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密教研究 Vol. 1940 No. 74 001栂尾 祥雲「密教教典と護国思想 P1-21」

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栂 尾 祥 雲 一 序 こ の 「密 教 の 護 國 思 想 號 」 を 發 刊 す る に つ き 、 「 密 教 經 典 と 護 國 思 想 」 と い ふ 課 題 の も と に 、 一 文 を 草 す る や う に と の 委 囑 を う け た の で あ る 。 思 ふ に 密 教 經 典 の 如 何 な る も の に 、 果 し て 護 國 思 想 が 強 調 せ ら れ て ゐ る の か 、 ま た 護 國 思 想 と い つ て も 、 顯 教 經 典 と 密 教 經 典 と で は 、 自 か ら そ の 立 場 が 異 な り 、 各 々 に そ の 内 容 が 違 つ て 居 る べ き 筈 で あ る 。 そ こ で 、 こ の 密 教 經 典 に ・於 け る 護 國 思 想 の 特 質 を 明 に す る こ と が 、 こ の 課 題 の 狙 ひ 所 で あ る ら し い 。 そ れ に し て も 、 佛 教 本 來 の 立 場 か ら し て 、 如 何 に し て 護 國 思 想 な ど い ふ や う な も の が 、 発 生 し て 來 た か と い ふ こ と を 、 一 應 は 検 討 し て 見 る 必 要 が あ る . こ れ 佛 教 は 元 來 が 個 人 の 解 睨 を 立 脚 黙 と し て 居 る の で あ る か ら 、 國 家 な ど い ふ こ と は 、 念 頭 に な か つ た 筈 で あ る 。 從 つ て 原 始 佛 教 の 教 團 で は 、 そ の 教 團 人 た る 出 家 沙 門 は 世 俗 を 超 越 せ ね ば な ら ぬ と し 、 國 王 や 大 臣 、 並 に 武 器 や 戰 争 な ど の 物 語 を し て は な ら ぬ と 禁 制 せ ら れ て 居 る の で あ る 。 し か し 、 佛 陀 と い つ て も 佛 教 と い つ て も 、 國 家 の 中 に 生 き 、 國 家 の 中 に 発 達 し た の で あ る か ら 、 こ の 國 家 を 無 覗 し こ れ を 度 外 視 し て は 、 ま た 生 存 す る こ と が 出 來 な か つ た に 違 ひ な い 。 さ れ ば こ そ 、 佛 は 時 と し て 國 王 を 教 化 し 、 こ れ に 對 し て 、 國 王 の 遵 守 す べ き 道 や 、 政 道 の 如 何 な る も の な る か 等 を も 説 き 、 こ れ を 編 成 し た 經 典 も 少 く な い の で あ る 密 教 經 典 と 護 國 思 想 一

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密 教 縫 典 と 護 國 思 想 二 す な は ち 一 諌 王 經 一 巻 劉 宋 沮 渠 京 聲 譯 ( 大 正 一 四 、 七 八 五 頁 ) 二 佛 爲 勝 光 天 子 説 王 法 經 一 巻 唐 義 淨 課 (大 正 一 五 、 一 二 五 頁 ) 三 佛 爲 優 填 王 説 王 法 政 論 經 一 巻 唐 不 空 課 (大 正 十 四 、 七 九 七 頁 ) な ど が そ れ で あ る 。 さ ら に 進 ん で は 、 國 家 は そ こ に 佳 す る 衆 生 の 共 業 所 感 な る こ と 、 懴 悔 滅 罪 の 法 に よ り て 種 々 の 災 厄 を 免 れ 得 る こ と 正 法 の 履 行 せ ら る ゝ 國 家 に は 幽 冥 界 の 鬼 神 も こ れ を 擁 護 す る こ と 、 等 の 思 想 が 醍 醸 さ れ 、 こ れ 等 の 思 想 が 互 に 融 合 し て 成 立 し た も の が 、 一 佛 読 仁 王 般 若 波 羅 蜜 經 二 巻 羅 什 譯 (大 正 八 、 八 二 五 頁 ) 二 金 光 明 經 四 巻 北 涼 曇 無 識 課 (大 正 一 六 、 ﹂三 三 五 頁 ) 三 佛 説 孔 雀 王 咒 經 三 巻 梁 僧 伽 婆 羅 譯 (大 正 一 九 、 四 四 六 頁 ) 等 の 經 典 で あ る 。 こ れ 等 の 經 典 は 護 國 の 經 典 と し て 、 已 に 盛 ん に 支 那 に 於 て 用 ひ ら れ 、 特 に 我 國 に 於 て は 、 こ れ 等 の 護 國 經 典 に 基 き て 、 國 分 寺 や 國 分 尼 寺 が 國 々 に 建 立 せ ら れ 、 ま た 仁 王 會 と か 最 勝 會 と か い ふ 如 き 勅 會 ま で が 修 せ ら れ こ れ 等 經 典 の 信 仰 が 全 國 を 風 靡 し た の で あ る 。 印 度 に 於 て 、 正 純 密 教 が 成 立 す る や 、 上 掲 の 此 等 の 經 典 を 密 教 の 立 場 か ら 再 検 討 し 、 更 に 新 し き 機 構 の も と に 編 成 せ ら れ た の が 、 密 教 の 護 國 經 典 で あ る 。 そ の 護 國 經 典 も 不 空 三 藏 の ﹃ 表 製 集 ﹂ 第 三 ( 大 正 五 二 、 八 四 〇 頁 ) な ど に よ る と 、 不 空 の 課 せ る ﹃ 金 剛 頂 瑜 伽 眞 實 攝 經 ﹄ 等 の 七 十 七 部 一 百 一 巻 は 、 何 れ も 上 、 邦 國 を 資 け 、 災 厄 を 息 滅 す る た め の 經 典 だ

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と い つ て 居 る け れ ど も 、 弘 法 大 師 の ﹁ 國 家 の お ん た め に 修 法 せ ん と 請 ふ 表 ﹂ に よ る と 、 仁 王 經 、 守 護 國 界 主 經 、 佛 母 明 王 經 等 の 念 誦 法 門 が 掲 げ ら れ て ゐ る 。 こ の 大 師 の 提 撕 に 基 き 、 密 教 に 於 け る 護 國 經 典 の 主 要 な る も の を 擧 げ る と 、 左 の 通 り で あ る 。 一 佛 母 大 孔 雀 明 王 經 三 巻 不 空 譯 (大 正 一 九 、 四 一 五 頁 ) 二 佛 説 大 孔 雀 明 王 書 像 壇 場 儀 軌 一 巻 不 空 譯 (大 正 一 九 、 四 三 九 頁 ) 三 仁 王 護 國 般 若 波 羅 蜜 多 經 二 巻 不 空 譯 (大 正 八 、 八 三 四 頁 ) 四 仁 王 護 國 般 若 波 羅 蜜 多 經 陀 羅 尼 念 諦 儀 軌 一 巻 不 空 譯 (大 正 一 九 、 五 一 三 頁 ) 五 仁 王 般 若 念 諦 法 一 巻 不 空 譯 (大 正 一 九 、 五 一 九 頁 ) 六 守 護 國 界 主 陀 羅 尼 經 十 巻 般 若 ・ 牟 尼 室 利 共 譯 ( 大 正 一 九 、 五 二 五 頁 ) 註 ① 國 課 大 藏 經 論 部 第 十 四 春 、 大 品 二 三 〇 頁 參 照 の こ と 。 ② ﹃ 性 霊 集 ﹄ 第 四 ( 大 師 全 集 第 三 輯 四 三 六 頁 ) 參 照 の こ と 。 二 孔 雀 經 に 基 く 護 國 思 想 先 づ ﹃ 孔 雀 經 ﹄ の こ と か ら 檢 討 す る こ と に す る 。 大 師 が ﹃ 佛 母 明 王 經 ﹂ と い ふ の は 、 こ の ﹃ 孔 雀 經 ﹄ の こ と で 、 こ れ こ の 經 を 詳 し く は ﹃ 佛 母 大 孔 雀 明 王 經 ﹂ と 稻 す る が 故 で あ る 。 こ の ﹃ 孔 雀 經 ﹄ も こ れ を 經 典 発 達 史 か ら 見 る 限 り 、 帛 尸 梨 蜜 多 羅 や 羅 什 な ど に よ り て 譯 せ ら れ た る 不 完 全 な 一 巻 本 が 漸 次 増 大 し て 、 梁 の 僧 伽 婆 羅 に よ り て 譯 せ ら れ た 二 巻 本 と な り 、 更 に 唐 の 義 淨 や 不 空 に よ り て 譯 せ ら れ た る 三 巻 本 に ま で 發 達 し て 來 た の で あ る 。 密 教 趣 典 と 護 國 思 想 三

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密 教 經 典 と 護 國 思 想 四 そ の 内 容 と し て は 、 莎 底 な る 一 比 丘 が 毒 蛇 に 噛 ま れ て 、 地 上 に 悶 絶 し た る 時 、 佛 こ れ を 救 護 す る た め に 、 大 孔 雀 佛 母 大 陀 羅 尼 を 説 き 、 こ れ を 誦 持 す る こ と に よ り て 、 た ゞ に 蛇 毒 を 治 す る の み で な く 、 あ り と あ ら ゆ る 災 厄 疾 病 等 の 一 切 の 苦 を 除 滅 す る こ と が 出 來 る と て 、 全 く 語 學 的 意 義 を 超 越 せ る 伊 賦 尾 賦 等 の 語 か ら 成 立 せ る 陀 羅 尼 明 咒 を 宣 示 し 、﹁ 若 し 大 早 の 時 は 願 天 降 雨 と 云 ふ べ し ・ 若 し 大勞 の 時 は 願 天 止 雨 と い ふ べ し 。 若 し 兵戈 、 盗 賊 疫 病 流 行 、 饑 饉 、 變 異 、 及 び 餘 の 厄 難 あ ら ば 、 事 に 随 つ て 陳 説 し て 、 一 心 に 求 請 せ よ 、 意 に 随 は す と 云 ふ こ と な し ﹂ と 註 せ ら れ て 居 る 。 さ ら に 巴 利 經 典 に 於 け る 一、 大 孔 雀 本 生 物 語 」 な ど を 攝 取 し 、 昔 し 佛 が 金 耀 孔 雀 王 と し て 、 雪 山 の 南 面 に 佳 し た り し 時 わ な 毎 朝 毎 夕 、 そ の 身 の 安 全 を 所 つ た 陀 羅 尼 と か 、 ま た 獵 師 の 羅 に か ゝ り た る 時 、 そ れ を 脱 す る た め の 陀 羅 尼 と か 、 そ の 他 、 種 々 の 陀 羅 尼 を 説 き 、 人 若 し こ れ を 誦 持 せ ば 、 如 何 な る も の も こ れ を 苦 し め 、 こ れ を 悩 ま す こ と が 出 來 な い と し 世 界 至 る 所 に 住 在 す る 諸 天 鬼 神 も 、 こ の 陀 羅 尼 を 誦 持 す る 人 を 擁 護 し 、 そ の 壽 百 歳 な る こ と が 出 來 る 等 と 説 い て あ る 。 こ れ が 何 故 に 護 國 經 典 に な る の か と 云 ふ と 、 大 早 大勞 、 盗 賊 變 亂 等 凡 そ 天 下 の 大 事 と 目 す べ き 災 厄 は 悉 く こ れ に よ り て 除 却 し 、 國 家 を 安 穏 に 鎭 護 す る こ と が 出 來 る と の 思 想 に 基 く の で あ る 。 か ゝ る こ と よ り し て 、 こ の ﹃ 孔 雀 經 ﹄ は 印 度 に 於 て も 盛 ん に 行 は れ 、 義 淨 三 藏 に よ る と 、 ﹁ こ の 經 は 大 神 力 あ り て 、 求 む る 者 み な 験 あ り 、 五 天 の 地 、 南 海 の 十 洲 、 及 び 北 方 土 貨 羅 等 の 二 十 餘 國 、 道 俗 を 問 ふ こ と な く 、 大 乗 小 乗 皆 共 に 尊 敬 し 讃 誦 す 。 求 請 す る も の 威 く 福 利 を 蒙 り 、 交 報 虚 し か ら す ﹂ と 説 い て あ る , し か し 、 嚴 密 に 云 ふ と 、 こ れ は 鬼 神 崇 拝 、 若 く は 咒 力 信 仰 に 基 く 一 種 の 魔 術 的 宗 教 と も 云 ふ べ き も の で 、 発 達 せ る

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精 神 的 な 宗 教 で も な く 、 解 脱 を 目 的 と す る 佛 教 で も な く 、 全 く 印 度 の 民 族 信 仰 に 外 な ら な い と も 見 ら れ 得 る の で あ る 。 か ゝ る 低 級 信 仰 を 淨 化 し 精 神 化 す る に 正 純 密 教 を 以 て し た も の が 、 不 空 譯 の ﹃ 大 孔 雀 明 王 書 像 壇 場 儀 軌 ﹄ で あ る 。 こ の 儀 軌 は 一 切 を 大 日 遍 照 の 内 容 と し て 、 こ れ を 生 か し こ れ を 育 て る 正 純 密 教 の 立 場 か ら 、 こ の 咒 力 信 仰 と し て の ﹃ 孔 雀 王 咒 經 ﹄ を 再 檢 討 し 、 こ れ に 密 教 的 生 命 を 賦 與 し た も の で あ る 。 從 つ て 、 こ の 儀 軌 に は 、 そ の 劈 頭 に 於 て ﹁ 諸 の 世 間 に あ ら ゆ る 災 禍 逼 悩 、 刀 兵 、 饑 饉 、 充 旱 疾 病 、 四 百 四 病 、 憂 悩 闘 諍 、 及 び 、 八 萬 四 千 の 鬼 魅 あ り て 有 情 を 撓 惱 し 、 求 む る 所 の 世 間 出 世 間 の 勝 願 多 く 障 礙 あ る こ と は 、 皆 無 始 巳 來 の 貧 愛 無 明 、 虚 妄 分 別 の 三 毒 煩 悩 あ り て 實 相 を 了 せ ざ る に 由 る ﹂ と 説 き 、 正 純 密 教 に 基 く 内 外 一 體 、 依 正 一 如 の 實 相 を 了 せ し む る た め に は 、 そ の 實 相 世 界 を 曼 茶 羅 と し て 表 現 し 、 孔 雀 明 王 と い ふ も 、 そ の 實 相 世 界 の 功 徳 相 を 示 し た も の に 過 ぎ な い こ と を 體 解 し 味 得 せ し め ね ば な ら ぬ と の 上 よ り 、 こ の 儀 軌 に は 孔 雀 明 王 の 書 像 壇 場 を 施 設 す る こ と に し て あ る の で あ る 。 す な は ち 、 そ の 書 像 は ﹁ 白繒 の 輕 衣 を 纏 ひ 、 頭 冠 瓔 珞 、 耳 瑠 、 臂 釧 を も つ て 種 々 に 荘 嚴 し 、 金 色 の 孔 雀 王 に 乗 り 、 白 蓮 華 上 或 は 青 蓮 華 上 に 結 跏 趺 坐 し て 慈 悲 に 住 し 給 ふ 。 四 臂 あ り て 、 右 邊 の 第 一 手 に は 開 敷 蓮 華 を 、 そ の 第 二 手 に は 倶 縁 果 ( 柚 子 ) を 、 左 邊 の 第 一 手 は 胸 に 當 て ゝ 掌 に 吉 群 果 を 、 第 二 手 に は 三 五 莖 の 孔 雀 の 尾 を 持 つ ﹂ て 居 る 。 こ れ は 心 蓮 を 開 敷 し さ へ す れ ば 、 ﹃ 孔 雀 王 經 ﹄ に 説 け る 如 き 物 質 的 若 く は 精 神 的 の 吉 群 の 果 實 を 把 握 し 得 る こ と を 示 し た も の ら し い こ れ 正 純 密 教 の 立 場 か ら す る と 、 精 神 と 物 質 と は 一 如 で あ り 、 内 と 外 と は 不 二 の も の な る が 故 で あ る 、 元 來 、 蛇 毒 若 く は こ れ に 類 す る 種 々 の 災 厄 を 治 す る た め の 明 咒 を 孔 雀 明 王 と 名 く る こ と は 、 こ れ こ の 孔 雀 鳥 が 蛇 を 密 教 纒 典 と 護 國 思 想 五

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密 教 經 典 と 護 國 思 想 六 捕 食 す る も の な る が 故 で あ る そ れ が 一。 大 孔 雀 本 生 物 語 ﹂ な ど を 經 て 、 太 陽 崇 拝 と 關 連 し 、 特 に 太 陽 を 以 て 金 羽 鳥 と す る 吠 陀 思 想 な ど に 影 響 さ れ 、 金 羽 鳥 た る 金 色 の 孔 雀 鳥 王 そ の ま ゝ が 太 陽 と 同 一 視 せ ら れ 、 惹 い て は 太 陽 に そ の 名 を 得 た る 大日 如 來 と し て の 金 輪 佛 頂 と 同 一 體 と い ふ こ と に な つ て 來 た の で あ る 。 こ れ を 酉 藏 の 書 像 に 徴 す る に 、 吉 祥 菓 の 外 に 、 金 輪 や 白 傘 蓋 等 を 執 持 せ る 八 臂 の 孔 雀 明 王 が あ り 、 亮 尊 の ﹃ 自 寳 口 抄 ﹄ に よ る と 、 我 國 に も 左 邊 の 第 一 手 に は 金 輪 、 第 二 手 に は 寳 馬 頭 、 右 邊 の 第 一 手 に は 孔 雀 尾 、 第 二 手 に は 吉 祥 果 を 執 持 せ る 四 臂 の 孔 雀 明 王 像 を 説 け る ﹃ 大 孔 雀 王 天 秘 要 法 ﹄ が 傳 つ て 居 る 。 こ の 四 臂 像 を 亮 尊 は 説 明 し 、 ﹁ こ の 尊 が 倶 縁 果 (柚 子 ) を 除 い て 金 輪 を 持 て る こ と は 、 こ れ こ の 孔 雀 明 王 は 一 字 金 輪 と 同 體 の 義 な り ﹂ と い つ て 居 る 。 こ の 金 色 孔 雀 鳥 王 が た ゞ に 太 陽 と 同 視 せ ら る ゝ の み で な く . 更 に 進 ん で 、 佛 頂 尊 と 合 一 し た る 所 以 如 何 と い ふ に 、 こ れ ( の 佛 頂 が 種 々 の 光 明 の 根 源 と し て 、 全 く 太 陽 に 類 似 す る が 故 で あ る ら し い 。 こ の こ と は ﹃ 觀 佛 三 昧 海 經 ﹄ 第 三 に 於 て 、 ﹁ 佛 頂 の 肉 髪 よ り 萬 億 の 光 を 生 す 、 光 々 相 次 い で 、 乃 ち 上 方 無 量 世 界 に 至 り 、 諸 天 世 人 、 十 地 の 菩 薩 も ま た 見 る こ と 能 は ず ﹂ 等 と あ る に よ る も 明 か で あ る 。 こ れ に よ り て こ れ を 考 ふ る に 、 密 教 に 於 け る 孔 雀 明 王 は 、 た ゞ 咒 力 そ の も の と し て の 明 王 で は な く 、 こ れ が そ の ま ゝ 一 切 を 照 ら し 一 切 を 生 か す 根 本 佛 と し て の 大 日 如 來 で あ り 、 即 ち 、 内 外 一 體 、 自 他 一 如 の 實 相 世 界 た る 曼 茶 羅 境 地 に 君 臨 し 給 ふ 天 王 佛 で あ り 、 金 輪 聖 王 で あ り 、 佛 頂 の 如 く に 最 勝 最 尊 の 佛 と し て 、 こ れ を 崇 敬 し 供 養 す る の で あ る 。 さ れ ば こ そ 、 こ の 明 王 の た め に 誦 持 す る 眞 言 の 如 き も 、 正 純 密 教 で は 、 司 孔 雀 經 ﹂ 所 説 そ の ま ゝ の 無 義 を 義 と す る 伊 賦 尾 風 等 の そ れ で は な く 、 庵( 聖 語 ) 、 磨 庚 羅 詑 蘭 帝 孔 雀 鳥 の 超 越 す る も の な き も の よ ) 、 娑 縛 賀 ( 成 就 あ れ )

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の 眞 言 を 以 て す る の で あ る 。 す な は ち 、 ﹁ あ り と あ ら ゆ る 如 何 な る も の も 、 そ れ に 違 越 し 超 越 す る こ と の 出 來 な い 、 最 尊 最 勝 の 孔 雀 鳥 王 よ ﹂ と い ふ 意 味 の 眞 言 な の で あ る 。 勿 論 こ れ は 、 そ の ﹃ 孔 雀 王 經 ﹄ に 於 て 、 如 何 な る 四 百 四 病 も 、 一 切 の 災 厄 も 、 こ の 孔 雀 明 王 の 咒 力 に 違 越 し た り 超 越 し た り す る こ と が 出 來 な い と 云 ふ こ と を 、 至 る 所 に 説 い て あ る の に 曙 示 を 得 た も の ら し い け れ ど も 、 正 純 密 教 に 於 て は 、 こ の 孔 雀 明 王 を 以 て 、 咒 力 王 と し て ゞ は な く 、 最 尊 最 勝 の 大 日 金 輪 佛 頂 を 表 現 す る 聖 語 と し て 、 こ れ を 誦 持 し て 居 る の で あ る 。 す な は ち 、 ﹁ 如 何 な る も の も こ れ に 違 越 し 超 越 す る こ と の 出 來 な い 最 尊 最 勝 の 大 日 金 輪 佛 頂 と し て の 孔 雀 鳥 王 よ ﹂ と い ふ こ と で あ る 。 從 つ て 、 正 純 密 教 に 於 け る こ の 孔 雀 明 王 の 眞 言 が ま た 大 日 金 輪 佛 頂 の 一 字 咒 と 不 可 分 の 關 係 を 有 す る こ と に な り 、 ﹃ 孔 雀 經 法 ﹄ を 修 す る 時 に は 、 こ の 孔 雀 明 王 の 眞 言 の 終 に 、 一 字 咒 の を 加 へ て 、 を 唱 へ る こ と が 、 口 傳 と な つ て 居 り 、 「 一 字 金 輪 法 ﹂ を 修 す る と き に は 、 そ の 一 字 咒 と 共 に 、 こ の 孔 雀 明 王 咒 を 誦 す る こ と に な つ て 居 る の で あ る 。 こ れ を 要 す る に 、 普 通 の ﹃ 孔 雀 王 咒 經 ﹂ そ の も の と し て は 、 一 種 の 鬼 神 崇 拝 、 咒 力 信 仰 の 外 は な い の で あ る け れ ど も 、 正 純 密 教 の 思 想 を 通 す る こ と に よ り て の み 、 そ れ が 淨 化 さ れ 精 神 化 さ れ 、 自 他 不 二 、 物 心 一 如 の 曼 茶 羅 境 地 た る 理 想 國 家 を 此 の 土 の 上 に 建 設 す る た め の 護 國 經 典 と い ふ こ と に な る の で あ る 。 註 ① 不 空 譯 ﹃ 佛 母 大 孔 雀 明 王 経 ﹄ 巻 上 (大 正 一 九 、 四 一 六 頁 下 ) 參 照 。 ② 同 上 書 (大 正 一 九 、 四 一 七 頁 上 ) 參 照 。 ③ 密 教 経 典 と 護 國 思 想 七

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密 教 經 典 と 護 國 思 想 八 ④ 義 淨 譯 ﹃ 佛 説 大 孔 雀 咒 王 經 ﹄ 巻 上 、 (大 正 一 九 、 四 五 九 頁 下 ) 。 ⑤ 大 正 一 九 、 四 三 九 頁 收 載 。 ⑥ ﹃ 佛 説 大 孔 雀 王 書 像 壇 場 儀 軌 ﹄ (大 正 一 九 、 四 三 九 頁 下 ) 參 照 。 ⑦ 同 上 儀 軌 ( 大 正 一 九 、 四 四 〇 頁 上 ) 參 照 。 ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ﹃ 白 寳 口 紗 ﹄ 第 三 十 六 (大 正 圖 像 六 、 五 二 九 頁 ) 參 照 。 ⑫ ⑬ ﹃ 白 賓 口 紗 ﹄第 三 十 六 (大 正 圖 像 六 、 五 二 九 頁 中 ) 參 照 。 ⑭ 大 正 一 五 、 六 五 九 頁 下 參 照 。 ⑮ ﹃ 佛 母 大 孔 雀 王 經 ﹄ 巻 上 (大 正 一 九 、 四 一 六 頁 下 ) 參 照 。 ⑯ ﹃ 大 孔 雀 明 王 書 像 壇 場 儀 軌 ﹄ (大 正 一 九 、 四 四 一 頁 上 ) 參 照 。 ⑰ ﹃ 白 賓 口 抄 ﹄第 三 十 六 (大 正 圖 像 六 、 五 三 〇 頁 下 ) 參 照 。 ⑱ 同 上 書 、 第 二 十 九 (大 正 圖 像 六 、 四 九 一 頁 中 ) 參 照 。 三 仁 王 經 に 基 く 護 國 思 想 古 來 、 ﹃ 仁 王 般 若 經 ﹄ に は 、 西 晋 法 護 譯 の 一 巻 本 と 、 後 秦 羅 什 譯 の 二 巻 本 と 、 梁 朝 眞 諦 譯 の 一 巻 本 と 、 唐 朝 不 空 譯 の 二 巻 本 と の 四 種 が あ る こ と に な つ て 居 る け れ ど も 、 實 際 に 於 て 現 存 す る の は 、 羅 什 譯 と 稱 せ ら る ゝ も の と 、 不 空 譯 と の 二 種 で 、 何 れ も 二 巻 か ら 成 立 つ て 居 る 。

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い ま 羅 什 譯 と 稱 せ ら る ゝ も の に つ き て 、 そ の 經 の 内 容 を 概 言 す る と 、 佛 が 王 舎 城 の 書 閣 崛 山 に 住 せ し 時 、 波 斯 匿 等 の 十 六 大 國 王 も 來 り 會 し 、 こ れ 等 の 國 王 が 何 れ も 如 何 に し て 自 ら の 國 土 を 護 る べ き か の 念 あ る こ と を 察 し 、 こ れ 等 の 國 王 の た め に 、 護 國 の 根 本 義 を 説 い た の が こ の 經 で あ る と 共 に 、 こ れ を 諸 の 國 王 に 附 囑 す る こ と に し て あ る の で あ る 。 そ れ に よ る と 、 國 土 を 擁 護 す る と い つ て も 、 そ の 國 民 の 思 想 が 健 實 で あ り 、 正 純 で な く て は 、 そ の 國 土 を 正 し く 健 か に 榮 え し む る こ と は 出 來 な い と 云 ふ 見 地 か ら 、 こ の 經 で は 、 内 的 即 ち 精 神 的 、 も し く は 主 觀 的 の 護 國 と 、 外 的 即 ち 客 觀 的 護 國 と の 二 つ に 分 ち 、 本 論 六 品 の 中 、 初 の 二 品 は 内 的 護 國 の 旨 趣 を 明 か に し 、 後 三 品 は 外 的 客 觀 的 護 國 の 實 朕 を 説 い た も の で あ る 。 思 ふ に こ の 内 外 二 護 の 思 想 は 、 ﹃ 大 智 度 論 ﹄ な ど に あ る 淨 佛 國 土 の 思 想 に 負 ふ 所 が 多 い ら し い 。 す な は ち 、 「 初 に 身 口 意 の 二 業 を 淨 め て 後 、 佛 土 を 淨 む と な す 。 自 身 淨 け れ ば 亦 他 人 を 淨 む 。 何 を 以 て の 故 に 、 た ゞ 一 人 の み 國 土 の 中 に 生 す る も の に あ ら す 、 み な 共 に 因 縁 を 作 せ ば な り 、 内 法 と 外 法 と は 因 縁 を な し て 、 も し は 善 、 も し は 不 善 た り 。 多 く の か 悪 口 業 の 故 に 地 に 荊 棘 を 生 じ 、 諂 誑 曲 心 の 故 に 地 は 則 ち 高 下 あ り て 平 か な ら す 、 樫 貧 多 き が 故 に 則 ち 水 旱 れ て 調 は す 地 に 沙 礫 を 生 す 。 上 の 諸 悪 を 作 さ ゞ る が 故 に 、 地 は 則 ち 平 正 に し て 多 く 珍 寳 を 出 す 」 等 と あ る 思 想 と 、 全 く そ の 揆 を 一 に す と い つ て よ い の で あ る 。 勿 論 こ の ﹃ 仁 王 般 若 經 ﹄ を 貫 く 護 國 思 想 は 、 内 法 と 外 法 と の 因 縁 に 重 點 を 置 い て 居 る と は 云 へ 、 矢 張 り 鬼 神 崇 拝 な ど の 民 族 信 仰 を 脱 す る こ と が 出 來 な い で 、 そ の 護 國 の 法 用 を 説 く に 當 り て も 、 ﹁ ま さ に 百 の 佛 像 、 百 の 菩 薩 像 、 百 の 羅 漢 像 を 請 し 、 百 比 丘 衆 と 四 大 衆 と 七 衆 と 共 に 、 百 法 師 を 請 じ て 、 般 若 波 羅 蜜 を 講 す る を 聴 く べ し 。 百 師 子 吼 の 局 座 の 前 密 教 紹 典 と 護 國 思 想 九

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密 教 解 典 と 護 國 思 想 一 〇 に は 、 百 燈 を 燃 し 、 百 和 香 を 焼 き 、 百 種 色 華 を 用 ゐ て 三 寳 を 供 養 し 、 三 衣 什 物 を も て 法 師 を 供 養 し 、 小 飯 中 飯 ま た ま た 時 を 以 て せ よ 、 大 王 よ 、 一 日 二 時 に 此 の 經 を 講 讃 せ よ 。 汝 が 國 土 の 中 に 、 百 部 の 鬼 神 あ り 、 こ の一一 の 部 に ま た 百 部 あ り て 、 こ の 經 を 聞 か ん と 樂 ふ 。 こ の 諸 の 鬼 神 は 汝 が 國 土 を 護 る べ し 」 等 と 云 ひ 、 こ の 鬼 神 の 聞 法 を 介 し て の み 初 め て 護 國 の 成 果 を 發 揮 し 得 る こ と に な つ て ゐ る 。 然 る に 正 純 密 教 が 成 立 す る や 、 そ の 密 教 思 想 の 上 か ら 、 從 來 の ﹃ 仁 王 般 若 經 ﹄ を 見 直 し 、 鬼 神 の 聞 法 を 介 す る と 云 ふ よ り も 、 寧 ろ 國 王 自 身 が こ の 秘 密 般 若 の 精 神 を 味 得 し 體 解 す る こ と に よ り て の み 護 國 の 成 果 を 擧 げ 得 る や う に こ れ を 改 訂 し た 。 そ れ が 不 空 譯 の ﹃ 仁 王 護 國 般 若 波 羅 蜜 多 經 ﹄ 二 巻 で あ る 。 こ の 不 空 譯 の 經 典 も 大 體 に 於 て は 羅 什 譯 の そ れ と 殆 ん ど 同 一 と い つ て よ い 位 で あ る け れ 気羅什 譯 受 持 品 に 於 け る 金 剛 吼 、 龍 王 吼 、 無 畏 十 力 吼 、 雷 電 吼 、 無 量 力 吼 の 五 大 力 吼 菩 薩 が 、 こ の 不 空 譯 で は 、 密 教 曼 茶 羅 の 菩 薩 た る 金 剛 手 、 金 剛 寳 、 金 剛 利 、 金 剛 藥 叉 、 金 剛 般 若 の 五 菩 薩 に 置 き 換 へ ら れ 、 さ ら に 三 十 六 句 の 仁 王 般 若 陀 羅 尼 が 附 説 せ ら る ゝ 所 に 異 點 が あ り 。 そ の 異 點 の あ る 所 に 、 そ れ が 正 純 密 教 化 せ ら れ た る 痕 莎 を 止 め て 居 る の で あ る 。 從 つ て 、 密 教 思 想 の 上 か ら 、 そ の 護 國 の 法 用 を 明 に せ る 不 空 譯 の ﹃ 仁 王 護 國 般 若 波 羅 蜜 多 經 陀 羅 尼 念 誦 儀 軌﹄ や ﹃ 仁 王 般 若 念 誦 法 」 に 於 て は 、 何 れ も こ の 五 大 菩 薩 を 金 剛 界 曼 茶 羅 に 於 け る 五 佛 の 正 法 輪 身 と し て こ れ を 取 扱 ひ 、 か く て 組 織 せ ら れ た る 曼 茶 羅 の 前 に 坐 し て 、 三 十 六 句 の 仁 王 般 若 陀 羅 尼 を 誦 持 し 、 そ の 義 趣 を 味 得 し 體 解 す る こ と を 福 軸 と し て 居 る め で あ る 。 い ま そ の ﹃ 仁 王 般 若 陀 羅 尼 ﹄ の 如 何 な る も の な る か を 示 す た め に 、 そ の 梵 語 を 羅 馬 字 化 し 、 こ れ に 和 譯 を 附 す る と 左 の 通 り で あ る 。

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( 三 賓 に 昂 命 す ) 、 ( 聖 な る 大 日 如 來 應 供 正 遍 知 者 に 歸 命 す ) 、 (聖 な る 普 賢 菩 薩 大 士 の 大 悲 者 に 歸 命 す ) 、 (謂 ゆ る ) 、 ( 智 の 燈 た る も の よ ) 、 (無 叢 の 法 藏 た る も の よ ) 、 ( 辯 才 を 具 す る も の よ ) 、 ( 一 切 の 佛 に よ り て 觀 見 せ ら れ た る も の よ ) 、 (瑜 伽 を 圓 満 成 就 せ る も の よ ) 、 (甚 深 に し て 測 り 難 き も の よ ) 、 ( 三 世 を 圓 満 成 就 せ る も の よ ) 、 ( 菩 提 心 を 生 ず る も の よ ) 、 ( 一 切 の 灌 頂 に よ り て 灌 頂 せ ら れ た る も の よ ) 、 ( 法 海 よ り 出 生 せ る も の よ ) 、 ( 必 ず 聞 持 す る も の よ ) (大 普 賢 地 を 出 生 す る も の よ ) 、 (授 記 を 獲 得 す る も の よ ) 、 ( 一 切 の 成 就 者 に よ り て 禮 敬 せ ら れ る 玉 も の よ ) 、 ( 一 切 の 菩 薩 を 出 生 す る も よ ) 、 (世 尊 佛 母 よ ) (本 不 生 ) 、 (離 塵 ) 、 ( 無 諍 ) 、 ( 無 造 作 ) 、 (清 淨 ) 、 (無 諍 ) 、 (寂 静 ) 、 ( 無 垢 ) 、 (無 諍 ) 、 (無 造 作 ) 、 (無 分 別 ) 、 (無 動 ) (大 般 若 波 羅 蜜 よ ) 、 (成 就 あ れ ) こ の ﹃ 仁 王 般 若 陀 羅 尼 ﹄ の 初 に 於 て 、 大 日 如 來 や 普 賢 菩 薩 に 歸 命 す と あ る よ り 見 て も 、 こ の 陀 羅 尼 が 正 純 密 教 の 思 想 に 基 く も の な る こ と を 察 知 し 得 る と 共 に 、 ﹁ 智 の 燈 た る も の よ ﹂ と か 、 「 無 盡 の 法 藏 た る も の よ 」 と か 、 「 辮 才 を 具 す る も の よ 」 と か 云 ふ 如 き 、 そ の 内 容 の 樞 軸 を な せ る 要 語 が 何 れ も 佛 母 と し て の 大 般 若 波 羅 蜜 を 形 容 し 、 こ の 甚 深 般 若 を あ ら ゆ る 方 面 か ら 觀 察 し 思 念 し 、 そ の 妙 義 を 深 く 掘 り 下 げ て 、 觀 智 を 種 々 に 磨 く や う に し た も の が こ の 仁 王 般 若 陀 羅 密 教 經 典 と 護 國 思 想 一 一

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密 教 經 典 と 護 國 思 想 一 一 尼 で 、 不 空 譯 の ﹃ 仁 王 護 國 般 若 念 誦 儀 軌 ﹄ に は 、 こ の 陀 羅 尼 の 觀 行 法 が 詳 し く 説 か れ て 居 る の で あ る , か の 弘 法 大 師 が 天 長 二 年 、 淳 和 天 皇 の 勅 を 奉 じ て 、 京 都 東 寺 に 講 堂 を 建 立 し 給 ふ や 、 こ の ﹃ 仁 王 護 國 念 誦 儀 軌 ﹄ 等 に 基 き 、 そ の 壇 上 に 諸 尊 を 奉 刻 し 安 置 し た の で あ る 。 そ の 諸 尊 安 置 の 様 式 は 、 壇 の 中 央 に 自 性 輪 身 と し て の 金 剛 界 五 佛 を 、 そ の 左 方 に は 正 法 輪 身 と し て 、 ﹃ 仁 王 護 國 般 若 經 ﹂ 所 説 の 五 菩 薩 を 、 そ の 右 方 に は 教 令 輪 身 と し て の 五 大 念 怒 明 王 を 奉 安 し 、 そ の 壇 の 四 隅 に は 四 天 王 を 、 そ の 東 西 に は 梵 天 帝 釋 を 崇 祀 し て あ る の で あ る 。 す な は ち 、 杲 寳 の ﹃ 東 賓 記 ﹄ 第 一 に よ る と 、 こ の 三 輪 身 と し て の 五 佛 、 五 菩 薩 、 五 明 王 の 關 係 を 承 和 六 年 の 眞 然 記 に よ る と 、 不 空 金 剛 業 ( 牙 ) 藥 叉 多 聞 天 阿 悶 金 剛 手 降 三 世 持 國 天 大 日 金 剛 般 若 不 動 梵 天 費 生 金 剛 寳 甘 露 増 長 天 彌 陀 金 剛 法 (利 ) 六 足 廣 目 天 と し て あ る 。 こ の 正 法 輪 身 と し て の 五 大 菩 薩 の 中 、 不 空 譯 の ﹃ 仁 王 護 國 般 若 經 ﹄ に は 、 金 剛 法 菩 薩 と あ る べ き を 金 剛 利 菩

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薩 と し 、 金 剛 業 菩 薩 と あ る べ き を 、 金 剛 牙 、 即 ち 金 剛 藥 叉 菩 薩 と し て あ る , こ れ に つ き 亮 尊 の ﹃ 白 寳 口 抄 ﹄ 第 三 十 八 に は 、 ﹃ 眞 雅 口 決 ﹄ を 引 用 し 、 ﹁ 金 剛 法 菩 薩 と せ す し て 、 金 剛 利 た る 文 殊 菩 薩 と し た る こ と は 、 利 剣 を 揮 つ て 諸 の 戯 論 を 斷 つ こ と が 鎭 護 國 家 に は 勝 る ゝ が 故 な り 、 金 剛 業 を 金 剛 藥 叉 と す る こ と も 、 そ の 意 同 前 な り ﹂ と 説 明 し て 居 る , こ れ に よ り て こ れ を 考 ふ る に 、 等 し く ﹃ 仁 王 般 若 經 ﹄ の 護 國 思 想 と い つ て も 、 顯 密 そ の 立 場 を 異 に す る に つ れ て 、 そ の 趣 き が 變 つ て 來 る 。 い ま こ れ を 密 教 の 見 地 か ら す る 限 り 、 ﹃ 仁 王 護 國 般 若 經 ﹄ の 眞 精 神 を 象 徴 し 、 こ れ を 本 尊 、 金 剛 般 若 菩 薩 と し た の で あ る 。 そ の 金 剛 般 若 菩 薩 も 、 自 性 輪 身 と し て は 、 天 地 を 貫 く 一 大 生 命 體 と し て の 大 日 如 來 に 外 な ら な い 。 こ の 生 命 體 と し て の 全 一 の 根 本 佛 と 、 そ れ に よ り て 生 か さ れ て 居 る 各 々 個 々 の も の と の 交 渉 關 聯 の う ち に 組 織 し 形 成 せ ら れ た も の が 現 實 の 國 土 で あ る 。 從 つ て 、 そ れ は 本 來 内 外 二 體 の も の で あ り 、 物 心 一 如 の も の で あ る 。 こ の 本 尊 を 通 じ 、 秘 密 般 若 の 眞 精 神 を 味 得 し 體 解 す る こ と に よ り て 、 天 地 萬 象 の 和 順 を は か り 、 顯 幽 二 界 の 協 和 を 企 て る 所 に 、 密 教 獨 特 の 護 國 思 想 が あ る こ に と な る の で あ る 。 註 ① ﹃ 佛 説 仁 王 般 若 波 羅 蜜 經 ﹄ 二 春 (大 正 八 、 八 二 五 頁 收 載 ) 。 ② ﹃ 大 智 度 論 ﹄ 第 九 十 二 巻 (大 正 三 五 、 七 〇 八 頁 下 ) 參 照 。 ③ ﹃ 佛 説 仁 王 般 若 波 羅 蜜 経 ﹄ 巻 下 、 護 國 品 (大 正 八 、 八 三 〇 頁 上 ) 參 照 。 ④ 大 正 八 、 八 三 四 頁 收 載 。 ⑤ 大 正 八 、 八 三 三 頁 上 參 照 。 ⑥ 大 正 八 、 八 四 三 頁 中 下 參 照 。 ⑦ 大 正 一 九 、 五 一 三 頁 收 載 。 ⑧ 大 正 一 九 、 五 二 九 頁 收 載 。 密 教 經 典 と 護 國 思 想 一 三

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密 教 經 典 と 護 國 思 想 一 四 ⑨ ﹃ 仁 王 護 國 般 若 波 羅 蜜 經 ﹄ 巻 下 奉 持 品 (大 正 八 、 八 四 三 頁 ) 、 井 に ﹃ 仁 王 般 若 念 誦 儀 軌 ﹄ ( 大 正 一 九 、 五 一 八 頁 ) 、 ﹃ 仁 王 般 若 陀 羅 尼 釋 ﹄ (大 正 一 九 、 五 三 三 頁 ) 參 照 。 ⑩ 大 正 二 九 、 五 一 八 頁 參 照 の こ と 。 ⑪ 杲 賓 の ﹃ 東 賓 記 ﹄ 第 一 、 九 頁 ( 績 々 群 書 類 從 第 十 二 巻 收 載 ) 。 ⑫ ﹃ 績 々 群 書 類 從 ﹄第 十 二 巻 收 載 本 十 一 頁 。 ⑬ ﹃ 無 障 金 剛 略 念 誦 吹 第 ﹄ ( 大 日 本 大 藏 經 眞 言 宗 事 相 章 疏 第 一 、 五 六 九 頁 ) 。 ⑭ 大 正 圖 像 第 六 、 五 四 三 頁 下 の 取 意 。 四 守 護 經 に 基 く 護 國 思 想 ﹃ 守 護 經 ﹄ と い ふ の は 、 具 さ に は ﹃ 守 護 國 界 主 陀 羅 尼 經 ﹄ と い ひ 、 國 界 の 主 、 す な は ち 、 國 王 を 守 護 す る た め の 陀 羅 尼 を 基 本 と し て 説 い た 經 典 と い ふ こ と で あ る 。 こ の 經 は 弘 法 大 師 と 同 時 代 で 且 つ 大 師 が つ い て 梵 語 な ど を 學 習 せ ら れ た と 稱 せ ら る ゝ 般 若 、 牟 尼 室 利 の 爾 三 藏 が 翻 譯 し 、 大 師 が こ れ を わ が 朝 に 請 來 せ ら れ た の で あ る 。 安 然 の ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ な ど に よ る と 、 こ の ﹃ 守 護 經 ﹄ 十 巻 を 初 め て わ が 國 に 請 來 し た の は 、 傳 教 大 師 最 澄 で あ る か の や う ② に 記 し て あ る け れ ど も 、 傳 教 の ﹃ 請 來 目 録 ﹄ に は 、 こ れ が 載 つ て 居 ら な い の み で な く 、 こ れ を わ ざ く 弘 法 大 師 か ら 借 覧 し 、 弘 仁 五 年 、 催 徴 を う け て 返 却 せ ら れ て 居 る こ と な ど か ら 考 へ る と 、 傳 教 請 來 と 云 ふ こ と は 頗 る 疑 は し い 。 こ の 經 の ﹃ 陀 羅 尼 品 ﹄ の 中 に は 、 ﹃ 大 日 經 ﹄ 住 心 品 に 於 け る 、 五 大 の 警 喩 や 、 三 句 の 法 門 や 、 無 相 の 菩 提 心 な ど の こ と が 、 殆 ん ど 同 一 の 文 字 章 句 を 以 て 説 か れ て 居 り 、 ま た 同 様 に 、 そ の ﹃ 品 ﹄ の 中 に は 、 ﹃ 諸 佛 境 界 攝 眞 實 經 ﹄ 所 説 の 「 庵 、 吽 、 惹 、 翳 、 佐 一 の 五 字 を 五 佛 の 種 字 と し て 、 各 々 に 五 佛 の 三 昧 を 觀 す る こ と が 説 か れ て 居 る 、 さ ら に 本 經 第 九 巻

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﹃ 勲 尼 功 徳 軌 儀 品 ﹄ の 中 に に ﹃ 諸 佛 境 界 攝 眞 實 經 ﹄ と 等 しく、 五 部 各 々 獨 自 の 念 珠 の こ と や 、 五 相 成 身 觀 等 の こ と が 説 か れ て 居 る 。 こ れ に よ り て こ れ を 考 ふ る に 、 こ の ﹃ 守 護 經 ﹄ な る も の は 、 ﹃ 大 日 經 ﹄ 並 に ﹃ 初 會 の 金 剛 頂 經 ﹄ の 一 種 と も 見 る べ き ﹃ 諸 佛 境 界 攝 眞 實 經 ﹄ の 存 在 を 豫 想 し 、 こ れ 等 に 基 き て 編 成 せ ら れ た も の ら し く 、 特 に 護 國 思 想 に 關 す る こ と は 、 主 と し て 、 そ の 第 九 巻 ﹃ 陀 羅 尼 功 徳 軌 儀 品 ﹄ に 説 か れ て 居 る の で あ る 。 そ れ に よ る と 、 ﹁ 一 の 陀 羅 尼 あ り 、 即 ち こ れ 一 切 陀 羅 尼 の 母 に し て 、 守 護 國 界 主 と 名 つ く ﹂ と て 、 庵 の 一 字 陀 羅 尼 を 擧 げ 、 こ れ を 阿 と 烏 と 葬 と の 三 字 に 分 解 し 、 こ の 三 字 が 次 で の 如 く に 、 法 身 、 報 身 、 化 身 の 三 身 で あ り 、 こ の 三 字 三 身 を 合 一 せ る 庵 字 こ そ が 一 切 陀 羅 尼 の 母 で あ る 。 一 切 の 菩 薩 は こ れ よ り 生 じ 、 一 切 の 諸 佛 も こ れ か ら 出 現 す る 。 こ の 庵 の 一 字 が 一 切 を 統 攝 す る こ と 、譬 へ ば 國 王 が 王 城 に 佳 す る 時 に は 、 百 官 や 采 女 に 園 繞 さ れ 、 若 し 出 遊 巡 狩 し て 皇 居 に 歸 還 す る 時 に は 、 必 す 四 兵 を か ざ り 、 導 從 す る も の 千 萬 で あ る け れ ど も 、 た ゞ 王 の 佳 、 王 の 往 來 と の み 云 つ て 、 餘 を 説 か す と も 、 悉 く 攝 せ ざ る も の な き が 如 く で あ る 等 と 説 い て 居 る 。 さ ら に ま た 、 ﹁ 佛 は 慈 悲 に 住 し 、 衆 生 を 視 る こ と 一 子 の 如 く な る べ き に 、 何 故 に た ゞ 國 界 主 、 即 ち 國 王 の み を 守 護 し て 、 そ の 國 民 と し て の 一 切 衆 生 を 守 護 せ ざ る や ﹂ と 問 ひ 、 次 の 如 く に 答 へ て 居 る 。 そ れ は 、 ﹁ 佛 の 平 等 一 子 の 愛 の 故 に 、 國 王 を 守 護 す る の で あ る 。譬 へ ば 良 醫 が 核 兒 の 疾 病 に 惱 ま さ れ て 醫 藥 に 勝 へ ざ る を 見 、 乃 ち 良 藥 を 先 づ そ の 母 に 與 へ て こ れ を 服 せ し む 。母 こ れ を 服 す る に 、 藥 力 乳 に 及 び 、 そ の 見 こ の 乳 を 飲 む こ と に よ り て 疾 病 頓 に 除 く が 如 く で あ る 。 諸 佛 如 來 も ま た く 此 の 如 く 、 一 切 を 哀 愍 す る が 故 に 、 國 王 を 守 護 す 、 若 し 國 王 を 守 護 す れ ば 、 七 の 勝 釜 を 得 、 何 等 を か 七 と な す 。 謂 ゆ る 若 し 能 く 國 王 を 守 護 す れ ば 即 ち こ れ 國 王 の 太 子 を 守 護 密 教 經 典 と 護 國 思 想 一 五

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密 教 經 典 と 護 國 思 相 心 一 六 す 。 若 し 太 子 を 守 護 す れ ば 、 即 ち 大 臣 を 守 護 す 、 若 し 大 臣 を 守 護 す れ ば 即 ち 百 姓 を 守 護 す 、 若 し 百 姓 を 守 護 す れ ば 即 ち 庫 藏 を 守 護 す 、 若 し 庫 藏 を 守 護 す れ ば 即 ち 四 兵 を 守 護 す 、 若 し 四 兵 を 守 護 す れ ば 即 ち 隣 國 を 守 護 す 、 若 し 能 く 是 の 如 く せ ば 、 一 切 皆 安 し 、 善 男 子 よ 、 是 の 故 に 國 王 は 諸 の 衆 生 の た め に は 日 た り 月 た り 、 燈 た り 眼 た り 、 父 た り 母 た り 若 し 諸 の 有 情 に し て 、 眼 な く 燈 な く 日 な く 月 な く 父 な く 母 な く ば 、 身 命 存 す べ け ん や 、 乃 至 、 若 し 諸 の 國 王 に し て 、 こ の 陀 羅 尼 を 受 持 す れ ば 、 能 く 無 量 無 數 の 衆 生 を し て 現 在 安 樂 に し て 、 長 へ に 尊 貴 を 守 り 、 身 壤 し 命 終 す れ ば 、 善 道 に 生 す る こ と を 得 し む 一 等 と 云 ふ の で あ る 。 若 し 諸 の 國 王 に し て 、 こ の 陀 羅 尼 を 通 じ て 密 教 精 神 を 逮 得 し 、 こ れ に よ り て 國 家 を 統 治 し 國 民 を 愛 撫 す る こ と に な れ ば 、 そ の 國 家 は 常 に 平 安 に し て 四 海 泰 く 、 萬 民 和 樂 す る こ と が 出 來 、 そ れ が 自 然 に そ の 國 家 を 鎭 押 し 守 護 す る こ と に な る の で あ る 。 こ の 密 教 精 神 に よ り て 統 治 せ ら る ゝ 國 家 を ば 、 こ の ﹃ 守 護 經 ﹄ に は 、 金 剛 城 曼 茶 羅 と 云 ひ 、 そ の 密 教 精 神 の 體 現 者 た る 國 王 そ の も の が 、 庵 字 を 以 て 象 徴 す る 三 身 即 一 の 大 日 如 來 で あ り 、 一 字 金 輪 で あ る 。 ﹁ 若 し 諸 の 國 王 、 こ の 一 字 を 觀 ず る こ と 、 一 刹 那 頃 な れ ば 、 す な は ち 、 五 種 の 三 昧 現 前 す る こ と を 得 て 、 所 有 の 煩 惱 ま た 現 起 せ す 、 善 男 子 よ こ の 大 金 剛 城 曼 茶 羅 の 所 有 の 功 徳 は 不 思 議 で あ る 。 若 し 善 男 子 、 善 女 人 、 能 く こ の 曼 茶 羅 に 入 る こ と あ れ ば 、 則 ち 巳 に 一 切 の 諸 佛 、 一 切 の 菩 薩 を 見 る と な す 一 等 と も 説 か れ て 居 る 。 思 ふ に 、 こ の ﹃ 守 護 經 ﹄ に 於 け る ﹁ 國 王 即 國 家 ﹂ の 思 想 が 自 然 に ﹁ 皇 室 即 國 家 ﹂ の わ が 國 體 に 合 致 し 、 金 甌 無 缺 の わ が 國 家 を 擁 護 す る た め に は 、 皇 統 蓮 綿 た る わ が 皇 室 に 忠 勤 を 抽 ん で る こ と が 臣 下 の 道 で あ り 、 そ の 國 家 を 統 べ さ せ 給 ふ 陛 下 は ま た 密 教 精 神 を 基 本 と し て 、 天 下 萬 民 を 撫 育 遊 ば さ れ る 。 こ れ が そ の ま ゝ ﹃ 守 護 經 ﹄ 思 想 の 具 現 と い ふ こ と に も な

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る の で あ る 。 弘 仁 十 四 年 、 嵯 峨 天 皇 の 勅 に よ り 、 眞 言 宗 の 根 本 道 場 と し て 、 京 都 東 寺 を 大 師 に 下 賜 せ ら る ゝ や 、 大 師 は 思 想 報 國 の 立 場 か ら 、 天 長 二 年 、 そ の 東 寺 に 於 け る 毎 年 の 安 居 會 に ﹃ 守 護 經 ﹄ を 講 讃 せ ん こ と を 奏 上 し 、 ﹁ 東 寺 は 遷 都 の 始 、 國 家 を 鎭 め ん が た め に 、 柏 原 の 先 朝 の 建 立 し 給 ふ 所 な り 、 乞 ふ こ の 妖 を 察 し 、 僧 徒 等 を 率 ゐ て 眞 教 を 讃 揚 し 、 禍 を 轉 じ て 福 を 修 め 、 國 を 鎭 め 家 を 護 ら ん と い へ り 、 い ま こ の 守 護 國 界 主 陀 羅 尼 經 一 部 十 巻 、 文 は 顯 密 を 括 り 、 義 は 諸 乗 を 呑 む 轉 禍 爲 福 の 方 、 降 雨 止 風 の 法 、 具 さ に こ の 經 に 説 け り 、 伏 し て 望 む ら く は 、 毎 年 夏 中 、 永 く こ の 經 を 講 じ て 國 家 を 擁 護 せ ん こ と を ﹂ と て 、 そ の 忠 誠 を 披 瀝 せ ら れ て 居 る 。 さ ら に 、 天 長 八 年 、 大 師 が 悪 瘡 を 病 み 給 ふ や 、 あ る ひ は 此 が 最 期 の 奏 上 に な る か も 計 ら れ ぬ と 云 ふ 上 か ら 、 一, 伏 し て 請 ふ 、 陛 下 、 臨 終 の 一 言 を 顧 み る こ と を 賜 ふ て 、 三 密 の 法 教 を 棄 て 給 は ざ れ 、 生 々 に 陛 下 の 法 城 と な り 、 世 々 に 陛 下 の 法 將 と な ら ん ﹂ と あ る 表 文 の 如 き 、 一 向 ら に 、 こ の 秘 教 の 護 持 を 陛 下 に 請 ひ 奉 り 、 こ の 陛 下 の 密 教 護 持 こ そ が 國 家 を 擁 護 し 、 蒼 生 を 安 ん す る 基 本 た る こ と を 明 に せ ら れ て 居 る の で あ る 。 實 に こ の ﹃ 守 護 經 ﹄ は 、 仁 王 經 、 孔 雀 經 、 請 雨 經 と 共 に 、 眞 言 密 教 に 於 け る 四 箇 の 秘 法 と し て 重 視 せ ら れ 、 大 師 が ﹁ 國 家 の お ん た め に 修 法 せ ん こ と を 請 は れ た 表 文 ﹂ の 中 に も 、 「 そ の 將 來 す る 所 の 經 法 の 中 に 、 仁 王 經 、 守 護 國 界 主 經 、 佛 母 明 王 經 等 の 念 誦 の 法 門 あ り 、 佛 、 國 王 の た め に 特 に こ の 經 を 説 き 給 ふ .、 七 難 を 擢 滅 し 四 時 を 調 和 し 、 國 を 護 り 家 を 護 り 、 己 を 安 ん じ 他 を 安 ん す 、 此 の 道 の 秘 妙 の 典 な り 、 空 海 、 師 授 を 得 た り と 雖 も 、 未 だ 練 行 す る こ と 能 は す 、 伏 し て 望 ら く は 、 國 家 の お ん た め に 、 諸 の 弟 子 等 を 率 ゐ て 、 高 雄 の 山 門 に 於 て 、 來 月 一 日 よ り 起 首 し て 、 法 力 の 成 就 に 至 る ま で 、 且 つ は 教 へ 且 つ は 修 せ ん 一 と 云 ひ 、 そ の 修 法 を 以 て 國 に 報 ぜ ん と す る 根 擦 は 、 内 外 一 體 、 物 心 ∼ 如 を 立 場 と す 密 教 経 典 と 護 國 思 想 一 七

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密 教 經 典 と 護 國 思 想 一 八 る 密 教 精 神 に 基 く の で 、 こ の こ と は 、 弘 法 大 師 蓄 稱 せ ら る ゝ ﹃ 守 護 經 釋 ﹄ 巻 上 に 於 玉 若 し 國 王 あ り て こ の 廣 大 甚 深 の 大 日 一 字 の 眞 言 を 誦 持 せ ば 、 則 ち 能 く 心 王 の 國 土 を 守 護 し 、 心 數 の 春 属 を 安 樂 に し 、 四 魔 の 災 難 を 除 き 、 四 徳 の 常 樂 を 得 ん 。 若 し 内 心 の 國 界 安 樂 な る こ と を 得 れ ば 、 則 ち 外 器 の 城 郭 悉 く 皆 安 泰 な り 、 故 に 守 護 國 界 主 陀 羅 尼 經 と 日 ふ 」 と あ る こ と よ り し て も 想 察 す る こ と が 出 來 る の で あ る 。 註 ① 大 正 五 五 、 一 一 一 六 頁 上 參 照 。 ② 大 正 五 五 、 一 〇 五 五 -一 〇 六 〇 頁 參 照 。 ③ 傳 教 大 師 の ﹁ 受 催 徴 返 上 守 護 國 界 主 經 等 書 ﹂ (大 師 全 集 第 五 輯 、 三 二 九 頁 ) 參 照 。 ④ 大 正 一 九 、 五 三 六 頁 下 、 五 二 七 頁 中 、 五 二 七 頁 下 等 參 照 。 ⑤ 大 正 一 九 、 五 三 〇 頁 上 參 照 。 ⑥ 大 正 一 八 、 二 七 五 頁 下 參 照 。 ⑦ 大 正 一 九 、 五 六 七 頁 中 、 五 七 〇 頁 下 參 照 。 ③ 大 正 一 八 、 三 八 一 頁 下 、 三 七 三 頁 中 參 照 。 ⑨ 大 正 一 九 、 五 六 五 頁 下 參 照 。 ⑩ 大 正 一 九 、 五 六 六 頁 上 の 取 意 。 ⑪ 大 正 一 九 、 五 六 六 頁 中 參 照 。 ⑫ 大 正 一 九 、 五 六 七 頁 下 參 照 。 ⑬ ﹁ 請 東 寺 毎 年 安 居 講 守 護 鰹 表 ﹂ (大 師 全 集 第 三 輯 六 三 六 頁 ) 參 照 。 ⑭ ﹁ 大 僧 都 空 海 嬰 疾 上 表 辭 職 奏 駅 ﹂ (大 師 全 集 第 三 輯 五 二 〇 頁 ) 參 照 。 ⑮ ﹁ 奉 爲 國 家 請 修 法 表 ﹂ ( 大 師 全 集 第 三 輯 四 三 六 頁 ) 參 照 。

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⑯ ﹃ 大 師 全 集 ﹄ 第 四 輯 、 三 〇 九 ー 三 一 〇 頁 參 照 。 五 密 典 に 於 け る 護 國 思 想 の 歸 結 密 教 の 護 國 經 典 は 必 す し も 、 孔 雀 經 、 仁 王 經 、 守 護 經 に 限 つ た わ け で は な い け れ ど も 、 大 師 が 入 唐 し て 恵 果 和 街 よ り 、 親 し く 師 授 を 稟 け 、 弘 仁 元 年 、 こ れ に 基 き て 國 家 の た め に 修 法 を 企 圖 し 給 へ る 代 表 的 の も の と し て は 、 以 上 に 説 明 し た 三 經 で あ る 。 そ の 中 、 ﹃ 孔 雀 經 ﹄ は 本 來 の 雑 密 經 典 を 開 會 し 、 こ れ を 正 純 密 教 化 す る に 、 そ の ﹃ 儀 軌 ﹄ を 以 て し 、 結 局 は 孔 雀 明 王 を 以 て 直 ち に 大 日 金 輪 と 同 一 視 す る に 至 つ て 居 る 。 ま た ﹃ 仁 王 經 ﹄ の 如 き は 、 從 來 の 經 典 そ の も の を 正 純 密 教 の 立 場 か ら り 再 檢 討 し 、 こ れ ま で の 五 大 力 吼 菩 薩 を 改 訂 す る に 、 金 剛 界 五 佛 の 正 法 輪 身 と し て の 五 菩 薩 を 以 て し 、 こ れ に 附 加 す る に 密 教 獨 特 の 般 若 陀 羅 尼 を 以 て し て 居 る の で あ る 。 更 に ﹃ 守 護 經 ﹄ の 如 き は 、 ﹃ 大 日 經 ﹄ や ﹃ 金 剛 頂 經 ﹄ に 於 け る 圓 熟 せ る 思 想 の 成 果 を 應 用 し 、 そ の 理 想 國 家 を 目 す る に 金 剛 城 曼 茶 羅 と し 、 そ れ を 統 治 し 給 ふ 主 尊 を 矢 張 り 大 日 如 來 と し て 居 る の で あ る 。 か く の 如 く に 、 三 經 各 女 に そ の 発 展 經 路 を 異 に し て 居 る と は 云 へ 、 何 れ も 大 日 如 來 を 以 て そ の 歸 結 と し て 居 る 所 に 密 教 の 護 國 經 典 た る 特 質 が あ る の で あ る 。 こ れ こ の 密 教 精 神 に 基 く 限 り 、 あ り と あ ら ゆ る 一 切 の も の は 、 一 と し て 天 地 を 貫 く 大 生 命 體 と し て の 大 日 如 來 に よ り て 生 か さ れ て 居 ら ぬ も の な く 、 こ の 大 日 如 來 こ そ が 、 宇 宙 の 根 源 で あ り 、 一 切 の も の ゝ 母 體 で あ る 。 思 ふ に 、 あ り と あ ら ゆ る 一 切 の も の は 、 こ の 大 日 如 來 の 母 體 の 中 に 抱 擁 さ れ 、 温 か き 血 の 脈 動 流 通 に よ り て の み 、 生 か さ れ て 居 る と と も に 、 そ の 全 一 生 命 と し て の 大 日 如 來 は 、 ま た そ の 細 胞 た る 各 々 個 々 を 通 じ て の み 、 そ の 内 容 を 密 教 經 典 と 護 國 思 想 一 九

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密 教 經 典 と 護 國 思 想 二 〇 充 實 し 援 大 し 、 次 か ら 次 に 自 ら を 豊 か に し 、 自 ら を 荘 嚴 し て 居 る 。 そ れ が 密 教 眼 よ り す る 靨 體 と し て の 曼 茶 羅 で あ り 國 家 で あ る 。 こ の 内 外 一 體 、 物 心 一 如 の 活 き た 統 一 體 と し て の 、 密 教 の 國 家 觀 に 基 き 、 そ の 全 一 を 代 表 す る 國 王 が 自 ら の 細 胞 と し て の 臣 民 を 撫 す る に 、 平 等 一 子 の 愛 を 以 て し 、 各 々 個 々 の 億 兆 の 民 草 は 自 ら の 母 體 と し て の 國 王 に 、 心 か ら な る 忠 誠 を 捧 げ 、 こ ゝ に 上 下 和 樂 、 君 民 一 體 を 生 き る こ と に な れ ば 、 顯 幽 自 が ら 相 應 し 、 そ れ が 本 當 に 國 家 を 鎭 押 し 守 護 す る こ と に な る の で あ る 。 こ の 正 純 密 教 が 理 想 と し 目 標 と す る 曼 茶 羅 國 家 は 、 印 度 に 於 て は 、 つ い に こ れ を 實 現 す る こ と が 出 來 な か つ た 。 そ れ が 支 那 に 來 り 、 支 那 の 國 家 を し て 、 こ の 密 教 の 國 家 觀 に 則 ら し む べ く 、 不 空 三 藏 は 非 常 に 心 膿 を 陣 か れ 、 粛 宗 皇 帝 に 對 し ﹁ 輪 王 の 七 寳 灌 頂 ﹂ な ど を 授 け た り し た の で あ る け れ ど も 、 そ れ も 充 分 の 成 果 を 發 揮 す る こ と が 出 來 な か つ た 。、 し か る に 、 わ が 大 日 本 國 は 、 天 照 大 神 の 神 勅 に 基 き 、 そ の 神 窩 に わ た ら せ ら る ゝ 現 御 神 と し て の 歴 代 の 天 皇 が 統 べ さ せ 給 ふ 國 家 で 、 上 下 和 樂 、 君 民 一 體 の 神 な が ら の 道 を そ の ま ゝ に 具 現 せ る 天 地 で あ る 。 そ の 神 な が ら の 道 そ の ま ゝ が 自 然 に 密 教 の 國 家 觀 に 合 致 す る と 云 ふ 上 か ら 、 弘 法 大 師 の 如 き は 、 こ の 日 本 國 家 こ そ 、 全 く 密 教 精 神 に 協 ふ 理 想 國 家 で あ り 、 そ れ を 統 治 し 給 ふ 歴 代 の 天 皇 が す な は ち 、 全 一 の 中 心 と し て の 屡 體 で あ り 、 金 輪 聖 王 の 姿 に 住 し 給 へ る 大 日 如 來 で あ る と な し 、 こ の 大 日 金 輪 と し て の 天 皇 に 忠 勤 を 勵 む こ と が 、 と り も 直 さ す 、 密 教 精 神 を 具 現 す る 道 で あ る と の 考 へ か ら 、 一 生 々 に 陛 下 の 法 城 と な り 、 世 々 に 陛 下 の 法 將 と な ら ん 」 と ま で 誓 は せ ら れ て 居 る の で あ る , そ の 後 、 宇 多 法 皇 は こ の 大 師 の 思 想 精 神 を い た く 御 感 遊 ば さ れ 、 王 法 密 法 不 二 の 見 地 よ り 、 天 祚 を 繼 が せ 給 ふ 玉 體 そ の ま ゝ に 、 京 都 仁 和 寺 に 御 室 を 構 へ て 、 密 教 の 血 脹 を 繼 ぐ 大 阿 闇 梨 と な ら せ ら れ 、 自 ら 大 日 金 輪 聖 王 と し て 、 密 教

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の 國 家 観 を そ の ま ゝ に わ が 國 土 の 上 に 具 現 あ そ ば さ れ た の で あ る 。 如 實 に こ の 密 教 精 神 の 具 現 せ る 日 本 國 家 の あ り が た さ に 感 激 し 、 小 野 の 成 尊 僧 都 は 、 康 平 三 年 十 一 月 十 一 日 、 勅 命 に よ り て 奉 進 せ る ﹃ 眞 言 付 法 纂 要 抄 ﹄ の 中 に 於 て 、 ﹁ い ま 遍 照 金 剛 (大 目 如 來 ) は 鎭 へ に 日 域 に 住 し て 金 輪 聖 王 の 嘱 を 増 し 給 ふ 。 神 を 天 照 尊 と 號 し 、 刹 を 大 日 本 國 と 名 く 、 自 然 の 理 、 自 然 の 名 を 立 つ る こ と 、 誠 に 職 と し て 此 れ こ れ に 由 る 。 是 故 に 南 天 の 鐵 塔 迩 し と 雖 も 、 全 く 法 界 の 心 殿 を 包 ね 、 東 乗 の 陽 谷 、 鄙 な り と 雖 も 、 皆 こ れ 大 種 性 の 人 な り 、 明 か に 知 ん ぬ 、 大 日 如 來 の 加 持 力 の 致 す 所 な り 、 豈 に 凡 愚 の 知 る 所 な ら ん や 、 今 や 正 し く 、 佛 日 再 び か ゞ や き 、 專 ら 聖 運 を の み 仰 ぐ ﹂ 等 と 説 い て あ る 。 こ れ 等 の 思 想 を 繼 承 し 、 後 宇 多 法 皇 は 嵯 峨 の 大 覺 寺 へ 入 ら せ ら れ 、 天 つ 日 繼 の 玉 體 そ の ま ゝ に 、 ま た 密 教 の 血 脈 を 承 く る 法 資 と な ら せ ら れ 、 神 な が ら の 道 と い ふ も 、 密 教 國 家 と い ふ も 、 全 く 一 體 不 二 で あ る と の 見 地 か ら 、 ﹁ 血 脈 を 繼 ぐ 法 資 と 天 祚 を 傳 ふ る 君 主 と は 、 盛 衰 を 同 う し 、 興 替 を と も に す べ し ﹂ と ま で 宣 は せ ら れ て ゐ る の で あ る 。 爾 來 、 密 教 經 典 に 於 け る 護 國 思 想 は 、 獨 り わ が 國 に の み 、 特 に 輝 か し い 成 果 を 擧 げ 、 そ れ が 數 百 年 の 久 し き に 至 り 知 ら す く の 間 に 、 わ が 國 民 の 脳 裡 に 深 く 浸 潤 し 、 萬 邦 に 比 類 な き 天 壤 無 窮 の 皇 運 を し て 、 い よ く ま す く 内 外 に 廣 く 發 揚 す る こ と に な つ て 居 る の で あ る 。 謡 ① ﹃ 性 璽 集 ﹄第 四 、 ﹁ 奉 爲 國 家 請 修 法 表 ﹂ (大 師 全 集 第 三 輯 四 三 六 頁 ) 參 照 。 ② 趙 遷 の ﹃ 不 空 行 状 ﹄ (大 正 五 〇 、 二 九 三 頁 中 ) 參 照 。 ③ ﹃ 性 璽 集 ﹄第 九 、 ﹁ 嬰 疾 上 表 辭 職 奏 状 ﹂ (大 師 全 集 .第 三 輯 、 五 二 〇 頁 ) 參 照 。 ④ 大 正 七 七 、 四 二 一 頁 下 參 照 。 。⑤ 御 宇 多 法 皇 の ﹃ 御 潰 告 ﹄第 三 條 參 照 。 密 教 經 典 と 護 國 思 想 二 一

参照

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