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Vol.66 , No.1(2017)064中御門 敬教「〈普賢行願讃〉廻向文に見る浄土思想の展開――例外規定の排除,一切衆生極楽往生――」

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Academic year: 2021

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(1)

〈普賢行願讃〉 向文に見る浄土思想の展開

―例外規定の排除,一切衆生極楽往生―

中 御 門 敬 教

1.

 浄土教典籍における生類全般の往生

インド社会における願文の定型句としては,「一切衆生の利益,安楽のために」 が知られている.仏教においてはグプタ期の仏塔や仏像寄進銘文に一切衆生の成 仏や,一切衆生の涅槃の獲得が祈願されている1).この生類全般への救済志向 は,庶民信仰を背景とした一種の標語化,儀礼化の反映とも考えられる.ところ で,かつて例えばグレゴリー・ショペン氏が sukhāvatī as a generalized religious

goal (Cf. Schopen〔1977〕)とまで評した「極楽世界」では,生類全般の救済(往生) が保証されているのであろうか.この問題を考える上では,代表的な浄土経典で ある〈無量寿経〉誓願文(念仏往生願)に出る「魏訳: 唯除五逆 謗正法」が重要 な手がかりになる.そこには五逆罪の者や,正法 謗の者は阿弥陀仏の本願力に よる救済から外れる,つまり,往生における「例外規定」が設けられている.イ ンド浄土教の基本的な立場では,生類全般の往生は条件付きであるといえる.こ の前提は,例えば阿弥陀信仰をよく説く〈三昧王経〉や,龍樹の諸著作(『十住毘 婆論』〈親友書簡〉)が個人的な往生祈願を挙げる中,一切衆生極楽往生を説かない 点とも同基調である.「一切衆生」の中には,いうまでもなく五逆罪者や, 謗 正法者が含まれる.ここで視点を変え東アジアの浄土教願文を眺めると,この様 相は大いに異なってくる.生類全般の往生が顕著に祈願されているのである.例 えば善導『往生礼讃』「願共諸衆生 往生安楽国」,同『観無量寿経疏』冒頭 「十四行偈」や,源信『往生要集』「総願偈」の末尾「自他法界同利益 共生極楽 成仏道」のごとくである.この方向性の変化ついて,思想的な背景は何に求めら れるのであろうか.可能性としては,中国浄土教に大きな影響を与えた 良耶舎 訳『観無量寿経』「下品下生」や,世親『往生論』「菩 巧方便 向成就」,それ を承けた曇鸞『往生論 』「別釈方便」からの影響が考えられよう.視座を広げ て見れば〈無量寿経〉寄りのインド浄土教,『観無量寿経』寄りの中国浄土教と

(2)

なるのであろうか. 2.

 華厳典籍における生類全般の往生

そして,この「例外規定」を排除するもう一つの流れが,インド〈華厳経〉系 統の中にも確認できる.具体的には,唐実 難陀訳『大方広仏華厳経』「十 向 品」(『大正蔵』10, 279, 161c)「願一切衆生往生一切無諸煩悩,甚可愛楽清浄仏剎」や, 「入法界品」の要約ともいえる〈普賢行願讃〉(以下〈行願讃〉)の末尾にある 向 文(以下「願文」)である.「十 向品」と〈行願讃〉は共に華厳菩 道,すなわち 普賢行の関係典籍でもある.ちなみに世親『往生論』の内容は,彼の弟子筋にあ たる陳那〈行願讃釈〉にも見られる2).厳密には,世親の影響が華厳方面に及ん だ可能性も排除できないであろう.こうした諸点を承けて,今回の考察では〈行 願讃〉とその釈,特に釈友(AD ca. 9th c.)や智軍(AD ca. 9th c.)のものを参照して, インド大乗仏教,特に華厳菩 行(普賢行)においても生類全般の往生が祈願さ れる点を,五無間罪者(五逆罪者)や増上慢声聞( 謗正法の輩,大乗非仏説論者を中 心とする者)の救済に留意しつつ,確認することを目的とする. 3.

 〈行願讃〉梵本の増広について――願文の位置付け――

ここでは〈行願讃〉(以下梵本「慈雲本」を基準)梵本の願文の位置付けを,本体 の増広過程を通して確認する.先ずはその経緯を漢訳から見ると,四十四偈頌か らなる部分が編纂され(東晋覚賢訳『文殊師利発願経』),その後約二十偈頌が増広さ れる(唐不空訳『普賢菩 行願讃』).次にこの増広問題,特に願文が含まれる vv. 49–62を〈行願讃釈〉科文(科段)から眺めると,「浄土教説→経典功徳→願 文」という次第が二層にわたって確認できる3).通常の大乗経典では経典功徳は 経典末尾に説かれ,その後ろに書写者の願文が出る.この点は〈行願讃〉にも当 てはまる.二層の願文については,①vv. 55–56は第一期の書写者の願文の可能 性,②vv. 61–62は第二期の書写者の願文といえる.この隔時的な偈頌の増広は, 〈行願讃〉梵語原典の音韻・語彙の面からも確認できる.〈行願讃〉は混淆梵語で あるが,末尾の,特にv. 62はほぼ正規の梵語である.本文とは異なる,書写者 の使用言語がそこに現れている.こうした現象も隔時的な書写を裏づけるものと いえよう.ちなみに,願文を注釈しない釈も存在するように,「本文としての願 文」の扱いは区々である.〈行願讃〉が書写者によって書き換えられる中で 読 み人知らず の願文が経典本文に組み込まれ,現行の姿に到達したと考えられ

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る.ちなみに,梵本に相当する唐不空訳『普賢菩 行願讃』(『大正』10, no. 297,

881c)では,梵本願文に相当する末尾の偈頌は本文の扱いを受けている.

諸釈と 向文の関係

v. 55釈 v. 56釈 v. 61釈 v. 62釈

龍樹釈 D. 181a2, P. 210a1 D. 181a3, P. 210a3 × ×

世親釈 D. 268b2, P. 307a8 D. 268b3, P. 307b2 × ×

陳那釈 D. 200a7, P. 230b1 D. 200b1, P. 230b2 × ×

厳賢釈 D. 251b6, P. 287a2 D. 251b7, P. 287a4 × ×

釈友釈 D. 230b5, P. 263b4 D. 231a3, P. 264a2 D. 233a2, P. 266a3 D. 233a7, P. 266b1

智軍釈 D. 211a4, P. 249a8 D. 211b2, P. 249b6 D. 213a1, P. 251b2 D. 213a2, P. 251b4

4.

 〈行願讃〉梵本の願文と,対応する釈友釈と智軍釈の内容

〈行願讃〉梵本に出る四つの願文(vv. 55, 56, 61, 62)の中からvv. 61–62を紹介する. v. 61「梵本試訳:〈〔普〕賢行願〉を唱えた時,自身が積んだどんなわずかな善であっても, それによって一刹那のうちに一切の衆生の浄らかな誓願が叶いますように.」 v. 62「梵本試訳:〔普〕賢行を 向し,獲得した,非常に優れた無辺の功徳がある.それに よって苦の暴流に沈んだ者たちが,殊勝な無量光〔仏〕の宮殿にまさに赴きますように.」 この中で,v. 62に対する釈友釈と智軍釈に一切衆生の極楽往生を祈願する文言 が見られる.以下のとおりである4) 釈友釈「〔極楽世界に〕「赴きますように」ということについて,「赴く」,あるいは「入ります ように」ということに変える.〔すなわち〕あらゆる衆生が〔極楽世界に〕入りますように!」 智軍釈「無量光如来の住処〔である〕「極楽」という世界,〔すなわち〕一切の苦という名 前も知られず,身と意との一切の安楽を具えたその住処に,一切衆生が,趣き住しますよ うに!,生まれますように!」 5.

 大乗仏教における衆生救済の例外規定

ここでは考察の前提として,大乗仏典の中から①〈無量寿経〉,②〈大乗涅槃 経〉,③唯識説を選んで,衆生救済の例外規定を整理しておきたい. ①〈無量寿経〉→魏訳第十八願(念仏往生願)に「唯除五逆 謗正法」と出るよう に,「五逆」罪者と「 謗正法」者は極楽往生できないとする.ただし東アジア の伝統的宗学の立場では,先の〈無量寿経〉の所説を抑止門,『観無量寿経』「下

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品下生」の所説を摂取門とし,念仏と懺悔による衆生の極楽往生を説く. ②〈大乗涅槃経〉→水谷〔1961〕,河村〔1977〕における「一闡提」研究が有益で ある.一闡提について,水谷〔1961〕は「魔波旬,断善根,現世主義者,犯戒 者,無慚愧者,外道, 謗大乗者」を挙げ,河村〔1977〕は整理して「事実問題 としての一闡提,極悪の属性としての一闡提,衆生教化のための施設の一闡提」 に纏める.この二論文は「一闡提」とは仏道から外れた者を総称,総体した表現 と理解するが,辛嶋〔2006〕はより具体的に「如来常住・如来蔵説を認めない権 威者」であると理解する. ③唯識説→近年のものとしては,佐久間〔2007a〕〔2008b〕,岡田〔2016〕におけ る,「五姓各別」説の「無種姓」研究が代表である.特に岡田〔2016〕では先行 研究が整理され,また新たな提言が見られるなど有益である.ここでは岡田 〔2016〕の所説を代表として紹介する.第一,『仏地経論』「第五種性無有出世功 徳因故畢竟無有得滅度期」を挙げて,「無種姓」の根拠として,出世間のための 功徳がないから救済されない点を示す.第二,〈楞伽経〉「一切の善根を棄てた点 ( 謗)からと,衆生への無始以来の誓願の点から」を挙げて,救済のために意図 的に輪 へ留まる点を示す.纏めると,必然的に救われない者と,意図的に救わ れない者,その両者を「無種姓」が担当するといえよう.ちなみに,第二の「衆 生への無始以来の誓願の点から」の根拠は示されていない.可能性として,「誓 願」とあるから,〈文殊師利仏土厳浄経〉に出る「普覆王(文殊の前世者)誓願」(大 波濤誓願)と,それを教証とした〈行願讃〉v. 44釈が挙げられるかと思う5).この 点について〈行願讃〉釈を参照すると,普覆王誓願とは輪 を厭わず,一切衆生 の利益(Skt. hita, Tib. phan pa)をひたすら行う菩 行である.その菩 行が,華厳 の文脈では普賢行といわれ,その実践者が普賢菩 と呼ばれる.その経緯は,先 に示した〈行願讃〉の東晋訳から唐訳への,大胆な経名の変更にも確認できる. この菩 行は,例えば〈無量寿経〉誓願文(一生補処願)では,極楽往生後にあえ て一生補処に落ち着かず,輪 を繰り返す菩 行として説かれる. 6.

 例外規定の排除――

一切衆生の救済,極楽往生への視座――

先ずは,往生の例外規定「唯除五逆 謗正法」が〈行願讃〉ではいかに扱われ ているのかを確認する.結論としては,「五逆」については,〈行願讃〉v. 51にお いて五無間罪(五逆罪)の業障の浄化が説かれ,「 謗正法」については,〈行願 讃〉v. 49釈において四種声聞の増上慢声聞と考えられる「諸悪友」でさえも,阿

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弥陀仏の臨終来迎を受け,極楽往生することが説かれる.「増上慢声聞」とは例 えば世親著『法華経論』によると,成仏不可能であり, 謗正法の輩,大乗非仏 説論者などを指す.このv. 49, 51は共に〈行願讃〉釈では科文「十. 向の善」 に含められ,そこでのこの「 向」は「普賢行願」とされるので,いわば生類全 般を救済する原動力に, 向=普賢行があることが知られる6).次に,その「例 外規定の排除」を基礎づける普賢行の一性格について確認する.先に見たとおり 普賢行の基本的な性格は,菩 行の永続性にある.ただしこの行には,法の永続 性も含意されている.例えば無著著『法随念 』に説かれた,「正法とは,〔世尊 によって〕良く説かれたものであり,梵行であり,初めに良く、中においても良 く、終わりにおいて良く、賢れた意味があり、賢れた音節があり,混ざっておら ず,成就しており,清浄であり,浄らかである」にも出る「正法とは初め,中, 終わりに良く,賢れた意味」と関係して,〈行願讃〉v. 44陳那釈は普賢行を解釈 する7).またインド社会の願文に頻出する「一切衆生の利益,安楽のために」の 「利益,安楽」は,〈行願讃〉もしくはその諸釈の多くの箇所において,普賢行の 功徳として読み替えられてもいる(Cf. vv. 11, 15, 20, 21, 27, 36–37, 38, 39–40, 44, 53).この 点については〈行願讃〉自体やその釈には議論されないが,ダルマキールティ (a. 600–660)の孫弟子にあたるシャーキャブッディ(a. 660–720)説が参考になろ う.Tshad ma rnam grel gyi grel bshad(Pramāṇavārttikaṭīkā)には,「賢(bzang po)は善 良,すなわち繁栄と至善の本体である.何かからそれを希求する者たちに対し て,普く(kun tu)すなわち余りなく福分のとおりに生起する〔ところの〕それが 「普賢」である.」8)とある.「利益,安楽」と直結する「繁栄,至善」Cf.〈行願讃〉 v. 12釈)の本体を「賢」とし,もれなく例外が設定されない点を「普」と理解す る.この説からは,普賢行の性格として,例外規則を排除する点と,利益安楽と いうインド社会の宗教上の通念をも包摂する点が指摘できよう. 7.

 小結

本論では副題にも挙げた一切衆生の極楽往生が,インドの浄土教典籍にはあま り説かれない点を指摘し,それが説かれる華厳経系統の事例を紹介した.なお確 認できた一切衆生の極楽往生を説く典籍はすべて願文である.仏教儀礼とも関係 する願文を通して,浄土教の救済性が拡大していったことを確認した.

(6)

1)Cf.奈良〔1985〕入澤〔1995〕. 2)Cf.中御門〔2013a〕pp. 1–2. 3)Cf.中御門〔2013b〕pp. 187–190. 4)Cf.中御門〔2013a〕pp. 44–45, 71–74. 5)Cf.中御門〔2012〕pp. 13–16. 6)Cf.中御門〔2012〕pp. 22–23, 25–27, 39–40, 42–43, 69–71, 73–75. 7)Cf.中御門〔2010〕pp. 81–82,中御門〔2012〕pp. 13–16. 8)Cf. D. no. 4220, Je2b2–4,ツルティム,藤仲〔2011〕pp. 122–123, nn. 0–15. 〈一次文献〉

Shiraishi, Shindō. 1962. Bhadracarī ein Sanskrittext des heiligen Jiun. Abdruck im Jahre 1783.『山

梨大学学芸学部研究紀要』18: 1–18.

〈二次文献〉

Schopen, Gregory. 1977. Sukhāvatī as a Generalized Religious Goal in Sanskrit Mahāyāna Sūtra Lit-erature. Indo-Iranian Journal. 19: 177–210.

水谷幸正 1961「一闡提攷」『佛教大学研究紀要』40: 63–107. 河村孝照 1977「大乗涅槃経における菩 道」西義雄編『大乗菩 道の研究』平楽寺書店, 355–398. 奈良康明 1985「インド社会と大乗仏教」平川彰他編 『講座大乗仏教10 大乗仏教とその 周辺』春秋社,35–80. 入澤崇 1995「一切衆生の利益安楽のために」日本仏教学会編『仏教における誓願』平楽 寺書店,73–86. 辛嶋静志 2006 「一闡堤(icchantika)は誰か」望月海淑編『法華経と大乗経典の研究』山 喜房仏書林,253–269. 佐久間秀範 2007a「 瑜伽師地論 に見られる成仏の可能性のない衆生」『哲学・思想論集』 32: 1–27. ― 2007b「五姓格別の源流を訪ねて」『加藤精一博士古稀記念論文集 真言密教と日本 文化下』ノンブル社,265–305. ツルティム・ケサン,藤仲孝司 2011『チベット仏教論理学・認識論の研究III』人間文化 研究機構・総合地球環境学研究所. 中御門敬教 2010「無着作『仏随念 』と『法随念 』和訳研究」『佛教大学総合研究所紀 要』17:67–92. ― 2012「阿弥陀仏信仰の展開を支えた仏典の研究(6)」『浄土宗学研究』38: 1–78. ― 2013a「阿弥陀仏信仰の展開を支えた仏典の研究(7)」『浄土宗学研究』39: 1–78. ― 2013b「伝ディグナーガ著〈普賢行願讃釈〉に説かれた極楽往生と釈 菩 行― 還相回向の源流―」『印度学仏教学研究』61(3): 187–192. 岡田英作 2016「瑜伽行派における五種姓説の成立―瑜伽行派の 釈文献を中心として ―」『密教文化』236: 113–136. 〈キーワード〉 普賢行願讃,普賢行,一切衆生極楽往生,唯除五逆 謗正法 (知恩院浄土宗学研究所研究員)

参照

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