• 検索結果がありません。

ホーチミン市博物館 (ベトナム歩道 第8回)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ホーチミン市博物館 (ベトナム歩道 第8回)"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ホーチミン市博物館 (ベトナム歩道 第8回)

著者

寺本 実

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

241

ページ

52-52

発行年

2015-10

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003099

(2)

 連載

寺本 実

第8回 ホーチミン市博物館

アジ研ワールド・トレンド No.241(2015. 11)  

52

  「オーイ煙草!」 。車道を挟み、反対側の歩道 で小売商いをしている女性に対して、筆者側に いる路上喫茶店の女性店主が呼びかけた。客が 一服所望したのだ。すぐ近くに横断歩道がある。 向こう側の女性は歩いてこちらに渡ってくるだ ろうと思っていると、やおら右腕を空に向かっ て突き上げた。 「え?」 。同女性は腕を思い切り 振り下ろした。見事なオーバースロー。煙草の 箱は車道に広がる多くの自動車、バイク、自転 車の頭上を越えて、無事にこちらに着地した。   暑さの続くホーチミン市中心街に位置するこ の現場から同じリー・トゥ・チョン通りを一分 ほど歩いた所に、ホーチミン市博物館はある。 同博物館前の歩道では、朝方よく目が不自由な 男性とその母親と思しき女性が車道近くに立ち、 男性が片方の鼻の穴で笛を吹き、その隣りで女 性が宝くじを売っていた。また、果物売りの女 性が自転車でやって来て、各種車両の運転手た ちを目当てに道路脇で商いをしたりしていた。 このように筆者が二〇一四年三月末から一年間 滞在した折りに見た同博物館の周辺は、どこか 庶民的な雰囲気であった。   ちなみに筆者の通勤経路には博物館がいくつ か点在していた。例えば帰り道。リー・トゥ・ チョン通りをホーチミン市博物館の方向に進み、 左 手 に 同 博 物 館 を 見 な が ら 右 折 し て パ ス タ ー ( パ ス ツ ー ル ) 通 り に 入 る。 同 通 り を ま っ す ぐ 歩き、ナムキー・ホイ・ギア(南圻蜂起)通り に 面 す る 統 一 会 堂( 元 ベ ト ナ ム 共 和 国 独 立 宮 殿 ) を 左 手 に 見 な が ら そ の ま ま 進 む と、 ヴ ォ ー・ヴァン・タン通りに出る。左折して道なり に歩いていくと、右手に戦争証跡博物館が見え てくる……というような具合であった。   その中で最も身近だったのは仕事場に程近い ホーチミン市博物館。とはいえ、同博物館の当 地に関わる自然、地理、文化、芸術、歴史など の展示に特別な関心を持っていたわけではない。   そんな不謹慎な筆者が、同博物館のウェブサ イト掲載の諸資料を読み、同博物館の建物(以 下、 「 建 物 」 と 記 す ) の 数 奇 と も い え る 歴 史 の 一端を知ったのは、随分後になってからのこと だった。以下、同資料を含むいくつかの現地資 料に依拠しながら、その歴史を少し概観したい。   ホーチミン市博物館の「建物」は、フランス のインドシナ植民地支配が強まる一八八五~九 〇年に内地の産物を展示する商業博物館として 建設された。だが、竣工後には仏南圻総督邸と されるなど、政治的に用いられる。   一九四〇年九月の北部仏印進駐、一九四一年 七月の南部仏印進駐を経て、一九四五年三月九 日に「明号作戦」発動による仏印武力処理を行 った日本も、同作戦発動後、この「建物」の主 となった。そして同年七月、日本軍庇護の下、 グエン朝のバオダイ帝により首相に指名された チャン・チョン・キム政権に引き渡される。同 年 八 月、 「 日 本 軍、 連 合 国 に 降 伏 」 と の 情 報 を 受けて、インドシナ共産党の指導下にベトミン が 蜂 起 す る 八 月 革 命 が 起 き、 「 建 物 」 も 接 収 さ れて、南部暫定行政委員会、後に南部人民委員 会として使用される。その後ポツダム協定に基 づき、北緯一六度線を境にベトナムは南北に分 断され、一六度線以北には中国国民党政府軍、 以南にはイギリス軍が進駐する。これにともな い、 「 建 物 」 は 同 年 九 月 一 〇 日 に イ ギ リ ス に 引 き渡される。しかし、九月下旬、イギリスの支 持を受けたフランスが再侵略を開始する。フラ ンスは一九四六年三月六日にベトナム民主共和 国側と予備協定を結ぶ一方で、南部にコーチシ ナ 共 和 国 を 樹 立 し、 同 政 府 の 居 所 と し て「 建 物」を使用する。同国は、一九四九年六月にフ ランスの後押しを受けて形式的にベトナム全土 を統一したベトナム国に併合される。   ベトナム国元首に就任したバオダイからジュ ネーブ会議期間中の一九五四年七月に組閣を要 請されたゴー・ディン・ジエムは、一九五五年 四月にバオダイに引退を求め、六月には元首に 就任した。さらに同年一〇月には共和制か王政 かの民意を問う国民投票を実施し、圧倒的な支 持を得てベトナム共和国を発足させ、初代大統 領 に 就 任 す る。 こ の 間、 「 建 物 」 は 国 賓 用 施 設 など重要施設として使用された。   一九六二年二月二七日に独立宮殿が空爆被害 を 受 け、 「 建 物 」 は 大 統 領 府 と し て 使 用 さ れ る ことになる。一九六二年五月から一九六三年一 〇月にかけて「建物」では地下秘密施設の建設 工事が行われ、ジエム大統領らはクーデターで 命を落とす一九六三年一一月二日の前日、一時 同施設に避難している。   独立宮殿の再築後には、ベトナム共和国の最 高裁判所として「建物」は使用された。一九七 五年四月三〇日にサイゴンが陥落し、ベトナム 戦争が終わる。翌年には現体制が形づくられ、 ほどなく「建物」は博物館として使用されるこ とが決まった。一九七八年八月一二日にホーチ ミン市革命博物館とされ、一九九九年一二月一 三日にはホーチミン市博物館と改称されて、現 在に至る。   今では館内に入ると、新婚カップルが記念撮 影 を し て い る こ と も。 諸 行 無 常。 「 建 物 」 は ベ トナムの人々の歩みを静かに見つめている。 ( て ら も と   み の る / ア ジ ア 経 済 研 究 所   前 在 ベトナム海外研究員)

参照

関連したドキュメント

Dugong Status Reports and Action Plans for Countries and Territories..

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

1 Library, Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization (3-2-2 Wakaba Mihama-ku Chiba-shi, Chiba 261-8545). 情報管理 56(1), 043-048,

発表者,題名,発表・発行掲載誌名,発表・発行年月 ○Shinji Tokunaga, Toshiyuki Araki: “Wallerian degeneration slow mouse neurons are protected against cell death

雑誌名年月日巻・号記事名執筆者内容 風俗画報189012.10女力士無記名興行

題名、 発表・発行掲載誌名、 発表・発行年月、 連名者(申請者含む) Hiroyuki Kubo, Yasushi Ishibashi, Akinobu Maejima, Shigeo Morishima, "Synthesizing Facial