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都市ロマンス劇とディケンズの初期小説に関する超ジャンル的研究

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(1)

都市ロマンス劇とディケンズの初期小説に桝する

超ジヤシル的研究

課窺番号17520144

平成17−18年度科学研究費補助金(基準研究(C))

研究成果報告書

平成19年3月

研究代表者 慮、′・英一′ン

(東北大学大学院女学研究科教捜)′

(2)

はしがき

研究組織

研究代表者:原 英一(東北大学大学院文学研究科教授)

研究経費

平成17年度  1,700,000円

平成18年度  1,300,000円

研究発表

(1)招待講演

原 英一 「都市のロマンス」

日本ロマン派学会第31回全国大会、2005年10月、山形大学

(2)論文

原 英一 「分裂した日本人−マサオ・ミヨシの軌跡」

『英語青年』2006年11月号

(3)

目  次 はしがき一一一一一一……−…一一一…−…一…−…一一一一一一一…一一一一一一一−…一一一日一一一一一一一一一一WHHHH_−Hl はじめに一一一一一一一日一一一一一一一一日一一一一一一一……一一日一一一一一一一一一一一一一一一…一一一日…一一一一一一一一一一一叩_日日____ 3 第1章  招待講演「都市のロマンス」一一一一一一……一一一一…一一日一一日一一一一__…_…___ 5 第2章  王政復古期演劇の変容と女優一叫一一一一…−一一一…−一一一…一一一…一一一山山_−…25

第3章  抄訳:チャールズ・ディケンズ『ボズのスケッチ集』−……一一一35

このうち「ボスのスケッチ剰抄訳は、r川内レヴュー」第5号(2006年3月)、pp.76−107、

m1内レヴューj第6号(2007年3月)、pp.76−107に発表したものを再録した。資料と

しての一貫性を保つため、r川内レヴューj第1号(2000年4月)、pp.76−107に発表した

ものも同時に再録した。第1章は招待講演時の原稿をもとに書きおろしたものであり、第

2章は未発表原稿である。

(4)

はじめに

本研究の目的

研究課題にある「都市ロマンス劇」とは、規範的なロマンス劇(C匝椚mOM柁dCJdmydg∫,

COmmO〃Co作劇わ那等)とは区別されるもので、ThomaS Dekker,侮ぶんoe椚dたer∫月bJg血ッ

(1600)に始まる、リアリズム演劇の中にロマンス的要素を取り込み、都市ロンドンを舞台

とした17世紀の演劇を指す。BenJonsonやThomasMiddletonのいわゆる「都市喜劇」、さ

らにJameSShirley,均互おPdrたから王政復古期に至るロマンスの森の変化したものとしての

「公園」を取り込んだ多くの芝居(WilliamWycherley,St.James,sPark等)もその中に含まれ

る。本研究は、これら都市ロマンス劇が19世紀の小説家であるディケンズ(Charles

Dickens)の初期小説に深く影響していることの解明を通じて、ディケンズ小説のジャンル

融合的本質を明らかにするとともに、演劇から小説へのジャンル変遷の底流に都市ロマ

ンス劇の伝統があることの立証を試みるものである。

ディケンズの初期小説に重点を置く第1の理由は、mg PgchgcたP呼erからルbr加

C力〟ZZJe血に至る作品に、17世紀演劇の影響が特に顕著に見られることにある。第2の理

由としては、これらの初期小説の研究が、ディケンズ研究全体の中でもきわめて手薄で

あり、彼の創作活動の本質を探る上でのその重要性を再確認することが、中・後期の小

説の再評価にもつながると信じられることである。

ディケンズが「演劇的」小説家であることは、広く認められている。かつてR。bertGaris

は、mepfcたど那medfreにおいて、ディケンズの演劇性がテクストの深いレベルにまで浸

透していることを立証した。この小説家が演劇好きで、BenJonsonの芝居を自ら演じたこ

ともよく知られている。

しかしながら、奇妙なことに、ディケンズと演劇との関係、とくに彼が直接的に影響

を受けたと思われる17世紀初頭のルネサンス演劇や後半の王政復古期演劇との関係につ

いて、一次資料に基づいた詳細な研究は行われていない。これは、我が国のみならず英

米においても、英文学研究者の研究領域が、限定されている場合が多いためである。小

説と演劇の研究者が共に、ジャンルを超えた研究に関心を向けることがないのも原因と

なっている。さらに、殆どの研究者は、ディケンズであればディケンズのみというよう

に、個別作家の研究に投入し、広い視野の中での研究に興味を示していない。これは、

ディケンズのような巨大な作家の研究にあっては、その本質の解明を最初から放棄する

ことにもなりかねない。研究代表者は、過去10数年にわたって、ルネサンス期から現代

−3−

(5)

に至るまでの演劇作品の一次資料を大量に渉猟してきた。その結果、ディケンズと演劇

との関係について、種々の新しい知見の可能性を発見するに至った。それにより、都市

ロマンス劇の伝統とディケンズ初期小説との関係を再検討する必要性を痛感して、本研

究を計画するに至った。本研究により、従来軽視されてきた都市ロマンス劇がジャンル

変遷を惹起するダイナミズムが詳細に解明され、17世紀から19世紀に至る英文学史を全

面的に再構成する可能性が開かれることが期待される。

ディケンズと演劇との関係には、ゲイリスの他に、ⅦlerieGager,∫力成叩gdred〃dαck那∵

TheDynamicsqFITtfTuence,ClarkCumberland,Shake岬eare&Dickensなどがある。しかし、ゲイ

リスはディケンズのテクストそのものの「演劇性」の研究であり、他の研究もSbakespeare

との関係に限定されたものであった。一方、ヴィクトリア朝の演劇における過去の演劇、

とくにShakespeareの影響や改作・上演等に関する研究は、最近のAdrianPoole&GailMarshall,

ⅥctorianShakeSPeare,RichardSchoch,ShakeSPeare’SⅥctorianStageなど、種々あって、かなり

進んでいると言える。ただし、これらはディケンズについては、ごく簡単に言及されるの

みである。小説と演劇という2つジャンルのダイナミックな関係についても、これらの研

究の視野には入っていない。本研究の独創性は、ディケンズへの直接的な影響が顕著な

ShakespeareとBenJonsonのみならず、ThomasDekkerやThomasMiddletonの都市喜劇、さ

らに王政復古期のWilliamWycherley、GeorgeFarquhar、John Vanbrugh、18世紀の01iver

Goldsmithなどの芝居との関連性を追求するところにある。すなわち、ルネサンス期から王

政復古期に至る都市ロマンス劇の伝統の全体とディケンズ初期小説との関係を、広い視野

の中に捉えようとするものであって、国内でも海外でも前例のないものである。研究代表

者がこれまで遂行してきた演劇研究の集大成となるものである。

−4一

(6)

招待講演

日本ロマン派学会第31回全国大会

2005年10月22日(土)山形大学

都市のロマンス

原 英一

本日は日本ロマン派学会にお招きいただき、ありがとうございました。

さて、本日のテーマは「都市のロマンス」です。「都市のロマンス」とは何か?簡単

に言えば、18世紀初頭に成立したジャンルであるイギリス小説のことです。イギリス

小説の中にロマンスが組み込まれていることは、資料の最初にエピグラフとして掲げま

したディケンズの引用に明らかです。

“InBleakHouse,Ihavepurposelydweltupontheromanticsideoffamiliarthings・” CharlesDickens,‘Preface’toBleakHouse.1853.

都市の作家であるディケンズが言う日常的なものとは、すなわち都市ロンドンであり、

一方「ロマンティックな側面」とはロマンスにはかなりません。19世紀に隆盛をきわ

めてイギリス小説は、ロマン主義という文学運動なくしては存在し得ないものでした。

しかし、今日はディケンズについても、ブロンテやジョージ・エリオットについても、

私は話すつもりはありません。そもそも「都市」とは何か、「ロマンス」とは何か、そ

ういった根源的な部分についてお話ししたいと思います。

最初に場所のことから問題にいたしましょう。都市は場所そのものですから、とりあ

えず問題はないとして、ロマンスの場所はいったいどういうものでしょうか。それはも

ともとは「森」でした。ご存知のようにアン・ラドクリフには『森のロマンス』という

作品があります。これは小説ですけれど、「森」と「ロマンス」の関係はどうなってい

たかについて、まず考えてみましょう。「森」とはどういう場所だったのでしょうか。

この間題を、典型的あるいは規範的なロマンスを題材として考えてみましょう。ここ

で取り上げるのは、作者不詳の芝居、Cか0m〝∽〃α〃dCJαJ町dg∫です。これは正統的な騎

士道ロマンス劇です。プロットは単純といえば単純、複雑といえば複雑なのですが、一

部を簡単に要約します。

Suaviaの王子Clamydesはデンマークの王女Julianaと相愛の仲となります。彼女は

ForestofStrangeMarvelsに棲むflyingSerpentを退治することを結婚の条件としていまし

−5一

(7)

た。勇躍して龍退治に向かうことを決意したクラミデスにジュリアナは白い盾を与え、

「白い盾の騎士」と名乗らせます。

Iulia・Sir Prince,VPOn a VOW,Who spowseth me,muSt needsly takein hand/The flying Serpentfortosley,WhichintheForrestis,/Thatofstrangemaruelsbearethname,[日,]. AnonymouslT・Preston?],C&omonandClamydes(1570)

ジュリアナ:王子殿、誓いの定めで、私の夫となる者は、摩討不思議の森という場所に

住む空飛ぶ龍を退治するという使命を果たさなければならないのです。

一方、デンマークの王子クリオモンは武者修行の旅に出ていました。彼は武勲の印と

してアレクサンダー大王から金の盾を与えられ「黄金の盾の騎士」を名乗っていました

が、自分の本名については、自分をうち負かした者以外には明かさないことにしていま

した。クラミデスは、龍退治に出かける前に父王から騎士の称号を受けることになるの

ですが、その場にいたクリオモンが、横から割って入り、王が振り下ろした剣を自分が

受けて(これは騎士の任命の儀式です)、逃走してしまいます。怒ったクラミデスは、

クリオモンに決闘を挑みます。2人は十五日後にマケドニアのアレクサンダー大王の御

前で正式の決闘をして雌雄を決することを約束します。

余裕の期間の間にクラミデスは龍退治をしようと、「驚異の森」に入ります。森には

BryanSansFoy(信仰なきプリアン)という臆病者の騎士が住んでおり、彼は魔法によ

って、クラミデスを眠らせ、彼が退治した龍の首と白い盾を奪ってしまいます。十日後

にクラミデスの従者SubtleShift(Knowledge)が主人を救い出すが、ブライアンはすでに

クラミデスを装ってデンマークへ向かった後でした。

と、こんな具合で、「摩言可不思議の森」は魔法の空間なのです。そこにはドラゴンや

ら魔法使いやらが住んでいます。現実のものではありません。しかも、すでにおわかり

のように、この芝居には、デンマークなどの実在の地名が出てくるかと思えば、マケド

ニアのアレクサンダー大王が登場するなど、とんでもないアナクロニズムが平気で出て

きます。つまり、ロマンスの時空とは、現実とは異なる体系であって、そこに展開する

物語も非現実的なものです。詳しくはご紹介できませんが、荒唐無稽な筋立てが行き当

たりばったりに展開していくのです。

これがロマンスの森でした。しかし、「森」には常にもう一つの別な本質が暗示され

ることが、16∼17世紀の芝居でもしばしばあることに注目しなければなりません。そ

れは社会からの外れ者、アウトローの棲み家としての森です。誰でも知っているロビ

ン・フッドがその代表です。一つだけ例をあげましょう。ロバートグリーンの芝居『ジ

ョージ・ア・グリーン」です。

Marian・NeuerwillMariansmilevponherRobin,/Norliewithhimvnderthegreenwood

Shade,/TillthatthougotoWakefieldonagreene,/AndbeatethePinnerfortheloueofme・

−6−

(8)

Robin・Contentthee,Marian,Iwilleasethygriefe・/MymerriemenandIwi11thitherstray,/ AndheereIvowthatfortheloueofthee,/lwillbeateGeorgeaGreene,Orheshallbeateme. RobeIIGreene(?),GgorgedGree乃e(1590)

森に棲むロビンやメイド・メリアンは、「緑の木陰で」という言葉が示すように、文

明社会を離れた自然の中にいるのです。この芝居の主人公ジョージ・ア・グリーンは、

ロビンと違って完全な体制派なのですが、その名前が暗示するように、森の住人Green

Manとしての属性を、実はロビンと共有しています。

ここで私たちは、日本人が捉える自然とヨーロッパ人が捉える自然とが、かなり違う

ものであることに注意しなければなりません。日本人の自然に対する基本的な態度は、

融和・融合であり、自然はいわば癒しを与えてくれるものです。それに対して、ヨーロ

ッパ人にとっての自然は、文明の対極にあるものとして、非理性、野生の象徴であり、

抑制されることのない欲望が暴力的に噴出する場なのです。このことを、作者不詳の芝

居『ムシドーラス』で見ましょう。この芝居は本質的にはロマンス劇なのですが、そこ

の森に登場するのはドラゴンでも魔法使いでもなく、野生の人間なのです。

Bremo・WithrestlesserageIwanderthroughthesewoods,/Nocreatureheerebutfeareth

Bremoesforce,/Man,WOman,Child・beastandbird,/Andeuerythingthatdothapprochmy

Sight,/Areforsttofallitlif]Bremooncebutfrowne,/Comecudgelcome,myPartnerinmy SpOiles,/ForheereIseethisdaieitwillnotbe,/ButwhenitfallesthatIencounteranie,/One patsuffisedfortoworkemywil・ Anonymous,〟〟Cedor〟∫(1590)

野人プレモが登場。

プレモ:

やむことなく猛り狂いつつ、おれはこの森をさまよう。

生きとし生けるものすべてがプレモ様の力を恐れるのだ。

男も女も子供も、けものも鳥も、

おれ様の視界に飛び込むやつは何だろうが、

プレモ様のひと睨みで倒されてしまうのだ。

さあ、やろうぜ、棍棒よ、おれの掠茸の相棒よ。

今日という目は間違いなく、やりとげるぜ。

獲物に出逢ったら、ただの一発でおれ様の意のままにしてくれよう。

野人プレモが象徴するものは、人間の野性、獣性であり、文明に支配されない自然な

のです。実はこれこそ人間の本性である、少なくともその重要な一部であると言ってい

いでしょう。人間は矛盾する二つの面を持った存在なのです。動物でありながら、文明

を築き上げるのが人間なのです。これは今日のお話しの最も根源的なテーマであるとも

一7−

(9)

言えるのです。

ここで森と都市の関係を一度捉えなおしておきましょう。森とは自然すなわち人間の

野生の象徴であり、都市とは人間の文明の象徴です。「森と都市」、これは文明の黎明以

来、人間が抱え込んだ根本的な矛盾ですが、16世紀中葉から17世紀にかけてのイギリ

スほどこの矛盾がはっきりとした形で現れ、その結果として、文学作品の展開に大きな

影響を与えた、いや、その決定的な推進力となった時代は、他にないのではないでしょ

うか。

16世紀後半以降、ロンドンが大発展を遂げたことは、人口の増加に端的に表れてい

ます。ごく簡単に見れば、1550年のロンドンの人口は約12万人であり、本質的に中世

都市といってよいものでした。それが、一世紀後の1650年には37万5千人と、300パ

ーセントの増加となり、18世紀半ばには67万5千人というヨーロッパ最大の都市とな

っています。

その結果、この時代の文学には大きな変化が生じます。そこでは田園から都市へのベ

クトルが明らかに働いているのです。たとえば、ベン・ジョンソンの仇叩肋乃仙Jげ旭

肋椚0〟r(仇eり舶b〃7円旭肋m仙rの方ではありません)では、前半が田舎を舞台にして

いて、農耕社会が背景となっているのに対して、後半では都市ロンドンが舞台となって

います。さらに、この時代の演劇には、都市を舞台としたロマンスが登場してくるので

すo最も初期の都市ロマンスとしては、最初期の散文劇であるGeorgeGascoigne,SL”OSeS

(1566)があります。これはアリオストの75〟〝0∫fJiの翻案なのですが、Femraという都市

の中で親子の再会などのロマンス的プロットが展開します。よく知られた作品としては、

トマス・デッカーの『靴屋の祭日」があります。これはときどき「市民生活描いた当時

としては珍しい芝居」などと文学史の本に紹介されていたりするものです。実は、市民

生活を描いた芝居はエリザベス朝、ジェイムズ朝でも決して珍しいものではありません

でした。この時代の演劇にはシェイクスピアやマ一口ウしかいないと思っている無知の

ためにこんなことが言われたりします。

閑話休題。この芝居は伝説的ロンドン市長サイモン・エアを主人公にしたものです。

エアは靴職人から身を起こして出世します。靴職人の世界がたいへんリアルに措かれて

いるという点では、まさに珍しい芝居です。都市ロンドンを舞台にして、そこに住む人々

を主人公にした都市の芝居です。興味深いのはそこにロマンス的要素が見られることで

す。サブプロットして、靴職人のラルフとその妻ジェインの物語がありますが、これは

ロマンス的な筋立てになっています。エアの店で働く職人の一人ラルフは徴兵されてフ

ランスに出征します。新婚の妻ジェインは、夫の留守中、小さな小間物屋を営みながら、

ひたすらラルフの帰りを待ち続けます。しかし、ラルフの消息は香として知れず、つい

にジェインは、ハモンという誠実な男の求愛に応じることになります。結婚式のために

修理に出した彼女の靴を手にしたのは、戦地から戻って妻を捜していたラルフでした。

何と不思議なことだろう。これこそおれがフランス行きの兵隊にとられたとき、女房

−8−

(10)

に贈った靴に絶対に間違いない。

ああ、あの時以来、女房はずっと行方知れずだった。まさにこの靴だ。ハモンの花嫁

というのがおれのジェインだったのだ。

このなつかしい靴を手がかりに、おれは女房を見つけてやるぞ  (14場)

靴を手がかりに妻を探すというこの物語、どこかで聞いたことがあります。そう、シン

デレラとそっくりですね。ご存知かと思いますが、ペローの書いたシンデレラは完全な

創作ではありません。ペローの『昔話集」にある他の多くの物語と同様に、長い間伝え

られてきた口承文学にその起源があります。南方熊楠が発見したことですが、シンデレ

ラの最も古い文献は、9世紀の中国にあります。17世紀末のペローよりもはるかに早

いデッカーのシンデレラ物語は、こうした古い伝統の表れと言えるでしょう。しかし、

このラルフとジェインの物語には、さらに古い物語のエコーもあります。それはオデュ

ツセウスの帰還の物語です。長い放浪の旅から故郷に戻ったオデュッセウスは、正体を

隠して自分の家にやってきます。その見知らぬ旅人の足を洗っていたかつての乳母エウ

リクレイアは、足の傷跡を見て、それがオデュッセウスであることに気づくのです。さ

らに、夫の留守中、妻のジェインは、ハモンの求愛を賢明にはねつけ続けてきました。

彼女はいわばペネロペです。こうして考えると、この物語は、古い民衆文化の地下水脈

が表面に現れたものと言ってもいいのかもしれません。

『靴屋の祭巨日でさらに重要なのは、ディック・ウィッテイントン伝説の存在がその

背景にあることです。靴屋の職人たちは、「いつかはロンドン市長棟、せめて参事会員

様にはなろうじゃないか」と歌いつつ毎日の労働に励んでいます。主人公のサイモン・

エアは靴職人から身を起こし、実際にロンドン市長に任命されます。この物語は明らか

にディック・ウィッテイントン伝説を下敷きにしたものです。ウィッテイントン伝説そ

のものを題材とした芝居が1605年に上演された記録は残っていますが、残念ながらテ

クストは現存しておりません。しかし、チヤップマン、ベン・ジョンソン、ジョン・マ

ーストン合作の『東行きだよ、ほ−い日では、ウィッテイントン伝説が明確に言及さ

れています。

いずれはお前がわれらが都の記念碑となり、功労者の一人に数えられるところを見たい

ものだ。あのウィッテイントンとその猫の有名な物語が忘れられる頃になっても、レイ

デイ一・ラムゼイや謹厳なグレシャムとお前とが同列に記憶される日がくるだろう。

このウィッテイントン伝説の起源ははるか昔にさかのぼることができます。我が国の

南方熊楠が発見したことですが、何と2500年前のインドに最古のウィッテイントン伝

説が存在するのです。

一9−

(11)

ホイッテングトン少にして孤なり。富商サー・ヒュ一・フイツヴァレンの厨奴(ちゅうど)

たり。主厨に虐せらるるに堪えず、脱走せしが、道側に息(やす)んで、ボー寺の鐘声を

聞きしに、ホイッテングトン主家に還らば、三たびロンドン市長たらんと言うがごとし。

よって主家に還る。その後ほどなく、主人の持船出航に荏(のぞ)み、ホイッチングトン、

唯一の所有物たる猫一疋を船長に委托す。その船バーバリーに到りしに、国王国中にはつ

かねずみ多きを憂うる最中なりければ、高価もて猫を買えり。船帰るに及び、ホイッチン

グトン猫の代金を受け、商売の資本に用い、大富となり、主人の娘を要り、その業を紹(つ)

ぎ、男爵に叙せられ、三度までロンドン市長となりしとなり。一六〇五年出板で現存せざ

る戯曲、TheHistoryofRichardWhittington以降、この話おいおい俗間に大いに持て聯さる

るに及べり。

熊楠、このごろ一切経を抄写するうち、義浄訳F根本説一切有部毘奈耶」巻三二、仏が

愚路ピッシュの因縁を説けるを読むに、次の物語あり。これおそらくは、仏在世すでにイ

ンドに存せし古語にで、仏滅後数百年経たぬうち、仏説に編入し記載され、その後種々変

態を生じて、ベルシアと欧州諸邦の、猫によって巨富となりし人の物語となれるものなる

べし。

南方熊楠「猫一疋の力に憑って大富となりし人の話

本来は実在のリチャード・ウィッテイントンとは何の関係もないこの物語が、17世紀初

頭にイギリスに定着したのはなぜなのでしょうか。それはこの物語が資本主義の寓話で

あるからにはかなりません。熊楠発見のインドの成金譜は、次のような内容です。ある

大金持ちの商人が海上貿易に出て難破して死んでしまい、未亡人と息子が残されます。

未亡人は苦労して息子を育て、商人になることを志した息子は、亡父の旧知の商人の家

を訪ねますと、その商人は事業に失敗した男に、「お前には商才がない、才能のある人

間なら鼠一匹からでも大金持ちになれるものだ」と説教しているところでした。それを

立ち聞きした若者はなるほどと思い、ちょうど下女が捨てた鼠の死骸を拾います。途中

で猫がそれをほしがったため、飼い主に豆一袋と交換に譲ります。若者はその豆を煎り、

瓶に冷水を満たして、木礁たちが山から下りてくるのを待ちます。一日の労働で疲れた

木樵たちに煎り豆と水をふるまい、喜んだ木樵たちから御礼に薪を一束もらい受けます。

若者はその薪を市場に持って行って売り、金を得ます。やがて、木樵たちから薪を預か

って市場に持って行って売るようになり、大もうけをします。その金を資本にして商店

を開き、さらに成功して、金融業を営みます。最後は父の志を継いで、海外貿易に出て、

さらに大富豪になるという物語です。

この物語はまさに資本主義の寓話そのものです。物々交換から始まり、やがて問屋・

仲買人による市場経済が生まれ、金融業の発展、海外貿易にまで展開していきます。

この物語はおそらくイスラム世界を経て、イギリスに輸入されたのでありましょう。

イギリス版ウィッテッイントン物語では、猫を載せた船はイスラム教国と平和的に貿易

しています。トマス・ヘイウッドの『西国の美少女」という芝居を見ても分かることで

ー10−

(12)

すが、キリスト教世界とイスラム世界は必ずしも戦争ばかりしていたのではなく、平和

的な交易関係を結んでいた時代の方が長かったのです。猫成金(もともとは鼠成金でし

たが)の物語は、形のない輸入品だったのでした。

しかし、それがこの時代に実在のディック・ウィッテイントンと結びついてイギリス

に定着したのには理由があります。この時代のイギリスは商業資本主義が急速に発展し

つつある時代でした。リスク分散のために株式会社制度の起源ともなった分担投資によ

り、実際に貿易船が仕立てられていました。海外貿易は危険を伴うものでしたが、無事

に貿易船が帰ってくれば、投資分の数十倍の利益を得ることができたのです。猫一匹で

大金持ちになることが決して夢物語ではない時代だからこそ、この物語は資本主義のロ

マンスとしてイギリスに根付くことになったのでした。

しかし、資本主義文明の世界には、ウィッテツイントンやサイモン・エアのような成

功者もいますが、そのシステムに適応できずに破滅していく者たちもいます。勤勉に働

き、順調に出世の階梯を登っていく徒弟もいれば、悪の誘惑に負けて、破滅していく徒

弟もいるのです。『東行きだよ、はーい日に登場するクイックシルバーなどはその典

型です。彼は親方のおぼえめでたいゴールディングとは違って、悪の道に走り、ついに

監獄に入れられます。クイックシルバーの物語は「破滅のロマンス」とでも言うべきも

のでしょう。

ここで注目すべき重要なことは、この破滅のロマンスの中に「森」が見え隠れしてい

ることです。クイックシルバーが、牢獄の中で歌う「悔恨のバラード」を見てみましょ

う。

おれは[徒弟の仕事着の]上着と帽子を捨て去って、

華やかな絹やサテンに身を包んだ。

上品な物腰という偽金を毎日不法に鋳造した。

おれは酔っぱらって親方を馬鹿にした。

おれは去勢鳥と女を囲った。

ここで「徒弟」とはいかなる者であったかを確認してみましょう。当時のロンドンは

急速に人口が増えていましたが、ロンドン在住の市民だけでその人口増を実現すること

はできませんでした。実際のロンドン市民の相当部分が、周辺の農村部から都市へ流入

した人々だったのです。彼らは貴重な労働力として親方に徒弟として雇われ、ギルド制

の中に組み込まれていきました。つまり、「徒弟」とは、自然から切り離され都市へ流

入した人間であったのです。しかも彼らは血気盛んな十代の若者です。人間の根源的欲

望に負けてしまうこともしばしばでした。かつて彼らが棲んでいた「森」、すなわち人

間の自然状態が彼らを野生へと引き戻すのです。こうした怠惰な徒弟たちこそ、ウィッ

テッイントンやエアなどの成功者よりも、都市というシステムに囲い込まれた人間の矛

盾をよりよく体現する存在であるのです。

−11−

(13)

時間も限られておりますので、ここで王政復古の時代へと飛躍しましょう。

イギリス演劇の歴史の中で、王政復古期に隆盛をきわめた風俗喜劇は、洗練の極致に

あるものと言えましょう。機知に富んだ会話によって繰り広げられる上流社会の生活の

描写は、やはり上流社会の観客たちによって鑑賞され、支持されていました。機知=ウ

イットとは、本質的に人間の理性、ロゴスと直結するものです。ウイットに至高の価値

を認める王政復古期文化は、理性崇拝の時代であるかに見えます。しかし、本当にそう

なのでしょうか?

王政復古期の劇場は、劇場閉鎖以前の大部分の劇場とは異なり、室内劇場でした。(そ

れも二つしかありませんでした。)かつては、夜を表現するには台詞によってその雰囲

気を醸し出すしか方法はありませんでしたが、電気照明など考えられない時代の室内劇

場では暗闇を表現することは簡単になりました。いや、劇場空間に闇が入り込んだと言

った方がいいでしょう。その闇の世界に原始の森がひそんでいるのです。この間は都市

に囲い込まれた森としての「公園」に最も典型的に現れます。

もともと風俗喜劇は「公園」と深い関係のあるジャンルです。風俗喜劇の最初のもの

と言われるジェイムズ・シャーリーの『ハイド・パーク」は、その名の通り公園を舞台

としたものでした。公園が実は姿を変えた森、人間の原始の欲望が渦巻く森であること

を示しているのは、王政復古期の作家ウイチヤリーの芝居『森の恋 【 セント・ジェイ

ムズ公園」です。この芝居の中で、夜のセント・ジェイムズ公園にやってきたプレボー

イたちはこんな会話を交わしています。

St・James’sParkalnighE・ EnterRanger,Vincent,Dapperwit.

Ran.Hang meifI am not pleas’d extreamiy with this new fashioned catterwouling,this

midnightcourslnginthePark.

Ⅵn.A manrnay COme after Supper withhisthree Bottlesin his head,reelhimselfsober, WithoutreprooffromhisMother,Aunt,OrgraVerelation・ Ran・MaybringhisbashfulWench,andnothaveherputoutofcountenanCebytheimpudent honestwomenoftheTown.[日.】. Ran,Amdnownowoman’smodest,OrPrOud,forherblushesarehid,andtherubiesonher lipsaredied,andallsleepyandglimmenng eyeshavelosttheirattraction・ WilliamWycherley,Loveinal枕,Od,OrSt.James’spark(1672)

夜のセントジェイムズ公園

レインジャー、ヴィンセント、グッパーウイットが登場

レインジャー:いやまったく、この最近はやりの女あさりのやり方だが、この公園の中

で真夜中に狩をするってのは、実に気に入ったぜ。

ヴィンセント:酒を三本飲んで夕飯の後にここに来て、千鳥足で酔いざましをしたとこ

ろで、おふくろやら叔母やら、うるさい親戚なんかに小言を言われることもないしな。

−12−

(14)

レインジャー:恥ずかしがりの女を連れ込んでも、上流の生意気な堅気の女どもに出会

って尻込みされることもないわけだ。

ダッパーウイット:それにウイットのある男が、手の込んだ飾り付けをしたチョッキや

きれいなかつらを見せびらかす場合にも有利というものだ。なにせ、この時間じゃ誰の

がいちばん白いか分かりゃしない。

レインジャー:それに今ならどんな女も慎みをなくしてしまうぞ。顔を赤らめてみせて

も見えないわけだし、赤い唇も色槌せて見えるし、もの憂げな呂をきらきらさせたとこ

ろで男を惹きつけることはできないわけなのだから。

(二幕一場)

このようの女狩りにやってくる連中がいるのですから、獲物になる女もいます。彼女た

ちは決して娼婦ではなく、昼間は堅気の淑女たちです。闇に包まれた公園の中では人間

の性欲がむき出しになっているのです。

男女の出逢いの場所としての公園の役割は、王政復古期喜劇の中でもその洗練度にお

いて究極とも言えるエサレツジのr当世伊達男」でもはっきりと見られます。

EnterYoungBellairandHarriet;and亜erthemDorimant,Standingatadistance・

YoungBellair.MostpeoplepreferHighParkli・e・HydePark]tothisplacelSt・James’sPark]・ Ihrriel・Ithasthebetterreputation,Iconfess;butIabominatethedulldiversionsthere−the formalbows,theaffectedsmiles,thesillybywordsandamoroustweersinpasslng・Hereone meetswithalittleconversationnowandthen. YoungBellair・Theseconversationshavebeenfataltosomeofyoursex,madam・ Harriet.Itmaybeso.Becausesomewhowanttemperhavebeenundonebygamlng,muSt otherswhohaveitwhollydenythemselvesthepleasureofplay? Dorimanl,lcomingLPgent&andbowingloher]Trustme,itwereunreasonable,madam・She ∫ぬrg∫dJdわ0恕gr。Vg. GeorgeEtherege,meAお花ゲルbdg(1676)

セントジェイムズ公園の中央遊歩道、ハリエツトがヤング・ベルエアを引っ張って登場

ハリエツト:さあ,いらっしゃいよl

ヤング・ベル土ア:母君を置いていかれるのですか?

ハリエツト:(女中の)ビジーが私たちを追いかけさせられるでしょうけど、構いやしな

いわ。

ヤング・ベルエア:今頃母君はすっかり気が動転していらっしゃるでしょうね。

ハリエツト:あなたのお友達のドリマントさんが今この場にいてくれたらいいのにね。

そうすればお母さんに私が彼と話をしているところを見せてやれたのに。

−13−

(15)

ヤング・ベルエア:あなたの母君は、彼と面識はないけれど、あらゆる男の中でいちば

ん彼のことを恐れているのだそうですね。

ハリエツト:お母さんときたら、彼が女の人に話しかけるだけで、その人は破滅しちゃ

うなんて決めつけているのよ。神様、どうか娘を彼からお守り下さいませって、毎日ひ

ざまづいてお祈りしているくらいなの。

ヤング・ベルエア:たいていの人はここよりはハイド・パークの方を好んでいます0

ハリエツト:あちらの方が評判がよろしいことは認めますわ。でも、あそこでの会話は

退屈だからだいきらいよ。わざとらしくお辞儀したり、気取って微笑んだり、通りすが

りに間抜けなささやきをしたり、秋波を送ってくるんですものね。ここなら、ときどき

はまともな話し相手に出逢えるわ。

ヤング・ベルエア:その話し相手とやらのおかげで、破滅した女性もいるのですよ、マ

ダム。

ハリエツトそうかもしれないわね。節操のない誰かが賭け事で身の破滅を招いたから

といって、他の者たちも賭け事の楽しみを奪われていいのかしら?

ドリマント:[うやうやしく進み出て彼女にお辞儀をする]借越ながら申し上げさせて

いただければ、それは理不尽というものでございましょう。[彼女ははっとして真顔に

なる。]

(三幕三場)

セントジェイムズ公園には、昼間とはいえ、男女の逢い引きに都合のよい陰の小道や

ら、一歩進んで秘め事のできる茂みなどがあって、セックスの火遊びを楽しむ男女には

恰好の場所なのです。

森は、しかしながら、公園として姿を見せるだけではありません。さらに文明化され

た人口の空間にも森は潜んでいるのです。『当世伊達別と並び称される洗練のきわみ

とも言うべき芝居で、同時に、不道徳性で悪名高いウイチヤリーのF田舎女副では、

ニュー・イクスチェンジが男女の出逢いの場所となっています。都会の女はすぐに不倫

をするから、結婚相手は田舎の女に限るという信念を持つピンチワイフ氏は、田舎で結

婚した女房マージェリーをロンドンに連れてきます。しかし、プレイボーイのうじゃう

じゃいる都会ですから、用心して妻を宿から出そうとしません。初めての大都会を見た

くてたまらない妻の懇願に負けて、彼は彼女を男装させてニュー・イクスチェンジに連

れていきます。ここは大きな建物の中に上流階級相手のさまざまな店が並んでいる、現

代でいえば、ファッショナブルな高級ショッピング・モールと言うべき場所ですDそこ

にはプレイボーイたちもよく来ているのですが、男の姿であれば安全だろうとピンチワ

イフ氏は考えていました。しかし、女に対する喚覚は飛び抜けて鋭いホーナーはやすや

すとマージェリーの正体を見抜き、彼女をたくみに夫から切り離してしまいます0あわ

てて彼女を捜し回る夫の前に、マージェリーはオレンジやドライフルーツを持って戻っ

てきます。

ー14−

(16)

ActlII,ii・ 77zeNew放change

EnterMistrissPinchwifeinA血n’scloaths, r〟乃〝叫gw汀ゐ加r d〟nder如rdr〝lAJげOrα乃ge∫d〃ddrgd♪〟fr,HomerカJbw掬.

腑S・Pin,OdearBud,lookyouherewhatlhavegot,See,

腑・Pin・AndwhatIhavegotheretoo,Whichyoucan’tsee.lAsiderubbinghisf)1・ehead. Mrs・Pin・ThefiTleGentlemanhasglVenmebetterthingsyet. Mr・Pin・Ha’sheso?[Aside・Outofbreathandcolour’d−Imustholdyet.

WilliamWycherley,TheCountTTW的(1675)

ピンチワイフ夫人が男装で登場。オレンジやドライフルーツを詰めた帽子を小脇に抱え

ている。後からホーナーがついてくる。

ピンチワイフ夫人:ねえ、あなた、みて、あたしいいものもらったのよ、ねっ見て。

ピンチワイフ氏:おれもここにいいものをもらったさ、お前には見えんだろうが。[額

をこすりながら傍白。]

ピンチワイフ夫人:あのすてきな紳士がもっといいものをくださったのよ。

ピンチワイフ氏:へえ、そうなのか?[傍白 息を切らせて頬を赤らめているじゃない

か−今のところは我慢せねば。]

この間にホーナーはマージェリーを裏通り(といいましょうか、モールの裏手)のあ

いまい宿に連れ込んでいました。こうしたことから分かりますように、ニュー・イクス

チェンジは森としての特性を持っているのです。洗練の極致で原始の森がうごめく−

王政復古期演劇は、実に深い矛盾を内包しているものだと言えましょう。

さてここで、この王政復古期に活躍した女性作家、アフラ・ペインの話に移ることに

いたしましょう。ペインは非常に重要な存在ですので、その一部についてのみお話しす

ることになります。彼女が最晩年に書いた散文作品Fオルーノーコ」は、黒人奴隷を主

人公とした特異な作品としてよく知られています。この作品では、「森」の持つ意味が

さらに拡大していることが非常に興味深いところです。作品の前半は、アフリカの黒人

王国コラマンティーンが舞台であり、そこで展開するのは宮廷での恋愛と陰謀です。ご

くありきたりのプロットによるロマンスと言えましょう。ところが、舞台が南米スリナ

ムの植民地に移ると、雰開気はがらりと変わります。コラマンティーンの王子だったオ

ルーノーコは奴隷として売られてきて、やはり奴隷となっていた恋人のイモインダとこ

の地で再会します。その場面に注目してみましょう。

[・・・]thoughfromherbeingcarvedinnneflowersandbirdsalloverherbody,WetOOkherof

qualitybefore,yetWhenweknewClemenewaslmoinda,WeCOuldnotenoughadmireher.

一15−

(17)

Ihadforgottotellyouthatthosewhoarenoblybomofthatcountryaresodelicatelycutand raisedalloverthefore−partOfthetrunkoftheirbodiesthatitlooksasifitwereJaPanned,the

worksbeingraisedlikehighpolntrOundtheedgesofthenowers・Someareonlycarvedwitha

littleflower,Orbird,atthesidesofthetemples,aSWaSCaesar;andthosewhoaresocarved overthebodyresembleourancientPictsthatarefiguredinthechronicles・butthesecarVlngS aremoredelicate. AphraBehn,Oroonoko(1688)

…彼女の全身には美しい花や鳥の彫りものがありはしましたが、私たちは彼女が高い身

分であると前々から想像していましたし、クレメーンがイモインダであることを知って、

彼女に対する私たちの感嘆はいやがうえにも高まったのでした。

皆さんにお話しするのを忘れていましたが、その国(コラマンティーン)の高貴な生ま

れの者たちは、胴体の前面に繊細な切り込みや浮き彫りを施しており、花の周囲の細工

は盛りとがった丘のようになっていましたので、漆塗りのように見えたのです。ある者

は、小さな花とか鳥をこめかみの両側に彫り込んでいるだけで、シーザーもそうでした。

全身に彫り込みをしている者たちは年代記に登場するピクト族に煮ていました。

ここには、アフリカのジャングルから拉致されてきたばかりの生々しい黒人の肉体があ

ります。オルーノーコとイモインダは、前半のロマンスでは肌の色が漆黒というだけで、

理想的な美男美女として措かれていました。読者は彼らが黒人あることを意識する必要

など必ずしもなく、エキゾチックな物語を楽しめばよかったのです。ところが、この黒

人としての肉体が前景化された後は、驚くべきリアリズムがこの作品を支配していきま

す。

ところで、植民地もまた「都市」であると言うことができます。なぜなら、植民地は

西欧の商業資本主義が作り上げたものであり、その先端部分であるからです。奴隷とは、

「徒弟」とも異なり、商業資本主義システムの中に完全にはめ込まれています。なぜな

ら、彼らは人間ではなく、「商品」であるからです。

オルーノーコは自由を求めてジャングル=森の中に逃げようとします。しかし、それ

は不可能です。なぜなら、オルーノーコとイモインダは、商業資本主義という巨大な近

代的システムの中に囚われた存在なのですから。その中でオルーノーコに可能な唯一の

反逆の方法、人間としての尊厳を取り戻す方法は、商品化された己の肉体を自ら破壊す

ることでした。副稔菅バイアムへの復讐を果たすため、彼は後顧の憂いを断つために、

愛する妻イモインダを殺す決心をします。けなげなイモインダは夫のために喜んで死ぬ

ことを承知します。次に展開するのは英文学史上でも実に驚くべき場面です。

Al1thatlovecouldsaylnSuChcasesbeingended,andalltheintermittlnglrreSOlutionsbeing

adjusted,thelovely,yOung,andadoredvictimlaysherselfdownbeforethesacri貢cer;Whilehe, 一16−

(18)

WithahandresoIved,andaheartbreakingwithin,gaVethefatalstroke,firstcuttlngherthroat,

andthensevenngheryetsmilingfacefromthatdelicatebody,PregnantaSitwaswiththefruits

Oftenderestlove・Assoonashehaddone,helaidthebodydecentlyonleavesandflowers,Of

Whichhemadeabed,andconcealeditunderthesamecover−lidofNature;Onlyherfaceheleft

yetbaretolookon[・日】・ Hehadnoteatintwodays,Which wasoneoccasionofhisfeebleness,butexcessofgrief WaS thegreatest,yetStillhehopedhe shouldneverrecovervlgOrtOaCthisdesign,andlay expectlngltyetSixdayslonger;StillmoumlngOVerthedeadidolofhisheartandstrivlngeVery daytorise,butcouldnot.

[=・]・Theyhadnotgoneveryfarintothewoodbuttheysmeltanunusualsmell,aSOfadead

body;for stinks mustbevery noisome thatcanbe distinguishedamOng SuCh aquantlty Of

naturalsweetsaseveryinchofthatlandproducesl‥.]. AphraBehn,Oroonoko(1688)

彼は、胸は張り裂けそうになりながらも、断固たる手で、致命的な一撃を与えたのでし

た。まず、彼女の喉を掻ききり、続いて、まだ微笑んでいるその顔をその筆者な体、最

も深い愛の結晶が宿ったその体から切り離しました。それを終えると、彼はその体を木

の葉や花々で作った床の中に丁寧に横たえ、その同じ自然の覆いの下に隠したのです。

ただ、彼女の顔だけは見えるように出しておきました。

森に入って間もなく、彼らは死体の発するもののような異常な臭気に気づきました。

この十地の全域で生み出されている溢れかえるほどの自然の芳香の中では、はっきり分

る悪臭はどうしてもひどく鼻につくものなのです。

熱帯の花々に包まれたイモインダの生首というイメージは、残酷で鮮烈なものです。し

かし、その美しい肉体は腐敗を免れることはできません。醜く崩れゆく愛妻の首と七日

間にわたって対面していたオルーノーコの胸に去来した感情は、語り手が沈黙している

以上、想像するしかありません。いずれにしても、商品と化した肉体を破壊することは

究極の反逆でした。

興味深いことは、語り手が女性であり、黒人奴隷の主人公オルーノーコに深い共感を

持っていることがはっきりと見て取れることです。これはなぜなのでしょうか。そこに

はペインなど白人女性が置かれた社会的文化的立場が、黒人奴隷のそれとある意味で共

通するところがあるからだと考えられます。

キヤサT)ン・ギャラハーCatherinGallagherは、当時の女性について、「二重の商品化」

の中にあることを指摘しています。二重の商品化とは、女性が商品の消費者であり、同

時に自分たちが商品であることを指しています。1600年前後の時代には、女性、この

場合、商業階級の女性たちのことですが、女性は、商業の重要な担い手でありました。

自宅が工場であり商店である時代ですから、彼女たちは使用人たちの指揮をしたり、店

一17一

(19)

で接客したり、帳簿をつけたりして、商業活動の最前線で働いていたのです。ところが、

急速に富裕となった商人階級の女性たちは、次第に婦人部屋に引きこもるようになりま

した。そこで彼女たちは商品を消費するだけの存在になっていったのです。さらに、経

済的理由での政略結婚の道具として、彼女たちは使われることになりました。商人階級

がその富をさらに増大させる手段として、彼女たちは商品化されていったのです。黒人

奴隷と全く同じとはもちろん言えませんが、彼女たちもまた本質的には「文明の森」す

なわち都市に囲い込まれた人間たちであったと言えましょう。このことを最もよく表す

台詞がニコラス・ロウの芝居F美しき悔悟者jの中に見えます。父親の決めた結婚を強

制されたヒロイン、カリスタがこう独白します。

Calista.HowhardistheConditionofourSex, Thro,ev,ryStateofLifetheSlavesofMan?

InallthedeardelightfulDaysofYouth,

ArigidFatherdictatestoourWills,

ArLddealsoutPleasurewithascantyHand;

Tohis,theTyrantHusband’sReignsucceeds ProudwithOpinionofsuperiorReason, HeholdsDomestickBus’nessandDevotion AllweareCaPabletoknow,andshutsus, LikeCloyster’dIdeots,fromtheWorld’sAcquaintance, AndalltheJoysofFreedom;Whereforearewe

BomwithhighSouls,buttoassertourselves,

ShakeoffthisvileObediencetheyexact, AndclaimanequalEmpireo’ertheWorld? NicholasRowe,me拍frf■どれおれf(1703)

私たち女の立場とは何とつらいものでしょう。

人生のどの段階でも男の奴隷になるなんて。

青春の喜びに満ちた日々の間にも、

厳格な父親が私たちの意志を縛りつけ、

わずかな快楽しか分け与えてはくれない。

その後には、専制的な夫の支配が続くのだわ。

男の方がすぐれた理性を持っていることを誇り、

私たちが知ることのできる家庭内の仕事と崇拝の対象と言えば、

夫がすべてということなり、

まるで修道院に入れられた白痴のように、

一18一

(20)

世間を知ることもなく、自由の喜びからも閉め出されてしまう。

私たちが高尚な魂を持って生まれたのはなぜなのでしょう、

自分を主張し、男たちが強制するこの忌むべき隷属をふりほどき、

この世に対等の帝国を打ち立てる権利を

主張するためなのではないのでしょうか。(三幕一場)

現在ではシェイクスピア作品の優れた校訂者としての方がよく知られているロウです

が、彼が書いた「女の悲劇」she−Tragediesは、こうした新しい時代の女性たちの苦悩を

テーマとしたものであり、歴史的に非常に重要な作品群なのです。

18世紀の小説はこうした歴史の上に現れたジャンルでした。小説と演劇の関係とそ

の背景にある「都市のロマンス」というテーマを、サミュエル・リチャードソンを通し

て見てみましょう。

リチャードソンは典型的な「勤勉な徒弟」でした。徒弟としてまじめに奉公し、親方

に信頼され、親方の娘を結婚して事業を継ぎ、尊敬される市民になりました。ロンドン

市長にこそなりませんでしたが、ディック・ウィッテイントン伝説を地でいった人と言

えましょう。まじめ一方の彼ですから、演劇はきらいでした。当時はかなりセンチメン

タリズムすなわち道徳主義に傾斜しつつあった演劇ですが、それでも若者を堕落させる

不健全な娯楽として、彼は敵視していたのです。ところが、その演劇嫌いのリチャード

ソンがただ一つだけ推奨する芝居がありました。それはジョージ・リロのFジョージ・

バーンウェル 【 ロンドン商人』です。リチャードソンが書いた『徒弟の手引き」にこ

んなことが書かれています。

lknowbutofoneInstance,andthataverylateone,WheretheStagehascondescendedtomake itselfusefultotheCity−Youth,byadreadfulExampleoftheArtidcesofalewdWoman・andthe SeductionofanunwaryyoungMan;anditwouldfavourtoomuchofPartiality,nOttOmention it・Imean,the Play ofGeorge BarnWell,Whichhasmetwiththe SucessthatIthinkitwell deserves;andIcouldbecontenttocompoundwiththeyoungCityGentry,thattheyshouldgo tothisPlayonceaYearl.日]・ SamuelRichardson,A卯rg〃rice’∫l匂deルkc〟爪,OrAyo〃乃g肋乃’∫Pocたどr−Co′,pd乃gO〃(1734)

演劇がシティーの若者たちに有益な貢献をしてくれた例を、私は一つしか知らない。

しかも、それはごく最近のものだ。そこでは、不用心な若者が淫らな女の手管に籠絡さ

れるという、恐ろしい手本が示されている。だから、この芝居に言及しないのはいかに

も片手落ちというものだろう。私が指しているのは、『ジョージリi−ンウェル』という

芝居のことだ。これが成功を収めたのは、実に当然のことと思う。この芝居を年に一回

は見るべきだという点では、私はシティーの若い紳士諸君[徒弟たち]と意見を同じく

してもいいと考える。

ー19−

(21)

この芝居は、ジョージ・バーンウェルという将来有望な徒弟の若者が、ミルウッドとい

う娼婦によって肉欲の世界に引きずり込まれ、親方の金の横領から強盗殺人にまで至り、

ついには逮捕されて処刑されるという内容です。バーンウェルは文明社会に適合するこ

とができず、自らの中にある「森」、動物的欲望に負けて破滅した典型的な怠惰な徒弟

です。

さらに興味深いのは、悪女として描かれるミルウッドです。彼女は男たちを、文明社

会そのものに呪いの言葉を投げつけます。

Millwood・lhateyouall!lknowyou,andexpeCtnOmerCy−nay,Iaskfornone・Ihavedone nothingthatIamsorryfor・IfollowedmylnClinations,andthatthebestofyoudoesevery day・Allactions are alike nat11ralandindifferent to manand beast who devour or are

devouredastheymeetwithothersweakerorstrongerthanthemselves.lH,]Thus,yOugO

On deceivlng and being deceived,harasslng,Plagulng,and destroylng OneanOther,but WOmenareyOuruniversalprey,

Women,bywhomyouare,thesourceofjoy,/Withcruelartsyoulabortodestroy./A

thousandwaysourruinyoupursue,/Yetblameinusthoseartsfirsttaughtbyyou・/Oh,

may,fromhence,eaChviolatedmaid,/Byflatt’nng,faithless,barb’rousmanbetray’d,/ Whenrobb’dofinnocenceandvirginfame,/FromyourdestruCtionmiseanoblername:/ Torlghttheirsex’swrongsdevotetheirmind,/AndfutureMillwoodsprove,tOPlague mankind! GeorgeLillo,Ⅵg上〃〝わ乃〟erc触れJ or乃e〃ね0りげGeorge月αr乃WeJJ(1731)

どんな行為も全部同じよ、人間だろうとけだものだろうと関係ないわ、自分より弱いも

のに出会えば食ってやるし、強いやつに出会ったら食われるのよ。

ああ、甘い言葉で女を誘う、不実で野蛮な男に裏切られ、

凌辱された乙女たちの一人一人よ、

けがれない処女の誉れを奪い取られた女たちよ、

今後は、その廃虚の底から、より高貴な誉れをうちたてなさい。

女という性が受けた数々の非道を正すために心を傾けなさい。

そして、私の跡を継ぐミルウッドとなり、男どもを苦しめるのだ。

(四幕一八場)

自らの肉体を武器にして、市民社会の柱石となるべき模範的徒弟を肉欲の地獄に引きず

り込んだミルウッドは、文明を脅かす「野性の女」です。彼女は反文明の「自然」の象

徴と言えましょう。(念のため申しますが、これは私が独自に主張することではなく、

ー20−

(22)

女性学者パーリアCamillePagliaが言っていることの受け売りです。)

もちろん、リチャードソンから見ればミルウッドは悪そのもの。彼はカリスクについ

ても『クラリッサ』の中で、ベルフォードという自身の代弁者である登場人物の口を通

して非難しています。しかし、彼が描いた美徳ある女性たちは、カリスタと同じ問題に

直面し苦悩しているのです。

ここでは、時間の関係上、『クラリッサJのみを考えてみます。ご承知のように、良

家の娘であったタラリッサは、両親の決めた結婚を拒絶したために、自宅に軟禁状態に

なります。そこから逃れるために駆け落ちした相手ラヴレスは、貴族の血筋の放蕩者で

した。彼の手で売春宿に監禁された彼女はレイプされ、やがて衰弱して死を迎えます。

しかし、彼女を迫害していたものは、ラヴレスという王政復古期のレイクの生き残りの

ような男だったのでしょうか。監禁されてばかりいるクラリッサが最後に行き着いたと

ころに、驚くべき答えがあります。

LETTERCVT・ Mr・BelfordtoRoberLovelaceEsq・ Ahorridholeofahouse,inanalleytheycallacourt;Stairswretchedlynarrow,eVentOthe nrsトfl00rrOOmS= Andintoadentheyledme,Withbrokenwalls,Whichhadbeenpapered,aSI SaWbyamultitudeoftacks,andsometornbitsheldonbytheruStyheads.[日‥】 A〝d7Ⅵf∫,才力0〟ゐorrfd上βVgJαCg,Wd∫加わgdcんdmbgrげ血dル加gCJdrf∫∫d/〃 SamuelRichardson,Clarissa(1748)

小路と呼ばれる狭い通りにあるひどい穴蔵のような家だ。2階の部屋に続く階段ですら

どうしようもなく狭い。私が案内されたのは洞穴のようなところで、壁は破れていた。

もともとは壁紙があったことが、たくさんの留め金やその頭に残っている切れ端で分か

るのだ。

非道のラヴレスよ、こここそが、あの神々しいクラリッサの寝室なのだぞHI

クラリッサは、ボスのご機嫌取りをもくろむラヴレスの部下の陰謀で、家賃不払いを理

由に債務者監獄に囚われたのでした。実際にはここは本格的な債務者監獄に移送される

前に囚人が一時的に収容される捕吏の家なのですが、広い意味で債務者監獄であること

に変わりはありません。タラリッサを閉じこめていた果てしなく続くチャイニーズ・ボ

ックスのごとき監獄の正体は、近代資本主義のシステムであったということができるで

しょう。 さて、最後にもう一度「森」へ戻って、本日のお話しをしめくくることにいたしまし ょう。

ジョン・ゲイのバラード・オペラF乞食のオペラ」は、いろいろな意味で画期的な芝

居ですが、とくに、弱肉強食の資本主義社会を赤裸々に諷刺したものとして注目されま

す。犯罪者たちの地下世界の経済は、ウオルポール等の支配する上の世界の経済と表裏

一21−

(23)

一体をなしています。すべてを金でしか考えないキャラクターばかりが登場しますが、

その中で、故買屋ピーチヤムの娘ポリーは異質な存在です。なぜなら彼女は「愛のため

に」マックヒースと結婚したからです。

PoLLYldidnotmarryhim(as’tisthefashion)coolyanddeliberatelyforhonorormoney・ Butllovehim. MRS,PEACHUM Lovehim!WorseandWorseHthoughtthegirlhadbeenbetterbred・Oh husband,husband!Herfollymakesmemad!Myheadswims!1,mdistracted!Ican’t SuPpOrtmySelf・−Oh! Faints・ JohnGay,mgβgggdr’∫(わerα(1728)

ポリー:私が彼と結婚したのは、最近の流行みたいに、名誉とかお金のために冷静に分

別をもってしたんじゃないわ。彼を愛しているからなのよ。

ピーチヤム夫人:愛してるだって!ますますもってとんでもない!この子はもっと育ち

がいいと思ってたのに!ああ、あなた、あなた、この子があんまりばかなんで、気が狂

っちまう。頭がぐらぐらするわ。何が何だかわからない!もうだめ、ああ![気絶する01

金にならない愛のための結婚は、資本主義のシステムに対する反逆であると言えましょ

う。ポリーは死刑を免れて西インドに流刑になったマックヒースを追って、はるばる大

西洋を渡り、西インドの島にやってきます。しかし、西インド植民地は、凶悪な資本主

義の論理が、ロンドンにもまして、牙をむき出しにする世界でした。白人奴隷としてプ

ランテーション・オーナーのダカットに売られてしまったことを知ったポリーは男装し

て逃げ出します。折しも黒人のモラーノ率いる海賊団が島に上陸し、植民地プランテー

ションとインディアン原住民の連合軍と戦いになっていました。このモラーノ、実は流

刑地から脱走したマックヒースの変装でした。ポリーは海賊団に捕虜となり、仲間にさ

せられますが、互いに変装しているため夫と再会したのにそれが分かりません0そこに、

インディアンの王子が捕虜として連行されてきます。王子コーウオーキーは、モラーノ

たちの脅迫にも毅然とした態度を崩さず、高潔で徳の高い人物であることが示されます。

MoRANO,JENNY,PoLLY,VANDERBLUFF,CAPSTERN,LAGUERRE,&C・WithCAWWAWKEEPrisoner・ [….]

MoRANO.MeerdownrightBarbarians,yOuSeelieutenant・Theyhaveournotionalhonour

Stillinpracticeamong’em・

VANDERBLUFF.WemustbeatcivilizlnglntO,em,tOmake,emcapableofcommonsociety,

andcommonconversation. MoRANO.Stubbornpnnce,markmewell,Knowyou,Isay,thatyourlifeisinmypower? ト‥] −22

(24)

CAWWAWKEE,Ihaveresolution;andpalnShallneithermakemelieorbetray.Itelltheeonce moreEuropean,lamnocoward・[・・】

PotLY.Howhappyarethesesavages!Whowouldnotwishtobeinsuchignorance.[aside.

PoLLY・[・・]lam charm’d,Prince,with your generosity andvirtues・’Tis only by the pursuitofthosewesecure realhapplneSS・Thosethatknowand feelvirtuein themselves, mustloveitinothers・AllowmetoglVeadecenttimetomysorrows・Butmymisfortunesat

presentinterruptthejoysofvictory・

CAWWAWKEE,FairprlnCeSS,forsoIhopeShortly to make you,permit meto attend you,

eithertodivideyourgrief,Or,byconversation,tOSOftenyoursorrows・lEkeuntCAWWAWKEE andPoLLY.l

JohnGay,Po勒(1729)

王子の美徳に感じ入ったポリーは、彼を助けて海賊のキャンプから脱走します。二人

は「追害される美徳」という共通性を持つがゆえに互いに惹かれあい、ポリーが女であ

ることを知ったコーウオーキーは、彼女に求愛します。一方、モラーノことマックヒー

スの率いる海賊団と反乱奴隷の連合軍は、プランテーションとインディアンの連合軍と

の会戦に敗れ、モラーノは捕らえられて処刑されます。それを知ったポリーは嘆き悲し

みますが、誠実なコーウオーキーの求愛についには応じることが暗示されて幕となりま

す。

この結末は、これまでお話ししてきた都市のロマンスの歴史の中で見ると、非常に深

い意味を持っています。ポリーがコーウオーキーと結婚するということは、彼女が西欧

資本主義の世界を捨て去り、インディアンの世界へと去っていくことを示しているから

です。もちろん、ここに出てくるインディアンは、理想化された、架空のものに過ぎま

せん。カリブ海の原住民は17世紀までにほとんど絶滅していたのですから。しかしそ

れだけにいっそう、ゲイの発するメッセージはラディカルなものであるといえましょう。

西欧文明は完全に否定され、ポリーは西の彼方に去っていきます。「美徳の不幸」のテ

ーマが行き着く究極の場所が、インディアンの世界なのです。そうだとすれば、ポリー

は都市を去って、森に帰ったのだといえなくもありません。

都市のロマンス、すなわちイギリス小説は、この後18・19世紀に隆盛を極めること

になります。本日はその初めまでをお話ししたわけですが、この長い物語の中間は省略

して、終わりについてお話ししておきましょう。

E.M.フォースターの小説Fモーリス」は、同性愛を扱った「恋愛小説」であるがゆ

えに、死後になってようやく出版されたものでした。そこでフォースターは、主人公モ

ーリスとその恋人アレックが文明社会を去って、共に暮らしていくという「幸福な結末」

を措きました。これついて、彼は「あとがき」で次のように述べています。

ー23一

(25)

Ahappyendingwasimperative・Ishouldn’thavebotheredtowriteotherwise・Twasdeterminedthat infictionanywaytwomenshouldfa11inloveandremaininitfortheeverandeverthatfictionallows, andinthissenseMauriceaTdAlecstillroamthegreenwood・Idedicatedit‘ToaHappierYear’andnot altogethervainly.Happinessisitskeynote−Whichbythewayhashadanunexpectdresult:ithas madethebookmoredifnculttopublish・UnlesstheWolfendenReportbecomeslaw,itwillprobably havetoremaininmanuscnpt.Ifitendedunhappily.withaladdBLnglingfromanooseorwithasuicide pact,allwouldbewell,forthereisnopomographyorseductionofminors.Buttheloversgetaway unpunishedandconsequentlyrecommendcrime・MrBoreniusistooincompetenttocatchthem,and theonlypenaltysocietyexactsisaneXiletheygladlyembrace・ E.M.Forster,‘TerminalNote,’ Maurice(1971)

(この小説には)絶対に幸福な結末が必要であった。そうでなければ、私はわざわざこ

れを香いたりはしなかったであろう。私は、ともかくフィクションの中であれば、二人

の男性が恋に落ちて、フィクションの許している永遠の時間の間、そのままにとどまる

べきだと決意していた。この意味では(主人公の)モーリスと(その恋人の)アレック

は、今もなお緑の森(greenwood)を彷裡している。

文明の彼岸としての「緑の森」の意味するところが、ここには明瞭に述べられている

ように思います。

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参照

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