訓令12号の思想と現実(3)
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(2) 70. 久. 木. 幸. 男. 制度上,矢東リ之ヲ必要トスル所以-,我々ガ外国二対シテ近ク締結ニナリマシタル所ノ,各国 条約ノ明文デゴザイマスル.其各国条約ノ明文二於キマシテ-,日英条約第一条ヲ始トシテ,各種 ノ条約二悉ク皆明二公私ノ礼拝信教ノ自由ガ宣言シテゴザイマスル。而シテ其条約ノ文面二何トア I)マスルカo相互ノ国民-各々法律勅令規則ノ定ムル所二依リテ信教ノ自由ヲ有スルト云フコトガ 書イチアリマスルノニ,外国二向テ-恰モ我国二於テ宗教二閑スル法律ナリ勅令ナリ規則ナリガア ルガ如タニシテ条約ヲ結ンデアリマスルノニ,諸君今マデ宗教二閑シテ何卜云フ法律ガ出来テ居リ マスル,何卜云フ勅令デアリマスル。. --外国二対シテモ斯ノ如ク対等ノ条約ヲ結ビ,信教ノ自由 ヲ宣告シタル以上-,内二於テモ適当二倍教ノ自由ヲ保障スル所ノ法律及勅令ガ定ツテ屠ル備-ヲ セザレバ,外国二対シテモ私-不面目ナルコトデ-ナイカ,是-ー日モ忽ニスルべカラザルモノデ アルト思ヒマスS)0. 穂積が外国に対する「不面目+を案じた以上に,当時の日本人にとって内地雑居は大き い不安の種であった。彼らにとって初めての経験である内地雑居が,日本の経済・社会・ 文化にどのような影響を及ぼすかについての確かな見とおしほむろん立ち難く,そのこと が不安や危機感をかもし出したのほ,ある意味では当然でもあったであろうが,とくに仏 教教団は,予想されるキ])スト教の進出に深亥gfi:危機感をいだいた.もっともこうした危. 機感にもとづくキリスト教遅出阻止運動として知られているものの多くほ,全国ないし中 央t,ベルのものであり,その推進者は教団首脳や教団内の一部インチ.)であった。その限 りでは,異常な危機感にとらわれたのは教団の一部の人たちであり,運動はしょせん上か ら強引に進められていったかにもみえる4)9. しかしこうした中央レベルの運動とは別に, 地方にはまた独自の運動もあったようである.たとえば,明治31-32年頃に神奈川県下. の-僧侶によって善かれた「儒教幻燈詞設特志勧募序+と摩する次の文書によれば,地方 農村の僧侶までがキリスト教進出に危機感を抱き,自分たちの手でキリスト教批判のため の運動を展開しようとしていることがうかがわれる。 沸教幻燈詞設特志勧募序 護按'一代権実之聖教著,衆魔降伏被邪顧正転迷開悟離苦得楽之妙法也兵。蓋大教隆夷存於其人0 宜乎哉o夫莫活人現前而説活法教薫活世界著,豊異之干空中錦殿楼閣固蔵宝物欺哉。況内地雑居迫. 於日酪社会之交通内外之文明,非日進月歩乱是増宗教之必要,不供論蔦.於鼓乎, L匪醍醐之末 韓其浴恩沢乱以倍傍噂勉忘粉骨砕身,非不為随類広道当機益物之化也。夫沸教隆衰,非於虫辰而 将在何日乎o然難解之教法円宗之妙旨,如何懇話説諭於老若療章子,絶対的非無困於埋解之乱唯 憾窮於無券械及財量弓耳粂。依之予等不肖同盟而備,鑑時勢之沿革,困進使邪而制,退必制於邪之 子息直為調沸教幻燈.今立無血而偏乞諸大徳及大名家之賛成,関所以勧募特志之浄財也o蓋開設 之於道和会,而月数回要易解易入,説天真欄鰻真如明月,破邪顕正而所以欲皆共使解行,而成証徳. 而発也異o夫諸大徳及大名諸家,為報恩与菩提快投浄財,番奉講有賛成蔦。柳弄卑言幻燈詞設之為 序云爾6).. すでに明治20年代から流行し始めていた勾燈を仏教の布教にとり入れて,. 「破邪顕正+. つまりキリスト教批判を布教の主要テーマとして積極的に展開しようとしているわけであ るが,注目されるのはこの運動を始めたのが天台宗僧侶だということである。上引の文中 に「円宗之妙旨+の語がみえること,. 「蓋大数隆夷存於英人+の旬を草椿では遵式(10世.
(3) 訓令12号の思想と現実(3). 71. 凝の中国天台僧)の語として引いていること,さらに上引の文につづくところの「悌教幻. 燈開設規則+に見える寺院名な由ゝら,筆者は天台宗僧侶と考えられるのであるが,真 宗・浄土宗・日蓮宗など民衆布教に力を入れた教団の人ではなく,民衆-の働きかけには 従来必ずしも熱心でなかった天台宗の人までが, 「内地雑居迫於日睦+という状況のもと で, 「儒教隆衰,非於滋辰而将在何日乎+, 「進便邪而制,退必制於邪+という危機感に動 かされ,. 「倍侶屯勉+. 「粉骨砕身+を誓っているのである.当時の仏教徒たちをとらえた. 危壊感の拡がりをうかがうに足りるであろう。 これら仏教徒たちと同じ程度(あるいほそれ以上)に,政府もまた危故感をもっていた. しかしそれほ,内地雑居に伴なうキリスト教進出に対してでほない。文部省訓令12号の 発布にちょうど一週間先立つ明治82年7月27日,政府は「宗教宣布ニ関スル屈出方+ (内務省令第41号)を公布して,従来自由に任されていたキリスト教の活動に謝絶を加 えていたからである。この内務省令は名称こそ「屈出方+であるが,屈出事項は「宣布老+ に関する事項のみで,宗教施設の設立等ほ地方長官の許可事項とされている6).キリスト 教ほ単に「正式に宗教行政の対象わ+となっただけでなく,その活動が地方長官の,ひ いてほ内務省の裁量のもとにおかれるに至った。政府がキリスト教の進出を望ましくない と考えたにLても,とくに危磯感をもつ理由ほなかったのであるo仏教徒が抱いた危機感 ほ,宗教法案の作成・議会提出に当って利用されたではあろうが,政府が仏教徒と危焼感 を共有していたのではない。 政府の危機感の淵源は,既にⅡに述べたごとく,天皇制イデオpギーの動揺ないし時代 適合性の喪失にあり,その再編成の問題ほ当時の支配層にとって,焦眉の解決課題であっ た。そしてこの再編成に当ってとくに大きい意味をもつのは,天皇制イデオロギーと少な くとも論理的に敵対ないし競合する可能性をもつ諸思想や価値体系(およびその担い手た る社会集団)との関係を,どのように措定するかという問題である。なぜなら,天皇制イ デオロギーが時代適合性を回復して,. 「古今ニ通シテ謬ラス+という普遍妥当性を擬似的. にでも再樹立するためにほ,潜在的な敵対諸価値との関係措定を避けて通るわ桝こはいか ないからである。そして,社会主義が思想としても社会勢力としても未成熟だった当時と しては,潜在的敵対価値ないし競合価値としてほ,普遍宗教である仏教とキリスト教が, 先ずあげられよう。とくにもともと宗教的色彩濃厚な天皇制イデオロギーほ,この二宗教 とは元来敵対ないし競合関係にあり,社会勢力としての両宗教ほ天皇制国家秩序の中に一 応抑えこまれていたにしても,そのことほ思想・価値のレベルでの敵対可能性の完全消滅 を決して意味しない。それゆえ宗教を天皇制イデオpギ-との関係でどう位置づけるかが, 天皇制イデオpギー再編成問題の中で大きい課題をなすのであり,宗教法案はこの課題に 対する山県内閣の解答として打ち出されたのである。このことは,山県首相が明治32年 12月14日,貴族院で行った次の提案理由説明のうちに,きわめて明瞭に現われている。 宗教ト申スモノ-社会ノ風教ニ重大ナル関係ヲ有ツテ居1)マスル故ニ,立ニーノ根本的ノ法律ヲ 設ケマシテ,宗教ヲシテ国家ニ対シテ嶺当ノ地位ヲ操タシムルガ今日ノ必要ト考-マス。. --近来 宗教法ニ閑シマ.yテ-,世間ソレヲ論ズル者ガ多々アリマスルガ,其説ク所各々異同-ア・1)マスケ.
(4) 72. 久. 木. 幸. 男. レドIt,之ヲ要スルこ国家卜宗教ノ関係ヲ定メ,又-宗教団体ノ権利義務三関シテ適当ノ規定ヲ設 ケテ,之ヲ保護監督セネバナラヌト云フコトニ帰着致スト存ジマス。 --今回提出致シマシタ宗教 法案-,宗教団体ノ保護監督等ノ完カランコトヲ図リマシテ,監督ノ条規ヲ制定致シマスルト共ニ, 教師二対スル兵役ノ特典又-寺院教会ノ敷地二対シマシテ-租税ノ免除等特別ノ規定ヲ設ケマシ テ,社会ノ風教ヲ維持スル上二於テー層ノ便利ヲ与-タノデアリマス8)。 「国家卜宗教ノ関係+をどのように定めようとしたのか。山県が それでは宗教法案は, 「宗教ヲシテ国家二対シテ相当ノ地位ヲ保タシムル+という場合の「相当ノ地位+とは具. 体的には何だったのか。これを明らかにするためにほ,むろん宗教法案の内容とその背後 にある思想とを逐一検討しなければならないo詳しくほ原案作成過程にまで遡って吟味す るべきであろうが,本稿ほ宗教法案そのものを主題とするものではないので,考察の範囲 を法案のおよその内容,貴族院本会議における審議過程で明らかにされた問題点,および 宗教界等の法案に対する諸反応のみに限定する。宗教法案が構想した「国家卜宗教ノ関係+ の具体像ほ,この程度の考察によっても十分明らかになり得ると考えられるからである。 宗教法案原案ほ12月14日の第一読会でひとわたりの質疑を了えたのち, 15名ゐ特 別委員に付託され,この特別委員会が作成した修正案が,明治33年2月17日,第一 読会の続会の形で審議されているが,修正案にほ政府当局も同意したといわれている。そ れゆえこの両案を併せて,その主要条項の内容を先ず初めにかかげてみよう9)o. .. (括弧内. の原ほ原案,修は特別委員会修正案,数字ほ条数, -は該当箇条のないことを示す) 3, 4。修6) (1)教会・寺の法人化の東認。教派宗派の法人化否認(原2, (2)認可団体以外の宗教上の会同の事前届出制(原8。惨5) (3)安寧秩序を妨げ風俗を壊る宗教行為の禁止(原9。修10) (4)教会・寺の土地・建物の差押え禁止および免税規定(原11,. 12。修12,. 13). (5)主務官庁の監督権(原14。修9) (6)認・許可取消事由(法令違反・目的外事業・公益上の必要など). (原15。修11). (7)許可事賓(教会・寺の設立)および認可事項(規則変更・財産管理・教宗派設立 など). (原16,. 17,. 21,. 28,. 29,. 18,. 32。修1も16,. 19,. 20). (8)宗教委員会の裁決事項(原30.修34) (9)教師停止・禁止事由(安寧秩序の妨害など). (原36。修30). (10)教師の政治活動禁止(原37。修29) (ll)教師資格の勅令委任(原38。修26) (12)布教・儀式における詐偽・誘惑手段の禁止(原44.修42). (18)教宗派・教会・寺に対する誹訣・凌辱禁止(原46こ修-) (14)宗教上の結社の規定(原-.修4) (15)教規,宗制,教会・寺規則の記載事項(原-。修15,. 20). (16)教師類似活動の禁止(原-.修44) 山県首相ほ「宗教団体ノ保護監督ノ完カランコトヲ図+ると述べたが,上記主要条項の うち「保護+に当るものは(4)のみである。そのほか,宗教法案と同時に上程された徴 兵令改正案10) (宗教教師を,直接戦闘に従事する兵種に徴集することを潜予する)も「保.
(5) 73. 訓令12号の思想と現実(3). 護+規定というベきであろうが,これらはいずれも山県が前引提案理由で言及していると ころであって,それ以外にほ「保護+規定ほ皆無,その他の条項のほとんどは,宗教団体 宗教家に対する「監督+あるいは干渉の規定ばかりである.与えられる「保護+にくらベ て,加えられる干渉はいかにも過大だと見られるが,それでもこのわずかの「保護+粂萌 は,議会外でもかなり歓迎せられた。たとえばカトリック系の『天地人』誌ほ,これら「保 「宗教家たる者'宜しく政府に 護+条項が「宗教に対して好意を表する+ものだとして, 「保護+条項は 謝して可なり+とまでいっているし11),ユニテリアソの『六合雑誌』も, 「至当の措置+,. 「至当公明の処置+と,手放しの讃辞を呈している1幻。また一般誌でも 「宗教其物を保護+するものと,高く評価し 『大帝国』は, 「宗教其物の地位を重んじ+, 「政府の気取政策+と断じて「国民 ている13)。しかし徴兵令改正については『太陽』が, 『教育時論』 皆兵主義の日本に容るベからず+と論じ14'・また宗教法案否決後のことだが,. も「保護+条項は「寺領制度の復活,徴兵忌避の奨励に関する規定1与'+だと瀕難した。『太 陽』『教育時論』は,素朴な国家主義の立場から,宗教に対する「保護+が過大だと批判 したわけである。貴族院の審議過程でも、,周布公平ほ「本案-宗教保護ノ精神ガ余程表(ママ). レテ居リマシテ,即チ此第十二条ノ免税,徴兵令ノ改正等-,此宗教保護ニ附イテ必要ト 考-マス16'+と述べ,谷干城も「此第十二条ノ精神ト云フモノ-,宗教ヲ保護シテ益々宗 教ヲ盛ナラシムルト云フノ精神デアラウト思フ17'+と論じている。また黒田長成特別委員 長の委員会報告中にも,免税規定に関して「宗教法ト云フモノヲ以テ段々宗教上ノコトニ (ママ) 干渉叉-束縛ヲ加-ルコトニナツタニ附イテ-,ソレ・ニ対シテ-相当ノ特典ヲ代リニ与ナケレバナラヌ18)+とのことばがみえている。. 「相当ノ特典+ しかしながら,時には過大だとの批判さえ受けたこの「保護+規定が, 「社寺ないし教会を信仰 の名に値する実質をもっていたかどうかほ,すこぶる疑わしい。 を背景とする公益的存在として,これらについて各種の公課・公取を減免したことは,由 来久しいことであり,このことは,明治以来現在に至るまで変わることがなく,宗教団体 についてほ最も広範にその措置が行われているといってよい19)+といわれるごとく,宗教 団体の所有地等に対する租税の減免措置は,当時既にある程度行われていた。その上宗教 法案は,免税範囲を命令に委任しているので,従来にくらベてどの程度に「保護+が厚く なるのかは判然しない。また徴兵令改正については,真宗大谷派東京府下末寺会が「宗教 「或人は之を以て無上の特典の如く賞讃すれども'此所謂 法案反対の理由+を発表して, 「其の実は朝三暮四の政策而己,何の恩典かこれあらん+と批 「反対の理由+にいう 判したがBO),この批判は確かに,ある程度当っているようである。. 空文徒法にはあらざるか+,. とおり,宗教教師となるにほ中学卒業後「ニケ年若くは三ケ年は宗教専門の学科を修めぎ るを得+ないが,文部省訓令12号公布の結果,宗教学校は徴兵猶予の「特典+を得るこ とが困難になっているため,結局宗教学校を卒業して教師資格を取得する以前に徴兵適齢 期に達して了うからであるoむろん訓令12号は徴兵猶予の特典とほ無関係という建て前 を文部省がとっていたことは,既にⅣで紹介したとおりであり,また後述のごとく,明治 33年1月以降,宗教学校にも徴兵令13条が適用されていくのは事実であるo. しかしそ.
(6) 74. 久. 木. 幸. 男. の適用をうけぬ限り,徴兵令改正案の宗教教噺数集潜予規定が有名無実のものと化するこ とほ前記「反対の理由+に・いうとおりであり,しかも宗教学校が徴兵令13条適用校とな るか否かほ,文部省の裁量に属する事柄である8つまり,徴兵令改正案が「空文徒法+紅 終るかどうかは,結局文部省の裁量如何にかかっているということ紅なるのである。 要するに,宗教法案が宗教団体・宗教家のために用意した「特典+紘,突如ミきわめて 暖昧な上に,その実魔の運用が命令に委任され,あるいは官僚の裁量・に任されているので, 運用次第ではまさに「空文徒法+と化しかねないものにすぎなかったo貴族院の特別委員 として修正案に対する質厳に答えた松岡康毅が, ノ-. 「元来此宗教ノ方ニ権利ヲ与-ルト云フ (宗教法果の)主タル目的デ-ナイノデアリマガ1)+といみじくも述べたように,慕. 教法案ほやほり権利よりも義務を,保護よりも干渉を主版とするものだったというベきで あろう。 このように「保軌条卸こ関してさえ・官鎗の慈意的運用が予定されていた位であるか ら,監督干渉にわたる部分でほ,この傾向がさらに日立っているo主務官庁の監督権がき わめて大きいこと(5),許可・認可事項が広範囲にわたっていること(7),宗教委や教 師資格などの重要事頭を勅令に委任していること(8,. ll)などほ,大日本仏教徒同盟会 が批判したごとく,まさに「監督権の拡束せること無限なり乏幻+というほかほない。宗教. 法案に絶対反対の立場をとり,反対運動の急先鋒だった仏教徒同盟会の批判ほともかく, 宗教法案には好意的だった『国家学会雑誌』も,専門学術誌としての立場から,. 「法案に. 関してニ,三疑ふベき点ほ・主務官庁の権限に関してなり+として,目的外事業や公益上 の必要による認可取消(6)は不穏当,財産管理を認可事項とする(7)のほ「頓に堪ず+と批評しているし2幻,前述のように「保護+規定に関して宗教家は政府に感謝せよと いった『天地人』も,勅令委任の多いのは「議院制度の精神を無視するもの+と非難して いる24)o穂鎗八束ほ賛成討論の中で,宗教法案は憲法が規定する「倍数ノ自由ヲ担保スル ーツノ堤防+だと論じたが芝5),その実ほ法律の建て前を一般的に述べたものにすぎず,慕 教法案の内容は「店数ノ自由ノ担保+からは遠かに遠いものであった。それゆえ貴族院の 審議過程でも,勅令委任の問題や監督権の過大はたびたび質疑の対象となっている。前者 については尾崎三良が,. 「教師タルノ資格ヲ勅令デ橿メルト云フコ・トニナルノ-,ドゥ云. フ,ドレダケノ効力ガアリマセウが8)+, 「教師ノ資格ト云フモノヲ勅令デ定メルコト-到 底出来ナイコげアルo --其資格ヲ定メネバナラヌト云フ必要ガドコニアルが)+と繰 り返して質問して,勅令に委任される教師資格の基準を問題にしているし,児玉淳一郎も, 宗教委ほ「ドゥ云フ方法デ御ヤリナサルが8)+・「ドゥ云フ具合ニ組織サレルがわ+と,同じ く勅令に委任された宗教委の組織権限を明らかにすることを求めている。これに対する政 府委員¢答弁ほ,教師資格の基準ほ「大体ノ原則ヲ定メル帥)+. (平田東助法制局長官),慕 教賓の鼠織は「今日予メ滋ニ於テ之ヲ明言シテ置キマスルト云フコト∼,本官ノ為シ能ザル所デアル81)+洞上),宗教委の権限についてほ「教義ニ立入ツテ裁決スルト云フコ・ト (ママ). -,此勅令ノ中デ擾メナイ政府ノ考デアル82)+ (斯波淳六郎内務省社寺局長)という程度 にとどまり,いずれも勅令の大綱をすら明らかにすることを,事実上拒否するものであっ.
(7) 75. 訓令12号の思想と現実(3). た。また主務官庁の監督権・認可権に関してほ,伊沢修ニが教派・宗派の認可規準を明ら かにせよと迫ったが,斯波社寺局長は「此処デ-中上兼ネル.+とつっぱねている83).この. ような政府委員の答弁にほ,天皇の名で出される勅令や官僚の権限には議員の容簸を一切 許さないという態度がはっきり現われているが,要するに出来るだけ拘束なしに宗教を取 締るというのが,政府の基本的姿勢だったと考えられる。この意味で宗教法.案ほ,穂積の 「干渉の自由を担操するもの+だとでもいう いう「信教ノ自由ノ担保+であるどころか,. ベきであろうし,松岡特別黍員が「此法案-紘テ宗教ヲ取締ル方ノコトノミデゴザイマ ス84)+と述べているのは,まことに卒直な言明だということになろうo 宗教の取締りに閲し,このように捜とんど完全なフt)-ソドの権限を官僚に与えよ ・. うとした宗教法案は,実質土宗教取締法案以外の何ものでもないのであるが,こんにちの 限から見てふしぎなことは,当時案外に世論の支持をうけていることであるoむろん個々 の条項むこ対する批判ほ数多くあったが,全体としてほ賛成・支持の意見が少なくない.支 持意見の若干例をあげると, 『太陽』は「何れの宗教を問ほず,此法律の下に立たんと欲す 「吾人は絶叫して る者ほ,之を公許して厚薄なき事,走れ法案第一の精'#+であるから, 此中庸宜しきを得たる法案の通過成立を望む+と,熱心な支持を表明し醐,. 『大帝国』は. 「宗教法案は大体に於て其宜しきを得たり。骨子に於て当を得たり+として,その理由を 「政府が宗教に対する一視同仁の態度を窺+い得る点に求めている86)。また『教育学術界』 ち,. 「宗教法案ほ執れの宗教にも何等の特権をも何等の便利をも与-ず。各宗教をして赤 「先づ公平なる法文+だとしている8n. 裸々にして生存競争をなすの椀会を与-たる者+で, キリスト教系雑誌でほ, -リストス教会の『正教新報』が「蓋し彼此の別なく諸宗を保護 『六合雑誌』に至っては, 「藩閥の余撃と称せられ,蘇 する公平の意ならん88)+と評し, 能内閣と固けらる山県内閣に取ってほ,実に近来珍しき上出来と謂ふ可し。而して同法案 の趣意公平なるは,又た吾人の大に多とする所なりs9)+とまでいっている.仏教教団ほそ の大部分が法案反対,教団首脳に長州系が多く山県内閣と連絡のあったといわれる真宗本 騎寺派が賛成と,賛否の色分けが明瞭であったが,教団と関係のない『仏教』誌は,宗教 「此の法案が,最初より仏耶両教を平等祝し 干渉の宗教法案は本来不必要だとしながら, たる精神に至りては,吾輩の少からず同情を表するところ40)+と述べているo. これらの賛成意見は,いずれも宗教法案が仏教・キ1)スト教を公平に扱っていることを 主な賛成理由とする点で,姪ぼ共通している。ただ『仏教』のみは,公平な扱いが十分徹 底していない点を批判しているが,むろん前引のごとく「仏耶両教を平等祝したる精神+. を寄めてはいる, 「法のもとにお叶る平等+の建て前からいえばしごく当然の「公平な扱 い+が,このように高く評価された原因の一つほ,当時の国民の間に姪ぼ定着していた絶. 対主義の権化としての山県のイメージ,ないし山県内閣-の不膚感に褒められるようであ る。前引『六合雑誌』のことばからもうかがわれ-るように,また『天地人』が「是等の特 権を各寮渡をこ平等に与ふるは,現囲むこ対して到底望む可らずとは,諸人の等しく信ぜし所 な引こ拘はらず,意外にも現閣が克く平等主義を格守したるほ,頗る多とするに足る者あ りo初め望をかくること静かりし者,之が為めに慶賀せざる可らずなりW+と述べている.
(8) 76. 久. 木. 幸. 男. ごとく'山県内閣が「法のもとにおける平等+の建て前を,宗教法案において貫徹すると は,予想も期待もされていなかっただ桝こ,宗教法案の「公平性+が,かえって高く評価 されることになったのである。その上,仏教徒のキリスト教阻止運動も,この「公平性+. をきわだったものに見せる役割を果した.前にもふれたように,キリスト教進出の形勢に 脅威を感じた仏教教団は,各宗管長会・公認数期成同盟会・大日本仏教徒同盟会などを結 成して,仏教教団のみを公認あるいほ公法人として承認すること,つまりキリスト教を公 認しないことを,政府に強く求める運動を展開し,宗教法案議会提出後ほ,法案反対運動 を進めていたのであるが,それとの対比において,宗教法案の「公平性+はますます高い 評価を受けるようになったのである。このことほ上引の宗教法案支持意見の多くが,公認 教・公法人化要求は不公平,宗教法案は公平という形で,法案賛成論を展開していること からも,たやすくうかがわれよう。その限り仏教徒の運動が,結果的にほ宗教法案賛成論 に手を貸すような形になっていることは否み兵乱、。それとともに,宗教法案の「公平性+ が山県内閣の絶対主義的性格や仏教徒の要求の不公正さとの対比でクローズ・アップされ ることになったため,その「公平性+が客観的にどういう意味をもつものなのかというこ とがすっかり見逃されてしまったことも,また否定し難いところなのである。 『仏教』誌が批判したような若干の不公平ほ残るにもせよ,宗教法案は概していえば仏 教・キ1)スト教を一応公平に扱っており,. 『大帝国』がいうように,. 「宗教に対する一視同 仁の態度+ほ確かに宗教法案においてよく保たれている。しかしこのト視同仁+にほ, 実ほもう一つの側面ないし意味がある。すなわちそれほ,すべての宗教団体が宗教法の支 配下に入ることを事実上強いられ,それを拒否する自由はまったく認められない,という 意味での「一視同仁+でもあったのである。前にかかげた宗教法案主要条萌のうち,この 意味の「一視同仁+にかかわるものとしては,次の3項目がある。. (1)教会・寺の法人化。. (2)認可団体以外の宗教上の会同の事前届出制。. (16)教師. 類似活動の禁止。 このうち(1)については12月14日の貴族院本会議において千家尊福が,原案に対 する最初の質問中にとり上げており,斯波社寺局長ほ,教会・寺院が法人にならないこと を「B[]段此法案デ-禁止スルト云フ方ノ規定-ナイ/デアリマス42)+と答えているo確か に非法人の教会・寺院を禁止するとの明文ほ法案にほない。しかし法人化しない教会・寺 院ほその土地建物等を処分されることになっている上に(原案附則48条),その宗教活 動は(2)の事前届出制の適用をうけるため,非常に制約される。結局,非法人の教会・ 寺院の存続・活動はきわめて困難になり,事実上不可能になるといってよいであろう。そ れゆえ宗教法案原案の狙いの一つが,教会・寺院等個々の宗教団体をことごとく法人化す るという形で宗教法のもとに完全に掌撞するという点にあったことは,ほぼ確かだといえ る。これに対して修正案ほ,全教会・寺院の法人化を緩和し,原案附則48粂も削除され ているが,. (2)がそのまま残された上に,. (16)が新たに追加された。. (16)は非教師. の宗教活動禁止という形で,非認可宗教団体の活動を全面的に禁止するものであり,結局 修正案でほ,非認可団体・施設は存続ほ認められるけれども活動ほ許されないという形に.
(9) 77. 訓令12号の思想と現実(3). なる。しかし活動なしに存続しても無意味なことほいうまでもないから,修正案にもまた, 非認可の宗教団体・宗教活動の存在を許さないト視同仁+の精神が貫かれているという 「萄モ宗教卜指名サレルダケノモノデゴザイマスレバ,此法律デ何レノモノ ことになる。 デモ皆支配スル考デアリマス48'+という松岡特別委員の答弁ほ,宗教法案の「公平性+,. 「一視同仁+性についての,きわめて直哉な説明というべきであろうo前に引いた多くの 論説が異口同音に歓迎した宗教法案の「公平性+とほ,実ほこうした宗教法による全面支 配を前提にした上での「公平な扱い+だったのである。 以上のほか,宗教法案中のとくに注目するべき条項としてほ, (3)安寧秩序を妨げ風俗を壊る宗教行為の禁止o (1)教派宗派の法人化否認. (12)布 (10)教師の政治活動禁止o (9)教師停止・禁止事由(安寧秩序の妨害など)o 教・儀式におけ早詐偽・誘惑手段の禁止o (18)教宗派・教会・寺に対する誹敦凌辱の. 禁止 などがある。このうち(1)はいろいろの点からみて,宗教法案の最大の限目だったので (3), (9), (12), (13)は教義-の干渉という意味で,(10)は宗 ほないかと考えられ, 教家の人権制限という意味で,それぞれ問題の多い条項であって,貴族院の審議では, (9)が取り上げられなかったのは, (1), (3), (12),(13)が質疑の対象となっている. 安寧秩序を害する教師の資格停止は当然と考えられたためであろうか,議会外の論説でも (10)も貴族院でほ問題になっていないが・それは ほとんど論議の対象とされていないo 貴族院議員たちの人権感覚からいって当然でもあろう。議会外では,宗教家の政治活動禁 「彼の教師をして殆んど政治上の不具着 止は彼らをト種の剥奪公権者扱いするもが4'+, たらしむるもが5'+,. 「宗教者は殆ど言論の自由を奪はれたるなり48'+I 「宗教者の政治上の. 権利を奪ひしは,不理極まる47'+などキ.)スト教・仏教を通じて批判意見が多いが,一方 にほ「教師たる者は断然社会運動の政治運動のと公言するを止め,過て其信者の教化に勉 め其道徳的修養を計るを必要とす48'+という,教化専念論-人権制限論も見られるoこれ に対して(3),. (12),. (13)は,院の内外でかなり論議されている.いずれも教義-の干. 渉になることが懸念されたからであるが,貴族院での政府答弁ほ・. (3),. (12)については. 「行為ヲ罰スル+のみで「教義其物ガ宜イトカ悪ルイトカ云フコげ-ナイ+,. (13)につ. (12)で詐 いても「教義ヲ論ズルコト-別段卜考-テ居リマス+という線に終始し49', 偽・誘惑手段を罰するならその定義を示せという要求にはまったく沈黙している60'o院外 『天地人』が(13)を宗教保護規定とみている の論説にはそれはど目立ったものはないo こと61,, 『大帝国』が ト般人民の自由を妨過+つまり宗教批判の自由を抑EEするものと. 批判していることが52),やや目につく程度であるo. 宗教法案の最大の娘目とも見られる(1)に関しては,一般の議論は余り活発でないo (1)において,教会・寺の法人化をほとんど強制(原案)あるいは承認(修正案)しな がら,教会・寺を包括する教派・宗派の法人化を否認しているのは・一見きわめて奇異の 感をいだかせるものがある。ところがこのことに疑念をさしはさむ人は当時あまり多くな 「教宗派を法人となさざるは適当 かった。それどころか自由主義仏教徒同盟会のように,.
(10) 7g'.. の勉置なう+と,. 久. 木. 幸. 男. (1)を積極的に支持する意見さえあったoしかも自由主義仏教徒同盟. 会が(1)の支持理由として,次の,ように述べていることは,すこぶる注目に蝕する。 教宗派を法人となさゞるほ,従来の本山末寺の関係を破壊するLものなりといふものあれども,書 徒は既に公認教に反対するものなれば,当戯教宗派を公法人とするを否認するものなり.1蓋し法律 上-切の寺を同一平等の法人とし,其本末の開拓の如きほ,一に各自の習慣により,適宜に処理 せしむることは,まことに理の当然とす58)o. 一見明らかなように・支持の論理ほ,公法人化反対即法人化否認賛成という形になって おり,仏教教団の公法人化要求運動が,かえって(1)の支持意見を誘発していることがう かがわれるolあるいは少なくとも,公法人化要求-の批判や反発が,. (1)に対する疑念 の発生を抑える働きをしているらしいことは・十分に推測し得る所である。公認教・公法 人化要勅ま前述のごとく`,宗教法案の「公平性+の意味を人びとに見誤らせる結果を生み 出したが,さらにその上に,教宗派法人化否認の意味をも見落させる役割までも果してい るのである。. ただし教宗派法人化否認の意味や狙いほ,貴族院の審議過程でもまったく明らかにされ ていないo恐らく官僚固有の慎重さを欠いたためであろうか,宗教法案の真の意図につい てたびたび卒直に語った松岡特別委員も,この点に関してはまったく口をつくoんでいる. 議員の謹もが問題にしなかったから松岡も沈黙L,この問題が明らかにならなかったので はないo森山茂は二度にわたって法人化否認理由を質問している。ところが答弁に立った 斯波社寺局長ほ,最初は「本山ト末寺ほフモノガーノ団体ヲ掃-チ,一ソレダケノ団体ガ 若シ出来タモノト君倣シタナラバ,之ヲ法人トスルカセヌカ,ソレ-即チ法人ト-為ラヌ, 本山自身-法人エナルケレF{・漸ウ云フ考デア.)マス+と,単に法文のままを述べて答 をはぐらかし,再度の問いには全然答弁していない54).そしてその直壊に質問打ち切りの 動爵が可決されたため,法人化禁止理由は結局公に明らかにされないままに終った.政府. 要員の答弁の不誠実に対してほ,村田保が「先亥採政府委負ニ御答弁ヲ聞キマスト,実ユ 要領ナ所-逃ゲテシマッチ,チットモ要領ヲ得ラレナイ叫+と批判しているが,. (1)が. 宗教法案の・ 「要領ナ所+であったればこそ,政府委員はその理由を明らかにし得なかった のであろ>うか。. (1)が宗教法案の眼目であったらしいことは,宗家法案否決後半年も経ない明治38年 8月1日, 「宗教ノ宣布文-宗教上ノ儀式執行ヲ目的トスル法人ノ設立等ニ閑スル規程+ (内務省令39号的)が出ていることからも,十分推察される.この省令は形の上では, 宗教団体が法人となる際の認可申請に必要な書類等を列挙しただけの,全文如境の短い 省令であるoしかし提出書類記載事項中に「宗教ノ名称及所属教派宗派ノ名称+が含まれ,. さらに申請軒こ際して「神仏道ノ教派叉-宗派ニ属スル去ノ品ア7)チ-凡テ管長ノ添書ヲ附 スべシ+ノとされていることによって,この省令が法人化を認める宗教団体が,敦会・寺等 の何々の宗教団体のみであって教宗派でほないということは胡自である。つまりこの省令 ほ,教会・寺院の法人化の東認と儀宗派の法人化否認・tいう,宗故法案中の(1)杏.,法 人化手続き裁定の倒置という形で,実現しようとしたものなのであるoまさに『仏教』が.
(11) 79J. 訓令12号の思想と現実(3). 指摘するとおり「失敗したる宗敦法案の一部分を,今回省令を以て断行t,たるもがり+と いうほかはない。こうした強引なやり方を政府がとったのほ,むろんこの「宗教法案の一 部分+が,-政府にとってどうしても実現しなければならぬもの,つまり単なる「一部分+ でほなく,まさしく宗教法案の限目だったことを示しているのである58). 宗教法案の限日である(1)の狙いが,社会勢力としての宗教教団の弱体化にあったこと ほ,ほぼ推察可能であろう。あくまでも財産や財政という物質的次元に限ってのことでは あるが, (1)がいっぽうでは教会・寺など個Br3宗教団体の法人化を進めようとしたこと (前述のように,政府による個別宗教団体の完全掌握という枠内でのことだが)その. 紘,. 相対的自立をはかったことを意味する。そして法人化-自立推進なら,法人化否認-自立 否定ということになるから,教宗派即ち費団の法人化否認は,教団の力を,その経済的・ 社会的な力を,弱体化しようとしたものということにならぎるを得ない。つまり個別宗教 (1)の狙いであり宗教法. 団体の自立とそれに反比例する形での教団の勢力剖減こそが,. このよう. 案の眼目,さらにいうなれば山県内閣の宗教政策の核心をなしているのであるo に考えて大過ないとすれば,大日本仏教徒同盟会の次のような(1)批判は,すこぶる的 を射たものということができそうである。=. 教会及寺を許可するは主務官庁の権利とせるが故に,之に対して教宗派なるものは何等の実権も なし。. --且つ教宗派なるものほ,法人権なきが故に,統轄せらるる教会若くほ寺よりも権能不明 にして,漸次現今の本山末寺の関係は被壊せむとするものなりo -是此法案が隠徴の間■に現今の (ママ) 各宗派を破鏡せむとする隠険なる分子を包蔵するものなり叫。, -. 「本末関係の破壊+, 「宗渡の破壊+というやや誇慕的な表現を割引いて考えれば,. (1). の狙いを的確に衝いているというベきであろう。そして(1)の狙いが鼓上の点にあり, かつそれが山県内閣の宗教政策の核心をなしていたとすれば,議員のたびたびの追及にも かかわらず,政府が教宗派法人化否認理由を明言するわけFL-いかなかったのは当然という ことになるo教団の勢力削減のためだとは,とうてい公言できるほずがないからであるQ これまで宗教法案の内容・性格・問題点などを,その審議状況・宗教界その他の反応と 併せておおまかに眺めてきたわけであるぶ,以上の概観を要約すると,宗教法案ほ宗教教 団の宙体化をその最大の狙いとしつつ,政府の手による全宗教活動・全宗教団体の完全掌 撞と,教義-の介入を含むあらゆる干渉を認める宗教取締法案であると一応結論づけるこ とができるのでほないかと思われるoそしてもしこの結論が東認されるなら,国家と宗教 との関係が宗教法案においてどのように構想されているかも,比較的容易に判明するであ ろうし,さらに訓令12号の実質的部分修正が,実は同じ宗教政策思想の所産であること ち,また明らかになるのではないかと考えられるのである。 注. (p・ 378ff.)軒こ霜舟. 1)当時のこの種の運動むこついてほ,柏原祐泉『日本近世近代仏教史の研究』 されている。. 2) 3). 趨無狂禅「宗教法案を論ず+ (『大帝国』第2巻 第3号,明治38年8月, 『欝十四回帝国議会貴族院議事速記録』 (以下『速記録』と略称) p. 595. p.. f.. 12).
(12) 80. 久. 木. 幸. 男. 4)この種の運動に批判的だった『仏教』誌ほ「群民を煽動したりしもの+ときめつけている(同 誌, 159号,明治33年2月, p.52) 5) 筆者蔵oこの文書は,片佼名混り文語文の「草稿+,本文に引いた成稿,および全文10条の 「沸教幻燈開設規則+の3篇から成る。いずれも「神奈川県橘樹郡+用動こ毛筆で記されてい 6) 7) 8). ll) 12) 13). 14) 15) 16) 19) 20) 21) 22) 28) 24) 25) 28) 31) 34) 35) 36) 37) 38) 39) 40) 41) 42) 44) 45). 46) 47) 48) 49) 51). 52) 53) 54) 56) 57) 58). るのは,筆者が郡役所関係者だったのであろうか。 『官報』4821号(明治32年7月27日) p.445f. 梅田義彦『日本宗教制度史(近代篇)』 p. 180o 『速記録』p・ 92。 p. 89fr. p. 572ぽ. 9)同, p. 10)同, 「宗教法案に就て+ (『天地人』26号,明治33年1月, p. 4) 「宗教法案と仏教徒+ (『六合雑誌』229号,明治33年1月, p. 2) 適無狂禅「宗教法案を論ず+ (『大帝国』第2巻 第3号,明治33年3月, 「宗教々師の兵役+ (『太陽』第6巻 第1号,明治33年1月, p. 37) 「宗教法案の否決+ (『教育時論』535号,明治83年2月25日, p. 35) 『速記録』p・ 104。 p. 106。 17)同, 18)同, p. 5570 梅田義彦『日本宗教制度史(近代篇)』 p. 1580 真宗大谷派寺務所『宗報』 18号(明治33年1月) p. 180 『速記録』p. 5830 真宗大谷派寺務所『宗報』 17号(明治32年12月) p. 300 「宗教法案に就て+ (『国家学会雑誌』第14巻 第155号,明治33年1月, 「宗教法案と帝国議会+ (『天地人』28号,明治33年2月, p. 91) 『速記録』p. 5950 26)同, p.94。 27)同, p.1020 同, p. 980 p. 589o 29)同, p. 102. 80)同, 同, p. 990 p. 590. 82)同, p. 104. 33)同,. 107o. p.. 13). p.. 101f.). 同, p.5820. 「宗教法案をして通過せしめよ+ (『太陽』第6巻 第1号,明治83年1月, p. 36) 趨無狂禅「宗教法案を論ず+ (『大帝国』第2巻 第8号,明治33年3月, p. 13ff.) 「宗教法案を読みて仏教徒に告(や+ (『教育学術界』第1巻 第3号,明治38年1月, p. 3) 影田馬太「宗教法案と仏教の運命+ (『正教新報』462号,明治33年3月, p. 8) 「宗教法案と仏教徒+ (『六合雑誌』229号,明治33年1月, p. 1) 「宗教法案を論ず+ (『仏教』158号,明治33年1月, p. 3fF.) 「宗教法案に就て+ (『天地人』26号,明治33年1月, p. 4) 『速記録』p. 93。 583。 p. 43)同, 「宗教法案に就て+ (『天地人』26号,明治33年1月, p. 7) 「宗教法案と仏教徒+ (『六合雑誌』 229号,明治33年1月, p. 3) 東京府下大谷派総末寺会「宗教法案反対の理由+ (真宗大谷沢寺務所『宗報』 18号,明治33 年1月, p.18) 「宗教法案を論ず+ (『仏教』158号,明治33年1月, p. 6) 「宗教教師と政治意見+ (『太陽』第6巻 第2号,明治33年2月, p. 34) 『速記録』p. 100, p. 106。 50)同, p. 980 「宗教法案に就て+ (『天地人』26号,明治38年1月, p. 4) 超無狂禅「宗教法案を論ず+ (『大帝国』第2巻 第3号,明治33年3月, p. 16) 自由主義仏教徒同盟会「宗教法案に対する意見+ (『仏教』158号,明治83年1月, p. 85) 『速記録』p. 96f, p. 592f。 5930 p. 55)同, 『官報』5124号(明治33年8月1日) p.10 「宗教法案と内務省令+ (『仏教』166号,明治33年9月,. p. 321) 政府が内務省令39号を出した意図についてほ,同時に公布された内務省令38号(明治31年 内務省令6号の改正)とあいまって,宗教法案に反対した仏教諸教団,とくに債券募集中の真 宗大谷派に打撃を与えようとしたものだと,当時からいわれている。省令38号ほ,寄附・負 債を募集し得る宗教団体は法人に限ること,募集には知事,内務大臣(募集地が2府県以上の.
(13) 訓令12号の思想と現実(3). 81. 時)の許可を必要とすることを規定しているが,省令39号は本文で述べたとおり'教宗派の 法人化を認めていないので,結局教宗派の寄附金募集は不可能になるわけである。信者の喜捨, 末寺の拠出金に財政的に依存している仏教諸教団の打撃ほ大きかったが,内務省ほとくに真宗 大谷源に対し,斯波宗教局長(社寺局は明治83年4月,神社局・宗教局に分れた)の名で, 「債券の義は其派に於て発行する義と認められ供。果して然らば宗派は法人の資格なきものに 付,起債すること能ほざる筋に侯間,右御衆知の上,相当の御措置相成度+という通牒を発し 「政府ほ予め一方にほかかる省令を発布して,大谷派等の財務を控 同派の募債を中止させた。 制+したという『仏教』 (166号,明治33年9月, p.321)の推測は,おそらく当っている と見てよかろう。、しかし打撃をうけた仏教諸教団が,その後内務省と折衝の結果,在来から慣 例化していた拠金・寄附は省令38号適用外とされ,結局省令38号ほ「事実上殆んど無効の 30号,明 ものとなり了れり+といわれている(楽庵「昨年の宗教+真宗大谷派寺務所『宗報』 p. 治34年1月, 28f)。しかし省令39号の方は「無効のもの+とはならず,教宗派の法人 化は宗教団体法(昭和14年)制定時まで阻止された。それゆえこの省令発布の目的の一つが 「大谷派等の財務を控制+することであったにしても,より大きい目的ほ,廃案となった宗教 法案の意図するところを,省令によって実現するにあったと考えられるのであるo p・ 300 59)真宗大谷派寺務所『宗報』 17号(明治32年12月) ⅤⅠⅠ. それでは宗教法案は,国家と宗教の関係をどのように構想し,宗教を天皇制国家秩序の 中でどう位置づけようとしていたのだろうか。宗教法案が宗教取締法奏であり,教団弱体 化・宗教-の権力的介入・全宗教の完全掌握が,いわばその三本柱をなすものであること ほ既述のとおりであるが,宗教法案ほ単なる宗教弾圧法案ではなく,その取締りは,後の 社会主義取締りなどとは違って,取締り対象の撲滅・根絶を意図するものでほなかった。 三本柱の主柱にも喰え得る教団弱体化にしても,決して教団解体を意味するのではなく, 社会勢力としての教団の成長,発展を少なくとも抑制し,教団を国家の前に弱い存在たら しめようとするものにはかならなかった。前にもふれたように,社会勢力としての宗教教 団は,すでに天皇制国家秩序の中にほとんど完全に組み込まれて了っており,その敵対勢 力となる可能性は皆無に等しかった。それゆえ当時の支配層は,宗教教団の勢力伸張を恐 れる必要をもたなかったはずである。しかし,これまた前述のごとく,天皇制イデオロギ ーの時代不適合性が露呈し,その面での深刻な動揺に直面していた天皇制国家としてほ, 思想・価値のレベルで依然として敵対・競合の可能性を残している宗教を,社会的に弱い 存在に封じ込めておくことは,自らの安泰のためにやほり必要なことだったのでほないか と考えられるのである。. もちろん教団弱体化のための方法として,その法人化否認が最有効だとの保証ほない。 財産や財政が社会的存在としての教団を支える現実的基盤であることはいうまでもないが, 教団が本来同信者の集団である以上,信仰ないし教義こそが教団を支える最大の現実的な カである。とくに仏教・キリスト教のような普遍的宗教の場合ほ,その教義が天皇制イデ オロギーとの敵対ないし競合の可能性をもっているのであるから,教義-の介入を主とす る宗教取締りは,天皇制国家とそのイデオロギーとの安泰のための,有効な保証措置とい う意味をもつことになる。しかし,普遍宗教の天皇制イデオロギーとの敵対・競合関係が 可能性レベルに止まっている限り,取締りは常時干渉という形をとるよりも,広汎な干渉.
(14) 82. 久. 木. 幸. 男. 権限を保留して,必要に応じ(つまり敵対可能性が現実性に転化しそうな時に)徹底的に 介入し得る余地を残しておくはうが,遥かに有効であろうo宗教法案が官僚に大幅なフリ ー・ハンドの権限を与え,内務省が帝国憲法28条尊重の方針1)をたびたび繰り返して明 らかにしているのも,こうした「必要に応じた取締り+を重視したからであるoしかもこ の随時介入の体制ほ,その威嚇効果によって,普遍宗教を教義・思想ないし価値の領域で, 天皇制イデオロギーに対してつねに開かれたものたらしめるという機能を併せもつ。威嚇 がいつも屈服・妥協・J協調をもたらすとほ限らないが,少なくとも潜在的敵対性が顕在化 することを抑止する効果は,相当あるほずだからであるQ しかし,威嚇むこよる抑止にほもちろん限界がある.威嚇に屈しない熱烈な信仰の事例は 史上に数多いし,随時介入体制の網の目から洩れる宗教活動も,むろんあり得る。それゆ え網の目を細かくして,全宗教,全宗教活動の完全チェック装置がしつらえられなければ, つまり一切の宗教活動が宗教行政の前に開かれていなければ, 「必要に応じた取締り+も 不可能になる。宗教法案が,政府の手による全宗教の完全掌握を目ざしたのは,こうした 泳絡のもとにおいてだったのである。 宗教法案否決後にほ,. 「細目に至りては,甚だ欠漏不備多きは明らか2'+と,その杜撰. さを非摩する意見も出たし,また法案賛成の立場からも「法案必しも完全なりと云ふ能ほ ず8'+との指摘が,早くからなされていた。これらの批判のとおり,・法案に不備多く,. 「完. 全+の名に値しないことは確かであろう。しかし少なくとも上記三本柱の実現という視点 から見れば,それなりに一応のまとまりをもっていたのではあるまいかo 『天地人』誌ほ, 内務当局がキリスト教の実情に無知で, 「某氏親しく内務省に到り,右(キリスト教)に 関する規定の不備を質問せしに,当局者其言を聞て初めて之を覚り得たるものゝ如く,此 等の点に就てほ全く不明なるを答-たり4)+と述べている。同誌がまったくの虚説を伝え ているとは思われないが,仮に当局者がキリスト教について無知であったにしても,彼ら ほ宗教法案を通じて何を実現するのか,宗教を国家との関係でどう位置づけるのかという 自らの目的には,決して無智でほなかったであろう。宗教法案ほ前記三本柱の線に沿って, 弱い教団,天皇制イデオロギーの前に開かれた教義,宗教行政の前に開かれた宗教活動と いう形での宗教の位置づけを目的としており,その限りでは一応のまとまりをもっていた のである。. そして,宗教法案のこの三本柱にはぼ対応するものが,訓令12号,その実質的部分修 正,さらに後述の宗教学校-の「特典+賦与という一連の措置においても,やほり見出さ れるのである。訓令が宗教学校の各種学校化を迫るもの,厳密にいえば,宗教学校に宗教 教育放棄か各種学校化かの二者択一を迫るものであることほ改めていうまでもないが,令. 種学校化が学校としての発展を阻害し,校勢不振をもたらすものであったことは,多くの 先行研究が指摘しているとおりであり8',また発布当時においても,. 「宗教学校の厄運8'+ と見られていたo訓令を発布した文部省自身も,このことほ十分予想していたであろうし,. 予想の上であえて発布したのであれば,宗故学校が校勢不振に陥ることを,訓令ほ狙って. いたともいえるのであるoもっとも,訓令のた捌こ各種学校化,ひいてほ校勢不振を余儀.
(15) 訓令12号の思想と現実(3). 83. なくされたのは,主としてキリスト教系中等学校であって,もともと各種学校であった仏 教系中等学校が,ただちに訓令の影響をうけたわけでほない.しかし明治36年,中学校 令による中学校になった豊山派中学林を噂矢として,浄土宗第8教校,模範仏教中学,浄 土宗第1教校などがあいついで中学校に転換しており,同様の転換はその後も引きつづい 「その て行われている(第7表参照)。いずれも各種学校としての発展に見きりをつけて, (模 範囲を広めて就業者を一般社会に求め+ (豊山中学校), 「宗教的教育を全然廃止し+. 範仏教中学一高輪中学校)たのである7)。また訓令12号の直寅影響ではないが,それと とくに関係深い私立学校令公布のために,教団が経営していた学校の大幅な整理統合に追 いこまれた,曹洞宗のような場合もある8). このように訓令は,文部省が予想し意図したであろうごとく,末永くつづく「厄運+杏 宗教学校にもたらしたのであるが,訓令にしても私立学校令にしても,決して宗教学校の 撲滅を目ざしていたわけでほない。私立学校令第1次案に見られた,宗教学校を含む私立 学校の撲滅という考え方が,第2次案以後放棄されたことはすでにⅢに述べたところであ るが,私立学校令が私学の存立を一応認めた上で,それを天皇制教育体系の片隅に位置づ けようとしたごとく,訓令も宗教学校の撲滅・宗教教育の全否定を直接には意図していな い。宗教学校を各種学校として正規の学校体系の枠外におくことを通じて,その校勢発展 を抑えることが,少なくともその狙いの一つだったとみるべきであろう。訓令12号ほ宗 教教育禁止訓令であるが,宗教教育禁止とほ具体的にほ正規の学校体系に属する小学校・ 中学校・高等女学校からの宗教教育追放,したがって宗教教育の各種学校-の封じ込糾こ ほかならないからである。この意味で,訓令の性格を「基督教教育実施校の傍系的容認9)+ に求め,あるいほ訓令ほキリスト教学校を「日蔭者+たらしめたとする見解10)紘,承認さ れるべきであろう。ただ上述のように,仏教系学校もまた訓令のために「厄運+をこうむ っている点を考えるなら,傍系的に容認され,日蔭老となった学校の中に,仏教系学校を も当然加えるべきではあろうが-o. 鼓上のように宗教学校の各種学校化による校勢不振を訓令が狙っていたとすれば,それ ほ宗教法案が教団法人化否認によるその弱体化を意図したのと,まったく現似の発想に基 づくということになる。ところが,宗教教育放棄か各種学校化かという二者択一を宗教学 故に迫った訓令ほ,反面,文部省をして別のジレンマに直面させるものでもあったo うのは,宗教学校が各種学校化の途を選んで,訓令にいう「学科課程二閑シテ法令ノ定メ アル学校+の外に立ちつづける限り,文部省の監督や干渉はこれらの学校にはあまり及ば ないことになるからである。私立学校令は,確かに私学-の監督干渉を厳重なものとして ほいるが,第1次実にあった文部大臣の第二次的監督権ほ第2次案以後は削られており (前々稿第1表参照),文部省の各種学校行政の体制も未整備であったから11),各種学校 となった宗教学校は,極端にいえば文部行政の上からほほとんど野放しに近くなってしま うo Vですでに述べたごとく,私立小学校廃校問題をめぐる対立において,東京府が文部. 省を押し切ることができたのほ,一つには東京における小学校未整備が直接原因だったに 違いないが,同時に私立各種学校が文部行政の直接手の届きにくいところにあったことも,. とい.
(16) 84. 久. 木. 幸. 男. 大きく作用していると考えられるのである。結局文部省はこの問題を通じて,宗教学校を 各種学校に抑えて校勢不振に追い込む代りに文部行政の手の届かぬところに放置しておく か,宗教教育禁止を緩和してでも宗教学校を文部行政の中につなぎとめておくか,という ジレンマに直面し,後者を選んで訓令の実質的部分修正にふみきったということになる。 むろんこのジレンマを文部当局者が十分に意識した上であえて後者を選んだのか,あるい は東京府に押し切られて訓令の実質的部分修正を迫られる過程で,その修正を宗教学校を 文部行政の網の目から逃さないような形のものとしたのかほ,、明らかでない。ただ9月上 旬頃,文部当局がキリスト教学校代表に「訓令は訓令として,宗教上の事は如何とも甘く やれるにあらずやとの,甚だ無雑作なる意見を以て答-た1乞)+との報道があるo これによ れば,私立小学校問題についての東京府の突き上げが激しくなる中で,文部省の態度は漸 次訓令の実質的部分修正の方向に傾きつつあったと見ることができる。ところが,私立学 校令・訓令の発布前に沢柳普通学務局長が,こんごほ宗教学校監督法が一般学校と同じに なるが, 「日曜説教祭式は公認1る)+されると語ったともいわれている。訓令の実質的部分 修正を前もって示唆したかにも見えるこの沢柳談話が事実であれば,文部当局者の一部ほ, 上記ジレンマに当初から気づいていたということになる。訓令修正についてかなりニュア ンスの異なる二つの考え方が文部省内にあったことがうかがわれるが,むろんこの両者は 調整されて,宗教教育禁止緩和の方針が一決されたわけである。しかしこの方針のもとに 樺山文相らが,キリスト教学校に訓令適用校となること,つまり中学校令準拠の中学校た ることをやめないことを強く求めているところをみると,宗教教育禁止緩和を条件に宗教 学校を文部行政の手の十分届くところにとどめておくことが,訓令の実質的部分修正の真 意だったのではないかと思われるのである。 訓令の実質上の部分修正についてほ,. 「此訓令は基督教学校に直接の影響を釆たすもの. から,彼徒大に恐心して反対運動を試み--多少寛大の処置を試みるの傾向ありしは,其 効と云ふベし14)+と,キ1)スト教学校の反対運動の結果だとする見方も,当時あった.し かし公平にみてそういい難いこと,東京の私立小学校問題が直接のきっかけになっている ことは,すでに述べたとおりである。その上前述のように,訓令がもたらすジレンマに早 くから気づいていたとすれば,文部省の選択はかなり明確な選択意識をもってなされたと 見るベきであろう。しかもこの選択が,宗教法案の三本柱の一つである全宗教の完全掌経 という政策構想に照応するものであることを考えれば,なおさらである。前々稿でも述べ たように, ほ,. 4月の私立学校令第1次案でほ古いタイプの国家教育権思想を固執した文部省. 6月の第2次案ではその政策を大きく変えている。そして宗教法案の政策構想に連な. る,私学の存立容認・監督強化という路線をとるようになり,宗教教育禁止規定の私立学 校令盛り込みについては内務省に抵抗したものの結局妥協し, 8月の訓令発布をみるわけ であるが,この訓令も基本的には宗教法案の思想と矛盾するものではない。. 5-6月頃に. 政策転換したのちの樺山文政は,一貫して内務省の政策思想に忠実であり,訓令の実質的 部分修正もまた,内務省の宗教政策構想の枠を一歩も出ず,それに忠実に従がう形になっ ているのである1さ)..
(17) 85. 訓令12号の思想と現実(3). ところがこの形はどこまでも形だ桝こ終った。宗教法案の全宗教完全掌握さながらに, 宗教学校を訓令適用校として行政的にしっかり抑えこもうとした文部省の企図は,完全に 失敗に終ったからである。樺山文相の強い説得にもかかわらず,訓令適用校となる宗教学 校はほとんどなかった。わずかにカト1)ックの暁星学校16)が明治32年中に中学校令準拠の中学校となったのみで,樺山が直接説得したプロテスタソト諸学校は,ことごとく訓令 適用校となることを拒否しているo訓令が実質上修正されたことは,宗教学校にとっては, 各種学校として宗教教育の完全な自由を保持するか,それとも宗教教育禁止のある程度の 緩和に満足して訓令適用校となるかという,新しい二者択一を求められたことになるわけ であるが,むろんどちらも望ましい途であるはずはない。前者は各種学校としていわば 「日蔭者の学校+となることを意味し,後者の宗教教育禁止緩和も「学校ノ事業トセスシ. チ,宗教上ノ講話,儀式ヲ行フ+. _こと申さ琴められる窄みだから,嘩局それほ「宗教教育の 日蔭老化+にひとしい。キリスト教学校の多くがこの二つの望ましくない途のうちの前著. を選んだ理由についてほ,先行研究やキリスト教諸学校の学校史などでも,ほとんど論及 されていないが,明治33年昌月,本多庸一が帝国教育会講談会で行った講演にほ,こ の問題にふれた一節がある。. 文部省の方でも余程手加減があると見えて,. (訓令の)解釈が違って釆たo. (ママ). も生徒でも, -箇人として互に銘々盾ずる老と共に礼拝すると云ふ 解釈にな-て釆たo. --校長でも教員で. -箇人ならば差支ないと云ふ. --そこで薪ふ云ふ訳であるから宜いじゃないか,学校q浩志者. い,そんなに困らないでも宜いじゃないかと。私共も或場合に於ては其位の裕取はあるものだと思 ひますが・併ながら之を真面目に考-て見ればそれはいかないo. ・-宗教の儀式も行℃マ,教育も解. 釈もして之を鼓吹して行くと云ふことは,兎に角に大切なことである。それが公然と法掛こなって'. 明文を以てならぬと云ほれた以上ほ,それはやられぬ。仕方がない。さう云ふことをやることは出 便利主義が非常に強 来ぬ。 --東洋諸国の-の症と云ふものは,何でも融通を付けて行くと云ふ い。それが東洋諸国の泣所である。日本に教育を施して日本の社会改良の工夫をしやうと云ふもの が,そんなことを許してはならぬo それほ教育の方針に於て非常な誤を生ずるo第一,そんなこと をどうも宜い加減にやると云ふことは,教育の大本を誤ると云ふことになるから,仕方がない,也 (ママ) むを得ず学校を閉した方が宜いと,斯ふ云ふ議論は中々力のある議論であります1ア)0. 訓令適用校となることの拒否理由として,法を順守するべきことや,. 「社会改良+を目. ざす「教育の方針+を大切にせねばならぬこともあげているが,宗教教育を「宜い加減に やると云ふことは,教育の大本を誤る+ということが,拒否の最大理由とされている。学 校の宗教準育ほ, 「学校ノ事業+として正々堂々と行うべきであり'それ以外の「宜い加 減+なやり方ほ,宗教教育を「日蔭者+扱いするものだと考えられているのであるoプロ テスタソト系学校の多くが,樺山の説得をふり切って各種学校の地位に甘んじたことに対 しては,当時「新教の蓬潤は独り其(訓令の)弊を受く18)+との耽評もあった。しかした とい「蓬潤+と評されようとも,宗教教育を日蔭老にすることにほ堪えられず,むしろ学 一校を日蔭者にする途を,多くのキリスト教学校は選択したのである。 むろんキリスト教学校の中にほ,この選択を「悲観的解釈+に出たものとして「正面より 法令訓令に従ひつつ,自由に理想的教育を施こす10)+こと,つまり訓令適用校となることを.
(18) 第7表 ① 学 校 名 (訓令12号発布時). 宗教主義男子中等学校の「特典+獲得状況. @. 学. 校. 中学校令準 ⑤ 拠年月日・中学 校名〔各種学校 としての改称〕. 名. 所属I所在地惰戸令13条適用. 大12.. 4.. 1. 也 華宗京都中学桓宗畑桓都I真宗京都中学 _杢室生塁壁 (明37. 真宗東京中学 真宗大沢 東 京 真宗東京中学 廃校) 2・27l弧5・ 6】 7.31. 33・. 同志社中学校. 同志社普通学校. 明治学院中学部. 日. 青山学院中学部. メソジ. 真. 基. 言. 4.. 21. 36.. 6.1 5. 〔同志社中学〕 〔明治学院中 学部〕. 額づ. 青山学院中等科】. ト. 宗. 33.. 1. 34.5.. 築拐学院中桓. 36.5.. l明窒品学校. *36・11・. 墓室重畳堂豊埜 東北学院普通科. 〔東北学院中 l日基沢卜由*l東北学院普通科 堅塾 +. 文学寮本科. 巨璽担車重妻 35.. 恒公会】大阪f桃山中学校. 桃山学院中学科 西肥仏教中学. 仏教中学 洞. 真. 宗. 言. 夏型直筆堂掌埜 曹. 宗. 洞. 第25中学林. 管 洞宗 宮. 東. 山. 学. 食 中 撃退 ̄軒. 城憎 2. 中学. 4.. *36.. 4.. 37.. 4.. 38.. 2.. 87.. 6.21. 38・. 7・. 慕. 宗 林. 38.. 4.. 88.4.. 明41. 4.. 竜谷中学校. 全 全. 1l大k4兵。古学校 1〔栴檀中学〕. 全. 38.. 4.. 1 (大6.3.廃校) 東京,全. 金光教. 岡. 山. 38.. 5.. *38・. 5・. 金 l明霊追学校. 浄土宗. 東. 京 浄土宗第1教校. 39.. 3.. 2. 都 浄土宗第5教校. 39.. 3.. 6. 40.. 8.. 1. 土宗. 東. 山. 学 学. 院. 部. 2.26. 臨済宗普通学院. 臨済宗1京都花園学院中学部. 41.. 2.10. 浄土宗第8教授. 土. 衣 鎮西中学校. 天 台 西部中学貴. 台. 型竪_空尋常中学林. 部. 1.. 桃山中学校. 4.. 41.. 学. 明35.. 全. 鎮西学院中等科 i二三垣づ. 通. 高輪中学校 竜,全. 掌. 轟西学館中学部. 普. 1. *37.. 明39. 4.. 38.. 院. 国「西「字「莞. 1. 京. 普 通 豊⊥逸⊥呈__選 旦_至空邑_空. 宗. 4.. 東. ト. 浄土宗第5教校. 宗. 義真言. 真. バプテス. 浄土宗第1教授. *39.. 2.19. 天. スl兵庫関 普. 台. 西. 通. 学 学. *41.. 宗. 3.. 校 東京,芝 明45. 2. 2. 東山中学校 36.. 6.. 41.. 4.. 4. 全. 3. 竺雌 i明璽15:出払坐 *38.. 5.. 41・. 院 部. 東山. 坐. 〔関西学院中 開 _9_・22l大2・10・1小比叡山中学〕 学部〕. *45.. 校l 宗 真宗尾衷中学桓宗大沢桓古屋i尾張中学 1l明岩垂古壷校桓, 2.23. *41・. 4・.
(19) 87. 訓令12号の思想と現実(3) (注). ①. 訓令12号発布後も引きつづいて中学校令準拠の中学校であった学校(立教・麻生など), 発布直後に中学校令に準拠した学校(暁星学校など)を除き,新たに各種学校として設立さ れた天理教校を加える。配列は徴兵令13粂適用順による。 ② 学校を設立あるいほその背景となった教団名。宗派に離合のあった真言宗・臨済宗ほ派名 を省略o金光教・天理教ほ明治32年当時ほまだ独立教派ではないが,のちの名称を用いた. 真宗大沢-真宗大谷派,真宗木沢-浄土真宗本願寺派,組合沢-日本組合基督教会,日基沢 -日本基督教会。 明治年間に適用された学校のみに限り,したがって年号は省略。 *ほ中学校令準拠の中学 校となったのちに適用をうけたことを示すo ④ 明治の場合は年号省略,大は大正の略。 *は中学校令準拠の中学校となったため,自動的 に専門学校入学資格を得たことを示す。 ⑤ 明は明治,大ほ大正の略。 昭和以後に中学校令に準拠した場合は省略。 〔 〕は大正末まで に改称された学校名。 ⑥ 愛-『愛知学院90年誌』。 青-『青山学院90年史』。 大-『大谷中高等学校90年史』。 金- 『金光学園の歩み』。 閑-『関西学院50年史』。 芝- 『芝学園誌』。 宗-『宗報』 (真宗大谷派)0 全-長坂金雄『全国学校沿革史』。轟-『鎮西学院90年史』。 東京-『東京の中等教育』 3 東北-『東北学院70年史』。 。同-『同志社90年小史』。 東山- 『東山学園百年史』。明-『明治学院90年史』o 竜-『竜谷大学三百年史』o. ③. 逸早く決めた立教中学校などがあったことは,前にもふれたとおりである。ところが同じ 聖公会系の桃山中学校ほ,明治39年, 「学校事業以外トシテ通常教授時間中ニー時間己 内宗教科ノ科業ヲ挟ミ,生徒ヲシテ随意二之ヲ受ケシムルノ計画+をたて,当局の意向を 打診している。訓令発布後7年近くを経て,その適用が緩和されるか否かを探り,もし可 能なら少しでも正面よりの宗教教育に近い形に近づこうとしたのである。大阪府から「教 授時間中二宗教科ヲ挟ム-,最モ然ル-カラスト存焼得共,為念之二関スル貴省ノ御意見 速二束知致度+との照会に接した文部省は「右-御見解ノ通リト存侯+と回答しており皇0), 訓令適用ほむろん緩和されなかった。しかしこの桃山中学校の打診ほ,聖公会系学校にも 「正面より+する宗教教育が望ましいという考え方のあったことを示しているといえよう。 ところで,宗教学校を訓令適用校たらしめようとした文部省の企図が,プロテスタソト 諸学校の拒否に遭ってみじめに潰れたあと,文部省ほ別の方法による宗教学校掌握の途を 打ち出してくるo宗教学校に対する徴兵令13姦通用,つまりその在学生-の徴兵潜予の 特典賦与がそれであって,明治32年12月頃に,ほぼその実施がきまったらしい21)o. も. っとも,宗教学校-の「特典+賦与は訓令とほ無関係という文部省の方針が,既述のよう に訓令発布当時から出されていたのであるから, 12月にその実施が決定されたとしても, それは既定方針に従っただけのこととも考えられるo. しかし10月の訓令の実質的部分修. 正による宗教学校掌撞の試みの挫折のあとに,その実施がきめられたらしいこと,. 「特典+. 賦与前の審査によって宗教学校の内情を詳細につかむことができること,訓令適用校とな ることを拒んだキ1)スト教学校も特典賦与を盛んに要求していること乞皇)などを考え合わせ ると,それが宗教学校を行政的に掌握するきわめて有効で確実な方法だったことほ疑えな い。その上,特典を与えるか否か,回収するか否かは,文部省の裁量軒こ属するから,この 点でも文部省ほ,宗教学校に対する絶大な統制力をもち得ることになる。宗教法案が監督.
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