近代ドイツの諸都市における人口の自然動態 : 19世紀中葉以降の出生率と死亡率の変動に関する統計の整理
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(2) 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態 ―19 世紀中葉以降の出生率と死亡率の変動に関する統計の整理―. 棚橋. 信明. Statistik der natürlichen Bevölkerungsbewegung der deutschen Städten von der Mitte des 19. Jahrhunderts bis zum Anfang des 20. Jahrhunderts. Nobuaki TANAHASHI. 1.本稿の目的 1816 年に 27.8%であったプロイセン王国における都市の人口割合は,1849 年に至っても 28.0% 1). とほとんど変化がなかったのが,1871 年には 32.5%,1910 年には 47.2%にまで増加する 。人口 史的な意味での都市化は 19 世紀中葉に開始し,帝制期に顕著に進展したのである。こうした都 市化の進展の背景には激しい人口移動があり,農村から都市への人口流入が重要な役割を果たし 2). たことを最初に明らかにしたのが W・ケルマンであった 。それ以降,ドイツの近代都市に関す る人口史研究は,人口移動の問題に,すなわち社会動態の問題に関心を集中させてきたといえる。 他方で,H・マッツェラートにより,帝制期の都市の人口増加において人口流入は必ずしも支 配的な要因ではなかったことが指摘されている。自然増加と社会増加の優劣とその変化には,個 別の都市により多様な特徴がみられたようである。こうしたなかで,東部からの人口流入の圧倒 的な恩恵に浴したとされるルール地方の工業都市においても,社会増加が自然増加を一貫して上 回り続けたわけでは決してなかった. 3). 。また,ドイツ西部最大の都市ケルンについてみると,社. 会増加が自然増加を継続して上回ったのは,「新市街(Neustadt)」の開発が急ピッチに進めら れた 1880 年代半ばの一時期のみであり,それ以外の時期については自然増加がつねに優勢であっ 4). た 。すなわち,19 世紀中葉以降の都市の急激な人口増加には,出生率と死亡率の変動による人 口の自然動態もきわめて重要な役割を受けもっていたのである。 筆者はすでに,都市ケルンの出生率と死亡率の変動に関して,統計資料に基づき変動の要因を 5). 含むやや詳細な検討を行った 。そこでは,プロイセンの 5 大都市や都市全体の平均値と対照し ながら,ケルンの自然動態の特徴を浮かび上がらせることに努めた。また,個別の都市としては, 王都ベルリンとルール地方の工業都市エッセンも比較の対象とした。本稿は,こうしてすでに取り 6). 上げたケルン,ベルリン,エッセンを含む全部で 10 都市について,おもに「プロイセン統計」. に依拠しながら自然動態に関係する統計を改めて整理しようとするものである。ここでの整理は, ケルンに関する先の事例研究の補足に役立つのみでなく,包括的な比較史研究の展望を得るため の準備作業としての意味をもち,19 世紀中葉以降の人口史的な都市化の実態的理解を進めるた めの重要な一ステップになるはずである。 本稿で取り上げる 10 都市はそれぞれ,人口規模や産業の発展のあり方によってさまざまな性 格を有する。これらの都市を類型的に分類すると以下のようになる。まず(1)ベルリン,ブレス.
(3) 72. 棚橋. 信明. ラウ,そしてケルンの大規模都市は,中心となる産業のとくにみられない多機能都市といえる。 他方で(2)デュッセルドルフでは機械工業が,(3)アーヘンとエルバーフェルトにおいては繊維工 業が 19 世紀中葉以降,都市の発展の推進力となった。また,(4)ルール地方のエッセンとデュー スブルクは,製鉄業や機械工業などの重工業によって急激に発展した新興都市であった。そして (5)フランクフルト(マイン)は商業を中心とする都市であり,最後に(6)ボンは人口規模の比較 7). 的小さな大学都市で,人口増加も緩慢であった 。 以下の「統計の整理」では,これらの 10 都市についてまず(A)都市の人口規模と人口増加の様 子が一覧表で示され,それに続いて,自然動態の基礎的データである(B)出生率・死亡率と自然 増加率が期間別の平均値として示される。そして,さらに(C)出生率変動の要因と(D)死亡率変動 の要因に関するさまざまなデータが統計表として整理される。ただし,これらの統計表では,統 計資料の不備によりつねに全 10 都市について統計値が示されるわけではない。他方で,考察の 一助とするため,プロイセン王国全体や全都市及び全農村の平均値が示される場合もある。そし て,こうした「統計の整理」の後で,各統計表に関して若干の考察を加えながら今後の研究で取 り組むべき課題を提示してみたい。 地図. 本稿で取り上げるドイツの 10 都市.
(4) 31,366 40,695 51,513 54,790 56,944 65,064 78,706 96,128 118,862 *231,360. 人口※2. } 99.1 } 66.5 } 15.9 } 7.9 } 28.5 } 41.9 } 44.3 } 47.3 }189.3. エッセン 増加率 (‰)※1. 36.7 44.1 42.5 32.2 34.4 40.1 12.5 25.2 16.0. } } } } } } } } } 16.3 52.5 37.3 34.2 14.1 23.7 22.7 26.6 22.8. 21,332 25,757 30,533 37,380 41,242 47,519 59,285 70,272 92,730 *192,346. } 69.1 } 46.4 } 56.1 } 20.7 } 30.4 } 49.5 } 37.1 } 63.9 }214.9. デュースブルク 増加率 (‰)※1. 人口※2. 171,926 *207,997 239,050 279,912 299,640 335,186 373,163 422,709 470,904. 163,919. ブレスラウ 増加率 (‰)※1. 人口※2. 122,162. 71,564 78,277 91,040 103,136 *136,819 154,513 179,985 *229,279 *288,989 334,978. } } } } } } } } } 31.3 40.8 33.2 65.3 25.9 33.0 54.8 52.1 31.8. フランクフルト 増加率 (‰)※1. 人口※2. 125,172 129,233 135,371 144,772 161,401 *281,681 321,564 372,529 428,722. 増加率 (‰)※1. } 8.2 } 8.1 } 11.9 } 13.9 } 23.0 }149.0 } 28.3 } 31.7 } 30.2. ケルン 人口※2. 22,492 23,801 26,030 28,075 31,514 35,989 39,805 44,558 50,736 *81,996. 人口※2. ボン. 63,389 69,365 80,695 95,458 115,190 144,642 175,985 213,711 253,274. 54,297. 55.8 23.6 40.8 36.6 41.3 51.1 43.3 42.9 37.0. } 19.4 } 23.4 } 19.6 } 24.5 } 28.4 } 21.2 } 23.9 } 27.7 }123.2. 増加率 (‰)※1. } } } } } } } } }. デュッセルドルフ 増加率 人口 (‰)※1. 6,016,267 *7,443,362 8,000,931 8,791,834 9,707,802 10,554,696 11,786,061 12,954,591 14,847,846 16,866,963. 人口※3. 30.6 21.9 18.4 14.9 23.8 16.2 13.7 44.7 13.1. 79.1 18.7 24.7 20.8 17.4 23.3 19.8 29.2 27.2. 増加率 (‰)※1. } } } } } } } } }. 全都市. 62,444 68,178 74,146 79,606 85,551 95,725 103,470 110,551 *135,245 144,095. } } } } } } } } }. アーヘン 増加率 (‰)※1. 人口※2. 13,238,872 *16,527,975 16,638,775 16,950,570 17,571,309 17,763,774 18,171,306 18,900,532 19,624,663 20,426,361. 人口※3. 17.8 23.2 32.2 32.1 33.5 30.5 21.3 25.3 7.5. } } } } } } } } }. 82.8 1.7 4.7 7.3 2.2 4.6 8.0 7.7 8.2. 増加率 (‰)※1. } } } } } } } } }. 全農村. 65,321 71,384 80,589 93,538 109,218 125,899 139,337 156,966 162,853. 62,008. エルバーフェルト 増加率 人口 (‰)※1. 19,255,139 *23,243,337 24,604,351 25,682,404 27,279,111 28,318,370 29,935,281 31,855,123 34,472,509 37,293,264. } } } } } } } } }. 69.0 14.6 11.0 12.4 7.6 11.4 12.8 16.4 16.4. プロイセン王国 増加率 (‰)※1 人口※3. Statistischen Bureaus, 18. Jg., S. 264; Statistisches Jahrbuch für das Deutsche Reich(以下 StJBDtR と略記) , 17. Jg., S. 1; StJBDtR, 29. Jg., S. 1; StJBDtR, 34. Jg., S. 1-3 などを参照。. Urbanisierung in Preußen 1815-1914, Stuttgart/Berlin/Köln/Mainz 1985, S. 386 に掲載のものを利用した。プロセイン全体の人口については,PrSt, H. 188, S. 2-5; Zeitschrift des Königlich Preußischen. S. 231; PrSt, H. 121, Teil 1, S. 217; PrSt, H. 148, Teil 1, S. 195; PrSt, H. 177, Teil 1, S. 407; PrSt, H. 206, Teil 1, S. 395 を参照した。プロイセンの都市と農村の人口については Horst Matzerath,. 出典:各都市の人口に関しては Preußische Statistik(以下 PrSt と略記) , hrsg. vom Königlichen Statistischen Bureau in Berlin, H. 10, S. 281; PrSt, H. 16, S. 166; PrSt, H. 39, S. 216; PrSt, H. 66, S. 272; PrSt, H. 96,. ※3 *は,対オーストリア戦争後の領土併合にともなう大幅な人口増加を含むことを意味する。. ※2 *は,前年度以降,人口 1 万人以上の地域をゲマインデ合併により編入し,それによる大幅な人口増加のあったことを意味する。. 註 :※1 前年度の人口に対する 1 年当たりの平均増加率を示す。. 1867 1871 1875 1880 1885 1890 1895 1900 1905. 1864. 年. 632,749. 702,437 826,341 966,858 1,122,330 1,315,287 1,578,794 1,677,304 1,888,848 2,040,148. 1864. } } } } } } } } }. ベルリン 増加率 (‰)※1. 人口. 1867 1871 1875 1880 1885 1890 1895 1900 1905. 年. 表A 都市の人口規模と人口増加. 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 73. 2.都市人口の自然動態に関する統計の整理.
(5) 38.3 36.9 41.3 42.3 36.4 33.1 30.4 27.6 25.0. 29.1 30.7 28.8 26.2 26.6 25.6 24.5 22.7 20.4. 全都市と全農村の出生率と死亡率は,死産を含む値。. 42.3 35.0 31.3 32.0 31.4 28.7 27.3 25.1 23.6. ケルン. 37.9 38.3 41.8 40.8 39.1 33.1 35.9 36.1 31.8. 26.3 29.5 26.2 25.2 23.6 22.1 21.4 19.6 17.7. 28.0 29.8 31.1 27.8 26.3 25.1 23.9 22.4 19.2. デュッセル アーヘン ドルフ. 31.8 35.9 40.2 41.0 39.1 38.8 39.3 40.1 36.1. 32.8 30.4 27.7 26.2 22.8 20.7 17.8 17.4 17.2. エルバー フェルト. 39.3 40.9 44.3 42.3 39.3 36.7 35.0 34.1 32.1. エルバー フェルト. 36.1 36.0 31.0 28.6 28.1 23.5 23.0 21.6 20.3. エッセン. 55.7 55.6 59.3 49.2 45.4 41.6 43.6 43.9 48.2. エッセン. 29.3 34.8 32.0 28.0 26.8 23.2 24.5 23.1 16.1. デュース ブルク. 47.3 46.7 55.9 48.9 46.8 44.1 44.6 44.0 35.7. デュース ブルク. 26.8 22.3 20.6 21.1 19.7 19.0 17.4 15.8 15.7. フランク フルト. - 27.9 29.6 33.6 28.6 26.5 25.8 28.7 27.1. フランク フルト. 23.7 23.6 25.9 26.3 26.6 27.1 25.9 25.8 23.1. ボン. 30.0 30.0 37.2 38.8 36.3 36.7 39.0 37.9 36.4. ボン. ※. 34.1 31.0 30.7 28.9 27.8 25.7 24.1 22.2 20.4. 全都市. 38.7 38.0 41.3 41.1 37.6 36.8 35.8 35.3 32.9. 全都市※. 29.3 27.6 28.3 26.3 26.5 25.4 24.3 22.4 21.3. 全農村※. (単位:‰). 41.2 38.8 42.0 41.1 39.8 40.3 40.2 40.0 38.9. 全農村※. (単位:‰). Oberbürgermeisters, Köln 1917, S. 8-9 の統計値を採用。. 1808, Berlin 1908, Teil C, S. 78-133 より作成。ケルンについては,Statistisches Jahrbuch der Stadt Cöln für 1915(以下 StJBStC 1915 のように略記) , 5. Jg., hrsg. im Auftrage des Herrn. 出典:PrSt, H. 48a, Teil 1, S. 62; PrSt, H. 188, Teil B, S. 106-111; PrSt, H. 229, S. XIV; Heinrich Silbergleit (Hrsg.), Preußens Städte: Denkschrift zum 100 jährigen Jubiläume der Städteordnung vom 19. November. 註:※. 31.9 32.2 31.1 29.1 26.4 22.3 20.5 18.1 16.8. ベルリン ブレスラウ. 35.3 36.2 41.1 39.9 36.9 37.7 38.6 38.9 37.3. ケルン. デュッセル アーヘン ドルフ. 棚橋. 1865~1867年 1868~1871年 1872~1875年 1876~1880年 1881~1885年 1886~1890年 1891~1895年 1896~1900年 1901~1905年. 期間. 36.8 39.4 39.9 40.7 36.6 35.3 35.2 34.4 31.7. ベルリン ブレスラウ. b) 死亡率(死産を除く). 1865~1867年 1868~1871年 1872~1875年 1876~1880年 1881~1885年 1886~1890年 1891~1895年 1896~1900年 1901~1905年. 期間. a) 出生率(死産を除く). 表B-1 出生率と死亡率(対人口1,000人). 74 信明.
(6) 再生産年齢 人口. 年. 19,270 45,142 49,819 44,168. 9.8 8.5 10.7 13.0 12.8 8.0 12.0 13.8 12.7. 6.5 10.6 16.6 16.2 16.5 16.0 17.3 16.7 14.9. 19.6 19.6 28.3 20.6 17.4 18.1 20.6 22.4 27.9. 2,202 3,569 4,545 3,927. 42,393 84,019 116,848 139,502. 139.8 146.9 131.0 96.6. 14,533 26,205 40,251 45,576. 総出生率 再生産年齢 (‰) 人口. 130.5 120.7 92.9 76.4. 総出生率 再生産年齢 (‰) 人口. 4,893 10,611 14,061 13,952. 25.8 24.0 25.6 27.2. 2,250 3,997 5,199 4,243. エルバーフェルト 割合 出生数 (%). 29.1 28.0 27.6 27.2. ブレスラウ 割合 出生数 (%). 18.0 11.9 24.0 21.0 20.0 20.9 20.0 21.0 19.6 - 5.7 9.1 12.5 8.9 7.5 8.4 12.9 11.4. 30,528 42,833 99,130 137,006. 154.8 152.5 129.2 93.1. 4,629 14,388 27,652 68,297. 総出生率 再生産年齢 (‰) 人口. 115.4 126.3 120.3 100.0. 総出生率 再生産年齢 (‰) 人口. 1861年については,統計資料の都合により再生産年齢を16~49歳として計算した。. 15~44歳の女子人口。. 26.3 25.4 25.6 27.1. アーヘン 割合 出生数 (%). 27.0 28.4 28.4 27.9. 5.5 6.3 14.0 15.8 15.4 16.7 17.9 20.5 18.4. 6.3 6.4 11.4 12.5 9.7 9.6 13.1 12.2 13.3. ボン. 4,105 5,780 14,341 15,088. 22.2 22.1 23.3 23.2. 1,066 2,798 4,982 9,269. エッセン 割合 出生数 (%). 25.3 26.5 26.6 26.5. ケルン 割合 出生数 (%). 表C-1 女子の再生産年齢人口※1の割合と総出生率(対1,000人). 6.1 5.5 12.3 13.8 10.3 12.1 14.2 16.1 16.9. ケルン. デュース フランクフ ブルク ルト. 11.9 11.2 13.7 14.8 13.3 14.9 15.9 17.5 17.6. 全農村. 230.3 194.5 180.2 135.7. 4,493,573 6,363,209 7,767,669 9,115,003. 総出生率 再生産年齢 (‰) 人口. 134.5 134.9 144.7 110.1. 総出生率 (‰). 4.6 7.0 10.6 12.2 9.8 11.1 11.8 13.0 12.5. 全都市. (単位:‰). 24.3 723,018 22.5 1,064,401 22.5 1,231,485 22.7 1,219,447. プロイセン王国 割合 出生数 (%). 160.9 167.3 158.5 133.8. 総出生率 (‰). Statistisches Jahrbuch Deutscher Städte(以下 StJBDtSt と略記) , Bd. 20, S. 78-85; Silbergleit, Preußens Städte, Teil C, S. 78-97 より作成。. 出典:PrSt, H. 5, S. 2, 15, 146-147, 162-163; PrSt, H. 48a, Teil 2, S. 22-25; PrSt, H. 96, Teil 2, S. 80-109; PrSt, H. 177, S. 154-171, 208-261; PrSt, H. 229, Teil 2, S. 16-27; PrSt, H. 234, Teil 2, S. 136-149;. ※2. 註:※1. 1885 1900 1910. 1861※2. 15,750 24,299 34,686 40,655. 147,642 373,880 536,526 578,149. 1861※2. 1885 1900 1910. 再生産年齢 人口. 年. -5.5 4.4 8.6 8.8 5.2 6.7 7.9 9.3 8.1. ベルリン 割合 出生数 (%). 6.4 4.8 10.2 13.2 10.0 10.8 10.0 9.5 8.3. ベルリン ブレスラウ. 出典:表B-1 と同じ。. 1865~1867年 1868~1871年 1872~1875年 1876~1880年 1881~1885年 1886~1890年 1891~1895年 1896~1900年 1901~1905年. 期間. デュッセル エルバー アーヘン エッセン ドルフ フェルト. 表B-2 自然増加率(対人口1,000人). 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 75.
(7) 1867年の数値。. 17.1 18.9 23.9 18.1 18.6 20.6 18.2 21.0 20.3. 17.2 17.5 22.3 17.3 17.6 18.9 18.9 20.1 20.3. 16.4 16.8 19.6 15.3 15.9 16.0 16.3 17.5 15.5. 21.2 21.3 24.0 17.9 17.4 18.0 17.4 19.2 18.5. 37.1 27.2 29.6 19.1 19.5 19.5 21.2 23.0 20.2. 21.1 21.2 25.4 17.2 17.3 17.6 17.5 19.7 14.6. 15.6 15.6 19.1 17.6 15.7 16.9 17.5 19.4 17.4. 22.3 21.4 24.2 20.7 18.7 18.9 18.7 19.3 17.3. 12.2※ 17.2 23.9 21.1 18.3 20.0 19.9 22.2 21.7. 23.8 21.9 28.7 22.9 20.5 22.1 21.0 22.0 20.9. ボン. 18.9 17.7 21.2 18.2 17.6 18.4 18.0 19.1 17.7. 全都市. 17.0 16.1 18.5 15.3 15.0 15.0 15.0 15.5 15.1. 全農村. (単位:‰). 42.2 46.5 47.3 48.7. 1861※ 1885 1900 1910. 40.3 51.3 53.7 55.5. ブレスラウ. 42.0 41.3 42.4 42.8. ブレスラウ. 43.7 44.5 51.3 54.9. ケルン. 40.9 42.1 48.1 51.4. ケルン. エルバー フェルト 48.4 54.8 55.4 62.8. 47.6 48.6 49.5 48.8. 46.6 55.2 47.7 55.2. エッセン. 59.5 56.0 54.9 59.4. エッセン. - - 52.0 53.9. 全都市. - - 49.1 50.7. 全都市. - - 58.0 57.5. 全農村. - - 55.3 56.3. 全農村. (単位:%) プロイセン 王国 52.5 54.2 55.3 55.7. 50.1 51.1 52.4 53.6. (単位:%) プロイセン 王国. StJBDtSt, Bd. 20, S. 74-83; StJBStC 1915, S. 6 より作成。. 出典:PrSt, H. 5, S. 146-147; PrSt, H. 96, Teil 2, S. 80-109; PrSt, H. 177, Teil 2, S. 154-191, 246-261; PrSt, H. 234, Teil 2, S. 136-181;. 47.5 49.4 50.4 52.2. アーヘン. 42.2 42.6 46.0 44.4. アーヘン. 1861年については14歳以上の年齢層についての割合。. 42.5 51.2 51.7 53.7. 1861※ 1885 1900 1910. 註:※. ベルリン. 年. [男子]. ベルリン. 年. エルバー フェルト. 表C-3 有配偶者率(15歳以上の有配偶者の人口割合). 棚橋. [女子]. ケルンについては,StJBStC 1915, S. 8-9 の統計値を採用。. 出典:Silbergleit, Preußens Städte, Teil C, S. 68-77; PrSt, H. 48a, Teil 1, S. 146; PrSt, H. 188, Teil A, S. 94-104, Teil B, S. 106-111; PrSt, H. 229, S. XIV より作成。. 註:※. 1865~1867年 1868~1871年 1872~1875年 1876~1880年 1881~1885年 1886~1890年 1891~1895年 1896~1900年 1901~1905年. 期間. デュッセル エルバー デュース フランクフ ベルリン ブレスラウ ケルン アーヘン エッセン ドルフ フェルト ブルク ルト. 表C-2 婚姻率(人口1,000人に対する婚姻者の比率). 76 信明.
(8) 38.5 35.9 -. 75.7 73.0 -. 58.4 53.8 55.3. 94.1 92.0 90.1. 45~49歳. 25~29歳. 48.4 47.0 -. 20~24歳. 89.1 87.0 -. 8.2 8.7 -. (生涯独身率). 45~49歳. 9.4 6.9 9.5. (生涯独身率). 45~49歳. 11.3 11.1 -. (生涯独身率). エルバーフェルト. 25~29歳. 20~24歳※. ベルリン. 25~29歳. 20~24歳. 12.1 12.4 13.8. (生涯独身率). 45~49歳. エルバーフェルト. 46.2 42.6 41.5. 78.5 74.5 70.6. ベルリン. 25~29歳. 20~24歳※. 91.3 91.0 -. 20~24歳. 95.4 91.6 -. 20~24歳. 65.2 62.2 -. 20~24歳. 83.1 77.7 -. 20~24歳. 48.6 56.0 -. 25~29歳. エッセン. 56.4 48.0 -. 25~29歳. ブレスラウ. 24.4 27.8 -. 25~29歳. エッセン. 49.0 45.5 -. 25~29歳. ブレスラウ. 6.8 10.2 -. (生涯独身率). 45~49歳. 8.1 7.8 -. (生涯独身率). 45~49歳. 5.6 6.4 -. (生涯独身率). 45~49歳. 14.8 15.2 -. (生涯独身率). 45~49歳. - 91.9 90.1. 20~24歳※. 95.2 90.5 87.8. 20~24歳※. - 71.8 66.8. 20~24歳※. 81.8 73.3 72.6. 20~24歳※. ケルン. - 48.8 49.3. 25~29歳. 全都市. 62.8 51.2 48.0. 25~29歳. ケルン. - 36.8 34.9. 25~29歳. 全都市. 50.7 40.2 37.1. 25~29歳. - 8.7 8.2. (生涯独身率). 45~49歳. 13.6 10.4 10.5. (生涯独身率). 45~49歳. - 12.2 13.4. (生涯独身率). 45~49歳. 18.9 14.2 14.3. (生涯独身率). 45~49歳. - 88.3 86.1. 20~24歳※. 93.1 91.2 -. 20~24歳. - 68.6 61.7. 20~24歳※. 82.9 80.0 -. 20~24歳. 出典:PrSt, H. 96, Teil 2, S. 80-109; PrSt, H. 177, Teil 1, S. 154-191, 246-261; PrSt, H. 234, Teil 2, S. 136-181; StJBStC 1915, S. 6 より作成。. 註:※ 1910年については21~24歳の値。. 1910. 1900. 1885. 年. 1910. 1900. 1885. 年. [男子]. 1910. 1900. 1885. 年. 1910. 1900. 1885. 年. [女子]. 表C-4 未婚率(各年齢グループにおける未婚者の人口割合) アーヘン. - 46.1 46.5. 25~29歳. 全農村. 58.3 53.7 -. 25~29歳. アーヘン. - 30.7 28.2. 25~29歳. 全農村. 50.2 48.0 -. 25~29歳. 45~49歳. - 8.3 8.2. (生涯独身率). 45~49歳. 15.0 13.6 -. (生涯独身率). 45~49歳. - 8.3 8.7. (生涯独身率). 45~49歳. 22.4 19.9 -. (生涯独身率). 92.3 90.3 88.4. 20~24歳※. 74.8 70.2 64.4. 20~24歳※. 51.2 47.4 48.0. 25~29歳. 8.1 8.5 5.4. (生涯独身率). 45~49歳. (単位:%). 9.9 10.0 6.6. (生涯独身率). プロイセン王国. 36.6 33.7 31.8. 25~29歳. 45~49歳. (単位:%) プロイセン王国. 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 77.
(9) 4,115 8,894 11,715 10,987. ブレスラウ 嫡出子 出生数. 179.0 184.1 166.0 124.5. 婚姻出生 率(‰). 1861年の「嫡出子出生数」は死産を含む「出産数」 。「婚姻出生率」もこれで計算。. 200.4 223.0 200.6 119.7. Bd. 20, S. 74-83; StJBStC 1915, S. 6, 8-9; Silbergleit, Preußens Städte, Teil C, S. 74-97 より作成。. 註:※. 2,138 3,824 4,932 3,694. エルバーフェルト 婚姻出生 嫡出子 出生数 率(‰). 10,667 17,147 24,591 30,866. 有配偶 者数. 22,993 48,318 70,558 88,223. 有配偶 者数. 3,427 10,805 19,612 52,071. 有配偶 者数. 16,490 24,726 64,001 94,895. 有配偶 者数. 1,038 2,698 4,813 8,943. エッセン 嫡出子 出生数. 3,696 5,115 12,639 13,226. ケルン 嫡出子 出生数. 302.9 249.7 245.4 171.7. 婚姻出生 率(‰). 224.1 206.9 197.5 139.4. 婚姻出生 率(‰). 683,726 1,017,296 1,182,121 1,125,001. プロイセン王国 婚姻出生 嫡出子 出生数 率(‰). 3,059,138 4,796,510 5,978,842 7,162,027. 有配偶 者数. 出典:PrSt, H. 5, S. 2, 15, 146-147, 162-63; PrSt, H. 96, Teil 2, S. 80-109; PrSt, H. 177, S. 154-171, 208-261; PrSt, H. 188, Teil B, S. 16-21; PrSt, H. 229, S. 4, 16-27; PrSt, H. 234, Teil 2, S. 136-181; StJBDtSt,. 234.8 234.2 202.7 140.7. 婚姻出生 率(‰). アーヘン 嫡出子 出生数. 2,109 3,430 4,342 3,677. 214.9 170.2 121.3 86.8. 婚姻出生 率(‰). 17,100 39,140 42,524 35,040. ベルリン 嫡出子 出生数. 信明. 1861※ 1885 1900 1910. 8,984 14,647 21,418 26,139. 有配偶 者数. 79,577 229,981 350,516 403,484. 有配偶 者数. 棚橋. 223.5 212.1 197.7 157.1. 年. 1861※ 1885 1900 1910. 年. 表C-5 女子の婚姻出生率(女子有配偶者1,000人に対する嫡出子出生数の比率). 78.
(10) 187.8 170.5 146.9 152.9 159.4 166.6 162.6 172.0 174.1. 147.6 140.3 131.8 130.5 133.0 126.7 132.7 151.1 155.3. 1865~1867年. 1867年の数値。. 115.3 115.8 105.1 113.5 117.5 100.9 101.1 113.0 113.1. ケルン. 55.9 52.2 46.8 51.4 50.6 55.6 51.6 64.1 71.4. 33.8 35.4 29.9 36.2 40.3 40.9 42.7 43.5 50.1. 38.6 32.4 30.6 32.7 38.6 36.9 44.5 49.0 61.7. 18.4 14.6 17.6 25.6 30.6 28.4 31.0 37.7 31.7. エッセン. 15.9 19.0 21.8 25.6 30.5 28.0 27.0 31.2 28.0. デュース ブルク. 170.8 140.6 119.8 101.8 104.7 108.6 126.2 122.2 128.3. 34.6 33.1 33.8 45.5 49.3 44.9 33.5 35.4 33.1. 43.9 45.2 41.3 38.8 38.8 35.0 31.3 35.3 35.6. 1865~1867年. 1875~1880年の平均値。. 51.0 43.9 42.0 37.2 35.9 31.3 27.7 31.1 28.4. ケルン. 52.8 49.5 55.1 48.8 39.9 32.6 27.6 28.6 25.1. 49.0 47.3 48.7 40.3 37.5 31.8 25.9 26.6 24.9. 62.3 64.8 63.1 48.4 41.2 37.1 32.0 32.5 32.2. 53.4 46.0 39.4 51.8 52.5 40.3 33.4 31.4 27.9. エッセン. 41.7 58.6 50.3 48.3 42.3 36.2 29.4 28.5 23.7. デュース ブルク. 40.5※1 36.3 33.6 36.6 36.2 33.8 28.9 32.9 32.3. フランク フルト. 出典:Silbergleit, Preußens Städte, Teil C, S. 98-133; PrSt, H. 48a, Teil 2, S. 31; PrSt, H. 188, Teil A, S. 28 より作成。. 1872~1874年の平均値。. ※3. 1867年の数値。. ※2. 註:※1. 1881~1885年 1886~1890年 1891~1895年 1896~1900年 1901~1905年. 1876~1880年. 1872~1875年. 1868~1871年. ブレスラウ. ベルリン. 期間. デュッセル エルバー アーヘン ドルフ フェルト. 表D-1 死産率(対出産数1,000). ※1. フランク フルト. 出典:Silbergleit, Preußens Städte, Teil C, S. 78-133; PrSt, H. 48a, Teil 2, S. 31; PrSt, H. 188, Teil A, S. 30 より作成。. 註:※1. 1868~1871年 1872~1875年 1876~1880年 1881~1885年 1886~1890年 1891~1895年 1896~1900年 1901~1905年. ブレスラウ. ベルリン. 期間. エルバー デュッセル アーヘン ドルフ フェルト. 表C-6 婚外子率(対出生児1,000人). 53.2 50.0 47.0 49.9 52.0 42.1 43.1 39.5 36.2. 43.6 42.9 42.1※2 41.4※3 40.1 36.8 31.9 32.2 -. 全都市. 102.3 98.8 89.5 89.5 91.1 95.5 93.1 92.6 94.9. 162.3 186.3 193.6 212.9 271.0 302.0 343.2 317.5 249.4. ボン. 全都市. ボン. 40.2 39.7 38.8※2 41.2※3 39.2 37.5 33.8 32.5 -. 全農村. (単位:‰). 76.6 73.0 66.0 66.0 68.3 73.3 72.9 68.6 65.5. 全農村. (単位:‰). 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 79.
(11) 365.5 300.7 305.0 309.2 292.2 275.5 260.1 247.4. 300.4 343.4 298.1 278.3 262.7 241.6 217.8 201.9. 1865~1866年. 1875年の数値。. 218.2 246.3 240.2 252.3 257.7 250.9 243.3 221.2. ケルン. 213.3 231.5 203.5 206.3 212.7 215.2 202.8 181.4. 259.5 282.4 250.0 258.6 264.7 272.4 239.7 205.0. アーヘン. 180.6 178.3 174.7 162.7 165.8 159.4 166.6 164.1. エルバー フェルト. 190.9 187.9 190.1 188.7 180.4 184.3 173.4 158.9. エッセン. 534.3 480.2 415.9 420.5 432.0 397.8 370.5 329.1 313.6. 428.7 485.8 430.3 413.4 408.9 359.0 329.6 289.1 263.6. 1865~1867年 1868~1871年 1872~1875年 1876~1880年 1881~1885年 1886~1890年 1891~1895年 1896~1900年 1901~1905年. 376.6 400.1 356.2 348.8 365.6 398.0 352.7 324.6 292.0. ケルン. 337.1 366.8 306.3 309.7 303.3 306.0 303.3 249.1 263.5. 397.2 412.0 410.6 361.8 - - - - 280.5. アーヘン. 360.3 347.9 304.5 308.6 272.9 268.7 239.7 242.9 244.4. 381.1 390.9 310.0 331.5 332.5 293.1 286.8 261.6 235.6. エッセン. 303.1 389.3 325.0 311.9 - - - - 257.0. デュース ブルク. - 288.0 243.0 259.9 268.4 274.7 248.0 210.8 210.9. フランク フルト. - 170.7 180.3 178.7 176.3 167.8 157.3 159.2. フランク フルト. 出典:Silbergleit, Preußens Städte, Teil C, S. 78-97, S. 134-149; PrSt, H. 48a, Teil 2, S. 22-25, 77-85; PrSt, H. 188, Teil B, S. 78 より作成。. ブレスラウ. ベルリン. 期間. エルバー フェルト. 160.0 209.5 187.0 192.1 201.0 193.7 213.8 181.4. デュース ブルク. 267.2 276.9 284.0 271.1 - - - - 256.9. ボン. (単位:‰). 184.1 198.7 199.4 211.6 229.3 202.6 201.4 192.1. ボン. - 246.3※ 228.4 228.8 227.0 219.2 211.3 -. 全都市. - 197.4※ 192.1 195.4 197.3 196.8 194.8 -. 全農村. (単位:‰). 棚橋. デュッセル ドルフ. 表D-3 0~4歳の乳幼児死亡率(対出生児1,000人). 出典:Silbergleit, Preußens Städte, Teil C, S. 98-133; PrSt, H. 188, Teil A, S. 28, Teil B, S. 55-57 より作成。. 註:※. 1876~1880年 1881~1885年 1886~1890年 1891~1895年 1896~1900年 1901~1905年. 1872~1875年. ブレスラウ. ベルリン. 期間. デュッセル ドルフ. 表D-2 生後1年未満の乳児死亡率(対出生児1,000人). 80 信明.
(12) 計. 4 14※3 29※4 49 69. 計. 4 14※3 29※4 49 69. 計. 4 14※3 29※4 49 69. 0 ~ 5 ~ 15 ~ 30 ~ 50 ~ 70 ~ 合. 計. 4 14※3 29※4 49 69. 年齢区分. アーヘン. 0 ~ 5 ~ 15 ~ 30 ~ 50 ~ 70 ~ 合. 年齢区分. ケルン. 0 ~ 5 ~ 15 ~ 30 ~ 50 ~ 70 ~ 合. 年齢区分. ブレスラウ. 0 ~ 5 ~ 15 ~ 30 ~ 50 ~ 70 ~ 合. 年齢区分. ベルリン. 7,647 10,785 17,491 14,369 6,907 1,354 58,553. 人口. 14,770 20,232 38,531 25,441 12,277 1,830 113,081. 人口. 16,506 21,071 44,307 39,093 15,196 2,478 138,651. 人口. 68,030 83,513 177,296 139,029 49,708 7,369 524,945. 人口. 1861年. 54.5 3.2 10.2 13.3 12.1 6.8 100.0. 113.7 5.4 8.2 13.5 34.6 131.1 27.1. 割合(%) 死亡率(‰). 865 83 110 237 240 128 1,663. 死亡者数. 1861年. 1,514 130 314 420 382 295 3,055. 死亡者数. 1861年. 1,902 104 278 575 508 298 3,665. 115.2 4.9 6.3 14.7 33.4 120.3 26.4. 102.5 6.4 8.1 16.5 31.1 161.2 27.0. 52.0 5.0 6.6 14.3 14.4 7.7 100.0. 113.1 7.7 6.3 16.5 34.7 94.5 28.4. 割合(%) 死亡率(‰). 49.6 4.3 10.3 13.7 12.5 9.7 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 51.9 2.8 7.6 15.7 13.9 8.1 100.0. 1861年 死亡者数 割合(%) 死亡率(‰). 7,733 448 1,452 1,882 1,720 966 14,201. 死亡者数. 12,099 19,248 26,714 23,956 11,075 2,543 95,635. 人口. 17,239 29,778 52,503 40,883 17,616 3,325 161,344. 人口. 32,185 57,442 89,734 80,147 34,591 5,518 299,617. 人口. 143,315 230,712 409,093 381,814 129,909 20,203 1,315,046. 人口. 1,313 71 151 335 357 276 2,505. 死亡者数. 1885年. 2,425 132 325 560 614 381 4,438. 死亡者数. 1885年. 4,774 271 723 1,581 1,385 656 9,390. 死亡者数. 1885年. 18,892 1,333 2,427 4,941 3,850 1,887 33,332. 死亡者数. 1885年. 131.8 5.8 5.9 12.9 29.6 93.4 25.3. 148.3 4.7 8.1 19.7 40.0 118.9 31.3. 140.7 4.4 6.2 13.7 34.9 114.6 27.5. 52.4 2.8 6.0 13.4 14.3 11.0 100.0. 108.5 3.7 5.7 14.0 32.2 108.5 26.2. 割合(%) 死亡率(‰). 54.6 3.0 7.3 12.6 13.8 8.6 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 50.8 2.9 7.7 16.8 14.7 7.0 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 56.7 4.0 7.3 14.8 11.6 5.7 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 15,891 26,810 39,326 32,594 17,062 3,550 135,233. 人口. 45,419 69,073 117,553 95,444 38,570 6,462 372,521. 人口. 46,790 77,226 128,289 109,557 51,415 9,363 422,640. 人口. 177,790 307,983 598,177 546,158 220,545 36,707 1,887,360. 人口. 1,307 82 155 294 494 407 2,739. 死亡者数. 1901年※2. 4,879 237 542 962 1,341 852 8,813. 死亡者数. 1901年※2. 4,953 318 817 1,614 2,003 1,237 10,942. 死亡者数. 1901年※2. 14,833 1,123 2,755 5,294 6,262 3,819 34,086. 死亡者数. 1901年※2. 83.4 3.6 4.6 9.7 28.4 104.0 18.1. 105.9 4.1 6.4 14.7 39.0 132.1 25.9. 107.4 3.4 4.6 10.1 34.8 131.8 23.7. 47.7 3.0 5.7 10.7 18.0 14.9 100.0. 82.2 3.1 3.9 9.0 29.0 114.6 20.3. 割合(%) 死亡率(‰). 55.4 2.7 6.1 10.9 15.2 9.7 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 45.3 2.9 7.5 14.8 18.3 11.3 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 43.5 3.3 8.1 15.5 18.4 11.2 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 表D-4 死亡者の年齢グループ別人口割合と死亡率(対人口1,000人)※1. 15,944 31,445 44,927 38,814 20,792 4,220 156,142. 人口. 58,817 100,588 150,821 142,918 54,770 8,613 516,527. 人口. 52,359 97,308 147,682 138,019 63,679 11,487 510,534. 人口. 172,764 323,559 634,658 623,317 270,680 45,860 2,070,838. 人口. 1910年. 823 59 156 315 616 425 2,394. 死亡者数. 1910年. 3,256 260 633 1,024 1,548 977 7,698. 死亡者数. 1910年. 3,251 306 863 1,625 2,251 1,379 9,675. 死亡者数. 1910年. 9,173 1,138 2,803 5,218 7,265 4,554 30,151. 死亡者数. 34.4 2.5 6.5 13.2 25.7 17.8 100.0. 割合(%). 42.3 3.4 8.2 13.3 20.1 12.7 100.0. 割合(%). 33.6 3.2 8.9 16.8 23.3 14.3 100.0. 割合(%). 30.4 3.8 9.3 17.3 24.1 15.1 100.0. 割合(%). 51.6 1.9 3.5 8.1 29.6 100.7 15.3. 死亡率(‰). 55.4 2.6 4.2 7.2 28.3 113.4 14.9. 死亡率(‰). 62.1 3.1 5.8 11.8 35.3 120.0 18.4. 死亡率(‰). 53.1 3.5 4.4 8.4 26.8 99.3 14.6. 死亡率(‰). 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 81.
(13) 計. 4 14※3 29※4 49 69. 計. 4 14※3 29※4 49 69. 2,759,182 3,571,890 5,136,203 4,366,625 2,060,298 328,650 18,222,848. 人口. 3,885 3,446 6,842 4,915 1,442 236 20,766. 231,856 26,631 35,032 54,141 73,680 45,272 466,612. 死亡者数. 1861年. 293 26 65 76 61 31 552. 死亡者数. 1861年. 63 160 201 204 121 1,396. 10,299 18,460 12,867 6,266 892 56,293. 人口. 647. 6.1 8.7 15.6 32.6 135.7 24.8. 86.2. 75.4 7.5 9.5 15.5 42.3 131.4 26.6. 49.7 5.7 7.5 11.6 15.8 9.7 100.0. 84.0 7.5 6.8 12.4 35.8 137.8 25.6. 割合(%) 死亡率(‰). 53.1 4.7 11.8 13.8 11.1 5.6 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 4.5 11.5 14.4 14.6 8.7 100.0. 46.3. 割合(%) 死亡率(‰). 3,726,819 6,407,112 7,329,316 6,520,236 3,625,448 707,010 28,315,941. 人口. 9,893 16,033 17,133 15,885 5,442 683 65,069. 人口. 24,618 28,738 25,914 9,913 1,862 106,480. 15,435. 人口. 1885年. 336,695 47,600 46,684 80,057 120,576 84,896 716,508. 死亡者数. 1885年. 998 105 127 259 173 113 1,777. 死亡者数. 1885年. 87 198 326 345 170 2,244. 1,118. 死亡者数. 3.5 6.9 12.6 34.8 91.3 21.1. 72.4. 100.9 6.5 7.4 16.3 31.8 165.4 27.3. 47.0 6.6 6.5 11.2 16.8 11.8 100.0. 90.3 7.4 6.4 12.3 33.3 120.1 25.3. 割合(%) 死亡率(‰). 56.2 5.9 7.1 14.6 9.7 6.4 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 3.9 8.8 14.5 15.4 7.6 100.0. 49.8. 割合(%) 死亡率(‰). 4,613,452 7,644,151 9,002,110 8,004,865 4,271,515 929,564 34,465,657. 人口. 17,180 23,876 39,282 27,410 9,760 1,245 118,753. 人口. 33,707 46,684 37,496 16,502 2,711 156,932. 19,832. 人口. 1901年※2. 347,439 29,896 45,037 75,327 129,467 117,819 744,985. 死亡者数. 1901年※2. 2,292 216 269 412 487 206 3,882. 死亡者数. 1901年※2. 121 178 313 476 295 2,703. 1,320. 死亡者数. 3.6 3.8 8.3 28.8 108.8 17.2. 66.6. 133.4 9.0 6.8 15.0 49.9 165.5 32.7. 46.6 4.0 6.0 10.1 17.4 15.8 100.0. 75.3 3.9 5.0 9.4 30.3 126.7 21.6. 割合(%) 死亡率(‰). 59.0 5.6 6.9 10.6 12.5 5.3 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 4.5 6.6 11.6 17.6 10.9 100.0. 48.8. 割合(%) 死亡率(‰). 5,010,639 8,939,948 10,499,998 9,622,771 4,970,904 1,092,877 40,137,137. 人口. 41,373 69,343 82,468 75,454 22,582 3,433 294,653. 人口. 35,123 48,452 44,347 20,388 3,572 170,192. 18,310. 人口. 1910年. 253,230 25,534 43,361 71,170 126,697 118,561 638,553. 死亡者数. 1910年. 1,451 169 344 503 593 314 3,374. 死亡者数. 1910年. 77 167 306 546 367 2,030. 567. 死亡者数. 2.2 3.8 6.9 26.8 102.7 12.3. 31.0. 35.1 2.4 4.2 6.7 26.3 91.5 11.5. 39.7 4.0 6.8 11.1 19.8 18.6 100.0. 50.5 2.9 4.1 7.4 25.5 108.5 15.9. 割合(%) 死亡率(‰). 43.0 5.0 10.2 14.9 17.6 9.3 100.0. 割合(%) 死亡率(‰). 3.8 8.2 15.1 26.9 18.1 100.0. 27.9. 割合(%) 死亡率(‰). 註:※1 人口及び死亡者数から,年齢不詳者は除かれる。 ※2 人口は1900年のものを採用。 ※3 1861年については5~13歳の統計値。 ※4 1861年については14~29歳の統計値。 出典:PrSt, H. 5, S. 2, 16, 146-147, 164-165; PrSt, H. 96, Teil 2, S. 80-109; PrSt, H. 177, Teil 2, S. 154-171, 208-261; PrSt, H. 188, Teil B, S. 60-61; PrSt, H. 229, Teil 2, S. 110-119, 152-161; PrSt, H. 234, Teil 2, S. 134-149; StJBDtSt, Bd. 19, S. 50-55; StJBDtSt, Bd. 20, S. 78-85 より作成。. 0 ~ 5 ~ 15 ~ 30 ~ 50 ~ 70 ~ 合. 年齢区分. 1861年. 死亡者数. 7,509. 人口. 棚橋. プロイセン王国. 0 ~ 5 ~ 15 ~ 30 ~ 50 ~ 70 ~ 合. 年齢区分. 計. 4 14※3 29※4 49 69. エッセン. 0 ~ 5 ~ 15 ~ 30 ~ 50 ~ 70 ~ 合. 年齢区分. エルバーフェルト. 表D-4 死亡者の年齢グループ別人口割合と死亡率(対人口1,000人)※1(続き). 82 信明.
(14) 自殺. 事故と他殺(処刑を含む). その他の疾病及び不明. 6. 7. 8. 呼吸器系の疾患※3. 産褥熱. 自殺. 事故と他殺(処刑を含む). その他の疾病及び不明. 4. 5. 6. 7. 8. 100.0. 286,807. 2,040.7. 95.4 240.4 287.8 242.2 5.2 24.0 33.0 1,112.8. 死亡率. 2,601.7. 235.3 344.9 244.3 278.7 13.6 31.9 36.2 1,416.8. 死亡率. 356,973. 14,590 37,721 51,979 47,182 830 4,086 6,545 194,040. 死者数. 231,336. 19,897 31,993 18,821 24,785 990 2,591 3,264 129,055. 死者数. 100.0. 4.1 10.6 14.6 13.2 0.2 1.1 1.8 54.4. 1900年 割合 (%). 100.0. 8.6 13.8 8.1 10.7 0.4 1.1 1.4 55.8. 1885年 割合 (%). 2,106.7. 86.1 222.6 306.8 278.5 4.9 24.1 38.6 1,145.2. 死亡率. 2,497.1. 214.8 345.3 203.2 267.5 10.7 28.0 35.2 1,393.1. 死亡率. 370,109. 13,444 42,912 44,126 53,243 1,132 5,318 8,719 197,742. 死者数. 272,432. 16,064 34,841 32,513 32,827 870 3,224 4,087 148,006. 死者数. 肺結核,百日咳,ジフテリア・偽膜咽頭炎を除く。. ※3. 100.0. 3.6 11.6 11.9 14.4 0.3 1.4 2.4 53.4. 1907年 割合 (%). 100.0. 5.9 12.8 11.9 12.0 0.3 1.2 1.5 54.3. 1891年 割合 (%). 1,705.4. 61.9 197.7 203.3 245.3 5.2 24.5 40.2 911.2. 死亡率. 2,268.4. 133.8 290.1 270.7 273.3 7.2 26.8 34.0 1,232.4. 死亡率. 354,353. 13,245 41,770 35,707 47,785 1,280 6,179 8,799 195,823. 死者数. 100.0. 3.7 11.8 10.1 13.5 0.4 1.7 2.5 55.3. 1910年 割合 (%). 出典:StJBDtR,13. Jg., S. 155-156; StJBDtR, 17. Jg., S. 190-191; StJBDtR, 18. Jg., S. 195-196; StJBDtR, 19. Jg., S. 195-196; StJBDtR, 24. Jg., S. 247-248; StJBDtR, 33. Jg., S. 442-443 より作成。. 胃・腸カタル,嘔吐をともなう下痢。. 麻疹・風疹,猩紅熱,百日咳,ジフテリア・偽膜咽頭炎,腸チフス,発疹チフス,インフルエンザ,天然痘。. 4.7 11.8 14.1 11.9 0.3 1.2 1.6 54.5. 13,401 33,781 40,451 34,037 732 3,369 4,635 156,401. 死者数. 100.0. 207,128 1895年 割合 (%). 9.0 13.3 9.4 10.7 0.5 1.2 1.4 54.5. 18,734 27,461 19,449 22,189 1,080 2,541 2,882 112,792. 死者数. 1881年 割合 (%). ※2. 註:※1. 消化器系の疾患※2. 3. 計. 肺結核. 2. 合. 感染症(結核を除く). 1. ※1. 産褥熱. 5. 因. 呼吸器系の疾患※3. 4. 死. 消化器系の疾患※2. 3. 計. 肺結核. 2. 合. 感染症(結核を除く)※1. 因. ドイツの人口15,000人以上のゲマインデにおける死因別死亡者の割合と死亡率(対人口10万人). 1. 死. 表D-5. 1,508.2. 56.4 177.8 152.0 203.4 5.4 26.3 37.5 833.5. 死亡率. 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 83.
(15) 因. 3,041 4,472 4,286 152 675 31,455. 231.2 340.0 325.9 11.6 51.3 2,391.5. ベルリン 死亡者数 死亡率. 311 1,073 1,034 12 209 8,850. 103.8 358.1 345.1 4.0 69.8 2,953.5. ブレスラウ 死亡者数 死亡率. 因. 79.7 90.1 174.7 33.5 107.6 167.6 304.7 132.8 18.8 42.7 230.5 32.6 27.5 1,442.9. 584 329 1,312 206 1,043 1,174 2,245 727 53 368 1,254 179 201 9,675. 114.0 64.2 256.2 40.2 203.7 229.2 438.4 142.0 10.3 71.9 244.9 35.0 39.2 1,889.3. ブレスラウ 死亡者数 死亡率. 496 560 750 225 941 1,102 1,433 474 84 238 1,076 114 205 7,698. 96.0 108.4 145.2 43.6 182.2 213.3 277.4 91.8 16.3 46.1 208.3 22.1 39.7 1,490.3. ケルン 死亡者数 死亡率. 心臓疾患,心臓麻痺,脳卒中,神経系のその他の疾患。. 出典:StJBDtSt, Bd. 19, S. 56-59 より作成。. 胃腸カタル,嘔吐をともなう下痢。. ※3. 麻疹・風疹,猩紅熱,百日咳,ジフテリア・偽膜咽頭炎,腸チフス,インフルエンザ。. 計. 1,651 1,867 3,618 694 2,228 3,472 6,312 2,751 390 885 4,774 676 569 29,887. ベルリン 死亡者数 死亡率. ※2. 註:※1. 合. 先天性虚弱 感染症(結核を除く)※1 肺結核 その他の結核 消化器系の疾患※2 呼吸器系の疾患 循環器系の疾患※3 癌及びその他の腫瘍 産褥熱など 老衰 その他 自殺 事故と他殺. 死. 52 339 0 11 25 2,359. 143 105 154 41 219 386 475 218 14 182 395 18 44 2,394. 104 398 182 10 63 2,130. 121 104 228 42 104 359 415 209 9 72 281 31 55 2,030. 72.2 62.1 136.1 25.1 62.1 214.2 247.6 124.7 5.4 43.0 167.7 18.5 32.8 1,211.4. 180 235 0 12 47 1,589. 300 245 309 88 443 636 692 185 21 114 361 39 141 3,574. 101.8 83.1 104.9 29.9 150.3 215.8 234.9 62.8 7.1 38.7 122.5 13.2 47.9 1,213.0. 276.7 361.2 0.0 18.4 72.2 2,442.2. エッセン 死亡者数 死亡率. エッセン 死亡者数 死亡率. 95.2 364.4 166.6 9.2 57.7 1,950.2. エルバーフェルト 死亡者数 死亡率. エルバーフェルト 死亡者数 死亡率. 54.3 354.1 0.0 11.5 26.1 2,464.4. 91.6 67.2 98.6 26.3 140.3 247.2 304.2 139.6 9.0 116.6 253.0 11.5 28.2 1,533.2. アーヘン 死亡者数 死亡率. 表D-7 1910年の死因別死亡者数と死亡率(対人口10万人). 出典:StJBDtSt, Bd. 1, S. 50; Silbergleit, Preußens Städte, Teil C, S. 115 より作成。. 138.8 332.7 280.7 8.7 57.6 2,612.7. アーヘン 死亡者数 死亡率. 棚橋. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13. 224 537 453 14 93 4,217. ケルン 死亡者数 死亡率. 麻疹・風疹,猩紅熱,ジフテリア・偽膜咽頭炎,腸チフス,発疹チフス,天然痘。. 感染症(結核を除く)※ 肺結核及び肺病 消化器系疾患(嘔吐をともなう下痢) 産褥熱 強制死(事故,他殺,自殺) 全死亡者(死産を除く). 註:※. 1 2 3 4 5. 死. 表D-6 1885年の死因別死亡者数と死亡率(対人口10万人). 84 信明.
(16) 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 85. 3.統計の整理に基づく若干の考察 (A) 都市の人口規模と人口増加 表Aは,1864~1905 年の人口調査年について各都市の人口を示し,さらに期間別の年平均増加 率を算出したものである。 まず最初に気がつくのが,人口規模のきわめて大きな相違である。ベルリン,ブレスラウ,ケ ルンの 3 都市は,プロイセン王国における人口順位で第 1 位~第 3 位をつねに占め続けたが,第 1 位のベルリンは第 2 位のブレスラウの 3.9~4.7 倍の人口規模を誇り,まったく別格の感があっ た。他方で,本稿で取り上げる都市のなかで最小の大学都市ボンは,ベルリンの 40 分の 1 から 28 分の 1 の人口規模であった。 そして,人口の成長スピードも都市によりさまざまであった。1864~1905 年にベルリンの人口 は約 3.2 倍に膨らんだが,同期間で成長倍率が最も大きかったデュースブルクは約 9 倍に,それ に続くエッセンは約 7.4 倍にもなった。もともと人口規模がそれほど大きくなかった新興の工業 都市で成長スピードが極端に大きかった。 さらに,この表から各都市の人口増加率には,市域の拡張を原因とする人口増加を度外視して も,激しい変動があったことがわかる。変動が比較的穏やかであったベルリンについてみても, 1 年当たりの平均増加率は 12.5‰~44.1‰の間を揺れ動いている。そして,こうした人口増加率 の上下動は,都市によって全くバラバラに生じていたことがわかる。 また,この表からは,ゲマインデ合併による市域の拡張が,都市の人口増加にきわめて大きな 作用を及ぼしていたことも確認される。そこで,郊外への市域の拡張は併合地域の人口を単純に 加えるだけにとどまらず,拙稿においてすでに指摘したように,異なった自然動態をもった地域 を市域に取り込むことをも意味し,都市の自然動態を大きく変化させる可能性のあったことにも, 8). 今後の研究では注意を払う必要がある 。 (B) 出生率及び死亡率と自然増加率 表B-1は,出生率と死亡率それぞれについて,表Aの統計年を区切りとして期間別の平均値 を整理したものである。 まず,出生率について驚かされるのは,都市により大きな相違があり,それによる格差が世紀 転換期までそれほど変わらなかったことである。全期間を通じて群を抜いて高かったエッセンと デュースブルクの出生率は,いつも最低水準にあったフランクフルトのおよそ 1.5~2 倍にもな った。また,都市全体では,80 年代に出生率の持続的下降が始まったとみることができるが, このような下降過程はすべての都市で一様に進展したわけではなかった。ケルン,デュッセルド ルフ,アーヘン,エッセン,フランクフルトといった都市では,80 年代に一度下降した出生率 が 90 年代に再び上昇しているのがわかる。 そして,死亡率についても都市による相違は大きかった。出生率の場合と異なるのは,都市間 の格差が次第に縮まる傾向にあった点である。また,都市全体の死亡率は 70 年代後半に持続的 下降を開始しているが,各都市の死亡率の下降過程についても多様な展開が観察される。たとえ ば,ブレスラウでは,死亡率が一度大きく下降をみせた後,70 年代後半に再上昇していること が特徴として指摘される。他方ボンでは,70 年代以降,90 年代に至るまで死亡率のはっきりし た下降が全く認められないのが特徴である。.
(17) 86. 棚橋. 信明. 続く表B-2は,出生率と死亡率の「差」として生じる自然増加率について,前表と同様の整 理を行ったものである。 この表から,自然増加率につても都市間に大きな格差があったことがわかる。たとえば,10 都市の格差が最も縮まった 1876~1880 年においても,デュースブルクの最高値 21.0‰はブレス ラウの最低値 8.8‰の約 2.4 倍にもなった。 そして,自然増加率には表Aの人口増加率と同様に,激しい変動も観察される。なかでも 70 年代の「高騰」は,すべての都市でみられる共通の現象であった。表B-1との対照により,こ れには同時期の出生率の再上昇が決定的な作用を及ぼしていたことがわかる。また,80 年代後 半以降,多くの都市で自然増加率の目立った「盛り上がり」がみられるが,その原因として,こ れらの都市では死亡率が下降を続けるなかで出生率の再上昇か,下降の一時的停止があったこと が表B-1により確認される。 いずれにせよ,表B-2に示される各都市の自然増加率の特徴をもった変動は,各々が多様な 変動をみせる出生率と死亡率の対応関係により現出されており,各都市の事例研究においては, まず第一に出生率と死亡率それぞれの変動に関する精緻な観察が必要といえる。 (C) 出生率変動の諸要因 表C-1は,15~44 歳を女子の妊娠可能年齢,すなわち「再生産年齢」とみなし,その人口 割合とその人口 1,000 人当たりの出生数の比率を「総出生率」として,1861 年,1885 年,1900 年,1910 年の 4 ヵ年について算出したものである。この総出生率は,再生産年齢人口の「出生 力」の指標とみなすことができる。 この表から,総出生率には都市によって大きな差があったことがわかる。この表に掲載される 6 都市のなかで,エッセンの総出生率は他の都市を大きく引き離してきわめて高く,ベルリンの およそ 1.6~1.9 倍であった。また,総出生率の推移も都市により相違があった。大きな相違とし て,ベルリン,アーヘン,エルバーフェルトでは 1885 年以降に下降傾向がはっきり現れるのに 対して,ブレスラウとケルンでは 1900 年以降でないと下降が始まらないことが指摘される。 表C-1には,再生産年齢人口の割合も示されるが,この割合と総出生率には負の相関を読み 取ることができる。ベルリン,ブレスラウ,ケルンといった伝統的大都市で再生産年齢人口の割 合がとくに大きく,この割合が大きいほど逆に総出生率が小さくなっていることが確認できる。 上記の伝統的大都市では未婚女性が家事奉公人として大量に流入していた事実がある。すなわち, これらの都市では実際には再生産に関与しない未婚者により再生産年齢人口が膨らんでいたので あり,これによって総出生率が引き下げられていたと考えられる。結局,各都市の再生産年齢人 口の出生力の内容については,「婚姻」との関係で問い直す必要があるのである。 また,ここでは統計表として示されていないが,各都市について年齢グループ別人口の構成を プロイセン全体と比較すると,上記の大都市で 15~29 歳の年齢グループの膨らみが顕著である ことがわかる。さらに,この年齢グループの男女の比率をみると,女子人口が圧倒的に優勢であ った。すなわち,都市による出生力の相違を理解するには,年齢別人口の構成や男女比のバラン スについても検討する必要が出てくるのである。 9). 次に表C-2は,10 都市の婚姻率を人口 1,000 人に対する婚姻者数の比率 として整理したも のである。 まず指摘できるのは,各都市の婚姻率には,期間別の平均値でみても,大きな相違と激しい上.
(18) 87. 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 下動があったことである。ここで問題にしたいのは,婚姻率と出生率の変動の相互の関係である。 先に参照した表B-1と対照することにより,各都市の婚姻率と出生率の変動にはかなりの同調 を見て取ることができる。この事実は,筆者がケルンについてすでに指摘したように,他の都市 においても出生率と婚姻率の変動に同じ要因が作用していたこと,そして,婚姻は第 1 子の出産 により出生率に大きな影響を与えていたことを示唆するものである. 10). 。. ただし,婚姻が単純に出生力につながったわけではないことも,ここで確認しておかなければ ならない。たとえば,ベルリンの婚姻率は 80 年代以降も,10 都市のなかでもきわめて高い水準 を維持したが,出生率は急激な下降をみせた。他方で,エッセンの婚姻率はベルリンと同水準に ありながら,出生率ではベルリンを終始大きく上回り続けたのである。 続く表C-3は,表C-1と同じ 6 都市,4 ヵ年について,15 歳以上の人口における「有配偶 者率」を百分率で整理したものである。 この表から,19 世紀中葉以降,有配偶者率には都市により大きな相違があったことがわかる。 女子の有配偶者率でこうした格差は歴然としており,新興の工業都市であるエルバーフェルトや エッセンで高く,ベルリン,ブレスラウ,ケルン,そしてアーヘンのような伝統的都市ではっき り低かった。また,有配偶者率には全般的に世紀転換期にむかって拡大傾向がみられたが,こう した拡大の過程も決して一様ではなかった。たとえば,女子の有配偶者率でみると,ケルンには 順調で急速な拡大がみられたのに対して,ブレスラウではほんのわずかな変化しかみられなかっ た。 そして,表C-4に示される未婚率は,この有配偶者率と密接な関係にあるものである。この 表では,20~24 歳,25~29 歳,そして 45~49 歳の 3 つの年齢グループにおける未婚率が,1885 年,1900 年,そして 1910 年について男女別に整理してある。婚姻適齢期に相当する 20~24 歳 と 25~29 歳の未婚率から,都市による婚姻年齢の相違と変化を見て取ることができる。また, 45~49 歳の未婚率は「生涯独身率」として利用が可能である. 11). 。. 1910 年について統計データが不完全ではあるが,この表から,一般的に結婚適齢期の未婚率 は男女ともに農村よりも都市で高かったこと,そして,エルバーフェルトやエッセンといった新 興の工業都市に対して,ベルリン,ブレスラウ,ケルン,アーヘンといった伝統的都市ではっき り高かったことがわかる。そのうえ,こうした伝統的都市では生涯独身率もはっきりと高かった。 「ヨーロッパ的婚姻様式」. の特徴とされる「晩婚」と「非皆婚」は,伝統的大都市で顕著にみら. れたのである。また,都市による未婚率の相違は,有配偶者率と同様に男子よりも女子において 顕著であった。 そして,未婚率の変化としては,全般的に結婚適齢期の未婚率の縮小傾向が,すなわち「早婚 化」が認められる。他方で,生涯独身率の順調な縮小を語ることは,どの都市についてもできな い。このことから,各都市における「早婚化」の進展こそが,表C-3にみられる有配偶者率の 拡大に重要な意味をもったといえる。6 都市のなかでも,ケルンにおける未婚率の縮小が男女と もにとくに急激であったが,これは前述のケルンにおける有配偶者率の順調な拡大に対応したの である。 こうして明らかにされた「早婚化」と有配偶率の拡大は,出生率に有利に働いたはずである。 ところが,表B-1に戻ってみると,ベルリンとエルバーフェルトでは 80 年代から出生率の継 続的下降が進み,ケルンやブレスラウでも 1900 年以降,出生率の顕著な後退がみられる。ここ.
(19) 88. 棚橋. 信明. で問題とすべきが,配偶者間に生まれる子どもの数の減少である。 表C-5は,女子の有配偶者 1,000 人に対する嫡出子出生数の比率を「婚姻出生率」として整 理したものである。この婚姻出生率の変化には,配偶者間に生まれる子どもの数の増減が反映さ れるはずである。 この表により,婚姻出生率にも都市によって大きな相違があり,その変化の仕方も都市によっ てさまざまであったことがわかる。たとえば,早くから急激な下降をみせたベルリンに対して, ケルン,アーヘン,エルバーフェルトの 3 都市の婚姻出生率は 1900 年ごろまでプロイセン王国 全体と同水準を推移し,下降もかなり緩慢であった。この時期まで,配偶者間の子ども数の減少 において都市が農村に対して必ずしも先行したわけではなかったのである。いずれにせよ,「早 婚化」と有配偶者率の拡大の一方でこうした子ども数の減少こそが,出生率を押し下げるうえで 大きな作用を及ぼしたことは明らかといえる。 配偶者間に生まれる子ども数の減少の原因については,「人口転換理論」との関連でこれまで もさまざまな議論が展開されているが. 12). ,このような議論を踏まえつつ,ドイツの各都市につい. てその原因を一つ一つ検証していくことがこれからの課題である。 他方ここで注意すべきは,婚姻出生率において問題にされるのは嫡出子のみであり,婚外子の 出生は考慮されないことである。表C-6は出生した婚外子の出生児 1,000 人に対する比率を, 期間別の平均値として整理したものである。 この表により,婚外子率は一般的に農村よりも都市ではっきりと高く,さらに都市によっても かなり大きな格差があったことがわかる。なかでもベルリン,ブレスラウ,ケルン,フランクフ ルト,そしてボンで顕著に高かった。したがって,こうした都市では出生率において婚外子の出 生が大きな比重をもつことになった。たとえば,ケルンの 1901~1905 年の出生率 37.3‰には, 婚外子による 4.4‰が含まれた. 13). 。. また,10 都市すべてについて,90 年代以降,程度の差はあれ婚外子率の増加傾向を見て取る ことができる。ベルリンやブレスラウではこうした増加傾向がとくに顕著であったが,他方で, 表C-5でみたように婚姻出生率の下降も進んでいたことを考えると,これらの都市では出生率 に対する婚外子出生の影響がいっそう大きくなっていったといえる。 婚外子率の相違には,住民の宗派が関係していたことがまず考えられる。プロイセン王国全体 でみた場合,カトリックよりもプロテスタントで婚外子率が顕著に高かったことは確かである。 たとえば,1865 年にカトリックで婚外子率が 61.2‰であったのに対して,プロテスタントでは 98.8‰に達した. 14). 。ところが,カトリックが圧倒的優勢であるケルンとボン. 15). で婚外子率が高か. った事実は,宗派のみで婚外子率の高低を説明できないことを示している。これまで都市の人口 史研究において婚外子の問題が取り上げられることはなく,今後は個別の都市について,婚外子 出生の社会的諸条件とそれによる自然動態への影響について検討していくことが必要である。 (D) 死亡率変動の諸要因 表D-1は,出産数 1,000 に対する死産の比率を期間別の平均値としてまとめたものである。 現在の人口動態統計で一般に問題にされるのは,死産を除いた出生率であり,死産を含まない死 亡率である。先に表B-1で示された出生率と死亡率も,こうした死産を除く統計である。とこ ろが,帝制期までのドイツでは死産を含めた統計が示されることも多かった。それは死産も自然 動態の重要な一部であり,ある意味で人口の減少に作用する「死亡原因」の一つと見なされてい.
(20) 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 89. たからである。 死産率についても都市による相違は大きく,また,3~5 年の期間別の平均値でみても都市ご とに激しい変動があった。エルバーフェルトでは 70 年代以降,急激な下降がみられ,ブレスラ ウとエッセンでは 70 年代~80 年代に急上昇と急下降が観察される。 ここで,個別の都市について死産率の変動を表B-1の死亡率と対照してみると,両者の変動 に多くの同調を確認することができる。それが最も顕著にみられるのはドイツ帝国創設期であり, 多くの都市で死産率と死亡率の「高騰」が重なっていることがわかる。このような事実は,死産 率の上下動には死亡率と同じ要因が係わっていたことを示唆している。 ところが,死産率の高い都市ほど死亡率も高かったわけではなく,また死産率と死亡率の変動 にはズレや大きな齟齬も確認できる。大きな齟齬として最も目立つのは,90 年代後半以降,死 亡率が下降を続けるなかで,多くの都市で死産率に再上昇がみられる点である。こうした死産率 の動きに関して筆者は,死産率の高い婚外子の出産増加や妊娠中絶による「人工死産」の問題を 指摘したが. 16). ,こうした社会史的問題が都市の人口史研究において検討されることは滅多になく,. これも今後の研究課題といえる。 次に表D-2は,生後 1 歳未満の「乳児」について出生児 1,000 人に対する死亡率を期間別の 平均値で示したものである。この乳児死亡率と次にみる乳幼児死亡率は,以下でも確認するよう に,全体の死亡率の推移においてきわめて大きな影響力をもった。 表D-2でもまず気がつくのは,都市により大きな格差があったことであるが,この格差は死 亡率の場合よりもいっそう顕著であった。そして,この格差は世紀転換期にかけて次第に縮小し ていったが,これは圧倒的に高い値を示したベルリンやブレスラウといった伝統的大都市におけ る急激な下降によるところが大きかった。 また,乳児死亡率の降下には,死亡率以上に困難がともなったこともこの表から読み取れる。 たとえば,デュースブルクとボンの乳児死亡率はもともと低い水準にあったが,世紀転換期にむ かってむしろ漸次的な上昇を示している。他方で,乳児死亡率が中間レベルにあったケルン,ア ーヘン,デュッセルドルフでは,80 年代~90 年代に中期的な「盛り上がり」が見て取れる。都 市全般として乳児死亡率の顕著な下降は,1900 年以降を待たねばならなかったといえる。 続く表D-3は,今度は 0~4 歳の「乳幼児」について,出生児 1,000 人に対する死亡率を整 理したものである。 この 4 歳以下の乳幼児の死亡率についても,都市の間にきわめて大きな格差があったが,この 格差も 20 世紀初めまでにかなり縮小していることがわかる。これも第一に,きわめて高いレベ ルにあったベルリンやブレスラウにおける,とくに 80 年代以降の急激な下降によるところが大 きかった。 そして,乳幼児死亡率についても,すべての都市で順調な下降がみられたわけではなかった。 たとえば,ブレスラウでは 80 年代前半に,そしてケルンでは 80 年代後半にピークを示す比較的 激しい上下の変動があったことがわる。他方で,デュッセルドルフについては 70 年代前半~90 年代前半の長期にわたり,乳幼児死亡率にほとんど変化のみられない時期があった。 また,表D-2と表D-3の比較から指摘すべきは,各都市で乳児と乳幼児の死亡率の変動が 必ずしも同調しておらず,それぞれが異なる特徴をもって推移していたことである。このことは, 各都市についての事例研究では,乳児と幼児の死亡原因について異なる観点からの考察が必要に.
(21) 90. 棚橋. 信明. なることを意味している。 次に表D-4は,死亡者の年齢グループ別の割合と各グループにおける死亡率を対人口 1,000 人の比率で算出したものである。 この表における割合の大きさは,全体の死亡率における影響力の大きさを意味する。そこで一 目瞭然なのは,4 歳以下の乳幼児が各都市で圧倒的に大きな割合を占めていることである。ただ し,都市によってその割合には比較的大きな相違があった。1861 年に乳幼児の割合が最大であ ったのは 54.5%のベルリンであったが,最小値はエルバーフェルトの 46.3%であり,これはプロ イセン王国全体の平均値を下回るものであった。 そして,こうした死亡者における乳幼児の割合の変化についても,都市により異なる特徴が観 察される。1861~1885 年の間にベルリン,ケルン,エルバーフェルト,エッセンでははっきり した増加がみられ,そのなかでもケルンとエッセンではその後も 1901 年まで増加傾向が続く。 それに対してベルリンとアーヘン,そしてブレスラウでは 1901 年以前にすでに後退が始まって いる。そして,1901 年以降にはすべての都市で顕著な後退がみられるが,1910 年に至ってもす べての都市で乳幼児が死亡者の最大グループであることに変わりはなく,また都市による割合の 大きな相違も依然みられた。 次に年齢グループ別の死亡率の推移を観察してみよう。これにより,全体の死亡率の下降につ いての年齢グループによる関与の度合を知ることができるはずである。1885 年以降について, まずプロイセン王国全体についてみると,70 歳以上の高齢者グループを除き,すべての年齢グ ループで死亡率の下降が進んでいることがわかる。こうしたなかでも,4 歳以下の年齢グループ の圧倒的な高さが目につき,この時代,乳幼児の死亡率を押さえ込むことが,全体の死亡率の下 降において重要な鍵を握っていたといえる。 そして,このようなプロイセン全体の一般的特徴は,ほとんどの都市にもおおよそ当てはまる ようである。ただし,4 歳以下の年齢グループの死亡率の高さとその下降速度には,都市によっ て大きな違いがみられたことにも注意を要する。ベルリン,ブレスラウ,ケルンの伝統的大都市 では,このグループの死亡率は 1901 年までプロイセンの平均値を大きく上回っていたが,下降 速度はかなり急激であった。それに対してエルバーフェルトでは,この年齢グループの死亡率は 1885 年にプロイセン全体の平均値をすでに下回っており,その後の下降は比較的緩やかであっ た。 また,エッセンにおける年齢グループ別死亡率の推移は例外的な特徴を示す。ここでは,まず 15~29 歳と 30~49 歳の中間グループを除く全年齢グループで,1861 年以降,1901 年までに死 亡率の上昇を見て取ることができる。そして,それ以降にとくに 4 歳以下の乳幼児と 50 歳以上 の高齢者で,死亡率のかなり急激な下降が生じている。 それでは,なぜ都市により年齢グループ別の死亡率とその変化にこのような大きな相違が生じ たのであろうか。次の死亡原因に関する統計の整理が,この問題の解明に取り組む端緒として役 立つはずである。 17). 表D-5は,「ドイツ帝国統計」 に基づき,ドイツの人口 15,000 人以上のゲマインデに関し て死因別による死亡者の割合と対人口 10 万人の死亡率を示したものである。この統計には大規 模化した農村ゲマインデも含まれるが,この表から一般的に中規模以上の都市においてどのよう な原因による死亡率が高く,また 80 年代以降,こうした死亡率にどのような変化があったのか.
(22) 91. 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. を概観することが可能である。 この表によれば,まず 1881 年に最も死亡率が高かったのは,肺結核を原因とするものであっ た。そして,この原因による死亡率は,80 年代終わりから着実に後退していっているのがわか る。これに続いて死亡率が高かったのは,肺結核以外の呼吸器系疾患によるものであったが,そ の死亡率は 1900 年ごろまで上下動を繰り返しており,顕著な後退が進むのは 1900 年以降であっ た。それにつぐ消化器系疾患の死亡率は,80 年代終わりからの目立った上昇と 1900 年以降の急 下降を特徴としている。最後に,主要な死亡原因として感染症があったが,その死亡率は肺結核 と同様に 80 年代の終わりごろから順調な下降をみせ,1900 年には 1881 年の 3 分の 1 ほどの値に 下がっている。 以上のことから,1900 年ごろまでの都市全般における死亡率の持続的下降に大きな役割を果 たしたのは,肺結核と感染症による死亡率の低下であったといえる。そのうち肺結核は圧倒的に 成人の病気であり,先の表D-4に関する考察結果と合わせると,各都市でみられた 15~49 歳 の中間グループの死亡率の低下には,この疾患による死亡率の後退が強力に係わっていたと考え られる。他方で,ケルンの事例研究から,他の都市でも消化器系疾患による死亡者の大部分は 4 歳以下の乳幼児によって占められていたと推察される. 18). 。表D-3や表D-4でとくに大都市で. 乳幼児の死亡率がきわめて高く,幾つかの都市では 80 年代~90 年代に大きな「盛り上がり」が みられたが,これには消化器系疾患による乳幼児の死亡率が強く関与していたことが考えられる。 19). 次に表D-6は 1885 年について,表D-7は 1910 年について「ドイツ都市統計」 に基づき 6 都市の死因別死亡率をまとめたものである。表D-6でアーヘンとエッセンについて,消化器 系疾患による死亡者がゼロとされていることから,死因による分類に統一的基準がなかたことが 問題として指摘され,また,1885~1910 年の間にも医学の進歩等にともなって病気の分類や判 定基準にもさまざまな変更があったはずである。このような留保のもとではあるが,この 2 つの 表から都市による死因別死亡率の相違と変化について,若干の考察が可能である。 まず,表D-6で気がつくのは,1885 年にはどの都市においても肺結核による死亡率がきわ めて高いことである。とくにエッセンやエルバーフェルトといった工業都市で高いことがわかる。 そして,この死因による死亡率は,表D-7との対照により 1910 年までにどの都市においても 大きく下降していることがわかる。ただし,1910 年において目立って高い値を示したのはもは や工業都市ではなく,ベルリン,ブレスラウ,ケルンといった伝統的多機能都市であった。 そして,表D-6において消化器系疾患による死亡者を掲載している都市のなかで,ベルリン, ブレスラウ,ケルンの死亡率がきわめて高いことがわかる。表D-5との対比により,これらの 都市では,この死亡率が人口 15,000 人以上のゲマインデの平均値を大きく上回っていることも 確認できる。また,この死因による死亡率には 1910 年までにどの都市においても顕著な下降が みられるが,ブレスラウとケルンにおける下降は遅れ気味であり,1910 年に至っても人口 15,000 人以上のゲマインデの平均値をかなり上回っていたことがわかる。 以上のことから,都市により死因別死亡率には多様な特徴があり,その変化も一様ではなかっ たことがわかる。こうした死因別死亡率の多様な動きが,各都市における全体の死亡率の変動に 作用していたのである。各都市の死因別死亡率の特徴についても,個々の死亡原因に関係するさ まざまな社会的条件を都市ごとに検討していくことが必要であろう。.
(23) 92. 棚橋. 信明. 4.むすびにかえて ここで取り上げた 10 都市をみるだけでも,19 世紀中葉以降の都市化の進展のなかで,各都市 の自然動態が実に多様な様相を呈していたことが明らかになる。こうした自然動態が,各都市の 人口増加において支配的な要因として重要な役割を果たしたのである。出生率と死亡率が自然動 態の 2 つの基本因子であったが,この出生率と死亡率にも都市によって特徴ある変動が見て取れ, さらにその変動に作用した種々の要因にも都市により大きな相違があることが,統計の整理を通 じて浮き彫りになった。 本稿では,出生率及び死亡率に関係した諸要因の統計を整理し,それぞれの統計表について考 察を加えたが,もちろんここでの考察は不十分なものにとどまる。すでに各所で述べたように, これから自然動態の複雑なメカニズムを解明していくには,個別の都市についてさまざまな社会 史的問題を一つ一つ検討していくことが必要となる。筆者によるケルンに関する考察は,そのほ んの取り掛かりにすぎない。今後こうした事例研究の積み重ねと,それを前提として展開される べき包括的な比較都市史研究により,都市化の進展における人口の自然動態の役割も次第に明確 になろう。. 〔註〕 1) Zeitschrift des Königlich Preußischen Statistischen Bureaus(以下 ZKPrStB と略記), 1. Jg., 1861, S. 10-25; ZKPrStB, 18. Jg., 1878, S. 278-279; Preußische Statistik(以下 PrSt と略記) , hrsg. vom Königlichen Statistischen Bureau in Berlin, H. 234, Teil 1, 1911, S. 2-13. 2) ケルマンの代表的な研究としては,Wolfgang Köllmann, Bevölkerung in der industriellen Revolution: Studien zur Bevölkerungsgeschichte Deutschlands, Göttingen 1974 がある。 3) Horst Matzerath, Urbanisierung in Preußen 1815-1914, Stuttgart/Berlin/Köln/Mainz 1985, S. 305-309. なお, 近代都市に関する人口史研究の動向については,拙稿「近代都市ケルンにおける人口の自然動態」『横浜 国立大学教育人間科学部紀要Ⅲ(社会科学)』第 9 号(2007 年)31-32 頁を参照。 4) Statistisches Jahrbuch der Stadt Cöln für 1913(以下 StJBStC 1913 のように略記) , 3. Jg., hrsg. im Auftrage des Herrn Oberbürgermeisters, Köln 1914, S. 8-9; StJBStC 1915, S. 23-24. 5) 註 3)に前掲の拙稿「人口の自然動態」。 6) 註 1)に前掲の「プロイセン統計局」によって公刊された ZKPrStB や PrSt などの統計資料。本稿ではお もに PrSt に掲載される自然動態に関する統計を利用した。 7) ここではおもに Gottlieb Gassert, Die Berufliche Struktur der deutschen Großstädte nach der Berufszählung von 1917, Greifswald 1917 による分類を参考にした。また,類型的分類に関しては馬場哲「ドイツにおける 近代都市史・都市化史研究について」『経済学論集(東京大学経済学会)』第 62 巻 第 3 号(1996 年), 74-76 頁も参照。 8) 拙稿「人口の自然動態」43-44 頁参照。また,ケルンの市域の拡張過程と人口増加の問題に関しては, 拙稿「近代都市ケルンの領域拡張と人口増加」『横浜国立大学教育人間科学部紀要Ⅲ(社会科学)』第 8 号(2006 年)15-37 頁を参照。 9) 今日の人口動態統計では,婚姻率は一般的に婚姻者数ではなく婚姻件数の人口 1,000 人に対する比率で 示される。 10) 拙稿「人口の自然動態」39-41 頁参照。.
(24) 近代ドイツの諸都市における人口の自然動態. 93. 11) John Hajnal, European Marriage Patterns in Perspective, in: D. V. Glass and D. E. C. Eversley (eds.), Population in History, London, 1965, p. 102 を参照。 12) 取りあえず,桜井健吾『近代ドイツの人口と経済―1800~1914 年―』(ミネルヴァ書房,2001 年)110-116 頁;阿藤誠『現代人口学―少子高齢社会の基礎知識―』(日本評論社,2000 年)34-35 頁 を参照。 13) StJBStC 1915, S. 8-9. 14) PrSt, H. 48a, Teil 1, S. 45. 15) とえば,1900 年にケルンではカトリックが 79.8%を,ボンでは 76.5%を占めた。PrSt, H. 177, S. 84-87. 19 世紀を通じてのケルンの宗派別人口の推移に関しては,StJBStC 1915, S. 3 を参照。 16) 拙稿「人口の自然動態」48 頁。 17) 「ドイツ帝国統計局」 によって公刊された統計資料。本稿では Statistisches Jahrbuch für das Deutsche Reich, hrsg. vom Kaiserlichen Statistischen Amt, Jg. 1 ff., 1880 ff.を利用した。そのほかに Statistik des Deutschen Reichs, hrsg. vom Kaiserlichen Statistischen Amt, Bd. 1 ff., 1873 ff.や Vierteljahrshefte zur Statistik des Deutschen Reichs, hrsg. vom Kaiserlichen Statistischen Amt, Jg. 1 ff., 1892 ff. がある。 18) 拙稿「人口の自然動態」51-53 頁参照。 19) 「ドイツ都市会議」 により公刊された Statistisches Jahrbuch Deutscher Städte, 1. Jg. ff., Breslau 1890 ff. を指 す。.
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