﹃昭和五十年度﹄ ◎日蓮宗教学研究発表大会 第二十八回日蓮宗教学研究発表大会は、十月二十四日 ・二十五日の両日にわたり、日蓮宗宗務院で開かれた。 本学関係の発表者は次の通りであった。
一、身延山支院の研究日林是晋
一、是真仏子室住一妙
◎日本仏教学会学術大会︵昭和五十年度︶ 十月十八日・十九日の両日、駒沢大学に於て学術大会が 開かれた。共同研究テーマは、﹁仏教における三昧思想﹂ であり、加盟の各大学から三十一名の代表発表がおこな われた。本学からの発表者は、次の通りであった。 日蓮聖人における唱題と三昧について上田本昌
﹃昭和五十一年度﹄ ◎学内研究会 本年度から、定例の学内研究会を開催することになり O L 1 9 凸 ll 9 l I j I 1 l凸 I 凸 Ⅱ I ■ Il L ■ O P O 日 日Ⅱ 1 1 8 日 P I ●Ⅱ Ⅱ 1 1 0 r 0 j︲ ■ 1 0 1 1 ト ーl l l 4 l I l0 r I f 0 甲 ’ ’’ 0 1 6 Ⅱ ’ 1 01 1 0 4 Ⅱ I O bⅡ Ⅱ 1 1 Ⅱ 日 Ⅱ lL l O I Ⅱ 9 60 10■Illllトーllllllllllllllllllllllll学園彙報
四月から次の通り実施された。 ○第一回’四月二十三日 一、﹃空﹄思想の観点学頭・教授里見泰穏
※中論における観因縁品の偶を中心として、竜樹の ﹁空﹂思想から、ヘーゲルの﹁有﹂について諭究 された。即ち、 因一是法一生し果是法名為し縁 若是果未し生何不し名一非縁一 の偶文から因果を論じ、更に空の思想に及んだ。 ○第二回’五月二十八日 一、﹃悉雲﹄について識師若杉見竜
※わが国平安前期より盛んとなった﹁悉曇﹂につい て、文字・言語学の意に用いられていた頃の問題 から、﹁音注・韻鏡校本﹂や﹁康煕辞典﹂﹁大正 蔵経第八四巻﹂の八悉曇部Vを紹介し、経典の読 み方における漢音・呉音の問題にまで及んだ。 ○第三回’六月二十二日 一、﹃執金剛﹄について教授望月海淑
(133)※金剛手・金剛力士とも言われている。ぐ塁国国営 は雑一阿含に出てくる。満財長者の物語の中で﹁密 通力士﹂とあるのがそれで、仏を常に守護する役 目を司っている。 カンダーラは大乗仏教の発祥地と考えられている が、その地方に執金剛の彫刻が多く見られる。最 初の像は多分にギリシャ的であり、その後の変化 の中に興味深い問題が含まれている。
○第四回’七月九日
一、除歴唱師について講師林是晋
※日暮里の善性寺から身延の法主となった日唱につ いて、除歴となったいきさつを究明。七面山本院 の焼失事件を機会に身延を追われた。西谷植林の 化主から、強く批難された佗又飯高植林の化主た ちは、日唱のことを、不受悲田の思想を持ったと している。 日唱は雑乱勧請については否定的であったが、 〃不受悲田″とした植林側にも問題があるのでは ないか。と云う含みのある内容であった。 ○第五回’九月三日 騎馬民族征服説l日本建国をめぐってl
教授町田是正
※日本建国の紀元について、従来明治政府は、日本 ノ ノ ニ夕 書紀の﹁辛酉年春正月庚辰朔⋮⋮栂原宮即﹂とあ るのを根拠として、二月十一日説を立た・然し、 これは太陽暦に当てるとBC六六○年になるので 作偽されたものであるとし、魏志倭人伝や古事記 の説を引き、邪馬台国は第十代の崇徳帝の時、大 和畿内に成立したものと考えられる、として建国 に関する興味深い論究であった。 ○第六回’十月一日 不軽と上行教諭中条尭秀
※最澄の不軽観から始って、宗祖の不軽観に入り、 竜の口から佐渡へかけての祖書に顕著であるとし 不軽と宗祖は因行に於て、同じ道を歩まれたもの とみなしている。又上行自覚の問題にもふれて、 宗祖が体験された﹁三類の強敵﹂から、不軽と上 行とを考えられたことを明らかにした。 ○第七回’十一月十九日 (134)祖書に現われた﹁霊山浄土﹂について