〈論文〉中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程--改革開放後の流通政策の変遷と百貨店の経営活動を中心に
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(2) 第60巻 第2・3号. 1. は じ め に. 本稿は,中国では大型百貨店をはじめ今日多くの小売企業で一般的に採用されている聯 営制に焦点を当て,改革開放以降の小売流通政策,小売市場の競争環境と百貨店の経営活 動を中心に分析し,聯営制の形成要因および制度化の過程を明らかにすることを目的とし ている。 中国では1970年代後半から改革開放が始まり,その後,百貨店が飛躍的に発展すると同 時に,その経営方式にも大きな変化が起きた。多くの百貨店は伝統的な自営(自主経営) から聯営の経営方式に切り替わり,近年,聯営商品の比率は90%以上に達している。本 稿においては聯営を次のように定義する。すなわち,百貨店がリスク回避を前提として, 企業誘致の方式で有名な商品やブランド品を導入し,納入業者が商品の販売や在庫管理な どの日常の運営をするとともに,百貨店は納入業者から賃貸料,管理費などの日常運営の ための固定費のほか,売上の何パーセントかを控除し,粗利益として徴収するという売場 経営方式の一種である。 欧米では多くの百貨店は買手の危険負担という古くからの商取引原則に基づいて,売れ 残り商品のリスクとコストを百貨店が負担すべきであると考え,自主経営を行っている。 それに対して,日本の百貨店の多くは欧米の百貨店と正反対の取引原則,すなわち売り手 の危険負担の商取引原則である委託仕入れ を一般に採用している。近年,日本の百貨店 は長年にわたって経営不振に陥っており,特にバブル崩壊後,百貨店の売上が連続的に低 下している。その原因としては小売市場全体の成長の鈍化,スーパーや量販店などの多業 態の進出による過当競争など多くの要因が考えられるが,委託仕入れ制度も主な要因とし 中国では多くの百貨店は自営,聯営とカウンター賃貸の3つの経営方式を同時に採用している。 「中国百貨行業発展報告」の百貨店業界の経営方式分類によれば,2008年までの百貨店において, 自営商品の比率が2%~3%,聯営商品の比率が90%,出租 台商品の比率が7%~8%を占め ている。 呉小丁(2008), 陳立平(2009)を参照。 なお, 陳立平(2009)は「中国の大規模小売企業に おける『連営制』の生成と展開―百貨店業態を中心に―」というタイトルで日本語に翻訳さ れている。 李雪訳(2011)。「連営制」は本稿の「聯営制」と全く同じ意味である。「聯営制」と いう中国語本来の表記に従い,本稿では「聯」という漢字を用いた。 買手の危険負担とは「売買に際し,危険は買手にあり」という意味で商品リスクを買手に負わ せることを原則とする商取引原則である。江尻(2003)30~31ページを参照。 委託仕入れとは納入業者から商品の販売の委託を受け,販売されたものについて百貨店が一定 の手数料を取る仕入れ方式であり,百貨店からみれば「預かり品」で所有権は納入業者にあり, 百貨店にとって商品所有に伴うリスクを回避できる代わりに,通常の仕入れ方式である買取り仕 入れに比べてマージンが縮小するものである。高岡(1999)3ページ,坪井(2009)46ページを 参照。. 106( ) 312 ─ ─ .
(3) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). て指摘されることが多い。 中国の百貨店の聯営制は1980年代に,中国の商業体制改革を背景として,大型百貨店に より導入され,1990年代後半から2000年頃に百貨店の主要な経営方式として定着した。近 年,聯営制は委託仕入れと同様に小売機能の低下をもたらした元凶として業界関係者や研 究者から指摘され,百貨店の経営方式を自営にするか,それとも聯営にするかに関する検 討が一層差し迫った課題になってきた。大多数の議論は,自主経営が中国百貨店の低収益 性を改善できる唯一の処方であると主張している。少数の研究者は,百貨店の低収益性 の問題解消の焦点は,盲目的に自主経営に転換することではないと論じ,周囲の環境や自 身の条件を踏まえて聯営の是非を考えなければならないと指摘している。 本稿は,歴史的な視点から聯営制の形成と制度化の過程に焦点を絞って論じようとする ものである。これには次のような意義がある。近年,中国の百貨店に関する研究は,聯営 制がマーチャンダイジング能力の減退や売場の同質化,さらには収益性の悪化をもたらす 要因であるとして批判的に捉える研究が多い。しかし一方で,その多くは百貨店の経営モ. 百貨店の委託仕入れへの批判としては,たとえば,高岡(1999)は,戦後復興期の百貨店が人 的および資金的な経営資源の不足を補うために委託仕入れ制度を導入したが,委託仕入れは百貨 店にとって経営資源不足に短期的に対処するという意義しか持たず,長期的には百貨店の売上高 利益率とマーチャンダイジング機能をともに低下させたとの指摘を行っている(18ページ,28 ページを参照)。 江尻(2 003)は, 委託仕入れ制度の導入に伴い, 百貨店が仕入れ能力を低下さ せ, 価格の支配権もアパレル企業に取られ,凋落が始まったとの指摘を行っている(2 85~295 ページを参照)。 坪井(2009)は, 委託仕入れの導入に伴って売場の経営を納入業者に任せた結 果,取引先依存,顧客サービスの低下,マーチャンダイジング力の低下,低収益体質,売り場構 成の同質化といった様々な問題を引き起こした,と指摘している(70ページを参照)。 百貨店の収益性の低下の原因が聯営制にあるとの指摘については,たとえば,2009年11月,北 京市商業企業管理協会と北京百貨商業協会は共同で「百貨店自営模式経験報告会 研討会」を行 い,大型百貨店の売場経営形態である「自営」について百貨店に対する利害を検討した。2010年 4月,北京海淀区商業聯合会は「零售企業盈利模式創新座談会」を開催し,「自営」と「聯営」 について検討した。元中国経貿委内貿局局長は中国百貨店の聯営弊害について「現在でも,中国 の伝統的な百貨店が優勢を保っている。しかし,百貨店は同質化しつつあり,同業態間の価格競 争もますます激しくなる。もし,自主経営に変わらなければ外資百貨店が優勢になる可能性があ る」と述べた(中国零售研究第1期3ページ)。学術界においても聯営制について次のような批 判がある。呉小丁(2008)は, 「聯営制が百貨店の本質的な特徴である部門別管理を否定し,サー ビス集約型の業態特徴も喪失させた」(7ページ)と指摘している。陳立平(2011)は,「聯営制 が百貨店の経営能力の喪失,店舗の同質化,商品の選択権・価格決定権・直接販売と接客権の喪 失などのデメリットをもたらした」 (15ページ)と指摘している。 白森森(2 009)は「同じ納入 業者は多くの百貨店に商品を提供するため,百貨店の同質化が深刻になっており,商品の仕入れ, 販売,在庫管理を自ら行わないため経営の基本機能も次第に衰えた」 (1ページ)とし, 聯営制 を批判し,自主経営への転換を主張している。徐剛・候旻(2 008)は百貨店の納入業者から派遣 されている販売員について「従業員の流動性が大きいため,ストア・ロイヤルティが希薄化して きた」 (80ページ)と指摘している。 たとえば,李飛(2010)は,「聯営すべきか自営すべきか, という経営方式が問題なのではな く,大事なのは納入業者と百貨店の協業によって顧客ニーズに適合する」 (10ページ)ことであ ると指摘している。他には,李馥佳・李誠(2 008)は人件費と費用面から「聯営制は人件費を節 約できる上,聯営の百貨店はデベロッパー業への転換を促進することもできる」 (53ページ)と 指摘している。また,崔馨予(2 010)は百貨店のコストの回避の面から聯営のメリットを指摘し た。以上,聯営制の是非に関する先行研究については,朱(2 013)を参照。. 107( ) 313 ─ ─ .
(4) 第60巻 第2・3号. デルを変え,すなわち,聯営を捨て,自営に回帰すべきと主張するにとどまり,聯営制に 代わる新たなビジネスモデルの提示が十分になされてきたとは言い難い。歴史的に見れば, 聯営制の生成は,中国の商業体制改革という特殊な背景の下で,百貨店が経営資源の欠如 を補完するために導入した制度である。そのことを踏まえず聯営制の弊害のみに集中する 多くの研究は,単に一面的であるのみならず,非現実的ですらある。さらに,従来の研究 は,ミクロな視点に立ち百貨店の経営問題として聯営制を取り上げたものがほとんどであ るが,聯営制の形成要因と制度化の過程を論じるためには,中国の流通政策と市場の競争 環境というマクロな観点からの分析が不可欠である。 また,中国の百貨店の聯営制は日本の取引慣行である委託仕入れ・返品制とは表面上は 類似点が多くみられ,聯営制が日本の委託仕入れと同じ制度であると指摘している中国人 の研究者 もいる。しかしながら,法的規制を逃れ合法的に商品の返品を実現するための 方策であった日本の委託仕入れ と,改革開放を推し進める政府の様々な商業改革政策 に裏付けられながら制度として定着した聯営制とでは, その形成過程は大きく異なる。 従って,歴史的な側面から聯営制の形成過程を把握することは,日本の委託仕入れと中国 の聯営との異同を議論するうえで不可欠であり,国際比較の面でも大きな理論的意義があ る。 本稿では,百貨店の外部環境要因と内部要因に注目して,中国の大型百貨店における聯 営制の生成・発展要因を分析したい。具体的には,外部環境要因として,①政府の流通政 策,②市場の競争環境,の2点を中心に検討する。内部要因としては百貨店の経営資源に 焦点を当てる。対象となる時期については,改革開放以降を中心に分析する。中国では建 国後から197 7年までの30年近くの間,百貨店は小売機能というよりむしろ配給機関として の機能を担ってきたに過ぎず,1978年から百貨店は小売機能を徐々に回復した。1980年代 の百貨店は政府の流通体制改革(所有制の構造改革,市場経済方式への改革および国有流 通企業の体制改革の3つを中心に展開した体制改革)により前期成長期を迎えた。この時 期の百貨店は,①構造的な供給不足,②国の独占政策による保護,③都市中心部の好立地 という3つの条件下で自らの改革,すなわち,店舗の改装・増床,品揃えやサービス水準 の強化などの経営手法を行わないまま成長した。1990年代前半の百貨店は政府の対外開放 政策で大きな成長を遂げた。1990年代初頭から政府の対外開放により大量の外資百貨店が 中国市場に進出した。国内の百貨店は外資百貨店の店舗運営を手本として自らの革新を行 たとえば呉小丁(2007),盛朝迅(2011)。 江尻(2000)89ページ。. 314 ─ 108( ) ─ .
(5) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). い,政府の政策も相まって急速に発展した。その後,国有百貨店の従来の優位性が次第に 失われ,1990年代後半から2000年初頭までの百貨店が経営不振に陥る中で,聯営制が一種 の経営方式として定着した。その後,聯営制は全国の大型百貨店において広範囲に採用さ れるにいたった。これらのことを踏まえて,本稿では,①1980年代の前期成長期,②1990 年代前半の後期成長期,③1990年代後半から2000年代初頭までの成熟期という三段階に分 けて,聯営制の形成と制度化の過程を分析する。 なお,本稿が研究対象として取り上げた百貨店は大型百貨店である。『中国統計年鑑』 や『中国商業年鑑』では, 一定規模以上, 具体的に従業員が60人以上, 年間売上が500万 元以上の百貨店を大型百貨店として定義している。本稿において中小百貨店を取り上げな い理由としては以下の2点が挙げられる。第一に,中小百貨店では聯営制があまり見られ ないことである。 よって,「聯営」の形成過程を論じる上で,中小百貨店は事例として適 切でない。第二に,分析において本研究が利用した統計データは『中国統計年鑑』,『中国 百貨行業発展報告』と『中国商業年鑑』であることである。これらはいずれも大型百貨店 のデータだけを公開している。このように,中小百貨店を研究対象とするには資料の制約 が大きい。 以下,本稿では,2.で中国改革開放後の1980年代の小売流通政策を概観し,政府政策 の下で百貨店の経営方式がどのように変容したかを明らかにする。3.では1 990年代前半に おける百貨店の市場競争環境を分析し,その環境の中で百貨店がどのように自己革新を果 たしたのかを明確にする。4.では1990年代後半から世紀転換期にかけての百貨店の経営資 源を分析し,聯営制への転換過程を論じる。最後に5. で本稿の結論を示した上で,今後の 研究課題についても述べる。. 2. 改革開放後の流通政策と百貨店の経営方式変革(1980年代). 1978年に改革開放が断行される直前まで,中国経済全体を支えていたのは,国営企業と 集団所有企業であった。1950年から中国政府による計画経済が始まり,すべての百貨店は 共産党政権によって国営化された。当時の中国は物資不足の時代であり,百貨店は流通に おいて支配的な地位を占めていたため,百貨店の経営のすべては行政部門として管理され, 商品流通機能の大部分を担っていた。つまり,百貨店は一次卸から商品を仕入れ,他の小 期間区分に関しては,『中国百貨行業発展報告(1999~2008)』や柯(2007)に依拠しているの で参照されたい。. 315 ─ 109( ) ─ .
(6) 第60巻 第2・3号. 売業者に販売する一方で, 直接消費者に商品を販売する機能も果たしていた。1978年ま で30年近くの間,中国の百貨店は国家の計画下,商品を配給する機能を果たしたに過ぎな かった。この時期の百貨店はすべての経営権を中国政府が掌握しており,独占政策によっ て保護され,発展してきた。計画経済体制の下で商品配給機関として機能をした百貨店は, 1978年の改革開放の実施以降大きく変容した。. 2.1 改革開放後における小売段階の流通改革 1978年「共産党第11期3中全会」において,政府は経済体制の改革を決定すると同時に 対外開放政策を計画した。1980年から実験的に5か所の経済特区が設置され,中国の小売 市場は大きく変貌した。1980年代から1990年代を通して,中国政府は計画経済期の企業経 営の低効率の問題に対して表1にあるような一連の流通政策を実施し,小売業の近代化を 促進した。改革の結果,商品の配給制度の崩壊と価格統制の廃止によって小売価格の自由 化が実現するとともに,企業に自主経営権が与えられたことで,小売業は自らの判断にし たがって商品在庫を保有できるようになった。. 表1 小売業の促進に関する流通政策 年 1982. 1983. 1984. 公表機関. 政策の名称. 実施内容. 国家物価局, 段階的な日用品価格の市場調整の開放に 160種類の商品価格は市場調整機 商 業 部,軽 関する報告「関于遂歩放開小商店間価格, 能に任せ,企業が決定する 工 部(軽 工 実行市場調節的報告」 業部門) 国家物価局 日用品商品価格のより一層の開放報告に 開放の商品数を3 50種類に増加す 関する通知「関于進一歩放開小商品価格 る 的報告的通知」 国務院 商業部の都市商業体制改革における若干 ① 政治と企業の分離を実施し, の問題に関する通知「批転商業部門関于 企業の自主権の拡大と行政管理 当前城市商業体制改革若干問題的報告的 の強化を図る 通知」 ② 「放権譲利」 ,「利改税」制度 を導入した. 新中国成立後,1949年から1952年までの間,中国国有の流通システムは主に商業部系統であり, 供銷合作社系統は副システムであった。商業部系統を管理する機構は中国の商業部であり,国有 企業を傘下に収め,数回の組織改革を経て,1952年中央人民政府対外貿易部と名が変わった。供 銷合作社系統は合作社系統の最高指導機関である「中華全国合作社聯合総社」により設立され, 協同組合形式による企業であり,集団所有制が大部分を占めていた。1953年から中国政府は工業 製品,農産品など数百種類の主要商品の生産,流通,販売を集中管理する集中分配制度を正式に 導入した。政府の制度により,商業部は工業製品,農産品等主要な商品の生産,流通,販売を集 中して管理し,配分する。すなわち,集中買い付け,集中流通,統一配給制度が正式に開始し, 中央,省,市レベルごとに1,2,3級の3つの段階に専業公司が設立された。矢作ほか(2008), 15ページ, 国良(1989),16~20ページ。. 316 ─ 110( ) ─ .
(7) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱) 1987. 国家体制改革 国営商業と供銷合作社体制の転換に関す 委 員,商 業 る改革意見の報告「関于深化国営商業供 部,財政部 給 社的体制改革的意見」. 1988. 国務院. 1992. 1993. 1994. 1995. 全民所有制の工業企業に関する承包経営 責任制の暫定条例「全民所有制工業企業 承包経営責任制暫行条例」 国 務 院,商 国民所有制商業企業の経営体制を転換す 業部 るにあたっての実施方法「全民所有制商 業企業転換経営機制実施弁法」. 国務院. 社会主義市場経済体制におけるいくつか の問題に関する中国共産党中央委員会の 決定「中共中央関于建立社会主義市場経 済体制若干問題的決定」 国家発展計画 商品およびサービスにおける価格明記の 委員会 実施に関する決定「関于商品和服務実行 明碼標価的規定」 国内貿易部 流通体制の改革推進,流通行の発展促進 に関する若干の意見「関于深化流通体制 改革,促進流通産業発展的若干意見」. ① 大中型商業企業・飲食サービ ス業における下請け経営責任制 を計画的かつ漸進的に実施 ② 中型小売企業の賃貸制の試行 ③ 各地で試行中の企業の株式制 の遂行 大・中型国有企業を中心に「承包 経営責任制」が推進された 国有商業企業に対して政治と企業 の分離を図り,自主的な経営,損 益の自己負担とその責任の明確化, 自立した発展を促すための一歩進 んだ規定 企業の経営自主権の拡大に関する 改革を実施し,現代企業体制を確 立する新しい段階に突入する 価格明記の範囲や内容,形式,検 査監督及び処罰などが詳細に規定 されている 生産と流通とがバランスよく発展 し,専門性,社会性及び現代化を 備えた物流体制を構築する,とい う流通の現代化に対する具体的な 目標が制定された. 出所:『中国商業年鑑』1988年版,同1989年版,『中国百貨商業』1989年版,『中国国内貿易年鑑』1999 年版により筆者作成。 注①:「 」内は原文名。 注②:『中国商業年鑑』は1988年に創刊され,1994年版から2 002年版まで年鑑の名称が『中国国内貿 易年鑑』に変更されたが,2003年版から名称は『中国商業年鑑』に戻された。. 1978年から, 中国政府による小売業の制度改革は計画経済期の「政企不分」 (政治と企 業の区別がない)の問題,とりわけ国有企業の従業員の勤労意欲と経営者の責任感の欠如 という企業経営の低効率の問題を改善することに重点が置かれ,「放権譲利」 ,「利改税」 及び「承包経営責任制」が導入された。「放権譲利」とは企業に自主経営権および必要な 運転資金を与えることであり,企業の自主権の拡大と利潤の留保使用を目的として導入さ れ, 企業に自主企画権,価格設定権,人事管理権を与えた。「利改税」は政府が国家と国 営企業の利潤の分配関係を改革するための重大な措置であった。所得税が国営企業の分配 領域に導入され,企業は利潤の一部を所得税として政府に納めた後,残りを企業の利益と するというのがその核心の内容である。「承包経営責任制」とは, 企業の所有権と経営権 の分離の原則に基づいて,企業が国家に対して経営の下請け責任の契約を締結し,企業と 国家の間の関係を明確にすると同時に,企業内部にも段階的な下請け責任制の契約を締結 し,企業と内部の各経営層及び従業員間の関係を明確することを目的として,企業は政府 317 ─ 111( ) ─ .
(8) 第60巻 第2・3号. と企業内部の双方に対する経営責任を負担する経営管理制度である。この制度は国有大・ 中型企業を対象に実施された。このように,国営大・中型商業企業 への経営自主権の付 与,配給制度と価格統制の逐次的廃止,経営請負制度の導入が段階的に実施された結果, 企業は活力を与えられた。. 2.2 百貨店の経営方式の変革 2.2.1 大型百貨店における経営方式の変革の第1段階(1978~1983年) 1978年からの商業改革は国営の大・中型百貨店の経営方式に大きな変革をもたらした。 計画経済期の百貨店では,30年近くの間,中国政府の指示に従って,工業企業 の商品 を買い付ける統購包銷 の経営方式のみが行われてきた。1980年3月, 『全国の商業局にお ける局長の座談会』が開かれ,統購包銷を廃止し,百貨店は納入業者からの商品買い付け について統購統銷,計画収購, 訂購, 選購という4つの形式を採用することになっ た。1981年から全国で実施され,統購統銷商品が11品目,計画収購が24品目,訂購が58 品目,それ以外のすべてが選購であった。 これにより, 工業部門は商品の自販ができる ようになり,商業部は商品の仕入れが自由に選択できるようになった。1982年に国務院に より「段階的な小売商品価格の市場調整の開放に関する報告」が公布されて以降,小売レ ベルの流通機構が自由に仕入れ先と仕入れ数量を選択することが可能になり,仕入れ先と 供給先の地理的な制限も撤廃された。中国政府の様々な流通政策が市場物資の不足を次第 に緩和した一方,工業部門の「自銷政策」 が困難になった。1982年9月,国家商業部と軽 承包経営責任制の実施は企業内部間の経営責任の明確化が主な目的である。具体的に責任の 明確化。「責」が下請け経営の核心であり, 下請けの内容には経済指標とサービス効果が含まれ ている。経済指標は利潤,売上高,資金回転率,在庫回転率などを指し,経済効果を基づいて分 配額,サービス効果に基づいて奨励と処罰を決定する。各層の下請け内容の重点が違う。権利 の移譲。商品部が下請け経営の中心部であるため,権利が主に商品部に移譲する。権利の内容は 経営自主権,規定額以内の資金使用権,規定額以内の消耗費用,値引き価格,賞罰額などの権利 を指す。荊国良ほか(1989)147ページ。 商業企業とは,中国の計画経済期における小売業のことを指す。 工業企業とは,中国の計画経済期における製造企業のことを指す。 統購包銷とは,国家の経済と人民の生活と重大な関わりがある製品は法律規定によって私営工 場が国営商業部門に要求された規格・質量の製品を生産し,国営商業部門が合理的な価格で買い 付けて統一販売する政策であり,私営工場は勝手に製品の販売を行うことが禁じられる。この政 策実施の目的は私営工場の生産を国家計画以内に収まるためである。陳国慶(2006)を参照。 統購統銷とは主に農業食品に対して商業部門が計画的に買い付けて販売する政策である。 計画収購とは国家が規定されている買い付け計画に従って,工業部門から計画的に商品を仕入 れ,計画外における生産された商品は工業部門が自ら販売することができる買い付け政策。 訂購とは市場の需要に基づいて工業部門と商業部門は協議し合って商品の品目と生産量を決定 した後,契約を結び,工業部門が契約上に沿って商品を生産する買い付け政策である。 選購とは仕入れる商品については自由に選択できる買い付け政策。 荊国良ほか(1989)50~53ページ。 李飛(2010)8ページ。 「自銷政策」とは製造業者が生産した商品を自ら売ることを指す。. 318 ─ 112( ) ─ .
(9) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). 工業部が「国営商業部における日用工業品の販売の業務代理の展開に関する通知」を公表 し, 「代批代銷」 (販売の代理)政策が実施された。代批代銷の経営方式では商品を売る前, 商品の所有権は相変わらず工業部門にあり,販売価格は,工業部門と商業部門の交渉に よって決定され,商品の販売業務を工業部門が商業部門に委託する。そして,商業部門が 販売を代理する商品の範囲も明確に定められていた。具体的には,①買い付け計画を上回 る量で生産された商品,②商業部門が計画収購の商品の中で規格に合わない商品,③計画 収購以外の零細小商品であった。この経営方式は工業企業にとって売れない商品の在庫 リスクを回避することができ,商業企業にとっても代理費を受け取ることで収入を増加す ることができる。その後,代批代銷業務の増加に伴い,国営商業と工業部門の間でより緊 密な関係が結ばれ, 工業企業と商業企業は共同で経営活動をするようになった。これが 「聯営聯銷」である。この方式の下で双方がリスクを負うことになる。具体的なやり方は, 工商双方が管理チームを組み,製品の生産量,品目,品質,販売中の問題等について検討 し,プログラムを決定する。商業部門は具体的に商品の仕入れ,販売と在庫管理などの業 務を運営し,価格の面ではメーカー希望価格あるいは生産コストと税金に準じて設定する ことになる。すべてのコスト,損失と利益は商品販売中に果たした役割によって一定の割 合で分配されることになった。代批代銷と聯営聯銷の経営方式は工業部門の自販能力の不 足の解消に役立った。1982年12月に,全国百貨店業界団体の会合が開かれ,全国の大型百 貨店において軒並み採用された。 2.2.2 大型百貨店における経営方式の変革の第2段階(1984~1986年) 1984年2月に,国務院による「協同組合組織と個人による農副産品の販売・運送に関す る規定」で売買双方による自由交渉が認められ,卸売と小売併存の経営方式が可能になっ た。大型百貨店は工業企業から直接商品を仕入れることも認められた。同年,中国計画経 済期の低効率経営の状況に関する問題について,「商業部の都市商業体制改革における若 干の問題に関する通知」が公布され,商業部によって国内商業の行政管理機能が再確認さ れた。これにより,中国の商業改革が本格的に始まった。政府の商業体制改革は当時の国 営商業を「自主経営,リスクの自己負担」の経済主体に転換させることを目的とした。改 革が始まって間もなく,国営の大中企業が経営の自主権を獲得した。しかし,市場への対 応は容易ではなく,当時,多くの百貨店にとってどのように商品を仕入れて価格設定する のかが新たな課題となった。このような局面に対応するため,百貨店は工業部門との新た 荊国良ほか(1989)5253ページ。 同上。. 319 ─ 113( ) ─ .
(10) 第60巻 第2・3号. な経営方式である「引廠進店」を導入し,自主経営の補充部分として政府に認可された。 引廠進店とは,百貨店が工業企業にテナントを提供し,工業業者が販売員を百貨店に派遣 して自社の商品販売を行い,利益を契約に定めた方法で配分することである。当時,引廠 進店には法律的規定がなく,商業部による大型商業企業と工業企業の引廠進店に関する契 約書が確定された。契約書によれば第一に,引廠進店経営の対象としては全民,集団所有 制あるいは中外合弁の工業企業に限る。第二に,引廠進店の商品は多品種・少量・季節性 などの「名(有名)・優(優良) ・特(特産) ・新」商品および日常生活と重大な関わりが ある商品を対象とする。第三に,引廠進店商品の価格は商業企業の物価部門によって定め られ,正札をつけて販売する。第四に,引廠進店の管理役割分担については工業企業が自 社の販売員の人事管理及び給料報酬を担い,商業企業が現金管理,商品の定価,施設,商 品の陳列などの管理を担う。 当時, 引廠進店は自主経営の補足的な経営方式として百貨 店側にも納入業者側にもメリットを与えたものであった。 まず,百貨店のメリットとして以下の2点があげられる。①十分な商品の供給源の保証 と豊富な品揃えの提供。引廠進店の経営方式は納入業者が積極的に商品を提供することで 供給源が保証される。また一般的に日用生活とかかわる小商品(例えば,品目の多い服の ボタンなど)はバイヤーが十分な努力をしないと,幅広いカテゴリーの商品を取り揃える のが難しい。引廠進店によって仕入れた商品は重複が少なく,しかも簡単に幅広い品揃え を手に入れることができる。②経営コストの削減。引廠進店では百貨店は製造業者から商 品の提供と販売員の派遣を受けるため,経営コストを削減することができる。また,百貨 店の流動資金を占用せず,資金の回転率を増加することもできる。 次は,納入業者側のメリットとして以下の2点がある。①価格優位性の獲得。製造業者 は卸売業者を経由せずに直接百貨店に入って商品を販売するので,中間の流通による価格 の上乗せを回避することができる。②効果的な商品説明の手段や一種のアンテナショップ 機能。つまり,製造業者は自社製品や他社製品に対する消費者の反応を店頭で直接確かめ ることができ, 商品企画上の有益な情報を効果的に得ることもできる。1984年,北京市 「西単商場」と「王府井百貨」は真っ先に引廠進店を採用し,結果として大きな経営効果 を収めた。その後,引廠進店の経営方式が全国の百貨店で相次いで採用された。1986年, 長春百貨大楼は72の納入業者と引廠進店を採用した。引廠進店のテナントは308に上って,. 同上。 楊培峰(1990),3839ページ。 方維(1987),54ページ。. 114( ) 320 ─ ─ .
(11) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). 取扱品目は3,300を越えた。 2.2.3 大型百貨店における経営方式の変革の第3段階(1987~1990年) 1987年から中国大型百貨店における引廠進店の採用範囲も急速に拡大してきた。北京西 単商場の引廠進店に関する調査によれば1987年から1989年までの期間において総売上に占 める引廠進店の比率と派遣販売員の比率はともに増加している(表2)。. 表2 198789年における西単商場の引廠進店調査表 総売上(万元) 引廠進店の企業の売上(万元) 引廠進店の売上比率(%) 派遣販売員 百貨店の販売員 派遣販売員の比率. 1987年 46,902 4,3 11.9 9.19 220 78 2.82:1. 1988年 55,036 6,186.8 11.24 305 33 9.24:1. 1989年 51,178 6,589.33 12.88 420 44 9.55:1. 出所:楊培峰(1990)と西単百貨商場引廠進店『協議書』の資料により作成。. また,1989年の1年間において引廠進店の商品品目も急に増えた(図1)。. 図1 1989年北京西単商場引廠進店の商品品目とその比率. 出所:同上. 引廠進店の範囲が拡大すると同時に,出租 店において導入された。出租. 台という新たな経営方式も全国の大型百貨. 台とは,企業が空きの売場を民営の商業者にリースするこ. とである。百貨店の場合,集団・個人経営者に売場を賃貸し,売場の経営権も納入業者に 渡した。引廠進店と出租. . 台の経営方式には本質的な違いがある。第一に,リース対象が. 国良ほか(1989),121ページ。. 115( ) 321 ─ ─ .
(12) 第60巻 第2・3号. 異なる。前者は全民,集団所有制及び中外合弁資本の公有制工業企業を対象とし,後者は 民営の商業者を対象とした売場の賃貸である。第二に,百貨店と納入業者との関係に違い がある。前者は両者が業務提携の関係にあり,後者は売り場に関する単なる賃貸関係であ る。出租. 台の経営方式は1987年から増加する傾向が見られていた。中国河北省石家庄市. 10店の国営大型小売業の調査によれば,うち4店が純粋な引廠進店であり,残りの6店は, 名義上は引廠進店であるが実質的には出租. 台であった。出租. 台が出現した背景とし. ては堅平(1989)が以下の2点を指摘している。第一に,1983年3月,中央政府・国務院 が「都市小売商業とサービス業の発展に関する指示」を発表し,民営の商業に関する指導 方針を明確化したことである。さらに1 984年以降,国有小型企業における経営方式の「改・ 転・租・売」改革 が実施された後,民営の商業者が大量に現れた。これらの民営の商業 者は適当な出店場所を探すのが差し迫った問題であった。第二に,当時,自主経営権を獲 得した多くの国営百貨店が店舗のリニューアルをするため,大量の資金を投入したことで ある。その結果,流動資金,経営管理の人材などが不足する現象が多くの百貨店に見られ, 商品の供給源も制限された。 この状況に対応するため,一部の大型百貨店は民営の商業 者の出店を認めた。出租. 台の下で,百貨店は民営の商業者に国営企業の有形資産(地理. 的な優越性など)のほか,百貨店として優越性がある無形資産(店舗ロイヤルティなど) も民営の商業者に提供し,彼らにとって理想的な経営場所であった。一方で百貨店にとっ ても,出租. 台の経営方式は資金を占用せず,賃貸料で収入を確保することができ,資金. 不足の解消の一翼を担った。出租 された。しかし,当時,出租. 台の経営方式は多くの国営百貨店によって急速に採用. 台の経営方式に関する規定の法律が整備されなかったため,. 類似商品が大量に出現し,百貨店内部の競争を引き起こした。加えて,民営の商業者に対 する管理は難しく,偽ブランド品が百貨店の全店舗内で氾濫した。偽物を完全には取り除 けない, 民営の商業者が百貨店側の規定に従わない等の問題が深刻になり,百貨店のイ メージは損なわれた。1989年,北京市政府により「北京市商業服務業企業出租 行弁法」が公布され,北京市では大型百貨店の出租 れた。その後,北京市内の大型百貨店においては出租. 台管理暫. 台の比率は全体の30%以下に制限さ 台の比率は若干低下したが,当時,. ほかの都市において出租 台に関する制限がなかったので,拡大する一方であった。また, 堅平(1989)35ページ。 「改」は国家所有,集団経営に転換するが,納税や損益は経営者の責任であること。「転」は完 全に集団所有に転換すること。「租」は飲食サービス業, 修理業務関連の零細小売店舗を個人の 経営者に貸し出すこと。 「売」は郊外や利益率の低い店舗,赤字の零細小売店舗,一部の飲食サー ビス業を入札方式で個人や企業に売却すること。 堅平(1989)34ページ。. 116( ) 322 ─ ─ .
(13) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). 引廠進店を規制する法律が整備されていなかったため,その比率も次第に拡大した。 要するに,1980年代から1990年代初頭まで,百貨店の経営方式は自主を中心とし,補助 的な経営方式として「聯営聯銷」,「引廠進店」と「出租. 台」が採用された。この三種の. 経営方式は,現在多くの百貨店で採用された聯営方式の萌芽形態であり,このことに関し ては第3節で改めて述べる。このように,一連の流通政策によって経営主導権を獲得した 百貨店は大きな収益を収めた。中国国家統計局による全国主要29店の大型百貨店について の調査によれば1980年から1988年まで平均売上高総利益率は12.70%から14.34%に上昇し た。百貨店が高収益を高めた主な要因としては,以下の3点が挙げられる。第一に,当 時,小売業態が単一的,業態間の競争がほぼなく,百貨店の数も少なかったことである。 第二に,改革開放の前より市場物資の不足が少し緩和したが,それでもまだ需要過剰の状 態であったことである。第三に,政府の一連の商業改革が功を奏したことである。. 3. 百貨店の経営環境および自己革新(1990年代前半). 1990年代初頭から中旬までの中国は高度経済成長期に入り,国内総生産の成長率が毎年 12%を超え,食料品,衣料などの生活必需品や家電製品などの耐久消費財の分野で個人消 費が大幅に拡大した時期であった。 小売分野では,改革開放後の商業改革が実施された 結果,百貨店も配給機関の役割から脱却し,小売業としての百貨店の姿を取り戻し始めた。 特に1 990年代前半においては百貨店の発展に影響を与える環境要因として,以下の2つが 重要と考えられる。第一に,政府の商業改革により百貨店自身の経営改革への意欲が高揚 したことである。第二に,対外開放政策による外資企業の大量参入と多様な業態の同時的 な出現により業態間の競争が加速し,国有百貨店の経営近代化が要請されていたことであ る。このような政策と市場環境の中で大型百貨店は自己革新を行った。その主な内容は, 新規大型店舗の増加や既存店舗の改装・増床と,品揃えやサービス水準の強化である。. 3.1 政府政策と市場競争の環境 計画経済時代の百貨店は政府の配給機関として設備投資から経営管理までのあらゆる経 営権限が行政部門に支配されていたため,経営革新への意欲を抱くことはほぼなかった。. 丁東城(1994)3~5ページ。 国家統計局貿易物資統計司(19521988)。 中国統計年鑑(1996)。. 117( ) 323 ─ ─ .
(14) 第60巻 第2・3号. 1978年からの経済体制改革の成果で1 990年頃からは,開放市場の中で物資不足も緩和され, 需要過剰から供給過剰に市場が変化し,消費者の生活スタイルにも大きな変化が起き,需 要も「量」から「質」の要求へと転換した。また,1980年代末から多くの新たな業態が出 現したことにより業態間の競争が激化した。それに加えて,1990年代,大都市の旧市街地 の再開発にともない地価が高騰したことにより,都市人口の郊外への移動が活発になった。 それにもかかわらず,多くの大型百貨店は都市の中心部への出店を競い,狭いエリアに大 型店が集中しすぎた結果,都市中心部はオーバーストア状態に陥り,競争がますます激化 した。これらの市場環境の変化を背景として,百貨店は改革しないと生き残ることができ ないとの意識が強まってきた。1990年代前半の百貨店は政府の開放政策と一連の経営改革 を通じて大きな成長を遂げた。 1992年に,「中国共産党1 4期三中全会」が行われ,社会主義市場体制の形成という経済 改革の目標が決定され, 中国の流通近代化は新たな段階へ入った。 同年7月に,「商業小 売分野の外資利用問題に関する許可」が公布され,6つの沿海都市と5つの経済特区にお いて,中国と外国資本の合資あるいは共同経営による商業小売企業の試行が認められた。 1992年から1995年まででは外資百貨店の進出期とも呼ばれる時期であり,中国本土の百貨 店に大きなインパクトを与えた。 表3からみると,1992年から1995年まで, 中国市場に進出した外資百貨店は,シンガ ポール資本である燕莎商厦,日本の伊勢丹,台湾の太平洋百貨,香港の新世界百貨等,ほ とんどがアジア資本である。外資百貨店の参入初期は,中国と外国企業が共同出資の方式 で中国市場に参入した。百貨店の内部管理の面では,多くの百貨店が外資企業に委託する 方式を採用した。それは外資企業の管理技術に関しては,政策による制限がないことと, 外資百貨店は先端の管理技術とノウハウを持っていたことによる。これらの理由から,多 くの百貨店は外資企業に管理費や株式譲渡などの方式で経営管理を委託していた。たとえ ば賽特購物中心は開店当初,経営管理を毎年,20 , 00万元の委託料で日本のヤオハンに委託 した。以下では,日本のヤオハンと伊勢丹を例としてマーケティング手法を説明したい。 日本資本の賽特購物中心は1992年12月に開業した。開業当時の賽特購物中心は豪華な店 舗構造と良いサービスでたくさんの顧客を集めた。外国に行ったことがない客にとって, このような環境の中での買い物は初めてという人も大勢いた。また,店内で自由に商品を 選び,自由に試着できることも珍しかった。賽特購物中心は高価格で中国の富裕層を吸引 矢作ほか(2008)28~29ページ。 同上書81ページ。. 324 ─ 118( ) ─ .
(15) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). した。賽特購物中心の開業当初,一部ブランド品の最低価格は,例えばイギリスのロレッ クスの腕時計が15.5万人民元,ドイツのモンブランの万年筆は0.79万人民元,フランスの ラコステの革靴は08 . 0万人民元,等という高価格が普通であった。1993年,日本の伊勢丹 は上海華亭集団と上海国際購物中心との共同出資で「上海華亭伊勢丹」を設立し,積極的 なマーケティングを行って大きな成果を収めた。伊勢丹の採用した小売ミックスは,具体 的には以下の通りである。①立地。伊勢丹は最初,上海の繁華街で立地し,8,000m2 の店 舗面積の4階建てであった。②店内設計。伊勢丹のフロア設定については1階にアクセサ リー,雑貨,化粧品,2階に婦人服,3階に紳士服,宝飾品,高級時計など,そして4階 に子供服,玩具, スポーツ用品などのように,当時の中国本土百貨店では珍しい設定で あった。ほかにも,店舗の外観と店内の装飾が非常に豪華にあった。③商品。上海の高所 得層をターゲットとし,高級,高品質,豊富な商品を提供した。衣類品の6割は外国から 輸入した国際的な高級ブランド品であった。④販売促進。伊勢丹の販促も独特の風格があ り,当時国有百貨店で見られない販促も行われていた。たとえば,広告宣伝のほかに,販 売員による高級化粧品のデモンストレーションや祝日など特別な日のイベントが行われた。 中国市場に参入した外資系百貨店の大型で豪華な店舗や先進の経営管理方式は,中国本土 の百貨店にとって手本となった。多くの本土百貨店は外資系百貨店を模倣して新規の大型 店舗の出店や既存店舗の改装・増床を行うとともに,品揃えやサービス水準の強化といっ たマーケティング手法を活用し始め,集客力を高め,高マージンを獲得しようとした。. 表3 19921995年外資百貨店の参入状況 店舗名称 燕莎友誼商城 上海第一八佰伴 上海恵羅百貨 賽特購物中心 東方商厦 伊勢丹 太平洋百貨 上海巴黎春天 新世界百貨 美美百貨 北京百盛購物中心. 参入時期 (年) 1992 1992 1992 1992 1993 1993 1993 1993 1993 1994 1994. 投資の国名・企業名 新城集団(シンガポール) ヤオハン(日本) 申海(香港) ヤオハン(日本) 上海実業(香港) 伊勢丹(日本) 遠東集団(台湾) 美勝発展(香港) 新世界集団(香港) 華鐙集団(香港) 金獅集団(マレーシア). 出所:『中国百貨行業発展報告』より作成。 中国品牌網のホームページ。 謝(1997)29―30ページ。. 119( ) 325 ─ ─ . 参入方式. 参入都市. 合弁 合弁 合弁 合弁 合弁 合弁 合弁 合弁 独立資本 合弁 合弁. 北京市 上海市 上海市 北京市 上海市 上海市 上海市 上海市 武漢市 上海市 北京市.
(16) 第60巻 第2・3号. 中国本土百貨店の新規出店は1991年から急速に増加した。店舗数からみると,1991年の 。 94店から1995年の624店に増え,5年間だけで6.6倍も増加した(図2). 図2 全国大型百貨店(130社)の店舗数推移. 出所:同上. 店舗の増加は北京で目覚ましい。北京では5年間に新築の国内百貨店と外資百貨店が合 わせて54店もあり,全国で最も店舗が増加した。北京だけではなく,ほかの大都市にも同 様な傾向が表れている(表4)。 表4 主要都市の大型百貨店の出店状況 都市名. 期間(年). 新規出店数(店). 北京市. 199195. 54. 上海市. 199294. 30. 天津市. 199195. 15. 武漢市. 199195. 23. 長春市. 199194. 14. 出所:謝憲文(1998)。. 営業面積の増加は上海で著しい。5年間に営業面積は3.44倍に増加した。多くの老舗百 貨店は陳腐な店舗を改装・増床にすることで集客力を高めた。1992年から1995年までの間, 上海の大型百貨店のうち6 9店が改装・増床を行っており,その面積が152万m2 もあり,122 億元の資金が投入された。その中で1万m2 の百貨店は54店があった。北京では王府井百 貨大楼と西単商場は全面的な改装を行った代表例である。とりわけ西単商場は1992年から 1995年にかけて2回の改装を行い,売場面積も改装前の13 . 万m2 から3万m2 に増加した。 さらに,1995年に本店の3階と4階の売場改装が行われ,面積が8,560m2 に増加した。ま た,1992年,大連市内の大連商場も売場の増設を行い,面積を4.2万m2 に拡大した。 王燕平(2008),5ページ。 同上6ページ。 同上7ページ。 謝(1998)51―52ページ。. 120( ) 326 ─ ─ .
(17) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). なお,1990年代初頭,百貨店と異なる新しい業態がほぼ同時期に出現した。この時期, 外資系のコンビニエンス・ストア( CVS )や総合スーパー( GMS )が中国市場に参入す ,スーパー などの新たな業 るとともに,中国国内の資本がショッピングセンター(SC). 態を展開するようになった。例えば,中国市場に参入した CVS としては1 992年10月,イ トーヨーカ堂グループのサウスランド社が香港の企業と組み,エリアフランチャイズ方式 で深. にセブンイレブンを5店舗同時に開業した。中国における SC の開発は1 990年代半. ばから始まっており,主要都市における SC の代表的な店舗は,北京市の万通,新東安, 国貿,友誼南方商場,広州市の天河などがあげられる。新しい業態は1990年代初頭から中 国の各地に登場し発展し続けており,中国小売市場の競争を激化させた。特に国内自発の SC は外資系小売企業の経営ノウハウを吸収するとともに,都市の中心部に立地し,豪華 さを追求するために店舗に莫大な資金を投資し,集客力を高めた。. 3.2 百貨店の経営方式の変革 1990年代初頭,中国の大型百貨店の経営方式はまだ自主経営を主としており,引廠進店 と出租. 台は補助的に採用されるにとどまっていた。しかし,出租. 台の経営方式は百貨. 店に大量の偽物や劣悪な商品をもたらし,消費者の間で百貨店に対する不信感が高まった。 1991年,国家商業部も出租. 台の問題について新たな規定をし,出租. 台の比率は15%を. 超えることが禁じられた。引廠進店に関しては,法律が整備されておらず,これらの方式 の比率が次第に拡大した結果,百貨店に様々な問題をもたらした。最も問題になったのは 引廠進店による派遣販売員の管理と出租. 台による百貨店イメージの低落の問題である。. 引廠進店を採用した百貨店の販売員は納入業者から派遣されたため,従業員は部外者の立 場になってしまい,百貨店に十分な忠誠心を持たないという問題が生じた。納入業者と百 日本の SC はディベロッパーより計画,開発されるものであり,次の条件を備えることを必要 とする。小売業の店舗面積は 1,5 00m 2 以上であること。キーテナントを除くテナントのう ち,小売店舗が10店舗以上含まれていること。キーテナントがある場合,その面積が SC 面積 の8%程度を超えないこと。但し,その他テナントのうち小売業の店舗面積が1,500m2 以上であ る場合には,この限りではない。テナント会(商店会)があり,広告宣伝,共同催事等の共同 活動を行っている(日本ショッピングセンター協会のホームページを参照)。中国の SC は社区 型 SC,市区型 SC と郊外型の SC に区別している。社区型 SC は建築面積が5万m2 以内に,小 売店舗が20~40店舗含まれている。市区型 SC は建築面積が1 0万m2 以内に,小売店舗が40~100 店舗含まれている。郊外型 SC は建築面積が1 0万m2 以上,小売店舗が200店舗以上含まれている (中国の「零售業態分類規範意見(試行)(2004)」を参照)。 中国の SM は超級市場と大型超級市場という2タイプに分けている。超級市場は店舗面積が 1,000m2 前後であり,セルフサービス方式を採用し,生鮮食品及び日用雑貨等生活必需品を主に 取り扱う業態である。②大型超級市場は店舗面積が2,500m2 以上であり,セルフサービス方式を 採用し,生活実用品を中心に取り扱い,ワンストップショッピング機能を完備する業態。 柯麗華(2007),91~95ページ。. 121( ) 327 ─ ─ .
(18) 第60巻 第2・3号. 貨店との間でトラブルが発生した場合,従業員は自身の利益を考慮して納入業者側に傾き, サービスが悪化する等の問題も避けられない。テナントの利益を優先して百貨店全体とし ての利益を無視するような問題もしばしば発生してしまう。また,集団・個人経営者にカ ウンターを賃貸する出租. 台の経営方式は百貨店に大量の偽物や劣悪な商品をもたらし,. 百貨店のイメージを損ねてしまった。こうした事態に対して,百貨店の信頼を取り戻すと 同時に,市場に活力を与える多種多様な経営方式を全面的に維持するための法整備が喫緊 の課題になってきた。1995年11月,中国貿易部(元商業部)は「国有大中型小売企業の引 廠進店管理に関する暫定弁法」を公布し,引廠進店の実施内容に関して新たに規定した。 具体的には,引廠進店において,仕入れ・販売・在庫管理,会計や領収書の発行,税金の 支払い,消費者からの苦情への対応などを百貨店が統一的に管理するなどの内容が定めら れた(同弁法の第2条) 。 同弁法の第5条においては引廠進店の売場面積が店舗総面積の 20%に制限された。また,同弁法の第12条では,国有大中型店舗の出租 引廠進店の名目で出租. 台が禁止され,. 台を行うことも禁止された。このように法的に明確な規定がなさ. れた引廠進店は聯営制とよばれるようになり,後述の通り2000年代初頭に,一つの経営方 式として一般の大型百貨店に定着した。. 4. 百貨店経営資源の不足と聯営制の発展 (1990年代後半2000年代初頭) 1990年代後半から2000年代初頭までの百貨店は成長に陰りが見え始めてきた。成長の急 激な鈍化は,百貨店業界での競争圧力を強いる結果をもたらした。他業態だけではなく, 業界の中でも過当競争と摩擦が生じ,厳しさを増す市場環境に直面することになり,販売 不振や収益悪化などで倒産した店舗も出てきた。1996年,「北京信特商業中心」は大型百 貨店では経営初めて倒産した。1996年1~4月,多くの百貨店は生き残るために,大幅な 値引きなどの販売促進を行った結果,平均利潤率も1995年の9.71%から2000年の2.7%へと 大幅に減少した。1998年,上海でも中堅の心族百貨,万邦百貨,瑞興百貨等が営業停止 2000年代以降,聯営制の代表的な研究者である李飛と陳立平は引廠進店から聯営制への転換を 指摘した。李飛(2010)によれば,1980年代,国営商業と工業部門の間でより緊密な関係が結ば れた聯営聯銷は,現在多くの百貨店で採用された聯営制の萌芽形態であり,その後,1990年代半 ば,「国有大中型小売企業の引廠進店管理に関する暫定弁法」が公布され, 引廠進店に対して法 整備を行った後,聯営制は一つの経営制度として一般の大型百貨店で使われるようになったと整 理されている。陳(2011)は引廠進店から聯営制への転換を明示的に述べたわけではないが,聯 営制が一つの制度として1990年代後半に登場した「ブランド型百貨店」に定着し,2000年以降, ブランド型百貨店の多店舗展開と他の地方百貨店への経営ノウハウの移転に伴って聯営制は主要 な経営方式として普及した,と指摘している。 同上,9―10ページ。. 122( ) 328 ─ ─ .
(19) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). に追い込まれた。この3社とも多額の負債(納入業者の商品代金と銀行の負債)を抱えて 営業停止した。1998年から全国の多くの大型百貨店は業績悪化で相次いで休業・倒産し, 2002年までに休業・倒産した大型百貨店が30店を上回った。 そのうち, 高額の負債で倒 産した百貨店が過半数以上を占めている。1998年,全国213店大型百貨店の調査によれば, 百貨店の平均負債率は57.04%を超え,前年同期と比べて5.9%を増えた。なお,その中で は,負債率が70%の百貨店は91店があり,80~100%の百貨店は66店があった。 大型百貨店の業績悪化の原因については, 様々な指摘がある。 以下では, 主な要因と して2点に注目したい。 第一に, 政府の政策である。当時,中国では大型店の出店を規制する法令が存在しな かった ため,大型百貨店は無計画な過剰開発により盲目的な出店を繰り返し,他の百貨 店と出店地域が重複することがしばしばあった。政府の政策は,むしろ国内消費の刺激や 需要牽引のために,大型百貨店への投資を奨励する傾向があった。地方政府にとっては, 大型百貨店の建設数と規模は都市の発展の程度を示すものであり, 政治的業績の指標と なっていたため,大型百貨店の建設を力に入れた。また,大型百貨店の投資費用は政府が 融資するので,多くの大型百貨店の投資者は政府の意図に応じて資金面の援助を獲得しよ うという意図もあった。 第二に,過当競争である。大型店を規制する法令が不整備だったため,多くの百貨店が 都市部の繁華街に出店した結果, 狭いエリアに大型店が集中し,同業態間の過当競争に. 『中国百貨行業発展報告(1999~2008)』の資料による。 華熙(1998),43ページ。 例えば,謝憲文(1998)によれば,業績悪化の要因として,商業再開発の計画性の欠如による 盲目的な出店のほか,立地戦略と客層の選定の誤り,大都市の地価高騰に伴う賃貸料の上昇を挙 げた。呉小丁(2000)はマクロ的な視点から,大型百貨店の衰退については経済情勢と需給関係 の変化,比較的低い参入障壁,経営理念と管理技術の立ち遅れ,不健全な市場状況の4点を指摘 した。葉 (2004)は垂直的競争,水平的競争,異業態間競争と商業集積間競争から,第一に, 外資百貨店の参入による国営百貨店への影響(垂直的競争, 水平的競争) , 第二に, オーバース トア状態による生産性・収益性の悪化(水平的競争),第三に,新業態の出現による競争激化(異 業態)という3つの競争要因について分析している。 日本では中小小売店保護を目的とした大型店の出店規制は戦前の「百貨店法」に始まり,戦後, 1956年に制定された「第二次百貨店法」や19 74年に施行された「大規模小売店舗法(大店法)」 に引き継がれた。こちらの規制により,駆け込み出店や盲目的な出店が抑制され,競争が緩和さ れ,小売業界全体に対して過当競争を抑制するという効果があった。なお,大店法は2000年に廃 止され,新たな大型店周辺地域の生活環境の保持を目的として「大規模小売店舗立地法」が施行 された。一方,当時の中国では大型小売店に対する出店規制がなかったため,各社が無計画に出 店した結果,過当競争を生じさせてしまい,百貨店の収益悪化の一因となった。中国の大型小売 店の出店に対し,2002年には,国家経済貿易委員会は市場競争を改善するために,今後各地方政 府が都市の商業立地計画を強化する必要があると発表した。現在,新店舗の開店は,都市計画, 地域の経済発展水準との整合性,既存商業施設数,業種・業態の構造,地元の交通,環境と雇用 に対する影響などを総合的に考慮した上で判断しなければならない。 国家経済貿易委員会のホームページによる。. 329 ─ 123( ) ─ .
(20) 第60巻 第2・3号. 陥った。さらに,新業態の相次ぐ出現による異業態間の競争や外資系百貨店の参入も,競 争の激化に拍車をかけた。 改革開放期には政府の政策や市場環境の変化により大規模な成長機会が発生し,百貨店 がその高度成長に対応するためには,必要な資金を調達し,人材を確保して競争優位性を 獲得すべきであったが,その必要な経営資源を十分に確保することができなかった。. 4.1 人的資源の不足 90年代,中国政府改革開放政策による百貨店の増改築,外資百貨店や新業態の進出によ る競争の激化という環境に対応するため,店頭での販売員の補充が必要となったが,これ は困難を極めた。 周知のように,百貨店は典型的な労働集約型産業であり,販売技術や専門的な商品知識 を持つ人材の確保・育成を通じて市場環境の変化に対応する能力を蓄積することが必要 だったにもかかわらず,当時,この課題を無視したままで積極的な成長行動を展開した。 百貨店の店舗数や営業面積が大幅に増加する一方で,百貨店の営業面積1m2当たりの従業 員数は1997年の00 . 75から2003年の00 . 27まで減った。売場運営の効率化などにより人的資 源の利用率が増加したという可能は排除できないが,より蓋然性の高い理由として,百貨 店規模の拡大に対応する人的な資源の確保ができなかったことが挙げられる。 このように,90年代後半の百貨店は人的資源の不足という局面に直面した。北京の当代 商城のトップマネージャーは「現在,我が社だけではなく,多くの百貨店は急速に大規模 化や多店舗化が進んでおり,管理技術や人材の短縮という企業の『貧血』現象の発生も仕 方がないが……(中略)……これから,納入業者との共同経営をさらに拡大して管理人材 を確保しなければならない」 と語っている。200 0年頃,多くの大型百貨店は人的資源を確 保するために,聯営制と結びついた納入業者からの派遣販売員を増加することで対応した。. 4.2 資金の不足 これも前に述べた通り,高度経済成長の中で,百貨店は同業他店や異業態との市場争奪 戦を勝ち抜いていくためには,増改築・新規出店,店内のディスプレイなどへの投資が急 務であったため,百貨店の経営コストは上昇し経営を圧迫していた。表5からみると,固 定資産への投資が次第に増加し,流動資産とほぼ等分の割合で投資したことが分かる。こ 『中国統計年鑑』1998,2003,2004年版により計算した数値である。 『流通雑誌』「視点・商人心語」2001年1月号。. 330 ─ 124( ) ─ .
(21) 中国の大型百貨店における聯営制の形成と制度化の過程(朱). のことから社内の利用可能な資金も次第に減少しており,各企業が規模を拡大しようとし たら,外部から資金を調達せざるをえない状況であったことが分かる。実際,表5からみ てもわかるように,1990年代後半から2000年代初頭において百貨店は外部から調達した資 金が70%を超えている。このことからも資金の不足が容易に推測できる。. 表5 限額以上百貨店の資産運用状況(単位/上段億元,下段%) 年度 1997 1998 1999 2000 2001 2002. 流動資産 791.0 (56.70) 930.07 (41.86) 951.9 (40.01) 986.0 (41.55) 1,070.7 (42.56) 1,176.3 (44.38). 資産の運用 その他の 固定資産 資産 360.7 243.6 (25.85) (17.46) 996.52 295.38 (44.85) (13.29) 801.3 567.9 (34.52) (24.47) 1,048.6 338.3 (44.19) (14.26) 1,085.4 359.5 (43.15) (14.29) 1,089.3 384.9 (41.10) (14.52). 資産合計 1,395.5 2,221.97 2,321.1 2,372.9 2,515.6 2,650.5. 資金調達 内部資金 外部資金 (純資産) (総負債) 259.3 1,245.3 (17.23) (82.8) 310.9 1,561.3 (16.61) (83.40) 425.6 1,338.3 (24.13) (75.9) 436.3 1,706.2 (20.36) (79.64) 503.8 1,778.2 (22.08) (77.92) 596.2 1,899.4 (23.89) (76.1). 合 計 1,504.6 1,872.2 1,763.9 2,142.5 2,282.0 2,495.6. 出所:『中国統計年鑑』各年版により筆者作成。. 前に述べたように,中国の大型百貨店は政府の奨励で1990年代から凄まじい勢いで出店 と増床を行い,店舗建設への投資費用が過大になった結果,様々な財務的問題が表面化し てきた。上海市では1997年において1m2 当たりの建設費は8,000元を超え,1990年当時の 20.5倍となっていた。鄭州市では百貨店1m2 当たりの建設費はすでに5,000元を超えてお り,1990年に比べ25%も上昇した。また,1997年,鄭州百貨大楼の出店費用は2億元に 上り,それがすべて銀行の借入金であるため年間の金利だけで2,000万元あった。 以上のように,中国の大型百貨店は1990年代以降,激烈な市場競争環境の中で競争優位 性を保つために,店舗の豪華さや大規模化を図り,資金を固定資産に重点的に投入した。 その結果,1990年代後半以降,流動資産の不足という問題が表面化した。多くの百貨店は 資金不足に対応するために,納入業者との聯営比率を拡大し,営業費や人件費の節約で経 営不況から抜け出そうとした。. 『市場報』,1997年1月14日付。 同上,1997年9月30日付。. 125( ) 331 ─ ─ .
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