉 存 候 事 一 奮 領 高 辻 之 儀 、 先 年 可 申 上 之 威 、 依 不 存 公 儀 、 不 馴 世 綾 、 致 逞 滞 、 唯 今 承 仰 之 趣 . 仰 天 仕 候 事 一 於 學 侶 者 、 從 往 古 至 今 日 迄 、 任 大 師 之 遣 誠 、 守 先 徳 之 制 禁 、 帯 刀 杖 儀 、 會 以 無 御 座 候 、 但 自 諸 國 爲 施 物 、 上 置 於 兵 具 等 者 悉 只 今 致 進 上 候 、 於 向 後 者 、 刀 剣 等 類 不 可 給 置 候 、 次 諸 牢 人 衆 、 自 今 以 後 、 聯 不 可 許 容 仕 候 事 一 、 國 々 諸 寺 諸 山 御 改 易 之 處 二 別 而 當 寺 之 儀 、 對 興 山 上 人 、 及 兩 度 御 赦 免 之 段 、 難 有 御 恩 徳 、 至 末 代 迄 申 傳 、 忘 却 不 可 仕 候 事 一 依 御 慈 悲 、 當 寺 寛 宥 之 段 、 新 造 之 御 建 立 、 銘 心 肝 恭 存 候 、 然 上 者 彌 朝 暮 之 行 事 、 書 夜 之 護 仰 、 无 解 怠 、 書 精 誠 、 關 自 殿 下 様 御 武 蓮 長 久 、 御 家 門 繁 榮 、 弁 一 天 泰 平 四 海 安 全 旨 、 抽 丹 心 可 奉 祈 事

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此 の 文 書 は 叉 綾 寳 簡 集 五 十 九 、 第 一 千 百 六 十 九 號 に 當 る も の で 、 此 の 字 句 の 末 に は 唯 ﹁ 右 之 趣 、 御 兩 使 仁 錐 申 入 候 、 萬 一 致 蓮 犯 者 ﹂ と ば か り し か な い 斷 簡 で 年 月 も 提 出 者 の 名 前 も 欠 け て ゐ る か ら 果 し て 此 の 時 の 請 文 で あ る か と う か は 不 明 な 様 で は あ る が 然 し 文 書 の 内 容 か ら 推 し て 考 へ る な ら ば 確 か に 其 れ に 相 違 な い も の と 思 は れ る の で あ る 。 然 し て 又 此 の 文 書 の 外 に 當 時 の 學 侶 年 預 で あ つ た 北 室 院 の 頼 曼 が 、 同 十 月 廿 九 日 に 、 興 山 上 人 、 早 川 主 馬 首 、 片 桐 市 正 三 名 に 宛 て ゝ 學 侶 中 刀 脇 差 鑓 長 刀 具 足 甲 、 其 外 武 具 □ (合 か ) 申 分 、 悉 渡 申 候 、 此 外 少 も 残 置 候 者 、 聞 召 被 成 次 第 、 二 年 三 年 後 成 共 、 □ □ 可 被 成 御 成 敗 候 、 爲 其 一 筆 申 上 候 と 云 ふ 様 な 學 侶 中 の 武 器 を 駈 出 し た 請 文 一 逓 も あ る が 、 此 れ は 彼 の 上 述 十 月 廿 四 日 に 秀 吉 か ら 到 来 し た 五 ケ 條 の 條 目 中 、 第 一 第 五 條 の 文 意 に 封 し て 提 出 し た も の ご 思 は れ る 。 さ て 斯 様 に し て 新 奮 全 部 の 高 野 寺 領 は 秀 吉 の 爲 め に 全 く 没 牧 さ れ て し ま つ た の で は あ る が 、 然 し 秀 吉 は 彼 の 信 長 の 如 く 唯 奪 ふ 事 を の み 知 つ て 輿 ふ る 事 を 知 ら ぬ 暴 將 で は な か つ た 。 否 彼 は 寧 ろ 與 へ て 手 な づ け る 智 略 謀 策 の 勝 れ だ 賢 將 で あ つ た 。 況 ん や 彼 が 去 る 天 正 十 三 年 四 月 十 日 の 朱 印 ﹁ 大 師 手 印 、 一 書 面 明 鏡 上 者 、 如 當 行 、 高 野 山 可 爲 寺 領 事 ﹂ の 奮 領 安 堵 の 保 誰 を 輿 へ て ゐ る に 於 い て を や で あ る 。 さ れ は 此 所 に 秀 吉 再 度 の 寺 領 寄 附 が 始 ま る の で あ る 。

近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 經 濟 一 〇 一

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 一 〇 三 秀 吉 が 天 正 十 九 年 の 十 月 に 早 川 主 馬 首 や 片 桐 市 正 を 高 野 山 に 遣 は し て 五 ケ 條 の 條 目 を 下 し 、 高 野 山 の 新 薔 寺 領 を 全 部 没 牧 し た 二 件 に つ い て は 上 述 に 於 い て 略 其 の 大 膿 を 述 べ 終 つ た が 、 彼 の 紀 伊 綾 風 土 記 第 五 十 一 忽 の 寺 領 沿 革 の 通 紀 に よ れ ば 此 れ よ り 先 同 年 十 月 二 十 一 日 に 伊 都 那 賀 の 兩 郡 に 於 い て 寺 領 一 萬 石 を 寄 進 し て ゐ る と な つ て ゐ る 。 帥 ち 今 同 書 に 載 す る 寺 餌 方 目 録 に 依 れ ば 次 の 如 く で あ る 。

一 武 百 石 同 っ ゝ が 一 百 石 同 ま に 一 五 拾 石 同 北 ま た

に う が ふ ひ が し が ふ 一 七 拾 石 同 し い ご 一 百 六 拾 石 同 じ そ ん い ん 一 八 三 九 拾 石 同 し ぶ と 一 三 百 七 拾 石 同 こ さ わ 一 貳 百 八 拾 石 同 く ご 山

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一 百 拾 石 同 ほ そ 川 一 六 百 七 石 同 あ ま の

一 八 拾 三 石 五 斗 同 ゆ か わ

一 千 五 拾 三 石 同 と も ふ ち 一 四 百 五 石 同 ほ そ の 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 一 〇 三

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 一 〇 四 一 五 百 六 拾 石 同 さ る か わ 一 三 拾 六 石 同 か う の 内

廿

高 野 振 寺 中 然 し て 叉 、 此 の 時 、 別 謎 こ し て 木 食 上 人 應 其 へ も 千 石 の 知 行 の 下 賜 が あ つ た と 云 は れ て ゐ る 。 さ れ ば 此 の 時 に 秀 吉 は 高 野 山 の 爲 め に 総 計 一 萬 千 石 の 知 行 を 下 賜 し た こ と に な る 。 尤 も 此 の 朱 印 並 に 木 食 上 人 へ の 千 石 の 朱 印 は 高 野 山 の 御 影 堂 に 所 藏 さ れ て ゐ る 高 野 山 文 書 即 ち 寳 簡 集 績 寳 簡 集 、 又 績 寳 簡 集 の 何 れ に も 其 の 原 文 も 寓 し も 牧 録 さ れ て ゐ な い か ら 、 果 し て 眞 實 で あ る か 否 か は 柳 か 不 明 な 様 で は あ る が 、 然 し 槍 稜 帳 な と に は ﹃ 有 三 郡 點 檢 爲 當 山 寺 領 一 萬 飴 石 有 寄 附 爲 別 謎 亦 一 千 石 下 賜 木 食 上 人 、 合 被 成 一 萬 一 千 石 之 御 朱 印 者 也 片 桐 東 市 正 早 川 主 馬 頭 爲 御 朱 印 之 遣 使 也 ﹄ と あ り 、 且 つ 紀 伊 綾 風 土 記 憲 五 十 一 に は 此 の 條 に 注 記 し て ﹁ 此 村 付 御 朱 印 と 木 食 千 石 の 折 紙 と も 本 紙 は 慶 長 五 年 勢 譽 が 手 に 入 、 そ の 後 公 命 あ り て 此 目 録 一 紙 は 相 封 と な る 。 木 食 の 分 紛 失 と 云 。 按 に 此 千 石 は 後 に 興 山 寺 領 こ な る 歎 。 貞 享 四 年 、 公 儀 よ り 行 人 へ 御 尋 に 興 山 寺 領 千 石 、 太 閤 朱 印 有 之 哉 誰 文 も 無 之

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寺 領 可 致 受 納 様 無 之 云 々 ﹂ と あ る か ら 、 矢 張 り 信 す べ き 文 書 と 見 て 宜 し い も の で あ ら う 。 さ れ ば 秀 吉 が 彼 の 天 正 十 九 年 十 月 廿 四 日 に 早 川 主 馬 首 長 政 や 片 桐 東 市 正 を 差 し 遣 は し て 上 記 高 野 山 へ の 條 目 五 ケ 條 を 齎 し た 時 に 新 奮 寺 領 悉 皆 没 官 に 先 立 つ て 同 月 二 十 一 日 付 を 以 つ て 此 の 一 萬 千 石 の 朱 印 を 齎 ら さ し め 、 先 づ 一 山 衆 徒 の 機 嫌 を 取 り 然 る 後 に 二 十 四 日 に 一 切 ( 一 萬 千 石 以 外 ) の 寺 領 を 没 牧 し た も の か も 知 れ ぬ 。 尤 も 此 の 月 日 の 事 に つ い て 高 野 春 秋 は 多 十 一 月 二 十 二 日 こ な し 、 以 上 の 片 桐 早 川 の 兩 人 が 此 の 日 に 登 山 し て 新 た に 一 萬 石 寄 附 の 御 朱 印 を 齎 ら し 、 且 つ 千 石 は 本 願 木 食 領 と 誌 し て 詳 し い 注 記 を も 施 し て ゐ る が 、 今 は 其 の 原 本 を 失 つ て ゐ る 事 で あ る か ら 其 の 何 れ が 眞 で あ る か に 就 い て は 不 明 で あ る と し て も 綾 寳 簡 集 に 載 す る 秀 吉 の 條 目 に 依 れ ば 此 の 兩 名 が 十 月 廿 四 日 に 登 山 し て ゐ る の で あ る か ら 矢 張 り 此 れ は 十 月 二 十 一 日 の 寄 進 と 見 る 方 が 秀 吉 不 生 の 術 策 の 方 法 か ら 推 し て 考 へ て も 至 當 で あ る ま い か と 思 は れ る 。 さ て 秀 吉 は 當 時 既 に 天 下 の 霜 將 と し て 日 本 六 十 餘 州 の 大 宇 は 秀 吉 の 幕 下 に 奔 り 大 軍 を 擁 し て 自 ら 天 下 無 敵 と 稽 し て ゐ 乍 ら 何 故 に 斯 く 高 野 山 の み を 黙 許 し 優 遇 し た の で あ ら う か 。 山 徒 は 或 は 大 師 の 偉 徳 と 云 ふ か も 知 れ ぬ 。 然 し 乍 ら 秀 吉 に し て 既 に 此 の 時 に 佛 教 護 持 の 信 仰 心 が あ つ た の な ら ば 例 へ 其 の 命 に 從 は す ご す る も 彼 の 根 来 山 を 根 滅 し て 一 山 焦 土 に 化 す る の 暴 虐 を 敢 へ て し な か つ た で あ ら う 。 然 ら 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 一 〇 五

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 經 濟 一 〇 六 ば 識 者 あ つ て 此 れ 秀 吉 平 生 の 術 策 謀 計 の 勝 れ た る 所 な り と 云 ふ か も 知 れ な い 。 勿 論 秀 吉 李 生 の 軍 略 と 性 格 ご を 見 れ ば 或 は 此 の 説 當 れ る も の が あ る か も 知 れ ぬ 然 し 乍 ら 此 の 説 に し て 果 し て 秀 吉 が 高 野 山 を 優 遇 し た る 全 體 の 理 由 と し て 宜 し い も の で あ ら う か 。 勿 論 余 は 此 の 説 を 取 り 得 て 其 の 理 由 の 一 と す る に や ぶ さ か な る も の で は な い が 、 叉 他 の 一 理 由 と し て 古 来 高 野 山 古 老 に 傳 は る 次 の 一 エ ピ ソ ー ド を 擧 げ 度 い と 思 ふ も の で あ る 。 郎 ち 其 の 挿 話 は 次 の 如 き も の で あ る 。 秀 吉 未 だ 微 弱 な り し 時 、 應 其 は 武 將 で あ つ た 。 秀 吉 、 信 長 の 命 を 得 て 一 の 城 圭 を 攻 め ん こ せ し も 彼 が 配 下 軍 兵 少 く し て 野 武 士 、 百 姓 、 素 浪 人 を 駆 り 集 め た 。 然 る に 彼 の 集 ま れ る 軍 兵 (? ) に は 武 器 が な い 。 止 む な く 秀 吉 は 應 其 の 仕 ふ る 城 主 の 門 を た ゝ い て 武 器 の 借 用 を 申 出 た 。 其 の 時 玄 關 に 立 つ て 之 れ を 取 次 ぎ 、 其 の 申 出 で を 聞 い て 此 れ を 叱 咤 し 玄 關 彿 ひ を な し 、 口 に は ﹁ 武 士 は 武 器 こ そ 魂 な る に 、 此 れ を 借 り に 来 る 様 な 性 根 な し に は 合 は す べ き 顔 は 持 た ぬ 。 さ が れ く ﹂ と 嘲 り 乍 ら 手 に は 武 器 庫 の 鍵 を 差 出 し て 無 條 件 に 其 の 申 出 を 受 諾 し た も の は 即 ち 後 年 の 高 野 山 入 道 僧 木 食 應 其 で あ つ た 。 秀 吉 此 の 戦 に 勝 利 を 得 て 後 旭 日 昇 天 の 出 世 を な し 今 日 (天 正 十 三 年 四 月 十 日 ) 高 野 攻 め の 門 出 に 際 し て 陣 中 に 伺 候 せ し 野 山 穀 屋 寺 の 客 僧 應 其 を 見 、 古 昔 の 感 に 打 た れ て 終 に 應 其 が 好 き に な り 高 野 山 が 有 難 く な つ た の で あ る 云 々 と 。 此 れ は 勿 論 歴 史 ご 云 ふ 學 問 の 圏 外 か ら 全 く 離 れ た 取 る に 足 ら ぬ 古 老 の 傳 説 で は あ る 。 然 し 乍 ら 如 何

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に 秀 吉 平 生 の 術 策 が 戦 は ん よ り は 降 し 、 降 参 せ し め ん よ り は 手 な づ け て 自 己 掌 中 の 愛 將 ご す る の 策 縦 横 な る も の が あ る こ し て も 此 の 高 野 山 否 應 其 に 封 す る 態 度 に 於 い て は 柳 か 不 審 が 存 せ ね ば な ら ぬ 。 應 其 に 如 何 な る 智 謀 あ り こ す る も 、 彼 の 天 正 十 九 年 十 月 の 條 目 に は ﹁ 興 山 に 對 し て 破 壊 の 義 御 用 捨 な さ れ ﹂ と 云 ひ 、 或 は ﹁ 高 野 の 應 其 と 思 ふ な 、 應 其 の 高 野 と 思 ふ べ し ﹂ と 云 は し む る に は 其 所 に 此 れ 以 前 の 何 等 か の 深 い 因 縁 が な く て は な ら ぬ と 余 は 思 惟 す る 。 さ れ ば 余 は 今 此 の 一 挿 話 を 取 つ て 以 つ て 此 の 時 の 一 大 理 由 を 説 明 す る 何 等 か の 資 料 に 供 し 元 い と 思 ふ も の で あ る 。 さ も あ ら は あ れ 、 斯 く し て 應 其 は 其 の 後 秀 吉 に 非 常 な 信 任 を 得 て 遂 に は 上 人 の 號 を 賜 は り 、 興 山 寺 を 建 て ゝ 貰 ひ 、 金 堂 の 再 建 を 促 し 常 に 秀 吉 の 側 近 に あ つ て 限 り な き 愛 顧 を 恣 に し 、 越 え て 翌 十 四 年 十 二 月 に は 秀 吉 の 命 に 依 り 大 佛 殿 造 螢 監 護 の 任 に 當 つ た 。 毒 高 野 寺 領 は 勿 論 應 其 の 取 り な し に 依 つ て 一 切 安 堵 の 台 命 を 受 け て ゐ た 。 然 る に 此 の 頃 秀 吉 全 國 檢 地 の 志 あ る に 際 し て 一 山 衆 徒 、 大 和 大 納 言 秀 長 と の 間 に 領 土 を 雫 ひ 、 傲 訴 頻 り に 秀 吉 の 廳 に 至 る あ る を 以 つ て 秀 吉 は 斷 然 高 野 寺 領 を 奪 ひ 天 正 十 九 年 十 月 之 れ が 代 償 と し て 伊 都 那 賀 の 兩 郡 に 於 い て 一 萬 石 (外 に 應 其 に 千 石 ) を 與 ふ る に 過 ぎ な く な つ た 。 然 る に 此 の 頃 一 山 ( 特 に 行 人 方 ) に 於 い て は 其 の 寺 領 分 配 に 對 す る 應 其 の 庭 置 に 就 い て 柳 か 應 其 を 怨 む も の (天 正 十 入 年 二 月 、 行 人 支 配 の 奥 院 散 銭 料 蕗 (後 の 富 貴 ) 庄 を 應 其 よ り 現 米 三 百 廿 石 を 與 へ ら れ て 返 上 せ し め ら れ し 如 き が 一 例 で あ る ) さ へ あ り し 時 に 際 し て 恰 か も 此 の 擧 (奮 寺 領 の 没 牧 ) が あ り 、 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 一 〇 七

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近 世 の 高 野 寺 領 定 其 の 経 濟 一 〇 八 績 い て 新 附 の 一 萬 石 の 配 分 に つ い て 尚 行 届 か ざ る 所 あ り こ て 一 山 と 應 其 こ の 間 に 不 和 を 萌 し 、 途 に 應 其 を し て 天 正 十 九 年 十 二 月 九 日 次 の 如 き 書 状 を 高 野 山 年 預 坊 へ 差 し 出 さ し む る に 到 つ た も の で あ る 。 今 度 之 諸 供 料 等 之 支 配 、 心 静 可 申 談 候 處 、 少 弼 ( 淺 野 長 政 ) 殿 と 同 道 申 候 は で 不 叶 事 共 候 て 、 不 能 其 儀 候 、 文 殊 院 五 大 院 二 、懇 々 申 候 條 、 可 御 心 安 候 、 拙 信 之 儀 、 御 衆 中 之 御 爲 能 様 二 と 存 迄 二 候 、 あ ま り か た て う ち な る 様 二 、 世 間 者 衆 お も ハ れ 候 て は 、 い か ゝ と 存 候 て 、 双 方 能 様 二 と 存 候 へ 共 。 さ や う ニ ハ 難 成 候 間 、 文 院 五 院 二 、 先 大 方 申 付 候 、 於 此 上 者 、 度 々 如 申 候 、 天 下 泰 平 御 家 門 繁 昌 之 御 祈 念 、 朝 暮 此 度 可 被 抽 誠 精 候 、 大 師 明 神 之 御 威 力 、 彌 可 致 増 進 檬 二 候 間 、 別 而 此 度 院 々 に て 被 成 御 祈 濤 候 て 、 寺 領 も 今 少 、 從 上 様 被 仰 付 、 世 間 者 衆 二 少 つ ゝ 成 共 、致 配 分 度 候 、 此 分 に て ハ 、 返 々 各 御 爲 、 向 後 い か ゝ と 存 候 、 少 弼 殿 其 外 知 音 之 者 と 申 談 候 間 、 愛 染 供 其 外 思 々 二 御 祈 念 候 て 可 然 候

然 し 乍 ら 應 其 の 此 の 慰 撫 の 書 状 が 如 何 に ﹁ 可 御 心 安 候 ﹂ と 云 ふ て も 五 萬 石 の 奮 寺 領 が 一 萬 石 に 振 り 代 つ た 今 日 、 一 山 衆 徒 は 決 し て 心 安 く は し て ゐ ら れ な か つ た 。 殊 に 行 人 方 の 如 き は 此 の 時 奥 院 燈 明 料 こ し た 二 千 石 し か 與 へ ら れ す 、 學 侶 方 の 六 千 石 、 公 儀 料 (伽 藍 修 理 料 ) の 二 千 石 に 比 し て 余 り に 依 佑 多 き 此 の 處 置 に 封 し て は 、 世 間 者 (行 人 方 ) 衆 と し て は 全 く ﹁ あ ま り か た て う ち な る ﹂ 處 置 で あ る と 怒 り 怨 む 事 も 亦 尤 も な 事 で あ つ た 。 又 一 方 學 侶 方 よ り 見 て も 奮 領 五 萬 石 (其 れ 以 前 は 十 三 萬 数 百 石 ) に 封 し

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て 六 千 石 の 新 附 は 一 山 支 配 の 費 用 こ し て は 殆 ん と 取 る に 足 ら ぬ 少 禄 で あ つ た 。 加 之 應 其 は 中 年 の 一 入 道 信 に 過 ぎ な い の に 太 閤 の 威 を 背 に 仰 へ て 今 や 一 山 の 支 配 者 の 位 置 に あ る を 妬 む の 念 も 加 つ て 忽 ち 中 萬 下 山 の 暴 擧 に 出 で た の で あ る 。 勿 論 應 其 上 人 よ り 見 れ は 全 く 不 慮 の 災 難 で あ つ だ に 違 ひ あ る ま い が 、 一 山 と し て は 矢 張 り 無 理 か ら ぬ 事 柄 で も あ つ た の で あ る 。 さ れ ば 明 け て 天 正 二 十 年 (文 禄 元 年 ) 二 月 九 日 に は 同 じ く 秀 吉 の 信 任 の 篤 い 帥 法 印 歡 仲 が 金 剛 峯 寺 衆 徒 へ 手 書 を 寄 來 し て 寺 領 減 少 の 事 を 慰 喩 し 寄 附 些 少 の 爲 め に 大 衆 の 衣 食 を 補 ふ に 足 ら ざ る を 慨 歎 し て 居 り (綾 寳 簡 集 三 七 四 ) 又 同 じ く 十 日 に は 三 寳 院 の 應 觀 が 應 其 上 人 ご 一 山 大 衆 の 間 柄 に つ い て 北 室 院 、 正 智 院 宛 に て 種 々 周 旋 の 勢 を 取 り 、 此 の 協 和 に つ い て 御 大 儀 乍 ら 御 老 衆 之 内 二 三 人 、 多 院 (多 聞 院 か ) 補 院 (補 陀 洛 院 か ) な ご 早 々 被 御 下 向 て 法 印 へ 御 理 被 仰 候 は ゝ 萬 事 宜 し く 取 運 ぶ な ご ゝ 注 意 し て 居 り (綾 寳 簡 集 四 五 七 ) 其 の 他 明 知 坊 宗 照 (綾 寳 簡 集 四 五 九 ) や 島 田 大 藏 清 賢 (綾 寳 簡 集 四 六 一 ) 小 出 秀 政 (同 四 五 一 ) 中 村 式 部 少 輔 一 氏 (同 四 五 三 並 に 同 四 五 四 ) 中 式 少 内 大 原 椹 右 衛 門 尉 (同 四 六 三 ) 大 佛 二 位 遍 照 院 畳 榮 (同 四 六 入 ) な ご が 共 に 一 山 衆 徒 へ 手 書 を 送 つ て 周 旋 仲 介 の 螢 を 取 つ て ゐ る の で あ る 。 さ て 又 一 方 應 其 上 人 の 當 時 の 氣 持 や 態 度 を 窺 ふ に ﹃仍 我 等 之 儀 、 大 方 あ ら ゆ る 事 共 二 た つ さ ハ り た る 上 に て 候 間 、 時 節 と 申 、 年 齢 と 申 、 旁 以 態 成 共 、 俘 世 を 斜 酌 仕 候 ハ て 不 叶 折 節 二 候 條 、 二 度 世 間 之 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 經 濟 一 〇 九

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 經 濟 一 一 〇 望 無 之 候 (中 略 ) 仍 御 朱 印 之 儀 此 方 二 一 通 も 無 之 候 ﹄ (文 藤 元 年 三 月 十 日 の 書 状 、 績 寳 簡 集 四 一 九 ) と 余 り 此 の 問 題 に は 鯛 れ な い 様 で は あ つ た が 、 然 し 一 山 興 隆 . 寺 領 増 加 の 方 面 に は 始 終 心 を 働 か し 、 秀 吉 へ の 運 動 も 常 に 試 み て ゐ た 様 で あ る 。 帥 ち 其 の 詳 細 は 綾 寳 簡 集 三 九 六 (文 緑 元 年 七 月 廿 八 日 、太 政 所 葬 禮 の 注 意 ) 同 三 九 七 (文 緑 元 年 七 月 十 四 日 、 太 政 所 病 氣 に つ き 立 願 並 に 大 塔 建 立 の こ と ) 同 四 一 五 (文 緑 元 年 七 月 十 日 、 禁 中 曼 茶 羅 供 並 に 其 の 時 の 法 服 に つ い て の 注 意 ) 同 四 二 四 (文 緑 元 年 卯 月 五 日 、 御 札 怒 数 を 政 所 へ 献 上 の こ と ) 同 四 五 八 ( 秀 吉 高 麗 征 伐 の 本 陣 な ご や へ 見 舞 銀 及 び 人 足 の 注 意 ) な ご を 見 れ ば 明 か な る 所 で あ る 。 さ れ ば こ そ 天 正 二 十 年 (十 二 月 入 日 文 緑 と 改 元 ) の 八 月 四 日 、 秀 吉 が 母 公 天 瑞 寺 殿 追 善 の 爲 め に 高 野 山 に 剃 髪 寺 (青 嚴 寺 後 の 金 剛 峯 寺 ) を 建 立 し 、 且 つ 左 の 如 く 二 通 の 朱 印 を 下 し て 南 賀 (那 賀 ) 郡 内 に 於 い て 一 萬 石 の 寺 領 を 寄 進 す る に 到 つ た の で あ る 。 爲 天 瑞 寺 殿 追 善 、 當 山 仁 剃 髪 寺 倉 建 立 付 而 、 於 紀 伊 國 南 賀 郡 内 所 々 壹 萬 石 事 雛 網 塒 令 寄 附 之 詑 、 此 内 七 千 石 者 、 惣 中 江 有 支 配 可 領 知 之 、 相 残 三 千 石 内 、 千 石 者 剃 髪 寺 佛 供 燈 明 、 並 寺 僧 諸 賄 料 仁 可 下 行 之 、 貳 千 石 分 、 毎 年 納 置 八 木 、 相 積 候 時 、 高 野 惣 山 之 内 、 堂 塔 伽 藍 、 何 成 共 於 及 破 壊 者 、 有 米 以 三 分 二 修 理 仕 、 三 分 一 者 慥 可 残 置 候 、 然 者 春 岩 毎 月 之 忌 日 、 至 未 代 勤 行 不 可 有 解 怠 、 只 今 爲 名 代 、 (道 澄 ) ( 一 氏 ) (秀 政 ) 聖 護 院 門 跡 登 山 候 、 供 奉 中 村 式 部 少 輔 、 小 出 播 磨 守 、 差 添 遣 之 候 條 、 委 曲 可 相 達 之 候 、 猶 興 山

(29)

(天 正 廿 年 ) 八 月 八 日 (朱 印 )

-綾

-目

一 百 参 拾 五 石 同 千 田

近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 一一 一

(30)

近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 經 濟 一 一 二

廿

(秀

)

-績

-尚 因 み に 彼 の 槍 稜 帳 な ご を 見 る と 同 入 月 六 日 に 太 閤 の 代 参 と し て 聖 護 院 門 跡 が 登 山 せ ら れ 、 中 村 式 部 少 輔 、 小 出 播 磨 守 な ご が 供 奉 し て 此 の 朱 印 歌 を 下 し 、 同 じ く 此 の 時 に 朱 印 外 の 剃 髪 寺 造 螢 料 と し て 現 米 一 萬 石 、 銀 三 三 貫 目 を も 下 賜 さ れ た と 云 ふ 事 で あ る 。 さ て 此 所 に 於 い て 秀 吉 の 寺 領 寄 附 の 大 略 を 述 べ 絡 つ た の で あ る が 、 以 上 二 回 に 渉 つ て 合 計 三 萬 千 石

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の 寺 領 を 寄 附 さ れ た 事 が 此 の 後 定 額 こ な り 、 此 の 後 豊 臣 氏 が 亡 び て 徳 川 三 百 年 の 治 政 が 展 開 さ れ て も 高 野 寺 領 は 此 の 二 萬 千 石 を 保 持 し (徳 川 氏 に 依 つ て 尚 此 の 上 に 三 百 石 の 加 増 を 見 た が ) 得 て 高 野 山 の 安 泰 を 計 る 様 に な つ た の で あ る 。 さ れ ば 一 面 秀 吉 は 奮 寺 領 五 萬 数 千 石 を 奪 つ て 一 山 を 時 苦 し め た 高 野 山 の 敵 の 様 で は あ る が 、 然 し 此 の 時 二 萬 千 石 の 寺 領 が 安 堵 さ れ 此 の 寺 領 が 永 く 明 治 四 年 、 維 新 の 大 業 が 全 く な つ て 天 下 諸 侯 悉 く 其 の 所 領 を 陛 下 に 還 付 し 高 野 山 亦 此 の 美 擧 に 出 つ る 迄 三 百 年 間 の 安 泰 興 隆 を 計 つ た 基 礎 を 作 つ た も の な る 事 を 考 へ る な ら ば 秀 吉 が 高 野 山 に 於 け る 大 な る 外 護 者 で あ り 、 大 恩 人 な る 事 を 忘 れ て は な ら ぬ の で あ る 。 尚 因 み に 大 閤 の 此 の 寺 領 寄 附 二 萬 千 石 の 使 途 や 其 の 配 分 方 法 に つ い て は 秀 吉 が 此 の 永 代 寺 領 寄 附 の 外 に 臨 時 に 寄 附 し た 造 螢 料 其 の 他 の 現 米 、 金 銀 と 共 に 稿 を 改 め 此 の 時 代 の 経 濟 状 態 を 記 述 す る 項 に 於 い て 詳 述 す る 事 こ す る 。 (昭 和 五 、 一 〇 、 一 ) 近 世 の 高 野 寺 領 書 其 の 経 濟 一 一 三

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