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中国におけるイスラム教教派(研究ノート)

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Academic year: 2021

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【研 究 ノ ー ト】

中 国 にお け る イス ラ厶教 教 派

山 』鋼

Islam Sects in Modern China

Koji MARUYAMA

abstract

Islam sects in Modern China are generally called "Three-big Sects and Four-big menhuan". The first Islam sect "Sufism brotherhood (menhuan)" was shaped 300 years ago, though Islam was introduced into China in 7th century. In opposition to the appearance of menhuan(jahariyah,Khufiyyah,Kubrawiyyah,Cadriyah), muslims who had maintained the traditional ceremony and system from old times called themselves "Q

adim". Its characteristics is tolerance. In early 20th century the two sects were differentiated. One is a new sect "Ikhwani", which criticized both Qadim and menAwn strictly as unfaithful to the Koran. The other is Xiddotang, called "Chinese classics Sect".

The doctrinal difference is not great among Islam sects in China. There are distinguished differences in the unessential problems of the religious ceremony and customs. Those differences frequently gave rise to a quarrel of bloodshed between Ikhawani and other sects in Modem China.

目 次 は じめ に 第一 節 第二節 スー フ ィズ ム教 団(門 宦)の 形 成 くス ー フ ィズム の修 行 方法 〉 〈 門宦 制 度 の 特色 〉 カ デ ィー ム派:・中国 ム ス リム最 大教 派 く カ デ ィー ム 派 の教 義 〉 〈 カ デ ィー ム派 の教 権組 織 〉 〈 カ デ ィー ム派 の儀 礼 〉 第 三 節 イ フ ワ ー ニ ー 派:中 国 イ ス ラ ム 改 革 運 動 く イ フ ワ ー ニ ー 派 の 登 場 〉 〈 イ フ ワ ー ニ ー 派 の 受 難 期(1895-1917)〉 〈 イ'フ ワ ー ニ ー 派 の 覇 権 時 代 〉 〈 寧 夏 に お け る イ フ ワ ー ニ ー 派 の 発 展 〉 〈 イ フ ワ ー ニ ー 派 の 教 義 〉 〈 新 た な 分 派 サ ラ フ ィー ヤ 派 の 誕 生 〉 第 四 節 西 道 堂:イ ス ラ ム 集 団 経 済 教 団 く 第1期 馬 啓 西 時 代(1902-1917)〉 〈 第2期 馬 明 仁 時 代(1918-1946)〉 〈 第3期 敏 志 道 時 代(1947-1958)〉 お わ り に 中 国 イ ス ラ ム教 の 特 徴 は じ め に. イ ス ラ ム教 は 唯 一 絶 対 の 神 ア ッ ラー を 信 仰 し 『コー ラ ソ』 を 共 通 の聖 典 に して い る とは い え 、

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【表1】 中 国 イ ス ラ ム教 の 教 派 と現 状 宗 派 ・ 教 派1分 派 ・支 系1創 始 者 闢 教 ・伝 教 年[教 徒 数1道 堂 所 在 地 1.ス ン ニ ー 派(遜 尼 派) 1.カ デ ィ ー ム 派(Qadim、 格 底 目 派) 7世 紀 半 ば 約400万 人 2.イ フ ワ ー ニ ー 派(伊 合 瓦 尼 、 依 黒 瓦 尼) 馬万福 1889年 (lkhwani) (1)白 派(サ ラフィーヤ派)馬 得 宝 1937年 千戸 ほ ど 別 称:新 新 教 ・新 興教 (2)蘇 派 黎蘇个 1889年 約100万 人 3.西 道 堂(漢 学 派) 馬啓西 1901年 約1万 人 甘粛臨潭旧城 4.ス ン ニ ー 派 (新彊) ウ イ グ ル 族 5.聖 訓 派 (新彊) ウ イ グ ル 族 II.ス ー フ ィ ズ ム(蘇 非 派)[門 宦:〃28励%α π] 1.ジ ャ フ リ ー ヤ 門 宦 馬 明心 1745年 (Jahariyah) (1)沙 溝 門 宦 馬元章 1874年 約15万 人 寧 夏 洪 楽 府 ・西吉 (哲合 林耶 、哲 赫 忍 耶) (2)北 山 門 宦 馬元烈 1920年 約5万 人 張 川 北 山 別称:高 念派 (3)新 店 子 馬継武 1920年 約1万 人 西吉新店子 (4)板 橋 門 宦 馬達天 1812年 約6万 人 寧夏呉忠 (5)南 川 門 宦 馬進 西 1889年 約3万 人 甘 粛 張 家 川 南川 2.フ ー フ ィ ー ヤ 門 宦 馬則地 1750年 約100万 人 (Khufiyyah) (1)花 寺(華 寺)門 宦 馬来遅 1740年 約15万 人 河州花寺拱北 (虎非 耶 、虎 夫 耶) (2)畢 家 場 門宦 馬宗生 1674年 約2万 人 河州畢家場拱北 別称:低 念派 (3)穆 夫 提 門宦 馬守 貞 1672年 約1万 人 河 州 康 楽 雍 道 家道 堂 (4)北 庄 門 宦 馬葆貞 1815年 約8万 人 河州東郷北庄道堂 (5)紅 泥 灘湖 門 馬則 地 1750年 約5万 人 河州東郷紅泥灘拱北 (6)太 子 寺 胡 門 格 的加 同 治年 間 約6万 人 河州広河徐牟家拱北 (7)通 貴 門 宦 馬金貴 1911年 約千人 寧夏通貴 (8)青 海 鮮 門 門宦 鮮美珍 康煕年間 約2千 人 青海八站溝 (9)寧 夏鮮 門 門宦 鮮林 園 1931年 3千 人 近 く 寧夏西吉前岔 (10)臨 挑 門 宦: 馬玉 煥 1796年 約5千 人 臨夏瓦窰頭 (11)劉 門 門 宦: 劉伯陽 康煕年間 約 百 戸 蘭 州 市 (12)霊 明 堂 馬霊 一 1878年 約3千 人 蘭 州 市 (13)洪 門 門 宦: 洪海儒 同 治末 年 約4千 人 寧 夏 固 原 (14)明 月 堂(明 徳 堂) 馬 仁'甫 1940年 代 約500人 寧 夏 固 原 三 営 (15)高 趙 家 門 宦 馬以黒牙 1911年 約200戸 臨夏劉集高趙家 (16)慶 雲 堂 ア ブ ドカ ン ハ ル 康煕年間 3-400尸一 蘭 州 小 西 湖 拱北 (17)崖 頭 門 宦 韓哈知 光緒年間 約 千 戸 臨夏大河家海坡 (18)破 溝 井 門 宦 ト ソ ジ ニ ・ シ ニ・ 威豊年間 約300戸 蘭州徐家湾拱北 (19)丁 門 門 宦: 丁 香 嘉慶年間 約100戸 華林山拱 北 (20)撒 拉 教(注1) 蘇哇什 1940年 代 500尸一 循化 (21)文 泉 堂 馬文泉 威:豊初 年 約100戸 蘭州耿家庄 拱北 (22)法 門 門 宦 法真 民 国年 間 2-300尸一 3.ク プ ラ ウ ィ ー ヤ 門 宦(庫 布 忍 耶 、Kubrawiyyah) ム ブ イ ソ デ ィ ニ 康煕年間 約1万 戸 東 郷 大 湾 頭 と康 楽 4.カ ー デ ィ リ ー ヤ 門 寛 (Cadriyah) (1)大 拱 北 門 宦1 祁進 一 1689年 約8万 人 臨夏県大拱北 (格底 林耶 、戛 迚 林耶) (2)香 源 堂 海 闊 乾 隆25年 約500戸 蘭州沙家拱北 (戛得 忍耶) (3)七 門(斉 門)門 宦 馬徳民 1904年 約400戸 千 戸 固原梁家堡拱北 (4)阿 門 門 宦 ヌ ノ ソ デ ィ ニ 威豊末年 数十 戸 あ ま り蘭州潘家墳拱北 (5)韭 菜 坪 門宦 安洪雄 光緒20年 約千 戸5千 人 寧夏西吉 (6)青 海 後 子河 門宦 第7代 楊 道 祖 乾隆年間 約千 戸5千 人 青海後子河拱北 5.イ ー シ ャ ソ 派 ア ジ ヤ ム 1533年 新彊 (lshan) (1)ジ ス テ ィ ヤ(契 斯 提 耶 、 丑shtiyyah) (依禅 派) (2)ス ハ ラ ワ デ ィ ヤ(蘇 哈 拉 瓦 迪 耶 、 蘇 合 瓦 日底 耶 、Suhrawardiyyah) ① イ シ ー ク ヤ(伊 西克 耶) ② ダ ワ ニ ー ヤ(達 瓦尼 耶) ③ イ ー ナ ク ヤ(依 納克 耶) (3)イ ス ハ ー ク ヤ(伊 斯拉 米耶、伊斯 哈格耶)1イ ス ハ ー グ11580年 Ishaqyyah、 元 「黒 山派 亅 (4)マ ウ リ ウ ィ ヤ(売 吾里威 耶)II (5)ナ ク シ パ ン デ ィ ヤ ー(納 格 什 班 迪 耶 、 乃 合 西 板 底 耶 、Naqshibandiyyah)116世 紀 (6)サ フ ル パ ン デ ィ ヤ(賽 合爾班迪 耶) (7)ク ブ ラ ウ ィ ー ヤ (8)フ ー フ ィ ー ヤ116世 紀 (9)カ ー デ ィ リ ー ヤ (10)ジ ャ フ リ ー ヤ IILシ ー ア 派(十 叶 派 、 什 叶 派) 新彊 1.十 ニ イ マ ー ム 派(十 二二伊 瑪 目派) 新疆莎車県ウイグル族 2.イ ス マ ー イ ー ル 派(伊 斯 瑪 儀 派) サ イ ー ド 。 ス ル 17世 紀 3.3万 人 新 疆 タ ジク族 [出 所]馬 通 著 『中 国 伊斯 蘭 教 派 与 門 宦 制 度 史 略 』 銀 川 、 寧 夏 人 民 出 版 社 、1995年 、329-334頁 。 金 宜 久 主 編 『当 代 伊 斯 蘭 教 』 北 京 、 東:方出版 社 、1995年 、336-337頁 。 馮 今 源 著 『中 国 的 伊 斯 蘭 教 』 銀 川 、 寧 夏 人 民 出版 社 、1991年 、66-67頁 の 折 り込 み。 (注1)馬 通 の前 掲 書 は 、 開 教 の 時 期 を 「1950年代 末 」 と して い た が 、 『中 国 伊 斯 蘭 百 科 全 書 』(成 都 ・四 川 辞 書 出版 社 、1994 年 、460頁)の 「撒 拉 教 」 の説 明 で は 「1940年 代 」 と して お り、 こ れ に 改 め た 。 な お 同書 で は 「70年代 宋 に一 定 の 発 展 が あ り、 教 徒 数 は1000戸 あ ま り、1万 人 近 く」 と され て い る。

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そ の 内部 は 他 の 世 界 宗 教 同様 、 多 くの 宗 派 や 教 派 が林 立 し、 そ の 対 立 は時 に は武 力 や 内 紛 を 伴 う 激 しい もの で さ え あ る。 ス ソ ニ ー 派 と シー ア派 と の対 立 は そ の典 型 的 な事 例 で あ る。 中 国 に お け る イ ス ラム 教 もそ の 例 外 で は な い。 今 日の 中 国 に は 、 ス ソ ニ ー派 の教 派 、 シ ー ア 派 の 教 派 、 そ し て 大 き くは ス ソ ニ ー 派 に属 す るイ ス ラ ム神 秘 主 義(ス ー フ ィズ ム)系 の教 派(門 宦)が 存 在 して い る。 そ れ は通 常 「三 大 教 派 ・四 大 門 宦 」と総 称 され る。 【表1】 に み られ る よ うに、50以 上 の 教 派 に 分 かれ て い る◎ しか し、 イ ス ラム 教 が7世 紀 に 中 国 に 伝 え られ て か ら17世 紀 に 至 る まで の一 千 年 間 、 中 国 で は 宗 派 対 立 や 教 派 間 の 争 い が顕 現 しな か った 。 これ は一 つ は 、 中 国 にお け る他 宗 教 との 共 存 を 容 認 す る宗 教 的 寛 容 さの 伝 統 の た め で あ る。 そ れ と と もに 、 中 国 に お け る ム ス リム人 口は 一 貫 して 少 数 派 で あ り、 つ ね に 非 ム ス リム の 大海 に 囲 ま れ て い た とい う歴 史 的条 件 が大 き な要 因 と な っ て い る。 そ う した 環 境 に あ っ た た め 、 ム ス リムた ち が ま ず 第 一 に考 え な け れ ば な らな い こ と は、 い か に して 自己 の宗 教 を 保 持 した ま ま中 国 の 大 地 で生 存 し続 け るか とい う こ とで あ った。 そ れ ゆ え に 、 た と え イ ス ラ ム教 の 異 な る教 派 に 属 して い た と して も、 相 違 を 強 調 す る の で は な く、 同 じム ス リ ム と して の 同 一 性 を 優 先 させ る こ とが まず 第 一 に大 切 な こ とで あ り、 各 教 派 の主 張 を 前 面 に 打 ち 出す 必要 もそ の 余 裕 も な か っ た の で あ る。 そ う した 中 国 内 地 に お い て初 め て イ ス ラ ム 教 の教 派 ら し き もの が形 成 され た の は 、17世 紀 末 か ら18世 紀 初 め に か け て で あ っ た 。 スー フ・イズ ム系 の「門宦 」とい わ れ るや や 閉鎖 的 な 教 団 組 織 で 、 そ れ ま で の ム ス リム た ち を「旧教 」と批 判 して 登 場 した の で 当 時 は 「新 派 」や「新 教 」と呼 ば れ た。 そ れ に対 抗 す る形 で 、 旧来 の ム ス リムた ちが 自 ら を「カ デ ィー ム派 」と 自称 す る よ うに な っ た。 これ が 中 国 イ ス ラ ム 教 の 第 一 次教 派 分 化 で あ る◎ 第 二 次 分 化 が起 こ った の は19世 紀 末 か ら20世 紀 初 め で、 二 つ の新 教 派 が登 場 した。 一 つ は門 宦 及 び カ デ ィー ム 派 を 激烈 に 批 判 す るイ フ ワー ニー 派 で 、 門宦 と カ デ ィー ム 派 を と も に「旧 教 」と批 判 し た が 故 に 、 「新 教 」あ る い は 「新 新 教 」 「新 興 教 」と も 呼 ば れ る。 も う一 つ は 、 門宦 及 び カデ ィー ム 派 の 両 方 の 特 色 を 取 り入 れ た 西道 堂 で あ る。 ま た 、 19世 紀 後 半 か ら20世 紀 前 半 に か け て 各 門 宦 か らま た 新 た な支 系 の 門宦 が 分 立 す る とい う分 化 現 象 が み られ た の も、 この 時 期の 特 徴 で あ る。 本 稿 は 、 こ う した 教 派 形 成 の 歴 史 と各 教 派 の 概 要 を検 討 し、 中 国 イ ス ラ ム教 の 特 徴 に つ い て 解 明 し よ うと す る もの で あ る。 現 在 中 華 人 民 共 和 国 で は、 イ ス ラ ム教 を信 仰 す る民 族 と して10民 族 が 認 定 さ れ て い る (【 表2】 参 照)。 ム ス リム人 口は計1,700万 人 で あ る。 本 稿 は 中 国 内地 を対 象 とす る ため 、 10民 族 の うち 主 と して 中 国 人 ム ス リム で あ る 回族 の イ ス ラ ム教 に つ い て 研 究 す る もの で あ る。 民 族 人 口 言語(言 語 系統) 回 族860万 人 中 国語(シ ナ ・チ ベ ッ ト語族) ウ イ グル 族721万 人 ウ イ グル 語(チ ュル ク語 族) カ ザ フ 族111万 人 カ ザ フ語(チ ュル ク語族) トソシャ嗾3砺 人 トン シ ャ ソ語(モ ン ゴノレ離) キ ル ギ ス族14万 人 キ ル ギ ス語(チ ュル ク語 族) サ ラ 族8.7万 人 サ ラ語(チ ュル ク語 族) タ ジ ク 族3.3万 人 タ ジ ク語(チ ュル ク語族) ウ ズ ベ ク族1.4万 人 ウ ズ ベ ク語(チ ュル ク語 族) ボ ウ ナ ン族1.2万 人 ボ ウ ナ ソ語(モ ソゴル語 族) タ タ ー ル 族4,900人 タ タ ー ル 語(チ ュル ク語 族) 第 一 節 ス ー フ ィズ ム 教 団(門 宦)の 形 成 中 国 内地 に お い て イ ス ラム 教 の 特 定 の 教 派 が 初 め て 形 成 され た の は17世 紀 後 半 の こ とで 、 「門

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宦 」と呼 ば れ る スー フ ィズ ム(イ ス ラム 神 秘 主 義)系 の 教 団 が そ れ で あ る。 そ の 形 成 過 程 は、 明 末清 初 に さ か の ぼ る が 、 す で に11世 紀 の 南 宋 時 代 に 中 国 東 南 沿 海 部 や 内 地 で は イ ス ラ ム神 秘 主 義 を奉 じる「苦 行 僧 」(スー フ ィー 、sufi)の 活 動 が見 られ た。 元 朝 に な:るとス ー フ ィー の来 訪 が増 加 し、 ス ー フ ィズ ム 信 徒 も増 加 した 。 元 代 の 法 律 書 『元 典 章 』 に は 「迭 里 威 士 」 の 語 が 見 られ るが 、 これ は ペ ル シ ア語 のdarwishダ ル ウ ィー シ ュあ る い はderwishデ ル ウ ィー シ ュ (文 字 通 りの意 は「貧 窮 者 」)を音 訳 した もの で 、 粗 衣 を ま と い洞 窟 に こ も って 神 秘 主 義 的 な 修 行 を 行 う苦 行 僧 を 指 した 。 こ の言 葉 は 元 代 に ス ー フ ィー の 活 動 が盛 ん で あ った こ と を傍 証 して い る。 これ ら の苦 行 僧 の 多 くは国 外 か らや?て きた も の で 、 当 時 は い ま だ個 人 的 な 活 動 に限 られ、 組 織 的 な も の で は な く、 門 宦 や 教 派 の 形 成 に は至 ら な か っ た 。 清 朝 康 煕 帝 の 時(1684年)、 台 湾 の 鄭 氏 が清 朝 に帰 順 した の を受 け て、 明 代 ・清 初 の 海 禁 政 策 が 解 かれ た。 そ れ に よ って東 西 交 通 が発 展 す る に つ れ て 、 中 央 ア ジ アや 西 ア ジア か ら大 量 の スー フ ィ ズ ム伝 道 師 が再 び 中 国 西 北 地 区(甘 粛 ・青 海 ・寧 夏)を 訪 れ る よ うに な っ た。 また 、 中 国 の ム ス リ ム学 者 や 宗 教 家 が メ ッカ 巡 礼 に赴 い た りイ ス ラ ム国 家 を遊 学 した りす る 中 で 、 ス ー フ ィー教 徒 や スー フ ィズ ムの 経 典 に触 れ 、 帰 国後 に伝 道 し始 め た 。霊 魂 を浄 化 して神 と の合 一 を 求 め る スー フ ィ ズ ム の 教 義 、 お よ び堅 忍 ・苦 行 ・節 欲 とい っ た 修 練 方 法 は 、 貧 窮 の 中 に あ っ た 中 国 ム ス リム民 衆 に と っ て大 き な吸 引 力 とな った 。 と くに甘 粛 省 の 臨 夏(旧 河 州)や 臨 桃地 区 は元 明 以 来 ム ス リム 人 口が 急 増 して い た が、 ス ー フ ィ ズ ム は こ こで 大 発 展 した 。 門宦 の創 始 者 の 声 望 が 高 ま る に つれ 、 ス ー フ ィ ズ ム信 者 が激 増 し、 有 力 な 教 主 の も とに ます ます 多 くの信 者 が 集 ま り、 こ こに 神 秘 主 義 教 団 の 「門 宦 」が 形 成 され た6そ の 宗 教 的 な 教 え に基 づ い て 、 フー フ ィー ヤ 門 宦 、 カ ー デ ィ リー ヤ 門宦 、 ジ ャ フ リー ヤ門 宦 、 クブ ラ ウ ィー ヤ 門 宦 の「四 大 門 宦 」に分 類 され 、 四 大 門宦 は さ ら に40ほ ど の 支 系 に分 か れ て い る。 〈 ス ー フ ィ ズ ム の修 行 方 法 〉 ス ー フ ィズ ム信 者 の 苦 行 僧 が実 践 す る禁 欲 的 修 行 は そ れ 自体 が 目的 で は な く、 人 問 が 神 に接 近 しそ れ と一 体 化 す る こ とが 目的 で あ る。 そ の た め に 、 ス ー フ ィー は 通 常 の ム ス リム 以 上 に神 の 法 (シ ャ リー ア)と 使 徒 の ス ソ ナ を厳 し く守 る だ け で な く、 様 々 な 禁 欲 ・苦 行 ・節 制 に よ って 、 現 世 す な わ ち神 以 外 の一 切 の もの へ の執 着 を 断 ち切 り、 神 へ の忠 誠 を 維 持 し、 ひ た す ら神 を 求 め 続 け る。 さ らに 、 不 断 の コー ラ ン読 誦 、 礼 拝 、 祈 り(ド ゥア ー)、 瞑 想 、 ジ クル(dhikr、 中 国 語 表 記 は 「斉 克 爾 」 「讃 念 」。 以 下 、 中 国 語 表 記 は(「」)で示 す)① な ど に よ って 常 に神 を 思 念 し、 神 と共 に生 き る よ うに つ とめ る。 そ う した 幾 つ か の 精 神 的 修 練 の 段 階 を経 て 、精 神 を 昇 華 させ 、 最 後 に 無 我 の境 地 を通 して 神 を 認 識 し神 との 融 合 ・合 一 を果 た す こ と が で き る と考 え られ た 。 中 国 で は 、 そ の 修 行 者 の た ど る べ き「道 」(階 梯)を 、(1)初 級 段 階 の「教 乗 」、(2)上 級 段 階 の 「道 乗 」、(3)最 終 段 階 の 「真 乗 」の三 段 階(「 三 乗 」)に 分 類 ・整 頓 した②。 (1!「 教 乗 」(シ ャ リー アShariah、 「礼 乗 」):六 大 基 本信 仰(六 信)③ を踏 ま え て 、 教 法 の 一 切 の 規 定 を遵 守 し、 法 定 の 五 行 ④ と行 為 規 範 を履 行 し、 や るべ き こ とを実 行 しや って は い け な い こ' ① ジク ル は、「神 は偉 大 な り!」 と か 「神 に栄 光 あ れ!」 と い う言葉 を唱 え て、 神 の 栄 光 を称 え神 を賛 美 す る こ

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② 邱 樹 森 主編r中 国伊 斯 蘭百 科 全 集 』 南 京 、 江蘇 古 籍 出版 社 、1992年 、482頁 の 厂三 乗 」 の項 。 中 国 伊 斯 蘭百 科 全 集 編 纂委 員 会編 『中 国 回族 大 詞 典』 成 都 、 四州 辞 書 出版 社 、1996年 、782-783頁 の 「三 乗 」 の項 。 ③ 六 信 とは 、① ア ッラー 、② 天 使 、 ③ 啓 典 、④ 予 言 者 、 ⑤ 来 世(ア ー ヒ ラ)、⑥ 予定(カ ダル)を 信 じ る こと で あ る。 ④ 五 行 とは、① 信仰 告 白(シ ャハ ー ダ)、② 礼 拝 、③ 喜 捨(ザ カ ー ト)、④ 断食 、⑤ 巡 礼 を行 う ことで あ る。

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とを や め 、 「身 を修 め 精 神 を養 い 」、「神 へ の 絶 対 的 信 頼 」と い う段 階 に達 す る。 (2)「 道 乗 」(タ リー カTariqah、 「道 程 」):こ う した倫 理 的 な面 で 準 備 が で き た後 、 導 師 の 指 導 を 受 け な が ら、 一 切 の雑 念 を 捨 て去 り、 ひ た す ら神 の 名 を 唱 え て 、 思 念 を神 に 集 中 す る段 階 に 進 む 。 そ こ で は 、 礼 拝 ・断食 ・静 坐 ・ジ クル な ど の 苦 行 を 日夜 行 う こ と に よ っ て 、 現 世 か ら離 脱 し、欲 望 を断 ち切 り、 霊 魂 を 清 め て 、 神 を認 識 し神 に 近 づ く よ うつ と め る。 こ う して 波 一 つ 立 た な い 水 面 の よ うに 心 を無 に して 、 神 の 恩 寵(カ ラー マkarama、 イ ス ラ ム 教 の「奇 跡 」)をひ た す ら 待 つ の で あ る。 (3)「 真 乗 」(ハ キ ー カHaqiqah、 「理 乗 」 「至 道 」):「 明心 尽 性 」を通 して 、 や が て 神 が 心 の全 体 を満 た す よ うに な り、 自己 を 全 く意 識 しな い忘 我 の 状 態 に入 る。 そ れ は フ ァナ ー(消 滅)と 呼 ば れ る神 秘 的 合 一 体 験 で あ る。 そ れ は神 そ の も の と の一 種 の ふれ あい の経 験 で あ り、 ス ー フ ィー に と って は 無 上 の 歓 喜 で あ り、 また 全 く新 し い世 界 の 開 示 で あ る。 そ の 状 態 は 長 く続 か な い が 、 「愛 す る もの」(神)へ の愛 と苦 悩 に と りつ か れ て、 再 会 を 熱 望 す る。 こ う した フ ァナ ー の繰 り返 し に よ って 、 神 へ の 愛 が 深 め られ 、 神 との親 しさ が増 す。 い まや 、 ス ー フ ィー は 何 を考 え何 を して も、 自己 と神 との 間 で 意 志 の 上 で の不 一 致 は な くな る。 「真 乗 」 段 階 に達 した もの が「聖 者 」(ワ リーwali)で あ る。 聖 者 は 、 た ん に 現 世 の 欲 望 か ら解 放 され た求 道 者 で あ る と い うに と ど ま らず 、 神 か らカ ラー マ(奇 跡)と い う特 別 の 恩 寵 を与 え ら れ 、 神 に作 用 を 及 ぼ し うる人 と され る。 そ う した 存 在 と して 、 聖 者 は 民 衆 の願 望 を 神 に取 り次 ぎ、 代 願 す る こ とが で き る と考 え られ た 。 こ う した 考 え が聖 者 崇 拝 や 聖 墓 崇 拝 を 生 む こ と と な り、 中 国 に お け る 門 宦 の形 成 を促 した。 ス ー フ ィ ズ ム は神 の 法(シ ャ リー ア)の 形 式 主 義 化 に対 す る批 判 で あ り、 神 学 的 思 弁 に よ る神 の 非 人 格 化 に 対 す る反 動 で あ った 。 過 度 の形 式 主 義 化 に対 して は行 為 の 動 機 を重 視 し、 神 の非 人 格 化 に対 して は「人 と神 の 一 体 性 」を 強 調 し、「人 と神 は 相 通 じ る こ と が で き る」と主 張 した。 初 期 の ス ー フ ィー は 組 織 に と ら わ れ ず 、 個 人 の 苦行 を重 ん じ る と こ ろ か ら、 時 に は しば しば主 流 派 と衝 突 し、 反 体 制 的 とな った 。 中 国 の 門 宦 も しば しば反 体 制 的 な行 動 を と る こ とが 多 か っ た。 と くに ジ ャ フ リー ヤ 門宦 に よ る 一 連 の 反 清 蜂 起 に つ い て は、 張 承 志 氏 の 著 作 が 明 ら か に して い る①。 今 日の世 界 に お い て も、 イ ス ラム 原 理 主 義 の武 装 活 動 に み られ る よ うに、 イ ス ラム 教 は しば しば 反 体 制 運 動 と結 び つ け て み られ が ち で あ る。 しか し、世 界 の イ ス ラム 教 の 現 実 は む しろ現 状 ・現 世 を肯 定 し権 力 の保 護 を求 め て しば しば 時 の政 権 に接 近 を試 み る体 制 的 な教 派 と信 徒 が 大 多 数 で あ る。 ジ ャ フ リー ヤ 門宦 は 中 国 イ ス ラ ム教 史 の 中 で 興 味 深 い 存 在 で は あ る が 、 中 国 イ ス ラ ム の 中 で は や は り少 数 派 で あ る。 む しろ殉 教 の 名 の下 に体 制 と反 目す る の で は な く、 そ の 時 点 の 体 制 の 中 で 信 仰 を保 持 しつ つ 漢 人 と共 存 し生 存 を は か って き た 、 い わ ゆ る体 制 派 の イ ス ラ ム教 徒 の 方 が圧 倒 的 な多 数 派 な の で あ る。 現 在 の 中 華 人 民 共 和 国 に お い て 、 中 国 ム ス リム で あ る回 族 は 中 国 共 産 党 の 支 配 の 中 で 確 固 た る地 位 を 占 め て さ え い る。 本 稿 は 、 反 体 制 的 な 色 彩 の強 い ス ー フ ィズ ムの 門 宦 で は な く、 多数 派 の イ ス ラム 教 各 教 派 の 形 成 の歴 史 とそ の 教 義 や儀 礼 の特 色 を 解 明 しよ う と す る もの で あ る の で 、 四 大 門宦 お よび そ の支 系 門 宦 の教 義 的 相 違 な どに つ い て は 深 入 り しな い。 〈門宦 制度 の特 色〉 門 宦 制 度 は 中 国 イ ス ラ ム教 独 特 の も の で 、 今 日で は「一 種 の 教 主 兼 地 主 の 封 建 的 制 度 」で あ る と ① 張 承 志著(梅 村 坦 訳)r殉 教 の 中 国 イ ス ラム:神 秘 主義 教 団 ジャ フ リー ヤ の歴 史 』亜 紀 書 房 、1993年 。

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批 判 的 に総 括 さ れ る①。 「門 宦 制 度 」とい う表 現 に は す で に そ う した意 味 が 込 め られ て い る。 門宦 創 始 者 の多 くは苦 行 者 で 、 自身 は 教 権 の 争 奪 や 財 富 の 蓄 積 とい う世 俗 思 想 は持 っ て い な か った が 、 そ の 地 位 が 継 承 さ れ る に つ れ 、 宗 教 権 力 を使 っ て 世 俗 の 権 勢 を 追:求す る よ うに な り、 広 大 な土 地 や 多 くの 家 畜 を所 有 し教 徒 に無 償 労 役 させ る「教 主 兼 地 主 」の性 格 が だ ん だ ん と強 ま って い っ た 。 門 宦 の 最 大 の 特 色 は 、 「道 祖 」とか 「老 人 家 」(旦那 さ ま)と か 呼 ば れ る教 主 の 地 位 が世 襲 され る こ と で あ る。 賢 者 継 承 制(伝 賢 制)を 唱 え る門 宦 もあ るが 、 実 際 に 教 主 の 地 位 を 継 承 した 者 の 多 くは そ の 親 族 か ら出 て い る 。 門 宦 で は 教 主 が 最 高 領 袖 で あ り、 信 者 は 教 主 を「ア ッ ラー へ と導 く人 」と み な して尊 崇 し、 教 主 の 命 令(「口喚 」)には絶 対 服 従 で あ る。 教 主 は 神 性 を 有 し、 読 心 術 ・透 視 ・ 水 上 歩 行 な ど と い った 神 の 奇 跡(カ ラ ー マ)を 示 す こ と が で き る と され る。 初 期 の ス ー フ ィ ー は個 人 的 な宗 教 行 為 と して修 行 を行 って い た が、 や が て 修 道 場 で集 団 的 生 活 を送 る こ と を 重 視 す る よ うに な った 。 そ れ は 、 神 と の合 一 とい う究 極 の 目標 に達 す る に は 個 人 的 な 努 力 の み に よ って は 不 可 能 で あ る と考 え られ る よ うに な った か らで あ る。 ま た 、 そ れ ゆ え師 に よ る導 き が不 可 欠 と も考 え られ た 。 門 宦 の 教 主 は そ う した 存 在 で あ っ た 。 教 権 を 引 き継 ぐた め に は 、 教 主 自 身 も「道 乗 」 (タ リー カ)の 修 行 を成 就 しな け れ ば な ら な か っ た 。 教 権 組 織 の 面 で は、 各 門 宦 は そ れ まで の緩 や か な 教 坊 制 を打 破 し、 教 主 集 権 制 と で もい うべ き 拡 大 教 坊 制 を と っ て い る。 そ れ は 、 教 主 が多 くの 教 坊(ム ス リム共 同体)・=清 真 寺 を管 轄 し、 教 長 (ア ホ ソ)を 直 接 任 命 す る も ので 、各 清 真 寺 が独 立 して い る の で は な く隷 属 関 係 に置 か れ て い る と い うの が 門宦 制 度 の一 つ の 特 徴 で あ る。 教 主 が 、 若 干 の 教 坊(寺 坊)か らな る教 区 の代 理 人 と して ラ イ ー ス(「熱 依 斯 」、 ア ラ ビア 語Rayisの 音 訳 、 「長 」 「領 袖 」 「頭 目」 の 意)を 中 心 清 真 寺 の 教 長 に 任 命 して 各 教 区 を管 轄 させ 、 そ の管 轄 下 に あ る各 坊 の 清 真 寺 に は そ れ ぞ れ 別 の 教 長 を 指 名 ・派 遣 した。 門 宦 以 外 の 教 派 で は 、 各 坊 は隷 属 関 係 に な く、 そ れ ぞ れ が 独 立 して運 営 ・維 持 され て い る の で 、 こ う した 教 主 を頂 点 と した集 権 的 な教 権 組 織 は 門 宦 の組 織 的 特 色 で あ る。 信 仰 面 で の特 色 は、 当然 の こ とな が ら神 秘 主 義 と禁 欲 主 義 の色 彩 が 強 く、信 仰 上 の「奇 跡 」や 宗 教 上 の 「巫 術 」を 信 じて い る。 ム ス リム の 基 本 的 宗 教 行 為 と され る五 行 や そ の他 の 宗 教 儀 礼 を あ ま り重 視 せ ず 、 宗 教 義 務 と して 「副 功 」(「付 功 」、実 践 して も よ い が 通 常 は や らな くて も よ い と され て い る宗 教 行 為)を 重 視 して い る。 信 仰 心 が 篤 くな け れ ば 礼 拝 して も無 益 で あ る と主 張 し、1日 5回 の 礼 拝 や 金 曜 日の 礼 拝 さ え もそ れ ほ ど重 視 しな い 。 「腰 が 折 れ る ほ ど お辞 儀 を し、 足 が 折 れ かた り る ほ ど跪 い て も 、 そ れ は 良 心 の な い 騙 の 徒 だ 」と、 旧 来 の 中 国 イ ス ラム 教 の形 式 主 義 化 を批 判 す る。 そ れ ど ころ か 、 教 主 が 教 徒 の 信 仰 心 が 篤 い こ とを 認 め さ えす れ ば 「天 国」 に 行 け る と説 き、 日常 の 礼 拝 の意 味 を無 視 す る。 来 世 に 「天 国 」 に昇 る た め に は、 現 世 を 棄 て 貧 苦 に耐 え 苦 しい 修 業 を行 な う こ とを 主 張 す る。 信 者 は ア ッラ ー 信 仰 や 聖 人 崇 拝 以 外 に 、「聖 妻 」 「聖 女 」や 教 派(門 宦)の 宗 教 首 領 を 崇 拝 す る。 教 主 に拝 謁 す れ ば ア ッラ ー に 近 寄 る こ とに な る と考 え る。 そ れ は、 教 主 は ア ッ ラー の現 世 に お け る代 理 人 、 ア ッ ラ ー の 化 身 で あ る と され て い る か らで あ る。 と くに 各 門 宦 の 創 始 者 を「老 人 家 」 (旦 那 さ ま)と か 「シ ャイ フ」(長老 、 ア ラ ビ ア語Shaykh「 謝 赫 」)と して 尊 崇 し、 教 主 とそ の墳 墓 で あ る「ゴ ソバ イ」(「拱 北 」)を崇拝 し、 中 に は 教 主 へ の拝 謁 や ゴ ソ バ イ 参拝 を も って五 行 の第 五 で あ る メ ッカ巡 礼 に代 え る こ と が で き る と主 張 す る門 宙 も あ る。 門 宦 の創 始 者 や名 望 の あ っ た教 主 及 び そ の 家 族 の忌 日に は 毎 年 ゴ ソバ イ を参 拝 し コー ラ ソ を読 誦 す る な ど の記 念 活動 を行 な って い る。 教 徒 は 教 主 に 跪 拝 し、 ゴ ソバ イ に 赴 い て読 経 し、 そ こで 銭 を 撒 くと い う行 為 さえ もが 宗 教 行 為 と ① 王 懐 徳 著r伊 斯 蘭 教 教派 』 北 京 、 中 国社 会 科学 出版社 、1994年 、92頁 。

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して 正 統 化 され て い る。 宗 教 行 為 の 面 で は、 門宦 は スー フ ィズ ムの系 統 と して 「教 乗 」の ほ か に「道 乗 」の修 行 を 重 視 す る。 「道 乗 」の修 行 と は 、 神 秘 主 義 的 な祈 薦 や神 を 讃 え る ジ ク ル の 無 限 の 繰 り返 し、「座 静 」(座 禅)① や「参 悟」(瞑想 を通 じて ア ッ ラー に接 近 す る こと)②の勤 行 を行 な う こ とで あ る。 な か に は頭 を振 っ た り飛 び跳 ね た りと い った よ うに 、非 常 に 狂 熱 的 に な る もの も あ る。 こ う した修 行 の や り方 を 見 れ ば 、 中 国 スー フ ィズ ム の 修 行 の理 論(「三乗 」)が禅 宗 や イ ソ ド ・ヨガ の 影 響 を受 け た こ と が容 易 に理 解 で き よ う③。 カー デ ィ リー ヤ 門 宦 の よ うに 、 「教 乗 」を軽 ん じ「道 乗 」の み を 重 ん じ る宗 派 もあ る。 彼 らは 「教 門 」を 作 らな くと も 、 直 接 に 「道 」を行 うな ら「神 を認 め 神 に近 づ く」こ とが で き る と主 張 す る。 そ して 、 経 典 は 後 世 の 人 の 書 い た もの で あ るか ら と して 、 コー ラ ソ を含 む イ ス ラ ム の各 経 典 を遵 守 す る こ と に反 対 し、 「無 文 字 の真 経 歌 」を 黙読 す る よ う提 唱 す る。 また 、 通 常 の五 行 に も反 対 す る。 そ れ は 、 宗 教 上 のi義務 は世 俗 的 な もの で 、 そ れ を遵 守 して も神 に は近 づ け な い と考 え る か らで あ る。 唯 一 の方 法 は出 家 して 道 を修 め る こ との み で あ る と、 道 教 と全 く同 じよ うな主 張 を す る。 す な わ ち、 夫 婦 の 愛 情 を絶 ち、 家 庭 の 睦 合 を捨 て 、 現 実 の 生 活 か ら離 脱 し、 苦 しい修 練 を 積 む こ と に よ って 、 悟 りを開 い て 、 「根 源 に立 ち返 り、 これ に 帰 す る」こ と が で き るの で 、 ア ッ ラー に近 づ き「天 国 」の幸 福 を享 受 す る こ と が で き る と考 え る の で あ る。 カ ー デ ィ リー ヤ大 拱 北 門宦 な ど は 中 国 古 代 思 想 家 ・荘 子 の直 接 的 な影 響 を深 く受 け て い る こ と が指 摘 さ れ る④。 この よ うに 、 門 宦 に は 禅 宗 や 道 教 の修 行 方 法 や 中 国 の 哲 学 思 想 が そ の ま ま取 り入 れ られ て い る こ とが 多 い◎ そ の ほ か 、 各 門 宦 の信 仰 や儀 礼 の中 に も、 様 々 な程 度 に 中 国 の 伝 統 的 な宗 教 観 や 中 国 各 地 方 固有 の習 俗 が 色 濃 く浸 透 して い る。 た と え ば 、 各 門宦 の教 徒 は コー ラ ソ読 経 の 際 、 仏 教 と同 じ よ うに常 に香 を た き な が ら読 経 して い た。 中 に は聖 な る神 の 言 語 と され るア ラ ビア語 で コー ラ ソ を読 む こ と に反 対 し、 教 主 とそ の 道祖 の 読 み 方 に な ら って 読 経 す る よ う主 張 す る 門宦 も あ っ た 。 礼 拝 は夜:更け、 静 か にな っ た 頃 に 香 をた き、 長 い 間 跪 き、 黙 薦 す る こ と が最 良 と さ れ る。 そ れ が 「天 国 」に 入 る近 道 と考 え る か らで あ る。 第 二 節 カ デ ィー ム 派=中 国 ム ス リ厶 最 大 教 派 明 末 清 初 の 時 期 は 、 門 宦 の 登 場 や カデ ィー ム派 の形 成 に 見 られ る よ うに、 イ ス ラ ム教 に 改 革 が 求 め られ た 最 初 の大 変 革 期 で あ った 。 そ の 背 景 と して は 次 の3点 が指 摘 され る。 第 一 に 、 明 代 は 中 国 至 上 主 義 の 国粋 的 な時 代 で あ り、 そ れ ゆ え 中 国 ム ス リム に と っ て は 苦 難 の 時 代 で あ った 。 が、 同 時 に一 方 で は 、 ム ス リム の凝 集 力 が 強 ま り、 回 民 共 同体 が形 成 され 発 展 し て い っ た時 代 で もあ っ た 。 そ う した 中 で 、 ム ス リム 民 衆 は イ ス ラ ム 教 の 衰 退 に危 機 感 を持 ち、 何 と か 打 開 を 図 ろ うと して い た 。16世 紀 後 半 に胡 登 洲(1522-1597、 陝 西 省 威 陽 県 出 身)が 陝 西 で 宗 教 教 育 を 提 倡 し人 材 の育 成 を 図 る な ど、 中 国 の 清 真 寺 で ア ラ ビ ア語 とイ ス ラ ム経 典 を講 ず る経 堂 教 ① 「座 静 」 と は 、神 を愛 し神 に近 づ くと い う 目的 に 達 す るた め に 、27日 間(時 に は40日 間)連 続 して 修 道 場 (「道 堂 ・静修 室 」)に 籠 も って、 飲 食 や睡 眠 を少 な くし、 目を 閉 じて座 禅 す るな どのや り:方で 心 を清 め 、 ひ た す ら主 を讃 え る ジ クル を唱 え続 け る こ とで あ る。 ② 厂参 悟 」 は と くに カ ー デ ィ リー ヤ 派 に おい て重 視 され 、「一 時 の参 悟 は千 年 の 修行 に勝 る」 と考 え られ て い る (『中 国 伊 斯 蘭百 科 全集 』107頁 の 「参 悟」 の 項)。 ③r中 国 回族 大詞 典 』783頁 の 「三 乗 」 の 項。 ④ 馮 今 源 著r中 国的 伊斯 蘭 教 』 銀川 、寧 夏人 民 出版 社 、1991年 、81頁 。

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育 が 開 始 され た の も、 そ う した試 み の 一 つ で あ っ た①。 これ は 、 中 国 の伝 統 的 な 私 塾 教 育 を イ ス ラム 教 の 中 に取 り入 れ た 、 寺 子 屋 的 な もの で あ る。 経 堂 教 育 は今 日 も維 持 さ れ て お り、 中 国 に お け るイ ス ラ ム教 の維 持 ・発 展 に 大 き く貢 献 して い る。 ま た 、 教 派 が 登 場 す る と、 経 堂 教 育 の 場 で どの 宗 派 ・学 派 の教 え に 従 って 講 義 す るの か が 問 わ れ る こ と に な っ た。 第 二 に 、 明 末 清 初 以 後 、 海 禁 政 策 の解 除 に伴 い 、 西 方 か らイ ス ラ ム書 籍 が輸 入 され 始 め 、 儒 学 の 知 識 を持 つ イ ス ラム教 学 者(「経 師 」 「経 学 大 師 」、 「回 儒 」と呼 ば れ た)が これ らの書 籍 を研 究 し、 江 南 な どで い わ ゆ る「以 儒 詮 経 」(儒学 で も って イ ス ラ ム教 を 解 釈 す る)の 活 動 が活 発 化 した こ とで あ る。 そ の 代 表 的 な 人物 に は、 王 岱 輿(1584?一1670、 南 京)、 劉 智(劉 介 廉 、1655?一1745、南 京)、 馬 徳 新(1794-1874、 雲 南 省)ら が い る。 回儒 の 著作 は イ ス ラ ム の教 学 、 ア ッラー 、 ムハ ソマ ドの 神 学 、 五 行 、 二 大 祭 典 、冠 婚 葬 祭 の教 律 な どに つ い て 儒 仏 道 の 用 語 を 用 い て解 説 した もの で 、 時 と して 儒 学 者 に 匹 敵 す る文 体 と 内容 を持 った 高 度 の 宗 教 書 で あ っ た。 そ れ らは イ ス ラム の 弁 護 論 、 護 教 論 の 立 場 か ら書 か れ て お り、 イ ス ラム が 決 して 危 険 な もの で な い こ とを 漢 人 知識 人 に理 解 さ せ る こ と が主 目的 で あ った 。 そ れ は イ ス ラ ム教 が 宗 教 的 に 哲 学 的 に 中 国 に土 着 化 しよ うと した 試 み で あ っ た②。 そ の 結 果 と して 、 経 堂 教 育 の 場 に お い て イ ス ラ ム 用 語 の 中 国 語 化 も進 行 し、 い わ ゆ る 「経 堂 語 」が 形 成 され た 。 第 三 に、 上 述 した スー フ ィズ ム の影 響 を 受 けて 、 これ ま で の 中 国 イ ス ラム 教 の あ り方 を批 判 す る独 自の 教 派 と して 門 宦 が形 成 され た た め 、 既 存 の ハ ナ フ ィー 派 の学 説 を奉 じ伝 統 を尊 重 し よ う と した ム ス リム た ち は 、 何 らか の対 応 をす る必 要 に迫 られ た。 清 代 に ス ー フ ィ ズ ムの 門宦 が「新 派 」と か 「新 教 」と称 せ られ た の に 対 して 、 スー フ ィ ズ ム の 教 義 を信 奉 せ ず そ れ ま で の イ ス ラム教 の 教 義 と儀 礼 を保 持 し従 来 の 宗 教 制 度 を維 持 しよ う と した 多 数 派 の ム ス リム た ち は「旧 派 」 「旧教 」と 呼 ば れ た 。 自 ら は 「古 い 」 「古 老 」を指 す ア ラ ビ ア 語Qadim の 音 訳 で あ る「格 底 目」(「格 的 木 」)(カ デ ィー ム 派)を 自称 す る よ うに な った 。 ま た 、 「老 教 」 「古 行 」 「遵 古 教 」と も呼 ば れ る。 イ ス ラ ム教 が 中 国 に伝 え られ て 以 後 次 第 に 形 成 され て ぎた 宗 教 制 度 を保 持 して い る 中 国 で 最 も古 い教 派 で あ る。 ま た 、 今 日に お い て も中 国 イ ス ラ ム教 で 、 と くに 中 国 内地 で は 最 大 の 教 派 で あ る。 も と も と この 教 派 に は 特 定 の 名 称 が な か った 。 中 国 で は イ ス ラ ム. 教 の教 派 が 分 化 す る こ と が長 期 間 な か っ た の で 、特 定 の 名 称 が 必 要 な か った の で あ る。 こ れ が 中 国 イ ス ラ ム教 史 の 最 初 の 教 派 分 化 の 歴 史 で あ っ た。 〈 カ デ ィ ー ム 派 の 教 義 〉 カ デ ィー ム派 は ス ソ ニ ー派 に属 し、 四大 法 学 派 の 中 で は ハ ナ フ ィー 法 学 派 を奉 じ る も の と通 常 され て い る 。 が 、 カ デ ィ「 ム 派 が実 際 に遵 守 して い るの は 「四 大 サ ハ ー バ 」(「索 哈 白」、 ム ハ ソマ ドの教 友)の 「イ ジ ュ マ ー(合 意)」(「依 知 麻 児 」)以前 の 教 義 で あ っ た③。 の ち に、 中 国 の ム ス リム た ち も大 イ マ ー ム の ハ ナ フ ィー を尊 重 す る よ うに な っ た の で あ る 。 これ が 中 国 に最 も早 く伝 え ら れ た学 説 で あ っ た 。 イ ジ ュマ ー と は、 イ ス ラ ム法 の 法 源 の 第3の 「合 意 」の ことで 、 そ れ は 言 葉 か 行 為 か或 い は合 意 と見 な され る沈 黙 の い ず れ か に よ って 表 明 さ れ 、 理 論 的 に は イ ス ラ ム教 徒 全 体 の 合 意 で あ る が 、 実 際 に は そ れ ぞ れ の時 代 の代 表 的 ウ ラマ ー の 合 意 で あ り、 そ の意 味 で ス ソニ ー ① 経 堂 教 育 は胡 登 洲似 後 、 彼 の弟 子 た ち に よ っ て各 地 に伝 え られ 、 活 発 に な った 。著 名 な もの に は、 山 東 の 常 志 美(1610-1670)、 陝西 の周 良隻 、雲 南 の馬 徳 新 、河 南 の張 万 東 ・楊 泰恒 。楊 泰 貞 な どが い る(『 中国 伊 斯 蘭 百 科 全 集 』223-224頁 の 厂胡 登 洲」 の項)。 ② 回儒 の 著作 の 内容 には 中国 思想 の混 入 な い し習 合 は な く、 あ くまで もイ ス ラ ムの教 義 と哲 学 を 主張 してい る と み る見 解 もあ る(佐 口透 「中 国地 域 へ の イ ス ラム の進 出 と拡 大 」 『月 刊 しに か』第3巻 第7号 、1992年7月 、 17頁)。 ③ 馬 通 著r中 国伊 斯 蘭教 派 与 門宦 制 度 史略 』 銀 川 、 寧 夏 人民 出 版 社 、1995年 、71頁 。

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派 とい う概 念 は そ の よ うな 合 意 を 根 拠 と して い る。 こ れ に 対 して 、 シー ア派 で は イ ジ ュ マ ー そ の もの を 認 め ず 、近 代 の ワ ッハ ー ブ派 は サ ハ ー バ の イ ジ ュ マ ー だ け しか 認 め て い な い の で あ る①。 カ デ ィー ム派 が サ ハ ー バ の イ ジ ュマ ー 以 前 の 教 義 を 遵 守 して い る とい う こ とは 、 中 国 の イ ス ラ ム 教 が シー ア派 的 要 素 を か な り受 容 して い る こ と を示 して い る。 カ デ ィー ム派 の教 義 は き わ め て伝 統 的 な もの で 、 と りわ け 「神 を認 め 預 言 者 に従 う」を 基 本 と し て 、・六 信 五 行 を厳 格 に 履 行 す る こ とを 重 視 し、 ス ー フ ィズ ム で 重 じ られ る「坐 静 」や 「参 悟 」の 修 行 は 「副 功 」(やる こ と は よ い こ とで あ る が 、別 にや ら な くて も よ い行 為)と み な し、 重 視 しな い 。 正 統 的 な宗 派 で は、 ア ッラー が命 じた天 命 、 教 法 が 規 定 して い る典 礼 、 ム ハ ソマ ドが 行 な った と さ れ て い る聖 行 の3つ の 宗 教 義 務 を履 行 しない で 、 「副 功 」の み を 単 独 で 行 な う こ とは 、 教 律 に 違 反 す る「異 端 」と見 な され て い る②。 した が って 、 神 の啓 示 に照 ら し合 わせ た「人 間 の 正 しい 生 き方 」 の 具 体 的 表 現 と され る シ ャ リー ア(「舎 若 阿 提 」)をき わ め て 重 視 す る。 シ ャ リー ア は 個 々 の ム ス リ ム の 宗 教 的 生 活 を規 定 す るの み で な く、現 世 の世 俗 的 生活 を も具 体 的 に規 制 す るの で あ る。 そ れ ゆ え に、 カ デ ィ ー ム派 で は 、 長 期 間 に 中 国 の 風 土 の 中 で形 成 され維 持 され て きた宗 教 的 な 礼 俗 や 儀 礼 の枝 葉 末 節 に非 常 に こだ わ る こと が 多 い 。 イ ス ラ ム教 の根 本 聖 典 で あ る コー ラ ソ(「古 蘭 経 」)は正 し くは クル ア ー ソ とい わ れ る。 「クル ア ー ソ」とは 「読 誦 され る もの」の 意 で あ り、 コ ー ラ ソ は 本 来 朗 々 と声 を出 して 誦 す る もの で あ る。 宗 教 音 楽 も イ コ ソ も認 め な い イ ス ラ ム教 で は 、 こ の ア ラ ビア 語 の コー ラ ソ読 誦 が もつ 、 人 間 業 を 超 え た 詩 的 韻 律 美 と音 楽 的 朗 誦 美 が宗 教 的 芸 術 の 域 に ま で 高 め られ た③。 コー ラ ソ読 誦 の 国 際 大 会 も開 か れ て い る。 コー ラ ソの 読 誦 方 法 も、 宗 派 や 教 派 に よ って 異 な る。 た と えば 、 フー フ ィー ヤ 門 宦 は 「低 念 派 」とい う別 称 の よ うに、 経 典 や す べ て の祈 薦 詞 を低 い声 で読 誦 す る こ とが 最 も貴 い と主 張 す る。 「フ ー フ ィー ヤ」とい う呼 称 は ア ラ ビ ア語 「ホ フ ァ」の訛 音 に 由 来 す る が 、 そ れ は 元 来 「深 く納 め る」 「低 い 」と い う意 味 で あ る。 こ れ に 対 して 、 ジ ャ フ リー ヤ 門 宦 は 「高 く読 誦 す る」 「高 念 派 」で 、 ア ラ ビ ア語 「ジ ャ フ リー」(「公 開 」の 意)に 由来 す る。 そ う した 中 で 、 カ デ ィー ム派 で は 、 中 国 語 の 音 位 を 採 用 した コー ラ ソの 俵 統 的 な読 誦 法 を維 持 して い る。 地 方 に よ って は 方 言 の 音 位 や 古 文 の 語 調 で 読 誦 して い る④。 また 、 『コ ー ラ ソ』114章 の う ち第112章 「忠 誠 章 」を と くに 高 貴 と考 え、 この 章 を読 誦 す る時 は続 け て3回 読 誦 す る。 ム ス リム は 出 発 の 時 や 祈 願 を 行 う際 に は 「ド ゥ ア ー」(dua、 「都 阿」 「都 哇 」)を行 な うが 、 そ の 際 は2回 手 を捧 げ 持 ち、 食 後 の祈 りも両 手 を 挙 げ る こ と と して い る。 毎 年 の 断 食 月 の 日時 は 実 際 の 月 の 満 ち欠 け を見 て 決 め 、 一 日5回 の礼 拝 の第4回 目の 礼 拝 「シ ャ ム」(昏礼)の 後 に断 食(「開 斎 」) を 行 う こ と を主 張 して い る(そ れ 故 「後 開 派 」と い う呼 称 もあ る)。 18世 紀 に ス ー フ ィ ズ ム の活 動 が 中 国 で 活 発 化 して 、 一 部 の教 民 が ス ー フ ィズ ム 系 の 門宦 に 参 加 し、 カ デ ィー ム派 が 大 打 撃 を受 け た 時 も、 そ して19世 紀 末 か ら20世 紀 初 め に か け て イ フ ワー ニ ー 派 や 西 道 堂 が 新 た に 登 場 し、 再 び一 部 の 教 民 が 分 化 し、 カ デ ィー ム派 の信 徒 数 とそ の 地 位 が 急 激 に 下 降 して い っ た 時 も、 他 教 派 の宗 教 的 主 張 に 対 して 妨 害 す る こ とは 少 な か っ た 。 そ う した 寛 容 的 性 格 ゆ え に 、 依 然 と して 中 国 イ ス ラム 教 の 最 大 多数 派 を 維 持 して い る。 ① 日本 イ ス ラ ム協 会 監 修rイ ス ラム事 典 』平 凡 社 、1982年 、80頁 。 ② 周 文 柏 主 編r中 国礼 儀 大辞 典 』 北京 、 中 国人 民大 学 出 版 社、1992年 、567頁 の 「副 功」 の項 。 ③rイ ス ラム 事 典』117頁 の 厂コーラ ソ」 の項 。 ④ 馮 今 源 著r中 国的 伊 斯 蘭教 』83頁 。

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〈 カ デ ィー ム派 の 教 権 組 織 〉 カ デ ィー ム 派 の 教 権 組 織 は「単 一 教 坊 制 」(一つ の教 坊=・一 つ の 清 真 寺)で あ る。 つ ま り、 近 隣 の ム ス リム が一 つ の 教 坊 を構 成 し、 原 則 と して そ の 中 心 に 一 つ の 清 真 寺 を も ち 、 ム ス リ ム共 同体 の 政 治 ・経 済 ・文 化 活 動 の 中 心 と して 機 能 して い た 。 清 真 寺 相 互 の 関係 は、 隷 属 関 係 に な く、 通 常 は そ れ ぞ れ が 自立 して 運 営 され て い る。 が 、 あ る地 域 で は 、 一 つ の 大 清 真 寺 の 下 に い くつ か の 小 清 真 寺 が帰 属 す る「ハ イ イ教 坊 制 」(「海 乙 寺 」MasjidHayy、 あ る い は ア ラ ビア 語Hanyiの 音 訳 「漢 依 」、 大 清 真 寺 の 呼称)が 実 行 され て い る①。 教 坊 は唐 宋 時 代 の蕃 坊(外 国 人地 区)が 発 展 して き た もの で あ り、 歴 史 と伝 統 を有 して い る。 教 坊(清 真 寺)管 理 の面 で は 、 職 務 を分 担 す る三 掌 教 制 と 教 長(ア ホ ソ)招 聘 制 、 お よ び郷 老 管 理 制 が 採 用 され て い た。 三 掌 教 の 名 称 は時 代 と地 域 に よ っ て 異 な る が 、 通 常 イ マ ー ム(1mam「 伊 瑪 目」、 「教 長 」 「領 袖 」 「掌 教 」の意)、 ハ テ ィー ブ(Khatib、Hatuib「 海 推 布 」、 「宣 講 者 」 「演 説 者 」の意)、 ム ア ッ ジ ソ(Mu'azzin「 穆 安 津 」、「宣 礼 人 」の 意)に 分 け られ て い る。 の ち に そ れ ぞ れ 開 学 ア ホ ソ 、 ニ ア ホ ソ、 マ ジ ソ(「瑪 金 」)の名 称 が 使 用 され る よ うに な った 。 明 清 期 に は 、 ム フ テ ィー(mufti 「穆 夫 提 」)とい う教 法 説 明 官 を 設 け て い る大 き な モ ス ク もあ っ た。 イ マ ー ムは 中 国 で は 宗 教 事 務 ・宗 教 儀式 を 主 宰 す る「掌 教 」で あ っ た が 、 多 くの場 合 は集 団 礼 拝 の 時 に祈 りを主 導 す る アホ ソ(「阿旬 」「阿 衡 」)を指 して い た。 小 清 真 寺 で は多 くは イマ ー ム が ハ テ ィー ブの 職 を兼 任 して い た 。 清 真寺 の最 高 宗 教者 で あ る ア ホ ソ(教 長)は 招聘 制 が と られ 、 任 期 も決 ま っ て い る。 通 常3年 任期 の も の が 多 い が 、 連 続 して就 任 す る こ と も で き る し、 期 限 前 に 辞 任 させ る こ と もで き る。 清 真 寺 の 維 持 ・管理 、 宗 教 負 担 金 ・寄 進 財 産(ワ ク フ)の 収 受 や 支 出 出 納 な ど の財 産 管 理 、 ア ホ ソ の選 定 ・招 聘 、経 堂 教 育 の運 営 、 送 葬 事 務 ・祝 祭 日 の実 施 と い っ た各 宗 教 活 動 の 準 備 な ど清 真 寺 の実 際 の 運 営 は 、「学 董 」(「学 東 」 「社 頭 」)と3∼5名 の 「郷 老 」(あるい は 彼 らか ら成 る清 真 寺 董 事 会)に よ っ て行 わ れ て い る。 学 董(社 頭)は 普 通 、 経 済 力 と声 望 の あ る上 層 ム ス リム が 担 任 し、 郷 老 は 付 近 の ム ス リム民 衆 に よ って 公 選 され る。 郷 老 の選 出 は 、 前 任 者 な ど が推 薦 し、断 食 月 明 け の集 団 礼 拝 の 際 に ア ホ ソが名 簿 を 提 案 し、 本 教 坊 の 教 衆 に 異 議 が な け れ ば 当選 と な る。 現 在 も 同様 の 方 式 が 実 施 され 、 挙 手 に よ る意 思 表 示 が な され る と現 地 の モ ス クで 聞 い た(1999年9月)。 聖 職 者(ア ホ ソ)が モ ス クを管 理 す るの で は な く、 ム ス リム民 衆 の代 表 者 に よ って 管 理 ・運 営 され て い る体 制 は 、 今 日 に お い て も「清 真 寺 民 主 管 理 委 員 会 」とい う制 度 と して 維 持 され て い る。 学 董 (社 頭)は 今 日の管 理 委 員 会 主 任 に 、 郷 老 は 管 理 委 員 会 委 員 に 相 当 す る◎ カ デ ィー ム派 の 教 坊 制 は経 堂 教 育 を普 及 さ せ て い く上 で 最 良 の組 織 形 態 で あ った の で 、 一 般 に カ デ ィー ム派 の教 坊 制 を採 用 して い る地 域 で は 、 経 堂 教 育 は 非 常 に盛 ん で あ る。 〈 カ デ ィー ム派 の 儀 礼 〉 漢 人 と長 期 間 共 存 して い た た め 、 お よ び カ デ ィー ム派 の 元 来 の 寛 容 的 性 格 の ゆ え に 、 習 俗 の 面 で は 、 と くに葬 送 の 面 で は儒 家 思 想 と漢 人 文 化 の 影 響 を か な り受 け て い る。 イ ス ラ ムの 埋 葬 は 一 般 に「土 葬 」にす べ きで 、 い か な る理 由 が あ って も遺 体 を 火 葬 に して は な ら ① ハ イイ 教坊 制 が採 られ る のは 、 ム ス リム が少 ない 地 区 で の宗 教 活 動 を維 持 す るた めで あ って、 ジ ュマ ーや 記 念 日の集 団礼 拝 には ム ス リムた ち は海 乙寺 に集 ま る。 代表 的 な海 乙寺 に は、 新彊 カ シ ュガ ル の ア イテ ィカ ール 清 真 寺 、 寧 夏 同 心 県 の 韋 州 清 真 大寺 、永 寧 県 の納 家戸 大寺 、平 羅 県 の宝 豊 大 寺 、 青 海 循 化 県 の 街 子 大 寺 が あ る (『中国伊 斯 蘭 教 百 科全 集 』207頁)。

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な い 。 そ れ は地 獄 に堕 ち た もの に対 して 神 の み が処 罰 で き る方 法 だ と考 え るか らで あ る。 土 葬 を 守 らね ば な ら ない の で 、 葬 儀 全 般 は取 り急 ぎ行 わ れ る(早 葬)。3日 を超 えて は い け な い と され る。 死 に 臨 ん で 、 コー ラ ソ第2章 「雄 牛 の章 」156節 の こ とば 「本 当 に私 た ち は ア ッ ラー の も の。 ア ッ きょうかたびら ラー の 御 許 に私 た ち は帰 りま す 」 を唱 え させ る。 経 帷 子 は3枚 の 白 い無 地 の布(「克 番 」「克 凡 」)が 使 わ れ る の み で あ る(薄 葬)。 礼 拝 前 と 同 じよ うに全 身 の 洗 浄 が 丁 寧 に行 わ れ 、 棺 に安 置 され る。 故 人 の家 か ら埋 葬 地 に 向 か う途 中 で 、棺 は モ ス クに運 び込 ま れ て 、 「最 後 の 礼 拝 」を させ 、 葬 儀 礼 拝 が 捧 げ られ る。 墓 地 まで の 葬 列 は徒 歩 で な け れ ば な らな い 。 親 族 の男 性 や 友 人 の 中 か ら4人1 組 が 交 代 で 棺 を肩 に担 ぐ。 葬 列 の進 行 速 度 は 走 るほ ど で は な い が、 や や テ ソ ポが 速 い 。 時 に は 故 人 と は全 く関係 の な い 人 も葬 列 に参 加 す る。 中 国 で は 、 そ れ は「一 種 の 義 務 」と見 な さ れ て い る①。 葬 礼(ジ ャ ナ ザ ー 、 「者 那 則 」)はア ホ ソが 主 宰 す る。 故 人 の 犯 した罪 の許 しを 神 に請 う贖 罪 の 儀 式 (「討 白」)が行 な われ る。 参 列 者 も メ ッカ の方 向 に 並 ん で立 つ 。 参 列 者 は ア ホ ソ に従 って 手 を 上 げ て4回 「ア ッ ラー は偉 大 な り」(「大 賛 」)を唱 え る。 遺 体 は右 脇 腹 を下 に して 顔 を メ ッカ の 方 向 に 向 け て 横 た え て 安 置 され 埋 葬 さ れ る。 墓 標 も この 方 向 に置 か れ る の で 、墓 石 は す べ て 同 一 方 向 に 向 い て い る。 カ デ ィー ム派 で は 、 土 葬 ・速 葬 ・薄 葬 とい う面 で は一 般 ム ス リムの儀 礼 を維 持 して い るが 、 漢 人 の 習 俗 を受 け入 れ て い る部 分 も多 い。 縁 者 の 死 後 、 故 人 の 父母 や妻 は 大 声 を 出 して 痛 哭 し、 子 供 は親 戚 ・友 人 の 家 に行 っ て 号 泣 し死 去 を知 らせ る。 各 親 戚 ・友 人 が 弟 問 に訪 れ る と、 通 常 は宴 席 を も うけ、 油 香 を揚 げ て 、 ア ホ ソや 来 客 を 歓 待 す る 。 家 人 は ア ホ ソ に故 人 の た め に コー ラ ソ読 誦 を お 願 い し、埋 葬 後 も3日 間 と か1週 間 、 墓 地 で の読 誦 を依 頼 す る。 あ る い は 少 な け れ ば 数 日 間 、 多 け れ ば1ヶ 月 間 、 ア ホ ソに家 に来 て も らい 毎 日読 誦 して も ら った りす る。 老 人 の送 葬 には 、 白 い 喪 服(「孝 服 」)を着 る。 通 常 、 中 国式 に 喪 に も服 す る。 も し家 に財 産 が あ れ ば 弔 辞 の 幕 を送 っ た り棺 を 引 か せ た りす る。 イ ス ラ ム教 の 教 え で は簡 素 を 旨 と し、 通 常 は 副 葬 品 を 備 え た り、 「孝 服 」を着 る こ と は な い の で あ る②。 中 国 ム ス リム の葬 送 で は 、 故 人 が生 前 に怠 っ た 礼 拝 や 犯 した 罪 に対 して 、親 族 が 故 人 に代 わ っ て 神 に 許 し を 請 う贖 罪 の た め の 罰 金 の 儀 式 が 行 わ れ る こ と が 多 い 。 そ れ は フ ィ デ ィ ヤ ー (al-Fidyah「 費 提 耶 」 「費 底 耶 」 「費 達 也 」)とか 「イ ス カ ー ト」(aHsqat、 「伊 斯 戛 特 」「依 斯 戛 退 」) と呼 ばれ る。 フ ィデ ィヤ ー と は 、 コー ラ ソ第2章 第184節 と第196節 に基 づ い た もの で 、 故 人 が 生 前 な しえ な か っ た 断 食 や メ ッカ巡 礼 な ど に対 す る罰 金 と して 、 金 銭 も し くは 実 物 を 以 て 補 償 し、 貧 民 に施 す こ とで あ る。 中 国 で は 教 派 に よ って 罰 金 の 手 段 が 異 な る。 一 つ は 数 人 の ア ホ ソが 円 形 に な っ て 順 番 に コー ラ ソ を 回 し読 み す る こ と に よ って 贖 罪 を な す や り方 で 、 「コー ラ ソ を 回 す 」 (「転 経 」)と言 わ れ る。 も う一 つ は 故 人 の親 族 が 一 定 の金 額 を拠 出 して ア ホ ソが 中心 に な って 回 し て い くや り方 で 、 「金 を 回 す 」(「転 銭 」)と言 わ れ る。 両 者 を合 わ せ て 「フ ィデ ィヤ ー を 回 す 」(「転 費 底 耶 」)と呼 ば れ る③。 カデ ィ ー ム 派 で は 、前 者 の 方 法 を 採 って い た。 コー ラ ソの 回 し読 み の 方 が 金 銭 が か か らな い よ うに見 え る が、 実 際 は ア ホ ソた ち を も て な す 宴 会 な ど に多 くの お 金 が 必 要 な た め 、 か な りの 出 費 に な る。 の ち に イ フ ワー ニ ー派 か ら こ の慣 習 は コー ラ ソの教 え に反 す る と し て 、 徹 底 的 な 批 判 を受 け る。 ①r中 国 伊斯 蘭百 科 全 集』737頁 の 「者 那 則」 の項。 ② 一 般 の慣 行 で は 、 弔 問期 間 は3日 間 で、 喪 服 の色 は黒 、妻 の服 喪 期 間 は4ヶ 月 と10日 で あ る とい う(rイ ス ラ ム事 典 』240頁)。 ③r中 国 伊斯 蘭百 科 全 集』151-152頁 の 「費底 耶 」 の項 。

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また 、葬 儀 後 も初 七 日、 二 七 日、三 三七 日、 四 十 日、 百 日、 一 周 忌 、 三 周 忌 の た び に ア ホ ソを ま ね い て 経 典 の読 誦 を して も ら い、 故 人 を追 悼 す る記 念 活 動(い わ ゆ る法 事)を 行 な う①。 そ の ほ か、 ジ ュマ ー(金 曜 日)や 断 食 明 け 祭 り(「開 斎 節 」)、 クル バ ソ祭 り(犠 牲 祭 、 「古 爾 邦 節 」)の時 に も親 族 は 墓 参 りに行 き、 故 人 を追 悼 す る②。 老 人 が 死 ん だ と きに は 、40日 間 と か100日 間 、 ア ホ ソ に 墓 守 を お願 い す る こ と もあ る。 ア ホ ソ が教 徒 の 家 で 読 誦 した りす る時 に は 同時 に食 事 の 饗 応 を 受 け 、 ま た「読 誦1回 、 銅 銭1さ し」と い わ れ る よ うに 、'礼金(ニ エ テ ィ)も 受 け取 って い た 。 近 代 に な って 、 こ う した 風 習 が イ フ ワー ニ ー派 か ら強 い批 判 を受 け る よ うに な る。 カ デ ィー ム派 は 、 多 くの 面 で 比 較 的 寛 容 で 、 他 の 教 派 に対 して 異 議 を持 っ て い て も過 激 な批 判 を加 え る こ とは少 ない 。 そ れ ど こ ろ か、 対 立 関 係 に あ る門宦 や 他 教 派 の人 物 で あ って も、 コー ラ ソ(「可 蘭 経 」)やハ デ ィー ス(「聖 訓 」)に基 づ い て 教 え を実 行 で き る人 品 と学 識 の秀 で た 人 を 「賢 者 」 と して 尊 ん で さえ い る。 国外 か ら中 国 に きた 物 故 学 者 や宣 教 師 に 対 して も崇 敬 し、 墓 参 りに行 っ て記 念 活 動 を行 な った りす る。 た だ 、 そ の た め に ゴ ソ バ イ を建 立 した り巡 礼 した りす る こ と に は 反 対 で あ る。 そ う した 行 為 は イ ス ラ ム教 の偶 像 崇 拝 禁 止 の教 え に 反 す る と考 え る か ら で あ る。 第 三 節 イ フ ワ ー ニ ー 派=中 国 イ ス ラ 厶 改 革 運 動 清 末 に外 国 勢 力 の 中 国 へ の進 出 が 盛 ん に な って く る と、 中 国 の イ ス ラ ム教 に も2つ の変 化 が 現 れ た。 一 つ は イ ス ラ ム宗 教 教 育 の近 代 的 な 対 応 で あ り③、 も う一 つ は ア ラ ブ で の 宗 教 改 革 の 動 き に影 響 され て イ ス ラム教 改 革 運 動 が 起 こ り、2つ の新 た な教 派 が 登 場 した こ とで あ る。 中 国 で 大 き な影 響 を 与 えた 新 しい 教 派 は 、 門宦 に も カ デ ィー ム 派 に も明確 に 反 対 した イ フ ワー ニ ー派 と呼 ば れ る新 教 で 、 も う一 つ は 門 宦 とカ デ ィ ー ム 派 両 派 を 折 衷 した西 道 堂 で あ る。 イ フ ワー ニ ー 派 は、 か つ て は そ れ ぞ れ 「新 教 」 「旧 教 」と呼 ば れ た 門宦 お よび カ デ ィ ー ム派 を と も に「旧 教 」と批 判 した こ と か ら、「新 教 」と か「新 興 派 」と呼 ばれ る。 と くに 多 数 派 で あ る伝 統 的 な カ デ ィー ム派 に対 して 「新 派 」と い わ れ る。 イ フ ワー ニ ー は ア ラ ビ ア語 か らの 音 訳 で 、 原 意 は 「兄 弟」で あ る。 ま た、 「経 典 に 基 づ い て教 え を立 て る」 「経 典 を遵 守 し、 習 俗 を あ らた め る」こ とを 主 張 して い た の で 、 「遵 経 派 」や 「聖 行 派 」と もい わ れ る。 〈 イ フ ワ ー ニ ー 派 の 登 場 〉 イ フ ワ ー ニ ー 派 は ト ソ シ ャ ソ 族(東 郷 族)④ の 経 学 大 師 ・馬 万 福(1853-1934、 イ ス ラ ム 名 は 女 ハ ① 墓 参 りの 時期 は地 域 に よ って異 な り、3日国 目、1ヶ 月 目(月斎)、 三十 日な どの 時 に も行 うと こ ろ も あ る(r中 回 族 大詞 典 』42-43頁 の 「回族 喪 葬」 の項)。 な お 、 中 国以 外 で も、 埋葬 後3日 目に近 親 者 が 墓 参 す る風 習 が あ るが 、 そ の際 は飲 食 物 が供 え られ る ことは な く、 コー ラソだ け が読 み上 げ られ る。 ま た、 死 後40日 目を故 人 の 追 悼 日と して 弔 う風 習 もあ る よ うで あ る(『 イ ス ラム事 典 』240頁)。 ② 遊 牧 的 色彩 の強 い地 方 で は 、墓 は あ ま り重 視 されず 、 サ ウジ ア ラ ビア王 国 で は 国 王 の墓 で も大 変 質 素 で 、「砂漠 に埋葬 す る」 と い う感 じで あ る(そ れは サ ウ ジア ラ ビア建 国 の宗 教 的支 柱 で あ っ た ワ ッハ ー ブ派 の法 解 釈 に 由来 す るの で あ ろ う)。 そ れ に対 して 、 シ リア や イ ラクの よ うな定 着 文 化 を もっ て い た地 方 で は、 お墓 は立 派 に立 て られ 、 墓参 りを頻繁 に行 な う。 と くに ピ ラ ミ ッ トの国 エ ジプ トで は墓 の 建立 に莫 大 な 金 を注 ぎ込 む 風 習 が あ る(渥 美 堅持 著 『イ ス ラー ム教 を知 る事典 』 東 京 堂 出版 、1999年 、237-238頁)。 華 美 にな らな い よ うに と い う原則 は あ るが、 埋 葬 の方 法 な どに は この よ うに地 域 的 な特 色 があ る。 ③ 中 国 イ ス ラ 轡蘭 教史 の新 式 教 育 へ の近 代 的対 応 の 動 きに つ いて は 、李 興 華 ・秦 恵 彬 ・馮 今 源 ・沙秋 真著 『中 国 伊斯 』(北 爪 ・中国 社 会科 学 出版社 、1998年)の 第4編(民 国時 期)第15章 「中 国 内地 伊 斯 蘭文 化 的 復興 」、 莠齶 難 餅 菱」爨 糶 魏 羇 奩蒙灘 罎15年までの 「民族論」を巾心に』(多賀出版・1999年) ④ トソシ ャ ソ族 の名 称 は 彼 らの主 要 な居 住 地 で あ る臨 夏 東 郷 に由来 す る。 彼 らの 生活 習 俗 や 信仰 が西 北 の 回族 と 似 て い るた めL「 東 郷 回」 と呼 ば 起 て きた6ま た、 言 語 面 で は モ ソ ゴル 語 と似 て い る た め、 厂蒙 古 回 回」 「東 郷 蒙 古 人 」 と も言 わ れ た。 しか し、 言葉 は漢 語 か らの借 用 が 多 く、 文 字 も固 有 の もの が な く漢字 を用 いて い る。 か つ ては ア ラ ビア語 もか な り用 い られ た 。 民族 の起 源 は、 チ ソギ ス ・ハ ー ソ率 い る蒙 古 軍 の後 裔 と い う説 が有 力 で、 蒙 古 軍 が定 着 し農 民 化 し、周 囲 の回 民 や 漢 人 な ど と融 合 して形成 され た と考 え られ る(『文 化人 類 学 事 典[縮 刷 版]』 弘 文 堂 、1994年 、543-544頁)。

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【表3】 甘粛 省 臨夏 自治 州(河 朔地 区)の 宗教 概況 清 末 1950年 1958年 1964年 1985年 ム ス リム 人 口 40.7万 人 44.3万 人 77.5万 人 人 口 比 率 57.50%ヤ 51% 53% 清 真 寺 数 約1,800 1ジ944 1,715 ゴ ソ バ イ 数 上に含む 119 76 ア ホ ソ人 数 2,000人 以上 約2,500人 2,713人 2,3∞ 人 マ ソ ラ人 数 1,120人 約3,000人 教 主 ア ホ ソに 含む 16人 ゴソバイ出家人 115人 [出 所]《 臨 夏 回 族 自治 州 志 》 編 纂 委 員 会 編 『臨 夏 回 族 自治 州 志 』 蘭 州 ・甘 粛 人 民 出 版 社 、1993年 、1,303頁 。 [「努 哈 」])が1890年 代 に創 始 し た 。 彼 は 「中 国 の 小 メ ッ カ 」 (【 表3】 を 参 照)と 称 さ れ る甘 粛 省 臨 夏(旧 名 河 州)の 東 郷 県 果 園 村 に 生 まれ た の で 、 馬 果 園 と も呼 ば れ る。 メ ッ カ巡 礼 を行 っ た 人 に は 「バ ッ ジ」(ハー ッ ジ 、 「哈 吉 」「哈 知 」)の尊 号 を名 乗 る ことが許 され る ので 、「果 園 バ ッ ジ」と も称 さ れ る。 彼 の 家 は 決 して豊 か で は な く、 薄 田 を3∼4ム ー所 有 す る の み で 、生 計 を維 持 す るの が や っ とだ った とい う。 彼 の 祖 父 と父 は と も に フ ー フ ィー ヤ北 庄 門宦 の 清 真 寺 経 堂 小 学 ア ホ ソ で あ った の で 、幼 少 よ り家 庭 で 宗 教 教 育 の薫 陶 を受 け 、 宗 教 知 識 お よび ア ラ ビ ア語 の基 礎 を身 に つ け る こ と が で きた 。 そ の 後 、 紅 崖 、 瓦 里 加 お よ び北 庄 ゴ ソ バ イ清 真 寺 で教 え を受 け 、 著 名 な経 師 で あ る瓦 里 加(ワ リー カ) ア ホ ソ と老 消 亭 ア ホ ソ の 門下 で ア ラ ビア 語 と ペ ル シ ア語 の 経 典 を 学 ん だ 。 外 地 で学 を 求 め る中 で 、 彼 は 現 実 の 儀 礼 は イ ス ラム 教 の 精 神 と合 わ な い と こ ろが 多 い と感 じて い た 。 しか し、 そ れ を証 明 す る経 典 を い ま だ 目 にす る こ と は な か った 。 馬 万 福 は1875年 学 業 の成 った22歳 の時 、 ア ホ ソの 資 格 を取 得 し、 フ ー フ ィー ヤ北 庄 門 宦 の年 若 い ア ホ ソ と な った 。 か れ は 果 園 、 紅 崖 、 巴 蘇 池 の 清 真 寺 で 開 学 ア ホ ソ(教 長)を つ とめ 、 ム ス リム 民 衆 の賛 同 を 得 た 。1888年 、 彼 は老 師 ワ リー カ老 ア ホ ソ及 び 科 挙 に 合格 した挙 人 の 馬 会三 ら と メ ッ カ巡 礼 に赴 き 、 そ の 後4年 間 メ ッカ に留 ま っ た。 彼 が 聖 地 で 見 た もの は 、 中 国 ム ス リム、 と くに 門宦 の 儀 礼 と は 異 な る宗 教 儀 礼 で あ っ た。 そ の 原 因 を 中国 に 教 義 や 教 律 を 解 説 す る典籍 が な く、 宗 教 学 説 が 不 完 全 な た め で あ る と考 え た 彼 は 、 国 外 に と ど ま り引 き続 き研 鑚 を 深 め る こ と を 決 意 した 。 彼 は 当 時 ア ラ ビ ア半 島 で 流 行 して い た ワ ッハ ー ブ派 の学 者 ハ イ リバ ・ア イ ー ブ ・カイ ラ(「海 里 巴 ・艾 卜 ・盖 勒 」)の興 した 「ハ イ リシバ シ学 校 」(海里 夕 巴氏 学 堂)で コー ラ ソ、 ハ デ ィー ス、 教 法 学 を学 ん だ 。 ま た 、 ワ ッハ ー ブ派 の活 動 家 ウ ス マ ソ(「欧 斯 曼 」)やサ イ リム(「賽 利 姆 」)と討 論 す る 中 で 、 ワ ッハ ー ブ派 の影 響 を 強 く受 け、 中 国 イ ス ラ ム教 の 改 革 を決 意 した 。 ワ ッハ ー ブ派 は18世 紀 半 ば ア ラ ビア 半 島 で 生 まれ た 宗 派 で あ る。 創 始 者 ム ハ ソマ ド ・ブ ソ ・ア ブ ドラ ・アル ワ ッハ ー ブ(1703-1778)は 、 厳 格 な一 神 論 を堅 持 して 、 ア ッラー の 唯 一 絶 対 性 を強 調 し、 多 神 教 や偶 像 崇 拝 に つ なが る あ らゆ る行 為 を 批 判 し、吉 日 ・厄 運 ・占 い な どの 思 想 に反 対 し、 コー ラ ソ と預 言 者 の ス ソ ナ に立 ち返 る こ と、初 期 の教 義 を復 興 させ る こ と を 唱 え た。 哲 学 思 想 や 神 秘 主 義 を初 期 ム ス リムの 正 しい イ ス ラ ム に 対 す る歪 曲 ・逸 脱 で あ る と して退 け た。 こと に 聖 者 や 聖 墓 の 崇 拝 を 最 も厳 し く排 撃 した 。 ま た 、飲 酒 ・喫 煙 ・ダ ソ ス ・賭 博 に も反 対 した の で 、 「清 教 派 」の 呼 称 が あ る。 馬 万 福 が海 路帰 国 した の は1892年 で あ った 。 経 典 の持 ち 込 み が 禁 止 され て い た に もか か わ らず 、 帰 国 時 に彼 は3册 の ワ ッハ ー ブ 派 の 経 典 を携 帯 して い た とい う①。 馬 万 福 が広 州 を経 由 して 湖 北 省 老 河 口 に い た った 時 、 当 地 の ム ス リム の 招 聘 に よ り老 河 口清 真 寺 で1年 間 学 を講 じ、 新 教 義 を ①3册 の 経 典 は 、 ア ブ ド ラ ・ア ル ワ ッ ・・一 ブr疑 難 掲 示 』(kashfal-Mushkilat)、 ム ハ ソ マ ド著rア イ ザ イ ブ ム ハ ソ マ チ 』、 ム ハ ソ マ ド ・ア ロ ソ ・ ア フ ァ ン ジ 『古 蘭 経 義 精 華 』(Tafsir 、Ruhai-Ma'ani)と い わ れ る(馬 通 著 『中 国 伊 斯 蘭 教 派 与 門 宦 遡 源 』 銀 川 ・寧 夏 人 民 出 版 社 、1986年 、184頁)。

参照

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