主義の防止の一つを仏教の救済事業に求め たので、積極的に参加した慈善事業家もあ った。こうした背景に仏教慈善事業が組織 化されていった。内務省の感化救済事業講 習会の開催をきっかけに、中央団体結成へ の動きも生れた。仏教界は、日露戦争から 帝国主義形成の中で編成されながら仏教の 独目性は、影をうすくした。 最後の五章の﹁現代仏教の潮流﹂は、大 正期、昭和前期、戦後仏教で構成されてい る。著者は、近代社会百年間において仏教に とって何よりも必要であったのは、廃仏毅 釈への反省と太平洋戦争の戦争責任という 二つの原点にたって、﹁宗教的さんげ﹂と仏 教精神の国民的一般化に求められよう。著 者は最後に、近代および現代ではたせなか った仏教と社会の関係の設定の可能な日は いつおとずれるのであろうかと結んで、こ の書物を終えている。このように明治百年 の近代仏教史過程を生き生きと本書に表わ している。現代社会に無数の宗教が存在し ているいま、宗教人を歴史的にもう一度反 省させる書物である。 ︵B6判、二八○頁、価六九○円、評論社 発行︶ 本書でとりあげられた天理教は中山み きを教祖として、封建社会から近代への転 換期の社会に誕生し、近代社会のなかで大 幅な発展をとげた新興宗教の一つである。 著者によれば、八転換期の社会には、か ならず新しい宗教が誕生するVという。た とえば古代から封建への転換期における鎌 倉仏教六宗、封建から近代への娠換期にお ける教派神道十三派、そして、昭和二十年 をさかいとした近代から現代への転換期に おける創価学会や立正佼成会などの多くの 新宗教がそれである。 著者は、そこに一定の社会法則があるの を見いだす。すなわち、八この転換期の社 会に生きる民衆の多くは、既成の神仏にで はなく、新しい神仏に救いを求める。新し い時代に、新しい宗教が活躍をはじめると き、ほとんど例外なく、政治権力や既成宗 教からの弾圧、迫害をうける。そして、新 しい宗教は、やがて教祖の精神を失ない政 小栗純子著
﹁日本の近代社会と天理教﹂
治権力の下僕となっていくVというもので ある。 それはいったいなぜなのだろうか。この 課題に坂組むことは学問研究にとって重要 な課題の一つである﹁政治と宗教﹂の問題 に、大きな示唆を与えるものであろう。天 理教に焦点をあてて、その成立と発展の歴 史を追いながら、以上の問題を解明してい こうというのが、本書の目的である。以下、 順を追って内容の紹介をこころみたい。 第一章﹁天理教の誕生﹂では、幕末の社 会情勢、教祖誕生の必然性、教祖みきのあ ゆみ、天理教の救いの論理、という節で椛 成されている。 八江戸末期の民衆、とくに農民大衆は、 まことに悲惨な生活状況におかれてい 、、、、、 た。天災と人災とのはさみうちにあって いた、という。農民一侯の激化と増加が それを端的に物語っている。生活の窮 乏、天災、人災の相次ぐ社会不安のなか天谷忠央
2()()書評/日本の近代社会と天理教 で、民衆は、その救いを政治にではなく 宗教に求めた。だが、真宗、浄土宗その 他既成の民衆宗教は、民衆の苦悩を救う 力を、すでに失っていた。既成宗教は、 本来の宗教としての生命を失い、江戸幕 藩体制という政治推力の御用宗教と化し ていたのである。その結果、民衆は即席 の御利益信仰に救いを求め、さまざまの 流行神を生み出した・こうした状況は、次 に、新しい宗教の出現という、必然的な要 因を含むものであったVと著者は見る。 こうした情勢のなかで、天理教教祖中山 みきは生まれた。寛政十︵一七九八︶年の ことであった。念仏の信仰を母から受け継 いだみきであったが、長じて主婦となり、 夫の道楽に苦しむ主婦生活をおくる。 こうした社会、家庭の情勢のなかに天理 教教祖中山みきが誕生する。苦悩の連続、 念仏信仰への疑問と加持祈祷への接近とい うコスを歩み、ついにみき自身が神とな る形で天理教は成立した。 みきの歩んだ道は、当時の民衆の歩んだ 道でもあり、民衆が天理教に共感を覚えた のも十分うなずけるものであった。 次に、著者は、天理教の基本的な救いの 論理について言及する。 八天理教における神は、人類の親であり 人類はみな兄弟である。世界一列で兄弟 姉妹であるが、神の救いは、富と権力を もつ﹁高山﹂よりも、貧にあえいでいる 民衆Ⅱ﹁谷底﹂優先の形をとる。このこ とは、二つの重要な意味をもつ。すなわ ち、第一は、神は世俗的なすべてのもの に超越して存在するのであって、世俗的 なものからの制約はうけない、というこ と。もう一つは、反権力的な印象を強く すること、の二つであるV 以上のように第一章は、江戸末期の転換 期の社会のなかで、中山みきの生い立ちと その苦悩、そして宗教信仰への傾倒と教祖 誕生までのいきさつを、示してくれる。 第二章﹁近代社会における天理教の発展﹂ では、天理教が、教祖みきを中心として、 教義を調え、布教を強化し、民衆の要望に 応えながら、宗教教団としての形態を確立 し発展していく様子が、かなり詳細に述令へ られている。 八当初、天理教も叉、民衆からは、一種 の流行神としてうけ入れられた。﹁神楽 歌﹂﹁おふでさき﹂の作成による教義の 形成、|においがけ﹂とよばれる布教活 動は、天理教をして、大きく発展せしめ る源動力となった。 布教が拡大されるにしたがい、天理教 は政治や社会の注目を引くことになっ た。信仰一筋の布教は、当然既成宗教や 官憲の反感を買い、批判や干渉の的とな った。V これが、第三章に見る天理教への弾圧へ とエスカレトしていくのである。以上著 者の言葉をかりれば、次のようになる。 八天理教は発展という点では、苦難をな めながら、近代社会の底辺に生きる民衆 を信者として獲得してきたのである。し かし天理教の教練の拡大は、それに比例 して近代社会の諸分野からの批判と攻撃 を拡大再生産していった。政治的、宗教 的、社会的諸方面からの批判と弾圧がそ れである。四面楚歌のなかでのあゆみが 天理教の辿った日本の近代社会における 足跡ともいえるV さて、天理教が、各方面からの批判と弾 圧に対して、これをどのように受け、かつ
どのように対処したか.これこそ、読
者の最も関心をよせる問題であり、本書の 20宴第三章と第四章か歪これに答えてくれると ころである。 第三章﹁天理教への弾圧と批判﹂では、 天理教に対する、政治権力による弾圧、既 成宗教との摩擦、ジャナリズムによる批 判の数々が、豊富な資料にもとづいて述べ られている。
八天理教が政治権″明治政府からの
弾圧を受けねばならなかったのはなぜ か。それは、明治政府は、近代国家とし ての確立をめざして、国民の思想統一を 天皇崇拝の思想によって固め、神社神道 に特別の保護を与えた。したがって、神 社神道の頂点に立つ、天皇をさらに超越 するような神を祭る宗教団体に対して は、国家の安寧秩序を妨げるものとして、 弾圧せざるをえなくなる、というもので ある。著者は、その根拠として、明治憲 法第二十八条﹁日本臣民︿安寧秩序ヲ妨 ゲズ及臣民ダル義務二背カザル限二於テ 信教ノ自由ヲ有ス﹂という条項をあげて いるV しかも、神中山みきは、神の意志が政治 権力に対して優先するという、言わば、み きが権力否定の態度に出たことを、著者は 強調する︾著者ばみきが政治権力からの 弾圧に属することなく、甘露台の建設 神楽づとめの実現への努力を克明に描いて いるが、ここに﹁政治と宗教﹂に関する、 著者の根本的な主張をうかがうことができ るのである。 さて、みきの権力に対する姿勢に反して 天理教の幹部は、弾圧を避け、かえって政 治権力に妥協する道を選んだ。著者は、批 判と迫害と弾圧のなかで、天理教がめざし た方向は、明治政府からの公認であったと 規定し、次の第四章﹁近代社会における天 理教の姿勢﹂において、天理教が、権力に 迎合していくいきさつを述べ、その変りゆ く姿を描いている。 八中山みきという個人の宗教的な能力に 負うところが大きかった天理教は、みき の死によって、大きな動揺を来たした。 日増しに大きくなっていく弾圧のなか で、天理教幹部は、ついに、権力に対し て全面的に服従し、要求をのむ姿勢に出 ることになり、かつ政府に対して、大き な犠牲をはらいながら積極的に協力する 態勢をとったのである。 日清・日露戦争における労働奉仕や戦 没者弔魂祭や献金篭一般社会への奉仕章 ついには、天理教の根本義を変更して、 天皇の地位を絶対化した﹁明治教典﹂の 編纂、教育勅語の普及協力活動にまで及 んだ。すべて公認を得るためであったV という。教祖みきの精神を忘却した、あま りにも悲しい姿がそこにあった。当然のこ とのように、教団には、八異端の発生や教 祖への復帰運動があいついで発生したVと いう。本書の最後に、著者は、 八教祖みき誕生以来百三十年をへた現代 社会で、天理教は百三十二万の信者を自 称している。現代社会に存在するあらゆ る宗教が、現代人から一つの期待をもっ てながめられている。そうした現代人の 期待にどうこたえるかが、現代社会の宗 教が背負わされた大きな課題といえる。 その意味で、現代社会の宗教は大きな曲 り角に立たされている。天理教がこの曲 り角をどのようにしてのり切るかの方向 如何によっては、まだ数々の異端発生の 危機をはらんでいるといえようV と結んでいるが、これは天理教のみならず す、へての宗教教団が、警告として受けとる やへき結論であるといえよう。 202書評/日本の近代社会と天理教 またあいつぐ社会不安が、民衆を絶望 に落し入れ、その最後の救いを宗教に求め る、という一般的な傾向が、いつの時代で も新宗教の誕生をうながすという見方は、 読者に対したいへん説得力をもっている。 しかし、みきの神がかりによって成立した 天理教の誕生は、みき自身も予期しない、 特殊な形で起こった、という意味で、天理 教誕生の根拠に少なからずの甘さを感じな いではない。 神がかりの状態のなかで、みきは神の自 ︾見をもったのであって、それからさめると みき自身が神の存在に疑問を抱いている。 また家族にも十分な理解が得られず、夫と は最後まで和解しあうことがなかったし、 あるいはまた、既成の宗教に対して、みき は明解な批判を用意していなかった。さら にまた、教団のす雲へての歩みが、みき個人 のシャーマン的な言動によって運営されて いた。これらの事実は、天理教誕生の甘さ をうら書きすると同時に、みきの精神が教 団幹部に正しく継承されず、大きな断絶の あったことを物語っているように思える。 そしてまた、みき亡きあと、政治的、宗 教的、社会的諸方面からの批判、弾圧とい う客観的条件に対して一天理教幹部は言み きの姿勢とは全く逆のかたちで、権力への 全面的服従という姿勢をとった、根本的な 原因はなにか。読者としては、この点の追 求と考察に興味をもつのだが⋮。 また、民衆の要求として生まれた新しい 宗教、その宗教が、教団の生命を保つため には、政治権力の下僕となる以外に道はな かったのか。民衆の要求と権力との間にあ って、ついには民衆から離れて権力の側に 荷担せざるをえなかったのか。この事実を 通して、明治期における国家権力の強大な 力を、読者は思い知らされるであろう。 特に、近代社会における天理教の歴史の なかでみき以外に信教の自由のためにたた かった事実を発見することはできなかった し、宗教という高い次元から政治の監視役 として批判者として、戦争や搾取という悪 に対して敢然と挑んだ事実も見ることはで きなかったことはなにを意味するのか。 宗教が、宗教の生命を失ったままで、教 団だけがなぜ生きのびねばならないのか、 ﹁教祖を殺して教団を生かす﹂必要がどこ にあるのだろうか。 宗教は国家を超えて生きるといった教祖 の意に反して教団は、国家権力の枠のなか で、じつに大きな制約をうけねばならなか ったように、日本の近代国家は、す殿へての 民一衆、すべての集団に対して、まさに制約 者としての猛威をふるった。そうした意味 で、天理教は犠牲者であるといえる。日本 が敗戦を契機として、近代社会から現代社 会に生まれかわったとき、民主主義の政治 体制が大幅に実現の方向をとり、信教の自 由も無条件に認められることとなった。 制約を解かれ、自由を獲得したとき、天 理教はこれをどううけとめ権力への姿勢を どう変えていったか。この点については、 本書では述べられていない。転換期の社会 に誕生する新しい宗教の歩みには、一定の 社会科学法則があることを紹介したが、天 理教の歴史も、それをうら書きしたにすぎ ない。学問研究は没価値的である。したが って、いかにしたら宗教が政治権力の下僕 とはならずに、教祖の頁精神を貫ぬくか、 という解答は本書に求める零へきではない。 だが、読者は、本書のなかからじつに多 くのものを学ぶことができるはずである。 ︵B6判、三○八頁、価六九○円、評論 社発行︶ 203