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近世琉球における婚姻規制について: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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全文

(1)

Author(s)

田里, 修

Citation

沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(8): 73-77

Issue Date

1991-03-25

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/5750

(2)

近世琉球における婚姻規制について

田里修 近世琉球(一六○九~一八七九年)において、社会の大きな転換期といわれ る羽地朝秀の摂政期(一六六六~七二年)から、察温の三司官期(一七二八~ 五一年)については、これまでも多くの研究者によって様々な角度から分析が 進められて来ている。 ここでは、その一つとしての婚姻にまつわる行事に関することについて紹介 してみたい。羽地の改革を示すものとしてしられる「羽地仕置」には以下のよ うな寛文七年三月十六日の覚がある。 縁組祝貫二付色々定 一初而約束之刻可為酒壱対事 一祝言之刻者花鑓壱対之事 一酒壱対之事 一媒之振廻方大和膳肴茶之子さうめん男客同前之事 但祝物者軽ク相応二可有之事 すなわち、「縁組祝言」の際の酒や花篭仲人への振廻方や祝物(引出物) について規制を加えているのであるが、同じ日付の覚には、以下「旅行衆之祝 儀定」「葬礼之定」「祭文之飾」「祭礼定」などがあり、内容から首里・那覇 の士族達に対して出されたものであることがわかる。 所で、同じ曰に田舎人(首里・那覇以外の地域に住む人)に対して出された、 覚がある。 〔覚〕 -田舎人縁組祝言之刻大粧之人目二而疲二罷成由候間、如何二茂軽ク其人二 相応可仕事 -73-

(3)

一田舎葬祭礼之刻牛共殺大酒仕候儀前々よ里錐為禁止、頃日狼二有之由候間 弥稠敷可被申付候、首里侍衆葬礼見合相応可仕事 右祝儀愁之作法此中過著成来不自由之者共身を売候而茂仕由不可然候、若 相背者於有之者権其人ハ不及申所之さはくり与中迄稠敷可及沙汰侯間暖中 堅固可被申付者也 三月十六日 具志頭 伊野波 摩文仁 羽地 惣地頭衆 〔訳〕 ①田舎の人が縁組や祝言の時に、大変な出費をして疲弊の原因となってい るが、どのようにも軽い負担で、分相応のことをすべきである。 ②田舎の葬礼や祭礼の時、牛などをつぶし、大酒を飲むことは以前から禁 夕 止していたが最近、みだれていると聞く。この際一段ときびしくする様に 申し付けて、首里の侍達の葬礼に見合せて、身分相応にすべきである。 右の祝儀等の作法はこれまで、過著となっていたが、そのため貧しい者 の中には身売までするものがいるがよくない。もしこれに反する者がいれ ば、その者は言うまでもなく、その所の役人達まできびしく追求すべきで あると、管轄地へ強く申し付けるように。 すなわち、摂政(羽地)三司官(具志頭、伊野波、摩文仁)連名で、惣地頭 衆にあてて出されたものであるが、この当時の田舎の婚礼を考える場合に興味 深いのは、身売りしてまでも「牛」をつぶし「大酒」を飲むとの下りである。 前掲の史料や、本史料も、この時期の王府の婚姻などへの規制は、一見「虚 礼廃止」(東恩納寛厚『校註羽地仕置」)に見える。しかし、牛をつぶすこ とに対する王府の危倶が、勧農政策の上からであることは、羽地仕置より約三 -74-

(4)

十年後の、一六九五年に出された「田舎法式」の次の条文を見ると明らかであ る。 田舎案中婚礼の事 一中人籠飯酒壱之事 一婚礼之時振舞不可過二汁一菜事 附到百姓中二者可為一汁一菜 一同時肴者可為豚以下事、前々者依進退牛共殺祝儀為仕由候得共、牛'、耕 作之佐二成者候間、向後禁止申付候 一神酒三ツ過而四ツ可為事、尤米粟黍麦蕃薯之間以見合可相調事 附到百姓中二者弐ツ可然事 一手人物迎銭米之間人々相談次第仕由候是茂当時首里江無之礼儀二而候得 者一向禁止可申付侯得共、跡々よ里仕来儀相止候ハ者難致儀も可有之与 存此中之様申付候、可成程者可致簡略事 〔訳〕 田舎の者の婚礼について 一仲人は、寵飯一対の事 一婚礼のふるまいは二汁一菜 (百姓は一汁一菜) -婚礼のさかなは、豚以下である。牛は、耕作の助けになるので、さかな にすることは、禁止 一神酒は、三~四つの事、原料は米、粟、麦何でもいい。百姓は二つのこ と。 一手人物として、人々が相談して、銭や米を出してきた。このような習慣 は(田舎にあっても)首里にないもので、全て禁止してきたが、昔から あった習慣なので、手人物をやめにくいという現状があるので、一定の 決まりによって許してきた。そのことを認めていくが、なるべく簡略に するように。 王府の規制は、このように一見、質素検約に見えるのであるが、実は勧農策 -75-

(5)

にその主眼があったことはすでに指摘されている通りである。そして牛は農耕 の助けという直接的な勧農もさることながら、むしろ「華美」に行なわれたか に見える古琉球以来の、種々のタブーが問題であったと言われる。 このことは、羽地以来の近世琉球における改革の仕上げ者といわれる察温が

中心になって一七三二年に摂政.三司官名で公布した「御教条」を見ると、さ

らに興味深いものとなっている。 -元服婚礼之儀上下共分限次第如何二茂重厚可相行候、就中婚礼之儀ハ夫婦 之緑組二而人問題目之勤候、此儀致疎略候得者女人之節義軽々敷筋相成甚 不宜事候、女人節義之儀者常々正敷相勤候所よ里父子之道茂正敷罷成事 候、右之訣住古之聖人別而肝要二被申置候、如何成錐為下輩女人節義之慎 者就中入念候儀可為題目事 〔訳〕 -元服や婚礼は、(身分の)上下の者共、それぞれの身分に応じてどの様に も重厚に行なわれるべきである。なかでも、婚礼は夫婦の縁組であり、人間 の最も大事なものである。婚礼を疎略にすると、女性の節操が軽くなり、は なはだよろしくない。女性の節操が日頃から正しくあればこそ、親子の道も 正しくなるのであり、このことは古今の聖人も特に大事であると述べており、 どのようなことがあろうとも、女性の節操を守ることはなかでも注意するこ とが最も大事である。 御教条は、羽地仕置や田舎法式と異なり、あたかも逆に、婚礼は華美にして よいと言ってるか|と思える。しかし、そうではなく、御教条は、儒教的判断か ら分相応にそれぞれに重厚に行なえと言ってるのであって、実は牛は農耕の助 けという直接的な問題を指摘するよりも、儒教的思想に基づいて、農民身分の 固定化の上にたって、それぞれの(士農工商)という身分に応じて重厚に行な えと言っているのである。 羽地仕置において、あたかも質素倹約レベルの料理の規制に見えた婚姻規制 は、実は古琉球的な婚姻への介入に他ならなかったのであり、それ故、その仕 上げの段階の御教条においては、質素倹約に替わって、重厚に行なえとなり、 -76-

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女性の節義と父子関係が前面に出て来るのである。

御教条において父子関係が強調されるのは何故か。実は、一六八九年の系図

座(家譜)の成立に伴なって、家柄、筋目が正確なものとなったことにより、

身分が明確になると共に「相続」という新たな問題が近世期琉球社会に発生し

て来た、と言ってよい。

古琉球的社会においては、逆に「相続」が問題とならなかった、と言っても

よいのかも知れない。

(資料は「那覇市史琉球史料(上)資料編第1巻10』を基にした。なお、

「田舎法式」の訳は里井洋一「〔田舎法式〕に関する研究ノート」(「祭温と

その時代』)を少し修正して利用した。) -77-

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