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≪婦女雑誌≫における新性道徳論 : エレン・ケイを中心に

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Academic year: 2021

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(1)≪婦女雑誌≫における新性道徳諭 -エレン・ケイを中心に白. The. propagation -with. of New. 水. sexual. special. 紀. Ethics. Reference. Noriko. 子. in ≪The to. Ellen. Ladies'Journal≫ Key-. SHIROUZU. 最近のフェミニズム理論研究の大きな流れを概観すれば,女性に特有の状況(性差別・ 抑圧の構造)を理解するためには,資本制と同等に家父長制システムの分析も重要である という認識が主流を占め,資本制と家父長制の力学的緊張の根源とは何かをめぐる議論が 盛んである。そして家父長制についても,これを心理学的,文化的現象として捉えるだけ でなく,家族関係を包摂し規定する社会システムとしての側面を重視しようとする動きも みられ,家父長制の定義をめぐってさまざまな意見が出ている。これらの議論は,経済学, 社会学,心理学,文化人類学などを駆使したダイナミックなものであり専門外の私がどの 程度理解できるのか心もとないが,私個人の関心にひきつけていえば,かつて丁玲が延安 で,また最近では楽嫌がその著『遅到的潮流』で指摘しているように,進歩的思想が主流 を占めたはずの解放区や女性の経済的独立を実現した社会主義中国においてさえも,女性 には旧態依然たる倫理的規範が通用されつづけているのはなぜか,という問題-とつなが っていく①。欧米に比し血縁の親権を優先する傾向が強いアジアに生きる私たちは,おそ らく,家父長制という言葉の意味をより具体的に理解できるだろうし,実際に,中国でも 五四時期にはデモクラシーの内実にかかわるものとして道徳的側面からの家族制度批判が おこり,. 「家」からの脱出,家族からの解放を求める大きな動きがあった。この「家」をめ. ぐる議論は,大家族制度を突き崩すために,恋愛を通して結ばれた男女による「/ト家族」 の実現を提唱するものだったが,かりにこの時,. 「小家族」が実現したあとにも依然として. 残る女性問題つまり女性差別と抑圧の原因について,それが家の規模の大小にかかわらず, 家父長制システムおよびそのもとでの固定された性役割によることを見抜いていた人びと がいたとしたら,また,家父長制のなかで抑圧され萎縮していた女性のセクシュアリティ. の解放を主張して,精神と肉体に分断されていた女性像に異議を唱えた人びとがいたとし たら,こうした人びとの営みを,はたして自分はこれまで正しく評価してきただろうか, という不安がこれらの議論を読み進むなかで生まれてきたのである。 中国の二十年代の女性解放思想を論じる時,その多くは経済革命を通して女性の経済的 自立が実現すれば,女性問題は基本的になくなるとする,社会主義の優位を強調する女性 解放論が注目されるのが一般的である。そして,このようないわば「女よ人たれ」をめざ.

(2) 2. 白. 水. 紀. 子. 「人たる女よ,真の女たれ」を主張した母性主義の先駆者エレン・. す女性解放論に対して,. ケイ②についてはまだ本格的な研究はなされていない。だがケイの思想が,当時世界的な 影響を与え,日本では母性保護運動の引き金となり,またその恋愛結婚観が大きな反響を よんだこと,そしてこの日本でのケイ熱が中国に積極的に翻訳紹介され,女性の「性」の ありかたをめぐって真剣な議論がなされたことを思うと,ケイは中国の二十年代の女性解 放思想を語る上でぜひとも触れなければならない一人のように思われるo女性への心理的 垣根が取り払われるためには女性が経済的に自立し,独立した生活基盤を持つことの必要 性について否定する者は誰もいないが,もし今,私自身のこれまでの研究に対してなんら かの修正を加えることができるのであれば,それは,無意識のうちに論述の過程で軽視し, 排除してしまった部分を呼び戻すことから始めねばならない気がするのだo ケイは当時から,その徹底した自由主義思想と理想主義的哲学ゆえに数多くの支持者を えたが,その一方で様々な批判や非難もうけている。たとえば彼女の母性諭には産む「性」 を過度に強調したために,女性の能力の様々な分野-の発展性が見えていない点,社会改 造論において「種の進化」を全てに優先させたために生殖主義に陥る危険を伴っていた点, 人種・民族の差別に鈍感だった点,などは今日のフェミニズム理論を用いてさらに批判を 加えることはたやすいだろう。だが本稿は,ケイの総合的な再評価をもくろむものではな い。むしろ,こうした複雑な側面をもつケイを思想的契機として女性の「性」の問題に取 り組んだ二十年代初期の知識人たちの動きを中国の女性解放思想史のなかに正しく位置づ け,彼らが取り組んだ課題を今日的問題として捉えてみたいと思うのである。 -,. ≪婦女雑誌≫③とエレン・ケイの恋愛道徳論 中国でケイの本格的な紹介が始まるのは,沈雁泳④が≪婦女雑誌≫六巻三号(1920-. 3. に発表した「愛情輿結婚」である。これ以前にもケイについて簡単に触れたものはあった が⑤,具体的な著作の紹介はこれが最初であり,これ以降≪婦女雑誌≫では,たとえば八 巻四号(22-4)で「離婚問題号」を,十一巻一号(25-. 1)では「新性道徳号」を出すなど,. ケイの著作の研究,翻訳,紹介を盛んに行い,二○年から二五年までの六年間に≪婦女雑 誌≫紙上で紹介された文章はかなりの数にのぼる。ケイの中国-の紹介は,. ≪婦女雑誌≫. 関係者によって行われたと言っても過言ではなく,他雑誌でのケイに関する言寸論や紹介も, 彼らによるものがほとんどである。. (本稿末に添付した「資料」を参照されたい). ケイの二大主張は,母性・児童教育論と霊肉一致の恋愛・結婚論といわれているが,前 者については沈雁泳が関心を示したものの,全体的にみてあまり注目されず,中国ではむ しろその恋愛論が,ニー年より当雑誌の編集長をつとめた章錫瑠⑥とその助手の周建人⑦, 呉覚農, Y.D.,宏慮⑧らを中心に大いに論じられた。 ≪婦女雑誌≫(22-. 9. ,10)通信欄⑨で,王平陵⑲が≪婦女雑誌≫の編集方針を批判して, ケイの紹介が多く恋愛問題ばかりを話題にしていると不満を述べたことに対して,章錫瑠 はその第一信で次のように答えている。 「中国人は女性を男性の所有物とし,子供を家長の所有物とし,彼女らが個人の人格を もち,自由な意志をもっていることを認めない。社会主義を主張する人は,私有財産制度. ).

(3) 3. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. が打破されさえすれば問題はなくなると考えている。これは確かに男性が女性を所有し, 家長が子供を所有する基礎を打ち壊すことができる。しかし私は,女性が男性に対して, 子供が家長に対して,個人の人格,意志の自由を主張することは同じように重要であり, もっと重要であって,このレベルまでやるには,恋愛の自由を主張することしかないと思 っている」。そして第二信でも章錫瑠は,女性が男性と同等の教育を受け,経済的に独立し なければそもそも恋愛の自由は保障されないのではないかという王平陵の意見に対して, 意識改革を伴わないまま制度の改革をしても,その教育は「奴隷教育に他ならず,男性の 使役に都合がよい」ものになり,女性の家庭外労働が単なる「男性の経済的負担の軽減の 「前の手紙で述べた恋愛は,完全にエレン・ケ. ため」のものになってしまう,と反論する。 イ女史の所謂"霊肉一致"の恋愛のことですo 主張はけっして空想ではありません。. ----恋愛で婦人問題を解決するという私の. -=女性を教育・経済・政治・道徳の各方面から解放. しようと望むなら,まず第一に女性の人格を認め,万人に両性の結合は意識的な相互の結 合であり,男性が女性を(道具として--筆者注)使用するのではないのだということを認 めさせねばなりません。こうしてはじめて女性が独立したといえるのです」と,女子教育 や経済的自立等の問題の解決は女性解放の手段であって目的ではないこと,女性解放の鍵 は性道徳にあることを明確に示している。この態度はその後も一貫しており,. 「経済状況が. 変わらなければ,合理的な道徳観を用いて改革しようと思っても,確かに大変難しい。だ が-いかなる経済状況のもとでも,性の真義,恋愛の道徳をはっきりさせることはやはり 重要なことである。我々は未来社合に対して制度の改革を謀るだけでなく,因習的な性の 観念に対しては『心の革命』もすべきである」⑩と主張し続けたのである。ケイはフェミニ ズム運動と社会主義運動を「超人」への道を求める輝かしい事業だと考え,みずから女性 参政権運動に関わったほか,労働運動や社会主義にも信頼を寄せていたが,その一方で, セクシズムは資本制以前から存在するので男女の性的関係のすべてを経済的関係では説明 しきれないとして,性対性の闘争ではなく階級対階級の闘争である社会主義運動の中に女 性問題が還元されることを避けたが(『婦人運動』),章錫喋らも同じように,社会経済制度 の改革の重要性は認めつつ,女性問題の特殊性に注目しようとしたのである。このような ≪婦女雑誌≫の態度に対して,これまで中国では「彼らはただ恋愛の自由がありさえすれ ば,男性の女性に対する抑圧と,家長の子女に対する束縛の基礎を打破することができる と考えている。しかし,どのようにして恋愛の自由を保障するというのか?彼らの答えは はっきりしなくなるのである」⑫と,その非現実性を指摘し,また日本でも「資産階級の恋 愛至上主義者は,全く社会制度や封建宗法制度の根本的打破は考えず,自由恋愛や婚姻問 題を論じた」⑲という批判的な評価が下されてきた。章錫瑠等が女性問題を精神改造の側面 から捉え,制度改革から一旦切り離して論じようとしたその政治的背景や,彼らの社会主 義思想に対する理解度はここでは問わない。少なくとも確認しておきたいのは,まず第一 に社会改造を個々の人間の精神改造と密接不可分の関係でとらえたのは彼らだけの傾向で はなく,むしろ五四時期に特徴的な思惟だったということである。もちろん,現存の社会 制度,政治権力との直接的対決を回避しようとするその改良主義的傾向は指摘されるべき だが,これによって彼らの推進しようとした精神革命の意義を放めることにはならないだ.

(4) 4. 白. 水. 紀. 子. ろう。そして第二に,女性問題の特殊性に注目し,一つの独立した問題として取り組もう. としたこと,そして男女の性的係わりを科学的に解明する中に女性問題の解決の糸口を見 いだそうとしたことの,中国女性解放思想史における新しさである。 以下,彼らが≪婦女雑誌≫で提唱したケイ涜の「霊肉一致の恋愛観」を,ケイの著作に 照らしながら整理してみたい。. ケイの恋愛論のキーワードは,. (1)霊肉一致の恋愛,. (2)恋愛の自由, (3)自由離婚, (4)人の. 進化,であろう。つまり(1)ジョルジュ・サンドの「心霊が感覚を裏ぎりもせず,感覚が心 霊を裏ぎりもしない」霊肉一致の恋愛論を継承したケイは,. 「道徳を肉欲から切り離そうと. するいかなる試みも,人類の発達を促すものではなく,遅らせるだけである」. (『恋愛と結. 婚』第1章)とキリスト教的禁欲主義を批判し,さらに女性の性にも言及して,. 「女性が常. に自然から授かった性欲について己をあざむき,男性をあざむき,また互いにあざむき合 う」 (『恋愛と結婚』第5章)ことを非難する。ケイの恋愛論は権利と義務,強迫と占有の 存在しない,独立した人格をもつ自由な男女の精神的肉体的関係を追求したものだった。 このように恋愛を「精神的共感と性的生活との結合」と見なす彼女は,. (2) 『恋愛と結婚』. の第三章「恋愛の自由」において,フリーセックスを意味する「自由恋愛」を強く批判し た。 「若者たちは,いろいろ違った意味を持ったり,誤用されたりする概念になっているい. わゆる"自由恋愛"をかちとる代わりに,恋愛の自由のために闘わなければならか-。な ぜなら,前者の表現には,主として快楽の自由が含まれるのに対して,後者は恋愛という 名にふさわしい感情の自由そのものを意味するからである」。恐らく,当時の中国において ケイの恋愛論の理解度を測るのに,この「自由恋愛」と「恋愛の自由」というキーワード は役立つかもしれない。なぜなら,. 「LOVEという言葉は,中国ではこの概念がなかったば. かりか,この名詞さえなかった。最近むりやりこれを``恋愛''と訳したものの,まだ概念 がともなわず,多くの人がそれを``姦淫"のことだと理解している」⑲のが現状であり,悲 愛という言葉さえ共通の認識が得られていなかった時代に,. 「自由恋愛」と「恋愛の自由」. を注意深く使い分けた≪婦女雑誌≫は,当時の中国にあっては突出した存在だったからで ある。. ≪婦女雑誌≫でいち早くこの言葉の定義を紹介したのは,李三先の社説「自由離婚論」 (20-7)だった。これは沈雁泳の「恋愛典結婚」をうけてさらにケイの恋愛観を大変要領 よく紹介したもので,その中で彼は「彼女(ケイ)の説く愛情とは,一方で極めて肉欲的 であり,また同時に極めて精神的であり--霊肉一致の愛情である。精神を伴わない感覚 本位の愛情は,本能的衝動的愛情であり,即ちいわゆる"自由恋愛''である。感覚を伴わ ない精神本位の愛情は,プラトニックな愛情である。この両者はエレン・ケイ女史の取る ところではない」. 「彼女が高く評価するのはけっして``自由恋愛". (Free Love)ではなく,. ``恋愛の自由''(LoveofFreedom)であり,自由な恋愛ではなく自由と責任を伴う恋愛で ある」と繰り返し「自由恋愛」と「恋愛の自由」の違いに言及している。 はさらに二三年には「恋愛自由輿自由恋愛的討論」. ≪婦女雑誌≫で. (23-2)という専欄をもうけ,. は本間久雄がこの言葉の混同を整理した「自由恋愛輿貞操問題的関係」 載せてケイの恋愛の自由説をさらに熱心に紹介したのだった。. 24年に. (24- 7)の翻訳を. 「恋愛の絶対的自由とは,つ.

(5) 5. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. まり完全に当事者の選択に任せるべきだということ。傍から,それが社会であれ,家庭で あれ,父母であれ,また法律であっても,制限や干渉を少しでも加えてはならないという こと」⑮であり,個人主義に支えられた「人格的恋愛」を指していた。 (3)離婚についてケイは,. 「いかなる結婚でも,そこに恋愛があればそれは道徳である。た. とえいかに法律上の手続きを経た結婚であっても,そこに恋愛がなければそれは不道徳で ある」 (「女の道徳」)として「自由離婚」を主張する。. 「キリスト教徒の一部の者は,子供. のない場合には,離婚もときによっては正当であることを認めている。これに反して,不 運な親は子供ゆえに,どんなことがあっても同棲生活をつづけなければならない。しかし 今日では,性愛を理解している人は,一深刻な屈辱感なしに一愛してもいない相手や, 自分が愛されていないとわかっている相手に,身をゆだねることはできない。. ----母親た ちの中には,子供のためと称して,来る年も来る年も,売春のような結婚生活を要求され ている人がある」. (『恋愛と結婚』第8章)と批判して,子供のためにも離婚したほうがよ. いと述べる。そして,結婚のために離職した女性の就職は困難をともなうので,女性が子 供を引き取った場合,養育のための費用は国家がその一部を負担すべきだと提案する。ケ イの恋愛の自由説と自由離婚説はこのように男女の性的関係の自由な離合を求めたものだ 「自由は貞 ったが,それはケイが何よりも自発的忠誠心つまり貞節を重視したからだった。 節を鼓舞する」 (『児童の世紀』第一節)と,彼女は貞節とは強制や犠牲からではなく,恋 愛の自由の中から自発的に生まれるものだと説いている。しかし, 久的なものではなく,その日その日に得るもの」. 「貞節の誓いは決して永. (『恋愛と結婚』第8章)であるから,ど. ちらか一方でもこの努力を怠り愛情を失った場合には結婚生活から離脱する権利を,道徳 的にも法律的にも認めるべきである。現行の厳格な一夫一婦制度の陰で,平然と愛人を作 り,女を(あるいは男を)買うことこそ不道徳なのだ,とケイは主張した。周建人は言う。 「おそらく誰も愛情は永遠に続くとは断言できない--一恋愛が破綻したら離婚するのは道徳 に合致する行為である。言葉を変えると,もし恋愛が破綻してもなお結婚の形式を保存し ているの不道徳な行為であるということができ-A-さらに,恋愛がないのに性的交渉を続け ることは貞操の定義に反するとも言うことができる」⑲。周によれば,離婚の原因は「恋愛 の自由にあるのではなく一多くの人はそう考えているが一実際は恋愛の芸術が発達し ていなかったからなのだ」。 (4)恋愛と生殖,つまり個人の要求と種族の要求の結合を唱えるケイは,霊肉一致の恋愛 によって優秀な子供を産むことは人の進化という社会的価値をも創造すると考えた。これ について章錫瑠は,. 「私はこれら(女性の教育,経済的独立など--一筆者)の問題を解決する. 根本的方法は,ただ恋愛の自由の提唱しかないと考える。こう言うと,きっと多くの人が 非常に驚きいぶかしく思うだろうことは分かっている。だが私がこのように主張する訳は, 極めてはっきりしたものがある。. =-エレン・ケイはその大作『児童の世紀』においてこう "私は人間性は変えることができると信じる。 ---それは全人類が真に覚醒し, "生殖の神聖"を知ったときにはじめて可能になるのだo この自覚に一旦いたれば,子孫. 述べている。. とその発生,彼らの処遇,彼らの教育等のことは,社会の中心的事業となるo一切の道徳, 一切の法律,一切の社会施設はみなこれの周囲に集まり,その他のあらゆる問題の判断,.

(6) 6. 白. 水. 紀. 子. その他あらゆる規則の基本的決定は,すべてはこれに基づいてなされる''と。エレン・ケ イが恋愛道徳を主張し,母性の尊重を主張するのはみなこの"生殖の神聖"からきている。 これがすなわち私が恋愛によって婦人問題を解決したいと考える出発点なのである。. -----・. この主張は,私の友人の中では建人見が一番私に賛同してくれる」⑭,と自分たちの主張す る恋愛がケイの恋愛観に基づいたものであり,女性問題の根本的解決に恋愛の自由をもっ てきたのは,このようなケイ流の「人の進化」説に共鳴し,. 「生殖の神聖」を全ての中心に. すえるという価値観の転換に大いに魅了されたからだった。 勿論,ケイが展開する性道徳論は,以上(1)-(4)でわかるように,生殖の神聖つまり「母 性」の復興のみに関するものではない。. 「すべて道徳とは,女性にとっては性道徳を意味. し,すべて性道徳は,性欲不在と結婚証明書を意味する」. (『恋愛と結婚』第5章)という. 厳しい言葉が意味する如く,道徳という名のもとに女性に一方的に適用される貞節の意味 を問いなおすものであり,女性の性についての誤った認識に対する批判でもあった。彼女 が提唱する新しい性道徳は母性を含む女性の性全般にわたり,当時だれも手をふれなかっ 「まず第一に. た極めて大胆で勇気のいる内容のものだった。よって≪婦女雑誌≫において,. 確立しなければならないのは,正しい性の観念である。男女間のすべての誤りは,みな性 の誤った捉え方から生まれている。そして,性の誤った捉えかたの中で最も基礎的な誤り は,色情に関する誤りである。人類の性に係わる行為や要求や欲望を低級で汚穣だとみな す時,女性は永久に卑しく弱い地位に置かれつづけ,婦人問題は絶対に解決の希望をもて ないと我々は断言する。」. 「生殖を人類の最も神聖な一つの出来事だと認めるならば,今日. のように女性を(生殖の器械にすぎないと)蔑視する習慣は二度となくなるだろう」⑲とい う発言が繰り返し語られるのは,こうしたケイの性に関する主張が下敷きになっているこ とは明らかであ●り,彼らが≪婦女雑誌≫で性知識の普及に力をいれたのも同じ流れにある0 家父長制は,具体的には家の存続を至上命題とし,女性をそのための生殖の道具とみる古 い性道徳親に支えられている。これを突き崩すため,ケイの新性道徳論は確かに強い衝撃 をもって彼らに迎えられたのである。 ニ,日本におけるエレン・ケイ. 王平陵は「≪婦女雑誌≫はあまりにエレン・ケイの恋愛観に重点を置きすぎる。婦人問 題の執筆者の多くは,日本人の著作の中から恋愛を討論した何篇かの文章を``焼き直し'I して≪婦女雑誌≫の紙面を埋めることしか知らない」と苦言を呈していたが,それらは「焼 き直し」とまでいかなくても,確かに日本経由のものが多かった。ここで特筆すべきこと は,彼らのケイ理解が,ほとんど(恐らく沈雁妹と沈滞民を除いては)日本でのケイ研究, とりわけ本間久雄の著作によるところが大きいことであろう。本間久雄の『エレン・ケイ 思想の神髄』 (1915-ll,大同館)はY.D.によって翻訳が計画され,ケイに強い影響を受け て書かれた本間の代表的婦人論である『婦人問題十講』. (1923-. 5. ,東京堂)は章錫璃によ. って≪婦女雑誌≫≪婦女週報≫に翻訳連載され,二四年に単行本として出版されている⑲。 (20-ll,志度 「性的道徳底新趨向」 このほか≪婦女雑誌≫に紹介された本間の文章には, 訳), 「愛倫凱女士輿其思想」. (21-. 2. ,憲塵),. 「愛倫凱之更新教化論」. (21-. 6. ,幼雄訳),. 「福.

(7) 7. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. 斯徳博士的離婚反対論」. (22-. 4. ,憲慮), (22- 9. 愛的移動性与一夫一婦制的改造」. 「恋 ,藤生訳), 「愛倫凱的世界改造輿新婦女責任論」. 「近代劇描写的結婚問題」. (22-. 7. ,Y.D.訳), 「自由恋愛輿貞操問題的関係」 (24-7,仲雲訳)等があり,その他多. (22-10,呉覚農訳),. くの文章にも本間の言葉が引用されているからである。 本間久雄は大正から昭和にかけて活躍した評論家,英文学者,日本近代文学研究家であ る。早稲田大学卒業後,島村抱月の主宰する「早稲田文学」の同人として自然主義系の新 進評論家として活躍していた彼は,ケイの『婦人の道徳』との出合いを,. (「『民衆芸術論争』のころ」)と述べている。彼は次々に. 一つのエポックを作ってくれた」. 1913,. ケイの著作に親しみ,その翻訳刊行を積極的にてがけ(『婦人と道徳』 代の為に』. 1916,. 『戦争と平和及び将来』. 深めて『エレン・ケイ思想の神髄』 た(『現代之婦人問題』. 1919,. 「私の魂の発展に. 1918,. 『来るべき時. 『エレン・ケイ論文集』 1922),その研究を. (1915)を著す一方,婦人問題に関する著作も多く著し. 『婦人問題十講』1923)。だがこのころ日本でケイの影響を受. けたのは本間ひとりではなかった。. ≪婦女雑誌≫の傾向を知るために,まず簡単に当時の. 日本におけるケイの受容状況を紹介したい。 ケイの著作の日本-の紹介は教育家として,. 『児童の世紀』の紹介に始まり,教育学者大. 村仁太郎や小西垂直に「現今の教育の理論及其実際の活動に対して--一急を報する警鐘」 (1906)⑲として紹介され,モンテッソ1),パーローストとならんで,ルソーの流れをひい た「徹底的自然主義」的な,. 「自然的自由主義」的教育論者として,ケイは子供の教育思想. 史上に位置づけられた。 一方,新性道徳論者,性道徳の革命家としてのケイへの注目は, 1911(≪太陽≫17-12, た金子筑水の「現実教(人間改造論)」. 『恋愛と結婚』を紹介し 9),石坂養平「自由離塘. 説」 (≪帝国文学≫18-12,1912-12)あたりからと思われる。金子は,ケイを「具体的な直 裁的な優しい強い信仰が含まれている」社会改良論者として高く評価し,. 「人間の進歩人類. の進歩という肯定的信仰を,強くニーチェ風に発表したところ」に彼女の特徴をみ,. 「真の. 恋愛につながれ,そして淘汰の法則に適った真の結婚によって,初めて人類進化の理想が 成就される」とするケイの主張に強い共感を示した。これらに触発され『恋愛と結婚』を 英語訳で読んだ平塚らいてうのケイ-の傾倒は著しく,「自分の研究問題の中心を婦人問題 に置こうとまで決心」⑳し,. ≪青踏≫にその翻訳を掲載し始める(1913-14年,5章まで)。そ. して,ケイの名を一挙に高まらしめたのが,一九一八年に始まる「母性保護論争」㊧だっ た。これは当時の婦人思想界を代表する与謝野晶子,平塚らいてう,山川菊栄,それにら いてうを支持する山田わかを加えた四人の女性の間で「母性保護のありかたをめぐって」 展開された論争であり,この論争を通じて「母性主義」者,. 「母権論者」ケイの位置が日本. の女性解放史上に確立した。女性の経済的独立論をとる晶子が,子供を「社会のもの,国 家のもの」とする考え方は国家主義者か軍国主義者のいうことであり,妊娠分娩時にある 女性が国家に向かって経済上の特殊な保護を要求するのは「依頼主義」である,と批判し たのに対して,らいてうは,ケイの「母権の復興」. 「労働の呪岨者」の現実的意味を説明し. ながら,今日の女性問題は「女よ,人たれ」ではなく「人たる女よ。真の女たれ」である。 晶子は「女子の経済的独立ということを非常に狭くとっており,労働婦人の労働生活と家.

(8) 8. 白. 水. 子. 紀. 庭生活との間に起こる避けがたい矛盾闘争を無視し,一般女子の生理的心理的事情を無視 し,ただ空想的に女子の経済的独立を夢み,かつ主張している」と批判した。そして子供 を産み育てることは社会的事業であるから「母性保護」を国家に求めるのは当然である, と主張した。そして山川菊栄はこの対立する双方の主張をまとめて,晶子の主張を「一切 の社会的困難は個人の努力一つで解決できる」という個人主義だと批判,またらいてうを 「性を強調し,母たる権利及び母たることに伴う権利を主張」することは古い良妻賢母主 義と同一の誤謬に陥ってしまう難点をもっていると批判して,「根本的解決とは婦人問題を 惹起し,盛大ならしめた経済関係そのものの改変にもとめるしかない」と社会主義の優位 を説いてこの論争をしめくくった。だがこの論争は,ただ単に妊娠出産時期の女性に経済 的保障をあたえるべきかどうかについて議論されたのではなかった。これらの論者の間で たびたびケイの母性論が言及されたように,晶子のケイの思想に対する「誤解を正すと同 時に,あなた(晶子)によってケイの思想が誤り伝えられるのを防ごうとしたもの」 てう「母性保護問題について再び与謝野晶子氏に寄す」. (らい. 18-7)であり,日本におけるケ. イ受容をめぐる論争の性質も有していたのである。 このころ,他にケイに関心を注いでいた人として原田実がいる。彼は『児童の世紀』. (1916. 午), 『婦人運動』 (1918年), 『恋愛と結婚』 (1920)を翻訳出版するなど,本間久雄と並ん でケイの紹介に寄与した一人であり,母性保護論争のあった年には「エレン・ケイ論」 稲田文学≫1918-. 5)を書いて,ケイの思想を「生の信仰」. (≪早. 「生の宗教」と哲学的に把捉し. ようとしていた。また,一方の文芸界でも,ニー年に厨川白村が朝日新聞に「近代の恋愛 観」を連載し始めると猛烈な反響がわき起こった。彼は北欧の新思想としてケイの恋愛論 を「恋愛至上主義」として理解したのだが,ケイの恋愛論は白村ほか島村民蔵など大正期 の文芸界にも影響を与えたといわれている。 以上,当時の日本ではケイは,児童教育論者として,社会改良論者として,母性保護論 者として,また,哲学者,恋愛至上主義者として幾種類にも理解されていたが,章錫瑠ら がこれらの中から本間のケイ論に関心を示したのはなぜだろうか。 それは恐らく,本間のいう「社会改造家」としてのケイとは,主には性道徳改革にかか わる結婚制度改正や母性保護立法の主張を指していたこと,また同じ性道徳改革でも,ら いてう等が実践課題として受け取ったのに対し,本間は研究の中にこれを対象化している こと,などが章錫瑠等の当時の関心と一致したからだと思われるが,さらにもう一つの理 由として,章のよきパートナーであった周建人の優生学-の関心と女性のセクシュアリテ ィ(性本能とその充足に関する衝動,行動,現象)に対する理解があげられる。 周建人は,章錫瑠が≪婦女雑誌≫の主霜を務めた二一年から章錫瑠をたすけて≪婦女雑 誌≫に多数の文章を発表している。これらの文章に彼が度々引用するのがダーウィン,エ リス(Haveloc. Ellis),ガルトン(Francis. Galton),カーペンター(Edward. Carpenter),. それにケイの言葉だということを見るだけでもおおよその傾向がうかがえるが,生物学を 専門にし,すでに≪新青年≫等に「生物之起源」 どを書いて進化論に関心をもっていた彼は,. (6-4),. 「生存競争輿互助」. (8-2)な. ≪婦女雑誌≫でも女性の社会的地位や母性を. 生物学的心理学的にとらえたものが多い。そしてケイとの関わりも本間久雄と同じく「人.

(9) 9. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. の進化」において共通の認識をもっていたのである。 本間は「女史は将来の人種間題は,量よりも質の問題であるとみなし,優越した質を供 えた人種の生まれることがやがて新人生を創造することであり,かくして人生は無限に進 展するものであるという人生肯定観を信じていたo. 女史が一面に"母たること''すなわち. "母性"の重大視さるべきを説いて母性の復興を叫んだ一面に,. "子の親を選ぶ権利''を説. いたのも,要するに,女史が如上新入生の創造に対する人種改良の信念からであった」. (『婦. 女問題十講』第三章「自由離婚是非論」)と,明確にケイの人種改良思想を捉えていたが, 周建人も「エレン・ケイ女史の恋愛自由論のその中心は,健全な心身を保つことのみにあ るのではなく,なかでもとくに種族の進歩を前提にしている」㊧とケイの恋愛論のボンイト を押さえており,. 「婚姻はなぜ恋愛を中心にすべきなのだろうか。本間久雄はエレン・ケイ. が恋愛を提唱する理由として,. "恋愛の当事者自身が個人の幸福を享受するだけでなく,か. つその間に質的に優秀な子僕を産み,人種改良の利益を得ることができるので,恋愛で結 ばれた男女相互の個人の幸福は,社会的価値を構成する''と言っている」⑳と本間の説を援 用している。これと同じ内容のことは前述の章錫瑠が王平陵にあてた手紙にも認められ, ケイ,本間,章,そして周には「優生学に合った婚姻は,恋愛結婚である」⑳という認識 と,女性解放を人種改良の視点から捉えるという共通の傾向があったことがわかる。そも そもこうした「人の進化」説とは,. 「種族を繁栄させるのではなく,向上させよ」と呼びか. け,超人の出現こそ生殖の意義だとみなしたニーチェの超人思想と,ダーウィンの進化論 の結晶であり,中国の五四当初の精神革命論を特徴づけるものでもあった。章らは女性解 放思想においてこの精神を継承・発展させようとしたのであり,それゆえこの点を明確に 捉えていた本間に注目したのであろう⑮。 ≡,エレン・ケイの母性論と女性の職業問題・児童公育 ケイにあって「母性の権利」とは単に子供を産むことのみでなく,恋愛による結婚から 出産に及ぶ,まさにその「性」たる存在を全うする権利として捉えられており,女性が出 産・育児に係わることの「神聖」と社会的意義を説き,この間は母親は外での仕事を離れ, 国家による生活保障を受けるのが当然であると提案する。「個人の幸福をして種族の改良に 役立たせるように社会を改良しなければならない」. (「恋愛と道徳」)と「母性」を中心にす. えた女性解放論そして社会改良論を展開した。つまり,ケイの母性論は,社会が男性的原 理と女性的原理の共同によって成立し発展していくものであるからには,母性の力の発現 は,単に女性自身のため,家庭内での子供のために留まるものではなく,自然の力である 母性から,家父長制支配から解放された文化の力である「社食の母性」を要求するもので あった。しかし,また一方でケイの母性論は,女性の家庭外労働の問題に直接関連するだ けに当時から様々な反響をよんでいた。なぜなら,男女の相違よりも寧ろ男女の類似に注 目する者は,女性の妊娠・出産というこのごく短期間をのぞいては極力男女の相違をなく そうとする。女性が男性と同じ「人」となるために,公共の保育機関や公共食堂などを整 備して,女性の社会進出を積極的にはかる.ところがヲ いこそ根本的な問題としてとらえる者は,. ケイのように,男女の「性」の違. 「男」であること,. 「女」であることに重大な意.

(10) 10. 白. 水. 紀. 子. 義を見いだすので,女性の妊娠・出産・育児の社会的価値を主張するあまり新式の良妻賢 母主義に陥る危険性をはらんでいたからである。 このケイの母性論に対して,沈雁泳はその複雑な評価の揺れを度々口にしながら自身の 女性論を作りあげていった。 沈雁泳は「家庭を改革する手段には,まず第一に二つあると思う。一つは共同食堂,二 つは児童公育である。. -いわゆる四海同胞主義(Cosmopollitanism)は,こうしてようやく 実現できると信じている」 (「婦女解放問題的建設方面」 20-1)と言い,また「私は家庭 の形式をなくすことを主張する者であり,共同食堂と児童公育を私は非常に強く主張する。 (「読少年中国婦女号」 20-1)と -私はタロポトキン派の人の説を最も信じるものである」 述べて,沈雁泳の女性解放論はまずアナキズムに基づく児童公育と家の解体説からスター トした。そもそも児童公育の主張は,アナキストに限らず,マルキスト,フェミニスト等 広く論じられていた問題で,. ≪新青年≫や≪新潮≫等の雑誌で女性問題が注目されるよう. になると,度々取り上げられていた問題であった。しかしながら,児童公育はそれ自体独 立して論じられるよりも,むしろ家庭の存続問題と同時に論じられた傾向が強く,旧来の 大家族制度のみならず,小家族-核家族をも批判したのが,アナキズムの影響を受けた人 々だった。彼が女性問題において女性の経済的自立よりも倫理道徳の改革に関心をもった のはこのような思想的背景を考慮する必要がある。そしてまさにこの時,児童公育に批判 的だったケイの著作に接したのである。 ケイの著作の本格的な紹介の第一号となった沈雁泳の「愛情輿結婚」. (20- 3)は,ケイ. の代表的著作『恋愛と結婚』の第五章'r母となる権利」前半三分の二の要訳で,女性の家 庭外労働が母性を損なうことを論じた部分である。彼のケイ理解は日本を経由しない,英 文書籍から直接得たものであった。一般に,. 『恋愛と結婚』は「恋愛の進化」. 「恋愛の自由」. 「自由離婿」に関心が集まっていたことを思うと,沈雁妹の関心の所在がはっきりする。 沈雁泳の「愛情輿結婚」の翻訳作業は,ケイの新性道徳説を支持した上で行われたこと は,その訳序で「エレン・ケイ女士の傑作はすでに久しく世界中に知れわたっているが, 我が中国のみ誰も語るものはいない-これは誠にはなはだ遺憾とするところである-女士 の貞操観念は霊肉一致を主張するものである。彼女は現在の男権に偏った道徳に強く反対 する。彼女の学説は我が国に多大な影響をもつに違いない」とあることからも分かるが, 訳文には誤訳が多く,この時点でどの程度内容を理解できていたかは疑問である。その後 ≪東方雑誌≫に書いた「愛倫凱的母性論」 『恋愛と結塘』以外にさらに『母性の復興』. (20- 9)から推測すれば,この半年の間に彼は 『婦人運動』『児童の世紀』などケイの著作を. 読み進んだことがうかがえ,その母性論についての理解もかなり要点を押さえたものにな っている。. 「彼女は男女の天厳の気質の違いを認め,男女分業の必要を認め,女子は経済的. 独立をはかる必要はない,むしろまず男子と同じ人格,男子がすでに持っている人権と同 じ人権を獲得すべきだと考える。ケイ女史の婦人運動観は誠に最も徹底したものである。 ケイ女史の母性に対する尊重,母職の提唱は現代の婦人運動の中で最もかがやかしい色彩 を帯びている」と,ケイの母性論を支持している。ケイにおいては,女性が「労働神聖」 の名のもとに,実際には苦痛と退化しかもたらさない労働に従事することは,子供に対し.

(11) its. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. て母職をつくすことができない女性にとっても,また母親による豊かな精神的教育を受け られなくなる子供にとっても罪であり,人の進化をはばむものだった。当時ニーチェの「超 人」説に傾倒していた沈雁殊にはこうしたケイの母性論は非常に魅力的だったのだろう。 それゆえ,二○年夏におこった児童公育論争では,児童公育に批判的立場をとるケイに対 して彼は,. 「ギルマンが公育を主張する理由について,私は良心上反対することはできな. い。エレン・ケイの公育反対論は,学識上反対することはできない。強引に評価を下すと すれば,私はエレン・ケイを尊敬せざるをえない。なぜなら,彼女の学説のほうが奥が深 いからだ」と,ケイの主張の優位性については見方を変えなかったが(さらに,児童公育 は家庭を破壊して子供を社会に奪い取るためではない,とアナキストとの違いを明確にし た上で),一方で経済的理由で外に働きに出ざるを得ない女性たちや児童の置かれている現 状から,. 「私は中国で児童公育を実施することに大いに賛成する」⑳と,現実的対策として. は児童公育を支持したのである。 そしてニー年,沈雁泳はふたたび彼女の母性論をとりあげ,今度は次のように全面否定 -と態度を変えていった。 「彼女のいわゆる母性論は偏向を免れない。女性の才能はけっして"母親となる"ことの みに限られないものだ1--そして"子供が自分の母親に養育されねばならないのはなぜが という問題のエレン・ケイの解釈にしても,まだ科学的証明は得られていないようだ---エ レン・ケイの主張が学術上"真理"かどうか,勿論これは別の問題である。しかし,今日 の事実は明らかに彼女の期待とは反対になっている。恐らく彼女が強く主張している両性 分化説も,ついには泡となって消えるかもしれない」㊨。. 「エレン・ケイの説のように経済. 的独立を求めずに婦人の完全な解放が達せられるかどうか,非常に疑わしい」㊧と,. 「母性」. の定義について,両性分化説について,そして,女性の経済的独立は家事労働に対する国 家の報酬によって達成すべきだとするケイの主張について,これら一つ一つに疑問を呈す るようになったのである。この時点での彼の関心はもはやケイの母性論を学問として検討 することにはなく,これが誤解されねじ曲げられて中国式の「母教」や「閏訓」に利用さ れる危険性のほうにあったoそして手工業から機械工業-と転換しつつある中国では「婦 人が家庭から追い出されるのも,近い将来避けられないことだ」と,女工たちの大量の出 現を予測する彼にとって,この現実にどう対処するかの方が緊急の課題になってきたので ある。この背景には,ニー年夏に中国共産党に入党し,経済制度の改革を最優先させよう とする,彼の社会認識の変化があった。これ以降,沈雁泳はケイの母性論に言及しなくな り,むしろ関心は旧道徳批判としてのケイの新性道徳論に移る。 ≪婦女雑誌≫でケイの母性論について論じたものは少なく,たとえば周建人は,現代科学 によれば,女性が一律にすべて母性が強烈とは限らないから「母たることを全女性に強要 してはならない。一方で母たることは神聖な事であると認め,一方で女性が自由に自分の 志や好みに応じたことができるようにすべきである」⑳という考えにたち,職業と母性の関 係をいかに捉えるかについては,ギルマン夫人とケイの両方の説を紹介して立場を保留し ている。つまり,ギルマン夫人のように,子供を公共の施設に預けるのか,ケイのように 子僕は母親が養育し,その間,国家が女性の経済面での援助をするのか,. 「どちらも婦人の.

(12) 12. 白. 水. 紀. 子. 仕事と母性の衝突を解決し,女性の経済的独立を主張しているが,未来社合がどちらの方 法を取るべきかとなると,容易に決められない」⑳というのである。他に,黄石(黄養初) や呉覚農らもケイの母性論に触れているが㊧,論旨は沈雁殊に近く,主として女性の家庭 外労働との関連で批判的に論じている。彼らはケイの恋愛観と「生殖の神聖」説に理解を 示し,産む性を持つ女性の社会的役割を高く評価したが,ケイが示す具体策についてはあ. まり現実味を感じていなかったようにみえる。ケイの,国家と夫婦相互による母子保障の 提案一家長権・親権・財産権の改正を含む新結婚法の提言,母性教育の提唱,児童教育 における感情教育の重視,女子労働者の労働環境の改善要求など広範囲な具体的提案が,. ≪婦女雑誌≫ではきわめて簡単な紹介にとどまっていることも,彼らがケイの思想を,. 女性解放運動の実践的指針としてよりも,むしろ「精神革命」の思想的拠り所として捉え ていたことを示している。 四,結び 章錫瑠らのこうした新性道徳の提唱によって,. ≪婦女雑誌≫は発行部数を七,八倍に伸. ばして多くの読者を獲得していったが⑰,一方で外からのさまざまな抵抗に遭った。. ≪民. 鐸≫における陳兼善との,優生学と「恋愛の選択」をめぐる論争(24-6-25-2)㊨,. ≪農. 報副錦≫における劉以祥との産児制限と性道徳をめぐる論争(24-12-5)㊨,そして章錫 瑠と周建人の二人が≪婦女雑誌≫を退く直接のきっかけとなった, における陳百年との新性道徳論争(25-. ≪現代評論≫≪井原≫. 1. -6)⑳がそれである。紙幅の都合でこれらを詳 しく紹介することはできないが,陳百年との新性道徳論争で章・周二人の反論を≪葬原≫. に掲載する便宜をはかった魯迅が言うように,. 「章,周両先生が中国でこうした議論を持ち. 出すのはあまりに早すぎると思う。一外国ではすでに言いふるされていても,外国は外 国である」㊨から,こうした反発を招くのは必至だった。彼ら二人を陰で支えてきた周作人 が,. 「君の≪婦女雑誌≫のやりかたはまずい。なぜならこの種の雑誌はああいった思想を載. せるものではないからです。. ≪婦女雑誌≫は営業的性格のもので,営業と思想-それが. また恋愛ですから.′あまりにも開きがあります。. -営業と真理,職務と主張はぜったいに 混同すべきではないと分かっていなければならないのに,君はあまりにバカ正直に"他人 の酒杯を借りて,自分から砦を崩し''ている。忠実な婦女問題研究者に恥じないけれども, いい編集者とはいえません。」㊧と不満を述べたのも魯迅と同じ意味からだろう。周作人は 彼らの新しい性倫理道徳論を「理解しかつ賛同できるけれども」それは「ただ自分が語り たいから語るのであり,まさか近い,或いは,遠い将来に何か影響を与えることができる ようにと望んでいるからではないでしょうに」と彼らの「バカ正直さ」と「気負い」を口 惜しがり,同時に,娩曲的な言い回しで,彼らの思想・真理・主張に対する共感を示した のだった。そもそも,周作人の女性解放論は,女性解放には経済的解放と同時に性の解放 が必要だとして「性」についての論述が多く,. 「恋愛---は個体と種族の完成と継続である」. (「情詩」 22-10)と述べるなど章・周らと非常に近い。たとえば二五年の新性道徳論争の 際,陳百年の批判を招く発端となった章錫瑠の「社会や他人に害を及ぼしさえしなければ, 配偶者双方の許可があれば一夫二婦,二夫一婦のような不貞操の形式を帯びたとしても,.

(13) 13. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. (「新性道徳是什磨」. 25-. 1)という発言の中の「社会や他人に害. を及ぼさなければ」という部分は,周作人「結婚的愛」. ≪農報副群≫(23-4-18)で紹介. 不道徳とは見倣せない」. された「愛とは人を傷つけないものだ」という言葉に基づいており,この言葉は≪婦女雑 誌≫ 「主張輿批評」. (24-12)において性道徳の最高の教条としてとりあげられていたので. ある(同じく周建人「性道徳之科学的基準」. 25-1にも「他人を傷つけないことが道徳の. 基準である」とある)。さらに周作人がこの文章で性欲の差異について紹介した部分が,章 錫瑠の文章では「性欲の満足はけっして一方だけのためにあるのではない---それゆえこ れまでのように男性の性欲を満足させることを女性の結婚生活上での義務とみなすことは, 不道徳である。男性は-同時に相手の欲望に心を配り彼女が十分な満足を得られるように すべきである。このことを今までほとんど誰も気にとめなかったが,新性道徳では非常に 重要な事である」という叙述に,また建人の文章では「女性の性欲は受動的ではない。夫 婦の性生活における悲劇や不幸を避けるために,男性の性行為は女性の性的周期に合わせ て,お互いの満足が得られるようにする必要がある」という記述となって引き継がれてい る。彼らの間には,男女の性欲を生物学,生理学,性心理学などに基づいた「科学的」な 視点で捉えることによって,性を低級で汚稜だとみなす誤った認識を覆し,これをバネに 女性への偏見や抑圧をなくしていこうとする共通の姿勢がみられる。他にもこのような事 例は多く,章錫瑠と周建人の主張は周作人のそれと連動する部分が多い。周作人にとって も今回の新性道徳論争は他人事ではなかったはずである。 女性自身が自らの性を語り始めるはるか前の,男性でさえ性を公に語ることがまだ慣ら れた時代に,彼らのこうした大胆な発言に対して,読者の中には喝采を送る者もいたが㊨, やはり批判的な声の方が強かったのであろう●,この後,二人は八月号をもって≪婦女雑誌≫ から退き,周建人は≪自然界≫の編集-,そして章錫矧ま翌二六年一月に商務印書館を辞 ≪新女性≫を創刊した。しかし≪婦女雑誌≫のほうは,以降これ. 職して開明書店を創設,. といった中心テーマもなく,精彩を欠いた内容のものが紙面を飾るようになる。 章錫瑠が主編を務めた二○年代前半の≪婦女雑誌≫の主張の特色を指摘するとすれば, 以上述べてきたように,女性問題の特殊性に注目し新しい性道徳の提唱を通して女性解放 の道を模索したこと,それは具体的には,恋愛のもつ霊と肉の両側面に光をあてて両性問 題の本質に迫ろうとし,女性の「性」の問題にまで踏み込んだこと,恋愛・結婚を「人の 進化」から捉え,それゆえ産む性としての女性の社会的役割に目を向けたことであろう0 二○年代の中国にこのような精神とからだをもつ成熟した女性像の追求が行われたことは, 中国の女性解放思想史において特筆すべき事項だと思われる。. 注. 田中かず子訳『マルクス主義とフェミニズムの不幸な結婚』. ①L.サージェント編 -1),楽錬『遅到的潮流』. ニズムは中国をどう見るか』. (河南人民出版社 (勤草書房. 89-7),. J.ステイシー著. (勤草書房. 秋山洋子訳『フェミ. 90-7)など.なお本稿では,引用文などは原文のまま. 「婦人」と記し,他はすべて「女性」と記したため,婦人論・女性論,婦人問題・女性問題など 用語上不統一の箇所がある。. 91.

(14) 14. 白. 水. 子. 紀. ②エレン・ケイ(1849-1926)スウェーデンの女性運動家,教育理論家。主な著書に『児童の世紀』 『婦人と道徳』. (1900), 『生命線』 (1903-06)第一部「恋愛と結嬉」,. (1912), 『母性の復興』 (1914)など多数。本稿での引用は『恋愛と結婚』 波文庫1973),. 『婦人と道徳』 (「恋愛と道徳」. 『児童の世紀』(原田実訳. 1913),. (1911),. 『婦人運動』. 「女の道徳」の2編を収める。本間久雄訳. 玉川大学出版社1976),. 岩. (小野寺信・百合子訳. 南北社. 『婦人運動』 (原田実訳. 大日本文明協. 会1918)に依り,旧仮名遣いは改めた。. ③≪婦女雑誌≫月刊誌1915年1月-31年12月。上海商務印書館発行。主編は王薙農(15-20),章 錫環(21-. 1-25-8),杜就田(25-9-3016),菓聖陶(30-7-31-3),楊潤鎗(31-4-31. -12)が務める。 『中哲. ④五四時期の沈雁泳および沈滞民については拙稿「沈雁泳(茅盾)の社会思想一五四時代」 文学会報』 8 (東京大学. 「沈滞民研究一五四時代」. 83-6),. 『横浜国立大学人文紀要. 第二類』. 40(93-10)を参照されたい。. ⑤羅家倫「婦人解放」≪新潮≫. 2. -. 1. (19-10)や陶履恭「新社会問題之-」,張慈年「男女問題」≪新. 青年≫4-1(18-1),6-3(19-3)等。. ⑥章錫瑠(1889-1969)漸江省紹輿の人。字は雪村,筆名に雨村,玉探などo東文伝習所で日本語を 学ぶ。. 1912年≪東方雑誌≫の編集,. 21年から≪婦女雑誌≫の主編を務めた。. ⑦周建人(1888-1984)漸江省紹輿の人。字は喬峯。筆名に,高山,克士など。郷里で教鞭をとるか 『周建人評伝』(謝. たわら独学で生物学を学び,.北大聴講生を経て21年6月上海商務印書館に就職。 徳銑著. 重慶出版社91-1)に詳しい。 ≪新女性≫の創刊に尽力した。. ⑧呉覚農(1896-1989)20年ごろ日本に留学。. Y.D.は一般には李小. 峰(1889-1971)の筆名とされるが,本稿で言及した文章の多くが日本語で書かれたものをテキス トにしているため,英文からの翻訳が多い李小峰をY.D.だとするには更なる調査が必要。西棟論 文㊨ではY.D.を呉覚農とする。苦慮については不詳. ⑨通信「恋愛問題的討論」王平陵・章錫瑠≪婦女雑誌≫8-9,10(22自由輿自由恋愛的討論」. 9. ,10)。なお,. Y.D.は「恋愛. (9-2)で,章錫瑠のこの見解を更に展開している。. ⑲王平陵(1898-1964)江蘇省凍陽の人。 ⑪無署名(章錫瑠) 「主張輿批評」. 20年代はじめ蘇州≪婦女評論≫に投稿。. ≪婦女雑誌≫10-12(24-12)。文中の「心の革命」はジョージ. (w.L.Jeorge)のことば。本間が『婦人問題十講』で度々言及した。永い間の習慣は人間の性 格の型を形成するものであり,その型を破ることは,外形的な組織や制度のそれを破る以上に, はるかに執物な勇気と,はるかに深玄な叡智とを必要とする,と述べて本間はイプセン以下,近 代思想家たちとりわけケイの両性問題の本質についての思索のあとを追う意義を強調した。. ㊨ 『五四時期期刊介紹』第二集上冊(三聯書店59国女性運動史』(原著1989年. 邦訳. 論創社95-. 4)P.215,章錫確論文に対する評語。近著『中 1)では≪婦女雑誌≫に関して「広く国内外の女. 性解放運動の諸問題を討論しただけでなく,計画的に女性の職業問題,離婚問題,産児制限問 題,女性解放問題などの特集を組み,有識者に女性問題を研究する場を提供した」(p.103)という 客観的なコメントにとどめている。なお,ケイが社会主義運動と道徳革命を分けて捉えたことに 対して,当時,沈滞民は「彼女は社会主義がもたらすものが,新しい経済組織と道徳文化の全て を包括するものであることに思い至っていない」. ⑮と社会主義に対する誤解を指摘していたが,.

(15) 15. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. ケイの性道徳論に対しては非常に高く評価している。 83-. ⑲中LU義弘『近代中国における女性解放の思想と行動』 (即L州中国書店 ⑲章錫瑠「恋愛問題的討論」. ≪婦女雑誌≫8. 9 (22-. -. 9). ≪婦女雑誌≫1ト1. ⑮沈滞民「愛倫凱的"恋愛輿道徳"」. (25-. 「自由恋愛」と「恋愛の. 1)。なお,. (21-2)がある.注. 自由」の言葉の違いを紹介したものには,他に憲慮「愛倫凱女士輿其思想」. 「エレン・ケイが主張したのは,. 記はないが本間久雄『エレン・ケイ思想の神髄』の抄訳であり, Love. Freedomである。. LoveではなくてLove's. っまりFree. 3)P.247. with Freedomである。この点はケ. イ女史の思想を知り味わう上に於いて,最も注意を要する点である」という部分も訳出されてい る。本稿で後述するように,ケイの中国-の導入に際しては,本間の要点を押さえたエレン・ケ イ紹介によるところが大きい。 ≪婦女雑誌≫8. ⑲周建人「恋愛的意義輿価値」. (24-. 1. ≪婦女雑誌≫10-. ⑫無署名「我刑今後的態度」. (22-. 2. -. 2). 1). ≪婦女評論≫No.17(21-ll-23)等の編訳予告によると「すでに. ⑲『愛倫凱思想的神髄』 Y.D.釈:. ≪婦女雑誌≫および≪婦女評論≫に連載予定」とあるが,該当のものはみあた. 著者の同意を得,. らない。単行本の可能性もあるが,不詳。 ≪婦女雑誌≫10-8及び. 『婦女問題十誇』 :章錫瑠訳(婦女問題研究会発行1924年)0 「著者為漢訳本序」. 報≫52(24-8-27)に「訳者序」. 「原序」を転載。反響として,陳学昭「読婦女 7. ≪婦女週報≫94(25-. 問題十詩的``恋愛観的変遷''以後」. ≪婦女週. -. 5)がある. ≪教育学術界≫13-4. ⑲小西垂直「エレン・ケイの『児童の世紀』について」. 5 (1906). 大月書店1971年. P.425. ⑳平塚らいてう『原始,女性は太陽であった』 (下). ,. ㊧島田節子「エレン・ケイの母性主義」,塚本しう子「与謝野晶子,平塚らいてう,山川粛栄の母性 保護論争」. 『入門女性解放論』 (一番ケ瀬康子編 "論争"から``運動". 論争"の歴史的意義引用は『資料. 亜紀書房1975年)所収,香内信子「``母性保護 ≪歴史評論≫66-11など。本稿での. -のつながり」. (香内信子編集・解説ドメス出版1984-10)所収のものを使用. 母性保護論争』. し,各注は紙幅の都合で省略した。. ⑳周建人「恋愛選択輿優生学」 ⑳喬峯(周建人). ≪婦女雑誌≫11-. 4. (25-. 4). ≪婦女雑誌≫11-. 「現代性道徳的傾向」. ≪婦女雑誌≫8. ⑳周建人「恋愛結婚輿将来的人種間題」. (25-. 1 2. -. 1). (22- 2). ⑳本稿第二章は, 94年11月23日北京大学婦女問題第三回国際学術討論会での筆者の報告及び大会提 『北京大学婦女問題第三属国際学術研討合論. 出論文「在五四時期愛倫凱思想的受容和日本的関係」 文集』 (1995.5)所収と一部重複するo ⑳雁泳「評児童公育問題」. ≪解放輿改造≫2. ⑳妹「所謂女性主義的両極端派」 ⑳鳩虚(沈滞民). ≪婦女評論≫13(21-10-26) ≪婦女評論≫15(21-ll-. ・泳「愛倫凱学説的討論」. ⑳周建人「婦女主義之科学的基礎」. ⑲克士(周建人). 「婦女職業和母性」. ≪婦女雑誌≫9. ≪婦女雑誌≫10-. 4. -. 5. ,. 9. 6 (24-. (23-. 1. -. 5. ,. 9). (23- 4) 6 (24-. ≪婦女雑誌≫10-. ㊧呉覚農「愛倫凱的母権運動論」 ≪婦女雑誌≫ 果不通於職業歴」. 8). -15(20-. 6). 1 ),黄石「愛倫凱的母性教育論」. 6)など。. 「婦女.

(16) 16. 白. 水. ≪民鐸≫5. ⑳陳兼善「優生学和幾個性的問題」. -. 紀. 子. (24-. 4. 6)が優生学的見地から「恋愛の自由」と. 「産児制限」を批判,これに章錫瑠が「読陳兼善先生"優生学和幾個性的問題''」 (25-. 2),周建人が「恋愛選択輿優生学」. ⑳周建人「産児制限輿性道徳」 ≪農報副錦≫25-. 3. 産児制限輿道徳"」. ≪同≫. ≪婦女雑誌≫(25-. ≪同≫6. 2. -. 4)で反論した。. ≪農報副錦六周増刊号≫24-12,劉以祥「読"産児制限輿性道徳」 ≪同≫251. -24,周建人「再講産児制限輿道徳」 5. 4. -ll,劉以祥「答"再講. ≪同≫ 5 -28。避妊法を応. - 7,周建人「再論性道徳答劉以祥先生」. 用した試験的結婚を提案した周に対する劉以祥の反論。. ㊨西模偉「一九二○年代中国における恋愛観の受容と日本-≪婦女雑誌≫を中心に」. ≪比較文学. 研究≫64号(1993年)に詳しい。なお,西横氏は「章錫瑠,呉覚農らは厨川白村の恋愛理論を根拠 にしていたのである」と結論づけておられるが, 挙げている呉覚農訳「近代的恋愛観」. ≪婦女雑誌≫での厨川白村の紹介は,西環氏も. (22-2)および「恋愛典自由」. (23-2)の二本であるのに. 対し,本稿および添付「資料」から明らかなように,本間やケイの著作の翻訳のほうが量的には るかに多い。章錫摺らが引用紹介する内容においてもまたそうである。よって章錫摺らの恋愛観 は本間久雄を通してケイから学んだのであり,厨川自村の恋愛観の紹介はむしろこの一環として 位置づけたほうがよいような気がするo. また,章錫積らは新性道徳論争において,陳百年の言う. ところの「恋愛の占有欲」について反駁しているが,厨川にも「恋愛は--」司時にそれを独占しよ うとする所有欲に駆られて動く。. --・それは要するに相手を``所有''しようとする熱望からくるの. だ」 (『近代の恋愛観』 『厨川白村集』5巻25- 5P.54-. 6)など,陳の見解に近い発言がある。. ≪婦. 女雑誌≫の恋愛観における厨川白村の影響を指摘するのであれば,こうした不整合の部分につい ての論考も必要ではないかと思う。. ⑮魯迅「編完写起」 ⑲開明(周作人). ≪葬原≫4(25-. 5 -15). 「輿友人論性道徳書」. 性道徳的-封回信」. ≪語妹≫26(25-. 5. -ll)。これに両村(章錫瑠)の返信「論. 者階級」からも,. ≪語練≫30(2516-8)がある。なお,章の手紙によると彼らの所に「労働 ≪婦女雑誌≫は資本家の歓心ばかり買っている,内容を「唯物的」なものにせ. よ,という抗議文が届き,彼らは両サイドからの抵抗に遭っていたことがうかがえるo. ㊨顧均正「読"一夫多妻的新護符"」≪婦女週報≫79(25ll-. 4. (25- 4),君薄「新性道徳輿一夫多妻」. 3. -22),. 「読新性道徳号」. ≪婦女週刊≫26(25-. 【資料】-エレン・ケイ関係費料一覧(1920-25). 6. (三≪婦女雑誌≫. -10)など. 〔初稿〕. Ⅰ.ケイ著作の翻訳・紹介および批評 「愛情輿結婚」四珍(茅盾)訳. ≪婦女雑誌≫6-3(20-3) -. 「愛倫克伝」. Hamilton著. 呉宗周・郭錫嘩訳. 「愛倫開底"恋愛''和"結婚"観」毛君発. 『恋愛と結婚』第5章「母となる権利」要約 ≪新中国≫2-6,7. (20-6,7). ≪学灯≫1920-. 7. 「自由離婚論」李三先. ≪婦女雑誌≫6-. 「愛倫凱的母性論」燕賓(茅盾). ≪東方雑誌≫17-17(20-. 「愛倫凱女士輿其思想」苦慮. ≪婦女雑誌≫7-2. -18. 7 (20-7) 9 ). (21-2). -本間『エレンケイ思想の神髄』第一編の要約.

(17) 17. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. ≪蕪湖≫1. 「恋愛的自由権」洋民訳. 「愛倫凱之更新教化論」本間久雄著. 幼雄訳. ≪婦女雑誌≫7-6. (21-6). -. 「愛倫凱学喜郎勺討論」 (通信)鳩虚(沈i畢民). (21-5). 『恋愛と結婚』第3章「恋愛の自由」. -. 『若き世代』. ・泳(茅盾) ≪婦女評論≫15. 「唱母権尊重諭的愛倫凱女士為什磨独身」原田実著. (21-1. 幼船訳 ≪婦女雑誌≫8-10. 「愛倫凱女士之恋愛結婚論」本間久雄著. ?釈. (22-. ≪学灯≫22-. 「愛倫凱的自由離婚論」呉覚農. (22-4). 『恋愛と結婚』第8章「自由離婚」の要約. 「婦人道徳」董香白訳. ≪婦女雑誌≫8-7,8. 「未来的女子」董香自訳. (22-7,8). ≪婦女雑誌≫8-9. Y.D.釈. (22-9). ≪婦女評論≫58,60 -. 「愛倫凱的世界改造輿新婦女責任論」本間久雄著. 「愛倫凱的母権運動論」呉覚農. (22- 9). 『恋愛と結婚』第3章. ≪婦女雑誌≫. 呉覚農訳. -. 8 -10(22-10). 『戦争・平和および将来』. ≪婦女雑誌≫9-1. 「女子的和平運動」沈滞民訳. (23-1). ≪婦女雑誌≫9-6,7 -. 「児童的特権」無競訳. (23-6,7). 『戦争・平和および未来』. ≪婦女雑誌≫10-. (24-. 1. 「恋愛典道徳」任白涛訳. ≪民鐸≫5-1(24-3). 「婦女之道徳」任白涛訳. ≪民鐸≫5-2(24-4). 「愛倫凱的母性教育論」黄石. ≪婦女雑誌≫10-5. 「愛倫凱的``恋愛輿道徳''」沈滞民. ≪婦女雑誌≫11-. (25-. 1) 1). 1. 「婦女問題里的愛倫凱」蔭. ≪婦女週刊≫16(25-. 「愛倫凱的自由離婚及其反対論」蔭. ≪婦女週刊≫17(25-. 4. ≪農報副錦≫25-. 「性道徳之破壊」李宗武 -. 7 -14. 7. ≪婦女週刊≫41(25-. ⅠⅠ.ケイに言及したもの。. - 8). 『戦争・平和および未来』の要約. ≪婦女週刊≫32,35,38,40(25-. 「婦女運動之内部的効果」蝕訳. 1). (24-5). 4-. 「婦女運動之表面的効果」毒鐘訳. 1). 2 -19. ≪婦女雑誌≫8-4 -. 「恋愛的自由」. 1-9). 9). -. 9. -23) 『婦人運動』. (本稿関連分). 「男女社交公開問題管見」雁妹. ≪婦女雑誌≫6-2. (20-2). 「我m該志様預備了去讃婦女解放問題」雁妹. ≪婦女雑誌≫6-3. (20-3). 「世界両大系的婦人運動和中国婦人運動」侃葦(茅盾) 「性底道徳底新趨向」本間久雄著. 備突(陳望道)釈. ≪東方雑誌≫17-3. (20-3). ≪覚悟≫20-8-1-3.

(18) 18. 白. 水. 紀. 子. ≪婦女雑誌≫6-8(20-8). 「婦女運動的意義和要求」雁泳 「評児童公育問題」雁泳. 2 -15(20-. ≪解放輿改造≫ ≪婦女雑誌≫6. 「近代思想家的性慾輿恋愛観」苦慮 張叔丹訳. 「性的道徳之革命」生田長江・本間久雄共著 意慮訳. 「性道徳底新傾向」本間久雄着. ≪婦女雑誌≫6. (20-10). -10. ≪民鐸≫2. 8). 3 (20-10). -. (20-ll). -ll. ≪同上≫. 「近代思想家的性慾観輿恋愛観」苦慮訳 「家庭改制的研究」沈雁泳. ≪民鐸≫2-4(21-1). 「婦人問題概論」濁飛. ≪婦女雑誌≫7-3. 「家庭生活的進化」周建人. ≪婦女雑誌≫7-5(21-5). 「女子経済独立問題的簡要説明」沈滞民. ≪婦女評論≫3. (21- 8 -13). 「世界婦女運動底両大潮流」沈滞民. ≪婦女評論≫8. (21- 9 -21). 「所謂女性主義的両極端派」泳(茅盾). ≪婦女評論≫13(21-10-26). 1 (22-. ≪婦女雑誌≫8-. Y.D.. 「婦女的精神生活」. 「近代的恋愛観」厨川自村著. 4. ≪覚悟≫21-10-. 壊泉訳. 「霊肉合一観」厨川白村著. (21-3). ≪婦女雑誌≫8-2. Y.D.釈. 1). (22-2) ≪同上≫. 「恋愛的意義輿価値」周建人 ≪婦女雑誌≫8-3. 「再媛興人生」李宗武. (22-3). ≪婦女雑誌≫8-4. 「離婚輿道徳問題」雁泳. (22-4). 「自由離婚論」夏梅. ≪同上≫. 「離婚問題的究寛観」観上達. ≪同上≫. 「離婚問題対話」季谷. ≪同上≫. 「福斯徳博士的離婚反対論」豪産. ≪同上≫ 一本間『婦人問題十溝』. 「自由離婚の是非」. ≪婦女雑誌≫8-7(22-7). 「恋愛結婚之真義」黄粛俵 「近代劇描写的結婚問題」本間久雄箸. ≪同上≫. 蔵生訳 ≪婦女雑誌≫8-9. Y.D.訳. 「恋愛的移動性与一夫一婦制的改造」本間久雄著. (22-9) <同上>. 「恋愛問題的討論」章錫瑠・王平陵 ≪婦女雑誌≫. 「通信」章錫瑠・壬平陵. 8. -10(22-10). -≪婦女評論≫56,58(22-10)に一部掲載. ≪農報副錦≫22110-12. 「情詩」作人 「貞操観念的改造」高山(周建人). ≪婦女雑誌≫. 「紀爾畳及須林郷的婦女職業運動観」喬峯(周建人). ≪婦女雑誌≫9-. 「恋愛自由輿自由恋愛的討論」鳳子・Y.D.. ≪婦女雑誌≫9-2. 『婦女問題十講』 (部分)本間久雄著. ・章錫瑠. 「新的性道徳」. 「近代的結婚改造案」 「家庭組合論」黄石. 1 (23-1). (23-2). 玉深(章錫瑠)釈 ≪婦女週報≫. -. 8 -12(22-12). 「婦女参政権運動」. 1. -30(23-. 「自由離婚的是非」. 「結婚的進化」 「愛的創作」作人. 8 -22-24-. 3. -19)連載. 「新馬ホ塞斯主義与産児限制」 ≪農報副統≫23-. 7 -15. ≪婦女経誌≫ 9 -12(23-12).

(19) 19. ≪婦女雑誌≫における新性道徳論. 「恋愛観的変遷」本間久雄若. (24-. 1. ≪婦女雑誌≫10-. 草錫環訳. 1). -中国語訳『婦女問題十講』の六 「我m今後之態度」記者. ≪婦女雑誌≫10-. 1. (24-. 1). 「婦女職業和母性」克士(周建人). ≪婦女雑誌≫10-. 6 (24-. 6). ≪同上≫. 「婦女果不適於職業磨」責石 「自由恋愛輿貞操問題的関係」本間久雄著. 仲雲訳. 「新性道徳是什磨」章錫環. ≪婦女雑誌≫10-. 7 (24-. 7). ≪婦女雑誌≫11-. 1 (25-. 1). ≪同上≫. 「現代性道徳的傾向」喬峯. ≪同上≫. 獣畳(夏弓尊)釈. 「近代文学上的新性道徳」島村民蔵著. -島村「近代文学に現れたる両性問題」 (25-2-4). ≪婦女週刊≫8. 「引言」記者. ≪同上≫. 「独身主義的因果及其補救的方法」温毒鐘. 「婚梱制度和優生問題」開明(周作人) 「恋愛選択輿優生学」. 周建人. 「近代文学上之両性問題」本間久雄著. 李宗武訳. ≪婦女雑誌≫11-. 3 (25-. 3). ≪婦女雑誌≫11-. 4. 4). 4. ≪農報副錦≫25-. (25-. 4 -26. -24,. ●. -本間『近代文学と婦人問題』 ≪婦女週刊≫22(25-. 「婦女運動之三大趨勢」鳴蘭 「両性問題之研究」本間久雄著. 李宗武訳. 5 -13). ≪婦女週刊≫25-6-7,6-8 一本間「性的道徳の新傾向」. 「最近婦女運動的失敗和今後鷹取的方針」章錫瑠. ≪婦女雑誌≫11-. 7 (25-. 「婦人愛和平乎?抑好戦争./」李宗武. ≪農報副錦≫25-. 「人的運動」奨伯山. ≪婦女週刊≫25-12-20. 「蘇聯的母性保護法」夢華. 7). 8 -24. ≪同上≫. 〔1995年5月10日脱稿〕.

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