資料 鈴木泰治作品集成(二) : 未発表原稿およ び書簡
著者 岡村 洋子, 尾西 康充
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 13
ページ 133‑176
発行年 2002‑06‑23
URL http://hdl.handle.net/10076/6580
同胞
鈴木泰治作品集成(二)
‑
未発表原稿および書簡‑
Ⅰ
はじめに
山門に近づくと、にわかに雨脚が激しくなった。四日市
郊外の室山にある法蔵寺を訪れたのは二〇〇〇年七月三一 日。梅雨に逆戻りしたかのような朝から曇りがちの一日で
あった。下校する高校生に混じって近鉄西日野駅の改札口
を通り抜けたときは、まだ降り始めていなかった。
西日野駅は四日市駅から分岐する八王子線の終点に当た
る。石油化学コンビナートで知られた臨海工業地帯とは反 対の西の方角に向かうローカル線の一駅であ亀普通の電 車よりひとまわり以上も小さな車両が山間の路線を走る。
駅前で三重交通のバスに乗って約一〇分、「室山」のバス
停で下車し坂を登る。緑の山並みが雨にけむっている。こ
の辺りの風景を眺めていると、鈴木泰治の詩の一節が脳裡
に建ってくる。
山脈から這ひ下りる霧のなかに
岡村
洋子・尾西
康充
定期自動車の初発が警笛をひゞかせる頃
子供らは大きな桑籠を背甲に転ばせ
鎌を片手にうち振り、うち振り坂の街道を上つて行く
これは泰治の代表作嚢の冒頭である。「詩精神」創刊
号(一九三四年二月二且に発表された。郷里・室山の自然が
元気な子供たちの姿とともに抒情的に表現されている。日
本プロレタリア作家同盟(ナルプ)が解散に追い込まれる 状況の下「詩精神」が創刊された。前年六月、佐野苧鍋 山貞親らの獄中における転向声明がきっかけとなつて左翼
陣営が総崩れとなっていた。
133
*
*
*
法蔵寺は鈴木泰治の生家である。本名は泰悟∨一九一二
(明治四喜年二月一三日、三重郡四郷村大字室山二〇七番 地に生れ亀父は法歳専任職の泰定。男三人と女二人の四
人の三男であった。泰治の小説顎浦団と靂(穿
第一巻琴茸三三竺○月二五且は、生家の法蔵寺が作品の 舞台となってい奄奉銭箱の扱いをめぐって本山と末寺と
の権力関係が露見する筋書きは、寺の息子として生れた彼
ならではの着想であろ一笑また特高警察に検挙された主人
公や彼を取り巻く村の様子など、自伝的要素の強い内容も
描かれている。 これまで泰治の身元は分からないままであった。解放運
動の最中に集れた無名戦士を顕彰する無名戦士の碑が松阪 市篠田山霊固にあ色合祀著名簿には文化運動に携わった
活動家として鈴木泰治も加えられている。「詩精神」の同人
仲間であった梅川文男が推薦したと考えられるのだが、遺 族との連絡が取れず身元不明とされている。三重の近代文
学に携わろうとする研究者にとつて、これは痛恨の極みと もいえる事柄であった。
*
**
このたび法蔵寺住職の鈴木晃氏の御厚意によって鈴木泰 治の草稿三三篇および書簡二嘩写真帳二冊、書壁ハ冊を 閲覧させていただいた。つぎにその概要を記しておく
(写真帳)
①
「俺の写真帳
1929」タテ一八センチ×ヨコ
二六、五センチのアルバム一喝全二〇真に三四枚の 写真が添付されている。表紙に黒色太ペン書きで雇 の写真帳 1929」と記されてい亀富田中学時代
のものから大阪外国語学校に在学していた頃のものま
で。
②タ三八センチ×ヨコ二六センチのアルバム一喝全 四八頁に三六枚の写真が添付されてい奄そのうち泰 治に関するものは一九鳩目常の素顔を写したものを はじめ、出征時の様子、そして遺骨となって帰還した
時の葬式の模様などが収められてい亀
①学研究協杢笥中学程度算術問題解差(一九一六牢一 (書撃
月一日印刷五日発行、三月十日再嘩共同出版裡 定価四五鬱、菊版(A判勅裁)全四九〇弓裏表紙 の見返しに「鈴木」の署名がある。縦に黒色ペン事竜
②中等受験研寄蓋嘗敦のたすけ日本史問題要解』(一九 二三年九月五日印刷、九月一一〇日発行受験研究社出 版部定価一個一〇銭)、重箱版型(タ三七、一セン チ×ヨ三〇、三センチ)全五〇六弓表紙見返しに
「讐の署名が二つ記され、「鈴木撃の朱印が一
つ押されている。また裏表紙の見返しに「三重県三重 郡四郷相室山鈴木泰悟」という署名があ曳いずれ も縦に黒色ペン害芭 ③モルガン『古代社会』上巻夜造文庫、荒畑寒村弼
一九三一年二月五日印刷、八日発行、改琶定価五
〇銭)、A六版全四一〇真。裏表紙の見返しに「6・5・ 15」の黒印が押され、その横に赤鉛筆でぎ
葺亡
香胃
芸芦‑∽」と記されている。いずれも横書き。 ④厨川白村(辰去『文芸思潮論』(一九一四年四月二五 日印刷、二八日発行二二年一〇月一日一四版、大日
本図書株式会確定価一円五〇銭)、全二三〇弓表紙
見返しと最後の真には「鈴木蔵書」の朱印が押されて
いる。裏表紙見返しには「常二硬イ宝玉ノ様ナ焔ヲ以 ツテ燃焼シ歓喜ヲ持続スルコト」という一言量が鉛筆で
記されている。またその横には、カタカナの部分をひ らがなに直して同じ内容の舌量(を細筆でも記している。
⑤雑誌「詩・現芦 (一九三一年三月二五日印刷、二八日 発行、編輯兼発行者が前田喝発行所が武蔵野書喝 定価一円五〇銭)、菊判変型(タテ二二センチ×ヨ【二 六セ.ンチ)全二九〇弓 ⑥雑誌「文学」宣伝版(一九三三年八月六日印刷一〇 日発行春山行夫編弼厚生閣董喝特価六〇銭)、A
五判全四〇五弓「詩と詩論」が改麿発行されたことを 宣伝するために制作された宣伝版)表の表紙は失われ ている。裏表紙の見返しには「昭和十三芋月五日読
了
出石郡神美村三宅 前勘二郎方にて」とある。 また鈴木泰治の遺品ではないのだが、彼に関する言及 のある雑誌一冊が保存されていた。それをつぎに紹介し ておく℃
①コニ重詩人」第三三号(発行所は松阪市野村錦方の三 重詩話会、一九五六年二月三〇日印嘲二月三一日
発行)
本誌には特集が組まれており、松永浩介「詩精神時
代のなかまたち」 (一.〜二貢)、梅川文男「鈴木泰治
のこと」 (二〜五貢)が掲載されている。 この特集記事のなかで梅川は鈴木の『舗装工事から』
『田螺』を代表作として引用し解説を加えている。そし
て鈴木との出会いをつぎのように述べている。
一九三四年(昭和九)、初夏の候かと記憶する。彼 の「田螺」が「詩精神」に発表された直後そのころ
四日市外室山に帰郷していた彼と、彼からの連絡に
よつて、私は、はじめて会ったのである。 このように触れた後、「続く」という一言量爪をもって記事
が終わってしま・笑続稿が掲載されていないかどうか、
次号以降の「三重詩人」を調べてみたが、該当するもの
が見当たらない。梅川は鈴木に出会って何を話したのか、
それからも交友が続いたのか、具体的なことは一切分か
らないのである。
ー135‑
*
*
今回、発見された鈴木泰治の草稿は『魚群』『山に在る田』 の二篇以外どの雑誌に発表されたものなのか、現在のと
ころ全く分からない。彼が多くの作品を寄稿している「プ
ロレタリア詩」 「詩精神」 「詩人」については復刻版によっ
て全ての号を調査することができた。だがそれ以司大阪 で活動していた頃の「大阪ノ旗」「新精神」「啄木研究」な
どの雑誌は、一部の号を除いて保存の確認をすることさえ
難しい。今後も地道な調査を続ける他に解決の手段はある
まい。ただ社名入りの特製原稿用紙が多数発見されたこと
から「文学案内」「人民文庫」に何らかの形で関わっていた
可能性が推測される。 最後になるが、後に紹介する草稿のなかから、泰治の詩 の一節を引用しよ・笑創作された時期はもとより発表され
たかどうかも分からない詩である。『僕に讃歌なし』
‑
大阪外国語学校在学中の検挙、退学、そして青春の日々を
賭したプロレタリア文学の敗北によって傷つき果てた泰治 の痛ましい姿をうかがい知ることができる。
僕の讃歌は、
プロレタリアの・フえに。
それ以外に何があらーュ
そこで性格はかゞやいて強くなり、
創造はひとりでに生れ出て、 詩の道はひらける筈だった。 僕が怠惰になつたのは 讃歌を上申書とともに あいつらに渡したからだ。 カツコつきの「政治ビ のことぢやない、
文学を渡したからだ!
*〓は編者による註記であ亀
Ⅱ
鈴木泰治、蔓構・書簡集成
本稿は「鈴木泰治作品集成(一)‑‑轟作品を中心に⊥ (「三重大学日本語学文ぎ第一二号二〇〇一隻ハ月)に続く ものである。鈴木泰治の生家、四日市市室山にある法蔵寺
の住職・鈴木晃氏に閲覧の許可をいただいた嘉および書
簡である。手にとつて見ると、どれもセピア色に変わって いるが、輩跡は正確に読み取れるものであった。
なお本稿では以下の方針にもとづいて校訂をおこなった。
(こ鈴木泰治の草稿三三篇および書簡二通を掲げた。編
輯の便宜上、各々に通し番号を付け、草稿には仮タ
イトル、書簡には差出人・受取人に関する説明等を
加えた。 (一)本文モ誤字・脱字と考えられる箇所は(ママ)と
傍記した。但し句点や括弧の脱落していることが明
らかな場AR 〓で補った。
(一)振り仮名・送り仮名は底本に従った。
二)促音・拗音は底本に従い、本文と同じ大きさにした。
(こ旧漢字は原則として新字体に改めた。略字・俗字・
異体字についても同様に改めた。
二)原稿が散逸していを部分や文字が抹消されている箇 所がある場今編者による註記を〔〕で示した。
〔1〕
手紙の代りに
草稿手紙の代りに
僕でも日分の身を案じてくれる友を郷里に持ってゐ亀
ある日、彼から手紙が来た。そのなかに、彼は僕の死んだ夢を
二晩つゞけて見た、とあり、他でもないこの僕の死棲までが書 いてあつちそれは実にいきいき描かれてあつて、当の僕でさ
へもそれ以上に自分の死顔を想像出来ない底のものであつた。 僕が死んだ夢を見ましたか。さうですか。 僕は生きております。 しかし、遺言はないでもあれません。 ぁの畦諾のおかしな形した焼豆のしたや、あの古ぼけた農 家の南爪棚の下や引臼や漬物樽や圧石や鋤や藁屑が話し 合ってゐる納屋の下や、じめじめする生活をのせてきいき い鳴る床下や、 その地下へ埋めてくださいコ 僕の身体のうちで まだ血が石のやうに堅くならぬうちに、 赤か色がまだあるうちに、 滅想もない、焼いてなどなりません、 僕の屍体を幾十に切りはなし ーつ一つをそれらの場所へ 埋めてくださいコ 生きてゐるとき、 上から眺めよこから見たが と一っと,フ、 その重みの下から見られなかつた、
心残りを埋め合はしたいコ
137
やつぱりこいつの眼はおれたちのものだつた!
親しい百姓や暁豆や、
暗い納屋の引白妻得させたい、
彼等の眼に物見せてやりたい、
少しでもよい、
肥料代りにでもなり度い。 (四月七日)
「耕人」讃歌
私自身は農民でない、
なのにわたしは、
農村しかうたへない 悲しみは、
上から眺め横から見るが
とうと一つ、その
重みの下からうたへないこと。
〔2〕
「耕人」讃歌
私は田舎で生れたが田んぼで成長しなかつた、 わたしは田んぼのままツ子だ。 だから余計悔まれる大地への不幸だ。
われら苦行者に琴食べぬといふことに恥を知れ!
私は田んぼのままツ子だ、
なのにわたしは農村ばかり歌つて来たコ
「耕人」讃歌
私は田んぼのままっ子だ そこで遊んだことばか㌔ くにを出て年を経て
胸つかれいまさららしく
うたひ出す
田んぼは冷たく押黙る
わたしは遊んだことばかり句
上から眺め、横から見るが
いまだに下から見られない、 土の重みよ、踏む足よ、
くらしにひかる鋤が生む手づからの文学を
しがないわたしに見せて呉れ。
心残りを埋めてくれ
乏しい生活が
わるい果実を結ぶ。
苦行者の如く、おのれの
欲望を制する。
馴れることにより」苦痛を
少くしやうとする。
〔3〕夜のおはり
夜のおはり ゞけるもの、
血行だ、これは昂まつた血行だ
小市民の悪血が荒れてゐるのだ
回虫はゆらりゆらり揺れてゐる
くたくた洗面器に顔押しっけると、
頭もなく、尻尾もなく
生きるでもなく、死ぬでもなく
ああ、夜のおは.り、
わたしの夜のおはりが来たやうだ。
鈴木
泰治
暗い舗道およいで戻る
洗面器に黄色い水をぎくぎく吐いた
口から回虫が出た
うねうね轟いてゐる
何か知らん、
騰がはたはたしてゐる
風に鳴る枯木の様に、
吹雪に囁く堆藁のやうに、
つぶれたわたしの中でしんしんと鳴りつ 〔4〕或る朝に
或る朝に
鳥一羽ゐる暁近くの田の中である。
立つたり、転んだり、ねぢつたり
凍■つた無数の株跡を眺めてゐる。
遅かれ早かれ腐って行くものの群! 堆藁の中で身体の形だけの温さを楽しみ、 鈴木泰治
身動きする度びにしやがしやが囁く藁の一言星置きいてゐ亀
昨夜遅く町へ着き、
それから二里の街道にへたばつた。 田に逸れ、堆藁の中にもぐり込貪
夢一つない疲労と泥酔だ。 目覚めると風は頭上を吹き、 村は街道一里の先にあ亀 ‑おう、また戻ったぞ
つぶやきは風に消え、
〔二ページ目なし〕
‑村もあれ、あの凍った木立やがな
藁が風と一緒に鳴るのだ。 さうか、凍つたか。
ついでにおれも凍らせるつもりか。
藁を帽子なしの頭に案山子の様につけて歩き出す。
〔三文字抹消〕
いづれは土に鋤き込まれる株跡よ
春が来ても土に腐る群よ
踏みつけ、踏みつけ街道に出た。
〔二行抹消〕 〔三ページ目後半〜五ページ目なし〕 〔一行抹消〕 何にも言はん、その昂揚の姿考その鬱積の姿を、 たゞそれだけを見せてくれ おれの揺れを今日で打止めにするために、 百千の青畳(の可能性に飽いたおれに、 たゞそれだけを黙ってみせてくれ、毛文字抹消)
一九三五・三・
〔5〕或る暁方
或る味方
曇った空に月が溶けてゐ包 まんべんない明るさが硝子戸を白ませ亀
ふとめざめた、 明るみは棒切れのやうに寝てゐるわたしの眼から這入る、
頭の後ろ側がほの白い。
明けつばなしの瞳孔で
朝方のひかりがあそんでゐる。
〔二行抹消〕
暁のひかりは勝手気ままだ、
朽木を出たり這入っ故叩する、
あの白蟻のやうだ。(ア)
〔6〕・無題
月のあがるまえ
わたしは河向ひの草道に腰を下してゐた
露の未だおりぬ道で
残った大地のいきれを喚いだ 虫の鳴き声の織りなす
夜の村のしじまのうちで
大地がしんしん鳴ってゐた
いま、 ひるの湿気が堅い地中から浸み出してゐる
または、 熱のさめる大地のささや竜
火から出した鉄がチンチン鳴るのをわたしは思つた 脳天にしみ通る、 ひくい、ものうい冷却の愚痴! わたしの一年間も卜
(冷えかかる塊が)
胸で冷却のうたを打ちならしてゐた
塊は冷える、わたしのうたもー緒に。 うつけ者のわたしよ、
これの終るところに新しい昂揚があると思つた
一
大地は火を抱いてねむりにつく、あす太陽の出迎へるまで
わたしの凍る夜のボイラー
埋め火は消へかかり、ゲージはがた落ち。
明日になれば、
わたしの胴体は霜を生やすか、
知れたものぢやない。
141
〔7〕田螺の唄
田螺の唄 これは僕の故郷だけのものなのか、各地方にあるひは同
じの、または似通った詞のうたがあるのか知らないが、
次の様なのを子供の頃うたつた。
田つぼどん、田つぼどん
ひんがん(彼岸のこと)詣りしやらんか
(しませんかの意) わしもちよつこり詣り度いが
烏といふくろ鳥が
つつき、つつ貴「
つついて雨さへ降ればその傷が ざあく、ざあくとやめまする。
最後の一行が繰返しになる、子供のお手取り歌である。
輪になつた子供たちは、皆が両手を握りこぶしにして前 に突き出し、一人が上記のうたを歌ひながら、人指ゆびと
親指で出来た穴へ出鱈月なテムポで指を突き込んでまは亀 うたひ終つたときに指を突き込まれた者が、今度は輪の中
に入つて同じことを繰返すのだ。
遊びに行く先を決めたり、物の分配を決めたり、さうい つた…望口にも僕等は始終このうたをうたつたものだ。 このうたを思ひかへして、ギクリとしたのは数年前だ。
あの草深い筈のわが故郷にこんな唄があるとするとおれは 田舎を見直さねばならぬと切実に感じた憶えがあ亀
頑是ない子供たちが、畦道などで大声張りあげてこれを 唄ふのを考へると、おかしな気持にな亀僕自身が嘗ては その輪のなかで、土から生れたと考へるより外ない恐しい 「茜夢の唄をうたつたのだ。小学校に上って、「ポッポッ ポ:・」や「はすの花がひらいた」などの唱歌を教へられる 幾年か前にこんな唄を大喜びでうたつてゐるといふのは考 へ様に依っては皮肉でなくもない。事考僕など子供の頃 の唄と言へば「田つぼどん」が口にのぼるのだ。 面白い唄であつた。勿簡・柔かい当時の僕らの頭に雇
意」などあり得る訳ばないが、一番面白く、愉快な唄であ つたQ第一にこの唄は寓意茅‑問題にしなくとも最も現実
的だつたのだ。見慣れた風景であり、だから言葉だけとし
ても無理なく理解出来、それだけの「現実」がいきいき七
僕等を撃つたのだ。 例へば、この唄のなかで宣息として最も鋭いと僕の考へ
るところの、
雨さへ降ればその傷が
ざあくざあくとやめまする にしても田螺の青畳写して少しの不自然さもない。そし
て、同時に寓意の底には、雨が降つて田仕事を休んでゐる 人を断え間なく責めさいなむ「きの惨忍さや執拗さがじ めじめと語られ竜受難者の出呂だ。雨が降れば古傷もう づくといふ一般の知識は、田螺目身の出呂として子供心に もちつとも不自然でなく、寓寄としては心をも重くさせる 程押しっけられた、陰惨窒息味があるではないか。
「田螺の唄」の外に、もーつ僕は覚えてゐる。この唄は、
死んだ祖母に依れば曽祖母のことをうたつたとかで、僕な
ど物心ついてからは聞くのを嫌やがつた。
寺のおとみさんの 髪の結ひやうみや凱
てんとてぐりわの槽の輪の如し(「てんとてぐりわ[」] といふ詞の意味僕には不明である。)
大のくゞればいたちもくゞる
村の若い衆もみなくゞる。 「おとみさん」はつまり僕の曽祖母の名前ださうだ。この
お手取り唄も僕らの幼少の時よくうたはれた。これをうた
ったのは主に女の子供たちだが、意味は勿論わかりもしな
かつたのだ。 この唄に利いてゐる諷刺も面白いと思はれ亀 本山対末寺の機嘩関係が今日の如く複雑化せず、また、 門徒衆の意識が「宗教」寺院」について今日の如くササク レ立たぬ当時の、ぬくぬく溜め込んだ村の寺院の若い嫁だ
とか娘だとかの村人の眼にうつる壮大な美しさや、限りの
ない淫奔さなどが、痛快に諷刺されてゐるのだ。
僕の故郷での、幼年時代の唄のなかで記憶に残ってゐる
のはこの二つだけしかないのはどうしたことであら・笑得 手勝手な引用ではないのだ。忘恩星や東刺」を見るのは 今日の僕であり、そして面白いと考へる反頑さうした事 柄(雇意」東刺」)に関心を持ち得やうもない幼年期の僕 がこれらを半ば習慣的ではあれ喜んでうたつたといふ事実 はどう解釈したらいいのであら・笑【こ
都会製の、言はゞ天降り式に与へられる童謡と、最近百
田宗治氏あたりがあちこちで紹
〔以下、なし〕
〔8〕納屋の夢
納屋の夢
ある晩僕は夢をみた
故郷の、 納屋か鞍そんと坐つてゐる石臼の下から 握り拳ほどのコホロギが顔を出し
〓行抹消〕 トタン塀を爪でこする音をあげて、
くるしい、くるしいとうたふのだ
〔一行抹消〕
かほがだんだん白けてきて
誰やら知ってる顔になり
そこでハツと眼を覚七た さむい冬の味方のこと。
〔9〕無題
〔一行抹消〕 〔一文字抹消〕あること)はこの後もさうであらうし、さ うでなければならない。
たゞ、生活第一主義はわれわれの信条であることに変り
はないが、これを何か固定したものに考へるのはいけない
事である、と言ふより間違ってゐる。 固定した「生活的」の解釈は、何よりも詩人に頑なに「生
活を」ぅたへと要求したがる。おまへの生活に相応した感 動をみつけろ、と言ひたがる。僕の一番いやな含量警。こ
の言葉は、与へられた作品を分析した「答」として、多く の曇口正⊥い。と同時に、そんな忠告を与へるといふこと は、絶対に誤ってゐる。 「生活的」といふ言葉牢僕は好きなのだが、それが大 きい、たかい意味での「生活的」であることを止めて、し みつたれた、四六時中地を這った僕等の個々の生活に執着 しすぎ、例へば箸の上げおろしに迄、「あいつの箸の持ちか たは並最のあいつの流儀と違ふ」と言ふ風になると恐しい。 その恐しさは、つひには、さういふ指摘を懸念するわれわ れのうちで成熟して、生活から何とかしてハミ出して成長 し、また飛翔しようとする或るものをまつたく閉塞してし まふ。ああ、しみったれた生活の枠。 そんな「生活」の枠の設定に僕は反対であ亀 僕は詩に於いて妻なのは、生活をうたふことではない
と思ってゐる。「生活的」な詩の在るところは、生活のあれ
これの墳末性のうちを「モチにくつついたやうに」(田木繁
は労働者詩人と日常生活との関係をさう表現した)感動を 漂って廻るところにはない。反軍じっは、生活を超克し ようとするところに在るのだ。例へば、小熊秀雄はあのや うに生産的な方法をもつて彼を制約する社会的・肉体的諸
条件のもとでの実生活よりも「生活的」な世界をつくらう
としており、田木繁は自らの生活にいち早く見切りをつけ、
あのやうな自虐的な方法をもつて自らの「生活」再構成の
モメントを発見しようとしてゐるし、遠地輝武また同様に であ亀これらの人々に、もつとナイーヴにお前自身の生
活をうたへとか、そのなかに自分相応の感動がある筈だ、
そこから積極的なモメントをつかんで詩作しろと言った所
で、彼等はせせら笑ふに違ひない。自分の、しみつたれた、 或はやくざな生活よりももつとたくましく「生活的」に
文学しようと意図する彼等に、さういふ忠告は何の役にも
立たぬのである。
ところで、読者よ、気づかれたであらIス
僕は詩に於ける「生温的」といふ言葉考すでに個々の、 あれやこれやの、具体的な彼等の「生活」から抽象してし まつてゐるのであ曳ここで文学は主体である。文学の性
格として、「生活的」なる言葉を理解してほしいのだ。或る
人々が、生活を、生活を、とりきみ立つてゐる間に、生活 のうちに在り、生活に愛想をつかした詩人のいくたりかは、
彼等の文学に於いて、もつと「生活的」であらうとしてお り、生潜朝でぁりもするのであ亀彼等は形の上では、自
分らの生活を直接の対象としてうたひはしないが、彼等の
設計のなかには、しみつたれた自分の生活よりも、はるか に力強い、「生活的なもの」を自分の文学のうちで形成しよ ぅといふ野望があるに相違ないのだ。詩的感動は、彼等の
場AR多くは、彼等の日常生活そのものから起つて来はし
ない。さう考へて差支へないのである虻 一環われわれの間には、日常生活を無意味に偏重する 習慣がありはしないか。政治的敗北以夷特にわれわれの 詩は日常生活的な所に感動をみつけるやうになつてゐはし ないか。それを犯して自由に振舞ふことを、何か知らタブ ー視する傾向がありはしないか。そして不幸なことには、 散文的で、しみつたれたわれわれの生活のみを対象とする 感動なんてものは」実喝底が知れてゐると言ふのは乱暴 な青畳苛あらうか。われわれは嘗てあの様な感動を日毎に 持ってゐたし、いま身辺にあるのは、このやうな日常であ る。こんな抽象的な表現を、読者よ、許され度い。こんな 表現するよりほかに、いまの僕は能がないのだ。事態があ まり厳粛汁ざ僕の思索は干上つた感動の世界の貧しさの なかで「途惑ひするのである。
この乱れた文章で、僕は何を述べる心算でりきんでゐる
のか。
「生活的」な詩の意味を、考へ直し度いのだ。生活を追
ふ詩から、生活をつくるべき詩に、僕等の考へ方を進めた いのだ。詩・及び詩人の現世的な強みといふことも
この
ことの理解を通してのみわれわれのものになるやうな気が
するのだ。
僕は考へる、詩とは実生活破壊の機能を持つものだ。程
度の差こそあれ、さういふ星の
〔以下、なし〕
145
〔10〕目覚時計が「蛍のひかり」をうたひ出した
目覚時計が「蛍のひかり」をうたひ出した
鈴木
泰治
目覚時計が「蛍のひかり」をうたひ出した。 さつきまで家ダニに泣き喚いた赤ん坊は寝喝
お阿母が眼をひらミ子供の脛を蹴ると
子供は飛び起きて眼をこすった。
薄暗いザルの上、しなびて頭ふる春零
〓行抹消〕 底を見せか〜る桑鱒跳ね上る桑価に 子供心にせきたてられ、かほ曇らせ
飛び越へる汚れた赤ん坊の顔、眼を閉ぢたお阿母の七
扱ひきれぬ乗切り両手に、積み揃へた桑の葉を切りくだく。
ぎやつとちゞみ、やがてふかふか膨れる葉片が切り板から
あふれ出した。
すつと引き出すぎるの上、 振りかける葉つぱ、一喝鳴りをひそめ〔二文字抹蟄 夢中に新しい菓のある網に駆け上る虫笥 まもなく香気にむせる彼等の静かな歯音が一枚から一枚へ と鰊雨のように部屋にひろがつた 飛びかへる、汚れた赤ん坊の上、お阿母の上、 ねむい、死ぬほどねむい子供の萌 煎餅蒲団が朝の茶摘みまでの休息の口をポッカリあけてゐ 畳のへり、壁紙のうしろ、割れた柱の隙間からうかゞつて ゐただにら灯の消へ、寝がへりが二、三度つゞいて寝息 だけになる二喝
あし
這ひ上る、ころがり落ちる。褐色の肢をどぢどぢ伸縮させ」 畳の旦つゞつ進む吸血廃し眼のない世界をまつしぐら。 飢へてゐる、いそぐ、短い肢、くびれた身嘩自由になら
鞄近づく煎餅蒲団からむんむんひろがる体臭ああもう 肢もなければ頭もない、食食動物の褐色の胃袋が必死にな
つて転んで行くのだ。
だにQ畳のへり、壁紙のうしろ、柱の隙間からうかゞつて
ゐる。 灯が消へ亀寝がへりが二三薦寝息だけになる二喝 這ひ上る、ころがり落ちる。闇 褐色の肢、どぢどぢ伸縮させ、畳の旦つづつ進む吸血虫。
眼のない世界をまつしぐらだ。
〔11〕古い家
古い家
鈴木
泰治
くにから手紙が来た、風もない小春日の午簡土蔵の一
つが突然崩れてそのままえんこしてしまつた、とある。二 つある土蔵、二つながら中味は古びた道具のかけらばかり、
叩きつぶして野菜や草花でも植へてし諷へとは若い息子た
ちの意見だつたがおふくろは反対だつた。手を掛けてこぼ っには人が要る、それよりもぅフす鼠がかつた壁は大きな とゞだらけ、棟と柱との食ひ合せもアングリロを開けて雨
はぐぢぐぢ木を腐らせてゐるから寿命も永くあるまい、放
って置けばそのまま何時かは崩れるだら・ュ差し当つて場
所がいる訳でもない、と言つてゐたのだ。
子供たちは砂利の庭であそび、おふくろはぼんやり小春
日に坐ってゐる午後の崩れる土蔵の烈しい物音が私にはき
こへる、きこへる。
土けむりが止み、散乱した古い木っばの上にのつそりと 乗りかかつてゐる屋根は重つたくそのままだ。子供たちは おつかなさもある喜びで屋根をわたり歩いてゐる。 1おふくろの顔が見え亀不意の驚きが止卑もう現れ てゐるのは待ってゐたことが遂に来たといふホツとした安 堵なのだ。庭に出やうともしないで、縁側から身をおよづ かせて眺めてゐる。 土に坐つた屋根の向ふに笹薮のひろさ、青さ。 「こんなとこにこんな広い場所あつたんやな」 不意にひらけた新しい視野を不思議さうに眺めてゐる。 〔12〕蛙
とかいふ新らしい公園の方へ歩いた。 いてみた。慧沿ひに河べりまで出、計究て董公園 二日粗前の午筍あまり天気がいいので、淀川堤まで歩 蛙
水際から堤防までの草つ原に、曜日であるのに、おびたゞ しい人々だ。明るすぎる真昼岡青すぎる草に身体を打ち
つけて微酔をさましてゐるのは快いにちがひないと真実羨 しいと思ひながら、ポケットの白銅を数へて歩いて行く
気がつくと、雲雀の声も落ちて来るのであ亀あつらへ向 きに出来てゐるなと思って、騒ぎ廻る人々の顔を見ると、
格別雲雀を賞玩してゐさうな顔もない、黙って堤の傾斜に
背を押しっけて眼を細めてゐる男だつて、路傍のカフヱか らもれる青菜を小耳にする程の気持で聴き流してゐるのだ
ら,笑こんな場AR雲雀の声に驚く、しやにむにあたりの
騒音からその澄んだ声を撲り分けやうとする‑‑すると、
私たちの瞳は生理的に夢みる様になるのだらうが、こいつ は感傷とは違ふ。など思ひをめぐらしながらずんく歩い て行く公園は堤防から街へ下りた所にあ亀新聞の紹介 で見ると、鈴懸の並木があるといふので、注意したがそれ らしい樹はまだ芽を吹いてゐないのだ。公園へ下りるのは
面倒だし、それよりも草つ原の向ふに流れる水の誘惑が素 晴しいのだ。公園を見下したまま行く
渡船場のあたりで、疲れてしまつた。草つ原へ走り下り る。思ひきり草の上に倒れかゝ竜
眼をつむつてしばらく、私は不思議な音を聴いた。まさ
か、と思ひ直して耳を傾ける。たしかだ。たしかに蛙群の
鳴き声なのだ。 真昼開この喧喝その向ふの河つぺりで蛙どもが一斉 に歓声をあげてゐるのだ。これはたしかに、先刻の雲雀以
上の傑作にちがひない。雲雀よりも、真昼間の蛙の鳴き声 は愉快であ竜一匹や二匹でない、恐らくは幾千匹に近い 蛙群が、腑抜けみたいに鳴き競ってゐるのだ。こんな風景 は、田舎でもザラにあるもんぢやない。冬眠から覚めた喜 びに、文字通り夜も昼もなく有頂天になつてゐる蛙たちを、 考へてみるだけでも痛快なのだ。こいつらは、この春かへ つた奴等ではない。声が整ひすぎてゐる所から見れば、昨 年の今頃もこのあたりで騒ぎまはつた奴等に違ひあるまい、 など想像してゐると更に愉快になつて来た。
一体に、夜囁くものときまつた蛙でもない。パンフエ.ロ フの例のプルスキ⊥と、真昼間の鳴きしきるこほろぎ
に、向つ腹をたてて煮え湯をぶっかぶせる所があるが、そ して、そんな莫迦げた、こほろぎが昼間囁くことがあり得
ないと批評した奴があるさうだが、蛙だつて同じである。
静かであれば昼間でも鳴くだらうし、反対に疲れたなら真 夏の墓俊中だつて、ひつそりして終はぬものでもない。田
舎で夜遊びの経験のある人は、よく判ってゐると思ふが、 前の二時三時頃になると、流石に鳴きしきつた蛙も眠っ
てしまふのだ。そして、奥歯に物のはさまつた様な静寂が
くるものだ。
さびばかりが蛙の声でもあるまい。古い池や、小暗い沼
に風情を添へるばかりが蛙の役目でもあるまい。それの償
うちはそれとして、決していやしめる必要はないだらうが、
凡そ日本的趣味から離れてゐる幅員二〇〇間に近い淀川の
水ぎわ‑この箱庭的趣味とは縁のない広さのなかにも、
蛙の合唱はたしかに奇妙な面白さを保ってゐるのではない
か。.
なるほど、これも面白い。と私は思つた。日本的趣味と しての蛙の声とは全く別に、真昼間の傍若無人の合唱は新 しい面白さを持ってゐ亀古いわれわれの頭のなかで固定
化されかゝつてゐる蛙の声が、ここで立派に新しいものと して廷みがへつて来た。
そんなこと考へてゐると、自然に故郷の草つ原や水の色
が浮んで来た。これは仕様がない。 田ぢや、春や菜種がまだ残ってゐて、水を凍ることは出
来ない筈だが、蛙どもは一体何処で毎日鳴きつゞけてゐる だらうかと思つたり、かと思ふと、蛙相手に幼い時代にや
った棄戯など頭に浮んで来た。 態膏蛇と共に、田舎の子供の遊び相手である。堅ハ時 ちゆーュいためつけられてゐる農夫の子供は、此奴らを見
っけると物凄いサディズムを発揮するのだ。今にして思へ ば、あれは聞達ひもなく、持って行きどこ貧Ⅵない鬱憤
それは祖先から受ついだであらう重荷だ‑を、無意識 ‑
にこれら動物に向つて発散したのであつて、これは小さい
反逆の現れであつたのだ。気の弱かつた私が、オドオドみ てゐる前で、彼等は実に奔放に、思ふ存分此等の動物を虐
待したのだ。 例へば、半殺しにした蛙の口にローソク花火轟香花火 に類するもの)の口火をつけたのを差し込屯硝煙に点火 するまでの静かな瞬間考蛙はへとへとになつて身動きも せぬ。やがて、じじじつと火花が散り出すと、死者狂ひで 飛び狂ふ嘩爆発1口は無残にひき裂かれ、血塗れの死体 が砂に埋もれてしまうのだ。子供らは、学者の様に厳粛な 顔で死体を点検し、次の犠牲を探しはぢめるのであ曳 こんなこともや亀蛙を捕へて、麦樺を肛門に挿入し、
ぢりぢり蛙の体中に空気を送り込むのだ。横っ腹が膨れあ
がり、由肢をハリツケを受けた様に思ひきりのばし、やが
て口から欝を吐き出して、ケイレンと共に死んでしまふ
のだ。見てゐて、思はず眼まで掩ふことが幾度か知れぬ。
他にあそびのない田舎の子供たちは、室に執拗な自然の なかに彼等の遊び相手を探し求め亀草の葉、木の実、昆
虫など・・・恐るべき触覚であさりつくすのである。バルザッ クの短編(柘槍屋敷だと思ふが)に、田舎では子供たちは
玩具の必要を感じない、すべてが彼等のあそびのよすがで
ある、七いふ言葉があるが、それはバルザックの眼に入る
当時の貴族社会に於ては、子供たちの遊びの対象になる其
等の生物らは、言はゞあらかじめその広い荘園に用意され
てゐる様なものであり、庶民の子供たちの場合にあつては、 自ら自然のなかに対象を探して行かねばならぬ差異はあら ぅけれど、たしかに田舎の子供たちは「目然の玩具」を持
ってゐるのである。だから自然に対する触角の点から言へ
149
ば、都会の子供程鈍感なものはないのだ。都会に生れ育 ち、現に生活の車を押し進めてゐる人達の不幸をふと考へ
た。私自身の強みといふ様なことを思つたりした。そして、
ねむって行った。
淀川堤防を歩いて帰った頭初めて赤川四丁目の私の下
宿のまはりでも蛙が盛に鳴き出してゐるのを聞いた。今夜 も鳴きしきつてゐるのだ。 ‑11934・41
〔13〕詩よ
詩よ
鈴木 泰治
こんな夜は始めてだ。 省線を棄てて舗道を叩くわたしの愉みは
生酔ひの勢いではない。
今夜久し振りで詩の集りに出ての帰りであるが
詩よ、 いまわたしは身のまはりにお前の不気味な 顔を予感してゐ亀
来たー・ お前は石畳の坂を降りるわたしの背後を卒然と襲ふ。 わたしが身構へる、構へて振向くとお前
とわたしの間隔はへだたり、
お前は心弱くふなふなと笑ひかけるのだ。
娼婦の様に妥協を誘ふお前の前でわたしの
きびしい身構へは他愛なく崩れ
たちまち、姐虫となつて闇のなか身をくね らせながらお前へ向つて這ひはじめる!
お前の淫らな瞳は瞬間つららになり、姐虫 のわたしを突きまくる。
はつと気付くわたし。
また掛ったと後悔の應ゾを噛むわたし。 白い妥協の腹みせて石畳を転げ落ち亀
妙な晩だ。 お前はわたしの前へ姿をもつて現れた!
〔14〕迎春
詩とは生墓の機能であるか 迎春
ふとわが道を振返ると、
身のまはりから物が無くなり、
眼ばかり切なくひかつてゐる 二つの国に在る時差が
他愛なく一律になる世の中に
見ねばならぬ、.見抜かねばならぬことごとの多さよ。
身に持つべき物を持ち、食ふべきを食ふ
詩とはそこから発足すべきものか。 たぢろがぬ自立の精神は
そこからだけ生れるのか。
僕春を迎へ思ふこと二つ。
一つ、僕苦行者にあらず、 二つ、奪はれた讃歌を堅炭せ! 詩とは血相変へて書くべく、 詩人とはとつさに血相変へる人間だとすれば おれは失格者だ おれは田舎育ちで 言ひ様なく喜怒に鈍重な男だ。 飢えだけが、始終 おれの鈍い表情を揺り動かすが そこで切ない詩の一つ二つは書けようものの、 どのみちこいつは健康な状態ではない おれはだんだん苦行者ぢみて 諦観の塊りに向ひ出す。 かうなつてはお終ひだ。
吾れ苦行者にあらず
‑
今日以後これを忘れるな!
詩と飢を結ぶ諦観の塊を 寝てもさめても打ちくだけ。
151
鈴木
泰治〔15〕自叙伝二節
自叙伝二節
〔16〕僕に讃歌無し
僕に讃歌無し
〓行抹消〕
僕の一生の望みは、
眼眩むほどの讃歌を
撒きちらすことだ。
〔二行抹消〕 事もなげに、かるがると
肩で受止める相手に向って。
〓行抹消〕
僕の讃歌は、
プロレタリアの・フえに。
それ以外に何があらう、
そこで性格はかゞやいて強くなり、
創造はひとりでに生れ出て、
詩の道はひらける筈だつた。 〔九文字抹蟄僕が怠惰になつたのは 〔一〇文字抹消〕讃歌を上申書とともに
あいつらに渡したからだ。
カツコつきの「政治」のことぢやない、
文学を渡したからだ! 日毎僕を取巻く、 しみつたれた生活よ、感動よ、 人を讃美するとき一番強くなる、 僕の前には、〔十一文字抹蟄 〔六行抹消〕 僕の十字軍は、 讃歌恢復へ向けられる!
〔17〕村の入口
村の入口
村の入口に砲弾が立つてゐ亀
大きいのはコンクリートの台に乗り、
小さいのが鎖で手をつなぎ「 護ってゐ毛 先刻から奉公袋片手にわたしは立つてゐる 子供の頃このあたり、雑草は不達な手を
台の隙間からのばし、 気安く、
砲弾に身体をすりつけて遊んだ。
今日、草は綺麗にむしられ、
砲弾は疾止めの油でひかつてゐる
その装ひに、
憎ったらしく若返へる。
‑
戦死何革何某じ
その刻み目に油がたまり、 整心房は先程からわたしに向つて、 瞬いてゐる。
ああ、 草よのびろ、
遠い記憶の底にこれらをつつみ込め。
(「おかしな村」一)
〔柑〕樹に嵐する夜
樹に嵐する夜
鈴木 泰治
山が鳴る。
腐った土ふかく打ち込まれたクビキの上に 静まり返つてゐた樹々の頭がだんだん狂
ひの幅をひろげて ‑夜になる。
生活よ。 わたしは苦行者でないうえに人一袋享楽を
求めるのに
詩の機能が勝手気ままにおまえをぶち壊し て行く
身のまはりから物が無くなり、眼だけが切
なくひかる。淋しいこと限りがない。
私は淋しいのだ、こんな莫迦げた事柄が喜 怒に鈍事な田金暑わたしの表情を手もな く変へること。
繁忙のなかに忘却を求める気のないわたし
はもう死んだ方はいいのだが
せめてこんな晩だけは、
思念を嵐する樹々の狂ひ立つざはめきと一緒に遊ばせて生 きてゐることを忘れ度い。
(一九三六・十一・)
153
〔19〕所謂「楯」について
所謂「楯」について
鈴木
泰治
田木繁の詩が労働者の精神を以てうたはれてゐないとい
ふことを、労働者詩人諸君から聞いて僕は「安心」した。 僕は「汽槌の下で」にはじまる彼の一年間の仕事考誰よ りもインテリゲントの限界を烈しく自覚した彼の限界内で
の捨身の努力と理解してゐるのであるからだ。そして、誤
解を避けるために結論を先に言ふなら、彼は他のどの詩人 よりも劣らぬ強さで、限界性の打破を念じてゐるのである。
たゞ彼は自らの中にある限界性のしぶとさを、嘗て尖鋭な
プロレタリア詩人であつたといふことのために出し渋るこ となく作品に露呈したのだ。僕はここに田木の実験を感じ る。その勇気にうたれ亀或ゑ息味ではプロレタリアート
のシム掛ルでもあり得る機械・その操作の前に自己のしぶ とい限界性を暴露するほど勇気の必要なことがあらうか。
機械につつかかつて行った彼は、そのことに依って機械の 前にヲロレタリアートの前にと読んでもいい)自己のイ
ンテリゲントとしての「限界性」を語ってゐるのだ。これ
が「ゴー・ストップ」までの田木繁である。 僕は彼の詩にあつては、機械は所詮彼の「醇であると 書ミ彼が間髪を容れぬ労働の換作をうたはうとも後に あるのはインテリゲント田木の顔にすぎぬとも書いた。い
までもそれで大島連ひはないと考へてゐるが、少し補足
すると、機械の後はまぎれもない田木自身だが、その顔は 自ら設定した限界性の観念そのものにつかみ掛らんばかり
である。
そして、次ぎ次ぎに彼は機械・その操作を追ひはじめる。
機械に対する時程その情熱が彼の限界性を忘れさせる時は なかつたし、その結果出来た作品ほど彼に限界性のしぶと
さを今更ら感じさせるものもなかつた。 「候斜を予定してなければペンが少しも動かぬ」と言ふ
田木は、自己を切破つまつた所に置かねば、言ひ換へるな ら頭を打たなくては詩の書けぬ男なのだ。善く吉へば「身 から制作を削り落す」型皮肉に書けば融通の利かぬ詩人 であ曳このことは、つまりインテリゲントの限界性を見
事に露呈しつつ進んでゐる現在の田木が、その限界性に頭
を突き当てて身動きならぬ所に来てゐるといふことなので あ亀僕らがその前で、先づ一番自身にとつて脆さうな抵
抗線を突破しょうとしたり、手もなく傍道に逸れたがつた りする所で、彼れ田木は仕事をはじめる!烈しい傾斜であ
る。
「ひとが何か仕事をしてゐる間其処に何等か未来があ る野とシヱストフはチヱーホフ論で言ってゐる、「彼はそ
の人間に対して全く無関心であ曳かうした人間を描写す
る場今彼はいつも嘲笑的な皮肉な調子でさつさと描いて しまふ。併し、一旦錘れにひつかかつた場今如何に焼い
ても解きほぐしやうのない練れに引つかかつた参篭チヱ ーホフははじめて眼を覚ますのであ亀生覇精力創造
力などがここに至つて初めて現れるのだ。」 僕はここを読みながら、田木を思ひ浮べた。今日の田木 の異常性はこんなところにも在るのではないか。蕪論わ
れわれは仕事をしてゐるし、それ故に未来はあるのだが、
こんなことはここには関係ないだら・笑)最近一年間の田木
の作品に現れたこの種の異常性について、それの原因を →壁」に対する姿勢に求めなければならぬのは論を侯たぬ
として、その他彼のこの異常性を持ち来たしてゐる性頃
或は生理的な要因を彼の場合指摘するのが非常に重大であ ら‑笑いまはこれに触れる余裕がないし、別の文章で扱っ
た方が面白いと考へ、「楯」に移ら一笑
はつきり言へば、僕は田木の詩から得た教訓で自身で今 日にも実践したいと考へるのは一つだけであ奄僕は人間
的にも性格的にも異るこの先輩‑大元清二郎に言はすれ ば、その故にこそ僕が彼の詩に関心と愛着を持つのださう
だし、事実さうなのだが‑の詩が僕の方向だとは夢にも考 へぬ。たゞ一つ、田木の繰かへし書ミ精力的に詩作の中 で実践もした彼の確信‑インテリゲントが自己の観念を置 きかへる(言ふまでもなくプロレタリアートのそれに)こ とは、インテリゲントとしての自己の周囲を追ふことに依 っては為しとげられず、その限界性をたかめ、その可能性 をより多く解放するためには、他ではないプロレタリアー トの「現実」にぶつかるより道がないといふ常識である。
念の為めに言って置くが、僕はここで性格の発展といふ
ことについて、あまり多くを夢想もしなければ期待むしな
い。夢想もなく、期待も持ち得ぬ僕は、手をつかねて労働
者的な現実を傍観しながら、インテリゲントの現実を退ふ ことに終始すべきであらうか。例へば大雨後の河べりで小 草が戦く様咤性格の発展を侯って僕等の芸術(密が実
質的に進展するといふ原則を、かくまで機械的且盲目に守 るべきかごJの場卑労働者的現実を自己救済のために「楯」
とすることに依っておのれの限界性自体をたか欄て行くこ
とは、卑怯な手段であり、プロレタリアートへの冒涜であ
るか。′田木へ集中される労働者諸君の攻撃の殆どがかうし
た田木の姿勢と態度に閲し、その労働者的でない心情にか
かつてゐるとき、同じ苦しみを噛みつつ前進してゐる筈の インテリゲント詩人の多くは暗黙のうちに彼に背を向けて
ゐるのである。 過去一年間田木にあつて機械は自己批判の指尺であつ
た。精密な機械、間髪を容れぬその換作‑それにつつかか
155
って行った彼の幾つかの作品はプロレタリアートを前にし ての彼の肉体で為す自己批判であつた。このことを知った
時、僕は田木自身の過程を承認した。この時以来、田木を
飽迄激励しようと決心した。僕に欠けてゐる気塊を彼の中
から発掘するためでもある。各詩人の一つ一つの作品の上 を、鳴きながら相捗って行く鳥の如きが批評家のすべ七の
簡度でもあるまい。僕は当分田木繋の詩についてばかり物
を言って行くつもりだ。
最後に、僕は多くの人たちが「限界性」の設定を嘲笑す るのを聞くその度に、僕はプロレタリアートと他の階
級との間は万里の長城で隔てられてゐるものでない。」とい ふ有名望一重看思ひ浮べ奄原則的な意味で、インテリゲ
ントの「限界性」などがどうして存在しよ・笑そんなこと
は解りきつてゐるのだ。にも拘らず、僕等が個々としての
限界性のしぶとさを骨に徹するまで感じるのは、今日の時
代にあつて、われわれ自身がかかる原則からいかに歪んで 生きてゐるか、といふ事実の検討に他ならず「そのための
自己批判に他ならぬのだ。尊の原則の考究極の名に於
いて抹殺した所
まさにそこから今日の僕の問題は派 ‑
生するのだ。 プロレタリア詩のわるい意味での素朴性についてブルジ ョア詩人は指摘す亀だが、僕はさうは思はぬ。われわれ
の詩の方向が、人間情熱の畳も其〓文字空白〕な方向で あるからには、それが多種多様の生活の土壌に育つもので あるからには、プロレタリア詩ほど百花〔二文字空白た るものはなく、その反面〔二文字空白】の多いものもない 筈なのだ。好きこのんで〔二文字空白〕を歌ふのではない。 われわれ自身、〔二文字空白の中に置かれてゐる曇口はど うなるか。今日の様な時期にこそ制作及び批評の徹底的 な具体性を僕は要求したいとつねに考へるのだ。(六月二 九日)
〔加〕性格への懐疑について
性格への懐疑について
○今日の現実では、性格は人間の行為を規定する原因では
なく、行為が規定する結果ではないかとさへ思はせられる。
○性格規定といふものには今日、さうした歪曲の手掛りと
なるやうな非現実性乃至は虚構的便宜性が優にあり、又通
俗小説のなかに持ち込まれ得る通俗性が憧にあるから、現 実性偽装の手段に使はる可く持ち込まれたものではないか
とも言へるのである。
キヤムプ地じ 街道喝
ボロのキヤムプ。
労働者)
子供」
〔21〕「性格」の不安に綴る高見
「性格」の不安に鈍る高見
小説制作に於ける性格規定といふものが今日の現実にあ
っては、反って現実歪曲の手掛りとなるやうな「非現実性 乃至は虚構的便宜性」が佳にあり、又「通俗小説のなかに
持ち込まれ得る通俗性が憶にある」からして、自分は小説
実践に於いて人間の性格に鈍ることに安堵は出来ぬと高見 順は「長篇小説」(」ハ辺で又繰返してゐ亀 性格が先か行為が先きかといふこー′丁つまり高見に言は せれば、「性格が行為を規直するか、「行為が性格を規定」
するかといふ問題はそれとしてはしかしすでに自明であつ て今更ら彼が懐疑を覚へる迄もない。「太初に行ひありき ⊥であるのだ。だが、小説の実際問題としては、さうし た論理的に素朴な問題ですらなかなか文学的に把喝解決 出来ず簡単に「性野の観念に綴る結果とてつもない虚構 をつくり上げることになるのを懸念する高見の気持は納得 出来るもめの、彼自身の創作実践はもうそんな大人気ない 懐疑を提出する地点から幾歩も進んでゐることを彼は自ら 認める必要がある?
〓行抹消〕
一時代前の文学者は作品のなかで性格破産者の存在を示 せば事足りたが、今日の文学者の困難は彼らを癌き分け」 ねばならぬ点にあることは小林秀雄がすでに言ってゐる。
高見はこれを多少ともなし得た稀な作家の一人であると僕 は思つてゐ亀小林と高見の一言量(では小林が一段優ってゐ ることは間違ひないし、それを知らぬ高見でもあるまい。
小林の信念は現在の小説界にあつて「懐疑」の域に在るか
も知れんが、高見の言ってることは彼のやって来た仕事の
後づけとしても色彩のない凡々たるすでに解決済みの事実 であ曳いまの彼にとつて重要かつ当面の仕事は「性格以
外」に彼が存在すると信ずるぬき差しならぬ小説の要素の 片鱗を示すことである筈なのに、彼はこれをちつともやっ
てはおらん。
157
〔㌶〕帰郷歌
帰郷歌
鈴木
泰治
故郷よ、また揺れ戻つて来たあなたの息子でて
こんども夜で、酔ってます。
地方から勝る熱気があり、突然肩に灼けるあつミ ぎよつとして振返るとあかい且。
二里の街道じ
家たちは樹々と連れ立つてわたしに向つての
つそり歩み寄つてくる。
生きてゐる筈のわたしより死んでる筈のこ
いつらの方が
不穏な構へで生きてわたしを脅かす1
坂があり、そこでもひとりのわたしが立上り、
影よ、ふたりで村へ入って行きます。 〔23〕蕩児帰省歌
蕩児帰省歌
ふるさとよ、また揺れ戻つてきたあなたの息子です
A「度もよるで、酔ってます
地からは騰ぼる熱気があり、突然肩に灯けるあつさ、 ぎよつとして振返ると月
家々.は樹々と連れ立ち、ふらりふらづと行くわたしに向つ
てトコトコ歩んでくる
生きてゐる筈のわたしより死ん紆偽る筈のこいつらの方が
不穏な構へで生きてわたしを脅かす
坂があり、そこで、もひとりのわたしが立上り
影よ、ふたりで村へ入って行きます。
〔封〕童話あさの街道
鈴木 泰治
さむくなつて来ました。もう間もなく雪がふりはじめる
でせ一笑道はもうこほりついてゐます1今朝のつめたさ はまた㌍わセて
村の街道を大きい車や小さい車がか弘紛らくるまを 鳴らしていく台も行きました。どの車も早咲のすいせん
が目もさめるやうに積まれてゐます1さざん花やさかき
もまじつてゐました。
午前四時です1村ではまだみながねむつてゐました。
水車屋だけがコットン、コットン小川と一緒にしやべつ
てゐるばかりでした。■
みなさん!これは何の車でせう?ふゆの朝の四時とい
へばまだまつくらで、みなさんはぬくいふとんにくるま
って夢をみてゐるときです句
「僕知ってる!」、そりやえらい。「はな売り車だら ・笑」ええ、その通り、これは花うり車です。まいにち、
花を一杯くるまにつんで二里もはなれた町へ売りに行く
のでした。
尋常五年生の啓介の車もそのなかにゐました。ふだん はお母さんが行くのですが、けふは日曜のなでお母さん のかはりにやって来たのです。
啓助はさつきから、車にしばりつけたこほりの中でむ
づかる妹のよつちやんにこまつてゐました。
「な、よし「てかへりにアメ買ふたる。泣くな、泣く
なよ。」
車をひきながら、ふりかへつては言ひきかせましたが、
きげんの悪いよつちやんはこほりのなかでしやちこばつ
てすいせんの花かみちぎりながら泣いてゐます。
町へつくのがおくれるとそれだけうり上げがへるので、 しまひに啓助は腹立ててかけ足でくるまひつぱりながら
「もう知らん。もう知らん。勝手に泣けー」とどなりま
した。よつちやんはおどろいてちよつと目をばちくりし
て泣きやみましたが、こんどはまえよりもひどく泣き出
しました。
啓助はさむいの′に、あまりこまつて汗をかきました。
どうしていゝの弥わかりませんでした。ぐづぐづしてゐ
るうちに、一町足らずあとにつづく車が追ひついて来る やうなきがしてあせりました。
そのとき、うしろで自転車にブレーキかけるおとがし
て、啓助がふりむくとさむさでまつ赤なかほした見しら
ぬ姉さんが「ヨチ、ヨチ」とよつちやんに言ひながら自
転車からおり.ました。
159
「どうしたの?」 「こいつ泣くんやもの。」啓助はうらめしさうによつち
やんを見て言ひました。 「まあ、こいつだなんて。」
姉さんは啓助をやさしくにらみつけました。
ふところから小さい赤い財布だしてなかをのぞいてか ら、「ちよつと顔㌔てて」と言って自転車にのりました。
半町ほどまえの駄菓
〔以下、なし〕
〔25〕怠惰な音叉
怠惰な音叉
眠りに入る止叫
背中の下で、
水道はささやいてゐる、
耳をすますと一つではない、
馬ケツを乗越へ、タタキを濡らし
鈴木 泰治
近所界わい一つになつて
びしよ、びしよ
話し合ってゐる
聴いてゐる‑・仰向けに肢をひろげたま竜
ささやきはだんだん大きくなり、
自我は蒸気の様に身体を脱け出し
響はだんだん
大きくなつて来た、
音叉よ、わたし。
自己忘却の瞬間から
鳴りはじめる
4
眠りに入るまへ、
意識のよはまりを襲っては
わたしをカキ鳴らし去るもの、
ヱタイの知れぬ発光体の中に
わたしを投げ込んで去るもの
この眩惑は何だらーュ
この響のなかで、
めざめてゐる時コトリとも音のせぬ
わたしの音叉が、
鳴りはじめるとは!
〔以下四年文字の上に線が引かれて、取り消されている。〕 先刻まで、
部屋の温気をしたつて
硝子の向ふにとつついてゐたヤモリの
赤い瀬も闇に落ちた。
ワナは此処にあるのだ、
虚偽よ、末梢の拡大。
甲状腺異常の如くに
感情の、
末端巨大症にわたしは悩む
愚にもつかぬ、
小さい感覚どもが意地わるく
わたしの末梢にひつかかり
ぢくぢく 炎症を起して去る
〔以下五行文字の上に線が引かれて、取り消されている。〕
悲しみは誤算にはないのだ、 末梢への衝撃を 全感覚で受け止めること。 不幸は 知ってゐることにあるのだ! 四六時中、 わたしの末梢にかかづらふ事々の 愚かさ、感動の小ささよ、 〔以下一行文字の上に線が引かれて、取り消されているJ わたしは知りすぎてゐる。 知って、 焦りはじめるのだ! しつまり返る音叉を 無理矢理、 わたしの末梢に当てがひ、 ちつぽけな炎症を 必死! 拡大しようとする、 それが出来ればお慰みだ、 出来なければ、 疲れて野良犬の如くねむる、 わるい疲れだ!
わるい眠りだ、
161