日中経済交流の新段階
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(2) 今日中国は世界の革命と反帝国主義運動の中心であり, その神聖な基地で あるという姿勢をますます鮮明にしている。 中国は共存外交をみすて国際的 孤立状態の感を呈しているが(むろん中国自身が孤立化政策をとっているの か, 日米両国が孤立化せしめているのか, ということについては文革という 事態の特殊性を考えた上での議論をしなければならないであろうが, ともか く 68 年にはいり文革が収束段階になるとともに強硬外交にも若干の軟化傾向 がみうけられる),. かかる事態のなかに おいても毛沢東こそ世界の指導理念. であると主張し, かってレ ー ニンがコミンテルンを創設したように, あたか も今日の国際共産主義運動の修正主義的崩壊のなかから毛崇拝を至上命令と. ,,. する国際運動を展開しようとしているのである。 つまり中国はその対外政策. の基礎に, 毛沢東思想による世界革命の達成という強烈な使命感_精神的 基盤 ーー をもっているのである。 このような情勢下において, 日中間の経済関係はいかなる現状におかれて いるのか, 日中関係において, 経済交流が双方の国民の間の友好を促進し, 双方を理解する上にきわめて大きな役割を果していることは事実である。 し かし同時に また, 政経分離の立て前から国家間の 友好関係の増進と正常化 —と経済(貿易の拡大発展) とが分離された形でおこなわれることによっ て, 日中間にきわめて重要な問題が未解決のままにのこされてしまっている こともたしかである。 1960 年末の日中貿易再開後(LT貿易は62年末),. 「吉田書簡」「窓ロ 一本. 化」など 日中貿易の発展を阻害する要因がひきつづいて 発生しているなか で, 年々拡大を続けてきた取引高が67年にいたり急減したことは, 日中間の 経済交流にとって 一 つの曲り角を示すものであった 。 かかる 事態の背景に は, いうまでもな く, 文化大革命による中国国内情勢の混乱と, 67年の日米 会談を頂点とする日本の対中国政策にあることは明らかであった。 日中貿易 は再開以来毎年20 � 30 %も伸張し, 66年には6億2 100 万ドルにも達したので あるが, 67年を通じての通関実績は5 億 5 ,700 万ドルで 10 .2 %の減少となっ - 175 (1791) -.
(3) てしまった。 67 年にいたり日中貿易が数 年ぶりに減少した原因は後述するよ J うに種々あげられるが, その一 つとして文革による中国国内の混乱が国内輸. t. 送や港湾荷役 をマヒさせてしまったことは明らかであった。 文革の混乱が貿. . ... 品而にはねかえってきたといえるだろう。 実際LT貿易( 68 年より正式の名称が日中覚書貿易と改称) と並んで, 日. ... 中貿易の車の両輸といわれる友好貿易も混乱状態であった。 第 2 2回中国輸出 商品交易会 ( 67 年11月15日から 1カ月間開催) を視察したときも, 過去のど の交易会にもみられなかった異例続きのものであった。 激しい武闘流血事件. .. による1カ月 の遅れ(例 年では1 0月15日から1 カ月間),18年ぶりの茨来ンド. .. 平価切下げによる商談一 時ストップ(日中貿易の決済は, 鬱 :.. 殆んどポンド建て. `. だったから,. `. 切下げによって日本友好商社の 輸出契約は 約8イ意円の為替差. 掴, 輸入には 約1億円の差益 を生じ,. `. 差引き約7億円の損失にのぽるとい. ... う), 解放軍厳戒下の開催, という波乱である。 見本市会 場にあてられてい る広州市海珠広場わきの中国輸出入陳列館の周辺も多数 の解放軍によって笞. • 備されていた。 と くに広州(広東省)では反毛派の勢力きわめて大き く, 67 ヽ 年7 月 以来政府, 軍当局者との間に激しい武闘が展開されており, 一時は内. .. ● 戦 一 歩手前といわれたほどであった。 滞在中も反毛派弾圧と見本市中の治安. 維持のために多数の人民解放軍が市中 を密備していた。 見本市終了後解放軍 ti .'=● が撤退すると同時に武闘が発生したといわれるが, 広東省は厳しい軍事貸制. 下におかれていた。. そうしたなかにも世界 90カ国から 約 7000人の業者が参. 加し約30万件の契約がとりかわされたのである。 日本からも 2 65社,約8 50 人 日中間の成約は, 日本の輸入4 170万ドル, 輸出8 200万ドJレ, 輸出入合. ヽ. され,. .. という史上最高の商社員が派遺(第23回広州交易会はさらにそれを上回る) 計 1億2300万ドル(鉄鋼, 大豆 をはじめ繊維, 製油原料, 食品など)となっ た。. ". ... ヽ .:. を記録した。 " 中 国側にとっては, 赤字約4 000万ドルと史上最高 中国輸. r .. 出の激減は文革の影幣で国内の輸送力が落ち, 原料炭などの鉱産物はもちろ. ,,.. 量 ん, 農産物の輸出港への梨荷が停滞したためでもある。 また輸入激増は, 第. - 17 6( 17 92) -.
(4) 3 次5カ 年計画を推進するため鉄鋼を 5000万ドル以上も買入れた ためとい われる。. 2 このような状況下に開かれている交易会にと くに関心が寄せられているの は, これが文革下の中国経済の実情を知る上のバロメ. ー. タ ー となるからであ. った。 すなわち, 奪権闘争から武闘へ, そして大連合, 三結合による革命委. .�. 員会方式へと進んだ文革が, 中国経済に「革命をつかみ, 生究を促進する」 新局面をつ くりあげたのか, それとも混乱と打柴をあたえたままなのかを占 なう ― 政治と経済発展の見せ場となる 一一 絶好のバロメ. ー. ターだからであ. った。. .... 画の毛沢東肖像, 真紅の毛語録と 革命スロ. ー. ゜. 中にl輸出入陳列餡には毛思想万歳の大看板が掲げられ, 館内も油絵や水彩 ガンが 1-8階までぎっしりと. 掲げられ, まさに毛思想の売り込みに躍起である。 毛沢東思想の宣伝が商売 に先行したかたちで. 汀. 革命の輸出ミ熱もきわめて激しい。 ただ67年春の交易. 会は「政治学習」 「政治闘争」に璽点がおかれ, 熱狂的な毛沢東思想の学習 が行なわれていたのであったが, それに くらべると今 次のそれは熱狂的とは .. 疇 いえ, そのなかにも地味ながら, かえって学問的芸術的な深味のある学習が. 熱心に組織されていたのである。 各公司とも組織ぶりがそれぞれ異なってお. ー 、. り, 最も砧極的な紡織品公司の交易団では, 革命歌のレッスンをしたり, 公 司が政治機閃に依頼して講師を招き毛沢東思想を宣伝させるという状態であ 乞―. る。 第 2 2回交易会に出品された嬰• 工業産品は3万点近くにのぼり, 前回よ り実に1万点の増加である。 それに量だけでな く, 紡織品や医療器械などは 質的水準が高く なったといわれるが, それらは前評判通りめだったものの一 つであった。 この広州交易会における日本からの輸出の大部分は鋼材であり (全輸出の約80 %を占める), 鋼材一辺倒の性格をもっていた。 日本の業界 にとっては, 機械類など納期の長い商品の輸出はボンド不安がたたり振わな - 177(1793 ) -.
(5) かった(日中覚書貿易の決済問題に関する話し合いは4月, これまでの英ボ ンドにかわってフランス ・ フランを採用することで合意が成立したが, 国際 通貨危機が表面化してから決済通貨の切り替えが行なわれたのは最初で, ボ ンドの地位低下と, ドル・ ポンド体制に対するフランスの攻勢を応援する中 国の姿勢を実証するものといえよう)。. 中国側は大豊作と宣伝しながら農産. 物商談をほとんど出さず(とうもろこし, 東シナ海のえび, 兎肉, 甘ぐりな ど), したがって予想に反して鉄鋼交易会の感を呈していた。 1967年第2 2回広州交易会成約概況 日 本の輸出 金 額(米ドル) — —, ― ―--—... . ..- -—.. — -•• ·-•三 繊維及び繊維製品. 5,691,600. 紙及 び紙製 品. 736,320. 化学品及化学製品. 7,418,400. 金属及 金 属 製品. 60,000,000. 機. 械. 輸. ^. そ の 他 出. ロ. 計. 8,096,400 81,942, 720. 日 本の輸入. 金額(米ドル). 食料及類似原料 繊 維及繊 維原料 動物及植物産品 石油及油脂ろう 化学原料及製品 金属及び金属 鉱 物 非鉄金属鉱物及石炭 その他医 薬品 ・ 工芸品繊 維 製品 輸 入 合 計. 41,715,032. 20,129,280 4,884,240 2,743,200 1,749,600 2,714,160 1,844,952 4,049,600 3,600,000. 最近の広州交易会は, 中国側にとっては, 経済発展の度合と毛沢東造反思 想の世界的波及を諸外国に理解させることに重点をおいている。 したがって 中国側はさかんに文革で毛思想が普及し, 大衆の精神力が物質的エネルギ ー となって新局面をつく りだしたということを強調するのである。 中国側の公 式発表でも, 66年においてすでに全面的躍進の局面があらわれたことを主張 しつづけている。 「66年から第3次5カ年計両に入ったが,. 工業戦線では生. 産物の数ばかりでな く, 質, 種類も大きく 発展し向上した。 農業戦線では連 続5 年の大豊作をかちとった …… いまや新しい全面的躍進の情勢が生まれて いる。」そして中国の報道機関は一 斉に 全面的躍進を裏づけるかのような報 道を繰返す。. 農業においては, 人民公社の強固な発展により災害が克服さ. れ, 多く の地方で夏作物の増産が達成, 早稲, 中稲と北方のとうもろこし, - 178(17 9 4) -.
(6) 高梁, あわなども豊作となった。. .. 晩稲と秋作もよく, 雑穀も豊収, 「全国の. 糧食の総生産高はすでに歴史上最高の水準に達している」という。 また綿. `.. 花, 乾燥葉たばこ買付量も増大するなど史上最高の収穫を誇るのである。 こ うしていま中国での, 従来比較的生産性の低かった北方地域への, 南の食糧 を運ぶ, いわゆる. 秤. 南糧北調 ミ の現象が次第に減少しつつあるという。 つま. り北でも食糧を自給しうる地域が増えてきているというのである。 一方工業 面でも, 毛沢東思想に従って企業を迎営することにより, 鉄鋼工業, 化学肥 料, 紡織工業は国家生産計画を超過達成し, 綿糸の生産は前年を大幅にうわ まった, という調子で文革の勝利を宣伝しているのである。 しかしながら中国側の発表をそのまま全面的に肯定することはできないで あろう。 これらの発表にたいして外部の観測筋が疑いを抱いたのは当然であ ろう。 )農業においては最近5 年間の食糧の平均増産率をうわまわり大聾作で ある, という発表とはいえ, 奪権闘争で春耕が遅れそのあと激しい武闘が各 地に広がったことで打撃はやはり大きいとみなければならない。 交易会にお 亀. いても日本との間に主だった農産物商談をほとんど出していないのである。 文革の農業に及ぼす影椀は大きいのであって, 農民の都市包囲は武漢の武闘. .. でもみられたが, これは農業生産をかなり深刻にしたらしい。 毛• 林派にと っては股民の動きが文革にひびいてく るだけに, 58年大躍進の失敗をく りか えさないためにも, 表面的には一 応革命よりも生産に重点をおきつつ混乱回. ... 避に努めているように思われる。 工業の面においても, 工場の奪権, 武闘に よる生産の停止や鉄道港湾のマヒ, さらには労働者のサボ タ ー ジュ, 職場放 菓などで生産は大打撃をうけたであろう。 石炭, 電力, 石油のエネルギ ー 産 業の闘争でこれらの産業の生産が減少し, これに交通運輸部門の混乱が加わ って鉄鋼産業の原料調達に支障をきたし, 鉄鋼産業の受けた打撃が,次に機 械, 化学産業にはねかえっていくという形をとった。 したがって, 工業生産 こそ文革の彩態をまともに受け生産低下は必定であったろう。 66年10 月 9 日 の武漢の10万人集会での周恩来演説も「このような大革命のなかでは生産が. - 179(1795) -.
(7) ヽ 影 替 をうけるのは当然である」とのべ武闘の影響 を 認めているのである。. こ. c. の広州で も67 年 7 月 以来 3カ月 にわた っ て武闘が展開されほとんどの工場が 生産を 停止 または 半停止 し たのである (党機関誌 人民 日報の報 道 を その ま ま受けとるかぎり, 68 年に入ってからの中 国の工業部門は, 奪権闘 争が生み. .,. おと し た混乱の危機から脱出 し 生産秩序の 回 復 へと向っているように思われ る) 。. 3. ... 数年来 (6 3-67 年), 中 国の対外 貿 易 は,. .. �. こ こ. ソ. 述の援 助 打 切 りと 辿続 し. た 日 然災害を克服 し つつ, 自 らの対外貿易構造をかえ,. 一. 応上昇の一 途 をた. .. どって き たといえよう。 第 3次 5カ 年計画の初年度にあたる66 年には, 国 家 計画 を全面的に く りあげ達成 し , その回 復 力 を ますます早めて 進行 し て き た 。 し か し かかる 中 国 の対外貿易 も 文革の嵐が中 国の生産部門に影評 し は じ めた こ とによって, 66年より 減少の頷向 を 示 し はじめた。. 文革で生産, 分. 配, 竹理が阻害された こ とによって, 一時的に 中 国の対外貿 易 がイ,,, び悩んで いる こ とは事実であろう。 中 国の貿易 相 手 国数は現在4 0カ 因に も 達 し , 互い に政府間協定 ( 政府間貿易 協力協定, 経済援助 協定など) を締結 し発展 テ ン ボ を 早めている (中国の現行 貿 易および経済協力 協定締 結 国 は次の通 り 。 辿, ハンガ リ. ー. ソ. , ボ ー ランド, チ ェ コ スロ バ キ ャ , ブルガ リ ア , ア )レバニ ア ,. )レ ー マ ニ ア , 東独, 北朝鮮, モ ン ゴ ル, 北ベトナ ム , キ ュ ー バ ,. パキ. スタン ,. カ ンボ ジ ャ , タ ンザ ニ ア , ネ パー)レ, セ イ ロン, ビルマ , イ ンドネ シ ア , ス ー ダン, イ. ェ. ー. メ ン, ア ラ プ連合, モ ロッ コ , ギ ニ ア , シ リ ア , ザン ビ ア ,. イ ラ ク , コ ン ゴ , 中 央 ア フ リカ , モ ー リ タ ニ ア , ウ ガンダ, プ )レン ジ, ソ マ リ ア , ガ ー ナ , ア ル ジ ェ リ ア , マ リ , ア フガ ニス タ ン,. ユ ー ゴ,. フ ィ ンラン. ド, ケ ニ ア ) 。 こ. の貿 易 およひ経済 協 力 協定の 内 容 をみる と , 輸 出 の面では , 嬰 業生 虹 の. ヽ 雫 た ちなおりのなかで大豆, 油 脂 , 落 花 生, 肉類, 綿布, 生糸, 雑穀が培え,. - 18 0(1796 ) -.
(8) また鉄鋼, 非鉄金属, プラステ ィ ッ ク 製品, 目 転車,. ミ シン, 機械, プラン. ト等の輸出も増えている。 その他潤滑油等の石油製品が64年以降でてきて, ア )レバニ ア , 朝鮮,. ベ トナ. ム に供給, ア ルバニ ア とは66年1 0 月石油 工業借 款. , 暴 供 与 協定が結ばれ, 中 囚の全般的な石油化学工業または採 油 技術の高水準を. •. i. "'· (とく に小麦, 棉花)が 反 映 している。 輸入面では, 砂糖, 小麦など股産物 ゜. a. 地え, 繊維原料と して化学繊維, 合成繊維が増 大 し ている。 化学品では肥料 ゜. と原 料 薬 品 , 機械では化繊フ ラント, 肥料フ ラント, 航空機, 舶船, 建設機. •. 械が目 立 っ ている。 中 国の対外貿易を地域別にみると, 先進国 ( 西 欧,. ..... 日本. で 中 国は 入超), 低 開 発 囚 ( 東i剖 ア ジア , ア フ リカ で 中 国は出超), 共産圏 ( ソ 辿, 束 欧で 中 国 はつねに出超) にその取 引 高を三分 している。 そ し て先. ヽ. 進国 シ. ェ. ア の3 分の1 は 日 本, 低 開 発 国 の3 分の1 を香港, 共産崖の半分が. ソ 辿である。 中 国の対自 由 圏 貿易と対共産固 貿易の比重は, 63 年を境に逆転 したが っ て 中 国の対外貿易品の特徴は, 束南. し後者の哀退がめだ っ ている。 ア ジア. ・. ア フ リカ 向 けの輸出で得た外貨で先進国から機械, 小麦, 肥料など. を買入れるという点 であろう。 中 国の輸出は西 欧 8 カ 国, 香継, 減 っ ており, イ タ リ. ー. , カ ナ ダ, オ. ー. る (67 年の中 国 輸出国 順位は, 香港, ー. ス ト ラ リ ア , カ ナ ダ, ス ウ ェ. ー. 日 本 向 けが. ストラ リ ア 向 けがわづかに増加 してい 日 本, ィ ギ リ ス, 西独, フランス, ォ. デン, ス イ スとな っ ている)。 また 中 国 の輸. 入はオ ー ストラ リ ア からの大量の小 麦, 西独, ィ ギ リ スから資本財 0) 買付け が大半を 占 め イ タ リ ア からの輸入も増加 し ている。 フランスからは横ばい, カ ナ ダ,. 日 本からは低下 している (67 年の中 国の輸入額は 日 本, 西 独 , オ ー. ストラ リ ア , カ ナダ, イ ギ リ ス, フランス, イ タ リ な っ ている)。. ー. , スウ. ェ. ー. デンの順と. したが っ て中 国の貿易 収支は, 66年の 2億1 500万ド )レ の黒字. にく らべ67 年は5100 万ドルの赤字とな っ た。 この こ とは中国国 内 における混 乱が中 國 側 輸 出 減の大半の原 因 をな しているが, その他に ス エ ズ 辿 河 の 閉 鎖 によ って ヨ. ー. ロ ッ パ 向 け 船舶 が航路変更を余 儀な く さ れ た こと, 香 地での 中. 国 人 商店のボイ コ ット続発の結果E川国産消 費物資の需要を減ずることにな っ - 18 1(17 97 ) -.
(9) たこと, また中 国側が積みかえ貿易の 拠点として香港を使用することを好ま なく なったこと, などが原 因にあげられる。. .. 1 960年貿易再開後年々拡大を続け, ことに L T 協定の発足した63年からめ ざましい拡大を続けた日 中 貿 易 は, 66年には往復で6 億2 100 万ドルに達し, 対共産固 貿 易 の なかでは日 ソ 貿易を上 回り第 一位になった。 こ の 原 因 は 日 本 産業界が新市場として中 国を重視したこと, 中 ソ 論争の 影膀で中 ソ 貿易が縮 少したことから 中 国 の 対日貿易拡大 の 槻運が強まったこと, などがあげられ るだろ う 。 その66年には日本 の 対 中 国輸出は3 億1500万 ドルを超え対中 国 輸 出 では世界第 一 位になっている。 こ の 間日本の 貿易全体に 占 める日中 貿易の 比重も63 年 の 1 .1 %から66年には3 . 2 %と上昇, なかでも肥料などは全生産 量 の30 %を中 国輸出に依存するまでに成長したの である。 ところが67 年 の 日 中 貿 易 実績でははじめて前年実績を下 回 った。 すなわち, 輸出は前 年 の3 倍 1500 万 ドルが 2億8 800万ドルヘ8 .5 %減, 輸入は3 億600 万ドルが 2億6 900 万 日本 の対 中 国貿易通関実績 (単位 1,000 ドル) 年 別 l 輸. 入. 39. 328 21, 60 6 14, 903 29,700 40,770 80,778 83, 647 80,483 54,427 18, 917 20,729 30, 895 46 , 020 74, 599 157, 750 224, 705 30 6 , 237 269,439. 11. I. 計. 58,9 61 27,434 15, 502 34, 239 59,8 67 109,325 150,986 140,968 105,027 22,565 23, 455 47,534 84, 480 1 3 7,01 6 310, 489 4 69, 741 621, 387 557,733. ( 出所) 大蔵省通関統計 に よ り 作成 - 18 2 ( 1798 ) -. • 合計10 . 2 9.るi咸, 市場別では 輸出が第 5 位から第 10 位へ 輸入は第 7 位 から第 1 1 位 に 後退した。 さ らに68 年も前 年 よ り縮 少される見通しと なってきた。 その なかでも 友好貿 易 の 比重が前年の67 -70 %増大したのに対し L. .. 19, 633 I 5, 828 I 599 4 , 539 19, 097 28,547 67,339 60,485 50,600 3,648 2, 726 1 6, 639 38, 4 60 62, 417 152, 739 245, 036 315, 150 288, 294 I. 輸. T (覚書 ) 貿 易 の 減少が 目 立っている (日中 貿 易 の な かにしめる L T の 比璽は63 年 の 往復4 6 .3 9.るから年々低 書. 1950 1951 1952 1953 1954 1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967. 出. ド )レヘ12 %の 減少となり,. 下しは じ め, 66年は33 . 0 96 ,.
(10) 月報) 。 6 7年は2 7.5 %) 。 具体的には次のことにあ らわされる( 日中貿易. .. まず 日本の対中国輸出で は機械, 鉄鋼, 肥料の三大品 目 の減少が 目 立つ。 機 械は機械類, 車 輌 , 船舶 およびその部品, 光学 , 医療その他の機器が減少, こ れは西 独, ィ ギ リ スなど西 欧諸国のプラ ント輸出にと も なう関連の輸出機械 ヽ の増加の影膀が非 常にきびしく なっていることを示している。 鉄鋼 も 60 3,313. M T , 10 2 ,66 3 千ド)レ(商品構成比 35 .6 %) で前年比 4 - 1 %減で あ っ た。 とは いえ鋼材は, 66 年にひきつづいて60 万M T 台を確保し 輸出品 目 構成中第 1 位を 占 め ,. 日本の鉄鋼輸出地域別向けで も ア メ リカ についで第 2 位を 占 め て. いることは (66年にひきつづいて) , 長期的生産計画と輸出市場対策の一 環に 組み入れた安定的発展 と考えてよいだろう。 品種別にみて も , 中国側は, 熱 間圧廷鋼板, 冷間圧延鋼板, けい索鋼板, 鉄鋼の板(すずめつき) , 継 目 なし 油 井用 鋼 管, 継 目 なし合金鋼の管などに重点的買付けをしているので あ り, こ れにより中国の第 3次 5カ 年計画第 2 年 目 の一 側面をうかがいしることが で きる。 尿素, 硫安, 塩安を中心とした肥料輸出は, EEC の対中国貿易輸出 との競合関係により, 数 羅は66年に比し増加したが,. ト ン当 り価格が値下が. •. りしたため金額で みれば大幅な減少で あ る。 その他減少した品として羊毛, 酸化チ タン, 医 薬品, 紙 ・ 板紙およびその他の製品 ( 中 国製紙産業の発展を 意味する) , 織物用繊維糸などがあ げられるが , これらの品 目 で 明らかなこと. ... は, 中 国産業の発展とと も に中 国国内の供給可能品 目 との関 連した輸入需要 の 商品構造に変化をみせていることで あ る。. 一. 方 日本の輸出が増加した品 目. は, 硫安, 人造繊維 (中国の原 料輸入, 製品輸出の一 環となっている) , 人 造 プラ ス チ ッ ク , 塩化 ビ ニ ー ル樹脂, ボ リ エ チ レン, 農薬, 織物および繊維 製 品 ( 強カレ ー ヨ ン タ イ ヤ コ. ー. ド織物, ナ イ ロン タ イ ヤ コ. ー. ド織物 ) などで あ. る。 上述の輸出品 目 の 内 容から も 中 国第 3次5カ 年計画と結びついた中国の 輸入商品構成の動 向をさ ぐ ることができる。 中 国からの輸入で は精米, 玄 米, とう も ろこしなど主要な L T 品 目 が減少 している。 大豆 も 391 ,8 30 M T , 47, 590 千ドル(商品構成比1 7. 7 %) と前 - 18 3(1 799 ) -.
(11) 年に くらべ 減少し た 。 とはいえ65年以降ほとんど横ばいで あ り, 大豆の輸入 拡大が日中 貿易の拡大につながるものとして 十分に検討する必要がある。 そ の他の減少品 目 は, えび, 銑鉄(以上激減), 油脂 種子, 落花生, 桐油, すず の塊であ り, これらの輸入品 目 は日本の全貿易依存度でもかなり高い品 目 で あ る た め注 目 される。 なお68 年覚響貿易計画の折衝で中 国産米の日本向 け 輸 出は10万 ト ンと決められたが, 67年実績は, 203 ,4 0 2 MT, 33 , 98 1 千ドルと 前年に くらべ3 .8 %減 で あ っ た 。 日本米の生産が盟作であ った ことが主要因 とはいえ,日本の術給 関 係, 価格, 近接距離, 良品種などからして も, 長期 的な観点から確実な輸入がのぞまれるのであ る。 一方増加した 輸入商 品 は く らげ, 雑 豆, コ. ー. ク ス用炭であ り, その他 織物用繊維 (毛糸を中心に), ほ. た る石, 夕 )レ ク , タン グス テン鉱などであ る。 以上の輸入品 目 の動 向 から考 えると, 日本の低開発国からの第1次産品輸入政策との関係が重要視されて くるし, また これは日本の通商政策の輸出振興策との関連において, 市場別 の長期対策が必要となって くる。 さらに各商品とも, ケ ネデ ィ ラ ウ ンドにと. .. .. ... もなう開放経済体制, 世界経済の潮流, 低開発国経済協力などの経済政策の. 一環として今後の輸入政策を検討しなければならない。 日 中 貿易の推移によ って 明 確にされ た 廂品構成, およびその主要商品が長期的な見通しの上にた って, はじめて安定拡大するという点を重視する必要が あ る。 それがまた ひ い て は輸出入の均衡的発展へ通じる道でもある。 1967年 1 月 �12月. 日 本 の輸 出. 日 中貿易主要品 目 順位. 金 ル) ( 1 ,000 ド額. 鋼 102,663 ①鉄 30,148 ② 硫酸ア ン モ ニ ウ ム 25,832 類 ③機 械 24,750 素 ④尿 1 1,555 繊 維 ⑤人 11,357 ⑥電 気 機 器 9, 534 ⑦ 塩化ア ン モ ニ ウ ム 9,100 ⑧ 織 物 及繊維 製品 ゜ 8,326 ⑨ 人造フ ラ ス テ ィ ソ ク 6,770 薬 ⑩典 (注) 日 中貿易月 報よ り 作成 逗 ‘牛. 比 ) 商品 構成 (% 35.6 10.5 9.0 8.6 4.0 3. 9 3. 3 32 2.9 2.3. 日 本の輸入 豆 ① 大 繊 維の 織 く物 す 及 ② そ ③ 精 米 ④ コ ー ク ス用炭 び ⑤ え ⑥ 銑 鉄 豆 ⑦ 雑 米 ⑧ 玄 ⑨ 塩 ⑩油脂 紐 子. .. - 184 (1800 ) -. .. 比 金 額 ( 1,000 f' w) 商品構成 (% 47,590 17.7 26,003 9. 6 9.2 24,900 1 1,824 4.4 10,316 3.8 9,608 3.6 9,134 3. 4 9,080 3.4 8,887 3. 3 7,002 2.6.
(12) 4. `. 上辿 したよ うに 日 本 は , 67 年 は 前 年に比 し ヽ輸出入とも減り (輸出8 .5 96 , 輸入1 2 96それぞれ減), 貿劫 再開以来 前年実績をは じめて下まわった。 そこ で注 目 さ れてい る のが, 西 独, イ ギ リ スなど西 欧 諸 国 の交易会での進出であ る 。 各陳列場には,. ••. 自 由 主 義 圏の数 多 くの商社員が集まり活発な筋談風景が ー. •. みられたのであ る が, 西 欧 諸 国 は フランス, ィ ギ リ ス, 西独, イ タ リ. など. 積極的な姿勢で交易会に臨み軒並み 中 国 へ の輸出が増加 してい る 。 とくに中 囚の経済建設資材が増 え る とみこんで機械類はじめ重工業品を売りこもうと いう姿勢が顕著であ る (逆に中 国からの輸出 は 武闘などの生産停止, 半停止 に よ って イ タ リ. ー. 向 け を除いて減ってい る が)。. 日 本の後退と対照的に, 西 欧 8 カ 国 (西 独, フランス, イ タ リ ー , ベルギ. ―,. Jレ ク セ ン ブル ク , ィ ギ リ ス, ス ウ ェ ー デン, ス イ ス) の輸出 は 前 年比で. 4 5-4 6 96 も伸 びてい る 。 とくに 日 本の主要輸出品 目 であ る 鉄鋼, 化学肥料, 工 作機械は1粍異的な伸 びを示 したのであ る 。 67 年を通じての8 カ 国と 中 国 と の貿易 額 は 往復 10 億540 万ドルにのほり, 対前年比が 21 形の伸 び, うち輸出 6億 6600 万ドJレ, 輸入3 億3 94 0 万ドル ( 対前年比9 %減) で差 引 き3 億2 260. '. • Ci 万ドルの大 幅 出 超であ る 。 西 独 , イ タ リ ー , ィ ギ リ スの輸出増がめだち, な. かでも直独 は ソ 辿を抜き 日 本にせまってい る 。 商品別にみても, 西 欧諸 固 は 鉄鍋, 機械, 化学肥料, 化学繊維の4 品 目 が主要輸出品で対中 国輸出の50 % 以上 ( 他に銅,. ニ ッケル,. .. ア ル ミ ニ ュ ー ム など非鉄金属と精密機器) を 占 め. .. てい る が, なかでも西独の鉄鋼, 工作機械, イ タ リ. ー. の化学繊維, 金属加工. 機, イ ギ リ スの非鉄金属, 輸送機械が大幅な仲張をみせてい る 。 かか る 趨勢. ゜. .. のなかにも, ス エ ズ 迎 河の閉 鎖にともなう運賃上昇などから対 中 国貿易 は 日 本側が有 利とみられたのであ る が, プラン ト 輸出 にともなう延べ払い問 題な ど難 間 が多いため 直 欧側の追いあげを受 け た。 世界各 囚の景気動 向が微妙に 讐’ な る ほど西欧の対共産囮とりわ け 中 国輸出は拍 車がかか る とみられ る 。. -1 8 5 (180 1) -.
(13) 1967 年 主 要 国 の 対 中 国 貿 易 実 績. 国. 輸. 名. オ ノ. ラ. )レ. ィ. オ. ー. フ. ィ. ス ス カ. オ. ギ ス. ロ. ラ. ー. イ. 小. ^. リ 卜. ェ. ウ. ー. ウ. ン. ス. ナ. ト. 独. リ ン. 夕. ダ 工. リ ン. デ 計. ラ. リ. 計. 香. 日. 総. 計. (注) 大蔵省通関統計. ド ン ス. 8. 95 1 1 . 09 17. 50 18. 06. 675. 1 1. 121. 85. ダ. I. 1,005. 26. 8. 37 288. 29. I. 輸出 入 計 45. 50 14. 26 148. 50 301. 20 140. 56 42. 14 13. 46 187. 73 24. 89 22. 33 73. 00 37. 76. 前年比 ( %) + 27. 5. 年 対 輪 出靡 (% ). + 50. 7 2. 0 倍 + 9. 6 + 74. 4 + 34. 9 -27. 2. + 0. 3 + l. 7 + 35. 7 + 17. 9 - 9. 1. + 52. 9 + 13. 3 3. 4 倍. + 32. 7 - 0. 3. + 79. 6 + 19. 6 + 88. 8. + 10. 6 2. 3 倍 - 6. 8. + 6. 2. 376. 22 1 , 051 . 33. + 18. 3. + 39. 9. 430. 49 1, 435. 75. +20. 8. + 36. 3. 147. 43 236. 99. 25. 58 28. 69. 208. 30. ア. 港 本. 55. 99 30. 39 5. 42 81. 67. 15. 94 1 1 . 24 55. 50 19. 70. ア. I. 9. 20 47. 55 75. 50. 8. 04 106. 06. ス. 入. 14. 90. 5. 06 100. 95 225. 70 84. 57 1 1 . 75. ● 9. イ. 輸. 30. 60. ベル ギ ー ・ ル ク セ ン プル グ ン マ デ ク ン ス フ ラ 西. 出. (単位 100万 ドル). 397. 25 269. 44. 1 1,301. 92 1 1. 097.. 405. 62 557. 73. rn 1 2. 399. 10 I. 現段階 に お い て は , 西 独 の対 中 国 貿 易 は ,. -22. 7 2. 2 倍. - 18. 8 - 10. 2. I. + 4. o I. -29. 0 - 75. 1. - 30. 9 - 8. 5 + 22. 2. 日 本 に は 及 ば な い が西 欧諸 国 中. 第 1 位 で あ る 。 日 本 の 対 中 国 政 策 に 対応 し て 中 国 は 肥料, 鉄 鋼 な ど 日 本 の 覚 書 品 目 を今後西 独 に き り か え る 動 き を は っ き り と みせ て い る の で あ る 。 西独 は 「二つ の 中 国 」 問 題で 中 国 を相 手 に ま わ し て 台湾 に 組 し よ う と い う 意 図 は. も っ て い な い 。 文 革 と そ れ に 伴 う 経済 困 難 に も か か わ ら ず, 西 独 の対 中 国 貿. 易 は 67年 も 35. 7 % の 伸 び を みせ た の で あ る (67年 の 年 間実績 は 3 億 100万 ド ル) 。 こ の よ う に 同 国 の対 中 国 輸 出 が近 年大 き く 伸 び て い る 理 由 は, エ ア ハ ル ト 前政権以来慢性 的 な 国 内 不 景気克服 の た め産業界が 一 体 と な っ て 輸 出 に カ. を入 れ て い る こ と , そ れ に 中 国 側 が機械, 化学製 品 の 輸入先 を ソ 辿 か ら 西独. に の り か え た こ と に あ る (西独側 の 輸 出 品 目 は 機械, 化 学 製 品 ) 。 ま た 近 年西 - 186(1802) -.
(14) 独諸企業は中国で 多 くのプロ ジ ェ ク ト に参画してい る が, その も っ と も 有名 な も のは, 67年5月 から建設交渉が進んでい る ド ゥ イ ス プル ク. ・. デ マ ー グ社. の鉄鋼圧延工場で あ る ( も っ と も これは価格の点と アメ リカ の圧力が原 因で 遅延 してい る が)。 これに対す る 中 国からの輸入品はハネぶ と ん用 の羽 毛, ソ ー セー ジ用の腸皮などで 西独側の黒字幅は毎年急増を続けてい る 実情 で あ る。 6 4年1 億200 万 マ ル ク (2500 万ドル) だ っ た西独の 中 国向 け輸出量は, 65年 には 3 億 1600 万 マ ル ク , 66年には 5 億1800 万 マ ル ク と同期の対ソ 連輸出額 と 肩を並べた。 67年には10 億 マ ル ク に近づいたし, 輸入額 も 例年 2 億3000 万 マ ル ク 前後で , 両国の貿易実績面については文革 も 影恕をあたえていないよ う に思われ る 。 拡大を続け る 西独の対中 国貿易の背景には, 両国に共通す る い く つかの政治的要因が含まれてい る と考えられ る 。 たとえば, 領土問題 ( 西 独は東フ ロ イ セ ンに. 中 国は ソ 連 と の国境線画定に不 満を も つ), 核開発への ゜. 執着 (両国 と も 核拡散防止条約に参加す る 意思なし, 中 国が西独の核技術導 入をはか る 可能性なし と いえぬ), 狂信的民族 主義または愛国 主義(西独 で は ネオ. ・. ナ チ ズ ム , 報復 主義的傾向が高ま り , 中 国で は大国排外 主義路線の強. 調 ) などで あ る 。 両国の経済交流が政治, 軍事的な. 汀. 枢軸ミの形成にまで 発. 展す る とは考えられないにして も , これが中国孤 立化をねら う ア メ リカ の外 交政策にそわぬことはい う ま も ない。 視察した広州交易会において も 中 独関 係きわめて緊密 で あ り , 西独は100 人以上の通商代表団を送 り こんで 輸出振 興をはか っ ていた。 日本に と っ て今後のおそ る べき競争相 手 で あ る ことにま ちがいないであろ う 。. 5. •. 67 年の日中 貿易の動向は, この広州交易会の商談の動き, 足踏みを続け る 覚書貿易の現状などから, 前述のよ う に日 中 総合貿易, 日 中 友好商社貿易双 方あわせて約5 億500 0万ドルであ り , 66年の往復 6 億2000 万ドルから一 挙に - 18 7 (180 3) -.
(15) 約10 . 2 %も激減したわけで あ る。 景の拡大をつみ重ねてきた日中 貿易もかか. ‘. る対中国貿易の趨勢から一 つの曲 り角にさしかか っ ているといえよう。 日 中 (単位 1,000 ド)レ ). 対 中 国 貿 易 実 績 ( 3 年間 ) 年. 別. 輸. 出. 輸. 入. 計. I. 1 9 6 5 245,036 ( 1-6) 1 13,052 (7—12) 131,984. I. 1 9 6 6 3 15,150 ( 1-6) 164,099 ( 7 ー 12) 151,051. I. 1 9 6 7 288,294 ( 1-6) 132,486 ( 7 ー12) 155,808. 224,705 (1-6) 113,880 ( 7-12) 110,825. 306,237 ( 1-6) 156,345 (7—12) 149,892. 269,439 (1—6) 145,638 (7-12) 123,801. 469,741 (1-6) 226,932 (7ー 12) 242,809. 621,387 ( 1-6) 320,444 (7-12) 300,943. 557,733 (1-6) 278,124 ( 7-12) 279,609. (出所) 大蔵省通関統計 貿易を現在の水準からさらに発展させるためには, これまでの取引 品 目 のた んなる増加のみではな く, たとえば, いわれているように吉田書簡 を撤廃し. • て輸銀 融資によるプラン ト , 船舶の延べ 払い輸出にふみ切るとか, 中 国産の. 食 肉 や米の輸入を解禁したり, 大幅に増やすな どの措置が必要となる。 しか しこの問 頴については, 68 年4 月 ジ ョ ン ソ ン米大統領のベ ト ナ ム 政 策大転換 など激動する世界情勢のなかで ( ベ ト ナ ム 和 平の背景には中国の存在が大き < 隆起しつつあ るが),. 対 中 国 政策で硬直化した日本政 府の態度が, これを. 機に中国向け輸銀資金使用 に弾力的な姿勢で席む方針 を 打 ち 出 して き た。 こ の姿勢は あ るいは 日 中 関係のひとつの転換点となるかもしれない。 日 中 貿易にと っ てかかる問題は, ひとり友好商 社貿易の手に負える事柄で はな く, 総合貿易の問題であ ることはいうまでもない。 総 合 貿易は, 62 年1 1 月, 蓼承志氏と 高 崎達之助氏との 「覚書」 (日中 両国の長期 総 合 貿易を発表 させるための覚書で年々協議事項がとりむすばれている) にもとづ くもので あ り, その特色は総合的, 長期的貿易であ るとともに, 延べ払い方式による プラン ト 輸出をおこなうことであ っ た。 そこでは技術交流の促進と貿易条件 - 18 8 ( 1804 )-.
(16) .. の双務主義がうたわれていた。 覚書は6 3年から67 年の 5カ 年間を第 1次の 5 カ 年貿易期問とし, 年間平均輸出入取引額を約36 00万英 ポ ンドとする総合均. ... 衡貿易がおこなわれる。 覚書によって交換される商品 は , 中 因 側の輸出 が石 炭, 鉄鉱右, 塩, 大豆, とうもろこし, 雑豆, 錫 , その他の商品 ( 米, 玄そ O-. ば, 食肉等)であり, 日本から は 鋼 材 ( 普通鋼, 特 殊 鋼), 化学肥料, 肥克, 農機具, プラント設備が輸出される。 そ し てそこで明確になった点 は , 日中 間に長期の見通しの上に立って, 右の商品につい て相 互に安定した供給 関 係 をつ くりあげること, 延べ払 い 輸 出を適用することによって相 互に貿易の均 衡をは かることであり, 交換される商 品 の性格から日本の主要な産業を代表 するものによって, 日中 貿易の拡大を は かろうとするものであった。 6 3 年 8 月 に は 倉敷レ イ ヨ ンの ビ ニ ロン • プラント (日産30トン, 総額 2 000万ド )レ , 5. ”. ゜. カ 年分 割 払 い ) が輸銀融資の長期延べ払い 方式による中国向けフ ラント輸 出 としては じめて実現した。 しかしその後, 日立造船の貨物 船および ニ チ ボ ー. ゜. の ビ ニロ ン・ プラン ト の輸出に輸銀資金を使用することを日本政府が認めな かったため, L T 貿易による対中 国プラント輸出 は すべて不 可能になった。. か くてこの日中総合 貿易 は67 年末で 5カ 年間の協定期限が きれたが, 第 2. 次協定につ い て は , 日中間における政治関 係が原因となって一 時空 白 時代を 迎えた。 68 年 1 月 下旬, 日中両国 が 第 2次協定を如何にするかにつ い て話 し 合うことになりともか く事態を打開するい と 口 が開かれた。 その結果, 68 年. .. D •. 3月 6 日 , 67 年末で期 限切れになってい た日中総合貿易の第 2次協定は期限 u-. を 1 年として正式に発足した。 第 2次協定 は , 第1次協定の基礎となった周 恩来 • 松村会談の趣 旨 と, 今 次の政治会談コミュ ニ ケ , 第 1次協定の党書に 根 拠をおい たものであるが, 日 中 関係の悪 化と輸銀融資のむづかしさが原 因 となって短期の協定となった。 これは62 年の第 1 次 5カ 年 協定とかなり異な る性格をもってい る。 すなわち,. .. 第 1 は 名称が変更されたこと。 日 中 のカ ケ 橋としてなじまれてきた 「 L T 貿易」 は 新協定により正 式の名 称が 「日中覚書貿易」と改められ L T の名称 - 18 9( 18 05) -.
(17) が消滅す る 。 窓 口 と し て の 双方 の 連絡事務所 は 「 日 本 日 中覚書貿易事務所」. と 「 中 国 中 日 備 忘録貿易 弁事処」 と 名 称 替 え さ れ る 。 両事務所 の 実質 的 な 内. 容 に は 変化 が な い が, 名 称 が 変 っ た の は , 個 人 の 名 前 を 使い た く な い と い う. 文化大革命で確認 さ れ た 中 国側 の 方 針 に よ る も の で , や は り 日 中 間 の 政治情 勢 の 反 映 と み な け れば な ら な い 。 第 2 の異な る点は,. 政 治 3 原 則 ( ① 中 国 を 敵視す る よ う な 言 動 を し な い. ② 二つ の 中 国 を つ く る 陰謀 に 加担 し な い ③ 日 中 国交正 常 化 を妨 げな い ) ,. 政 経 不 可分 の 問 題。 L T 発足時は 中 国 側 は 「 政 治 3 原則」, 「政経不可分」 を 主 張 し た も の の そ れ ほ ど 固 執せ ず , 会談 メ モ で は 「 日 中 双方 と も 意見を交換. し た 」 と い う 程度 で あ っ た が, 今次交渉で 中 国側 は 最初 か ら 強 く 主張, 日 本. 側 も 同 意 し な け れ ば 決裂必至 と 判 断 し , 結局政治 3 原 則 , 政経不可分 の 精 神. に 合 意を与え た こ と で あ る 。 す な わ ち , コ ミ ュ ニ ケ に 盛 ら れ た 日 中 関係 の 阻. 害 要 因 を , あ げ て 日 本側 の 責 任 と す る 中 国 側 の 指 摘 に 日 本側 が 「理解」 を示. し , 日 中 双方の代表団が政治 3 原 則 と 政経不可分の 原 則 を 日 中 両 国 関 係 の 基. 盤 に お く こ と を確 認 し合 っ た こ と で あ る 。 こ の原 則 は覚書貿易 を友好貿易 と. 同 じ性 格 の も の に し て い こ う と す る 中 国 側 の 基本的態度を 示 し た も の で あ. る 。 そ の 裏 に は前述 の よ う に , 67年 の 日 本 の 首 相 の 台湾訪問, 南ベ ト ナ ム 訪. 問 , 国 府 国 防相 の 来 日 が反 中 国 政策 と 攻 撃 し , 吉 田 書簡 に よ る 輸銀延 払 い 輸 出 の 停止 (68年 4 月 弾力 的 な 方針 が う ち だ さ れ た が) ,. 中 国産食肉輸入の規. 制 な ど 一 連 の 措 置 に反撓す る 中 国 側 の 対 日 強硬態度があ っ た こ と は い う ま で. も な い 。 こ こ 数年 間 日 中 貿易 が驚 く べ き 伸 び を み せ て い た な かで, L T の 比 重. が年 々 低下 し て い る 事実 (63年 の 46.3% か ら 年 々 低下 し は じ め66年 は 33.0%. 67年 は 27. 5 % ) ,. そ れ に 総合貿易 に 集 ま る 大手 メ. ー. カ ー の 共 同 商談や窓 ロ 一. 本 化 を 中 国 側 が あ ま り 好 ま な い こ と , さ ら に 文革以後 中 国 の 外交が政府間の ミ. 人民同志ミ の 友好を 優先す る 方 向 を か な り は っ き り 打 ち 出. .. つ き 合い よ り も. ". し て い る こ と な ど あ わ せ考 え る と 日 中 総合 貿 易 に 対 す る 中 国 の 姿勢 が浮彫 さ. れる。. - 190 ( 1806) -.
(18) .. 第 3 は 協 定 の 規 模 お よ び 内 容 で あ る 。 発足時 貿 易 協 定 は ,. 5 カ 年間で 「長. 期 , 総合, 大規模」 の 太 いパ イ プ に よ っ て 貿 易 を 稜 み か さ ね , 国 交 正 常 化へ の 道 を さ ぐ る と こ ろ に意義を見出 し て い た。 という. し か し 新 協 定 は 1 年 の 暫定協定. 「短期繰返 し方式」 で あ り , 発 足 時 の 「 長 期 」 か ら は 大 き く 後退 し. た 。 こ れ は 日 中 総 合 貿 易 の 性 格 が 変 化 し た 重要 な 点 で あ る 。 従来 5 年間 の 長. 期 に わ た っ て 輸 出 入 の バ ラ ン ス を と り , 大規模 な 商取 引 を 行 な う と い う 総合 日 中 覚 書 貿 易 の 内 容. 〔輸. 1967年度実絞 ( L T 貿易 ) 1968年度の規模(覚書貿易). 出〕. 叶. 安 素. 化 硫 料 塩. 安 鉄 普 通 鋼 鋼 {特 殊 鋼 農 薬 化 工 原 料 械 機 合. .. -. 1 18万. }. 26万 92, 361 12, 073. I. ," -. 数 ( ト ン量 -) - 20万 25万. ソ. 原. 銑. ス. ^. -. 5万 2万. 豆. 雑. 鉄. -- -. 5, 000 5万 70万 5万 440 100万. ノゞ. 鉱. 料 塩 の. 額. 3, 690. 105万. 885 1 , 280 459. 3紡 10万. 額. 3, 100. 900 1 , 450 350. 350. 〗. 350 6, 500. I. |—. 石 炭. 鉄 ズ. 金 (-万 ド ル) | 3, 208 2, 812 額. 344 265. 58. 35 781 192 140. 600. 他 計 ロ 8, 435 I I. .. . .. 合 .. 1 計 輸出入 15 • 348 II I (注) 額 は国際価格に よ る 推定 金 - 1 9 1 ( 1807) -. そ. ド ル) 金 (. 万-... . ··-. 19o7年度実績( L T 貿 易 ) 1968年度の 規模(覚書貿易 ). 米 豆 大 トウ モ ロ コ シ 一. ( ト ン量) -数. .金 ( 万 ド- ル.). 1: 392 6, 913. 入J. 〔輸 --. 計. 数 ( ト- ン最). 一. ●. ●. -) 数 ( ト ン贔 10万 20万 5万 1万 2, 000 5万 なし なし 500 70万. 金 (万 ド ル - - -) 1 , 860 2, 000 380 130 23 35 額. なし なし 180 400 200 5, 208. 1 1 , 708.
(19) 貿 易 の 建 て 前 が期 間 1 年 の 暫定協定 に な っ た こ と は , お そ ら く 今次 の 貿易交. 渉を 契機 と し て 問 題 の 政 治情勢が今後 ど の よ う に 展 開 す る か と い う 点 に し ぽ ら れ, そ の 結 果 い か ん に よ っ て こ の 貿 易 を 1 年存続 さ せ る か, そ れ と も さ ら. に 長期 の 契約 に 切 り 替 え る か, あ る い は ま た 断 絶 と い う 事態 に な る の かな ど. の 決定 を留保す る 含み と 考 え ら れ る 。. 68年 3 月 6 日 の 北京で 調 印 さ れた 「会談 コ ミ ュ ニ ケ 」 の 貿易 に 関 す る 「取. り 決 め 事項」 の 内 容 に よ れば , 日 本側 の 輸 出 6500万 ド)レ, 輸入5200万 ド ル,. 貿易総額は 1 億 1 700万 ド ル に な る と 思わ れ る 。 総合貿易最終年度の67年実績. の 輸 出 6913万 ド)レ, 輸入 8435万 ド ル , 総 額 1 億 5348 万 ド ル に 比べ る と 総額. で は 約24% 減 っ た が, 66, 67年 と 日 本側 の 入超が続 い た の が逆 に 1300万 ドル. の 大 幅 出 超 に 転 じ た こ と は 注 目 し て よ い 。 日 中 双方 が輸 出 す る 品 目 は , 日 本 曇. か ら の 輸 出 が, ① 特殊鋼を含む鋼材 ② 硫安 と 尿素 ③ 塩安 ④農薬 お よ び化. 学原料. ⑤ 機械類 な ど を 主力 と し て い る 。 大 口 の 化学肥料 (硫安, 尿素) が. 67年実績 よ り 10形 余 り 下 回 っ た ほ か は ほ ぼ67年 と 同 じ で あ る 。 ま た 化学肥料 も 品 目 別商談で は覚書貿易 と 友好貿易 を 一括 し て 交 渉 し , 覚害貿易 で 減 っ た. 分 を友好貿易 で カ バ ー す る と 思わ れ る 。 ま た 機械類, 特殊鋼 は , 文化大革命 以 後 中 国 が と く に 生産 設 備 の 近 代 化 を 強 力 に 進 め て い る の で石油化学装置,. ... 自 動 制 御 関 係 の 計器類な ど の 輸 出 が期待. さ れ る の で あ る 。 年別 196.3 1964 1965 1966 1967. I. 率 ( 5 年間) 輸 輸·. 出 入 計 出 LT LT J-� L 実 通 紹 友 好 LT の 1 躙 約T 契 紹 契 友好 比 の 関 実績 �約実 比率 実績 � 率 A A A B A - B 旦j_A B6.'3 A - B B I• 彩 彩 74 46 3 62 38 25 60. 4 137 310 74 79 48. 4 114 1切 36. 7 153 87 158 35. 5 470 169 301 35. 9 245 621 205 416 33. 0 315 100 215 31. 7 69 219 24. 0 558 153 404 27. 5 288 覚 書 貿 易 の. 比. (単位 100万 ド ル ). ---―- 躙 A 75 158 225 306 269. 輸. 入. b謡 一旦_ A 追 26 49 I 40 118 82 143 105 201 84 185. 友 好I. LT. の. BIA 34. 5 25. 3 36. 3 34. 3 31. 3 比率. Cit) ① 貿易額は 単位未満四拾五入 し た が比 率で は実数 に て算 出 。 ② • L T と 友 好の 区別 は, 通 関実紹を も と に成約ベ ー ス に よ る 推定。 ③ 1963年の L T 輸 契約実紹 は, 長期払20 , 000千 ド ル ( ビ ニ ロ ン ・ プ ラ ン ト 出 分) を含む。 - 1 92(1808) -.
(20) ... ま た 中 国 か ら の 輸 出 は, ①米 ②大豆 ⑧ と う も ろ こ し ④玄 そ ば ⑤鉄鉱石 ⑥. 原 料 炭 ⑦銑鉄 ⑧すず ⑨塩 ⑩ 雑 ま め な ど で こ れ は 67年 と 変 っ て い な い 。 米 が 67年実績 の 半 分 の 10万 ト ン に 減 っ た ほ か, 大豆, そ ば も 減 り , 製鉄原 料 の 原 料炭, 銑鉄 は 中 国 側 に 輸 出 余力 が な い た め 輸入 さ れ な い 。 ま た 中 国側 が輸 出. .. を希望 し た 食 肉 , 葉た ば こ が 日 本政 府 の 反対で実現 し な い た め , 代 り に 水産. 物 , デ ン プ ン な ど の 食稲 が追加 さ れ た の で あ る 。. 6. .. ヽ. 難航 し た 第 2 次協定 を め ぐ る 会談を 評 価す る ば あ い , 前述 し た よ う に 日 中. `. 総合貿易 自 体 の性格変化 を指摘す る こ と がで き る 。 輸 出 入バ ラ ン ス を と っ て. お こ な わ れ た 5 年 間 の 大規模な 商取引 の建て 前が, わ づ か 期 間 1 年 の 暫定協. .�. 定 に な っ た わ け で あ る が, こ れ は お そ ら く 第 2 次貿易交 渉 を 契機 と し て , 問 題 の 政 治伯勢が今後 ど の よ う に 展 開 す る か に 焦点が し ぽ ら れて く る だ ろ う 。. I だ不安定で あ る 。 そ れ は 台湾 問 題 を か か え た � の某舘は甚 �'11 易 し た が っ て 鈷害貿. 日 中 関 係 が い か に 複雑, 困 難 で あ り , そ の 結 果 い わ ゆ る 政 治 の ヽ 要 索 が両 国 閃. 係 に つ ね に思わ ぬ波乱を も 生 じ か ね な い こ と を示 し て い る 。 さ ら に 日 本 に と っ て は , 西 欧 諸 国 の 対 中 国貿 易動 向 を も み の がす こ と がで き な い 。 両独, ィ. ギ リ ス, イ タ リ. ー. .. , フ ラ ン ス な ど か ら の 化学 吊 , 鉄鋼, 機械 な ど の 対 中 国 輸. 出 の 地 加 が芳 る し い の は , 日 木 の 対 中 国貿 易 の 現状 と き わ め て 対照 的 な も の. で あ る 。 西 欧 の 対 中 国 貿 易 に 対 す る 耕極 的 な 動 き に ひ き か え , 発足 し た 党内. 貿易体制が 日 本 に と っ て き わ め て 不 利 な こ と は い う ま で も な い 。 そ う し た 趨 努 の な か に も 吉 田 書簡 問 題 に あ ら わ さ れ る よ う に , 日 本 は 台湾政府 に 対 す る. 配慮な ど か ら 輸銀 を 使 っ て の プ ラ ン ト 類 の 対 中 国 輸 出 に 関 し て は 難 色 を 示 し て い た が, 68 年 4 月 ベ ト ナ ム 和 平 問 題 の 進 展 に よ り 対 巾 国政 策 に 弾 力 性 を も. た せ る べ き 態度 に 変化 し て き た こ と は 注 目 す べ き こ と で あ る 。 中 国 の 対 日 観. .. の 背景, 日 中 関 係 の 改善 な く し て ア ジ ア の 緊張 も 解 消 し 難 い こ と を も 考慮 し,. , 新覚書貿易取決 め を 契機 に 新 ら た な 視 野 か ら 日 中 問 題 を 検討すべ き と き が き - 193 ( 1809) -.
(21) つ つ あ るように思われる。 第 2次覚書貿易の縮少は (67 年の往 復 1 億5300 万ドルから同 1 億1000 万ド ルと30 %近 く減), これまで LT貿易が 日中 貿易のなかで も 大口 の取 引 とな る肥料, 鉄鋼, 大豆, 米, 塩などのほとんどを処理してきただけに大きな問. n. 題である。 日 本の対中国政策が弾力的になってきたとはいえ, このよ うな党. .. 書貿易の縮少は, これまで日本政府の対中国プラ ント輸出に輸 銀融資 を全面 的に認めないこと, 中国肉, 葉たばこの輸入禁止, 米の輸入削 滅などに対す. "' る中国側の対抗措置で あ った こ となどに起因するが, その背景には日中間に 横たわる政治的要因 も からみ, これらの影磐が日 中 貿 易 全体に波 及して きた のであ る。 しかし現在の 日 本の対中国貿易界の主流は中 国との友好勢力 で 出 められていることから, 中国が対日貿易を 中 断することはあ り得ない。 中 国 の対外貿易相 手国のなかで日本は第 1 位を 占 め, 中国全体の1 5%を 占 めてい る事実の重み も 無視できないであ ろう。 だが日中 関係が67 年の日本の総理大 臣訪米, 国府国防相の来日, 国際貿易促進協 会の手入れなど悪化しつ つ あ っ たことから , 覚書貿易とは 別の日中 友好 商社貿易 も 予断 を 許 さ ないのであ る。 情勢如 何 で は 中国側は必然的な措置と し て 広州交易 会における友好商 社 に対して も あ いまいな態度 をとる商社は遠慇なく 整理する強硬な姿誇がよみ とれるのであ る。 とはいえ, 日本の友好商社や関連 メ ーカ. ー. の間 では, 文革. が一 段落して産業開発が本格化するとの予測から, そして また日本国 内 の金 融引き締めから鉄鋼, 機械などの業界に輸出 ド ラ イ プがかかって いることか ら, メ ーカ. ー. の対中国輸出意欲が急速に強まっていること も 事実である。 し. かし一 方友好貿易は, 68 年4 月 1 5日からの広州交易会 (世界各 国から約 1 万 人日本から 28 5社, 約970 人の参加で史上最高), 秋の北京, 上海日本工業展, それに続 く 秋の広州交易会のいずれをみて も 西 欧絡の巻き 返しは強まる見通 しであ る。 ことに西独, イ ギ リ ス, フ ラ ンス, イ タ リ に輸出環境が き びしい 折 りだけに 中国貿易には. 一. ー. など主要国は世界的. 段と力を入れる構えであ ゜. る。 西欧諸 国の伸びは, 政府ベ ー スで有利に商談をすすめ, 延払いに よ るフ - 19 4 (18 10 ) -.
(22) ラント, 船舶の輸出はもちろん, 大型電子計算機など, ココ ム (対共産圏輸 出統制委員会)の禁輸 リ ストに あがって い る品 目 をも遠慮なく輸出 し て い る ためであるとされる。 広州交易会に おい ても, 日本 にとって特殊鋼. 機械で. .... の, 西 欧諸 国との競争に はげ し い ものがあったが, 主 力 が普通鋼鋼材 に あっ り. 一. · g. たため直接的に競合 し なかった。. し か し 西 欧の攻勢は交易会以外の場ではよ. 謹強い かたちで日本を圧 迫 し てくるであろう。. 総合貿易の比重低下, 文革以後の中 国外交が政府間のつき合 い よりも人民 同 志の友好を優先する方向を明確化 し て き てい ることなどから. 中 国は友好. .. 商社取引への傾斜を深めること に なるが,. し かも戦闘的友誼を土 台 に し て友. 好商社の選別を進 めてい るのが新 し い 注 目 すべき傾向 であろう。 友好商社の 戦闘性がある い は高 ま るのは避 け られなくなるようである。 実際 第2 2 回広州. .. 疇. 交易会で も , 鉄鋼の大口 輸出が決定 したときその取扱 い 商社は, 中国側の要 詰で大手の ダ ミ ー 商社や中 堅商社以外 に , 特定政党系の新顔の友好商社が多. .. 数 登場 し , 鉄鋼大手6 社の成約約 2 50 倍 円 を合計67 社の友好商 社が分担 して. `. 取扱ったのである。 第 2 次覚書貿易 交渉の妥結で, 肥料, 鉄鋼などの輸出面 談が メ ーカ. ー. と中 国との問で ま と ま ると, 実際の輸出業務は友好商社が担 当. する シ ス テ ム であるが, その収汲業者の指 定 に つ い ては中 国側の発言力が 今 後一段と 強 ま ることは必至で, この面からも友好商社の勢力地図は大きく塗 りかえられてい る。 これらは中 共と日共との離反 に 端を発 し , 従来日中貿易 の 主流を形成 していた日中貿 易促進 会の解体と. それにとって代った国際貿 易促 進 協 会 に よる友好商社再編成の形で進められてい る。 日 本に とって考応 さるべ き椙l 図であろう。 あるとはい え,. “. 日 中貿 易を長期的に 拡大 してい く ため に は. 因 家間の政治的 ヽ 関 係 が基底 に ヽ 中 国の 輸入需要の変 化 (生産財ばかりでなく 消 費財の 高 ま. り ) などを考 慰すれば,. 輸出の面で 景気励 向 に 左右する 要 因 を除去 しなが. ら, 長期収決めを行なうことの可能性があるはずである。 そのため に も日中 貿 易の拡大に はあく ま で覚書貿易取り決めが 主体となるべきである。 かって. - 195(181 1) -.
(23) は日本の貿品のなかで半分に近い比率を占めていた覚書貿品は, 年とともに 友好貿易に押されてきた。 68 年はおそらく米の輸入減で往復 1 億ド)レ余りに 止まると思われるが,. このため 覚書貿易であった肥料, 鋼材, 機械類のう. ち, 肥料輸出(肥料は中国向けが輸出全体の5096を占める)などはその比重 を友好貿易に移して前年の実績確保をねらっている。 しかし鉄鋼などの個別 商談方式と迩って肥料は日本側が輸出カルテルとして業界の窓口を一本にま とめて交渉する方式(共同商談方式)をとっている点でこれは覚書貿易に残 さねばならない。 中国側は共同商談方式をきらうだけでなく西社間, メ. ー. カ. ー間で麻談の状況, 成約条件などの情報の交換を極度にきらう傾向にある。 いずれにせよ, 具体的な商談の成否が経済原則によって左右されてきてい ることは68 年洸西貿品の品目別交渉が証明しているけれども, 現実の日中貿 劫はやはり政治原則優先であり, 文革の進展にともないその厳しさをますま す増している。 日中貿易が政治原則の段階でとまどっているのは, たとえば 吉田占館jの廃棄がその一つだが, その次には禁輸品目の緩和がひかえている し, 貿めの発展を阻む政治的障山は大きいのである。. 1年ごとの新らしい取. り決めがU中の政治関係の推移によってゆれ動き, 日中貿易それ自体にまだ 不安定さがつきまとっているが, 此醤貿易の安定的拡大のためにも, まず中 囚向け輸出の輸銀資金使用に吉田酋箇を消滅していくことは, 日中関係の新 しい段階となり得るものであり, それを手始めとしてより具体的な行動で日 中貿劫拡大の認欲を示し, さらに新らたな角度から再検吋していく必要があ るだろう。 -4:1似jは, わたくしの, 67年末の広州交品会をはじめとする中山大[・視察を通じ て, 日中経済関係の現状を検討したものである。 一一 1968. 3. 20. - 196(1812) -.
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