ビルマ語の種まき
基盤教育院 大澤 幸子 桜美林大学に「ビルマ語」という科目が置かれるようになったのは、2000 年のことで ある。筆者はこれまで、さまざまな受講者と向き合うなかで、自分が見過ごしていた事柄 に気づく機会を多く与えられもし、また、受講者から多くの刺激を受けることもできた。 筆者自身、常に学び努力していく必要があると痛感しているところである。今回、こうし た文章をまとめる機会を頂いたことで、普段のクラスの様子が少しでもお伝えできれば幸 いである。ビルマ語とはどのような言語か
桜美林大学で「ビルマ語」と呼んでいる言語には、実は二通りの名称がある。ひとつは 「ビルマ語」、そしていまひとつは「ミャンマー語」である。理屈のうえでは、日本語で呼 ぶ場合には「ビルマ」「ミャンマー」のどちらの名称を用いてもよいことになっている。 昭和中期ごろまでに生まれた世代にとっては、どちらかといえば「ビルマ」に親しみを感 じるかもしれない。しかし現在は、外務省をはじめとする政府機関やマスコミで「ミャン マー」が多く用いられている。この文章では、普段大学で用いている「ビルマ」「ビルマ語」 という名称を用いて話を進めていくこととする。 ビルマは、西はインド・バングラデシュ、北は中国、東はラオス・タイと国境を接して おり、広い意味でのインドシナ地域の最西端に位置している。ちなみに、インドシナ地域 の中で文字通りインドと中国の両方と隣り合っているのはビルマだけである。 ビルマ語は、ミャンマー連邦共和国の公用語である。他地域では用いられていないため、 地域が限られているものの、話者数は約 5,000 万人である。 ビルマ語は、もと騎馬民族であったビルマ民族の言語で、シナ=チベット語族の言語で あることから、やや大雑把な表現ではあるが、系統としては中国語(北京語)などの遠い 親戚だと言うこともできよう。しかし、発展の過程で、ビルマ語はインドの影響を大きく 受けた。ビルマ民族が現在のビルマに定着した後に作られたビルマ文字は、もともと南イ ンドの文字を基に作られたモン文字が根底にあり、仏教用語をはじめ借用語として取り入 れた単語もまたインドの言語(パーリ語)に由来する部分がたいへん大きい。つまり、ビルマ語は「中国・チベット文化圏生まれのインド文化圏育ち」の言語なのである。 ところで、ビルマ語の「特徴」という場合、どのような点が挙げられるだろうか。 音声面では、世界の言語の中で特にビルマ語にのみ用いられる調音方法といったものは 見つかりそうにない。声調はあるものの、その数は少なく、特別に珍しい声調が含まれて いるようにも思われない。また、語順にしても、ビルマ語は日本語とたいへんよく似てお り、日本語でいう助詞の働きをする語もあるため、ここに特徴的な点を見出すのは難しそ うである。 しかし、文字に目を向けてみると、ビルマ文字はビルマ語を表記するために作られたも のであるため、世界の言語のうちビルマ文字を用いるのは、もちろんビルマ語のみである。 ビルマ語にあっては、おそらく文字がその最大の特徴といえるであろう。 ビルマ文字は円形を基本としており、視力検査のランドルト環や唐草模様を連想させる ような形状である。実際、単独または 2 つが連なった円の、どの部分が切れているかによ って個々の文字を区別しているともいえる。筆者が学生時代に、初めてビルマ語の授業を 受けた際、ネイティブの先生が「ビルマ文字は、丸がかければどれでも書ける」とおっし ゃったのを今でもよく覚えているが、確かにその通りなのである。 そのビルマ文字であるが、基本となる 33 の頭子音字(字母)があり、母音や頭子音以 外の子音(介子音・語末子音)と声調は、記号の形で頭子音字に組み合わせて表記される。 母音は 7 つあり、声調は 3 つである。語順は、先に触れたとおり日本語と同型のSOV型 で、日本語でいう助詞の働きをする語もあるため、基本的に日本語の頭で考えて順に単語 をビルマ語に置き換えていけば、ビルマ語文ができてしまうことも多い。
「変わった言語」の学習
ここでは主に「ビルマ語Ⅰ」というクラスについて話を進めていくつもりである。 この「ビルマ語Ⅰ」を履修する受講者は、ほとんど全員が初めてビルマ語を学習する段 階である。ビルマ語という言語についての予備知識はほとんどないため、スタートライン は全員ほぼ同じということになる。 ここまでは受講者全員に共通であるが、この先の、なぜビルマ語の教室に足を運ぶこと となったのかという学習の動機は、もちろん人それぞれである。しかし、ビルマ語学習の 動機として聞かれる、そのさまざまな答えをあえて大別すると、3 つのグループに分かれ そうである。 ひとつは、一人旅が好きで、さほど観光地化されていない地域に出かけてみたい、とか、ボランティア活動に興味があり、難民キャンプなどでの活動に参加したい、あるいは、ビ ルマ周辺の特定の地域に興味があり、桜美林大学で開講されている言語のなかでは、ビル マ語がその地域の言語に最も近いと思われるため、など、ビルマ語を用いる目的が比較的 はっきりしているグループである。実際、タイ国内(ビルマ国境付近)にあるビルマ人難 民キャンプでのボランティア活動に参加してきた受講者や、卒業旅行の目的地にビルマを 選んだ受講者が、これまでにそれぞれ複数名いる。 二つめは、特に言語に興味があるわけではなく、外国語はむしろ苦手としているが、履 修登録の際に抽選もれの憂き目に遭いたくないなど、履修手続上の事情を考慮して科目を 選択したグループである(筆者個人としては、明快かつ正直である点で、この答えは歓迎 である)。 そして三つめは、「なんか変わった言葉」に触れてみたいというグループである。この グループには様々な受講者が含まれている。それはこの理由が、外国語の学習が好きであ り、これまでに履修した言語のほかに、「学習の機会がより少ない言語」も学習してみた いという意味になり得るのと同時に、先の二つめのグループの受講者の「履修の建前上の 動機」としてもよく使われるためである。そして実は、ビルマ語履修者のかなり多くがこ の理由を挙げるのである。 そもそも、ビルマという国やその言語について、特に予備知識がないにもかかわらず、 受講者はなぜビルマ語を「変わった」言語だと思うのかやや不思議な気もするが、これは おそらく、いずれかの言語と比較して「変わっている」という意味ではなく、受講者が日 常接する情報のなかで、ビルマという国やビルマ語に関するものがそれほど極端に少ない ということなのであろう。詳しい情報が得られていないため、「よくわからない」→「学 習者が少なそうだ」→「変わった」言語という印象につながってしまうようである。 また、受講者が時折、ビルマ語は「難しい」ということがある。何が難しいのかは自分 でもよくわからないが難しい、というのである。しかし、授業で扱っていることといえば、 ビルマ語を話すのに必要な音声(それも受講者がそのほとんどを耳にしたことがあると思 われるもの)のほか、「丸がかければどれでも書ける」はずのビルマ文字と、その文字で 表記される単語、そして、基本的に日本語と同じような順番に単語を並べることくらいで ある。言語の「難しさ」が、母語との違いの大きさなどと相当の関係があると考えれば、 ビルマ語は日本語を母語とする受講者にとっては、比較的学習しやすい面も多いと思われ る。それにも関わらず、ビルマ語が「難しい」言語だと感じられるのは、おそらく初めて 目にしたであろうビルマ文字の形状がもつ視覚的な要素のほか、情報不足のため、ビルマ 語が実際にどのような場所で、どのような人々によって、どのように用いられているのか を受講者が思い描くことが困難であるのも原因のひとつであると思われてならない。
「変わった言語」を「普通の言語」に
さて、多くの受講者が、「変わっている」「難しい」と感じるとっつきにくい言語に早く 慣れ親しむにはどのようにしたらよいか、筆者としては常に頭を痛めているところである。 ビルマ語そのものの学習を始めた受講者が最初にぶつかるのは、文字と音声とを一致さ せる作業である。文字には声調の情報も含まれるため、発音と同時に声調にも慣れなけれ ばならない。 ここでは、受講者のビルマ文字・音韻・作文の学習の過程について述べることとする。 教室では、文字と記号を 4 つの段階に分け、それぞれの段階を終えた時点で復習をはさみ ながら進めている。 まず、第一段階は頭子音字(字母)である。本来 33 種類ある頭子音字は、学習の負担 を軽減するため、実際の使用頻度が著しく低いものを省略し、26 文字を扱うことにして いる。ビルマ文字は、個々の文字の形状が単純であるがゆえに、かえって文字同士が大変 似通っていてややこしい面があるのは否めない。しかし、難しそうに見えた文字も、実際 に書いてみるとさほど困難ではないらしく、これまで頭子音字は、ほとんどの受講者が比 較的短時間で習得している。 受講者が頭子音字に慣れた頃、第二段階に進む。この段階では、介子音(かいしいん) という子音の記号を扱う。これは、頭子音と母音の間に挟みこまれる子音で、日本語の拗 音に似た音を形成したり、一部の有気音の記号として用いられたりするものである。発音 の面で例外がいくつかあることなどから、多少の戸惑いはあるものの、記号の数が 4 つの みであり、日本語の拗音が参考になるため、この段階は時間をかけずに済んでいる。 さて、第二段階を終えたら文字を半分終えたのだから、と受講者を励ましつつ、第三段 階へと引っ張っていく。この段階は母音である。先にふれたように、ビルマ語は 7 母音で あるが、母音は記号の形で表記されるため、必ず頭子音字に組み合わせて用いられる。ま た、母音記号には 3 種類ある声調の情報も同時に含まれている。したがって、母音の数の 3 倍の 21 通りの記号の組み合わせがあることになる。第二段階までは、すべて「a」の母音 のみで進んできたが、ここで母音の種類が増えると同時に、この段階で初めて声調が登場 することから、受講者の暗記量は増えるが、内容が一気に言語らしくなるのは確かである。 第四段階、すなわち最終段階は「語末子音」である。これも介子音や母音と同様に、頭 子音字に組み合わせる記号として表記されるものである。音声としては、大きく分ければ 日本語でいう撥音のような n 音と、促音のような声門閉鎖音との 2 種類である。しかし、 音の組み合わせの種類がやや多いうえ、撥音のほうには再び声調が関わってくるため、受 講者が毎回母音記号と混同しやすく、慣れるのにやや時間を要する部分でもある。ところで、文字と切り離すことのできないのが音声である。文字の習得と平行して発音 の練習も進めていくのであるが、ビルマ語の音声のうち、受講者が困難だと感じるのは、 主に子音の有気音・無気音の区別と、一部の鼻音などの有気音のようである。 先に掲げた文字習得の第一段階のなかで、有気音・無気音の対立を扱う場面が何度かあ る。中国語やタイ語などを履修した受講者にとっては、これらの音の区別はすでになじみ 深いものであろうが、実は外国語として学ぶ以前に、どの受講者も有気音・無気音は、日 本語を聞き話すなかで、もともと身についているものである。ただ単に、2 種類の別の音 として区別していなかっただけである。目の前で改めて説明され、発音されると、何かし ら外国語特有の音のように思われるのか、多くの受講者が戸惑うが、「からす」の「か (kha)」・「真っ赤」の「か(ʔka)」のような音がそれぞれ有気音、無気音であると一度気 づけば解決である。 また、一部の鼻音などの有気音は、主に文字の第二段階で扱う介子音と関わりが深い。 無気音と対になっている p・t・k などの有気音は解決したが、ビルマ語には n・m・l な どの有気音もある。これらは日本語にも英語にも用いられない音であり、初めて遭遇する 受講者にとっては、調音方法が想像しがたい音のようである。しかし、有気音の発音の手 順はいずれも同じである。その子音を発音する準備をととのえた後に息の音を出し、すか さず子音と母音を発音すればよいのである。やや細かい話になるが、ひとつ m の有気音 を例にあげると、まず子音である m を発音する口の形を調える。そうすると上下の唇は 自然に閉じるはずである。そのまま息の音を出すのであるが、このとき息の音は、出せる ところから出せばよいのである。つまり、鼻から息を出すわけである。普段は「鼻息」と 呼ばれている音を、言語音の一つとして用いるという発想がなければ、少々違和感を覚え るかもしれない。ビルマ語の音声のなかには、たしかにこうした音も混じってはいるが、 このほかに受講者が初めて聞くビルマ語音はおそらくないはずである。 習得にかかる時間にやや個人差はあるものの、この段階まで進めば、ビルマ語文をひと とおり発音することができるはずである。 とはいえ、ビルマ語には書かれたとおりに発音しない語も多い。文字をひととおり扱っ た後の単語のレベルにおいては、説明よりも実際の読み書きの練習に時間をかけることに している。ビルマ語の単語が持つリズムや音韻上の規則は、多くの例にあたるなかで自然 に身についていくものと考えられるからである。 そのようにして語いを増やすと同時に、教科書に沿って口語体の基本的な構文を扱って いくのであるが、先にふれたように、ビルマ語の語順は日本語と共通の部分がほとんどで あり、動詞・形容詞の活用・変化もなければ、単数・複数・両数の区別や名詞の性別等も ないため、初めてビルマ語を学ぶ受講者であっても、この点ではかなり楽だと感じるはず
である。 どの言語であれ、外国語の学習には、やはりどこかで苦労する部分があるように、楽な 部分もあるものである。ビルマ語の場合は、ごく初期に受講者が大きな負担を感じるよう であるが、その後の作文の作業ではさほど困難を感じることなくすんでいるようである。 そのため、ふだんは(会話文中心の教科書を用いているが、)ひとつの課が終了するごとに、 グループまたはペアを作って、教科書の会話文の状況設定にこだわらずに、その課で新た に学習した構文や表現を用いて、グループ(ペア)ごとに自由に会話文を作り、その成果の 発表を行う時間を設けている。その際に、必要な単語をいくらか与え補えば、初級の段階 であるとはいえ、かなり凝った会話文ができあがることもしばしばあり、驚くほどである。 さて、ここまで「ビルマ語Ⅰ」の受講者の文字・音韻・作文の学習の過程について述べ てきたが、教室では機会があるごとに取り入れるよう努めていることが、実はもうひとつ ある。それは、ビルマ語という言語を支える背景ともいえる、この地域の文化等の紹介で ある。もちろん、科目としてはあくまでも「ビルマ語」の時間なのであるが、この言語が 用いられている地域や、この地域に暮らす人々のことについて知ることも、この言語を学 ぶうえで大きな助けとなるのではないかと考えるためである。 また、ビルマに関する情報は、現在のところ、自ら特に求めない限りは豊富に入手でき るとは言いがたい。ほんの時たま、新聞やテレビのニュース番組でビルマが取り上げられ ることはあっても、そうした情報はほとんどがビルマ政府の政策や、民主化運動の指導者 アウンサン スーチー氏の動向に関する話題であろう。加えて、ビルマはごく最近(2011 年) まで軍事政権であったことから、受講者がビルマに対して「恐ろしい国」だとのイメージ を抱くことが多かった。 こうしたことから、教室では、折にふれて一般のビルマの人々のくらしの一端を垣間見 ることができるよう機会を設けているのである。 具体的には、民族衣装やビルマの日用品、音楽資料(伝統音楽のほか過去 1 ~ 2 年に流 行したものまで)、あるいはビルマを舞台にした日本語の映画といったものは、いつでも 対応できるようにし、もちろん、ビルマ関連の新刊書籍や、ビルマ文化を紹介する催し物 などの情報も、随時紹介することにしている。 また、誰にとっても身近で親しみやすい話題である食文化なども、たとえば教科書の会 話文が食事の場面に設定されている場合、積極的に紹介し、さらに日程やその他の調整に 支障がなければ、桜美林中学校の家庭科の先生や大学教務課(教育支援課)のご協力をい ただいて、調理実習室をお借りし、東南アジアらしい材料を用いた調理実習の機会も設け てきた。 こうしたビルマ事情の紹介には、可能な限り受講者の要望や意見を反映させるよう努め
ている。しかし、なにぶんにも言語の科目である以上、こうした内容を扱うのは副次的な ものとならざるを得ない。授業内容の進度を見ながら、時々合間にはさみ込んでいく形に なっている。また、進度が遅い場合には、教科書の内容を消化することでほとんど手一杯 になってしまうこともある。 それでも、ビルマ事情の紹介は、受講者には総じて好評のようである。今後は、かねて より受講者からの要望が多い、映像資料のさらなる発掘・充実にも力を注ぎたい。