局地鉄道の成立と展開 -- 和歌山県下の3軽便鉄道をめぐって --
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(2) 投資しやすい環境をつくりあげ, 補助金政策を採用することによって, 政府の 鉄道会計からの支出を低位にとどめる政策」 Cl) がここに結実したのであるが, これは採卵性に乏しい地域社会に大きな反態をよび, 軽便鉄道は全国各地で普 及した . ただ, そこには「地方農村に対する政党の働きかけと, それに伴う地 域開発・膜村振興という補助金を期待する投機的な起業動機がもっぱら働いて いた」 (2) ことを否定できない . 軽便鉄道の公布施行の初年度に, 軽便鉄道として免許をえたものは23社, 私 設鉄道および軌道から指定変更をうけたものは27社で, 計50 社にのぼった (3) °. そして明治44 ー大正2年に軽便鉄道は1つのヒ ー クをむかえたが, 小稿でとり あげる和歌山県下の3軽便鉄道も, こうした政策の過程で具体化したものであ る. このほか県下では山東軽便鉄道が創設されているが, この点は別稿で扱っ たから割愛することにしたい (4) なお大正8 (1919)年4 月 には, 従来の私設鉄逍法と上述の軽使鉄道法を折 喪する形で, 地方鉄道法が制定公布されたが, これは, いわば軽便鉄道法の規 定を強化し, 国有鉄道を中心とする交通体系の確立をはかるものであった. こ れにともない, 軽便鉄道補助法は地方鉄道補助法に改められたのである. 以下,. 1つのケ ー ス. ・. スタディとして和歌山県下の3軽便鉄道について, 創. 業から戦前昭和期にいたる動向を資料紹介的な形でみていくことにしよう. た だ, 資料的な制約ならびに個人的な事情もあって, 詳細な分析はできず, この 間における和歌山県下の局地鉄道の趨塾を概観するにとどめざるをえないのは 残念というほかないであろう . 注. (1) 原田勝正•青木栄ー「日本の鉄道一100年の歩みから 一j (三省幽, 昭和48年) 149150頁. (2) 『日本固有鉄逝百年史」通史(交通協力会版, 昭和49年) 179}L (3)原田•青木. 前掲書151頁. (4) 拙稿「わが国軽便鉄道史の一側面ー 山東軽便鉄道の場合一」(大阪府立大学 -218-. r 歴史研.
(3) 究」第21号, 昭和55年)を参照されたい.. また小稿で扱う3鉄道についても. 拙稿「和歌山における鉄道敷設概況」(安)偽粘. 一編「和歌山の研究」第4 ;fr所収. 箭文堂, 昭和53年)で若千ふれていることを記し ておく.. 2 (1). 加太軽便鉄道の展開. 加太軽便鉄道の開業. 和歌山県下海草郡野崎村大字北島を起点として同郡加太町に達 する区間に鉄 道を敷設しようとする計画は日泊戦争後に もあったのであるが, こ れは日の目. をみなかった. その後明治42年 (1909) 10月28日付で, 海草郡木本村垣内太郎 ほか6名がほぼ同区間 の鉄道敷設を願い出るとこ ろとなったのが, 加太軽便鉄 道の具体化の第 一 歩であったといえる. しかるに , 43年 4 月に 軽便鉄道法が公. 布さ れたため,. 同社は該規則に より ,. 改めて43 年 8 月 4 日付で,. して敷設免許を 申請 することに なったのである. つ. 軽便鉄道と. 以下一件書類を示しておこ. ヽ(1). 軽使鉄道敷設特許顧. 今般我等発起トナリ和歌山県海草郡野崎村大字北嶋字祭ノ神起点トシ仝村 大字野崎大字狐嶋仝郡松江村仝郡木本村大字小屋仝郡西脇野村大字西ノ庄 大字木脇大字磯脇ヲ経テ海草郡加太町大字加太字太谷二至)レ五哩六拾鎖間 二軽便鉄道ヲ敷設シ一般旅客貨物ノ運輸ヲ営ミ度候, 抑モ加太lllJハ人口約. 八千人ヲ有シ日用ノ雑貨ハ多年ノ習慣トシテ是レヲ和歌山市二仰キ港湾ノ 便宜シク淡路四国大坂等ノ連絡要港ニアリ, 殊二有名ノ淡島神社ハ参詣者. 慇シク深山重砲聯隊モ亦設置セラレ旅人ノ出入頻繁ナリ, 又同地方ノ特産. 物ナル魚類及ヒ沿道ノI盟産物ハ重二是レヲ和歌山市二販売セリ, 然ルニ和 歌山市トノ交通ハ不便少ナカラズ弦二文明ノ利器ヲ採用シ鉄道ヲ敷設シ多. 年宿望ナル公衆運輸ノ便ヲ開キ同地方ノ発展ヲ計画致シ度候二付, 御詮議 -219-.
(4) ノ上軽便敷設ノ義御許可相成度此段関係書類相添へ奉願候也 明治四拾三年八月四日. 発起人. 和歌山県海草郡木本村大字木ノ本千七拾七番地 垣内. 太郎⑲ (以下略). 内閣総理大臣候爵桂太郎殿. 引受株数i住. 注). 250株 200 550 500 100 150 250 1. 2.. 所I. 海芍郡 徳島県 和歌山市 同 廂平郡 同 同. 氏. 名. 第1表 加太軽便鉄道発起人の性格 備. 垣内太 郎 田上甚平 広田善八 神前純一 郎 木本主一郎 貨志喜三郎 江川質純. 和歌山県会議員. 考. 米穀商 綿ネル製造販売 和歌山県会議員. 「軽便鉄道敷設特許願」(鉄道省文害「 加太電気鉄道」)より作成 . 職業については,鈴木喜八• 関伊太郎編「日本全国商工人名録」(明治44年) などによる .. 加太軽便鉄道のもくろみは和歌山市との運輸の便をはかることであり, 資本. 金は20万円で, 発 起人は第 1表のごとくであった.発 起人の引受株数は,総株 数4,000株のうち, • 木本主. 一. 37.5�る に 達 している.. 発 起人の顔ぶれをみると,垣内太郎. 郎は海草郡選出の県会議員であり, 最大の引受株数をほこる広田善. 八は氷穀商,神前純 一郎は綿ネル製造販売を業としていたようである. こうし た地方政治家と商業資本家が歩調を合わせて鉄道敷設をもくろむケ ー スは地方. 鉄道に は案外多 くみられたのではないかと思う. いわゆる地方名望家 に よる鉄 道敷設計画であったといえようが,この点は, つぎに示す同社の「軽便軌道敷. 設特許出願二対ス)レ調書」からも看取さ れる . また同調書は,. 同社の 起業基. 礎, 沿道町村ならび に 既成鉄道または軌道に及ぽす影替などを明示しており, -2 20 -.
(5) 興味深いものがある (2) . 軽便軌道敷設特許出願二対ス)レ調書 一. 起業ノ確否. 本事業ハ軌道敷設区間僅カニ五哩六拾鎖ニシテ路線概ネ平坦ノ土地二属 シ困難ノ事業ニアラサルヘ ク殊二発起人ハ相当ノ資産ヲ有シ且ツ地方ノ 名望家多キヲ占ム)レヲ以テ成業 スヘキモノト認ム 二. 起業ニヨリテ沿道町村二及ホ ス影響. 本事業ハ旅客ノ運輸魚類及沿道農産物ヲ運搬 ス)レヲ目的ト ス)レモノナル (功). ヲ以テ本事業成効ノ上ハ荷車及人力車営業者二影態 スルハ免カル可カラ サルモ之レカ為該地方二於ケ ル産業ノ発展旅客ノ交通ニハ多大ノ利便ヲ 与フルモノト認ム 三. 既成鉄道又ハ軌道二及ホスヘキ影響. 本軌道敷設区間ニハ鉄道軌道ノ敷設シタルモノナ ク元関西南海両鉄道及 市街電車等二与フル利益ハ多大ナリト信 ス 四. 出願人ノ信用及資産 出願人ハー 名ヲ除 クノ外何レモ地方二於テ中等以上ノ地位ニアリテ信用 充分ナリ各自資産ハ少キモ壱万五千円多キハ拾弐万円以上ノ財産ヲ有 ス ル有力家而已ナリ. 五. 願書並二関係困類二押捺セ)レ印影ノ確否 所属市長及村長ノ証明紺ヲ徴シタルニ確実ナリ. 六. 関係議会ノ意見 支障ナキ旨答申セリ. 七. 本軌遥起点終点共二市街外ニシテ殊二沿道ハ人家連換ノ場所少ナ クニ 車連結進行セシム)レモ支障ナシト認ム. 八. 新設スヘキ敷地ハ幾分土地収用法二依リ買収セサルヘカラサル見込. 同社は, 明治44年1月10日創設され, 45年6月16日加太• 北島間を開通し. -221-.
(6) た . 「開通第1日の乗客数は1,587人にして, 収入135余円なり」 (3) と,. 好調な. すべり 出しであった.. その後同社は, 大正 2 年 1 月20 日付で, 創業以来の念願であった南海鉄道和. 歌山市駅への線路延長を願い出ている. これは紀の川架橋の資金的襄付が欠け ていたため延び延びになっていたものであるが, ここに10万円の増資をして,. 南海, 関西お よび和歌山水力電気軌道と辿絡し, 本線敷設の目的を強化しよう と意図したわけである.. つ ぎに示す和歌山県知事名の. 「加太軽便鉄道線路延長. 免許申請 二付意見副申」は, この間の事情をよく物語っている. (4). .. 加太軽便鉄道線路延長免許申詰二付意見副申 今回県下海草郡野崎村大字北島ヨリ南海鉄道株式会社和歌山市停車場二至. ル線路延長免許ノ義加太軽便鉄道株式会社ヨリ出願候処, 右ハ旅客貨物ノ. 運送及産業振興ノ為最モ必要ナル計画卜被認候, 右線路延長起点タル北島 卜和歌山市駅トハ僅カニ半哩ノ距離ヲ隔ツレトモ其間紀ノ川ノ介在ス)レア. リテ迎輸交通上不便不勘, 就テハ早ク已テニ仝線敷設免許申詰ノ際仝川二. 架橋シテ和歌山市駅迄延長シ以テI掲西, 南海ノ両鉄道及ヒ和歌山水力電気. 軌道卜連結シ本線敷設ノ目的ヲ充分二達セシメントノ希望ヲ有シ候得共.. 仝会社創立当時ノ資本ヲ以テシテハ到底此挙二出ツ)レコト能ハス, 依テ他 日営業ノ成績良好ニシテ之力企圃二堪へ得ルノ時ヲ待チ居候次第二有之候. 溺来営業ノ成績良好ニシテ今回拾万円ノ増狡ヲ為シ架栢延長ノ資二当テ以 テ従来ノ不備ヲ完成セント欲シ此出願ヲ見)レニ至リタルモノニシテ最モ機. 宜二適シタルモノト存候, 此計画ニシテ実現セラレンカ五千ノ人ロヲ有シ 淡島ノ名祠卜深山正砲聴隊トノ所在地タリ且又大阪徳島淡路及県下ノ諸港. ト連絡ス)レ要津夕)レ加太町ハ和歌山市卜直接ノ交通ヲ開ク可ク, 従而又同. 時二前記ノ諸線卜相辿絡シ交通機閲ノ改善ヲ見)レニ可至候 就テハ右辿二御許可相成度此段意見副申古·類進述候也 大正二年二月十五日. -222-.
(7) 和歌山県知事 川村. 内閣総理大臣公爵桂太郎殿. 竹治. @. 加太軽便鉄道の終点加太駅は加太地に接しているが, 同港は古くから本州と. 淡路, 四国をむすぶ連絡港として重要であり , とくに深山に重砲聴隊が設磁さ. れてからは軍事港としてもきわ めて煎要な使命を帯びるにいたった. 右の加太 軽便鉄道の計圃は具体化する. 大正 2 年 7 月資本金を30万円に増資し, 迎輸の. 便は拡大化するにいたり , 同 3年1月1 日南海鉄道和歌山市駅に接続したので 4年12月28 日付で, 「軽便鉄道補助法二依)レ補助申諮祖」. ある . その後同社は,. を内閣総理大臣あて提出している.. しかし,. (ママ). 「本鉄道ハ和歌山市ヨリ加太町二. 至)レ六哩一 分軌間三吹六吋ノ蒸気鉄道ニシテ, 明治四十五年六月十六日運輸営. 業ヲI開始シ其ノ営業成結ハ補助法施行規則二依)レ公式二依リ営業股ヲ算出ス)レ. トキハ建設費二対ス)レ益金割合ハー ケ 年五分二達ス)レヲ以テ補助ノ要ナキモノ ト認ム」 (5) との理由で聞き届けられなかった . 同社の営業成績は, 比較的良好. であったからである . (2). 南海鉄道への吸収合併. つぎに加太軽便鉄道のその後の動向を瞥見しておこう. まず第1 次世界大. 戦後の営業状況は, る. 「同社第 十七回営業報告古」によれば, 以下のごとくであ. (6. ).. 欧洲休戦条約成立後特種工業ノ萎縮セルモノアリシモ一般商工業ハ当期二. 入リ舒戒ノ中ニモ尚益活況ヲ持続シ労働者ノ需用盛ニシテ自然的二労銀ヲ 昂騰セシメ物価モ奔騰シテi息マサルニモ係ハラス, 財界四囲ノ情勢ハ順調 ニジテ社会ノ生活状態ハ著シク向上シ社線沿逍ヲ来往ス)レモノ殆ント便乗. セサルモノナキ盛況ヲ呈セリ, ..…•(中略)•••…又貨物ノ取扱モ自然其量ヲ 増加シ, 殊二南海鉄道卜辿絡迎輸ヲ開始セシ為メ野菜物ノ阪地向キ出貨ノ. 秋載モアリテ荻二従来ノ記録ヲ破リタル収入ヲ得シモ, 営業費モ亦石炭ヲ. -223-.
(8) 初 メ 需用品ノ高価 二 余義ナ ク セラ レ カ メ テ節約セシニ係ハラス著シ ク 膨脹 シ今 尚此ノ趨勢 ヲ 避ケ 能ハ サ ルノ梢況 ニアリ, 斯 ク テ純益ハ前期二 比シテ 劣ラスl前年同期二 比シテ優良ナル)戎箱 ヲ 挙 ク )レ ヲ 得タリ, 思 フ ニ今後 尚 引 続キ収支ノ釣合其宜シキ ヲ 維持シ得ヘキ ヤ 否, WJII 力 懸念ナキ能ハ ス ト 雖 卜 モ将来 ヲ 察 ス)レニ既二紀勢縦貫鉄道ノ起業 二 着手セラル ヽ アリ, 又今春ノ 議会二於テ四国循環鉄道速成建議三案モ提出セラル ヽ アリ, 其執レモ高松 撫養間ノ敷設 ヲ 急 務トセ)レ ヨ リ見テ早晩実現 ス)レニ 至ラ ンカ, 之二順応シ テ我社ノ施設経営其宜シキ ヲ 得ハ加太磯ノ浦ノ風光 卜 淡島神社大川寺等ノ 古社寺トハ相待ツテ,. 一. 面 ニハ熊野遊覧客 ヲ 誘致 ス)レ ヲ 得ヘ ク 一面 ニ ハ琴. 平神社等四国参詣者 ヲ 往古ノ如 ク 加太二 吸収シ得テ多年期待セル四国 ト ノ 連絡 ヲ 見)レ ニ 至 ルヘ ク , 我社ノ前途ハ益 々 多望ナル ヲ 信ス)レモノナリ 同社は, 南海鉄道との連絡運輸開始以来, 商 品輸送が増大 したことが察せら れるだろう. 引 き続き業績は良好であり , ま た観光鉄道と し て 将来の発展を期 し ていることがうかがわれる. なお大正13年には, 資本金を50万円に増資 し た . さらに 昭和恐慌期には如 何なる状況であったろうか. 「同社第三十七回 営業 報告書」 は, 以下のごと く 報 じ ている 叫 本期二於ケ ル商工業ノ不振ハ益 々 深刻 ト ナリ, 従テ我鉄道モ其ノ影蓉 ヲ 蒙 リタル コ ト 勘カラズ 然シテ客車収入ハ御大典式場•ノ拝観 ヲ 勧誘セシニ依リ 相当ノ効果アリテ期ノ過半 マ デハ昨年二 比シ幸二幾分ノ増収 ヲ 得 夕 )レモ, 期待セル春季遊院期ハ季候不順ナリシ上二 式場拝観期 日 ノ延長二依リ他地 方ノ旅客ハ京都 二群集シタル ト 紀勢西線御坊駅ノ開通 卜 共 二道成寺 二 於テ 執行シタ)レ一千年祭 二多数ノ遊覧客 ヲ 吸収セラ レ タル結果, 予期二反シ期 末 二於テ近来ニナキ旅客ノ減少 ヲ 来セリ又貨物ハ期初 二於テ沿線ノ主要物 産タル大根不作ノ為 メ 輸 出鍼彫カリシモ, 其ノ後 一般荷物ノ集散状況良好 ト ナリ相当ノ増収 ヲ 得タルモ客車収入ノ滅収 ヲ 償フニ足ラズ, 終 二 別表ノ 如 ク 差引 二分ー厘減収ノ止ムナキニ 至リタルハ 深 ク 遺憾 ト ス)レ処ナリ. - 224 -.
(9) 一般的傾向として, いわ ゆ る経済界不況の彩響をうけたこ とは否めないが, とくに 紀勢西線御坊 駅開通などに よって遊既客は減少し, さ らに 貨物輸送も,. 沿線の主要物産たる大根の不振が舵 手であったようである. こ のため, 昭和 4. 年上期は前期に 比 し て滅収となった. しかし, 収益計算ではまだ相当な利益金 を計上していた. とこ ろで同 社は, 昭 和 5 年 2 月に電化工事をして,. 6 年 1 月加太電気鉄道と. 改称した.エ費 は30 万円で, 電化に より , 従来45 分間毎に 運転さ れていたのが. 30 分間毎となり ,. 所要時 間 も2 5 分に 短縮 さ れた .. 来, 1 割 3 分の配当を続けたという. (8). 業績は,. 大正13年の 増資以. .. つぎに 多少前後するが, こ のほか同社は, 大正1 5 年 1 月,. 分岐 シ仝県那賀郡岩出町 御省和歌山線岩出停車場二達 ス ル」 し, また昭 和 7 年 6 月に は,. 二通 ズ)レ」. (10). 「北島 停車場ヨ リ (. 9). 支 線敷設を計画. 「北島停車場ヨ リ 分岐 シ 和歌山県海草郡湊村字湊. 支 線敷設を願い出る 動きがあったこ とを付記してお きたい .. い. ずれも当時同地方に は一部乗合 自 動車が存在するのみで, 貨物等は牛馬車に よ る搬出が 中 心であった 情勢に かんがみ,. 輸送力 増強 を も く ろ ん だ ものといえ. る . 諸般の情勢から, こ れらは 日の目をみずに終わ るが, 他方, 昭 和 4 年11月. に は, 従 来大型 4 台 , 小型 2 台, 自 動車を8 ,000 円で買収し,. 動きとして注 目さ れる. (11). •. ト ラ ッ ク 1 台をもって営業を続けていた加太. 自 動車事業を兼営するように なったのは,. 新たな. 同社のバ ス 部門は, その後1 2年6月八幡 前駅よ り. 海草郡貴志村大字 中 に いたる延長線3 . 5 キ ロ の許可をうけた (12) . 昭 和13年になると, 国家総動員法. ・. 陸上交通事業調整法などが公布さ れ, JI廿. 局に かんがみ, 大小私鉄の 自 主的統合政 策 がとられたが, 加太電気鉄道の一部. 株主は同社の南悔鉄道への売却を意図 する動きを示した. 合併条件は1 対1 を. もくろんでいたようである . し かし, 当時の加太鉄の営業状態からみれば, 到. 底南海の承服するとこ ろではなかった. 当時の新 聞 は, 「 殊にこ の 非常措磁に. 直面 して南海本線の増収も思はしからざ る折柄, 買 収問題のごときは考慮の余. - 225 -.
(10) 地 な し と 南海 側 は 言 明 し て ゐ る 」 , と 報 じ て い る. (13). •. し か る に そ の 後戦時陸. 運統制政策 の 進 展に 応 じ て , 17年 2 月 に は 南海鉄道 に 吸収合併 さ れ, 新 し く 南 海加太線 と し て 発足す る こ と に な っ た . こ の 合併 に と も な う 会計上の 問題 は , つ ぎ の ご と く 処理さ れた. (14. ) •. 昭 和十七年二月 一 日 加太距気鉄道株式会社 ヲ 合併 シ 資産総額金八十 一 万五. 千二百六十二 円 四十 四 銭, 負債総額金十三万五百十 一 円 七十五銭差 引 金六. 十八万四千七百五十 円 六十九銭 ヲ 継承, 内 金三十五万円 増加資本金 ノ 払込 二 充 当 , 金十二万五千三百 四十円 役員及従業員退職手当 金 ト シ テ 支 出 , 金. 十三万七千五百 円 法定積立金, 金五万八千円 別 途積立金 二 各編入 シ 残額金 一万三千九百十 円 六十九銭 ヲ 収入 二 計上 セ リ. 注. (1) 「軽便鉄道敷設特許願」 (鉄道省文害 「加太軍気鉄道」) . (2). 「軽便軌道敷設特許出願二対 ス ル調書」 (前掲鉄道省文習) .. (3) 紀伊毎 日 新聞, 明治45年 6 月 18 日 付 .. (4) 「加太軽便鉄道線路延長免許巾諮二付意見副 叶l」 ( 前掲鉄道省文苫).. (5) 「軽便鉄道補助法二依Jレ補助!Ji諮杏」 ( 同 上) . (6) (7). 「加太軽便鉄道株式会社第17回営業報告書」 (大正 8 年 6 月 ) . 「加太軽便鉄道株式会社第37回窃業報告書」 ( 昭和 4 年 6 月 ).. (8) 和歌山新報, 昭和 5 年10月 10 日 付 .. (9) 「地方鉄道支線敷設免許 申 請香」 ( 前掲鉄道省文書) .. UOl 「地方鉄道支線敷設 ノ 件二付上 巾 」 ( 同 上). Ull 和歌山新報, 昭和 4 年1 1 月 17 日 付 . U2l 同上, 昭和12年 6 月 18 日 付.. U3l 同上, 昭和13年 6 月 22 日 付.. U4l 「南海鉄道株式会社第93回営業報告杏」 ( 昭和17年 4 月 ) .. 3 (1). 野上軽便鉄道 の 展 開. 野上軽便鉄道 の 開 業. 明 治 44年 ( 19 1 1 ) 2 月 1 8 日 和 歌 山 県下海草郡 日 方 町 の 畑 山忠 右衛 門 ほ か20名 - 226 -.
(11) に よ って, 同 郡日方 町 よ り那賀郡東野上村に いたる区間に 鉄道を敷設し よ う と 計画されたのが野上軽便鉄道である. 「野上軽便鉄道敷設免許申請書」 ならび. に 「野上軽便鉄道敷設免許申請二付意見副申」 は, つ ぎ の と お り である. (1). 軽便鉄道敷設免許申訥書. 今般私 共発起ノ上和歌山県海草郡日方町 ヨリ大野村巽村那賀 郡中野上村 ヲ 経テ束野上村二至)レ区 間二軽便鉄道法二依)レ鉄道 ヲ 敷設シ一般旅客井二貨. 物運輸ノ業 ヲ 営 ミ 度 , 該区 間ハ海草郡那賀郡伊都郡有田郡ノ四郡に 亘)レ貨. 物運輸ノ要路ニ シテ特二物産ノ豊富ナルコ ト 県下有数ノ位 齢 ニ アリ且本鉄 道敷設ノ方ハ 和歌山市日方 町 間二於 ケ ル和歌山水力電気鉄道線二接続 ス)レ. コ ト ヲ 得 )レ ヲ 以テ, 交通上至大ノ便利 ヲ 与 フ )レノ ミ ナ ラ ス物産ノ増殖産業. ノ発述二資ス)レコ ト 亦頗)レ多 大ナリ ト 相信候間御許可相成度閲係害類相添 此段申諮候也. 明治四 十四年二月十八日. 和歌山県海草郡日方町 弐百五拾八番地 畑山. 忠右衛門. ( 以下略). 内 閣総 理大臣侯爵桂太郎 殿 野 上怪便鉄道敷設免許申請二付意見副申. 今回県下海草郡 日方町 ヨリ那賀郡東野上村二達 ス)レ軽便鉄道敷設免許ノ義 野 上軽便鉄道株式会社発起人悔草郡 円 方町 畑山忠右衛門外二十名ヨリ出 願. 候処, 木路 線二殆 ノ ト 並行セル県道 日 方街逍ハ那質郡ノ南祁ナ)レ貴志川沿 ‘. 岸ノ地域及有田郡ノ東部ナル八幡村地方ヨリ悔草郡黒江 町 日方町 二通ス)し. 要路ニ シテ, 其 ノ迎輸交通ノ頻繁ナル県下二於テ他二多 ク見サル所ニ シテ. 那賀郡ノ南部及有田 郡東部二於ケ ル盟露ナル山賄物ハ主 ト シテ本街迅二依 リ黒江 日 方港 ヲ 経由シテ輸出サル 、 現状二候得者, 本願 軽便鉄道開通ノ暁. ニ ハ此等物産ノ輸出二付テハ非常二便宜 ヲ 得)レ ヲ 以テ産業ノ発 達 ヲ 促進シ. - 227 -.
(12) 第 2 表 野上軽便鉄道発起人の性格. り I 受株数 115株 115 115 115 115 115 115 115 115 115 115 115 115 115 115 115 100 115 100 130 115 注). 1.. 2.. 住. 所 l. 海 草 郡 同 同 同 同 同. 那 賀 郡 同 同 海 草 郡 同 同 同 同 同 同 同. 那 賀 郡 西牟婁郡 和歌山市 海 芹 郡. 氏. 名. 畑 山 忠右衛門 清水 与次兵衛 栢爪重次右衛門 小 川 義 鑑 藤 田 徹 与ジ *' 井 上. I. 備. 考. 蝋燭兼山産物傘槙縄問屋 傘問屋. 映 中 尾 博 吉 村 中尾 楠右衛門 田 嶋 長三郎. 青 木 英 一 角 田 宇兵衛 角 田 清兵衛 青 木 彦次郎 忠右衛門 柳. 石倉 正右衛門 出 口 粂之輔 徹 千 田 坂 盛 宣 義. 律 村 紀 陵 井 関 熊之助 (代人)川久保孝和. 漆器商 漆器商 紙荒物乾物商 蛾燭製造業猪竹諸山物商 大地主 大地主. 和歌 山倉庫取締役. 「野」.:;怪便鉄道敷設免許申 請害」 (鉄道省文苫 「野上電気鉄道」) よ り 作成 . 職業につ い て は, 内 尾直二編 「人市輿信録」 (明治44年) な ど に よ る .. 地方経済上有利 ナ )レ事業 l、 認候, 殊 二 和歌 山 水力 電気株式会社 ノ 経営 二 係 ル電気軌道 モ 遠 カ ラ ス 黒江町迄開通可致 筈 二 候得者. 本企業 卜 相依 ッ テ 交. 通運輸 ノ 発達 ヲ 促進可致候而 シ テ 本企業 ノ 為 メ 衰退 ヲ 来 ス ヘ キ 部落 又 ハ 交 通機閑 ハ 更 二 無之義 卜 認飲, 尚 本企業 ノ 発起人 ノ 多数ハ 該地方二 相 当 信用. ト 資産 ヲ 有 ス )レ者ニ シ テ 中 ニ ハ鉄道事業 二 経験 ア )レ モ ノ 有之候得者事業遂. 行 上 二 付 テ ハ 相 当 確 実 卜 認候, 尚又本願 卜 殆 ン ト 同 時 二 困有鉄 逍 和 歌 山 線. 和 歌 山駅 ヨ リ 海草郡 岡 崎村西山東村 ヲ 経 テ 那賀 郡 東野上村 二 達 ス ) レ 山 東 軽. 便 鉄道 ノ 出 願モ 有之別 二 申 請書 ヲ 進達可致候処, 右ハ本願 卜 経過地 ヲ 異二. -228 -.
(13) ス ル モ 那賀郡南部地方及有 田 郡東部地方 ノ 貨物 ヲ 輸 出 セ ン ト ス ル ニ 付 テ ハ 殆 ン ト 同一 目 的 二 有之, 従 テ ニ個 ノ 企業 ヲ 同時二成立セ シ ム )レ ハ 或 ハ 困 難 ナ ル ヘ シ ト ノ 懸念モ有之候得共経過地 ヲ 異 ニ セ ル以上ハ 経営方法 ノ 如何 二 依 リ テ ハ 必 ス シ モ 両立 セ サ ル義 モ 有之候間敷 卜 存候, 而 モ 那賀郡南部及有 田 郡東部地方 ノ 貨物 ヲ 搬 出 ス ル ニ ハ 距離 ノ 短 キ ニ於 テ 輸 出 港 ノ 連絡 二 於 テ 将又商取 引 上 ノ 現状 二於 テ , 本願路線 ノ 方造二 好望 卜 認候間 別 願 山 東軽便 鉄道許否 ノ 如 何 二 係ハ ラ ス 本企業ハ速二御 許可相成度此段意見 副 申 書類進 達候也 明 治四十四年五月 三十一 日 和歌山県知事. 川上. 親晴. 内 閣総理大臣公爵桂太郎殿 野上軽便鉄道 の 計画 は , 資本金20万 円 で , 発起人 は 全 員和 歌 山 県在住者 で あ っ た . 第 2 表 に 示 す ご と < ' 地主 ・ 商業資本家が 中 心で あ り , ま た 発起人 の 内 訳を み る と , 海草郡1 5名 , 那賀郡 4 名 , 西牟婁郡 1 名 , 和歌山市 1 名 で あ り , ま さ に 地方鉄道 た る 特徴 を よ く 示 し て い る の で あ る . な お 同 社 は , 地元の物貨 輸送に 相 当 の ウ エ イ ト を置 い て の 起業 も く ろ みで あ っ た と い え る が, 同 時 に 添 付 さ れ た 「収支概算明細書」 の 貨物賃金 は 過 大す ぎ る の で は な い か と 再調査を 命ぜ ら れ た ほ どで あ る . こ れ に 関 連 し て , 明 治44年 9 月 10 日 付 の 「野上軽便鉄 道敷設 申 請 ノ 件 二 付再調査具 申 」 の 一節 は , 「収支概孵書中 貨物賃金過 大 ナ ル ガ如 シ ト ノ 点ハ 該 当 地方 ノ 貨物 ハ椋欄皮粽欄縄柑橘木材薪炭等皆嵩高キ 物 ノ ミ ニ付, 自 然賃金 モ 高 キ ヲ 免 レ ス 現二 該鉄道敷設セ ン ト ス )レハ線路終点 タ ル那賀 郡 東野上村 ヨ リ 起点 タ ル海草郡 日 方町 二 至 ル荷車 ヲ 以 テ 運搬 ス )レ前記 ノ 貨物賃 金ハ壱貫二付壱銭 ヲ 要 シ , 即 チ ー噸二付弐 円 七拾銭強 二 当 リ 尚 清酒 ノ 如 キ ハ ー 噸 二付三円五拾 銭 ヲ 要 シ 候 故 二 決 シ テ 過 大 ナ ル賃金二無之 卜 相 信 シ 候」 (2) と 述 べて い る が, 同 社の性格 を よ く 示 す も の と い え よ う . と こ ろ で 野上軽便鉄道 は , 明 治44年1 1 月 10 日 付で 仮免許状を下付 さ れ たが, - 229 -.
(14) その後45 年 5 月8 日には, 「 当社創設ノ際 諸般ノ調査井二線路実測二就テ土地. ノ状況上出来得)レ限 リ 耕作物ノ損害ヲ避 ケ ントス)レノ顧慮ヨ リ 実測二当テ案外 日子ヲ要シ居候」. (3). と の理 由 で, 軽便鉄道 法第 3 条に定められた認可申請 期 限. を遵守できないこ と を嘆願し, 半年間の延期願を提出している . これは認めら. れると こ ろ と なったが, その後も引き続き認可申請 期限延長許可の出願をくり 返したため, 営業開始はかなり後 日にもちこ さ れたのである. すなわ ち大正 4 年 1 月に和歌山水力電気会社の協力でようやく建設工事に着手し, 同 5 年 2 月. に 日方 • 紀伊野上間が開通したのであった . このように開業にいたるまでの期. 間が長かったため, この間発 起人の脱退 ・ 追加などが相い ついだのも同社の特. 徴 と いえよう. さ らに開業に先立って, 当 初認可をうけた蒸気鉄道を電気鉄道. に変更したことにも注 目 しておきたい.. その後同社は, 大正11 年 7 月に, 沿線の産業振興のため, 東 野上村から神 野. 市場にいたる 4 マ イ ル 30 チ ェ. ー. ンの 線路延長を願い出た .. 「地方鉄道 線路延長敷設 免許申請意見副申」 による と ,. 和歌山県知事名の. 「 本終点神 野市場ハ那. 賀, 有 田 両郡ノ山村部落 ヨ リ 産出ス)レ貨物ノ集散地ニ シテ, 旧 高野街道ノ要路 二当 リ 目 下旅客ハ人力車二貨物ハ牛馬車又ハ荷車ニテ輸送シ ッ ヽ アルモ, 常 ニ. 貨物ノ停滞ヲ見ルノ状態二付野上軽便鉄道株式会社ハ線路ヲ延長シ之二伴 フ 経. 費四十万円ハ増資ス)レモノ」 (4) であるこ と が明らかに さ れている . そして, 同. 年10月16日免許をえたが,. 「 実測二 日時ヲ要シ」 たなどの理由で, 工事施行認. 可申請 期 限の延期をくり 返したため,. いったん 大木以降の免許は 失効 と なっ. た. 野上 ・ 大木間も, 「意外ノ難工事続出シ,. 工事予期ノ如ク進捗セサル」. (5). と. いう状態であったが, 昭 和 3 年 (19 28) 3 月29 日 に野上 • 生石 口 (現登 山 口 ). 間の開業にこぎ つけるこ と ができたのである (6) . しかし, 当 時経済界不況の折. で, 「緊縮政 策ノ宣伝二依 リ ー層沈哀ヲ極メ 為二当社沿線主要物産タル椋椙業 二影響シ, 貨物収入二於テ幾分ノ減少ヲ来タシタルト, 旅客収入二於テハ本年. - 230 -.
(15) 三月 当 社線二沿 ヒ 日方, 野上両町間ノ乗合 自 動車ノ営業 ヲ 開始 ス)レ モ ノニ者相 次デ現ハ レ, 乗客ノ争奪甚ダシ ク之 力 為乗客激 減 ジ 」 , (7). と 同 社の 業綬は振は. なかった .. (2 ). 野上電気鉄道 の 経 営 状態. 昭和3年 9 月 同 社は, く, 新規開業後,. 社名を 野上電気鉄道 と 改称したが,. 右に述べ た ご と. 野上の 社線 と 併行して 自 動車営業を開始する 2 社が出現し. た. そ こで翌4年3月 には, 営業政策上, 同 社も 自 動車兼営をもくろみ, 電車 の減収に対処しよう と した。 「 自 動車運輸兼業認可 申 請書」 は, つ ぎの と おり である (8) . 庶第一五号 自 動車運輸兼業認可 申 諮書 昭和四年参月 拾 四 日 野上電気鉄道株式会 社 取締役 社長 鉄道大 臣. 津村 紀 陵. @. 小川 平吉殿. 大正五年弐月 当 社二於テ乗客貨物迎輸 ヲ 開始致シ候, 当 時ハ沿線野上方面 ハ商工未ダ盛 ン ナラズ僅カニ山産物ノ 加 工 ヲ 農業ノ副業トス)レ微 々 タルモ ノニテ, 当 時客貨収入ハー 日平掏六十円内 外ニテ政府ノ補助 ヲ 仰ギナガラ 経営難 卜 戦フ事十数年, 其ノ間沿線二散在 ス)レ各村落 モ順 次鉄道 ヲ 利用シ 商工業盛 ントナ リ 幸 ヒ ニシテ近来辛 ジ テ相 当 ノ成績 ヲ 持続 スルニ至 リ シカ バ, 一昨日野上 ヨ リ 生石 ロ マ デノ新線 ヲ 開業 卜 仝時二時間短縮シ地方ノ発 展二添 ヒ 幸 ヒ 現今 ニ テハ沿線客貨運輸二何等ノ不都合 ヲ 感 ズ)レ事ナ ク鉄道 本来ノ使命 ヲ 果シ ツ 、 ア リ ト考ヘラ レ 候, 折柄 当 会 社線 卜 併行二地方庁ノ 許可 ヲ 受ケ 客月 ヨ リ ニ会 社ニテ七台ノ 日 動車 ヲ 運転シ旅客ノ輸送 ヲ 開始セ シ為旅客 ヲ 該 自 動車二吸収セラ レ, 此檻放任セバ 当 会 社二受 クル影智不紗 到底現状維持 困難二付, 之 レ ガ善後策トシテ当 社二於テモ 自 動車ノ兼営 ヲ. - 2 31 -.
(16) 開 始 シ 之レヨリ得)レ利益ヲ電車減収ノ補槌二充テ度候二付, 事情御賢察ノ 上旅客自動車運輸兼業ノ義御許可相 成リ度, 別紙建設予算書井二営業収支 概算書相添へ 此段奉願候也. 同社は, さ きの社名改称に と もなう 定款変更で, 自 動市迎輸業の規定を新 た. に 設けていたが, 右の計画は日方 町 ・ 神野市場間延長11 マ イ ルの区間であり, 興業費は自動車 8 台分な ど 2 万2 ,65 5 円 で,. こ と とさ れた. (. 9) .. 資金は,. すべて借入金でまかなう. 昭 和 8 年ごろの状況をみる と , 野上電気鉄道は河南乗合 自 動. 車 の開業に よ っ て少なからぬ打撃をうけたが, まもな く 該社の 営業権を収得 し, 現状を打開したよう である (10) .. 再び同社の 祖鉄部門に 目を転 じ る と ,. 右の動きに 先だち,. 昭和 2 年 2 月に. は, 「当 地方ノ交通ハ最近 非常ナル発達ヲ遂ゲ 今 ヤ 政府事業タル 紀勢線ノ延長. ハ年ヲ追 フ テ南 進 シ 京阪電気鉄道亦近ク当社線井 ビニ紀勢線 日 方 町 駅二辿絡セ ント シ 既二土地ノ収用ヲ終リタル有様二候, 此ノ際二当リ当 社ノ高野線延長ハ 極メテ有利ナ)レ立場トナリタルノ ミ ナラズ時迎ノ進展ハ其必要二辿ラレ ッ ヽ ア. ル次第二候, 数年前ハ政府ノ補助ヲ受 ケ タル当社モ幸ニシ テ近年著 シ キ発達ヲ 遂ゲ沿線ノ事梢亦現状二甘ズ )レヲ許ササ)レ状態卜相 成候一度延長ノ声ヲ聞クヤ. 沿線ノ住民ハ挙ツテ土地ノ無償提供ヲ巾 出ツ)レ有様二候, 尤モ之レニ ョ ッ テ高 野山ヲ初 メ沿線地方ハ勿論ノ事有田 郡ノ東部地方ノ林業ノ発達ハ実二予想以上. ノモノト信 ジ」. (11). '. 裔野山延長線路敷設を願 い 出ている .. しかし .. 「 本区問ハ. 地勢上工事困難ニシ テ多額ノ建設資金ヲ要 シ , 営業ハ到底収支償ハサルモノト 認メラル ヽ ニ依リ」 02) , こ の願いは却下さ れてしま っ たのである . また生石口以降の区間延長は, 昭 和 3 年 2 月に 再び免許をえる とこ ろ と な っ たが, 工事難に 加えて, 不況の影幣 お よび資金難のため, そ の実現は容易では. なか っ た. すなわ ち同線路延長は, 何良も工事竣工期限の延長 申 請を余儀なく さ れたのであるが,. た と えば10 年 5 月段階の 申 請に 対する 総 務課 所見をみる. と , そ の事愉は, こ う である ( 1 3) •. - 2 32 -.
(17) 本鉄道ハ 日方生石口間僅力十一粁四分ノ短距離ニシテ沿線ニハ貨客誘 致上 特殊ノ施設モ無ク業績頗ル不振二陥リ最近補助金ノ交付ニ ョ ッ テ漸ク経営 ヲ 維持スルノ現状二在リ. 然ルニ本鉄道ノ沿線ニハ年額百二十万円以上二上)レ粽欄ノ搬出アルモ (胄靡. 竺謄各悶) 省線連絡ナキ為貨車ノ直通不可能二褐サレ其ノ殆ン ド 大部分ハ 自 動車二奪ハレ折角 ノ貨物モ本鉄道 ヲ 窟 ホ スニ至ラズ経営上特ニー考 ヲ 要 ス)レモノアリ, 而シテ 日方駅ノ連絡設計ニハ多少ノ建設般 ヲ 要スルト雖モ. (野尉靡)同社ノ業績振興上又 一面交通機 開 ノ統制二鑑ミ 其ノ実施ハ最必要 ナル コ ト ヽ 認メラル ヽ ヲ 以テ当局二於テモ何等カノ機会二於テ之ガ促進 ヲ. 慾憑 ス)レ要アランカ. こうした点は , まさに地 方 中 小 鉄道たる野上電気鉄道の もつ宿命といえるか も 知れない . ば,. 同社の業績は 芳しくなく,. 昭 和12年 (19 37) 3 月の資料に よれ. 「壱ケ年収入二於テ好景気時代拾弐万円以上タルハ 仝拾年末二八 万三千円. (低). 二底落 シ 同拾壱年末二於テハ八万阻千 円 二向上セシガ斯クノ如キ僅少ノ増率シ 力 過 ギザ)レ現 状 ナ ルガ故二再輿ノ期前途遼遠ナル事 ヲ 袋応シ」 ため同社は, 債権者に窮状を訴え,. (14). '. とある . この. 「惜入金利年六分五厘 卜 有)レ ヲ ニ分五厘ノ. 最底二 引 下 ゲ」 の措置をうけ, また昭 和 9 年度 から約1 万6 ,000 円の 政 府補助 金の交付をえている . さ らに 日本腿業銀行との契約に 基づき, 5 カ年計画で負 債賂理の 義務を 遂行して いくことになり ,. る. (15). .. 実施」. 経営の 合理化を はかったので あ. この結果, 再建 2 年目の昭 和11年下半期の決算では , 「弐分五厘配当ノ. (16). をすることができたという .. しかし,. 生石 口 以降の延長線路は, つ. いに 完成に いたらなかった. 注. (1) 「野上軽便鉄道敷設免許申請因」 「 野上軽便鉄道敷設免許申請二付意見副 申」 (鉄道省 文古 「野上電気鉄道」).. (2) 「 野上軽便鉄道敷設 申 請 ノ 件二付再澗査具申 」 ( 同 上). - 2 33 -.
(18) (3) 「軽便鉄道法第三条二依)レ認可 申 請延期願」 ( 同上) .. (4) 「地方鉄道線路延長敷設免許申請意見副 申 」 ( 同 上) .. (5) 「野上軽便鉄道(嬰ま) 間工事竣功期限延期 ノ 件」 ( 同上) .. (6). 「野上電気鉄道株式会社昭和 2 年下期営業報告書」 ( 日 本国有鉄道中央鉄道学園所蔵,. (7). 「野上電気鉄道株式会社昭和 4 年上半期営業報告害」 ( 昭和 4 午10月 ) .. (9). 「 自 動車運輸業兼営 ノ 件」 「 自 動車建設予算害」 ( 同上) .. (8). 昭和 3 年 4 月 ) .. 「 自 動車運輸兼業認可申請書」 ( 前掲鉄道省文書) .. (10) 「野上電気鉄道株式会社第44回営業報告書」 ( 昭和 8 年 4 月 ) . (11) 「高野山延長線路敷設免許申 請書」 (前掲鉄道省文書:) . 02) 同上.. (13) 「野上電気鉄道翡届証間工事竣功期限延期 ノ 件」 ( 同上) . 04) 「延長工事竣功期限延期許可 申請」 (同上). (15). 同上.. 06) 「野上電気鉄道株式会社第48回営業報告書」 ( 昭和 12年 4 月 ) .. 4 (1). 有 田 軽便鉄道の展開. 有 田 軽便鉄道 の 開業. 有 田軽便 鉄道は,. (1911) 5 月 3. 日 清戦争後 に も 計画 の あ っ た 路線で あ る が ,. 明 治44年. 日 新 た に 資本金 40 万 円 で 有 川 郡湯浅町の 堂野前種松 ほ か に よ っ. て も く ろ ま れた も ので あ る .. つ. ぎ に 「 有 田 軽便鉄道敷設免 許 申 請書」 な ら び に. 「 有 田 軽便鉄道敷設免許 申 請 二 付意見上 申 」 を 掲 げ て お こ う. (I). .. 有 田 軽便鉄道敷設 免 許 申 請書. 今般我等発起人 ト ナ リ 和歌 山県有 田 郡湯浅町大字湯浅広港海岸字北町衰 ヲ. 起点 ト シ 仝郡藤並村大字水尻仝村大字明 王寺仝村大字小島仝村大字下津野. 仝郡 御霊村大字仝村大字徳 田 仝郡鳥屋城村大字金屋仝村大字 中 井原 ヲ 経テ. 仝村大字長谷川 二 至 )レ延長七哩間専用 軌道敷二 軽便鉄道法ニ ヨ )レ鉄道 ヲ 敷 設 シ , 一般旅客貨物 ノ 運輸 ヲ 営 ミ 度候二付, 御詮議 ノ 上速二 御 許可相成度. - 2 34 -.
(19) 此段関係図書相添へ 申 訥候也 明 治 四拾四年五月 三 LI 打 田 軽便鉄道株式会社創立発起人総代 堂野前. 種松. 内 閣総理大 臣公 爵桂太郎殿 有 田 軽使鉄迅敷設免許 J ! l 訥二 付意見上 申 今回県下有 田 郡湯浅町ヨリ 仝郡鳥屋村大字長谷 川 二 達 ス )レ軽便鉄道敷設免 許ノ義湯浅町堂野前種松外五十五名ヨリ 出願候処, 右敷設出願路線ノ起点 ナル湯浅町ハ郡 内 ノ主邑ニシテ仮定県道熊野街道 二 接シ陸上ノ交通利便ナ ル而已 ナラス 湯浅港 ハ 県下ノ視甜津中枢要ノ部 二 属 ス ヘキ場所ナ)レ ヲ 以テ船 舶貨物ノ出入頗)レ頻繁 ニ シテ尚業亦股盛 ヲ 極ム)レノ土地 二有之又仝路線 中 鳥屋城村大字金屋ハ 仝郡ノ中央部 二位シ仮定県道保田街道 二 接シ有 田 川 二 沿 ヒ 交通上ノ要部 ヲ 占 メ , 古来ヨリ 貨物集散ノ地 二 有之候而テ当地方 ハ 本 県ノ特産ナ)レ柑橘ノ主産地ナル ヲ 以テ年々 ノ出荷頗)レ多量 二 有之是等貨物 ハ総テ湯浅港及有 田 港 ( 有 田 川 口 ) ノニ港二 於テ輸出セラ レ 居候, 然)レニ 有 田 港 ハ 有 田 川 ノ水迎 ヲ 併用シ交通最モ利便ナルカ如 クニ有之候ヘトモ, 仝河 ロ ハ 常 二 閂洲 ヲ 以テ閉塞セラ レ 漂砂ノ移動極 マ リ ナ ク為二航路一定不 致船舶ノ出入甚 夕 不安二有之随テ多数ノ貨物 ヲ 収棗 ス )レ コ トハ到底不 可能 二 有之候, 之二反シ湯浅港 ハ之 ヲ 良港 卜 称シ難 ク候ヘトモ斯 力 )レ危険無之 候間仝郡二於ケ ル輸出入ノ貨物ハ主 ト シテ同 港 二 於テ呑吐セラル ヽ ノ盛況 ヲ 呈シ候現今ノ運輸状況如斯 二 有之候, 今後本企業ニシテ成業シ陸上交通 機関ノ完備 ヲ 見)レニ至リ 候ヘハ, 益 々 迎輸交通ノ便 ヲ 増シ労力資金ノ減少 ハ 自 カラ生産カ ヲ 豊富ナラシメ 産業ノ発達 ヲ 促進 ス ヘキハ 疑 ヲ 容 レ サル所 二 有之地方経済上有利ノ事業タルハ 論 ヲ 侯タサ)レ所 二有之候又本鉄道敷設 ノ暁ハ 有 田 港 二 搬出 ス )レ貨物 ヲ 減シ箕島町二影智 ヲ 及ホ ス ハ到底免カル能 ハ サル コ ト ヽ 存候 ヘ ト モ, 是等交通上ノ変遷ハ楚二不得止次第 二 有之候 尚. - 235 -.
(20) 又本企業ノ発起人ハ大資産ヲ有ス)レ者少ナク多クハ中 産者二有 之 候 ヘ ト. モ, 其ノ企業ハ酋二有望ノ事業ナル而已ナラス同地方ノ発展上唯一ノ事業 (功). 二有之候間, 地方有力者ハ一 致協力恋テ其 ノ 成効ヲ期スル覚悟可有之 卜 存. 候随テ成業ハ確実ナルヘ シ ト 存候二付免許ヲ与 ヘ ラレ度 関係書類進達此段 意見上申 候也. 和歌山県知事. 明 治 四 十四 年九月九 日. 川村. 竹治. 内閣総 理大臣侯爵西園寺公望 殿. 右から明 らかなように , 有 田 軽便鉄迅は紀州蜜柑など物産の輸送を便ならし. めようと の構想で計画 さ れた も のである . 発起人56名のうち53名までが県下有 田 郡在住者であったこ と は, こ うした事情を物語る も のにほかならな い であろ. ぅ . 同時に添付 さ れた 「 収入支 出 予 算説明也」をみて も , 収入総額 9 万 6, 478. 円 余のうち, 貨物収入 と 旅客収入 と の比率は約 7 対 3 と 予想さ れてい たのであ. る (2) .. こ うした事情は, 「同社発起趣意書」 に さ らに 詳しく述べられてい. る . 長文ではあるが, 沿線の概況 も 説明さ れてい るから, つぎに 引用 しておこ つ. - (3). 発起趣意書 一国ノ文野貧富強弱ノ岐力)レ)レ所以ハー ニ交通機脚 ノ整否二是レ依ル宜ナ. リ今 ヤ 我 国力大発展ノ隆 運二遭遇 シ 官民一致之 ガ整備 卜 速進ヲ促 スノ状急. 且切ニシ テ殊二都部一般電機軌道及軽便鉄道ノ敷設ヲ計画シ 唯 一 日 モ後)レ ルヲ恐)レルノ観アリ. 独リ怪 ム 物産ノ豊富, 土地ノ肥沃, 人 ロ ノ密度等総テ他郡市二譲ラザ)レ我. 郡ニシ テ陸上未ダ嘗テーノ文明 的交通機 関 ノ備ヘ アルコ ト ナク物資ノ運輸. 彼 此ノ交通今モ尚古二変ラザル不便ヲ忍ヒ不脈ノ賃銭ヲ仕払 ヒ ッ ツア ルハ. 何 ゾ ヤ , 是レー ハ郡民一般天与ノ恵沢二依リ絶テ生活ノ困 難ヲ感 ゼザルニ. 職由セルナラ ン モ生存競争ノ激浪怒満ハ何レノ山間僻諏ニモ襲来 シ 桃原爾 - 236 -.
(21) 裡ノ安眠ヲ許サザ)レノ日ハ遠キニ非ルベシ, 之ヲ本郡特産ノ柑橘 二看ヨ有 田 蜜 柑ノ名 声ハ 古 ク ヨ リ 海ノ 内 外ヲ問ハ ズ 一般市場二歓迎セラ)レルニ拘ラ ズ近時静岡蜜柑ノ産額俄 二 激増シ現今 二於テ ス ラ紀州蜜柑ノ本場 タ ル有 田 蜜柑ヲ艇倒セ ン ト シ数年ノ後ハ其産額我二倍加 ス )レノ勢ヲ示セ リ , 是 レ全 ク 彼ノ産物ハ交通機殷lノ利使二依 リ 束直市垢ノ需要 二 応 ズ レ バ ナ リ , 之二 依テ之ヲ推セハ我郡交通機関ノ設備, 実二焦届 ノ急 ニシテ之ガ挫否ハ将来 我郡ノ貧宮文野ノ分岐ス )レ椋的ニシテ誠二 以テ我郡ノ死活 問題ナ リ 是我盟 ノ有 田 軽便鉄道敷設ノ急ヲ絶叫 ス )レ所以ナ リ 這般敷設特許 申 請ヲ仰グニ立チ 至 リ タ ル本鉄道ハ線路ノ延長僅 二七哩二過 キ ズ ト 雖モ起点褐浅港ハ県下枢要ノ良継ニシテ大阪鹿船株式会社及紀伊組 汽船会社定期航海汽船寄港 ス レ ア リ 且 ツ 近時別 二 楊浅和歌浦間二 日二ニ回 ノ定期航海汽船ノ往復 ス )レ ア リ , 有名ナル湯浅醤油ハ此地二醸造セラ レ 湾 内 ニハ刈藻嶋, 脱 島, 黒島, 毛無揺 ア リ テ船舶ノ風浪ヲ避 ク ルニ適シ潮ノ 満干差僅二五尺 二 過 ギ ズ 浩ノ中央 二 弁 天ノ浜 ア リ , 港ノ南 白 砂青松ノ間二 浜 口 梧 陵翁ノ創設セル耐久中学校 ア リ , 港ノ北方栖 原 二 明恵上人1日蹟ノ施 無畏寺 ア リ テ詩伯菊地海荘ハ此地 二 生 )レ沿浅ノ東方ニハ後 白 川 天皇勅願所 鮨願寺ノ古蹟ヲ始メ 広城湯浅城ノ 旧 趾 ア リ 線路二沿フ藤並村ニハ宗祇法師 ノ誕生地, 田殿村ノ大師 山, 御霊村ノ大乗封 ア リ , 終点長谷川 附近ニハ鮎 瀧次 ノ 瀧鳥屋城趾等名 勝 旧 跡枚挙 二 退 ア ラズ郡ノ東部 山岳重悦シ諸村落ノ 殖林事業ハ年ヲ逐フテ進 ミ 線路 二 沿フ山岳丘 陵ハ覇目皆蜜柑樹林ナラサ)レ ハ ナシー 朝本鉄道 開通ノ暁等ニハ此ノ名 )I券 1日賊ハ噛 ク 世上二紹介セラルベ ク , 車中二 安坐シテ蜜柑果熟ノ候ニハ宝彩赫 々 ト シテ朝嗽モ影ヲ譲 レ リ ノ 有様 卜 生石 峰淡粧濃沫両 々 相宜シノ雪景ヲ‘貨 ス )レモ無限ノ興 趣 ア )レベシ 要 ス )レニ本郡ノ大部分ハ此ノ線路 二 依 リ 低姫ナル迎賃ヲ以テ物資ノ輸 出 入 及交通ノ便益ヲ得 ベ ク 追サ レ タ ル無限ノ宮 限モ此線路二依 リ テ開発セラル ベシ. - 23 7 -.
(22) 之二依テ之ヲ観レバ本鉄道ハ 実二是レ本郡鉄道ノ幹線ニ シ テ漸次之ヲ各要 地二延長 シ 他 日 他郡市ノ交通機関二辿絡 シ物産ヲ増 加 シ 人智ヲ開発シ本郡 特産ノ柑橘ヲ シ テ常二市場二先鞭ヲ着ナ シ メ 大二我郡ノ福利ヲ増進セ ン ト ス , 是我茄ノ本鉄道敷設ヲ発企計画スルノ素志ナ リ 仰キ 翼 クハ 大方ノ士君 子幸二吾輩ノ挙ヲ賛 同 シ タマ ヒ ー 日 モ早 ク本鉄道ヲ シ テ開通ノ運二至 ラ シ メ ラ レ ン コ トヲ 発. 起. 主. 唱. 者. 有 田 軽便鉄道の免許状は, 明治 45年3月 9 日 付で下付された . 延長7マ イ )レ の工事は 2 期に分けて施行することとした. 第 1 期線 6 マ イ ルは湯浅町大字湯 浅海岸から徳 田 に い たる線路であり , 第 2 期線 1 マ イ ルは金屋橋から鳥屋城村 の う ち 長谷 川 にいたる線路であった . その後大正2年 3月 1 日 に資本金を25万 円に変更する 旨の申請をしたが, このほか同年3月 4 日 には線路延長出願を行 なっている. 後 日 提出された 「線路延長出願理 由並陳情書」 は, 当 時の県下鉄 道敷設構想の一端をも明示しており, 興味深い 好資料と思われるから, つ ぎ に 大要を引 用 しておこ う. (4. ) .. 線路延長出願理由並 陳情書 我有 田 郡ハ南紀ノ僻諏二 、ン テ交通ノ不便実二甚敷軽便鉄道布設ノ必要ハ目 下ノ急務二属 シ 私共之 ガ計画ヲ主唱セ シ ヨ リ , 既二四 星霜一昨年三月 漸 ク (針). 有 田 軽便鉄道布設ノ許可ヲ得爾来株式募集中我政府ノ財政緊縮方斜ハ地方 企業界ニー大打撃ヲ 加 ヘ ラ レ候際私共具二千辛二堪へ 万苦ヲ凌ギ本年二月 十七 日 有 田 軽便鉄道株式会 社ノ設立ヲ見)レニ至 レ リ , 勿論該株式募集中モ (既). 弊 社ノ 己得権利二属 ス)レ軽便鉄道布設僅二七哩二過ギ ズ 故ヲ以テ他 日 大二 延長発展ヲ理由 ト シ株主モ其希塑ヲ以テ応募セル次第ニテ, 去)レ本年二月 十七 日 創立総会二於テ満場一致ヲ以テ線路延長 決議ヲ為 シ タル次第二有之 候テ, 明治 四十五年五月 頃 ヨ リ 弊社技師長ヲ シ テ 予 メ 延長線路ノ予測ヲ為 サ シ メ 置 キタル事二有之候, 当 時我県二於テ紀勢鉄道同 盟会ナルモノア リ. - 238 -.
(23) テ該線路ノ予定線二向 テ軽鉄出願ヲナサザルノ決議ヲナシタル事モ有之加 フ ルニ県ハ県営鉄道布設ノ計画ヲ立テ一般 出願者二対シテハ願害ヲ受 理セ. ラレザ)レノ御方針二有之候, 而シテ未タ一般 二県営鉄道中止ノ御明示モ無. 之候故私 共県ノ御意志二随ヒ之 ガ出願ヲ見合居候際突然今般紀南軽便鉄道 (ママ). ト 称シ上山市郎兵衛外数数名ノ者 ヨ リ和歌山市駅 ヨ リ有 田 郡湯浅町 二達 ス. ル軽便鉄道布設ノ特許出願相成夕 )レ趣洩レ聞キ, 早速県庁二出頭シ聞 合セ 候処当局ハ 該願書ヲ進達シタルハ 事実ナルモ願書ノ内容ハ 一 切御秘密二付. セラレ我有 田 軽便鉄道許可線卜如 何二併行シテ湯浅町 二達 ス)レヤ モ窺 ヒ知. ルベ カラズ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 中 略 ) ・ ・ · …. 風聞二承レバ紀南軽便鉄道発起者ハ 和歌山市 ヨ リ有 田 郡二至リ箕嶋町 ヨ リ. 有 田 川 ノ北岸ヲ逆行シ同郡熊井 ヨ リ折レテ湯浅 町 ノ終点二至ラン ト ス)レモ. ノナリ ト , 果シテ爾ラバ弊社許可線 卜鋏形併行ヲナスモノニシテ弊社許可. 線ノ収入全部ヲ奪ヒ去ラル)レノ恐有之候, 該併行線二向テハ 特二御審査ヲ. 仰ギ度候伏シテ翼クハ 己設会社二対ス)レ優先事業ノ御保護相 仰度 , 去本年. 三月四 日付ヲ以テ県知事二対シ既定ノ線路延長出願ヲ為シ置キ候, 右願書. 御受 理ノ上 ハ 前述ノ実情御憐察御詮議相成度奉懇願候也 大正弐年三月二十四日. 和歌山県 有 田 軽便鉄道株式会社 社長取締役. 堂野前. 種松. 内閣総理大臣伯 爵山本権兵衛殿. しかるに, 有 田 軽便鉄道の 線路延長出願は, 「紀南及紀伊両軽便鉄道出願線. ノ 部卜併行シ詮議相 成モノ ト 認ム 」,とのことで却下さ れた 一. 2 年 ( 1913) 5 月1 4 日の臨 時株主総 会にお い て,. (5). .. かくして大正. 「大字楊浅ヲ起点 ト シノ次二. (藤並村御霊村ヲ経テ 仝県仝郡鳥屋城村大字長谷川 二至ル). ト ア)レヲ ( 田 栖 川. 村藤並村 田殿村ヲ経テ仝県仝郡御霊村大字徳 田 二至)レ) 卜変更ス 」と線路縮小. の決議がな さ れたようである (り なお 社名を, 同年6月11 日 付で有 田鉄道と改 - 239 -.
(24) 称す る 件 は 認可 さ れ,. ま た 同 時 に 工事竣工 の 件 も 認可の 迎 び と な っ た .. しか. し , 第 1 次世界大戦 の 勃発 に よ る 経済界の影響 も あ っ て 「工事竣工期 限延期 申. 訥」 を く り 返 し た た め ,. そ の 営業 開 始 は 大正 4 年 5 月 に も ち こ さ れた の で あ. る . こ れ は全線の う ち 海岸. ・. 開業 し た .. 下津野間で あ り ,. な お 同段階 に お け る 同 社 の 重要株 主 は , 第. 5 年 6 月 に 下津野 • 金屋 口 間 が. 3 表の ご と. く で あ る . 同 社 の 基盤. は , や は り 沿線 の 地域社会 の住民で あ っ た こ と が看取 さ れ る . こ れ は 局地鉄道. に 共通す る 特徽 と い え よ う .. 数 I 住. 600株 550. 360 214 175 165 130 125 115 100 100 100 100 100 100 100 100. 注). 100 100 100 100. 1. 2,. 所. 金 沢 市 和歌山市. 有 田 郡 同 同 同 同. 和歌山市 有 出 郡 大 阪 市 有 田 郡 同 同 同 同 和歌山市. I. 氏. 名. 佐々木 三 六 南 楠 太 郎 川 口 弥兵衛 山下 太左衛門 岡 綺 密 雄 侑 吉 束 岩 崎 稲之助 竹 中 i原 助 平 松 熊次郎 市 川 誠 次 浜 口 吉右衛門 堀 田 孫三郎. I. り1/j. 考. 株. 第 3 表 有出 鉄道の重要株主 (大正 6 年 3 月 ). 和歌山商業会議所特別議員, 和歌山紡絨 社長 大地主. 綿糸綿布荊, 大地主, 和歌山紡績取締役 日 本窒素肥料常務取締役, 大嶺無煙炭砿 取締役 大地主, 浜 口 合名 代表社員. 加 納 恒 楠 川 口 栄 蔵 高 垣 友 七 高 橋 亀太郎 中東七九郎 有 田 郡 親権者中東七郎兵衛 山下勉 同 親権者山下太左衛門 同 山 下 定 市 同 宮芝 善右衛門 東諦 同 親権者東 亀吉 「有田 鉄道株式会社第 9 回営業報告書」 よ り 作成 . 職業につ い て は, 内尾直二編 「人事興信録」 (大正 7 年) な ど に よ る .. -240 -.
(25) (2). 有 田 鉄道の経営状態. つぎにその後の同社の営業状況を瞥見して おこ う. まず大正 13 年 ( 1924). ごろには,. 関東大震災後の財界不況の余波をうけたが,. それに加えて, 「 紀勢. 鉄道西線開通後ハ 湯浅港二於ケ ル汽船ノ乗降客激 減 シ タル結果著 シ ク其ノ影孵. ヲ被リ」 (7) ' また 「 紀努西線開通ノ結果短距離ナル沿線二於テ自動車, 併二牛馬 車ノ増加シ タル結果二依リ」. (8). '. 迎輸収入は大きく減少して い る . さ らに15 年 8. 月には紀勢西線紀伊宮原 • 藤並間の営業開始にと も ない, 同社は省線と連絡運. 輸を脱始したが, 「八月省 線紀伊楊浅駅 開通二依リ 殆ン ド 旅客貨物ノ全部同駅. 二移リ社線湯浅駅ハ非常ノ打撃ヲ蒙リ収入ノ激減ヲ見)レニ至レリ, 加之藤並以 東二於ケ ル学生モ多クハ省線ヲ利用 ス)レニ平 レルハ誠二迫憾ナリ ト ス」 (9) ' と い. う状態であっ た .. また昭和9 年には, 「旅客迎貨従来ノ ー 粁二付参銭四匝二毛 ハ 現今粕高キ感. アリ, 之ヲ参銭壱厘二又藤並湯浅間ハ 省線巡貨二比 シ 参 銭ノ差ア)レヲ以テ此区 間ヲ特定運賃 ト シ テ省線 卜同額二引下ゲ四月 十五日ヨリ実施」 したが, その後 (菩). 「定期券二於テ 増加セルモ 一般的不況卜他社日 動車ノ彩況ニヨリ 六月迄ハ著 シ キ減収ヲ見タリ」, と い う状態が続いた ト シ テ御霊村大字 徳田,. (10). •. こ のため, 翌10 年には .. 附甜事業. J為屋城村大字小川字吉田問二自動車運輸ヲ開始」. ( 1 1). す. るな ど, 新 たな対応をみせた . しかし, 兼営自動車辿輸事業も必ず しも1狼調で はなか っ た.. なお 鉄道部門では, 交 通 量減少のため, 昭 和 9 年 2 月以降, 海岸 • 湯浅間の. つい にその廃止を 申請するに い た っ 旅客運輸営業を休止して い たが, 13 年 1 2 月 た . その理由害をみると,. 「海岸湯浅間 ハ 昭和九年二月以来旅客貨物営業ヲ休. 止中ノ処海 岸 駅附近二製材工場, 缶詰工場, 自 転車製作工場等新設セラル)レニ 及 ビ線路ノ補修ヲ了 シ本年二月二十日ヨリ貨物営業ヲ開始シ タ)レモ旅客営業ハ. 依然休止ヲ継続シ 来レリ, 其後此等各種工場ノ新設二伴 フ 職工及一般人ノ増加 ニヨリ旅客営業開始ノ希望!モ炒カラザ )レモ未 ダ営業開始ニヨ リ 収支相伯 フ ニ至. -24 1 -.
(26) ラズト考 ヘ ラル)レヲ以テ該区間ノ旅客運輸営業ヲ一時廃止致度キ次第ナリ」. (12). ,. と あ る. 海 岸 駅付近に は各種の工場が新設 さ れたので貨物営業は開始したもの の, 旅客営業の方は収支 相 償わ ぬため廃止に ふみきったのであ る. 最後に ,. 戦前 昭和期段階の 動向の中で 指摘して お きたい 点は,. 昭和 15 年. ( 19 40 ) 年以 降, 数回に わ たって政府当局に蒸気機閥 車の払下 げを願 い 出てい る. こ と であ る. 企業基盤の弱 い 地方中小鉄道が省有蒸気機関車の払下 げ を うけ,. 修理のうえ使 用 する と い う バタ ー ン であ るが, 同社は, 1 9 年 2 月に も同様の陳 情を行なってい る.すなわ ち,. そ の一節 を みると, 「近年貨物ハ逐次激増シ且. ツ 大東亜戦完遂 上軍需資材並二生活必需物ノ輸送増大シ終点 駅金屋 口ニハ常ニ 六 , 七百噸二及プ滞貨山積シ而カモ頃者和歌山県林材会社ニテハ金屋ロヨリ木. 材拾万石主トシテ軍需資材ノ輸送計画アリ, 之レカ輸送二当リテハ現有車輌ヲ. -00!彩 二使用 ノ計画ヲ研究セルモ到底現在所有ノ機閑車ニテハ輸送ノ責ヲ全. フ スルハ能ハザルノミ ナラズ且 ツ 旅客輸送二代燃車ヲ使用セルタメニ故障頻出. シ之レガ修理二当リテモ資材入手難等ニテ不得止機関車二依リ索引 ス)レノ外ナ ク,. 如此事然レ ド モ 時局柄新車ノ建造ハ 戦局ノ関 係上如 何カト 苦慮致シ居リ. 候, 何卒事情御資察賜リ特別ノ御詮談ヲ以テ願意御認容被成下度此段及歎願候 也」 と あ るが. こ れに は, 「右ハ軍需輸送二従事シ ッ ツ ア)レコ トヲ証明 ス 」 と. の横須賀洵軍経理部,. 大阪 師団経理部の証 明 書が添付 さ れていた (13) . ま さに. 時局を反映する一 鞘 と い えよ う . 注. (1) 「有田軽便鉄道敷設免許 申請魯」 「有田軽便鉄道 敷設免許 申 請二付 意見上申」 (鉄道省 文書 「有田鉄道」).. (2) 「収入支 出予邪説明書」 (同上). (3) 「発起趣意瞥」 (同上).. (ti) 「線路延長出願理由並陳情書」(固上). (5) 紀南 • 紀伊両軽便鉄道は, いっ たん免許を うけたが. 紀努線敷設決定に よ り 実現に. いた ら な か っ た. 詳細は. 拙稿 「都市交通史の研究ー一_ 和歌山の市内電車について一. ー」 (「阪南論集」 社会科学編. 第16巻第3 · 4 号, 昭和56年 ) を参照されたい.. -242 -.
(27) (6) 「有田 軽便鉄道延長線敷設願却下 ノ 件」 ( 前掲鉄道省文{l::) . (7) 「有田鉄道株式会社第24回営業報告書」(大正13年 10月). (8) 「有田鉄道株式会社第25回営業報告書」 (大正lM'f- 4 月 ) . (9) 「有旧鉄道株式会社第30回営業報告苫」 (昭和 2 年10月).. UOJ 「有田鉄道株式会社第44回営業報告害」(昭和 9 年10月). U1l 「有田鉄道株式会社第45回営業報告杏」 (昭和10年 4 月 ) .. U2l 「海岸楊浅問旅客運輸営業休止許可申請書」 「理由書」 (前掲鉄道省文術). (13) 「車両御払下二付陳梢」( 同上) . 5. お わ り. に. 以 上, 粗雑な考察であるが, 和歌山 県下の 3 軽便鉄道の推移をみて きた . ぃ. ずれも軽便鉄道ブ ー ム の中で建設 さ れ, 主 と して 沿線地域住民の零細な資金調 達に よって 実現したものであった . 加太 • 野 上両軽便鉄道, さ らに 別稿でみた 山 東軽便鉄道は 沿線の小集落を 和歌山市 と むすびつけ る と ころに 目的があっ. た(. I). .. 有 田 軽便鉄迅も局地鉄道の 1つであり , 紀勢西線の敷設に と もない, 省. 線 と 連絡するに いたった. 野上軽便鉄道のみ, 最初 から電気動力であり , 他は 蒸気列車を迎転した. ただ, 加太軽便鉄道はのちに 電化 さ れた . 同社は, 生誕. 以来, 比較的 良好な業績が続いたが, 戦時 陸運統制 の 過程で南海鉄道に 吸収合 併さ れた. 他の 2 社は業績があがらず , 軽便鉄道の未路を象徴していた . さ ら. に 昭 和 初 期になる と . 自 動車の発達により 鉄道 と 自 動車 の競争が激化し て くる が, その対第上, 3 鉄道 と も 1:1 動車運輸事業を兼営したこ と は 当 時の縮図の 1. つにほかならなかったであろ う .. 要するに . 軽便鉄道 は 鉄道 国 有化以 前の 私設鉄道の ように財閥その他の 中 央. 資本家の投探 はほ と んどみられなかっ た の である . 大都市近 郊 の 鉄道では, 鉄 道資本家. ・. 鉄道経営者 と し て成長する も の もあったが, 地方の軽便鉄道や軌道. ではあまり に も小規校で, かつ利益率が少なく. そこ から鉄道資本家 が育つ余 地はきわ めて少ない ものであった と いえよう .. - 2 43 -.
(28) (1). 注. 和歌山県下の鉄道網の形成について は . 青木栄一 「 日 木の鉄道一京阪神圏 (大阪近郊 の鉄道網の あ ゆ み) 一」 II 大阪南郊 ( 「鉄道 ジ ャ. ー. ナ )レJ 昭和55年) が参考 と な ろ う .. <付記>. 木稿をま と め る に あ た っ て, 巡輸省鉄道監仔局総務課, 日 本国有鉄道中央鉄道学園, 神. 戸大学経営分析文献セ ン タ ー • 和歌山大学紀州経済史文化史研究所お よ び和歌山県知事公 室文化振興課の 各位には大変お世話にな っ た . 付記 し て , 心か ら 謝意を表す る .. - 244 -.
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