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教科専門からみた教科教育への接近:美術教育、「構成・デザイン」の分野から (特別寄稿)

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Academic year: 2021

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●私の立場

教科専門からみた教科教育への接近

一美術教育、 「構成・デザイン」の分野から

杉山直樹(兵庫教育大学芸術系教育講座)

●構成とデザインの関係

美術科には、絵画とか彫塑という分野わけが あり、それは学科目と呼ばれる。 美術・造形の 広い世界を細分化したもので、私はその中で「構 成・デザイン」というところに所属している。 「デ ザイン」というのはよく使われるので、今は社 会的に認知された概念と見える。 では「構成」 はどうかといえば、少々あやしい。 ではなぜす っきり「デザイン」と云わないq)かoそれを理 解してもらうためには、少々細かい話をしなけ ればならない。 私は今はなき東京教育大学の芸術学科「構成 専攻」というところで学んだ。 この専攻は現在、 筑波大学の芸術学群「構成」、「視覚伝達デザイ ン」、「総合造形」の各コースに発展的に解消し た。私が在籍していた頃は、それらをひっく るめてすべて構成専攻の中で行われていた。 「構 成」というのはドイツ語のGestaltungを訳した 用語であるが、今なら「造形」とか「形態」と いう言葉が普通は使われるだろう。 だが、この 考え方が導入された昭和の初期にいろいろな経 緯でこうなった。 その流れを汲み、戦後すぐに 高橋正人氏によって立ち上げられたコースが「構 成専攻」であり、日本の大学では唯一のものだ ssm この「構成」という区分は、絵画や彫塑とい った芸術の表現様式による分け方ではなく、そ れらに共通する形や色、構造などに目を向けた ものである。 そしてその原理や法則、機能など に目配りし、その可能性や展開について考える といった学問商域なのである。 原理を知ると応用したくなる。 それも人間と って意味のあるものにである. そこで芸術や生 活へ、それらの応用を図ることになる。 ここでやっとデザインの話になる。 つまりデ ザインはそれらの応用として存 在する、と考えるのである。 絵画も彫塑も同じ なのだが、造形の生活への直接的応用や具体化 という意味でデザインは典型的なものだからで ある。それは生理学の応用としての医学があり、 心理学や教育学の現実への展開として教育実践 の学があるというようなものかも知れない。

●デザインにおける受け手の育成の重要性

デザイン教育には二種類ある。 専門教育と普 通教育である. 前者は将来デザインに関わる職 に就こうとする人のためのものであり、職能教 育的側面が強い。 後者は、べつに専門家になろ うなどと考えてはいなも、普通の人のためのもの。

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-33-その教育の目的は、簡単にいえば良き社会人に なることだから、自ずとその中身が定まってく る。 「英国は演劇の国である、と よく言われる。 多くの公演がもたれ、良い演技や演出が体験で きること、それらを伝え広める人材や機関が充 実していることなどがその主な根拠になってい ると思われるoしかし忘れてならないのは、良 き観客の存在である0 受け手である観衆の水準 の高さや幅尽きが、実はそれらを支えているの だQ」* すべての文化は、作り手と受け手の双方が充 実して、初めて高度なものになるO普通教育で はその「受け手」を健全に育てる工夫が必要と なるのである。 デザイナーになるための教育で はないのだから特別な才能や興味に関わ. ること はない。 また技術についても職能的なそれは必 要ない。 だが全員が数学者になるわけではないのに、 学校教育で算数や数学があり、運動選手になら ないのに体育をやるのは、実際に体験しなけれ ば分からないことが、この世の中には沢山あり、 その体験を通してものごとの大切な部分を理解 するためであるo計算したり証明したり、ポー ルを蹴ってみないと分からないことがあるのと 同様に、描いてみたり設計してみたりしないと つかめない世界があるのである。 普通教育の実習はそういった意味で存在する はずなのだが、デザイナーの下請けのような仕 事を美術の時間に行なって、デザインの学習を しましたというような授業が実際には多いO我々 も含めた教師の教育的力量の不足がそこに表れ ているわけだが、デザイン教育にはまたもう一 つの難しい側面がある。 それは生き方との関係 である。

●生活観とデザイン理解

現在、普通の生活をしている人、つまり生活 者の多くはデザインに無関心であるように見え る。またデザインの善し悪しに関して、自分の 判断に自信をもっている人も、それほど多くな いように見える。 いわゆるブランド志向がよく 引き合いに出されるが、これはデザインに関心 があるのでは無く、それを持つ私に興味がある だけで、本質が違う。 例えばモノのデザインに 例をとれば、自分にとって本当に良いもの、自 分が本当に納得のいくものというのを見つけだ して中る、または見つけだそうとしている人は どれほどいるのだろうか。 今簡単に云ってしまったが、実はこのことを なすにはある考え方が重要になる。 その確立の ためには「-一一日分と他人はもともと違うものだ というイデーが必要になる。 また求める生き方 や充実した生活に対する、自分なりのイメージ が求められる。 こういった理念や世界観のよう なものは、長い時間を経て形成されるべきもの だ。当然これらを形づくるもとになるのは一般 的な教育であり、その意味で普通の人が受けて きた義務教育、一般教育、普通教育というもの が、デザインに村する基本的な感受性の形成に 重要だ。」辛

●充実した生き方の表現としてのデザイン

すべての人間がデザイナーや芸術家になるわ けではない。 ただし、すべての人間は人生を生 きていかなければならない。 そしてそれを充実 したものとするためには、よき日常の暮らしへ の明確なイメ-ジが必要で、これは他人であ畢 プロに任せることはできないのであるO

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-34-「デザインされたコトやモノは、豊かな暮し というものの、形への表れであり、生活を楽し むための色やかたちの工夫であるべきで、それ は何も産業や生産のプロセスではない。 その意 味で、プロよりアマチュア、デザインにおける 素人の問題がもっと考えられるべきである。 政 治屋にまかせてしまうた政治がいかに悲惨な結 果を生んだかを考えれば、デザイン屋にデザイ ンをまかせてしまう事の埠険性はわかるはず だ。」* 普通教育におけるデザインはその間竃を担っ ている。そしてその能力はすべての人に在る。 人間はもともと物を作り出す能力があり、それ らを工夫する力があるのである。 ただ「-…それ が発見されていなかったり、別の何かで覆い隠 されていることがある。 それらをはぎ取り、解 放する。これが、実は構成教育の最初の発想な のである。」*

●デザインと構成の複雑な関係

ここで最初の「構成」の話にもどった。 前述 の高橋氏によれば、「構成教育は「狭い専門分野 におけるスキルの獲得」をめざすことはしない。 「-1一芸術上の一つのスタイルや表現方法や、ま た技術の習得ではなく、人間の造形活動の根本 に深く根ざし、全人としての創造的発展を目的 とするものであ る一一一」。 またこの教育は、「一一 専門家でない一般人の造形感覚や能力の発達に 非常な力となる一一」ものであり、そのためには 「‥一日分の可能性を探求し、自分に最も適した 世界を発見することが」大事なのである。 だか ら、「教育の内容は常に変化」し、「固定したフ ォーミュラはな」いO「学生の能力や必要により 自由に変化する」ものだ。」*というのである。 話が少々混濁したように見えるかもしれない。 つまり、良く生きるために、デザインされたモ ノを理解する能力が必要になることは先に述べ た。そしてそういったものの色や形に慣れ親し ませ、感受性を訓練する教育が、普通教育にお いてなされるべきで、それがここでいう「構成 教育」なのだということである。 戦後のデザインブームの中で構成教育は、デ ザイン教育の基礎的部分を受け持つ実務教育の ように倭小化されてきた部分がある。 それをも っと普遍的なものとして捉え直す機会にこの稿 がなればと思う。 (了) *は杉山直樹、構成教育とグラフィックデザインの教 育、デザイン学研究、特別号vol. 6no. l、1998、日 本デザイン学会編、より引用

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