• 検索結果がありません。

[座談会]国民国家とリージョナリズム:地域統合を比較する(家田修、臼杵陽、遠藤貢、押川文子、川島真、村上勇介、山影進、(司会)山本博之)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "[座談会]国民国家とリージョナリズム:地域統合を比較する(家田修、臼杵陽、遠藤貢、押川文子、川島真、村上勇介、山影進、(司会)山本博之)"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

特集

リージョナリズムの

現在

──国民国家

19世

(2)

会( )  今 日 は お 集 ま り い た だ き、 あ り が と う ご ざ います。 グ ロ ー バ ル 化 が も た ら し た 地 域 の 枠 の 変 動 を 背 景 に、 リージョナリズムがあらためて関心を集めるようになって います。リージョナリズムというと、地域統合、つまり国 民国家の単位を越えてつながりを作る動きがまず想起され るのですが、それだけでなくて国民国家のなかになんらか の地域を作る動き、ある意味ではローカリズムと同義に使 われるような場合もあります。地域統合にしても、単純に 国家の相対化といった動きではなくて、国境の内外の複雑 な動きが絡んでいる。地域によってリージョナリズムとい う言葉そのものが多様な実態を指して用いられているし、

特集

現在

― ― 国民国家 の 内 と 外 で リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム ( 地 域 主 義 ) ― ― そ れ は 、国 家 で あ れ 、 何 ら か の 集 団 で あ れ 、 あ る い は 個 人 で あ れ 、 自 ら の 所 属 す る 空 間 的 枠 組 み を 意 識 的 に 再 編 し よ う と す る 動 き で あ る 。 一 方 で は 進 行 す る グ ロ ー バ ル 化 の も と で 、 他 方 で は さ ま ざ ま な 集 団 が ま す ま す 「 我 々 の 空 間 」 を 求 め る な か で 、 一 九 世 紀 以 来 の 国 民 国 家 に よ る 空 間 の 分 割 と 統 治 の 概 念 ・ 制 度 を 問 い 直 す 動 き が 活 性 化 し て い る 。 本 特 集 は 、 国 家 単 位 の 地 域 統 合 だ け で な く 、 地 方 分 権 化 や 新 し い 市 民 権 を 求 め る 動 き な ど も 含 め て 、 人 々 と 領 域 と の 関 係 を 問 い 直 す 動 き を 広 く リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム と し て 捉 え 、 世 界 各 地 に お け る そ の 展 開 の 分 析 を も と に 、 地 域 研 究 の 視 点 か ら 検 討 す る こ と を 目 的 と し て 企 画 さ れ た 。 特 集 全 体 と し て 、 今 日 の リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム が 、 国 民 国 家 の 時 代 に お い て 自 明 と さ れ て き た 領 域 、 統 治 、 権 利 の 多 く に 改 変 を 迫 る 動 き で あ る と 同 時 に 、 リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム の 行 方 が 国 家 の ガ バ ナ ン ス に 左 右 さ れ 、 そ の 活 性 化 の な か で さ ま ざ ま な 境 界 の も つ 意 味 も ま た 再 確 認 さ れ る と い う 今 日 的 状 況 を 提 示 す る こ と が ね ら い で あ る 。 特 集 は 、 二 つ の 部 分 か ら 構 成 さ れ る 。 座 談 会 で は 、 ア ジ ア 、 中 東 、 ヨ ー ロ ッ パ 、 ア フ リ カ 、 ラ テ ン ア メ リ カ を 事 例 に 、 地 域 統 合 の 現 状 と そ れ ぞ れ の 地 域 的 特 質 が 議 論 さ れ る 。 こ こ で の 主 た る ア ク タ ー は 国 家 で あ り 、 グ ロ ー バ ル 化 を 背 景 に 国 家 が さ ま ざ ま な 地 域 統 合 を 模 索 し 地 域 的 ( リ ー ジ ョ ナ ル ) な ポ ジ シ ョ ン を 確 保 し よ う と す る な か で 、 リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム と 国 民 国 家 の 間 の 相 互 作 用 が 深 ま っ て い る こ と 、 ま た リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム の 牽 引 役 と し て の 「 地 域 大 国 」 の 役 割 な ど が 浮 き 彫 り に さ れ る 。 座 談 会 に 続 く 六 編 の 論 文 は 、「 特 集 に あ た っ て 」 に も 述 べ ら れ て い る よ う に 、国 家 と い う 枠 組 み を 前 提 と し つ つ も 、 人 々 が そ れ ぞ れ の 「 地 域 」 に あ ら た な 意 味 を 見 出 し 、 地 域 を 創 り 、 再 編 す る 動 き に つ い て 、 実 証 的 分 析 を 中 心 に 構 成 し た 。 主 体 は 国 家 で は な く 人 々 で あ り 、取 り 上 げ た 地 域 も 、 「 地 域 大 国 」 よ り も 、 現 存 す る 国 内 外 の 地 域 秩 序 を 前 提 と せ ざ る を え な い 「 周 辺 」 と 見 な さ れ て き た 地 域 で あ る 。 一 見 異 な る 視 点 に 見 え る 座 談 会 と 論 文 部 分 は 、 じ つ は 表 裏 一 体 で あ る 。 リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム は た ん な る 既 存 の 地 域 の 再 編 で は な い 。 本 特 集 が 、 リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム に よ っ て 、 国 家 、 統 治 、 そ し て 人 々 と 空 間 領 域 と の 関 係 に も た ら さ れ て い る 深 く 大 き な 変 化 を 考 え る ひ と つ の 契 機 と な る こ と を 願 っ て い る 。 ( 刊 行 担 当 )

出 席 者   家 田   修 ︵ 北 海 道 大 学 ス ラ ブ 研 究 セ ン タ ー 、 東 欧 地 域 研 究 ︶ 臼 杵   陽 ︵ 日 本 女 子 大 学 文 学 部 史 学 科 、 中 東 近 現 代 史 研 究 ︶ 遠 藤   貢 ︵ 東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科 、 ア フ リ カ 政 治 研 究 ︶ 押 川 文 子 ︵ 京 都 大 学 地 域 研 究 統 合 情 報 セ ン タ ー 、 イ ン ド 社 会 研 究 ︶ 川 島   真 ︵ 東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科 、 中 国 ・ 台 湾 政 治 研 究 ︶ 村 上 勇 介 ︵ 京 都 大 学 地 域 研 究 統 合 情 報 セ ン タ ー 、 ラ テ ン ア メ リ カ 政 治 研 究 ︶ 山 影   進 ︵ 東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科 、 東 南 ア ジ ア 国 際 関 係 研 究 ︶ 司   会   山 本 博 之 ︵ 京 都 大 学 地 域 研 究 統 合 情 報 セ ン タ ー 、 東 南 ア ジ ア 地 域 研 究 ︶ 収 録 日     二 〇 〇 七 年 一 二 月 一 三 日

(3)

し 定 着 化 す る「か た ち 」、 つ ま り 制 度 化 と い う 点 に も 着 目 し て み た い と 思 い ま す。 つ ま り 国 家 の 外 側 に 国 家 が つ な がっていくにせよ、あるいは国境をはさんで実態的な地域 が 形 成 さ れ る に せ よ、 最 終 的 に は ど う い っ た「制 度 」、 つ ま り 統 治 の 枠 組 み が 形 成 さ れ る の だ ろ う か、 と い う 点 で す。どこまで、 どういうアクターを組み込みつつ、 リージョ ナリズムが実体化し制度的に定着しているのか、というこ と で す ね。 こ の 課 題 は、 「国 民 国 家 の ゆ く え 」 と い う 大 き な問題にかかわっていますが、現実のリージョナリズムを 見ていますと、EUのように制度化しているところもあれ ば、たとえば水管理や電力を融通し合うというレベルだけ で終わってしまって、それ以上にはならない場合もある。 また、たとえきれいな制度ができても、実体はまったく伴 わない地域もあります。私が見ているアンデス共同体など は、その典型ですね。アクターにとって必然性が薄いとい うことかもしれません。

︱︱

司会   東南アジアの場合には、国家連合としてのASEA Nが、近年、ある程度の成熟を見せていると思いますが。

︱ ︱ テ ン・ ピ ー プ ル ズ の A S E A N へ 山影   そうですね、具体的にASEANについて触れるま えに、リージョナリズム一般についての私の理解を少し述 べて始めたいと思います。国家の上のリージョナリズムと いうのは、第二次世界大戦後の歴史を考えると、大戦直後 の「 グ ロ ー バ リ ズ ム 」、 つ ま り 国 際 社 会 全 体 に 多 角 的 な 協 力が必要なんだという大前提があって、しかし現実にはそ れではなかなかうまくいかないというなかで、次善の策と して出てきたと思います。そうだとすると、世界の下に部 分的まとまりを作ろうとするのが、国際的なリージョナリ ズムということになります。他方で、国家の下にあるリー ジョナリズムというのは、たとえばリージョナル・エコノ ミクスとかリージョナル・スタディーズのように、国家を ひとつの単位として見るからわからなくて、そのなかのあ る要素、たとえば工場立地や交通網といったある部分に注 目する必要がありますね。つまり、国家という全体の下の 部分が大事なんだということで「リージョン」が問題にさ れてきたと思います。そう考えると、 「リージョン」 、ある いは「リージョナリズム」は、どういう全体のなかのある 部分なのか、なぜそれが注目されるようになったのかとい うことを意識して考えるとおもしろいのではないか、とい 人々がリージョナリズムという語を自らの状況にひきつけ て 使 っ て い る、 と い う の が 現 状 だ と 思 い ま す。 つ ま り グ ローバル化という状況のなかで、今あらためて、人々が地 域に対して新しい意味づけをしていて、それが地域主義、 リージョナリズムという言葉で、多義的に表されている。 そうであるならば、リージョナリズムという言葉をキイ ワードにすると、ある意味では国家と地域の現状を比較し て考えることができるのではないか、ということがそもそ もの座談会企画のアイデアでした。この座談会では、多様 なリージョナリズムのなかで、とくに国家間の、あるいは 国境を越える動きを中心に、各地域の状況をつき合わせて みたいと思います。つまり地域統合と呼ばれている現象に 焦点をあてながら、その現状をふまえて、地域統合が拓く 可能性や国民国家の変容を議論していきたいと思います。 まず村上さんから、もう少しくわしくリージョナリズムを 比較するうえでポイントになりそうなことを説明してもら えませんか。 村上   具体的にこのリージョナリズムという言葉のもつ意 味を考えていきますと、論点は三つあると思います。 ひとつめは、その方向性の問題ですね。今、司会者が言 われたように、この座談会では、国家の内側へむかうリー ジョナリズムよりも、国家間、あるいは国境を越えるリー ジョナリズムを中心に議論しますが、その場合でもEUや ASEANといった国家連合の動きもあれば国境をはさん でなんらかの一体性をもつ地域が機能的につながっていく 動きもあります。今後、国境をはさんだ地域が水やエネル ギーといった資源を合理的に利用する動きは各地で広がっ ていくでしょう。国境が分断してきた民族的、歴史的なつ ながりが見直され交流が深まっている、といった場合もあ ります。 二つめの課題は、リージョナリズムを担うアクターです ね。国家が主たるアクターのリージョナリズムもあれば、 むしろ国家とは違う場で、地方自治体やコミュニティが主 要なアクターになる場合もある。 そして三つめの課題として、リージョナリズムが具体化 村上勇介

(4)

いは一〇の人民ということになってきた。政府という非常 に政治的なものから、ピープルズというふうに言葉づかい が変わったというのは、それだけ東南アジアにおいても、 地域としてのまとまりがある程度はできてきて、次の段階 に進もうとする動きも見えてきたのかなと思っています。

︱ ︱ 不 干 渉 か ら﹁ 関 心 を も ち あ う ﹂国 家 関 係 へ 遠藤   アフリカでリージョナリズムを考える場合、もちろ ん 大 陸 レ ベ ル の 問 題 も あ り ま す し、 そ れ 以 外 に 西 ア フ リ カ、南アフリカ、東アフリカ、それに北アフリカ、つまり マグレブ地域、といったサブ・リージョンの問題もありま す。 さ ら に 三、 四 ヵ 国 程 度 の い ろ い ろ な 地 域 機 構 も 存 在 し ています。地域機構というと、そこにおける主体というの は基本的に国家となりますが、山影さんが話された東南ア ジアと同じように、アフリカでもはたして今日まで国民国 家が完成したかたちとして存在する段階にいたっているの か、ということには、評価が非常に難しいところがありま すね。たしかに最近、いろんなかたちで市民権の問題や排 斥主義的な現象が見られるようになってきていまして、一 定の国民、あるいは市民といった意識がアフリカにも出て きているということを逆に表しているのかな、とも思って いるのですが。 ここではリージョナリズムということとのつながりで、 大陸全体にかかわるところについて、少しお話をしたいと 思います。大陸レベルでの地域機構としては、アフリカ統 一 機 構 (O A U ) が 従 来 は 存 在 し て い ま し た。 こ の O A U の基本的な機能は、 領土保全と内政不干渉だったわけです。 第二次世界大戦後に脱植民地化というプロセスを経て国家 が独立していく過程において、国境線を変えないで維持す るということが重要だったわけですね。したがって、OA Uの議論のなかでは国境線の変更はタブー視されてきまし たし、内政干渉にあたることも、ほとんど行われることは ありませんでした。アフリカでは冷戦期にもいろいろな紛 争が起きたわけですけれども、それに対してもOAUは、 うのが、ぼくの捉え方です。 その「全体」の問題ですが、第二次世界大戦後の国際社 会では、 一九三〇年代の経験をふまえて、 平和・安全保障、 それから経済の面でも、地域でまとまるということは、あ る意味では悪であるという非常に強い規制がかかっていま した。たとえば関税地域についても、GATT二四条の縛 りがありますし、安全保障においても地域的取り決めとい うのは国連の集団安全保障機能からして見ると国連憲章第 八章にあるように副次的な位置づけにされていたと思いま す。ところが実態は、世界全体をカバーするような大きな 制度化は進まず、世界の平和も実現しなかったわけで、で きるところから小さな平和と繁栄のシマを作って実現して いこう、というのが、地域主義の出発点ではなかったかと ぼくは見ています。 A S E A N の 動 き に 対 し て は、 「ま だ き ち ん と 国 民 国 家 ができていないにもかかわらず、なんで地域としてまとま るのか」 といった批判もありました。 ヨーロッパのように、 国民国家がきちんと形成されているところが地域としてま とまっていくプロセス、つまり国家統合が完了した国々で 明らかに国民国家の相対化というプロセスが進むのは理解 できるが、東南アジアの状況には大きなちがいがあるとい うわけです。ASEANという組織は、むしろ国民統合を 進める目的のために地域としてまとまるという性格を持っ ていて、つい最近までは、構成する国家がそれぞれの脆弱 性を乗り越えて国家として強靱性を獲得するという目的の ために、地域統合・地域協力をするのだといってきたわけ ですね。 そのASEANが、できてから四〇年たって、ある程度 それに成功したという共通理解があるので、ようやく今世 紀 に な っ て か ら 共 同 体 と い う 言 葉 を 本 格 的 に 使 う よ う に なった。これまでASEANの基本的なアクターというの は各国政府だったわけですけれど、この一一月に採択され たASEAN憲章を読んでみると、ピープルズという言葉 が多用されています。ワン・ピープルになっているわけで はないけど、テン・ピープルズ、つまり一〇の国民、ある 山影 進 遠藤 貢

(5)

以降の構造調整に対する反省、つまり外からいろいろな政 策を与えられて、経済政策の主権を奪われた状態で行われ ていた、 開発、 人権あるいはガバナンスの問題というのは、 じつはアフリカの人たちが主体的なかたちでかかわること によってこそ実現する、という理念にたって取り組もうと するプログラムです。というわけでAUとNEPADの両 面で、すくなくとも理念的なレベルでは、アフリカ大陸全 体のリージョナリズムの構成はできているんですが、まあ 実態としてまだ実際には追いつかない、 という状況ですね。

︱ ︱﹁ ア ラ ブ の 統 一 ﹂ の 不 可 能 と ネ ッ ト ワ ー ク 論 臼杵   中東の場合は、リージョナリズムはもう過去の話に なってしまっている、という点がやはりいちばん大きな問 題でしょうね。一般的な理解としては、中東という地域概 念にはアラビア語圏、ペルシア語圏、トルコ語圏という三 大文化圏に加えて、クルド語、ヘブライ語、アルメニア語 などの文化的背景がまったく違うマイノリティの人々も含 ま れ て い て、 こ の 地 域 全 体 に か か わ る 統 合 と い う 方 向 へ は、 これまでも、 これからも、 おそらく動かないでしょうね。 では、アラブ世界に限定して考えてみるとどうか、とい うことですが、アラブ世界の場合の問題というのは、はじ め に ア ラ ブ 民 族 の 統 一 あ り き と い う、 あ る 種 の イ デ オ ロ ギー性を伴う理念が前面に出てきてしまったというところ に、これまでの数々の試みが失敗してきたおそらくいちば んの根本的な原因があったと思います。一九四五年に設立 されたアラブ連盟という地域統合をめざす政治組織も、ア ラブの統一をめざすといいながら、実態としては国家の連 合体にすぎず、それ以上は進まなかったし、アラブ諸国間 のヘゲモニー争いの場になってしまった。結果的にアラブ の統一という政治的理念だけが先走りをしてしまうという 過去の歴史があったのではと思います。政治組織としては 残っていますが、事実上、地域統合の方向には進んでいな いのが実情ですね。さきほど遠藤さんがアフリカの例で、 全アフリカとサブ・リージョナルなレベルがあることを出 国境を越えてなんらかの働きかけ、干渉をするということ はできなかったんですね。その組織原理といいますか成り 立ちからそうだったわけで、結果として傍観者的な立場に 終始したわけです。 しかしご承知のとおり、冷戦終焉後一九九〇年代に入り ますと、アフリカでは非常に多くの内戦が起きるようにな ります。国境管理がうまくいっておりませんので、すぐに 国内紛争は国境を越えるのですけれども、そうした問題に 対応することがOAUではできなかった。もちろんさまざ まなかたちで紛争対応のメカニズムを作ってみるといった 試みはしたわけですが、部分的な選挙監視を行うといった こと以上に、実効的に紛争の管理を実現するにはいたらな かった。 この結果、アフリカ大陸におけるリージョナリズムのひ とつのあり方としてのOAUは、ある意味で歴史的な使命 を終えざるをえない段階を迎えて、二〇〇二年には、アフ リ カ 連 合 (A U ) が 設 立 さ れ ま す。 ア フ リ カ 連 合 は、 O A Uの後継ではありますが、しかしまったく新しい組織原理 が組み込まれます。設立協定などでもEU型と標榜してい まして、地域統合を進めることを主たる目的としているわ けですけれども、現実には最初に直面するのは、どうして もアフリカで多発する紛争ということになる。その対応の ために、国連の安全保障理事会に似た平和安全保障理事会 と い う 仕 組 み を 作 っ た ん で す ね。 ア フ リ カ に お け る 問 題 は ア フ リ カ の 人 た ち の 手 で 解 決 す る。 従 来 の 不 干 渉 原 則 (ノー・インターフェレンス) から、 無関心ではない (ノー・ イ ン デ ィ フ ァ レ ン ス ) 、 む し ろ 問 題 が 起 き た ら 干 渉 も し て いくというかたちに姿を変えていくことになりました。平 和安全保障理事会のほかに、実際に問題が起きたときの待 機軍というものを設立することになって、その資金として 平和基金を作るといった試みを二〇〇四年ぐらいまで行っ ていたわけです。ちょうどその時期にスーダンのダルフー ル問題が生じて、準備が追いつかないまま対応を余儀なく されることになります。まだ待機軍自体が整っていません でしたし、スーダン政府の考え方の問題もあって、実際に は派遣部隊は十分な規模ではなく、ダルフールの停戦監視 については協定が結ばれて対応するという段になっても十 分に対応しきれない、問題解決という大きな目的を果たす というところまでは至っていないのが現状だろうと思いま す。もちろん今後とも、国連と共同してダルフールの問題 に当たる、アフリカの問題はアフリカ人の手でというスタ ンスは変わっていないわけですけれども、理想とは裏腹に 厳しい現実に直面しているわけです。 もうひとつの新しい動きは、AUの設立とも関係するん で す が、 N E P A D (「ア フ リ カ の 開 発 の た め の 新 し い パ ー ト ナ ー シ ッ プ 」) と い う プ ロ グ ラ ム で す ね。 こ れ は 八 〇 年 臼杵 陽

(6)

イスラーム世界については、 最近、 羽田正さんの本 (『イ スラム世界の創造』東京大学出版会、 二〇〇五年) が出て、 イスラーム世界とは実体というよりも、創造されたものだ という論がさかんになっていますが、しかしそうはいって も、この言葉がどう使われてきたのか、という問題は残り ま す。 少 な く と も ウ ン マ (イ ス ラ ー ム 共 同 体 ) と い っ た レ ベルでは、ネットワーク的なかたちでは存在しているわけ で、それが国際政治、あるいは国際関係のなかにおいて役 割を果たしているのか、果たしているとすればどういう役 割か、ということは残る問題です。こう考えると、中東を 見ていると、地域主義やリージョナリズムといった空間概 念を越えたところで動き始めているメタ地域とも呼ぶべき ものを、どう考えていくのかという問題が見えてくる。そ の意味では空間的な枠をもつリージョナリズムだけが、新 しい紐帯をもとめる動きではないということです。

︱ ︱ 先 行 す る 経 済 関 係 と 人 の 往 来   北 東 ア ジ ア に つ い て は、 要 す る に リ ー ジ ョ ナ ル・ セッティングをどうするかという根本的な問題がまずあっ て、なんとなく東アジアとか北東アジアでまとまったほう がいいのではないかという雰囲気はあっても、実際のとこ ろ地域設定をどうするかほとんどわからない状態ですね。 だからASEANプラス・スリーにぶらさがってみたり、 東アジア共同体論をやってみたり、APECをやってみた り、さまざまな模索が続いています。アンデス共同体のよ うな、機能しないけどいちおう象徴的な組織はあるという わけでもないし、模索といっても、首脳会談はもちろん外 相会談すら実現していないのが北東アジアの現状です。そ れはなぜなのかを考えると、やはり歴史の問題が大きいと 思われます。日本が一度この地域全体を支配下におこうと したことがあるという、ある種のアジア主義も含めた亡霊 があるのか、あるいは中国の冊封・朝貢という周辺地域と の関係のあり方なのか、ともかく地域主義ということにな ると、どこかが覇権を握るのではないかという言説がいま されましたが、中東でも実際に機能的な役割を果たしてい るのは、むしろサブ・リージョナルなレベルでの地域統合 の動きではないかと思います。たとえば、典型的なのはG CC (「湾岸協力機構」 ) ですね。 中東研究者はよく「中東例外論」というのを言います。 たとえば政治学とか国際関係論などのディシプリンで考え ると、どうも中東は既存のディシプリンではうまく分析で きない。その背景には、先ほど言ったような問題性、つま りアラブというあまりにもイデオロギー性をもった民族観 がタテマエとして前面に押し出されてきたという歴史があ るのではないかと思うんですね。冷戦終焉後になって、例 外論を脱却しなければということで、ようやく中東におけ る国際関係や国際政治といったいわゆる中東域内政治が社 会科学的分析のレベルで問題にされるようになると、むし ろその政治主体として国家を確認するような議論が出てく る。 あ る 意 味 で は 一 周 遅 れ た よ う な 動 き を 示 す わ け で す ね。まあ、 これも逆にいえば、 中東が「例外論的」な地域、 ということで「何をいまさら」ということなんでしょうけ ど。リージョナリズムがほとんど問題にならなくなってし まうほどに、主権国家間の問題というのが前面に出てくる んですね。もちろんその背景には、アラブ・イスラエル紛 争、あるいはパレスチナ問題といった問題があり、湾岸地 域における問題、つまりイラン・イラク戦争という八〇年 以降の事態が起きて、さらにはイラクによるクウェート侵 攻からアメリカによるイラクの攻撃という問題が続く状況 があるわけです。 現在、アラブの統一、あるいはアラブをリージョナリズ ムのレベルから議論することがほとんどできない政治的現 実が存在するなかで、むしろよく議論されるのはトランス ナショナルなレベルでのネットワーク論です。とくに、こ のところしばしば登場するのが、イラン、イラク南部、シ リア、レバノンをつなぐシーア派ネットワーク。はたして ネットワークと呼べるほどの実態があるのかという点につ いては、問題を抱え込んでいる議論ですけれども。ともか く、リージョナリズムではなく、ネットワーク論というの が出てきてしまうところが中東の今の政治的状況なのだと いうことでしょう。しかもネットワークという議論が、対 テロ戦争と重ね合わされながら、アメリカの反テロの国際 的な包囲網の形成、あるいはアメリカとその同盟国に対す る対抗の言説としてでてくる。つまり、テロ・ネットワー クがある程度実体のあるものとしても登場する。そう考え ると、中東に関するかぎり、リージョナリズムというより も、アラブを中核とするようなかたちでのネットワーク論 で考えたほうが私はいいと思っているのですが。そうする とイスラーム的な連帯をやはり問題にせざるをえないとい うことですね。 川島 真

(7)

生まれるなかで、日本にとっては、APEC型でいくのか A S E A N と い く の か と い う 機 軸 の 問 題 が や は り 問 題 に なっています。つまり太平洋の向こう側を意識したような 地 域 連 合 を 考 え て い く の か、 そ の 軸 を 少 し 東 側 に お く の か、あるいはよりいっそう中国大陸側に引きつけるのかと いう点で、政策上のさまざまな模索があっただろうと思い ます。一方中国から見ると、APECには台湾が入ってし まうわけで、一九九〇年代の後半から、中央アジア、ロシ アとの上海ファイブや上海協力機構を含めた地域的な協調 体制を模索し、またASEANとも関係を築くことによっ て、それまであまり重視しなかった周辺諸国との融和体制 を築いて、新しいリージョナリズムといいますか、広い国 が四方の辺境を含み込むような、国境を越えた地域関係を 作っていきました。つまり、中国政府を強く意識した上海 ファイブと、雲南省や広西省、あるいは南部を意識したA SEANとの関係強化など複数の連携を組みながら、多様 な地域設定を始めたということですね。日本の場合には、 ASEANかAPECか、の二者選択になるわけですが、 中国の場合には辺境が多様ですので、それぞれに応じた多 様な地域枠組みみたいなものを模索しているわけです。韓 国も、こうした動きを見ながら、いろいろ自国に有利な方 向を模索していて、日中という強いアクターのなかで調整 役を任じることでもって、自分の優位性を確保しようとし ているのが現状ではないかと思っています。 こうした大枠のもとで、各地でかつてないような関係や ブレークスルーも出てきています。たとえば雲南省と近接 する東南アジアの地域、とくにタイの交流とか、かつては 交流などありえなかった金門島と向かいのアモイの交流が 見られています。言葉も近いわけですから、そこで緊密な 関係ができてくる。国境を越えたある種の経済圏や人的な 交流の地域圏が、ミクロ・レベルではたくさん動いてきて います。 要するに、東アジア、北東アジアは大枠としては模索期 だが、さまざまなブレークスルーが起きたりして、実質的 な緊密化は進んでいると見ていいのではないかと思ってい る次第です。さきほど言われた水・エネルギー関係でいえ ば、紛争も多いですけれども、たとえばメコン川などいく つかの国際河川をめぐって、国境を越える連携の影響、共 同体制というものも少しずつできてきたと感じています。 ラ テ ン ア メ リ カ ︱ ︱ ネ オ リ ベ ラ ル 型 地 域 統 合 か ら 独 自 路 線 へ 村上   ラテンアメリカという地域は、地理的に見ても海に はさまれて他の地域とは隔絶しているということもあり、 ラ テ ン 語 系 の ス ペ イ ン 語・ ポ ル ト ガ ル 語 圏 と い う こ と も あって、 比較的まとまりやすい要素があるかもしれません。 で も つ き ま と っ て い る ん で す ね。 さ ら に 戦 後 に な る と、 三八度線および台湾海峡の分断の問題があって、アメリカ とからんだ安全保障の問題が入ってくるわけです。その結 果、この北東アジアでは、国交すら結んでいない国家関係 がある。北朝鮮と台湾がありますので、おたがいにほとん ど国交すら結び合っていない不思議な空間がここにあるわ けですね。 最も多く国交を結んでいるのは、 じつは中国で、 中国は北朝鮮とも韓国とも関係がありますが、日本は北朝 鮮や台湾とは国交がありませんので数が減るわけです。韓 国は少しちがいますが。国家承認・政府承認し合わない国 家や地域が複数乱立していて、なかなか国家を単位とした リ ー ジ ョ ナ ル・ セ ッ テ ィ ン グ の 模 索 す ら で き な い わ け で す。 また冷戦構造下においても、同じアメリカ側、西側、あ るいは自由主義圏といわれた日韓・日台のあいだでも、そ れ ほ ど 強 い 地 域 主 義 が 見 ら れ た わ け で は あ り ま せ ん で し た。もしあるとすれば、韓国・台湾とフィリピンのあいだ の反共同盟があったくらいでして、地域主義が模索された わけではなかったように考えられます。日本の場合は、自 由主義圏、あるいは「民主化している国」として共産主義 思想、あるいはさまざまな運動などに関して寛容であった のに対して、韓国・台湾はそうではなかったので、交わり を限定していたということがあります。 ところが、日中国交正常化、中米の関係改善、そして私 見では決定的には九二年の中国と韓国の国交正常化によっ て、東アジアはある意味で新しい状態になったんだと思い ま す。 そ の 後 急 速 に、 「日 中 韓 」 と い っ た こ と が 言 わ れ 始 めまして、例のごとく儒教文化圏とか漢字文化圏とか、妙 な言葉が急に登場してきました。それが経済発展とからん で言われたわけですね。台湾、香港、韓国、シンガポール も含めて、儒教やら漢字と経済発展を結びつけるような言 説が見られ始め、そのあと中国が経済発展してくると、儒 教や漢字といったことでもってこの地域をくくろうとする 動きが加速したように思います。九〇年代前半ですね。そ の後、中国自身がよりいっそう台頭し、アジア通貨危機も 起きて、最近では儒教やら漢字やらという言葉はほとんど 聞 か れ な く な っ て い ま す が、 あ の 議 論 を 一 回 経 る こ と に よって、なんとなく一体化のような雰囲気というのができ あがったのかなと思います。その後、経済関係や人の往来 はきわめて緊密になっていまして、さきほど申し上げたよ うに政治・外交面、安全保障面での分断、あるいは迷走が 続く一方で、経済面や人の移動に関しては緊密化が相当に 進行している状態です。この点で、アジア通貨危機はアジ アにとってひとつの契機でした。これ以後、アジア諸国が いっそうアジアを語るようになったものと思われます。 ただ、経済や人の往来が緊密化しさまざまな地域構想が

(8)

とで進んだ構想でして、たんに自由貿易協定を結んで完全 に自由貿易圏にするだけではなくて、たとえばエネルギー 面でのつながり、あるいは道路、パイプライン、航空面を 含めた輸送面での整備といったものもさらに強化していこ うという構想も生まれてきまして、共同市場、あるいは自 由貿易圏ということを前提にして、その上にさらに機能的 な 面 を プ ラ ス し て い こ う と い う 動 き に な る。 二 〇 〇 〇 年 前 後 に は 米 州 開 発 銀 行 が イ ニ シ ア テ ィ ブ を と っ て、 「地 域 公共財」という視点を打ち出して、パイプラインや道路網 の整備を提唱していくという動きも出てきます。政治的に は、OASという反共の組織も性格を変えていきます。と くに冷戦終焉以降、反共という意味が喪失すると、むしろ 民主主義強化がスローガンになり、九一年のOASのいわ ゆるサンティアゴ決議になるわけです。さきほどの遠藤さ んのお話で、 アフリカでも、 無関心に非ず、 ノー・インディ ファレンスへの転換というお話がありましたが、同じよう な傾向がラテンアメリカでも見られました。そのひとつの 重要な例がサンティアゴ決議をはじめとするOASによる 民主主義擁護のための地域全体の努力です。具体的には、 民主的に選ばれた政府の転覆を図るクーデターなどが発生 した場合は、OASに属している国が集まって対応を協議 することになって、今世紀に入ってこの枠組みはさらに強 化されています。アフリカと異なるのは、アフリカの場合 は非常に激しい対立の最中での転換だったわけですが、ラ テンアメリカの場合は九〇年代までは国家間の厳しい対立 状況はそれなりに克服されていて、政治的な面での共通の 価値を確立していこうという動きも出てきたんですね。 ただ、それがどれだけうまくいっているのかは別の次元 の問題で、思ったようにはいかなかったというのが現状で す。 経済面では、前提にあったネオリベラリズムが、国内格 差がなかなか縮まらない、むしろ拡大していくという状況 のなかで、九〇年代の後半以降から後退する現象が見られ るようになります。ご承知のようにベネズエラにはチャベ ス大統領が登場して、米国に楯突くという状況も生まれて くる。チャベス一人ではなくて、ボリビア、エクアドル、 ニカラグアにも、チャベス路線に非常に近い、共鳴するよ うな勢力が政権に就く事態となっています。六〇年代のナ ショナリスティックな左派に近いかもしれません。自由貿 易圏構想自体も、二〇〇五年までに達成という目標だった のですが、うまく交渉が進まない。さまざまな利害対立、 思惑のちがいがあるんですね。結局、包括的な自由貿易圏 の代わりに、二国間協定として、米国と、あるいは各国間 で自由貿易協定を結んでいくことになってしまうという状 況が生まれました。地域統合全体としては、ネオリベラリ ズム的な考え方を背景にした地域統合というのは崩壊、す ただ、ラテンアメリカの場合、リージョナリズムに米国を 含めるか、というセッティングがいつも大きな問題となる んですね。時期的な変化から見ると、第二次大戦後のひと つの画期は八〇年代でした。七〇年代までの状況と八〇年 代以降の状況というのは非常に違います。背景にはもちろ ん冷戦の影響もありますが、それよりもラテンアメリカ諸 国がおかれていた政治経済状況といったものがあったと思 います。 大戦後から七〇年代までの状況は、政治面でいいますと 米国を中心とした反共体制があり、 OAS (米州機構) が、 米国の主導する軍事同盟として設立されました。経済面で は、一九三〇年代以降のラテンアメリカはそれぞれ国内市 場向けの産業化を図っていくわけですが、そのなかでどう しても国内市場が小さい、マーケットの未成熟という問題 に直面することになります。まさに国民国家ができていな いということと関係してくる。小さな国内市場を補う、と い う 意 味 で リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム へ の 要 請 が あ っ た わ け で す ね。その要請を背景に、五〇年代、六〇年代にかけて、た とえば中米やアンデス諸国といったいくつかのサブ・リー ジョナルなレベルで、共同市場というかたちを模索してい く動きがありました。面白いことに政治や軍事ではOAS のような米国の主導の枠組みが続いていたのに、経済面で の貧困や低開発といった問題から、全部の国ではなかった にせよ、いわゆる第三世界と呼ばれている地域と連帯しな がら動く、米国を外す動きもありました。ただ実質がとも なったかというと、かなり問題ですね。それぞれの思惑も あり、さらにより基本的には輸入代替の経済政策自体が破 綻していくなかで、オイルショックが来て、崩壊してしま うわけです。 八〇年代以降は、いわゆるネオリベラリズムの経済政策 が主流になります。他の地域よりも少し早いですね。同時 に、政治的には輸入代替を掲げ強い国家を標榜していた軍 事 政 権、 あ る い は 強 権 政 権 が 崩 壊 し て 民 主 化 の 時 代 に な り、 民政移管の動きが、 七〇年代の後半から起こってくる。 このネオリベラルな経済政策と民主化の二つが、八〇年代 からのラテンアメリカのリージョナリズムを変えていくわ けですね。 つまり、米国、あるいは世界銀行主導の経済改革が進め られるなかで自由貿易経済圏といったものを模索するよう な動きが出てくる。とくに九〇年代に入りますと、米州全 体を、つまりカナダから南のアルゼンチン、チリまでの、 いわばアメリカ大陸全体を自由貿易圏にするんだという構 想が米国から出てきて、それをラテンアメリカ各国が支持 するということで、二〇〇五年を目標に自由貿易交渉が始 められます。これはまさに米国、あるいは世銀の主導のも とで強力に進められた経済自由化、ネオリベラリズムのも

(9)

Uへの加盟交渉が始まると、具体的な統合の過程や内実が 見えてきます。すると、 「え、 こんなことまで統一しなきゃ いけないの」 、「これがEUなのか」 、「これがNATOなの か」という現実がだんだん見えてくる。もっともNATO の敷居はそれほど高くはなかったですけれども。そうする と世論調査でも「我々はヨーロッパ人ではない」という比 率が明確に増えるわけです。つまり、統合過程が進めば進 むほど、 東欧の人々は 「自分たちはヨーロッパ人ではない」 というふうに答えるんですね。だから、現時点で世論調査 す る と、 「我 々 は ヨ ー ロ ッ パ 人 だ 」 と 答 え る 人 の 比 率 が 群 を抜いて高いのはアルバニアなんです。 この世論調査の数字が、周辺から見たEU統合というも のを象徴しているように思います。つまり、東欧から見た ヨーロッパ統合は、ある種の文化的な統合、換言すればア イデンティティの統合なんですね。フランス人がどう思っ ているかはわかりませんが、少なくとも後発加盟国にとっ てはそうです。スペイン、ポルトガル、北欧の場合もそう した傾向はあったでしょうが、東ヨーロッパの国を見てい ると、EUはまず文化的な統合であり、アイデンティティ の統合なんだなと強く思うわけです。 ところが、次の段階になると事情は変わります。先ほど 川島さんが東アジアの場合、経済や人の往来が先行して、 漢字文化圏あるいは儒教文化圏という言葉が後追いで出て きたとおっしゃいましたが、ヨーロッパの場合は逆です。 つまりイデオロギーとしての統合がまず最初にあって、後 から加わろうとする人たちは、くじけながらも、がんばっ て 「 ヨーロッパ人になろう」とする。その後を追って、経 済や安全保障、政治等々となるわけです。こう考えてみる と、 統 合 の プ ロ セ ス や 統 合 の 意 味 す る と こ ろ、 動 機 づ け も、地域によってかなり違うと思います。他方、東欧にお ける 「 文化 」 の強調には、 EU統合にむけての政府の対応、 国民向けの宣伝の仕方も影響していたと思います。当初、 政府は社会主義に対抗して、自由で豊かなヨーロッパを強 調せざるをえなかったし、政党にしても、欧州統合の推進 力として自らを位置づけることが得票につながる状況があ くなくとも停滞してきてしまっている。現状はむしろ、ま さにチャベスがやっているような、オルタナティブとして の地域統合といいますか、ネオリベラリズムに反対する地 域統合に注目が集まっているんですね。チャベスは、アラ ブ 圏 の ア ル・ ジ ャ ジ ー ラ み た い な C N N に 対 抗 す る テ ル ス ー ル ( Telesur ) と い う 自 前 の 放 送 ネ ッ ト 網 を 作 っ た り もしている。彼の場合、そのイニシアティブはベネズエラ の石油収入に大きく依存しているわけですが、エネルギー を 供 給 し う る と い う 立 場 は 強 く て、 ブ ラ ジ ル や ア ル ゼ ン チンなど南米にも、ネオリベラル的主体ではないオルタナ ティブな地域統合として、エネルギーや道路網での繋がり を働きかけている。ただこのもうひとつの地域統合の動き にも、進んでる面も進んでない面もあります。というわけ で、ラテンアメリカのリージョナリズムは、いくつかの方 向がせめぎあっている、という現状ですね。

︱ ︱ 周 辺 が 経 験 す る E U 統 合 家田   私は東ヨーロッパを研究対象にしていますが、今日 の座談会には、北アメリカやヨーロッパ中心部の専門家が 入っていないですよね。最初に山影さんが指摘されたよう に、リージョナリズムにおける地域設定は、その背景にあ る「全体」や歴史的な経緯を念頭においておかないと理解 が 難 し い 面 が あ る と 思 い ま す。 今 日 の 座 談 会 は、 「 全 体 」 を抜きにして、いわば周辺からリージョナリズムを考える 企画といえるのかなと思います。 周辺から見た地域統合という点で、東ヨーロッパのこの 一五年、二〇年は、まさに西ヨーロッパのさまざまな統合 のなかに、 「組み入れられていく」過程でした。 東ヨーロッ パはEU、あるいはその前のECがどういう形態の統合な のか、どういう統合力をもっているかを、よく観察できる 立場にあったと思います。おそらく、EUの専門家が見る EU統合と私がここで申し上げるEU統合とはかなり違う と思いますが、それはそれなりにEU統合の一面を捉える ことになると思いますし、辺境から見るEU統合論にも意 味があるのではないかと思います。 東ヨーロッパのEU統合には、いくつかの段階がありま した。一九八九年に東ヨーロッパで体制変動が起こったと き、 最初の標語は「我々はヨーロッパに復帰する」でした。 「我 々 の 復 帰 を ヨ ー ロ ッ パ は 暖 か く 迎 え て く れ る は ず だ 」 「鉄 の カ ー テ ン が な く な っ て 我 々 は 東 の 統 合 か ら ヨ ー ロ ッ パという西の統合に向かうんだ」という、ある種の予定調 和というか、 非常に幸せなヨーロッパ統合観がありました。 そのころの世論調査で「あなたはヨーロッパ人ですか」と 尋ねられると、ほとんどの人たちは「はい、ヨーロッパ人 です」と答えるわけです。ところが、実際にNATOやE 家田 修

(10)

扱 い さ れ て し ま う。 国 民 生 活 に と っ て も、 政 府 に と っ て も難しい選択です。つまり何を基準に自分たちのヨーロッ パ統合論を描くかが多重になっているのです。さらにいえ ば、何のためのヨーロッパ統合だったのか、ここに来てよ く見えなくなってしまったのです。 国境の問題やEU市民権の問題にしても、労働力の移動 が自由にできるかというと、いろんな制限があり、東ヨー ロッパの新規加盟国にとって必ずしも統合された労働市場 が実現しているわけではありません。たとえばフランスと ドイツの間であれば労働力の移動の自由は存在するが、東 ヨーロッパからフランスやドイツに対しては今も制限があ る。なぜ我々は自由に働きに行けないのか、やっぱり我々 はEUの二級市民じゃないのかと、感じ続けるわけです。 こうなるとたんなる経済格差の問題ではなくて、それ以上 にメンタルな意味で、つまりわれわれはひとつのヨーロッ パに復帰するんだ、と思っていたのに、加盟してみたら、 じ つ は 二 級 市 民 だ っ た と い う こ と に な り、 ア イ デ ン テ ィ ティとしての統合も怪しくなります。 ですから、 東ヨーロッパにとっても、 またEU全体にとっ ても、拡大EUの不整合な面が現れてきているというのが 現状です。本当にこのままうまく統合が進むのか、また全 体としてのEU統合をさらに深化させるべきなのか、とい う非常に複雑な迷いがある。EU憲法やEU大統領のよう たという側面があります。 り、そうした政治言説のもとでEU統合論が方向づけられ 現在、東ヨーロッパの半分以上の国がEUに加盟済みで すが、当初の熱狂から醒めて、EU統合に対する受け止め 方は二分されている。 「入ってよかった」 という人たちと、 「入 っ て 本 当 に よ か っ た の か 」 と い う 懐 疑 的 な 人 た ち に 分 か れ て い ま す。 「入 っ て よ か っ た 」 が ま だ 多 数 派 で す。 統 合後、おそらく一〇年間くらいは統合の効果があり、国民 所得も全体として底上げしましたし、EUも新規加盟国に 予算の重点配分をさまざまな基金から保障しています。そ れにまだ加盟希望国が後に続いているわけですから「やは り統合はいいことだ」と思わせないと、EU拡大という全 体の方針からしてもまずいわけですね。しかし、そろそろ 東ヨーロッパの人々は、EU統合が自分たちに実際として 何をもたらしたのかを、真剣に考え始める時期に来ている ように思います。 その場合、評価の基準は何か、ということが大問題です が、経済をとればやはり基本的に西ヨーロッパの市場のな かに取り込まれていくという現実があります。それは単に いままで自国なり旧社会主義圏の商品であったものが、西 ヨーロッパの有名なブランドに置き換えられていくだけで なく、そこに商品があるのに手がとどかない、という格差 問題が深刻化しています。また先ほどラテンアメリカでも 出 て い ま し た け ど、 輸 入 代 替 型 の 経 済 政 策 に は 限 界 が あ り、通常の商品だけでなく、たとえば保険制度や年金制度 も、西ヨーロッパの方式や基準に統合されていくことが、 実感としてはっきりしてくるわけです。統合が自分たちの 生活や老後に何をもたらすのかということを、本当に真剣 に考え始めています。 この場合、西ヨーロッパ諸国と決定的に違うのは、後発 加盟国はEU基準をすべて無条件で受け入れなければなら なかったことです。たとえば通貨統合ですが、イギリスは 自国の選択として拒否し続けることは可能です。しかし後 発加盟国にはノーという権利がありません。と同時に、社 会主義時代の高福祉政策が続いており、格差社会であると は い え、 多 く の 人 々 の 暮 ら し が 底 支 え さ れ て い る の で す が、それは当然、日本と同様に、巨額の赤字財政を意味し ます。ところが赤字財政が続くと通貨統合に加わりたくて も加われない、といういまひとつの現実に直面するわけで す。ブリュッセルからは赤字財政をなんとかしろといわれ るのですが、緊縮財政をやったら確実に選挙に負けるのは 目に見えています。議会制民主主義であるがゆえに、つま り民意を反映する選挙が機能しているがゆえに、社会主義 時 代 の 遺 産 と し て の 高 福 祉 か ら 政 策 転 換 で き な い わ け で す。結局、EU統合の最終段階に到達しない、というジレ ンマがあるんですね。その結果としてEUのなかで二流国 な制度を作ろうという話がなかなかうまく進まないのもこ の辺に理由があります。加盟しても通貨統合には加われな いとすると、非常にアンバランスなEUが生まれる。EU がさらに東に拡大するとすれば、これはEU全体にとって も深刻な問題になるわけですね。

  ﹁

  ﹁

司会   ひととおりご発言いただいたわけですが、リージョ ナリズムといっても、じつに多様だという印象をあらため 山本博之(司会)

(11)

こ と な ん で す ね。 E U と 同 様 に A S E A N も 拡 大 し て い て、ここ一〇年ぐらいの間にインドシナ三国とミャンマー と い う 新 し い 加 盟 国 が 増 え ま し た。 彼 ら が A S E A N に 入った目的は、なんとか市場経済を導入して、グローバル 化のなかで停滞していた経済を開発・成長させたいという こ と で、 内 政 不 干 渉 の A S E A N だ か ら、 「民 主 主 義 」 な んてうるさいことはいわれないだろうと思っていた。そう いう意味では、ASEANの新しい加盟国というのは、じ つは古いASEANモデルが続くだろうと思って入ったん ですよ。俗な言葉でいうと、権威主義体制とか開発独裁の 国々が集まって、それで仲よく善隣友好でやってきていた んだから、自分たちも現状のままで受け入れてくれるだろ うと思ったわけです。ところが加盟したとたんに、インド ネシアでは政変が起きて、民主化してしまう。いまやAS EANは、共通の価値とか、民主化とか言い出すから、話 がちがうではないかということになってしまった。その典 型がミャンマーで、ミャンマーの加盟した九七年には、ま だスハルトが死ぬまで大統領をやりつづけると思われてい た時期なんです。 A S E A N の 内 部 の 経 済 格 差 は よ く 指 摘 さ れ て い る と お り で、 従 来 の A S E A N シ ッ ク ス と 新 し い A S E A N フォーのあいだには大きな経済格差があります。実はそれ だけでなく、これから東南アジアの国々、ASEANテン がまとまって、どういう制度を作っていくのかということ についてのイメージ・ギャップもものすごく大きくなって いるのです。拡大したのはいいけれど、拡大したがために 身動きがなかなかうまくとれなくなっているという側面も あります。ですから新しいところを見ると、アイデンティ ティや、東南アジアがひとつにまとまる、という議論はで ていても、なかはまだバラバラという状態ですね。ASE ANを、国際的な規範を共有して、国際社会のなかで正統 的な存在として役割を果たすような組織にするためには、 やはり民主主義や人権をもっと大きな声で言わないといけ ないという意識をもっている人たちが、ある程度力をもつ ようにはなってきましたが、ASEAN全体を動かすとい うところまではなかなかならない。内政不干渉という伝統 的な原理を捨てるかというと、アフリカのようにはまだい かない。陰ではミャンマーに対しても非常に激しい圧力は かけているのですが、それ以上のことはできない。これが いまのASEANの状態ではないですかね。

︱ ︱ 重 層 性 、 歴 史 性 、 広 が り   基 本 的 な 問 題 は、 地 域 を 地 域 た ら し め る も の は 何 か、ということではないかと思いますね。その意味で重要 なのは、やはり主体の問題です。自分たちがつながってい てもちました。ASEANのようにともかく国家が協力し てということで始まった地域統合が、四〇年を経てピープ ルズという言葉が強調されるようになったり、あるいは東 アジアのように政治的関係よりも経済や人の往来が先行す る、という地域もあれば、アイデンティティ、あるいは脱 植民地化過程のイデオロギーが先行する地域もあるという ことだと思います。最初に山影さんから、戦後、リージョ ナリズムという発想がでてきた全体的な状況を見ることが 大切だ、というご指摘がありましたが、その全体の枠組み も、九〇年代以降、大きく様変わりして、リージョナリズ ムの機能や考え方も変化してきた、ということも皆さんが 指摘されたことだと思います。ただ、そのあり方は、リー ジョナリズムという議論自体が不可能という中東から、ネ オ・リベラル路線以後を模索しているアフリカやラテンア メリカ、リージョンのセッティングが困難ななかでいろい ろな方向がせめぎあっている東アジア、北東アジアと多様 です。 お 話 を う か が っ て い な が ら、 こ の 多 様 な 状 況 の 背 景 に は、おそらくリージョン、あるいは地域ということ自体の 考え方、何か基本的なスタンスのようなものの違いがある の で は な い か、 と 思 っ た の で す が。 た と え ば 家 田 さ ん は 「ヨ ー ロ ッ パ の 一 員 」 と い う ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 強 調 し て おられますが、ASEANはどうですか。

て﹁

山影   ASEANの場合は、いままではあまり強調してい なかったのですが、最近、ついに言い始めましたね。臼杵 さんから、 アラブの場合は、 最初にまずアラブの統一といっ た非常にイデオロギー的でかっこいいお題目から始まった と指摘がありましたが、ASEANでまとまった人たちと いうのは、ある意味では自分たちの作った制度に対する期 待 値 が す ご く 低 い ( 笑 ) 。 ま あ、 た い し た 期 待 を し て い な いから、ちょっとやるとうれしくなってしまって、それで 少しずつ協力が進んできたんです。ところが、それで四〇 年近くなんとかうまくいって、まわりの国からも「えらく がんばっているじゃないか」とほめられて、グローバル化 のなかでもう少し明確に自分たちの位置づけをしておかな ければというふうに、最初にASEANを作った国の人た ちは思うようになってきた。そこで、共同体、ASEAN アイデンティティ、そして民主主義といったことが語られ て、 多 様 性 の な か で 共 通 の 価 値 を 見 つ け な け れ ば な ら な い、なんてことを言うようになったんですね。 ところがASEANの大きな問題は、そういうASEA Nを変えたい、ASEANを新しくしたいと思っている人 たちは、じつは最初にASEANを作った人たちだという

(12)

並べることが多い。とりわけ冷戦が終焉してソ連が崩壊し て以降、国際関係論・国際政治をはじめとして、経済学や 人類学の方々にそういう傾向が強いですね。つまり、トル コの世界、トルコ語、あるいはテュルク語圏の広がりを、 イスラームの広がりと一緒に語りだし、しばしば中東と中 央アジアがワンセットに扱われるようになり、中東という 地域がトルコから中央アジアにまで連続的に広がるという ことになる。これはリージョナリズムというよりむしろ国 家が主体の動きかもしれないけど、実体が変化したという よりも地域の語りの問題で、要するにどういうふうに分析 の枠組みとして地域を設定するかという話とつながってく る。こう考えてみると、たとえば東南アジアというくくり も意味がなくなってくる。アイデンティティのレベルで操 作概念として使うのか、 それとも、 国家単位で考えるのか。 国民国家あるいは主権国家として最大の人口を抱えるムス リム国家というのはインドネシアですからね。 ともかく、中東というのはとにかくその境界がつねに動 いてしまうようなところです。それは一面では、地域とし ての中東の脆弱性ということにつながっているのだと思い ますけれども、でもやっぱり当の中東の人たちも「中東」 という地域呼称、つまりヨーロッパとかアジアといったよ うな、なんらかの実体的な地名が入っていない地域呼称を 使っているわけで、中東という呼称の地政学的な意義とい うのは否定されていない。にもかかわらず、住んでいる人 が自分たちのことを中東と呼んでいるということの問題性 でしょうね。 家田   その場合でも、冒頭に山影さんのおっしゃった全体 のなかの地域という問題はあると思うんです。アラブの統 合にしても、帝国主義という体制のなかで「自分たち」を 差異化しようとするわけです。でもそれは、もともとアラ ブという「地域」があったわけではなくて、さまざまなも のが重なりあって生まれたわけですよね。つまり地域主義 はそもそも多重なものとして出発したのではないかと思い ます。純粋に赤なら赤、黄色なら黄色といえるような地域 があるのではなくて、いろんな色が混じり合い、あるいは モザイク的なものとして生まれたのではないでしょうか。 それに敢えて「地域」の枠をはめるわけですが、その枠は 地域の人々が政治的に考えたものかもしれないし、研究者 が「こういう地域を設定して分析しよう」と考えたものか もしれない。そういう操作概念として地域を考えたらいい のではないでしょうか。 山影   アイデンティティということで見ると、いろいろな アイデンティティを一人の人が同時にもっていて、既存の いくつかのアイデンティティをけっこううまく使い分けて いる。ただそれで本当に十分だったら、たぶんリージョナ リズムは必要ないということになりますね。わざわざ新し るという意識、つまりある種のアイデンティティですね。 人々が地域的なアイデンティティをもち、外からもそのよ うに認識され、なにがしかの制度的な担保があれば、もう それはそれで地域主義といえるのではないか。それは必ず しも国家という土台をもっていなくていいわけです。むし ろ空間的にきっちりと限定されている地域のほうが少ない のではないでしょうか。非常に曖昧なアイデンティティ、 あ る い は 多 重 な ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 形 成 も あ る と 思 い ま す。ですから、地域主義という言葉を操作概念として、少 しゆるやかに定義をしておくと、いろんな比較が可能にな ると思います。そういう意味で、たとえば臼杵さんが言わ れたウンマ共同体も、私から見ると、地域主義といっても いいのではないか、と思えるのですが。 臼杵   もし地域主義をアイデンティティで定義するとした ら、そのアイデンティティが何のためのものか、というこ とですね。アラブにおける地域主義というのは、おそらく ほかの地域とは違って、いまだに植民地遺制ということを 言い続けている点に特徴があると思います。もともとアラ ブという民族意識は、植民地支配に対する連帯意識を基盤 にして成立したわけですから。つまり、フランス、イタリ ア、イギリスに分断されて支配された地域がひとつになろ うという動きであり、そもそも「アラブ統一」というイデ オ ロ ギ ー か ら 出 発 し た 地 域 概 念 な ん で す。 だ か ら、 「 地 域 主義」の重層性が問題になってくる。いちばん問題、とい うか発火点になるのが周辺部ですね。周辺とはまさにアイ デンティティが重層するところですから。 そ も そ も、 中 東 の 場 合、 「地 域 」 の 概 念 が と て も 脆 弱 に 感じられてしまう。地域概念、あるいは地域の語り方、語 られ方そのものに大きな問題があるんですね。中東という 語はヨーロッパから見た方向とその遠近を示すだけです。 その範囲は北アフリカと西アジアの両大陸にまたがってい て、先ほど遠藤さんも指摘されていたけど、北アフリカ、 つまりエジプト、スーダン、リビアのマグレブ三国をアラ ブあるいは中東に属すると考えるのか、アフリカの一部と 考えるのか、というのはリージョナリズムという語の問題 性を示す例の最たるものだと思うんです。境界で区切るこ とができないということ自体にせめぎあいがある。北アフ リカはいままで中東という枠組みのなかではほとんど語ら れてこなかった。つまり中東といえば北アフリカを含めな いのに、なぜかエジプトだけは中東あるいは第一次世界大 戦前には近東に入れて語られてきた歴史があるということ で す ね。 ス ー ダ ン も 除 外、 リ ビ ア も 除 外、 も ち ろ ん、 「ア フリカの角」 のソマリアやジブチはいっさい無視という 「中 東」の語られ方にも問題があるわけです。もうひとつ、中 央アジアとの関係も問題です。いま英語圏の中東研究者の あいだで教科書的なものを書くと「中東・中央アジア」と

参照

関連したドキュメント

青年団は,日露戦後国家経営の一環として国家指導を受け始め,大正期にかけて国家を支える社会

十条冨士塚 附 石造物 有形民俗文化財 ― 平成3年11月11日 浮間村黒田家文書 有形文化財 古 文 書 平成4年3月11日 瀧野川村芦川家文書 有形文化財 古

(評議員) 東邦協会 東京大学 石川県 評論家 国粋主義の立場を主張する『日

和田 智恵 松岡 淳子 塙 友美子 山口 良子 菊地めぐみ 斉藤 敦子.

日髙真吾 企画課長 日髙真吾 園田直子 企画課長 鈴木 紀 丹羽典生 樫永真佐夫 樫永真佐夫 樫永真佐夫 川瀬 慈 齋藤玲子 樫永真佐夫 三島禎子 山中由里子 川瀬

川畑会長 はい。. 池田委員

㈱鴻池組 技術部 正会員 森山祐三 正会員 内田博之 ○正会員 若林宏彰 正会員

山口県建設技術センター  正会員    ○澤村  修司 徳山工業高等専門学校  正会員      田村  隆弘   山口県  正会員      二宮    純       山口県  正会員      森岡  弘道