「考え、議論する道徳」と対話的な学び⑵
──内容項目「個性の伸長」についての考察──
松 永 康 史
A Study on Interactive Learning in the Concept
of “Moral Education through Deliberating and Discussing” (2)
—A Consideration about the Contents item “Development of Individuality”—
Yasushi M
ATSUNAGA 1 問題の所在 本稿は、拙稿「『考え、議論する道徳』と対話的な学び─対話による授業づくりへの視座─」 (『桜花学園大学保育学部紀要』第16号、2017)の課題の一つであった道徳的な問題とはいか なる問題か(道徳的価値との関係)に着目した考察である。対話的な学びを意識した授業づく りを念頭に置き、「道徳的価値」を示す「内容項目」の一つである「A 主として自分自身に 関すること」の中の「⑷ 個性の伸長」について考察する。 上記拙論における課題をもう一度確認する。「『道徳的価値』とは、具体的には『内容項目』 を意味しており、四つの視点をもとにあらかじめ提示されているという点である。つまり、い かに『問題解決的な学習が』重視されようとも、『新学習指導要領』は問題に『根差した』道 徳的価値それ自体が『考え、議論する』対象であるとはいわないのである」(1)との山口匡の指 摘を引用した上で、『道徳的価値に根差した問題』を「考え、議論する」対象にした際、その 問題は道徳的価値としっかり区別されて、授業が展開されることは難しいと述べた。また、問 題を話し合う中に、道徳的価値そのものが絡んでくるであろうし、そのことにより、道徳的価 値についても見直し、検討する契機はあるのではないかと述べた。そこで本稿では、「対話的 な学び」(「対話的な学び」とは、他者と「異質性」を認め合い、応答しあう「対等性」を軸に した「対話的関係」のもと、「自己内対話」と「他者との対話」が絡み合いながら形成される 学び)の実践を想定し、内容項目「個性の伸長」についてどのように解釈していけばよいのか 考察することにする。2 新学習指導要領における内容項目の特徴 ⑴ なぜ、内容項目「個性の伸長」を取り扱うのか 多くの内容項目の中から、なぜ「個性の伸長」を考察対象に据えたのかというと、内容項目 「個性の伸長」は、他の内容項目(2)に比べて特殊であると考えるからである。どのように特殊 なのかという点について、藤井啓之の論を参照する。藤井は、社会的認知領域理論から、 Nucci の区別を紹介している。それによれば、道徳性の発達に関する概念の領域を道徳性 (morality)、社会的慣習(social convention)、パーソナルなもの(the personal)の3つに区分し ている。そして、道徳の内容項目について見てみると、圧倒的に社会的慣習に関連するものが 多いことを指摘し、「普遍性を志向しない社会制度や社会組織を維持・継承するための内容が 大多数を占める」(3)と述べている。そしてパーソナルなものの保証と関わる数少ない文言とし て、「個性の伸長」の具体的記述である「自己を見つめ、自己の向上を図るとともに、個性を 伸ばして充実した生き方を追求すること」(中学校学習指導要領)を挙げている。社会的慣習 が多い内容項目の中にあって、「個性の伸長」は数少ないパーソナルなものとして存在してい ることになる。 そのパーソナルなものを「対話的な学び」という方法で授業を行うことには、二重の難しさ を伴う。一つは、今回の学習指導要領(平成29年度版)が目指す「自分自身の問題」として 向き合うがゆえに、パーソナルなものは、他者と対話する問題として取り上げにくいという点 (他者と考え、議論するような道徳的、社会的問題とは一線を画す)、二つ目に、パーソナルな ものゆえに、相手の個性(意見)を相対化する視点から、発言は終始平行線をたどり、それも いいあれもいいという形で「議論する」方向へは進まないことが予想される点である。この難 しさを乗り越える授業実践を行おうと考えるならば、今一度、内容項目について丁寧に概念整 理することは、教師の教材研究の助けにもなるであろうし、「対話的な学び」への一助ともな ろう。 ⑵ 学習指導要領における内容項目「個性の伸長」 「内容項目」について、「小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」の「第3章 道徳 科の内容 第1節 内容の基本的性格」において次のように述べられている。「ここに挙げら れている内容項目は、児童が人間として他者とよりよく生きていく上で学ぶことが必要と考え られる道徳的価値を含む内容を、短い文章で平易に表現したものである」(4)。内容項目は4つ の視点で分類されており、この点に関してはこれまでの学習指導要領で示されてきたものと変 わりはないが、1‒4で表記してあったものが A‒D のアルファベット表記になり、視点も順番が 入れ替わっている。また、内容項目ごとに、その内容を端的に表す言葉が付記されている。「個 性の伸長」もその言葉に当たる。「個性の伸長」に関して言えば、小学校低学年において、自 分のよさを生かし伸ばすことを重視して「自分の特徴に気付くこと」が新たに加わっている。 中学年では、主体性をもって個性を伸ばすことができるようにするために「よい所を伸ばす」
を「長所を伸ばす」に改められている。高学年では、個性の伸長に際して、長所及び短所を明 確にするために「悪い所を改めよい所を積極的に伸ばす」を「短所を改め長所を伸ばす」に改 められている。 今回改訂の内容項目に関する特徴には、「小学校から中学校までの内容の体系性を高める」(5) という記述からも体系化を意識した配置が挙げられる。そしてもう一つは、「いじめ問題」に 対する対応の充実を視点とした「内容項目」の追加である。「『いじめの問題』に対応して『個 性の伸長』『相互理解、寛容』『公正、公平、社会正義』等の項目が、(中略)系統的に配置さ れている」(6)との指摘の通り、文部科学省初等中等教育局教育課程課が作成した『道徳教育の 抜本的充実に向けて』(7)の資料の中にも、「内容について、いじめ問題への対応の充実や発達の 段階をより一層踏まえた体系的なものに改善」する内容項目に「個性の伸長」は確実に加えら れていた。 以上のような経緯から「個性の伸長」は低学年にも内容項目として追加されたことを確認し ておく。 ⑶ 体系化された「個性の伸長」とは 体系科、系統化された「個性の伸長」を見てみると次のようになる。 (小学校)[個性の伸長] 【第1学年及び第2学年】 自分の特徴に気付くこと。 【第3学年及び第4学年】 自分の特徴に気付き、長所を伸ばすこと。 【第5学年及び第6学年】 自分の特徴を知って、短所を改め長所を伸ばすこと。 (中学校) 【向上心、個性の伸長】 自己を見つめ、自己の向上を図るとともに、個性を伸ばして充実した生き方を追求するこ と。 新しく加わった低学年では、「自分の特徴に気付くこと」が求められることが確認できる。 中学年ではそれに、「長所を伸ばすこと」が加わる。高学年ではさらに「自分の特徴に気付き」 から「自分の特徴を知って」に文言が変化し、「短所を改め」ることが加わっている。中学生 についても述べておくならば、「自分の特徴」という言葉が「個性」となり、「個性を伸ばして」 という文言を使用している。 さらに、今回の学習指導要領(平成29年度版)では、内容項目の表記において文末表現を 見ても分かる通り「∼すること」という文型が用いられている点に注目しておきたい。この点 に関し、「中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」作成協力者である柳沼良太は、次
のように述べている。「この点で、理想を押しつける印象をもたれることもあるが、本来は『行っ てほしい行動(目標)』を示しており、子どもに行動目標を自覚させ、学習する機会をもてる ように仕向ける教育的効果がある」(8)。どうやら内容項目は、子どもに行ってほしい行動(目標) であるというのである。そうであるならば、内容項目について「考え、議論」しようとした場 合、行動(目標)をいかにして成し遂げるかという点で、「考え、議論する」ことになるので あろうか。そうであるなら、まさしく山口が指摘したように、「道徳的価値」は「考え、議論 する対象」ではないということになる。 道徳科の内容項目と「考え、議論する道徳」の方法論の不整合については、藤井が社会的認 知領域理論を用いて分析した論文上でも「予め道徳内容の到達ポイントが決定されていること と、『答えが一つではない道徳的な課題』と向き合う『考える道徳』の間に齟齬があると言わ ざるを得ない」(9)と指摘している。柳沼が述べる「行動目標」と藤井が述べる「到達ポイント」 が違う言葉であるため、丁寧に読み解く必要があるが、ここでは、内容項目と方法論という視 点での問題点に着目する。そのうえで藤井は、「道徳の内容が変えられないとすれば、道徳の 授業等で、子どもを情報や経験の解釈者として位置づけ、多様な価値観を表出することを許容 しつつ、議論を通じて、最終的には決められた内容の解釈に到達するということが目指される ことになるだろう」(10)と述べている。 どうやら「個性の伸長」という内容項目を取り扱う難しさ以前に、すべての内容項目におい て方法論との齟齬という点からも難しさを抱えていることを視野に入れておかなければなるま い。 3 個性とは何か ⑴ 概念整理(小学校) 「小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」では、内容項目の概念一つひとつについ て詳しい説明がなされている。そこでは、言葉の概念規定も行われているので、「個性の伸長」 についての解説を確認する。 個性……個人特有の特徴や性格であると言われている 個性の伸長…… 自分のよさを生かし更にそれを伸ばし、自分らしさを発揮しながら調和のと れた自己を形成していくこと 特徴…… 他者と比較して特に自分の目立つ点と捉えている。それは、長所だけでなく短所も 含むものである。 長所……自分の特徴をよい方向へ伸ばしていければそれは長所となり 短所……苦手なこととして改善を図らなければ短所となることもある 特徴を知るということ……その両面(長所と短所)を見いだすこと。
整理してみてみると、個性は「特徴や性格」と言い換えられている。その中の「特徴」は「自 分の目立つ点」であり「長所と短所を含む」といっている。「自分の目立つ点」をよい方向に 伸ばせば「長所」であり、苦手なこととして改善を図らなければ「短所」であるという。「個 性の伸長」といった場合は、個性が「自分のよさ」「自分らしさ」という言葉に置き換えられ、 「伸長」は、「伸ばす」「発揮しながら調和のとれた自己を形成していくこと」となっている。「個 性の伸長」といった場合は、「伸ばす」「発揮」するという点から、「長所」に重点を置いてい ると考えられる。 ⑵ 概念整理(中学校) 「中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」でも、内容項目の概念一つひとつについ て詳しい説明がなされている。 自己を見つめる…… 様々な行為をする主体である自己について深く省みることであり、その 過程において一貫した自分の姿や将来像を思い描くことにつながる。 個性…… 他者と取り換えることのできない一人一人の人間が持つ独自性であり、それは、そ の人の一部分ではなく、人格の総体である。能力・適正、興味・関心、性格といっ た様々な特性において捉えられる。その人固有の持ち味とも呼べるもの。 個性を伸ばす……固有の持ち味をよりよい方向へと伸ばし、より輝かせること。 中学校においては、個性をかなり曖昧に定義していることが分かる。「独自性」と表したり、 「人格の総体」と表したり、「能力・適正、興味・関心、性格といった様々な特性」と表したり している。小学校での「個性」の定義から比べると、個性を多面的に捉えているとも言える。「考 え、議論する」対象としての「個性」が垣間見えているとも考えられる。 小学校、中学校の学習指導要領を見てみると、内容項目の概念について整理されているもの の、「個性の伸長」という表現から分かるように個性は「伸長できるもの」という前提に立っ ている。「伸長できる」範囲で「個性」を把握すべきと限定していているようにも考えられる。 本来は、個性はそういったものなのだかろうか。「道徳的価値」は「考え、議論する対象」で はないといってしまうのではなく、今一度、道徳的価値について見直すことも、「考え、議論 する」道徳実践のヒントになりえはしないだろうか。 ⑶ 限定しているようで曖昧な「個性」 教育論において個性を語るとき、「個性」はしばしば限定された形で使用されてきた。前節 で確認したように学習指導要領解説においても、「自分の特徴」「長所」「短所」「独自性」「人 格の総体」「特性」と限定しているようだが、かなり曖昧な定義がなされている。それでは、 そもそも個性とはいかなるものか。言葉に着目してその意味を問い直すことにする。 『広辞苑』によると、「個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格、性質。
個物または個体に特有な特徴あるいは性格」(11)と規定されている。『大辞林』によれば、「ある 個人を特徴づけている性質・性格。その人固有の特性。パーソナリティ」(12)とある。しかしな がら、このような規定は、個性の語義的な解釈である。個性の独自性の意味内容にもふれて定 義するとなると、それはとても難しくなる。 日本で一般に個性と言えば、さまざまな意味を含んでいるように思われる。ところが英語で 表すとどのような単語で表されるのであろうか。『広辞苑』によれば individuality と示されて いる。片桐芳雄によれば、「『個性』は、伝統的な漢語にはない。明治維新以後新たに登場した 西洋語からの翻訳語である」(13)と言い、さらに、「individuality や individuarität の訳語として登 場したらしい」(14)と述べている。その形容詞は individual で 個々の、個人の、個性的な と 訳されるが、名詞として個人、個体とも訳される。その individual の語源はラテン語で、「(こ れ以上)分けることができない」の意味をもつ。つまり、個性とは、これ以上分けることがで きない個人的性格となる。しかしながら、『大辞林』によれば、個性=パーソナリティという 記述があることから、ひとつの英単語では表せないのではないだろうかという疑問が生じる。 類義語としての character(性格・人格)や personality(人格・人間性・個性)、temperament(気 質・気性)との違いは何であろうか。『ライトハウス英和辞典』によれば、「individuality は、 他と区別されるきわだった個性:character は、道徳的・倫理的な観点からみた人格・特性: personality は、人柄・個性といった意味での特性:temperament は、性格の基礎となる性質」(15) と、その違いが説明されている。もっと詳しく『研究社英語同意語小辞典』(16)の説明を見てみ ることにする。 Character 品性、性格:個人が人生の重大な(特に正邪の)事柄に関連して考え・感じ・行 う道徳的性質の総和で、人物を評価される際に考慮されるもの。 Personality 人格。人間としての特色を示す身体上・精神上及び感情上性質の総和。他人の 目にうつる容貌・動作など人物〔人柄〕を言う。 Individuality 一個人に特有な資性(quality)で他人と区別するもの。 Disposition 行動の動機を支配する性癖・習慣の力など、ある人に固有の性質。心、特に道 徳または社会的性質に関する性癖。 Temperament 資質・気性。人の行為または思考にあらわれる性質〔気質〕。人に固有〔先天 的な〕特製の総和。気質から見た disposition。 『続 日本語で引く英語類語辞典』(17)によれば、次のような説明がなされている。 Identity アイデンティティー(本人であることの身分証明、他人とは判然と違う自己の主 体性)を指す。 Individuality その人(もの)を他人(他のもの)から区別する。その人(もの)に特有な 個性を指す。
Personality その人が他人に与える全人格的な印象を指す。 Character その人の内面的な性格、性質、気質を指す。 Uniqueness 他に類を見ない、独特な、ユニークさを指す。 「個性の伸長」といった場合(学習指導要領では、「個人特有の特徴や性格」「長所」「短所」「自 分の特徴」「人格の総体」「特性」などと表記)、どの単語が妥当であろうか。言葉の意味にさ かのぼってみれば、むしろ、この中で一つに絞ることは困難ではないだろうか。このさまざま な単語を重ね合わせたものを、個性という曖昧な言葉で表現することになっているのではない だろうか。 ⑷ 「個性」は伸ばすべきものか 曖昧な個性ではあるが、「個性の伸長」という表現を見るかぎり、どうやら「個性」は伸ば すことができるもの、伸ばされるものとして捉えられる。「個性」を教育可能性のあるもの、 もしくは学習可能性のあるものとして考えることは正しい理解であろうか。 1971年の中央教育審議会答申では「豊かな個性を伸ばすことを重視しなければならない」(18) として、「個性」が教育の対象であり、目的であった。林幹夫によれば、その答申は「教育によっ て伸ばされるものとしてその存在が認められているばかりでなく、すでにある個性はさらに豊 かなものへと創造されなければならない、それ自体が目的でもあるという」(19)と述べている。 ところが、1976年の教育課程審議会答申は「児童生徒の個性や能力に応じた教育が行われ るようにすること」(20)を強調した。さらには、1987年の臨時教育審議会答申、それを受けての 同年教育課程審議会答申が打ち出した教育改革における最重要課題が「個性重視」であった。 林はこの変化を「個性尊重」から「個性重視」へ、と表現している。さらに「個性や能力に『応 じた』教育とは、ある目的を達成するための教育技術論として、生徒一人ひとりの個性や能力 に着目し、これを活用しようというのにほかならないのであって、教育の目的から手段へ、個 性の大胆な位置づけ変更がなされている」(21)と述べている。1996年の中央教育審議会の第1次 答申では、「教育内容を基礎・基本に絞り、分かりやすく、生き生きとした学習意欲を高める 指導を行って、その確実な習得に努めるとともに、個性を生かした教育を重視する」(22)と記さ れている。ここでも「個性を生かした」という表現が用いられ、手段としての個性とも考えら れる。ところが、実際にはどちらの意義をもっているのかについては言及されていない。永井 聖二は目的と手段の両方の意義があると述べている。「つまり『個性重視』の原則には、『個性』 を実現すべき価値あるいは依拠すべき基盤として重視する『目的的な意味』と同時に、改革の 具体的な課題を『画一主義を排し、選択の自由を拡大する』ことに想定する『手段的な意味』 が含まれている」(23)。 2016年の中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学 習指導要領等の改善及び必要な方策等について」を見てみると、第1章 これまでの学習指導 要領等改訂の経緯と子供たちの現状において、「子供たちが自分のキャリア形成の見通しの中
で、個性や能力を生かして学びを深め将来の活躍につなげることができるよう、学校教育で学 んだことをきっかけとして、興味や関心に応じた多様な学習機会につなげていけるようにする ことも期待されているところである」(24)と記され、「個性を生かして」という表現から、「手段 的な意味」と読み取ることもできる。その一方で、第3章「生きる力」の理念の具体化と教育 課程の課題において、「社会的・職業的に自立した人間として、我が国や郷土が育んできた伝 統や文化に立脚した広い視野を持ち、理想を実現しようとする高い志や意欲を持って、主体的 に学びに向かい、必要な情報を判断し、自ら知識を深めて個性や能力を伸ばし、人生を切り拓 ひら いていくことができること」(25)とこちらでは、「個性を伸ばし」という表現から「目的的意味」 でも使用されていると考えられる。 ところで、個性が目的概念と手段概念の両方の意義をもつことは日本において以前から語ら れていたことであった。1910年代に、すでに東京高等師範学校研究科の乙竹岩造は方法論と して捉えていた(26)。さらに、戦後刊行されたと思われる『新教育指針』にも目的と手段の両 意義について記されている(27)。歴史的に個性概念を振り返った場合、その時代において「個性」 をどう定義していたのかの違いはあるにしろ、個性が目的概念と手段概念のふたつの意義を もっていたと考えられる。 しかしながら、道徳科の学習指導要領では、手段概念として個性を謳われているような表現 は見られない。あくまで伸ばす、伸ばされる目的としての「個性」であると考えられるのであ る。 4 「対話的な学び」と個性 ⑴ 「考え、議論する」個性とは 授業実践において、「目的概念」としての「個性」を取り扱う場合、どのようなことを考慮 しておく必要があるだろうか。「個性の伸長」といった場合、自分が、友達がもしくは教師が その子どもの個性を把握しておかなければならないことになる。しかしながら、その個性を完 全に把握することは可能なのだろうか。 小学校では、「自分の特徴に気づくこと、知ること」ができるのか。中学校では、「個性を伸 ばす」といった時の「個性」をいかに捉えるのかという問題でもある。「対話的な学び」にお いては、「個性の伸長」において、「教師と学習者が〈対話〉し、学習者同士が〈対話〉するこ とが、学習者個々人の内面における〈自己内対話〉へと深化し、発展していく」(28)ことが期待 される。「中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」では、「これまでや現在の自分、そ して将来こう在りたいという自分を静かに見つめなおすことは、自己の向上を願って生きてい くうえで重要なことである」(29)「自己という概念は、他者との関係において初めて規定される とも言える」(30)と書かれている。このことは、「自己内対話」「他者との対話」とちょうど一致 しているようにも考えられるが、「自己内対話」「他者との対話」によって伸長する「個性」を 把握することができるのだろうか。
難しさの一つは、他者の個性を把握することにある。教師が子どもの個性を把握するといっ た場合でも、難しいことを岩瀬章良が次のように指摘している。「個性論では、個々人の人格 を認め、その諸特徴を包括したものを人間の『個性』としているが、教育実践の場でとらえら れている子どもの『個性』はそのように深淵高貴なものではなく、もっと皮相レベルでの『個 性』である」(31)。岩瀬は教師の子ども理解が、性格が明るいや暗い、まじめやおちつきがない といった浅いレベルであると述べている。つまり、「子どもの外見上明らかないくつかの行動 特徴を把握すること」(32)でしかないのである。子ども同士であって、教師が知りえない友達の ことを把握しているといっても、やはり皮相レベルでの「個性」にとどまるのではないだろう か。 さて、そのような皮相レベルでの「個性」を、「自分の特徴」「個性」として伸ばそうという のだろうか。そういったことを狙っているのだろうか。 ⑵ 伸長可能性ある「個性」を考える 皮相レベルでの「個性」であれ、伸長しようとしたときに、それを無制限に認めることがで きるのかといった問題に直面する。例えば、反社会的な行動特徴を「個性」と認めることは容 認できないことになる。永井は、「無限に拡大する『個性』の外延はすこぶる私的な性格を帯 びている」(33)と指摘し、「私性」が顔を出すと述べている。また、永井は「いくら外延が拡大 していこうとその拡大した領野の『個性』も同じ『個性』であり続ける。同じ『個性』として 等価である」(34)と述べている。私性と個性の区別はつきにくく、「あらゆる個性に応じ、それ を育て活かすだけのキャパシティは与えられていない」(35)のである。「『公教育』が対応しうる 範囲をはるかに超えて広がっているのである」(36)という指摘は明解である。一方で、「個性重 視という言葉が、勝手な、わがままな分からずや、エゴイストを育てることになったら大変で ある」(37)と心配している野口芳宏は、「今の世に漂うている『個性重視のコーラス』は軽薄な『世 間知らずの勝手者育ての甘やかし』に過ぎないと、私は懐疑的である」(38)と述べている。しか しながら、個性と私性の関係を考えたとき、永井が述べるように区別がつきにくいものである ことは確かであろう。 ここに「考え、議論する」ヒントが隠されてはいないだろうか。どのようなものが、「個性」 として社会で認められるのか「考え、議論する」ことはできないだろうか。また、認めづらい 個性を一旦認めることで、他の「道徳的価値」を見直すこともできるのではないだろうか。 実際教職にあった諏訪哲二は次のように述べている。「個性を尊重しなければならない教育 の場では、人間を『集団』としてまとめて扱ってはいけないという考え方が、戦後民主主義神 話のなかでまったくの正論となっている。だが教諭は学校で仕事をするかぎり生徒を『集団』 として扱わざるをえないし、管理せざるをえない。ただ、そういう事実を正視したがらないだ けである」(39)。諏訪の指摘は、核心をついていると考えられるが、この指摘が一般に受け入れ られないのは、結局のところ「正視したがらない」のであり、個性に幻想を抱き、個性とは何 かが各人のイメージが異なっているからであろう。「正視したがらない」のは、画一的な教育
が子どもの個性を押しつぶしていると言われてきた背景もある。諏訪が述べているように、か えって画一的な教育の強制に対する反抗やせめぎあいのなかから、かろうじて、「個性」が生 き残ってくるということも考えられる。また、諏訪は心理学者の岸田秀と指揮者の岩城宏之の 言葉も例に出している。岸田は、「生徒の個性が伸びるとすれば、それは生徒の個性を圧し潰 そうとする画一的な押しつけ教育に対する生徒の反抗、そのせめぎ合いのなかからでしかない」 と述べている。岩城は、「よく音楽の先生が、個性を出しなさいって言うけど、最初は個性な んてありゃしないわけですよ。真似した上で、或る意味では消去法で残るのが本当の個性じゃ ないかと僕は思ってるんですね」と語っている(40)。この指摘に対し、違和感をおぼえるのは、 生徒に教育や訓練を施すことが、個性を壊すことだという思い込みがあるからではないだろう か。「子どもが嫌がるものを押しつけるべきではないという考え方がゆきわたっており、それ は『個性』を尊重しないやり方で、『個性』の発展を阻害することにしかならないと、多くの 親や教師が信じている」(41)からであろう。そのような中にあっても、「個性」について授業の 中で考えるときは、今の学校、社会で認められうる範囲に留め置くことに終始されるであろう。 さもなければ、学校も社会も維持できないのではないかという考えが優先されるからである。 道徳科において「対話的な学び」を実現しようとするとき、諏訪が述べるように、教師が生 徒を管理せざるをえないという視点から立ち振る舞えば、「考え、議論する」道徳は、実現が 難しい。せめて「考え、議論する」道徳の授業実践においては、教師と子どもが「対話的な関 係」になければならない。「管理」は「対等性」を軸にした「対話的な関係」における対話を 妨げる。「対話的な関係」のうえで、「個性」について「考え、議論する」とき、「社会制度や 社会組織を維持・継承するための内容(社会的慣習)」(他の「道徳的価値」)についても見直す、 恐れずにいうならば、疑ってみる貴重な切り口となるのではないだろうか。「考え、議論した」 結果、一見認めることが難しいような「個性」もこれからは認めていくことが大事ではないか となるとき(学校の現在の在り方を否定しなければならない可能性、改善しなければならない 可能性を一旦、学校側に立つ教師も考えてみる)、「道徳的価値」を見直す契機になる可能性が ありはしないだろうか。そのことは、今提示されている「社会制度や社会組織を維持・継承す るための内容(社会的慣習)」を含む「道徳的価値」に対する無意識的な押し付けを回避し、 子ども自身も価値の押し付けにさらされず、今一度、考え、捉え直しをする可能性を秘めてい ると考えることはできないだろうか。「個性の伸長」という内容項目は、プライベートなもの ゆえに、「個性」「私性」は、「社会性」と関連の中でしか定義づけられないのであり、その関 連を考えることこそ、「個性」を再定義づけたり、「社会」の在り方を問い直したりする可能性 をもっていると考えるのである(42)。 5 授業実践の中で具体的に「考え、議論する」には ⑴ 「うれしく思えた日から」の展開例(文部科学省「読み物資料の活用例」2011から) 授業実践においては、「個性の伸長」をねらいとして、どのように展開されてきたのであろ
うか。また、今後どのような展開が考えられるのであろうか。これまでも「個性の伸長」とい う内容項目がなかった訳ではないため、実践されてきたはずである。まずはこれまでの授業実 践の例を参考に考察する。文部科学省が紹介している『小学校道徳読み物資料集』の中の「う れしく思えた日から」(中学年)(43)を見てみる。文部科学省は、「読み物資料の活用例」も出し ており、その中の展開例(44)が参考になる。展開例を見てみると次のような展開が示されている。 1 心のノートの「自分のよいところはどこだろう」を活用して、自分の特徴について振り 返る。 2 資料「うれしく思えた日から」を読んで話し合う。 ⑴ 以前の「ぼく」は自分のことをどう思っていたか。 ⑵ ボールが30メートルを超えてみんなが声をかけてくれたとき、どんな気持ちだった だろうか。 ⑶ 野球の練習を続けた1年間に友達や家族の言葉を思い出したのはどんなときか。また、 そのときどんなことを思ったか。 3 自分自身を振り返って話し合う。 4 心のノートの「自分のダイヤモンドをみがこう」を活用し、自分のよさを生かすことに ついてまとめる。 2、3が話し合うとなっている。対話的な学びを展開しようと考えるならば、2、3をいかに 展開するのかがカギとなる。2については、主人公の心情理解として捉えることができる。資 料の特質として、「児童にとっては、等身大の主人公を登場させた。(中略)身近な存在として 共感的に扱いたい資料である」(45)との解釈をしていることからも分かる。しかしながら、ここ では、議論するというよりも、ああいう気持ちだったと思う、こういう気持ちだったと思うと いった意見の出し合いが中心になることが予想される(対立するような意見が出されれば、そ こから議論へと発展することも考えられる)。一方、3については、「・自分の長所を伸ばそう と努力してきたか。・自分の短所をどのように克服しているか」(46)と展開例のなかに書かれて いるが、どのように話し合う、議論するのかがよく分からないのである。 さて、ここでの展開例の中で、確認・検討すべき事項を挙げておこう。 ① 個性という言葉は使わず、「自分のよいところ」と表現している。ここでは、個性を限定 的に使用している。「よい・わるい」の判断基準はどこにあるのか。→社会との関係を考 慮に入れた議論の必要性があるのではないか。 ② 1、3において、自分で自分を振り返るという活動を行っている。そこで行われる活動に おいて「個性」把握はどの程度可能であるのか。皮相レベルでの「個性」にであるのか。「自 分自身では分からないことが少ない」(47)し、「他者から指摘されて気付いたり実感したり することも多い」(48)という「小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」の文言から も、他者との関係によって、「自分のよいところ」を把握する可能性はないのか。→他者
との対話の必要性があるのではないか。 ③ 3の具体的な展開が想像しにくい。「ぼくは、こんないいところがあるけど、伸ばそうと いう努力が足りなかった(努力している)」「私は、こんなわるいところがあるけど、なお そうとしていなかった(直そうとしている)」などの意見を出し合うのだろうか。本当に いいところか悪いところかの判断は個人に任されており、議論するには値しないのか。→ ①と同じく、社会との関係を考慮に入れた議論の必要性があるのではないか。 今紹介したような展開例とは別に、「友達のいいところを見つけて伝えあおう」のようなこ とは可能であり道徳の授業以外でも実践されてきたであろう。しかしながら、それでも先程述 べた平行線の意見の出し合いであれば、議論とは言えず、もちろん「対話的な学び」とも言え ないのではないだろうか。 ⑵ 「うれしく思えた日から」の展開例(文部科学省「道徳教育アーカイブ 実践事例」2017 から) 文部科学省では、2017年5月に「特別の教科 道徳」の趣旨や理念の実現を図るため、「考え、 議論する道徳」の授業づくりの参考となる映像資料等を提供する「道徳教育アーカイブ」(49)を 設置している。その中に、実践事例が示されている。さらにその中に、「考え、議論する」道 徳の授業づくりの参考になると考えられる事例を工夫事例(指導案)として紹介している。内 容項目「個性の伸長」を主題に「うれしく思えた日から」を教材にした指導案(50)(高知県教育 委員会提供)が掲載されている。小学校4年生を対象にした授業実践である。⑴で示した指導 例から、「考え、議論する」道徳を意識した展開例でどのような変化が見られるのであろうか。 まずは、展開例を整理してみる。 1 自分のよい所はどんなところですか。 2 教材を読んで話し合う。 ⑴ 「いい所なんて一つもない」と思っていた主人公は、どんなことを考えていたでしょう。 ⑵ 主人公が、「もう一年前のぼくじゃない」と変わることができたのはなぜでしょう。 3 自分のよい所をさらに伸ばすために取り組んでみようと思うことを書いてみましょう。 4 人生の先輩からのメッセージを聞きましょう(「わたしたちの道徳」p. 48を読み、本時 のまとめをする)。 展開例を見てみると、個性を「自分のよい所」と限定しているのは、「読み物資料の活用例」 (2011)と同じであるが、学習指導要領解説の「自分のよさ」「長所」を意識しているものと考 えられる。「自分のよい所」については、特別活動の時間に考えておいたこととして取り上げ ている。そこでは、「こんないいところがあるよメッセージ」として友達や家族からもらった ことで、他者との関わりを意識した「個性」の把握といえる。また、「気になる所も見方を変 えればよい所になるというリフレーミングの考え方を取り入れ、ペアで話し合い、伝え合う活
動を行っていた」(51)と記されていることから、ペアで特徴(個性)を見直すという活動も行わ れており、「対話的な学び」を意識したものになっている。しかしながら、特徴(個性)を見 直すにとどまっており、そのことと関連した社会的習慣や社会の在り方を問い直すという活動 へ発展しなかったことは、これからの授業を構想する課題であり、可能性であると言えるので はないだろうか。 次に、3の活動の指導上の留意点として「学級活動での『よい所見つけ』も想起しながらカー ドに書き、ペアで伝え合うことを促す」(52)と記されており、ここでも「対話的な学び」を意識 した活動となっていると考えられる。3において「自分のよい所をさらに伸ばすため」という 記述から、伸ばす、伸ばすことができる「自分のよい所」という暗黙の定義がなされており、「本 当によい」のかは丁寧に議論されていないし、「よい所」として認めていくならば、社会の在 り方のほうに問題はないのかといった議論はなされていない。子安潤が、資料の捉え直しとし て「資料の議論の方向を社会的なものに回復する」(53)という表現を使っているが、道徳的価値 「個性の伸長」の議論の方向を社会的なものに回復することも重要な視点ではないだろうか。 発達段階としての道徳性を考えるならば、4年生でそういった議論は必要とされないのかもし れないが、発達に伴い、「考え、議論する」ものとして立ち現われてくることを期待する。そ のことが、変わることのない価値(正しいものとして子どもたちの前に押し付けられる道徳的 価値)を、常に問い直す可能性をもち、自分と他者と「対話的な学び」で問い直すことによっ て道徳性を育む可能性を秘めていると考えられはしないだろうか。 6 おわりに 内容項目「個性の伸長」を、「対話的な学び」としてどう実現できるのか、その語彙や歴史、 実践例をもとに考察してきた。「対話的な学び」においては、「伸ばす」対象としての「個性」 とは何か、そのことを「考え、議論する」ことが、「自分のよい所」の認識につながるであろ うことが確認できた。その一方で、「個性」が社会で認められるものなのかを「考え、議論する」 ことで、「個性」そのものだけでなく、学校・社会の側の問題や「道徳的価値」を問い直す可 能性があることを提示した。プライベートなものである内容項目であるがゆえに、社会との関 連の中で「考え、議論する」ことが期待されるのである。「道徳的価値」そのものを「考え、 議論する」ことの是非については不明なところもあるが、内容項目「個性の伸長」は、道徳的 価値と道徳的問題を絡め合いながら進める実践を可能にはしないだろうか。 2018年度から実施される「考え、議論する道徳」において、多忙な教師が教科化を契機に 創意工夫をしなくなり、教科書任せになること、ゆくゆくは教科書を通した特定の価値の押し 付けになることは避けねばならない。そのためにも、「道徳的問題」を「考え、議論する」中に、 「道徳的価値」を問い直す必要もあるのではないだろうか。今後の「考え、議論する」道徳実 践を、慎重に読み解く必要は言うまでもない。
註 ⑴ 山口匡「『考え、議論する道徳』と道徳的判断力」、『愛知教育大学研究報告.教育科学編』66、 2017、81頁 ⑵ 他の内容項目に関する研究も進められている。例えば、中村美智太郎・藤井基樹「道徳教育に おける内容項目「自由」「自律」に関する基礎的研究」、『静岡大学教育学部研究報告(教科教 育学篇)』第48号、2017などが挙げられる。 ⑶ 藤井啓之「道徳教育の内容と方法に関する考察⑴ ─社会的認知領域理論から道徳教育の内容 と授業を考える─」、『日本福祉大学子ども発達学論集』第9号、2017、27頁 ⑷ 文部科学省『小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編』2017、21頁 http://www.mext.go. jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2016/08/10/1375633_6.pdf(頁づけは、文 部科学省 HP 上の PDF ファイルの頁づけによる) ⑸ 同書、5頁 ⑹ 杉山倫也「第2章 学習指導要領『特別の教科 道徳』」、内海 貴子編『教職のための道徳教 育』八千代出版、2017、108頁 ⑺ 文部科学省初等中等教育局教育課程課「道徳教育の抜本的充実に向けて」2017、14頁 https:// view.officeapps.live.com/op/view.aspx?src=https%3A%2F%2Fdoutoku.mext.go.jp%2Fpdf%2Fh29_ block_training_materials.pptx(頁づけは、HP 上の PowerPoint ファイルの頁づけによる) ⑻ 柳沼良太『道徳の理論と指導法 「考え議論する道徳」でよりよく生きる力を育む』図書文化社、 2017、38頁 また、但し書きとして、次のように述べている。「それぞれの内容項目には道徳 的価値が盛りだくさんであるため、1つの文章に多くを詰め込まず、測定できる行動の水準に 書き直し、一義的な内容が明確になるように分析して、活動ごとに具体化すべきである。つま り、評価が可能な具体的な目標として内容項目を提示する必要がある」39頁 ⑼ 藤井、前掲書、28頁 ⑽ 同書、28頁 ⑾ 新村出編『広辞苑 第6版』岩波書店、2008、1019頁 ⑿ 松村明編『大辞林 第3版』三省堂、2006、914頁 ⒀ 片桐芳雄「日本における『個性』と教育・素描 その登場から現在に至る」、森田尚人・藤田 英典・黒崎勲・片桐芳雄・佐藤学編『教育学年報4 個性という幻想』世織書房、1995、57 頁 ⒁ 同書、57頁 ⒂ 『ライトハウス英和辞典』研究社、1996、character の項 ⒃ 『研究社英語同意語小辞典』研究社、1975、77∼78頁 ⒄ 松本安弘・松本アイリン『続 日本語で引く英語類語辞典』1993、180頁 ⒅ 中央教育審議会答申(四六答申)『今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的 施策について』1971 ⒆ 林幹夫「個性への統治─個性教育への思想原理を求めて─」、市村尚久・天野正治・増渕幸男 編『教育関係の再構成─現代教育への構想力を求めて─』東信堂、1996、52頁 ⒇ 教育課程審議会答申『小学校、中学校及び高等学校の教育課程の基準の改善について』、1976 林、前掲書、54頁 中央教育審議会第1次答申、1996、31頁 永井聖二「高校教育改革における『個性』─『多様化』から『個性化』への動きの中で─」、 萩原元昭編『個性の社会学』学文社、1997、174頁 中央教育審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改
善 及 び 必 要 な 方 策 等 に つ い て( 答 申 )』2016年、 9 頁 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/ chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/01/10/1380902_0.pdf(以下頁づけは、文部科学 省 HP 上の PDF ファイルの頁づけによる) 同書、13頁 教育論における個性の歴史的な流れを押さえるのに、前掲書13を参考にした。『教育学術界』 第34巻第1号で石川謙は「教育手段として個性尊重を説くことを怠らぬ我が教育界が何故に 教育目的として之をとり入れることを個人主義の名に依りて呪ふかを怪しまずには居られな い」と教育目的としての意義を強調した。それに対し、『教育学術界』第34巻第5号で乙竹岩 造は、「個性教育の問題は、必ずしも目的論上の問題ではなくして、寧方法論上の問題である」 と主張した、と片桐は記している。(64頁) 片桐、前掲書、72頁参照。新教育指針は、文部省から一般教師向けに新しい教育の解説書と して刊行されたものであるが、執筆者は定かではない。片桐は、その中心人物は当時教科書局 編輯課長の石山脩平であったらしいと記している。その新教育指針の第一部後編「新日本教育 の重点」では、第1章に「個性尊重の教育」を掲げ、「一、教育は何ゆえに個性の完成を目的 とするか」「二、教育の方法において、個性の尊重をするにはどうすればよいか」という二つ の課題を提示し、教育の目的と方法の両面において、個性を尊重すべきことを説いている。 松永康史「『考え、議論する道徳』と対話的な学び─対話による授業づくりへの視座─」、『桜 花学園大学保育学部研究紀要』第16号、2017、134頁 文部科学省『中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編』2017、29頁 http://www.mext. go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2016/01/08/1356257_5.pdf(以 下頁づけは、文部科学省 HP 上の PDF ファイルの頁づけによる) 同書、29頁 岩瀬章良「教育実践のなかでの『個性』の問題」、萩原元昭編『個性の社会学』学文社、1997、 140頁、岩瀬は収集した113点の教育雑誌記事における「教師による子ども理解」という意味 構造の表現を分析している。 同書、139頁 永井、前掲書、182頁 永井、前掲書、183頁 永井、前掲書、183頁 永井、前掲書、183頁 野口芳宏「個性重視にブレーキを!─個性は守られるものでなく、自ら守るものだ─」、『現代 教育科学』493号、明治図書、1997、30頁 野口、前掲書、31頁 諏訪哲二『管理教育のすすめ』洋泉社、1997、222頁 同書、170頁 諏訪は心理学者の岸田秀と指揮者の岩城宏之の言葉を例に出し、自らの主張を 強調している。 同書、168頁 子安潤「考える道徳科の考え方(二)∼実践批判と時間の使い方∼」、全国生活指導研究協議 会編『生活指導』10、11月号、高文研、2016、53頁において、「特別の教科道徳の解説文や関 係者の実践動向だけを見ていると、単独の徳目の見方で世界を捉える貧相な把握となってしま う。それでは、悲劇しか生まない。単独の徳目で行動を選択すれば、その徳目によって選ばれ なかった行動への無念が残り、徳目を裏切れば、自身の信念を蔑ろにした自己への不信が募る からである。それに対して、現実の生きる人々の暮らしは、多様な選択基準を前に迷いながら も、個人の尊重をもとめて探求を続けている」と述べている。「個性」はプライベートなもの
ゆえに、社会の中での在り方を問う必要がある。「個性」を単独の徳目としてだけ扱うのでは なく、社会(他の道徳的価値)との関係の中で「考え、議論する」ことが、子安が述べる「世 界を捉える貧相な把握」を打破する可能性をもっているのではないかということが本稿の提示 するものである。 文部科学省「小学校道徳 読み物資料集 うれしく思えた日から」http://www.mext.go.jp/ component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/03/29/1303863_11.pdf 文部科学省「第2章 読み物資料の活用例」2011、136頁 http://www.mext.go.jp/component/a_ menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/03/29/1303863_30.pdf(以下頁づけは、文部科学省 HP 上の PDF ファイルの頁づけによる) 同書136頁 同書136頁 文部科学省『小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編』、前掲書、33頁 同書33頁 文部科学省「道徳教育アーカイブ∼「道徳科」の全面実施に向けて∼」2017、https://doutoku. mext.go.jp/ 小学校第4学年 道徳学習指導案 教材名うれしく思えた日から」2017、51頁 https:// doutoku.mext.go.jp/public/casestudy/download?div=1&aid=108(以下頁づけは、文部科学省 HP 上 の PDF ファイルの頁づけによる) 同書、52頁 同書、51頁 子安、前掲書、50頁 (受理日 2018年1月9日)