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<特集><幸福と不幸の社会学>近代社会の暴力 : 人類の幸福に資する社会調査に向けて

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<特集><幸福と不幸の社会学>近代社会の暴力 : 人

類の幸福に資する社会調査に向けて

著者

荻野 昌弘

雑誌名

先端社会研究

創刊号

ページ

79-106

発行年

2004-12-20

URL

http://hdl.handle.net/10236/11433

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────────────────── * 関西学院大学

近代社会の暴力

──人類の幸福に資する社会調査に向けて

荻野

昌弘

* ■要 旨 本稿は、冒頭に「K 子」という女性の人生を描き、そこから発する現代社 会学の根本問題を実験的に考察している。そこでまず提起されるのは、現代 社会は、社会構造の確固たる再生産ではなく、社会そのものが不確定性に満 ちているというところから出発するべきだという点である。それは、資本主 義が「見知らぬ者」との交換を拡大することで浸透するため、常に不確定な 場を世界に生み出し、その結果、暴力的な衝突を引き起こすことがあるから である。暴力が具体的に生じたとき、それは事件として認識される。事件は 突然生じ、完全に予期することはできない。しかし、重要なのは、アルカイ ダによるテロ事件が起こった「9. 11」以後のアメリカのように、予期でき ない事件が生起することによって、社会秩序が維持されるという点である。 以上のような観点から、現代社会学が解明すべき問題のひとつとして浮か び上がってくるのが、資本主義と暴力の問題である。本稿では、この問題に 関して経験的に研究するための出発点として、ふたつの点に着目している。 ひとつは、ベトナム戦争と水俣病というふたつの事件が共通の性格を持ち、 1960 年代以降の東アジア、東南アジアにおいて、資本主義が展開していく なかで起った事件であると位置づけている点である。今ひとつは、資本主義 が浸透した結果誕生した高度な消費社会である日本を充足性、無臭性、安全 性を兼ね備えた「透明な空間」として位置づけ、そこでは引きこもりのよう な新たな社会問題が生まれていると指摘している点である。 キーワード:暴力、事件、資本主義、平等、贈与

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プロローグ

ある友人の話からはじめよう。友人の名は、K 子という。K 子は、私が かつて住んでいたマンションの近くで、ひとりでスナックを営んでいた。 駅から遠く、繁華街とは言えない場所にあったせいか、スナックの客足が 途絶えてしまうときがある。そのようなとき、K 子は電話をしてきた。ほ かには客がいない店で、私はK 子の話を聞くことになった。 あるとき、K 子は、どうしたら客を増やせるかと相談してきた。このと き、K 子は、すでに 20 年以上の接客業の経験があったはずである。私が アドバイスできる立場にはないと思ったが、それでも私は、教師にとって 学生は「お客さん」だと考え、いかに客に接するべきかを話した。 もちろん、私のいい加減なアドバイスが即効薬となって、客が増えると いうことがあるはずがない。相変わらず、誰も客がいない日々が続き、私 は、ただ一人の客としてK 子のスナックに通った。そのうちに、K 子は 身の上話を始めた。「先生(と私は呼ばれていた)は、同和って、知っと るか」。K 子は、「私は同和なんや」と言った。 小学校のときには、不良グループのリーダーと見なされていたという。 たまに店に顔を見せるK 子の同級生だったという男性は、「ママ(K 子の こと)は昔は怖くて、話しかけることなどとてもできなかった」と語る。 そのうちに、K 子は、警察が窃盗の疑いで自分を捜しているということを 知った。家に戻り、父親にその話をすると、父親は1 万円を自分に握らせ て、「すぐ逃げろ」と言った。そこで家を出て、大阪の繁華街に逃げ込 み、水商売の道に入った。12 歳のときである。 その後、K 子は作詞家を夢見て上京し、働きながら、売れない詞を書き 続けた。ある日、ある高名な作詞家Y に紹介するという話をもちかけら れた。そうすれば、作詞家としてデビューできると言われ、手数料として 250 万円渡した。しかし、K 子は作詞家としてデビューすることがかなわ なかったばかりか、手数料をだましとられたことがわかった。K 子が大量 の睡眠薬を飲み、自殺を図ったのはその直後だった。結局、死ぬことはで きず、K 子は、大阪に戻ることにした。

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大阪で、K 子はスナックを始めた。K 子は、「私は、大嫌いなのに、や くざにばかり好かれるねん」と言っていた。結局、やくざと付き合うはめ になったこともあった。その後、結婚、離婚を経験し、別の店を始めた。 それが、私の知るスナックである。私が、スナックに通い始めたとき、K 子は公務員の男性と二度目の結婚をしていた。K 子が、この夫や前夫につ いて話したことはほとんどない。このとき小学生の娘がひとりいたが、娘 はふたりの夫とのあいだにできた子どもではなかった。 K 子の店は、その後、しだいに持ち直していった。飲食業関係者、日雇 い労働者、定職を持たない者など、さまざまなひとたちが、飲みにやって きた。そのなかに、ひとり暴力団関係者T がいた。原則として「暴力団 関係者はお断り」だが、T だけは K 子の幼なじみということで、たまに ひとりだけで飲みに来ていた。あるとき、T はどうしているかと K 子に 聞くと、「T は自殺した」という答えだった。店では、ときどきこのよう な「客の突然の死」を知ることがあった。 そうこうするうちに、阪神・淡路大震災が起こった。K 子の店が入って いた建物は全壊し、K 子とは一時連絡が途絶えていたが、半年ほどして K 子の方から連絡があった。K 子は隣町で居酒屋を開いていた。被災したス ナックとはちがい、駅から近いので、客が入っていたようである。「サラ リーマン客が多い」と K 子は言っていた。私がはじめて尋ねたときに は、同和教育の問題について、口角泡をとばして話している男がいた。K 子は、男が帰ってから、「あの男は好かん。女の問題で、職場を首になっ たんやけど」とこぼした。 K 子はこのとき、すでに二回目の離婚をして、別の男性と付き合ってい た。幼なじみで、元やくざである。定職はなかった。私が、この男性と初 めて会ったのは、まだ震災前のことだった。そのとき、自分は習字を習っ ていると少し自慢げに話していた。そして、小学校の教師は箸の持ち方さ え教えられないと、箸の持ち方について長々と講釈していた。このK 子 の新しい「だんな」は、「やくざぐらい弱い人間はいない。気が小さいか らいばりたがるんだ」とも言った。K 子が居酒屋を始めてから、ほかの飲 み屋で酔いつぶれ、K 子が迎えにいくことがよくあったようである。その

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後、「だんな」は、銃刀法違反で逮捕され、実刑判決を受けた。覚せい剤 にも手を出していた。K 子のひとり娘は、高校に入学したが、すぐにやめ てしまい、だんなの影響で覚せい剤に手を出すようになったという。K 子 自身は、淡々と居酒屋を続けていた。 私は、K 子の居酒屋から足が遠のいていたが、ある日、自転車に乗った K 子に偶然出会った。話があるので喫茶店で待っていてくれないか、用事 を済ませて1 時間後に来るからと言う。私が、指定された喫茶店で待って いると、K 子が現れた。一見、元気そうに見えた。居酒屋は繁盛していた が、半年ほど前に倒れてしまい、検査を受けるとガンだったこと、一時入 院していたが、今は退院し、医者からは、自由にしてよいと言われている ことなどを、少し興奮した調子で話した。そして、放射線治療したと言っ て、かぶっていた帽子をとった。そのせいで、K 子は頭髪をなくしてい た。 K 子は、それから仕事の話を始めた。それは、いわゆる「マルチ商法」 だった。シャンプー、石けんなどをすでに売り歩いているようである。マ ルチ商法の販売員が勧誘で用いるような口ぶりで、いかに合理的な組織 で、販売員の営業努力によって利益が得られるのかについて、K 子は熱弁 をふるった。ただ、すぐに大きな利益が上がるわけではないので、ビル清 掃作業の受託会社を作ろうかとも考えているが、どうだろうかと訊いた。 清掃業は、人を雇わなければならないので大変ではないかと私は答えた。 K 子は、それではやはり飲み屋をやるしかないかとこぼした。そして、宝 石類を担保に渡すから、お金を貸してくれないかと言った。私は、承諾し た。K 子は、「いつまで生きられるのかわからないが、今、死ぬわけには いかない。娘と『だんな』を養わなければならない」と最後に付け加え た。 それからしばらくして、K 子は、シャンプーなどを持って、家にやって 来た。K 子は、私の妻にシャンプーの効用を宣伝していたが、少し前に生 まれた私たちのこどもと遊び始めた。そして、「生まれたときから差がつ いている」とふとこぼした。K 子は、「こんなに、可愛がられている子も あれば、親にひどい仕打ちを受けるこどももいる」と言った。「私のまわ

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りには、パチンコに行ってばかりで、こどもをほったらかしの親がいる」 と付け加えた。その後、K 子はこどものために絵本を買って来てくれ、新 しい店がオープンすると連絡して来た。借金の話は喫茶店以来、一言も口 に出さなかった。オープンには行くことができなかったが、妻が店に電話 すると、かなり賑わっているようだった。K 子は、それから一週間経って 亡くなった。

2

個人的な倫理

K 子はきわめて倫理的な生き方をしていた。 K 子の倫理には、いくつかの特徴がある。まずひとつは、みずからの置 かれた状況を嘆かずに、それといかにうまく付き合い、生きて行くかを行 為選択の基準としているという点である。人は、どこに生まれるか選ぶこ とができない。裕福な家庭に生まれるか、貧しい家庭に生まれるか、日本 に生まれるか、それともどこか別の国に生まれるか生まれてくるまでわか らない。あらかじめ選択できないような状況を「運命」と呼ぶならば、K 子は運命と付き合う術を知っていた。 K 子は小学生のとき、不良グループの中心にいると見られていた。この 点について、K 子は「自分はけっして逃げなかった」と話していた。K 子 は、自分の体験を無理に美化したり、失敗を自分以外の誰か(あるいは何 か)に押し付けることを一切しなかった。それが、「自分は逃げなかっ た」ということばになったのだが、おそらくK 子は、他の「仲間」をい つもかばっていたのであろう。仮に「盗みの疑い」をかけられたとした ら、それはぬれぎぬだったと思われる。 K 子のように、運命と付き合う術を知っている人物は、生存への強い意 志を持っている。K 子は自殺未遂を起こしているので、生存への意欲を失 ってしまったこともあるように見える。それは作詞家になるという夢が破 れたからで、これをまだうまく運命と結ばれていなかったからだと説明す ることも可能であろう。しかし、自殺未遂は、K 子が他人に依存しようと しない性格であることを示している点が、むしろ重要である。自立心が強

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いと同時に、自分に依存しようとする人間を拒まない点も、K 子の倫理の 特徴として挙げられる。最後に付き合っていた「だんな」は、自ら弱い人 間であることをなかば吐露しており、覚せい剤に溺れてしまったのは、そ れを示す事実である。このような弱い人間をK 子はそのまま受け入れて いた。ただ、K 子によれば、だんなは決して自分に依存して生きているだ けの人物ではなかった。かつて、(K 子たちが住んでいた)地域が荒れて いてどうしようもない状態だったとき、だんながまとめ役になってうまく いったので、それ以来だんなを尊敬しているとK 子は語った。その後の だんなの「失敗」は、本人の責任ではないと感じていたのかもしれない が、K 子がそのような弁解がましいことを言うことはなかった。 自立心が強く、居酒屋などを経営しながらも堅実な生活を好んでいた K 子が、最後には,一攫千金を夢み、マルチ商法に手を出そうとした。そ れは、K 子の倫理に反するようだが、それは抗えない運命、つまり死を意 識していたからであろう。死ぬ前に、娘とだんなが生活できる基盤を築い ておきたかったのである。結局、新しい店を開いたところで、K 子は亡く なる。 もちろん迷うこともしばしばあったはずだが、K 子は、人生においてさ まざまな「事件」が起るたびに、それを運命として受け入れながら、打開 策を考えていた。それは、常に自立の精神に基づいていた。しかし、K 子 が病いに倒れ、亡くなってしまったあと、私は、K 子の倫理的な人生に強 い敬意の念を抱くとともに、不条理と呼べるような感覚を覚えた。それ は、死の数ヶ月前に、K 子が「ひとは決して平等に生まれてこない」とい うことばを漏らしたことも手伝っていた。

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社会学の問題と方法の刷新

K 子という人間について、ここまで長々と書いてきたことを不思議に思 った読者もいるであろう。なぜ、ある人間の人生に関して、私が知る限り のことを記したのか。それには、ふたつの大きな理由がある。ひとつは、 社会調査の方法、そして広い意味における倫理と調査データの表現にかか

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わる問題である。現在、「調査」という行為自体、なければないに越した ことはないし、それが何らかのかたちで「幸福」に結びつくことはないの ではないかという反省が社会学者のなかから出ている。また、調査(sur-vey)は監視(surveillance)につながると批判的に捉える立場もある。い ずれにせよ、社会学者が調査するとはどういうことなのかについて、あら ゆる面から根本的に捉え直す必要性が生まれていることはたしかである。 ただ、反省の弁は出るものの社会学の経験的研究を刷新するような新し い試みはまったく出ていないのが現状である。本稿は、この新しい試みに 取り組むための出発点であり、K 子という人物から、それを出発させたい のである。 K 子という人物から出発するとは、ふたつのことを含意している。第一 に、それは「調査する」という特殊で例外的な行為とそれが繰り広げられ るような特別の状況があるわけではないということを意味する。会話やコ ミュニケーションは、情報を収集し、それを生活に役立てる営みである以 上、一種の調査の様相を帯びている。この意味で、調査は特別な行為では ない。必ずしも意図的ではないところで行われる日常的な会話の延長にし か、調査は存在しない。K 子という人間は私の友人であり、そもそも調査 対象ではなかった。しかし、その話を聞くこと自体がある種の調査なので あり、意図的にそこから社会学という研究に向かう場合も、その営みに変 わりはない。結局は、個々の研究者は、日常的な現実体験から現実を類型 化したり、ヒューリスティックな仮説構成をしたりするのである。これ は、いかなる方法を採用するか(質問紙調査か、聞き取り調査かといっ た)によってちがいがあるわけではない。しばしば、社会調査において 「ラポール構築の必要性」などといったことが言われるが、そもそも日常 生活のなかにしか調査が存在しないとしたら、わざわざ調査対象と「ラポ ール」を構築しようなどとたいそうだが、よく考えれば尊大としか言いよ うのない調査規範がまことしやかに説かれることがあるはずはないのであ る。 第二の含意は、K 子の話をまず取り上げることで、いかなる局面におい て社会学的研究が始まるのかを示そうとしている点である。何が幸福で何

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が不幸かという問いに対して、完全な答えを得ることはありえないであろ う。それは、答えが出ないが常に問い返していくようなたぐいの問題であ る。ただ、この問いが人間の死と直結した問題であることはたしかであろ う。死には人生をまっとうしたという印象を与える死と、K 子の死のよう に突然やって来る死がある。社会学的研究の必要性が出てくるのは、この うち後者の方であろう。もし、K 子が突然の死を迎えなければ、私は K 子について何かを書こうという気持ちにはならなかったはずである。私た ちは、人間の死のうち自殺や殺人、事故死に表されるように自然死ではな い死に悲しみや悔しさを感じ、それがなぜ引き起こされたのかを問おうと する。社会学にわずかなりともその存在価値があるとすれば、この問いに 答えようとする努力のなかにあるだろう。この努力は、身近に生じた死の 意味を問うことから始まる。ここでいう身近な死は、家族や知人の死ばか りではない。同時代に社会的に引き起こされた不条理な死について問うこ とに意味があるはずなのである。 以上が、K 子という友人の話と、社会調査とがいかに関わっているかに ついての簡単な説明である。ここでふれた社会調査の哲学・方法・倫理の 問題に関しては、次号で詳しく論じたい。そして、本稿では、友人の話を 取り上げたもうひとつの理由にこだわりたい。それでは、もう一つの理由 とは何か。 それは、K 子のエピソードが、現在私たちが取り組むべき社会学の課題 は何かを暗示しているからである。 社会学では多くの場合、死にいたるまでの人生が「不幸」である場合、 階層化された社会構造の存在を問題視する。たとえば、平等を建前とする 社会であるにもかかわらず階層差があるという認識から、運命と不幸な結 ばれ方をしている点を剔出しようとするのが、そのパターンのひとつで、 ピエール・ブルデューの「再生産」論などがその典型である[Bourdieu et Passeron, 1970]。ブルデューは、生まれた階層に特有の「ハビトゥス」が 身に付いているので、それに応じた行動をするし、またそうせざるをえな い点を強調する。社会は、生まれてくる者それぞれに対して、あらかじめ 運命を用意しており、これを甘受せざるをえないと言うのである1)。通常

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は、この点をみな経験的に理解しているので、運命の敷いた道を踏み外す ことはない。「庶民階級(classe populaire)」は、社会的に上昇することな ど考えられない。それは、不幸なことかもしれないが、いかんともしがた い。運命そのものが、不幸なのである。 かりに、運命を認めずに、新たな人生をみずから切り開こうとしても、 それは、ほとんどの場合失敗してしまうことになる。事実、多くの小説や 映画が、運命を克服しようとして挫折に終わるという物語を描いてきた。 不幸な過去を持つ主人公が犯した犯罪が発覚するというパターンの物語が その典型である。社会学者の書いた論文では、見田宗介の「まなざしの地 獄」が、連続殺人事件を起こした19 歳の少年を取り上げ、少年の生い立 ちに触れながら、事件に至る経緯を辿ろうとしている[見田,1979]。 ただ、再生産論や「まなざし論」のような社会学理論が、K 子の死に際 して、私が感じた不条理感を説明するものであるかと言えば、そうとは言 えない。再生産論の裏には、運命は変えることができないという宿命主義 的な世界観がある。もし、運命を変えることができないとするなら、わざ わざ社会学者が、運命を変えることはできない「現実」を再確認する必要 はないだろう。また、「まなざし論」は、社会的条件がほぼ同じような存 在、同じような境遇になる者で、なぜある特定の人物だけが殺人事件を起 こしたのかという疑問を生む。 そもそも、私の抱いた不条理は、K 子が運命と格闘しながら、病いに倒 れてしまい、人生を終わらざるをえなかったことに対してである。ただ し、K 子の人生が不幸だったなどと言いたいわけではない。そのような物 言いほど、傲慢なものはない。K 子の人生において、社会学者が眼を付け そうな要素はいくつかある。たとえば、小学校中退という学歴や、K 子の 周囲に元やくざの「だんな」のような「逸脱者」がいたことなどに注意が 払われるだろう。しかし、K 子自身は、逸脱者ではない。私の抱いた不条 理感には、社会階層の再生産という枠組みだけでは説明できない部分があ る。

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社会学における差異

フランス語にsocial という単語がある。レイモン・アロンは、social と 社会学(sociologie)、社会主義(socialisme)は、18 世紀なかばから 19 世 紀にかけて生まれた当時の新語だった点を指摘している[Aron, 1969 : 1]。直訳すれば、形容詞のsocial は「社会的な」、名詞のsocial は、「社会 的なもの」だが、この直訳ではsocial が何を意味しているかはよくわから ない。 実は、social は、肯定的な意味と否定的な意味の両方を兼ね備えた両義 的な単語である。まず、social が形容詞として用いられる場合、社会運動 (mouvement social:なお、この用語は、今では通常「ストライキ」の意味 で使われる)のように、不平等を是正する「社会的」意義を担ったという 意味や、社会学用語に端的に示されるように、「社会的に」認められたと いう意味で用いられる(たとえば、社会的地位statut social のように)。特 に前者は、社会主義と関わる意味であり、名詞でsocial が用いられる場 合、社会保険や社会福祉のような社会政策・事業全般を総称するものとし て用いられる。 反対に、social に、否定的な意味合いが込められることもある。それ は、社会的に問題があるというときである。日本でもフランスでも、新聞 の「社会面」で取り上げられるのは、殺人、詐欺等の事件である。そこで は、social は、いかがわしい、人間の暗部を示すような言葉として用いら れる。social という言葉を通じて、規範から逸脱した、制度に回収されな い人間の生の現実の諸相が指し示される。 social という言葉の両義性は、社会学そのものの性格を表している。社 会学者の多くが、社会問題を発見し、問題を生み出している構造を明らか にすることをめざしているからである。このような社会学は、「差異」を 前提としている。いまだ、社会的に認知されていない、あるいは社会の力 によって適正な処置がされていないさまざまな差異を発見し、社会問題と 見なすことが出発点となる。そこでは、ありとあらゆる逸脱行動や、排 除、差別などが調査対象となる[荻野,2001]。このようなアプローチ

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は、差異を同一性に回収しようとする論理にしたがわざるをえない。差異 が、何らかの同一性(アイデンティティ)を得て、社会的な居場所を見つ けることが良いとされるのである。 前節で言及した再生産論などは、こうした社会学の潮流にある。しか し、人間は制度に回収されない部分を持つ点を暗に指し示す用語としての social に着目する場合、再生産論などとは異なる社会学理論が必要とされ る。それは、社会的に構築された差異ではなく、社会的区分/階層がそも そも存在しないような地点から社会を捉えようとする理論である。制度に 回収されない部分に着目しようとする場合、まったく別のアプローチが必 要となるのである。 エミール・デュルケームの「アノミー」概念のなかに、それは萌芽的に 現れている。デュルケームは、アノミー概念を通じて、19 世紀後半のフ ランス社会において、伝統的な階層構造が解体し、欲望だけが無制限に広 がった状態が広がりつつあると捉えた[Durkheim,[1897]1981 : 281]。 それは、デュルケームの言葉を借りれば「産業が発展」し、平等が価値と された社会で生じるとされている2)。実際には、当時アノミー状態の兆候 が見られたのはパリのような大都市であろう。しかし、もはや階層構造を 明らかにするだけでは現実は把握できないということを示そうとした点 で、アノミー概念は独創的な意味を持っていた。差異から出発するのでは なく、社会的な差異を無に帰してしまう次元から現実を捉える必要がある のである。たとえば、エリアス・カネッティの「群衆」概念がそうである [Canetti, 1966]。群衆とは、個々の人間の差異が消滅し、一塊になってし まう現象を指す。群衆は、突然何もなかったところから生じる。そして、 何の前触れもなく消滅する。群衆の発生には根拠がない。群衆が指し示し ている根拠のなさ、根源的な不確定性の方が、本質的なのである。 ここで、K 子の人生に戻ってみよう。もし、社会的な差異が無効になる ような地点から人間存在を捉えようとするなら、K 子の生涯をある特定の 社会的カテゴリーに帰属し、それに固有のライフコースをたどるというよ うに見るのではなく、K 子を自由な存在として捉えることが必要であろ う。K 子は自由であり、その自由は運命とつきあう術を知っていたからこ

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そ、確保されていたのである。

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人間存在は、根本的に自由だといっても、けっして無制限に自由である わけではない。自由は、「事件」に巻き込まれることによって、阻害され る。事件が自由を阻害する程度に応じて、事件の暴力性の程度は高くな る。K 子にとってのガンは、この意味でもっとも暴力的であったろう。 近代社会は、事件を通じて秩序を維持しようとする傾向がある。たとえ ば、「9. 11 以後」という観点がその典型である。2001 年 9 月 11 日に起こ ったアルカイダによる世界貿易センタービルの破壊というできごとは、世 界的事件として認知され、同様のテロ事件を防ぐという目的で、さまざま な対策が世界的規模で講じられた。しかも、結果的に米英軍がイラクを攻 撃し、フセイン政権を倒すという事件にまで発展した。 事件には、いくつかの特徴がある。 第一に、事件は突然起こる。それは、少なくとも事件直後には偶発的に 起こったように見える。それは、予測不可能な事態であり、事件に直接巻 き込まれたひとびとも、事件が起こるまで、まさか何かの事件の被害者に なるとは思ってもいない。事件の原因に関する様々な分析が試みられる が、それは遡及的に行われるにすぎない。第二に、事件は、その被害者 が、「無作為抽出」されているような印象を与える。たまたま、そこに居 合わせただけで、被害を受けたいわば巡り合わせの悪さが強調される。 このような事件の特徴を十分に認識したうえで、事件を分析した社会学 的研究は、まだ数少ない。それは、殺人を犯した者のような加害者にのみ 焦点が当たり、加害者の運命の不幸だけが強調されるからである。小説家 も評論家も社会学者も、そしてニュースの視聴者や新聞の読者も、検事や 裁判官になったかのように、犯人の殺害動機を探そうとする。しかし、事 件の被害者は無視される。すでに言及したように、見田宗介は、19 歳の 少年が引き起こした連続殺人事件について、少年がどのような経緯から殺 人を犯すに至ったかという点に強い関心を示した。だが、殺された犠牲者

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(夜間の警備員やタクシー運転手)がどのような境遇であったかについて は、ほとんど触れない。しかし、犠牲者にも眼を向けなければ、事件の特 徴がどこにあったかわからないだろう。少年と犠牲者のあいだには面識が なかった。犠牲者は、見ず知らずの少年に殺されるとは、思いもよらなか ったであろう。それは、突然の死だった。そして、彼らは、その後、小説 家によっても、社会学者によっても、語られることなく、忘れ去られてい く3) 事件の特徴を考えるうえでむしろ興味深いのは、「動機なき犯罪」に関 する朝日新聞の次のような記事である。 今年は、精神病者や変質者による犯罪が目立った。国家公安委員長 が引責辞職したライシャワー大使殺傷事件、長男が弟を惨殺した三鷹 市の女性検事一家の悲劇、東京・城西地区の人たちを震え上がらせた 連続少年通り魔、練馬の娘さんを刺した通り魔殺人、それにこんどの 裁判長刺傷事件。他にもイライラ殺人とか、ムシャクシャしたから刺 した、というのも多い。警視庁の統計でも刑法犯の20% は精神障害 者の犯行だという。理由にならないような理由での犯罪。この1 年、 われわれはそんな事件に悩まされ、考えさせられてきた。 城西地区の少年通り魔は26 日つかまったが、昨年春の第 1 回犯行 以来、実に2 年近くかかった。ある被害者の母親は、下腹部を残酷に 傷つけられた息子(12)の将来を思うと不安でたまらないという。 「警察の問題というより、こういう変質者を野放しにしておく世の中 全体の共同責任だという気がします」と訴える。 この事件の警視庁捜査本部係長・秋葉警部は「20 年近く捜査をや ってきたが、こんな難しい事件ははじめてだった。学校へ捜査に行っ ても手ごたえがない。毎日生徒の顔を見ている先生がわからないのだ からやりようがない。ふだんは何の変わりもない男が、瞬間的におか しくなるのだから見つけにくい。変質者犯罪はこれからの防犯、事件 捜査の大きな問題だろう」 今までの事件は、被害者とのカン(面識がある)の線から犯人が割

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れることが多かった。ところが変質者の場合は、行きずりとか巻き添 えの犯行が多い。野放しの変質者とともに、事件捜査も大きな曲がり 角にきているようだ。 師走も押し迫ったある日。上野・不忍池のほとりにある都生活更生 相談所の待合室。乳児を抱いた母親がションボリ立っている。「アル 中の夫にたまりかねて家を飛び出してきたらしいですが、こんなケー スはまだいいです。面と向かって話している途中で、いきなり素っ裸 になって、腹巻きからキラリと短刀をとりだしてかかってくる男もあ りますよ」──町田武一相談係長は、そういって肩を落とした。 この新聞記事は、1964 年(昭和 39 年)12 月 27 日付け夕刊のものであ る。ちなみに、見田が分析した連続射殺事件が起るのは、1968 年のこと である。「理由にならないような理由での犯罪」「行きずりとか巻き添えの 犯行」が増加しており、記事は犯罪者の特徴に変化がある点を指摘してい る。今から40 年前の新聞記事であるが、近年の少年犯罪で指摘されてい る特徴とほとんど変らない。被害者の家族にふれている点でも先見性があ る。果たして、1960 年代に、現在起るさまざまな事件と同様の特徴を持 つ事件の起源があるのか。それとも、動機なき犯罪は、ある特定の歴史的 条件に結びついたものではないのか。少なくとも言えるのは、偶然に見知 らぬ者と接触する機会が増大すればするほど、行きずりの犯罪が増加する 可能性が増すという点である。

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事件と被害

事件には、殺人のような犯罪だけではなく、より多くの被害者を出すも のがある。その典型は、戦争である。戦争ほど事件の暴力性をあらわに示 すものはない。近代の戦争が、事件としての様相を強く帯びるのは、ひと つには科学技術と軍事兵器の開発が結びつくことで、大量の犠牲者が出る だけでなく、被害が、兵士以外の者にまで及ぶようになってきたからであ る。広島、長崎への原爆投下は、この特徴を端的に示している。広島、長

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崎の市民にとって、日本が戦時下にあるという事実と原爆とは、すぐに結 びつかなかった。原爆の光と音(ピカドン)は、突然何の前触れもなくや ってきた事件であり、それは、広島市民のなかに存在していた社会階層を 凌駕し、それを無に帰してしまった。 ベトナム戦争の場合では、よりいっそう、兵士と市民とのあいだの境界 はあいまいになっている。ベトナム戦争では、戦争の期間が長かったこと が手伝い、戦場(あるいは潜在的な戦場)そのものが、いくつかの異なる 空間に分離された。まず、サイゴンのような大都市がある。これに対し て、農村部は、南ベトナム軍の管轄下にある地域、ベトナム民族解放戦線 の管轄下にある地域、混合地域(南ベトナム軍と解放戦線が競合する地 域)などに分かれており、どの地域で生活するかによって、被害の程度は 変わっていた[本多,1981]。戦闘は当然のことながら、地政学的判断に 基づいて行われる。しかし、農民は地政学的判断をしながら、生活してい るわけではない。家屋が焼き討ちに遭うかどうか、枯れ葉剤を散布される かどうかは、農民にとっては、偶然に左右される部分が大きい。 もちろん、戦火にある市民にとって、戦災は予期されている。防空壕を 掘り、戦災に備える。しかし、原爆や枯れ葉剤の被害は、予期された範囲 をはるかに超えてしまう。しかも、原爆、枯れ葉剤、湾岸戦争における劣 化ウラン弾のような兵器の特徴は、後遺症が残るという点である。それ は、直接の被害者だけでなく、被害者の胎児にまで及ぶ。原爆の被害が、 投下直後だけでなく、長期にわたる後遺症と被爆者の緩慢な死をもたらし たことは周知の通りであるし、枯れ葉剤や劣化ウラン弾は、直接の被害者 の胎児にまで障害が起こっていることがわかっている。 想像がつかない被害は、不確定性を生む(リスクは予測できるのに対し て、不確定性は、予測を超える部分を指す)。この不確定性が戦争に事件 の様相を与える。しかし、近代戦争が常にはらんでいる不確定性は、考慮 されることは少ない。それは、欧米の社会理論が、むしろ、戦争のような 暴力を通じて、秩序が構築される点を強調してきたからである4) たとえば、ホロコーストに関する社会学的研究で、ジークムント・バウ マンは、文明化の過程で暴力の行使が道徳的な配慮から切り離され、合理

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性の原則に制御されると指摘する[Bauman, 1992]。したがって、ホロコ ーストは、近代社会が胚胎している合理的な官僚制から生まれ、官僚制に 忠実であることによって進められたと言う。しかし、映画作家のクロード ・ランズマンは、ホロコーストがこうした構造的要因ではなく、「絶滅作 戦」という何の前触れもなく開始された作戦によって、突如引き起こされ た現象であり、それはあらゆる「歴史的説明」を峻拒するものだと言う。 ランズマンは、『ショアー』邦訳の序文で次のように書いている。 現在までのところ、ホロコーストをとりあげようとしたすべての作 品は、歴史と年代記の助けを借りて、この出来事が自然のうちに出現 したかのように描こうと試みた。(……)ヨーロッパ・ユダヤ人の絶 滅は、こうした前提体系から、論理的、あるいは数学的に演繹される ことはできない。絶滅を可能にした諸条件と、絶滅そのもの−絶滅と いう事実−とのあいだには、断絶があり、ズレがあり、飛躍があり、 深淵がある[ランズマン,1995 : 4]。 ホロコーストに限らず、20 世紀の大量殺人は、事件の性格を帯びる。20 世紀における暴力を考えるには、バウマンのように、近代社会が構造的に はらむ暴力性に着目するのではなく、突如として起る、一見偶発的な事件 を通じて秩序が構築されるという点から出発するべきなのである。 そのためには、不確定性という事件の特質にまず注目する必要がある。 ふたつの勢力のあいだに不確定な部分がある場合、そこに対立が生じるこ とがある。一方が他方より優位にあることを認めないことによって、戦争 状態に入ることもある。この意味で、ホッブズが、「自然状態」ではみな が平等であり、それゆえに戦争状態にあると論じたのは誤りではない。つ まり、戦争は、互いに相手に屈することをよしとしないふたつの勢力のあ いだに起こるのである。それでは、なぜふたつの勢力は、相手を屈服させ ようとするのか。レヴィ・ストロースは、ほとんど知られていない論文 「南米インディアンにおける戦争と商業」で[Lévi-Strauss, 1943]、「商取 引は戦争の可能性を平和に解決したことを示しており、戦争は取引が不幸

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にも失敗に終わった結果である」[Lévi-Strauss, 1943 : 136]と指摘してい る。レヴィ・ストロースは、戦争と交換は紙一重であると考えているので ある。 レヴィ・ストロースは、南米のインディオ社会に関して論じており、近 代社会の暴力の問題に、それがすぐに当てはまるかどうかは議論する必要 がある。ただ、レヴィ・ストロースが、他者との接触が、戦争になるか、 交換が成立するかのどちらかであると捉えている点は参考になる。近代社 会の場合、交換は、商品交換を指すことになる(これに対して、レヴィ・ ストロースが直接問題にしたのは贈与交換である)。ベトナム戦争を例に とろう。その背景に冷戦があったことはいうまでもない。それは、市場を 認めながら平等な社会を築くのか、それとも市場を否定していくことによ って平等な社会を築くのかという選択の問題から生じた対立だった。アメ リカは、東アジア・東南アジアにおいて、貨幣を通じた交換を行うこと で、「平等」を実現していく市場主義に支配された社会の構築をめざし た。しかし、それがかなわなかったので、ベトナム爆撃を開始したのであ る。つまり、交換か(商品交換を容認するか)、戦争か(商品交換を認め ずに闘争を招くか)は、ある意味で紙一重だった。 ここで、現代社会学が、解明するべき問題を立ててみよう。 第一に、市場経済の導入と暴力の関係に関する理論的問題がある。この 問題がとりわけ社会学にとって重要なのは、本稿でここまで展開してきた ように、社会問題の発生がもはや社会的区分/階層に起因するのではな く、「平等」な交換を原則とする市場経済が浸透する過程自体のなかで、 社会問題がさまざまな事件として生じているからである。したがって、対 等な二者間の商品交換を実現しようとすると、いかなる対立と紛争が生じ るのか。いかなる条件において、暴力が発生するのかといった一連の問い に答えていく必要がある。また、実際に市場経済が広範囲に浸透したとき に、暴力はもはや生じないのかどうかという問題も考えていかねばならな い。 第二に、いかなる地域、時代に市場経済の導入が暴力を生んだのかを問 う経験的な問題がある。第一の問題と第二の問題は、いうまでもなく切り

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離すことはできない。本稿では特に、第二の問題を中心に考えてみよう。

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時代の問題

本稿で取り上げた具体的な事件は、1960 年代に集中している。これ は、偶然ではない。1960 年代は、世界にとっても、日本にとっても大き な転換期だった。ベトナム戦争は、東アジア、東南アジアが、米ソの「冷 戦」に巻き込まれていく過程でのできごとである。ベトナムは、もちろ ん、韓国人・香港人兵士や日本、特に沖縄の米軍基地、米軍兵士の休息地 タイにいたるまで、アジアは戦争に巻き込まれた。冷戦後に「グローバリ ゼーション」が起ったように言われるが、実は、この時代からアジアと世 界は、戦争を通じて緊密な関係を持つようになっていた。 「ベ平連」などの運動があったものの、日本にとって、1960 年代、ベト ナム戦争は、「他人事」のような周辺的なできごとに位置づけられてい た。沖縄はまだ返還されていない。「高度成長期」であり、急速な市場経 済化によって、日本人の生活様式(衣食住)は大きく変わりつつあった。 同時に、日本国内の人口は流動化する。東北や九州の鉱山は閉山し、大量 の労働者が、東京や関西に流れる。先に言及した少年は、中学卒業後、集 団就職で東京にやって来て、なんとか高校を卒業しようとするが、果たせ ず、結局殺人事件を起こしてしまう。 ベトナム戦争以上に、1960 年代忘れられていたのが、水俣における公 害である。水俣病は、チッソが、プラスチックの可塑剤原料であるアセト アルデヒドの生産工程で生成されるメチル水銀を不知火海に排出したこと から引き起こされた。それは、1968 年に、化学工業の原料石油化によっ て、アセトアルデヒド製造が停止されるまで続いた。しかも、1959 年に 「見舞金契約」が一部患者とチッソのあいだで取り交わされた後、1968 年 に政府が水俣病を公害と認定するまで、行政レベルでは、「終わったも の」(水俣病患者審査協議会)とされていた。安易に、ベトナムと水俣を 結びつけるのは危険である。しかし、このふたつの大事件には、共通点が ある。

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それは、ともに、化学工業の成果によって、大きな被害がもたらされて いるという点である。ベトナム戦争における枯れ葉剤の使用が、大きな後 遺症を招いていることは知られている。ハノイのある病院の一角には、枯 れ葉剤の被害を受けた胎児性患者が治療を受けている。1975 年には、ベ トナム戦争は終結したとされているが、30 年経っているにもかかわら ず、相変わらず胎児性患者が生まれているのである。 化学兵器として用いられた枯れ葉剤は、元来農薬として開発されたもの で、そこに有機塩素化合物であるダイオキシンが含まれている。ダイオキ シンは、農薬などの生産過程において不可避的に発生するほか、化合物廃 棄物の焼却によっても生じる。チッソ水俣工場は、1941 年に日本ではじ めてポリ塩化ビニルの工業生産に成功し[宇井,1985 : 101]、1950 年代 には、その市場において圧倒的に優位に立っていた。このポリ塩化ビニル の廃棄が、今日ダイオキシンを生成する元凶のように言われているのであ る。 ところで、1968 年に、政府が水俣病を公害として認定した後、チッソ がすぐに責任を認めたわけではない。 『実業の日本』1971 年 12 月号の「ゆがめられたマスコミの報道−水俣 病補償問題の真相」という記事で、当時社長だった島田賢一は、次のよう に語っている。 三十四年十月以来、水銀をふくむ排水は一切、海に流さない方法を とってきました。(……)したがって、このときの再補償要求は、い うなれば古傷をほじくりかえされたようなものですよ。 この発言が虚偽に満ちていることは、実際には1968(昭和 43)年の政 府見解発表を受け、アセトアルデヒドの生産停止を決定するまで、チッソ が工場排水を垂れ流していたことが、今日明らかになっている事実が示し ている。しかも、その後チッソは1972 年には「水俣病問題の 15 年」とい う冊子を社員に配布し、そこでも、水俣病の原因を工場排水ではなく、水 俣地区で使われ始めたセレサン石灰を含む農薬のせいではないかと主張し

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ている。1973 年に水俣病訴訟判決が出、原告である患者側の勝訴に終わ り、東京チッソ本社で、島田と患者との直接交渉が始まるが、この場で も、島田は、「深くお詫びを致したい」と断りながら、すぐに「後から後 から出てこられる患者さんに会社の財力の限界がきてね、この前の補償さ えもできなくなったら、実は非常に困るんですよ」と言い、みずからに都 合がいいように協定書の文言を変更させようとしている[石牟礼編, 1974 : 152]。 水俣病患者の支援団体だった相思社の水俣病考証館に行くと、チッソの 製品を原料としたさまざまな製品が展示されている。それは、高度成長期 に商品化されたものであり、チッソがいかに日本経済の成長にかかわった かがよくわかる。1960 年代は、衣食住のすべてのレベルで大きな変化が 見られた。それは、一言で言えば、衣食住の商品化が進んだ時代である。 その際、チッソによる合成素材の開発が大きな役割を果たしていた。 1960 年代に何が起こっていたのか。 明らかなのは、東アジア・東南アジアにおいて、貨幣を通じた対等な交 換を原則とする市場主義が新たな展開を始めたという点である。市場経済 の原則が、東アジア・東南アジアに浸透しようとしており、それが、地 域、家族などさまざまなレベルにおいて、異なるリズムで広がると同時 に、摩擦を引き起こしていたのである。その際に、市場経済は二つの現象 を促す。ひとつは、「移動」であり、いまひとつは、「分断」である。この ふたつの現象は連動しており、ともに暴力を誘発する可能性がある。 水俣の例を見てみよう。S 氏は、次のように言う。 魚は獲れるんだけども、食べないの。誰も。買わない。組合がも う。商店街が全部戸を閉めて、鮮魚、魚を売る店が一軒もない。ここ だけじゃないんだよ、別に。水俣はもちろん、ここの沿岸では誰一人 として漁に出る人いなくなったんや。もう食べないもん、みんなが。 自分、われわれとしても食べない。だから、あんた、どうやって、漁 で生計をやっていくか。大変な境遇に陥ってしまった。とてもじゃな いけど、生活ができない。何よりも、わし自身も関節や何やら痛みだ

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して、船に乗ったらふらつく。もうとてもじゃないけども、わし自身 も、もうそういうすごい影響が出始めた。(……)内海の魚いうたら みんなわかるから、外海で獲れる魚をこちらに持ってきて、したらみ なが買ってくれるやろう、食べてくれるやろうと。もちろん食べよっ たから。(……)それ(外海の魚)をこっちに持ってきて、売り始め たんや。ところが、まったくわれわれが頭下げて買ってください言う ても、言うてしたことがないやろ。もう魚は自分で獲ったのは、もう みんなが頭下げて買いに来よったから。買うてください言うことした ことない。そういう商いのこと、まったく経験がない。だからあん た、儲かるはずがない5) 奇病の噂が立ち、不知火海の魚が売れなくなると、みずから市場で魚を 売る者が出てくる。しかし、それはうまくはいかない。S 氏は、「親父 は、飲んだ勢いで、もうどんどんどんどん、(売り物の魚)をくれてしま いよるや」と言う。これは、貨幣による交換が、贈与交換の様相を呈して おり、交換する者のあいだに不均衡を生む(一方だけが大きな利益を上げ ることがある)ことが容認されていたからである。S 氏は、1960 年に、 妻とこどもふたりを連れて、北九州に行き、「サラリーマン」になる。S 氏と同じように、1960 年を境に、大阪や名古屋に働きにいった水俣の漁 民は数多くいる。連続殺人事件を起こした少年も、集団就職で上京した。 資本主義を促す装置(工場に代表される)は、さまざまなタイプの移動 を誘発する。まず、資本主義的生産に対して周辺的な産業(農林業、漁業 や各種の自営業)を解体し、解体された産業に従事していた者の移動を促 す。1960 年代は、これに加えて、鉱山の閉山が相次いでいる。鉱物資源 の発掘は、資本の蓄積につながるが、鉱山開発自体が、独自の経営で一種 の「社会」を築いていた。多くの鉱山は、鉱山労働者とその家族のため に、学校から娯楽施設まで整え、鉱山町で生活できるようにしていた。し かし、鉱山の閉山で、労働者とその家族は移動を余儀なくされ、新たな土 地で生活を始めなければならなかった。そこでは、衝突も生まれたであろ う。つまり、移動は、移動先での対立と暴力をも生むことがあるのであ

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る。 移動が始まると同時に、分断も始まる。これも、水俣の事例に典型的に 表れている。S 氏の証言に戻ろう。S 氏は次の点を強調する。 地域の破壊、これ。環境破壊とか自然破壊よりも、人間自体の破 壊。これがいっちばん苦しいわ。いちばんこれ。これ、水俣病は。そ れも。それもね。例えば、ひとつの、一家庭の、家庭のなかでさえ も、ふたつに分かれたような破壊のされ方がある。どうしてかて、わ かるやろ。同じね、あの当時、魚を、大きな鍋いっぱい炊いて、その 鍋のものをみんなで、家族がつつきあって食べる。近所のもんも呼ん で食べる。食べて汚染された魚をどんどん。一つの鍋、つつきあっ て。ところが、こんだ、患者認定制度ゆう制度ができて、どんどん申 請を、勇気を出してして、検診を受けて、で審査会にかかったら、子 供ば認定して親ば認定しない。保留棄却。親は認定して子供は認定し ない。そればっかりある。一家族、全員認定されたところもある。そ ういうところ、6 人か 7 人。同じところの地域で。名前言わないけど も。な。そういうような、差別的なようなことを行政やりはじめたわ けだ。症状はあるんよ、みんな。それなのに、認定しない。保留。棄 却。もう保留になった人、多い人は5 回も 6 回も審査会にかかって保 留保留。実際的に症状が見えておっても。させない、認定を、国が。 認定する段階で、させない。だから昔は、同じ巾着網のあるころは、 一網で30 人くらいいれよったから、それがここにはいっぱいあっ た。もう、みんながもう助け合って、そう、分け合って生活してきよ った。ところが、この水俣病の、この件で、もう人間関係がもうめち ゃくちゃになってしまった。同じ患者同士で。地域の破滅。これが。 とてもじゃない。対話が、もう、途絶えてしまった。要するに人間関 係がもうめちゃくちゃや。ああ。それも、血を引いた身内のなかでさ えでもそうなってしまった。 このS 氏の証言を読めば、資本が人間関係の分断につながることは、

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手に取るようにわかる。そして、水俣病の根本問題がどこにあったのかも わかるであろう。非倫理的な資本主義的生産は、家族と地域を分断してい く。これは、水俣病の被害地域に端的に現れているが、資本主義的生産が 行なわれる場所に生じる「事件」である。ただ、S 氏は、その後また水俣 に戻って来て、地域の連帯を再び築こうとする。S 氏に限らず水俣は、単 に分断をそのまま受け入れたわけではなかった(この点に関しては、いず れ詳述したい)。

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平等への偏執

貨幣は、交換を媒介する。しかし、この交換は原則として見知らぬ者同 士の交換である。アダム・スミスは、「たとえば狩猟民族のあいだで、一 匹のビーバーを仕留めるのに、一頭の鹿を仕留める労働の二倍はふつう費 やされていると、ビーバー一匹は当然、鹿二頭と交換されるべきである」 [スミス,1776=1978 : 80]と言う。この場合、ビーバーの狩人と鹿の狩 人は、そもそも見知らぬ者同士であることが前提とされている。これは、 家族のような集団では、貨幣による関係の媒介は、こどもにこづかいを与 えるといった贈与の性格が強いものを除いては、排除されていることを意 味している。家族に限らず、漁民における網元・網子の関係も、疑似家族 的な人間関係であった。また、「友情」や「愛情」によって結ばれる関係 にも、貨幣は本来介在しない。1960 年代に起ったのは、貨幣が対等な交 換を実現することが原則となる市場主義が浸透しようとするなかで、本 来、貨幣を媒介としない関係にまで貨幣が容赦なくちん入してきたという 事態である。このちん入自体が暴力的な事件であるが、それは、さまざま な暴力の連鎖を生む(家族内の対立など)。 しかし、市場主義の暴力を伴う浸透は、結果的に他に類例を見ないほど 市場主義が行き渡った社会を日本に誕生させることになった。飢えがほと んど存在しない豊かな社会が実現したのである。日本列島ほど、24 時 間、モノを消費する可能性に満ちた空間はほかにない。コンビニエンス・ ストアはその象徴である。世界の主要都市中心部では、24 時間営業の小

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売店はあるが、日本の場合、中小都市の住宅街でさえ、コンビニは存在す る。 コンビニは、充足性、無臭性、安全性を兼ね備えた「透明な空間」であ る。充足性とは、コンビニにおいては、日常生活で必要な商品が揃うとい うことであり、コンビニがあれば飢えることはない。また、食品を扱って いるが、清潔で、消毒されており、臭いがない。かつての魚屋、八百屋 は、商品の性格上、臭いが立ちこめていたが、コンビニでは本来食材が持 っている臭いは消されている。そこで、「弁当」として売られている食品 を包むプラスチックのパック(化学工業の産物である)が大きな役割を果 たしている。そして、もう一点、安全性が確保され、場合によっては「癒 し」の空間になっているように見える。コンビニは明るく、住宅街にある 場合、唯一そこが安全な場所のように感じられる。完全無欠のユートピア 的空間が、そこに現出しているような印象を与えるのである。 暴力的に創出されていった市場主義が生み出した空間がコンビニであ る。それは、チッソがかつてリードしていた化学工業が生み出した合成素 材の勝利でもある。考えてみれば、ダイオキシンは、防虫剤や除草剤に含 有されており、有機化学は、害 ! 虫や雑 ! 草を駆除し、「汚れ」のない空間を 構築するうえで大きな役割を果たしている。コンビニに陳列された商品 も、有機化学の産物が多い。チッソが、1959 年に水俣病患者の一部と見 舞金契約を締結し、その後1968 年まで有機水銀を含んだ排水を不知火海 に垂れ流していた事実を隠蔽し続けた経緯はすでにふれた。これは、情状 酌量の余地がまったくない犯罪であるが、その間チッソが生産したアセト アルデヒドや塩化ビニルが、今日の透明な空間を構築する礎にもなってい るのである。 ところで、こうして市場主義が支配し始めると、対等な交換が自明であ り、それがほんの少し阻害されるだけで、暴力性を感じる者が出てくる。 アメリカにおける訴訟社会の出現はこれを示しているが、日本の場合に は、別の展開を遂げているようである。たとえば、「引きこもり」と呼ば れる現象がそうである。引きこもっている若者は、コンビニに行くことは いとわないという。コンビニの透明な空間においてだけ、貨幣を用いて対

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等な交換ができるからで、そこでは暴力に出会う可能性がないからである (引きこもりの若者は、異常なほどの清潔好きでもある)。

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エピローグ──贈与への意志

最後に、K 子の話に戻ろう。K 子は、「生まれたときから差がついてい る」とこぼした。このような話は、階層的な社会構造が存在しているとい う再生産論に結びつきやすい。しかし、本論では市場主義を原則とする社 会は、事件を通じて秩序を編制するという命題を提示している。事件は、 階層化された社会構造ではなく、平等原理が働き、暴力が一見排除された ように見える透明な空間において起る。平等原理は、商品交換に代表され るように、互いに見知らぬ他者同士の関係を支配している。だが、見知ら ぬ者同士のあいだで平等原理が働くためには不確定性が前提とされていな ければならず(見知らぬ他者との交換を認知し、推奨しているのが市場主 義の原則であり、他者がどのような存在であるかどうかわからないという 意味での不確定牲が前提とされている)、そこから暴力が生じる可能性が 常に伏在している。 通り魔殺人や不治の病のように、抵抗しても坑しきれない暴力がたしか に存在する。こうした抵抗できないような暴力を含むあらゆるタイプの暴 力に立ち向かう意志を持つかどうかで、資本主義社会における格差が測ら れるべきなのである。この暴力に立ち向かう意志は、贈与への意志と結び ついている。仮に、与えるだけで、何らの見返りがなくとも、そのこと自 体意に介さないのが、贈与への意志である。商品交換を通じた形式的な平 等の世界に埋没するのではなく、暴力との遭遇を恐れずに、他者に与え、 他者から受け取る贈与への意志が、事件と遭遇したときに、それを乗り越 えることを可能にするのである。コンビニでしかモノを買わずに、家に引 きこもっているのは、もっとも贈与への意志を欠いた態度である。K 子が 語った「パチンコばかりして、こどもを顧みない親」も贈与への意志を欠 いている。なぜなら、この「親」は、みずからのためだけに消費している からで、コンビニで買い物をするだけの引きこもりの若者と変わりがない

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からである。反対に、自分に依存しようとする者を拒むことはなかった K 子には、贈与への強い意志があった。社会学者は、贈与へといかにひと びとを誘うかを真剣に考えなければならない。 付 記 本論文は、2003 年度関西学院大学個人特別研究「負の歴史的遺産に関する社 会学的研究」の成果の一部である。 注 1)ブルデューならば、運命とは「客観的な生存条件」であると定義するであろ う。ブルデューの著作のひとつは Misère du monde というタイトルが付いてい る。これは、『この世の無情』あるいは『社会の不幸』と訳することができる [Bourdieu et al., 1993]。 2)商品交換が欲望を引き出すという命題は、デュルケムに限らず、日本の19 世紀思想にも見られる。特に、水戸学や国学では、盛んにこの点が指摘されて いる[会沢,[1825]1973 : 74]。 3)直接、殺人の罪には問われなかった事件の被害者については、水俣病患者を 扱った石牟礼道子の『苦界浄土』があった[石牟礼,1972]。また、最近で は、村上春樹の『アンダーグラウンド』のように、被害者に焦点を当てる文学 作品が出ていることも事実である。村上は、1995 年に起ったオウム真理教に よる地下鉄サリン事件の被害者に対するインタビューを行ない、これをもとに 小説『アンダーグラウンド』を発表した[村上,1999]。無差別殺人の加害者 であるオウム真理教徒ではなく、事件の被害者が、どのような人生の軌跡を辿 っているのかを記した。しかし、この場合、被害者に焦点が当てられ、反対 に、加害者の存在はかすんでしまう。社会学は、文学とは異なり、別の方向に 進むべきであろう。それは、加害者でも被害者でもなく、両者の邂逅と、それ を可能にする場に焦点を当てることである。 4)欧米の社会理論には、次のような特徴がある。 漓秩序編成の契機を暴力の行使に見る。 滷その際の根拠を未開社会に求める傾向がある。 澆秩序編成の契機となった暴力の行使は隠蔽される(と暴露する)。 秩序編成の契機を暴力の行使に見てしまう社会学者の姿に、実は、近代社会 そのものの秘密が隠されている。フランス革命に典型的に示されているよう に、敵対勢力を殺害することで、近代国家は成立した。いまでこそ、フランス 革命を否定する者は数少なく、それは自由と平等を理想とする社会を創り出し たという点で高く評価されている。実際には、200 万人ともいわれる大量の死 者を生んだという事実は、通常ふれられることはない。近代国家こそが、その 成立時に暴力を要したという事情は隠蔽され、それは必ずしも近代国家のよう

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に、暴力を必要としていたのかどうかわからない「未開」社会のなかに投影さ れたのである。この意味で、暴力を行使して社会を創り出したのは、未開社会 ではなく、近代社会である。 5)インタビューは、2004 年 2 月に行なった。 文献 会沢正志斎,[1825]1973,「新論」『日本思想大系53 水戸学』東京:岩波書店. Aron, R., 1969, Les désillusions du progrès, Paris : Calmamn-Lévy.

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■Abstract

In contemporary society, social structures are not self-regenerating ; from the start society itself is full of uncertainty . With the increasing interactions among persons unknown to one another wrought by the progress of capitalism, greater uncertainty arises, and thus the potential for more and more violence. When actual acts of violence occur, these events are treated as individual inci-dents. These events are sudden and cannot be predicted with absolute accuracy. However, it is important to note that since the al Qaeda terrorist attacks of Sep-tember 11th 2001, America, in its inability to predict this attack, has been able to maintain an orderly society.

So with due consideration to the above points, there is one issue that de-mands to be understood from a modern sociological point of view : the issue of capitalism and violence. This paper will examine the matter from the perspec-tive of experience and concentrate on two issues. The first of these is actually two distinct incidents − the Vietnam War and the outbreak of Minamata Dis-ease. These two incidents both took place in and after the 1960s in Asia. Both incidents were triggered by the progress of capitalism. The second issue is the current situation in Japan where rampant capitalism has run unchecked for many years, resulting in a society with a high level of consumerism. Japanese society is what could be termed a transparent space − a society that is self-satisfied, odorless and safe. This transparent society has given birth to new so-cial disorders such as soso-cial withdrawal.

Key words: violence, event, capitalism, equality, gift ──────────────────

*Kwansei Gakuin University

Violence in Modern Society :

Toward a Social Research for the Enhancement

of Human Happiness

参照

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