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Keats, Epic, and the Prophetic Solitude

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早稲田大学大学院教育学研究科 博士学位請求論文

概要書

Keats, Epic, and the Prophetic Solitude

鈴木 喜和

2011 年 6 月

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1. 論文の目的、および序論

この論文の主要な目的は、ロマン派詩人ジョン・キーツの叙事詩創作の 営みをその文化・歴史的位相において解明することである。キーツはまず 伝統的な叙事詩のスタイルを模して「ハイピリアン」に着手するが頓挫し、

ついでそれを一人称の語りをとった「ハイピリアンの没落」へと翻案する。

しかしこれも完成させられず、叙事詩創作は断念された。これら二編の断 章は、その重要性と詩想の深さに鑑みてこれまでにも種々の議論がなされ てきたが、他方で、詩人の叙事詩挑戦の全容解明を目的とした浩瀚な研究 書が上梓されたことはなかった。その理由に挙げられるのは作品の短さで あるが、このことは長さを要とする叙事詩ゆえに、詩人の評価に、性格の 高潔さ、倫理的な意志の強さ、学問的関心、さらに政治的自由への情熱が 欠如しているという不名誉な汚点を残すことになってしまった。こうした 叙事詩人の要件とされるものをキーツは本当に持ち合わせていなかったの か。あるいは、この詩人にとって、叙事詩は創作活動の全体が収斂してい くようなジャンルではなかったのか。本論文では、近年になって質量とも に充実した文化・歴史的研究の観点から、キーツが早い段階から叙事詩の 伝統が定位していた文化的領域のなかで創作していたこと、そして叙事詩 人の精神的風土に深く通じていたことを論証する。そのことを通して、彼 の叙事詩挑戦を擁護し、二編の「ハイピリアン」執筆がもつ意義をあらた めて考察する。

序論では、「叙事詩的情熱」と呼ばれた、人生を捧げるまでの探究心がキ ーツの叙事詩創作を支えていたことを確認する。この情熱はキーツと歴史 画家ベンジャミン・ロバート・ヘイドンの絆になっていた。野心家のヘイ ドンはまだ無名の頃からいにしえの英雄を題材にして大判のカンバスに描 いていたが、詩人との交流があった時期は、主題の意義においてもサイズ においてもこれまでにない規模の作品、『キリストのエルサレム入城』に取 り組んでいた。キーツは画家との往復書簡のなかで、自分とヘイドンを名 声に焦がれた同志と呼び、この大作を「叙事詩」と呼んでいることなどか ら、「ハイピリアン」と『キリスト』は並行的なプロジェクトであったと推 測される。自らが依って立つべき芸術の原理原則を発見し、大義の実現に 全身全霊を傾けるヘイドンは、キーツにとって自己の理想型のような存在 であった。また、『キリスト』にはこの時代の軍事的英雄の功績に触発され たと思われる愛国心や特異な千年王国願望が込められており、叙事詩的な 性格を帯びたその絵画は「ハイピリアン」の同時代性を探るための貴重な

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手がかりとなる。

キーツはまた、画家と自分との間にある差異も認識していた。キーツの 精神はこれみよがしな個展の発表形態によく現れているヘイドンの自己顕 示欲に反作用を起こし、陽の当たる名声よりも日陰の偉大さを好む、孤独 な予言者とでも呼ぶべき自己像を育むようになる。やがてそうした詩人の 境涯は、「ハイピリアンの没落」第1歌で、一人称の語り手と尋問者モネー タとの間に交わさせる自己省察的な対話につながってゆく。

全4章からなる本論では、順に、文化的現象としての孤独、ワーテルロ ー後の千年王国説と政治、物語形式、読書のイデオロギーをテーマとして、

キーツの叙事詩的作品の起源とその展開、さらにそれと関わりの深い作品 を検証する。以下、章ごとにその概要を記す。

2. 第1章から第4章までの概要 1)第1章

近年、コックニー詩派との関係において注目されているキーツの友愛精 神や社交性が果たして彼の詩的達成とその性格を理解する上で妥当な理念 であると言えるだろうか。本章では文化的現象として見た孤独の諸相がキ ーツの想像力と詩的展開に反映されていることを確認し、孤独が詩人の叙 事詩創作の基底をなす情緒であったことを論証する。議論は詩人の詩的展 開に沿って行われる。

第1節では、「おお、孤独よ」とその背景を調べることによって、キーツ とリー・ハントがともに17・18世紀に興隆した隠者文芸の伝統と深い関わ りをもっていたことを確認する。ハントは一人になることに対して異常な までの恐怖を抱いていたと言われているが、文芸活動においては、「孤独」

はむしろ甘美な連想をもたらす観念であった。都市と田園の中間をとった 郊外的な彼の生活スタイルには18世紀に流行した、中庸を得た中産階級的 な隠遁の思想が具現されていた。この視点から言えば、「孤独」のソネット は隠遁の形を選択する、きわめて前世紀的な小品であった。さらにハント と同じように一人になることの不安を抱えていたこともわかる。しかしこ の詩にはワーズワスの崇高な自然の影響が見られ、すぐあとに書かれた書 簡体詩「ジョージ・フェルトン・マシューに宛てる」を引き合いに出すと、

キーツが詩人としての栄達に孤独との対峙が不可欠であると考えていたこ とも見えてくる。

第2節では、ハントの射程を超えた孤独の探究を『エンディミオン』の 物語と書簡をもとに再現し、その文化的背景を探る。『エンディミオン』の

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終盤には隠遁生活の二つの心象、すなわちインド娘との牧歌的幸福に満ち た暮らしと洞穴に住む孤独な隠者の生活が見出される。後者は一見、エン ディミオンとシンシアの愛の神話に馴染まないようであるが、丁寧に物語 の展開と作品内の孤独の表象を分析すると、その倫理的かつ自己充足的な 境地は、愛の園に代わる詩的人生のあり方として模索されていたものであ ることが明らかになる。当初の物語の設定にはなかったはずのそのような プロットの深化は、手紙の中で語られている詩人の実生活における孤独の 体験と軌を一にするものである。

ついで、キーツの孤独探究が同時代の文芸と共有されたテーマであった ことを示すために二つの言説に着目する。一つ目は、スイスの医師ジョン・

G・ジィマーマン(1728-95)の主著『孤独の考察』とこの随想的論文に対 する読者界からの反応である。この翻訳作品は、官能を刺激する都会を離 れ、田園に隠棲することを称揚し、孤独の情緒と倫理性を追究するもので あるが、出版と同時に版を重ね、多くの文人から賞賛を集めた。情操教育 的なその議論と多様な隠遁生活への論及は、『エンディミオン』の主人公と キーツに起きた精神的成長を十二分に解説するものである。二つ目は、第 4巻の後半部を執筆するにあたって詩人が滞在したボックスヒルとその周 辺地域にまつわる言説である。紀行文に記され、詩歌に詠まれてきたこの 一帯の文化的風土は、滞在中に書かれた手紙から窺えるキーツの隠者的気 分とたしかに照応するものであった。

以上の考察から、主人公が月姫と結ばれる『エンディミオン』の結末は、

詩神ミューズの寵愛を受けた隠者的詩人の誕生として読むことが可能であ る。また、その後の作品では、『エンディミオン』での「孤独」の探究が発 展する形で愛と孤独がしばしば二項対立的に描かれ、その対立をめぐって きわめてユニークな詩想が展開される。

第3節では、『エンディミオン』創作後、キーツの詩的生活の基調が、「孤 独」から連想される瞑想、および知識の吸収に移ったことを確認し、そう した変化がどのような形で「サイキに寄せるオード」に表明されている詩 人の深い自己認識に反映されたか探る。この検証はおもにミルトンとワー ズワスの影響を分析することによって行われる。ミルトンの影響は初期の 段階から引喩の形でキーツの作品に散見されるが、それはおもに詩的人生 のあり方に関するものであった。ミルトンは『失楽園』におけるエデンの 園の描写や「沈思の人」で詠われている孤独の喜びによって、18 世紀の隠 者文芸の興隆に大きな影響を与えた。キーツのミルトン受容を考える上で 示 唆 に 富 む の は 、 ヴ ォ ク ソ ー ル 庭 園 の 経 営 者 ジ ョ ナ サ ン ・ タ イ ア ー ズ

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(1702-1767)の例である。タイアーズは「快活の人」と「沈思の人」の相 反する理想を庭園建築と自らの人生において融合させようとしたが、その 解釈はキーツの「憂鬱のオード」などに見られる「快」と「不快」の同時 的享受の発想に通じるところがある。

「サイキに寄せる」には、叙事詩人ミルトンの伝統を継承していこうと する姿勢が見られる。オードの詩想は人生多室説の延長線上に位置づけら れるが、心の近代的な啓蒙の過程に関するこの比喩的な思索は、『失楽園』

のサタンが行ったエデンへの旅を近代的な視点から心の成長史として焼き 直したものと見ることができる。人間的知の探求の果てに到達しうる人生 の「第三の部屋」は、サタンがエデンの園で発見したアダムとイブの幸福 な生活を連想させ、さらにオードのサイキとキューピッドの愛に通じてい る。またこの詩の最終連では、『失楽園』に見られる隠遁と学問の表象、さ らに詩に対する哲学の優越を説いた『コーマス』の一節などを手がかりに して「思索」の恵みが「感覚の人生」に統合され、隠遁文芸の伝統に連な る祭司の心象が詩人の理想像として提示されている。

こうしたサタンの冒険の翻案にはワーズワスの存在もまた不可欠であっ た。なかでも『逍遥』序文に付された「趣意書」の文言や湖水地方で愛と 友情に恵まれたワーズワスの隠遁生活は思索の牽引力となっている。しか しその一方で、湖水地方の自然を私的な想いと結びつけて詠うワーズワス の尊大さや学問的な知識の吸収に消極的な姿勢はキーツにとって受け入れ 難いものであり、さらに、孤高を謳った隠遁生活に政治活動が入り込んで いたことの発見はおおいに幻滅させられる出来事であった。これらの疑問 点ないし不整合な点はキーツにミルトン的伝統の再検討を促し、詩人が隠 棲的楽園の構築を自覚的に心の内部で行うことの要因になったと考えられ る。

2)第2章

本章では、ナポレオン戦争後の政治的言説とその中に見え隠れしていた 千年王国願望が「ハイピリアン」の構想に影響を与えたことを論証する。

ロマン派詩人は終末論を意識の次元において起きる内的革命と読み替えた が、もはや心の外部で生じうる大変革の可能性を千年王国説的な思考の枠 組みを用いて追求することはなかったのだろうか。千年王国説と関わりの 深い 1810 年代の人物と彼らの言説に対するキーツやコックニー詩派の反 応を検証し、「ハイピリアン」を一種の千年王国的社会追求の物語として提 示する。

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第1節では、労働者階級出身の女流予言者ジョアンナ・サウスコット

(1750-1816)に焦点を当てる。千年王国の到来を予言し、入国許可証を発 行して信者を集めたサウスコットの宗派主義的な信仰は、ワーズワスを代 表とする「湖畔詩人」の保守思想と類比的関係にあった。キーツもまたエ リート主義的な嫌いのあるワーズワスの救済観に留保をつけていた。「ハイ ピリアンの没落」冒頭で予言的ディスコースの領域に足を踏み入れ、詩人 を狂信者から区別しようとするキーツに課された使命は、前世代の詩人た ちが経験した政治的喪失とそれに起因する自己閉塞的な世界への沈潜を克 服し、万民的な救済の可能性を探ることであったと言える。

第2節では、社会主義的な共同体建設の計画案を発表し、戦後不況にあ っ た ワ ー テ ル ロ ー 後 の 社 会 で 一 躍 脚 光 を 浴 び た ロ バ ー ト ・ オ ー ウ ェ ン

(1771-1858)

に注目する。オーウェンは講演のレトリックに千年王国説を巧みに利用し、

聴衆や読者のメシア待望に応えようとした。またオーウェンは、計画の具 体性と実行性によって予言的ディスコースにおいて特殊な位置を占めてい た。ハズリットは千年王国がすでに到来しているとされた綿紡績の実験村 ニュー・ラナークの存在を疑い、オーウェンを「実際的な夢想家」と呼ん だが、その詳細で緻密な計画はコウルリッジの夢想家的非実用哲学と対蹠 的に捉えられうるものであった。また、『エグザミナー』はオーウェンの言 説普及に協力し、宗派主義を排した彼の社会理論は社説で好意的に紹介さ れた。

第3節では、「ハイピリアン」における神話的事実の借用や変更に当時の 政治的言説が関与した可能性を探る。タイタン族とオリンピア神の戦争は キーツが利用したランプリエールの神話百科辞典の記述にきわめて忠実で あり、なおかつ手紙の中で披瀝されているイングランド政治史観と通じ合 っている。また、物語の筋や神々の系譜に関してキーツが加えた変更点は、

ハズリットが批判した、絶対王政を懐古する保守派の言説と興味深い連動 を見せる。こうしたテキスト内外の照応は、物語に同時代的な性格が与え られていることを示唆するものである。

つぎの第4節では1819年『エグザミナー』の年頭所感に用いられている 千年王国的レトリックを分析し、その観点から「ハイピリアン」の筋書を 考察する。ハントは現今の社会情勢をミルトンが詠ったキリスト生誕の朝 に喩え、「知識」を触媒として「万民の利益という壮大な感覚」が生まれ、

遠方諸国にまで広まりつつあるとし、それを可能にしたものとして「出版 物」を挙げる。当時、知識の普及に絶大なる威力を発揮した出版物、とく

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に安価な定期刊行物は、その革命的ないし社会改革的な力、あるいは教育 的効果がさかんに称えられ、活字は人類の知的成長の歴史を振り返った「叙 事詩」の主題にまでなった。ハントはこのような「出版物」の活躍を念頭 に置き、神聖同盟を結び一種の千年王国の到来を宣言しているかに見えた 統治者と知識の普及によって啓発が進む国民の間で行われている闘争を分 析しているが、それはタイタン族とオリンピア神の争いと状況が酷似して おり、「出版物」に関する当時の言説が、知識によってアポロを神にする記 憶の女神ニモージィニーの性格設定に影響していたと見ることができる。

つぎの第5節で注目するリチャード・カーライル(1790-1843)は出版物 の革命的威力を謳った代表的人物であった。カーライルは理神論を普及さ せることでキリスト教の廃絶と君主制国家の転覆を謀った。教会批判を『エ グザミナー』誌上で展開してきたハントは、知的探究の自由を体現してい たカーライルの自己犠牲的な活動を称え、キリスト教に取って代わる信仰 ないし思想として理神論を擁護した。一方、キーツはカーライル裁判と理 神論の普及がワーテルロー後の反動政治を跳ね返す原動力になるのではな いかと期待していた。キリストとの相似が指摘できるキーツのアポロは、

こうしたポスト・キリスト教世界待望論とオーウェンやカーライルの英雄 主義的な時代の趨勢に位置づけられる。

最終節の第6節では、アポロの象徴性とオリンピア神の最終的な勝利が 意味するところを作品外部の資料をもとに探り出す。キーツは予言的調子 を帯びた1818年10月の手紙の中で、アメリカが崇高な社会に実現するに は国家的大詩人の登場が不可欠であるという趣旨の発言をしているが、そ れは物語内の「あらゆる詩歌の父」とされたアポロ神の誕生を思わせる。

またアポロ神格化の過程にはキーツの詩的生活の主調になりつつあった知 識吸収が重なる。『妖精の女王』5巻2篇の続きとして創作されたスペンサ ー連には、タイポグラフスから文学的および哲学的教育を受けた革命派の 巨人が体制を象徴する宿敵に仕返しする様子が描かれているが、この巨人 と照らし合わせると、記憶の女神を通して詩歌と哲学・歴史的知識を融合 させたアポロはオリンピア神側の勝利とそのあり方を象徴する存在であっ たことが窺われる。

3)第3章

第3章では、「ハイピリアン」改作の狙いを二つの断章およびオード作品 における語りの形態と詩想の関係に注目しながら探る。ミルトンの叙事詩 に倣った「ハイピリアン」を放棄した背景には、独創性の問題があったと

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考えられる。もはや客観的な無私の語りで独創的に語り得ないことを悟っ た詩人が、今度は近代的な一人称の語りにその可能性を見出そうとして挑 んだのが「ハイピリアンの没落」ではなかったか。とくにワーズワスの一 人称の語りとの差を吟味しながら、「遅きに失した詩人」という自己認識に ある重苦しさをキーツがどのように解消したか検証する。

第1節においては、詩神の客観的な語りで神話世界の一大事変を扱った

「ハイピリアン」が、同時にキーツ自身の内的成長が昇華された自己創造 の物語であったことを明らかにする。物語のこの側面を照射するのは、ハ ズリットの初期の著作『人間行動の原理に関する論考』において展開され ている想像力論である。「真の自己」の活躍に期待するタイタン族の主神サ ターンは、現在の自己を未来の自己に投擲する想像力の機能が異常を来し ていることを示唆する。意味のある行為を促す本来の投擲には「知識」と

「経験」が必要とされるが、そのことはタイタン族の会議の趣旨からも窺 うことができる。状況打開の道を探ろうとするハイピリアンの冷静さ、そ してアポロに見られる知識の渇望は、人間精神に秘められた自己実現の可 能性と方法を示すものと見ることができる。こうした想像力の高次の営み はハズリットが『論考』の注釈において示唆しているものであり、また、

キーツの書簡に散見される人生観などからも解説可能である。神学者の影 響が指摘される魂創造説の概要もこの経験論的な観点から説明できる。

第2節ではキーツの近代詩人批判を検証し、キーツとワーズワスの叙情 詩の手法に見られる共通点と差異を探る。内省的な一人称の語りを採用し た1819年春のオードは、偉大な過去の文学ジャンルの一つであるピンダロ ス風オードからの離反を示唆しているように見えるが、主題になっている 事物は近代詩人の手法的特徴である主観化の犠牲になるのではなく、むし ろその個的特徴としてのアイデンティティーが維持される方向に進む。「サ イキに寄せるオード」でサイキが心の内部に招かれる意図はサイキ神話の 保存にあり、ワーズワスの主観的内在化とは区別されるべきものである。

「ハイピリアンの没落」においてモニータの脳内に内在化されるハイピリ アンの物語もこの独特な手法の延長線上に位置づけられる。

第3節ではまず、「ナイチンゲールに寄せるオード」の詩的手法がキーツ の批判した近代詩人と同じ独創性の理論に依拠していることを示し、つい でその近代的アプローチに近代詩人批判が胚胎していることを確認する。

オードに見られる観念と心象の展開は没個性的であるが、ワーズワスの自 伝的要素が前面に出る観念連合の手法と原理的には一致するものであり、

レノルズ宛の書簡体詩では、「心の私的な気分」に沈潜する想像力への不安

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が打ち明けられている。こうした想像力の限界は、語り手が鳥と同化し、

その記憶の世界へ入るものの、まもなく自我の意識に引き戻されてしまう 終盤の展開に鋭く意識されているが、この結末をワーズワスの小品「郭公 に寄せる」のそれと比較するとき、オードは近代詩人のヴィジョンの独善 性と閉塞性を暗示する共感的想像力の記録となる。

第4節では、ハズリットのイギリス詩人講義録の初回で展開されている 詩論の視点から、「ギリシア古甕に関するオード」を物語探求の記録として 読み、古代人との差が鋭く意識された語りに古代ギリシアの美の宗教に対 する懐疑が胚胎していることを指摘する。オードの語り手はレリーフの像

(絵画)を時間と共に推移する一連の出来事としての物語(詩)へと翻訳 しようとするが失敗する。最後に古甕が発する警句はこうした語りの失敗 が反映されて、自己充足的で独善的な調子を帯びることになる。そこで説 かれている美と真の一致には古甕の近視眼的な知覚が仄めかされ、美(快)

のみを人間が知るべき真と見なすことに安住できない、近代人としての語 り手の心境が垣間見られる。

先に検証した二編のオードで、近代詩人ないし近代人ゆえの物語探求の 失敗に暗示されていたキーツの詩作の信念ないし人生観が、「ハイピリアン の没落」でどのような展開を見せたか、最後の第5節で検証する。「没落」

の物語はその一人称の語りにおいて、ミルトンの主題と詩神の語りが自 然・人間化された『逍遥』の近代的アプローチに倣ったものと見ることが できる。モニータはワーズワスの彷徨者のように物語を記憶し、また混交 主義的な様式をもったサターンの神殿とその内部で展開する語り手の試練 には、キーツが吸収した啓蒙思想の影響や人間の自律性を重んじる自由主 義的な倫理観が反映されている。

ハイピリアンの物語はモニータの脳内に移植されるが、そのことの意義 は二様である。まず、ギリシア古甕のオードでの物語探求を引き継ぎ、

モニータの表情に現れた悲しみの美の可能性が物語の形をとって追求され る。そしてさらに重要な意義として、ハイピリアンの物語が詩論表明の場 として機能するようになる。そのヴィジョンの構造は、『失楽園』の天使長 ミカエルがアダムに見せたヴィジョンと『神曲』のダンテとウェルギリウ スの地獄巡礼が融合したものである。キーツはそれによって、『逍遥』でワ ーズワスが彷徨者の語りに自然化させたヴィジョン(マーガレットの物語)

と対になる物語の構造を編み出す。ワーズワスの口承的な物語の伝達方法 は語り手の人格を際立たせるだけでなく、巻を追って保守政治と正統的信 仰との連携を示すようになる。一方で、寡黙なモニータの語り(ヴィジョ

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ン)は、雄弁な彷徨者や教条的な牧師とは対照的に、聞き手(幻視者)に 自立した知性の覚醒を促す。これはキーツが日頃から抱いていた個性と 個々の精神活動に対する敬意の表れである。それはまた、詩人と読者のあ るべき関係を伝統的文学ジャンルの客観性と射程に拝跪して再定義するも のであり、これによって独特な叙事詩の形態と声域を獲得したキーツは、

「遅きに失した詩人」の意識を独創性の表現に用いた、ロマン派詩人の中 でもきわめて特異な詩人であったと言える。

4)第4章

先の二章で検証したように、「ハイピリアン」の断章がいずれも読書の行 為を表象したところで放棄されたことに鑑み、本章では読書をめぐる19世 紀初頭の教育事情とそれにまつわる政治的言説を調べ、この歴史的文脈の 中にワーズワスの『逍遥』後半部とキーツの「秋に寄せる」を位置づける。

それによって「秋に寄せる」の詩想がワーズワス作品に指摘される個と社 会の断絶から出発していたこと、そしてその無私的な秋の描写が民主主義 の台頭と連動し、叙事詩の大団円となる予言的ヴィジョンであったことを 示す。

第1節では、労働者階級の子供に識字教育を施し、読書の普及に一役買 った学校教育の理念を調べ、「湖畔詩人」とキーツ周辺人物の大衆教育をめ ぐる政治的発言の背景を明らかにする。19 世紀に目覚ましい躍進を遂げた 教育施設に日曜学校と通学学校があった。日曜学校は福音派やメソジスト 会派の布教活動の一翼を担う慈善施設として在籍児童の数を飛躍的に伸ば した。その教育は保守・反動的な社会理論に基づき、厭世的で終末論的な 色彩の濃いものとなった。通学学校は新しい教授法の登場によって一新さ れた。ジョゼフ・ランカスター(1778-1838)は上級生が下級生に教える助 教法を考案し、マス教育を実現した。宗派の垣根を越えたその教育はやが て国教徒の利害を代弁するアンドルー・ベル(1753-1832)とマドラス方式 と呼ばれた助教法の登場を促し、政治論争へと発展したが、どちらの学校 でも読書の範囲は制限され、運営の理念となったのは工場の生産性と軍隊 の規律・統制であった。「湖畔詩人」はいずれもマドラス方式を公に支持し、

その普及に様々な形で貢献した。しかし、人間性の陶冶としての読書を奨 励するハズリットは彼らの活動を冷ややかに見ていた。また、ヘイドンが どちらの助教法もナポレオンの帝政のような独裁政治を招来しかねないと 危惧していたように、一元化された国民教育は人間の精神と自由を脅かす ものであった。

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第2節においては、『逍遥』第5巻以降に見られる社会思想や教育にまつ わる言説および表象に注目し、そこにコークニー詩派が批判した「ワーズ ワス的崇高」の例となるような、個と社会の断絶と見られる状況が生じて いることを確認する。朝方の出発の場面から始まり夕闇の別れの場面で終 わる作品の後半部は、孤独者によって突きつけられた一つの問題、すなわ ち彷徨者のように「秋の恵み」を享受することが田園の貧しい村人たちに 可能であるか、という問題に貫かれている。教会墓地で牧師が語る慎まし い村人たちの物語や牧師館で彷徨者が説く国民教育などの社会思想は、人 間の進むべき道を田園社会に見出そうとするものである。その保守的な性 格は、たとえば第6巻で、牧師がある女の生涯を振り返りながら、青年期 の知識欲や読書を嘆くところに見て取れる。また、最終巻の後半部で一同 が湖畔で目にする「崇高な統一」と呼ばれた夕焼けの光景は、それに続く 牧師の祈りの中で、選ばれし者だけに楽園が回復される終末的ヴィジョン と解されている。牧師はある箇所で「野心なき下生え」や「木陰の花」を 覆う大樹のカエデに喩えられているが、果たしてそのように表象される田 園社会から、荘厳なオークに喩えられた彷徨者のような人間が「野心なき 学校」の努力を介して生まれ得るのかという疑問が残る。

第3節では、「秋に寄せる」に描かれている秋の場面に「ワーズワス的崇 高」と対照的な社会の豊かさが暗示されていることを明らかにするが、議 論に先立って、この詩の解釈をめぐる問題点を指摘する。「秋に」は政治・

社会的論争から芸術世界への逃避を示しているというジェローム・マガン の解釈は伝記的な観点から疑問が残る。ピータールー後の書簡から窺える 政治への期待感やキーツの隠者的自己像をもとに割り出せば、その姿勢は 逃避的というよりも、傍観的である。好ましい変化の兆しであった擾乱が 詩から蒸散されるべき「不快物」であったとも考えにくい。また、ニコラ ス・ローのように特定の政治的事件に臨んで書かれた詩とするにはあまり にも詩想が整然と展開しており、その内的統一性の高さを説明できない。

「秋に」の根底にある詩想はむしろこの詩人の特徴がよく現れた1818年 2月19日付けの書簡に披瀝されている「観念の旅」である。そこでは個の 成長と社会の発展における書物と思索の意義が詩人の視点から説かれてい る。キーツは読書の楽しみから説きおこし、それが詩人の無私的な語りを 媒介にして、オークの森ないし松林に喩えられる「偉大な民主社会」の誕 生を促すと主張する。「秋に」は、その描写と統語法に注目すると、第1連 は心の中で展開する「観念の旅」、第2連はそれによって生じる内的世界の 充実とその普遍性を思わせる。そして無私的な「囁き」によって始まる第

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3連では、種々の個性的な声から編成された秋の「音楽」が偉大な民主社 会のヴィジョンとして展開する。このヴィジョンが表しているのは、究極 的に言えば、詩が引き出し得る人間社会の豊かさであり、そのような多声 的「音楽」の開始を合図した夕映えを詩神アポロの象徴と見るなら、時の 推移に起因する人間の喪失と苦しみが詩歌に崇高な可能性をもたらすもの として受容されていることを暗示しており、ハイピリアンとアポロの和解 が成立したと見ることができる。また、多様と統一の理念に基づくこのヴ ィジョンはワーズワスの終末のヴィジョンに比べ、多様の方に重きが置か れている。後者が保守反動的な学校教育や読書観と連携していたのに対し、

前者は読書への権威的な介入を拒む民主主義的な倫理に通じている。

秋の音楽の饗応性は、人は「お互いの調べに応じるように」行動すべき であるという詩人の信念が現れている。『失楽園』第4巻の賛美歌を歌う天 使の描写から取られているこの言葉は、初期の何編かの詩で多様性の描写 のモチーフになっている。それはこの詩句が「観念の旅」を経てキーツの 一部となっていたことを意味する。「秋に」で多声音楽となるには、独自の 声を獲得したという充実感と社会変革の兆しが必要であった。

3.エピローグ

1819年は虐殺事件を契機に諸派の自由主義者と急進的な改革者が一致し て弾圧的な政権の批判にあたったように、キーツの理想とした人間精神の 饗応が政治的現象になった年であった。この年の夏から戯曲に「革命」を 起こすことを究極の目標に悲劇の創作が始まっていたが、それは改革勢力 が活気づき、詩人にも饗応が求められる中、キーツの関心が自己正当化の 域を出ない叙事詩から離れ始めていたことを示唆する。戯曲は大衆にとっ て身近なジャンルであり、キーツが挑んだ歴史悲劇は、当時の主流であっ た通俗劇と違って精神の高揚と高尚な行動に直結する可能性を秘めたもの であった。英雄的な詩人の行動を物語の要にした叙事詩が放棄されたのは 歴史的必然であったと言える。

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