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現代における日本語およびその言語生活の変化について

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(1)序. 次. ↓h2Chang20f. 千年前までである。. 芦21apanese−anguage5.〇ur江me. 現代における日本語およびその一一一一芸渦生活の変化について. 目. 古田 恵美子. その人類と言語の時間の、ほんの最後の数パーセントにすぎない時間の間にも. 言葉を使う上での道具が次々と産み出され、人間がその道具を使うことで、言語 そのものをも変化させてきた。. − 5. 4. 1−3. 1−2. 1−1. 放送. 放送. 電話. 電信. 印刷. 文字. ︵テレビ︶. ︵ラ ジ オ ︶. 後にこの変化の方向性と考えられる﹁脱言語化﹂ について考察する。. ている言語の変化そのものを、いくつかの筆者の生の体験から記録、考察し、最. れを使うことによる言語自体の変化の歴史を振り返り、現在リアルタイムで起き. 本稿では、文字、印刷、放送、電信、電話などの言葉を使う上での道具と,そ. 言語の新しい道 具 と 、 そ れ に よ る 言 語 自 体 の 変 化. 1 − 6. 一章ま と め. 1. 1 − 7. 現代、その変化の速さは加速し、ほんの十年の間に過去の数百年分の変化が起. 1 −. なった。. 文字. ﹁同時性﹂、﹁同空間性﹂という言語の制約を取り. 払った。その結果、文字化された言語は現代まで、時と場所を超えて残るように. 文字の登場は、それまでの. ったから、同時性は免れることはできなかった。. なに広く考えてもその言語社会の中だけである。︶音を保存することはできなか. 応考察に含める。︶空間については広く考えることもできるが、︵ただし、どん. ていいかどうかは﹁言語﹂ の定義にもよるが、ここでは広義の ﹁言語﹂として﹂. ム、あるいは笛のメロディを使う等のこともあり、︵太鼓や笛を﹁言語﹂といっ. 間に限定された伝達手段だった。声とともに、あるいは声の代わりに太鼓のリズ. 文字が生まれる前、言葉とは、同一時間に声の届く範囲、すなわち同時・同空. 1−1. 1、言語の新しい道具と、それによる言語自休の変化. きているように思われる。. 1. 現代の新しい道 具 に よ る 日 本 語 の 変 化 事 象 と﹁強か﹂. 2 ﹁したた か ﹂. 文体に見る、思考の話し言葉化. に見る漢字化. 2−1. ﹁乳と卵﹂. 映像化とともに 進 む 脱 言 語 化. 212 3. 序 現生人類が生まれて約20万年。言語も多分、現代のチンパンジーなど高等な. 霊長類から考えて、簡単な話し言葉であれば、そのころから使われていたと思わ れる 。 この20万年の間の言語の変化・分化は非常に大きいが、私たちが、確実な証. 拠をもってその変化を跡付けられるのは、文字が残されているせいぜい約五、六. 一七.

(2) 73. 現代における日本語およびその言語生活の変化について. 古田. ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ. 恵美子. 一八. を考えているかのように思えるかもしれない。だが、もし君がそこで言われてい. ﹁それ︵書かれた言葉︶がものを語っている様子は、あたかも実際に何ごとか. ージ︶ ところで、それは良い事ばかりなのであろうか。現代の私たちは、当時の変ペ化. ﹃パ イ ド ロ ス ﹄ の な か で 次 の よ う に 言 っ て い る 。. を肌で感じることはできないが、ソクラテスが︵言ったとされる事をプラトンが 文字で記録した︶. ︵岩波文庫﹃パイドロス﹄藤沢令夫. れると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不. ﹁そもそも弁論術とは、これを全体としてみるならば、言論による一種のる 魂事 の柄について、何か教えてもらおうと思って質問すると、いつでもただひとつ の同じ合図をするだけである。それに言葉というものは、ひとたび書きものにさ. 九六ページ九行︶. 誘導であるといえるの で は な い だ ろ う か 。 ﹂ 訳. ﹁もし君が、こういった仕事にあたって、たんに熟練や経験だけに頼らず適 に当 、な人々のところであろうとおかまいなtに、転々とめぐり歩く。﹂ ︵三六 ︵同一二∴ヘー. ページ︶ 一つの技術によって事を行なおうとするならば、医者の場合には身体の本性を 、 ﹁この書かれた言葉と兄弟の関係にあるが、しかし父親の正嫡の子であるもう ひとつの種類の言葉について、それがどのようにして生まれるか、またこの書か. 弁論術の場合には魂の 本 性 を 、 分 析 し な け れ ば な ら な い の だ 。 ﹂ ジー二行から︶. ﹁神自身の名はテゥトといった。この神様は、はじめて算術と計算、幾何れ 学た と言葉とくらべて、生まれつきどれだけすぐれ、どれだけ力づよいものである. 影であると言ってしかるべきなのでしょうが。﹂ ︵同一三七ページ︶. か文 を、見ることにしようか。︵中略︶あなたの言われるのは、ものを知っている 天文学、さらに将棋と双六などを発明した神であるが、とくに注目すべきは、 人が語る、生命をもち、魂をもった言葉のことですね。書かれた言葉は、これの 字の発明である。︵中略︶当時エジプトの全体に君臨していた王様の神はタモス. であって、︵中略︶話が文字のことに及んだとき、テウトはこういった。﹁王様、. この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵はたかまり、もの覚えは. 要するにソクラテスは、文字の言葉は、書いた本人の備忘のための言葉の影に よくなるでしょう。私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから。﹂しか 過ぎず、その言葉を発した本人の、聞く相手を選んだ魂の入った言葉とは違うと し、タモスは答えて言った。﹁︵中略︶人々がこの文字というものを学ぶと、記. 言質 っている。すなわち、善かれた言葉は厳密に言うと時空を超えないのである。 憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性. 現代の私たちにとつて、書かれた言葉は当たり前のもので、ソクラテスの言う が植えつけられることだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを. 信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによ﹁ っ書かれた言葉の欠陥﹂はすぐには腑に落ちないかもしれない。けれども彼の言. うし 、﹁人を選ぶ﹂点、すなわち対面の言葉であれば、顔を見ながら、聞き手に理 て外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことを 解な できる言葉で話され、聞き手にわからない場合は、質問で確かめて伝達される、 ないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣では. すと なわち最も基本的なパーソナルコ㌻lケーション用の言葉であるのに対して、 くて、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵. 書た かれた言葉は現在の新聞と同じく不特定多数を相手にした一方通行のマスコミ いうのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあな. ニと ケーションの言葉である事を史上最初に指摘しているといえる。明らかにこの のおかげで、親しく教えを受けなくてももの知りになるため、多くの場合ほん. ︵同一三三ページから一三五. 点は現在考えてもパーソナルコミニケーション語とマスコミニケーション語との うは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われ る 質発 の違いとして厳然と存在する。しかも私たちは、ソクーフテスの時代と違って、 ようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが ゼミやシンポジウムのような場合を除き、正式にはパーソナルコミニケーション 達するため、つき合い に く い 人 間 と な る だ ろ う 。 ﹂.

(3) 72. 語で哲学などの論理的な言葉を語らなくなり、論文等の正式の業績としてはもっ ばらマスコミニケーション語の方で書くようになった。多分、ものの考え方も浅 くなっているのだろ う 。. にも達していたと推定されている。. 印刷技術の発展により、日本語は、広くマスコミニケーション語としての性質. を強めた書き言葉を共有し、多くの人が同じ情報を受け取ることが可能な言語と. て考えることが当たり前になった。そして書かれたことのみがその事実を証明す. に反して、いつしか言葉は書かれることが当たり前になり、書かれた言葉によっ. る、当時としては一番効率の良い方法をとつた。すなわち、漢文訓読文の伝統の. 日本は印刷の時代だったために、文字数が少なく、短い文章で多くの情報を伝え. この状態で、日本は明治維新を迎える。西洋の事物、思想を受け入れるとき、. なった。. ることとなった。たとえば、歴史は次の王朝によって書かれる。すなわち、真実. あった文語文から始めたのである。つまり、近代の ﹁学習﹂ は引き締まった文体. ソクラテスは、書かれた言葉と生の魂の言葉との相違を強調したが、彼の考え. であるかどうかに関わらず、次の王朝によって歴史は作り直されるのである。そ. の本から多くを読み取り、思考することから始まった。. また、第二次世界大戦後は、漫画雑誌が爆発的に読まれるようになったが、絵. 聞の文体変化などの試行錯誤を経て発達していった。. その結果、文語文体は初期の漢文訓読文体から、欧文訓読体、言文一致体、新. 大量の知識の学習に寄与した。. 化し、より速く、より大量の印刷物を、比較的安く調達できるようになり、より. 印刷技術自体も明治時代には近世の木整版から近代の金属活字活版印刷へと進. して書かれなかった こ と は 存 在 し な か っ た こ と に 等 し い 。 皮肉な話ではあるが、現代の私たちは、書かれた言葉によってソクラテスの考. 印刷. えを知るしかない。 彼 に と つ て は 不 本 意 で は あ ろ う が 。. 1−2. 書き言葉をよりマスコミニケーション語として進めたのが、印刷技術である。 ここでは印刷技術と日本語について考えたい。. という言語によらない表現が中心の物語であるコミックも、平安以来の絵巻物や. 絵本の流れを汲むものではあるが、印刷技術の発展によって社会全休に対する影. 日本では、七世紀の百万塔陀羅尼が最古の印刷物と考えられる。しかし、その 後二世紀まで印刷物の遺存はなく、以降江戸時代初期まで、仏経か漢籍に限ら. 響力は強まったのである。. 電信. 電信はペリーが一八五四年に日本に持ち込み、一八六九年に東京横浜間で電報. 1−3. れてきたが、江戸に入ると爆発的な印刷時代となり、官版の漢籍類はもちろん、 膨大な節用集の類、寺子屋の教科書から、趣味のハウツー本といってよいもの、 娯楽用読み物、瓦版まで様々な書物や印刷物が出版された。 これによって、日本語にはどのような変化があったか。日本語史において、江. が打てるようになった。一八七一年には長崎から上海、ウラジオストク、一八七. 三年には東京長崎間に電信が通じ、西南戦争の一八七七年には東京鹿児島間に電. 戸時代の前後の変化には次のようなものがある。 1、接続詞の増加. 信が行き来したという。一般生活の中でも現在の電話なみに使われた。. 恵美子. ことを﹁ウナ﹂. ということばができた。. 一九. を並べるいわゆる電文体を生んだ。また、緊急電報のウナ電から、一般に緊急の. 屠体よりも文字数が少ない。︶をカナ文字化し、濁点・半濁点を省略して自立語. 電信は、濁点・半濁点等を含めて一文字あたりで課金されるため、文語体︵口. 2、格助詞の使用 の 増 加. これらの変化は、いずれも不特定多数の読み手を相手に、文のつながりをわか りやすくするために必要な語を増やす方向であるといえる。 また、言語そのものよりも言語生活の上で大きいのが、識字率の飛躍的な伸び. 古田. である。都市か農村かによって異なるが、幕末の江戸では識字率は七割から八割 現代における日本語およびその言語生活の変化について.

(4) 71. 電話. 現代における日本語およびその言語生活の変化について 1−4. 古田. 恵美子. 二〇. に伝える話し方の工夫、聞き手の音声言葉を聞き取る集中力の高度化など、言語. おそ よび言語生活上、大きな変化があった。 これまで、文字、印刷、電信と、主に書き言葉を載せる道具について、言語. のものの変化との関係を考えてきた。今度は、電話、ラジオ、そしてテレビと、. 1−6 放送︵テレビ︶ 音声言語を載せる道具について考えておきたい。 テレビの東京での放送は一九五三年からである。一九六〇年代から家庭用テレ 日本では、電話は一八九〇年東京横浜間に開通、一八九九年に東京大阪間に開. ビで が普及し、高度成長時代にラジオに替わり、広く深く国民生活に根を下ろして 通した。普及の速度は遅く、全国的に本格的に普及したのは第二次世界大戦後. いは った。一九九五年にインターネットが社会全体に普及するまで、情報収集手段 あり、それまでは限られた階層のものであったため、日本語そのものへの影響 のに 中心的存在であった。 この段階では大きくなかったが、一九六〇年代以降国民生活における情報伝達. テレビは、音声や文字だけでなく、新しく﹁映像﹂が加わった疑似直接体験︵バ 無くてはならないものとなり、伝達の手段を文字言語から音声言語へと大きく変. ーチャルリアリズム︶である。テレビの登場以前にも映画という同じく音声、文 化さ せ た 。 字い 、。 映像からなる媒体はあったわけだが、映画館に行って、上映時間に合わせて 電話は空間を超えた疑似直接対話であるが、相手の表情など視覚的情報は無. 享の 受しなければならなかった。すなわち、時間、空間を超えられなかった。テレ また、一九九〇年代以降、携帯電話が爆発的に普及し、その日本譜の変化へ. ビに も放送だけでは時間の制約が、また、初期の頃は受像機の有無という空間的制 影響は今もって続いている。これは現在進行中の変化として、次章で扱うこと 約もあったが、家庭用テレビの普及およびビデオの登場により、時間的にも空間. 見るという視聴態度に変化しており、ラジオ時代に高まった言語に対する集中度. つけつばなしにして、何かをしながら興味のある話題の時だけ、チラリと画面を. する 。. 日本でラジオ放送が始まったのは、一九二五年、東京で3月、大阪で6月、名. がテレビ時代に下がってきていると、筆者には思われる。. 的にもほとんど制約が無くなった。 受け手側の態度についても、初期の頃の、正座をして画面を注視する視聴から、. 古屋7月である。政府は﹁全国鉱石化﹂を目標に昭和初期、台湾、朝鮮、樺太な. 現在、テレビの登場から五〇年︵約二世代︶がたち、テレビ視聴の及ぼす、言語. 放送 ︵ ラ ジ オ ︶. どにも放送局を設置し、日本放送協会の放送を中継した。また、真空管ラジオの. 1−5. 登場で、スピーカーで複数の人が聞けるようになり、ラジオは娯楽としても普及. に対する影響をデータを取って深く研究すべき時に来ている。. 結論は、﹁何であっても新しい言語の道具が広く普及し使われれば、それは必. 理してきた。. 一章では、過去の言語を使う道具が言語そのものや言語生活に与えた影響を整. l−7一章まとめ. ても考える必要があるだろう。. またその上で、言語の変化は、思考力にどのような影響を与えているかについ. していった。しかし、第二次世界大戦中は、統制が行われ、大本営発表の機関と 化した。戦後、今度はGHβの統制下におかれた。一九五三年、テレビ放送が始ま. ラジオの意義は、最初の音声言語のマスコミニケーションである事. るが、テレビ受像機が高価だったため、昭和三〇年代まではラジオが一家の主役 であ っ た 。. である。確かに蝋管レコード等、音を記録する道具はラジオの前にもあったのだ が、ほぼ全国民に同時に、同一の普通の音声言葉で情報が届くという状況は、史 上初 め て で あ っ た 。 ラジオ放送により、共通語の全国化、方言の減少、話し手の音声で情報を簡潔.

(5) 70. ず、言語そのものや言語生活に何らかの影響を与えてきた。﹂ということである。 それでは、現代の新しい道具は、今、私たちの言語にどのような影響を与えつ つあるのだろうか。 2.現代の新し い 道 具 に よ る 日 本 語 の 変 化 事 象 本章では、ワードプロセッサー・パソコン・携帯メールなどの仮名漢字変換と. ︵﹁たくさん﹂. の意。﹁したたか酒を飲む﹂など︶ では玉塵抄︵二ハ世紀︶から. 存在し、意味も変遷しているが、文章中に使われた場合、明治の例に至るまです. ﹁硬﹂に﹁シ. べて仮名表記である。夏目漱石は当て字の名手とも思われる漢字遣いであるが、 小説中三例とも仮名表記である。. の振り仮名があるが、﹁強﹂字にはない。. 古辞書では節用集易林本・書言字考に﹁健﹂・文明本節用集に﹁健﹂ タゝカ﹂. の意の語構成要. 日本国語大辞典では、漢字表記に﹁強﹂ ﹁健﹂ の二手を掲出している。そして. の語源を︵﹁か﹂ は接尾語。﹁したた﹂ は﹁確か﹂. 素と考えられる﹁した﹂を重ねたものの変化︶としている。語源的には﹁強﹂字. をしたものと考えられる。比較的訓の多い観智院本類衆. と結びつく要素は無い。したがって、先に存在していた和語﹁したたか﹂ ﹁当て漢字﹂. の漢字表託として. 現代の若者は漢字がわからない場合には、辞書を引く代わりに、携帯電話の仮. た。. ﹁強﹂字をあてるものは、紙に善かれたものでは例を見つけることができなかっ. 名義抄にも﹁強﹂字の訓に﹁シタタカ﹂ は無い。﹁シタタカ﹂. て、後から. に対し. いう道具、テレビ・そしてインターネットに溢れる映像と言語の問題について、. −﹁したたか﹂と﹁強か﹂. ﹁したたか﹂. 仮名 漢 字 変 換 に よ る 変 化. 筆者の直接体験をも と に 今 後 の 方 向 性 を 考 察 し て い く 。 ′. 2−1. 二〇〇七年春、当時の飯田学長から、たまたま国語日本語教育講座の講座代表 だった筆者に1つの質問が来た。﹁本学ホームページにある﹃強か﹄という語は なんと読むのか、それは正しいのか、世の中の人︵筆者が付度するにエ七を読む、 主に高校生︶に読めるのか﹂という趣旨であった。問題のホームページの文章は、 二〇〇九年10月現在もフラッシュムービーの最後にそのまま載せられているが、. か﹂. 名漢字変換を使うことが多い。二〇〇七年時点で、身近にいる大学生に﹁したた. ﹁開港から一五〇年. それぞれの機種で変換できるかどうかを調べてくれた。その結果はNヨドコモは. ここ に 当 該 部 分 を 抜 粋 し て お く 。 海の向こうに見知らぬ国を、見果てぬ夢を見つめながら、. 変換可、au、ソフトバンクは不可であった。︵初期値。いずれも学習させれば. の訓は無い。. ﹁強か﹂. は約二万八千例、﹁したたか﹂ は約八〇万件であっ. 三三九〇万件、﹁したたか﹂ 五三万一千件であった。尚、2007.2. た。二年半の後、二〇〇九年十月時点では漢字表記が仮名表記を大きく逆転し、. 〇七年五月時点で、﹁強か﹂. 一方、インターネットではどうか。グーグルの検索を使ってみたところ、二〇. の表記について世間話的に話したところ、全員一斉に携帯電話を取りだし、. 強かに発展し続けてきた港町、横浜。. 変換できるようになると思われる。︶ ︵傍点筆者︶﹂. この街の文化、気風を受け継ぎ、 個性豊かな学府と し て 愛 さ れ て き た 横 浜 国 立 大 学 は 、 ︵ 以 下 略 ︶. 横浜国立大学は横浜にあることが一番のチャームポイントなのか、また、横浜. ︵か︶﹂. に変換することができた。. 二一. 聞や出版社は常用漢字表の音訓の範囲をチェックしているためと考えられる。︶. 以上を整理すると、﹁紙に印刷されたものではあまり目にすることのない ︵新. たたか﹂を﹁強か﹂. の 009年ともにワープロソフト﹁ワード﹂ ﹁一太郎﹂ いずれでも初期状態で﹁し. の街をほめているようではあるが、﹁強か﹂という語は果たしてほめ言葉なので. に﹁したた. 恵美子. あろうか、と疑問に思わないでもないが、それはさておき、本稿では﹁強か﹂ 表記 に つ い て 考 え る 。 常用漢字表では、﹁ 強 ﹂. 古田. 過去の用例は、形容動詞用法では宇津保物語︵一〇世紀︶から、程度副詞用法. 現代における日本語およびその言語生活の変化について.

(6) 69. 現代における日本語およびその言語生活の変化について. 古田. 恵美子. 二二. ﹁強か﹂という表記は、電子媒体の言葉では今も増え続けている。﹂となるに 。影響を受けていると本人も認めている。一葉の文体は、平安女流文学︵すなわ. ちら 平安時代の話し言葉︶を模したいわゆる擬古文だが、それが現代の話し言葉に 一九八〇年代以降ワープロが普及し、肉筆で書くことが減っている。肉筆な. 月22日2昌ハ﹁おはようほつとモーニング﹂︶. 置き き変わると、現代文に慣れた私達には違和感がある。 ば書けない字はかなにするしかないが、ワープロの場合は、書けなくても出て た候補から選べば、漢字表記にすることができる。それゆえに漢字表記が増え川 て 上末映子氏自身は芥川賞受賞の頃、日本大学の通信教育部で、哲学を学んで おり、カントを読んでいたという。︵前記受賞後インタビュー及び二〇〇八牢2 きているという報告があるが、まさにその過程をこの例は示している。 また、その場合、読む側︵この場合、高校生など︶は読めるかという問題にな. 川上 未 映 子 ﹁ 乳 と 卵 ﹂. の文体に見る、思考の話し言葉化. 話し言葉で、少女から大人へと変化する身体と心の違和感を措くことはかなり るが、前記の大学三年生︵しかも国語専攻︶の場合、半数が﹁したたか﹂とは読 難意 しかったのではないかと思うが、ある程度の成功を収めているからこその受 めなかった。常用漢字表に無いのであるから、読めなくて当然であるし、その とる 考。 えられる。 味では、正しい読みなど存在しないのだからなんと読んでも良いのだともいえ 近代以降、思考する言葉、特に哲学を語る言葉は書き言葉であった。漢語の多 あるいは、後述するが、現在インターネットや携帯メールの文章の文字は映像 い、引き締まった言葉でこそ考えられるとされてきたのだった。 ところで、 と同じく、読むものというよりは、見て感覚的に意味がわかればよいものであ っ 〇見 年ほど前までは、新書の文体は﹁だ、である体﹂が殆どであり、﹁です、ま て、音読できる必要は無くなってきているとも考えることができる。その目で 体﹂は特別の信念をもつ著者のみが選ぶものであった。この一〇年で、新書の ると、かなよりも漢字は、象形文字から発達した表意文字であるため、感覚的 に 類い が増え、新刊本の冊数も大幅に増えて、想定読者層が広がったこともあるが 意味を取りやすい。電子媒体の画面を映像として考えたとき、便利であるとも 最近の新書は﹁ですます休﹂で書かれたものの方が圧倒的に多い。内容を落と える の で あ る 。 ずに易しい言葉で説明することは、専門用語を使うより難しいことではあるが 本年︵二〇〇〇九︶は常用漢字表の改定にあたり、文化審議会国語部会で議論の 最的 近の新書の内容と文体の関係はどのように考えるべきなのだろうか。いずれ 最中である。しかしながら、これからの漢字使用の範囲は、良くも悪くも実際 しっ ても、﹁話し言葉で哲学を語る﹂までいかなくとも﹁ですます体である程度 には公の常用漢字表を離れ、携帯電話やパソコンのかな漢字変換システムによ しいことを記述する﹂傾向はすでに現代の出版で普通のこととなっている。あ て決 ま っ て い く こ と に な る 一 と 考 え ら る 。 一〇年ほどたてば、﹁だ、である﹂体の本を探す方が難しくなるかもしれない これは、近代からの文体に慣れた者には新しく感じるが、振り返って見れば 2−2. ﹁乳と卵﹂は二〇〇八年一三八回芥川賞を受賞した作品である。その文体平 は安 こ時代の和文休も、話し言葉をほぼそのままかなで書くことからできたもの. あ文 った。日本の場合、話し言葉を書く書き方が確立するよりも先に、漢文を訓 れまでの芥川賞と一線を画した、冗長度の高い心話を思うままに綴ったような. すを る、 方法ができていたので、書き言葉は漢文訓読により近い書き方がされてき 体である。一文が非常に長く、従来の文体であれば、読点を打って切るところ. わら けだが、千年の時を超えて、今、本当の言文一致の新﹁和文﹂がまた作り出 句点で延々と続けていく。ただ、このような文体は先年の携帯小説の中にも見 れ的 ているのかもしれない。 れ、いきなり出てきたわけではないが、芥川賞として評価されたことは、社会 にこの文体が受け入れられたことの証と考えられる。 受賞後インタビュー︵文垂春秋平成二十年三月号︶によれば、樋口一葉の文体.

(7) 68. 3. 映像化とともに進む脱言語化. 本章では、言語を使う事が情報の受け渡しの主な手段であった時代は終わり、. ただし、言葉自体の表現性としては後退していると言わざるを得ない。. 事例2. テーマは林間学校の事前学習で八ヶ岳の麓の産業︵酪農が中心︶についてインタ. 小学校五年の娘の総合学習を参観したときのこと︵二〇〇七年7月︶. の見聞きした体験から挙げ、これからの情報授受手段の方向について考える。こ. ーネットで調べ、パワーポイントの子供版ともいうべき﹁はつぴょう名人﹂とい. 言語にも映像が伴ってやっと表現が完結する時代の到来を告げている事例を筆者 れらの変化を引き起こしたものは、テレビ、ビデオ、そしてインターネットなど. うソフトを使って発表用資料を作ることであった。︵近年は、小学校三年からイ. すくして﹂. というものであった。. いから、字はなるべく少なく、そのかわり写真やイラストなどをいれてわかりや. ている。︶そこでの先生の指導は、﹁字を多くすると小さくなってみんな読まな. ンターネットの使い方を教えており、子供用のソフトも∃などによって作られ. の映 像 付 き の メ デ ィ ア の 普 及 で あ る 。. 事例1. 二〇〇八年2月22日の2芸ハ番組おはようほつとモーニングに、川上未映子氏 が、芥川賞受賞作家として出演していた。その中で、川上氏は、その生い立ちや. を朗読した。ダンスと文章の内容は直接には関係がなく、. 要約して模造紙に書いて発表したものだった。辞典類から必要な情報を得るため. 十年くらい前までは、小学生は図書館で年鑑や百科事典を使って物事を調べ、. 結果的にできあがったのはキャッチフレーズだけが並んだ資料だった。. にあたるような組み合わせだった。そして、こうし. 自作について語り、最後に前衛ダンサーである森山開次氏のダンスとコラボレー. 俳譜で言えば、﹁匂 い 付 け ﹂. に頭を働かせなければならなかったし、大切なところを抜き出して要約するのも. ションで、﹁乳と卵 ﹂. た試みについて、単に文章として読まれるだけでなくこのような形でのコラボレ. 考える練習になった。. 現在は、インターネットで検索をかけ、出てきた情報をコピーアンドペースト. ーションを元々指向していたととれるような言葉で、感想を述べていた。︵本心 からの言葉と筆者には 見 え た 。 ︶. し、短くして、発表ソフトにはめ込むと、あまり頭を働かせないでも形だけは発. 表できるようになった。そのかわりに現在必要になった能力は、印象的な写真や. は小説ではあるが、. 文章のみで必ずしも完結するものではなく、他のメディアと組み合わせて見て感. 絵を作り、斬新な配置を考えるセンスである。また、実際に発表するときには内. 歌手でもあり、俳 優 に も 挑 戦 す る 氏 に と つ て 、 ﹁ 乳 と 卵 ﹂. じ取ることにより、より表現性が増す。そしてそれこそ、筆者の望む享受の仕方. 容よりも﹁人を引きつける話し方﹂がより必要になるだろう。︵こう考えてくる. と、セールスマンに必要な能力と思われてきた。︶. であるらしい。 小説といえば、文章という言語だけで完結するものと思われてきた。しかし、. また、発表を聞く場合︵理解行為を行う場合︶、これまでの注意深く人の話を. 聞き、言葉で理解する能力は相対的に必要性が下がり、一方で短い言語表現と絵. 考えてみると、一九八〇年代後半からメディアミックスとして、小説、漫画、テ レビゲームなどを、映画、テレビアニメ、テレビドラマにする等、同じ原作を使. や写真の表現から、短い時間で大切なところを﹁感じ取る能力﹂が必要となる。. その場合、言語による表現であっても、視覚表現として受け取る方が速いのであ. って複数のメディア で ほ ぼ 同 時 的 に 翻 案 す る こ と が 増 え た 。 表現するメディアが増えて、表現の可能性が拡がったわけであるから、言語だ. り、音声を伴った映像として受け取るのである︵すなわち﹁読む﹂ 必要は無い。. 二三. けに頼らず、映像からも多くの情報を得る方が効率的である。一枚の写真から得. 恵美子. このごろテレビニュースでもインタビューに字幕がつくことが多いが、それも視 古田. る情報を文章にすれ ば 、 万 の 言 葉 を 必 要 と す る こ と も あ る の だ か ら 。 現代におけ る 日 本 語 お よ び そ の 言 語 生 活 の 変 化 に つ い て.

(8) 67. 現代における日本語およびその言語生活の変化について. 古田. 恵美子. 聴者が言語を音声情報としてよりも視覚情報として受け取る方が楽であることへ のサービスと考えられる 。 ︶. 事例3. 2︼宍教育で、﹁わくわく授業﹂というシリーズの番組があった。その中に、﹁中. t一四. る時代となる。いわば、従来の文章の五〇パーセントの表現力に映像の表現. 力百五十パーセントを足し、従来の二〇〇パーセントの表現をすることが要求 される時代になる。. 2・したがって、文章による表現力は前世紀よりも少なくても良いが、表現力の. ある映像を作る能力が今までよりも必要になる。. .右の1,2により、考える能力は低下すると思われる。 学国語の万葉集の授業で、万葉歌についての感想文を昔なら書けたのだが、今3の. 必要な情報を選り分ける能力が多分必要になるのだろう。. 4、 ・考える能力の低下の代わりに、主に視覚情報からより多くの情報を感じ取り、 生徒はなかなか書けないので、その歌を絵に措くということにし、そのあとで. 自分の短歌を作るという活動にしている。﹂というものがあった。. 感想文が書けない生徒も、絵ならば嬉々として取り組み、また、自作の短歌な. るが、とりあえず問題提起にとどめ、一旦筆を置く。. 現時点での日本語および、日本語の言語生活の変化について筆者の体験した らば 、 感 想 文 よ り は 書 け る と の こ と だ っ た 。 事う をもとに考えてきた。述べ足りないところ、説明が足りないところも多々あ 一九八〇年代からいわゆるテレビゲームが子供のおもちやの中心を占めるよ になった。一九九〇年代生まれ以降は3,4歳からテレビゲームで遊んでいたと. いう子も多い。その分、絵本や本に親しむ時間は全体的に減っている。また、事 例2が示唆するように、以前ならば学校でまとまった文章を書く機会が多かった. が、インターネットでコピペが可能であれば、必然的に自分で文章を作る訓練は 減っている。文章を書く辛が苦手な生徒が増えているのは当たり前である。 確かに、文章表現にこだわらなくても、より多くを語る視覚表現を作ることが できれば、その方が表現の総量は多くなるのだからかまわないという考え方もで きる 。 しかし、考えるという行為は、言葉無しで成立するのであろうか。前節で、思 考の話し言葉化について述べたが、話し言葉で考えられることの範囲は書き言葉 で考えることのできる範囲と同じなのであろうか。すなわち、自分の感想や考え を文章にできない人は感じることはできても、考えることは可能なのだろうか。 それともこれからの時代は考えること自休、もう要らなくなるのであろうか。 以上、三つの事例をもとに、映像による言語の駆逐ともいえる、情報伝達の脱 言語化について考えてきた。ここで3事例に共通する事をまとめておく。 1.これからは言語だけでなく、映像︵静止画もしくは動画︶をあわせて表現す.

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