• 検索結果がありません。

チェルノブイリ・ツアーに参加して (フォトエッセ イ)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "チェルノブイリ・ツアーに参加して (フォトエッセ イ)"

Copied!
5
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

チェルノブイリ・ツアーに参加して (フォトエッセ イ)

著者 服部 倫卓

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名 アジ研ワールド・トレンド

巻 234

ページ 43‑46

発行年 2015‑03

出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL http://doi.org/10.20561/00039882

(2)

服 部 倫 卓

Michitaka Hattori

■フォトエッセイ■

写真・文

汚染地帯「ゾーン」への入り口に当たるディチャトキ。あまり手際がよくなく、通過に結構時間がかかった

●念願のツアー参加

人類史上最悪の原子力事故である チェルノブイリ原発事故が起きたの

は︑一九八六年四月二六日のことだっ

た︒当時はまだソビエト社会主義共和

国連邦︵ソ連︶が存在した時代で︑原

発はその構成共和国であるウクライナ

に所在していた︒秘密主義だったソ連

のこと︑事故が国際社会に明らかにな

るのには数日を要したが︑当時大学で

ロシア語を専攻していた私も大きな

ショックを受けた︒原発事故は︑一九

九一年暮れにソ連が崩壊する序章に

なった︒

  その後︑私は一九九八年から二〇〇

一年にかけて︑旧ソ連のベラルーシと

いう国に駐在し︑日本大使館で専門調

査員を務めた︒チェルノブイリ原発自

体はウクライナに所在しているが︑実

は風向き等の関係で放射性物質の七割

は北隣りのベラルーシに降り注いだと

いわれており︑ベラルーシこそ忌まわ

しき原発事故の最大の被害国なのであ

る︒大使館時代には︑日本人の医師や

ボランティアがベラルーシの汚染地域

で支援活動に従事する様子を目の当た

りにした︒

  しかし︑せっかくそのような知見を

得ながら︑私は原子力の問題について

充分な問題意識を育むことができな

かった︒むしろ地球温暖化の方が喫緊

の脅威であるように思われ︑原発に関

しては漠然と︑それを緩和する必要悪

のように捉えていた︒そんな︑あやふ

43

アジ研ワールド・トレンド No.234(2015. 4)

(3)

プリピャチ中心部の遊園地の跡地。打ち棄てられ錆び付いた観覧車は、

チェルノブイリの象徴のようになっている。小型ながら、世界で最も 有名な観覧車の一つかもしれない

やな価値観を抱えなが

ら︑二〇

一一年三月を 迎え

︑ 大きな衝撃を受ける

︒ 原発について満 足な知識や主体的な問題意識を持たないまま 来てしまったという後悔の念と

︑焦燥感ばか

りが募っていった︒

そんな折り

︑ 仕事でウクライナに行った際

に︑現地の日本大使館員から︑﹁チェルノブイ

リへのツアーが解禁になった

﹂ という話を聞

き︑強い関心を抱いた︒大袈裟なようだが︑チェ

ルノブイリをこの目で見ることが

︑ 原発の問 題にきちんと向き合ってこなかった自分を悔

い改める﹁みそぎ﹂のようなものに思われた︒

とはいえ

︑ 普段は仕事でウクライナに出かけ るので

︑一日がかりのツアーに加わる時間は

とれない︒二〇

一四年五月に個人旅行でウク

ライナを訪れ︑その際にようやく念願のツアー

参加を実現した︒

一般人の見学が許可されるようになったと

はいえ︑﹁ゾーン﹂と呼ばれる汚染地帯への立

ち入りは現在も厳重に規制されており

︑ 登 録

業者が組織するツアーに参加する必要がある︒

業者は複数あり

︑ メニューも多少異なるよう

だが︑私は﹁チェルノブイリ・ツアー﹂

︵https://chernobyl-tour.com︶というところを 選び

︑ 事前にメールで予約をしたうえでウク

ライナに赴いた︒

●実際のツアーの様子

当日は

︑ 朝七時半に首都キエフの中央駅前 に集合し

︑ ミニバスでチェルノブイリに向か う

︒私が参加したグループは八名程度で

︑ 私

以外全員︑地元ウクライナの若者たちだった︒

参加費用は一三九米ドル

︒ 希望者には

︑ 放 射

線測定器のレンタルもある︒  

チェルノブイリは

︑ 首都キエフから一

〇 キロあまりしか離れていないので

︑車で二時

間も走れば現地に到着する

︒ ディチャトキと

いうところにあるチェックポイントを通って︑

立ち入り制限区域に入域︒

まず我々は

︑ 事故で無人となったザレシエ

という廃村に立ち寄り︑民家の廃墟を巡った︒

ちなみに

︑ 半 壊した家の片隅には

︑ おもちゃ の人形などが放置されている光景があるが

︑ その大半は見学者が写真撮影用の

﹁ 演 出

﹂ 目

チェルノブイリの影の名物がこれ。冷戦の遺物、大陸間弾道ミサイル 早期警戒巨大アンテナ。電力を大量に食うので、発電所の隣に建てら れたらしいが、1986 年の原発事故を受け運用が停止され、放置されて 今日に至る

コパチという廃村にある幼稚園の廃墟。

絵本や遊具などが散乱しているが、文 中に記したとおり、どこまでがリアル でどこからが「演出」なのかは、よく 分からない。原発から至近の地なので、

軒下などの線量はきわめて高かった

(4)

的で置いたものだという︒

ザレシエを過ぎ

︑ ツアー一行はキエフ州の チェルノブイリ市に入る

︒実はチェルノブイ リ原発は同市にあるわけではなく

︑ プリピャ チ市の方が至近である

︒ プリピャチが無人化 して久しいのに対し

︑チェルノブイリでは今

でも事故処理関係者など数百人が住んでいる︒

  その後︑我々は旧プリピャチの市街に赴き︑

所々で生い茂る草木をかきわけるようにして︑

ゴーストタウンを散策した

︒ 一九八六年の事 故前までは

︑ ソ連の未来をしょって立つ

︑ 輝 ける科学都市だったプリピャチ

︒ ソ連各地か

ら若く野心のある人材が集まり

︑人口は五万

人に迫っていた︒

そしていよいよ

︑ ツアーのハイライトとい うべき原発そのものの見学

︒外観を眺めるだ けではあるが

︑ 爆発した四号機

︑ そしてそれ

を覆うべく建設中の﹁新石棺﹂の様子などを︑

意外なほどの至近距離から見学できた

︒ チ ェ ルノブイリでは

︑ 原子炉は全面的に停止して いるものの

︑ 当国の電力系統における重要な 送電拠点として現在も稼働しており

︑ 新石棺

の建設工事も進行中なので︑実は案外﹁活気﹂

がある︒

爆発した 4 号機を、こんなに間近 に眺められるとは思わなかった。

ソ連が設計開発した黒鉛減速沸騰 軽水圧力管型原子炉(RBMK)の RBMK-1000 型の原子炉が、人類 史上最悪の事故を引き起こした

ここはスポーツのスタジアムだったという。20 余年でグランドを林に変えてしまう植物の生命力に驚く

プリピャチ市で一番高い 15 階建て の団地の屋上に登り、原発の方向を 眺める。街は腐海、ならぬ樹海に没 しつつあるようにみえる

(5)

イリの惨劇から学ぶ点は多く

︑ 私自身ツアー

に参加して得がたい経験ができた︒

  私の参加したツアーは

︑ガイドがロシア語

だった︒おそらく︑外国人向けの英語のツアー

も存在するはずである︒ただ︑可能であれば︑

日本語のガイドがいてくれたりすると

︑一

般 の日本人が参加しやすくなるだろう

︒ 日本の 旅 行 会 社 が 企 画 す る ウ ク ラ イ ナ の パ ッ ク ツ アーは

︑ 歴史とか文化に重点を置いているこ とと思うが

︑ チェルノブイリをプログラムに

組み込んでみたりするのも一案かもしれない︒

  現状ではチェルノブイリ・ツアーは﹁学習﹂

に重きが置かれており

︑ アメニティの要素は 乏しい

︵ ゾーン内ではまともなトイレはほぼ

存在しないなど︶︒学習効果を広げるためにも︑

より広範な市民に参加してもらうことが大事 であり

︑ そのためには快適性に配慮すること

も必要かと思う︒他方︑ツアーでは廃屋に入っ

たり

︑ 瓦礫に触れたりするので

︑ 日本人の感 覚からいうと

︑ヘルメットや軍手を着用した

方がいいのではないかと感じた︒  

その後

︑犠牲になった事故処理作業員の記 念碑に献花し

︑ チェックポイントで全身をス

キャンして異常な被曝がなかったかを確かめ︑

制限区域の外に出た

︒近くのカフェで食事を とり

︵ プログラムに含まれているが

︑ 食事の

中味はごく一般的なもの︶︑ツアーを締め括っ

た︒

●参加してみた感想

我々日本国民は

︑これから何十年も原発事 故処理の問題と付き合わなければならない

︒ その意味で

︑四半世紀前に生じたチェルノブ

はっとり みちたか/ 

一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所 調査部部長。

ロシア・ウクライナ・ベラルーシの経済・政治情勢が専門。個人HPは http://www.hattorimichitaka.com/

ただ、4 号機の周辺は、さすがに線量が高い。今回のツアーで最高値を記録し、

測定器が激しく警報を発した

国際的な支援で建設中の「新石棺」。受注したフランス企業が莫大な利益を挙げる一方、

現場のウクライナ人は高線量下で低賃金労働に従事させられているという話を聞いた

ツアーが終わり管理区域から出る際に、一応全身をスキャンして安全を確認。もちろん、

全員異常はなかった。最後に、ツアー参加証ももらえた

参照

関連したドキュメント

Webカメラ とスピーカー 、若しくはイヤホン

15 江別市 企画政策部市民協働推進担当 市民 30 石狩市 協働推進・市民の声を聴く課 市民 31 北斗市 総務部企画財政課 企画.

参加者は自分が HLAB で感じたことをアラムナイに ぶつけたり、アラムナイは自分の体験を参加者に語っ たりと、両者にとって自分の

購読層を 50以上に依存するようになった。「演説会参加」は,参加層自体 を 30.3%から

英国のギルドホール音楽学校を卒業。1972

2【 ME 】シート 記入日(       ) 名前 呼ばれたい ニックネーム. 学校(所属)

園内で開催される夏祭りには 地域の方たちや卒園した子ど もたちにも参加してもらってい

参加した時期: 2019 年 誰と参加したか:友達と 何回目の参加か: 3