NII-Electronic Library Service
あ
る
密
教
者
の
浄
土
ダ
ル マ ス ワー
ミ ン の伝
記
を
読
ん
で
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloe徳
岡
亮
英
一
、序
払 百冊既
に 二 三 の書
に紹
介
さ
れ て い るが
、一
九
五九
年
、
イ ン ド は バト
ナ市
の ジ ャ ヤ ス ワー
ル研
究
所
( 囚・
℃・
同 餌 団 m 、 毛 周 一 開 ω o母
o ずぎ
ω 二29
) から
、
十
三世
紀
の前
半
に イ ン ドを
旅
行
し た チ ベ ッ ト ラ マ僧
の旅
行
記
が出
版
さ
れ た 。厳
密
に言
え
ば 、 そ の表
題
に じd
δ αq冨
ロ げ 《 OhU げ 餌 『5
器
く 鋤日
ぎ
”
(O
げ 四 帥qδ
宀 Q・卑
げ 暫O
『o
。。 , ユ , 矗 O巴
) 〉 日き
け m 昌白
O 誰 閃b
ロ σq ユヨ
と あ る よう
に 、そ
のラ
マ僧
、 チ ャ ク (O
ゴ 餌 ぴq ) の ロ ー ツ ァ ー ワ (す
3
四 ヶ 鈩 経典
翻
訳 家 に与
え ら れ る 称 号 ) 、チ ェ ー ジ ェ
ー
(O
げ o ω−
こ )−
梵
語
名
でダ
ル マ ス ワー
ミ ン ( ∪ ず母
ヨ器
螽
巳
コ )の
伝
記
であ
る が 、内
容
の主
体
と
な
つ て い る の は 、彼
の イ ン ド佛
蹟
巡
拝
旅
行
中
の見
聞
の記
述
であ
る 。彼
は チ ベ ッ トを
出
て から
、ネ
パー
ル 、 イ ンド
に十
年
間
滞
在
し た が 、ネ
パ ー ル に は 、 イ ン ド に入
る前
に 八年
間
滞
在
し てお
り
、 イ ンド
に滞
在
した
の は僅
か
に 二年
半
であ
つ た 。 し かし
、 そ の イ ンド
滞
在
二年
間
の記
事
が 、伝
記
と し て一
応
彼
の生
誕
から
六
十
七
才
入
寂
ま
で の生
涯
を
述
べ る全
編
十
七章
の中
の十
六章
のう
ち
、九
章
を
占
め 、分
量
に し て全
体
の三
分
の 二 に及
ん で いる
。 で あ る から
、 こ の ラ マ僧
、 チ あ る密
教
者
の 浄土
一
∴35
一
西
山
学
報
エ ! ジ ェ ー の伝
記
は 、あ
る意
味
で は イ ンド
佛
蹟
旅
行
記
と
も
言
う
こ とが
でき
、 イ ン ド の佛
教
乃
至
は歴
史
に興
味
を
持
つ者
に と つ て 、十
三
世
紀
前
半
の イ ン ド の社
会
状
態
や
、千
七
百
年
の長
き
に亘
つ て イ ンド
の国
に光
り
を
掲
げ
て来
た佛
教
の 、そ
の栄
光
が
消
え去
ろう
と
す
る直
前
の姿
を
知
ら
せ てく
れ
る唯
一
の貴
重
な
資
料
であ
る 。本
文
は 五十
葉
から
成
る チ ベ ッ ト文
の写
本
で 、梵
語
でグ
ルヴ
ァ ーグ
ヴ
ィ マ ラー
ヴ
ァ リ ー・
ナ ー マ (O
霞
⊆ く譜
くぎ
既 〈 巴 副−
鼠
ヨ
国 〉 、 チ ベ ッ ト語
で ラ ー メ ー ス ン ・ デ ィー
マ メー
パ・
デ ィ ク パ ・ シ ェ ー シ ャ ー ワ ( 闃 訂き
山、
凶
α曵 。。9
ω ユ 「 凶・
ヨ 笛 ヨ巴
も 坦諤
ぴq 『凝
ω,
B
ω冨
の ウ 団 ぴ 欝 ラ マ の無
垢 な る言
葉
を 綴 れ る と名
つ く る ) と いう
表
題
が つけ
ら
れ
て い る 。本
文
の奥
書
、第
十
七
章
に よる
と 、 こ の ラ マ僧
、 チ ェ ー ジ ェー
の ナ ムタ
ル ( 菊 コ Ω。 ヨ ー9
贄
Ψ
伝
記
) は 、ロ ー パ ( い げ 午 唱 斜 シ ッ キ ム や ブ ー タ ン に
住
む チ ベ ッ ト 人 種 族 の 名 ) の善
知
識
、 シ ェ ー ラブ
・ ワ ン チ ュ ク ( m奮
・
「 m σ α げ 薗 ⇔ー
口 ぽ 網 侶価
四 )を
は じ め とす
る人
々 の勧
め によ
つ て 、 ウ パ ー サ カ ( ζ U舘
肆
鈩優
婆 塞)
の チ ェ ー ペ ー・
ダ
ル チ ャ ン (070
ω ム O 巴 α穹
・
号
《暮
)チ ェ ー
ダ
ル (O
ぎ
ω ,畠
こと
も
略
す
るが
、チ ェ
ー
ジ ェ ー師
が
そ
の晩
年
に暫
く
隠
棲
し て い た ヤ ル ル ン ( 団 餌 〒 巨言
ω )地
方
の ジ ュ ープ
ー (儀
旨 暈.
−
℃ げ 二 ) にお
い て書
いた
も
の であ
る 。生
誕
、入
寂
な
ど の記
事
に は奇
蹟
的
な事
柄
があ
り
、多
分
に伝
説
的
であ
る が 、全
般
に 、 チ ェ ー ジ ェ ー曰
く
と か師
曰
く
と か いう
引
用
が
多
く
、特
に旅
行
中
の記
事
は 、 チ ェ ー ジ ェ ー師
が そ の隠
棲
の地
ジ ュ ープ
ー にお
い て 、多
分
ジ ュ ープ
ー の人
であ
つた
チ ェ ーダ
ル と いう
優
婆
塞
に 口述
筆
記
せ し め たも
の で あ ろう
と
考
え
ら
れ
、 そう
いう
点
で は非
常
に自
伝
的
な
傾
向
を
持
つ て い る と いう
こ ヒ が でき
る 。チ ベ ッ ト と
イ
ン ド と の交
渉
は 七世
紀
に始
ま
つ て以
来
今
世
紀
に及
ん で い る が 、中
世
にお
け
る チ ベ ット
人
の書
い た イ ン ド旅
行
記
と
し て唯
一
のも
の であ
る こ の写
本
の原
本
は、
中
央
チ ベ ッ ト 、 ツ ァ ン (O
房 鋤 診 )省
の ナ ルタ
ン( ω
87
9
巴
)寺
に蔵
さ
れ
て い る 。そ
れ
が イ ン ド の仏
教
学
者
で探
険
家
でも
あ
つ た三
蔵
の師
ラー
フ ラ・
サ ン クリ
ト ヤ ー ヤ ナ ( 目 ユ葺
欝
9
酵
鴇
困筈
巳 ” ω§
犀 ユな
塁
嘗
P
一
九 六 四年
、 ベ ン ガ ル州
ダ ー ジ リ ン で 病 歿 ) に よ つ て一
九
三 六年
の探
険
の時
_ 36 一
NII-Electronic Library Service に
発
見
さ
れ
、そ
の複
写
写
真
が他
の尨
大
な
資
料
と
共
に イ ン ド にも
た
ら
さ
れ
、 バ ト ナ の ビ ハ ー ル研
究
協
会
(望
ず髯
幻 . の 。 四 . 。 7 ω 。 。一
。な
) に保
管
さ
れ る こ と にな
つた
。ビ ハ ー ル
研
究
協
会
は そ の資
料
の整
理
校
訂
の仕
事
を
ジ ャ ヤ ス ワ ー ル研
究
所
に一
任
し 、研
究
所
はそ
れ
を
広
く
海
外
の学
者
にも
開
放
し
て い る の で 、 モ ス ク ワ の東
洋
学
研
究
所
( →冨
ぎ
自。亭
989
窪
ΦO
ユ馨
巴 ω 什 口 匹一
。 の ) の哲
学
部
長
であ
る08
噌 σqo 閖 o Φ ユ o げ教
授
が これ
を
解
読
校
訂
し 、 ロ ー マ ナ イ ズ した
チ ベ ット
語
原
文
に そ の英
訳
を
つけ
、 ジ 翫 、 ヤ ス ワー
ル研
究
所
の所
長
であ
つ た ア ル テ カ ル ( 〉°
ω‘
〉一
佇 叶 P 「 )博
士
が詳
細
な
序
論
を
つけ
て出
版
した
も
の であ
る 。 ア ル テ カ ル博
士
は
考
古
学
者
と
し て 、北
ビ ハ ー ル 、ヴ
ァ イ シ ャ ー リ の仏
教
遺
跡
から
非
常
に古
い スト
ゥ ー パ の跡
を
発
見
発
掘
し
て間
も
な
く
、私
の渡
印
前
に亡
く
なら
れた
が 、こ の
Ud
δ
oq
篝
・
鳴ξ
oh ロ ず爰
目
霧
く 帥ヨ
ぎ
は ジ ャ ヤ ス ワ ー ル研
究
所
から
容
易
に入
手
す
る こ と が でき
た の で 、 ナ ーラ
ンダ
研
究
所
( 正 式 に は ナ ワ.
ナ ー ラ ン ダ.
マ ハ ー ヴ ィ ハ ; ラ 、2
山 く m = 曵畧
〇 四竃
曁
働 く ぎ贄
帥噂
新
那爛
陀 大 寺 、 通 称 を ナ ー ラ ン ダ、
パ ー リ 研 究所
と い う ) で の仕
事
のあ
い間
に少
しず
つ読
み
、一
読
し た 。十
三
世
紀
前
半
、正
確
に は一
二 三 五 、 六年
頃
の ナ ー ラ ンダ
、 ラー
ジギ
ル ( 閑 巴 αqぎ
古代
の ラ ー ジ ャ グ リ ハ 閑 鋤 冨 αq昔
P
王舎
城
)や
ボ ドガ
ヤ ( ブ ッ ダ ガ ヤ、
しd
巳
爵
超
畠
鋤 )な
ど
の状
態
を
興
味
深
く
読
んだ
の で あ るが
、 そ の中
で特
に強
く私
の心
を
捕
え
た
箇
所
が
一
、 二あ
つた
。帰
朝
後
再
び
読
み かえ
し
てみ
て 、そ
れを
こ こ に紹
介
し て み た い と思
う
の であ
る 。七 、
八
世
紀
以
後
、玄
奘
三蔵
が那
爛
陀
大
寺
を
後
に し て間
も
な
く
、 イ ン ド に は密
教
が盛
ん とな
り 、 イ ンド
大
乗
仏
教
の 二大
潮
流
を
な
す
中
観
思
想
と唯
識
思
想
と
はタ
ント
ラ の実
践
にお
い て綜
合
せら
れ
る こ と にな
つた
。那
爛
陀
大
寺
は密
教
の中
心
とな
り 、密
教
は民
間
の俗
信
と
の結
び
着
き
を
強
く
す
る こ と によ
つ て印
度
教
化
し左
傾
し て行
つ た 。や
が て左
道
密
教
の中
心
はガ
ン ジ ス河
畔
に新
し
く
建
てら
れ
た
ヴ
ィ ク ラ マ シ ー ラ ( < 貯冨
目詠
昌 鋤 )寺
に移
つ て行
つ たが
、そ
の間
、西
方
ペ ル シ ャ から
の侵
入
者
、回
教
徒
の劫
掠
の波
は
、 パ ン ジ ャブ
か
ら
デ リ ー地
方
、デ
リ
ー地
方
から
ベ ナ レ ス へ と次
あ る
密
教
者 の浄
土
一
37
一
N工 工一
Eleotronlo Llbrary
西
山
学
報
第
に東
にむ
か つ て押
し寄
せ つ つあ
つた
。そ
し て十
三
世
紀
の初
頭
に は東
イ ン ド 、 ベ ンガ
ル地
方
も
そ
の侵
す
所
とな
り 、 ヴ ィ クラ
マ シ ー ラ寺
は 、一
二〇
三
年
、 イ ク テ ィ ヤ ー ル・
ウ
ドデ
ィ ー ン ・ ム ハ マ ッ ド・
バ ク テ ィ ヤ ー ル(
貯
耳
ぞ畔
巳
・
岳 瓢霞
}
m 目日
巴
しσ艮
『¢
帥 『 ) に よ つ て焼
打
さ
れた
。本
伝
記
の主
人
公
、 チ ベ ット
のラ
マ僧
、 チ ェー
ジ ェ ー 、ダ
ル マ ス ワー
ミ ン が イ ン ドを
訪
れ
た
の はそ
の三
十
年
の後
、侵
略
の波
が ガ ン ジ ス河
の南
を
南
下
し
、 ナ ー ラ ンダ
大
寺
は そ の波
を
か
ぶ つ て いる
最
申
であ
つた
。そ
う
いう
状
態
であ
つた
の で 、一
年
足
ら
ず
の ナー
ラ
ンダ
滞
在
の問
、落
ち
つ いた
勉
強
は でき
な
か つ た と思
わ
れ るが
、そ
こ で彼
は ラ ー フ ラ シ ュリ
ー バド
ラ ( 閃讐
巳鉱
昌 ぴ冨
α鐔
) と いう
年
令
九
十
才
を
こえ
る師
に遭
い 、 そ の下
で勉
強
し
、密
教
関
係
の書
の チ ベ ッ ト訳
を
し たり
した
。彼
は
=
一
三
六
年
の雨
期
前
五月
頃
に 、 ナー
ラ ンダ
を
後
にし
てガ
ン ジ ス河
を
北
に渡
つた
と
考
え
ら
れ
る の で あ るが
、別
れ
に際
し
てそ
の高
令
の師
ラ ー フ ラ シ ュリ
ー バ ド ラ が弟
子
ダ
ル マ ス ワ ー ミ ン に与
えた
言
葉
が私
の心
を
捕
え た の で あ る 。そ
の一
節
は次
の如
く
で あ る 。そ
の翌
朝
、 パ ンデ
ィ ッ ト ( ラ ー フ ラ シ ュ リー
バ ド ラ を指
す
) は輿
に乗
つ て見
送
り に来
ら
れ
、「
貴
方
は い い僧
侶
で した
。も
う
チ ベ ッ ト にお
帰
り
にな
る の です
ね
」 と言
つ て眼
から
涙
を
ぽ ろ ぽ ろ こ ぼ した
。「
私
はも
う
年
を
と つ て い る 、 チ ベ ット
は ど ても
遠
い 、 こ の世
では
も
う
お
目
に か か る こ と はな
い で しよ
う
。し
か し 、私
達
は き つ とお
浄
土
で お遭
いす
る こ と が でき
ると
思
う
」と
言
つ て帰
つ て了
われ
た
。 こ こ で浄
土
と訳
し た原
語
はデ
ー
ワ チ ャ ン ( 剛W
畠−
げ 餌−
O 諍 昌 ) で 、梵
語
で ω β 犀 げ 凶 く讐
同い
楽
有
の土
、極
楽
と訳
す
る言
葉
であ
り 、浄
土
と は少
し ニ ュ ア ン スが
違
う
が
、無
量
寿
経
、阿
弥
陀
経
の梵
本
にあ
る ω 二 犀冨
く讐
圃
と同
じ言
葉
であ
る
。 こ のデ
ー ワ チ ャ ンは
果
し て浄
土
教
の中
で説
く
「浄
土
」 と同
U
も
のな
の であ
ろ
う
か 、そ
れ
が私
の心
の中
に生
じた
疑
問
であ
つた
。 こ のよ
う
な
箇
所
がも
う
一
ケ所
あ
つ てそ
れ
は次
の如
く
であ
る 。ダ
ル マ ス ワ : ミ ン が チ ベ ッ ト に帰
つ て から
六
十
七
才
で入
寂
す
る ま で約
三十
年
の間
、彼
は南
チ ベ ッ ト各
地
を
巡
錫
一
38
一
NII-Electronic Library Service し て い る 。
彼
は イ ンド
から
帰
つ て 二十
四
年
振
り
に故
郷
であ
る ニ ャ ル (O
, 巴 )地
方
に かえ
り
、 テウ
ラ
(岸
。.
午霽
) の僧
院
に は入
つ た が 、彼
の名
声
が高
く
な
る に つれ
て 、蒙
古
に入
つた
パ ク パ (、
勺 ゴ 餌 ぴq ω−
℃P
八 思 巴 )や
蒙
古
王
カ ン ・ ク ビラ
イ ( } ( 『 帥 コ 】 ( 口 び = 口」一
) から
是
非
蒙
古
を
訪
れ る よう
に ヒ の再
三 の要
請
があ
り 、 はじ
め は断
つ て いた
が
、終
に断
り
切
れ
ず
に一
度
は蒙
古
に向
つ て テ ウ ラ の僧
院
を
出
発
し て い る 。 そ の時
は足
を
痛
め て途
中
か
ら
引
き
かえ
し た が 、以
後
ダ
ル マ ス ワ ー ミ ン と パ ク パ と の間
に は文
通
があ
つ たら
し い 。ダ
ル マ ス ワ ー ミ ン は晩
年
の隠
棲
地
ジ ュ ー 。 フ ー から
故
郷
ニ ャ ル の テ ウ ラ の僧
院
に か えり
、 そ こ で 六十
七才
で示
寂
した
の であ
る が 、そ
の時
法
王
パ ク パ は支
那
から
の帰
国
の旅
を
続
け
て い た 。ダ
ル マ ス ワ ー ミ ン入
寂
の知
ら
せ は法
王
が
北
のタ
ム(.
Om
目
)ま
で来
て居
た時
に届
いた
。ラ マ 、 チ ェ ー ジ ェ ー 、 チ ャ ク の ロ
1
ツ ァ ー ワ は こ の よう
にし
て滅
度
を
と つた
、 と の べ て い る手
紙
を
見
て 、法
王
は
金
剛
喩
定
に入
り
、 そ し て涙
を
流
し た 。そ
れ
か
ら
法
王
は言
わ
れた
。「
前
に私
が チ ェ ー ジ ェ ー 、 チ ャ ク の ロー
ツァ ー ワ に 、
貴
方
が蒙
古
に来
ら
れ
る か 、或
は私
が
お
尋
ねす
る か し てど
う
か し てお
遭
い し た いも
の であ
る 、 と書
いて
送
つた
そ
の返
事
に 、 こ の世
で は どう
も
お遭
い でき
そう
にあ
りま
せ ん 、来
世
にお
浄
土
で何
度
でも
お遭
い でき
ま
す
よ
う
にど
祈
つ てお
り
ます
、と
書
い てあ
つた
が
、今
から
考
え
て見
る と 、何
か
予
感
が あ つた
の に違
いな
い 」と
。 こ こ の浄
土
の原
語
は シ ン カ ム ・ダ
ク パ ( ω 三 静 浄 げ 9。 ヨ ω号
αQ−
冨
)
で 「清
浄
な
る聖
域
」 と でも
訳
さ
れ
る であ
ろう
か 。前
の場
合
の デ ー ワ チ ャ ン 、 「極
楽
」 に は多
分
に通
俗
的
な
面
が あ る が 、 こ こ の 「来
世
の浄
域
」 はよ
り
純
化
さ
れ た 、 「浄
土
」 によ
り
近
いも
のを
持
つ て い る 。果
し てそ
う
であ
れ
ば 、前
の例
を
も
含
め て 、即
身
成
仏
、即
事
而
真
を
た
てま
え
と
す
る密
教
にお
い ても
、浄
土
願
生
と
いう
こ ど が言
わ
れ る の であ
ろ
う
か 。密
教
乃
至
は ラ マ教
と浄
土
思
想
ヒ は ど のよ
う
な繋
が り を持
つ て い る の であ
ろ
う
か 。 それ
が私
が
こ れ等
の記
事
を
読
ん だ時
にお
こ つ た疑
問
であ
つた
。こ
れ
ら
の箇
所
を
読
んだ
時
、
そ の疑
問
と共
にも
う
一
つ のも
の が私
の心
に浮
んだ
。そ
れ は元
祖
法
然
上
人
の御
歌
であ
あ る
密
教
者
の浄
土一
39
一
N工 工一
Eleotronlo Llbraryる 。
西
山
学
報
露
の身
は
こ こ か し こ に て
消
え ぬ とも
こ こ
ろ
は同
じ花
のう
てな
ぞ円
光
大
師
二十
五
霊
場
第
十
六
番
、粟
生
光
明
寺
の御
詠
歌
とな
つ て い る こ の歌
は 、建
永
二年
(一
二〇
七 ) 、上
人
讃
岐
配
流
の時
、そ
の庇
護
者
関
白
九
条
兼
・
実
公
が
一,
ふ
りす
て てゆ
く
は別
れ
のは
し
な
れ
ど
ふ み わ た
す
べき
こ と
を
し そ思
ふ 」 と いう
【
首
を
贈
ら
れ
た
時
に 、返
歌
ど し て上
人
が
兼
実
公 に贈
ら
れ
た
も
の であ
る
。上
人
が配
所
にむ
かわ
れ
る のを
、 ふ りす
て て行
か
れ
ると
感
じ
た
兼
実
公
の強
い悲
歎
を
和
げ
て 、静
か にさ
と
す
よ
う
な
調
子
の こ の歌
に は 、上
人
に は上
人
な
り に感
じ て居
ら
れ
た
であ
ろ
う
、愛
別
離
苦
の情
が
滲
み出
て い るよ
う
であ
る 。「
手
紙
だ
け
が
お
互
い の繋
が り にな
つ て了
いま
した
。私
も
しげ
く
お
便
りす
る積
り
です
から
、上
人
にも
せ い ぜ いお
便
り いた
だ
き
ま
す
よう
に 」 と い う兼
実
公
の望
みも
空
しく
、公
は上
人
出
発
の翌
月
に薨
去
さ
れ
た 。 公薨
去
の報
を
う
け
ら
れ
た
時
の上
人
の心
ほ 、や
ほ り 、露
の身
は こ こ か し こ に て消
え
ぬ とも
、心
は同
じ
花
のう
てな
ぞ
、 と いう
事
であ
つた
であ
ろう
。そ
し て前
述
のダ
ル マ ス ワ ー ミ ンが
老
令
の師
から
う
け
た別
れ の言
葉
も
全
く
これ
と
同
「
の気
持
から
出
た
も
の であ
る と思
わ れ る の であ
る 。今
から
七百
六十
年
前
、日
本
の京
都
にお
い て 、 二人
の師
弟
の間
に 、 そ の離
別
に際
し
て の こ のよ
う
な心
の交
流
が あ つ た 。 そ し て そ の三
十
年
の後
に 、 イ ン ド は ナ ー ラ ンダ
にお
い て 、離
別
す
る 二人
の師
弟
の間
に同
じ よう
な
心
の交
流
が
あ
つた
。私
がダ
ル マ ス ワ ー ミ ン の伝
記
を
読
ん で、
前
述
の 二 つ の箇
所
に行
き
あ
た
つた
時
、す
ぐ
私
は こ の上
人
の歌
を
思
い出
した
の であ
る が 、 こ の日
本
と
イ ン ド で略
同
じ頃
に起
つた
全
く
同
じよ
う
な
二 つ の出
来
事
を
並
べ て見
た
時
、 そ の後
ろ に何
か があ
る
よ
う
に思
え
てな
ら
な
い 。浄
土
教
、浄
土
往
生
思
想
の根
柢
には
、宗
教
以
前
、信
仰
以
前
のも
の と でも
言
え るよ
う
な伺
も
の か があ
つ て 、 それ
が
浄
土
信
仰
の中
の大
き
な
部
分
を占
め て い る の で はな
い であ
ろう
か 。そ
の よう
な
漠
然
と
し
た
気
持
で 、或
は
、き
つ と そ こ に何
かあ
る に違
いな
いと
いう
気
持
で 、更
に問
題
を
浄
土
教
に限
定
し て 、密
一 40 一
NII-Electronic Library Service
教
、或
は チ ベ ット
の ラ マ教
と浄
土
教
と は ど のよ
う
な
点
に にお
い て繋
が つ て い る の であ
ろう
か と いう
疑
問
から
、 こ のダ
ル マ ス ワ ー ミ ン の伝
記
を
も
う
一
度
詳
しく
読
み返
し て見
た
の であ
る 。し
か し結
果
から
見
て 、 こ の伝
記
はそ
の疑
問
に は答
え
てく
れ
な
い 。 こ の伝
記
に出
てく
る総
て のデ
ータ
だ
け
から
、別
れ の言
葉
と し て 、来
世
のお
浄
土
でお
遭
い しま
し
よ
う
と言
つた
二人
の僧
、一
人
は イ ンド
人
の年
令
九
十
才
を
越
え
る学
者
、 いま
一
人
は イ ン ド の仏
蹟
を
巡
拝
した
飜
訳
家
の チ ベ ッ ト人
の ラ マ 、 こ の 二人
の思
想
及
び
そ
の来
世
、浄
土
に つ い て の考
え
方
を充
分
に知
る事
は でき
な
い 。 チ ベ ッ ト の代
々 のダ
ラ イ ラ マ は観
世
音
菩
薩
の化
身
であ
り
、 パ ン チ ェ ン ラ マ は阿
弥
陀
仏
の化
身
であ
る 、 と チ ベ ッ ト で は信
じら
れ
てお
り
、ラ
マ教
で は荒
涼
た
る チ ベ ット
の国
土
を
観
世
音
の浄
土
と考
え
、 ラ サ のダ
ラ イ ラ マ の宮
殿
を
ポ タ ラ と呼
び 、 チ ョ カ ン仏
殿
は蓮
のう
てな
であ
つ て 、周
囲
の山
々 がす
べ て蓮
弁
に当
る と考
え ズ いる
と言
わ れ る が 、 それ
等
の事
は こ の伝
記
以
後
の こ と であ
り 、ま
た
密
教
の 、或
い は ラ マ教
の教
義
に関
す
る記
述
も
な
い 。た
だ 、 こ こ で は 、上
述
の疑
問
を
解
く
た め の一
つ の過
程
どし
て 、老
死
の期
に近
づき
つ つあ
る
二人
の僧
に 、浄
土
往
生
を
感
ぜ し めた
背
景
とな
る総
て の デ ータ
を
、 こ の伝
記
の中
から
取
り
出
し
、整
理
し て見
た
い と思
う
の であ
る 。一 41 一
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloe二 、 ラ ー フ
ラ
シ ュリ
ー バド
ラ に つ いて
西
歴
一
二 三 五年
の雨
期
を
過
す
べく
、ダ
ル マ ス ワー
ミ ン が ナ ー ラ ンダ
の僧
院
に行
つた
時
の僧
院
の長
が
ラ ー フ ラ シ ュリ
ー
バ ド ラ であ
つ た 。彼
に つ い て は少
し し か語
ら
れ て いな
い 。彼
はそ
の時
九
十
才
以
上
であ
つた
と
いう
から
、法
然
上
人
よ り十
年
程
後
に イ ン ド に生
れた
こ と にな
る 。彼
は僧
院
長
と し て七
十
人
余
り
の学
僧
と共
に ナー
ラ
ンダ
大
寺
に住
し て いた
が 、語
学
に堪
能
であ
つた
ら
しく
、数
人
の若
い学
僧
は特
に文
法
を
彼
から
学
ん で いた
。 チ ベ ッ ト語
も
よく
あ る
密
教
者
の 浄 土
西
山
学
報
理
解
した
ら
しく
、ダ
ル マ ス ワ ー ミ ン の外
にも
彼
の下
で勉
強
し て いた
チ ベ ッ ト人
の ラ マ が居
て 、そ
れ
はダ
ル マ ス ワ ー ミ ン が訪
れる
一
年
前
に病
死
し た と いう
こ と であ
つ た 。彼
はま
たダ
ル マ ス ワ ー ミ ン の カ ーラ
チ ャク
ラ
ー ヴ ァ ター
ラ・
ナ ー マ ( 閑 迚碧
接
品
く 讐 倒冨
−
鼠
目 m・
東
北
目 録 、一
三 八 三 ) の チ ベ ッ ト訳
に援
助
を
与
え
て い る 。こ
れ
は無
上
ユガ
タ
ン ト ラ(
q
洋胃
錯
。 αq 讐き
冖冨
)に
属
す
る時
輪
経
の註
釈
で 、時
輪
経
は十
一
世
紀
の終
り頃
に成
立
し た と考
え
ら
れ て い る から
、 こ の論
は
そ の頃
、 イ ン ド 、 チ ベ ット
で流
行
し はじ
め たも
の であ
つ た の で あ ろう
。彼
は
そ
の外
にダ
ル マ ス ワ ー ミ ン に 、グ
ル パ ン チ ャー
シ カ ー (O
ロ 「 仁 O 国 m6叡
貯
餌、
東 北 目 録 、 三 七 二一
、
□ 称 訳 、事
師
法 五 十 頌 、 大 正、
一
六 八 七 ) の 、ダ
ル マ ス ワー
ミ ン がそ
れ
はも
う
暗
誦
す
るま
で に勉
強
し て いた
の に 、梵
語
の註
釈
を
勉
強
さ
せ て い る 。グ
ル パ ン チ 紳、
ー シ カ ーは
馬
鳴
の作
とさ
れ
、 そ の梵
文
は
ネ
パ ー ル で レヴ
ィ ( ω・
頴
急
)氏
によ
つ て発
見
さ
れ
、出
版
さ
れ
た が、
日
称
が支
那
に来
て これ
を
漢
訳
し た の は一
〇
六四
年
で あ る から
、た
と え馬
鳴
の作
であ
る と し ても
、十
一
世
紀
に な つ て から
流
行
し 、そ
の註
釈
も
作
ら
れ 、ダ
ル マ ス ワ ー ミ ン が ナ ー ラ ンダ
を
訪
れ
た時
に 、 よく
読
ま
れ
て いた
も
の で あ る かも
しれ
な
い 。師
に事
え る方
法
を の べ たも
の で 、直
接
密
教
々義
に関
係
す
るも
の では
なく
、ラ
ー フ ラ シ ュ リ ー バド
ラ がダ
ル マ ス ワ ー ミ ン に そ れ の梵
語
の註
釈
を読
ま
せ た の は 、或
は梵
語
そ
のも
の の勉
強
が
目
的
であ
つた
の で はな
い か とも
考
え
ら
れ る 。以
上
の外
に、
ラ
ー フ ラ シ ュ リー
バド
ラ の思
想
を
明
ら
か にす
るよ
う
な
デ
ータ
は こ の伝
記
から
は得
ら
れ
な
い 。ダ
ル マ ス ワ ー ミ ン がナ
ー ラ ンダ
で の勉
強
を
終
つた
の で 、 チ ベ ッ ト に帰
ら
せ て ほ し い ど願
つ た時
、師
は
す
ぐ
に許
可
を
与
えず
、一
と月
後
に 、「
貴
方
は多
く
の教
え
を
習
得
した
、有
情
は利
益
を
得
る であ
ろ
う
、も
う
チ ベ ット
に帰
つ ても
よろ
し い 」 と言
つ て帰
国
を
許
し
た
とあ
るが
、そ
の教
え
の内
容
は述
べら
れ
て いな
い 。 ラ ー フ ラ シ ュリ
ー
バド
ラ は恐
ら
く
、 ナ ー ラ ンダ
大
寺
八
百
年
の栄
光
の最
後
の僧
院
長
で はな
か つた
かと
考
えら
れ る が、
彼
が
い つ こ こ の僧
院
の長
に就
任
し一
42
NII-Electronic Library Service
た
の か 、回
教
徒
の最
初
の攻
撃
は 、 パ ー ラ王
朝
( 頃 91 訂o
旨
窃
巳
の
滅
亡
と
共
に 、ダ
ル マ ス ワ ーミ
ン が訪
れ
る 二 、 三十
年
前
に こ の ナー
ラ ンダ
にも
及
ん で いた
と思
わ
れ る が 、彼
の就
任
は そ の前
か後
か 、 と に かく
こ の ラ マ僧
が訪
れ
た
時
に は 、彼
はブ
ダ
ガ ヤ に居
た マガ
ダ
国
の 王ブ
ッダ
セ ー ナ (Q
む巳
參
器
・蠧
) や 、 三里
余
り
西
北
のオ
ーダ
ンタ
プ
リ
ー (O
魯
再
昌
ロ 州凶
) の バラ
モ ン種
族
の ジ ャ ヤデ
ー ワ (富
鴇巴
話
)
と
いう
富
裕
な
在
家
信
者
の帰
依
をう
け
て 、 そ の支
持
に よ つ て僧
院
は維
持
さ
れ
て いた
。玄
奘
三蔵
が ナ ー ラ ンダ
を
後
にし
て から
間
も
な
く
、グ
プタ
王
朝
( ∩甲
這 ℃ け 四 一 ) 圃 昌 餌 ω 梓 《 ) に代
つ て約
四
百
年
の間
、そ
の間
、九
世
紀
に東
印
度
諸
島
ジ ャ ワ の バ ー ラプ
ト
ラデ
ー ワ ( ζ凵 製 ロ冨
鐸巴
〈 =。 )王
に よ る僧
院
の増
築
、寺
領
の寄
進
な
ど
が あ つた
が 、主
と し て代
々 こ の僧
院
を
庇
護
し て来
た
パ ー ラ王
朝
の滅
亡
ど
共
に 、回
教
徒
の攻
撃
を
う
け
て僧
院
は火
の消
え たよ
う
に なり
、僧
院
の維
持
経
営
も
地
方
の一
小
王
や
富
裕
な豪
士
に頼
ら
ざ
るを
得
な
く
な つた
の であ
ろう
。ダ
ル マ ス ワ ー ミ ン が訪
ね た時
、 七 つ の大
き
な
ス ト ゥ ー パ と十
四
の大
僧
院
ど八
十
ほ ど の小
さ
い精
舎
とが
回
教
徒
に破
壊
さ
れ
た無
惨
な
姿
で 、管
理
す
る者
も
、参
詣
に来
る者
も
な
く
打
ち
す
てら
れ てあ
つた
。千
を
数
え
る程
は居
た
であ
ろ
う
僧
侶
た
ち
も
七十
人
余
り に な つ て い て 、ま
だ
使
用
し得
る状
態
にあ
つた
二 つ の僧
院
に住
ん で いた
。そ
し てそ
の 七十
人
も
彼
の滞
在
中
に回
教
徒
の攻
撃
のた
め に殆
んど
居
なく
な
つ て了
い 、僧
院
長
ラー
フ ラ シ ュ リ ー バ ドラ
だ
け
は こ こ に骨
を
埋
め る積
り
で逃
がれ
な
か つた
。オ
ーダ
ン タプ
リ ー は パ ー ラ王
朝
の創
立
者
ゴー
パ ー ラ一
世
(Oo
冨
一
国 州 ) の都
で 、 こ こ に彼
に よ つ て壮
大
な
寺
院
が建
てら
れ
、 これ
は チ ベ ット
、サ
ム エ寺
の モデ
ル とな
つた
程
のも
の で、
チ ベ ット
から
の多
く
の学
僧
が こ こ で学
んだ
こと
も
あ
つた
が 、回
教
徒
の侵
入
によ
つ て こ の寺
院
は
占
領
さ
れ
、回
教
軍
の司
令
部
にな
つ て いた
。あ
る日
そ の司
令
部
に ナ ー ラ ンダ
僧
院
の支
持
者
であ
つた
前
述
の ジ ャ ヤ デ ー ワ が そ の家
族
ど共
に召
喚
さ
れ数
日
間
拘
留
さ
れ
た 。 ジ ャ ヤ デ ー ワ は牢
中
よ り 、近
日
中
に ナ ! ラ ンダ
僧
院
を襲
撃
す
る計
画
があ
る よう
だ
から
避
難
す
るよ
う
に、
でな
け
れ
ば
皆
殺
さ
あ る
密
教
者
の浄
土
一
43
N工 工一
Eleotronlo Llbrary西
山
学
報
れ
て了
う
であ
ろ
う
、 と ナ ー ラ ンダ
に連
絡
を
した
。僧
院
長
、 ラ ー フ ラ シ ュ リ ー バド
ラ
は 「皆
逃
げ
る よう
に 。私
はも
う
九
十
を越
え
て い る 、逃
げ
ても
逃
げ
な
く
ても
同
じ こ と だ 」と
弟
子
達
を
逃
がれ
さ
せ 、残
つた
の は彼
とダ
ル マ ス ワ ー ミ ン だ け であ
つた
。師
は チ ベ ッ ト の ラ マ に言
つた
。「
貴
方
は チ ベ ッ ト人
だ
、私
と
一
緒
に こ こ に止
る と いう
よう
な
馬
鹿
な事
を
す
る の で はな
い 、住
民
も
弟
子
達
も
皆
逃
げ
て了
つ た で はな
いか
。逃
げ
な
け
れ
ば
き
つ と殺
さ
れ
る であ
ろう
。 」弟
子
は答
え
た
。「
殺
さ
れ
る と し て毛
私
は行
き
た
く
な い 。 」師
は い つ た 。 「貴
方
の決
心
はど
う
も
堅
い よう
だ
。 で はも
し私
が
貴
方
に連
れ
て行
つ て貰
う
とす
れ
ば
、貴
方
はお
逃
げ
にな
る か 。も
し そう
な
ら
ば
、 二人
で逃
げ
る こ と に しよ
う
。 」弟
子
は九
十
才
の老
師
を
背
に負
い 、砂
糖
、米
、書
籍
少
し
を
持
つ て 、少
し離
れ
た
ギ
ャ ー ナ ナ ー タ (冒
習
・。鼠
け冨
) と いう
守
護
神
の祠
つ てあ
るお
堂
に避
難
し た 。 こ の堂
は曾
つ て一
度
回
教
徒
の軍
隊
に襲
わ
れ
て破
壊
さ
れ
て いた
が 、そ
の像
を汚
し
た兵
隊
が オー
ダ
ン タプ
リ ー の宿
舎
に帰
つ て そ の晩
に急
病
で死
ん で了
つた
の で 、以
後
回
教
徒
の軍
隊
は こ の堂
に は い る のを
恐れ
て いた
。 二人
が こ の堂
に かく
れ
て い るう
ち
に 、物
々 しく
武
装
し
た
三
百
人
余
り
の回
教
軍
がや
つ て来
た 。 二人
は発
見
さ
れず
に助
か り 、拘
留
さ
れ
て い た ジ ャ ヤデ
ー ワた
ち
も
釈
放
さ
れ
た 。こ の よ
う
な
時
代
に こ の伝
記
の主
人
公
、 チ ャ ク の ロ ー ツ ァ ー ワ 、 チ ェ ー ジ ェ ー、
ダ
ル マ ス ワー
ミ ン は ナ ー ラ ンダ
を
訪
れ
た の であ
る が 、彼
が こ こを
後
に し て以
後
、別
れ に際
し て浄
土
で再
会
しよ
う
と約
束
した
そ
の師
ラ ー フ ラ シ ュ リ ー バ ド ラが
、ま
た
彼
の こ の ナ ー ラ ンダ
の僧
院
が ど の よう
にな
つ た か明
ら
か でな
い 。 チ ベ ット
伝
に よ る と回
教
徒
の激
情
的
な侵
略
が一
応
落
ち
つ いた
後
で 、 あ る聖
者
が
諸
堂
の修
覆
を
し 、 マ ガダ
国
王
の一
大
臣
によ
つ て寺
が建
てら
れ
て 、 あ る程
度
の活
動
が行
な われ
た
と い い 、支
那
の資
料
に よ る と十
三世
紀
の終
り
頃
ま
で こ こ に僧
が居
た
よう
であ
る が 、明
ら
か でな
い 。多
分
、 ラ ー フ ラ シ ュ リ ー バ ド ラ は ナ ー ラ ンダ
の僧
院
長
とし
て こ こ に生
を
終
つた
であ
ろう
。彼
の経
歴
、思
想
に つ い て は 、以
上
のデ
ー
タ
だ
け
か
ら
は極
め て漠
然
とし
た
イ メ ー ジ し か浮
ぼ
な い 。 し かし
、彼
を
知
る上
に、
一
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一
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