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経営者の創造的過程への深層心理学的接近 -- 経営者意識論(4) --

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(1)商経学叢 第45巻第 2 号 1998年 12月. 経営者の創造的過程への深層心理学的接近 ―経営者意識論(4)----. 大 1.. 序 言. 2.. 経営者の創造的過程. 弘. 木林. 3. 創造的過程の心理的機能 4.. 創造的過程の分化と統合. 5.. 創造的過程における直観力. 6.. 結 語. 1.. 序. 言. これまで経営者の意思決定およびその過程について考察するにあたって, 経営者の意識 そしてその深層心理に関心をもって検討してきたIll。 とくに C.G. ユングのいう, いわゆ る「分析心理学」 をふまえるために, その第一の弟子といわれる C.A. マイヤ ー の「ユン グ心理学概説」121 c邦訳)全四巻のうち, 第三巻の「意識」 論を参考にしてきた。 そこで経 営者の意識にかんして,「意識の現象学」としてとらえ, そこに「意識の構造」を理解する。 それは顕在化された表層的意識だけではなく, 潜在化している深層的意識の二重構造の存 在を知り, いわゆる自我を中心とする表層的意識だけで人間が, したがって経営者も意思 決定するのでな<' 無意識下にある深層的な意識に揺り動かされている現象を認知せざる をえない。 いわんや表層における合理的な意思に純化することによってのみ, 有効な意思 決定がなしえるとする伝統的な意思決定論には, それをささえる意識の実相からして疑問 と限界を提起されるであろう。 さらに深層的な意識が吟味されて, 個人的無意識と集合的 無意識に層別化され, それぞれの特性の差異が明確にされてくると, 構造的に自我を中核 とする表層意識だけに支援される意思決定やその過程は, あまりにも一面的で単純であり 限界があるといえるであろう。 それは「意識の方向機能または基本機能」131 と関連してもいえることである。本来, 意識 (1)拙稿,「経営者意識論」 (1)(2)(3) 商経学叢 第42巻 2 · 3 号. 第43 巻 2 号, 第44巻 2 号。 (2) C. A. Meier "BewuBtsein" (Band m) 1975. C氏原 寛訳, 創元社刊, 1996年) (3) 同訳書, 135 頁以下。 - 27 (247)-.

(2) 第45 巻. 第 2号. の基本的な機能には, 思考だけでなく, 感情そして感覚と直観の四つがあるという。 そし て思考と感情, また感覚と直観が 一つの組み合せとして機能し, 二つの組み合せは, いず れかが優位に機能し主機能化すれば, 他は補助機能として劣化する。 さらにそれぞれの組 み合せ内においても, たとえば思考機能が優位になれば, 感情の機能は劣化して, 構造的 にも無意識下に潜在化してしまう。 そのことは感覚と直観の機能の組み合せにおいてもい えることである。 しかも思考機能が最優位になると, 他の三つの機能はすべて無意識下に 潜在化することになる。 こうなると一 見して表面的には思考機能のみが優勢であるが, 現 実は無意識下に潜在化している感情や, 感覚, 直観の機能を無視することはできない。 人 間として経営者の意思決定を思考機能だけでなく, 個人的無意識および集合的無意識とし て潜在化している感情や感覚, 直観の機能を制御するだけでなくどう活用するかという問 題に直面することになる。 これは「意識の態度メカニズム」(41として, いわゆる意識類型の問題とからんで, 各人の 人生や生活の態度として表現されることになる。 つまり人間の外向型と内向型の類型であ る。 これは個人に生来的な性分であるといわれ, これに意識の基本機能, 四つが組み合わ されて, たとえば外向的思考型とか内向的思考型など八つの類型化が可能になる。 そして 各人は, 人間として経営者としても, とくにそのうちの一つの類型を生きるのであり, 仕 事や生活においても特徴を出して行く。 意思決定の特徴もそうして創られていくといえよ う。 このように意識の構造や機能そして類型を経営者の意思決定の問題とのからみで, こ れまで考察してきたのであるが, これからは経営者の意思決定の一つの大きな機能といえ る創造的機能, たとえば創造的破壊といわれるような革新機能, あるいはイノベーション 機能との関連において, 経営者の意識の問題を取上げてみたいと思う。 そこではまず, 経営者の意思決定における創造性の問題を取上げる。 創造性とは何か, その特性はどうか, それを創り出す過程はどうかなど, 経営者の創造的過程の特性につい て検討してみたい。 だがこれもこれまでの考察の特徴でもある深層心理学的なアプロ. ー. チ. ( (5)「無意識の現れ」 をふまえながら, とくにC.A. マイヤ ー のユング心理学概説I 邦訳). に依拠しながらみてみたい。 したがって「経営者の創造的過程の心理的機能」について詳 細にするとともに, 逆に心理学的な観点からして「経営者の創造的過程の妨害要因」 につ. (4) 同訳書, 91頁以下。 (5) C. A. Meier "Die Empire des UnbewuBten" (Band I) 1968. (河合俊雄, 森谷寛之訳. 創 元社刊, 1996年) -28. (248)-.

(3) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近(大森) いても吟味してみたい。 こうした検討から「経営者の創造過程における無意識の機能」 に ついて. とくに集合的無意識といわれる機能について議論を展開していく。 そのとき「ユ ング心理学選書」にある, リ. ー. エ ー リッヒ. ・. ノイマンの「芸術と創造的無意識」161や,. ロ. ー. ズマ. ・ ゴ ー ドンの「死と創造」 171などの著作も参考にしながら, 検討を進めて行きたい。. 2.. 経営者の創造的過程. ここで経営者の創造的過程について考察するまえに, まず人間のもつ創造性について検 討しておこう。 しかもC.A.マイヤ ーは「無意識の創造的はたらき」181を吟味するまえに, 一. より. 般的な機能と思われる「思いつき」から議論をはじめている。 この「思いつき」と. いう表現は, 非常に広い意味で使われ, したがって「非常に頻繁に生じる現象」であり, それが欠けていると不快にすら感じられるという。「だから例えば, もたつかずに『ことば がすらすら流れ出る』時にも思いつきは機能しており, これに関してもまたその比喩的表 現から,『それ自体で』湧き出ているある源泉, つまりほかならぬ無意識が想定されている ことがわかるのである」 191と。 だがこうした「背後の力」は, 与えられたものとして, 多く の場合はその機能さえ全く気づかれず,「劇的でない仕方」で働いているという。「しかし ひとたび『よい思いつき』を得たのなら,. 我々はもはやこの機能の自律性を認めようとせ. r. ずに, それを「考え』と名づけて, 自分でそれを. 作った』とうぬぼれるのである。」00こ. れをユングは「インフレ ーションの危険」とさえ警告している。 そういう意味では, 「芸術的創造における思いつきの役割」 は大きいといえる。 そして 「思いつきは創造的となりうる。 それは人をまさしく酔い憑かれさせることができるので, 当然のことながら特に目につくのである」OUといって,「無意識との生産的かかわり合いの 好例」 0�を幾つか挙げている。 それは音楽家モ. ー. ツァルトにはじまり, 文豪ゲ ー テやシ. ラ ーあるいは哲学者ニ ー チェなど数多いが, 冗長になるのでとくに印象的なゲ ー テの文章 にかぎって引用しておこう。. (6). Erich Neumann, "Kunst und Schopferishes Unbewusstes" 1954. (氏原. 訳, 創元社刊, 1984年). (7). (8) (9) (10) (10 (I�. Rosemary Gordon "Dying and Creating" 1978. (氏原. 前訳書,「無意識の現れ」9頁以下。 前訳書, 10頁。 前訳書, 10頁。 前訳書, 11頁。 前訳書, 11頁。. - 29 (249)-. 寛野村美紀子. 寛訳, 創元社刊, 1989年).

(4) 第45巻. 第2号. 我々のたゆまぬ努力はみな 無意識の一瞬にのみ報われる。 「穏和なクセ ー ニエ」. m. (1820年頃)Ill 我々は常に 無意識に最善をなす, と。 「穏和なクセ ー ニエ」 VlD (1823年頃)11-0 これらに共通しているのは, 「背後の力」 つまり無意識の偉力であり創造性である。そし て哲学者ニ ー チェにおいては.「霊感や悟り(ひらめき)を思いつきと同列に置くことがで きることを明らかにしている」 OSとマイヤー はいう。 さらに「科学的発見における思いつきの役割」の事例について検討する。 第一 に挙げて いるのは. アウグスト ・ ケキュレ(1829-1896)の「ベンゾ ー ル分子の環状構造の洞察」 についてである。 つまり「ケキュレの偉大な功績は, 創造的な仕事における無意識の役割 を説明するのにしばしば用いられる」OS という。そしてその「ベンゼン」理論が創造される 過程を, ケキュレ自身の述懐にしたがって考察すると. 彼の言葉による結論はつぎのよう に要約されよう。 皆さん. 夢みることを学べば 我々はおそらく真理を見出すでしょう。 しかしながら, 監視している悟性によって 夢が吟味されるまでは. 夢を公表しないよう気をつけねばなりません見 これについて有名な化学者, H.E. フリッツは, 「ベンゼン環のシンボルは合理的科学的 思考によって見出されえなかった」といっており, ケキュレ自身も「稲光」という比喩に. (13) 前訳書, 前訳書, (15) 前訳書, (lb) 前訳書, (17) 前訳書,. (14). 12頁。 13頁。 22頁。 22頁。 26頁。 - 30(250)-.

(5) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近(大森) よって「 ひらめき」を暗示している。 これにかんしてマイヤ ーは, メ. ジの用語を使って, 緊張とシンボルあるいは元型的イメ. ー. ユ ングのいう元型的イ. ジそして情動の三つの組み. ー. 合せから, ひらめきとして問題の解決が生じるという。 そのほか学問の歴史には, こうした有名な事例が多数に見出されるともいう。 たとえば エジプト学の父といわれるジャン. フ ランソワ ・シャンポ リオン. ・. (1790-1832)の エジプ. ト文字の解読の契機がそれである。 またマイヤ ーは, 元素の周期系にかんするデミト リ イワ ノビッ チ. メンデレ ー エフ. ・. ギ ー 保存の法則の発見者,. ユ. ・. 1 ( 834-1907)の事例も取り上げている。 さらに エネル. リウス. ・. ロ バ ート ・マイヤ ー 1 ( 814-187 8)の事例を取り上. げ, それぞれを史実的にかなり詳細に傍証し論評している。 すなわち「才能ある創造的な 人間ではその傑出した偉業に無意識の協力がぜ ひ必要である」II®と。 だがマイヤ ーはあわ せて反問する。「意識と無意識のポジ ティヴな協力は天才的な人間においてのみ生じるの であろうか」あるいは「意識と無意識の協力が天才を形成するのであろうか」つまりこれ らの事例はすべて例外にすぎないのであろうか。 それにたいしてマイヤ ーはこう答える。 「そのような例は正常人や平均的な人間に日常的に生じる生産的な行為と原理的に異なっ ているのではなく, ただ程度が異なっているだけだとする方がはるかに本 当らしいのでは ないか。 日常的な場合では, その行為自身も, またその際に関 与する無意識の要素も あ まり目立たないだけなのであろう。」0� こうした議論をふまえてみると, 正常人というか平均的な人間としての経営者が日常的 に行う生産的な仕事について原理的には同じで, より創造的な意思決定をはじめとした行 為を期待すればするだけ, 意識だけでなく無意識とのポジ ティヴな協力が必要となる。 と くにその問題が非日常的な, いわゆる戦略的で革新を必要とする意思決定やその過程であ ればなおさらである。 いうなら合理的意思決定という意識レ ベルだけでの問題解決には, 非日常的な戦略の革新性を期待することに限界があるともいえる。 もっともそのことは経 営において合理性が不必要ということでもないし, 合理的意思決定すべてを否定している わけでもなく, むしろ意識と無意識のポジ ティヴな協力という新たな関係性の発見という ことになろう。 ただそのときよくいわれる言語知と暗黙知のポジ ティヴな協力という関係 においてその内容が表現されえるか, 少々議論のあるところである。 すでにふれた緊張と シンポルによる元型的イメ 意識の (I� (19). 一. ジそして情動という三つの組み合せのプ ロ セス, それは「無. ー. 瞬に」 における「 ひらめき」としての問題の解決であり, そこには意識的な合理. 前訳書, 45頁。 前訳書, 45-46頁。. -31. (251)-.

(6) 第45巻. 第 2号. 性や言語的な形式知を断絶し飛躍した境地での解決である。 その意味では, M. ポラニ ー のいう暗黙知の積極的な理解であり, その関係においての言語的な合理性もふくめての形 式知の位置づけである。 たとえば「ベンゼン理論」において, ケキュレは, 「夢見ること」 のなかにすでに 「真理を見出す」, つまり暗黙知による無意識な発見, そののち 「悟性に よって夢が吟味される」すなわち言語的な形式知によって合理的に吟味され発表される段 取りになるわけである。 これは意識的な言語知による発表の内味は, 本質的に無意識の暗 黙知の発見によってすでに確認されているのである。 経営者の意思決定においても, とく に創造的な革新性をもとめられる戦略的決定やその過程においては, 原理的に相異するも のではないようにおもう。 むしろこうした意思決定とその過程をベ ー スにして, たとえば 戦略的意思決定に対比して, 管理的とか業務的といわれる意思決定レベルにおいては, 相 対的に無意識の暗黙知の比重は少ない, あるいは目立たないのかも知れない。 このように 合理的で言語的な形式知といわれる意識と非合理といっていい暗黙知の無意識との協力の 関係は, むしろ内容としても役割としても明瞭で, その意味でポジティヴでありえるのだ が, 問題なのは非合理といい暗黙知という無意識のプラックボックスというか曖昧性にあ る。 この問題を明確にしてい<. とくに深層心理学的なアプロ ー チによって解明していき たいものとおもう。 たとえばあとでみる松下幸之助の事例などもその題材である。 つまり松下電器を創業し 成長し発展させていく過程において幾度の革新およびその戦略的な意思決定に, まさに創 造的破壊といえるような創造力を発揮したことであろう。 それは通常の常識では思いつか ないような奇策に一 見みえるが, 現実の結果からするとかならずしもそうでない, 真実を 突いた事実を動かしていくような良策になっている。 これは誰でもが予期できる合理的な 知識の蓄積や組み合せから生まれるものではなく, むしろそれらの知識やその合理的な思 考を超えたところに源泉があるのではあるまいか。 そのことをあとでみる松下幸之助の一 連の発言は予期させるのである。 つまりすでにみたユングのいう心理的な基本機能, 四つのうちの一つ, 直観をその源泉 として強調しておこう。 その直観の機能を源泉にしながら, それを補強したり障害になっ たりする関係において, 思考をはじめ感情や感覚の機能が作用する。 それは人間の意識が 構造的に階層化され, 表層と深層に, さらに深層は個人的レベルと集合的レベルに層化さ れて位置づけられるために, 機能的に優劣を生み, 潜在化してしまう。 したがって今日の ように, とくに経営者のごとく, 合理的な思考をあくなく求められることになると, なか なか直観の機能は, 意識の深層にある集合的無意識のレベルに沈潜し, それを活性化させ. - 32 (252)-.

(7) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近(大森) 顕在化さして表層心理の機能として意識上 に具現することは困難をともなうであろう。 こ れは名経営者といわれ達人といえる特殊な人々だけに許された能力なのであろうか。 かな らずしもそうでない,. 天才的な能力というより平凡人の能力にも期待しえる示唆を, すで. にえているが, それが経営者の問題としてどのように理解しえるか検討していこう。. 3.. 創造的過程の心理的機能. これまで芸術的創造や科学的発見における事例からして,「思いつき」をはじめ無意識の 働きの役割を検討してきた。 そのことからしても人間の活動として芸術や科学だけでなく 企業の経営活動, とくにその中枢機能である意思決定とその過程における創造性や新発見 についても同様の考察が可能なのではないかと思う。 そこでさらに経営の意思決定に採用 しえる深層心理学的なアプ ロ. ー. チによる成果はないか摸索してみたい。 一. 「深層心理学的研究のここ40年の成果の. つは,. ユ ングによる集合的な普遍的,. 人間的無. 意識の発見に基づく, 超個人的心理学の創始である。 この基本的な新しい立場に立っては じめて, 創造的過程ないし創造的人間の理解ができるようになった。」 ⑳これはユング心理 学選書にある エ ー リッヒ. ・. ノイマンの「芸術と創造的無意識」のまえがき冒頭の. 一. 文であ. る。 これが創造的過程にたいする深層心理学の, ここ40年来の, 成果の要約である。 それ はいうまでもなく. ユ ングによるものであり,. いわゆる集合的無意識の発見によるという。. いわば超個人的心理学の創始であるという。 そこで ノイマンは, レオナル ド. ・. ダ ・ヴィン. チを事例研究することによって, 「創造的な人間とは最も深い意味で時代の代表者であり, 彼の中ではその時代 に欠けているちょうどそのものが無意識によってゆり動かされてい る」G!llという。 これは作品「モナ ・ リザ」をはじめとしたレオナル ド ・ ダ ・ヴィン チの業績 との関連において, その生涯を, 深層心理学的に分析した結論であるともいえる。 ここで はその心理学的な考証の詳細は 冗長にすぎて必要ではないので, この結論の言葉を大きな 手掛りにして, つぎの. 一. 歩を踏み出したい。. まず集合的無意識との関連において「創造的プ ロ セス」 について心理学的な考察をふま えてみたい。 この「創造的プ ロ セスの性質」をはじめ「創造的プ ロ セスに支えられた心理 学的機能」などについて,. ロ. ー. ズマ リ. ・. ゴ ー ドンは, やはり「. ユ ング心理学選書」のな. ⑳ Erich Neumann "Kunst und Schopherishes Unfewusstes" 1954. (氏原 社, 1984年刊) 切り 前訳書「まえがき」ii -33. 2 ( 53)-. 寛他訳. 創元.

(8) 第45巻. 第2号. かの「死と創造」 の第三部において集中的に検討している。 ゴードンがユング理論に惹か れたのは,「人間の創造的欲求を真剣にとり扱い, それに大きい意味を与えたからである。 すでに 1929年, 事実上彼は, 人間に特徴的な五つの主要な本能の 一つに, 創造性をとり上 ifた匹という。 それ以来,創造性とは何か,その性質なり本質とは何か, と問い続けられてきているが. 今なお創造プロセスには奇跡の要素がつきまとうし, 秘密の部分があるのも事実である。 だがその状況をより一 層明瞭に理解しえるようにもなってきている。 これまで創造性は 「芸術性」に関連づけて考えられてきたし「芸術家たちの自己検証や内省」によって「作品」 の独創性や新奇性として物語られ, それは 「科学的発見」についてもいえることであった が, 大切なことは創造的プロセスとその成果との相違を認識しておくことである。 これに ついてゴードンは.「創造的プロセスに本質的でその基礎をなしているのは,意味の探究で ある。 そして意味とは, 一方で分化と秩序づけのプロセスと, 他方, 何か新しいものを作 り発見することとの結合から発する」 四 という。 このような創造的プロセスには四つの段階があること. これは芸術家や科学者あるいは 研究者たちが見出した段階をみれば, ほとんど一 致しているようである。 もとよりその活 動の種類によって, あるいは行為する人によって. さらに同じ人でも特定の行為いかんに よっても, どの段階がより重要で長期にわたるか相異している。 つまり 「これら四つの段 階は. 創造的プロセスの弾力的かつシェ. ー. マ的な記述にすぎないことを心得ておかねばな. らない色と。 この四つの段階について, そのまま忠実に紹介しておこう竺 (I). 準備段階—ある問題に没頭し, ぎりぎりの意識的意図や努力を求められている. と感ずる。 ここでは意識的自我と分化の機能が優勢である。 知識や然るべき技術も必要であ る。 問題点が現われて挑みかかってくる。 この段階に入って忠実にやり抜くためには,謙虚 さと根気がいる。 謙虚でないとおのれの無知と疑いを認めることができないし,それらを認 めなければ学ぶこともできないからである。 しかも無知に圧倒されてはならない。 そうなる とがっかりしすぎて, 学ぶのに必要な根気がなくなるからである。 (II). 第二の段階はこもりの段階である。 文字通りないしは隠喩として,人は「問題の上. に眠る」。 哲学者のホワイトヘッドが「ごたまぜの宙ぶらりん」と述べた状態である。 ここ では壁にぶつかったような感じがある。 そこで問題を放り出し,そこから注意をそらせ, 気 四 Rosemary Gordon "Dying and Creating ; A Search for Meaning" 1978. (氏原 創元社, 1989 年刊)訳書, 191 頁。 凶 前訳書, 192- 3 頁。 124) 前訳書, 193頁。 四 以下, 前訳書, 193- 6 頁, 参照。. -34. (254)-. 寛訳,.

(9) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近 (大森) にとめないよ う にする。 その代り. 打 ち のめ さ れ混乱した感 じ がある。 疑いや苦しみ. 不安 や絶望が創造しよ う とする人をさいなむのが. こ の段階である。 こ こ で尻 ごみし安息を求め 近道しよ う とすると, 元の所に戻るか, くり返し. 停滞, 崩壊, 呆然自失の プ ロ セ ス に人り こ む。 こ の場合でき上がったものは. 結局. 低俗, 紋切り型または見かけ倒しに終る。 さ も なければ足がまったく地につかず. ふくれ上がって気球のよ う に空中を漂 う 。 しかし種が根 づくのは こ の こ もりの段階なのである—――ただしそ う はい う ものの. それは 目に見えず, 無 意識の深み, 闇の中にある。 そしても し 運がよければ. 第三の段階が 「 ひ ょ いと生 じ 」 てくる。 C m). こ れはイ ン ス ピ レ ー シ ョ ンまたは啓示の段階である。 いわば突然の ひらめき. はっ. とする思いがある。 ある考えが 「思い浮ぶ」 のである。 こ の段階は思いがけず突然に来る。 そして. しばしば確かな感 じ を伴 う こ とで知られている。 こ もりの時期を特徴づける「創造 的空虚」 が, 「まるで神の恩寵によって」 突然答で満たされる。 だからしばしば受身の感 じ . ただ起 こ ってくる こ との傍にいただけ.. とい う 感 じ を伴 う 。 —中略――— こ の第三の段階. で. しばしば溢れるよ う な喜 びや洸惚が経験 さ れる。 (N). と こ ろ で第四の段階は, いわば 「地上に降り立つ」 こ とである。 それは検証の段階. である。 それは批判的な吟味の時期であり, イ ン ス ピ レ ー シ ョ ン 期に受けとめた諸概念が吟 味 さ れ組織化 さ れ. 適 当なふ さ わしい形ないし表現を与えられる。 こう し た ゴ ー ド ンの創造的プロセスについての詳細な記述を検討 し てみると, いわば自 我機能の活用とその放棄そ し て再生の能力に関係 し ているといえよう。 すなわち知識や技 能が必要となる第一段階の準備と検証といえる第四段階では, 意識的に自我機能が優勢で なけれ ばならないのに た い し ,. イ ンス ピ レ ー シ ョ ンを中核とする第二, 第三の段階では,. む し ろ 自我機能や自我 コ ン ト ロ ー ルを放棄 し て無意識であることが決定的に重要である。 つまり 「無意識の走査」 といわれるように, これらの段階が創造的プロセスにとって本質 的なものである。 この 「意識的, 無意識的活動の相互作用 」 を, いかに理解 し 展開するか に創造的プロセスはかか っ ているといえよう。 このことをこれまでの マ イ ヤ. ー. によるユング心理学の知見を組み込みながら理解 し て. いってみよう。 まず意識について基本的な心理機能と し て, 思考をは じ め 感情そ し て感覚 と直観があることを理解 し た が, これら四つの機能は, つぎのように関係 し ていると図 示 できる究 思. 感. 覚. 直. 感 (26). 考. 情. マ イ ヤ ー , 同訳書, xi - 35 (255)-. 観.

(10) 第45巻. 第2号. す な わち思考と感情が 一 組の ペ アと な り, これにた い して感覚と直観が他の ペアとな る。 そして いずれかの機能が優位に な ると他の組み合せの機能は潜在化し, しかもその他 のペアも潜在化して補助機能としての存在に な る。 たとえば現在, 企業などの経営におい て 一 般的にみられる状況は, 思考機能しかも合理的 な 思考のみを中心に主機能化するた め, 勢 い 感情機能は不合理な ものとして抑圧 さ れ劣性機能として無意識レベルに潜在化 さ れることにな る。 したがって感覚と直観の機能の組み合せは, 当 然のこととして補助機能 化して無意識レベルに潜在化することに な る。 このと き 視聴覚をはじめとした感覚機能が 鋭敏で優勢であれば, 直観の機能はより抑圧 さ れて無意識の奥底に潜在化す ることに な る。 これを構造的に図示すると, つぎのように表現で き よう。. 思考 �- - - - - - - - - - - - - · 意識 レ ベ ル (表層心理). 品: ----- --1:__. I. 感覚. 集合的 ー 乙 — 無意識 ン. ↓. ー 感情 \::: : — 無『層:し:、. 直観. さ らにこれにユングの いう無意識レベルの深層心理に, 個人的無意識と集合的無意識の 二層の構造を付加してみる。 こうした意識と無意識にお け る心 理機能とその構造の関係 は, そのまま活動の相互関係に影響する。 しかもユングは, これに付加 さ れる影響要因と して, 意識の基 本的 な 態度として人間のもつ内向性と外向性と いう二類型を強調し, 歴史 上対立する時代の思想や主義も, この二極から生じて い ると, マイヤ ー も論ずるほどであ る。 こうした理解をふまえ てみると, ゴ ー ド ンの創造的プロ セ スの四つの段階は, つぎのよ うに い えるのではあるま いか。 まず第一の準備段階で, 「ある問題に没頭し, ぎりぎりの意 識的意図や努力を求められて い る」 のは, 表層心理としての意識的な 思考機能である。 っ まり 「意識的自我と分化の機能」であるともい え る。 第二の「こもりの段階」と いうのは, 「無意識の深み, 闇の中にある」ものであり, 無意識にお け る抑圧 さ れた感情との総藤であ り, 理性的というか合理的 な 思考だ け では解決し え な い 圧迫によって混乱や不安が個人的 無意識レベルで渦巻い てくる。 ところがその苦悩や欲望が激しく深け れば, 無意識レベル を さ らに沈潜して集合的無意識にまで到達する。 それは第三の「インス ビレ ー ションまた は啓示の段階」 と い われる直観の機能であろう。 これが「 いわば突然の ひらめ き , はっと. - 36 ( 256 )-.

(11) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近 (大森) する思い」であろう。 そして第四の「検証の段階」は, 表層的な意識レベルに回帰する過 程であり. イ ンス ピ レ ー ションとしてきたヴィジョンや コ ンセ プト を 吟味して適当な形態 や表現を もたらす個人的無意識レベルにおける感覚機能とそれを さらに明確化する思考機 能ヘバト ン タ ッ チ する連携プロ セ スであるともいえよう。 これが創造的プロ セ スの 「意識 的, 無意識的活動の相互作用」についての, これまでの深層心理学的なアプロ. ー. チ をふま. えての概略の理解にしておきたい。 こうした理解を, さらに心理学的にどう位置づけ意味 づけていくか, つぎの段階において考察していこう。. 4.. 創造的過程の分化 と 統合. これまでみてきた創造的プロ セ スの心理学的な理解を, さらに詳細に検討してみたい。 それをまず機能的なプロ セ スとして吟味してみよう。 すでにみた ゴー ド ンも, 「死と創造」 の最終章 「要約」において示唆している。 その基本的な命題は, 「うまく死ぬ人」であり. 「うまく創造する人」であるが. その解は, 「一方で分化と統合のプロ セ スに, 他方で脱分 化のプロ セ スに開かれている. ということである四 という。だがその命題を「うまく創造 する人」 に焦点を 絞っても, どうも要約として判然としない。 もう少しこれまでの議論を ふまえながら論理的に整理してみよう。 まず「分化と統合のプロ セ ス」であるが, すでにみた創造的プロ セ スの第一の準備段階, これが思考機能による合理的な分化のプロ セ スに位置づけられる。 そこで創造的プロ セ ス の全体像を明確にするため. まず平面的に二軸のマト リ ックスで. このプロ セ ス を 図示し ておこう。. ®/. II. ⑪. : ill. i >. IV. ^-. 高 低. 低. 高. 統合 分化. すなわち( I )→(Il)への®プロ セ スが, ここにいう思考的合理化といえる分化プロ セ スである。 これはついでにふれておくと, 立体的というか構造的に意識のレベルから,. ⑰. 同訳書, 247頁。. -37. 2 ( 57)-.

(12) 第45 巻 第 2 号 無意識とくに 個人的無意識のレ ベル ヘ の 接近 でありその 準備 のプ ロ セスである。 したがっ てこの 段階 では意識的な自 我機能による 打算 なり合理的な思考の 徹底 がなされて 当然であ る。 ここで経営者の事例を エ ビソ. ー. ドとして 挿入 するなら, 生 前において 松下電器 の創業. 者であった 松下幸之助 が, よく 口にしたことは, 「 問題の解決には, とことん 血 の 小便 が 出 るまで考え 尽 さんとあかんで」といったということである。 まさに「ぎりぎりの意識的意 図 や 努 力 」である。 しかもこれが 前提になる 準備の 段階にすぎないのである。 ところがこ こまでで 終始するのが . これまでの創造的プ ロ セスの考察や創造的な意思決定の議論では なかったろうか。 この自 我機能の集中の 段階 から, つぎのその 放棄 の過程に 移 行するのが, りの 段階 」である。 これは. 第二 の「こも. C II ) → ( ill) の ® プ ロ セスであり, いわゆる ゴ ー ドンのいう. 脱 分 化プ ロ セスである。 この 転換 の流れを詳 しく 追 うと, 自 我意識を集中することにより, 高統 合. ・ 高 分 化の 極 ( I )から, やがて分 化がさらに進んで過 剰にすぎると 相対 的にでは. あるが 統 合の程度は 薄 れていく過程を 辿 ること. C®プ. ロ セス ) になるが . やがて思考の分. 析力というか生産性は, 過ぎたるは 及 ば ざ るが ご としで,. 鈍化し 低下 するようになる。 す. なわ ち 低統 合 ・ 高 分 化の 状態 C II )から . 低統 合 ・ 低 分 化. (皿) へ の 移 行. ( @ プ ロ セス ). の過程になる。 この 状態 は, 心理的には感情的な不 安 定 化というか 混沌化であり, 生理的 あるいは 医 学的にいえば 変 性意識 ⑳といわれ, 表層的な意識から無意識 下へ の 潜入 の 状況 から 個人的無意識のレ ベルで,. 抑圧 された感情的な 影 をは じめとした 妄 想 ・ 幻影に 苛 いな. まされ 朦朧 の意識 状態 であるという。 この 変 性意識については 別 の機 会 で 夢 の問題などと からんで詳 しく考えてみたいとおもうが, ここではこの 変 性意識の 状態 にあって, 自 我の 思考機能あるいは合理的な分 化は 曖昧に 鈍化して意識が 真空 といえないまでも 希薄になっ ている 状況にあることを理解したい。 その 状況にあって無意識の 奥底に 抑圧 されていた 直 観 機能は . 集合的無意識のレ ベルから 個人的無意識を 濾 過されて意識レ ベル ヘ と 浮 上 しや すくなる。 これが 直観 的理 念化 してくる 統 合プ ロ セスで,. c cプ. ロ セス )であり,. イメ. ー. ジや ヴ ィジョンとして 昇華. 低 分 化ではあるが 高統 合の 状態 ( ill) → ( IV ) へ の 推移 である。. 」からの 脱却 であり, つぎの これは ゴ ー ドンのいう「こもりの 段階 よる. 「突 然の ひらめき」 に. 「 イン ス ビ レ ーションまたは 啓示の 段階 」 へ の 突入 である。 ここで ケ キ ュレが「 ベン. ゼ ン理論」の 科 学的発見にかんしていった 言 葉を文脈 から 至言 として想い 出す。「 諸君. 夢 みることを身につけよう. —. そうすれば多分 真理を見 出せる。 ただし . 夢 の内容を 覚 めた. 磁 安藤 治「瞑想の精神医学」 春秋社, 1993年刊。. - 38 (258)-.

(13) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近 (大森) 状態で検証するまでは発表 し ないことだ」⑳ と。 この後半の部分は, さ らにつぎの段階, それは感覚的現実化. C D プロセス). といえる過. 程であり, いまだ低分化の状態 (N) から高統合, 高分化へ移行 さ せる, ま さ に理性なり 知的な思考による 「検証の段階」 であり, 再 ・ 統合 プロセス (N) → ( I ) への推移とい え, 第二の再生の段階でもあるといえよう。 これら一連の プロセスなり段階を, あえて さ きにあげた松下幸之助の発言にあわせて理 解するなら, つぎのようにいえようか。 まず 「こもりの段階」 については, 「成功する コ ッ は, 諦 め ないこと, 成功するまでやり続けることである」 という。 さ きにみた 「血の小便 が出るまで,とことん考え抜いた」 うえに, なお成功するまで諦 め ないことが肝心という。 さ らに 「 イ ンス ピ レ ー シ ョ ン」については,「石の上に三年,同じ仕事を し て カ ンの出ない ようでは駄 目 だ」 という。 し かも 「検証」 についても,「経験をふまえたカ ンのうえに科学 的なものを付け加える」 という意味の表現を し て いる。 こう し た カ ンというか イ ンス ピ レ ー シ ョ ンなり直観を中核に し た一連の機能 プロセスを もう少 し 詳 し く松下幸之助の発 言を脈絡あるものと し て検討 し てみよう。 まず松下幸之助の経営観の全体像を理解するためにも,少々 冗長になるが,「経営者五つ の条件」 ということで, 関西経済同友会, 生産性関西地方本部の関西財界セ ミ ナ. ー. におけ. る講演での発言の要 旨を引 用 し ておこう。 それは, 一つは体験だと思うん です。 それから, その体験にもとづ < . あるいは体験以外 からも考えてよ ろ しいが, 経営的な知識がやっばり必要やと思います。 その知識の中には, 同時にやはり経営的識見が入っていな けり ゃ い かん ですね, 見識が。 それがな ければあかん と思うん です。 そのつぎに, 私は, カ ン というものが働かないといかん と思います。 またそのつぎには, 時 々 刻 々 意思が決定されていくという こ とが必要やないかと思うん です。 それから,実行カ ですね。 意思を決定 しても、 実行力がな ければ, こ れはなん にもならないですから。 それか ら, 先 ほ どお話がありました勇気という こ とです ね。 勇気をもって実行していくという, こ れがないとい けないと思います。 こ の五つをあげたん でありますが,まだたくさん ほ かにもあると思いますが, こ の五つの う ち でい ち ばん 妙味のあるものは何かというと, 私はカ ン やと思うん です。 カ ン というもの は, ある場合には非常に尊重され, ある場合には, カ ン でやったら危ないよと言われる。 し か し, 私は経営者に経営的カ ン が働かないという こ とは, 経営者としては, もう ダ メ だとい うふうに考えていいと思うん です。 科学でも,科学者としての カ ン が働かなかったならば, 私は, 科学者としてはやっばり成 功 しないと思うん です。 (29). ニ. ュ. ー. ト ン がりん ごが落 ち るのを見て万有引力を発見 したという. ゴ ー ド ン , 同訳書, 1 97頁。 - 39 (259)-.

(14) 第45巻. 第2号. こ と で あ り ま すが, り ん ごが落 ち た と い う こ と は. だ れ で も 見て る わ け です。 い か な る 科学 者 も あ る い は 一般の人 も 見て る わ け で す。 し か し . そ こ に . こ れ は お か し い ぞ と い う 思 い を も っ て. こ れ は万有引 力 と い う も のがあ る の や な い か と い う こ と を ニ ュ. ト ン は 考えた。. ー. こ れ は カ ン です わ 。 私 は そ う 思 う ん で す。 そして 反 問していう。「 この カンというものにつきまして , 皆 さんはどういうふうにお 考 えになっておられますか ,. これは , 理 屈であるようで理 屈でなし , 非常に 妙 味のあると こ. ろで , 面 白いんでありますけれども , 考 えてみると これは , 非常に 明確 な. 一. つの力やない. かと思うんです」と。 そして 骨董 品 の事例を取り上げて , 本 物 の 鑑 定と 値打 の評 価 ができ る カンの働きで比喩し , 事業の経営でもまた戦争 でも. 一. 緒 であるという。 つまり「成果が. あがるかあがらんか , やってみてその成果を問うというような ことは ,. これはいかにも合. 理的に思いますけども , そんな ことは , 私 は , 戦争 やってみて 負 けた , 負 けてから考えよ うというのと. 一. 緒 やと思うんです , 早 くいえば 」と 笑 いを 呼 んだという。 さらに結論的に. この問題について , つぎのように発 言 する。 「 ですから ,そういう ことはいけないと思うんですが ,その体 験,知識 , カン ,意思決定 , 実 行 力というものを , われわれがみずからそれを 養 うと同時に , 次 代の人々にどう 植 えつ けるかという ことが , 私 は 今 日の経営者の非常な 貨任 やないかと思うんです。 だから カン でやったらあかんぞ , というような ことをうっかり 言 えないと思うんですよ。. カンという. ものは , 非常に 尊 ばないといかん。 しかし カンは , 単 なる カンではいかん。 その カンはい ま 申 しましたような 真 実を 直 感して分かるような カンでなき ゃいけない。 そういう 養成を しな くてはならんという感 じがしておるわけであります。」 OO こ こには「経営者の 条件 」として , 「 カン」がかなり 重 要 視 されているし , その 妙 味を 強 調 し , 理 「 屈であるようで理 屈でなし」と 微妙 な表現をするものの ,「的 確 な ともいう。 それは. 一. つの カン」. 「真 実を 直 感して分かるような カン」であり , 「 養成しな くてはならん」. ものであるという。. むしろ カンないし 直 感. ときには ( 直観 ともいい代えているが ) によっ. て , 広い意味での意思決定の過程は , 質的に 左右 される。 すなわち意思決定の 準備 の 段階 における体 験 と知識を集中させる「ぎりぎりの意識的意 図 と 努 力 」は理 屈で解るし 行 える 範囲 であるが , それだけでは解答しえない限界なり 壁に 突 き 当って 行 き 詰 まる ことがしば しばある現実である。. これがすでにみた「 こもりの 段階」であり ,それから 突 き 抜 ける「 突. 感な 然 の ひらめき」, これが イ 「 ン ス ビレ ーションの 段階」であり , それが カンであり , 直. ⑳. 「松下幸之助発言集」 2 , 120頁- 1 22頁, PHP 研究所, 1 991年刊。. - 40 (260)-.

(15) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近 (大森) り直観, あるいは時に コ ッ と 呼んでいるものの内容であろう。 その過程は無意識の レ ベル における働きで, かならずしも理屈づけられないプロ セ スである。 しかも 「単なるカン」 でな < .. 「真実を直感して分かるようなカン」 であるためには, 個人的無意識に と どまら. ず, 集合的無意識の レベルに深化して, ただ個人的な感情や感覚の抑圧された影の影響を 超えて, 人間に普遍的な智恵の発露 と もいえる啓示が湧出してこなければならない。 その 啓示なり 「 ひらめき」のヴ ィ ジ ョ ン と かイメ ー ジが, さらに意識的な 「検証の段階」をヘ て吟味され, 判断 と か決断 と いわれる狭い意味での意思決定 と なる。 これは内容 と して理 屈づけられ, 合理的な思考の産物になる。 しかもそれは 「絵に画いた餅」にならぬよう, 最後の経営者の条件である 「実行力」によって裏付けられ フ ォ ロ ー される必要がある。 こ うした全過程が経営者に必要な役割であり, 「経営 と は意思決定なり」 (Management is Decision-Making.-Simon, H.A.) と いう観点からすれば, このすべてが広い意味での意 思決定の過程であり, その中心的な機能なり段階が, カンなり直観あるいはインス ピ レ ー シ ョ ンである と いえ よう。. 5.. 創造的過程 に お け る 直観力. これまで経営者の創造的過程について考察するにあたって. まず人間そのものにおける 創造的過程をみるこ と から. 深層心理学の知見を採り入れ. その性質や機能そして段階な どについて理解してきた。 それをふまえ て事例的に経営者の見解を引用して. その内容を 吟味し検討したのであるが, ここではさらにその事例を直観力に焦点を当ててみるこ と に する。 もっ と もそれはすでに 「松下幸之助の直観力」011 と して. 世に問われた先学の成果 を, 共感する と ころ多々なので素直に理解してみたい。 この書物の見出しに, 「松下幸之助は天才ではない。たゆまず歩んだ自己啓発の正道から 「悟り』 を見出した人である」 と ある。これは本書の内容を示唆する含蓄のある結論でもあ る。 まず 「天才」ではなく. 普通の人, 平凡人であるこ と , つぎに 「自 己啓発の正道」を たゆまず歩んだこ と . 凡人の通れる道があるこ と . さらに「悟り」 を見出したこ と , つま り直観力の内味はそのようなものであろう と 推量しえ る。 これから. この筋書きに合わせ ながら要約してみよう。 まず結論から人って. 「直観力 と は悟りである」 と いう。 つまり仏教にいう 「悟り」 と の. (31) 中山正和 「松下幸之助の直観力」 PHP 研究所, 1994年刊。 -41 2( 1 6 )-.

(16) 第45巻. 第2号. 比較において直観力を 理解しようとする。 著者は 「まえがき」 において, 松下幸之助につ いてつぎのように述懐している。 「人は 『天オ』 と言うかもしれませんが. そうではなくて, 巧まずして 「自己啓発」の正 道 を 歩んだ人, お釈迦さまの言う 『菩薩道」 を自ら見付け出した人ではないかと思うよう になりました。 そうでなくてはあの凄まじいばかりの直観力は説明することができないだ ろ うと思ったのです。 四 したがって仏教に比喩した解説なり理解が以後かなり頻繁にでてくる。 たとえば. 「お釈 迦さまの言う菩薩は学問 を必要としません。 ただ 『六波羅密』 だけを実行せよ, そうすれ ば 『誰でも』 神通力が得られると言われました」と。 この神通力が直観力であり, つまり 悟りであるという。 そして事業の経営はもとより, 「発見も発明も, 最後に決め手になるの は直観なのですから」 とみずからの専門の領域にかんしても強調する。 こ の 「悟 り 」 は直観です。 そ れ ま で あ れ こ れ と 「考え」 ま す が,「 こ れ だ ッ 」 と ビ ン と き て. 一切の疑問が 一瞬 に 解けて し ま う のが 「悟 り 」 と い う ので し ょ う が. そ の小型の も の は わ れわ れ が ア イ デ ィ ア に 「気づ く 」 と い う と き に 経験する こ と がで き ま す。 た だ. 不思議な こ と に. そ う い う 瞬間 は い つ で も 「 そ の問題 を 考え て い な い と き 」 に突然や っ て く るのです。 これはすでにみた深層心理学における創造的プロ セ スの四つの段階の 「準備」から 「こ もり」そして 「啓示」の一 連の過程にあたる。 仏教ではそれを, 「法を求めようと欲するな らば法を求めてはならぬ」 という。 「それは人間が生まれながらにして持っている 『いの ⑬ ち』 の中に組み込まれている 『法』 の働きだ」 といい, それは 「仏性」だともいえるし,. 「宇宙の真理」 といえ, 「ア イ ディア」ともいえるという。 そして 「悟り」 のための三つの方法にふれる。 いわば 「相手 を 見て法を説く」わけで, 人間それぞれの 「性格」 に合わせて実行できるように説く。 これは深層心理学, とくにユ ング派の内向型, 外向型 をはじめ, 思考ー感情, 感覚一直観という機能優劣の組み合せに よる性格類型を考えてみると, 類似した興味のある問題であるが, また別途の機会に検討 することにして, ここでは仏教にいう 「悟り」の方法について, 簡単にみておこう。 まず し ょ う もん. 第ーは声 聞で, 師匠のいう 「声」 をよく 「聞」くという方法, つまり道である。 そのため の実行を, 「四諦論」「八正道」 に求められている。 つぎ第二の タ イ プは 「籍貸」で, また 「独覚」ともいわれるように, 自分なりの知見によって行動する性格の人々への道である。 これにたいして 「十二因縁論」 の心得 を説いている。 さらに第三の 「菩薩」の道は, 「頭も ⑫ 中山, 同書. 3 頁。 Cl3) 中 山, 同書, 17頁。. - 42 ( 262 )-.

(17) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近 (大森). 良くない し 学問するの も 好きでないという人」へ, 釈迦のいうとおり「ただただ実行 し さ えすればいいのだ」という, 「六波羅密」の実践, 修行を教える。 あと詳細は専門の書物に ゆずると し て, 「悟り」 の方法は, 個人の性格にあわせて, この三つの道があるが, 松下幸 之助の直観力は, 第三の道, 菩薩の方法,. し たがって「六波羅密」の実行による も のだと. いう。 ただ仏教の専門の立場からすれば議論があろうが, た し かに「苦労 し て自分の仕事 について 「悟り』 を 得た人」であり, それは「我を 忘れるということ」 ここに要訣がある という。 この「六波羅密」というのは. 布施, 持戒, 忍辱, 精進, 禅定, 般若の六つであるが, このうち精進までの四つは, 幼く し て船場に丁稚奉公に出た松下幸之助が, 日々の仕事の 修行のなかで身につけ, やがて 「禅定」あるいは三昧といわ れる境地に辿りつくようにな るのではないかという。 すなわち三昧というのは, 「そのことに没頭 し て し まって 『時の経 つのに気づかない』 のがその特徴」であるという。 この状態が「我を 忘れて」 没我の境地 で. 自 然にアイ デ ィ アや イ メ ー ジが湧き上ってくるといい, ア イ ン シュ タ イ ン はこれを, 「私は 1 00% イ メ ー ジで考える」といったという。 科学者の発見や技術者の発明 を はじめ, 芸術家などの ヴ ィ ジョ ン や イ ン ス ビ レ ー ショ ン も , こう し た 「 イ メ ー ジの独り歩き」の現 象による も ので, 仕事の夢からの ヒ ン ト など も 一 種の禅定であろうという。 これが仏教で いう, 不思議の力, 「不可思議の法門」といわ れるところであると。 そ し てここまでは誰で も, つまり声聞や縁覚の人で も 到達できる境地であるが, つぎの第六, 最後の 「般若」 す なわち「仏の智恵」にいたるのには, どう し て も 「菩薩」の道を歩まなければならないと いう。 少々抽象的にすぎるが, 「自己と他 己とが一体となって し まう, 宇宙と我は一体であ ることを悟る四 これを「不二の法門」というと。 も っと具体的にいうと「他人の身になっ て し まう」訓練だと も いう。 この境地は, 「万物一に帰することを 体験するから万物に起き ていることが わかる, すなわ ち, すべて を 『直観』 することができる」というが, 釈迦に おいてすら, この 「般若」 については, 「この法は示すべからず, 言語の相寂滅すればなり」 (法華経) といったということから し て も . ただ推憶するのみである。 し か し 凡人誰で も 可 能であるような「不可思議の法門」というか. 不思議の力, 「直観力」の悟りの境地は, ま だ推測 し える範囲のようにお も えるのだが。 その意味で「直観力」 の内味についての理解を進めてみたい。 まずはじめに 「直感」と 「直観」の相異から考察 し ていこう。「両方と も コ ト バとは関係な し に働くことは同じです. (34) 中山, 同書, 30頁。 - 43 ( 263)-.

(18) 第45巻. 第2号. が, 直感の方は, 外部からの剌激に対 し て自動的にカラ ダが反応するこ と 」Cl5) と い う 。 し た がっていずれも コ ト バに関係 し ない と い う こ と は共通 し ており, 言語知 と い う か形式知を 契機に し た,. ユ. ン グのい う 思考の機能によるのではなく,「直に感ずる」外部からの刺激に. 無意識に反応する, 潜在化 し ている感覚の機能によるものである と いえよ う 。 そのため直 感力がいい と い う のは感覚器等が敏感である と い う こ と であり, 身体的な問題である。 カ ン がいい, 冴える と い う のも, 人間が同じ作業を繰り返 し ている と, その感覚器管が敏感 になり, カラ ダで仕事を覚える状態になるわけである。 それにたい し て直観の ほ う は, 「何 か新 し い環境に直面 し た と きに, 過去に体験 し た記憶の中から, 役に立ちそ う な記憶が自 動的に現れて行動を規制するこ と 」, そ し て「いわば過去の記憶を直かに観ているのだから 直観 と 名付けるのです」°° と い う 。. し たがって 「カラ ダで覚える仕事には直感を鍛えるこ. と が大事です し , ア タ マを使 う 仕事には直観を働かせなくてはなり ま せん。 直感の方は繰 り返 し て練習する と い う こ と で比較的ラ ク なのですが, 直観は鍛えよ う と 思ってもなかな か思 う よ う にはいかないのです」⑰ と もい う 。 た し かに ユ ン グのい う よ う に直観の機能は, 感覚 と ペ アになりながら, 今日におけるよ う に思考中心の理性や合理性を重視する風潮 に, 感情の機能は無意識下に抑制されて影の記憶 と なる と と もに, 感覚一直観の機能はさ ら奥底に埋没するこ と になる。 つ ま り理性や合理性の思考が強調されればされる ほど, 合 理的でないもの と し て感情はも と ま り, 感覚や直観は無意識のなかに潜在化するため, カ ン や ヒ ラメキは生 ま れにくくなる と いえる。 このこ と をふ ま えながら, 直観 と 記憶 と の関係について考えていく。 ま ず記憶には三つ あって,「①いつでもす ぐ 思い出せる記憶 と , ②知っていても誰かに言われなければ思い出 せない記憶 それから. ③他人に言われても思い出せない記憶」があり, それぞれ, 「過去. の記憶のイメ ー ジ がそれらの コ ト バに結びついている」第一の記憶から, 「記憶イメ ー ジ と コ ト バのつながりが切れて し ま っている」第二の記憶, さらに「全く思い出すこ と はでき ま せんが, 記憶に入っているこ と は事実である」 第三の記憶 ま である と い う 。 これらを仏 教的には, 「 マ ナ 識 (末那識)」「アラヤ 識 (阿頼耶識)」そ し て「アマラ識 (阿摩羅識)」 と いって, 古くから直観のこ と をはじめ無意識の記憶のこ と も研究されていた と い う 。 それは と もかく第 一の コ ト バ記憶 と 第二のイメ ー ジ 記憶それ と 「三つ子の魂, 百 ま で」 と いわれる幼少期の「刷り込み」記憶 と いえる第三のそれ と の関係から, 思考 と 感情そ し. (3.5) 中山, 同書, 35頁。 Cl6) 中山, 同書, 36頁。 聞 中山, 同書, 36頁。 -44. 2 ( 4)6.

(19) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近 (大森) て感覚と直観の機能は理解 し えよう。 いうまでもなく思考の機能はまず, 言語系の コ ト バ 記憶の操作, つまり理性的に合理的におこなうことによって可能である。 それにたい し て 好き嫌いなど感情的で本能的な幼少期からの記憶は,「刷り込み」と し て潜在意識に蓄積さ れ, 動物的で, 人問的な知的活動には不都合な存在と し て奥底へ抑圧されてきている。 そ し て外界との窓 口である感覚器官を通 し て一般に五感というが, これらの感覚は コ ト バに 濾過されながらも, コ ト バ による顕在化 し た思考や意識の下層に, イ メ ー ジ記憶と し て潜 在 し 沈澱 し ていく。 人間の生育過程からすると, この三つの個人レベルを超えた, さらに 深みに人間に共通のベースというか,. ユ ングのいう集合的無意識のレベルがあると仮説さ. れる。 すなわち人間という存在の「いのちの記憶」ともいいえ る領域であり, そこからの 発信が直観でありその機能であろう。 し たがってすでにみたユングの意識階層構造 モ デ ルと対応さ し て理解すれば, つぎのよ うに略図化することができる。 またあわせて仏教的というかその唯識論などにいう語句も あると当てはめてみる。 そ し て直観はどう生まれるのか, あるいは松下幸之助は直観をど う使っていたのか, こう し た問題にたいする見透 し をたててみたい。. 表層意識 (顕在意識). コ ト バ記憶 思考. 意識 (表層心理) (五識+ 第六識) 個人的無意識 (未那識 ー 第七識) 集合的無意識 (阿頼耶識 ー 第八識) (阿摩羅識 ー 第九識). 意識の階層構造モデル. 6.. 結. 語. もともと問題意識の原点は, どうも経営者の意思決定その過程は, たとえば松下幸之助 のその原風景をみていると, 経営者やその理論に伝統的にいわれているような, いわゆる 合理的意思決定論のような内容でいいのであろうか, というのが出発の疑問である。 そ し てとくに松下幸之助の言動についての資料を検討するに し たがって, どうも直観的意思決 -45 2( 5)6.

(20) 第45巻. 第2号. 定論といえ る内容があるのではないか, という反問になり, それを出来れば, 理論的にも 検討したいと想うようになってきたわけである。 そしてまず理論的にというか文献的に, 意思決定に関連して, 経営学の領域というより むしろ学際的に心理学, しかも深層心理学の領域にみられる知見を参照してみる。 そこに ユ ングの意識の全体像にかんする知見を, とくにマイヤ ー の理解をふまえながらみたので ある。 結論の要約は, さきにあげた意識の階層 モ デ ルに端的に表現されているといえるが, 人間の意識が表層的な顕在化した意識のレベルだけでなく, 潜在化した深層意識のレベル をもつこと, しかもその部分がより深くより大きく心理的な機能に影響 を およぽすことを 理解した。 そのことは人間一般として 当 然に経営者も包含して共通する知見である。 もっ ともこの知見が, 従来の科学という意味において実証されえ るかどうかには, いまだにそ の立場によっては検討の余地はあろうが, 少なくとも人間を主体に, とくにその意識や心 理を 取扱う分野においては, 現象学的な ア プロ ー チ そして臨床知的な体系化が, これから ますます求められるのではなかろうか。 その意味で,. ユ ングの発見といわれる個人的無意識と集合的無意識,. なかんずく後者の. 意義は大きい。 それは人間の意識機能を基本的に四つ, 思考ー感情, 感覚一直観に区分し, 性格の類型化 をはかったことに関連して, 集合的無意識の構造的なレベルと匝観の機能が 関連づけられる端緒 を 示唆してくれている。 これは現代における, もっとも現代らしい理 知的な合理性を 追求して生活する経営者が感情 を 抑 え た思考中心型の意識なり意思決定や その過程に内蔵されていく心理的な特化およびそれにともなう歪曲 を 教 え るとともに, こ れからの対処, 解決の方途 を学ぶところがあるといえ よう。 こうみたとき, たしかに松下幸之助の事例は一例にすぎないが, その人生にわたる経営 者の業績からすれば, 十分に検討に値いする代表例ともいえよう。 そこに見出される経営 者としての意識なり, その意思決定とその過程にみられる特性は, どうも思考を中心とし た合理的な意思決定とはいえず, むしろ直観を中核とする意思決定とその過程であるので はないかと想う。 もっともそのとき, 意思決定の全過程において直観だけでいいというこ とではなく, 直観を中核にするが, 意識の他の機能, すなわち思考はもとより, 感情や感 覚を無視せず, いかに有効にその過程に相乗の効果 をもたらしえ るのかが, これからの検 討さるぺき問題であろう。 ただそこにすでにみたように意識の機能的な相互作用は, 意識 の存在の場において, すでに構造的に階層化されている位置づけのなかで, 関係づけられ ている。 このことを ふまえたうえで, どう直観的意思決定の過程を 有効に具現することが できるのであろうか。 - 46 (266 )-.

(21) 経営者の創造的過程への深層心理学的接近 (大森) それを松下幸之助の事例にそいながら解明 し てみたい。 すでにふれた 「松下幸之助の直 観力」⑳ には, キ ー ワ. ー. ド と し て 「考えぬく人」松下幸之助をはじめ と し て, まず「 タ ネ が. なくな る まで考え る 」これは思考の機能をもって徹底 し て分析す る こ と であり, 合理的思 考はむ し ろ準備の段階においてまず駆使されねばならないこ と を過程 と し て物語ってい る 。 と ころがその過程の中核の段階 と し て強調す る のは, 「刷り込み」が人生を決め る, と いい. 無意識から 「直観」 は生まれ る , と いう。 つまり「直観の正体」 をはっきりさせ る こ と が大事 と いう。 それによって松下幸之助の「決断の仕方」を詳細にわたってみていこ うとする。 われわれも. これに教えられながら, それを教材 と し ながら, む しろ理論的にはすでに ふれたようにユングの深層心理学の知見を援用 し て検証のチ ェックを し ていきたい と おも う。 そこではた と えば. 無意識から「直観」 は生まれ る . のであ る が, より厳密には集合 的無意識から.. し かも「刷り込み」が人生を決め る , と もいえ る が, それだけでなくより. 重要なのは「いのち」 記憶 と いえ る 生命に共通 し た, その意味での集合的な無意識が大切 であ る と いえよう。 このような奥底に潜在す る 集合的無意識の源泉から, いかに直観を顕 在化させ. 意思決定 と し て具現化 し, その全過程を有効化 し ていくのか, この問題を, っ ぎの機会に理解 し ていきたい と おもう。. ⑱. 中山, 同書。. -7 4 2( 67)-.

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参照

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