生命あふれる干潟のめぐみ
著者
佐藤 正典
雑誌名
南太平洋海域調査研究報告=Occasional papers
巻
31
ページ
127-136
URL
http://hdl.handle.net/10232/16911
南 太 平 洋 海 域 調 査 研 究 報 告 N O 3 1 南 太 平 洋 へ の 誘 い
生 命 あ ふ れ る 干 潟 の め ぐ み
佐 藤 正 典
は じ め に 干潟が生態学的にきわめて重要な場所であることは,今日,すくなくとも学界ではよく知られて いる.しかし,一見,砂や泥の平坦地にすぎない干潟は,色鮮やかなサンゴ礁などと違ってたいへ ん地味な世界である.そのため,干潟の価値が社会一般に十分に理解されないまま,各地で干潟が 惜しげもなくつぶされているように思えてならない(たとえば,諌早湾など). 干潟にすむ小さくて地味な生物の営みを紹介しながら,私たち人間が,干潟からどれほどの恩恵 を受けているのかを考えてみたい. 1.干潟とはどんな所か潮の干満に応じて,干出と水没を繰り返す平坦な砂泥地,それが干潟である(図l).多くの川
の河口周辺には大なり小なり干潟(河口干潟)が発達しており,川によって運ばれる陸上起源の土砂や栄養分(有機物や栄養塩)が干潟に集積する.干潟は遠浅であるために光や酸素の供給も十分
である.これらの条件は,多くの海の生物にとって都合がよく,このため,干潟は,サンゴ礁と共
に,海の中で最も生物生産量の大きい場所の一つとなっている.干潟やサンゴ礁のように生物がひ
しめきあっている場所は,広い海全体から見れば,ごく一部(1%以下)にしか存在しない(オダ
ム1974).干潟の価値として,一般に,次のような点が指摘されている(菊池1993など).
1)すぐれた環境浄化機能.2)水産資源(魚介類や食用藻類)の生産収穫の場,魚介類の産卵・保育の場.
3)潮干狩,海水浴,散策,遊び場,野鳥観察(バードウォッチング)などのレクリエーション
の場.4)渡り鳥にとっての重要な採餌場所.とくに,長距離の渡りをする鳥類の中継地あるいは越冬
地となっている日本の干潟の重要性.5)希少種を含む多様な生物の生息場所.
6)文化を育んできた美しい景観の価値. ここにあげた干潟の価値のほとんどは,干潟に住む生物(特に底生生物)が関係している.しかし,干潟に生息する底生生物は,色彩が地味で,ふだん砂や泥の中にもぐりこんで生活しているた
め,ほとんど目立たない.このため,従来,干潟の生物のことは社会一般にあまり知られておらず,
それが,干潟の価値の過小評価につながっていた.凸側 128 i蛎認 陸の生物に由来する有機物(たとえば,森の落葉や動物の死骸)は,やがては分解しながら川を 伝って海に流れ込む.私たちの台所から流れた残飯や,トイレから流れた尿尿も,分解しながら, やがては海にたどり着く. 海や池に流入する有機物が多すぎて,チッソ・リンなどの栄養分が増え過ぎた状態は,「富栄養 化」とよばれ,プランクトンの異常増殖(海域での赤潮,湖沼でのアオコ)や水中の酸素欠乏をま ねき,魚介類を大量に死滅させることがある. 河口に発達した干潟は,海域の富栄養化を抑制する「自然の浄化場」としてはたらいている(菊 B 鮎,.,瀞感 餓鰯畔漉唖瀦織識、:峰唾がf血 .'灘# 僻織f 燕瀞 、弓辱 悪 鋼 6 ;津 罰
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!副a 噸が 南太平洋への誘い 海の富栄養化を抑制する浄化作用 ‘霞篭浄薙渉…蝉、蔚錨灘嬢 図l鹿児島湾奥部の重富海岸の干潟春の大潮には,毎年多くの人が潮干狩を楽しむ. 1996年5月4日(撮影:佐藤正典). 2.干潟の生物の恩恵 』,# 、q押守藤
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生 命 あ ふ れ る 干 潟 の め ぐ み 図2底生ケイソウ類の一種の顕微鏡写真.1996年5月25日,閉めきり前の諌早湾の泥質 干潟(高来町)で採集したもの.ケイソウの体長は,約0.2mm(撮影:佐藤正典).
食物となる粒子−...‘,‘
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ソ ト オ リ ガ イ 図 3 干 潟 の 二 枚 貝 類 の 生 活 . 食 U〆 図 4 干 潟 で の ゴ カ イ の 生 活 . 129 池1993,佐藤1995).干潟には,陸からの栄養分が大量に流れ込むが,日光や酸素もたっぷりあ るので,生物がたくさんすみついており,その生物たちが,あたかもフィルターのように,多くの 栄養分を吸収してくれるのである.それによって沖合に出ていく水の栄養分(チッソ・リン)が減 少し,富栄養化が抑制されるのである.このような干潟の浄化作用は,鹿児島湾や東京湾のような 人為的な有機物汚濁の影響を受けやすい閉鎖的な内湾で特に重要である. 具体的に,干潟のどんな生物がこの浄化作用にかかわっているか,紹介しよう. 干潟の泥の表面は,微小な底生ケイソウ類(図2)に覆われて,しばしば緑がかった褐色に見え130 南 太 平 洋へ の誘 い オ サ ガ ニ ア サ リ シオ フキガ イ ギ ボ シ イ ソ メ の な か ま カ ガ ミガ イ ヨ コ ヤ ア ナ ジ ャ コ ム ギ ワ ラ ム シ マ テ ガ イ 図5鹿 児 島 湾 の 重 富 海 岸 の干 潟 で見 られ る主 な底 生 動 物. る.こ の ケ イ ソウ類 は水 中 の チ ッ ソ ・リ ンを吸 収 して 増殖 す る.有 名 な ム ツ ゴ ロ ウ(有 明 海特 産 の ハ ゼ科 の魚)は,も っ ぱ ら この底 生 ケ イ ソ ウ類 を食 べ て い る,底 生 ケ イ ソ ウ類 は牧 草 に,ム ツ ゴ ロ ウ は牛 に た とえ る こ とが で きる. アサ リな どの二 枚 貝 は,海 水 を大 量 に体 内 に と りこみ,そ れ を濾 過 して い る(図3).そ の 過 程 で,水 中 に懸 濁 して い る微 小 な プ ラ ンク トン(浮 遊 生物)や 様 々 な有 機 物 粒 子 を こ し とっ て 食べ て い る.ア サ リ1個 体 は,1時 間 に1リ ッ トル の海 水 を濾 過す る と言 わ れ て い る(秋 山1988). 多 くの ゴ カ イ類 や カ ニ類 は,泥 の表 面 に た ま った 有 機物 を食べ る(図4). ま た,干 潟 で は,バ ク テ リアが 水 中 の チ ッソ を気 体 に変 え て大 気 中へ とばす 働 き(脱 窒)も さか ん で あ る(山 室1995). これ らの様 々 な生 物 の 共 同作 業 に よっ て,干 潟 は,「 自然 の 浄 化 場 」 に な って い る(図5).愛 知 県 三 河 湾 の 一色 干 潟 に お け る研 究 で は,陸 か ら流 れ 込 む チ ッ ソや リ ンの約 半 分 が,干 潟 で 除 か れ る こ とが わ か っ て い る(佐 々 木1994). 干 潟 の 浄化 作 用 に は,人 工 の 下 水 処理 場 に ま ねの で き ない重 要 な特 徴 が あ る(佐 藤 正 典1997, 佐 藤 ・逸 見1997). 陸 上 の 生 物 の 死 体 や排 出 物 が 分解 して バ ラ バ ラ に な った もの(私 た ち が 「生 ゴ ミ」 と して捨 て た もの も含 む)は,水 に 流 され て,や が て は み ん な海 にた ど りつ く.海 と陸 の接 点 に あ る干 潟 で は, た くさん の 小 さな 生 物 た ち に よっ て,バ ラ バ ラ に な っ た栄 養 分 が水 中 か ら除去 され,水 が 「きれ い」 に な るわ け だ が,こ こで,水 中 の 栄 養 分 は,生 きた生 物 の 体 に姿 を変 え る.こ れ は,死 ん だ生 物 の チ ッソ ・リ ンが,再 び 生 きた 生 物 の 体 の 要 素 と して よみ が え る過 程 とい え る.そ の転 換 の カギ と な
生命あふれる干潟のめぐみ 131 る生物が,上記のケイソウ類であり,ゴカイ・カニ・貝類などである. これらの生物は,より大型の動物(魚,渡り鳥,そして人間)の大切な食物となる.こうして, 干潟の生物に吸収されたチッソやリンは,食物連鎖を通して,最終的には大型動物に受け渡され, 地球レベルの物質移動に関与する. 人工の下水処理場には,ゴカイもカニもいない.したがって,人間や渡り鳥の食物も生産されな い.しかも,干潟生態系では,水に溶けたチッソやリン(栄養塩)が効率よく,ただで吸収・除去 されているが,通常の人工下水処理場では,それらを除去するのは難しい(宇井1996).あえてそ れ(高度処理)をやろうとすれば,たいへんな費用の増大をまねく. 近年,日本各地の内湾域で富栄養化が進行し,その結果,赤潮(プランクトンの異常増殖)がひ んぱんに発生し,多大な漁業被害をもたらしている.富栄養化の主な原因としては,湾に流入する 汚濁物質(有機物や栄養塩)の増大がまずあげられるが,それだけでなく,自然の浄化場である干 潟が激減したことも関係している.この点は,東京湾(過去60年間に干潟面積が1/14に減少した) において詳しく解析されている(小倉ほか1993). 渡り鳥の採食場 干潟には,貝類やカニ類やゴカイ類などの小動物が多く生息するので,それをねらって魚(キス
やコチなど)や烏(シギやチドリなど)や人間などの捕食者が集まってくる.特に,冬から春にか
けては,たくさんの渡り鳥が集まるので,干潟は,烏の観察(バードウオッチング)の格好の場と なる. シギ・チドリ類の1個体は1日あたり体重の30-40%の餌(ゴカイや二枚貝)を食べる(秋山1988).1年間にミヤコドリ1個体が食べる餌量は,約83kg(貝の殻は除いた値)である.多くの
渡り鳥にとって,このような大量の食物を毎年安定して持続できる場所は,生産量の大きい干潟以
外にはありえない.日本各地の干潟は,シベリアと東南アジア・オーストラリアの間を行き来する多くの渡り鳥の中
継地となっているので,烏の捕食によって日本の干潟から取り上げられる栄養分は,地球レベルの
物質循環に大きく貢献していると考えられる. 沿岸漁業を支える場 人間の漁業や潮干狩によって干潟から取り上げられる魚介類(水産資源)の量も大きい.アサリ などの二枚貝,キスなどの魚,ガザミなどのワタリガニ類,ノリなど食用の海藻,釣り餌として重 宝される大型のゴカイ類などである. 干潟は単に水をきれいにしてくれているだけではない.ありがたいことに,干潟は,栄養分を水 から抜き取り,それを効率よく私たちの食料(魚介類)に変えてくれるのだ.私たちは,干潟があ るからこそ,海藻(ノリ)を養うことができ,貝を掘って食べることができる.干潟は,水質浄化132 南太平洋へ の誘 い
根粒 菌な どによ る
空中窒素固定
陸 上(河
川)
デ トリタス
栄 養塩類
人間
干潟
漁業
魚
大気 中の
窒 素ガ ス
鳥
海域
脱窒細菌 による脱 窒
図6干 潟 をめ ぐる栄 養 物 質 の 循 環. の場 で あ る と同 時 に,沿 岸 漁 業 を支 え る場 とい え る.縄 文 時代 の遺 跡 に 貝塚 が 存 在 す る こ とは,私 た ち の 先 祖 が,稲 作 を始 め る前 か ら干 潟 の魚 介 類 を食 料 と して い た こ と を示 して い る. 沖 合 にす む多 くの 魚 や ク ル マエ ビ類,ガ ザ ミ類 に と って は,干 潟 や 藻場(ア マ モ な どが 生 育 して い る と こ ろ)が,産 卵 の場 所 と して,あ る い は,子 ど も(稚 魚 や稚 エ ビ)が 育 つ 保 育 の場 所 と して 大 切 な と こ ろで あ る(菊 池1993). 鳥 や 人 間 が 干 潟 の 動 植 物 を とっ て食 べ る と い う こ とは,大 変 重 要 な 意 味 を も っ て い る.も し も陸 か ら海(干 潟)へ 有 機 物 や 栄 養 塩 が 一 方 的 に流 れ込 むだ け だ った ら,干 潟 は栄 養 過 多 とな っ て しま い,他 方,陸 の栄 養 分 が 枯 渇 して しま うだ ろ う.干 潟 にや って くる 渡 り鳥 の 捕 食 や 人 間 の 沿 岸 漁 業 が,干 潟 に た ま っ た栄 養 物 質 を運 び去 り,陸 に ま た も どす とい う重 要 な は た ら きを して い る.こ れ に よ っ て,陸 か ら海 に流 出 した栄 養 分 が,干 潟 を介 して,ま た 陸 に も ど る と い う物 質循 環が 成立 し, 生 態 系 は持 続 可 能 とな る(図6).人 間 も この 生態 系 の一 員 で あ る か ら,ム ツ ゴ ロ ウ や ア サ リ な ど を とっ て 食べ る こ とは や め る べ きで は な い.「 ムツ ゴロ ウが か わ い そ う」 と言 う の で は な く,い つ ま で もムツ ゴ ロ ウ が 食べ られ る よ うに 干 潟 を大 事 にす る こ とが 重 要 なの で あ る. 干 潟 を大 規 模 に 失 うこ とは,栄 養物 質 の循 環 を 断 ち切 る こ と に な り,そ れ は,将 来 の 人 間 の 生 存 基 盤 を損 な う こ とに な る だ ろ う.ザ 133 ま だ ま だ 言 い 尽 せ な い 干 潟 の 価 値 干潟は安全な自然の遊び場としても重要だ.ここでは生物の多様性や生態系の成り立ちについて 実体験を通して子どもに教えることができる.散歩や思索の場としても最高だ.
私たちは,実際の自然の価値のごく一部しかまだ理解していないだろう.干潟にはたくさんの生
物がすんでいるにもかかわらず,それらについての研究はまだきわめて少ない.どんな種類のゴカ イがすんでいるのか,それらが生態系でどんな働きをしているのか,よくわからないまま,干潟が 埋 め 立 て ら れ て い る . 3 . か け が え の な い 有 明 海 ・ 諌 早 湾 有明海は,日本に現存する干潟の約40%が存在する広大な干潟の海である(菅野1981). それにしても,有明海は不思議な海である.日本ではここでしか見られないいわゆる有明海特産 種がこれまでに,20種ちかく知られているのである(ムツゴロウ,ワラスポ,アリアケガニなど. このうち,アリアケガニの分布は,諌早湾内にほぼ限られる)(菅野1981,和田ほか1996).有明 海特産種以外にも,有明海では普通に見られるが他の海域ではまれにしか見られないという種(準 特産種)も多い(たとえば,シオマネキというカニ).これほどユニークな生物相を有する海域は, 日本ではほかに例がなく,しかも,それらのユニークな生物のほとんどが,今や絶滅危倶種なので ● . ; i1
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⑰ 図7「有明海の子宮」と言われる諌早湾の位置.134 図8 南 太 平 洋 へ の 誘 い 津',fJ鋪縦…-,'“,w霊峰鐸9鑑識鍵_里:,,,、踊窪抵鎚#h,南…,、今rq,、;&…鍾鼻と閑;…w蛸,,,,,牝r’1.心蓋一…リムJ△』LJl、,-,-…-竃』師…….‘園:聖。謹銚,必叫,,職、,鷺幽型…d舗噛唖.鍔,『』,,_、,,』'一出j錘盈鑑i醒凹幽岬……醤窃室謹謹IAU…,r叩',4Ui溌錨iii侭願b畠fA蝿堀酷戯 :糎識識㎡鵡感R州ヨィ$
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燈、 $窒襲塞鞘 譲診静潟 :齢i魂騨鯉 潮止前の諌早湾の干潟.1996年11月10日,諌早市小野島海岸.ここには,塩性植物シチ メンソウの日本最大の群生があり,秋にはそれが美しく紅葉した.泥の中にすむカニ類 などの活動によって,干潟表面は凸凹している.後方は,雲仙普賢岳(撮影:佐藤正典). ある(和田ほか1996).諌早湾は,有明海の中でも,特産種および準特産種がとりわけたくさん維 持されている貴重な場所である.近年の国際的な合意である「生物多様性の保全」という立場を重 視するならば,諌早湾は,本来,真っ先に保全措置がとられるべき場所である. 現在進行中の諌早湾の閉めきりによって,空前の規模で干潟および浅海域が失われようとしてい る(図7).閉めきられた湾奥部(3550ha)のうち,干潟面積は2900haである.この広大な泥質干 潟は,日本に現存する干潟面積の6%以上の広さがある(佐藤・逸見1997).それは,鹿児島で大 きな問題となっている姶良町の重富海岸(30ha)の埋立計画(佐藤1995)の100倍の規模である. 過去50年間に,日本の干潟のおよそ半分の面積が,埋立などによってすでに失われている.その 上まだ,さらにこのような大規模な干拓・埋立(計画)が続いているのである(山下1996). 諌早湾の閉めきられた部分では,現在,干潟の表面の大部分が乾燥によって無残にひび割れ,す でに多くの生物が死んでいる(佐藤正典1997).そんな状況を見て,「いまさら堤防を開いて海水 を入れても手遅れで,もう生態系の回復は不可能」と感じる人もいるかもしれないが,決してそん なことはない.そこの生物がたとえ全滅した後でも,海水がもどり元の環境がもどれば,生態系は 回復するだろう.閉めきり堤防の外側にも干潟生物は多少とも分布しているので,湾奥部の環境が 復元されれば,プランクトン生活を行う幼生などが周辺の干潟から容易に加入できるからである. もちろん,絶滅危倶種の問題があるので,その回復は早いほうがいい.湾の閉めきりからから半年 以 上 た っ た 時 点 で も , 干 上 が っ た 干 潟 で な お 生 き 続 け て い る 生 物 は 少 な か ら ず 存 在 す る ( 佐 藤 慎 一生命あふれる干潟のめぐみ 135 1997). 干潟の生態学的な価値については,まだ未知な部分が多いが,子孫の生存権を重視するならば, これ以上の干潟の消滅は危険である.今からでも諌早湾の干潟生態系を元にもどし,これまでの干 潟への対応を改めるきっかけとなすべきであろう. 「諌早湾は豊かで暖かいお母さんのような海だ.いま,そのお母さんが死にそうなのに,どうし て,助けようとしないのか」.諌早の新聞(ナイスいさはや,1997年6月6日)に掲載された地元 の人の投書は,情緒的ではあるが,生態学的な真実を直感した言葉かもしれない. 4.干潟の賢明な利用:鹿児島での提言 1)重富海岸(姶良町)や小浜海岸(隼人町)などに残されている自然の干潟や,喜入町のマン グローブ林(太平洋での北限)などは,きちんと保全し,干潟の価値について,子どもたちが遊び ながら学べる場とする.そのために,自然の干潟全体を野外博物館とし,必要最小限の施設(観察 小屋,木道,トイレや水洗い場など)を整備し,専属の案内人(専門知識をもったガイド,レンジャー) をおく.水辺観察や散策のために,カヌーや手こぎ舟を活用する.学校の遠足や修学旅行を誘致し, 定期的に自然観察会やカヌー教室,体験漁業を開催する.ここは,地元の子どもたちが本物の自然 と接するための場であり,大人にとっては,失われつつある自然とのきずなを取り戻す(心をいや
す)場である.そのために,静かな昔ながらの環境を守り,よそのテーマパークのような人工的な
遊技施設や,騒々しい音楽やレジヤーボートなどは一切排除する(結果的には,よそからも自然を
求めて人が来るであろう).現実のお手本はホンコン(マイポ保護区)にある(山下1996).
2)錦江湾の本来の豊かな沿岸漁業を復興させる(ハマチ養殖にかわって).そのためにも干潟
を保全し,地域社会は川や海に毒物(農薬,合成洗剤,工場排水など)を流さぬよう徹底的に努力
をする必要がある.山林の保護も必要である. ま と め干潟は,水質浄化の場であると同時に,沿岸漁業を支える場でもある.日本人は,稲作を始める
前から干潟の魚介類を食料としていた.渡り烏がたくさん干潟に飛来するのも,干潟に豊富な食料
があるからである.干潟を大規模に失うことは,栄養物質の物質循環を断ち切ることになり,それ
は,子孫の生存基盤を損なうおそれがある. 私たちは,この干潟の生態学的な価値をもっと子どもたちに伝えねばならない.生態学的な価値の詳細は,まだ未知な部分が多いが,子孫の生存権を重視するならば,取り返しのつかない事態を
避けるために,これ以上の干潟の消滅を防ぐべきである.今からでも諌早湾の干潟生態系を元にも どし,私たちの干潟への対応を見直すべきである.136 南太平洋への誘い 引 用 文 献