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日本佛敎學會年報 第50号 003関 稔「釈尊観の一断面 ―三十二相説を中心として―」

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(1)

ーーー三十二相説を中心として 1 1 |

北 海 道 大

き稔

小論では、ブッダの身体的特徴を明かす三十二相説に関し、主として阿含・ニカ 1 ヤの範囲で、総括的に、その 起源と成立及び定着化の背景について考察する。 個 々 の 特 相 に つ い て ︵ 1 ︶ 、 大 乗 仏 典 を も 含 め た 流 伝 の 様 子 ︵ 2 ︶ 、 l¥. 十種好への展開、仏像制作︵ 3 ︶ や 観 仏 三 味 ︵ 4 ︶ と の 関 連 な ど 、 取り上げるべき幾つかの間題があるが、ここでは触れ ない。主題に即して、初めに結論めいたことを言えば、三十二相という視点を通して釈尊或いはブッダ一般を眺め ょうとする動ぎには当初は相当に心理的な抵抗があったであろう、 と い う の が 主 旨 で あ る 。 二 十 二 相 説 の 起 源 に つ い て は 、 ヴ ィ シ ュ ヌ 神 話 ︵ 5 ︶ や 転 輪 主 説 ︵ 6 ︶などとの関連からも考察すべきであろうが、取 り敢えず仏典自身が語るところを見てみよう。既に先学の指摘にあるように、婆羅門の言葉として次のように伝え ら れ る 。 釈 尊 観 の 一 断 面 ︵ 関 稔 四 七

(2)

釈尊観の一断面︵関 稔 四 八, ﹃ も ろ も ろ の 聖 句 ︵

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︶の々かに、完全な三十二の偉人の特相︵ヨ

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︸ 品 目 v

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同 世 田 動 ︶ が 伝 え られ、順次に説明されている︵

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﹄ ﹃われわれの聖句には、三十二の偉人の特相が伝えられている。これらの諸相手﹄備えた偉人には二つの途があ り、そのほかはない。もし在家の生活をすれば、転輪王となり、義に適える徳王として四辺を征服し、国土の 安 全 を 達 成 し 、 七 宝 を 具 備 す る ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 し か し 、 家を出て家なき生活に入れば阿羅漢・等正賞者となり、︹煩悩 の ︺ 覆 い を 聞 く ︵ 8 ︶ O ﹄ あるいはまた、当時の婆羅門の習得すべき知識として偉人の特相があった、 と い う も の で あ る 。 ﹃ 三 ヴ ェ ー ダ の 奥 義 に 達 し 、 語 葉 ︵ 口 百 ︸ 岡 山 安 田 口 ︶ ・ 活 用 ︵ 宮 古

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町 山 ︶ ・ 音 韻 ︵

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︶とともに、第五として史話 ︵

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︶の語句に通じ、文法を解し、俗論︵

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吉宮︶と偉人の特相とに通じているす︶ O ﹄ これらの伝承による限りは、例えば﹁故に明にこれ婆羅門の説いたものが仏教中に入込むだものの一であるが・: ・:︵日︶﹂と断言せざるを得なかったであろう。しかし、この結論はいくぶん早計だったようで、現今ではさらに読み こんだ解釈がなされている。まず、二一十二という枠組みが当初からあったとは考えにくいし、また、偉人の特相を 初めとする占相の知識が婆羅門のみの占有であったとするのも表面的にすぎる理解だからである。 古くから婆羅門が占いに関心を寄せていたのは事実であろう。次に示すのは、婆羅門の習得すべきことがらを列 挙する、婆羅門がわの伝承例である。直前の引用に一部冒頭が類似するが、仏典作者の念頭にはこれに類した定型 的表現があったのであろう。 ﹃ お ん み よ 、 わ た し は 、 リ グ ・ ヴ ヱ l ダ、ヤジュル・ヴェーダ、サ 17 ・ヴェーダ、第四としてのアタルヴァ・

(3)

ヴ ェ ー ダ 、 第 五 と し て の 史 話 ・ 古 伝 守 口 弘 吉 一 ︶ 、 文法︵

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︿ 色 白 ︶ 、 祖 先 祭 ︵ 匂 伊 丹 吋 百 ︶ 、 計 数 ︵ 円 忠 ル ︶ 、 予 兆 ︵ 含 ぞ 白 ︶ 、 年 代 ︵ ロ

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︶ 、 弁 論 ︵ ︿ 降 雪 許 可 印 ︶ 、 処 世 ︵

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身自由︶、神の知識

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︶ 、 ブラフマンの知識 ︵

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・ ︶ 、 悪魔の知識︵

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百 件 当 ・ ︶ 、 戦争の知識︵ W 包 門 店 ︿ ・ ︶ 、 星宿の知識︵

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蛇及び悪霊の知識 ︵ 田 山 岡 阿 ︼ 釦 色 。 ︿ 町 田 ﹄

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釦 ︿ ・ ︶ に 通 じ て い る ︵ 日 ︶ O ﹄ いま﹁予兆﹂と試訳した

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吉川ぺは、手相などの占いに関する語であると考えられるが︵巴、 それをここに挿入 した伝承の背景を推察するならば、占いの知識の獲得が、民衆に対応するうえで、或いは生活のてだてとして、婆 羅門にとっても大いに必要なことであった、 ということであろう。本来占いの必要性を感ずるのは宗教家の側では ない筈である。初めは特定の思想傾向とは無関係に占い一般の論議がなされ、それらを汲み出して整理し理屈をつ けて自己流のものにしていったのが、それぞれの宗教家だったのであろう。三十二相説にもどして言えば、婆羅門 はその原型になるものの有力な媒介者のひとりではあったが、底流はもっと深く幅広かったに違いない。だから、 婆羅門以外の宗教からの影響もあっただろうし、叙事詩に伝わるような民間の考えも入り込んできたであろう。 ずれにしても、先の仏典の﹁俗論﹂と﹁偉人の特相﹂とを並べた表現が示唆するように、占いの類は密接に世俗と 関わるものなのである。 仏教の三十二相の多くはジャイナ教のジナについても言われるとのことであるが︵担、いまはそのことに触れる余 裕がないので、ここでは二大叙事詩に登場する神格・英雄に関する伝承例を一瞥する。まず、 ﹃マハl バ 1 ラ タ ﹄ マ ﹂ 半 J a

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ナラ︵

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山 門 釦 ︶ とナlラlヤナ︵

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可 動 可 巴 百 ︶ の身体的特徴を描写して、次のように述べている。 ﹃威光によって、すべての世界を照らす太陽を凌駕する。︹胸上のしるし︺シュリlヴァッツァの徳相︵む巳 J N m H a 釈尊観の一断面︵関 稔 四 九

(4)

釈尊観の一断面︵関 稔 パ ー リ 所 伝 Mbh. Ram. I I h~lkhk'1n~d'.1_tale~u c 1 Jatam (千幅輸) jalahatthapada l仰 向al (手足網綬) ・・・ー・ubhohipa9"italehi dirghabhuja ajanubahu jannukani panmasati (手摩膝) cattarisadanta l洲 町 (四十歯) susukka-da tha I a抑 制 号traI (〔凹]牙白浄) giidhajatru 〔修行本起経〕 鈎鎖骨(?) kambugriva [k~

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宮ー︶を有し、崇拝を受けるべき者であり、 頭頂に髪を巻いて結んでいる。 ふたりは、手足の指聞に水かぎをもち C U F H U U

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︶、足には車輸のしるしがある︵

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− G 白 ・ 宮︶。胸幅広く、腕長く、また四つの皐丸がある。 歯は六十本、犬歯は八本あり、音声は︹雷︺雲の流 れるごとくである。美しい口、広い額、美しい顎、 美しい眉と鼻をしている。 その二神の頭は傘蓋に似ており、このような特相 ︵ − m ︸ 内 包 宮 ︶ を 備 え て 偉 人 ︵ 自 阿 佐 書 ロ 門 口 包 ︶ と 呼 ば れ 4 h v ︵ H H ︶ 。 ﹄ ま た 、 ﹃ ラ l マ lヤナ﹄では、主人公のラ 1 7 ︵H N U B ω ︶ の 相 貌 に つ い て 、 次 の よ う に 一 一 一 口 う 。 ﹃大きな口、大きな腕、貝殻のような首︵

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! と 、 大 き な 顎 を し て い る 。 胸は大きく、鎖骨はかくれており︵ぬロ 4 げ と 旦

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︶ 、 偉 大 な 射 手 、 征 敵 者 で あ る 。 手 は 膝 に 達 し ︵ と 帥 ・

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忠臣︶、美しい頭、美しい額、見事な歩調をしている。 姿 勢 正 し く 、 四肢は均整がとれ、容色は輝き、品位がある。胸厚く、目はきれながで、吉祥の所有者、輝ける 特 相 の 持 主 で あ る ︵ 日 ︶ 。 ﹄ このように、仏典と叙事詩とでは、 いくつかの特相はきわめてよく対応する。 た だ 、 ﹃ マ ハ l パ I ラ タ ﹄ に あ っ ては、四十歯を八十歯に、︹四︺牙を八牙にするように、数量拡大の傾向がみられ、仏教の所説を意識した様子の窺 しかし、すべてについてそうであるわけではない。﹁結髪﹂己主 U E m q 4 と と 、 ﹁ 広 い 胸 ﹂ ︵ ︿ 可 出 向 山 町 。 .

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︶ 、 ﹁ 美 し い 口 ﹂ ︵ 印 ︿ 営 苫 ︶ 、 ﹁ 広 い 額 ﹂ ︵ ℃

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− 巳 宮 山 ︶ 、 ﹁ 美 し い 顎 ﹂ ︵ 印 ロ 宮 山 口

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、 え る も の が あ る 。 ﹁ 美 し い 眉 と 鼻 ﹂ ︵ 印 ロ

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げ 吋 ロ ロ 曽 野 山 ︶ などは、作為のない一般的な表現で、これらに限って言えば、仏教の三十二相説にあるような特異さはない。だか ら、それらはむしろ原初的であると見ることも可能である。 ﹃ マ ハ l パ I ラ タ ﹄ で は 、 そういうものも含めて﹁特 相 ﹂ ︵

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官官︶とし、それらを具有する者を﹁偉人﹂︵

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包︶と呼んでいるのである。 こ う し た こ と か ら 、 仏教が叙事詩に先行した、或いはその逆であったとは、すべての特相について一様に言うことはできない。相互に 影響関係があったと考えるべきであろう。 以上ごく簡単な対比と分析をこころみた。 いま即座に一定の結論を導くのは安易にすぎるかもしれないが、次の ような推察は許されるであろう。自然なこととして、 はじめにあったのは、なんであれ偉大な存在には勝れた身体 上の特徴が具わるものだ、 という素朴な受け取りかたで、 それが﹁偉人の特相﹂と称され、個々の特相の取り上げ かたや内容規定は、人と場所を違えて雑然と行われていた、 と。婆羅門が持ち込んだと伝えられるものは、そうし たかたちでの﹁偉人の特相﹂だったのだろう。次の﹃スッタ・ニパ I タ﹄の一節は、その辺りの事情を反映してい 釈 尊 観 の 一 断 面 ︵ 関 稔 五

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釈 尊 観 の 一 断 面 ︵ 関 稔 五 ると思われる。婆羅門のセ I ラ ︵

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︶が世尊に語りかける。 ﹃尊師よ、あなたは、身体が円満で、 よく輝き、生まれが良く、見て美しく、黄金色をしている守口︿旦石山︿中 官 官 ︶ 。 精 力 あ る 人 よ 、 あ な た は 、 きわめて白い歯牙をしている︵帥

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骨 一 岳 山 ︶ 。 実に、良い生まれの人には特別のしるし︵︿守山旦山口出︶があるものだが、そのすべてが偉人の特相として、あな た の 身 体 に あ る 。 眼は澄み、顔は立派で、︹身体は︺大きく、︹姿勢は︺正しい。光輝ある人よ、あなたは、群れ集う沙門のなか にあって、太陽のように輝く。 見栄えの良い比丘であり、黄金のような皮膚をしている ︵ ︸ 内 山 口 の 山 口 白 印 釦 ロ ロ ロ ︶ ︸ 岡 山 片 仲 間 凶

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︶ 。 このように、最上の容色をしていながら、あなたは、 ど う し て 沙 門 に な る 必 要 が あ る の か ︵ 担 。 ﹄ ちなみに、﹁黄金の色・黄金のような皮膚﹂﹁白い歯牙﹂が三十二相に組み込まれるが、この詩の部分にはコ二十 一一﹂という枠組みはなく、特異な表現も多くはない。 インド一般の雑多な偉人の身体観が導入されて、独自の考案も加わり、仏教内部に三十二相説という教説として 定着していったのは、当然のことながらブッダの神格化・超人化が相当程度に達してからのことであり、教説とし てごく新しいものであることは、ことさらに言うまでもない。三十二相には通常の人間に有り得ないことも多く説 かれているから、釈尊に直接まみえた人々のあいだにそのような身体観は起こりにくい、 というのが常識的見解で

(7)

ある︵立。したがって成立の時期は孫弟子の時代以降ということにされるが、その時代設定については、転輪王説発 生の背景をなすと言われるアショ l カ王の存在も一つの推定根拠となろう。 いまはこの件は看過するが、三十二相 説は、占相の所産という性格からして、その成立と定着にはかなりの情熱と時聞が必要だったに違いない。なぜな ら、このような教説は釈尊の心情に適ったものとは思われぬ節があり、厳格主義を奉ずる人々からは寧ろ一時的に は反発をかったかもしれないからである。 釈尊のことばとして、次のような詩が伝えられている。 可人は容色守山宮百円ロ宮︶によって容易に知られるものではない。束の間まみえて、信を置いてはならない。 よく自制した人のふりをしながら、自制のない人たちが、この世には横行している。 紛いものの粘土の耳飾りのように、金の上塗りをした半銭銅貨のように、虚飾に覆われて暮らす人たちがいる。 内側は汚れていながら、外側はきらびやかにして蕊︸ O L 人の内実は外相によって容易に判別してはならない、 という平明な教訓であり、常識人としての釈尊の一面がし の ば れ る 。 と こ ろ で 、 一方でこのような薫陶ぞうけながら、他方で人の容貌にことさらに関心を寄せたとすれば、 いささか矛盾したことである。相手が誰であれ、その人の身体上の特徴をあれこれ詮索して、さらにはその人の現 在や将来を判断するということなどは、大いにはばかられたに違いない。生活のてだてとしてこのような所作が修 行僧に厳禁されていたことは、言うまでもない。 ﹁ 党 網 経 ﹂ ︵ ∞

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と 包 宇 田 ・ ︶ や ﹁ 沙 門 果 経 ﹂ ︵

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’ ∞ ・ ︶ に 、 信 施 に よ っ て 生 活 す べ き 沙 門 ・ 婆 羅 門 の な か に俗事に携わる者がいる、 との指摘がある。そこでは、小・中・大の三戒に関説して、修行者の避けるべき多くの 釈尊観の一断面︵関 稔 ︶ 五

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釈尊観の一断面︵関 稔 ︶ 五 四 俗事が挙げられている。 釈尊自身は、俗事のすべてを﹁卑賎な知識﹂︵巴

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晋︶として思避したがゆえに、 大いなる賞賛を世間からかち得たのであった。 ﹃ところで、ある尊敬すべき沙門・婆羅門たちは、信心に基づく施しの食べものを摂りながら、 かれらは、こ のような卑賎な知識により、 不正な生活の仕方をして、暮らしをたてている。 すなわち、手相官

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︶ 、 前 兆 ︵

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宮 山 ︶ 、 突 発 事 ︵ 戸 田 ︶ 匂 包

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、 夢 ︵ 回 口 問 ︸ 宮 山 ︶ 、 体 相 ︵

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宮︶、鼠の噛みあと︵

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︹ な ど の 占 い ︺ 、 : 火 の 献 供 ︵ 印 肉 阿 佐 。

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︶ : : : し か じ か で あ る が 、 そのような卑賎な知識から、沙門ゴlタマは遠ざかってい る ︷ 印 ︶ O ﹄ 可 : : : 宝 石 の 相 ︵ ヨ

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宮 ︶ 、 杖 の 相 ︵

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− − ︶ 、 衣 服 の 相 ︵ 4 え 匹 包 ・ ︶ 、 万 剣 の 相 ︵ 自 己 ・ ︶ 、 矢 の 相 官 印 己 ・ ︶ 、 弓の相

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− − ︶ 、 武 器 の 相 ︵ 身

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− − ︶ 、 女 性 の 相 ︵

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− − ︶ 、 男 性 の 相 ︵ 吉 江 田 氏 ・ ︶ 、 少年の相︵

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− − ︶ しかじかであるが、そのような卑賎な知識から、沙門ゴlタマは遠ざかっている︵初︶。﹄ ﹃ごまかし、韓舌、予言言。

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巳丘、詐欺、利得にかさねて利得をむさぼること、比正たちょ、これが不 正 な 生 き か た で あ る ︵ 色 。 ﹄ 仏弟子のサlリプッタ︵舎利弗︶は、 遍歴行者のスチムキlに、 自分は断じて手相学︵

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となとを活かし て生活する者ではない、 と 告 げ た と い う ︵ 包 。 ま た 、 モ ッ ガ ッ ラ l ナ ︵ 目 連 ︶ は 、 ひとりの女性が空中で鳥についばま れ苦悶の声をあげるのを目撃したが、 か の 女 は 以 前 易 者 ︵ −

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白 川 日 野 動 ︶ で あ っ た 、 と い う ︵ 担 。 サ 1 リプッタやモッガッラlナの挿話は、必ずしも事実をそのまま語るものではないにしても、ト占の類、 と にそれを業とする者にたいする強烈な嫌悪の感情は充分に伝えている。同じ所作であっても、 いくばくかでも報酬

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を期待したときと、純粋な崇敬の念から出発した場合とでは、その結果の評価は当然異なってくるであろう。しか し いま察知したような嫌悪の気分が濃厚に漂っている状況は、﹁偉人の特相﹂といったものを、 周辺になんの違 和感も与えることなく、自在に描きだせる場面とは言いがたい。直接の薫陶に浴しえた弟子や信者が釈尊の肉身の 実際を知っていたからということのほかに、 か れ ら の 聞 に 、 三十二相説が、寧ろその原型になるものさえが、なん の疑念もなく受容され定着していくことがなかっただろうという、もう一つの理由がここにある。 占相に関わる諸観念への忌避の傾向は、さらに時代がくだっても、教団の中心的部分に根強く残っていったであ ろう。そうした流れの中にあっても、事実としては三十二相説が正規の仏教の教説として認知されていった。仏徳 賛嘆の情熱が厳格主義を凌駕していった過程である。例えば身体的特徴という視点を通して、制約の少ない表現で 仏徳賛嘆の真情を自由に吐露しえたのは、主として一般信者の側であったと思われる。問題の教説の定着化・一般 レ い ザ ﹄ ふ 品 、 , A I r y p t いわゆる仏伝作者たちの活躍も見過ごすことができない。 ﹁ 占 相 ﹂ は 、 仏伝類で釈尊の誕生直後を叙述す るときに、欠かせぬモチーフである。釈尊も当時の風習にならって実際に経験した儀礼であろう。そして、そのこ とに触れて効果的に述べるための、 恰好の潤色の素材が、仏伝作者たちが知りえた偉人の身体観であった。 ﹃ ス ッ タ ・ ニ パ l タ﹄の﹁ナ l ラカ経﹂や﹃ジャ l タカ﹄の﹁ニダ l ナ・カタ l L では﹁三十一一﹂相に言及しないが、仏 伝類のいくつかはそれを詳説する。 とにもかくにも、 やがては一応のけじめに、三十二相のみを主題にする単独の経典が成立して阿含・ニカ 1 ヤ に 組み込まれることになる。 パiリ所伝の﹁︹三十二︺相経︵ M ︶ ﹂ ︵

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︼ M m i m −︶は原始経典としては最も発展した形 態を示すが、そこでは、なに故にブッダ或いは転輪王にしかじかの特相の具備が可能なのであるか、 という教理的 釈 尊 鋭 の 一 断 面 ︵ 関 ~ 五 五

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釈 尊 銭 の 一 断 面 ︵ 関 稔 五 ノ 、 な説明が用意される。ところで、その説明は極めて容易な仕事であった。というのは、外貌の美醜も前生の行為に よるという考えが前提としであったからである。いくつかの伝承は釈尊が正覚に際して四禅を成就して三明を獲得 したことを述べるが、次は天眼に関するくだりである。 ﹃そこで、このようにこころが統一され、清浄な、潔白な、汚れのない、垢のない、柔軟な、機敏な、安定し た、揺るぎないものになったので、わたくしは、生きるものたちの死と再生を知ることに、こころを傾けた。 そこで、清浄で超人的な神わざの眼をもって、生きるものたちが死にゆき生まれゆくのを見、生きるものたち が、卑しいもの、貴いもの、美しいもの︵印ロ

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恒 宮 ︶ 、 醜 い も の ︵ 含

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︶、善い境涯のもの、悪い境涯のも の と し て 、 そ れ ぞ れ の 業 に 従 っ て い く の を 知 っ た ︵ 怨 。 ﹄ か く し て 、 パ l リ﹁︹三十二︺相経﹂は、特相のいちいちについて、﹃この業を為したことによって、この特相を 獲 得 す る ︵ −

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官 同 官 官 芭 与 ︸ 出 巴 ︶ ﹄ と い う 具 合 に 前 生 に お け る 種 々 の 善 業 を 語り、その因果関係を認識している点こそが、異教とはべつの仏教の特質であると主張しはするが、インド一般と 比較しても考えかたの基本までが際立つわけではない。 おわりに、余論になるが、三十二相とはべつの釈尊の身体の形状に関する経典の記述に関連して、 一 言 す る 。 ︶ 唱 E A ︵ パ l リ所伝の第十三・十四相は体毛︵

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︶についてであるが、その色は青︵ロ

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︶或いは塗薬の色川宮内ゲ 守 口 白 ︿ 白 川 戸 田 川 m 乙 で あ る と し て い る 。 一 方 、 釈 尊 の 出 家 時 の 回 想 と し て 、 ﹃ 比 正 た ち ょ 、 わ た く し は 、 の ち に 、 まだ若

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い青年であり、黒髪を有し︵

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︶ 、 楽 し い 青 春 に 満 ち 、 人生の春にあったが:::︵およとの伝承がある。宇井 博士は、この両者を比較すると矛盾があると指摘し、阿含の編集者は最初から三十二相具足を認めていたのではな と ニ コ 日 、 つ ︵ 幻 ︶ 。 結論に異論はないであろうが、 比較の仕方は必ずしも妥当ではないかもしれない。 な ぜ な ら 、 ︸ 内 乱 世 一

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という語句は、釈尊のみに特定して言われるのではなくて、 青年一般の形容として用いられる、 極めて 類型的なものだからである。 一 例 を 挙 げ れ ば 、 富 山 ︸ 乱 回 目 白 口 動 品 目 凶 ・ ∞ ・ は 、 智慧弁才は年老いると失われることがある、 と述べるが、コ﹂こに人がいて、若い青年で、黒髪を有し、 楽しい青春に満ち、人生の春にあるときには、 ﹂ の 間 は最高の智慧弁才を具えてはいるが、 し か し : : : : ・ ︵

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一 句 弓 − F 匂 ・ ロ

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∼ く ・ F ℃ ・ 。∞にも見られる。したがって、上の回想場面についても、

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は直接には

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の形容なのであって、﹁青 年というのは、黒髪を有するものだ:::﹂という程度の趣旨なのである。 第 十 一 相 は っ ︹ 身 体 は ︺ 金 色 で 、 黄 金 の よ う な 皮 膚 を し て い る 守 口 ︿ 印 官 山 山 ︿ 釦

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旦 仲 良 。 ︶ ﹂ で ある。ところで、富山 y u 宮 ユ ロ 号

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雪印ぁ・に、釈尊の入滅直前のこととして、。フックサという者が金色の衣を布施し (2) たことが伝えられている︵

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? と 。 ア l ナンダ ︵阿難︶がそれを着せたところ、 釈尊の皮膚の色が清ら かに輝いて金色衣の色をなからしめた、 と い 、 っ 。 守 : : : 如 来 の 皮 膚 の 色 は 清 ら か で ︵ 宮 ユ 回 口 円

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︶ 、 輝いています ︵ 匂 山 吋 即 日 、 。 仏 動 仲 卸 ︶ 。 尊師よ、わたしは、この金色の一対の絹の衣を、世尊の身体におかけしました。それは、世尊の身 体にかけられると、 ひかりを失ったように見えます。﹄ 一方、当該箇所に挿入された詩に﹃それに包まれて、師は、 釈 尊 観 の 一 断 面 ︵ 関 稔 五 七

(12)

釈 尊 観 の 一 断 面 ︵ 関 稔 五 八 金色に︵ Z E m w ︿川高官、︶輝いた﹄とあるため、先の散文の﹁清らかで、輝いている﹂という表現は、神格化の一段階 を 示 す と の 指 摘 が 既 に あ る ︵ 泊 ︶ 。 た し か に 、 経典自身も、 皮膚の色がそうあるのは成道と入滅のときであると断つ て い る よ う に 、 伝 承 者 が 冨 巴 一 円 一 回 己 門 同 門 − y m w w H V 白一三可。門町宮に特別の意義づけをしていることは確かである。 事 ︸ よ 唱 、 中 J J J えー の

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の場合と同じく類型的であることは注意してよい。例 えば、釈尊以外の人々の皮膚の色合

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山 口 苫 詰 −

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一 足 ﹂ ︿ ・ H − 匂 − N 吋吋︶なとにたいする使用例がある。 現存の仏典に、釈尊の身体の形状の実際を探索することは、困難である。 ︵1 ︶

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一佐々木憲徳﹁陰馬 蔵 相 考 ﹂ ︵ ﹃ 仏 教 研 究 ﹄ 第 三 巻 二 号 、 昭 和 十 四 年 、 九 八 | 一 一 一 二 頁 ︶ 、 ペ ・ 同 ユ 凹

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刊 切 包 昏 尺 回 国

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∞ 由 U 嶋善一郎﹁仏典における相好観の研究

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焚摩経に見える広 長 舌 相 の 成 因 に つ い て ! ﹂ ︵ ﹃ 印 仏 研 ﹄ 第 十 三 巻 二 号 、 昭 和 四 十 年 、 二 八 六 | 二 八 九 頁 ︶ 、 出 ・ ロ ロ

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同 庁 削 ︵ 無 見 頂 相 ︶ ︵ ﹃ 印 仏 研 ﹄ 第 十 六 巻 一 号 、 昭 和 四 十 二 年 、 四 五

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四 回 二 具 ︶ そ の 他 。 ︵2 ︶高原信一﹁ミ

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所伝﹁仏の三十二相﹂について﹂︵﹃仏教研究﹄第二号、九九九

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頁 ︶ 。 伝 承 の 系 統 を 見 る の に 付 さ れ た ﹁ 三 十 二 相 対 照 表 ﹂ が 便 利 で あ る 。 ︵3 ︶ 高 田 修 ﹃ 仏 像 の 起 、 源 ﹄ 一 九 六 七 年 、 二 三 三 真 以 下 。 町 田 甲 一 ﹁ 仏 像 の 理 念 と そ の 図 像 の 展 開 ﹂ ︵ ﹃ 講 座 仏 教 思 想 ﹄ 第 七 巻 、 一 九 七 五 年 、 二 一 九

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三 五 四 頁 ︶ 。 ︵4 ︶山田明爾﹁観仏三昧と三十二相﹂︵竜大可仏教学研究﹄第二四号、昭和田二年、二七四八頁︶。 ︵5 ︶ 早 く に 岡 山 ・

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の 一 一 一 及 が あ る ︵ 同 包 ミ 言 、

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regarding the Thirty-two Characteristics of the Great Person, Liebenthal Festschrf 引に 1957, p. 246 )。 (坦) 畿巴国消「 j 訴審制同 !.2 C ニド 蛍~ミ王寺毒剤誌やモト,♀よ J __) Lノー」({}[]#出昨将~開直沼寸将軍村総「岳 j脳幹と王将朴縄戦」§&[ 1¥'-11 ぐ叶’ I ffi};:j 一 I \引く阿)。 ( i:--) Sn. 1000. (ex:,) Sn. p. 106; DN. vol, I, p. 88; MN. vol, II, p. 134 etc. 「己認区サコ」昔 W!J-)-Iii (『

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く民経」 I' <1llm(-f ト)’ Ii' -H-g£4/ 官」蜘 gi I <「十〈同経」 I ,」くく同ロモト)~竪。 (由) Sn. p. 105; DN. vol, I, pp. 88, 123, 130 ; MN. vol. II, p. 141 ; AN. vol. I, p. 163; vol. III, p. 223; A ρ. p. 24; Bu. p. 29 etc. (ヨ) {わヰ r:QJlllR 「 i 丑 l 脳部軒目玉駅 cl ~gJ' 笹店主 1 I 与ト F <I M

(コ) Chandogya, 7. 1. 2 ; 7. 2. 1 ; 7. 7. 1. (岱) cf. Monier-Williams, SED リ s. v. daiva. (出) -H-:tt;'.I 只「ミ手紙何

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j叫。 (~) SN. vol. I, p. 79. 「繰 g£4/l 江」網目 11 (「

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SN. vol. III, p. 239. 『録医相』調。+〈(『

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く同経』 11 ’ I 1111 Im( ドー)~区。 (自) Vin. vol. III, p. 107; SN. vol. II, p. 260. 「緩 g£4/ll 』絢十長(『

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く同骨量』 11' I lil-¥.llm(4)aj ぬ盤。 (詩) DN. vol. III, pp. 142-179. Ii' -H-g£ 姻』判+| 「 111 十 11.W 製」(『

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八 三 頁 。 ︵ 却 ︶ ミ ミ ・ 4 0− − F 司 ・ ∞ M − ︵却︶中村一万﹃ゴlタマ・ブッダ﹄︵中村一元選集第十一巻︶昭和田四年、五二三貝。宇井伯寿﹃印度哲学研究﹄第三巻、犬正十 五 年 、 三 六 八 頁 参 照 。

参照

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