対
馬
の
廻
・唐
洲
両
部
落
の
調
査
研
究
(そ
の
二)
個
人
主
義
・
合
理
主
義
意
識
の
問
題
を
中
心
と
し
て
檜
垣
巧
は じ め に こ の 論 文 は、 昭 和 五 十 九 年 三 月 刊 行 の ﹃ 密 教 文 化 ﹄ 第 一 四 六 号 に ﹁ そ の 一 ﹂ と し て の せ ら れ た 拙 論 の ﹁ そ の 二 ﹂、 完 結 篇 で あ る。 前 論 文 で、 廻 と 唐 洲 の 両 部 落 の 世 帯 数 を 四 十 一 と 四 十 三 と し た が、 双 方 と も 同 数 の 四 十 三 世 帯 と 訂 正 し て お き た い。 加 え て、 両 部 落 の 本 戸 ( 本 百 姓) の 数 も、 同 数 の 三 十 三 戸 ず つ で、 全 く 同 規 模 の 二 村 落 で あ る。 か み 前 論 文 で 述 べ て お い た よ う に、 両 部 落 は 対 馬 の 上 の 島 の 西 南 端 に あ り、 昭 和 四 十 三 年 五 月 に 対 馬 の 上 下 の 島 を 縦 貫 す る 道 路 が で き、 道 路 事 情 が 好 転 し て 村 戸 が 自 家 用 車 を も つ ま で は、 全 島 的 に み て 最 も 交 通 不 便 の 僻 地 で あ っ た。 隣 接 す る 両 部 落 の 距 離 は わ ず か ニ キ ロ メ ー ト ル 弱、 廻 り の 方 は 上 の 島 の 西 南 端 の 小 さ な 半 島 部 に あ た っ て ﹁ 行 き ど ま り 部 落 ﹂ で あ る の に 対 し て、 唐 洲 の 集 落 部 は 半 島 部 に 含 ま れ な が ら も そ の 付 け 根 の 部 分 に あ る。 そ の た め、 唐 洲 は そ の 北 々 西 は 廻 と 隣 接 す る 一 方、 北 東 部 に 貝 口 部 落、 西 方 に 加 志 々 と 接 し、 加 志 々 の 向 こ う に は 漁 業 の 先 進 部 落 水 崎 ( 加 藤 と も い う) が あ る。 廻 と 唐 洲 で は、 隣 接 し な が ら も、 こ う し た 地 理 的 位 置 の 違 い の ほ か に、 漁 業 の 経 営 形 態 や 部 落 の 連 帯 意 識 な い し 社 会 関 係 に も、 か な り き わ だ っ た 相 違 が み ら れ る。 そ こ で、 私 と し て は ま ず、 漁 業 の 経 営 形 態 と 社 会 関 係 に 注 目 し、 そ れ が ど の 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)密 教 文 化 よ う な 客 観 的 諸 事 情 に よ っ て 生 じ た も の で あ る か の 解 明 を 試 み た い。 次 い で、 こ う し た 両 部 落 の 特 質 の 違 い が、 伝 統 的 な ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 強 さ の 度 合 や、 個 人 主 義、 合 理 主 義 意 識 の 上 に ど の よ う な 違 い と な っ て 現 わ れ る か を 調 査 票 調 査 に よ っ て 検 出 し て み た わ け で あ る。 し か し、 右 の 二 つ の テ ー マ の 双 方 の 結 果 と そ の 分 析 を の せ る と な る と、 紙 数 が あ ま り に も 長 く な る。 そ こ で、 や む な く ﹁ 家 ﹂ 意 識 調 査 の 方 を 割 愛 し、 個 人 主 義、 合 理 主 義 意 識 だ け に 限 ら ざ る を え な く な っ た。 同 時 に、 前 論 文 の サ ブ タ イ ト ル も、 ﹁ ﹃ 家 ﹄ 意 識、 個 人 主 義 意 識 の 問 題 を 中 心 と し て ﹂ と あ る の を ﹁ 個 人 主 義、 合 理 主 義 意 識 の 問 題 を 中 心 と し て ﹂ と 変 更 す る こ と を 諒 解 さ れ た い。 一、 廻 と 唐 洲 の 身 分 的 遺 制 朝 鮮 側 の 資 料 ﹃ 海 東 諸 国 記 ﹄ ( 申 叔 舟 著、 一 四 七 一 年、 わ が 国 で は 応 仁 ・ 文 明 の 乱 の 頃) に は、 廻 は ﹁ 麻 吾 里 ﹂、 唐 洲 は ﹁ 加 羅 愁 ﹂ と い う あ て 字 で の せ ら れ て い る。 両 部 落 と も、 少 く と も 応 仁 の 乱 頃 に は す で に 集 落 を 形 成 し て い た 古 い 村 落 で あ る。 (1) コ コ ま ず、 廻 の 名 義 の 出 所 か ら い え ば、 ﹁ 津 島 紀 事 ﹄ で は、 ﹁ 此 所 ア ソ ウ ニ シ メ 浅 芽 ( 浅 茅 ま た は 浅 海 と も 書 く) 浦 ヨ リ 西 海 二 出 ル ヒ ジ 曲 リ マ ワ リ ノ 所 ナ ル 時 ハ 廻 稜 浦 ト 云 事 ナ ル ベ シ ﹂ と あ る。 地 名 の 由 来 に つ い て は、 ま ず こ う み て よ か ろ う。 な お、 同 書 で は、 ﹁ 或 説 ニ マ ア リ 云、 此 所 古 牧 場 ニ シ テ 良 馬 ヲ 出 ス ニ 依 テ 馬 有 ト 呼 ム ﹂ と す る の は 附 会 の 説 と し て 退 け て い る。 廻 の 集 落 部 か ら 小 山 一 つ 距 て た 西 方 に あ る 池 田 は、 藩 制 時 代 に 藩 主 の 牧 場 に な っ て お り、 そ の 前 の 鎌 倉 時 代 に は 名 馬 ﹁ 池 月 ﹂ を 出 し、 幕 府 に 献 ぜ ら れ た と さ れ て い る。 ﹁ 良 馬 ヲ 出 ス ﹂ と い う の は、 こ う し た 事 情 を 指 す。 私 は 廻、 唐 洲 の 調 査 の あ と、 昨 年 の 夏 に、 島 根 県 八 束 郡 美 保 関 町 字 雲 津 の 調 査 を 行 な っ た。 そ の と き、 雲 津 で、 名 馬 池 月 は 隠 岐 島 の 産 で、 そ れ が 雲 津 に 泳 ぎ 着 い た の だ と い う 説 を 聞 い て い る。 ど ち ら が 本 当 な の か、 こ の あ た り の 正 確 な 史 実 に つ い て は、 史 家 の 詮 議 に 譲 り た い。 (2) 次 に 唐 洲 で あ る が、 ﹃ 津 島 紀 事 ﹄ に よ る と、 ﹁ 名 ノ 訳 未 詳 ﹂ と し た 上 で、 ﹁ 昔 遣 唐 使 ノ 乗 船 浅 海 ヲ 出 テ 西 ノ 方 此 湊 ヨ リ 出 帆 セ シ 所 故 名 目 ト ス ﹂ と あ る。 紀 事 に は ほ か に 二 説 を 紹 介 し て い る が、 あ ま り 信 用 で き る も の で は な い。 古 い 文 書 で は 唐 洲 の こ と を 烏 浦 と 書 い て い た と い う か ら、 右 の 名 義 の 由 来 説
は あ ま り あ て に な ら な い。 イ ニ シ エ さ て、 紀 事 に 廻 に つ い て、 ﹁ 古 唐 洲 ノ 枝 里 ナ リ ﹂ と あ る が、 こ の 説 に つ い て は、 豊 玉 町 役 場 へ 挨 拶 に 行 っ た と き、 長 郷 哲 夫 町 長 か ら も 聞 い て い る。 長 郷 氏 自 身、 お そ ら く 紀 事 の 記 録 か ら そ う い わ れ た か と 思 う。 そ こ で、 現 地 調 査 に 入 っ て か ら、 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 古 老 た ち に 真 偽 を 正 し て み た が、 ど ち ら の 部 落 で も 右 の 意 見 を 肯 定 す る 者 は い な か っ た。 も ち ろ ん、 私 が 尋 ね た 古 老 の 人 数 も 限 ら れ て は い る の だ が。 さ て、 両 部 落 に つ い て、 手 も と の 天 保 年 間 ( 一 八 三 〇-一 入 四 三) に 書 か れ た ﹃ 八 郷 分 限 帳 ﹄ ( 対 馬 の 全 村 落 の 郷 士 の 家 格 と 知 行 地 の 広 さ、 そ の 後 の 加 増 な ど を 記 し た 本) を 繰 っ て み る と 次 の よ う に な っ て い る。 廻 村 阿 比 留 貞 七 御 馬 回 格 知 行 高 三 尺 三 寸 九 厘 八 毛 四 阿 比 留 長 右 ヱ 門 御 馬 回 格 一 問 一 尺 一 寸 三 分 七 厘 三 毛 阿 比 留 近 平 八 寸 六 厘 ○ 〇 二 ( 二 字 不 明) 唐 洲 村 阿 比 留 絆 右 ヱ 門 御 馬 回 格 一 間 二 尺 二 寸 七 分 四 厘 一 毛 六 青 木 喜 右 ヱ 門 三 尺 三 寸 七 分 五 厘 四 毛 八 阿 比 留 惣 右 工 門 三 尺 一 寸 四 分 四 厘 三 毛 八 青 木 謙 次 郎 一 尺 六 寸 一 分 三 厘 九 毛 八 阿 比 留 玄 作 三 寸 藩 制 時 代 の 対 馬 藩 で は、 郷 士 の 知 行 地 の 広 さ を、 石 高 で は な く 間 ・ 尺 ・ 寸 ・ 分 ・ 厘 ・ 毛 と い う 長 さ の 単 位 を も っ て 表 示 し て い る。 一 間 の ば あ い だ け、 そ れ を 尺 に 直 す と 四 尺 で あ る が、 尺 以 下 は 十 進 法 に よ っ て い る。 一 間 の 知 行 地 の 広 さ と い う の は、 内 地 の 水 田 一 町 歩 か ら あ が る 石 高 に ほ ぼ 匹 敵 す る と も い う が、 そ れ が 地 味 の や せ た 対 馬 に な る と、 相 当 な 耕 地 の 広 さ と な り、 山 林 に 換 算 さ れ る と そ の 広 さ は 膨 大 な も の に な る。 ち な み に 対 馬 で、 知 行 地 一 間 以 上 を 所 有 す る 郷 士 は か な け ん り 少 な く、 彼 ら は と く に ﹁ 大 軒 ﹂ ( 大 間 か) と よ ば れ て い た。 旧 士 族 の う ち で、 家 格 の 高 い ﹁ 馬 回 ( 廻) 格 ﹂ の 郷 士 は、 廻 に 二 軒、 唐 洲 に 一 軒 の 計 三 軒 で あ る。 廻 の 大 軒 で 馬 回 格 の 阿 比 留 家 の 子 孫 が 現 在 の 阿 比 留 秀 男 家 で あ る が、 同 氏 は 現 在 地 方 公 務 員 を し て い る。 こ の 家 は 部 落 で は 山 手 の 一 番 奥 ま っ 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 た と こ ろ に あ り、 当 主 が 公 務 員 を し て い る 関 係 も あ っ て、 今 で は ひ っ そ り と 孤 立 し て い る よ う な 感 じ を 与 え る。 な お、 こ の 家 で は、 部 落 内 に 家 格 の 釣 り 合 う 婚 姻 相 手 が な く、 隣 の 唐 洲 や 豊 玉 町 内 広 く、 田、 卯 麦、 貝 口、 志 多 浦、 大 綱 な ど の 諸 村 の 高 格 の 家 々 と 通 婚 関 係 を も っ て き た の で、 部 落 内 に 親 戚 を も っ て い な い。 今 一 軒 の 阿 比 留 家 は 馬 回 格 で は あ る が、 も と 百 姓 戸 で あ っ た の が 藩 へ の 功 労 に よ っ て 昇 格 し た 家 で あ り、 部 落 内 に 親 戚 も 多 い。 さ て、 大 軒 の 阿 比 留 家 か ら は、 戦 後 も 旧 豊 玉 村 の 村 長 が 出 て い る。 そ れ が 現 在 で は、 当 主 が 公 務 員 と あ っ て、 村 人 た ち の 側 に も 敬 し て 遠 ざ く と い う と こ ろ が あ り、 当 主 も 村 の 公 事 に 積 極 的 に 介 入 し よ う と い う 気 持 も な い 様 子 で あ っ た。 さ て、 唐 洲 の 阿 比 留 家 (大 阿 比 留 家 と よ ば れ て い る) と し て は 馬 回 格 で ﹁ 大 軒 ﹂ で 廻 の 阿 比 留 家 と 家 格 が 釣 合 う の で、 両 家 間 に は 何 度 か 通 婚 関 係 が あ っ た。 右 の 大 阿 比 留 家 に 次 い で、 ほ か に 間 高 一 間 に 近 い 青 木 家 と 阿 比 留 家 が あ り、 両 家 の 約 半 分 の 知 行 地 を も つ も う 一 軒 の 青 木 家 も あ る。 こ れ ら 間 高 一 間 級 の 三 軒 の 家 は、 現 在、 廻 の 阿 比 留 家 を 凌 ぐ 大 地 主 で あ り、 現 在 も な お 唐 洲 に お い て 隠 然 た る 勢 力 を 保 持 し つ づ け て い る。 両 部 落 に お い て、 広 大 な 知 行 地 を も つ 有 力 士 族 の 家 々 は、 一 般 の 農 家 か ら は 親 方 と い わ れ、 そ れ ぞ れ ﹁ 子 供 う ち ﹂ と 称 す る 農 戸 を 抱 え て い た。 廻 の 親 方 た ち は 三 人 お り、 そ れ ぞ れ 十 三 軒、 七 軒、 五 軒、 あ る い は 十 五 軒、 五 軒、 五 軒 と も い わ れ る 子 供 う ち を も っ て い た。 こ の 数 字 の 違 い は 数 え た 年 次 に よ る も の で あ り、 子 供 う ち の 方 で 親 方 を と り か え る こ と が あ っ た こ と を 示 し て い る。 あ る 古 老 は、 ﹁ も と も と 親 方 家 は 二 軒 だ っ た が、 の ち に 新 た に 一 軒 が 加 わ っ た ﹂ と 語 っ た。 他 方、 唐 洲 で は、 親 方 家 は 四 軒 あ り、 子 供 う ち は そ れ ぞ れ、 十 軒、 七 軒、 六 軒 で あ る が、 少 し 格 が 下 が っ て 二-三 軒 の 子 供 う ち を も つ 親 方 家 も あ っ た。 こ れ ら 四 軒 の う ち、 と く に 上 位 三 軒 が 大 地 主 で あ る。 両 部 落 と も、 農 戸 は す べ て い ず れ か の 親 方 家 の 子 供 う ち に 属 し、 子 供 が 生 ま れ る と ﹁ 親 取 り ﹂ を し、 子 供 が 成 長 し て 結 婚 す る と き に は 親 方 に 仲 人 役 を 頼 み、 ま た、 親 方 家 の 小 作 を さ せ て も ら う 家 も あ っ た。 あ る 廻 の 古 老 は、 ﹁ 子 供 う ち を も つ 親 方 は た い て い 一 町 ( 一 ヘ ク タ ー ル) ほ ど の 田 ん ぼ を 持 っ て お り、 敗 戦 後 も し ば ら く の 間 ま で は、 親 方 か ら 田 植 え に き て く れ と い わ れ れ ば、 み ん な ハ イ ハ イ と 答 え て 手 伝
い に 行 っ て い た L と 語 っ て い る。 そ の ほ か、 子 供 う ち で は、 親 方 家 の 法 事 や 盆、 大 晦 日 な ど の 時 に も 手 伝 い に 行 き、 正 月 に は 親 方 の 家 に 年 始 に 回 っ て 酒 食 の 饗 応 を 受 け た。 な お、 こ れ ら 子 供 う ち の 家 々 の 中 に、 子 供 う ち の 頭 役 と し て 二 軒 の 被 官 が お り、 親 方 家 へ の 労 役 の 専 従 性 が 強 か っ た。 さ て、 こ こ で、 廻 の 社 会 関 係 に つ い て、 少 し 補 足 し て お き た い こ と が あ る。 廻 の 戸 数 は 明 治 五 年 の 壬 申 戸 籍 で 三 十 八 戸、 そ の う ち 三 戸 の 雑 業 が あ っ た の で、 本 戸 ( 本 百 姓) は 三 十 五 戸 だ っ た と い わ れ る。 そ の 後 村 戸 に 浮 沈 が あ り、 現 在 の 本 戸 の 数 は 唐 洲 と 同 じ く 三 十 三 で あ る。 こ れ ら の 本 戸 の う ち、 士 族 が 十 戸、 残 り 二 十 三 戸 が 農 中 で あ る。 士 族 の 十 戸 は、 子 供 う ち を も つ 三 戸 を 仮 り に 一 級 + 族 と よ ぶ と、 子 供 う ち は 持 た な い が や は り 親 方 と よ ば れ た、 い わ ば 二 級 士 族 と も い う べ き 家 が 三 戸、 残 り 四 戸 が 対 馬 で 新 士 族 ま た は 足 軽 士 族 と よ ば れ る 第 三 級 士 族 と な る。 次 に、 二 十 三 戸 の 農 戸 に は、 土 地 所 有 関 係 に つ い て ﹁ ひ と く ち ﹂ ﹁ 半 知 ﹂ ﹁ 四 半 知 ﹂ と よ ば れ た り、 ﹁ 一 升 ﹂ ﹁ 五 合 ﹂ ﹁ 二 合 半 ﹂ と よ ば れ る 差 等 が あ る。 ﹁ ひ と く ち ﹂ ﹁ 一 升 ﹂ と い う の は、 地 割 制 度 の も と に お け る ﹁ 一 戸 前 ﹂. 一 株 も ち L で こ れ が 十 七 戸 あ る。 そ の 半 分 の 株 を も つ の が. 半 知 L、 五 合 L で こ れ が 四 戸、 さ ら に そ の 半 分 の 株 し か な い. 四 半 知 L. 二 合 半 L の 家 が 二 戸 あ る。 ﹁ ひ と 口 ﹂ と は 田 二 反 ( 二 〇 ア ー ル)、 半 知 は 一 反、 四 半 知 は 五 畝 を 所 有 す る 家 の こ と で あ る。 こ れ ら の 区 別 は 身 分 制 と は そ れ ほ ど 関 係 は な い の だ が、 ﹁ ひ と 株 ﹂ に 満 た な い 家 々 と い う の は、 過 去 の あ る 時 期 に 生 活 に 困 窮 し、 農 中 か ら 借 金 し た 抵 当 と し て 土 地 所 有 権 の 一 部 を 手 放 し た の か と 思 う。 な お、 旧 海 軍 の 払 下 げ 地 と 寺 に 所 属 す る 田 は 村 の 共 有 地 だ が、 双 方 と も、 二 十 三 戸 の 農 家 と 無 給 の 足 軽 士 族 三 戸、 そ れ に 何 か の 事 情 で 無 給 と な っ た 旧 士 族 二 戸 に よ る、 二 十 八 人 持 L と な っ て い る。 そ の ほ か、 廻 で は、 対 馬 で は 珍 し く、 本 戸 と 寄 留 と の 中 間 層 と し て 準 本 戸 が あ る こ と も 述 べ て お き た い。 戦 時 中 の 昭 和 十 七 年、 男 手 の 不 足 に よ っ て 共 同 の 村 仕 事 に 支 障 を 来 た し、 労 働 力 の 補 充 の た め、 分 家 寄 留 四 軒、 タ ビ 寄 留 五 軒 ( 島 内 出 身 一、 山 口 県 出 身 三、 愛 媛 県 出 身 一) の 計 九 軒 を 本 戸 格 に 昇 格 さ せ て い る。 分 家 寄 留 な ら い ざ 知 ら ず、 タ ビ 寄 留 ま で も 本 戸 格 に 昇 格 さ せ た 例 は、 対 馬 で は 極 め て 珍 し い。 昇 格 に あ た っ て 寄 留 戸 は、 当 時 の 金 で 六 百 円 と い う 大 金 を 負 担 し た が、 対 馬 の 廻. 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 そ れ に よ っ て 採 藻 権 と 共 有 林 の 採 薪 権 を 獲 得 し、 部 分 的 な が ら 土 地 の 耕 作 権、 購 入 権 を も 認 め ら れ た。 し か し、 本 戸 格 の 特 権 の 承 認 に あ た っ て、 六 百 円 と い う 高 額 の ﹁ 折 合 金 ﹂ を 負 担 し て で も 本 戸 待 遇 を 受 け た い ほ ど、 本 戸 と い う も の の 特 権 が 魅 力 的 な の で あ っ た。 と も か く、 こ の こ と に よ っ て、 現 在 の 廻 に は、 本 戸、 準 本 戸、 そ れ に そ の 後 増 戸 し、 両 者 い ず れ に も 属 さ な い 分 家 寄 留 二、 タ ビ 寄 留 三、 計 五 世 帯 が あ る こ と に な る。 二、 廻 ・ 唐 洲 の 概 況 -調 査 結 果 から-私 た ち の 廻、 唐 洲 の 世 帯 基 本 調 査 を も と に、 両 部 落 の 比 較 に か か わ る 諸 指 標 を ま ず 概 括 し て お こ う。 す で に 述 べ た よ う に、 両 部 落 と も 本 戸 三 十 三、 世 帯 数 四 十 三 と い う 全 く 同 規 模 の 村 落 で あ る。 た だ、 唐 洲 部 落 の う ち の 六 世 帯 は、 集 落 か ら 少 し 離 れ た 北 方 の 妙 見 に 孤 立 し て 住 ん で お り、 檀 那 寺 も 厳 原 に あ る。 そ の 内 訳 は、 唐 洲 の 東 方、 加 志 々 部 落 の 向 こ う の 水 崎 か ら の 分 家 が 四 世 帯、 そ れ に 唐 洲 の 分 家 が 二 世 帯 で あ る。 さ て、 ま ず 廻 の 調 査 対 象 世 帯 は、 四 十 三 世 帯 の う ち、 調 査 時 点 で す で に 外 部 に 転 住 し て い た 世 帯 一、 病 気 の た め 調 査 不 能 一、 長 期 不 在 一、 息 子 夫 婦 と 同 居 す る こ と に よ っ て 世 帯 が 消 滅 し て い た も の 一、 調 査 拒 否 一、 計 五 世 帯 を 除 い た 三 十 八 で あ る。 唐 洲 の 方 は、 病 気 の た め 調 査 不 能 一、 調 査 拒 否 二、 計 三 世 帯 を 除 き、 調 査 対 象 世 帯 は 四 十 で あ っ た。 な お、 面 接 調 査 の 対 象 者 は、 世 帯 主 に 限 定 し た。 そ の さ い、 ﹁ 世 帯 主 ﹂ の 概 念 は 三 世 代 家 族 の 多 い 対 馬 の 村 落 で は、 か な り ア イ マ イ に な る 懸 念 が あ っ た。 そ こ で、 世 帯 主 と は、 役 場 の 帳 薄 上 の 世 帯 主 と は 別 に、 三 十 歳 か ら 六 十 歳 ま で の 直 系 の 男 性 (夫 死 亡 の ば あ い は 女 世 帯 主) と 規 定 し て い る。 調 査 員 が 面 接 し た 被 調 査 者 の 続 柄 は 次 の よ う で あ る。 面 接 調 査 の 対 象 者 を 世 帯 主 に 限 定 し た 私 の 意 図 は、 ほ ぼ 達 成 で き た と い え よ う。 つ づ い て、 両 部 落 に お け る 世 帯 主 の お も な 生 業 の 種 別 を 記 し て お く。
右 の 表 か ら 分 か る よ う に、 両 部 落 と も、 世 帯 主 の 生 業 の 過 半 数 が 漁 業 で あ り、 半 農 半 漁 村 で あ る よ り は 漁 村 で あ る。 廻 ・ 唐 洲 と も、 主 業 に 農 業 を あ げ た 者 が 五 名 ず つ い る が、 漁 業 が や り た く て も 年 齢 的、 性 別 的 に で き な い 消 極 的 農 業 者 と み て よ い。 次 に、 両 部 落 の 家 の 創 立 に つ い て 述 べ、 村 戸 の 定 住 年 代 の 新 古、 本 家 ・ 分 家 ・ 入 村 の 別 を み て お き た い。 廻、 唐 洲 と も、 多 く の 対 馬 の 村 落 と 同 じ よ う に、 お そ く と も 応 仁 ・ 文 明 の 頃 に は 集 落 と し て 成 立 し て い た。 藩 制 期 初 期、 村 落 ご と の 領 域 と 納 税 単 位 と し て の 定 戸 数 が 追 認. 確 定 さ れ る に あ た り、 廻 の 方 は 地 先 に 豊 漁 場 を 抱 え て い る た め、 部 落 の 地 積 が 削 減 さ れ た と い う。 両 部 落 の 調 査 結 果 を み て、 唐 洲 の 方 に 戦 後 の 分 家 が 十 世 帯 と 多 い こ と が 知 ら れ る が、 ほ か に は と く に こ れ と い っ た 違 い は な い。 両 部 落 と も 閉 鎖 的 な 村 落 で あ り な が ら も、 沖 合 に 豊 漁 場 を も っ て い る 関 係 で、 五-七 世 帯 の 入 村 者 が あ る こ と が 注 目 さ れ る。 次 に、 両 部 落 の 世 帯 主 夫 妻 を 中 心 に 通 婚 圏 に つ い て み て お く。 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 ま ず 廻 か ら い え ば、 廻 出 身 の 男 世 帯 主 は 三 三 人 ( 八 九. 二 %)、 婚 入 元 が 廻 の 妻 三 二 人 ( 八 八 ・ 九 %)、 唐 洲 で は、 唐 洲 出 身 の 男 世 帯 主 三 三 人 ( 八 六 ・ 八 %)、 婚 入 元 が 唐 洲 の 妻 は 三 三 人 ( 九 四 -二 %) と な る。 両 部 落 は、 ニ キロ メ ー ト ル 弱 と い う 近 (接 し た 位 置 に あ り、 し か も、 と も に 対 馬 全 島 的 に み て 交 通 不 便 の 村 で あ る に も か か わ ら ず、 夫 妻 と も 九 〇 % ほ ど が 自 部 落 出 身 者 で 占 め ら れ、 相 互 の 通 婚 関 係 が な い に 等 し い。 そ の こ と は と り も な お さ ず、 全 島 的 に み て も 両 部 落 と も 今 な お 極 め て 強 い 閉 鎖 性 を も っ た 村 落 で あ る こ と を 示 し て い る。 こ の よ う に 婚 姻 関 係 で 強 い 封 鎖 性 を 示 す 村 落 と し て は、 厳 原 町 大 字 阿 連 部 落 の こ と が 想 起 さ れ る。 そ こ で も、 夫 妻 と も 九 〇 パ ー セ ン ト 以 上 が 自 部 落 出 身 者 で 占 め ら れ て い た が、 他 部 落 か ら 嫁 と り を し な い の は、 先 祖 譲 り の 不 動 産 の 所 有 権 が 他 部 落 に 移 転 す る こ と が な い よ う と の 配 慮 が お も な 動 機 で あ っ た。 そ れ に 対 し て、 上 県 町 字 鹿 見 部 落 で は 部 落 外 婚 が か な り 多 か っ た が、 村 人 の 問 で は、 他 部 落 か ら 嫁 を 迎 え る と、 結 婚 式 や そ の 後 の 交 際 費 の か さ み を ぼ や く 声 が 強 か っ た。 そ れ に し て も、 廻 ・ 唐 洲 間 の 通 婚 と し て は、 唐 洲 出 身 の 世 帯 主 一 名 と 妻 二 名 が 廻 に い る だ け で あ る。 こ の こ と は、 隣 部 落 同 士 で あ り な が ら も、 過 去 ・ 現 在 に お い て い う べ き 交 際 関 係 が な い こ と を 示 し て い る。 私 た ち が 両 部 落 の 調 査 を し て い る と き も、 双 方 の 交 流 が 乏 し い と い う だ け で な く、 ど う や ら 二 つ の 部 落 の 関 係 は し っ く り 行 っ て い な い ら し か っ た。 双 方 の 問 に、 あ る い は、 歴 史 的 な 漁 場 争 い で も あ っ た の か も 知 れ な い。 も し そ う だ と す れ ば、 ﹁ 行 き ど ま り 部 落 ﹂ 廻 の 歴 史 的 な 孤 立 性 が 確 認 で き る と と も に、 廻 の ﹁ ム ラ 共 同 体 ﹂ と し て の 結 束 の 固 さ を 解 く 上 で 一 つ の 重 要 な 鍵 と な り う る。 す な わ ち、 前 論 文 ﹁ そ の 一 ﹂ で 引 用 し た 廻 の 古 老 の 言 葉、 ﹁ こ の 部 落 は ﹃ 通 り 部 落 ﹄ で は な く ﹃ 行 き ど ま り 部 落 ﹄ な の で、 生 き て い く 上 で 昔 か ら 村 人 ら の 協 力 だ け が た だ 一 つ の 支 え で あ っ た ﹂ と い う 意 味 も う な つ か れ る。 次 い で、 両 部 落 の 土 地 所 有 の 状 況 を 田 畑 ・ 山 林 に つ い て み て お く。
右 の 表 か ら、 不 明 分 を 除 い て、 両 部 落 の 田 畑 ・ 山 林 の 総 面 積 と、 一 戸 あ た り の 平 均 所 有 面 積 を 算 出 し て お こ う。 さ て、 両 部 落 の 耕 地 ・ 山 林 の 所 有 状 況 を 調 査 票 を 繰 っ て 調 べ て い て、 ひ と き わ め だ っ て い る こ と が あ る。 そ れ は、 唐 洲 に 抜 群 の 地 積 を も つ 大 農 家 が 三 軒 あ る こ と で あ る。 ち な み に、 両 部 落 か ら そ れ ぞ れ 三 戸 ず つ 大 農 家 の 田 畑 ・ 山 林 の 所 有 面 積 を 書 き 出 し て み よ う。 〈 総面積 と所有戸数〉 〈1戸 あた り平 均所有面積〉 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 型 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 右 の 表 か ら 知 ら れ る よ う に、 唐 洲 の 三 軒 の 大 農 家 の 所 有 す る 田 畑 は 廻 の そ れ に 比 べ て 格 段 に 大 き い。 そ こ で、 こ れ ら 唐 洲 の 三 戸 の 大 農 家 を 除 外 し て、 廻 と 唐 洲 の 田 畑 所 有 者 の 一 戸 あ た り 平 均 所 有 面 積 を 出 し て み る と、 先 の 表 の 結 果 と は 逆 に、 廻 の 平 均 所 有 面 積 が 唐 洲 を 上 回 る こ と に な る。 こ の こ と を も っ て し て も、 唐 洲 の 三 軒 の 大 農 家 の 大 き さ が 知 ら れ よ う。 そ の ほ か に 唐 洲 で は、 旧 家 ・ 大 農 家 で あ り な が ら 土 地 所 有 面 積 を 回 答 し て い な い 家 が 一 軒 あ る の で、 別 格 の 大 農 家 は 四 軒 と な る か も 知 れ な い。 た だ、 こ こ で は 山 林 に つ い て は 経 済 的、 社 会 的 意 味 が そ れ ほ ど 大 き く な い も の と し て 考 慮 し て は い な い。 な お、 つ い で に こ こ で い っ て お く と、 廻 ・ 唐 洲 と も 大 農 家 は、 戦 後 の 農 地 改 革 に よ っ て 田 畑 の 多 く を 失 っ て い た の で あ る が、 そ の 後、 村 人 た ち は ひ と た び え た 農 地 を も と の 地 主 に 返 還 し て い る。 と こ ろ で、 今 ま で 述 べ て き た と こ ろ で は、 土 地 所 有 に つ い て 宅 地 が 入 っ て い な い。 廻 最 大 の 旧 家 ・ 大 農 家 の 宅 地 所 有 規 模 は 四 百 坪 で あ る が、 唐 洲 の 大 農 家 四 軒 で は、 水 崎 の 分 だ け で そ れ ぞ れ 千 坪 ほ ど ず つ 所 有 し て い る。 ほ か の 唐 洲 の 宅 地 所 有 者 は、 水 崎 に せ い ぜ い 百-二 百 坪 て い ど を 所 有 し て い る に す ぎ な い。 さ ら に、 唐 洲 の 村 人 た ち は、 水 崎 と 加 志 々 の 宅 地 を 賃 貸 し し た り、 あ る い は 売 却 す る こ と に よ っ て、 大 型 船 を 建 造 す る た め の 資 金 を 作 っ た り、 そ れ を 担 保 に 借 金 す る こ と が で き る 状 態 に あ っ た。 ま た、 唐 洲 の 村 人 た ち は、 加 志 々 の 磯 場 権 を 〔廻 〕 〔唐 洲 〕
所 有 し て お り、 加 志 々 の 村 人 た ち が 採 取 し た ヒ ジ キ ・ ワ カ メ に つ い て、 そ の 半 分 の 提 供 を 受 け る こ と に し て い る。 さ て、 廻 ・ 唐 洲 の 土 地 所 有 状 況 を 詳 し く み て き た の は、 そ れ が 両 部 落 の 漁 業 経 営 形 態 の 違 い だ け で な く、 と く に 社 会 関 係 を 考 察 す る 上 で 大 き な 意 味 を も つ と 考 え る か ら で あ る。 す な わ ち、 唐 洲 で は、 旧 士 族、 親 方 層 が 現 在 も ひ き つ づ き 並 は ず れ た 大 地 主 層 を 形 成 し て お り、 部 落 の 中 で 権 威 を 維 持 し、 部 落 の 運 営 に 大 き な 発 言 権 を 持 っ て い る の で あ る。 大 方 の 対 馬 の 村 人 た ち は、 あ る 村 を 評 価 す る に あ た っ て、 ﹁ ま と ま り ﹂ の よ い 村 を も っ て ﹁ よ い 村 ﹂ と し、 ﹁ ま と ま り ﹂ の 悪 い 村 を も っ て ﹁ 悪 い 村 ﹂ と す る 傾 向 が あ る。 そ の う ち、 ﹁ ま と ま り ﹂ の よ い 村 に は 二 種 類 が あ る。 す な わ ち、 一 つ は、 伝 統 的 な 旧 士 族 ・ 親 方 層 が 部 落 の 運 営 に つ い て 大 き な 発 言 権 を 保 持 し つ づ け、 そ の 宰 配 に よ っ て ま と ま り の よ い 村 の こ と で あ る。 し か し、 こ の 型 で の ま と ま り の よ い 村 に 対 す る 評 価 は 高 く な い。 唐 洲 は だ い た い こ れ に 当 た っ て い る。 そ れ に 対 し て、 部 落 運 営 に 関 し て 寄 合 の 席 で 議 論 百 出、 大 い に 意 見 を 闘 わ せ る が、 ひ と た び 決 定 す れ ば 全 員 で そ れ を 守 る と い う 村 が 高 く 評 価 さ れ る。 議 論 を 尽 く し て、 民 主 的 に 運 営 さ れ る 部 落 の こ と で あ る。 唐 洲 と は 逆 に、 廻 は ま さ に こ う し た 部 落 の 一 つ の 典 型 と い え る か と 思 う。 つ づ い て、 両 部 落 の 漁 業 の 現 状 に つ い て 簡 単 に 述 べ て お く。 両 部 落 と も、 長 い 間 農 主 漁 従 の 半 農 半 漁 村 で あ っ た が、 漁 業 が 急 伸 す る の は、 戦 後 も 昭 和 四 十 二、 三 年 か ら 四 十 四、 五 年 に か け て の こ と で あ る。 両 部 落 は、 ほ か に 近 接 の 半 農 半 漁 村 貝 口、 佐 保、 卯 麦 の 三 部 落 を 加 え て 唐 崎 漁 協 を つ く っ て い る。 同 漁 協 の 中 心 に な っ て い る の は 廻 と 唐 洲 で あ り、 漁 協 の 本 部 は 唐 洲 に あ る。 他 の 三 部 落 は 海 草 の 採 集 を 中 心 と す る 根 付 漁 業 が 中 心 で、 卯 麦 で 真 珠 養 殖 が 行 な わ れ て い る と は い え、 年 間 の 水 揚 金 額 は 三 部 落 と も 一 千 万 円 く ら い ず つ で あ る。 そ こ で、 ま ず、 唐 崎 漁 協 の 過 去 十 年 間 の 漁 獲 水 揚 金 額 の 推 移 を み て お く。 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 廻 ・ 唐 洲 が 中 心 と な っ て、 ま ず は 業 積 を 着 実 に 伸 ば し て き て い る と い え よ う。 次 い で、 廻 と 唐 洲 の 漁 船 の 規 模 別 隻 数 の 推 移 を、 同 じ く 過 去 十 年 間 に つ い て た ど っ て お こ う。 下 の 表 に よ っ て、 廻 と 唐 洲 の 漁 船 の 総 隻 数 に 大 差 は な い と は い え、 唐 洲 の 漁 船 の 大 型 化 が め だ つ。 実 際、 唐 洲 は、 漁 船 の 大 型 化 と い う 点 で、 対 馬 の 西 海 岸 で は 随 一 の 部 落 な の で あ る。 と こ ろ で、 唐 洲 の 漁 船 を 対 馬 の 西 海 岸 で 最 も 大 型 化 さ せ た 理 由 は な ん で あ ろ う か。 そ れ に つ い て、 私 は 三 つ の こ と を あ げ た い と 思 う。 一 つ は、 廻 の 地 先 海 面 が 西 海 岸 有 数 の 豊 漁 場 な の で あ る が、 唐 洲 の 船 が そ こ へ 行 こ う に も、 廻 の 船 に 先 を
越 さ れ る の で、 唐 洲 と し て は い き お い そ こ を 通 り 越 し て 遠 距 離 の 沿 岸 部 を 広 く 漁 場 と し な け れ ば な ら な い こ と で あ る。 二 む か い な だ つ に は、 広 島 県 の 向 洋 か ら 移 住 し て き た 寄 留 専 業 漁 民 部 落 水 崎 は、 加 志 々 と と も に も と も と 唐 洲 部 落 に 所 属 す る 土 地 で あ り、 そ の 水 崎 の め ざ ま し い 漁 業 の 発 展 に 刺 激 さ れ た こ と が 考 え ら れ る。 唐 洲 の 村 人 た ち と し て は、 も と 水 崎 の 地 主 と し て 水 崎 漁 民 の 鼻 を 明 か し た い プ ラ イ ド が あ っ た こ と だ ろ う。 三 つ に は、 唐 洲 の 村 人 の 多 く は 水 崎 や 加 志 々 に 宅 地 を 所 有 し て お り、 そ れ を 売 却 す る か、 あ る い は そ れ を 担 保 と し て 大 型 漁 船 を 建 造 す る 資 金 に あ て る こ と が で き た こ と で あ る。 事 実、 た と え ば 加 志 々 の 宅 地 の 過 半 は、 加 志 々 の 村 人 に す で に 売 却 さ れ て い る。 さ て、 唐 洲 の 漁 船 が 大 型 化 し た こ と も 手 伝 っ て、 唐 洲 と 廻 と で は、 漁 業 の 経 営 形 態 に も か な り の 違 い が 出 て い る。 唐 洲 の お で は、 刺 網 四 統、 漕 ぎ 縄 を や る 船 四 隻、 そ れ に 一 本 釣 り 漁 業 も あ る に は あ る が、 主 力 は な ん と い っ て も、 大 型 船 を 中 心 と し、 小 型 船 を 従 と す る 沿 岸 イ ヵ 釣 り 漁 業 で あ る。 唐 洲 の 大 型 船 は、 ほ と ん ど 全 島 の 沿 岸 を 回 っ て イ ヵ 釣 り を 行 な い、 漁 協 に 水 揚 げ さ れ る 漁 獲 の 九 割 近 く が イ ヵ で あ る。 そ れ だ け に、 唐 洲 の 漁 業 は イ カ 釣 り の 単 一 経 営 が 進 ん で お り、 近 年 不 漁 気 味 の イ ヵ 漁 の 打 撃 を も ろ に 受 け て い る。 し か も、 沿 岸 漁 業 に よ る イ カ は、 値 段 の 安 い マ イ ヵ ( ス ル メ 用) が 主 体 で あ る。 そ れ に 比 べ る と、 廻 の 地 先 海 面 は 豊 漁 場 に 恵 ま れ て お り、 漁 業 経 営 の 多 角 化 が 進 め ら れ、 そ れ に よ っ て、 単 一 漁 業 経 営 に よ る 危 険 度 の 分 散 に 役 立 っ て い る。 廻 の 大 型 船 五 隻 の う ち の 一 隻 は、 こ こ の 定 置 網 漁 者 が 所 有 す る 運 搬 船 で あ り、 残 り 四 隻 は 唐 洲 と 同 じ よ う に、 年 中 イ カ 釣 り の 沿 岸 漁 業 に 従 事 し、 う ち 二 隻 は 新 潟 方 面 へ 出 漁 し て い る。 廻 の 小 型 船 は、 夏 場 を 中 心 と す る イ ヵ 漁 の シ ー ズ ン に は、 ほ ん の 数 分 船 を 走 ら せ た 沿 岸 部 で 操 業 し て い る の で 経 費 が 安 あ が り の 上、 マ イ カ よ り 値 の よ い ア ヵ イ カ、 ブ ト イ カ を 釣 る と あ っ て 経 営 的 に 有 利 で あ る。 こ の 点 は、 廻 の 経 済 生 活 の 安 定 に 大 き く 貢 献 し て い る も の と 思 わ れ る。 実 際、 大 型 船 を 主 力 と す る イ ヵ 漁 が 中 心 の 唐 洲 だ け に、 全 漁 獲 の 水 揚 げ 額 の 面 で は、 廻 に 対 し て 六 対 四 ぐ ら い の 比 率 で 唐 洲 の 方 が 上 回 っ て い る。 し か し、 純 所 得 と い う こ と に な る と、 唐 洲 と 廻 と で は、 五 分 五 分 か 逆 に 四 分 六 と 廻 の 方 が 上 回 る だ ろ う と い う 意 見 が 多 い。 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 さ て、 廻 で は、 漁 業 経 営 の 多 角 化 に よ っ て、 イ カ 漁 が 漁 獲 に 占 め る 割 合 は 二、 三 割 で あ り、 主 力 は い ず れ か と い え ば、 漁 場 の 利 を 生 か し て 行 な う 定 置 網 漁 に あ る。 定 置 網 業 主 は 二 軒 あ り、 そ れ ぞ れ 中 型 一 統 ・ 小 型 二 統 の 計 三 統 を 持 ち、 舳 子 六、 七 人 ず つ を 雇 っ て 操 業 し て お り、 業 績 は 好 調 で あ る。 二 軒 の 業 主 は、 獲 れ た 魚 を 出 荷 調 整 の た め に イ ケ ス を 造 っ て 畜 養 し て い る。 ほ か に、 二 軒 の 業 者 に よ っ て 真 殊 の 母 貝 の 養 殖 が 行 な わ れ て い る。 ま た、 大 洋 漁 業 と 唐 崎 漁 協 の 協 同 に よ る 対 岸 の 佐 保 沖 の ブ リ 飼 付 漁 も、 廻 が 主 体 で あ り、 約 四 十 人 の 人 夫 は 貝 口、 唐 洲 か ら も 来 る が、 廻 か ら 行 く 人 が 一 番 多 い。 つ づ い て、 両 部 落 の 世 帯 の 年 間 所 得 の 状 況 に つ い て 記 し て お く。 右 の 表 か ら す る と、 廻 の 年 間 所 得 の 平 均 値 が 三 〇 〇-三 五 〇 万 円 く ら い で あ る の に 対 し て、 大 型 の 漁 船 の 多 い 唐 洲 の 方 は、 五 〇 〇 万 円 く ら い と 高 い。 私 の こ れ ま で の 対 馬 の 漁 村 調 査 に よ る と、 平 均 の 年 間 所 得 は 二 五 〇 万 円 く ら い の と こ ろ で あ る か ら、 廻 の そ れ は 対 馬 の 漁 村 の 平 均 所 得 を す で に 上 回 っ て い る。 そ れ が 唐 洲 の 平 均 所 得 五 〇 〇 万 円 と い う の は、 全 島 的 に み て も 最 高 の 水 準 に な る も の と 思 わ れ る。 し か し、 唐 洲 の 漁 民 は 漁 船 の 大 型 化 に よ っ て 水 揚 金 額 な い し 年 間 所 得 は 大 き い が、 同 時 に、 油 代 や 漁 船 の 建 造 費 の 延 べ 払 い に 支 払 う 金 額 も 大 き い。 こ の 点 を 考 慮 す れ ば、 廻 と の 所 得 格 差 は か な り 縮 ま っ て く る も の と 思 う。 さ て、 こ こ で も う 一 度 上 の 表 を 見 直 し て お こ う。 こ の 表 を み て ほ か に 気 付 く こ と は、 廻 に 比 べ て 唐 洲 の 方 が 明 か に 所 得 の 上 に お け る 階 層 分 化 が 進 ん で い る と い う 事 実 で あ る。 す な わ ち 廻 に お い て、 中 堅 層 と み ら れ る 二 五 〇-四 〇 〇 万 円 未 満 層 が 十 五 世 帯 ( 三 九 ・ 五 %)、 そ れ を 二 五 〇-七 〇 〇 万 円 未 満 層 に 広 げ る と 二 十 二 世 帯 ( 五 七 ・ 九 %) と な っ て、 そ の 層 が 厚 い。 と こ ろ が、 唐 洲 で は そ れ が、 そ れ ぞ れ 四 世 帯 ( 一 〇 ・ 五 %、 N A ・ D K を 除 く)、 六 世 帯 ( 一 五 ・ 八 %) と な っ て 中
堅 層 が 薄 い。 逆 に、 唐 洲 で 二 五 〇 万 円 未 満 層 が 十 一 世 帯 ( 二 八 ・九 %)、 七 〇 〇 万 円 以 上 の 層 が 十 五 世 帯 ( 三 九 ・ 五 %) と、 階 層 の 両 極 化 が 進 ん で い る こ と が 分 か る。 最 後 に、 預 金 額 と 借 金 額 の ど ち ら が 多 い か に つ い て 調 べ た 結 果 を 次 に 掲 げ て お く。 こ の 結 果 か ら す る と、 大 型 船 の 建 造 に 巨 額 の 資 金 を 要 し た 唐 洲 の 方 に、 ﹁ 借 金 の 方 が 多 い ﹂ と す る 予 想 さ れ た 結 果 が 出 て い る。 唐 洲 で ﹁ 借 金 の 方 が 多 い ﹂ と 答 え た 十 六 人 と い う 人 数 は、 十 ト ン 以 上 の 漁 船 を 所 有 す る 十 八 人 と ほ ぼ 一 致 す る。 要 す る に、 廻 の 村 人 た ち の 方 が 無 理 を せ ぬ 安 定 志 向 が 強 い と い う こ と が い え よ う。 三、 唐 洲 の 漁 船 の 大 型 化 の 意 味 す る も の す で に 述 べ た よ う に、 唐 洲 に は 旧 士 族、 親 方 層 で、 一 般 の 村 人 に 比 べ て 格 外 の 耕 地 ・ 山 林 ・ 宅 地 を も つ 大 地 主 が 三 ・ 四 軒 あ り、 こ の 点 で す で に 村 の 階 層 分 化 が み ら れ る。 大 地 主 層 を A ラ ン ク に 類 別 す る と、 次 に B ラ ン ク と し て 十 ト ン-二 十 ト ン 級 の 漁 船 所 有 者 層 が あ り、 部 落 の 皆 層 は だ い た い 三 ラ ン ク に 分 化 し て い る と み る こ と が で き る。 私 が 廻 の 古 老 か ら 聞 い た 言 葉 に、 ﹁ 廻 評 議 に 唐 洲 口 ﹂ と い う の が あ る が、 こ の 昔 か ら い い 古 さ れ て き た 言 葉 は、 両 部 落 の 社 会 関 係 の 一 端 に ふ れ て い る も の と し て 興 味 深 い。 こ の 言 葉 の 意 味 は 次 の よ う で あ る。 廻 で は 昔 か ら、 部 落 の 寄 合 と な る と さ ま ざ ま な 意 見 が と び 出 し、 長 々 と 評 議 が つ づ い て 議 論 が な か な か ま と ま ら な い。 そ れ に 対 し て 唐 洲 で は、 お お む ね 寄 合 で の 相 談 事 は 何 人 か の 旧 士 族 ・ 親 方 層 が お も に 発 言 し、 彼 ら の 間 で 話 し 合 い が つ け ら れ る。 そ れ だ け に、 大 方 の 村 人 た ち に は ほ と ん ど 発 言 の 機 会 が 与 え ら れ ず、 寄 合 が 終 っ た あ と、 村 人 た ち が い ろ い ろ と 陰 口 を た た き 合 う と い う こ と で あ ろ う。 実 際、 前 回 の 論 文 で も 紹 介 し た よ う に、 廻 で は 私 た ち の 調 査 期 間 中、 毎 日 の よ う に 共 同 の 村 仕 事 の 連 絡、 評 議 員 会、 婦 人 会、 老 人 ク ラ ブ 等 の 集 会 を 告 げ る マ イ ク 放 送 が あ っ た。 日 に よ っ て 二 つ の 集 会 が 公 民 館 で 同 時 に 行 な わ れ る こ と も あ っ 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 た。 私 た ち は 集 会 の つ ど、 荷 物 を あ ち こ ち に 移 動 さ せ た も の で あ る。 廻 で は、 部 落 の 運 営 上、 独 断 専 行 が も っ と も 嫌 わ れ て お り、 区 長 や 評 議 員 は 部 落 の 代 表 と し て 全 幅 の 信 頼 を 受 け て い る。 前 論 文 で 紹 介 し た A 氏 ( 六 十 二 歳) の 言 葉 を 左 に 再 び 掲 げ て お く。 ﹁ 個 人 が と や か く い う よ り も、 役 人 方 を 信 じ て 任 せ て お け ば よ い。 皆 の 代 表 で あ る 役 人 が、 村 人 一 人 一 人 に 悪 い よ う に 取 り 計 ら う は ず が な い ﹂。 た だ、 こ こ で 一 つ い っ て お け ば、 部 落 の 各 種 の 集 会 に、 旧 士 族 ・ 親 方 層 の 人 た ち は 出 席 し て い な い よ う に 思 わ れ た。 あ る い は 廻 で の 昔 か ら の 習 慣 な の か も 知 れ な い。 さ て、 次 に、 唐 洲 の 漁 船 の 大 型 化、 そ れ に 伴 う 階 層 分 化 と の 関 連 で、 東 方 の 隣 接 村 加 志 々 と そ の 向 こ う の 水 崎 の 概 況 を 紹 介 し て お く 必 要 が あ る。 水 崎 の 方 か ら 述 べ れ ば、 す で に ふ れ て お い た よ う に、 こ こ は も と 唐 洲 部 落 の 領 分 で あ り、 水 崎 部 落 の 漁 民 は、 付 近 の 屏 風 と と も に、 広 島 県 の 向 洋 か ら 渡 航 ・ 定 着 し た も の が 多 く、 対 馬 の い わ ゆ る 寄 留 部 落 で あ る。 当 初 の 渡 航 漁 民 は 船 上 で 寝 泊 り す る ﹁ 家 船 ﹂ 生 活 を し て い た と い う。 昭 和 の 初 年 に は 二 〇-三 〇 戸 く ら い が 唐 洲 の 地 主 の 了 解 を え て 定 着 す る が、 そ の す べ て が 耕 地 ・ 山 林 を 持 た な い 専 業 漁 家 で あ っ た。 そ れ だ け に、 漁 民 た ち は 孤 立 無 援 の タ ビ の 地 に あ っ て、 周 辺 の 農 主 漁 従 の 島 民 の 冷 や や か な 眼 を 尻 目 に、 新 し い 漁 場 の 開 拓 や 技 法 の 開 発 に 生 活 を 託 し た の で あ る。 対 馬 の 漁 業 が 今 日 の よ う に 盛 ん に な る の は、 昭 和 三 十 年 代 の 後 半 か ら 四 十 年 代 初 期 に か け て の こ と で あ り、 水 崎 や そ こ か ら 比 較 的 近 い 美 津 島 町 の 高 浜 な ど の 寄 留 漁 民 が 対 馬 漁 業 の 発 展 に 与 え た 刺 激 は 大 き い。 さ て、 少 し 資 料 は 古 い が、 昭 和 五 十 年 の 国 勢 調 査 に よ る と、 水 崎 (加 藤) 部 落 の 世 帯 数 は、 東 加 藤 が 五 十 世 帯、 西 加 藤 六 十 八 世 帯、 計 一 一 八 世 帯 と 膨 張 し て い る。 そ の こ と は、 水 崎 の 漁 業 の 発 展 と 相 関 関 係 に あ る こ と で あ る が、 こ こ は 今 や 西 海 岸 随 一 の 大 型 漁 業 基 地 に な っ て い る。 水 崎 港 は 昭 和 四 十 年 に 第 四 種 漁 港 に 指 定 さ れ、 自 部 落 の 漁 船 だ け で な く、 県 内 外 の 二 十 ト ン 級 漁 船 が 寄 港 す る 西 海 岸 の 中 心 漁 港 と し て、 現 在 も 諸 施 設 を 整 備 中 で あ る。 水 崎 自 体 と し て は、 主 と し て 日 韓 漁 業 共 同 規 制 水 域 内 で カ ジ キ 突 棒 船、 フ カ 延 縄 船 漁 業 に 従 事 し て き て い る が、 新 規 の 漁 法 や 販 売 方 法 を 鋭 意 模 索 ・ 開 拓 中 で あ る。
な お、 水 崎 の 漁 家 で は 近 年 ま で 次 男、 三 男 で 漁 家 と し て 定 着 す る 者 が 多 く、 水 崎 と 唐 洲 の 中 間 に あ る 加 志 々 に 新 し い 居 住 地 を 求 め る こ と と な る。 水 崎 と 同 じ く、 加 志 々 も 唐 洲 部 落 の 領 分 な の で あ る が、 昭 和 初 年 の 加 志 々 で は、 山 手 に 瓦 焼 き の 寄 留 業 者 が 一 軒 と、 唐 洲 の 青 木 氏 が 浜 番 と し て 仮 小 屋 を 造 っ て き て い た だ け だ っ た。 戦 後 も 昭 和 四 十 年 頃 に よ り や く 二 十 世 帯 く ら い だ っ た が、 そ の 後 急 速 に 家 が 建 つ。 小 ・ 中 校 統 廃 合 の な か で こ こ に 小 ・ 中 学 校 が 造 ら れ る に 及 び、 現 在 は 加 志 々 に 住 む 教 員 住 宅 の 十 世 帯 を 合 せ て 五 十 世 帯 を 数 え、 独 立 し た 一 部 落 を 形 成 す る こ と に な っ て い る。 漁 家 四 十 世 帯 の う ち の 半 数 以 上 は、 す で に 唐 洲 の 村 人 か ら 宅 地 を 買 い 取 っ て お り、 さ さ や か な が ら も 自 家 菜 園 を 持 つ 家 も 四、 五 軒 あ る。 さ ら に、 水 崎 の 二、 三 男 の う ち の 四 戸 は、 唐 洲 の 集 落 部 の 北 方、 妙 見 ( 元 嶋 神 社、 唐 洲 の 氏 神 社) の 地 に も 移 り 住 ん で い る。 唐 洲 の 村 人 た ち と し て は、 自 分 た ち が 水 崎 や 加 志 々 の 土 地 の 所 有 者 で あ っ た 関 係 で、 水 崎 の 漁 業 の 動 向 に つ い て は つ ぶ さ に そ の な り ゆ き を 見 守 っ て き た は ず で あ る。 昭 和 四 十 年 代 の 半 ば 頃 ま で 豊 漁 が 続 い た イ ヵ 漁 景 気 の 中 に あ っ て、 遂 に 漁 船 の 大 型 化 に 大 々 的 な 進 出 を 試 み る に 至 る。 も ち ろ ん ヽ 漁 船 の 大 型 化 に 当 た っ て は、 村 の 誰 か が あ る 日 突 然 大 型 船 を 発 注 し た 噂 が 広 が る と、 建 造 資 金 の 調 達 に 見 込 み の あ る 家 々 で は、 我 も 我 も と 競 い 合 い で 大 量 発 注 す る こ と に な っ た で あ ろ う。 と こ ろ で、 唐 洲 部 落 で は、 一 方 に お い て 伝 統 的 な 旧 士 族、 親 方 層 の 身 分 的 な 権 威 を 温 存 さ せ な が ら、 他 方 で は、 漁 船 の 大 型 化 と、 そ れ に と も な う 近 代 的 な 営 利 計 算 と 競 争 原 理 に も と つ く 漁 業 経 営 に 身 を さ ら さ ね ば な ら な く な っ た。 同 時 に ま た そ の こ と は、 そ れ ま で の 伝 統 的 な 半 農 半 漁 の 生 活 の な か で 表 面 に 出 る こ と の 少 な か っ た 階 層 分 化 を 顕 在 化 さ せ る こ と と な る。 部 落 内 が 三 つ の 階 層 に 分 化 し、 大 型 船 を 持 つ 半 数 近 く の 漁 家 層 が 冷 徹 な 営 利 計 算 と 激 し い 競 争 意 識 を 燃 や し 合 う と き、 伝 統 的 な ﹁ ム ラ 共 同 体 ﹂ に 固 有 の 全 体 優 先 の 原 理 と 衝 突 す る こ と は 避 け ら れ な い。 そ の 衝 突 の 中 で、 表 面 立 っ て は 人 々 の 生 活 に 何 の 変 化 も 見 受 け ら れ な い な が ら も、 個 人 主 義 化 ・ 合 理 主 義 化 の 意 識 は 着 実 に 進 行 し て い っ て い る も の と 思 わ れ る。 た と え ば、 廻 で は す べ て の 田 ・ 畑 が 在 来 通 り 耕 作 さ れ て 休 耕 田 は み ら れ な い の だ が、 唐 洲 で は 休 耕 田 が 目 立 ち、 営 農 意 欲 の 減 退 が 察 せ ら れ る。 ま た、 年 中 行 事 の 整 理 縮 小 の 程 度 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 も、 廻 よ り 進 ん で き て い る。 廻 の 現 行 の 年 中 行 事 に つ い て は、 前 論 文 に の せ た 廻 部 落 規 約 書 で だ い た い の と こ ろ は 知 ら れ よ う。 伝 統 的 な 諸 行 事 は 厳 重 な 統 制 を も っ て か な り よ く 守 ら れ て い る の だ が、 唐 洲 の ば あ い は 弛 緩 の 傾 向 が い ち じ る し い。 四、 廻 と 唐 洲 の 生 業 の 変 遷 (イ) 廻 昭 和 二 十 五、 六 年 に か け て、 九 学 会 連 合 に よ る 対 馬 の 総 合 的 な 調 査 が 行 な わ れ て い る。 そ の 際、 京 都 大 学 の 織 田 武 雄 教 授 以 下 五 名 の 地 理 学 班 は、 昭 和 二 十 六 年 七 月 十 三 日 か ら 八 月 一 日 ま で の 二 十 日 間 を か け て、 廻 と 上 対 馬 町 の 唐 舟 志 お よ び (3) 津 和 原 の 調 査 を 行 な い、 三 部 落 に つ い て 詳 細 な 報 告 を し て い る。 私 た ち の 廻 の 調 査 と の 間 に す で に 三 十 余 年 の 歳 月 が 流 れ て お り、 そ の 頃 の 廻 と 比 べ て い さ さ か 隔 世 の 感 が あ る が、 し か し、 戦 前 か ら 戦 後 に か け て の 廻 を 知 る 上 で は 大 変 参 考 に な る。 そ こ で、 こ の 項 で は、 織 田 教 授 ら に よ る 報 告 書 を 参 考 に し な が ら、 当 時 の 廻 の 生 業 や 旧 い 制 度 ・ 慣 習 な ど を み て お く こ と に し た い。 廻 の 公 民 館 に は、 そ の 昔、 捕 鯨 で 有 名 な 亀 谷 組 が 使 っ て い た と い う 大 太 鼓 が あ る。 こ の 太 鼓 は 今 も 宴 会 の 席 で 使 わ れ、 披 め の 歌 か ら 始 め て、 お つ も り の 歌 で 太 鼓 の 合 図 と 共 に 宴 会 は ピ タ リ と 終 る。 こ の 習 慣 は、 か つ て の 鯨 組 の や り 方 を ひ き つ い だ も の と い う。 捕 鯨 の 盛 時、 対 馬 の 西 岸 で は 廻 と 上 県 町 伊 奈 に 春 納 屋 が お か れ た。 廻 の 納 屋 は、 集 落 部 の 北 西 の は ず れ に あ る 寺 崎 に お か れ た が、 集 落 部 か ら 小 山 を 一 つ 越 し た 池 田 浦 が 網 を 張 る の に 最 も 適 し た 場 所 だ っ た。 廻 は 今 も 昔 も、 対 馬 有 数 の 好 漁 場 を 控 え て い る に も か か わ ら ず、 昭 和 二 十 六 年 当 時、 ﹁ 現 在 で は 漁 業 の 余 り 盛 ん で な い、 農 業 を 主 と し た 村 ﹂ な の で あ っ た。 当 時 の 廻 の 漁 業 の お も な も の は、 イ カ 釣 と 採 藻 と、 個 人 所 有 で は あ る が 村 網 的 性 格 を も つ キ ビ ナ ゴ や 鰯 の 地 曳 網 で あ っ た。 も と も と 保 守 的 で 農 業 を 固 執 す る 傾 向 が 強 か っ た 対 馬 に あ っ て、 廻 の 本 戸 層 で は、 明 治 年 間、 あ る 旧 士 族 の 家 が 大 敷 網 で 失 敗 し て 時 離 村 を 余 儀 な く さ れ る と い う こ と が あ り、 ま す ま す 投 機 的 な 漁 業 経 営 が 敬 遠 さ れ た。 そ の 後、 定 置 漁 場 は 山 口 県 豊 浦 郡 の 漁 業 者 に 貸 し て 使 用 料 を と っ た だ け で あ り、 有 望 な ブ リ 飼 付 漁 業 に つ い て も、 外 部 業 者 に 任 せ て み ず か ら は
労 力 を 提 供 し た に す ぎ な い。 よ う や く 昭 和 十 年 代 に な っ て、 山 口 県 出 身 の タ ビ 寄 留 の 漁 師 に 出 資 し て も ら っ て、 本 戸 が 定 置 網 の 経 営 を 始 め た に と ど ま る。 そ の 後、 昭 和 二 十 六 年 時 点 で は、 現 在 の 定 置 網 業 主 の N 家 が、 自 己 資 本 に よ っ て 定 置 網 三 統 の 経 営 に 乗 り 出 し て い た。 他 方、 農 業 と し て は、 栽 培 品 目 は 甘 藷 が 第 一 位 を 占 め、 大 麦、 水 稲、 裸 麦、 大 根、 大 豆、 あ わ、 そ ば の 順 位 で あ り、 そ れ と 平 行 し て 仔 牛、 仔 馬 の 飼 育 が 極 め て 盛 ん で、 漁 業 収 益 と と も に 現 金 収 入 源 と し て 重 要 な 位 置 を 占 め て い た。 左 に、 昭 和 二 十 五、 六 年 時 に お け る 廻 の 家 畜 ・ 農 機 具 ・ 漁 船 ・ 車 輔 の 所 有 状 況 を 記 し て お く。 右 の 表 か ら 知 ら れ る よ う に、 廻 の 三 十 三 戸 の 農 家 で は、 お お む ね 牛 馬 各 一 頭 て い ど は 飼 育 し て い た こ と に な り、 漁 業 よ り も 農 業 に 大 き な 比 重 が か け ら れ て い た こ と が 分 か る。 な お、 織 田 教 授 ら は、 そ の 頃 の 廻 の ﹁ 漁 業 の 衰 退 と 対 策 の 消 極 性 ﹂ を 補 う 上 で の 生 業 の め だ っ た 特 徴 と し て、 次 の 二 つ を あ げ て い る。 一 つ は、 ﹁ 種 馬 鈴 薯 の 栽 培 及 び 仔 牛 の 売 却 に 見 ら れ る 農 畜 産 物 の 商 品 化 傾 向 ﹂ で あ る。 二 つ は、 対 馬 で は 珍 し い 女 子 の 出 稼 ぎ で あ る。 廻 の 女 性 た ち は、 農 閑 期 に あ た る 冬 イ カ の 時 期 に、 イ カ の 内 臓 を 除 去 し て 乾 燥 す る 仕 事 の た め、 多 い と き は 二、 三 〇 人 も 東 海 岸 の 美 津 島 町 赤 島 へ 出 稼 ぎ に 行 っ て い た。 戦 後 は 減 少 し て き て い る も の の、 そ れ で も 昭 和 二 十 五 年 に は、 い ず れ も 美 津 島 町 の 東 海 岸 部 だ が、 赤 島 へ 五 名、 芦 が 浦 へ 三 名、 大 船 越 ・ 鶏 知 町 根 緒 へ 各 二 名、 計 十 二 名 が 出 稼 ぎ に 出 て い る。 種 馬 鈴 薯 は、 豊 玉 町 の 小 綱 や 赤 島 方 面 へ 食 料 と し て 販 売 さ れ る ほ か、 農 協 を 通 じ て 島 内 に 広 く 種 子 用 と し て 供 給 さ れ た。 な お、 戦 前 の こ と で あ る が、 大 根 も 一 部 商 品 化 さ れ、 赤 島 方 面 ま で 舟 で 持 っ て 行 っ た こ と も あ る と い う。 以 上 を 要 す れ ば、 昭 和 二 十 年 代 の 廻 は、 保 守 的 で 貧 寒 な 農 主 漁 従 の 部 落 で あ っ た こ と が 知 ら れ る。 (ロ) 唐 洲 廻 と 同 じ よ う に、 唐 洲 も ま た 比 較 的 近 年 ま で、 明 か に 農 業 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 の 方 に 比 重 の か か っ た 半 農 半 漁 村 で あ っ た。 唐 崎 漁 協 の 波 多 参 事 も、 ﹁ 唐 洲 で 漁 業 が 盛 ん に な っ た の は 昭 和 四 十 二、 三 年 な い し 昭 和 四 十 四、 五 年 か ら の こ と で あ り、 そ れ ま で は 和 牛 の 飼 育 と 麦 作 を 中 心 と す る 農 村 だ っ た ﹂ と 語 っ て い る。 唐 洲 の 郷 土 研 究 家 の 田 中 為 助 氏 の ﹃ 郷 土 唐 洲 の 歴 史 ﹄ ( ペ ン 書 き、 昭 和 四 十 一 年 五 月 脱 稿、) で も、 昭 和 三 十 五 年 か ら 四 十 年 く ら い ま で の 唐 洲 の 農 業 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る。 (4) ﹁ 麦 の 生 産 高 は 比 較 的 多 く、 村 中 で 毎 年 四 百 俵 く ら い を 農 業 会 に 供 出 し て い る。 麦 に 次 ぐ の が 甘 藷 で、 一 戸 当 り 平 均 十 五 俵 く ら い、 約 五 百 俵 く ら い 供 出 し て い る ﹂ と。 し か し、 他 方、 現 金 収 入 源 と し て 無 視 で き な い 種 々 の 伝 統 的 な 漁 法 も あ っ た。 右 の 田 中 氏 は そ れ に つ い て、 次 の よ う な (5) 漁 法 ・ 漁 獲 の 種 類 を あ げ て い る。 1、 建 網 漁 業 ⋮ ⋮ 二 人 な い し 三 人 で 満 潮 の 時 に 三 重 側 網 を 建 て て、 内 側 を 竹 で ぱ ち ぱ ち 叩 い て と る。 2、 投 網 漁 業 ( 打 網) 3、 夜 イ ザ リ 漁 業 4、 藤 五 郎 網 ⋮ ⋮ 地 曳 網 と か け 網 の 二 種 が あ る。 5、 一 本 釣 漁 業 6、 漕 縄 漁 業 7、 飛 魚 の 流 網 ⋮ ⋮ 梅 雨 期 が 最 盛 期 8、 水 イ カ 引 漁 業 9、 ク サ ビ 釣 漁 業 10、 延 縄 漁 業 そ の ほ か に 田 中 氏 は、 ア マ ノ リ、 ワ カ メ、 天 草、 ヒ ジ キ、 フ ノ リ、 カ ジ メ、 ア オ サ な ど の 海 草 の 採 取、 サ ザ エ、 ア ワ ビ、 ナ マ コ、 雲 丹 の 採 取、 タ コ つ ぼ 漁 業、 四 ッ 張 漁 業 ( 四 ッ 張 網 で カ ジ キ リ を と る) な ど も 追 加 し て い る。 さ て、 右 の 記 事 は 昭 和 四 十 一 年 時 点 で 行 な わ れ て い た す べ て の 漁 法 を 網 羅 し た も の で あ る が、 そ の 時 点 で す で に 廃 れ て い た 漁 法 と し て、 か つ て 佐 野 組 か ら ひ き つ い だ 鰯 網 ( 地 曳 網) が あ る。 そ の ほ か、 大 正 三 年 に 佐 賀 県 波 多 津 の 吉 屋 常 蔵 が 唐 洲 に 来 て、 同 十 二 年 ま で キ ビ ナ ゴ の 網 漁 を 行 な っ て い た。 こ の 網 は そ の 後、 唐 洲 の 田 中 良 次 郎 が 大 改 良 を 加 え、 ひ き つ づ き 戦 後 ま で 行 な わ れ た。 昭 和 四 十 一 年 時 点 で は、 キ ビ ナ ゴ の 回 遊 が と ま っ て、 網 は 妙 見 の 倉 庫 に 眠 っ て い る。 廻 に も キ ビ ナ ゴ 網 が あ っ た が、 唐 洲 か ら の 影 響 に よ る も の な の だ ろ う。
五、 廻 に お け る 生 活 の 共 同 私 は、 調 査 員 の 宿 舎 が 廻 に あ っ た 関 係 で、 古 老 た ち か ら 聞 き と り 調 査 を す る 機 会 が い き お い 廻 に 偏 し て し ま っ た こ と を 反 省 し て い る。 廻 の 古 老 た ち か ら、 部 落 の 諸 事 情 に つ い て 聞 き と り を し な が ら と く に 印 象 深 か っ た こ と は、 生 活 の 共 同 の 強 さ に 関 し て で あ っ た。 そ の さ い、 私 は 一 方 的 に、 唐 洲 に な く て 廻 に だ け あ る こ と し か 聞 き と っ て お ら な い。 こ れ は い か に も 片 手 落 ち で あ る。 私 は 唐 洲 の 古 老 た ち か ら も、 部 落 の 生 活 の 共 同 の あ り 方 に つ い て、 廻 に な く て 唐 洲 に の み あ る い ろ い ろ の 機 会 に つ い て 聞 き と る べ き で あ っ た。 そ う し た 反 省 を も ち な が ら、 い ち お う 廻 に あ っ て 唐 洲 に な い 生 活 の 共 同 の 緊 密 さ を 示 す 諸 事 例 に つ い て 述 べ て お き た い。 は じ め に、 少 し 古 い と こ ろ で、 廻 の 地 割 制 度 の 廃 止 の 時 期 か ら た ど っ て み よ う。 思 う に、 地 割 制 度 は、 領 主 側 が 最 大 限 度 の 祖 税 徴 集 を 期 待 す る と い う 政 治 的 意 図 に 発 す る も の と さ れ て い る。 し か し、 そ れ を 受 け と め る 納 税 側 の 農 民 の 立 場 か ら す る と、 地 割 制 度 と は、 同 じ 祖 税 額 を 負 担 す る 以 上、 土 地 所 有 に つ い て 不 公 平 感 を 極 小 に し よ う と す る、 均 産 的 意 図 L ( 織 田 武 雄) が 強 く は た ら い て い た こ と に な る。 耕 地 ・ 山 林 を こ ま ぎ れ に 分 割 し、 そ れ を 組 み 合 せ て ﹁ 一 株 ﹂ ( 一 戸 前) と し た の は、 こ の 不 公 平 を 除 去 す る た め の 入 念 な 産 物 で あ る。 廻 に お い て も、 対 馬 の 他 の 村 々 と 同 じ よ う に、 私 有 地 を も つ 士 族 を 除 い て、 農 中 の 間 に 地 割 制 度 が 長 く 行 な わ れ て き た が、 た だ、 そ の 廃 止 の 時 期 が 比 較 的 新 し い と い う 点 が 特 徴 的 で あ る。 こ こ で は、 共 有 地 の 個 人 分 割 が 田 畑 ・ 山 林 で 別 々 の 時 期 に 行 な わ れ て い る。 す な わ ち、 一 般 の 対 馬 の 村 々 で は、 個 人 分 割 へ の 移 行 が 明 治 時 代 に 行 な わ れ た の に 対 し て、 廻 で は、 水 田 が 昭 和 五-六 年、 山 林 が 大 正 三 年 頃、 畑 は そ れ ら よ り 早 い 時 期 に な さ れ て い た。 私 有 地 へ の 移 行 が お く れ た の は、 廻 が 対 馬 の う ち で も 最 も 交 通 不 便 の 僻 村 だ っ た の で、 そ れ だ け 藩 制 時 代 の 遺 制 が 長 く 維 持 さ れ た か ら だ と 思 う。 右 の 耕 地 の 共 有 ・ 割 替 に 共 通 す る 均 産 的 意 図 は、 現 在 で も な お 一 部 残 っ て い る。 織 田 教 授 ら は、 昭 和 二 十 六 年 当 時 の わ か め、 ふ の り、 ひ じ き、 て ん ぐ さ 等 の 海 草 の 採 取 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る。 ﹁ 磯 の 口 明 け の 日 は 一 定 せ ず、 当 日 の 朝 突 然 役 人 が ふ れ 歩 い 対 馬 の 廻 ・ 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 て は じ め て 採 藻 に と り か か る。 こ れ は 抜 け が け に よ る 不 公 平 の な い よ う に す る た め で、 各 戸 か ら 差 出 す 採 藻 者 数 も、 わ か め な ら 男 女 各 一 名、 あ ま の り、 て ん ぐ さ な ら 女 一 名 と い う ふ う に 制 限 さ れ、 家 族 全 員 出 る こ と が で き る の は う に 取 り の 時 だ け で あ る。 そ し て 採 取 物 は 全 部 村 に 納 め、 そ の 利 益 は 各 戸 平 等 に 分 配 さ れ て い る L と。 こ の 海 草 の 採 取 の や り 方 は、 ま さ に 申 し 分 の な い 公 平 さ を 実 現 し た も の で あ る。 現 在、 廻 の 海 草 採 取 は お も に ひ じ き で あ る。 昨 年 は ひ じ き の 共 同 採 取 に 一 戸 か ら 女 性 一 人 ず つ 出 て 漁 労 に 当 た っ て い る。 そ の 漁 協 へ の 売 渡 金 は 約 五 百 万 円 で あ っ た。 こ の 売 上 金 の う ち 百 五 十 万 円 は 部 落 会 費 と し て 収 め、 残 り 三 百 五 十 万 円 は 三 十 五 戸 か ら 三 十 五 人 の 参 加 者 に 十 万 円 ず つ 分 配 し て い る。 こ う し た 海 草 や サ ザ エ な ど の 共 同 採 取 は 唐 洲 で も 行 な わ れ て お り、 部 落 経 費 約 二 百 万 円 は そ れ に よ っ て ま か な わ れ て い る。 さ て、 廻 に あ っ て は、 す で に 述 べ た よ う に、 各 集 団 の 会 合 は ひ ん ぱ ん で あ り、 し か も そ の 出 席 率 が 極 め て 高 い と い う こ と は、 隣 の 唐 洲 と は 異 な る 特 徴 で あ る。 部 落 で 何 か 新 た に 事 が 行 な わ れ る と な る と、 前 も っ て 必 ず 集 会 が あ っ て 意 見 が と り か わ さ れ て い る。 昔 も 今 も 変 わ り な く、 ﹁ 廻 評 議 ﹂ は 健 在 な の で あ る。 ま た、 唐 洲 の 青 年 団 は 数 年 前 に 解 散 と な っ た が、 廻 の ば あ い は、 女 性 メ ン バ ー 三-四 名 を 加 え て 約 二 十 名 お り、 現 在 も 溝 掃 除 そ の 他 の 美 化 活 動 を 行 な っ て い る。 私 は 今 ま で に、 対 馬 の 村 落 四 十 数 部 落 に 足 を 踏 み 入 れ て 調 査 を 行 な っ て き て い る が、 世 帯 数 四 十 あ ま り の 部 落 で 青 年 団 が 健 在 で あ り、 女 子 部 員 が い る と こ ろ は な か っ た。 ち な み に、 未 婚 ・ 既 婚 を 含 め て、 廻 の 二 十 歳 代 の 男 子 十 一 人、 女 子 七 人、 計 十 八 人 で あ る の に 対 し、 唐 洲 で は 男 子 七 人、 女 子 四 人、 計 十 一 人 で あ る。 都 市 に 居 住 し て い る と、 巷 に 若 い 未 婚 の 男 女 が あ ふ れ て い る の で 改 め て 考 え て み る こ と も な い の だ が、 彼 ら が 村 に い な く な る こ と は 村 の 活 力 に 大 き な 影 響 を 及 ぼ す。 未 婚 の 男 女 が お れ ば こ そ 結 婚 式 も あ り、 彼 ら が 結 婚 す れ ば こ そ 誕 生 祝 い も あ る の で あ る。 若 者 は 若 者 ど ち で あ り、 彼 ら は 同 じ 年 齢 仲 間 の い な い 場 所 に は 住 み き れ な い。 若 者 が お ら ず、 結 婚 式 も 誕 生 祝 い も な く、 路 上 を か け ず り 回 る 子 供 の 姿 を み な い こ と は わ び し い こ と で あ る。 青 年 は ま た、 村 落 の 伝 統 行 事 の 担 い 手 で あ る。 た と え ば、
か っ て は 対 馬 の 多 く の 村 々 で 行 な わ れ、 現 在 は ほ と ん ど 廃 れ て き て い る 伝 統 的 な 盆 踊 り に し て も、 戦 後 一 度 の 中 断 も な く 現 在 ま で 廻 で 行 な わ れ て い る の は、 対 馬 で は 稀 有 の こ と で あ る。 盆 踊 は、 廻 で も 唐 洲 で も、 毎 年 の 中 学 卒 業 者 を も っ て 最 若 年 と し、 彼 ら を 入 れ て 十 二 人 に よ る 踊 り 子 に よ っ て 行 な わ れ る。 そ の 指 導 に 当 た る の は、 新 規 の 踊 り 子 の 加 人 に よ っ て 踊 り 組 を 卒 業 し た 者 を 年 齢 の 下 限 と す る 何 名 か の 師 匠 で あ る。 こ の 盆 踊 は 唐 洲 で は、 戦 後 の 一 時 期 中 断 さ れ て い た し、 最 近 も 行 な わ れ た り、 行 な わ れ な か っ た り で あ る。 こ の 盆 踊 り は、 お 盆 の 前 約 一 カ 月 間 に わ た っ て、 師 匠 た ち の 指 導 の も と、 極 め て 厳 格 に 仕 込 ま れ る。 対 馬 で 何 か の 宴 席 が あ る と、 年 配 層 の 男 性 が 昔 と っ た 杵 柄 よ ろ し く 盆 踊 の 所 作 を 披 露 し て く れ る こ と が あ る。 何 年 間 も の 厳 し い 年 期 が 入 っ て い る だ け に、 腰 が ぴ っ た り と 決 ま っ て 中 々 見 事 な も の で あ る。 さ ら に、 若 者 た ち が 多 い こ と は、 部 落 の 年 齢 集 団 に は ず み を 持 た せ る も の で あ る。 廻 部 落 に は、 子 供 会、 青 年 団、 親 和 会、 老 人 部 ( 六 十 五 歳 以 上) が 健 在 で あ る。 親 和 会 と い う の は 壮 年 部 の こ と で あ り、 以 前 は 老 人 部 と 合 体 し て い た の だ が、 昭 和 四 十 三 年 頃 か ら 分 離 し た。 老 人 部 で は、 彼 岸 ・ 盆 ・ 暮 な ど 年 間 六 回 墓 掃 除 を 行 な っ て お り、 ま た、 部 落 で 山 の 中 腹 に 造 成 し た 広 場 で ゲ ー ト ボ ー ル に 興 じ て い る。 廻 の 年 齢 集 団 に、 も し 子 供 会 と 壮 年 会 だ け あ っ て 青 年 団 が な け れ ば 歯 の 抜 け た 年 齢 集 団 と し て ほ か の 年 齢 集 団 の 存 立 に 大 き な マ イ ナ ス 効 果 を 及 ぼ す こ と は 必 定 で あ る。 次 に、 廻 の 年 中 行 事 の う ち か ら、 年 始 廻 り を 選 ん で 述 べ て の り と お こ う。 こ こ で は、 年 始 廻 り の こ と を ﹁ 祝 詞 に 回 る ﹂ と い う。 多 く の 家 々 で は、 元 日 に は、 い つ 何 人 の 客 が 祝 詞 に 回 っ て き て も す ぐ に お 膳 が 出 せ る よ う に し て お く。 元 日 早 朝、 連 判 (後 述) は す べ て 氏 神 へ 詣 っ て お 神 酒 を 頂 だ い す る。 一 昨 年 ま で は、 そ の あ と、 元 日 は 区 長 宅 を 表 敬 訪 問 し て 饗 応 に あ ず か り、 つ づ い て 日 頃 世 話 に な っ て い る 人 の 家 々 を 回 っ て い た。 若 者 た ち と し て は 青 年 団 長、 消 防 団 長 の 家 な ど を 表 敬 訪 問 す る。 次 の 日 二 日 に は、 町 会 議 員 宅 を 表 敬 訪 問 し て 饗 応 を 受 け る な ら わ し で あ っ た。 と こ ろ が、 昨 年 か ら、 元 日 に 区 長 と 議 員 宅 双 方 を 表 敬 訪 問 し、 一 日 で 終 え る こ と に 改 正 と な っ た。 次 い で、 廻 に お い て 紹 介 し て お き た い こ と は 連 判 制 で あ る。 連 判 と い う の は、 部 落 に お け る 一 家 の 公 的 代 表 者 の こ と く や く で あ り、 村 仕 事 で あ る 公 役 は も と よ り、 結 婚 式 ・ 葬 式 ・ 法 要 ・ 対 馬 の 廻。 唐 洲 両 部 落 の 調 査 研 究 ( そ の 二)
密 教 文 化 村 寄 り な ど に 出 席 す る。 廻 に 限 ら ず 対 馬 の か な り の 村 々 で、 そ れ ま で 村 の 公 的 代 表 者 で あ っ た 父 親 が 息 子 に そ の 地 位 を 譲 る 時 期 が 早 い こ と が 注 目 せ ら れ る。 廻 で は、 息 子 ( 長 男) は 中 学 校 を 卒 業 す る 年 の 一 月 四 日、 そ れ ま で 連 判 だ っ た 父 親 に 伴 な わ れ、 お 神 酒 一 升 を 提 げ て、 披 め の 寄 合 の 席 に 出 向 い て い く。 そ こ で、 父 親 か ら 村 の 衆 に 対 し て、 本 日 を も っ て 自 分 に 代 っ て 息 子 が 連 判 入 り す る の で よ ろ し く と 紹 介 さ れ る。 そ れ を き っ か け に、 父 親 は 公 的 な 一 家 の 代 表 者 と し て の 資 格 を 義 務 教 育 を 終 え る ば か り の 長 男 に 委 譲 す る。 連 判 を 譲 ら れ た 息 子 と し て は、 病 気 そ の 他 特 別 の 事 情 が な い か ぎ り、 村 の 公 的 な 用 務 に 代 人 の 出 席 を 頼 む こ と は 原 則 と し て 認 め ら れ な い。 こ の 点 が、 隣 の 唐 洲 の ば あ い よ り も 厳 重 に 守 ら れ て い る。 隣 り の 唐 洲 で は 連 判 制 の こ と を 本 派 制 と い っ て お り、 美 津 島 町 尾 崎 で は ﹁ 等 級 制 度 ﹂、 上 対 馬 町 の 唐 舟 志 で は ﹁ 本 人 制 度 ﹂ と い い、 類 似 の 制 度 は 他 の 村 々 に も な お 存 在 し て い る。 し か し、 廻 の 連 判 制 と い う 呼 称 自 体、 か の 連 判 状 を 連 想 さ せ、 い さ さ か 悲 壮 感 を た だ よ わ せ て い て、 そ れ が 成 立 し た 当 時 の 雰 囲 気 を 今 に 伝 え て い る。 そ れ だ け で は な い。 廻 独 特 の 制 度 と し て、 女 性 に も 連 判 制 が あ る。 長 男 に 嫁 を 迎 え る と、 母 親 は 連 判 を 新 し い 嫁 と 交 代 す る。 廻 で は、 連 判 の こ と を 別 に ﹁ 当 た り 前 ﹂ と も い う が、 こ の い い 方 は 唐 舟 志 に も あ っ た。 な お、 こ れ は 廻 の 区 長 と 唐 洲 の 区 長 に 会 っ て の 主 観 的 な 私 の 印 象 に す ぎ な い が、 前 者 に あ っ て は 部 落 の 衆 望 を 一 身 に 担 っ て 強 力 な 権 限 を 付 与 さ れ て い る と い う 自 信 の よ う な も の が 感 じ ら れ た が、 後 者 で は そ れ ほ ど の こ と を 感 じ な か っ た。 こ の こ と は、 廻 の 評 議 員 ( 五 名) に つ い て も 同 様 で あ っ た。 ち な み に あ る 古 老 は、 毎 年 二 名 ず つ 割 り あ て ら れ る 水 口 番 の 選 定 に つ い て は、 一 月 四 日 に 区 長 ら の 初 山 入 り の あ と で ﹁ 区 長 か ら お 達 し が あ る ﹂ の だ と 話 し た。 ま た、 他 の 古 老 は、 ﹁ 区 長 が 宴 席 で 酒 を の ん で い る か ぎ り、 下 役 は 区 長 に 相 談 事 を 持 ち か け て は な ら な い。 相 談 事 が あ る な ら、 区 長 が 酒 席 を 起 ち 自 宅 へ 帰 り つ い た と こ ろ を 見 届 け て、 ﹃ 明 日 の 仕 事 の 手 順 は ど う な さ い ま す か ﹄ と 切 り 出 す も ん だ ﹂ と 語 っ た。 こ の 古 老 は 四 十 歳 代 の 区 長 の こ と を い う の に、 ま さ に 敬 語 を 使 わ ん ば か り で あ っ た。 そ の ほ か、 廻 で は、 納 税 の 完 納 が 明 治 時 代 か ら 豊 玉 町 第 一 で あ る こ と が 自 慢 で あ る。 ま た、 廻 の 田 は 江 戸 時 代 の 後 半、