カントの現象概念について
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(2) lθ θ. カ ン トの現 象概 念 につ い て. と語 る。 我 々が 日常 的 に出会 う諸対 象 は我 々の感性 的 な印 象 を介 して様 々 な姿 で現 われ る。 しか しそ の際 ,我 々は そ の 対 象 の 様 々 な現 われ の 意識 をす ぐに対 象 の 認識 とは 見倣 さな い。 この こ とは,た とえば ,私 が 水 中 の ガ ラス棒 を曲 っ て い る と意 識 した として も,そ の 知 覚 に 基づ い てす ぐに そ の ガ ラス棒 自身 が 曲 って い る と考 えな い こ とか ら明 らか で あ る。 経 験 的 な対 象 の 認識 は,そ れ が 認識 で あ る限 り,我 々の 勝手 気儘 に な らな い経 験 の事 実 とい う客観 的 な核 を射 当てて い なければ な らな い。 直 観 が 認識 に対 しそれ へ の 直接 的連 関 を保 証 す る対 象 は,認 識 との連 関 で考 え る限 り,何 か任 意 な もので も,我 々の 感 性 的 な印 象 を通 して現 われ る単 な る現 われ として の対 象 で もな い。 で は,カ ン トにお い て,認 識 と直接 に連 関す る対 象 と単 な る現 われ とは いか に区 別 さ れ,そ の それ ぞれ は いか に規定 され るの で あ ろ うか。 「我 々は 通常 ,現 象 (Erscheinung)の も とで,現 象 に 本質 的 に結 び付 け ら れ てお り,す べ ての人 間的感官 一 般 に妥 当す る もの を,感 性 一 般 との 関係 で は な く,む しろ,あ れ これの 感官 の 特殊 な位 置や組 織 に とって のみ 妥 当す る が故 に,現 象 の 直観 に偶 然的 に帰属 す るに過 ぎな い ものか ら区 別 して い る。 そ こで,第 一 の 認識 は対 象 自体 (Gegenstand an sich selbst)を 表 象す る 認識 と名付 け られ るが ,第 二 の 認識 は対 象 の 現 象 (Erscheinung)を 表 象す るに過 ぎな い認識 と名付 けられる。 しかし, この 区別は単 に経 験 的 (empirisch) な もの で あ る。 (通 常 な され て い る よ うに )我 々が この 区別 に留 り,あ の 経 験 的直観 の 内に,事 象 自体 に関 わ るよ うな ものが まった く何 も見 い 出 され得 な いの で,結 局 ,我 々の 先験 的 区別 (transzendentaler Unterschied)は 失 われ て しまい,そ の結果 ,た とえ我 々が (感 性 界 の 内で )感 性 界 の 対 象 を最 も深 く探 究 して も,現 象 以外 の何 もの に もま った く関 わ らな いの に,我 々は 物 自体 を認識 す る と信 じるので あ る。 我 々は 虹 を天 気雨 に際 して の単 な る現 象 ,こ の 雨 を事象 自体 と名付 け るが ,こ の事 象 自体 の概 念 を単 に物理 学 的. (physisch)に 解 す る限 り,す なわ ち,一 般 的 な経 験 にお い て,感 官 に対 して あ らゆ る様 々 な位 置 を とるに もかか わ らず ,直 観 にお い て そ の よ うで あ り ,.
(3) 香 川. 豊. 」θ」. 他 の よ うで な い と規 定 され て い る もの と解 す る限 り,そ の事 象 自体 の概 念 は 正 しい。 しか し,我 々が この経験 的 な もの一 般 を と りあげ,そ れ とす べ ての 人 間的 感官 との一 致 に 注 目す るこ とな く, この経験 的 な もの一 般 が 対 象 自体 を (雨 滴 では な い。 なぜ な ら,雨 滴 は この場合既 に現 象 として経 験的客観 で あ るか ら)表 象す るか ど うか を問 うな ら,表 象 と対 象 との 関係 に つ い ての そ の 問 い は先験 的 で あ る。 そ して,こ の 雨滴 が 単 な る現 象 で あ るのみ な らず. ,. 雨 滴 の 円 い形 態 ,い や 更 に,雨 滴 が そ の 内 で 落下 す る空 間 も,何 等 それ 自体 で 存在 す る もの では な く,む しろ,我 々の感性 的直観 の単 な る変様 あ る い は そ の 基底 に あ る もの とな る。 しか し,先 験 的客観 は我 々に知 られ な い ままで あ る」(A45-46,B62-63)と ヵ ン トは語 る:) 経 験 的 な意味 での 現 象 は,物 が 「私 に これ これ の形 で現 われ る」(Bde X X,. S.269)場 合 の対 象 で あ り,「 現 われ (Apparenz)あ (idid.)と. る い は仮 象 (Schein)」. も呼 ばれ る。 この 対 象 は,〈 感性 一 般 との関係 では な く,む しろ. ,. あれ これ の感官 の 特殊 な位 置や組 織 に とってのみ 妥 当す るが故 に,現 象 の 直 観 に偶 然 的 に帰属 す るに過 ぎな い もの 〉 を根 拠 とす る 〈認識 〉 に対応 す る も の で,た とえば ,物 が光 の 中で様 々 な色調 を以 って現 われ る場合 ,そ の 色 の 知 覚 に基づ い て,そ の物 を 「光 の 中 の 色 としての物 体 」(Bd.XX,S.286) と見倣 す限 り,そ の 対 象 は経 験 的意味 での 現 象 と考 え られ る。 色 は我 々の感 官 に様 々に現 われ るので,そ の感覚 に 関 す る感性 的直観 の性 質 はすべ ての人 に 妥 当す る いか な る表 象 も示 さな い。 経 験 的 な意味 での 現 象 は単 に主 観 的 な もので あ り,「 感覚 に根 拠付 け られ て い る」(A29)限 り,い か な る客観 的 な対 象認識 の 実例 も示 さな い1)ま た,我 々が単 な る現 われ としての現 象 を手 懸 か りに,「 経 験 の 言葉 の 内 で 」(Bd.XX,S.269)感 官 に現 われ る諸対 象 を比 較 す る と,単 な る主 観 的 な ものが 我 々の感性 と関 わ りな くそれ 自体 で存在 す る 対 象 の性 質 と見 lltさ れ る (た とえば,天 空 の 円天丼 の よ うな外観 が,天 空 自. 3)引 用文 中の傍 点 は筆者 の付 した もので あ る。 以後本稿 に出て くるすべ ての傍 点 は同様 に筆者 の付 した もので あ る。. 4) Vgle Bd.XX,S.268-269; A28-29; B44..
(4) 」θ2. カ ン トの現象概 念 につ い て. 仮 身 の性 質 と見倣 され る場合 の よ うに )。 それ故 ,経 験 的 な意味 での現 象 は 〈 象 〉 とも言 われ る。 経験 的 な意味 での現 象 に対 し,経 験 的 な意 味 での対 象 自体 は,〈 現 象 の 直観 に本 質 的 に結 び付 い てお り,す べ ての 人 の 感 官 一般 に妥 当す る もの〉 を根拠 とす る 〈認識 〉 に対 応す る もの で,「 直観 におけ る場 所 (拡 が り)の ,場 所 の 変化 (運 動 )の ,及 び,こ の 変化 が それ に 従 って規定 され る法 則 (動 力 )の 単 な る関係 」(B66-67),「 継 起存在 の,同 時 存在 の ,及 び ,継 起存 在 と同時 的 に 存在す る もの (持 続 的 な もの )の 関係 」(B67)等 にお い て感 官 の 対 象 が 直観 され る場合 ,感 官 の対 象 は経験 的 な意味 で の対 象 自体 として表 象 され る。 感 官 は ,こ の よ うな諸 関係 にお い て物 を直観 す る場合 にのみ ,認 識 と対 象 と の 直接 的連 関 を保証 す る経験 的 直観 を与 え る。 ところで,「 直観 は直接対 象 の 現 存 に依 存 して い るよ うな表 象 であ る」 (Bd. Ⅳ,S。 281)。 我 々の 直観 は,神 の 創造 的 な直観 と異 な って , 自己 の 表 象 を以 って対 象 の現 存在 を産 出す るこ とは で きな い 。 直観 にお い て直観 され る もの は , 自らを告 知 し,我 々の心 を触 発 しなけれ ば な らな い。 しか も,触 発 に よ って我 々 に対 象 が 与 え られ るに して も,そ れ に よ って, 自己 を告知 す る対 象 の 「 固有性 が私 の 表 象 力に移行 す るこ とはあ り得 な い」(Bd.Ⅳ ,S。 282)。 我 我 の 感性 と関 わ りな くそれ 自体 で存在す る と考 え られ る物 は,そ れ 自体 では 我 々の 経験 的直観 に対 象 として与 え られ るこ ともな い し,認 識 され るこ とも な い 。 しか しそれ に もかか わ らず ,我 々 は 「感 1生 を介 して」(A19,B33)我 我 に 与 え られ た感官 の 対 象 を探 究 して ゆ くとき,対 象 の 先験 的 な区別 を見失 い,誤 って経験 的 な意味 での対 象 自体 を我 々 には未知 な物 自体 と解 し,や が て,理 性 の二 律 背 反的 な抗争 の 内 で 「健 全 な哲学 の 死 」(A407,B434)を 迎 え るこ とにな る。我 々の 有 限 な認識構造 を反省す る とき,経 験 的 な意味 での 物理学 的 〉 に解 され るべ き対 象 とな る。 つ ま り,た とえそれが 対 象 自体 は 〈 我 々の 感 官 に様 々 に現 われ よ う と,な お直観 にお い て そ うであ り,他 の よ う. 5) Bdo XX,S.269;Vgl.B69-70Anm., 6)Vgl.B67。.
(5) 香 川. 豊. 」θ3. で な い もの と規定 され て い る対 象 と考 え られ る。我 々 は,経 験 の 野 の 内では. ,. この よ うな対 象 を対 象 自体 として取 り扱 って も差 し支 えな いが , しか し,先 験 的 な意味 では この 対 象 自体 を再 び 〈 現 象 〉 と見倣 さな くては な らな い 。 カ ン トの場合 ,経 験 的直観 を通 して認識が 直接 連 関す る対 象 は この 経験 的 な意 味 での対 象 自体 であ る。 この 対 象 自体 は,我 々の 感性 と関係 す るこ とな くそ れ 自体 で 存 在す る と考 え られ る対 象 自体. (ヌ. ー メナ )と 区別 され ,先 験 的 な. 意 味 での現 象 (フ エ ノメナ )と い われ ,「 現 象 (Erscheinungen)は. ,そ れが. カテ ゴ リー の 統一 に従 って対 象 として思惟 され る限 り,フ エ ノメナ (Phaeno‐. mena)を 意味す る」(A248-249)と. 定 式化 され る。. ところで,こ の定 式 にお い て,〈 フエ ノメナ 〉 として の現 象 と区別 され た前 現 象 〉 は いか な る対 象 であ ろ うか。前 記 の 経験 的 な対 象 の 区別 か ら考 者の 〈 え るな らば ,経 験 的 な意味 で の現 象 と解せ そ うであ るが , しか し,た とえば. ,. 様 々 な色調 の も とに現 われ る対 象 (経 験 的 な意味 での現 象 )が ,光 の 中 で さ ま ざまな色調 にお い て現 われ る とい う自己の規 定 を失 い,色 との 関係 では な. く,た とえば量的な観点か ら,直 観にお いて斯 く斯 くであ り,他 の ようでな い もの とまった く新 しく規定 し直 され,フ エ ノメナとい う別種 の対象になるの であれば,〈 現象は…… の限 リフエ ノメナ を意味す る〉 と定式化 される必要は ない こ とになろ う。 このことは,カ ン トが経験的な対象 の区別において挙げ た虹 と雨 の例 を考 えると一層 明 らかになる。なぜ なら,経 験的な意味での現 象 である虹 は持続的な ものでは ないの で実体 のカテ ゴ リー の適用 を受けない 現象〉は実体 のカテ ゴ リーに従 って くフエ ノメナ〉 対象であ り,虹 とい う 〈 として思惟 され得 ないか らである。あの定式か らい えば,〈 現象 〉 としての雨 が,カ テ ゴ リー の統一に従 って対象 として思惟 され る限 り,〈 フエ ノメナ〉 と 現象 〉は しての雨 を意味す ると解すべ きである。そ うす ると,こ の場合 の 〈. ,. 7)A393. 8)こ の 場 合 の ヌー メナ は消極 的 な意 味 に お け る対 象 自体 で あ る。 Vgl.B307;B309.. 9)Bd.XX,Se 269。.
(6) カ ン トの現象概 念 につ い て. lθ 4. フエ ノメナ と区別 された経験的な意味での現象 とい うよ り,む しろ,カ テ ゴ リーに従 った思惟 の規定に先立 って与えられて い る現象 と解すべ きである。 では,こ の所与 としての現象は,経 験的意味での現象 と先験的な意味 での現 象. (フ. エ ノメナ )と か らそれ ぞれ区別 され,い かに規定 され るのであろ うか 。. カ ン トは所与 としての現象 について,「 我 々が対象によって触発 され る限 り 対象が表 象能力 に及ぼす影響 (Wirkung)が 感覚 である。感覚 によって対象 へ 関係す るような直観は経験的 といわれ る。経験的直観 の規定 されない対象 は現 象 (Erscheinung)で ある」 (A19-20,. B34)と 語 る。. 触発 (Arektion)と は,我 々の感性 と離れてはそれ 自体何 であるか我 々に 未知 な「ある物 」 と「我 々の感性」 との「関係」(Bd.Ⅳ ,S.286)で あ り,我 我 の感性 に対す る物 の「影響」(Bd.Ⅳ ,S.289)で ある。 この影響 によって我 我 の感官は「動か (ruhren)」. (Bl)さ れ,我 々の内に. 〈 感覚 (感 覚 とい う. 作用 と表象 )〉 が生 じる:)我 々は,感 覚 にお いて,物 の影響 によ り我 々に押 し 入って くる強 い印象 を経験す るが,こ れ らの諸印象は通常空間 0時 間的構造 を伴 って現われ る。 このような構造 を伴 った感覚が経験的直観であ り,経 験 「物 が我 々の 的直観 はその もとで感覚 された もの,つ ま り,現 象 を表示す る。 感官 を触発す ることによって,我 々の内に惹 き起 された表 象」 が「現象」(Bd. Ⅳ,S.288)で ある。 ところで,こ の ような感官 の対象 たる現象について,カ ン トは次の ように 感覚 (表 象 )は 我 々の心 に固有 な もの であ り,物 か ら我 々の心 に移行 して来た 物 の性質 ではな い (Vgl.Bd.Ⅳ ,S。 282)の であるから,「 厳密 に い えば ,実 際我 我 が対象 か ら受 け とるのは作用 に過 ぎず ,多 分感覚 自身 ではな い」(G.Prauss;. Erscheinung bei Kant,Berlin 1971,S.29)で あろ う。 Vgle H.Rombach;Substanz,System, Struktur,Freiburg//Munchen 1966, Volo H,S.411..
(7) 香 川. 豊. 」θ5. 語 る。す なわ ち,「 感 官 は惑星 の運行 をあ る ときは順行 ,あ る ときは逆行 , と 表 象す る。 そ して,こ の 点 にお い ては虚偽 も真 理 もな い 。 なぜ な ら,こ の 惑 星 の 運行 が差 し当た り単 な る現 象 であ るこ とを我 々が 弁 え る限 り,惑 星 の運 動 の 客観 的性 質 につ い て まだ判 断 を下 す こ とは ま った くないか らである」(Bd。 Ⅳ,S.291)。 我 々 は 「 この主 観 的 な表 象様 式 を客観 的 な もの と見倣 さな い よ. う」 ,こ の惑星 の運行 について,「 惑星は引 き返す ように見 える とい う」(ibid.) と。 カ ン トは 『形而上学講義』 にお いて,こ の 〈…… に見える (scheinen)〉 と い う判断について,「 感官 の対象 は我 々 を判断へ と導 く。 この判断 が真である 限 り,そ れは経験 である。 しか し,こ の判断 が差 し当た りの判断であるなら ば,そ れは仮象である。仮象は経験 に先 き立つ 。 なぜ なら,そ れは悟性 によ る感官 の対象 についての差 し当た りの判断であるか ら。仮象は真 で も偽 で も ない。 それは経験か らす る判断へ と導 くものであるか ら。だか ら,仮 象 は現 象 と区別 されなければな らない。……・知覚 は仮象に も経験 の現実的対象 に も 仮象〉につ いて,カ ン 関 わる」(MetaphySik,S。 87))と 述べ る。この場合 の 〈 トは 「太陽は昇 りまた沈む」 とい う例 をあげるので│)〈 仮象〉 とは経験的な 現象 〉はフエ ノメナ と 意味での現象に関わ り,〈 経験 の現実的対象〉である 〈 しての現象 を意味す る。 この二つの対象 は,〈 1吾 性 による感 官 の対象 について の差 し当た りの判断 〉 と 〈 経験か らす る判断 〉に それぞれ対応 してい る。 こ れ らの判断は,Fプ ロレゴメナ』 にお いては,知 覚判断 と経験判断 として展開 され る。 これ ら異なる二つの判断における繋辞 は,そ れ ぞれ異 った表 象 の統 一 を表示す る。知覚判断 におけ る繋辞 は 「再生的構想力の諸法則」 (B141). 3)Metaphysikと. は Immanuel Kants'Vorlesungen uber die Metaphysikの. 田 各称. で あ り,そ の 引用 は シ ュ ミッ ト版 (Immanuel Kant's Vorlesungen uber die. Metaphysik, Zweite Auslage, nach der Ausgabe von 1821, neu herausgaben von Dre Ko Ho Schmidt)に よ った 。. 4)MetaphySik,S.87. 5)I.Kant;Prolegomena zu einer ieden kunftigen Metaphysik,die als Wissen‐ schaft wird auftreten kё nnen, 1783..
(8) 」θ6. カントの現象概念について. に従 った諸表象の 「主観的統一 」(B142)を 表示す るのに対 し,経 験判断にお け る繋辞は1吾 1生 の諸法則に従 った諸表象 の「客観的統一 」(ibid。 ),つ ま り,「 統 主観的統一 〉 は,再 生的構想力の法 覚 の必然的な統一 」(ibid.)を 表示す る。〈 則 た とえば 「連想の法則」(ibid.)に 従 って,「 単 に主観 的な妥当性」(ibid.)し か持 たない諸表象の関係 を構成す るが,〈 客観的統一〉は諸表象 の「客観的 に 妥当す る関係 」(ibid。 )を 構成す る。我 々は,た とえば,前 者 にお いては 「私 は物体 を持 つ とき重 さを感 じる. (■ hlen)」 (ibid。. )と いい得 るに過 ぎないが. ,. 後者 にお いては 「その物体は重 い」(ibid.)と い う経験判断 を獲得す る。経験 判断 にお いて,我 々は物体 と重 さの両表象 を,「 客観 にお いて,す なわち,主 観 の状態 の区別 なしに結合 して い るの であって,… …単 に知覚 にお いて一緒 になって い る」(ibid。 )こ とを主張す るの ではない。 ところで,ゲ ュ タル ト心 理学にお いて明 らかなように,我 々が対象 を知覚す る場合 ,そ の対象は単 な る要素的な感覚 の総和に還元 され得 ない。我 々は対 象 の知覚 に際 し既 に一 定 の関係 (た とえば,図 と地 の関係 )を 持 ち込んで対 象 を知覚す る。 カ ン トも 同様 に,知 覚 の対象 を単 なる要素的な感覚 の総和に還元 しようとは しない。 〈 知覚 は仮 象 に も経験 の現実的な対象に も関わる〉 とカ ン トは語 ったが,経 験的な意味での現象である 〈 仮象〉は知覚判断にお いて開示 され る対 象 であ り,再 生的構想力の法則に従 った覚知 の総合 にお いて意識 された対 象 である。 覚知 の総合 とは,「 一つの経験 的直観 におけ る多様 の合成」(B160)で あ り,こ の合成 によって知覚が可能 になる。単 なる主観的な妥当性 しか持 たない再生 的構想力の法則に従 った覚知 の総合 に基づ く知覚 は 〈 仮象〉 ,つ ま り,経 験的 な意味での現象に関わる「内官 の規定」(B139)で ある。この表 象の主観的な 結合 のためには「直観 の 多様 な ものが経験的に与 えられてお り」(ibid.),こ の 経験的 に与 えられ た 多様な もの (感 覚 )が 再生的構想力の総合によって一定 の空間 0時 間的な関係 の もとに結合 され対象が知覚 され る。 それ故,た とえ その結合が主観的な妥当性 しか持 たない として も,〈 仮象〉は単 なる要素的な 経験 の現実的な対象〉は どうか とい うと 感覚 の総和に還元 し得 ない。 では 〈 ,. 6)Vgl.B160..
(9) 香 川. 豊. 」θ7. この 対 象 は経験 判 断 にお い て 開示 され る対 象 で あ り,客 観 的 な妥 当性 を持 っ た1吾 性 の 諸 法 則 に従 った覚知 の総合 にお い て対 象 として意 識 され る。 この よ うな覚 知 の 総合 に よって可能 とな る知覚 は,〈 経験 の現実 的対 象 〉 に 関 わ るが. ,. この覚 知 の 総合 の 内には,「 カテ ゴ リーに適 った諸直観 の構 想力 の総合 」(B152) が働 い てお り,そ の総合 に基 づ くア・ プ リオー リな空間 ・ 時 間的 関係 が既 に そ の 対 象 の知覚 に 際 し根底 に置か れ て い る。 それ故 ,経 験 の現実 的対 象 も要 素 的 な感覚 の総 和 に還 元 し得 な い 。経験 的 な意 味 での現 象 に しろ,フ エ ノメ ナ として の 現 象 に しろ,既 に,規 定 あ るい は結合 とい う自発性 を伴 った知覚 に よ って対 象 として意識 され てお り,(主 観 的 にあ る い は客観 的 に )規 定 され た対 象 と見倣 さなけれ ば な らな い 『. い ま仮 りに,こ の 主観 的 な規 定 と客観 的. な規定 が共 に,〈 経験 的直観 の規 定 され な い対 象 〉 とい われ る場合 の 〈 規定〉 に 含 まれ る と解釈 す るな ら,ま った く何 の 規 定 も含 まぬ単 な る質料が所与 と して の 現 象 ,つ ま り,〈 経験 的直観 の 規定 され な い対 象 〉 と語 られ るこ とに な るが , しか し,対 象 は要素 的 な感覚 の 総和 に還 元 し得 な いの であ るか ら,こ の よ うな質料 としての現 象 は対 象 として意 識 され る とは言 い難 い単 な る論理 的 な抽 象物 に な って しま う。 は た して カ ン トの 所与 として の現 象概 念は単 な る論理 的 な抽 象物 に過 ぎな い の であ ろ うか 。 カ ン トは経験 的 な意味 での現 象 と対 象 自体 の 区別 を 自然科学 的 な もの と考 えて い る:)そ うす る と,上 記 の 〈 規定 〉 も当然 自然科学 的 に解 さなけれ ば な らな い 。 しか し, 自然不 斗学的 な意 味 で単 な る所与 (質 料 )と 見倣 され る もの が ,他 の 観 点か ら対 象 として語 られ るこ とは な い であ ろ うか 。. カ ン トは,「 対象 として表 象 された空間 (実 際 に幾何学 にお いて必要 とされ 知覚 判断 と経験判断 につ い ては拙稿 :「 知覚 判断」 と「経験判断 」 ― 甲南女子 大学 「研究紀要 」 第13号 (昭 和 51年 )一 を参 看 され た い。. Bd.XX,S.269;A45,B63..
(10) rθ 8. カ ン トの現 象概 念 につ い て. て い る よ うな )は ,単 な る形式以上 の もの ,す なわ ち,感 性 の 形式 に 従 って 与 え られ る 多様 な もの を一つ の 直観 的表 象 にお い て総括す るこ とを含 ん で い る。 それ故 ,直 観 の 形 式 は単 な る 多様 を与 え るが , しか し,形 式的直観 は表 象 の 統 一 を与 え る。 私 は この 統 一 を感性 論 にお い て単 に 感性 に数 え 入れ たが. ,. それ は ,た とえそ の 統 一 が 感官 に所属す る もの では な い総 合 ,そ れ に よ って 空 間 と時 間 の す べ て の概 念 が始 め て可能 に な る よ うな総合 を前提 として い る に して も,そ の 統 一 がす べ て の概 念 に先行 す るこ とを注意す るため に過 ぎな か った 。 なぜ な ら,こ の総合 を通 して. (1吾 1生 が 感 1生. を規 定す ることによって ). 空 間 あ る い は時 間 が 直観 として始 め て与 え られ るの であ るか ら,こ のア ・ プ リオー リな直観 の 統 一 は空 間 と時 間 に属す るの であ り,悟 性 の 概 念には属 さ な いか らであ る」(B160-162. Anm.)と 語 って い る。. た とえば ,我 々が 円 い皿 を認識す る場 合 ,た とえ我 々の 見 る位 置 に よ って そ の皿 が 楕 円形 の皿 に 見 え よ う と,我 々 は それ を円 い皿 として認識 して い る。 具体 的 な皿 の 円 さは厳密 に い えば いつ で も完全 な円 では な い が ,我 々 は そ の 円 さ を幾何学 的 な概 念 の 円 として表 象 して い る。勿論 ,具 体 的 な円 の一 定 の 形象 は円 の領域 の一 部 に制 限 され て い る。 しか し,そ れ に もかか わ らず ,我 々 は そ の一 定 の 形 象 を円 とい う幾何学 的概 念 の 実例 として使 用 し得 るの であ る。 この よ うな円 とい う幾何 学 的概 念 と具 体 的 な円 の形 象 (個 別 的 な直観 ) を連 関付 け るのは 図式. (Schema)で あ る。 円 の 図 式 は,円. とい う「 空 間 に. おけ る純粋 形 態 に 関す る構 想 力 の 総合 の 規 則 を意 味 して い る」(A141,B180)。 皿 の 円 さが認 識 され るため には,幾 何学 的概 念 として の 円 の場合 と同 じ規 則 に従 った覚 知 の総合 にお い て皿 の 円 さが知覚 され なけれ ば な らな い。 ところ で,幾 何学 的 な円は統粋形態 の一つ の部 分 領域 であ り,円 の一 定 の 形 象 を も た らす構 想 力 の総合 は,純 粋 形態 一般 に 妥 当す る よ うな規 則 に もまた従 って い なければ な らな い。 幾何学 的 な円 が皿 の 円 さにお い て直観 され るため には この皿 は量 として考察 され なければ な らな い が ,量 として の対 象一般 に 関 わ. る規則は,「 すべての直観は外延量である」という「直観の公理」(B202)の 原 則である。この原則の もとで,円 は「一つの点からすべての部分を次々に産.
(11) 香 川. 豊. Fθ 9. 出す る」(A162-163,B203)と い う具合 に,「 集合 (予 め与 えられ た諸部分 の集合量 )と して直観 される」(A163,B204)。 「拡が りに関す る数学 (幾 何 学 )は ,そ の諸公理 と共に,形 態 の産 出におけ る生産的構想力の継起的総合 に根拠 付け られてお り,こ れ らの公理は,そ の もとでのみ外的現象の純粋概 念の図式が成立す るような,感 性的直観 の諸制約 をア・プ リオー リに表現 し て い る」(ibid.)。 円 とい う純粋形態 のみ ならず,純 粋形態 を一般 に可能 にす る 〈 生産的構想力の継起的総合 〉 は,「 1吾 1生 の感性 に対す る作用」(B152)で あ り ,. この総合 によって空 間は対象 として表 象 され るのであるか ら,〈 (1吾 1生 が感性 を規定す るこ とによって )空 間……が直観 として始めて与 えられ る〉 。形態は 一般 に生産 的構想力の総合に基づ いて統覚 の統一に適 って産 出されるのであ るが:)し か し,純 粋形態は諸部分空間 とそれ を包括す る唯一 空間 との外的関 係 の規定 (唯 一 全体空間の制限 )に よって可能 となる「空間の内的規定」(Bd. Ⅳ,S.286)で あるか ら,〈 このア・ プ リオー リな直観 の統一は空 間…… に属す る〉 。 ア・プ リオー リに表 象され た空間的な諸関係 は先験的感性論 にお いて既 に認識におけ る直観の形式 として語 られて いた。 しか し,そ れは既に悟 1生 と の関係 を含む形式的直観 として く 感性 の形式に従 って与 えられ た 多様 な もの を一 つの直観的表象にお いて総括す ること〉 を含んでお り,〈 単 なる多様 な も の を与 える〉〈直観 の形式 〉 とは区別 される。 感性的直観 の形式 としての空間は,直 観 の形式 としてはあるものであるが. ,. それ 自身では決 して対象 として直観 され るこ とができない純粋直観である。 純粋直観 としての空間は 自己の「制限」(A26,B39)を 通 して多 くの空間 を 可能 にす る制限の根拠 としての唯一全体空間である。 この意味で,多 くの空 間がその部分空間であるような唯一空 間は,そ の部分空間 を可能 にす る根拠. 1)Vgl.B152;B162。. 2)Bd.Ⅳ ,S.286. 3)A25,B39。. 4)Vgl.B66-67. 5)A281,B347。.
(12) カ ン トの現象概 念 につ い て. 」」θ. として部 分 空 間 か ら質 的 に 区別 され た空 間 であ る。 唯 一 空 間 は,多 くの 空 間 や それ らの 空 間的諸 関係 が それ との 関係 で可 能 に な る全体 として,無 数 な空 間表 象 を可能 的 に 「 己れ 自身 の もとに 含 む 」. (B46)全 体 であ り,. 自己 の 内. にア ・ プ リオー リな 多様 を含 む 。 tノ か も,空 間的 な形 象 は常 に唯一 全体 空 間 と部 分 空 間 の 外的関係 の規定 を通 して描 か れ るの であ るか ら,こ の規定 に先 立 って ,こ の 規定 の制約 ,つ ま り,ア ・ プ リオー リな 多様 を可能 的 に 自己 の 「空 内に含 む唯一 全体 空 間 がす べ ての 直観 に対 し前提 され なけれ ば な らな い 。 間 とい う直観 の単 な る普 遍的形 式 は,特 殊 な客観 へ と規定 され 得 るす べ ての 直観 の 基体 (Substratum)で あ り,そ の 基体 の 内にはそれ らの 直観 の 可能性 と多様性 の制 約 が 存 して い る」(Bd.Ⅳ ,S.322)。 8)と. る働 きの 形式」. この よ うな空 間は,「 直観す. して,直 観す る もの と直観 され る もの との 主 観―客観― 関. 係 を予 め可 能 にす る場 であ り,こ の場 にお い て経験 的 に直観 され る もの (現 象 )が 様 々に規 定 され ,一 定 の 空 間的関係 にお い て対 象 として表 象 され る。 しか し,規 定 に先 立 つ 場 として の 唯 一 全体 空 間 に対 して,経 験 的 に直観 され る もの ,つ ま り,現 象 は,単 に そ の場 にお い て 様 々 に規 定 され得 る もの (単 な る 多様 な もの )と して可能 的 に表 象 され るに過 ぎな い 。〈経験 的直観 の 規定 現 象 〉 とは直観 の 形式 た る純粋 直観 との 関係 で 多 され な い対 象 〉 として の く 現 象 〉 に対 応 様 な もの として考 え られ た現 象 であ る。 カ ン トは この よ うな く す る感官独 自の働 きを共観 (SynOpsis)と 規 定 す るが :)こ の 共観 に対 応す る 10). 単 なる多様 な もの は いかに して対象 として語 ることがで きるのであろ うか。 我 々はさ きに再生的構想力の法則 に従 った覚知 の総合 によって可能 になる 6)Vglo M.Heidegger(1);Kant und das Problem der Metaphysik,3 Auflage, Frankfurt/M1965,S。. 49。. 7)Vgl.A100;B160.形 式 的 直 観 は この純 粋 直 観 か ら派 出 した もの に過 ぎな い 。 8)F.Kaulbach;Immanuel Kant, Sammlung Gё schen Band 536/536a,Berlin 1969, S.129.. 9)A97;A94-95. 10)我 々 は こ こで 専 ら空 間 に つ い て の み 論 じた が , しか し,時 間 は 空 間 とパ ラ レ ル に語 られ 得 る の で ,基 本 的 に は時 間 に つ い て も同 様 の こ とが 主 張 され 得 る。.
(13) 香 川. 豊. F」. 」. 知 覚 に つ い て 語 っ た 。 この よ うな知 覚 に基 づ く知 覚 判 断 に お い て ,我 々 は「 私. ・の ように感 じる」 としか いえないが は…… に見える」,あ るいは,「 私は・…・ しか し,そ の ような知覚判断は経験 判断に先行す る とカ ン トは認めて い る:1) そ うして,こ の先行性 こそ我 々 に新 たな考察 の光 を与 えて くれ る。 我 々 はた とえば眼前 にある建物 を相継 いで知覚 された諸側面 の総合 を通 し ` て認識 しようとす る。 この場合,相 継 ぐ知覚 は 「ノ の変様 として内官 に属 し 由 ,. …… 内官 の形式的制約 ,つ ま り,時 間に従 う」(A99)。 相継 ぐ知覚 はこの時間 にお いて次々 と流れてお り,認 識 のためには流れ去 る諸表 象 は,覚 知 の総合 にお いて「 多様 な もの として, しか も一つの表象の 内に含 まれ るもの として」 (ibid.)直 観 されなければ な らない。 しか しその際,流 れ去 る諸表象が一 つ. の表 象 に含 まれ る多様 な もの として覚知 され るためには,今 流れ去 った表 象 と今 の表 象 とが関係付け られ,統 一 されなければな らない。 この直観 の統一 は内官 の規定 を通 して形成 され るのであ り,こ の規定 を行 うのが構想力の総 合 である。 ところで,再 生的構想力の法則に従 う覚知 の総合 は内官 を規定 し 表 象 に統一 を与 える。 しか しこの統一は主観的であ り,そ の ときの「諸事 1青 あるいは,経 験的な諸条件」(B139)に 左右 される。 た とえば,我 々が円 い塔 である と思 って近づ いてみ ると六角形 の塔 であった とい う場合 に明 らか なよ うに,私 の「その塔は円 い」 とい う差 し当た りの判断は,直 接知覚 に依 存 じ てお り,そ の塔 の形態 の知覚 はその ときの事情 ,経 験的な諸条件 に左右 され る。 この ような判断は,我 々が知覚 して い るか どうかに関 わ りな く客観的 に 主張 され る事象 自体 の認識 とは言 い難 い。相継 いで知覚 された対象の諸側面 の総合 に基づ いて我 々が対象 と出会 うとい うこ とは,こ の場合 ,対 象が直接 知覚 を通 して我 々に与 えられ るそのたびごとに,我 々は所与 としての対象 を 確認 して い る とい うこ とに他 な らない。確 かに,我 々は 日常的な経験 にお い て,私 の眼前の机 と一瞬間前 に見 た机 とが同一 であることを確信 して い るし ,. 私 の眼前にある机の存在 を不可疑的な もの と思 って いる。 しか し,そ の よう な確信 を吟味 してみ る と,差 し当た り我 々 は知覚 のたび ごとに所与 としての. 11)Bd.Ⅳ ,S.298;Metaphysik,S。. 87。.
(14) カ ン トの現象概 念 につ い て. r12. 対象 を確認 して い るに過 ぎない こ とが判明す る。我 々は,単 なる直接的な知 覚 に基づ いては,直 接的な知覚 に対象が いかに現 われ ようとその現われ方に 影響 されない対象 自体 の認識 をまだ獲得 しないのである。 カ ン トも,単 なる 直接的な知覚 に基づ く経験 にお いて,「 我 々は普通 の知覚 がその ように教 える と言 い得 るだけであ って,そ の ようでなければな らない とは言 うこ とはで き ないであろう」(A31,B47)と か,あ るいは,「 一般 に考 えられ て い るように. ,. 諸知覚 を比較 し,判 断作用 によって一つの意識 に結合 され るとい うのでは. ,. 12)に. 経験的な意味 での対象 自体 の認識〕 経験 〔. とって十分 でない」(Bdo Ⅳ S.. 300)と 語 って い る。 しか し,た とえそ うであるに して も,我 々はこの ような 日常的・ 原初的な経験 の場 で既 に我 々の感覚 の手中に落 ちる対象 (直 接的な 知覚 の対象 )に 出会 ってい る。 そ して,こ の 原初的な対象 との 出会 いの場 こ そ経験的な対象 自体 の認識. (カ. ン トの所謂経験 )に 先行 し,こ の認識に素材. を提供 して い る場 ではなか ろ うか。 「太陽が石 を照 らす と,石 が暖か くなる」(Bd.Ⅳ ,Se 300)と い う知覚判断 におけ る 日光 と石 の暖か さの関係 は,「 太陽が照 るたび ごとに,そ の場合,石 が暖か くなる。私が太陽 の知覚 を持 つ たび ごとに,こ の私 の内なる知覚 の次 に,暖 か い石 の知覚 がや って くる」 とい うこ とを主張 して い るに過 ぎない。 つ ま り,こ の「太陽 と石 の表象 の 《……す るたび ごとに,そ の場合 には……. (iedesmal,wann… …0,dann… …. )》. とい う陳述における共存」は,「 まさに. そのたび ごとに,私 に与 えられ た ものが私に際立つ ままに確認 してい るに過 単 に知覚 にお いて一緒になって い る〉のでは な く ぎない」 :32の 両表象が 〈 ,. 〈 客観 にお いて〉その ように結合 されて い るこ とを主張す るためには,太 陽 と石 の表象は 「概念 (原 因―結果 )の 普遍性 と統一性 の もとに」 もたらされ なければならない。直接知覚 に与 えられ る諸対 象 の観察 のみに基づ いては. ,. 12)引 用文 中の 〔. 〕の 中は筆者 に よる挿 入である。以下筆者 に よる挿 入は同様 に. して示 す。. 13)M.Heidegger(2);Die Frage nach dem Ding,Tubingen 1962,Se 108. 14) ibid。. ,S。 100。.
(15) 香 川. 豊. 」」θ. 上記 の関係 につ いてこれ まで知覚 した限 りではそ うであ った としか い えない のであ って:5)そ れが 「いつ で も,そ して,誰 に対 して も妥当す る」(Bdo Ⅳ. ,. S.298)と い うためには,直 接知覚 に与 えられ た諸対象 は再び概念の普遍性 と統一性 (換 言すれば,因 果法則 )に もた らされ,そ の普遍性 と統一性 に基 づ いて, 自然 とい う対象領域 にお いて互 いに連関す る対象 として解釈 し直 さ れなければな らない。 この概念 における再解釈 とい う観点か ら見 るならば. ,. 直接知覚 にお いて 出会 う諸対象は,単 なる所与,認 識 の素材 と見lllさ れ るこ とになる。我 々 は原初的な経験 の場 で既 に直接的な知覚 の対象,た とえば. ,. 太陽,石 ,暖 か さ等 々に対象 として出会 って い る。 しか し,こ の経験 を先験 的 に反省 してみ ると,差 し当た り,対 象 は直接知覚 にお いて 自己を告知 して い る何物かではあるが, しか し相継 いで知覚 されたその諸側面 の総合 を通 し て現 われた ものに過 ぎない こ とが判明す る。つ ま り,我 々が 原初的な経験 に お いて出会 い,前 科学的に認識 して い る物が,先 験的反省 の光 の 中で所与 と 現 経験的直観 の規定 されない対象 〉である 〈 して規定 し直 され るのである。〈 概念の 規定 されない対象〉 と言われ るのは,た とえ,そ の現象が 〈 象 〉が 〈 普遍性 と統一性 の もとで〉 自然 におけ る対象 として解釈 され,数 学的一物理 学的 に認識 され ようと,そ の原初性 を失 わないか らである。 た とえば我 々 は 原初的な経験 の場 で太陽 を実際昇 りまた沈む もの として理解 してい る。 しか し,概 念 の普遍性 と統一性. (自. 然科学的法則 )の もとでは,太 陽は地球 の周. りを動 いて い るのではな く,逆 に地球が太陽 の周 りを動 いてい ると理解 され 昇 りまた沈む太陽〉は,カ テ ゴ リー とい う る。直接的 な知覚 の対象 である 〈 概念 の普遍性 と統一性 にお いて 自然科学的 に解釈 し直 され るとき始めて仮象 と見倣 され るこ とになる。 しか し,た とえ 自然科学的 な視点か ら仮象 と規定 昇 りまた沈む太陽〉 と され ようと, 日常的な経験 の場 にお いては,太 陽は 〈 して我 々に直接知覚 される。 この ように,直 接知覚 され る対象が 自然科学的 な再解釈 (規 定 )に もかかわ らずその原初性 を失 うことな く我 々の知覚 に現 規定 されな われ る とす るな らば,こ の対象 は原理的に まった く自然学的 に 〈. 15)B3-4..
(16) カ ン トの現象概 念 につ い て. r14. い対象 〉である とい えよう。そ うしてまた,我 々が 原初的な経験 の場 でそれ らの対象 に対象 として出会 って い るか らこそ,所 与 としての現象は我 々の心 に固有 な もの,つ ま り,感 覚 とか経験的直観 とい う表象に還元 しつ くされず 対象 として,「 あ らゆる我 々の 直観は現象 についての表 象以外の何 もの で もな い」(A42,B59)と 語 られ得 るのである。我 々は原初的な経験の場 にお いて 既 に 自然科学的な認識 の素材 とな り得 る対象,す なわち,直 接知覚 され る対 象 たる太陽,石 ,机 等 々に出会 ってお り,原 初的な経験 とい う地盤 の上 に 自 経験的直観の規定 されない対象〉 然科学的な世 界 を構築す るのである。あの〈 とは,差 し当た り我 々が 日常的 に出会 う諸物 であ り,数 学的―物理学的認識 の意味にお いて認識 されてい ない対象のこ とである:6)そ して この対象は,あ の概 念の普遍性 と統一性 の もとに再解釈 され る対 象 と見倣 され る限 り,所 与 としての現象 と規定 し直 され る。 ところで,カ ン トは経験的直観 を,認 識 の対象 に対す る直接的連 関 を保証 す るもの と考 えて いた。 しか も,我 々は さきに,直 観 の形式 としての純粋空 間 を,統 覚 の統一に適 って,カ テ ゴ リーに従 ってア・プ リオー リに規定 し ,. そ こか らア 0プ リオー リに派出す る形式的直観の もとにフエ ノメナ としての 現象 を経験的に直観す ると語 った。 しか し,我 々は い ま,所 与 としての現象 を原理的にカテ ゴ リー とい う概 念の規定 を受けない対象 と解 した。では所与 としての現象概 念 とフエ ノメナ としての現象概 念はいかに して調停 され得 る のであろ うか。. 四. た とえば ,あ る人に まず真 直 な ガ ラ ス棒 を見せ ,次 に そ の ガ ラス棒 を水 中 に入れ ,そ の ガ ラス棒 が 曲 って 見 え るこ とを観 察 させ ,そ して最 後 に ガ ラス 棒 を水 中か ら引 き出す と共 に そ の ガ ラ ス棒 が 最 初 と同 じ く真 直 であ るこ とを 16)Vgl.M.Heidegger(3);Phanomenologische lnterpretation von Kants Knitik. der reinen Vernunft,Gesammtausgabe Band 25,Frankfurt/M1977,S101..
(17) 香 川. 豊. rf5. 確 認 させ る としよ う:)光 の屈折 に つ い ての法 則 を知 らな い 人は,そ の現 象 を. ,. た とえば水槽 の ]面 が歪 ん で い るか らガ ラス棒 が 曲 って 見 え る とか ,水 の影 1員. 響 で水 中 では ガ ラ ス棒 が 実際 に 曲 り,水 か ら出す こ とに よ って そ の影響 が 消 え,元 に戻 る等 々 と説 明す るであ ろ う。 しか し,光 の屈折 につ い ての法 則 を 熟知 して い る科学 者 は ,そ の 法 則 に基 づ き,同 じ事例 を観察 した上 で,一 連 の 観察か ら科 学 的 な説 明に とって必要 な要 素 のみ を取 り出 し,そ れ を光 の 屈 折 に 関す る法 則 の一 事例 として説 明す るに ちが い な い。前者 は,直 接 的 な知 覚 にのみ基 づ き,知 覚 にお い て現 われ た もの を経験 的 に探 究す るこ とに よっ て科 学 的 に誤 った判 断 を下 し,仮 象 に陥 い る。 しか し後者 は,観 察 され た事 例 を単 な る所 与 として確 認 しつつ ,同 時 に ,光 の 屈折 の 法 則 に基 づ き,ガ ラ ス棒 は水 中 に あ って光 の屈折 の ため 曲 って 見 え るに過 ぎず ,ガ ラ ス棒 は水 中 にお い て も真 直 な ままであ る と判 断す る。 こ うした経験判 断 か ら見れば ,観 察 され た事 実 は光 の 屈折 の 法 則 に 関す る一事例 であ り,観 察 は 「 経験 判 断 の 2)と. 可能 な直観化 」. 考 え られ る。所与 の確 認 とい う観 点か ら見れば ,経 験 的 直. 観 の対 象 は カテ ゴ リー に従 った規 定 を通 して客観 的 な法 則的連 関 の 内で対 象 として思 惟 され て い な いの であ るか ら,知 覚 にお い て単 に一 緒 に な って い る に過 ぎな い対 象 であ る。 しか し,一 定 の 法則 に基 づ い て所与 が 再解釈 され. ,. 客観 的法 則的 な連 関 の もとに対 象 として定 立 され る限 り,観 察 され た事 実 は 光 の 屈折 に 関す る現 象 として把握 され ,そ れ は光 の 屈折 の 法 則 に関す る一 事 例 と見倣 され るこ とに なる。 この 〈経験 的判 断 の 可能 な直観化 〉 とい う観 点 か ら見 る と,経 験 的直観 は認識 に対 しフエ ノメナ として の対 象 を与 え るこ と に な るの で,カ ン トも,「 もし認識 が 客観 的実 在性 を持 つべ きであ るな ら,換 言す れば ,あ る対 象 と関係 し,そ の対 象 にお い て意 味 と意義 を持 つべ きであ もっ とも,我 々の 原初的 な経験 の場 では,こ の一 連 の 出来事 は様 々 な意味 を担 うもの として登場 して くる。 た とえば,あ る人は これ を神話的 ,あ るい は,魔 術 的 に解釈す るであ ろ うし,他 の 人はそれ を殺 人 の指令 と解す るか もしれ な い。 しか し,議 論 を単純化す るため これ らの こ とは顧慮 しなか った。 Mo Heidegger(2);a.a.0.,S.109。.
(18) カ ン トの現 象概 念 につ い て. fFδ. るならば,対 象 ば何等か の仕方で与 えられ得 なければならない。……・ある対 象が与 えられ る とい うことが…… 直接直観にお いて描 出す るこ とであると考 えられ るならば,そ の対象の表象 を経験 (そ れが現実的経験 であろ うと可能 的経験 であろ うと)に 関係付け る とい うこ とに他 ならない」(A155-156,B 『純粋理1生 批判』 におけ るカ ン トの関心 は原初的 194-195)と 語 るのである。 経験 ではな く,ニ ュー トン物理学的な経験 の可能性へ 向け られてい る。 この 関心 に応 じて,先 験的感性論におけ る直観 も認識―対象一関係 の内で経験 の 対象 を与 えるもの として考察 され る。感官 の対象 はまず認識 との関係で経験 的な もの と見倣 され る1)経 験的な ものは「それによって対象がその現存在に 関 して与 えられ た もの として表象される感覚 」(Bd.XX,S.276)に 対応 し ,. 「経験 の実質 を構成す る」(ibid。. )。. この経験 の質料的契機 はこの場合経験 の非. 独立的な契機 として経験全体 の構造 の内で把握 され,触 発 との関係 でのみ語 られ るに過 ぎず,原 初的な経験 の場 にお いてその独 自な展開が試み られ る と い うこ とはない:)こ の経験的な ものが「意識 と結び付 くと知覚 と呼ばれ る」 (ibid.)が. ,こ うした知覚 は,所 与 の確認 としては, もっぱ ら感官 との関係. で語 られ るこ とになる。それは構想力の総合が覚知 の総合 を通 して直観に関 わる限 り感性 に属す るもの と見lltさ れるか らである。感官 におけ る対 象 の知. 3)こ の こ とにつ い ては拙稿. :「. 先験 的 な問 い」と『批 判』― 甲南女子大学 人間科学. 年 報・創刊号 (1976);カ ン トの コペ ル ニ クス的転 回につ い て一 甲南女子大学「研 究紀要」 第 14号 (昭 和 53年 )一 を参看 され た い。. 4)Vgl.Bd.XX,S.276;A45-46,B63.. 5)カ. ン トにお い て,原 初的 な経験 は知覚判断 を通 して間接 的に考察 の舞 台に登場. す る。知覚 判断は,経 験判断 に対 し,直 接 的 な知覚 に基づ く判断 と規定 され る が ,し か し,こ の判断は経験 的 な意味 での現 象 を開示 し,経 験 的 な場面 では仮 象 に陥いる危険性 を持 つ 判断 として語 られて い るこ とか ら明 らか なよ うに,客 観的妥当性 を持 たなし畔J断 として消極的に規定 され る。 カ ン トは知覚 判断 の経 験判断に対する先行性 を語 るが, しか し,原 初 的経験 の科学 的 な認識 に対す る 地盤性 を必ず しも積極 的に評価 して い る とは言 い難 い。. 6)Bdo. Ⅳ,S.291.. 7)B151。.
(19) 香 川. 豊. 」17. 覚 に 際 して 自発性 が既 に 関わ って い るこ とは ,〈 内官 の規定 〉 として の再 生 的 構 想 力 の主 観 的統 一 に 関 して述 べ てお い た ところであ るが ,そ れが所与 の確 認 として語 られ る限 りや は り受容性 におけ る総合 と考 え られ なければ な らな い。 しか し問題 は所与 の確 認 では な く,所 与 として受容 され た対 象 が いか に して経験 の対 象 として定立 され るか であ り,こ の 所与 として の 対 象 が経験 的 な もの一般 として感性 的直観 の 形式 (空 間 と時 間 )の も とに カテ ゴ リー を通. して いかに秩序付け られ,経 験 の対象 として定立 されるかが『純粋理1生 批判』 『純粋理性批判』 にお いては,〈 経験的直観 の規定 されな にお いて考察 され る。 い対象〉 としての 〈 現象〉は所与 の確認 との関係 とい うよ り,む しろ経験 と の関係 で語 られてお り経験 の質料的契機 として経験全体 の構造 の 内で考察 さ れ る:)そ の 限 りでは所与 としての現象は単 に触発 との連関で語 られた認識 の 内容 (経 験 の実質 )と しての現象 と言わ ざるを得 ない。 ところで,〈 経験判断 の可能 な直観化 〉の場面 では,直 観化 の作用 である覚 知 の総合 は探究 の意味 を帯びる。予 め我 々に よって企画 された法則に基づ い て観察 され る場合 ,覚 知 の総合 は単に諸対象 を経験的 に受け取 るのみでな く ,. 科学的 に有効 な要素 を取 り出す とい うこ とが含 まれてい る。 さきの例 で い え ば,真 直な ガラス棒が水 中で曲って見 える とい うこ とが確認 され る (所 与 の 確認 )と 共に,直 接知覚 された対象であるガラス棒 が光 の屈折 の法則 の もと. 8)経 験 が経験 的認識 である限 りこの質料的契機 は経験 に とって の必 然的契機 であ る。. 9)Vglo M.Heidegger(1);ae a.0.,S。. 37。. 原初 的 な経験 の場 か ら離れ ,経 験 の可能性 との 関係 でのみ 考察す る と,こ の現 象 は経験 の質料的契機 に対 応す る経験 的 な もの を示 し,経 験 の実質 を構成す る 単 に論理 的 な抽 象物 としての対象 と見lllさ れ る危険性が あ る。 しか し,こ れは 必ず しもカ ン トの 真意 ではな い。原初 的 な経験 の場 で出会 った対 象 は,所 与 の 確 認 との 関係 では,経 験的 な意味 での現象 として開示 され,経 験 との 関係 では 経験 的意味 で の対 象 自体 として開示 され るが ,経 験 と直接 的 な知党 の対象 との 質料 的 な観点か ら見 た関係 が触発 であ り,経 験 の非独立的 な質料的契機 との 関 係 で語 られ ら大 表が ,こ の場合 の現 象 であ る。.
(20) r18. カン トの現象概念について. に立 つ 現 象 として再 び解釈 され ,一 連 の 出来事 は光 の 屈折 の 法 則 に従 った対 象 として定立 され る。 つ まり,〈 見 える〉とい う場 面 でその 出来事 が一 定 の 主観 的 な空 間 ・ 時 間的関係 に 従 って 主観 的状 態 にお い て意識 され るの では な く ,. 光 の 屈折 の 法 則 に 従 ってその 出来事 は観 察 され ,一 定 の 客観 的 な空 間 0時 間 的関係 の 内で客観 におけ る出来 事 として定 立 され る。 そ うして,こ の よ うに 自然科 学 におけ る法 則的連 関 の も とに定 立 され た対 象 が経験 の 対 象 (フ エ ノ メナ として の現 象 )で あ る。 カ ン トは先験 的感性 論 にお い て空間 0時 間 を直 観 の 形 式 として語 るが ,我 々 は空 間 ・ 時 間 そ の もの を直接知覚 (直 観 )す る わけ では な い 。 ただ,感 官 にお い て現 われ る対 象 が 常 に空 間 0時 間的関係 を 持 ってお り,空 間 ・ 時 間的関係 は そ のつ ど唯一 の 空 間 ・ 時 間 との 関係 で一定 の 空 間 ・ 時 間的関係 として規 定 され得 る。 そ うして,そ の 規定 に基 づ く一定 の 関係 が それ 自身 また唯一 の 空 間 ・ 時 間 に 属す る空間 ・ 時 間 を意味す るの で. ,. 結局感官 の 対 象 は唯一 全体 の 空 間 と時 間 にお い てあ る もの と考 え られ る。勿 論 ,単 に 感官 に現 われ る現 象 と空 間 ・ 時 間 との 関係 とい うのみ な らば ,主 観 的 な空 間 ・ 時 間的関係 におけ る対 象 の規定 も考 え られ るが , しか し,こ うし た規 定 にお い ては 〈あれ これ の 感 官 の特殊 な位 置や 組織 に とって のみ 妥 当す るが故 に現 象 の 直観 に偶 然的 に 帰属す るに過 ぎな い もの〉 に基 づ い て経験 的 な意味 での現 象 が 開示 され るに過 ぎず ,こ の 場合 の 直観 は認識― 対 象一 関係 を支 え るこ とは で きな い。 カ ン トが空 間 と時 間 を直観 の 形 式 として把握 す る 場合 ,こ の 直観 は認識― 対 象一 関係 にお い て 問題 に され てお り,空 間 ・ 時 間 は経験 の 可能性 の制約 として のみ 取 り扱 われ て い る:1)こ の 場合 には,感 官 の 対 象 は ,直 観 の 形式 として の 空 間 ・ 時 間 に 関 して,唯 一 全体 空 間 と時 間 に可 能 的 に含 まれ るア ・ プ リオー リな空 間 ・ 時 間的関係 にお い て秩 序付 け られ得 「 空 間 と時 間 は対 象 を る経験 的 な もの一 般 (多 様 な もの一 般 )と 見倣 され る。. 知覚する我々の様式の純粋形式であり,感 覚一般 〔 経験的なもの一般 〕はそ の実質である」(A42,B59-60)。 そして,こ の唯一空間・時間 と経験的なも 10)A291,B347;Bdo XX,S。 11)A49,B66。. 276。.
(21) 香 川. 豊. 」19. の一 般 との 関係 ,両 者 のア ・ プ リオー リな必 然的統 一 を形成す るのが カテ ゴ リー に 従 った生 産 的構 想 力 の総合 に他 な らな い。 この概 念 に従 った生 産 的構 想 力 の総合 が ,ア 0プ リオー リな形 式 的直観 の産 出 を通 して直接 的 な知覚 の 対 象 に対 しそ の 空 間 ・ 時 間におけ る客観 的 な位 置 を予 め指 定す る:3)こ の よ う な総合 に基 づ い て可 能 とな る経験 的直観 は ,〈 直観 におけ る場所 (拡 が り)の 場 所 の変化 (運 動 )の ,及 び ,こ の変化 が それ に 従 って規 定 され る法 則 (動 力 )の 単 な る関係 〉 ,〈 継起存在 の,同 時存在 の ,及 び,継 起存在 と同時 的 に 存在す る もの (持 続 的 な もの )の 関係 〉 等 にお い て感 官 の 対 象 を表象す るの であ り,〈 現 象 の 直観 に本 質 的 に結 び付 け られ てお り,す べ ての人間的感 官 に 一般 的 に 妥 当す る もの〉 に基 づ い て認識 に対 しフエ ノメナ として の対 象 を与 え る。経 験 にその対 象 を与 え る直観 は ,原 初 的 な経験 にお い て 出会 う諸対 象 を上 記 の諸 関係― こ うした関係 は運動 学 ,動 力学 ,力 学 にそれ ぞれ対 応 して い る一 にお い て再現 前 させ た もの に他 な らな い 。 認識―対 象 一 関係 を支 え る 経験 的直観 は この よ うな直観 であ り,直 観 の 形 式 として の 空 間 ・ 時間 ,カ テ ゴ リー は そ の 関係 の 可能性 の 制約 であ る。 カ ン トは経験 の 質料 的契機 との関係 で所与 として の現 象 を語 るに過 ぎず. ,. 所与 として の現 象概 念 とフエ ノメナ として の現 象概 念 との違 い は それ ぞれ の 考察場 面 の違 い に起 因す る もの に他 な らな い 。. 結. 語. この論稿 にお い ては カ ン トの二つ の 現 象概 念― 経験 的意味 での現 象 ,先 験 的意味 での現 象 ,所 与 として の現 象一 の 意味 が そ の それ ぞれ にお い て解 明 さ れ た 。 しか し,こ の解 明 にあた って先験 的 な場 面 での現 象 に つ い ての議 論 が 必ず しも十分 では なか った 。 そ の ため には,先 験 的 な意味 での現 象 と対 象 自 体 の 区別や 空 間 ,時 間 ,現 象 の 先験 的観 念性 の 問題 ,ひ い ては カ ン トの 先験. 12)B160-163。 13)Vglo Bdo XX,S.276。. ,.
(22) 12θ. カン トの現象概念について. 的観 念論 の性 格 に まで議論 を及ぼ さなけれ ば な らな い。 しか し,こ の 点 に つ い て の 考察 は他 日を期 した い 。.
(23)
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