和漢混渚文とは︑仮名文学語と漢文訓読語と記録語︑それに俗語
や漢語なども混渚した独特の文体をいうのが︑こんにちの通念とな
ってきている︒文体による説話文学作品分類の作業仮説として︑峰岸明氏は卓論﹁和漢混清文の語墓1の中で︑今昔物語集︵以下﹁今昔﹂と略称︶
の和文体・漢文体・記録体の文体勢力を強・強・強で示し︑宇治拾
遺物語︵以下﹁宇治﹂と略称︶のそれを強・弱・弱で示していられ
る︒宇治は表記様式の上からも平仮名漢字交り文であるから︑強・
弱・弱の混渚度合は似つかわしい︑といえばそれまでであるが︑宇
治の漢文体と記録体が弱・弱であるところに宇治の大きな魅力が潜
められているように思われる︒これに対して︑今昔の強・強・強と
いう混清度合は却って今昔から潤いを殺いでいるのであり︑小林芳注2規氏が言われるように﹁中性的な乾いた表現﹂﹁乾いた文章﹂とな
っている︒今昔への院政期訓読文の影響その他が︑今昔文体の魅力
にはマイナスにはたらいているということである︒
和漢混清文考その一︵原栄二
■■■■■■
和
漢混清文考その一
宇治において︑漢文体と記録体の文体勢力が弱・弱であるところ
に宇治の魅力がある︑というのはどういうことなのか︒それは漢文
体と記録体の文体勢力が無・無でないことである︒すなわち︑和文
語を頻用する中で︑漢文訓読語や記録語を特別な場合に使用し︑そ
の語に特別の意識を託そうとする用語意識である︒用語意識もなく
先行文献等の影響で無意識のうちに︑また偶然に和漢が混り合った
和漢混清文に文学性があるであろうか︒説話が説話文学たりうるに
は︑文学が言語表現である以上︑この面においても強い意識が求め
られるである畳フ︒
本稿は︑宇治拾遺物語の程度副詞を検討し︑その用語意識の一端
を窺おうとするものである︒宇治には一九七話が収められており︑
このうち今昔と概ね同文的な同話が六八話︑前半あるいは後半の一
部が同文的なもの一三話があるが︑今昔の強・強・強と宇治の強・
弱・弱との差異が︑これら具体的な対比によって現出するであろう︒
ここに和漢混清の意味するものがあろうかと思う︒
原
栄
一一
四七
宇治第一四三﹁増賀上人三条宮に参り振舞事﹂は︑奇矯な言動で
知られた増賀上人の奇行證であるが︑その冒頭部に次のような文が
ふふ唖フ︵︾︒
④昔︑多武嶺に増賀上人とて貴き聖おはしけり︒きはめて心た
けうきびしくおはしけり︒ひとへに名利をいとひ︑頗物くるは
しくなんわざと振舞給けり︒三条大后宮︑尼にならせ給はんと
て︑戒師のために召しにつかはされければ︑もとも貴き事なり︑増賀こそは実になし奉らめ︑とて参りけり︒ざ一三七M〜一一三
八2︶
*日本古典文学大系﹃宇治拾遺物語﹄三三七頁狸行〜三三八頁2行︑
以下同様︒
この短文の中には︑訓読語と認められる程度副詞キハメテ・スコブ
ル・モトモが相次いで現われ︑目を引くのであるが︑それは︑宇治
全体がこれら訓読語の使用を極力抑制する傾向にあるからである︒
宇治での用例数は︑キハメテ一○例・スコブル一例・モトモ三例であるが︑合わせて一四例のうちの三例がここに集束することは︑な
んらかの意味があると思われる︒
まず︑スコブルは④の文にのみ見られる孤例であって︑普通の場
合はこれを避けるのが通例である︒
@まみもかはりて世におそろしげなり︒︵宇治二一四肥︶
*︹眼見替テ頗ル怖シキ気有り︒︵今昔I三四一M︶︺
*日本古典文学大系﹃今昔物語集一﹄三四一頁Ⅲ行︑以下同様︒ 和漢混清文考その一︵原栄二
I ■ ■ ■ ■ ロ ■ ■ ■ ■ ■
eかほをかしげながらね入るたびにすこしけうとく見ゆ︒︵宇
治二二Ⅱ︶
︹顔ヲ美麗ナガラ頗ル気疎キ気有り︒︵今昔I三三九1︶︺ぐe右大臣殿心得ずおぼし給ける問︵宇治二七8︶
︹此ノ仏ノ現ジ給フ事ヲ頗ル不心得ズ思上給ケリ︒︵今昔Ⅳ
一四九渦︶︺ぐ③我ばかりの人を大やけと申ともかくせさせ給べきか心得ぬわ
ざかな︒︵宇治二四四W︶
︹天皇過二被行ルトモ我等許ノ者ヲ此ク搦メテ将行クハ頗ル
不心得ヌ事也︒︵今昔Ⅲ三一四Ⅳ︶︺
右のように︑今昔がスコブルとするところを︑宇治ではョ二︑︶
とスコシ︵⑤︶とに換言し︑e⑤ではこれを全く省略してしまって
いる︒このように一般にはスコブルを抑制することによって︑④の
ような場合にのみ﹁物くるはし﹂にスコブルを係け︑特に増賀上人
の気狂いじみた奇行を際立たせているように察せられる︒
なお︑スコブルは全く対照的な二重の意味l﹁非常に﹂と﹁少
しばかり﹂lをもつ特殊な程度副詞であるが︑この両者がョ二と
スコシに分かれて見られることは︑両様の解釈が当時まだ行なわれ
ていたことを示すものである︒しかし︑今昔においてはへ今昔編者
の一義的用語意識を前提として︑﹁非常に﹂の意に固まっていたと注3推定される︒
スコブルが宇治では④の一例のみであるように︑程度副詞として
のモトモもまた④を含め三例が見られるにすぎない︒この用例に乏
しい事由の一つには︑程度副詞用法のほかに陳述副詞的用法が平安
後期には一般化していたことがあげられる︒﹁モトモ:⁝・ベシ﹂と 四八
い︑フ語法︑さらに﹁モトモシカルベシ﹂﹁モトモコトワリナリ﹂と
注4という慣用句までも形成されていたのである︒したがって宇治でも︑
︑︑全用例八例中の五例が﹁もともめしいださるべく候﹂︵一八五咽︶
lllllllllllll︑︑llllllllI1110︑︑︑︑︑﹁もとも悦侍くし﹂︵三三六肥︶﹁もともしかるべきことなり﹂
0111111111111111︑︑︑︑︑︑11111111111︑︑︑︵四○三M︶﹁もっともことわりに候﹂︵一九五9︶﹁もとも道理な
り﹂︵三三四8︶のように︑型通りの陳述副詞的用法であり︑わず
かに三例が本来的用法の程度副詞として用いられている︒
eもとも貴き事なり︒︵宇治三三八2︶
︹糸貴キ事也︒︵今昔Ⅳ九九旧︶︺
①念珠を押し摺てそばへよりきたる程︑もとも砺もし︒︵宇治
三三六1︶
︹念珠ヲ押撫テ寄ル程二︑糸憩モシ︒︵今昔Ⅲ一九一肥︶︺
⑦昔天竺に一寺あり︒住僧もっともおほし︒︵狩造一三○5︶︹今昔︑天竺二︑⁝⁝一ノ寺有り⁝⁝寺二比丘多ク住ム︒
︵今昔I二八三5︶︺
eは前にあげた④に含まれる例であるが︑モトモの相当部が今昔に
見られ︑今昔ではイトとしている︒この和文語イトを殊更に訓読語
モトモと換言しているのは︑三条大后の宮の戒師として召されたこ
とに対する奇人増賀上人の情意の激しさを込めたことばとして︑ま
ことにふさわしいものであるように見受けられる︒①もまた今昔の
相当部がイトとなっており︑eと同様であるが︑増賀に匹敵するよ
うな持経者叡実の話︑第一四一﹁持経者叡実効験事﹂に用いられて
いることがeに類似している︒効験が抜群である叡実の加持祈祷の頼もしさを称賛するのに︑イトでは意に満たず︑あえてモトモを使
ったとみることができる︒内⑦ともに僧に関して用いているが︑⑦
和漢混清文考その一︵原栄二 もまた寺の住僧についての場合である︒今昔の相当部に使われていないにもかかわらず︑ここには付加されている︒モトモ三例が寺僧について使われたということは︑形式上で程度副詞とはいうものの︑粛然とした気分がモトモの中に包摂され︑情態副詞的機能をも兼ねねていたのではないかと憶測される︒
さて︑増賀の奇行證冒頭部に集まったもう一つの訓読語がキハメ
テである︒ここでキハメテについて検するが︑キハメテの用例は一
○例にすぎず︑イミジクの九五例︑イトの九八例に比較すると︑非
常に少い用例といわざるをえない︒今昔の相当部がキハメテとして
いるところを宇治で省略するもの一三例︑宇治でイミジクに換言す
注5るもの一四例︑宇治でイトに換言するもの三例︑宇治でョ二に換言
するもの二例︑このほか副詞法に換言するもの数例︑合計約五○箇
所においてキハメテが遠ざけられていることになる︒
これらの用例を主なものだけ数例ずつ示すと︑⑨かゞる物ぐるひを召したる事とざしり申けり︒︵宇治二一元
7︶
︹力︑ル物狂ヲ召ダル事ヲリ極テ誇り申ケレドモ︑︵今昔Ⅳ
一○○閲︶︺q②わかき男ども童部の︑夏あつかりける比︑︵宇治二○理
︹夏極テ熱キ比︑若キ男童子等︑︵今昔Ⅱ三三四皿︶︺④よひ暁に此殿へ出入る乳がぴし︒︵宇治一○二一3︶
︹宵暁二殿内ョリ出入スル極テ元愛也︒︵今昔Ⅳ二五二9︶︺
⑦我父の前別当いみじう老て︑︵宇治三七二週︶
︹死ダル父ノ別当極メテ老童シテ︑︵今昔Ⅳ一九八2︶︺
⑦今かた膝ふせていみじくつきた︑しくゐなして︑︵宇治九四
四九
3︶
︹今片膝ヲバ臥テ極テ月々シク居成シテ︑︵今昔V一○○略︶︺②いみじく不幸なりける侍の︑︵宇治三四三7︶
︹極テ身貧ナリケル侍ノ︑︵今昔Ⅳ九一5︶︺③それにつけてか︑るわざをすればいとおそろしき事なり︒
︵宇治三○○8︶
︹其二付テ咀フ事ナレバ極テ怖キ也︒︵今昔Ⅳ三○四3︶︺
@かどにいとをかしげなる女の︵宇治四三Ⅲ︶
︹門二極テ端正ナル女人ノ︵今昔Ⅲ五七三3︶︺
のごときである︒このようにキハメテの使用を避けようとするので
あれば︑なぜ一○例のキハメテを残したのであろうか︒これら一○
例には︑それぞれキハメテでなければならない理由があったとみな
ければならない︒すなわち︑キハメテにはイミジクやイトとは異な
った意識が込められていたに違いない︒ここで︑その手懸かりとして︑
キハメテに近似した副詞キハマリテに注目すると︑このキハマリテ
はキハメテと同等に見倣しえない点がある︒それはキハマルの原義
が残存しているということであり︑﹁行き詰まってどうすることも
できないほど﹂の意で︑文字どおり窮している情態がとどめられて
いる︒キハマリテの用例は稀であるが︑宇治には次の二例が見られ
つ︵︾O
②おきなの云︑きはまりてはかなき人にこそ︒世にかげをいと
ふものあり︒︵宇治二○九岨︶
︹翁ノ云ク︑其レ極テ墓元キ事也︒世二蔭ヲ歌う人有り︒
︵今昔Ⅱ二九二2︶︺
⑦我は左京の官人なり︒九条にてとまるべきに︑かうまで来っ 和漢混清文考その一︵原栄二
らんきはまりてよしなし︒︵宇治三六四2︶
︹我レハ左京ノ官人也︒早九条ニテ可留カリケルニ︑此マデ
来ツラム極マリテ由元シ・︵今昔Ⅳ五三九6︶︺
②において︑今昔がキハメテとしているところを宇治がキハマリテ
としている点に注意しなければなるまい︒宇治編者の意識の中には︑
キハメテにキハマリテほどの強い情態的認識が作用していたのでは
ないか︑キハメテをこのよ萱フに認めることによってキハマリテを使
ったのではないか︑と察せられる︒
このような意識があったとするならば︑宇治のキハメテはキハマ
リテと同列に見倣してよいのではないかと思われる︒宇治のキハメ
テ一○例は︑︑︑︑︑︑②おきなの云︑きはまりてはかなき人にこそ︒:::心を世にそ
めてさわがる︑事はきはめてはかなきことなり︑といひて︑
︵宇治二一○2︶
︹翁ノ云ク︑其レ極テ墓元キ事也︒⁝⁝心を世々二染メテ被
騒ル︑事極テ墓元キ事也︒:⁝・卜云テ︑︵今昔Ⅱ二九二7︶︺
⑦三条中納言といふ人有けり︒:::笙の笛をなんきはめて吹給
ける︒︵宇治二二二肥︶
︹三条ノ中納言卜云ケル人有ケリ︒⁝⁝笙ヲ吹ク事ナム極タ
ル上手也ケル︒︵今昔V九○M︶︺
oIIIIIlllllllIlll︑︑︑︑⑦加能ち院といふ僧きはめて破戒無噺の者にて︑︵宇治一九三
1︶
⑦た欝寶子にて宮を四五尺あげて打奉る︒:::中門をさして人
lIIIlllIllllllllll︑︑をはらへどもきはめて顕露なり︒︵宇治四二六9︶
lBIIIllllllIIIIIII︑︑︑︑︑︑︑︑④増賀上人とて貴き聖おはしけり.きはめて心たけうきびしく 五○
おはしけり︒︵宇治三三七魁︶
IIIIlIIIIIIIllllli︑︑︑︑︑︑︑︑︑⑰まかりかへり候はむことのきはめていぶせくくちをしく候へ
ば︑︵宇治一九六m︶
④みかど腹だち給て︑その姿きはめてあやし︒.⁝:といひて人
屋に据ゑられぬ︒︵宇治四二九Ⅲ︶I︹国王此レヲ見テ問給ハク︑.⁝・・其ノ姿極テ怖シ︒⁝:.仰セ
給テ獄二被禁レヌ︒︵今昔Ⅱ五二7︶︺l②僧のいはく︑先世の契ふかきことやらん︒きはめて心ざしふ
かく思ひ聞ゆ︒.:⁝といひければ︑外宇治二一八四6︶︹比丘ノ云ク︑可然ニヤ有ラム︒哀レトヤナム思聞ユル︒
︵今昔I二七八9︶︺I②極てかたき事なれど強ひて申事なれば率てゆくべし︒其尻を
あらへ︑と仰ければ︑︵宇治四二四皿︶l②さだゆふがいふやう︑:::おのれが罪のふかくて身のきはめ
ておもく侍れば乗物のたへずして︑︵宇治二八七妬︶l︹佐大夫ガ云ク︑⁝⁝己レガ罪ノ深2プ極テ身ノ重ク侍レバ
■乗物ノ不堪ズシテ︑︵今昔Ⅳ五一四Ⅱ︶︺
のよ竜フに用いられる︒
⑦は︑第九○﹁帽子児与孔子問答事﹂における翁の孔子に対する︑︑︑︑︑会話文中に見られるものである︒﹁きはまりてはかなき人﹂で開口︲し︑﹁きはめてはかなきことなり﹂で言い終わっているが︑ここで
は︑キハマリテの言い直しとしてのキハメテであり︑キハメテがキ
ハマリテと同列に置かれていることは明らかである︒また︑⑦のキ
ハメテは︑連体修飾語キハメタルの別言としてのキハメテであり︑
キハメタルの情態性がキハメテに息づいていることが感得され︑そ
和漢混清文考その一︵原栄二 れ故に動詞﹁吹く﹂に係っている︒
①⑦は︑ともに﹁破戒無断﹂﹁顕露﹂という漢語に係けており︑
漢語に対する修飾語という意識のもとにキハメテを用いている︒イ
ミジクあるいはイトが修飾する漢語に︑﹁不幸﹂﹁希有﹂﹁不便
︵ふびん︶﹂︑それに漢語ではないにもかかわらず︑漢語同様に用
いられる﹁異様︵ことやう︶﹂とがあるが︑これら四語はいずれも
源氏物語にも見られる語であって︑いわば和化漢語といえる類であ
る︒ここでも︑イミジクやイトとは異なったキハメテヘの意識のし
かたが見てとられるのであり︑別格が与えられていることを知りう
つ︵︾O@が増賀奇行證④に入っている例である︒増賀の﹁物狂はし﹂に
係るスコブルと︑増賀の激情を吐露する会話文中のモトモとに︑特
別の配慮がなされているとするならば︑彼の性格を述べた﹁心たけ
うきぴしく﹂に係るキハメテにも特別の意識がはたらいていたはず
である︒しかも︑被修飾語が﹁心たけし﹂と﹁きびし﹂の二語であ
ることが並みのものと異なっている︒@もこれと同じで︑﹁いぶせ
し﹂と﹁くちをし﹂の二語に係るものであり︑編者の意識はこのよ
うな点にまで及んでいたことが知られる︒
④夙澪四②はいずれも会話文中に見られるもので︑④は天竺から渡
来した僧に対する秦の始皇帝の立腹した激しい口調の中に︑②は淫
戒を破る緊迫した場面における女犯僧の口説きの中に︑②は弥勒菩
薩の御許に連れて行ってほしいという相応和尚の懇願に対する不動
明王の返答の中に︑そして⑦は︑河内前司の夢の中で︑牛を借用し
て乗りあるく死者の霊が語ることばの中に︑それぞれ使われている︒
いずれも尋常な場面や心理での使用ではなく︑これらのキハメテに
五
一
一一一
今昔の強・強・強に対して︑宇治が強・弱・弱であることの具体
注6的な指摘は︑既に宮田裕行氏や浦野洋美氏のご論考などにも見られ
るとおりであるが︑程度副詞に関しては別表に見られるごとく︑和
文語イトとイミジクが圧倒的に多く使用されている︒今昔のキハメ もイミジクやイトとは違った職能が負荷されていたとみてよいようである︒
以上のように︑訓読語スコブル・モトモ・キハメテの宇治におけ
る使用例は僅少であるが︑それなりに特別の意識が託されているこ
とを見ることができる︒
なお参考までにハナハダについて触れると︑宇治においてハナハ
ダは絶無である︒今昔でも︑巻二二から巻三一までの本朝部後半に
は日本霊異記を原典とする二例の用例しか見られないことを思えば︑
いかにハナハダが訓読特有の語であったかがうかがわれる︒q⑦いかれる声のたかく恐ろしげなるをもていふ︒︵宇治四三三
m︶
︹嗅レル音ニシテ高クシテ甚ダ怖シキ事元限シ◎︵今昔Ⅱ二
九九5︶︺
eなんぢ罪業深重なりといへども︑︵宇治一三五1︶
︹汝ヂ年来造ル所ノ罪ミ甚ダ重シ卜云へドモ︑︵今昔Ⅲ五三
六Ⅱ︶︺
のように︑偏三⑦それぞれ今昔巻一○と巻一七とでハナハダとすると
ころを︑宇治ではこれを省略し︑また﹁深重﹂という漢語に換言し
ている例が見られる︒ 和漢混清文考その一︵原栄一︶
テをイト・イミジクに換言したもの︵三例・一四例︶︑今昔に程度
副詞が見られないところにイト・イミジクを付加したもの︵一六例
・八例︶などを加えてのイト九八例とイミジク九五例であるが︑こ
れらはすべて正常な用法であり︑まさしく純然たる程度副詞である︒
ここで注目されるのはョ二であり︑これについて詳細に見てゆきた
い︒
ョ二が一五例︑ョニョニが三例︑計一八の用例が見られ︑このう
ち程度副詞用法が一六例であることは特筆すべきことである︒なぜ
ならば︑仮名文学作品においても︑この程度副詞ョニの事例が数多
く現われることはないからである︒たとえば︑蜻蛉日記のョ一二一別表
五
一
一
セメテ イタク
オホキーヨ
ニ
ノイ︑こ︾ン〃/
イ
ト
キ︑ハメーア モ︑トモ
スコブル
18 13 2 49 1 1
動・詞
4 11 38 73 7 3 1
形容詞
3 8 24 2
形容動詞ほか
4 18 13 16 95 98 10 3 1 計
イタウを含む ョニョニを含む イミジウを含む イトイトを含む
備考
例中七例は打消推量の助動詞ジと呼応する陳述副詞用法であり︑同
じく枕草子は一五例中四例がジを︑源氏物語は九例中五例がジ・マ
ジ・ズを下に伴う陳述副詞である︒では︑これらを除く残りの諸例
がすべて程度副詞かというとそうはいえない︒枕草子の三例につ
いても︑このうち八例までが︑
③五月こそ世に知らずなまめかしきものなりけれ︒︵日本古典文
学大系﹃枕草子﹄二五二u︶
⑥屋のいとふるくて︑瓦ぶきなればにやあらん︒暑さの世に
知らねば︑︵同二一五6︶
のように︑慣用句﹁世に知らず﹂で用いられており︑ョ二が程度副
詞化する過程の一型を示している︒結局︑枕草子で程度副詞と見倣
し︑フるものは
︑梨の花︑よにすさまじきものにして︑ちかうもてなさず︑は
かなき文つけなどだにせず︒︵同八四2︶
の一例にすぎない︒これとても︑日本古典文学大系本頭注や枕冊子
全注釈の語釈では程度副詞とするものの︑日本古典文学全集本の口
語訳は﹁世間では﹂と訳し︑程度副詞とは認めていない︒このよミフ
に︑程度副詞ョニの認定には微妙なものがあるが︑一応︑蜻蛉日記
では﹁心ゆるぴなし﹂に係る二例と︑源氏物語の﹁いとほし・あや
し.心細し.心憂し﹂に係る四例とを程度副詞とすると︑いかに宇
治の一六例が格別なものであるかが知られる︒
さて︑宇治の注目される用例をあげると︑
⑦この猟師︑よに貴きことにこそ候なれ︒さらばとまりて拝奉
らん︑とてとぎまりぬ︒︵宇治二五二遡︶
︹猟師︑極テ貴キ事ニコソ候ナレ︒然ラバ留テ礼ミ奉ラム︑
和漢混清文考その一︵原栄二 ト云テ留ヌ︒︵今昔Ⅳ一七○3︶︺
⑦よにI︑ねむごろにもてなして心ざしありつる郡司の妻を︑
︵宇治二五五略︶
︹極テ勲二当ツル郡司ノ妻ヲ︑︵今昔Ⅳ一六二1︶︺
︑空をあふぎて︑よに心えぬけしきにて帰りてけり︒︵宇治二
五六岨︶
︹空ヲ仰テ極ク心不得ヌ気色︒︵今昔Ⅳ一六二皿︶︺
④しばしありて︑よにI︑あさましげにて︑この男いできたれ
ば︑︵宇治二五六M︶
︹暫許有テ︑此郎等返来タリ︒極ク奇異キ気色シタレバ︑
︵今昔Ⅳ一六二Ⅱ︶︺
⑦郡司よにI︑悦びて︑︵宇治二五七旧︶
︹郡司極ク喜テ云ク︑︵今昔Ⅳ一六三8︶︺
⑦此女よるのおと蕊より出でてたてるを見れば︑まみもかはり
て世におそろしげなり︒口に血つきたり︒︵宇治二一四略︶
︹此ノ女大殿ョリ出デテ端二立テリ︒人此レヲ見レバ眼見替
テ頗ル怖シキ気有り︒ロー血付タリ︒︵今昔I三四一M︶︺
のごときである︒ョニの相当部が今昔で︑偶三⑦がキハメテ︑同国言⑦
がイミジク︑⑦がスコブルとなっており︑これらがいずれも程度副
詞であることから︑宇治のョ二が完全に程度副詞となりきっている
ことが了解される︒その上明白な証拠としてョニョニの存在である︒
ョ二に原義が少しでも残存している間は︑意味を強調するためにこ
れを重ね用いることはありえないからである︒また︑今昔の相当部
に程度副詞を欠いた例
⑥この鴫にきたれば︑世にめでたげなる女どもにたばかられて︑
五 三
帰らん事も忘て住ほ化に︑︵宇治二一二2︶︹此ノ国二来しり︒目出キ女共二耽テ還ラム事ヲモ忘レテ棲
シ程二︑︵今昔I三三九8︶︺
④この女人に物ならはさむ︑といひて︑よにあさましき所をさ
へなにせんかせんと罵りのろひければ︑︵宇治二一二Ⅱ︶︹此ノ女二物習ハサム︑卜云テ剤奇異キ所ヲサハ何セムナド
罵ケレバ︑︵今昔Ⅳ三五五4︶︺
も見られる︒これはョ二が和文語であるということにとどまらず︑
編者にとって自在に使いえた語でもあることをものがたっている︒
以上のように︑程度副詞用法のョ二が︑今昔の相当部ですべて同
義語となったり省略となっている事実は︑何を意味するものである
︑フか︒これは今昔のいわゆる文体基調として︑程度副詞ョ二を原則
として使用しなかったことに起因するのではないかと推察される︒
そこで︑今昔のョニの用例三二二例について見ると︑その大多数が︑
④飲食ヲ受テ後ノ世一一苦ヲ受ケム事︑︵I八八6︶
︑昔ハ此ル人ナム世二有ケル︑︵V二九三4︶
のように︑下接する語が動詞であり︑﹁世の中で﹂の意の﹁世︵名
詞︶・ニ︵助詞︶﹂として使われている︒したがって程度副詞用法
のョ二は容易に見当たらず︑これを検索するための一応の目安とし
て︑形容詞・形容動詞に係る例を拾うと︑次の諸例が得られる︒
①山深クシテ貴キ事此二過ダル所ハ世二元シ︒︵Ⅲ五二○昭︶
︑元オノ博士ハ古ョリ今二至マデ世二元シ・︵Ⅳ三一六1︶
⑪盗人卜語上給フ︒此レ世二元キ事也︒︵V一三六画︶
①此ノ平中二勝レタル者世二元カリケリ︒︵V二一二5︶
①文君ヲ妻トセムガ為二仮借スル人世二多カリト云ヘドモ︑ 和漢混渚文考その一︵原栄二
︵Ⅱ三一二M︶
⑮此ノ朝二仏法盛二発テ︑堂塔ヲ造ル人世二多カリ︒︵Ⅲ一○
○3︶
①来テ告ル人世二多カリ︒︵Ⅲ一七五Ⅱ︶
︑極楽二往生セムト願う人世二多カリト云ヘドモ︑︵Ⅲ三七五翌
⑪此二依テ︑心発ス人世一一多カリ︒︵Ⅲ五一四m︶
⑤漕ラム時ニハ娯舩ノ手ノ様ニコソハ有ラメ︒世二珠キ物也︒
︵V二八二閲︶
⑥皇子ヲモ女宮ヲモ否産奉り不給ザリケレバ︑世ニロ惜キ事ニ
ナム父ノ関白殿モ親キ人々モ思タリケル︒︵Ⅳ一○一M︶
これらにおいて注意すべきは︑ョ一が①〜①で﹁元シ﹂に︑①〜⑪
で﹁多カリ﹂に係っていることである︒﹁元シ﹂は形態こそ形容詞
とはいえ︑機能上は動詞﹁有り﹂の対立概念を表わしており︑この
場合の﹁世二﹂は﹁世間に﹂の意であって程度副詞ではない︒また
﹁多カリ﹂についても︑事物の有無に準ずる多少の状態を表わすも
のであり︑これもまた程度副詞とは認めがたい︒
︑﹁珠︵メヅラ︶シ﹂と⑥﹁口惜シ﹂とについては︑同じ形容詞
とはいえ︑前者は特異性を後者は性向を表わしており︑質的には大
きな差異があるわけで︑この点への介意が必要となる︒程度副詞ョ
二は︑蜻蛉日記・源氏物語の事例﹁心ゆるぴなし・いとほし・あや
し.心細し・心憂し﹂で察せられるように︑事物に対する心の状態
すなわち性向・心境の程度を表示する副詞であり︑⑪﹁口惜し﹂に
係るョ二はこの類としても︑︑﹁珠シ﹂に係るョ一は程度副詞とな
しがたい︒このように見ると︑⑪の事例は今昔にあっては特例とす
べきもので︑今昔に程度副詞ョ二は原則として用いられていないと 五四
断じてよい︒
かかる理由から︑宇治のョニの相当部が︑今昔では換言または省
略となっているのであるが︑ここに︑宇治のョニの相当部が今昔で
もョ二となっている例が見られる︒④昔︑堯舜と宝一人のみかど︑世にたうとまれ給ひき︒しかれ
ども︑その子孫︑世に針さすばかりの所をしらず︒︵宇治四三
四4.5︶
︹昔︑ン︑堯舜ト申三一人ノ国王御坐︑ンキ︑世二貴バレ給フ事
元限カリキ︒然しドモ︑其ノ子孫︑世二針指ス許ノ所ヲ不知ズ︒
︵今昔Ⅲ二九九M.M︶︺
これらの﹁世に﹂はもちろん﹁世間で﹂の意に解すべきであって︑
﹁昔︑堯︑舜という二人の帝が︑非常に尊敬された︒しかしながら︑
その子孫は︑ほんに針さすほどのわずかな土地さえも治めていない︺
︵日本古典文学全集﹃宇治拾遺物語﹄五○八頁︶のような口語訳は無理で
はないかと思われる︒
なお︑陳述副詞用法のョ二は次の二例である︒
︲llllllll︑②よし御らんぜよ・まからでは世にあらじ︒︵宇治八○7︶
︹今御覧ゼョ︒不罷デハ否有ジ︒︵今昔Ⅳ四六○3︶︺
e俄の道心間回あらじ︒物のつきたるか︒︵宇治一二○四翌
の局︶ともに打消推量の助動詞ジと呼応しており︑ほとんどョモと同
義とみられる︒宇治ではョモの用例が一五例あり︑ジとの呼応は専
らョモが当てられることから︑ョニの使用はおのずから限られ︑二
例しか現われなかったということであろう︒②のョニの相当部が︑
今昔では﹁否︵エ︶﹂となっていることから︑この種のョ二が一般
的ではなかったと察せられるが︑事実︑今昔の用例は︑
和漢混清文考その一︵原栄二 ④ョニ違う事不侍ジ︒︵Ⅳ五○六4︶①世一一被責不侍ラ︒︵Ⅳ三八五浬⑤世不劣ジ︒︵Ⅳ一二四2︶の三例のみで︑しかも⑤は岩波文庫本が﹁世モ﹂としており確例ではない︒@は﹁ョ一﹂と仮名書きされた唯一の例で︑これこそ副詞として意識されていたことが用字にあらわに表出されている︒ともかく今昔でョ二は稀例である︒
右のよ︑フなョニの検討によって︑ョニの語性も幾分明らかになっ
たが︑宇治における程度副詞ョニの一六例は断然光彩を放っている︒
訓読語を抑制する一方で︑イト・イミジクのほかにョ二を加えた意
義は大きく︑このことによって程度副詞が一歩でも多様化へ前進し︑
多少なりとも豊潤な表現に近付いたといえよう︒
このような努力は︑形容詞の連用形が程度副詞的機能を果してい
ることにおいても︑見られるのである︒アサマシク・センヵタナク
・イトホシクなどがそれで︑これらについては事例のみを次にあげ
ておく︒②色あさましう青ぴれたる者どものやせ損じたる︑︵宇治三七
七咽︶
︹色極テ青キ者共痩セ枯ダル︑︵今昔Ⅲ八二1︶︺
②異事もいはでゆく程に︑あさましく人のむかふくくもなく︑
おそるしといへぱおろかなる物の︑︵宇治二四五1︶
︹他ノ事ヲ不云ズ︑ンテ歩ビ行ク間二︑極テ怖︑ン気ナル軍共ノ︑
︵今昔Ⅲ三一五5︶︺
⑥大なる男三人いくほどもへだてずきりふせたる︑あさましく
使ひたる太刀かな︒︵宇治三二一週︶
五五
専ら動詞を修飾し︑形容詞・形容動詞には係らない程度副詞に︑
オホキニとイタク︵イタウも含む︶とがある︒一般には︑オホキニ
を漢文訓読系の語とし︑イタクを和文語として識別するのであるが︑
宇治では両者混清の必然性が被修飾語にあることが見出される︒
オホキニは︑修飾する動詞が心理作用を表わす動詞︑具体的には
喜怒哀楽の情を表わす動詞に偏っているのである︒宇治の一三例は
﹁悦ぶ・腹立つ・腹を立つ・腹る.泣く・怨む・驚く.怪しくて
︵I怪しむ︶﹂の八語に係り︑いずれも喜怒哀楽を表わす動詞に限
られている︒用例は︑ ︹大ナル男三人ヲ幾ク程モ不隔切伏ダル︑極ク仕夕ル太刀カ
ナ︑︵今昔Ⅳ二五一2︶︺
⑤先来ん物をいだけといひつれども︑せん方なくおそろしくて︑
草の中にふしぬ︒︵宇治二五九3︶
︹前二下ラム者ヲ抱ケトハ教ヘッレドモ︑此ヲ見ルー︑極テ
怖シク︑草ノ中二隠し臥ヌ︒︵今昔Ⅳ一六四7︶︺
@毛をいら︑かして走てか︑る︒せん方なくおそろしけれども︑
︵宇治二五九9︶
︹毛ヲイカラカシテ走り懸テ食う︒極テ怖ミク思ヘドモ︑
︵今昔Ⅳ一六四Ⅱ︶︺
②もし入たがへしたらんは︑いとほしくふびんなるべきことと
思て︑︵宇治一○九3︶
︹若人違︑ンタラムハ︑極メテ不便ナルベキ事カナ卜思ケル程
二︑︵今昔Ⅳ四一五岨︶︺
四 和漢混清文考その一︵原栄一︶
011IIIIIIIIIIIII︑︑︑⑤内供おほきに腹だちて︑︵宇治一○○7︶
IIIIIlIIIIll︑︹内供大キー嗅テ︑︵今昔V八七5︶︺
011111111︑︑︑︑⑤見るまに︑大に腹をたてて︑︵宇治一三一7︶
0111111111111︑︹見ルマ︑二︑大キー項テ云ク︑︵今昔Ⅳ三五五1︶︺
lllII11II︑@もちて下りて︑とらすれば︑郡司大に悦て︑︵宇治一五八9︶︹持下テ︑郡ノ司一写へタレバ︑郡ノ聖巨テ︑︵全日Ⅳ一六
三咽︶︺
IIlllllII︑︑︑︑︑問へどもいらへもせず︒大にあやしくて︑又異所を聞けば︑
︵宇治三七七u︶闇へドモ不答へ・皆テ去ヌ.亦他ノ方ヲ蕊︑︵全日Ⅲ八
一Ⅳ︶︺
等であるが︑これらの中でも特に︑澪︑に見られるがごとき︑今昔が
﹁噴ル﹂としているところを宇治が﹁腹立つ・腹を立つ﹂としてい
る例が興味をひく︒この﹁おほきに腹立つ﹂という語法は特殊なも
のであって︑和文においてはごく稀にしか見られないオホキニの用
例のほとんどが︑
IIIlIIlllIII︑︑︑①入り臥しにけりと思ふに︑大きに腹立︵ち︶て︑︵日本古典文
学大系﹃落窪物語﹄八八2︶
lIIIII︲IIIIllllll︑︑︑⑪人々とりて見て︑いみじうわらひけるに︑おほきに腹立ちて
こそにくみしか︒︵日本古典文学大系﹃枕草子﹄一五九5︶
l●IIIlllllllllllI︑︑︑︑⑦そのおりに︑いとどおほきにはらだ・せたまひて︑
︵日本古典文学大系﹃大鏡﹄二七5︶
のように︑﹁腹立つ﹂を修飾するのである︒となれば︑漢文訓読系
のオホキニがこのような語法で用いられると和文的語法ということ
になるが︑これはあくまでも特殊語法であり︑むしろ和漢の意識を 五六
離れ︑通俗的語法であったと推断すべきもののようである︒ともあ
れ︑和漢の識別とは関わりなく︑オホキニは心理作用表示に荷担し
た副詞であって︑︑忠恒かねてのしたくに例振ひて︑︵宇治一三二面︶
︹忠恒兼テノ支度大キー違フテ︑︵今昔Ⅳ三八七岨︶︺
のように︑心理作用とは無関係の動詞﹁たがふ﹂にはオホキニを省
いている︒ここに︑﹁大キー違う﹂とした今昔との差異を見うるわ
けである︒それのみならず︑⑥⑤のように︑今昔が単に﹁喜ブ﹂
﹁怪シム﹂とするところを︑宇治はオホキニの付加によって心情の
動きを高揚している︒オホキニに対するイタクは︑一八例用いられており︑これが修飾
する動詞は﹁晴る・更く.︵烏︶鳴く・殺す・制す・煽る・もたぐ
.求む・乞ふ・のたまふ・責む・物忌む・つまづく・踏む・笑ふ﹂
の一五語である︒この中で︑心理作用と関係あるものは﹁笑ふ﹂の
一語のみで︑他はすべて自然・行動に関する動詞ばかりであること
から︑﹁笑ふ﹂は例外と見倣してよいと思われる︒このように︑オ
ホキニとイタクとの区別は︑心情と行動との間に一線が画されたと
いうことであって︑和漢の差異ではない︒イタクの用例を一目して
看取できることは︑eっぶだちたる孔ごとに︑煙のやうなる物いづ︒それをいたく
ふめば︑︵宇治九九3︶
︹ツブ立ダル穴毎二︑煙ノ様ナル物出ヅ︒其レヲ責テ踏メバ︑
︵今昔V八六4︶︺⑧わたすべき物なかりけるに︑いたくせめければ︑︵宇治二○
○妬︶
和漢混清文考その一︵原栄二 ︹可渡キ物ノ元カリケルヲ︑強二責ケレバ︑︵今昔Ⅲ四九七
6︶︺
⑤いたくなもとめ給ひそ︒︵宇治二八八2︶
︹強ニナ求メ騒ガセ不給ソ︒︵今昔Ⅳ五一四M︶︺
①蹴倒さんと足をいたくもたげたるを︑︵宇治二五Ⅱ︶
︹蹴倒サムト足ヲ高ク持上タルヲ︑︵今昔Ⅳ二六一盃︶︺
︑いたく乞ひければ︑我にもあらでとらせたりければ︑
︵宇治三九六岨︶
︹速二乞取ケレバ︑唐人︑我ニモ非デ返シ取セテヶリ︒
︵今昔Ⅳ四五七9︶︺
のように︑今昔がセメテ・アナガチニ・タカク・スミヤヵニとして
いるところにイタクを用いていることである︒このことは︑イタク
が宇治でかなり自由に用いられたことを示すものであるが︑逆にい
えば︑今昔でイタクがなんらかの使用制限を受けていたことを示唆
するものでもある︒今昔のイタクは︑表記が﹁痛ク﹂であるように︑
編者の意識に痛ましい感情と結びつくものがあり︑たしかに程度副
詞であるとはいえ情態副詞としての意識が多少はたらき︑程度副詞注7として自由に駆使しえなかったのである︒
イタクに関連して︑セメテとアナガチについて簡単に触れると︑
セメテは五例中四例までが形容詞﹁恐ろし・苦し・思はし.青し﹂
に係り︑﹁非常に﹂の意で程度副詞化している︒他の一例は副助詞
バカリを伴って﹁最小限これだけは﹂の意で使われているが︑中世
的用法の比較的早期の用例の一つといえよう︒
アナガチニの九例は動詞﹁召す・参る・申す・攻む︒入る・擦る
・す﹂に係り︑情態副詞として使われている︒程度副詞化していない︒
五七
これとは反対に︑訓読語の抑制で孤立状態にある訓読語は︑その
希少価値からこれもまた新たな機能が加味されることとなる︒
和漢混渚文の研究は︑機械的に混渚したものと意識的に混渚させ
たものとを見極めながら︑今後進められなければならないようであ
ラハロ0 偏りにもこれに近い状況があるのであろう︒ イタクとオホキニの対応でも︑和文語と漢文訓読系の語との差ではなく︑被修飾語においてその差が生じている︒ョニの被修飾語の 累加を表わす程度副詞として︑宇治には︑イトド一九例とイョイ
注8ョ二○例とがほぼ同数拮抗して見られる︒これについては拙稿で既
に検討したことであるが︑要は︑イトドとイョイョの対応が単なる
和文語と漢文訓読語的用語との対応ではないということである︒イ
トドは内向的・萎縮的・消極的累加を表わし︑イョイョは外向的・
発展的・積極的累加を表わすものである︒このように︑和漢混清文
において︑和と漢と同程度の同義語が共存する場合には︑相互に新
たな機能が付加されていくようである︒
注1峰岸明氏﹁和漢混清文の語彙﹂︵﹃日本の説話7﹄所収︶
2小林芳規氏﹁唐代説話の翻訳l﹃金剛般若経集験記﹄の訓読にっ
5 4 3
− 注 扣 回 3 稀 ゲリに‐
7)同畠l 巾 じ 託
一 一 0 9 ̲
一四例の中には左例のように︑確例に準ずるものが三例含められて
いつつ︒ いてl﹂︵﹃日本の説話7﹄所収︶拙稿﹁副詞に関する二重機能について﹂金沢大学教養部論集一○ 和漢混清文考その一︵原栄一︶
五
聖いみじう貴て︑︵宇治三四四7︶
︹聖人︑極テ貴キ事也︑卜云テ︑︵今昔Ⅳ九二3︶︺
6宮田裕行氏﹁説話の文章l共通説話の語彙語法を中心にしてl﹂
文学論藻三六
浦野洋美氏﹁宇治拾遺物語の文体l今昔物語集との比較からl﹂
日本文学︵東京女子大︶二九
7拙稿﹁程度副詞おほきに小考﹂金沢大学教養部論集八
8拙稿﹁中世初頭における﹃いとど﹄と﹃いよいよ﹄の対照的用法に
ついて﹂金沢大学教養部論集一五 五八